第46話 『ものまね士は別れを告げ、新たな運命を物真似をする』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 爆裂魔法『フレア』はたとえ魔剣ラグナロクを持つ者が魔法を使えないとしても、魔力さえ持っていれば柄から魔力を吸い取って剣の切っ先から低確率で発動する。雁夜も『魔神』も聖杯戦争の中で一度たりともフレアを発動させなかった―――させられなかったが、絶対に倒さなければならない衛宮切嗣を相手に、しかも敵の胸に光る聖杯の所まで刺し込んだ時点で発動するとはあまりにも都合が良すぎた。 まるで剣が雁夜の思いに同調したかのようだ。 魔剣ラグナロクがゴゴの中から生まれた剣であろうとも、一年以上離れてすでに雁夜の物となっているので、本当に剣が応えたのかどうかは判らない。単なる偶然の可能性も捨てきれないのだから。 とにかく『魔』の『神』が内包した強大な魔力を糧として、爆裂魔法は途方もない威力を発揮して炸裂した。 それは衛宮切嗣の肉体を内側から破壊し、間近で起こった爆風で三闘神の全員を吹き飛ばし、海を沸騰させて浅瀬を干潟に変えて広がっていた聖杯の泥も消し飛ばし、バトルフィールドの端から端まで衝撃を響かせた。 当然ながら全方位に広がった衝撃は海にいたゴゴにも海の中にいて足場になっている幻獣『リヴァイアサン』にも届く。リヴァイアサンは衛宮切嗣の攻撃で傷ついて耐え凌ぐ余力は無く、ゴゴは踏ん張る前に衝撃が来たので後ろに吹き飛ばされてしまった。 「――ブリザガ」 リヴァイアサンの頭から足が離れた瞬間。ゴゴは本来は敵に攻撃する氷属性の攻撃を下の海に放つ。 次の瞬間、ゴゴの手のひらから放たれた氷の弾丸が海にぶつかって、海の中に巨大な氷柱を作り出す。近くにいたリヴァイアサンが氷柱に巻き込まれて一緒に取り込まれてしまうが、ゴゴは気にせず新しく作られた足場の上に降り立った。 勢いに乗ってしばらく滑って岸辺から遠ざかっていくが、巨大な氷の塊の端に辿りつく前に勢いは弱まって立つ姿勢を作り出せた。 見る状況を改めて作り直したゴゴ。その目に飛び込んできたのは空に出来上がった巨大な孔だった。 衛宮切嗣の胸に出来ていた孔を数十倍にまで膨らませた巨大なモノ。本来ならば、それは聖杯降臨の儀式が行われる祭壇と、円蔵山の地下に敷設された大聖杯とを結ぶ空間のトンネルなのだが。『魔神』となった雁夜によって制御する為に用意された聖杯が破壊された為、暴走しようとしている。 制御できない力はただの災害だ。あれはバトルフィールドを融解させ、大地を削り、邪魔するものは何でも燃やし、死と破壊をまき散らすだろう。 ゴゴは孔から湧き出つつある聖杯の泥―――衛宮切嗣の胸から出ていたそれを穴の大きさの分だけ何十倍にも増大させた物―――を確認して、それに手を向けた。 『魔神』は? 『鬼神』は? 『女神』は? 三闘神は無事なのか? バトルフィールドは張られたままか? 衛宮切嗣はどうなったのか? リヴァイアサンは氷に捕まって平気なのか? 数ある疑問を余所に置いて、まず起ころうとしている事象を起こさせない為に魔法を唱える。 「アスピル」 衛宮切嗣に力を与えていたモノを吸い込めたのだ。どれだけ総量が増えようと、同種ならば吸い取れない筈はない。 そう思って放った魔力吸収魔法は空にぽっかりと空いた孔から重力に引かれて落ちようとする黒い塊の向きを強引に変える。 下に落ちる筈だったモノが横に動いている。まるで見えない板がそこに合って落下を防いでいるような奇怪な現象が巻き起こり、噴火口から湧き出るマグマの様に孔から流れ出た黒い泥がゴゴの手に吸い込まれていった。 ゴゴの手のひらに『孔』と同じような『穴』が合って、そこに泥が吸われていく。 見た目こそマグマを思わせる黒い泥だが、その実態は大聖杯が六十年の長きに渡りため込んできた魔力だ。どんどんと体の中に魔力が補充されていくのを感じながら周囲を見渡し、孔が合った個所の真下に衛宮切嗣が転がっているのを発見する。 信じ難い事だが、発動したフレアで体の内側から破壊されたにも関わらず、衛宮切嗣はまだ人の形を保っていた。 腕も足も食い千切られて切り取られた。胸に開いた孔は肋骨を削って確実に心臓を抉る大きさだった。フレアの爆発は人の肉体など簡単に消し飛ばす破壊力だった。それなのに着ていたロングコートは見る影も無くボロボロになっているけれど、衛宮切嗣の両手両足は健在だ。 衛宮切嗣は生きている。 おそらく戦っている時は聖杯の泥が衛宮切嗣の肉体の代わりを努め、全て遠き理想郷(アヴァロン)がそれを本来の肉体に作り替えたのだろう。三闘神が攻撃した個所は聖杯の泥の部分で、内側から吹き飛ばしたのも聖杯の泥だった―――ではなかろうか? 彼の周りは戦っている最中に溢れ出た聖杯の泥でぐしゃぐしゃにされていたので、その中に横たわる人影だけが目立っている。 無傷の筈はないが、肉体の損傷はまだ体内に残っている全て遠き理想郷(アヴァロン)が治している最中と思われる。 本来の持ち主であるセイバーことアーサー・ペンドラゴンが所持していないにも関わらず、魔術的に繋がっているマスターだからこその無限の治癒能力。 膨大な魔力を与える聖杯との組み合わせは極悪で、不完全な力しか使えなかった『魔神』と『鬼神』と『女神』だけでは勝てなかっただろう―――と、ゴゴは改めて宝具の恐ろしさを痛感する。 確信は無いが一応は生存を『宝具の効力』として納得していると。孔は消え、そこから溢れた黒い泥は全てゴゴの魔力になった。 とりあえずこの場の危機を去ったのを確認し、ゴゴは吹き飛ばされた三闘神を探すべく他の場所に目を向けた。 セイバーが振り下ろした剣を起点にして、斜め下方へと放たれた黒い斬撃『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。今まで放たれた斬撃と見た目こそ同じだが、込められた魔力は過去最高であり、最も強力かつ強大な斬撃へと進化した。 それがあらゆる障害物を切り裂いて―――バトルフィールドが解除されてしまえば、斬撃の通過する個所にあるのが道路だろうと、民家だろうと、樹木だろうと、人間だろうと無関係に斬って進む。 これまでアーチャーの『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』や『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』など、広範囲を破壊する宝具はゴゴとケフカがそれぞれ作り出したバトルフィールドによって被害を最小限に抑えてきた。 衛宮切嗣が望み、冬木に出現した聖杯は市街から海にかけて幾つも破壊をまき散らし、人を何人も何十人も殺し、最後は海の一画を焦土へと変えたが、広範囲を破壊させる宝具に比べれば被害は少ないと言える。 バトルフィールドが無ければ、ケフカとの戦いが始まった時も、キャスターが未遠川で巨大海魔を呼び出した時も、ずっと被害は広がっていた。 黒き英霊達と伝説の八竜が召喚され、ライダーが彼らを自軍と共に『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の中に取り込まなければ、冬木市そのものが壊滅してもおかしくなかった。 英霊同士の戦いとはそういうものだ。 そして今、セイバーが生み出した究極の斬撃はバトルフィールドという枷から解き放たれ、最も冬木を傷つける強大な一撃となってしまった。 込められた魔力に比例して桁違いに跳ね上がった威力は本来の対城宝具の域を脱するかもしれない。 仮にこれまでのセイバーが放つ本来の『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』が敵の城門を切り開く対城宝具だとしたら、存分に育った黒い一撃は敵の城そのものを斬る対城宝具だ。 最早、天災の域にまで到達している。 ティナは反撃せず、防御もしない。 だから黒い斬撃は呆気なくティナの体を左右へと両断し、ティナの背後にそびえる円蔵山に向け―――正確には円蔵山の地下大空洞に設置された『大聖杯』に向けて突き進む。魔術的な防御機構が存在すれば、いかに宝具の一撃であったとしても威力を減衰させられただろうが、そんなものは存在しないとゴゴが確認済みだ。 そもそも聖杯戦争の関係者にあって、この場所は聖杯降臨を行う儀式に最も適した冬木第一の霊場であり。言い換えれば聖地なので壊そうとする発想そのものが無い。それが裏目に出てしまったと言える。 究極の斬撃は何もかもを切り裂いてしまう。 冬木の霊脈を涸らさないよう為に六十年かけてマナを吸い上げる術式も。 七騎のサーヴァントを召喚し、令呪を授け、英霊を現世に留める術式も。 大聖杯の炉心、ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンも。 大空洞を支える為に存在する大地すらも。 何もかもを斬った。 数十トンあるいは数百トンの大地を斬ってようやく約束された勝利の剣(エクスカリバー)はその運動エネルギーの全てを使い果たす。結果、円蔵山の麓から地下深くまで巨大な斬撃の跡が刻まれた。 あるべき場所に合った物が斬られて分断された。上にそびえる山がそこに落ちていくのは自明の理であり、地響きを立て、地盤沈下が起こり、土砂崩れよりも規模の大きい山崩れが起こるのもまた必然であった。 英霊の作り出した災害が冬木の一画を押し潰してゆく。 「・・・・・・・・・・・・」 黒くなってしまった武具に身を包み、金色の瞳となったセイバーはティナが左右に斬られたのを確認した後。