96式艦上戦闘機が採用された昭和12年には早くも次期戦闘機設計が要求された。これが十二試艦上戦闘機である。
十二試艦上戦闘機要求
機種 艦上戦闘機
用途 1.敵攻撃機の阻止
2.敵観測機の掃射
特性 速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃墜に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること
航続力 6時間以上
武装 20ミリ1丁ないし2丁 7,7ミリ2丁
実用高度 3000メートル乃至6000メートル
これが、海軍から三菱・中島に出された十二試艦上戦闘機の要求であった。中島は設計陣が多忙であるという理由で固辞し
事実上三菱との単独開発であった。海軍コ-ドはA6Mであった。
要求から分かるように、後に俗説となる「長距離飛行する陸攻の護衛」と「96式艦戦よりも格闘性能が優越である事」などとは書いていなかった。
三菱は96式艦戦の設計陣である堀越技師が中心となって開発に取り組んだ。
いよいよ設計を始めようかという時に、一人の男が強弁に主張したことから座礁に乗りかけた。
その男は源田実少佐(当時)であった。源田少佐は十二試の要求はおおむね満足していたが、一点だけ譲れないものがあった。
それは格闘性能であった。海軍上層部は格闘性能は96式艦戦には劣るでも妥協したが、現場屋と自称する源田少佐はこう主張した
「新型機は96式艦戦よりもあらゆる点で優越しなければならない。よって、格闘性能でも優越しなければならない。」
設計陣は頭を抱えたい気分だった。戦闘機の性能のなかで最も重要なパラメーターである速度と格闘性能は、実は両立できそうで両立できない事であった。
速度を重視すれば、翼面荷重値が高くなり、格闘性能が低下する。
逆に格闘性能を重視すれば、翼面荷重値が低くなり、速度が低下する。
なお翼面荷重とは、その面積あたりにかかる重さであり、翼面荷重値が低ければ低いほどサイズは大きくなるのである。
設計陣や軍はその妥協点をはかるのだが、源田少佐は格闘性能だけをひたすら要求した。
頭の痛い事に格闘性能を要求しながらも、他の性能も満たせという。
だが、設計陣と海軍はこれからは高速の時代であると認識しており、格闘性能だけをこだわる理由はなかった。
源田少佐を駐イギリス大使館武官補佐官という名目で、イギリスへと追いやり、源田少佐の意見をパージした。
だが、源田少佐の意見はそのまま現場のパイロットの意見でもあった。
設計陣は高速性を目指しながらも格闘性能もある程度確保しなければならなかった。
次に問題となったのは、武装であった。今度、採用される戦闘機に20ミリを搭載しようとしたんだが、その20ミリが曲者であった。
20ミリ機銃は96式陸攻の防御火器としてエリコン社から、エリコンFFをライセンスして97式20ミリ機銃として採用され、固定機銃も同時期に採用した。
だが、20ミリ機銃を96式艦戦に搭載して、実戦テストを行ったが結果は散々たるものであった。
20ミリ機銃は威力に関しては素晴らしかったが
初速が遅い上ションベン弾になりやすいため命中率が低く、また携行弾が少なかったため弾切れやすかった。
そのため、問題のある20ミリではなく12ミリで採用してみてはと設計陣が主張したが、海軍は難色を示した。
もし、今度採用されるのが、唯の戦闘機だったら12ミリでも十分であろう。
だが、今度採用される戦闘機は”艦上“戦闘機であるのだ。
陸上の戦闘機なら、制空戦闘機は戦闘機へ、邀撃戦闘機は爆撃機へと分担して闘う事が出来るだが、味方の支援がなくただ一人敵地へと進む空母はそういかない。
艦上戦闘機はあらゆる敵と戦わねばならない。また、飛行機の宿命である降り立つ場所も必要である。
艦上機は空母から発艦するため降りたつ場所は空母である。
その大事な空母を守るために爆撃機・攻撃機を最優先で落とす必要がある。
そのために20ミリが最低限の必要な要求であった。20ミリであれば、手早く敵を撃墜する事が出来るだろう。
以前、才人がエスベー爆撃機を狙い撃ちし命中したにもかかわらず、撃墜できなかった事があった。
7ミリでは不十分でも20ミリでは十分撃墜できるだろう。だが、海軍も20ミリ機銃の問題を聞いていた。
悩む、両陣に光命を示したのは、エリコンFFを生産していた、富岡兵器製作所であった。
その会社は以前からエリコンFFを基に新型機銃を研究しており、小口径機関銃の高初速性能と大口径機関銃の火力の両立を目標に開発を始めた。
それが、後の99式15ミリ機関銃であった。そのカタログスッペクは素晴らしいものであった。
97式と合わせて表を示しておく
97式20ミリ一号機銃
全長 133.1cm
重量 23kg
砲口初速 600m/s
発射速度 約520発/分
給弾方式 60発ドラム弾倉
99式15ミリ一号機銃
全長 154.4cm
重量 32kg
砲口初速 800m/s
発射速度 約640発/分
給弾方式 金属ベルト250~350発
99式は12ミリ並みに弾道が低伸し、威力は20ミリにも勝るとも劣らない威力であった。
また、99式の大発明はベルト給弾を実用したことであった。原型エリコンFFシリーズは弾倉が機銃の構造の一部であったため
ベルト給弾化は困難といわれており、本家スイスのみならず技術先進国といわれたドイツでも実施されておらず
