後日談2 『一年後。魔術師(見習い含む)たちはそれぞれの日常を生きる』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 もう一年と考えるべきか、まだ一年と考えるべきか。過ぎ去った時間を考えれば俺が間桐に戻ってから聖杯戦争が始まるまでの期間と、聖杯戦争が終わってから今に至るまでの期間は等しく『一年』となる。 ただし、どちらも同じ一年なんだが、生活の在り方はまるで別物で、どちらの一年も間桐邸の生活を起点にしてるから違いが顕著だ。 物騒ではない平穏な一年は桜ちゃんの安全を考えるなら望むところなんだが、真剣に殺し合う―――あの当時は一方的にこっちが殺されてたが―――相手がいないと剣の腕がどんどん鈍っていくのを実感していた。 周囲への観察力や筋力を衰えさせてはいないと自負してるが、実戦から遠のいたせいで魔剣ラグナロクを振るう機会がない。今更ながら俺は実戦に勝る修行は無いと思い知らされていた。 剣の腕についてはまだまだ未熟だと自覚してるし、俺の中に溶けた魔石『マディン』の力も合ってまだまだ向上の余地があると思っている。二人と一匹の生活を確立するのに忙しく、これまでは独学で何とかやってきたつもりだが、誰かに師事するのも考慮する必要があるかもしれない。 一人きりで剣を振っても鈍るばかりだ。 もっとも、今でもゴゴ以上に剣と魔法を融合させる戦い方に長けた奴がいるとは思えないんだが・・・。 それはそれとして私室で本を読んでいた俺は間桐邸に近づいてくる誰かを察知する。 間桐邸を隅から隅まで埋め尽くす結界を継承した当時、結界は間桐邸の敷地内だけを覆っていたんだが、今では少し範囲が広がって間桐邸から見える景色を確認できるようになった。 把握できる範囲は今までと全く変わってないんだが、『見える』範囲は継承時と比較して一割ほど広まった。ただ、広がった範囲は見えるだけで結界の外側なのは変わりないので、事前の心構えが少し早く出来る位しか役立ったことは無い。監視カメラが付くか付かないかの違い程度で、結界の外は見えるだけで攻撃できない。 間桐雁夜の肉眼が本を読み、見えないけれど確実に存在するもう一つの目―――頭の中に浮かぶ映像を目以外で認識しているような感覚を同時に操り、間桐邸の外側と内側の両方を見る。 俺は本を閉じながら、意識を外に向けようとした。 今閉じた本。これは亡き臓硯が残した魔道書の一つなんだが。あの蟲爺、『自分が読めればそれでいい』と考えていたので、独特の文字の書き順だったり、滅茶苦茶な時系列だったり、読み辛い字だったりと、俺にとっては暗号と変わりない。 以前からゴゴから学んだ魔法以外にも間桐が本来持ちえた魔術も何かしら活用できないかと思って読み漁ってみたが、実を結んではいない。前にゴゴに尋ねた所、あいつは間桐邸にある蔵書には一通り目を通して理解したと言っていた。 その時は魔剣ラグナロクを扱うのと氷属性の魔法を覚えるのに忙しくてそれどころじゃなかったんだが、一体、どうやってこんな間桐臓硯専用の魔道書を読み解いたのやら・・・。 ―――駄目だ。 結界の外側から近づいてくる誰かから意識を逸らしたくて、思考が関係ない方向に飛んでいく。 仕方なく俺はちゃんと結界の外に意識を向け、目に見える部屋の風景とは別の風景を頭の中で見る。 一年前から始まったご近所付き合いは成果を出し始め、自動車が突っ込んで放置されていた時に『何かある』と言われ、ゴゴが来る以前は幽霊屋敷とすら噂されていた間桐邸も。今ではちゃんと人の住んでいる大きめの家として認知されている。 やはり桜ちゃんの送り迎えや、人が起きだす時間を狙っての道路掃除や庭の手入れやらが功を奏したと見るべきだろう。魔石『マディン』の恩恵により、眠らず疲れずの肉体になれたのをありがたく思う。そのお陰でこれまでは無かった訪問販売や町内連絡やらで間桐邸を訪れる人も増えたが、今、向かってきているのはそのどれでもない。 そいつの住んでいる場所は間桐邸から遠く離れていて、間違っても『ご近所』では括れない。そして少し離れた場所に住んでる桜ちゃんの学校の友達でもない。 目で見る以外の方法で間桐邸の外を見る俺の心はある言葉を繰り返していた。 またか・・・。 また来たのか・・・。 見るまでも無く、特定の曜日の、特定の時間に接近してくるものがいれば、それが誰がなのは事前に判る。 だから考えたくない。けれど、間桐邸の結界そのものと言ってもいい、今の俺にはその来訪者の存在をしっかりと認識してしまう。 休日の昼間に全速力で自転車を漕いでわざわざ間桐邸を訪れる奴。しかもそれが一メートルを少し上回るぐらいの大きさともなればもう一人しかいない。 またか・・・。 また来たのか・・・。 俺はまた頭の中で同じことを繰り返しながら、大きくため息をついた。 いっその事、落ち込んでいくこの気持ちを向かってくる奴に教えてやれればいいと思ったが、こいつはそれを知った所で現状を改めるような奴じゃない。そんな諦めのいい奴ならこんな事態には陥っていないのだから。 急ブレーキをかけて自転車を止め、俺にとっての疫病神が間桐邸の門扉の前に静止する。 そしてインターフォンを押す時間すら惜しいとばかりに間桐邸の全域に聞こえる大声を発した。 「ごめんくださーい!!」 出来れば無視したいのだけれど、間桐邸に張られた結界は余すことなく伝わってきた音を結界の起点である俺に教えてくれる。仮に結界を通して俺が見ていなかったとしても、子供特有に甲高く大きな肉声は恨めしい事に俺の部屋までしっかり届いていた。 どうして子供の声と言うのはこうも聞き取りやすいのか。親が子の危機を感知する為に聞き取りやすい波長なのだとか、何かしらの理由があるのだろうが、今の俺にとっては気落ちする材料でしかない。 聞かずに済ますのは無理だった。 「誰かいらっしゃいますかー!」 そいつは―――その子供は道路から間桐邸に向けて更に訴えかける。 もはや慣例となってしまったので『行事』と言うのが正しい訪問は主に休日に昼間に行われ続けている。そしてそのたびに俺は電話をとって、子供の保護者の所に電話を入れるのだ。 腰かけていた椅子から立ち上がり、備え付けの電話に手を伸ばしてとある番号を呼び出す。もう、数えるのも嫌になる程繰り返してきた動作なので、考える以前に手がその番号を覚えている。 呼び出し音は二回。こうして間桐邸から電話がかかってくるのは向こうも承知しているので、受話器の前で待ち構えていたのだろう。そうでなければこれだけ早く電話に出られる説明が出来ない。 「間桐雁夜です」 本来ならここで『今、お時間よろしいですか』や、電話をかけた先が間違っていないか確認する所なんだが。この電話だけは間違える自信が無い。 いっそ間違えられたらどれだけ楽か―――。電話をかけた先を間違えてしまえば事態が長引くと判っているので、絶対に間違えないようにしている俺がいる。 嫌な自信だ。 「お宅のお子さんがまたやって来てるんで引き取ってもらえませんか? 何度も言いますが、近所迷惑で困ってるんです」 「・・・・・・・・・判りました」 数瞬の後、渋々と女の声で承諾の意が返ってくる。 話しを続けてもお互い悪態しか出てこないのは判っているので、無礼と知りつつも俺は即座に電話を切った。 