『BETAの脅威は量である。
だがそれは単に物理的戦力という意味だけではない。
全宇宙を侵略(開拓)してきた彼らには、その分だけのノウハウの蓄積が存在する。
真に恐ろしいのは、その知的蓄積である。
BETAにとってあらゆる事象は、既に乗り越えてきた過去に過ぎないのだ。
BETAが人類のような敵性存在と相対したのも、これが初めてではあるまい。
――あの醜悪なBETAの外見は、遥か異星の知的生命体を呑み下して、データとして取り込んできたという歪なコラージュの結果なのかも知れぬ。
吾輩たちは、BETAを通じて、全宇宙の炭素系生命の無念の残骸――亡霊と相対しているのだ』
――――BETA生態学の第一人者 アラム・スカチノフ博士
『ならば、人類もやがては亡霊としてBETAに取り込まれるであろう。
しかし亡霊というものは時に憑依して生者を乗っ取り、また怨念で以って祟り殺すものだ。
故に吾輩はそこに人類にとっての一縷の希望を見出すのである。
……あるいは死後に友を訪ね励ますような心優しき亡霊も居るであろうが、少なくとも吾輩がそうではないことは確実であろう』
――――論文原稿に残された走り書きより
◆◇◆
横浜基地の副司令室。
神宮寺まりもは、親友として香月夕呼の酒盛りに付き合っていた。
どういう流れで酒盛りになったのかは最早覚えていないが、多分、夕呼が何かしらのスランプを脱して一段落ついたということなのだろう。
そしてこれまたどういう流れか分からぬが、まりもは夕呼にこう質問していた。
――――あなたが一目置くような研究者って、居るの?
まりもはてっきり、『いる訳ないじゃない、この世で私が認めるのは、この天才たる私自身以外に居ないわよ』くらいの回答が帰って来ると思ったのだが。
「そうねぇ、二人……いや、やっぱり一人かしら。居るわね。物理学者じゃないけど」
――へえ、意外。どこの誰よ?
「BETA生態学の、スカチノフ博士。彼の論文や仮説――いいえ、『預言』には私も随分助けられたわ」
――オルタネイティヴ3の顧問だったっていう、あの『預言者』スカチノフ博士かぁ。それはそれで意外ね。あなたのことだから『あんなのただの妄想』よ、くらいにはこき下ろしそうなものだけど。
「あんた私を何だと思ってるのよ。
……世間的には『異端者』だの『異星生命体危険厨』だのと言われてたけど、結局彼の言葉は全て正しかった。
彼はまるで未来を知っていたみたいに的確に、BETAについて予言した。
そして、彼の言葉を聞かなかったせいで、今の世界の最悪な現状がある……」
散々出された警告を生かすことが出来ず、人類はBETAの地球への降着を許した。
そしてずるずるとユーラシアが奪われた。
彼を信じていれば、こうはならなかったのかも知れない。
暗澹たる気持ちになるのを振りきって、まりもは話題を別方向に向ける。
後悔したって始まらないのだ。
それに悪いことばかりではない、天才の言を聞き入れないとこうなるぞという実例を残してくれたお陰で、夕呼がオルタネイティヴ4で実権を握るのが多少楽になったらしいから。
――あの博士は、G元素の存在も予言してたんだっけ。
「そうね、マイナス質量、高温超電導、重力干渉――彼が予言した通り、BETAは未知の高機能元素を利用していた。
そして他にも予言してるわ。
『全宇宙に散らばる十澗(10の37乗)もの端末間での通信のために、BETAは超光速粒子(タキオン)を利用している可能性が高い』とかね」
――実は未来予知能力者だったのかもよ? オルタネイティヴ3のESP研究の副産物だったりして。
「あの博士が生まれたのは、オルタネイティヴ計画どころかBETAが火星にすら来てない頃よ。
……まあ、天然のESP能力者だったのかも知れないけど。
無意識の内に、BETAの思念を受信していたから、あんなに狂ったように警鐘を鳴らしたのかも」
――そういえば最近その博士の噂は聞かないけど、今は何してるのかしらね?