97式・99式が唯一の例であった。(後に97式シリーズもベルト化)
99式なら爆撃機を手早く撃墜することができ、対戦闘機でも十分戦える事が出来る機銃であった。
両陣は諸手に大喜びし、早速15ミリ機銃を機首・主翼に2丁ずつ搭載し、計4丁とした。
だが、99式の緊急増産が間に合わず、一部は20ミリ機銃搭載で出撃したという。
武装問題は済んだが、戦闘機のパラメーターの一つである、防弾力については1000馬力級で施すのは難しいとして
両陣とも防御は無視し、エンジンが向上している後期の零戦には防弾を施すことにした。
また、空戦における重要な能力の一つとしては急降下性能が挙げられるのだが、十二試では計算上では960kmまでは急降下できるとされていたが
2号機が急降下テスト中に空中分解していまい、改めて慎重なテストをした結果680kmまでしかできなかった。
それ以上は無理すれば700kmまではできたが、空中分解の危機があった。
この事については堀越技師は設計上高い急降下性能があるはずの零戦にこのような事態が発生した原因として
設計の根拠となる理論の進歩が実機の進歩に追い付いていなかったと回想している。
そして、機体設計がいかに名作であろうとそれを動かすためのエンジンがマッチしなければ、たちまちのうちに駄作機になってしまう。
この当時は単発機用としては、栄・瑞星・金星の3種類があった。両陣は話し合いをした結果金星はボツとなった。
理由は直径が大きい上この当時はまだ1000馬力しかなかった。残るエンジンは瑞星と栄となったが、瑞星は馬力不足を理由に栄エンジンを採用した。
瑞星エンジンは先が見えており、馬力向上が難しいとされ、栄エンジンは将来、馬力向上ができるというのも理由の一つのようだ。
また、速度向上策として、推力式単排気管として高速化を目指した。
こうして、様々な技術的要素を盛り込んでいき、12試艦上戦闘機の性能所元は以下のとおりとなった。
十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機11型)
全幅 12m
全長 9、118m
全高 3,75m
最高速度 542,4km
上昇力 6000mまで7分10秒
発動機 栄12型(離昇出力950馬力)
航続距離 3240km
降下制限速度 685km
武装 99式1号機銃15ミリ機銃×4(機首と主翼に2丁ずつ)
爆装 30kg爆弾2発又は60kg爆弾2発
これが、終戦まで海軍の主力戦闘機となった零戦であり、開発物語であった。
才人がどう活躍するかは、まだ誰にも知らなかった。
昭和15年7月
才人たちは正式採用されたばかりの零戦と共に漢口飛行場に来ていた。
なぜ、漢口に居るかと言えば、新鋭機の実戦テストである事と陸攻の護衛であった。
当時、中国は日本軍が南京に樹立した汪兆銘政権と中国国民党が重慶に遷都した国民政府に二分されていた。
そこで、重慶に大規模な爆撃を行うと決定したが、当時の重慶は遠く戦闘機は護衛に付く事は出来ず、爆撃機が単独空襲を行わなければいけなかった。
重慶には、有力な対空砲と迎撃機により、多くの陸攻・爆撃機が散って行ったという。
漢口から出撃するが、いつも帰還した爆撃機たちはボロボロだったという。
そこで、新鋭機の性能を聞きつけた現場が配属を望む声が大きくなり、まだ少改修が必要とする零戦であるが
才人たち2個小隊16機は才人の古巣、第12航空隊に配属された。
「坂井、零戦で凱旋しようぜ!」
「ああ、零戦はすごい機体である事を見せてやるぞ!」
才人と坂井は盛り上がっていた。
零戦部隊は才人だけでなく、横山保大尉を初めとする、当時海軍航空隊で有力な若手で集まっていた。
この若手たちは後の太平洋戦争で活躍し、多くが散って行った。
「しかし・・・「ああ、先まで言うな。平賀、この後言う言葉は分かる。」
坂井はそう言うと、二人は横を向いた。そこにいたのは
「ふふ、見ているか!紫苑。この武雄がこの新鋭機で立派な戦果を上げるから、自慢話を楽しみに待っていろよ!」
零戦の前で顔を二ヤケながら何か誓いを立てる佐々木がいた。
ここにいるメンバーの中で恐らく最も実戦経験が少ないであろう、佐々木が零戦の先行部隊に入れたのは謎だ。
「見事にニヤケているな。まあ、妹がいるから自慢したい気持ちが分かるんだがな。」
「おい、平賀!佐々木に妹なんていたのか?初耳だぞ!」
とまあ、こんな感じで盛りあがっていた。
零戦は確かにまだ、改修を必要とする機体であった。
代表的な例は、エンジンの気筒異常、ピストリングの焼損、機銃不調、脚が引っ込まない、増槽が落ちないなどなどと不備が出ていた。
現場に来てもあい変わらずで、テストをしながら改修を行うという並行作業だった。
そんなこんなで、粗方不備が解消したところで、第1回目零戦の出撃となった。
陸攻を護衛しながら、敵機が来たら空中戦を行うつもりだったが、敵は戦闘機を察していたのか戦闘機はいなかった。
これは2回目も同じくであり、ようやく零戦との初陣となったのは3回目であった。
この日、才人は出撃していた。坂井も出撃していた。才人たち14機は重慶に向けて陸攻を護衛しながら進撃していた。
やがて、重慶が見えてくると同時に才人が前にも感じた違和感を感じた。(以後、殺気と称します。)
――っ!来るな戦闘機が!