ようやく逆三角形の仮面を左手で持ち上げて、自分の仕出かしたことの重大さとこれから巻き起こる惨劇を見つめる。 だが、山が一つ崩れる大規模な災害を作り出しておきながら、セイバーは全く表情を変えずに光景をただ見つめるだけだった。 聖杯戦争とは全く関係のない者が災害に巻き込まれると判る筈。すでに円蔵山の中腹に建つ柳洞寺は土台である山が崩れたことで裂け始めており、そこに誰かが居れば確実に死ぬ。 山崩れが起これば大量に土砂が発生して、それらが麓の家を呑み込めばこちらも確実に人が死ぬ。数人どころか数十人、数百人規模で、だ。 それなのにセイバーはただ見るだけだった。敵を倒すために仕方なかったのだと苦しまず、狼狽せず、ただ崩れていく山を見つめていた。 感情が消えてしまったのだろうか? そう思わせる反応の無さだったが、黒くなった聖剣を握る右手とは逆の左手が指先から黒い粒子になり始めると、一転して顔に驚愕が張り付いた。何の変化も見せなかった口が『あ』の形になったのがその証拠だ。 何かが起こっている。けれど、その何かが判らずに驚いている。今のセイバーからはそんな印象を受ける。 どうやら感情が消えた訳では無いが、今のセイバーにとって円蔵山を斬った結果はどうでもいいだけのようだ。 セイバーの左手の指先が徐々に消えていくが、その原因を作ったのが自分の放った斬撃だとは夢にも思っていないらしく―――いや、おそらくはセイバーは円蔵山の地下にある大聖杯こそが聖杯戦争の根幹を成していて、英霊達を現世に留めているのだと知らなかったのだろう。 始まりの御三家が渇望した根源へと至る孔の構築。それを成し遂げる為には召喚された七騎全てのサーヴァントの魂を聖杯に捧げなければならない。 衛宮切嗣とアイリスフィールにその意思が無かったとしても、十分な意思疎通すら行われず、本心を明かしての会話も無く、正義と非道を混在させていた者達が聖杯戦争において重要な情報をセイバーごときに打ち明けているとは思えない。 もしセイバーが多くの情報を得ていたとすれば、勝利を重ねていけば自分が守っている姫君ことアイリスフィールを殺してしまうのだと知っていた筈。その現実に苦悩してもおかしくないのだが、セイバーにそんな素振りは無かった。 知った上で聖杯に願いを託すのではなく、知らずに戦っていたと考えるべきだろう。 そんな風に何も知らなかった、知らされなかった、知ろうとしなかったセイバーは聖杯戦争に必要不可欠だった魔術装置を破壊したと気付いていない。自分の手で現界できなくなったのだと気付いていない。 ただ訳も判らずに驚くばかりだ。 だから地を這って片足に触れている桃色の光を見過ごした。 「ニガ・・・サ、ナイ」 声はセイバーから遠く離れた場所に居て、左右に両断されたティナの口から発せられた。 体を切り開かれ、普通ならばそのまま死体になってもおかしくない状況だが、予めティナが自分にかけておいた魔法が命を長らえていた。前方にセイバーを、そして後方に崩れゆく円蔵山を置くティナの足元から伸びる魔力の縄がセイバーに向かって伸びている。 桃色に光る細長い縄はよく目立ち、戦いの緊張を強いていなくても、普通の精神状態であればすぐに判ってしまう。 しかし普通でもなければ動揺に心を揺らす今のセイバーは気付かない。気付けないまま、ティナとセイバーの二者を魔力が繋いでいた。 全力を超える『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を使ってしまった事によって貯蔵魔力の大半を失い。その上、供給されるべき魔力源である衛宮切嗣からの魔力供給も聖杯が破壊されたことで無くなってしまった。 程なくセイバーはその場から消えてしまう。それに合わせて、ティナもまたその場から消えた。 残るのは山崩れが作り出す巨大な破壊。 英霊によって人が死ぬ。聖杯戦争に巻き込まれて人が死ぬ。 冬木の一画を埋め尽くす大災害の始まりだけだった。 三闘神の作る三角形の中心で爆発したからか。それとも飛ばされて尚、三角形の位置取りをしなければならないと無意識に思ったのか。 『魔神』は街の方に、『鬼神』と『女神』はそれぞれ海の方に―――。つまり衛宮切嗣をこの場に誘い込んだ時と逆方向に三柱の神は吹き飛んでいた。 誰も彼もが間近で起こった爆風の衝撃に耐えられなかったようで、『魔神』は道路の上に仰向けになって転がり、『鬼神』と『女神』は波間でたゆたっていた。 衛宮切嗣に力を与えていた聖杯が消えたので、宝具しか持ち合わせていないただの魔術師ならば三闘神の相手ではない。目覚めれば確実に勝つ。 ただし、目覚めを待てない理由があったので、ゴゴは足元で氷に囚われてしまっている幻獣『リヴァイアサン』を一旦魔石に戻し、代わりの魔石を取り出して別の幻獣を呼び出した。 魔石に戻る瞬間、リヴァイアサンから『助かった』と安堵が伝わってきた気がする。 「ケーツハリー」 味方を大きな背中に乗せて空高く舞い上がってから飛び降りて攻撃させる技『ソニックダイブ』を繰り出すのが鳥の幻獣『ケーツハリー』なのだが。冬木にゴゴが居ついてからはほぼ移動手段として活用されてきた。 色彩豊かで紫色が多い羽毛を持つ巨鳥がゴゴの背後から現れ、一度旋回してゴゴの後ろに回り込み、ゴゴを乗せて空高く舞いあがる。 今回もまた移動手段として―――彼ら三人を助ける為に鳥の姿をした幻獣は空を飛ぶ。 三闘神が自発的に起きるのを待てない理由。それはゴゴが起こして戦わせるという事では無く、彼ら三人を三闘神にし続けていると、もうすぐ人間に戻って来れなくなってしまう。つまりは時間切れが迫っている事だ。 ゴゴは気絶しているらしく全く動かない『女神』の所にケーツハリーを誘導させながら、三人に与えていたそれぞれの力を回収する。 かつて旅した世界に存在していた真の三闘神が倒された後、魔法の力が人から抜け出してゴゴに集結した。 貸し与えていた力の回収はその時とほとんど変わらなかったので今回も難しい事では無い。 これ以上三人の中に神の力を宿していると神に馴染んで彼らは『神の力を得た人間』から『神に変わっていくモノ』に変容してしまう。 三闘神の力はあまりにも強大だ。ただの人間に渡しておくにはあまりにも危険すぎる。それに彼らとて自分達の住む町を守る為の力を欲しても、人間を辞めたいとは思わない筈。 ゴゴは『女神』の元へと向かいながら、ついでにバトルフィールドも解除して、彼らの中にある力を自分の元へと引っ張った。 一瞬―――『魔神』『鬼神』『女神』との間に繋がりが出来て、戻す力と一緒に三人の思いがゴゴの中に流れ込んでくる。 『魔神』となった雁夜は桜ちゃんへの思いに満ちていた。 雁夜の中には遠坂時臣への怒りは無く、遠坂葵への恋情も存在しなかった。かつては合ったであろうそれは遠坂邸での闘争と対話の果てに消失し、あの二人は雁夜にとってどうでもいい存在に成り下がっている。 格付けはすでに終わってしまっている。 路傍の石と変わらない。殺す価値も無い。居ようが居まいが関係ない。 その代わりに膨らんだのが桜ちゃんへの思いだった。 間桐雁夜は桜ちゃんを幸せにする為に存在する。間桐雁夜は桜ちゃんの為に行動しなければならない。 雁夜が間桐を出奔したからこそ桜ちゃんが養子に出されることになり、そこから罪悪感から生まれた思いであり。遠坂の二人に向けていた強い思いが新しい行き場を求めた身代わりでもあった。 桜ちゃんが望んだから―――雁夜は『魔神』の力を受け入れ、そして戦いに馳せ参じた。 そんな風に雁夜から強い思いを向けられている桜ちゃんは繋がりを求めていた。 『女神』の力を手にすれば人の範疇を超えて危険な領域に足を踏み入れると桜ちゃんは判っていた。戦いが危険なものであり、痛みを伴い、殺す危険も、殺される危険も、周囲を巻き込む危険も、ちゃんと判っていた。 幼さを感じさせない聡明な心が状況をしっかりと把握している。その上で桜ちゃんが戦おうと決断したのは離れたくなかったからだ。 離れたくない。 一緒にいたい。 傍にいたい。 捨てられたくない。 主にその矛先は雁夜へと向けられ、親の姿が見えないと不安で泣く赤ん坊のように繋がりを求めた。 遠坂時臣と遠坂葵が桜ちゃんを見限ったからこそ余計に感情は強まっている。 桜ちゃんは雁夜と違って魔術師としての修業にはほとんど関わってこなかったが。もし雁夜と同じように戦う魔術師として鍛えていたら、対魔術戦では片手どころか指一本で圧勝する才能の持ち主だ。 肉弾戦や武器を用いての戦いでは大人と子供の違いがあるので雁夜が勝つが。魔石を用いての戦いならば、桜ちゃんの才能は雁夜を圧倒的に凌駕する。おそらく瞬殺だ。 桜ちゃんはその力を誰かと繋がる為に使おうとした。 子供の自分が大人と一緒に居る為には同じく『闘争』に入るのが一番手っ取り早く、そしてそれを可能にする才能を持っている。 どれだけ体が痛んでも、心が傷つくよりはずっといい―――。 雁夜おじさんと一緒に居たい―――。 だから桜ちゃんは『女神』の力を受け入れ、戦いの場に足を踏み入れた。 『鬼神』となった士郎はキャスターに暗示をかけられ誘拐させられた瞬間からこれまで生きてきた短い人生の中では知りもしなかったモノと触れてしまった。 触れてしまわなければ日常生活の中に埋もれて消えてしまうか細い思いだった。表の世界の住人として知らずに生涯を終える道もあった。 けれど士郎は触れた。 あの力に触れた瞬間―――。厳密には、体の内側からが肉と骨を食い破って現れようとした海魔だったのだが―――。その力こそが、生まれてから心の中でずっと求め続けたモノだと理解してしまう。 