「……人造BETA計画」
――え?
「『BETAを以ってBETAを駆逐する』。彼はそう言ったわ。
それ自体は珍しい考えでもない。
現に私たちは、BETA由来の技術――G元素を使って、BETAと戦っている。
これもある意味、『BETAを以ってBETAを駆逐する』ということね。
……彼の考えは、それ以上に危険だったけど」
――危険?
「彼はオルタネイティヴ3を放逐されている。
危険思想の持ち主だからってね」
――危険思想?
「彼が言っていた『BETAを以ってBETAを駆逐する』というのは、G元素の利用なんてレベルじゃなかったのよ。
人類戦力としてのBETA。
BETAの指揮系統を奪取し、人類の奴隷として利用する……」
――本当にそんな事が可能なの?
「オルタネイティヴ3では、不可能だと結論されたわ。
BETAを上回る……少なくとも匹敵するだけの演算ユニットを用意できなければ、BETAに対するハッキングは不可能だ、と。
少なくとも00ユニットレベルのものが無いとね。
それでも難しいだろうけれど。
で、彼は危険思想の持ち主として、追放された……」
――それだけで追放されたの?
「まあ、それだけじゃないのよ。
実は裏話があって、彼がある新興宗教と繋がりを持っていたことが分かってね。
直接の原因はそっちよ」
――カルトってこと?
「そうね、あんたも噂くらいは聞いたことがあるんじゃないかしら。
『辺夷陀の会(べいだのかい)』ってやつ、BETAから名前をとったんでしょうね、安直に」
――ああ、『南無辺夷陀仏、南無辺夷陀仏。ありがたや、ありがたや』って念仏……御題目? を唱えるアレね。
「そう、BETAを天使だとみなして、更に上の珪素生命体を神として崇めるカルト宗教よ。
ま、凡人が考えそうなことよね。積荷信仰(カーゴカルト)とかと同じようなものかしら。
『BETAを崇めれば、BETAに襲われない』とかいってるらしいわ。
荒御魂の観念からの派生かしら?
バカバカしい。
で、彼が接触したのは、その中でも最も先鋭化した派閥よ。
言うならば『辺夷陀グノーシス派』」
――グノーシス派っていうと、人間は修行すれば天使にも神様にもなれるっていう……。
「そう、そのグノーシス派。
彼らは『BETAこそが人類の次のステージだ』とか言ってるわけ。
つまり、BETAになることを目指してるバカどもってわけよ」
――博士は彼らに接触して、どうしたの?
「利用したわ、自分の計画のために」
――利用? 計画?
「人造BETA計画のための、資金源と人身御供に。
そのためにカルトを利用し尽くし、搾取しつくした。
彼の本当の計画はこうよ。
人間をBETAと融合してハイヴに潜入させ、情報を集めつつ、ESPによる反応炉(ブレイン級)の掌握を狙う。
狂気の計画。
カルトの信者を使って人体実験を行い……被験者は嬉々として協力したでしょうね、『BETAにしてやる』という博士の甘言に乗せられて」
――狂ってる。博士は一体どうして……。
「さあ?
でも、孤独だったからじゃないかしらね。
彼には、そんな凶行を止めてくれる人間が、側に居なかった。
自問自答を繰り返す内に、意思は歪に焼き固まってしまった。
周りの人間は糾弾する、気狂いだと。
頼れる人間は居ない。
人類は愚かだ、訴えかけても全く無駄だ、無駄だった。
――じゃあ、自分でやるしかない。
そんな風に思いつめてしまった、哀れな天才の末路ね。
ああはなりたくないものだわ」
――夕呼には、わたしが付いてるわ。だから、そんな結末にはならない。させない。
「ありがとう、まりも。私は幸運よ、親友が居てくれて」
――照れるわね……。それで、博士の計画はどうなったの?