才人はそう判断すると殺気を感じた方向に目を向ける。
するとそこには、およそ30機ほどだろうか敵機がいた。
――敵機発見!
才人は素早く先頭を見た。指揮官は敵機にまだ気づいていなかった。
才人はそれを確認するや否な、前に出てバンクを振る。
指揮官も敵機に気付いたであろう、バンクを振ると増槽を落とし、敵機に突っ込んでいく。列機もそれに付いていく。
敵機も突っ込んでくる。ここに空戦史に残る戦いが始まった。
才人はすれ違いざま1機に照準にいれて、機銃を撃った。その機は左主翼に集中して命中したであろう。
左主翼がちぎれ飛びながら墜落して行った。
――撃墜とは、容易く成せる事なのか?
才人は驚いた。敵機はイ-16で7,7ミリでも撃墜する事は出来るが、ある程度の弾を必要としたのだ。
それを短時間で撃墜できたのだ。これは15ミリ機銃の威力に付する事が大であった。
才人は操縦棹を左に回し、左旋回し、敵機を素早く探す。機体の反応は良い。
やがて、空戦の渦から少し離れた1機を発見し、素早く接近する。敵機に気付かれないように近づく
やがてあと150mというところで敵が気付き、何か行動しようとしているのが分かったが、すでに照準に入れていた。
才人はちらっと後ろを確認した。才人の初陣で危うく撃墜しかけた事を戦訓としていたのだ。
幸いにも後ろには敵機はいなかった。改めて前を向き、左旋回で逃げようとする敵機に照準を入れ撃つ。
15ミリは敵機の後部に直撃し、尾部・尾翼・胴体がちぎれ飛び、きりきり舞いながら墜落して行った。これで撃墜2機であった。
才人は目を細めた。
2時方向に1機の敵を撃墜させようとする零戦があった。
その零戦は、前方の敵機に夢中になっているであろう
後ろに忍び寄る敵機に気付いていない様子だった。
才人はその敵機を撃墜する事を決意すると
注意をそらすために敵機に向けて威嚇機銃を発射する。
敵機も才人を認めたであろう、猛然と機首を翻って突っ込んでくるのが見えた。
才人はそれを避けながら、旋回へともってくる。敵機も乗ってきた。
1回・・2回・・。まだ決まらない。まだ周る、空戦という名のワルツはまだ終わらない。
――ここで、勝負をかける!
旋回中に宙返りをする。敵機も宙返りに追随する。
才人は宙返りの頂点で操縦棹とフットバーの操作を行い、小さい半径で周っていく。
水平に持ってきた時、敵はふらつきながらも前に出ていた。
――・・・・・。
才人は無言で照準に入れ機銃を撃つ。機銃弾がパイロットに直撃したのか煙を吐かずに真っすぐに地面へと墜ちていく。
やがて、いつの間にか空戦が終わっていたであろう。周りには味方しかいなかった。
陸攻も爆撃を終えて帰還しようといている。零戦もそれに付いていく。
ふと、才人が気付いて横向けば、坂井がニコニコ顔で指を2本差していた。
これは、“おれは2機撃墜したぜ”という意味であろう。
才人も笑いながら指を3本差した。
この日が零戦の初陣であった。戦果は撃墜32機で敵機を全て落としながらも
味方は2機被弾したのみで被撃墜無しという、見事な戦果であった。
ここに、零戦伝説が始まったのである。
余談 この日は15機出撃予定であったが、彼は初期トラブルで出撃出来なかった。
「何でじゃー。」
誰とは言いません。決して頭文字がSとは言いません。