「・・・・・・なんで、俺がこんな事を――」 電話を終えた俺はすぐに玄関から外に向かい、今も門扉の向こう側から間桐邸に向けて声を出し続けている子供の元へと走る。 そして十秒とかからずに玄関を開け放ち、子供を叱りつける親というよりは憎しみも殺意も込めた敵を見る一人の戦士として怒気を放つ。 そこまでしなければこの子供が止まらないと判っているからだ。もっとも、一週間か長くても二週間もすればすぐに過去を忘れて再突撃してくるんだがな・・・。 「喧しいぞ士郎、とっとと帰れ!!」 気弱な人間なら失神してもおかしくない位の覇気を込めて怒鳴ったが、この子供―――士郎はこの一年で何度も味わってるから慣れが出てきたらしく、ビクッ! と体を震わせて声を止めるだけに終わった。 最初は顔面蒼白になって硬直してたのに、段々と図太くなってきやがる。 「・・・・・・こんばんは、雁夜さん」 「お前に気安く呼ばれる程、親しい仲になった覚えは無い。よって帰れ、すぐ帰れ、迷惑だから帰れ」 士郎が間桐邸にこうして突撃するようになったのは聖杯戦争が終わり、俺と桜ちゃんとミシディアうさぎとの生活を確立しようとしていた頃・・・。正確な日数は覚えていないが、戦争終結から二か月ほど経った後だ。 士郎がわざわざ間桐邸を訪れる理由は求める『魔術』の取っ掛かりが間桐にこそあるからに他ならない。他に魔術に連なるモノが見つからないと言い換えてもいい。 ついでに言えば、士郎は言葉では言い表せないとしても直感的に理解しているのだろう。こちらが一般人に魔術が秘匿されるならばどれだけ悪辣な手段であろうとも行使する普通の魔術師とは違い、むしろ『普通の魔術師』とは一線を介するせいで強く出れないという事を間違いなく判っている。 だから何度も家に来る。 だから何度も大声で間桐の誰かを呼ぶ。 だからわざわざ新都から冬木大橋を渡って深山町に入り、何度も何度も間桐邸を訪れてはとんでもない事を堂々と言えるのだ。 「お願いします! 僕に魔法を教えてください」 「そんな子供の夢物語に大人の俺を巻き込むな、こっちだって色々と忙しいんだよ。そんなに『魔法』が知りたきゃ絵本のシンデレラでも買って魔女を参考にしろ、オズの魔法使いでも買って読んでろ」 「そんな嘘っこじゃなくて本当の魔法が知りたいんです」 「俺が知る訳ないだろうが。子供のお遊びなら余所でやれ余所で、うせろ」 いつも思うが、二桁にも達してない子供にしては街をほぼ二つ分移動するとは異様な行動力だ。俺が『マディン』の力を継承したのと同じように、士郎の中には『鬼神』の力が残ってるんじゃなかろうか? 当たり前だが士郎に魔術を教えられる訳がない。たとえ、三闘神の『鬼神』を授かった同類であり、その事実から魔術面において桜ちゃんと同等程度の才能を有していたとしても、士郎は脈々と続く魔術師の家系でも何でもない一般人に過ぎない。 そもそもわざわざ魔術について教えてやる義理は無く、殺されないだけありがたいと思って欲しいぐらいだ。 士郎の両親は度々間桐邸に突撃する息子を叱っても、それ以上に俺達を―――、ゴゴのいない今となっては当事者は俺だけになっちまったが。衛宮切嗣という大量殺人者が警察に逮捕されたと知っている筈なのに―――ついでにとある事情で衛宮切嗣は法の手から脱獄したのだが―――今だに『間桐』を毛嫌いし、何か得体のしれない力を使う異邦人だと思ってやがる。 きっとあの家で間桐は宇宙人と同列扱いなのだろう。 表の世界からは隔離された『魔術』の件があるから、ある意味で奇異な目を向けるのは間違ってないんだが、殺人者と同列に見るのはいい加減やめてほしい。大体、こっちを怪しんでみるのなら、縛り付けてでも士郎が来ない様にすべきじゃないだろうか? 電話を受ける前にもう息子が間桐邸に突撃しているのは向こうの家に伝わっている、いや、判っている事なので。門扉を挟んで怒鳴りあう俺達の会話が始まってから、二分と経たずに自動車がやってきた。 士郎の後ろに停車した自動車の運転席に座っている男が俺を見る。 当然、こっちも見返す。 もう何度見たか判らない。見るたびに『いい加減、これで見納めにしたい』と思ってる士郎の父親が運転席から出てきた。すぐに士郎の両脇に手を突っ込んで、逃げられない様に持ち上げた。 「何度も言ってだろうが、間桐さんのお宅にご迷惑をかけるんじゃない。さあ、帰るぞ」 「やだ!!」 俺に話しかけてきた時は少し敬語が混じった話し方だったが、どうやらそれは剥がれるメッキだったらしく、段々と口調が子供っぽく―――自分の主張をまず押し通そうとする感情で話す調子に変わっていく。 俺は騒ぎ立てる士郎を見ず、抱きかかえている父親の方を見て言った。 「こっちとしてはいい加減にして欲しいですけどね、お子さんの妄言に付き合うのは時間の無駄なんですよ。父親としてちゃんとしてくれませんか?」 「・・・・・・ええ、判っております。ご迷惑をおかけしました」 口ではそう言ってるが、前述の通り、俺を見る目は心の底から謝ろうとする者の目ではない。むしろ、何かを隠している犯罪者を糾弾しようとする目で見てやがる。 もしかしてこの男。士郎をわざと間桐邸にやってこさせて、こっちの悪事を暴こうなんてとんでもない事を考えてたりしないだろうか。一年前のやり取りで懲りてなかったらありえそうな考え方だ。 子供の力では父親には叶わず、自動車の助手席に放り込まれていく士郎だが、その目が『また来てやる』と語っている。頼むから、間桐にも魔術にも関わらないでほしい。 いっその事、警察にでも通報して『子供が何度も家を訪れて困ってます』と相談するのも考えたが。現時点ではピンポンダッシュや石を投げて窓を壊したりなど、明確な罪を犯した訳じゃない。ただ家の前で喧しく騒ぎ立てているだけなので、親を含めて口頭での注意に終わる可能性が高い。 桜ちゃんが通っている小学校でもたまに見かけるから大声で話す子供など珍しくは無い。 俺は口頭程度の罰で事態が終わるとは思えなかった。 去りゆく自動車を見送りながら、次の休日には子供の姿をした爆弾がまた投下されるんだろうと考える。 聖杯戦争が終わってから一年。魔術師たちの闘争に巻き込まれた士郎と俺達が知り合ってからも一年。あの日を境にして多くの問題が解決し、別の問題が多く出現した。 「・・・・・・なんで、俺がこんな目に――」 さっき呟いた言葉と似たような事を呟きながら、俺は間桐邸の中へと戻っていく。 士郎が突撃し始めた当初、ご近所の方達から『何事だ!?』と間桐邸の周囲に野次馬の山が出来ていたが、今では『またか・・・』と諦めてわざわざ見に来る者もいない。 騒ぎ立てられるよりは傍観してくれた方がありがたいが、このやり取りを間桐の日常の一コマと認識してもらうのは困る。本格的に士郎の対処について考える時が来たのかもしれない。 そんな風に精神的な疲れを感じながら部屋に戻ろうとすると、二階から降りてくる者を感じた。 階段を下りる音は小さくないので耳を澄ませば聞こえてくるが、俺は聞こえる音を判断して誰かが降りて来てると判った訳じゃない。間桐邸を包み込む結界が、五感以上に邸内の様子を俺に教えてくれるからだ。 ありがたくもあり、迷惑でもあるこの結界。ただし解除する気は全くない。 