「これは確実な情報ではないんだけど……。
……『人間のBETA化』という狂気の実験のデータが揃った頃に、満を持して彼は計画を実行に移した。
つまり、自身のBETA化よ。後天的ESPの研究もしていたらしいから、その施術もしたのかも知れないわ」
――……成功したの?
「分からないわ。
ただ、彼はある時を境に完全に消息を断った。
そして――」
――そして?
「そして、その前後から、一部のBETAが奇妙な挙動を始めるわ。
これについては、まりもの方が詳しいんじゃないかしら?
ソビエトの首都直撃に、北極海へのBETA北進……」
――ソビエト首都直撃事件……ソ連内の幾つかのハイヴから、小隊規模のBETAが大深度から後背地域へ浸透、ゲリラ的なテロ行為を行い始める……。
「それに危機感を抱いた上層部は、急速に対BETAで纏まるようになった。
いつ自分の足元からBETAが湧いてくるか分からないんじゃ、政局なんてやってるわけにはいかないものね。
自分の足元に火がついて初めて、ソ連のお偉いさんは本気になった。
博士はこう言っていたらしいわ――『一度失敗せねば、人類は学習しない』と。
BETAの場合、その一度の失敗が致命的になるんだけど……。
でも、これ以降、まるで人類に『小さな失敗』を経験させるみたいに、一部のBETAは小規模での襲撃を繰り返すようになる」
――まさか、BETAが人類を纏めるために行動してるとでも?
「さあね、そうとも取れるってだけよ。
そしてもっとあからさまな異常行動が、BETAの北極海北進と、その後の海洋ハイヴ建設よ」
――それまでは、ハイヴの分化は、BETAの個体数が一定以上に飽和するまで起こらないとされていた。
「そうね、博士の論文でも、そう予測されていたわ。
でも、それは覆った。彼の預言が外れたのは、これが初めてじゃないかしら?
一部のBETAが、まだ未発達なハイヴから積極的に反応炉(ブレイン級)を持ち出し、北極海へと北進。
人類の妨害が届かない海中にハイヴを建設し始めた。
まるで人類を殺すのを、また殺されるのを避けるように、ね」
――北極海ハイヴは、人類が観測した時には既にフェイズ5に達していた……。気づいたら手遅れ。北アメリカ大陸は、BETAの射程に収まった。
「でも、北極海ハイヴ群のBETAは、北アメリカ大陸には進出しなかった。
代わりに、北極海のBETAは太平洋と大西洋の海底に進出……。
今では海洋ハイヴが、世界中で一体どのくらいあるのかさえ、正確には不明。
当初は海運の決定的悪化が懸念されたものの、これらのBETAは船舶を襲うことは殆ど無かった。
だから各国も、海洋ハイヴについては楽観視している……。大陸のBETAを優先して撃滅するべきだとね」
――今までのBETAと『海洋性BETA』は全く別のものだと考えるべきだ、とも言われてるわね。あの博士なら、何てコメントするかしら。
「そうね多分――『それは私だ』って言うと思うわよ」
――どういう、こと?
「だから、彼は成功したのよ。
彼は生きている。
怪物(BETA)になって生きている。
深淵に身を投げて、機会を伺っていた。
そして数十年の雌伏の果てに、彼は成功した。
BETAの指揮系統奪取に。
どんな奇跡か知らないけれど、何らかの手段でオリジナルハイヴの重頭脳級と、反応炉との間の情報交換を欺瞞したのでしょうね。
恐らく北極海に反応炉を持ちだしたのが彼ね。各国都市部へのハラスメント攻撃も、彼が率いていたのかも。
そして、彼は、自分の王国を築き始めた。
人類の手の届かない深淵の海底で。
彼は自分が持ちだした北極海の反応炉を介して、そこから分枝したすべての海洋ハイヴに、自らを重頭脳級と誤認させた。
海洋ハイヴのBETAは、全て博士の分身よ」
――まさか。冗談でしょう。何の根拠があってそんな。
「根拠、ね。
――最初、『私が認める研究者は、二人……いや一人』って言ったでしょう?
