side.Me 「 叡智の泉に至る道筋 」
私の家の近くには植物園がある。近くと言っても、歩いて15分位の所だ。そこそこ遠い。
それでも小さい頃から、私にとってその植物園は特別な場所だった。
コーディネイトを受けた者同士は次世代を残しにくいというコーディネイターの性質上、プラントでは子供を持つ家庭はとても優遇される。ましてや、二人以上ともなると、その支援内容は他の一般家庭とは一線を画す。
一番分かりやすい支援が、食糧配給の優遇だろう。子供がいる家庭には優先的に質の良い食料が配給される。また、住居もプラントの中でも一等地とまではいかないものの、良い場所が斡旋される。加えて、出産祝い金、養育支援金など、プラント政府から月々そこそこの補助金も支給されるのだ。
この至れり尽くせりの制度が数多く設けられているが、利用できる者は少ない。子供が一人産まれても、次がなかなかできないからだ。
そういった意味では、私の家はその稀有な制度利用者側になるだろう。
年の近い姉妹――
同じクラスの誰もが、姉がいる私を羨んだ。
けれど、私は内心複雑だった。
姉がいて良いことなんてちっともない。お菓子をとられたり、たった1年生まれたのが早いというだけで、色々目敏く言ってきたり。社交的な姉はご近所の人にも大人気で、内向的で人見知りの激しい私はいつも比べられていた。
今思えば、随分小さな事を気にしていたと思う。けれど、小さな世界に生きていた子供の私にとって、それはとても辛い事だった。
だからいつも、耐えられなくなると私は植物園に逃げ込んだ。
その植物園は、いつでも、誰でも入れる様に解放されていた。それなのに人が多いわけではなく、いつも独特の静寂を湛えて存在していた。
私はその静寂が好きだった。
風が吹き、葉がさやさやと囁く。
木の袂に座り込み、いつも私はそのおしゃべりに耳を傾けていた。そうしていれば、ささくれ立った心が凪ぎ、落ち着く事が出来た。
優しい風が頬を撫でてくれるようで、強い風がまるで私を慰めてくれるようで。
不思議と元気が出た。
そして何より――
"またここにいたのか、メイリン"
夕日を背に、私に手を差し伸べて来る大きな影。
植物園に逃げ込んだ私を迎えに来てくれるのは、いつもパパだった。
大きな手、大きな背中。
ゆっくりと動く視界の中、いつもパパは色んなお話をしてくれた。
この植物園は、特別な植物園なのだという。
沢山の種類の樹木や花々。花の咲かない、緑色の草に至るまで。
意味がないモノはないのだという。
その一つ一つが墓標。
注意して見てごらん。きっと見つかるはずだから。
そこに眠り、メイリンの傍で慰めてくれる人達が。
その言葉に従って、私はその人達を探した。
いつも遊んでいる花畑。遊んでいると不思議と元気が貰える不思議な場所。
そこには、私と同じ年くらいで亡くなった男の子の墓碑銘プレートがあった。
なんとなく、一人になりたい時に行っていた原っぱ。寝転がっていると心が穏やかになる不思議な場所。
そこには、パパと同じ年くらいで亡くなった女の人の墓碑銘プレートがあった。
辛い時、悲しい時、いつも行っていた大きな樹の根元。耳を幹にあて、目を閉じていると、不思議と落ち着けた不思議な場所。
そこにはいくつもの墓碑銘プレートがあった。
真新しいモノには、【フレッド・キャンベル】と刻まれていた。信じられない事に、ナチュラルで70歳と言う高齢で亡くなっていた。
それをパパに報告すると、パパは穏やかに笑って教えてくれた。
プラントで生き、亡くなった人が最期に来る場所。その一つがこの植物園であると。
その身を灰にし、最期はこの植物園で生きる樹木や花々の糧となり、やがてはプラントの空気になるのだと。
そうしてパパが見上げたのは一本の木。
春になると、家族みんなで見に来る木。
私がいつも辛い時に行く大きな木。
大きな枝を力強く伸ばし、その枝一つ一つに薄桃の雲がかかっていた。
いや、雲ではない。それは小さな花だった。小さな薄桃の花が集まり、絢爛に咲く様はとても美しかった。
"サクラと言うんだ。パパもいつか、この木の下で眠るときが来る"
ママやお姉ちゃんには内緒だよ、とパパは笑った。
いつか、このサクラの樹の下で、穏やかに眠りたい。
それがパパの定めた終着点。
それがパパの願った眠り。
それがパパの――
*
メイリンは静かに地面を見下ろす。
きっと、普通の人なら気付かないだろう。僅かな変化。
けれどメイリンにはわかった。メイリンは何年も何年も、この場所に通い、見続けていた。