蟲爺とゴゴがそれぞれどんな風にこの結界を扱っていたのかを考える前に、階段を降り切った小柄な女の子が俺の視界に飛び込んでくる。 一年前、いや、ゴゴが現れた時から考えれば二年前からその小柄な女の子が誰かなのは結界の有無に関わらず誰か判っていた。けれど、今、それは確定した女の子ではなく『どちらか』になってしまった。 嬉しくないと言えば嘘になる。 まだ二階に留まって勉強に励んでいるもう一人の女の子の事を思えば、今の状況は望んですらいる光景だ。 けれどこの状況に弊害があるのもまた事実。俺は降りてきた女の子―――二年前からだったらそれは確実に桜ちゃんだったんだが、そうではないもう一人女の子―――に向けて声をかける。 「やあ、凛ちゃん」 「こっちまで怒鳴り声が聞こえてきたわ。またなの?」 「ああ――、まただ」 「ふうん・・・・・・。いい加減、諦めればいいのにね、その子」 ツインテールを黒いリボンでまとめ、右側に降りた髪を指で弄りながら話す少女『遠坂凛』。 聞き分けのない年下の子供を諭すように話しているが、確か士郎と凛ちゃんは同じ年だった筈。精神的に成熟しているのはどちらかなのかは考えるまでも無いので、凛ちゃんの話し方は間違ってはいない気もする。 「そっちはどう?」 「全然、ダメ。遠坂の魔道書と全然違うんだもの」 「それを言われると辛いな・・・。正直、魔術の読解については俺も桜ちゃんも力になれないから」 「でも平気。絶対に解読してみせるから」 勝気な笑みを浮かべる凛ちゃんからは悲愴な様子は欠片も見えず、桜ちゃんが養子に出された事や聖杯戦争の事で落ち込んでいた時に見せていた悲しげな顔は全く無い。かつて病室で見た『コトネ』と言う名前の少女が起きて、これまでと同じように学校に行けるようになった話も関係している筈だ。 そんな凛ちゃんを追いかけて、二階からもう一人の女の子が姿を見せる。五感で感じる間桐邸とは違う頭の中にだけ存在し、結界によって構築されるもう一つの間桐邸の様子から見る以前に近づいていると判っていたが、理解しているのと目の当たりにするのとでは趣が異なる。 もう一人の女の子、桜ちゃんが凛ちゃんを追って階段を下ってきた。 「お姉ちゃん――。ここが読めないから・・・」 教えて、と続ける前に俺が居るのに気付いて、持っている本―――おそらく小学校の教科書と思われる―――を閉じて胸の前で抱きかかえた。 強く抱いたせいで本がひしゃげて妙な折り目が付いてしまったが、桜ちゃんは気にせずに握りしめ続ける。 もしかして俺に勉強している所を見られたのが恥ずかしいのか? それとも『お姉ちゃん』こと凛ちゃんに聞こうとしたのを見られて恥ずかしいのか? 判らん。 以前から『判ってる』等と豪語するつもりは無いが、女の子の考えは俺にとっては未知の領域だ。一緒に生活するようになって少しは判ったつもりになっていても、生活や環境が変わればそれに合わせて色々な事も変わって理解していたつもりの事が判らなくなってしまう。成長していくにつれて身長はお互い近づいているが、心の壁はどんどん大きくなっていく。 世のお父さんは同じように娘との付き合いに苦心しているのだろうか? 何がそんなに恥ずかしいんだ桜ちゃん? 俺には判らないよ。 「い・・・行こ、お姉ちゃん」 「桜――」 凛ちゃんが何か言うよりも早く、桜ちゃんは凛ちゃんの腕を掴んで二階に走って行ってしまう。 あっという間に目で見える範囲からいなくなってしまうが、結界から伝わってくる情報で元々二人がいた部屋へと戻っていくのが判る。戻る先は桜ちゃんの部屋だ。 仲良く戻っていく凛ちゃんと桜ちゃんの背中を見送りながら、俺はこうなった経緯を思い出す。 聖杯戦争が終わった時から始まった遠坂と間桐の会談。間桐と言うより、俺には俺の言い分があり、遠坂には遠坂の言い分がある。 その二つは決して交わることは無く、こちらは生粋の魔術師である遠坂に対して妥協するつもりは無く、あちらは落ちぶれた間桐に対して譲歩するつもりは無い。ようするに間桐と遠坂の盟約やその他の魔術の問題について、一年経った今でも折衷案すら出来ていないのが現実だったりする。 両家が率先して問題を解決しようとしてないのも大きな理由の一つだと俺は思う。 そのお陰か、凛ちゃんと桜ちゃんが同じ学校に通っている状況は継続され続け、今では名字は違っても仲のいい姉妹として定着しつつある。 もっとも。学校については桜ちゃんから聞く話が殆どであり、客観的事実に基づく話ではないのでどこまで本当かは判らない。 口さがない子供が名字の違う二人をからかったと言う話も聞いたが、そのいじめっ子はクラスどころか学校でも一目置かれている凛ちゃんから強烈な制裁を受けて二度と同じ事を繰り返さなくなったらしい。繰り返すが俺にはその真偽を確かめる術は無い、ただ桜ちゃんから聞く話を信じるだけだ。 何をしたんだ凛ちゃん・・・。 その凛ちゃんがたびたび間桐邸を訪れるようになったのは三か月ほど前からだ。 遠坂の娘『遠坂凛』と間桐の娘『間桐桜』。共に血の繋がった姉妹でありながら、今では別々の魔術師の家の子供となった娘たち。 魔術を基本に考えるなら、両家にて秘匿されるべき魔術の漏洩を防ぐ為。そして無用な争いを生まぬ為に、接触は最低限に抑えるべきだ。 だが俺はそんな魔術師の事情なんてどうでもいい。普通の魔術師がどう思おうと、優先すべきは桜ちゃんの幸福であり、桜ちゃんが凛ちゃんと近づこうとするのならば、その為に俺が最大限の努力をするのは当然だ。 これまで何度か行われてきた間桐と遠坂の会談で『二人の姉妹をもっと仲良くさせるべきだ』と申し出たが、魔術師の視点で考えるあの夫婦が承諾したことは無い。 けれど凛ちゃんは間桐邸にいる。 思い返せば凛ちゃんがやってきた日の事を昨日の事の様に脳裏に浮かべられる。 俺にとっては完全な敵である遠坂時臣と遠坂葵の姿は無かった。ただ一人―――休日の昼間に来訪した小さな女の子はインターフォンを介して俺にこう言った。 「・・・・・・・・・ねえ、桜はいる? 会いに来たの」 俺はその時に見た桜ちゃんの顔を一生忘れないと思う。 凛ちゃんの訪れを知って。恥ずかしそうに、けれども嬉しさを抑えきれず、『嫌いになりたくない』『好きになりたい』を一緒にしたみたいな破顔を忘れない。 最初は時臣が仕掛けてきた罠かと思ったが、結界の中に入ってきた凛ちゃんは攻撃魔術に関連する何か―――たとえば遠坂お得意の宝石魔術―――は何一つ持ってなくて、攻撃の意思は欠片も感じなかった。 本当に、ただ、凛ちゃんは桜ちゃんに会いに来ただけのようだ。 そんな奇妙な来訪が始まり、そして休日ごとに繰り返され、もう回数は二桁を超えている。 凛ちゃんは間桐邸を訪れ、桜ちゃんと一緒に話したり、遊んだり、時には一緒におやつを食べたりして時間を浪費する。 そんな風に凛ちゃんが桜ちゃんに会いに来て四回目の時だ。凛ちゃんは俺に向けてこう言った。 「間桐の魔道書ってどんなの? 遠坂のとは違うの?」 その後に続いた『見せて』の言葉を聞き終えた時、俺は凛ちゃんの向こう側にいる時臣の邪悪な笑みを見た気がした。 今の凛ちゃんは魔術師に成ろうとしている一人の女の子であり、遠坂の魔術以外にも知れる機会があるなら間桐の魔術に興味を示しても不思議はない。