嘘予告 『十年後。再び聖杯戦争の幕が上がる』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 第四次聖杯戦争が終結してから十年。冬木に刻まれた戦いの傷痕は決して短くない年月によって修復され、惨劇は人々の記憶に刻まれながらも起こった過去の一つとして受け入れられていた。 『どうしてそうなった?』と数多の疑問はいまだ解消されず、冬木の謎として郷土史に残されながらも誰も彼もが過去を通り過ぎて今を生きている。 その中でただ一人―――いまだに十年前に終わってしまった時間から一歩も動かず、むしろその時間を取り戻そうとする男がいた。 「そもそも令呪とは命令に従わぬサーヴァントの為に用意された物。必要ではない。不要―――。そう、不要なのだ―――無くてもよいのだ!!」 そう言うと、男は薄暗い部屋の中に置かれた細やかな意匠を凝らした黄金の杯へと手を伸ばす。それには大粒のルビーが幾つもはめ込まれており、宝石を合わせた調度品としての価格は八桁に届くだろう。 ただし、見る者が見れば、禍々しい魔力を放ち続けているのが判る。 一般人でも『薄気味悪い何か』と感じられるほど強烈な代物だった。 男はそれを高く掲げ、あまりに高く上げたせいで天井にぶつかりそうになっても構わず、ただ黄金の杯を上へ上へと掲げた。それは魔術師である男の家が得意とする宝石魔術によって作り上げられた魔術礼装であった。 もう片方の手にステッキを持ち、天に杯を捧げる様な姿だけならば優雅に見えるかもしれない。 「これで・・・、ようやく悲願は成就する。私が、私こそが『根源』へと至る・・・」 男は愛おしいモノを見つめるように降ろした黄金の杯に目をやる。 そして言った。 「あと残るは一つ・・・それで全ての準備は整う」 幼い娘ではなかった。けれど成熟した大人でもなかった。その中間―――大人になろうとしている少女は帰路についていた。 「お父様は一度諦めて別の道を模索すべきだわ」 学校生活において模範的な優等生として猫を被っている彼女は帰りつく前に誰にも聞かれることのない独り言を呟く。 彼女は実り無き魔術に十年の時を費やす父を、そんな父に盲従する母を、そして目に見えて落ちぶれてゆく自分の家を見たくなかった。 それでも彼女はその家の娘であり、どれだけ嫌おうとしても家族を嫌いにはなれずにいる。 そんな彼女を父が出迎えた。 「よく帰ったな」 とある魔術儀式をひたすら追求している父が娘の帰宅を出迎えるなど久しく無かった。父が顔に浮かべている狂った笑みと形相を混ぜ合わせた表情は正気とは言い難く、当の娘は目の前に立っている父に強烈な悪寒を感じた。 倒す、逃げる、無力化する。何か行動を起こさなきゃいけない。 思考が行動に辿りつく前に、父を前にした彼女の行動は一瞬遅れてしまう。 そして父の握るステッキにはめ込まれた特大のルビーから魔術が放たれ―――彼女を襲った。 母であり妻である女は、冬木に存在する霊地の中で第二位の霊脈を有するこの家の地下工房で横たわる娘の裸身を見た。台の上に寝かされた娘の傍には愛する夫がステッキと黄金の杯を持って立っている。 「何を・・・」 しているの? と夫に問う前に、娘の地肌に真っ赤な痣が何十本も走る。 魔術回路を持たず、魔術にも疎い女は何が起こっているかが判らない。女に出来たのはただ夫を信じる事だけだった。 平均的な魔術師の魔術回路は約二十本。その平均と比較して、娘の魔術回路はメインに四十本、サブに各三十本という驚異的な数を有している。その膨大な魔術回路を更に増幅させ、拡張させ、二百年前に存在したとある女性の代用品を作り上げようとしているのだと―――判らなかったが、止めなくてはならない何かが起こっていると理解した。 夫が笑っている。 娘が苦しみ叫んでいる。 何もかもを止めさせなければならない。 そう思い女が手を伸ばした次の瞬間、娘の体に走る紅い痣が持ち上がって女の心臓を貫いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 遠坂時臣は聖杯戦争を知っていた。