【フレッド・キャンベル】さんの横に、【ユーリ・キャンベル】さんのプレートが並んでいた日を覚えている。
その隣にパパの、【ヨハネス・ホーク】のプレートが並んだ日を覚えている。
今は何もない。
何もない。
【ヨハネス・ホーク】のプレートが、ない。
僅かな釘痕を消す様に地面は踏みにじられ、周囲と差異のない様に偽装されている。きっと、そこにプレートがあったことを知らなければ誰も気付かないだろう。
ポツリ、と地面が濡れる。
雨が、雨が降り始める。
予定にない雨。
まるで、バケツをひっくり返したかのような強い雨。
こんな雨をメイリンは知らない。
なぜならば、メイリン達が住む、植物園を含んだ大きな区画は、かつてはパパが、現在はパパが鍛えた教え子が、天候を管理する区画だったはずだからだ。
パパはいつも言っていた。
"植物の多い区画は、ただマニュアル通りに雨を降らせればいいってものじゃない"
"そこにある植物達の事を考えて、水分量が多すぎない様に、水滴が大きすぎない様に、根が腐ったり、葉が傷んだりしないように、優しい雨を降らせなければならない"
雨を。
全てを包み込むような優しい雨を。
パパの雨を――
雨が降る。
地面を叩く様に。
雨が降る。
地面を抉る様に。
雨が、降る。
局所的な集中豪雨。
やんだとき――
パパが葬られた痕跡は跡形もなく消えていた。
*
びしょ濡れで帰って来た私を、ママは咎めなかった。
首を横に振り、プレートがなくなっている事を告げた私を、ママとお姉ちゃんは抱きしめた。
ママは言った。
「さっきメールでね、本人の希望通り、ザフトの共同墓苑にお墓が出来たので確認に行ってくださいって……」
それを聞いて、私は急いで自分のパソコンの下に駆け込んだ。
部屋のカーテンをしめ切り、回線を物理的に切断した上で、パソコンを起動させる。スキャナでパパの写真とメッセージを取り込み、写真をプリントアウトする為にストックしていた専用の用紙に印刷する。
その後、写真のデータを小型情報端末に、その他全てのデータを外付けハードディスクに移し保存すると、パソコンをそのままリストアする。
勿論、オリジナルを密閉袋に入れて隠した。
その行動は正しかった。
数日後。
私達が共同墓苑に一応行った帰り、帰宅すると、家の雰囲気が少し変わっていた。
微妙な差異。
でも大きな差異。
いくつか盗まれていた、なくなっても然して困らない貴重品。そして――
パパの写真とメッセージはなくなっていた。
驚愕に打ちひしがれ、ママは気を失った。
お姉ちゃんが慌てて介抱しているのを背に、私はすぐに、オリジナルの隠し場所に確認へ行く。
あった。
オリジナルは無事だ。
涙が溢れてくる。
どうして、こんな目に遭わなければならないのだろう。
どうして、パパの死はこんなにも捻じ曲げられ、歪まされ、穢されなければならないのだろう。
どうして……
家族全員を映した写真。
この春、あのサクラの下で撮った写真。
ザフトの制服を着たパパと、笑顔の私達。
裏のメッセージに指を沿わせる。
"またみんなで、サクラの花を見よう"
その願いは叶うはずだった。
来年の春、サクラの開花と同時に。
…… 赦さない。
パパの死を穢した誰かを、私は絶対に許さない。
*
「(ごめんなさい、パパ)」
葉だけになったサクラを見上げながら、心の中で呟く。
私が天候管理技士になって、植物園を守るのだと言った時の、パパの嬉しそうな顔と声は今でも覚えている。
難しいだろうけれど、頑張れ。パパは応援するよ。
そう言って頭を撫でてくれた大きな手を覚えている。
私は今日、その全てを裏切る。
「待ってて、父さん。父さんの死を必ず在るべき形に戻すから……」
そんな言葉が、横から小さく聞こえて来る。
隣にはお姉ちゃん。
今日、一緒に新設されたザフトの士官学校に二人して入学するのだ。
勿論、ママは反対した。パパだけではなく、私達まで軍人になってママを置いて行くのか、と。
けれど、私達も譲れなかった。
パパの死を穢した人間を白日の下に引きずり出し、その理由を、その罪を、全て暴く。
私はお姉ちゃんを見る。
私とは違う、濃紫色の瞳が見返してくる。
大好きなパパの瞳の色。
静かに、お姉ちゃんは頷き、足を校門へと向ける。後を追う様に、私もそれに続く。
いつか、みんなで笑ってサクラの花を見る為に――
私達は戦場へと乗り込んだ。
Cui bono?
誰の利益になるのか?
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