深々と、深々と、夜は更けていく。
何時か明けるさ。
そのうち朝が来るだろう。
皆が口を揃える。
――そんな保障なんて、実は何処にもないのに。
※
がたんがたんと音を立てて、電車が線路を走っていく。
「ん~♡ 深夜に宿を抜け出すのは、修学旅行の醍醐味アルね~♪」
「これこれ、遊びではないでござるよ」
「……緊張感のない奴らだ」
古菲と長瀬楓の会話を聞いていたエヴァンジェリンが、ため息をつきながらぼやいた。その傍らには、チャチャゼロの入ったバッグを持った茶々丸が静かに控えている。
「まぁ、そう言うな、エヴァンジェリン」
二人の様子に苦笑しつつ、龍宮真名が言う。
「ふん……。ああ、そうだ。今さらだが千雨、昼間の戦闘でそれなりに怪我をしていたようだが、大丈夫なのか?」
真名から視線を逸らしたエヴァンジェリンは、その場にいた最後の一人である千雨を見やる。
「ああ」
応える声は短く、その表情は相も変わらず無表情である。そんな千雨は今、全身をすっぽりと覆うほどの大きさの長いコートを纏っている。
それは、エヴァンジェリンと戦ったあの夜、身に着けていたものである。
そんな千雨を、真名はじっと見つめた。その胸中には、出発の際に聞かされた、エヴァンジェリンの言葉が渦巻いていた。
(長谷川千雨、か。変わった奴だとは思っていたが……。それにしても、【闇の福音】に勝つほどの実力者だとはどう見ても思えん)
真名は、未だ信じられない思いを抱いていた。
真名は、14歳という若年だが、幼い頃から傭兵稼業にどっぷり浸かり、裏の人間としての経歴は長い。故に、裏の頂に最も近い者達の一人である【闇の福音】の恐ろしさはよく知っている。だからこそ、目の前に居る幽鬼のような少女が、全力全開のエヴァンジェリンに勝利した、という事実が信じられないのだ。たとえそれが、当の【闇の福音】自身から聞かされた物だとしても。
その時、その視線に気付いたのか、千雨が無感動な瞳をゆらりと真名に向けた。
「何だ、龍宮」
「え?あ、いや、ず、随分大きいコートだと思ってな」
推し量る様な無粋な目を向けていた事を隠すように、真名は咄嗟に当たり障りのない事を言った。
「たくさん納められるから、使っているだけだ」
千雨はそう言って、コートの裏側をそっと真名に見せた。それを目にした真名は、思わず息を呑んだ。
顔、顔、顔、顔。
笑顔もあれば、怒っている顔も、泣いている顔もある。
一つ目の物があれば、逆に無数の目が付いている物もある。
そこにあったのは、形も、材質も、表情も様々な、無数の仮面の群れであった。
※
明日菜と刹那は、互いに背中を預け合いながら、肩で息を吐いている。二人の周囲には、何十もの異形の影。天ヶ崎千草が、木乃香の力を利用して召還した、鬼の群れであった。明日菜と刹那の奮闘により、その数は、当初に比べれば半数にも減っていたが、同時に少女二人もすでに疲労困憊と言った有様であった。
「大丈夫ですか、明日菜さん!」
「うん、もう敵ももう半分以下だよ!」
刹那の気遣う言葉に、明日菜は力強く頷く。
「あまり無理はしないでください!」
「大丈夫、いけるよ!後はネギが木乃香を取り返して戻ってくれば……」
今ここに、ネギ・スプリングフィールドの姿はない。少年は、この場を少女達に任せ、一足先に木乃香救出のために動いていた。現状、動ける人員が三名しかいない己達にとって、そのように二手に分かれるのが精一杯であった。
その時、漂う水煙の中から、ぬっと、一つの影が現れる。その影は、刹那との会話に気を取られていた明日菜に、一気に襲い掛かった。
「ぎゃっ!?」
色気の欠片もない悲鳴を上げて、明日菜は何とかのその一撃を受け止める。だが、次いで繰り出される連撃に、防戦一方になってしまう。
「う、烏族!?」
襲撃者の異形を認めた刹那が警戒に目を鋭くする。
烏族は、俗に言う烏天狗の一族である。その背に翼を背負い自在に宙を掛ける彼等は、通常の妖に比べて腕力が弱い代わりに武芸に長けると言われている。
慌てて明日菜を助けに行こうとした刹那だが、それよりも早く、狐の面を被った女の妖が襲い掛かる。
「くっ!」
繰り出される一撃を受ける刹那だが、それだけで、相手が只の雑魚ではないと知る。
一方、明日菜と切り結ぶ烏族は、思った以上に粘る明日菜に感心したように笑う。
「中々やるなぁ、嬢ちゃん!しかし、某は今までの奴らとはちと出来が違うぞ!?」
言うなり、振っていた大刀を急に上に跳ね上げると、柄頭で明日菜のハリセンをかち上げる。そして無防備になった明日菜に向け、先に勝る連撃を放つ。
「あ、ああ、うああっ!」
悲鳴を上げる明日菜は、そのまま川床に叩きつけられた。
「あ、明日菜さん!!」
狐面と戦いながらも明日菜の様子を見ていた刹那は、仲間の危機にその名を呼ばう。
「だ、大丈夫。ネギの魔力が守ってくれてるから、全部、かすり傷……。でも、この人(?)強い……!」
気丈にもそう言って立ち上がる明日菜を見やり、烏族は肩に大刀を担いでごきり、と首を鳴らす。
「平安の昔と違って、「気」やら「魔力」やらを扱うようになった人間はしぶといな。だが、それもいつまでもつかな……?」
ふふふ、と不敵に笑う烏天狗に、明日菜は何故かこの期に及んで(ホントにカラス人間なんだもんなー)と、変に呑気な事を思った。
(まずい、明日菜さんは防御以外は普通の人間なんだ!)
