Graduale - 昇階唱 Ⅷ
人類の戦争は、常に技術の発展と共にあった。
その最大の功罪は遠距離武器の発明と発展だろう。
暗闇の中、俺はそんな事を考える。
両手で持ったモノは重く、見えていなくても鮮明に、脳裏にその姿を思い浮かべることが出来る。
ゆっくりと息を吐き、静かに目を開ける。
透明なバイザーに視界は覆われ、約30m先には丸い小さな的、そしていくつかの器具。
鼓膜の保護も兼ねたヘッドホンから、教官の指示が飛ぶ。その指示に従い、俺は両腕を持ち上げた。
視界に入る、黒光るそれは簡単に命を奪うことのできる武器。
ズシリと重いそれの安全装置を外し、合図を待つ。
思考が冷えていく。
俺の世界から音がなくなる。
遠くで、開始を告げる合図を聞いた気がした。
*
ヘッドホンとバイザーを外し、俺は一息ついた。持っていたモノを台に置き、視線を先程撃ち抜いていたモノ達にやる。
人型の的――
俺の記憶が正しければ、現れた的―― 人型は20体。その内、2つ狙いを外したはずだ。
俺が狙ったのは2カ所。頭部と、左胸部― 即ち、心臓である。
ひい、ふう…… ああ、やっぱり。
一つ目が左鎖骨、二つ目が左肩を撃ち抜いている。
レイは全弾あの2カ所を撃ち抜いていた。
もっと練習しなければ、と俺は溜め息を吐いた。
ブースから出ると、教官が俺の背を叩く。
的にあてるのも困難な者が多い中、的に全弾命中させた者はとても褒められていた。俺もその例に漏れず、よくやったと褒められる。
振り返れば、頭部や胸部を撃ち抜かれた人型の的。
狙いを外し、鎖骨や肩を撃ち抜かれた人型の的。
嬉しくはなかった。
足りない。
全然足りない。
***
身を締めるノーマルスーツ。
目を閉じ、暗闇に身を置く。
メインカメラの映像を映す大きなメインモニター。
それに重なる様に敵機の捕捉や装備兵器の状態を投影する透明なディスプレイ。
水平儀、速度計、昇降計、高度計を表示するサブモニター。
エンジン回転数や燃料流量、電気・油圧・燃料の各系統及び機体内気圧に異常がないかを監視し状態を表示するモニター。
緊急時に機体のOSに手を加える為のキーボード。
挙げればきりがない各計器の位置や役割を脳裏に描く。
脳内にもコックピットを作りだし終えると、ゆっくりと目を開け、現実と脳内の光景を合わせる。ピタリ、と寸部違わず重なり合う。
それを確認すると、右手、左手、両手に操縦桿の感触がある事を確かめる。
フットペダルを軽く踏み、その反発に息を吐く。湿った空気が唇に返ってくる。
喉元に、耳に感じる異物感にはようやく慣れた。小さな器具で無線でのやり取りが出来ると言うのだから凄い。
教官の声がイヤホン― 通信機を通じて聞こえて来る。
メインモニターは静かにメインカメラが見る光景を映す。
漆黒の闇。
点在する小惑星群。
巨大な砂時計の壁面。
通信機から伝わってくる声は、カウントダウンを始める。
《5》
《4》
《3》
《2》
《1》
《演習開始》
フットペダルを一気に踏み込む。反作用が生み出す負荷が体に圧し掛る。
俺は、開始位置である小惑星の陰から一気に躍り出た。
スラスターの出力が最大にまで上がったのが視界の端で確認できる。
宇宙空間には上も下もない。
左斜め45度。バー二アを吹かし一気に方向転換。
案の定、どう動いたらいいのかわからない敵機が複数捕捉できる。
ロックオン。
敢えて俺が姿を晒したことにより、一気に視線が集まる。
戸惑いが過分に混じる敵意。
ロックオンされる前に討ち取る。
ライフルの引き金を引く。
放つ弾は4発。
3機のコクピットが赤に塗れる。
1機避けられた。俺は思わず舌打ちする。
直後。
警告音が鳴り、こちらがロックオンされていることが分かる。
瞬時にバー二アを最大出力までふかし、体にかかる負荷さえも無視して方向転換を図る。
天地が入れ換わる。
そしてそのまま、逆探知を行ったシステムが示す敵機の場所に向かってスラスターを最大出力にして迫った。
「"う、うわああぁぁ!! くるなっ! くるなっ!"」
通信機越しに聞こえてくる声。
狙いが定まらず、ばら撒かれる弾。
バー二アで方向を微調整しながら全て避ける。
一部避け切れないものは、行動不能にならない位置に被弾させる。
更にフットペダルを踏み込み、スラスター、バー二ア共に最大出力にして一気に距離を詰める。
接近。
左腕を突きだし、敵機の胸倉辺りに打ち込む。そのままの勢いで小惑星に押さえ付けると同時に、ライフルの銃口をコックピットに当てる。
コクピットは赤に塗れた。
演習終了を告げる教官の声が通信機越しに聞こえる。
ペイント弾を用いた実戦形式の演習。5機でのバトルロイヤル。
実機のモビルスーツに乗り初めて1週間ない士官学生に出される、無茶振りとしか言えない内容である。
それでも中には、その演習をこなしてしまう者もいるのだ。幸いにも、俺もそのこなしてしまう者の一人になれたようだ。