それが万能の力である『根源』へと至る手段だとも判っていた。 だから遠坂時臣は『根源』に辿りつく道をそれのみに求め、他の手段に見向きもせず考えようとすらせず、ただただ聖杯戦争を求めてしまう。 大聖杯は消滅し、アインツベルンは滅亡し、間桐は実情を知る老魔術師が死に、再現など到底不可能だと知りながら―――。 遠坂家が始まりの御三家として聖杯戦争に関する情報を持っていたのも彼が諦めきれなかった理由であろう。 しかし聖杯戦争の成り立ちは遠坂だけで作り上げられたものではない。アインツベルンと間桐―――当時はマキリの名だったが―――この両家の協力が無ければ実現すら叶わなかった。 人の十年は長い。けれども二百年前の魔術師たちが英知を結集して作り上げた大魔術を個人で再現するにはあまりにも短い時間だ。 受け継いだモノを理解せず昇華せず、ただ授かっただけの者に再現など出来る筈がなかった。 エラー。 『根源』へと至る孔を開くための鍵であり、孔の形態を安定させるための制御装置。 英霊召喚の基盤に用いる第三魔法『魂の物質化』の術式の一部。 莫大な魔力を有する霊地でも六十年かけてようやく溜め終えられる特大の魔力。 大聖杯の炉心となるべくして生まれたホムンクルスの魔術回路を元にして作り上げた魔法陣。 何もかもが本家本元の聖杯戦争と比べて不足していた。 間違っていた。不備があり、欠乏して、機能不全を起こしていた。 完全に作り上げられたのは遠坂時臣の頭の中だけで、実物は何一つ聖杯戦争の形を成していない。 それは別の何かだった。 エラー、エラー。 失敗作。 不出来。 手違い。 不成功。 出来損ない。 欠陥品。 誤り。 不完全。 遠坂時臣の願う形通りに正しく動くモノなど一つもありはしない。 それでも発動してしまった魔術は役目を果たす為に間違ったまま稼働し続ける。 エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー、エラー。 オリジナルの聖杯戦争の技術を模倣しようとして作り上げた術式は聖杯戦争にすらなれない歪な魔術の結晶であった。 冬の聖女と呼ばれたユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。大聖杯を形成する魔術回路であった彼女―――大聖杯の炉心となるべくして生まれたホムンクルスであり、第四次聖杯戦争で存在を完全に消滅させられた彼女―――の代替として遠坂凛の魔術回路が使われ、増幅と拡張を繰り返す。 膨らんだ魔術回路は遠坂凛の体を内側から突き破り、血に染まった紅色の魔術が必要な魔力をかき集める為に人の命を貪り食っていく。 それはまず母である遠坂葵を貫いて魂を喰らうところから始めた。 肉体は破壊される、魔術回路は激痛と共に膨らんでいく、望まなくとも魔力は吸収されてゆく。いっそ死ぬのが救いですらある苦しみが絶えず襲い掛かってくる。それでも遠坂凛は役目を果たす為に生かされていた。 遠坂が得意とする宝石魔術を駆使して作り上げた偽物の『聖杯の器』は遠坂時臣の手の中にあり、彼は果て無く広がってゆく紅い魔術を見ながら笑う。 自分にだけは実害を与えない様に設定された魔術を施された娘の捕食。それが母を―――遠坂時臣にとっては妻を喰らっていく。それでも狂った男は笑い続ける。 不完全に再現されたシステムには欠陥しか存在しない。ある筈のクラスは欠け、選ばれる筈のないサーヴァントが誤った形で現界してしまう。 全てを間違えたまま、再び冬木の聖杯戦争の幕は上がった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 輝く聖剣は邪悪に染まり、白銀の鎧は黒に染まり、緑眼は金色に染まり、かつてこの地に舞い降りた者と同じ形をしたモノが現界する。 されどその身は最早剣の英霊でも騎士王でも非ず。 「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!」 ただ死と破壊を存在目的とした狂った戦士、バーサーカーであった。 