ふらつく明日菜を認めた刹那は、すぐさま明日菜を助けようと動く。
「明日菜さん、すぐに助けに……」
だが、その背後にひと際大きな影が現れ、手にしていた武器を刹那目掛けて振り下ろす。その気配に気づいた刹那は、それを受け止めるのだが、
(お、重い!)
予想を遥かに超えた一撃の重さに、刹那は咄嗟に刀を斜めにして、その一撃を逸らした。
ずん、と重い音を響かせて地面にめり込んだ鉄棒を握るのは、この鬼の群れを統率すると思われる、大柄の鬼であった。
「神鳴流の穣ちゃんの相手はワシらや」
肩に先程の狐面を乗せて、大鬼は笑う。
(こいつらも、別格か……!)
相対する大鬼の強さを感じた刹那は、歯がみした。
※
「――而れども千早振る靈の萬世に鎮まりたまふ事なく 御心 いちはやびたまふなれば 根の國・底の國より 上り出でたませと進る幤帛は」
儀式の文言が、千草の口から唱えられる。それに伴い、神楽舞台の上に寝かされている木乃香の体から、凄まじい魔力が引き摺り出されていく。その様を見ながら、千草の心は、悲願達成に向けて高鳴って行く。
(もう少し、もう少しで……!)
唱える文言にも熱がこもり、千草の口元が吊り上がる。
「皇御孫の處女にして 赤玉の御赤らびます 藤原朝臣 近衛木乃香の威かしやくはえの萌え騰がる 生く魂・神魂なり!!」
木霊する文言に応え、木乃香の体から魔力が天へと吹き上がる。それに呼応するかのように、千草の視線の先、湖の中央に位置する大岩からも、莫大な魔力が光の柱のように立ち上った。
※
「あれは!」
立ち上る光の柱は、激戦を繰り広げる刹那達の居る場所からも目にする事が出来た。刹那は、遠くに見える光の柱から感じられる魔力の強さにぞっと背筋を震わせる。
(まさか、間に合わなかったのか!?)
脳裏に、笑顔を浮かべる幼馴染の顔がよぎる。その笑顔が、消えていくように感じられた刹那は、焦燥感に胸が焼き尽くされそうだった。
「ほっほー、こいつは見物やなぁ」
大鬼がその光景を眺め、楽しそうにつぶやいた。
「どうやら依頼人の千草はんの計画が上手くいってるようですなー。あの可愛い魔法使い君は間に合わへんかったんやろかー」
その時、突如として響いたのんびりとした声に、刹那はぎくりと肩を強張らせる。
「まぁ、うちには関係ありまへんけどなぁ。ね、刹那セーンパイ♡」
「つ、月詠……」
ここに来て、と刹那は更なる強敵の増援に慄いた。瞳を潤ませた月詠は、嬉しそうに刹那を見つめている。
一方、烏族との戦闘を継続していた明日菜もまた、危機に陥っていた。よく凌いでいたとはいえ、所詮は素人剣法。隙を突かれ、烏族にハリセンを握っていた側の腕を掴まれて、宙にぶら下げられてしまったのだ。
「この、離しなさいよ!」
ぶら下げられた明日菜は、目の前にいる烏族の体を蹴りつけるが、その体には全く効いて様子はなかった。
「ハリセンが使えなければ、只の小娘か」
暴れる明日菜をそのままにして、烏族は横目で刹那を見る。
「さて、どうする神鳴流剣士。……そろそろ、手詰まりか?」
(マズイ……、最悪だ!)