聞いた言葉をそう解釈しようとすれば出来るが、俺は凛ちゃんにその言葉を言わせたのが時臣であるとほぼ確信している。 そもそも遠坂の立場で考えれば、娘が間桐に近づくのを許す筈がない。一度なら凛ちゃんの独断の可能性もあり得るが、複数回続けばあの夫婦が察知できない筈は無い。確実に凛ちゃんが間桐邸に来ているのを知っている筈。 それでも凛ちゃんが何度も間桐に接触できているのは、あの遠坂夫婦がそれを許しているかだ。 おそらく時臣はまだ聖杯戦争の再開を諦めてはいない。 しかし遠坂家だけでは冬木の聖杯戦争の実現は不可能であり、他にも間桐とアインツベルンの秘術が必要になる。だから凛ちゃんを使い、間桐の魔術を探りに来た―――。 直接、凛ちゃんに確かめてないし、凛ちゃんに遠坂の尖兵としての自覚があるかは判らないが、時臣に関してはそうだろうと確信している。状況がそう物語っているのだから。 普通の魔術師の基準で考えれば遠坂の娘が間桐の魔術を盗み見ているのに他ならない。魔術師として考えれば敵の侵攻であり、殺しても文句は言われないと思う。 だが俺はそれをしない。 凛ちゃんが間桐の魔術の閲覧を欲した時、桜ちゃんもその場に居て、お姉ちゃんと一緒に同じことを勉強できる・・・。とでも言わんばかりの顔で俺を見上げたのだ。 俺にとっての最優先事項は桜ちゃんの幸せであり、桜ちゃんが凛ちゃんの行動を認め、それを許容するなら俺も受け入れる。 魔術の隠匿など知った事か。凛ちゃんとて同じ魔術師の家系だから問題は無い。 時臣は自分と葵さんが直接間桐に赴けば、敵として排除されると判っている。けれど凛ちゃんだったら桜ちゃんのことも合って、俺が手を出せず、それどころか凛ちゃんが望む通りに動くと考えているに違いない。 その通りだ。 忌々しいが全くもってその通りだ。 俺は絶対に凛ちゃんを敵としては見れない。 桜ちゃんが凛ちゃんを姉と慕い、その存在を受け入れる限り、凛ちゃんもまた俺にとって仲間なのだから。 時臣の手のひらの上で踊っている自覚はあるが、桜ちゃんと凛ちゃんが姉妹として過ごせるのなら仕方ないと妥協する。その内、桜ちゃんにはよその魔術師に自分の家の魔術を教える危険性をじっくり話す必要があるが、それはそれだ。 このまま行けば凛ちゃんが間桐の魔術を網羅する日が来るかもしれないが、聖杯戦争に関しては間桐邸に残っているモノでは何も役に立たないと俺は思っている。 何故か? 信じているからだ。 今の俺にはさっぱり判らない事だらけだが間桐邸の中に残る臓硯の遺品や魔術書には魔術的な価値はあるだろう。間桐は元々使い魔に造詣深い家系なので、卓越した蟲使いであった蟲爺こと間桐臓硯が残した使い魔に関する事や、間桐の魔術属性『水』に関する事などは多く残されていると思う。 だが聖杯戦争の事については全く残っていないと俺は信じている。 聖杯戦争を破壊し、もう二度と起こらない様に破壊し尽くしたゴゴが再開する為に必要な情報を残して行ったとは考えられないからだ。 アインツベルンを本家ごと消滅させたり、円蔵山の地下に敷かれていた魔法陣『大聖杯』を消し去ったり、あいつは二度と冬木の聖杯戦争が起こらない様にあらゆるモノを壊して居なくなった。だから間桐が―――厳密には臓硯だけが知っていた英霊を使い魔にするサーヴァントシステムや令呪についての魔道書やメモが残っていたとしたら、それを自分の中に物真似して取り込んだ後、全てを消し去った筈。 俺の知識と蔵書を読み解く遅さでは何が残されているかを解読するにも時間はかかるが、間桐邸に残っている物の中に聖杯戦争に関連する物は無い。俺はそう信じる。 そんな訳で凛ちゃんが間桐の魔術を見るのは問題が無い。時臣の思惑は別にして、このまま桜ちゃんとは仲のいい姉妹として交友を温め続けてほしい。むしろ間桐の魔術について凛ちゃんが理解したなら、俺の方こそ教えてもらいたい位だ。 凛ちゃんが桜ちゃんなど最初から興味は無く、間桐の魔術のみを求める可能性は見当違いの憶測であってほしい。今は妹を気遣う姉としか見えないけれど、敵についてはまず疑うところから修練を始めた俺はどうしても最悪の可能性を考えてしまう。 「・・・・・・・・・まさか、な」 誰にも聞かれずに呟いていると、凛ちゃんと桜ちゃんが完全に部屋に戻って各々の勉強を再開し始めた。 意識してしまうと即座に間桐邸の中が判ってしまうのが結界の悪い点だ。誰しも自分以外には知られたくない事があるだろうが、この結界はその知られたくない部分や見られたくない部分も判ってしまう。 他にやるべき事があったから後回しにしてきたが、結界を何もかもが判る状況から作り替えるのを課題の一つとして考えなければならない。 そう思っていると、台所から凛ちゃんと桜ちゃんより更に小柄な生き物が動くのを感じ取った。 今の間桐邸の中で俺と桜ちゃんと凛ちゃん以外に動く生き物で、しかも俺の腰よりも更に低い高さの生き物は一匹しかいない。そいつは台所からゆっくりと歩いて俺の前に姿を現し、そのまま二階へと通じる階段へと向かう。 ミシディアうさぎのゼロ。頭の上に被っている麦わら帽子の部分に『0』と刻まれ、器用に二本足で歩くウサギなのにウサギじゃない生き物がそこにいる。 ゼロは青いマントの隙間から小さな両手―――ウサギなので両前足とでも言うべきもので器用に御盆を持ち、その上に乗っかっている二つのコップに入ったオレンジ色の液体をこぼさない様に運んでいた。 俺の記憶に間違いがなければあれは冷蔵庫の中に入っていたオレンジジュースの筈。 どうやって冷蔵庫を開けた? ジャンプして冷蔵庫にしがみ付き、両前足か長い耳で開けたんだろう。 どうやってオレンジジュースを注いだ? 予めテーブルの上に用意しておいて、自分もテーブルの上に乗っかって注いだんだろう。 どうやって冷蔵庫に戻した? 開けた時と逆をやったんだろう。 今更ゼロがウサギらしからぬアクロバットな動きを見せるのは驚くに値しない。帽子とマントを着込んだウサギに見えるのは見た目だけで、その実、ゼロの実態は動物ではなく魔力によって編まれた魔法生物であり、桜ちゃんの使い魔だ。 主の為に冷たいジュースを用意するぐらいは出来て当然だ。 そんなゼロが階段を一段ずつ跳び上がる前に振り返って俺の目を見る。 そして鳴いた。 「むぐ~」 間桐邸の結界と魔石『マディン』を受け継いだおかげで、今まで以上にミシディアうさぎが何を言いたいのかが判るようになった。 だからゼロが何を言いたいのかが判る。 『そんな所で突っ立ってると邪魔だぜ』であり、『お前さんはお前さんでやる事があるんじゃないのかい?』だろう。細かい部分は違うかもしれないが、大筋は間違っていない筈。 一瞬だけ俺の目を見た後、ゼロは小さく跳び上がって階段を一段ずつ登り始めた、小さく跳ぶごとに持っているお盆に乗っかったコップが倒れそうになるが、あれは確実に桜ちゃんと凛ちゃんの元へと届けられると判っているので、ゼロの事も桜ちゃんの事も凛ちゃんの事もとりあえず思考の外へと追いやる。 片づけなければならない急ぎの問題は士郎だ。いい加減、一般人が魔術師の家にお宅訪問して魔術の指導を願い出るこの状況をどうにかしなければならない。 