あのソ連の博士以外にもう一人、注目すべきBETA生態学の研究者が居るわ。
でも、誰も彼に会ったことはない。
誰も彼の姿を知らない。
だけど、その業績は誰もが知っている。
ヴォールクデータ以上に詳細な、『まるで見てきたかのような』ハイヴ内のレポート。
『まるで一緒に暮らしたかのような』生々しいBETAの生態。
『まるで本人がBETAであるかのような』BETAの生理研究……」
――BETA生態学の、七篠博士?
「そう、七篠博士。
フルネームで『七篠瓶太』。
ふふっ、巫山戯ていると思わない?
『七篠瓶太』だなんて」
――七篠瓶太……ななしのべいた……名無しのBETA?
「きっと七篠博士と、ソ連のあの博士は同一人物よ。
論文の癖がよく似てるもの。
だから、私は一目置く研究者を答える際に、言い直したの。
『二人……いや一人』だと。
……でも同一人(・)物といって良いのかしらね? 片方はBETAでしょうし、微妙ね」
――本当に……そんなことが……?
「まあ、質の悪い都市伝説(フォークロア)みたいなものよ。
――私は間違いないと思ってるけど。
それにそれが本当なら、これから面白いものが見られるわよ、きっと」
――一体、何?
「何処からか知らないけど、七篠博士の名前で、私のプライベートアドレスに連絡が来ていたのよ。
『準備は完了した。逆上陸を開始する。吾輩の手並みをとくと御覧じろ、極東の女狐殿』ってね。
史上初めてのBETAの同士討ちが始まるわ」
――それが本当だとして、上手く行くのかしら……?
「上手く行かなかったら、人類は終わりよ。
仮に、名無しのBETA殿の一大反攻作戦が失敗したとしたら――」
――海洋ハイヴ全てが、逆に乗っ取られる、ということ?
「そういうこと。
そうなったら、もうどうあがいても絶望ね。
海から押し寄せるBETAの量は、大陸のBETAより多いでしょうし。
その上、海底のハイヴを直接叩くことも難しい。
まあ、そうならないように、私(オルタネイティヴ4)に後詰めを頼んだのでしょうけど」
――つまり、桜花作戦と、七篠博士の逆上陸を同調させるということ? オリジナルハイヴを確実に叩くために。
「そういうことになるわね。
せいぜい利用させてもらうわ。
そして、上手いことオリジナルハイヴを落としたら……」
――次は、七篠博士を。
「ええ。
人類とBETAは、相容れないのよ。
決して、ね」
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こういうのは勢いが大事だってばっちゃが言ってた。
今度こそ続かない、と思う。もうネタ無い。
2012.03.02 初投稿
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ノック。
返事はないが、構わずに白銀武は副司令室に入室する。
鍵は開いていた。
「先生? 霞、こっちに来てません?」
中では香月女史が一人で(・・・)グラスを片手に突っ伏していた。
「やれやれ……」
武はそっとブランケットを酔い潰れた彼女の肩に掛ける。
と、そこでテーブルの上の状態に何か引っかかりを覚える。
……。
白銀武は違和感の正体に気付く。
「グラスが二つ?」
そこには、氷が溶けきったグラスが置かれていた。
一体彼女は、誰と酒を酌み交わしていたのというのだろう?
秘蔵の酒まで取り出して。
もう、彼女の親友は居ないというのに――。
「……桜花作戦、成功させましょうね、先生」
白銀武は、副司令室を後にする。
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蛇足の蛇足。
続きません。多分。
2012.03.02 追記
2012.04.20 こっそりMuv-Luv板に移動させてみる