Graduale - 昇階唱 ⅩⅡ
ヨウランが持ってきたのは、1台のノートパソコンだった。そのノートパソコンはメイリン曰く、見た目に反してハイスペックなものらしい。
ヨウランは素早くパソコンを起動させ、何故か話しかける。
「カメラで顔面の認識が出来るか? 記憶しろよ。こいつらが、これから1年、俺達のチームメイトになる奴らだ」
パソコンに向かって何を言ってるんだ? ヨウラン。
みんなも訝しげにしている。
すると、ディスプレイに文字が表示された。
"こんにちは、はじめまして。わたしはハンス・ケント氏とヨウラン・ケント氏によって作られた人工知能です"
俺達は驚いてヨウランを見た。
「理工科は、研究成果の持ち込みをして、認められれば入学できるんだ。俺の研究対象は見ての通り、人工知能。最終目標は、経験を自動で学習し、物事を自分で判断する高度な人工知能。人と変わらない、喜怒哀楽を持ったパートナーを作る事だ」
そう言ってヨウランはノートパソコンを撫でた。大切そうに見つめる瞳に嘘はない。
「こいつも、チームに入れて欲しい。どんな経験であれ、人間と過ごす事はこいつの為になるんだ」
ヨウランの思いもよらない提案に、俺は沈黙する。どう反応すればいいかわからなかったからだ。
それは他のみんなも同じだったらしい。じっと、ノートパソコンとそのディスプレイを見ている。
「あー… ヨウラン、お前ってやっぱり"ラボ持ち"なのか?」
ヴィーノはどこか複雑そうに言った。
"ラボ持ち"? 研究所?
「"ラボ持ち"って…… 理工科の特殊技術生?」
噂好きのメイリンの行動範囲は、理工科にも及んでいるらしい。俺やルナが首を傾げているのに対し、メイリンは驚いたようにヨウランを見ている。
俺は”特殊技術生”という単語に、なんとなく俺と同じ雰囲気を感じ取っていた。確か俺は、航宙科特殊技能生だったはず。もしかしてヨウランは、理工科における俺のような立場なのだろうか。
「"ラボ持ち"っていうのは、理工科でも特殊な―― 設計と言うか、開発と言うか…… まぁ、そっち方面の中でも更に優秀な奴らの事だよ。士官学校に入る前から、自分自身が研究しているモノを持ち込んで、それが将来的に有用と判断されたならば、試験やなんやかんやが免除された上で、それぞれ個別の研究室が与えられるんだ。だから"ラボ(研究室)持ち"。ヨウラン、ちょくちょく部屋にいなくて、それでも咎められてなかったから、もしかして、とは思ったけど」
ぼんやりしていた俺のイメージを、ヴィーノの説明が裏付ける。
なるほど。理工科の"ラボ持ち"は恐らく、航宙科の"自主演習"にあたるのだ。だからさっき、ヨウランは俺に、"航宙科では"と尋ねたのだろう。
ヴィーノの説明にレイが頷く。
「つまり、若く未完成な技術の囲い込みだな。研究成果の持ち込みが理想的だが、論文や技術開発の提案書などでも評価されれば入学が許可されたはずだ。だが、それは――」
言いよどみ、一度レイは言葉を切る。僅かな逡巡の後、レイはまっすぐ真剣な目でヨウランを見た。
「わかっているのか、ヨウラン。ここで開発すると言う事は、そこにいる人工知能は――」
「わかってるさ。でも、俺にはもうこいつしかいないんだ。唯一の家族だった父さんは血のバレンタインで死んだ。父さんと俺が作ったこいつを完成させるには、ここしかないんだ」
先程レイが言った事が正しいのならば、この士官学校で開発を続けると言う事は将来的に、軍用兵器に転用される可能性があると言う事だ。
レイは恐らく、その事を懸念しているのだろう。
自分が生み出した者が他者を傷つけるかもしれない兵器に転用され、思い悩むことはないのか、と。
ヨウランも覚悟しているのだろう。レイの問いに間髪置かずに答えた。
完成させるにはここしかない――
ヨウランの気持ちが、俺には理解できる気がした。
きっとも俺も、父さんや母さん、マユと一緒に作っていたモノが遺されていたら、死に物狂いで完成させようとしただろう。縋れるモノがあるだけ、ヨウランが羨ましく見えた。だからこそ、協力してやりたいという想いも俺の中に生まれる。果たせなかった約束の代わりに、ヨウランの人工知能が完成すれば、俺も―― 俺も?
俺は少し目を伏せ、視線を人工知能がいるパソコンを見た。
俺は今、何を考えた?