俺は私室に戻りながら、ゴゴに教わった魔法ではなく、この世界に根付いた魔術を用いなければ解決の糸口すら掴めないだろうと考えた。何しろ俺がゴゴから学んだのは戦闘用の技術であり魔法なので、人を斬ったり倒したり殴ったり殺したりにはうってつけだが、生かしたままどうにかする術が無い。 魔術師たちの常識を毛嫌いする俺は士郎の一家を惨殺して証拠隠滅するなんて物騒な手段は行えない。 だからこそ臓硯の遺作を掘り返している所だが、何が書いてあるのかすら満足に読めない状況では解決の目処は見えないままだ。 どうする? どうするよ? 俺は部屋の中にあったアジャスタケースを持ち上げ、その中に納まっている魔剣ラグナロクを引き抜いた。 剣を握ると戦いに赴くときの緊張感が体の中を駆け巡り、冷水をかけられた様に頭が少し冷える。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 日本の冬木に足を踏み入れると一年前に起こった出来事が鮮明に蘇る。 もう一年・・・。過ぎ去った時間は体験として僕の中にちゃんと刻まれて、あの時には無かった一年の歳月が作り出す体験が僕の中にある。 だけどその記憶とは別に、それどころかこの一年で知った事よりも聖杯戦争については強く深く思い出せる。それが僕の体験した戦い、僕の心に刻まれたライダーとの思い出だ。 時計塔に戻った僕は『ライダーとサンと再会する』と『英霊に匹敵する偉業を成し遂げる』をこれからの行動理念の基本骨子にして動き始めようとした。けれど、その前に不在期間中の報告やら色々とやらなきゃならない事が合った。 何しろ僕がケイネスが取り寄せた聖遺物を盗み出して聖杯戦争に参加したのは純然たる事実として知れ渡っていたので、『ちょっと休んでいました』なんて嘘をつく訳にもいかなかったんだ。 仕方なく僕に判る範囲で報告書をまとめて、講師に―――もちろん聖杯戦争で亡くなったケイネスじゃない―――に提出した。 そこから爆発的に話が広がった。 よく生き残れたな? どうせ、最初から最後まで逃げ回ってただけじゃねえのか? とか。 お前が征服王イスカンダルなんて呼び出せただけでも奇跡だぞ。とか。 結局負けて戻ってきたのかよ、まあ、それがお前の器って事だ。とか。色々言われた。 中には『ウェイバーがケイネスを密かに殺した』なんて言う人もいるけれど、魔術師としての僕の腕前を知ってるので―――聖杯戦争の前だったら、そんな未熟さを僕自身が認めなかっただろうけど―――僕がケイネスを殺したなんて話はすぐに消えた。 噂なんてそんなもんだ。僕の報告書とそれ以外の伝手から手に入れた情報から真実を知った気になってる奴の言う事なんて今の僕には響かない。だって、起こった事実は僕の胸の中に刻まれるんだから。 冬木の聖杯戦争で何が起こったかを知りたがる人が続出して、これまでは僕の事なんて見向きもしなかった奴らも話しかけてくるようになったのが鬱陶しかった。 殆どの場合は高慢な態度で『話しかけてやってるんだからさっさと話せ』って全身で言ってるから、絶対に話してやらないけどね。 知りたければ自分で調べろ。 ただ・・・状況を正確に知りたいと思っているのは僕も一緒だ。あの日、あの時、冬木の地でどんな戦いがあり、どんな思いがあって、どんな風に終結したのかは今も謎のままだ。 時計塔の上層部は僕からの報告以外にも色々な伝手を使って情報を仕入れてるみたいだけど、それでも全容解明には至ってないみたい。もし全部知ってたとしたら、一年も経ってるのに僕に話を聞いてくる訳ない。 まだ明かされていない謎が幾つもある。魔石とか、竜種とか、聖杯の行方とか、無関係だと思えたけど事情通だった何人とか・・・。 ありのままを報告したら『君、嘘の報告は止めたまえ』って嘘つき呼ばわりされたから、今はお返しに『何度同じ事を聞くんですか? 僕はもう報告し終えました』って言い返してる。 そうやって聖杯戦争定期報告書には同じような事を何度も何度も何度も書いてやって向こうが音を上げるまで繰り返してる最中だ。 もちろん報告する以外にも魔術に関する研鑽は休まず行い続けて、今も継続中だ。今は亡き憎たらしいケイネスが破り捨てた僕の持論を更に強化したり、これまでは見向きもしなかった他の魔術師たちに目を向けたりして、僕は『どうすればいいか?』『何が必要か?』『何をすれば高みへと昇れるか』って今まで以上に考えて、広い範囲を見つめてる。 世界は広い。 才能は多い。 磨けば光る価値は数多い。 方法は果てしない。 学ぶことは尽きない。 出来る事は山のようにある。 立ち止まってる時間は無い。 聖杯戦争を味わう前の僕は周囲の奴らが全部視野の狭い馬鹿勢揃いだと思ってたけど、僕だって自分の論理の正しさを証明するのに躍起になってて自分の視野を狭くしてた。 そうやってこれまでとは違った視点から魔術の研鑽を行いつつ、僕はアーチボルト家についても考えてる。 あの忌々しいケイネスの生家。九代続いた由緒正しい魔術師の家系、それがアーチボルト家なんだけど。正式後継者だったケイネスが婚約者のソラウって人と一緒に聖杯戦争で亡くなった。僕とライダーが介在する余地なんて全く無くって、正直『気がつけば居なくなってた』って言うしかないから僕が気に病む必要なんて全くないと思いたいんだけど・・・。もし僕がライダーを召喚するための聖遺物を盗み出さなかったら、あのケイネスだって死なずに聖杯戦争を終えたかもしれない。 もしかしたらケイネスこそが聖杯戦争に勝利して聖杯を手にした未来だってあったかもしれない。あいつが勝利した未来なんてゾッとするから考えたくないんだけどね。 終わったことに対して事実とは無関係な仮定の話を考えても意味は無いけど、どうしても『もし』を考えちゃう。 聞いた話ではアーチボルト家はケイネスの死亡と共にこれまで受け継いできた魔術刻印を失い、魔術師の家系として没落するのは目に見えてるらしい。 責任の一端は僕にある・・・と思う。 だからアーチボルト家に対しても何かできないかな? って僕はいつも頭の片隅で考えてるんだ。 実は体も鍛えてる。 あいつにデコピンだけで吹っ飛ばされたのが悔しかったから、少しだけど筋力トレーニングも行って、一年前に比べたら少し背も伸びて頑丈になったつもりだけど、比較対象が二メートル越えの巨漢だから体格は追いつける気も越えられる気もしない。 一年を振り返れば色々な事が思い出せて、それに匹敵するぐらいの強烈さでライダーと過ごした数日間が目に浮かぶ。 受肉を望んだ征服王イスカンダル。 少女の姿をした暗殺者の英霊。 果てしない砂の大地、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)。 時計塔は今もあの日に何が起こったかを正確に知る為に部隊を派遣している。だけど率先して情報を報告すべき監督役が亡くなってるので、僕から見た一方向からの聖杯戦争とか断片的な情報しか手に入れてないみたい。 そのお陰でこうして僕と同じく聖杯戦争を生き残った者達―――遠坂と間桐を調査する為に接触するって大義名分で堂々と冬木に来れるんだけどね。 もし間桐と接触出来たら僕たちの味方をしてくれたカイエンがどうなったかを聞こうと思う。