その言葉通り、最早己達に打つ手はほとんどない。刹那は顔を青ざめさせた。
(くっ、仕方がない……。もはや、あの力を使うしか……!)
追いつめられた刹那は、己の中で禁忌として居た『力』を使う事を決意する。それを使ってしまえば、自分はもう、今の居場所に居る事が出来なくなる。だが、それでもこの状況を打破し、木乃香を救うためには、それしか手段は残されていなかった。
ざわり、と刹那の体が震える。そして、それが解放されようとした瞬間。
「ぐおっ!?」
パスッ、と言う空気の抜けるような音と共に、明日菜を捕まえていた烏族の額が、何かによって射抜かれた。後頭部に抜けた瞬間弾けたそれは、一撃で烏族を戦闘不能に陥らせた。
「あ、新手かぁぁ!?」
その身が霞のように消える中、烏族は無念そうに呻いた。そんな烏族の手から解放された明日菜は、いきなりの状況の変化に戸惑い顔であった。
「な、何?」
きょろきょろとあたりを見回す明日菜に応えるように、次々と弾丸が撃ち込まれる。大鬼達は、それを手にした武器で何とか弾く。
「こ、これは術を施された弾丸!何奴!?」
吠えた大鬼が周囲を睥睨する中、狙撃手がゆっくりと姿を現す。
「らしくもなく、苦戦してるようじゃないか」
「あ……」
「え、ええ?ええええ~っ!?」
現れた人物の姿に、刹那は目を丸くし、明日菜は驚きのあまり大声を上げる。
「この助っ人の仕事料は、つけにしておいてあげるよ、刹那」
そう言って微笑んだのは、3-Aのクラスメートの一人、龍宮真名であった。手には、銃身の長いスナイパーライフルを手にしている。
「うひゃー、あのでかいの本物アルかー?強そアルねー♡」
その横に居た古菲が、驚きながらどこか嬉しそうに笑う。
「た、龍宮!」
「く、クーちゃんに、龍宮さん!? な、何で!?」
「ふ……」
真名はそれには答えず、不敵に笑っただけである。そんな真名と古菲の周囲を、天から舞い降りた先程の烏族の同族達が取り囲んだ。
「調子に乗るなよ?」
「この至近距離ならば、銃も役に立つまい!」
口々に吠える烏族達に対し、真名は不敵な笑みを崩さない。その足が足元にあったギターケースを跳ね上げようとしたその時。
「あ、あれ?」
「な、何だ、体が……!?」
突如として烏族達の体がぎしり、と動きを止める。儘ならぬ己達の体に困惑する烏族達は、それから逃れようともがいた。
「く、糞!一体なん」
その悪態が口を出る間際、烏族達の体が一瞬で細切れになった。
「んな!?」
それを目の当たりにした他の妖達が驚く。
「随分怖い事をするな?巻き込まれたらどうする?」
真名が、自分の後ろを振り返って言う。
「そのようなヘマなぞするか。弾が節約できたのだから、良しとしろ」
涼やかな声でそう言った現れた人物に、明日菜だけでなく刹那まで顎が外れそうなほど驚いた。
「エ、エヴァちゃん!?」
「エヴァンジェリンさん!?」
明日菜達の視線の先に、金色の髪を靡かせた真祖の吸血姫、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがいた。
「ふん、無様を曝しているな、貴様ら。それにしても、流石は鬼と言うことか。存外に、固い」
そう言って笑ったエヴァンジェリンの指先からは、月明かりの僅かに煌めく細い糸が伸びていた。【人形遣い】としての技芸の一つである、操糸術である。通常は敵を拘束する程度でしかない技だが、エヴァンジェリンほどの達人ともなれば、敵を切り裂く事すらも可能となる。
「お、親分!あの娘っ子、人間じゃありやせんぜ!?」
「みたいやな。余所の国の鬼か!」
エヴァンジェリンを見た大鬼が、威嚇するようにその小さな姿を睨みつけた。エヴァンジェリンは、常人ならば卒倒しそうな恐ろしい形相で睨まれても、涼しい顔で笑う。
「いかにも私は吸血鬼。他人の土地ではしゃぐ無礼は認めるが、これも我が友の為。まぁ許せ」
尊大にそう言ったエヴァンジェリンに、大鬼以下、妖達が吠えたける。
「抜かせ、余所モンが!お前ら、やってまえ!」
大鬼の号令の元、妖達がエヴァンジェリンに襲い掛かる。その爪牙がエヴァンジェリンに届く刹那、先頭に居た妖達が吹き飛んだ。その体は、ある者は殴打され、ある者は袈裟掛けに斬り裂かれている。
「マスターに手出しはさせません」
「ケケケケケッ!ゴ主人ノ相手シタキャ、俺達姉妹ヲ超エテカラニスルンダナ!」
エヴァンジェリンの前に立ち並ぶのは、茶々丸とチャチャゼロの従者姉妹であった。
「おおー、茶々丸もその人形も、強いアルねー!」
古菲が目を輝かせる。
「古。お前は人間大の、なるべく弱そうな奴を相手していろ」
真名は、周囲に群がる鬼達を、両手に持った拳銃で撃ちながら古菲に言う。
「むむっ!馬鹿にしてるアルね、真名!中国四千年の技をなめたらアカンアルよ!」
ぷんぷんと怒りながら、古菲は頬を膨らませる。その背後から、数体の鬼が接近する。
(この小さいのやったらいけそうや!)