理由なんて必要なかった。 意味なんて考えなくてよかった。 ただ判る。それだけで十分だった。 心の中に空いた穴を埋める神秘の力。その名は―――魔法。 おとぎ話の中で聞く偽物じゃない本当の力。殺されそうになったと理解しながら、河童になって大泣きしたのが恥ずかしくなったが、心の底から湧き上がる歓喜は他の全てを簡単に吹き飛ばした。 居ても立っても居られなくなった。両親に話さないなんて考えられなかった。何があったかと聞かれたから、心赴くままに全て話した。あれがずっと求め続けていたモノだから・・・。 桜ちゃんは魔術を知っていた。 士郎は魔術を知らなかった。 知らないからこそ強く求め、殺されそうになった出来事がほんの序の口でしかなかったと判れないから、そこに踏み込むのがどれほど危険か判らず。ただ心の赴くままに魔法の力を求め、『鬼神』をその身に宿した。 自分の中に三闘神の力を戻す最中、ほんの少しだけ三人の心に触れられた。三つの膨大な思いがゴゴの中に流れ込み、それを反芻する間に三か所の救助は全て終わってしまっている。 ゴゴはケーツハリーの背中に乗せた三人を見下ろす。彼らの姿は『魔神』『女神』『鬼神』から人のそれに戻っていて、三闘神になった時に破けた服など無かったので三人とも裸身だった。 服を調達しなければならないな。と考えながら、ゴゴは戦いを経験して最も変わってしまった士郎を見る。 信じ難いが三闘神として戦って痛みを知ったにも関わらず、士郎から感じた魔法への好奇心や執着と言った類の感情は全く衰えていない。むしろ時間が経てば経つごとに強まっている。 おそらく、三闘神の力を人に与えたまま放置した場合、真っ先に人から神になってしまったのは士郎だったろう。 士郎が恐れも無く簡単に裏の世界に飛び込めたのは、今はまだ眠ったままのとてつもない才能の行き場を知ってしまったからだろう。子供の無鉄砲な振る舞いもそれを後押しした筈。 『鬼神』の力を戻す時に士郎の心が流れ込んできて、一瞬、大地と空以外は何もない世界が見えた。あれは士郎の心象風景に違いない。 あれは士郎の心の中に作られ、何もない世界に創世を巻き起こす為の『基』を欲していた。あの世界は―――士郎は―――魔術という餌を与える事で強烈に育つ。 魔術師の家系に生まれた訳でもない子供が持ち合わせるにはあまりにも桁外れの才能だ。 今はまだ経験も人生も体験も知識も圧倒的に不足している子供なので、作られた世界はただ空虚で、『どんな形にもなれる』定まらない形だけが詰まっていて何もない。素養を積み重ねれば、士郎の世界はジャングルにも砂漠にも大都市にも天国にも大海原にも地獄にも宇宙にも作り替えられるだろうが、今はまだ何もない。 空虚な世界が広がっているだけだった。 後に固有結界と呼ばれる大魔術にまで発展させられるかもしれない才能を極限まで引き延ばせたならば、おそらく今回の聖杯戦争に参加したどのマスターよりも強い魔術師となれる。 ただし、この才能が彼を幸せにするとは限らない。 表の世界を生きてきた普通の子供が魔術師として大成する。それは表の世界との決別を意味し、魔術師の家系でもない士郎の一家は保護という名目で幽閉され、調査と言う名の拷問で体の隅々を死ぬまで調べ尽くされる危険をはらんでいる。 知られてしまえばそうなっても不思議はない。 士郎はキャスターに殺されかけ、幾つか魔法をかけられ、『鬼神』として戦った。それは魔術師として生きてきた者にとっても非常に稀な体験だったかもしれないが、見方を変えればただ戦っただけに過ぎない。 魔術の世界はもっと悪質で、もっと醜悪で、もっと卑劣で、もっと憎悪と悪意と邪悪に満ちている。士郎はその世界の一端に触れただけだ。 この世界に生きる普通の魔術師は、死を容認し、観念する存在であり、表の世界とは一線を介する人種だ。そんな人種が普通に生きる世界に表の世界の常識で生きてきた士郎が関わるのは幸福と言えるだろうか? 心の一部―――表層意識に触れた程度では全景に辿りつけない。もしかしたら士郎はキャスターに誘拐され、体の内側から海魔を召喚されたあの瞬間に壊れてしまったのかもしれない。 あそこで数年かけて積み上げてきた士郎の人格は壊れしまったのかもしれない。 怖さも楽しさも悲しさも嬉しさもごちゃ混ぜになり、ただ自分の求めるモノだけに向けて突っ走る何かになってしまったのかもしれない。 可能ならば稀有な才能を持った士郎の行く末を見届けたく、地上で寝転がっている衛宮切嗣の体の中にある宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』も調べたい衝動に駆られる。だが別の場所にいるゴゴから伝わった情報が時間の無さを教えた。 セイバーの相手をしていたティナではない。あちらはもうここではない別の場所に旅立った後なので、あちらはあちらで何とかするだろう。情報の出所はライダーの固有結界『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』中にいる別の姿をしたゴゴ達からだった。 「・・・・・・デジョン」 ゴゴはケーツハリーを降下させながら別次元への穴を作り出す。 三人を三闘神へと作り替えた冬木とはまるで異なる空間は相変わらず宇宙空間を思わせる広大な場所だった。ゴゴは雁夜の近くに落ちていた魔剣ラグナロクと士郎掴んでその中に入り、自分が入ってきた場所と同じような出入り口を一つ作って士郎をそこに放り投げる。 一瞬で作られて閉ざされた出入り口の向こう側では数分間消えていた息子が戻ってきたのを喜ぶ父母の姿が作られるだろうが、ゴゴはそれを確かめる間もなくもう一つの出入り口を作って通り抜けた。 数秒後、別次元を経由して戻ってきたゴゴの手に魔剣ラグナロクは無く。代わりに雁夜と桜ちゃんのそれぞれの衣服が握られていた。 繋がりっぱなしの穴から海岸付近の空の上に戻る頃。幻獣『ケーツハリー』は衛宮切嗣から少し離れた海岸へと着陸しており、黄色と緑色と赤色の青色の色彩豊かな羽根を器用に使って、背中に乗せていた二人を地面へと横たわらせた。 ゴゴは魔剣ラグナロクの代わりに持ってきた衣服を手にしたまま二人の横に立つ。 「こんな形になると思わなかった」 そう言って、雁夜の額に手を当てる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 天から地上へと、まるで落雷みたいに敵に向かって突進したライダーの動きは速すぎた。速すぎて僕の目じゃ追えなかった。 でもすぐに地上すれすれの所を滞空する神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を見つけて、一緒に僕の視界の中に体半分を失って落ちていくケフカ・パラッツォ―――だったモノが入ってきた。 遠く離れていたのは僕にとって幸運だった。遠過ぎるから『聖なる審判』を当てるのはものすごく難しかったけど、多分、体の左半分を失った人だったモノなんて見たくない。間近で傷口の生々しさとか見たら、今の状況を考えないで吐いたかもしれないから。 「ライダー!!」 一瞬の隙をついてライダーが競り勝った。 迫ってたアーチャーの一撃を前に出て追い抜いた。 少しでも迷ってたら競り勝てなかったし落とされてたと思う。アーチャーの一撃がこの結界の中の全てを攻撃して、ライダーへの一撃が薄まってたから避けられたんだと思う。 僕の援護が役に立ったのがうれしくて、僕はサンを抱きしめたまま地上を見下ろした。 そうしたら僕らが乗ってる竜種も僕の嬉しさをくみ取ってくれたみたいに、地上の近くにいるライダーを目指して降りて行ってくれた。僕らが地上に降り立って先に降りたライダーに追い付いてみると、ライダーも、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を引っ張ってる二頭の雷牛も、全精力を使い果たしたみたいにほとんど動かない。 雄々しく動き回る様子を知ってるからこそ、『静止』はものすごく珍しい。 だから余計にライダーたち以外の事が際立って見えた。 見たから―――気付くしなかった。 砂漠が激しく揺れ動いてるんだって・・・。 「これって・・・」 「――アーチャーの一撃もあるが、どうやら我らを現世に繋ぎ止める『何か』が破壊されたようだ」 疲労の為か、ライダーが言い出すまでに少しだけ間が合ったけど、もう僕の意識は揺れる大地に移ってる。 「それ・・・、どういうことだよ?」 「余の王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)は消え、英霊は元の場所に戻らねばならん。そういう事だ」 ケフカに勝利した余韻なんて感じさせないで、ライダーは僕の激昂を受け止めて淡々と言った。その間にも振動はどんどんと激しさを増していって、竜種の体を伝って僕の体も一緒になって揺れる。 「そんな・・・・・・」 砂漠が裂けて地割れが起こる。 雲一つなかった空が砕ける。 熱風に夜の冷気が混じり始める。 壊れてゆく、消えてゆく。 ライダーが屈んで掬い上げた砂が空気に止めるみたいに無くなったのを見て、僕にもライダーが言った意味が嫌でも理解できた。 こんなの嘘だって思っても僕の頭は突きつけられた現実を理解してしまう。 懸命に別の答えを探そうとしても、今、僕の前にある事実の前に妄想は空虚だった。 傷ついた兵士が輝く粉となって空中へ消えていく。 全身真っ黒のアサシンも黒い粉に変わって消えていく。 いつから現れたのか気付かなかったけど、アーチャーが乗ってる空飛ぶ黄金の船も乗り手と一緒に光る粉になって消えていく。 