暗示の魔術によって一般人となった筈の少年は新都から深山町の異常を目撃した。紅き光は街を壊し、膨張し、人を喰らい、増幅し、三次元魔法陣を形成し、増加する。 左手に刻まれた聖痕がかつては幼かった彼を再び魔術の世界へと引きずり込む。 「剣・・・。魔法・・・。戦い・・・」 赤毛の下に鋭く光る眼差し。その目は異常を認めながら、それでもお気に入りの玩具を見つけた様に輝いていた。 この時間軸では決して存在しない筈の英霊が舞い降りる。逆立った白い髪に浅黒い肌、赤い外套を纏ったサーヴァント。 その名をアーチャー。 「エミヤシロウという歪みをオレの手で――」 歪みを抱えているのは召喚された自分であると気付かぬまま、守護者は世界を守るために動き出す。 少女は見えないモノを感じ取り、誰よりも早く異常を察知した。 「姉さん・・・?」 十年間、内に潜む魔術の才能を闘争以外に費やした少女は強く戦いを意識する。そして自らの意思で記憶の奥底へと封印した力を―――全てを呑み込む黒き虚無の力を開放し、妹は姉を救うために走り出す。 付き従う一匹のウサギと一緒に・・・。 ロードエルメロイ二世は一般人でありながらも魔術の存在を知る老人から異常な魔術が発生したと報告を受ける。 「もしもし? もしもし? くそっ、通じなくなった! 一体、何が起こってるんだ・・・」 けれど、ロンドンの時計塔と日本の冬木との間には途方もない距離が存在する。遠方からの直接支援は行えない。 何かできることは無いか―――。彼は強くそう思い、とんでもない手を実行する。 男と女、自然と人工、陰と陽の両極を併せ持つランサーのサーヴァント。 「あの広場での決闘の続きを・・・、君とやりたかったなぁ・・・」 その者。唯一無二の親友であり、宿敵であり、半神半人でもある、人類最古の英雄王に思いを馳せる。 果て無く広がり続ける魔術回路。本来であれば六十年かけて溜め続ける魔力を大地から、空から、生き物から吸収し、その魂を喰らい続けてゆく。 「さ・・・、く、ら・・・」 自我が崩壊してもおかしくない痛みの中。炉心の役目を強制的に背負わされた姉は両親ではなく妹を思う。 彼女はまだ生きる事を諦めていなかった。 召喚されることそれ自体がイレギュラーサーヴァント。けれど彼は聖杯戦争そのものを監督しうる者、正しさを体現する裁定者。 「もしも、私の計画が神に背くモノであれば。私はこの戦場で必ずや討ち果たされるでしょう」 あらゆる悪が駆逐された善性の世界を―――、万人の幸福を願う男の名をルーラーと言った。 かつてこの地で狂戦士と共に戦いを生き延びた男の手にも印は刻まれた。 「令呪? いや、違う。これは『魔力を持つ者』と『強制召喚された英霊』を繋ぐ単なる目印だ。供給なんて生易しいものじゃない、これを刻まれたらすぐに奴らに魂まで根こそぎ喰われ――」 終末の日の銘を持つ剣を掲げ、戦士は再び戦場へと舞い戻る。 「これが? こんなものがお前の求めたモノだったのか? 答えろ、時臣!!」 街は破壊されていく。人は死んでいく。冬木市は壊滅していく。生き物の魂は喰われていく。 それでも冬木の管理者の立場にいる筈の男は笑う。 「そうだ。ここに第五次聖杯戦争を開催する。英霊達よ、魔力を受け、この器に魂を捧げ、私を『根源』へと導くのだ!」 何もかも間違っていながら、それを正しさと誤解して、男は騒動の中心で笑い続ける。 そして―――。 「あの騎士王の成れの果てを追ってみれば、ここに戻ってきたか。聖杯戦争の形を成していなくても・・・破壊は俺の役目だな」 場所も時間も、年齢も性別も人種も姿形も超越し―――。 「桜ちゃん・・・、貴女の為に遠坂を滅ぼさなかったけど・・・。今度は間違えないから――」 過去へと旅立ったものまね士が還ってくる。 暴走した魔術が冬木を覆い、全ての命を喰い尽くすまでの時間はわずか二時間。もはや一刻の猶予も許されない。 歪んだ願いが間違った解に辿りつき、冬木を壊滅させるのが先か? 安寧を求め、騒動を食い止める者達が過ちを正すのが先か? ここに闘いの火蓋は切って落とされた。