勿論、レイもその一人だ。レイは既にこの演習を終えている。
俺にはレイのように、小惑星を利用した同士討ちの誘発なんてことはできない。攻め込んで、自分自身の手で終わらせる。ただそれだけだ。
教官の帰投命令に従い、俺達は士官学生専用のドックに向かう。その途中、俺の乗るジンのメインカメラの端に赤が映る。
思わず目を見開き凝視する。
それは流れ弾が当たり、ペンキに塗れた小惑星だった。
今回の演習に利用されたのは害のないペイント弾である。
これがもし実弾だったら。
小惑星が民間人の乗った船だったら。
そう思うとぞっとした。
ビーム兵器は―― 遠距離兵器は嫌いだ。
機械の補助があっても、当たるかどうかは力量次第。
当たったことがはっきりと確認できる時と出来ない時がある。そのくせ、目標を外し、流れた先で甚大な被害を出す。 兵器としては、これ以上効率の良いモノもないだろう。人類の戦争の歴史を振り返れば、遠距離兵器が主兵装になるのも頷ける。
ましてや、フェイズシフト装甲の存在により、実体兵器がほぼ意味を成さなくなった昨今、遠距離ビーム兵器が重宝されるのも仕方がないのかもしれない。
モビルスーツ乗りになる以上、遠距離ビーム兵器は避けて通れない。
だからこそ、俺は必中を誓う。
そして確実に仕留める。
悪足掻きなんてさせない。放たれた攻撃の先に、誰もいないなんて保証はないのだ。
コクピットを必ず狙い、撃ち抜く。
一発も誤射がないように。
一発の流れ弾も出さないように。
必中必殺――
でも――
***
ドックに戻り、俺は機体を所定の位置に戻す。
機体の異常をチェックした後、ヘルメットを脱ぐ。
少し息苦しい。
ハッチを開けると、新鮮な空気が流れ込んでくる。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
首を詰めるスーツの器具を外してゆるめると、ようやく人心地ついた気分になる。
「お疲れ様――」
小さく、俺を乗せてくれたジンにお礼を言う。
暫く目を閉じて深呼吸を繰り返し、俺はハンガーへと降りることにした。
アンカーに足をかけ作動させれば、ゆっくりと視界が下がって行く。
少し目線を降ろせば、一塊りに待機する航宙科の同期達の姿が見える。その中から何故か、レイが静かに歩み寄って来ていた。
けれど、俺の脳裏を占めるのは、先程見た、赤に塗れた小惑星だった。
瞬間。オーブで見たあの光景が重なる。
焦燥が、どうしようもない渇きが、俺を襲う。
「シン」
レイが短く、俺の名前を呼ぶ。
返事をしなければと、俺は言葉を紡ぐ。
「レイ」
短く呼んだ名前。
焦燥は、渇きはやまない。
足りない。
何もかもが、全然足りない。
「付き合ってくれ」
からからに乾いた俺の口は、上手く言葉を紡げているだろうか。
「ああ、足りないんだろう?」
どうやらレイは、俺の言いたい事を正確に察してくれたらしい。
「もっと射撃の精度を上げたいんだ。どうすればいいと思う?」
「そうだな、射撃の訓練やシミュレーターは基本として…… 動体視力を鍛えてみてはどうだ? 訓練法があったはずだ」
レイと出会ってまだ1ヵ月程度しか経っていない。それにも関わらず、何故かレイは俺を分かってくれる。それが嬉しくて堪らない。
「帰ったら教えてくれ。それにしても、機体のロックオンの精度が甘かった気がするんだけど、レイはどうしてるんだ?」
「OSを多少弄ったが… 詳しい事は理工科の人間に聞いた方がいいだろう。そもそも、士官学生に割り当てられている機体は退役した旧式ばかりだ。最新の機体に比べると機能的には劣る。ロックオンの精度が甘いのも致し方ない」
ふむ、と俺は考え込む。
「俺達、理工科に知り合いいないからなぁ。うーん… なら、今の機体で照準が合わせられるようになれば、最新の機体での照準合わせが楽になるのか……?」
「は?」
馬鹿な事を言うな、とレイに小突かれる。
「そろそろ列に加わらないと、教官に起こられるぞ」
そう言って、レイは教官達がいる方を示す。
ごほん、と一つ。教官が咳払いをした。
演習は俺がいる組で最後のはずだ。俺が、急いで戻らないとみんなが帰れない。今更ながら、俺はそれを思い出した。
俺達は慌てて、列に加わる為に走り出す。
走りながら、ぼんやりと俺は思う。
近接武器が欲しい。
刀でも剣でも良い。相手に確実に当たったと分かる武器が。
手元に戻ってくる武器が欲しい。
どんな形のものでもいい。狙いを外しても、周囲に被害を出さない武器が。
無理な夢想だ、と俺は自嘲する。
それでも。誰かのあの光景を俺自身が作りだす覚悟をしていても、それでもなお、俺は願ってしまう。
俺が殺すのは、軍人だけでいい。
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