何もかもが消える―――僕の手の中にいるサンも・・・。 「サン!」 消えない様に、居なくならない様に、存在をここに繋ぎ止めようと強く抱きしめるけど。サンの頭の上にあった髑髏の仮面が最初に消え始めてしまう。次にサンの両足が紫色の粉になって空に溶けていく。 サンはサーヴァントでアサシン。 聖杯戦争の為に召喚された英霊で、僕たちの敵。そして僕を殺した敵。 そう判っているのに、それでも僕はサンを敵として見れない。少しずつ体が消えていくのに恐怖して、涙目で僕を見上げてくるこの小さな女の子を嫌いになれない。 もうすぐサンは消える。元の場所に帰ってしまう。強くそれを感じた時、僕の口は勝手に動いてた。 「君は悪くない。嫌ってない。一緒にいて楽しかったよ!!」 ただ感情に任せて言葉を繋げただけ、脈絡なんてまるでない一方的に叫んだだけだった。 そんな言葉でも泣きそうなサンの顔をほんの少しだけ泣き笑いにする効果はあったみたいだ。 サンの足が消える。 腕が、腰が、胸が、肩が、頭が、どんどん消える。 遂には口と喉の辺りも消える。その最後の一瞬、何かを喋るみたいにサンの口が動いた。何も喋れないから言葉は聞こえなかった。その一瞬もあっという間に過ぎてサンは消えた。 僕の腕の中で―――影も形も残さないで消えた。 見間違いだったかもしれない。読唇術なんて出来ないから勘違いかもしれない。だけど僕はサンがこう言った気がしたんだ。 ありがと・・・、って。 何もできなかった無力感が僕の体を硬直させて、サンを抱きしめた体勢のまま僕は止まることなく消えていく砂漠の上に降り立った。 竜種の背中から降ろされたって実感はなかった。 リルム・アローニィが付き添うみたいに降ろしてくれたって理解できる余裕も無かった。 たった数日限りだけど、間違いなく一緒に過ごした小さな女の子が消えてしまった事実に―――呆然とするしかなかった。 何かしたかった。だけど何も出来なかった。 どうしようもない力の無さ。それがウェイバー・ベルベットの真実。 「誇れ!」 そんな僕に向けて声が降ってくる。 ずっと、ずっと、ずっと腕の中を見下ろしたまま、動けない僕に向けて声が降りてくる。 「貴様は最後の最後にあの小娘を救ったのだ。うつむかず、ただ誇るがいい」 真っ白になった頭でも向けられた声に反応してしまい。顔を上げて見ればライダーがそこにいて僕を見下ろしてた。 いつの間に神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)から降りて近づいてきたのか判らない。 どうしてライダーがここにいるのか判らない。 判るのはサンが消えた事。 ライダーの手が僕の額に伸びてきて―――。バチンッ! って大きな音を立ててデコピンを繰り出した。 「あ痛ぁっ!!」 真っ白になった意識の底から悲しみが湧いて、それが目から溢れる涙になろうとしたけど。別の意味で涙が出そうになった。 ものすごく痛い。 瞬間の痛みはサンに刺された時に匹敵するかもしれない。 僕は額を抑えながら恨みがましくライダーを見る。 「ライダァァァ!!」 「辛気臭い別れは好かんぞ。胸を張らんか、大馬鹿者」 頭を割りそうな痛みとライダーの言葉で僕は強制的に正気に戻された。そして僕の目は沢山の、沢山の、沢山の消滅を見てしまう。 砂の上に立ってるライダーの後ろ。御者台が、車輪が、牽引部分が、雷牛が、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)が粉になって溶けていた。 太陽の光が降り注ぐ青空は割れた所から少しずつ夜空に侵食されてる。 戦場を見ればどこにでもいたライダーの臣下達はものすごく少なくなってる。 遠くに見える竜種とは違う大きな塊はキャスターが新たに呼び出した巨大海魔だろうか? それもどんどん消えていく。 何もかもが消えていく中で残っているのはピクリとも動かないか弱弱しく震える竜種が何匹かだけだ。僕の目の前にいるライダーにも、等しく消滅が訪れてる。 僕の頭を弾いた指から始まって、手が、腕が、少しずつ粉になって肉体が解けていく。 「ぁ――」 「どうやら此度の遠征はここまでのようだ」 「ライダー・・・」 勝ったのに、負けてないのに、唐突過ぎる別れに言葉が出てこなかった。サンの時みたいに感情に任せて出す言葉も無い。 こんなのってない!! マスターじゃなくなった時に一度は別れを覚悟した。でも今はあの時と決定的に状況が違う。 消えるのはマスターとサーヴァントの繋がりだけじゃない、ライダーがここから完全に消えるんだ。 だから余計に何を言えばいいのか僕には全然判らなかった。 「なあに、こうして二度目の機会に恵まれたのだ。ならば三度目が合っても不思議はなかろう? 余はまだこの世界そのものを征服する夢を諦めてはおらんぞ」 そう言って大らかに笑うライダーはいつものライダーだった。 体のあちこちが消え始めて、もう間もなく消えてしまうのが判ってる筈なのに――。ものすごく消耗して立ってるのも辛いはずなのに―――。膝を折って倒れたり、気絶した方が楽だって知ってる筈なのに―――。 出会ってから何も変わってないライダーがそこにいる。 だったら僕はライダーに見せなきゃいけない。成長した僕自身を見せて、そして胸を張って見送らなきゃいけない。 きっとそれが今の僕に出来る精一杯の事だから。 悲しさと痛みで溢れそうだった涙を手で拭って、僕はライダーをまっすぐ見た。 「だったら僕がその三度目を作ってやる」 「ほぅ?」 「いいや、それだけじゃないぞ。いつか僕だってお前みたいに英霊って呼ばれるくらいまで偉くなって『英霊の座』に行ってやる。そこでお前にこう言ってやるんだ『英霊なんて、大したことないな』って」 口にして初めてそれがどれほど途方もない道なのか思い知らされた。 英霊を現世に召喚するなんて離れ業が実現しているのが聖杯戦争だけど、ライダーと『三度目』を実現するなら、それと同じ位の魔術を極めなきゃいけない。 始まりの御三家と呼ばれる遠坂・マキリ・アインツベルンの魔術の名家が秘技を結集させて作り上げた聖杯戦争。これと同じかそれ以上のモノを作り出さなきゃ、召喚して再会なんて出来ない。 ライダーがさっき言った『現世に繋ぎ止める何か』が修復不可能だったら、僕はそれを一から作り出さなきゃいけない。 英霊の座についても同様に、僕が宣言した相手は正真正銘の英雄―――征服王イスカンダル。彼の偉業に匹敵する功績を成し遂げなきゃいけない。 この現代の世界でどれだけの偉業を成し遂げればそこに至れるのか見当もつかなかった。 少し考えただけでも無謀どころか不可能だと思う。 それでも僕は本気だ。本気でそう言った。ライダーに言ってやった。 「ならば余は楽しみに待つとするかのう」 「ふんっ! すぐに辿り付いてやるから覚悟してろよ」 こうやって話している間にもライダーの体はどんどんと消えていく。その消滅速度がサンのそれを比較対象にして考えると遅く感じるのは、きっとこの固有結界を含めた全てがライダーを構成しているモノだからだと思う。 見渡す限りの砂漠は時と共に消えていく。この広大な空間の消失とライダーの消滅はリンクしてるんだ。 もう空の大部分は冬木の夜空に塗り替えられて。砂漠もほとんど残ってなくて、人が作り出す建築が代わりに見え始めてる。 数百人以上いた兵士はもう一人も残っていなくて、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)も姿を消してしまった。 その巨大さが理由でキャスターの巨大海魔が消えるまでの時間を長引かせてるみたいだけど、きっと十秒も残ってない。 下半身が消えてるライダーも他の全てを追うように消えてしまう。 それでもライダーは笑ってた。足がないから立ってはいないけど、背筋を伸ばして悠然とそこにいる。そうしてまだ消えてない方の手を開いて僕に向かって伸ばしてきた。 僕の頭ぐらい軽々と握り潰せそうな大きくて無骨な戦う者の手。伸ばされた手が握手の為だって気付いた時、僕も急いで手を差し出してライダーの手を握りしめる。 思えばこんな風に正面から手を握り合った事は一度だってなかった気がする。 軽々と僕を摘み上げて、僕の頭にデコピンして、剣を握って、手綱を握って、酒器を握って、現代の雑誌も握ったライダーの手。僕はその手と―――征服王イスカンダルの手と、王の手と握手をしてるんだ。 「また会おう、ウェイバー・ベルベット」 「――ああ。またな、ライダー」 咄嗟に『イスカンダル』の名前が出てこなかったのが悔しかったけど、僕はずっとライダーの事をライダーって呼び続けてたから、きっとこれでいいんだって思っておく。 ライダーはほんの一瞬だけ僕から視線を外して後ろを見た。そこにあった眼差しにどんな意味を持ってたのかはすぐには判らなかった。ライダーはこれまで協力してくれたリルム・アローニィを見る。 一瞬の目配せでライダーは感謝を伝えた。直視したら『カイエンに礼を言っておいてくれ』と言ってるの判ったかもしれないけど、これは妄想に近い僕の予想だ。外れてるかもしれない。 その一瞬が過ぎ去ってライダーの視線が僕に戻る。それが―――そこが―――限界だった。 「・・・・・・・・・」 ライダーは僕が見守っている中で、僕と視線を合わせる中で、音も無く消えた。 僕の視界の中にはもう神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)も王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)も無くって、教会がある冬木の景色が広がってた。 