首を横に振り、俺は目の前のやり取りに意識を戻す。
何やら今度は、メイリンがヨウランと話し込んでいた。
「具体的には何が出来るの?」
情報科でオペレーターを目指していることだけあって、メイリンは情報関連には強い。情報処理能力もさることながら、パソコンなどの様々な機器の扱いにも秀でている。情報関係の専門的なことは、メイリンに任せておいた方がいいだろう。
「なんでも。モビルスーツに接続すれば、各データを自動で記録して解析してくれる。パターン化や数値化は得意分野だ。ある程度のデータが溜まれば、独自の改善案の提案もしてくれるようになる」
なったらいいなぁ、とヨウランは遠い目をした。
つまりそんなことはできないのだろう。画面を見れば、ヨウランの呟きを聞いたのか、"大丈夫?"と表示されている。
うん。よくわからないけど、何か凄いモノが目の前にあることだけはわかった。
「ハッキングとかの対策は?」
「得意分野。電子情報戦は真っ先にシステムエンジニアの父さんが教え込んだから。おかげで俺の家のパソコンの中身は綺麗なもんだぜ」
メイリンとヨウランがいくつかの質問を交わす。
専門外の俺達は、聞くことしかできない。
そして色々な話をして、メイリンが出した結論がこうだった。
「すっごい良い話だと思う」
人工知能の分身の様な端末をモビルスーツに差すだけで事足りる上、齎されるのはなかなか手に入らないモビルスーツ内部で処理されている数値だ。
勿論学校側の許可がいるが、"ラボ持ち"のヨウランの存在により比較的簡単に許可が下りる事が予想されるらしい。
「それに、ヨウランの人工知能が成長すればそう簡単には作れない、高度に再現された自分自身とのシミュレーション対戦も可能になると思うよ」
メイリンはそう言って締めくくった。
自分自身との対戦――
それはとてつもなく魅力的だった。
自分自身の弱点の分析が、戦闘の最中にできるのは凄い事だと思う。断る理由の方がない。
「俺はその子をチームに入れて構わないと思う。モビルスーツってことは、俺の自主演習に連れて行ってもいいのかな?」
ヨウランに賛意を示し、ノートパソコンを見る。
ディスプレイには"ありがとうございます"という文字が浮かんでいる。それが微笑ましくて、思わずキーボードに"こちらこそよろしく"と打ち込む。
「その子?連れて…? あ、ああ。むしろ、こっちから頼みたい位だ。この人工知能を持って行って、色々見せてやって欲しい」
その言葉に俺は頷いた。
しかし何故か、ヨウランは首を傾げていた。どうかしたのだろうか。
「このチーム、かなり優秀な奴が固まってるみたいだからさ。研究に協力してもらいたくて」
俺の了承を受け取ると、ヨウランはそう言って他の皆を見る。
確かに、このチームは偏りがある。
入学時首席のレイに、航宙科の特殊技能生の俺、理工科の"ラボ持ち"のヨウラン。メイリンは情報処理が凄いし、ルナマリアの徒手戦闘は恐らく俺の上を行く気がする。ヴィーノにしても、正規の整備班の徹夜の作業に付き合う許可が出たということは、メカニックとしての技能は高いのだろう。
こうして振り返ると、偏って良いメンバーではない気がする。何か意図でもあるのだろうか?
俺がぐるぐる考えている間に、次々と会話が流れてゆく。
「あたしも別にいいわよ。その人工知能って、射撃の補助とかもしてくれるようになるのかしら?」
「当然」
「のったわ」
ルナマリア…… そんなに自分の射撃に自信がないのか……
「うーん…… 俺もいいぜ。畑違いだけど、"ラボ持ち"の研究に関われるのは楽しそうだし。他の奴ら、なんかぴりぴりしてて怖いんだよなぁ」
それがなかったから、ヨウランが"ラボ持ち"かどうか判断しかねてたんだ。そうヴィーノは付け加えた。どうやら他の"ラボ持ち"はもっとぴりぴりしているらしい。
俺、メイリン、ルナマリア、ヴィーノが了承した。
後は――
視線がレイに集中する。
ふと見やれば、パソコンの画面の中には"……"の記号が浮かんでいた。
なんだこれ? もしかして、この子は不安なのだろうか?
俺がレイの方を見ると、レイもパソコンの画面を凝視していた。
「ヨウラン」
レイがヨウランに声をかける。
「この人工知能は、音声認識は搭載されているのか?」
唐突な問いに、ヨウランが目を白黒させながら答える。
「ああ。カメラやマイクからもデータを収集してるから、沢山話しかけてくれるありがたい。情緒面での経験が見込まれるから…… まぁ、後は設定してないけど、文章の読み上げ機能もあるから、ある程度の音声会話もできると思う」
そういえば、戻って来たばかりのヨウランがこの子に話しかけていたことを思い出す。こっちの言葉が理解できるなら、音にして話すこともできるはずなのだ。どうしてヨウランは喋らせないのだろ?
