*微グロ表現あり。注意してください。
Kyrie - 救憐唱
C.E.71年6月15日
いつものように起きて、父さん母さん、マユにおはようと挨拶をした。
父さんは新聞を読みながら、母さんは朝ごはんを作りながら、マユは朝ごはんを食べながら返事を返してくれた。
どうやら今日は俺が一番最後らしい。
早く食べなさいと急かす母さんに生返事を返しながら、俺はジャムの瓶へ手を伸ばす。
マーガリン、ブルーベリー、ストロベリー、マーマレード。
ここはブルーベリー一択と手に取った。
「マユ、ごはんの時くらい、携帯はしまっとけよ」
「はーい」
気のない返事を返しながら、マユは膝の上に置いていた携帯をテーブルの上に置いた。
そして、しぶしぶと食パンを手に取り、ストロベリージャムの瓶に手を伸ばす。
「また生でパンを食べるかよ、マユ」
「いいでしょ。マユはこれがいいの。お兄ちゃんはパパと同じでしっかり焼いたのがいいんでしょ?」
そう言ってマユは俺の方にトースターを押しやってくる。
トースターにパンをセットすると、俺はマユのマグカップに牛乳を注いだ。
「ほら、牛乳。飲まないと身長伸びないぞ」
「マユはずっと小さなままでいいもん。お兄ちゃんの方こそ、ちっちゃな男の子なんてかっこ悪いから、お兄ちゃんがいっぱいのんだら?」
マユの牛乳嫌いは筋金入りである。
俺は溜め息一つ吐くと、席を立った。
「母さん、オーブン使っていい?」
俺が何をしようとしているのか気づいて、母さんは笑った。
「ふふふ。爆発させないようにね」
「父さんの分も頼む」
便乗してマグカップを差し出してきた父さんに、俺は苦笑した。
「僕はホットミルク係じゃ…」
「マユの牛乳にはハチミツいっぱいいれてね! お兄ちゃん!」
「ママの分もお願いね」
「父さんのは何もいれなくていいぞ」
続けざまに発される注文に、俺は肩を落とす。
「「「ホットミルク係さんよろしく!!」」
「はいはい…」
ほがらかな合唱を背に、俺は三人に背を向けた。
三個のミルク入りマグカップをオーブンに突っ込み、適当な時間加熱すれば即席ホットミルクができる。
あとはハチミツなりココアなり、好きにするのが俺の家の流儀だった。
長すぎると爆発するが、短すぎてもぬるくなる。
鍋にミルクを入れてetc.の過程の手間が面倒だった俺が思いついた方法だった。
多少の思考錯誤はあれど、すぐに丁度いい時間を見つけて、俺は毎朝みんなにホットミルクを出していた。
この日もいつもと同じように、俺はホットミルクの準備をしていた。
ホットミルクが出来上がり、みんなで一息ついた頃だった。
そろそろ出勤しなければと動きだした父さんを見て、俺も皿洗いをしようと立ち上がる。
「あら? いいのよ、シン。もう出ないと学校に遅刻しちゃうでしょ?」
「まだ大丈夫だよ。マユ、いい加減野菜食べちゃえよ。じゃないと、約束してた携帯ストラップ、買ってやらないぞ」
「うー…」
唸るマユの頭を撫でると、流しへ持っていこうと更に手を伸ばす。
その時だった。
耳を貫く重低音。
壁を越し、町中に響き渡る大音。
それがサイレンであると気付いたのは数拍置いたあとだった。
母さんは慌ててテレビのスイッチを入れ、父さんも玄関からリビングへと戻って来ていた。
『C.E.71年6月15日午前XX時XX分。オーブ連合首長国は大西洋連合より宣戦布告を受けました。
同時に、大西洋連合はオノゴロ沖より領海及び領空を侵犯。モビルスーツの部隊が本土に近付いています。
市街地が戦場になることが予想されます。
国民の皆さんはすみやかにオーブ軍の指示に従い避難して下さい。
繰り返します…』
どのチャンネルでも同じことを言っていた。
俺達はテレビを愕然として見た。
オーブが戦争に巻き込まれるなんてあるわけがない。
そう思っていたのに。
テレビは各地区の避難経路を映し出している。
どうやら俺達家族が住む場所は戦闘区域のド真ん中らしい。
「逃げるぞ…」
父さんがポツリと言った。
「最低限の荷物を持て。とりあえず逃げるんだ!」
そう言って父さんが家族を促した。
茫然としていた俺達はそれを聞いて慌てて動き出す。