その中に相変わらずほとんど動かない竜種の姿もあったけど、僕の中には『消えた』って実感しかなくって、竜種にまで気を回す余裕なんて無い。固有結界のお陰で戦いの苛烈さと裏腹に周囲は全然壊れてないけど、僕にはそれを気にする余裕がない。 消えた。 ライダーも、英霊も、固有結界も。何もかもが消えた。 肌寒い夜の空気は砂漠の熱風とはまるで違った。空に広がるのは月と星が光る夜空で、大地は砂のサラサラした感触じゃなくて石畳のごつごつした感触を返してる。 サンも、ライダーも。皆、ここじゃない別の場所に帰っていった。 足の力が抜けて膝がコンクリート造りの道路の上に触れる。両手がそれを追いかけて地面に当たった。 何とか張っていた気が破ける。目から流れる涙が止められない。 勝ったのに終わった。 負けなかったのに消えた。 消えた実感が作り出す、言葉じゃ言い表せない大きな大きな喪失感。 「う・・・ぅ・・・うぅ・・・・・・うううう・・・・」 歯をくいしばっても駄目だった。 僕は泣いた。泣く以外に何も出来なかったから―――泣いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 激情。そうとしか言い表せない感情が俺の背中を押した。 砕いて、焼いて、斬って、撃って、壊したい。 払って、貫いて、捻って、潰して、殺したい。 滅ぼしたい。 辛うじて、三闘神は直角二等辺三角形になる様に陣取らなければならない、とか。桜ちゃんを助ける為には治すのも必要、とか。破壊以外の思いも俺の中にあったが、目の前にいる敵を含めて全てを壊したいと思っている俺がいた。 あれが闘いの神、三闘神の一柱『魔神』のほんの一部なんだろう。 本当の『魔神』の大きさは俺程度が使える力に収まらず、俺が使ってたのは一割にも満たない。もっと力を授かっていたら『間桐雁夜』は完全にこの世から消滅して『魔神』に乗っ取られた。確信をもってそう言える。 与えられた力が小さかったから俺は『魔神』であり間桐雁夜として戦えた。 あれは間桐雁夜だったのか? それとも三闘神だったのか? 膨大な力は俺の心を侵し、俺が戦っていたのか『魔神』が戦っていたのかよく判らなくなる時が合った。 そんな時間が終わり、俺は人に戻っていく。 『魔神』が消えていく。 間桐雁夜が戻ってくる。 俺か、それとも『魔神』は、まだまだ壊したりないと思っていた。 それでも、衛宮切嗣に力を与え、三闘神を差し置いて破壊をまき散らそうとしている根源を破壊できたので、少しだが溜飲は下がっている。 事態を思い返している俺がいる。 ここはどこだ? 俺はそう考えた。 俺自身の事、『魔神』の事、桜ちゃんの事、戦いの事。破壊以外の事を振り返っているのは間違いなく俺、間桐雁夜であり、俺の意識は俺として存在している。 けれど何も見えていないのだと自覚している俺もいる。 目を開けているとか閉じているとか、そう言った類の『感覚』が何一つなく。存在するのは間桐雁夜の意識のみ。 見えない、聞こえない、触れない、匂わない、味わえない。五感が何も感じられないのに、不思議と自分はここにいると実感はあった。 何だこれは? そう思った時、この事態と同じような事が前に一度あったのを思い出す。そうだ、バーサーカーと向き合ったあの時と―――夢だと自覚して、誰かの中だと理解した時もこんな風に―――。 「そう・・・ここは貴方と私の中にしか存在しない、私達の心が作り出す夢の世界よ・・・」 いきなり声が聞こえて、何も感じなかった世界が一変する。 何もなかった世界に向かい合わせに腰掛けるボックスシートが幾つも現れた。俺から見て両側に現れたその椅子の外側はカーテンで覆われた窓がある。 両側の椅子の間には長い絨毯が敷かれ、足元から聞こえてくるカタンカタンという音に合わせて振動も伝わってくる。すぐにこの景色が列車の中だと気付いた。 けれど、椅子も絨毯の隙間に見える床も天井も多くは木製で作られているようで、古めかしい印象を受ける。 何より椅子も床も天井も扉も柱も窓を覆うカーテンも何もかもが黄色なのが異様だ。唯一別の色を持っているのは目の前に立つ女だけ。 アッシュブロンドの髪の毛をポニーテールにして、淡いブルーの目で俺を見ている。 頭にはヴェール。肩を露出させた赤い服と薄手のマント。初めて見た時と全く同じ姿をしたティナ・ブランフォードがそこにいた。 「ティナ・・・」 桃色の怪物になって俺達の前から消えたティナが元の姿になってここにいる。 懐かしさと周囲のおかしさと喋っている俺自身をそれぞれ思って、どうすればいいのかよく判らなくなってしまいそうだ。 呆然としそうになる中、俺が感じた事と語られた『夢の世界』と合わせてここがどこかの答えを出す。そうやって、とりあえず自分を納得させているとティナの方から話しかけてきた。 「士郎はちゃんと親元に送り返したわ。貴方達二人は戦いを終えて砂浜に寝転がってる・・・近くに衛宮切嗣もいるけれど、宝具の力で蘇るよりも騒ぎを聞きつけた人たちに保護される方が早いから、貴方達はもう安全よ。あれはセイバーの魔力合っての治癒能力だから、もうあんな無茶は出来ないと思う・・・」 いきなり言われた事が何だったのか理解するまで少しだけ時間が必要だったが。すぐに三闘神の事と人間に戻った俺達の事だと理解する。 ここが夢の世界だとするなら、現実の俺はバーサーカーの時と同じように気絶してるか寝てる筈。無防備な姿を敵に曝け出す危険を思ったが、ティナが―――ゴゴが安全だと言うなら大丈夫だと思い直す。 「そうか――」 俺達は勝ったのか? そう続けようとする前にティナの言葉が俺の言葉を止めた。 「ゴゴが・・・いえ、私が貴方も桜ちゃんも間桐邸に送り届けられればよかったのだけれど。そこまで出来る時間はもう無いみたい」 俺は戦っていた。桜ちゃんと戦っていた。 だからそれが気になるのだけれどティナの言い回しはその懸念を押し退けてしまう不可解さを含んでいた。 三闘神や衛宮切嗣の事、どうして俺の夢にティナが現れているのか? それらの事を聞く前に、俺はその違和感を話題にする。 「何を言ってるんだ。まるで御別れみたいに・・・」 「そうよ」 ティナは言った。 聞き違えなど出来ない明確な言葉だった。 「お別れを言いに来たの。桜ちゃんとも話せればよかったんだけれど、こうやって繋がれたのは貴方だけ・・・桜ちゃんは夢も見ないくらい憔悴してたから――」 ティナがそう言うと、列車の客室に見えていた風景がゆがみ始める。焦点の合わないぶれが辺りを崩していって、新しい風景がどんどんと形作られていく。 外れていたピントが合うと、そこにはもう列車の風景も足元から伝わってきた音も振動も無い。代わりにごつごつとした岩が全方位を覆い隠し、洞窟のような有様を見せていた。 ただし列車の中と色彩は同一で、ティナの後ろに伸びる穴も足元と横の岩肌も全てが黄色のままだ。俺とティナの立ち位置だけが変わらずに辺りだけが変わってしまった。 俺は異様な風景から目を逸らし、ただティナが告げた『お別れ』に強く反応して言葉を投げつける。 「何で急に――」 「もう私達がここにいる理由がなくなってしまったの」 「――まだゴゴは物真似を終えてないだろ? 桜ちゃんが救われてるかなんて――確かめてないし、聞いてもないぞ!」 「いいえ」 ティナは断言した。 俺が何を言ってもティナの意思は変えられない。決して譲らず、すでに決まった事を俺の前で繰り返しているような、そんな風にも感じられた。 そして俺が告げた物真似の終わりを口にする。 「もう桜ちゃんは救われてるの。あの時・・・、遠坂夫妻の呪縛から解き放たれて、私ではなく貴方のもとに走った時。桜ちゃんは私達ではなく貴方と居るのを選んだのよ。あの時、桜ちゃんは貴方に救われた――」 そう言うとティナは僅かに俯いて、俺をまっすぐ見ていた目を下に向けてしまう。 その姿は物真似を自分の手で成し遂げられなかった悔しさを物語っている気がした。 「雁夜。貴方はもう桜ちゃんを救ったの。ゴゴは貴方の物真似を終えてしまったわ・・・」 そして目を上げながら、一瞬で姿を変えてしまう。 俺の前にいるのは俺と桜ちゃんと別れた時の姿―――。人と同じく手足を持つ生き物だけれど、同じ『人間』とはどうしても見れない桃色の燐光を放つ異形の怪物だ。 周囲が黄色一色だからこそ、余計のその姿が際立つ。 「それに見たでしょう? 人と幻獣の血を引くこの姿の私に怯える桜ちゃんを――。この姿も私、人の姿も私、どちらも間違いなくティナ・ブランフォード。たとえこの姿でいなかったとしても、桜ちゃんはきっと私を怖がるわ。傍にいない方がいいのよ」 「そんな事は――」 無い。と言いかけたが止めた。 俺は大丈夫だ。きっと桃色の怪物の姿だろうと、人の姿だろうと、それがティナ・ブランフォードでありゴゴだと理解している。特にものまね士ゴゴと一年接してきたので、見た目の異質さには誰よりも慣れている。 でも桜ちゃんはどうだか俺には判らない。何故なら俺は桜ちゃんではないからだ。 その人の気になって、不明確な事をこの場で言える筈がなかった。急な別れを嫌がっている俺が桜ちゃんをだしにして、そんな事は無い、なんて言えなかった。 桜ちゃんの心は桜ちゃんだけのもの。俺のものでも、遠坂のものでも、間桐のものでもない。 大人の都合で振り回された子供の心は桜ちゃんだけのもの。代弁なんてしちゃいけない。 だから何も言えなくなった。 「遠坂が崩壊して、アインツベルンは無くなって、大聖杯は壊れて、聖杯戦争はもう行えない。桜ちゃんの日常の中に闘争の空気を持つ私たちは相応しくない。