鬼達が手にしていた武器を古菲に振り下ろそうとした瞬間、不意に振り向いた古菲がそれを拳で逸らす。そして体の開いた鬼に向け、鋭い踏み込みと同時に中段突きを放つ。
「哈っ!!」
どすん、と重い音と共に、拳打を浴びた鬼が、後方の妖達を巻き込んで吹っ飛んだ。中国拳法、刑意拳の一手、『馬蹄崩拳』である。
「さぁ、もっと強い奴はいないアルか?」
「調子に乗っていると、怪我をするぞ?」
構えを取り笑う古菲に、真名が一応の注意をする。
「く、古菲も何気に強いし……」
明日菜は、最早驚きすぎて半ば茫然としている。そんな明日菜に追い打ちをかけるように、最後の助っ人が静かに降り立つ。
密集する鬼の群れの中に静かに舞い降りたのは、長いコートをはためかせ、顔に鶏冠のような突起が付いた仮面を被った少女である。
「な、なん」
いきなりの闖入者に疑問の声を上げようとした瞬間、その鬼は真っ二つに斬り裂かれた。少女の両掌からは、青白い光の剣のような物が伸びている。瞠目する間もなく、他の鬼も次々と斬られていく。
「す、凄い!」
「わー♡」
その剣を見た刹那と月詠が目を見張る。それは、未だ己達では成し得ないほど、鋭く、早く、優美な剣の閃きであった。
仮面の少女――千雨は、【マ・ジの仮面】から響く声に身を委ねながら、目の前に居る鬼達を斬っていく。
【斬る、斬る、斬る!悪を斬る!邪悪を斬る!我は、そのために生まれた!!】
仮面の声は、千雨にしか聞こえない。その声を聞きながら、千雨は思う。
(何故、何故戦うのか?)
【その理由は、お前が一番知っている筈だ、千雨!己より逃げるな。お前がここに居る理由、ここで戦う理由。全ては、己の心が知っている!】
(私に心なんてない。私がここに居るのは、知り合いを助ける、それだけの為だ)
【友の為、結んだ友誼の為に戦う事は、己の心ではないのか、千雨よ!!】
(違う、そうじゃない。そうじゃ、ないんだ)
一体何に向けての事なのか、千雨は仮面の言葉を只否定し続けた。それでも、体だけは動き続ける。
【己を否定するか、千雨。今はそれでもよい。だが、心せよ!あの日あの時我らが告げたように、人は己の顔を隠して生き続ける事など出来ないのだ!!】
(……)
【やがて来るその日まで、我らがお前を導こう!我らは仮面!今は只、悪しきを斬る!!】
乱舞する剣舞が終わり、千雨の周囲には、送還された鬼達の遺した呪符の欠片が紙吹雪のように舞う。そんな千雨を見て、驚きに目を見開いたのは、真名と古菲である。
「は、長谷川、チョー強いアルね!」
「あ、ああ……」
わくわくした様に言う古菲とは対照的に、真名は動揺を隠せない。あの凄まじいまでの動きを持って鬼達を圧倒した千雨と、普段目にしている幽鬼の様な千雨とが、どうしても噛み合わなかったのだ。
(だが、目の前で起こった事を信じるしかない。そして、あいつが【闇の福音】を倒したという事も)
現実主義者である真名は、とりあえず今そこにある事実を受け止める事で、ようやく落ち着きを取り戻した。
「千雨ちゃんも来てくれたんだ……!」
「ええ、これなら……!」
助っ人の存在をようやく認識した明日菜と刹那の顔から、絶望の影が消えていく。
「な、何や……。何やねん、己等はぁぁぁぁっ!!」
その大鬼の叫びは、その場にいた全ての妖達の気持ちを代弁していた。
【あとがき】
助っ人到着。そして鬼達にとっては「これ何て無理ゲー?」と言う状態に(笑)。
それでは、また次回。