そんな聖杯戦争の調査は魔術師としての僕がここにいる理由で間違いないんだけど、僕個人、ウェイバー・ベルベットにとって冬木に来た一番の理由は聖杯戦争の調査じゃない。 あの人達に会いに行くためなんだ。 赤の他人だけれど赤の他人じゃないグレンさんとマーサさん、マッケンジー夫妻に会いに行くのが僕がここにいる一番の理由だ。偽りの孫『ウェイバー・マッケンジー』になる為に僕はここにいる。 そうとは考えつつも、グレンさんにはもう僕が本当の孫じゃないと知ってるし、他言無用でこの世界には魔術とか吸血鬼とか表の世界の常識に照らし合わせれば夢物語みたいな事が実在してるって話してあるんだ。そしてライダーも、サンも、過去に名をはせた英霊であり、もう死んでいるって事も・・・話してある。 グレンさんは僕との約束を守ってくれて、今もずっと沈黙を保ってくれている。その代償としてなんだろうけど、グレンさんは僕に『一年に一度でいいから、マーサに夢を見せてやってくれんか?』と言った。 そして聖杯戦争が終わってから一年が経った。 僕は約束を果たす為にここにいる。 ただし暗示をかけるのはマーサさんただ一人。別の魔術を重ねてマーサさんの記憶の中に孫としての僕は残らないけれど、楽しい時間を過ごした想いは心の中に残る。 これから僕は冬木に滞在する間だけ、泡沫の夢をグレンさんと一緒に作り上げるんだ。 だけどそれはそれとして時計塔に属する魔術師の一人としてちゃんと仕事もやらないといけない。 まさか滞在時間の全部をマッケンジー宅で過ごして、調査結果を『目新しい情報なし』なんて言えば、こっちが処罰されかねない。作り出す夢と約束は大きな理由で、生き証人として別視点から新しい事実を探り出すのは小さな理由、どっちもちゃんとやらなきゃね。 そこで僕はマッケンジー宅へと行く前に間桐邸に使い魔のネズミを送り込む為に準備を進める。 無駄になるかもしれないけど、ネズミの口に紙片をくわえさせておいた。『お話したい事があります』とだけ書いた小さな紙で、とりあえずその反応を見てからどうするか決めよう。 使い魔が間桐邸に着く前に排除されるかもしれない。 紙片に気付いて見てもらえるかもしれない。 生かされた使い魔を通して『何者だ?』って問われるかもしれない。 問答無用で敵と認識されるかもしれない。 どうなるかな? ちょっと楽しみ。 一年。言葉にすれば短いけれど、聖杯戦争が行われていた時の不穏な空気が無くなるには充分すぎる長い時間だった。 魔術師の僕の視点で見ると、冬木を覆っていた濃密な魔の気配が跡形も無く消えてるのが判る。 街の風景は殆ど変っていなかったけど、以前は見かけた物が無くなってたり、無かった物が出来ていたりしてる。前にあいつと―――マッケンジー夫妻を含めたあいつ等と一緒に歩いた新都にある繁華街も様変わりしていて、前は見かけた店が無くなって別の店になってたりしてた。 僕が買ったライダーの伝記、今では時計塔の僕の生活の一部となってる本『ALEXANDER THE GREAT』を買った本屋は今も変わらず本屋を続けてたのを見かけた時は少し嬉しかった。 真っ直ぐマッケンジー宅を目指すならここに寄る必要はなかったんだけれど、聖杯戦争の時との変化を知るのも大切だからと立ち寄ってみて良かったと思う。 思えば僕とライダーが・・・、あの時は気付いてなかったけど暗殺者のサーヴァントだったサンが一緒に居たから、ここにいた人たちは僕らを狙った敵の攻撃に巻き込まれた。 カイエンの力で人的被害は出なかったみたいだけど、物的被害はどうしようもなかったから、店を壊されて止めるしかなかった人はきっと大勢いたんだろう。 だから店を畳むことになった人もいた。 僕たちがここにいたから―――。 起こってしまった事実は変えられず、過去はここにある今の礎になって存在する。だからここを変えてしまった理由の大半を担っている僕は何とも言えない気持ちを思わずにはいられない。 今更『ここが変わってしまったのは僕らがここにいたせいです』なんて言い出すつもりもないし、僕自身ここにいる人たちに何かをするつもりも無い。ただ思うだけで終わるんだけど、心は止められなかった。 「・・・・・・・・・」 誤魔化すみたいに視覚を借りて使い魔の動向を探ってみる。まだ間桐邸に向かってる最中だった。 ネズミの短い脚に移動を全部任せると時間がかかり過ぎるから、移動距離の多さを電車か自動車か他の移動手段に便乗して賄おうとしてる。 見つかって一般人に退治されないといいんだけど。 意識を切り替えてもう一度繁華街を見渡すと穏やかな雰囲気が広がっているままで、一年前にここで魔術師と英霊の殺し合いが行われていたなんて嘘みたいだった。 もう少しこの辺りを見回ってからマッケンジー宅に行こう。その前に間桐の方で動きがあったらそっちを優先させよう。そうやってこれからの事を考えながらぶらぶらと歩いてたら、急に肩が重くなった。 何の前触れも無く、右肩だけが重くなって足が止まって歩けなくなる。 「おい――」 急に後ろから聞こえてきた声と僕の体に起こってる異常に導かれて、僕は左から振り返って後ろを見た。 そこに居たのは一人の男だった。黒髪を横に広げて、その下にある目がまっすぐ僕を見てる。右手に持った黒い何かが僕の右肩の方に伸びてた。 紺色のパーカーの下に見える少し浅黒い肌は日焼けの跡だろうか? 年は三十代に差し掛かるかどうかと思うけど、気力に溢れた活動的な印象からは『おじさん一歩手前のお兄さん』と見える。 「・・・誰ですか?」 言いながら僕は別の事が気にかかってた。前に前に歩いていた筈の僕を呼び止めるのは誰にだって出来るけど、今この人が持ってる黒い円筒形の筒―――僕の肩に乗せられた物―――を伸ばして僕の肩に置いたんだと思う。 僕は全然それに気づかなかった。 今も大勢の人が近くを通っているから接近されたのを気付けなかったのは仕方ないとしても、手を伸ばせば触れられるぐらいに近づけばいくら僕だって気付く。 それなのに肩に物を乗せられるまで、声をかけられるまで、僕はこんなに近くに人が居て同じ方向を歩いている事実に全然気付けなかった。真後ろに接近されてるのが判らなかった。 路上で声をかけて品々を売る手法があるのは知ってる。でも僕の前に立ってるこの男はそういう類の人種とは何かが根本的に違う。 正体不明の誰か。僕が警戒していると、その人は軽い口調で言ってきた。 「ああ、そっちは俺を知らないんだったな。こっちは君をよく知ってるんだけど――、俺達は初対面だった。すまない」 そう言うと、男は右手に持っていた黒い円筒形の筒を背負って、言葉を続けた。 「どうやら一年前から君は情報収集にあまり熱心じゃなかったようだな。殺し合う敵の顔ぐらいは調べて常に覚えておくのが普通だぞ。それに今じゃ俺の顔はそれなりに有名になってる筈だから時計塔で調べればすぐに判ったと思うんだが・・・、顔はあんまり変わってないと筈だぞ」 語られた言葉に触発されて記憶の中にある人物像と目の前に立っている男の顔を見比べる。 そうすると頭の中に似た顔が浮かび上がってくるんだけど、僕の知ってるその顔はもっと陰鬱な表情を浮かべていて、しかも肌の色はもっと薄かった筈。 こんな場所で遭遇するなんて可能性を考えてなかったから。その顔が目の前にいる男の顔だって自信は無かった。 