それに知ってるでしょう? ゴゴはものまね士――、物真似を終えたらすぐに次の物真似を見つけたくなる人なの」 子供をあやすような優しい言い方で話しながら、ティナは元の人の姿へと戻る。 その変化に合わせてまた周囲の景色が変わり。今度は奥に立派な椅子を置いた広い空間へと変わった。 ティナの真後ろには大きな椅子。両脇には中身のない西洋甲冑が二つ飾られ、石造りの巨大な柱が左右対称に何本も立ち並んで、最初の列車の中で見た絨毯よりもかなり上等な物と思われる敷物が床を覆っている。 直接自分の目で見た事は一度も無いが、奥に行くにしたがって段差が上がっていく構図から何となく『玉座の間』という言葉を思い浮かべた。 ただし色が黄色だけなのは同じままなので、豪奢な作りだと思いながら見た目だけを整えた張りぼてに見えてしまう。 誰も座っていない玉座を背にしてティナが言う。 「ねえ、雁夜・・・」 「何だ・・・」 「貴女と桜ちゃんと士郎。三闘神の力を受け止めた三人の中で貴方の魔術の才能はとても小さかった。だから、この世界の『魔術』じゃない私たちがいた世界の『魔法』を他の二人よりも受け止められる・・・。貴方がこの一年でとても大きな力を得られた理由はそれよ。雁夜、貴方の『魔術』の才能の無さはそのまま私たちの『魔法』を手に入れる為の受け皿の大きさでもあったの」 何故そんな事を今言うのか判らなかったので、俺は黙って語られる言葉に耳を傾ける。 出来るなら何千何万もの言葉を使って別れを止めたかったけれど。ゴゴは口にした言葉は必ず実現させると俺自身がよく知っているから、拒否する俺と諦めている俺が同居していた。 俺が何を言ったところでゴゴは―――ティナは揺るがない。 「桜ちゃんの才能は大きすぎるからどうしてもこの世界の魔術に傾倒してしまう。もちろん私たちの『魔法』は使えるけど、それは桜ちゃんが魔術側にアレンジし直したものだから・・・。貴方は私たちの『魔法』に『魔術』を一番近づけられる人」 似て非なるモノ。同じに見えて全く違うモノ。 間桐の魔術の才能の無さが作り出す、魔石によって与えられた力の強さ。 才能の無さが有りだと言われても納得できない。俺がそう言おうとする前にティナは手を前に向けて―――俺の方に手のひらを向けたまま言った。 「これは御守りよ・・・」 するとティナの手のひらから一年で見慣れてしまった緑色のクリスタルが現れる。 中央に光るオレンジ色の六芒星と人の手から現れる常識外れの出方でそれが魔石だとすぐに判る。 何の為に魔石を出した? 今、話している内容と何か関係があるのか? 何か聞こうとする所にどんどんと積み上げられていく新しい疑問。俺がそれらを言葉にするよりも早く、ティナは次の言葉を放ってくる。 「幻獣の中でただ一人だけ・・・人を愛してくれたおとうさんの力。この世界で誰よりも私たちの『魔法』を胸に宿した貴方なら・・・、きっと貴方に馴染むわ。それに『マディン』が燃え尽きそうな貴方の命をきっとこの世界に留めてくれる筈」 そう言うとティナの手のひらの前で浮かんでいた魔石が緑色の粉となって玉座の間の中に広がっていった。 そして風が吹いた訳でもないのに緑色の粒子となった物は渦巻いて俺を取り囲む。 ぐるぐると俺の周りを回り。 ぐるぐると範囲を狭め。 ぐるぐると俺の体に付いて―――俺の中に入ってくる。 列車の振動や音、見ている風景など五感は疑似的に感じられている筈だが、緑色の光が俺の中に入って来る時は何も感じなかった。 夢だからか、痛いとも気持ち悪いとも思わず。ただ魔石『マディン』の力が俺の中に入ってくる結果だけがここにある。 「それから『守る』と『過保護』は違うの、それだけは覚えておいて。貴方ならきっとおとうさんの力も使いこなせて桜ちゃんと一緒に生きていけるわ」 俺に変化は無い。何らかの力を与えられたのだとは聞いて判ったけれど、実感を伴う程の変化は無い。ただ『幻獣の力が宿った』と言葉を見聞きしただけの結果しかなかった。 変化はまっすぐ俺を見るティナの方に起こっている。 伸ばした手を降ろすと表情が曇り、背後に風景の黄色を押し潰す黒い穴が広がった。 見覚えがある。 あれは別次元空間への穴。魔法を唱えた素振りはまるでなかったが、あれは『デジョン』が作り出す穴。 ゴゴがこの世界に迷い込んだ時に通った穴。出口であり入り口。閉じてしまえば入った者と入らなかった者を完璧に隔絶する障壁。 「貴方達と過ごせた時間は本当に楽しかった。長生きしてね、雁夜――」 「ちょ――」 「さようなら・・・」 ちょっと待て―――、手を伸ばして捕まえてそう叫ぼうとする前に『デジョン』の穴は広がった。そして夢の世界は闇一色に染められてしまい、俺の意識はそこでぷっつり途切れた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 自分の置かれている状況をわきまえず、ひたすらに泣き叫ぶウェイバー・ベルベットが見える。 セイバーの一刀によって聖杯戦争は終わるしかなかった。遠く離れた場所で強制的に作り出されてしまった別れに悲しみを抱くのも理解できる。だが、敵そのものがいなくなった訳ではなく、ここが戦場のど真ん中である事実はまだ変わっていない。 聖杯戦争の敵はいなくなった。しかし、それ以外の敵は健在だ。 そんな中で無力を見せびらかすのは『どうぞ殺してください』と言ってるのと同じ。体験を積み重ねて間違いなく成長しているウェイバーだが、まだ戦う者としての心構えは素人に限りなく近いと言うしかない。 この場にいる全てのゴゴは違う。一人死にかけているが、戦いへの意欲は全く衰えていない。 敵の数は『減った』であり『無くなった』ではないので冬木教会を視界に捉えながら戦場の全てを見渡す。 そこでゴゴは気が付く。 俯いたり、目に涙を浮かべて号泣するウェイバーは気付いていないようだが、ゴゴにとっては気付くのが普通だ。 大聖杯が破壊されたことにより、ライダーが、アーチャーが、アサシンが。黒きサーヴァントとして再召喚されたランサーが、こちらのアサシンが、キャスターが解けて消えた。その現象と同じように、あるモノが粒子になり始めた。 それはライダーの遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)で瀕死の重傷を負わされ、むしろまだ生きているのが不思議なほど体を損壊させたストームドラゴンだった。 観察を続ければ、粉になってゆくのはストームドラゴンだけではないのに気が付く。八竜の他の七匹もまたストームドラゴンの変化を追いかけるように体が粉になって解けてゆく。 怪我を負った竜もまだ健在の竜も例外なく、八竜全てが分解される。 それどころか地面に落下した後はピクリとも動いていなかったケフカ・パラッツォもまた同じく分解されてしまい。ケフカに召喚されてアーチャーの猛攻から逃げ切った―――さすがに『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』のほぼ直撃を喰らって手足が片方両断されているが、それでも何とか生き残っていた―――幻獣『ギルガメッシュ』もまた同じく体が解けていく。 「うおっ!? なんじゃこりゃ!」 突然、体が粉になって融解していく異常事態にギルガメッシュが叫ぶが。動揺とは無関係に人型はどんどんと失われていった。 これで粒子になってしまったモノが空に消えていくのならばサーヴァント達が辿った末路と全く同じなのだが、総数十か所以上から現れた粉はそれぞれの色で輝きながらまだそこに留まっている。 そして全ての粉が空のとある一画へと集まっていく。 我は力――。 音にも聞こえる声が空に響いたのは粉が集まりだした直後だった。 最早、冬木のどこにもケフカも八竜の姿も無く、彼らが居たであろう場所に出来上がった凹みが名残として残るのみ。 その代わりに夜空の一部に新しいモノが生まれようとしている。 我は命――。 続く言葉を聞きながら、ゴゴは視界の片隅で泣き続けるウェイバー・ベルベットを見る。 もしこの音の様な言葉がウェイバーにも聞こえているならば、間近にいる敵か味方か判別できない何かを警戒する筈。それが出来ないほど悲しんでいる可能性はあるが、積み重なった経験でそれはないと判断する。 ウェイバーは泣くのを止めない。 つまりこの声はゴゴにだけ聞こえているらしい。 集まっている粉の大本がケフカとその魔力であるならば納得は出来る。何しろこの世界に現れたケフカの源はゴゴであり、ゴゴは宝具の力で分裂する以前からミシディアうさぎを介して各所に散らばった自分自身と意思疎通を可能としていたのだから。 今から現れようとしている何かがゴゴの力を有している、本体たるゴゴにだけ声を届けてもおかしくはない。 我は竜族を統べる者――。 空に舞い上がった粉は徐々に一つの形を形成し、その大きさは首長竜であったイエロードラゴンを凌駕し、けれど輪郭は東洋の『龍』を思わせるブルードラゴンへと近づいてく。 あるいはまだ形が定まっていない今の状態なら現れようとしている『何か』の出現を阻止することも可能だろう。 大きさでは今もリルムの横に控えている幻獣『バハムート』よりも大きくなりそうだが、そこに至る前に倒してしまえば事態は収拾される。 しかしゴゴはそれをしない。 ゴゴにとって未知とは脅威ではない。万物を知り、自分が何者であるかを作り出そうとしているゴゴにとって、未知とは歓喜だ。自分を思い出したが故にその思いは顕著だ。 そこに出てこようとしているモノはケフカではない。八竜でもない。当然ながら幻獣『ギルガメッシュ』でもない。全く新しいモノならば、邪魔は出来ない。