「ならば問題ない。会話はコミュニケーションの第一歩だ」
これは恐らく了承だろう。まったく、レイは素直じゃない。
まぁいいか、と俺はパソコンの前にしゃがみこみ、内臓のカメラを見つめる。
「それじゃあ、早速。はじめまして。俺の名前はシン、シン・アスカ。君の名前は?」
なるべく笑顔を意識して語りかける。
画面には"こちらこそはじめまして。わたしはハンス・ケント氏とヨウラン・ケント氏によって作られた人工知能です。これから1年よろしくお願いいたします"と表示される。
俺は首を傾げた。
「ヨウラン。この子に名前ないのか?」
先程と同じような自己紹介に俺は何の気なしに尋ねた。
「あ、…… うん。名前つける前に、父さんが死んだから……」
重い沈黙が落ちる。
「ならば与えればいい」
意外にも、口を開いたのはレイだった。
「ヨウラン。お前はその人工知能が"人に成る"事を望んでいるのだろう。ならば名がなければ―― 名がなければ、宿るものも宿らない」
そう言って、レイはキーボードを撫でた。
その表情は相変わらずの仏頂面だけど、どこか複雑そうだった。
俺は驚いてレイを見ていた。
宿るもの―― もしかして"魂"の事を言っているのだろうか? 地上育ちの俺が言うならいざ知らず、プラント育ちのレイからそんな言葉が出るとは思わなかった。
「じゃあ、今、つければいいじゃない」
重くなった雰囲気を掃う様に、ルナマリアが明るく言った。
「そうそう! 人工知能なんて言葉が会話に出てたら、他のチームに妙な勘ぐりをさせちゃうよ!」
人工知能の存在による、電子情報のアドバンテージは活かさないと! と、メイリンも主張する。
確かに、寮の部屋などのプライベートな空間ならまだしも、廊下や食堂での会話は、些細なもの聞き拾われ、思わぬ情報となって他チームの利になる可能性がある。
"人工知能"なんて単語が出て来る会話をうっかり聞かれでもしたら、どう利用されるかわからない。
察しの良い人間なら、その単語だけで理工科の"ラボ持ち"、その中でも人工知能を研究している人間―― ヨウランを探し当てそうだ。
ヨウランは困った様に眉を寄せ、首を横に振った。
「俺じゃつけられない……」
その口ぶりから恐らく、ヨウランも名前をつけようとしたことがあったのだろう。
父親との合作。遺作。思い入れが強すぎて逆に名付けられない。
「なら、みんなで考えればいいじゃん。その人工知能もある意味、チームメイト? みたいなもんなんだし。名前をみんなで考えるのって楽しいぜ。俺の妹がそうだった」
そう言ってヴィーノはヨウランに提案した。
なるほど。みんなで。そてはそれで良さそうな気がする。俺やマユの名付けのときも、みんなで白熱したってじいちゃんも言ってたし。
ヨウランを見れば何かを考え込んでいる。
ディスプレイを見れば、画面には"……"と出ている。どう文字に表現すればいいのかわからないのだろう。
俺がこの子の立場ならどう思うだろう? 不安? 期待?
"大丈夫だよ"と打ち伝える。
ヨウランは意を決したかのように、強い瞳で俺達を見つめてきた。
「頼む。父さんと俺の人工知能に名前を――…… 」
その言葉にみんなが頷く。
俺も頷いていたのだが、小さく聞こえてきた言葉に首を傾げていた。
今日はもう消灯時間も近いという事で、名付けは明日することになった。
内容が内容なので、ヨウランのラボに行って話し合うことにした。確かに、研究室というくらいなのだから、セキュリティは万全だろう。今後も話し合いの場所はヨウランのラボになるかもしれない。
ヴィーノも含め、俺達はヨウランのラボの場所を知らないので、集合時間と場所を確認して今日は解散になった。
みんなを見送ると、俺は大きく息を吐いた。
レイと二人になった寮の部屋は、先程までの騒がしさが嘘のの様に静かになっている。
いつも通りの部屋に戻っただけなはずなのに、異様に寂しく思えたのは何故だろうか。
「なぁ、レイ。聞こえてたか?」
俺は、ヨウランが了承の言葉を口にした後、小さく続けられた言葉を聞いてしまった。すぐ傍にいた人間くらいしか聞き取れない程度の声の大きさだったけど。
「"繋ぎとめてくれ"ってどういうことなんだろうな」
俺はヨウランのすぐ傍にいたからこそ聞こえた呟き。
レイも俺と殆ど変わらない距離にいたから聞こえてたはずだ。
「さぁな」
そっけなく言われた言葉に、俺は目を伏せた。
繋ぎとめて欲しい―― 一体何を?
「あれはあれで危ういということだろう。―― お前のようにな」
「はぁ?」
訳のわからないレイの言葉に思わず声を上げてしまう。
理由を問い詰めようと振り返れば、レイは既にキッチンへ向かっている。
「何をしている」
変な格好で固まってしまう俺を見て、レイは思いっきり眉を顰めた。
「夜食を作るぞ」
がっくりと肩から力が抜ける。
ああ、そういえば、夕食食べ損ねたんだっけ。
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