それでも確かめる為の僕は恐る恐る呟く。 「・・・・・・・・・間桐、かり、や?」 「そうだ。ウェイバー・ベルベット。それで正しい」 「な、ななな、何でここに――」 ありえない人物の出現に動揺が溢れて止まらない。声は足と一緒に震えて、背中がゾクッとした。 まだ使い魔のネズミは間桐邸にも辿り付いてないから僕が間桐と接触しようなんて僕以外の誰も知らない筈。だけど、間桐がここにいる。僕の目の前に立ってる。 もしかして僕じゃ気付かない高度な結界が張られてたり常時冬木を監視してる使い魔がいて、立ち入った魔術師は全て監視下にあるとか? 聖杯戦争の時に常に先手を取り続けた事実を知ってるからありえそうな想像が僕の中で渦巻いてどんどん大きくなる。 どうして間桐がここにいる? 僕を殺しに来た? 隔てた距離の大きさに油断した僕が甘かった? あの冬木を守ろうとしたカイエンと行動を共にしてるからいきなり戦う事態にはならないと思った僕が悪かった? 色々な言葉が浮かんでると、それを吹き飛ばす一言が目の前の男―――間桐雁夜から発せられた。 「買い出しだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へっ?」 「今の時期だとこっちの方が深山よりも安くてな、最近は訓練がてらにこっちまで走ってきて色々買い込んで戻ってる。近頃は住人が一人増えたみたいで消費が多くてな、この程度じゃ冷蔵庫の中身はすぐに空になっちまう」 間桐雁夜がそう言いながら左手を動かすと、僕が今まで気付かなかっただけでそこにはビニール袋に入れられた野菜やら紙パックの飲み物やら色々と入っていた。 見間違いじゃなかったらビニール袋に刻印されているお店のロゴはついさっき僕が通ってきた所に合った店の看板と同じだ。 「卵を割らずにどれだけ早く戻れるかが今の課題だな、もちろん時間をかけずにだが」 「はぁ・・・・・・」 僕の中の間桐の姿はカイエンを起点に作り上げられて、聖杯戦争でどんな敵を前にしても臆さずに戦った雄姿が形作られてる。もちろんライダーの姿に比べれば色あせるけれど、それでも歴戦の戦士ってイメージがあった。 事実、今の僕じゃ絶対に使えないだろう魔術や礼装を使ってとんでもない戦いを繰り広げてたからね。竜種とか―――。魔石とか―――。 そのイメージと目の前に立ってる一般人と何も変わらない間桐の魔術師の姿とでは差があり過ぎる。 魔術師がビニール袋片手に買い物? 「ところでお前はこんな場所で何をしてる? 確かお前の本拠地はロンドンだろう。今更、一年前の決着を付けに来たのか?」 「そ――そんな事、ありません」 「じゃあ何だ?」 「それは・・・その・・・、えっと・・・。その――」 話し合う機会が設けられたら色々聞こうと思って、その為に準備をしてきたんだけど。予想外の遭遇でその下準備が頭の中から全て吹き飛んだ。 こう言おう、ああ言おう、とか色々考えてたのに、何も浮かんでこない。 それに僕が時計塔の魔術師だって事も調べられてるらしくて、さっき思い出した近況もマッケンジーさん達の事も何もかもを知られているみたいで嫌な予感がした。 先手を取られたどころの話じゃない。 だから僕は当たり障りのない言葉を言う以外の選択肢を全て失った。 「聞きたい事があって・・・」 「一年前の事?」 「そう。そうです。あの時、何があったのか知りたくって」 駆け引きなんて全然無かった。 普通の魔術師だったら、ここで『馬鹿か君は?』と今はいないあのケイネスみたいな口調で僕を馬鹿にすると思う。 でもそれも仕方ない。だって本当に今の僕は魔術師らしくなくて、魔術の世界における基本原則の等価交換も一度に口にしてないんだから。せめて知りたい理由とか代価として出せるこっちの情報とかそういう類の何かを先に提示するべき所だった。 「あの時か・・・」 でも間桐雁夜は僕を馬鹿にすることは無く、何かを考えるように空いた右手を自分の顎にやる。 そのまま数秒間沈黙があって。その後にどんな言葉が出てくるか僕はジッと待ち続けた。 言葉が全然足りなくて無礼な申し出なのは重々承知してるけど、もう言っちゃったんだから、あとはもう待つしかない。 「言えない事も山ほどあるがそれでもいいのか?」 「え・・・・・・あ、はい。それは当たり前だし・・・」 言ってる僕が無謀とも思う申し出は意外だけど受け入れられた。その瞬間、安心のためか全身から少し力が抜ける。 「その代わり条件がある」 そう続けられたのは当然だ。一方的に情報を与えてくれるなんてのはありえない。むしろ交換条件が無い方が異常なんだ。 ようやく魔術師らしい話が出てきて少し落ち着けてきたけど、まだまだ『話し相手』じゃなくて『敵』と対峙してる状況としか考えられないから、緊張はまだまだ続く。 どんな事を言うのかな? 何を交換条件にするのかな? いきなり『死ね』なんて事を言われないと信じたい。 「一人・・・いや、三人か。暗示をかけて記憶を操作したい一般人がいてな、お前が知る暗示の魔術を俺に教えてくれないか?」 言われた言葉を僕が理解して次の言葉を発するまで十数秒、もしかしたら一分ぐらいかかったかもしれない。 暗示は僕が知る中で初歩の魔術で、少しでも『魔術』に触れて学ぶ人間なら大抵は使える。もちろん腕の立つ魔術師と見習い魔術師が使う暗示には天と地ほどの差があって、一生解けない強固な暗示もあればマッケンジーさんみたいに一般人でも解ける場合もある。 間桐雁夜はバーサーカーのマスターだった男で、竜種を使役するとか、強力な魔術を連発するとか、死者蘇生すら可能にするとか、魔法に近い大魔術を行使する仲間が大勢いた。 僕は間桐雁夜について多くは知らないんだけど。腕の立つ魔術師だってずっと思ってた。それなのに交換条件が魔術師なら誰でもしってる『暗示』を教えてくれ? え? なんで知らないの? どうして僕なんかから知ろうとするの? 間桐って始まりの御三家で古くから続く魔術の名家だから暗示ぐらい知ってるんじゃないの? って、思った。 そんな疑問を何とか押し込めて、僕は言う。 「わかりました・・・。僕が知ってる魔術を・・・教えます」 そう言うしかなかったから・・・。 「交渉成立だな」 僕には聖杯戦争の情報と暗示の魔術が同等の価値を持ってるとは思えなかったけど、この人はそれでいいと思ってるみたい。 マッケンジー夫妻に会いに行く時間は遅れそうだけど、色々と情報を教えてもらえる機会に恵まれたんなら逃しちゃいけない。 それに魔術はそれがどれだけ簡単なものでも短時間で習得するのは難しい。教える為には会わなきゃいけないから、そのたびに話を聞ける機会が出来るから大助かりだ。 思ってもみなかった幸運に僕は喜ぶ。喜んでおかないと、今の自分が置かれてる異常な状況に屈服して緊張のあまり気絶してしまいそうだから。 大丈夫―――。 今はもう聖杯戦争は終わってて、同じ魔術師だけど敵じゃないんだから、殺し合いにはならない。僕は必死で自分自身にそう言い聞かせた。 この時、僕はまだ先の事なんて判らなかった。 まさかこの時の『暗示の魔術を教える』って言う交換条件が切っ掛けで、数か月どころか年単位で末永く間桐家の当主と付き合うことになるなんて―――。 