したくない。 我は救世の悪魔にして破壊の神なり――。 ゴゴが何もせずに放置する間に変化は完了へと近づき、大地から浮かび上がり空で大量の粉が形を成していく。 それは竜だった。 大きさは幻獣『バハムート』を大きく上回る。目算だが体長は軽く四十メートル以上あり、絶滅した動物と現存する動物を合わせた中でも最も大きなシロナガスクジラよりも大きい。 ただしその大きさは頭から尻尾の先までの長さなので、実物から受ける印象はもう少し小さい。それでも、滞空する高さが低いので、地上に立つ人の視点で間近に見てしまえば巨大な山がそびえ立っているように錯覚する。 やはり西洋の『竜』ではなく東洋の『龍』を思わせる細長い体だが、元々がとてつもない大きさなのでそれを細長いとは思えない。鱗もまた一枚一枚が巨大で、人が使う大きな盾を全身にまとっているようだ。 背中に生えた一対の羽根は空を飛ぶ機能を有しているのは間違いないが、触れたもの全てを切り裂くだろう鋭さは羽根よりも剣に近い。 ブルードラゴンと長さとストームドラゴンの翼と配色。レッドドラゴンの頭とイエロードラゴンの体毛。 粉になって集まった残る四匹の竜、アースドラゴン、フリーズドラゴン、スカルドラゴン、ホーリードラゴンを思わせる部分は見えなくなってしまったが、全ての力を有している事は容易に想像できる。 ケフカの力も、幻獣『ギルガメッシュ』の力も集結したのだから。 この世界の幻想種の中でも最強と名高い竜種。それが空の上からゴゴを見下ろしていた。 我が名はカイザードラゴン。 そう名乗りを上げた時、ゴゴはこの竜がものまね士ゴゴの力から派生したものではないと理解した。 状況を考えれば間違いなくゴゴの力の一端であると判りながら、それでも違うと理解する矛盾。 最初はゴゴの存在すら呑み込んだ聖杯かこの世全ての悪(アンリマユ)かと思ったが、その場合は態々ケフカの姿を捨てて竜に変化する必要は無い。 ただそこにいるだけで圧倒されそうな存在感はケフカとは対極にあり、禍々しさは無くただ大きいと感じるのだ。大自然の化身だと言われても大いに納得できる。それがこの竜―――カイザードラゴンと名乗った存在。 全ての竜族の魂を抱き我がカイザードラゴンが貴様を滅ぼしてくれる。 ゴゴの力を有しながら、決してそれだけではないモノ。 そう考えた時、ようやくゴゴは矛盾の解答に辿り付く。向こうが現れるまでに時間が合った事と自らを知らしめるように名乗った事で余裕があった。もしその余裕がなければ考える時間など与えられなかっただろう。 この世全ての悪(アンリマユ)はゴゴの力を奪い去ったが、カイザードラゴンは変質したケフカとしての力すらも呑み込んでいる。そんな事が出来る存在などそうそう居はしない。 疑いと確信を半々に持ちながら、ゴゴは―――ランサーとの戦いを止めざろうえなかったカイエンは―――宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』の効果を解除してものまね士に戻り、肉声でカイザードラゴンに語りかける。 それは答え合わせであり鎌をかける為だった。 「俺の一部がケフカに喰われた時に存在を紛れ込ませたか。気付かれぬように干渉を続け、再生に全力を注がなければならない状況を作り出して一気に乗っ取ったな。まさか、こういう手で俺の力を盗むとは思わなかったぞ――、『抑止力』」 ゴゴがそう告げると、空に浮かぶカイザードラゴンが目を細める。 そしてゴゴにだけ聞こえていた声ではなく竜の口から万人に聞こえる言葉を発した。 「気付いたか――」 「俺を甘く見るなよ。お前が俺の前に現れたあの時、俺はいつであろうともお前を警戒した。この世界で俺と渡り合うとしたら、おそらくそれはお前だけだ」 そこで一旦言葉を区切る。 「間桐鶴野としてのお前に『街一つ滅ぼす力の行使はお前と戦う事になるのか?』と聞いた時、お前は『ならない』『大規模な自然災害で死ぬのと大差はない』と答えたな。今はまだその段階の遥か以前にありながら、どうしてお前はここにいる?」 「状況は変わったのだ」 空の上から降り注ぐ声は間桐鶴野の時に聞いた声とは全く違っていた。 重みがある、と言えばいいのだろうか。声一つに一つに力があり、聞くだけで常人ならば動きを止めて膝を折ってしまうかもしれない。 「『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』『裁きの光』『三闘神』『この世全ての悪(アンリマユ)』。貴様はバトルフィールドを行使しながらそれを超える力を獲得し、あるいは行使した。そしてお前を殺す為の力もまた増大し、力は破裂寸前の風船のように膨らんでいる。このままでは貴様が制限をかけようと、いずれは破裂するのが必然」 「だから俺を消す、か?」 「ここが分岐点―――今この瞬間を逃せば貴様は『世界の破滅』へと昇華する―――。始まる前の終わり―――ここで貴様を滅するが我が役目!!」 単なる言葉が咆哮のように空に轟いた。 カイザードラゴンの言葉を聞きながら、ゴゴが常に抑止力を警戒していたように、抑止力も常にゴゴを監視していたのだと知る。 最初に『抑止力』が現れた時から判っていた事だが、改めて言葉にされると自分以外の誰かがいつも傍にいる気持ち悪さを覚えてしまう。もっとも、そんな気持ち悪さなど今は何の意味も無いので、覚えた瞬間に消し去ってしまうが。 ただ敵を見据え、ゴゴは告げる。 「こうして再び表に出てきたのは俺を殺す手段が出来上がったからか」 「その通り。今の貴様では我には勝てん」 初めて会った時は警告だったので長々と間桐鶴野の体で言葉を交わしたが、今いるのは互いを敵と認識した者同士のみ。 むしろこうして話している状況こそが異質なのだ。お互いの間にあるのは殺すか殺されるかしかありえない。 「・・・・・・いいだろう。その思い込み、真正面から叩き潰してやろう」 ゴゴがそう言うと、少し離れた位置にいて死にそうなロックの体が、セリスの体が、マッシュの体が、リルムの体が、呼び出された幻獣たちが、回復魔法をかけた時のように全身から白い光を放ち始める。 その輝きは冬木から遠く離れたドイツの地でも、冬木の各所に散らばっているミシディアうさぎ達にも、海岸で三闘神と衛宮切嗣との戦いを見守ったゴゴと幻獣『ケーツハリー』にも等しく起こった。 聖杯戦争を破壊する為にアインツベルンの本拠地を強襲し、ありとあらゆる財産を物真似して破壊した者たちの一人。セッツァー・ギャッビアーニは白く光る自分の手を見ながら呟く。 「集う時が来たか。いつか来るとは判っていたが―――こうして辿りつくと色々と名残惜しいもんだな」 そう言いながらセッツァーが顔を上げると、彼の周りには同じように全身を白く光らせる者たちがいた。 野生児のガウ、モーグリ族のモグ、雪男のウーマロ。誰もが宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』によって変化したゴゴだ。 しかし、彼ら以外にもこの場に居合わせた者達が居て、その彼らは白い輝きを放っていなかった。 セッツァーと全く同じ姿であり全く別のセッツァー。別のガウ。別のモグ。別のウーマロ。彼らは姿形こそ同じだったが、白い光に包まれていない。 降り積もる雪の白さをかき消す白い輝き。その光に包まれながら、光っている方のセッツァーはここにいる全員の顔を見渡し、同じ顔をした自分自身へと語りかける。 「元の場所に戻って戦う時が来た。残念ながらここでお別れだ」 するともう一人のセッツァーは一度だけ自分の顔を見下ろして、同じ姿をした自分の目を見ながら返した。 「もう少しでアインツベルンのホムンクルス技術を完全に物真似できたんだがな。後は残った俺達に任せておけ。ここを更地にする後始末もちゃんをやってやる」 「頼んだ」 輝きを放っている方のセッツァーがそう言うと、光はより強く輝いて大きく膨らんだ。人の形をした輝きが巨大な球となり、そして握り拳程の大きさまで一気に凝縮される。 その現象はガウにも、モグにも、ウーマロにも起こり、四つの白い光球が雪深いドイツの地に現れた。 そしてそれら光球は出来上がると同時に空へと舞いあがり、遥か遠方にある冬木へと飛んでいく。 宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって分裂したゴゴの力。あるいはゴゴによって召喚され、この世界に根付いていない幻獣やミシディアうさぎ達。彼らは等しく白い光球へと姿を変えて、冬木教会にいるゴゴの元へと集まっていった。 ロック、セリス、マッシュ、リルム。彼らもまた例外ではなく、一人、また一人と姿を光球に変えてゴゴに吸い込まれていく。 一つ。また一つ・・・。 カイザードラゴンが肉声で話し始めた辺りから泣き顔を上げたウェイバー・ベルベットがその摩訶不思議な現象を見つめている。そして空に浮かぶ巨大な竜も見て腰が抜けるほど驚いていたが、ゴゴにとって視界の隅に見える人間等どうでもよかった。 「『抑止力』。この一年、どうすればお前を物真似できるかずっと考えていた。お前はこの世界を構成するシステムの一つだが、同時のこの世界そのものと言っても過言ではない存在だ」 見据えるのはただ敵の姿。 空を舞う竜―――竜の姿を借りた抑止力―――カイザードラゴンだけだ。 「だからこそ俺はものまね士として『世界を物真似すればいい』と結論を出した。まずは手はじめてにここにいるお前の一部を消す。宣言通り俺は『お前を消す』ものまねをするとしよう。そのまま世界すら物真似してやろう」 「出来るかな? 貴様ごときに」 「出来るさ。