俺がスニーカーを履き外に飛び出ると、道には車が溢れ、沢山の人々が我先にと非戦闘区域を目指していた。
その鬼気迫る空気に思わず俺の体は立ち竦む。
追って出てきた父さんが道路の状態を見て唸った。
「…… 裏手に回ろう。少し遠周りになるかもしれないが、裏側の道なら、車も少ない筈だ」
俺の家の裏手の道路は道幅が狭く、普段からあまり車の通らない道だった。
こんな状況ではどうなっているかわからないが、それでも見てみる価値はある。
裏手を見てくると父さんは消え、母さんが簡単にまとめた荷物を俺に手渡した。
「マユ! 何してるの!? 急いで!!」
いまだ家の中にいるマユに母さんが声をかける。
お気に入りの茶色い鞄を肩にかけ、マユは不安そうに出てくる。
その手にはしっかりと携帯電話が握られていた。
「マユ、携帯を持ってくのはいいけど、鞄の中にいれとけよ。落としちゃうかもしれないだろ」
こんな時でも携帯電話を手放さないマユに、俺は溜め息をついた。
神妙に頷き、マユが鞄に携帯電話を入れた所で裏手を見に行っていた父さんが戻って来た。
「裏側なら表より人も車も少ない。急ぎなさい」
戻って来た父さんの言葉に俺達は頷き合い、走り出した。
みんなで必死に走り、なんとか市街から脱出した。
途中戦闘が始まったのか、背後から砲撃音や破壊音が聞こえる様になった。
俺達の頭上をオーブのモビルスーツ部隊が通り過ぎ、軍用車が道を疾走する。
戦車とも何度かすれ違った。
市街を抜ける直前、振り返った俺が見たのは、攻撃を受けて火の手があがり、破壊される街の姿だった。
その時はまだ、俺はこの最悪の光景を最も忘れないだろうと心から思っていた。
「この山を越えれば、避難船が出る港だ! みんな大丈夫か!?」
父さんが声をかけてくる。
俺にはそれに返事をする気力もなかった。
ただ、走るのに必死だった。
息は詰まり、何度も唾を飲んだ。
心臓はばくばくとうるさく、胸が酷く痛んでいた。
それはきっと、前を走る母さんやマユも同じだっただろう。
いや、マユの方が辛かったと思う。
幼いマユがあれだけの距離を走ったこと事体、俺にとっては驚きだったのだから。
山を全速力で登り、下る。
途中、岩に滑って転びそうになるも、なんとかこけずに走り続ける。
ふいに、上を何かが滑空する音と共に、低い爆音が轟いた。
思わずみんな立ち止り、不安げに周囲を見回す。
もうすぐ港だというのに。
心配になり、俺は父さんに話しかけた。
「父さん!」
「あなた…」
不安そうに母さんも父さんを見上げている。
マユはしっかりと母さんと手を繋ぎ、恐ろしげに周りを見ていた。
「大丈夫だ。目標は軍の施設だろう」
そう言って父さんは明るく言って俺達を元気づけてくれた。
「急げ、シン」
一番後ろを走っていた俺が心配なのだろう。
異常はなかったとはいえ、幼い頃の病院通いや諸々の要因で外に出る事が少なかった俺は、あまり体力がある方だとは言えなかった。
俺が頷くのを確認すると、みんな走り始める。
港が近いのを横目で確認する。
港では人型の機会が戦っているのが見てとれる。あれがきっと、モビルスーツというものなのだろう。
つまり、ここも戦場なのだ。
改めて実感する。
眼前には避難船の停泊港が見える。
もうすぐだ。
もうすぐ港につく。
安堵が胸に去来する。
その時だった。
モビルスーツが飛来し、頭上をかすめてゆく。
みんなその場に蹲る。
俺を庇うように、父さんの腕が俺を包む。
なんとかやりすごし、顔を上げるも、すぐ近くにミサイルが落とされる。
服飛ばされた木や土が宙を舞い、俺達は再びその場に蹲った。
マユが細い悲鳴を上げる声が聞こえる。
俺は、大丈夫だと言う言葉をかけることすらできず、父さんの胸に頭を寄せた。
攻撃と攻撃の一瞬の空白。
それを見計らって俺達は立ち上がり、駆け出す。
少しだけでも早く、その場から逃げだす為に。
俺の背後にビーム兵器の攻撃らしきものが落ち、辺りを橙色に染める。
2体のモビルスーツが激しく戦っているのを後ろ目で見た。
青い翼を持つモビルスーツがビームで攻撃し、それを緑のモビルスーツが避ける度に、辺りが橙色に染め上げられる。
「マユ! 頑張って!!」
