Introitus - 入祭唱
俺にとって、戦争は遠い世界の物語だった。
古くから遺伝性の病気に悩まされてきたアスカ家にとって、コーディネイト技術の確立はまさに福音だった。
父さんの父親―― つまり、俺に取っては祖父にあたる人物は、死に物狂いでお金を工面し、己の子供にコーディネイトを施した。生まれてくる子供に自分と同じ苦しみを与えたくない。その一心で。そうして生まれたのが俺の父さんだった。
時代が第一次コーディネイターブーム真っ只中のこともあって、遺伝性の病気をなくす為にコーディネイトする人々は多く、さして珍しい話ではなかった。
コーディネイトを施してもなお、不安だった祖父は定期的に父さんを病院に通わせていたらしい。そこで出会ったのが母さんだった。母さんも父さんと同じように、遺伝性の病気の因子を排除するコーディネイトを受けていた。
似た境遇にあった二人が惹かれあい、恋に落ちるまでそう時間はかからなかった。
もちろん反対もあった。遺伝性の因子を排除するためにコーディネイトを受けた人間同士が結婚し子を成した場合、その子にどのような影響が及ぼされるか全く予想が出来なかった。どちらかの病気が発現するかもしれない。最悪、両方もあり得る。安全性、確実性が引き上げられたとはいえ、コーディネイト技術は未だ不安定な部分が多かった。
似た問題を抱え、弄った遺伝子同士が結びつき、その結果生まれる子供にどのような影響が及ぼされるか。心配は当然の事だった。
そんな周囲の反対を押し切り、父さんと母さんは結婚した。そうして生まれたのが俺―― シン・アスカだった。
俺が生まれる数年前に、出生前の人間に対するコーディネイトは既に禁止されていたが、まだお金を大量に積めば出来なくもない時期だった。俺に遺伝性の病気が発現しないように父さんと母さんは祖父と同じように死に物狂いで働き、金策に走った。それでも、集められたのは健康面に関するコーディネイトを施せるギリギリの金額だった。父さんと母さん、そして当時はまだ生きていた祖父達の祈りと願いを一身に受け、俺はこの世に生を受けた。
健康面へのコーディネイトは完璧に行われ、俺に遺伝性の病気の因子は見つからなかった。
だが、コーディネイト技術の不安定さが俺の身体的特徴に現れた。容姿を調整する遺伝子を全く弄っていないにも関わらず、俺の瞳は赤、肌も白かった。
生まれた時はアルビノ― メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患 が発現したのではないかと青褪めたらしいが、様々な検査の結果、俺はアルビノではなくどちらかというと白変種に近いという結果が出た。白変種にしては瞳が赤いのは気になるが、視力の低下や皮膚が赤くなる日焼けも見られないというのがその理由だった。
勿論、この結論が出るまで病院通いからは免れられず、俺が生まれてから医者に大丈夫だと太鼓判を押されるまで、実に5年もの歳月を要した。
俺の健康問題に一段落が着くと、父さんと母さんは俺に、一人っ子では寂しいだろうと口にするようになった。そして、俺が6歳の頃、妹のマユは生まれた。
マユが生まれる頃にはもう、生まれてくる子供にコーディネイトを施す事は完全に不可能になっていた。その為、マユが病気を抱えて生まれてくるかもしれないと、俺も父さん達もとても心配した。
けれど、その心配は杞憂に終わった。マユは無事に生まれてきた。しかも、俺の様な白変も見られず、父さんと母さんそれぞれに似た茶色の瞳と色のある肌にみんな安堵した。
直射日光に晒されたら視力が落ちるかもしれない、紫外線に当たれば質の悪い日焼けをするかもしれない。診断結果がでるまでは、俺は他の子供の様に外で遊ぶ事もなければ、外出することも出来なかった。外出するのはせいぜい病院に行く時ぐらい。マユにそんな日々は送ってもらいたくなかった。
マユが生まれ、家族が増え、幸福な日々が続いて行くはずだった。だけど、そんな日々も長くは続かなかった。
俺が住んでいた東アジア共和国日本自治区は比較的コーディネイターに寛容な地域だった。だが、C.E.70年初めにおきたコペルニクスの悲劇から始まる一連の事件― 血のバレンタインに端を発するエイプリールフールクライシスなどをきっかけに、コーディネーターへの風あたりは徐々に強くなっていった。
無理もないだろう。無差別に投下されたニュートロンジャマーは、地球に甚大な被害を齎した。
日本も例外ではない。いくら日本自治区がコーディネイターに寛容な地域だったとはいえ、領土内にニュートロンジャマーを落とされたらたまったものではなかった。しかも、領土が狭いにも関わらず、本土に落ちたニュートロンジャマーは2基。その被害は大きかった。
日増しにコーディネイターへの嫌悪は大きくなっていった。特に、俺の様に一目でコーディネイトされているとわかる容姿を持つ人間は外に出ればあからさまに白眼視された。
"悪いのは宇宙にいるコーディネイターであって、地上にいるコーディネイターではない。彼等もまた、我々と同じように被害者なのである"
そう何度も政府やマスコミが喧伝しても、コーディネイターに抱かれた悪印象は払拭されなかった。
俺への迫害が顕著になるにつれ、父さん達はある決断をした。
"オーブに行こう"、と。
「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない」という理念を掲げ、コーディネイターも受け入れると中立宣言を行ったオーブならば、俺達も安全に暮らせる。
祖父が生きていれば反対されていただろうが、その祖父も数年前に亡くなっていた。
生まれ故郷を離れるのに抵抗がなかった訳ではない。
祖父が好きだった桜の花が見れなくなるのが嫌だった。
今年は、エイプリルフールクライシスのせいで、毎年行っていたヨシノへの花見ができなかった。移住してしまえば、今度はフシミへ紅葉狩りにも出かけられなくなってしまう。それに、俺をコーディネイターと知ってもなお、親友だと言ってくれる幼馴染と離れるのも嫌だった。
そして何よりも嫌だったのは、大好きだった祖父のお墓を置いて行かなければならないことだった。
けれど、俺達が迷っている間にどんどんコーディネイターへの風当たりは強くなっていった。日本自治政府がコーディネイターに寛容でも、その上の東アジア共和国が反コーディネイターの色を強くしていたのだから仕方がなかったのかもしれない。
情勢が落ち着くまでの一時的な移住。
そう言って俺達はオーブに移住した。
オーブでの日々は穏やかだった。学校に通い、クラスメイトと遊び、時にはマユと一緒に散歩したり。
ゆっくりと日々が流れていく。
その頃の俺にとって、戦争とは画面の向こうで起こるものであって身近なものではなかった。
"オーブは中立だから"
それが俺達家族の口癖だった。
どこそこで戦闘があった。どこそこの国が内紛状態になった。
全てが画面の向こうの出来事であり、中立であるオーブには関係ない。本気でそう思っていた。今思えば馬鹿な話だと思う。戦争は常に隣り合わせで、俺達がオーブに来るきっかけになったのも戦争だったというのに。
そして、運命の日がやってくる。
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