そして僕が『プロフェッサー・カリスマ』とか『マスター・V』とか『絶対領域マジシャン先生』とか『グレートビッグベン☆ロンドンスター』とか『女生徒が選ぶ時計塔で一番抱かれたい男』とか・・・名誉なんだかが不名誉なんだかよく判らない色々な呼ばれ方をするようになった頃、その付き合いが縁になって間桐の娘を弟子にするなんて―――。 全然知らなかったんだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - セッツァー・ギャッビアーニ 本体から分裂した固体であると自覚はあった。分裂した固体の力を複写されたホムンクルスであるという自覚も合った。 今はもう無くなってしまったドイツのアインツベルンの技術で生み出された時、ここに居る俺『セッツァー・ギャッビアーニ』と大本だった『ものまね士ゴゴ』は全くの別の存在となった。分裂したモノを元にしても、あいつと俺は最早別のモノだ。 あいつの力のほんの一部分をこの体が継承してるのは事実。あいつの記憶が転写され、本人とは違う別人だが、ものまね士ゴゴから見たセッツァー・ギャッビアーニ―――つまり俺が作られたのも事実だけれど。もう俺の力はあいつの中には戻らない。 宝具を用いての分身でもなければ、魔法を使っての召喚でもない。俺はただ一人の俺としてこの世界に存在している。 作られた存在であり、元となるゴゴの仲間がいるのを考えれば偽物かもしれないが。一人のギャンブラーとして、唯一のセッツァーとして、俺はここにいる。 ゴゴが生み出した新たな方法―――。俺の特殊能力『スロット』を用いての飛空艇ブラックジャック号の召喚。それを可能にする魔力程度なら俺の中にあるので、新たな愛機と共にこの世界の空を飛ぶ。 もっとも、召喚するだけで俺の魔力の殆どが使われるから、騒動が起こらない様に透明化魔法『バニシュ』を併用すればそれだけで魔力は底をつく。悔しいがゴゴがやった休みなしの移動は今の俺には到底不可能で、時間制限つきの飛行しか出来ない。 だからこそ奴を見つけるまでに時間がかかった。 「ようやく見つけたぞ――、衛宮切嗣」 ゴゴがこの世界から消えた後。元々はゴゴの記憶の中に存在した情報を元にして、俺達ホムンクルスは冬木へと旅立った。 聖杯戦争は本当の終わったのか? 間桐雁夜は生きているのか? 遠坂桜は救われたのか? ホムンクルスとして存在するセッツァー、ガウ、モグ、ウーマロの二人と二匹は各々が作られた時点までのゴゴの記憶しか持ち合わせておらず、それ以降に何があったかを知るには直接見聞きするしかない。俺達はそれを確認する為にドイツから日本を目指した。 もちろん二度と聖杯戦争が起こせない様にアインツベルンは人的にも物的にも完膚なきまで破壊し尽くした後で、だが。 俺達は飛空艇ブラックジャック号の時間制限と、生活の拠点を間桐邸に絞っていたゴゴには出来なかった世界の観察を理由にゆっくりと移動した。 ゴゴの力なら遅くても数日。次元移動魔法『デジョン』を使えば一瞬で到達できただろうが、俺達はその数十倍の遅さで冬木を目指し、そして辿り付いた。 そこで俺達は概ねがゴゴの想定通りになっていた冬木を見たが。その中で一つ、ゴゴの想定を超えた事態が起こっていた。 それこそが奴―――衛宮切嗣の存在だ。 ゴゴの予測では聖杯戦争が終わった時点で衛宮切嗣は死んでいるか半死半生の重体で、最早『魔術師殺し』として活動できないほど衰弱しているだろうと思われていた。 しかし現実の衛宮切嗣は五体満足で生き残り、警察の束縛を抜け、包囲網を振り切り、狂った殺人者として今も世に放たれ続けている。 俺達が冬木に辿り付いた時、世間は警察の不祥事を大々的に報じ。崩れた山の復旧に合わせて、逃亡中の連続殺人鬼の大捜索を行っていた。 衛宮切嗣の身に何が起こっているのか俺達に正確な事は判らない。ただ、間桐にとって最も厄介な敵になるだろう、アインツベルンの尖兵を取り逃がした事実は変わらない。 気を窺う為に遠方に身を隠したか? それとも、まだ冬木のどこかに潜伏しているのか? あの男一人を放置した所で聖杯戦争を起こせはしない。その可能性が高いのはむしろ生かした遠坂の方だ。 けれど衛宮切嗣は間桐にとって明確な敵だ。物真似し、救うと決めた遠坂桜―――今では間桐桜となったようだが、彼女の安全を考えるならば絶対に無力化しておかなければならない男だ。 聖杯戦争が終結したのだから、今更、間桐には手出ししないだろう等と、甘い見通しをしてはいけない。 あれは殺しておかなければならないゴゴの敵なのだから。 ゴゴが間桐とさようならをしたのならば、ゴゴの力の片鱗とも言える俺達がそれを汚してはならない。そう思い、俺達は間桐の誰かに気付かれる前に冬木を離れ、ゴゴの後始末をつける為に衛宮切嗣の捜索を開始した。 世界の観察に現を抜かしてしまったので、飛空艇ブラックジャック号での移動をもっと速めれば逃げられる前に対処できただろう。と、つい考えてしまい、余計に捜索に力が入る。 人に紛れても支障がない俺は世間に溢れている様々な情報を統括しながら人のいる場所を移動し続け、ストリートチルドレンと見た目の大差がないガウは経済が豊かではない国々を中心に見て回り、この世界に存在しない生き物のモグと伝説に匹敵する雪男のウーマロは人里離れた誰も立ち入らないような場所を探し回る。 期間を区切って、定期的に連絡を取り合いながら、ゴゴの逃した敵を探し続けて数か月。 俺達はようやく衛宮切嗣を発見した。 「盲点だったな、まさか元の傭兵稼業に戻っていたとは・・・」 透明になった飛空艇ブラックジャック号から望遠レンズ越しに見下ろしている俺達には気付いていないらしく。衛宮切嗣は弾丸の嵐が降り注ぐ戦場において、空を見向きもせず銃器を操って人を殺し続けている。 撃っては殺し、撃たれては起き上がり、また撃って殺し、死んでも蘇って殺す。 今の俺には衛宮切嗣が何を考えてこんな事をしているかは判らない。 どうして警察から脱走し、冬木から姿を消した? この一年、報道機関の目を掻い潜ってどこで何をしていた? 人を殺す為に準備をしていた? 今までどこかで殺されていて、生き返る為に時間が必要だった? 自分がよく知る古巣に戻って人殺しをしたかった? 何も判らない。 判るのはゴゴが残した最後の敵が真下にいる事だけ。今はそれが判ればいい、それ以外の事を判る必要は無い。 一応は『体内に残ったセイバーの宝具を使い、自分が最もよく知る人を殺せる場所で正義を行っている』と、観察による答えは導き出せるが、全てを知るのは衛宮切嗣当人のみだ。ゴゴ並みの観察眼があれば、限りなく正解に近い予測を打ち立てられるが、ものまね士の驚異的な観察力は俺達の誰にも備わっていない。 だが理由など今となってはどうでもいい。ここまで来たら、ただ後始末をするだけだ。 運が悪ければ流れ弾が当たって俺達の誰かが死ぬかもしれないが、戦うが起こる場所は選べない。そこが俺達とは無関係の殺し合いの場だとしてもだ。 さあ、俺達に課せられた最後の役目を全うしよう。アインツベルンを完全に消し去ろう―――。 衛宮切嗣、お前はここで殺す。 「行くぞ」 「ガウ」 「クポー!」 「ウガー!」 応える三つの声。それを合図にして足元にあった飛空艇ブラックジャック号が消え、俺達は戦場へと舞い降りた。