母さんがマユに声をかける。
マユの限界が近い。
一瞬、マユが足をよろめかせる。
激しく揺さぶられたマユの鞄から、お気に入りのピンクの携帯電話が零れ落ちる。
それに気づいたマユは振り返り、足を止めた。
「あ! マユのケータイ!」
悲鳴のようにマユが叫ぶ。
見やれば、マユの携帯電話はそのまま山の斜面に沿い、転がってゆく。
「そんなのいいからぁ!」
母さんが叫ぶ。
「いやぁ!!」
マユが泣き叫ぶ。
止まっていしまったみんなの足。
こんなことしてる場合じゃない。
先を急がなければ。
それでも足が止まってしまったのは、きっと、マユの心が限界を迎えていたからだろう。
不安と、恐怖が、携帯電話という日常の象徴の様なものを落としたことで一気に溢れ出てしまったのかもしれない。
そんなマユを、俺はなんとか元気づけたかった。
疲れた足を叱咤し、一気に山の斜面を下る。
途中、剥き出しになった土の斜面を滑り、携帯電話が引っ掛かった木の袂に止まる。
俺はしゃがみこみ、携帯電話へと手を伸ばし、掴む。
そして、運命の瞬間が訪れる。
爆音。
橙色に染まる世界。
激しい爆風が吹き荒れ、世界が抉り取られる。
その爆風に煽られ、体が宙を舞う。
吹き飛ばされたのだと、気づいた時には既に、俺は地に伏していた。
色々と打ちつけたのか、体の節々が痛む。
悲鳴を上げる体を叱咤して、俺は身を起こす。
頭を振り、埃を払う。
なんとか立ち上がり、俺は振り返った。
大地は抉り取られ、木々は薙ぎ倒されている。
土埃が舞い、辺りが良く見えない。
ふらふらと、俺は抉られた大地へと近づく。
そこは先程まで俺が、家族がいた場所だった。
風が吹く。
砂埃が晴れてゆく。
辺りの様子が露わになってゆく。
ふらり、と一歩、俺は歩く。
最近お腹が出てきたと気にしていた父さん。
もう気にする必要はないだろう。
そのお腹は岩に潰され、潰れている。
ふらり、とまた一歩、俺は歩く。
いつも身だしなみに気をつけていた母さん。
今日は婦人会の集まりがあるのだと、おめかししていた。
着ていた服は砕けた木や岩によってぼろぼろになっている。
そして、爆風に飛ばされた木の一部がその胸を貫き、服を、大地を、赤く染めていた。
ふらり、とまた一歩、俺は歩く。
はじめて買ってもらった携帯電話を大切にしていたマユ。
見当たらない。
きっと直撃を受けたのだ。
いつも携帯電話を持っていた腕だけが大地に転がっている。
頭上をモビルスーツが掠めてゆく。
突風が身を揺らす。
ああ…
俺は嘆息した。
いっしょにいないと…
そう考えて俺は動き始める。
父さんを岩の下から引きずり出し、
母さんを串刺した木を引き抜き、
携帯電話を握りしめ、マユの腕を抱えて父さんと母さんの間に身を横たえる。
仰向けになり空を見上げる。
どこまでも蒼い空。
澄み渡った空。
その場所で、2体のモビルスーツが戦っている。
青い翼を持つモビルスーツが、優雅に天で舞い、下界の人間など知らぬと言わんばかりに、ビーム攻撃を乱射する。
緑のモビルスーツがそれを避ける。
避けられたビームはどこにいくのだろうと思うと同時に、近くでまた爆音があがる。
視界の端が橙色に染まる。
ああ、死神だ…
俺達は誤って、死神の通り道に踏み入ってしまったのだ。
穢れない空を優雅に舞い、無慈悲に、平等に、死を振り撒く美しい死神の通り道に。
あれは怖いものだと、頭では考えているのに。
俺の心はかつてない程の幸福感に包まれていた。
みんないっしょ。
父さんも、母さんも、マユも。
みんなと。
いっしょに眠れる。
なんて幸せな事だろう。
きっとあの死神は俺の上にもあの祝福の光を与えてくれる。
根拠のない自信と幸福感だけが、俺にはあった。
父さんと母さんの腕を引き寄せ、マユの腕を抱きしめる。
こんな幸福の中で時を止められる自分は、なんて幸せなのだろうか。
今すぐにでも、時が止まってしまえば良いのに。
遠くに砲撃音が聞こえる。
まるで福音の様に。
体を満たす幸福感に身を委ね、俺は目を閉じた。
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