俺はゴゴ、ものまね士ゴゴだ」 朗々と名乗った時、夜空を切り裂く流星のように四つの光がゴゴを直撃した。それはゴゴを害するかのように激突したが、光はただゴゴの中に吸い込まれて力を増大させる。 この世界を訪れた時と比較すれば少々欠けてしまったが、それでも分裂させた力のほとんどが一つの肉体に集結した。 全ての力を滅ぼさなければ意味はない。とでも言わんばかりにその集結を何もせずに眺めていたカイザードラゴン。 空を舞う竜は自分の後ろに夜空とは違う黒い円を生み出す。 それは宇宙空間を思わせる星の海で、カイザードラゴンの大きさをさらに上回る巨大な穴であり、『デジョン』が作り出す別次元へと移動するための通路だった。 カイザードラゴンはこう言いたいのだろうか? お前の力すら、最早、我のものだ、と。 背後に大きな穴を従わせながらカイザードラゴンが言う。 「ここで我らが戦えばこの大地を滅ぼしてしまう。場所を変えさせてもらうぞ」 「こちらの手間を省いたその余裕。命取りになるぞ」 ゴゴは返事をしながら少しだけ背を丸めて前かがみになった。 一瞬後、ゴゴの背中を覆う赤いショールを突き破って一対二枚の羽根が出現する。ゴゴのサイズに合わせて大きさは縮んでいるが、それは紛れも無くライダーによって倒されたストームドラゴンの翼だった。 力の一部を継承したケフカは召喚でそれを成し遂げた。この世全ての悪(アンリマユ)すら物真似した今のゴゴに出来ない筈はない。 宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を応用することで可能となった肉体の部分変化。 ゴゴはカイザードラゴンを見つめながら、新たな力を会得したのがお前だけだと思ったか? と不敵な視線を向ける。 するとカイザードラゴンは体を引いて『デジョン』が作り上げた空間の中へと入っていった。 無用な問答はもう不要なのだろう。ゴゴはその移動を追って、背中に生えた翼を羽ばたかせて空に舞い上がる。 カイザードラゴンが穴を通り、ゴゴもまたそれを追って穴の中に入る。巨大な力を有した二つの存在が次元の穴を通り抜ければ出入り口は消えた。 別次元と冬木とを繋ぐモノは無くなり、隔離された空間の中で二つは対峙する。互いの目に映るのはただ敵の姿だけ。 開始の合図など無く、ゴゴもカイザードラゴンも敵を消滅させるために攻撃を開始する。 「波動砲」 竜の口から放たれる一筋の閃光。 「メテオ」 全方位から敵へと殺到する隕石群。 こうして、誰にも知りようがない戦場で、一対一の戦いでありながら規模は聖杯戦争を遥かに凌駕する闘争が始まった。 人にそれを知る術は無い。仮定も結果も何もかもがゴゴとカイザードラゴンのものだった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - セイバー 空は紅色に染まっていた。 大地は血で染まっていた。 数多の死体は全てがかつて私を王として仰いだ者達だ。そして叛徒の逆臣であり、血を分けた息子モードレッドの心臓を槍が貫き、大地の上で死を描いている。 どこを見ても死が広がっている。 生きて動いている者など誰もいない。 空も地も等しく溢れた人の血で真っ赤に染まっている。 ここはカムランの丘。私が奇跡を願った場所。やり直しを望んだ場所。私の治世の終着であり、『世界』と契約を結んだ場所。 二度と戻らぬと望んだここに私は戻ってきてしまった。 「ごめん、なさい・・・」 生者が私以外に誰もいないから、ここでは王として装う必要はない。思いのままにただ詫びる。詫びても意味がないと判りながら、それでも私には詫びる。 それしか出来ないから。 語る言葉が空しく響く。 だが最早、奇跡を求められないと他でもない私こそが知ってしまっている。 私が、私こそが、聖杯を破壊した張本人なのだから―――。 既に鎧は白銀の輝きを取戻し、同胞たちの血に染まっても尚この武具は元の色に戻っている。 私はこの肉体を突き動かす衝動に抗えず、ただ敵を殺す為の獣となって動き、そして殺戮のままに聖杯を破壊した。 ここに戻される瞬間、私は聖杯を降臨させるためになくてはならない物を斬ってしまったのだと理解した。あの山に何が合ったのかは今も判らない、その筈なのに、ただ『理解』だけが私の中にある。 最早、ブリテンの滅びを聖杯の奇跡によって覆すことはできない。 いいや、違う! 無限に連なる可能性の世界の中のたった一つが消えてしまっただけの事。もし真に聖杯を手に入れられないのならば、私がカムランの丘に戻ってくる筈はない。 私は奇跡の聖杯を手にするために『世界』と契約を交わした。 聖杯を手にしない限り、何度でも、何度でも、何度でも、この場所に戻ってくる。だから戻って来れるのならば、『世界』の意志はまだ私に聖杯を与える手段があると認めているのだ。 別の可能性の世界で私はきっと聖杯を手にする。そして奇跡によって何もかも打ち消せる。 そう思わなければ私は壊れてしまう。 そうでなければ私は何も出来なくなる。 まだ―――まだ―――まだ―――。 やり直して、最初から初めて、白紙にして、仕切り直す。 私の心が『やり直し』を叫べば、合わせて悔いが溢れ出す。言葉が止まらない。 「ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・・私が、私なんかが・・・っ」 私なんかが王になどなるべきではなかった。 私は一体どうすればいい? どうすれば私はこの死体となった彼らに償える? 私は何をすればいい? 答えへの求めと後悔が混ざり合って慟哭となり、カムランの丘に木霊する。返ってくるモノは何もない、ただ静寂ばかりがあった。 何故、私は湖の騎士(サー・ランスロット)に斬られ、終わらなかったのか。 何故、私は選定の剣を引き抜き、王になってしまったのか。 何故、私は魔術師の言葉を聞き入れずに剣を抜いてしまったのか。 どうしたらいい? 何が出来る? 何をしたらいい? 何をしなければならない? 何が間違いだった? 心はぐちゃぐちゃに乱れていた。 「道案内、ありがとう――。あれはもう終わった事よ、考えても無意味だわ」 私以外の全てが死ぬカムランの丘に私ではない声が聞こえる。 聞き違いか? 見上げれば紅く染まる空を背にして―――。桃色に体毛を持ち、淡い光を輝かせる人に似た何かが―――。怪物が飛んでいた。 馬鹿な? 何故、こいつがここにいる? 間違いなく両断して殺したはずの敵が生きてここにいる。 混乱の中に湧き上がる焦燥。あまりにも唐突過ぎる変化に頭が冷静さを保てない。 「き、さま・・・」 思いとは裏腹に口からは怨嗟の言葉が現れた。 この怪物が私に聖杯を降臨させるための『何か』を破壊させた。その事実が私の心を力づくで憎悪へと導く。 「貴様の、せいで・・・」 「貴女のせいよ。この惨劇も、そして聖杯戦争の終結も――」 囁かれた言葉が私の心を抉る。 私の口から放たれる筈だった言葉は止められる。 「今の私にはどうでもいい事だけれど・・・」 桃色の怪物がそう告げながらゆっくりと降下し、私のいる位置から十数メートルほど離れた位置に舞い降りる。そして両足を紅い大地に着けた時、敵の輪郭がぶれた。 その奇妙な『ぶれ』は数瞬で収まったが。終わってみれば怪物ではない別の誰かがそこに立っている。 見覚えはあった。 キャスターの非道を知り、アインツベルンの城で行われた話し合いの場で切嗣から見せられた一枚の写真。そこに写っていた敵の一人。 「間桐・・・臓硯――」 「いいや、俺はゴゴ。ものまね士ゴゴだ」 その誰かが私には理解できない事を言った。 「ものまね・・・し?」 今まで一度たりとも聞いたことのない言葉に呟き、いっそ道化師と言われれば理解できただろうと思うが。重要なのは目の前にいるのが敵である点。 武器を取らなければならない。 しかし最も近くにあるのは私の息子の心臓を貫いた槍であり、引き抜くのは躊躇われた。何より敵は敵でも聖杯戦争における敵とカムランの丘で争って何になるのか。今更、ここで敵の一人を倒して聖杯は手に入らないというのに、戦ってどうするのか。 戦う意味を自分自身に問うてしまった時、私の体は強張った。 戦いの無意味さに動きは止まり、間桐臓硯だった筈の敵に語る余裕を与えてしまう。 「俺に戦う気はない。ただ『英霊の座』へ物真似しにいくつもりだったんだが――。まさか、時間移動を物真似する機会に恵まれるとは思わなかった。予想外だが嬉しい誤算でもある」 「貴様は何を言って・・・」 「戦いは終わった。もうお前に用は無い。それだけだ」 見れば見る程に不可解な姿が浮き彫りになり、間桐臓硯が男であった事実を覚えていても、目の前にいるものまね士と名乗った敵が男か女か判断できなくなる。 それでも語られた言葉には道理があり、聖杯戦争が終わったのは確かな事実として私も理解している。 ここで争っても意味は無い。戦ってどちらが勝とうとも、この紅く染まったカムランの丘がもう少しだけ赤くなるだけだ。 この者が明確なブリテンの敵だったならば戦えた。斬ることでランスロットへの、グィネヴィアへの、モードレッドへの償いになるのならば戦えた。 しかしそのどちらでもない。戦う理由が見つけられない。 いっそ、冬木で味わった全てが黒く染まって目の前の敵を斬る事しか考えられなかったあの衝動に身を任せられれば楽になれるかもしれない。 ただし、この者が告げた『用件』については否定される。何故、遥か遠い未来に存在する筈の者がこのカムランの丘にいる? その疑問の解が私の願いを叶える為の発端になるかもしれない。 戦わない理由と戦う理由とが同時に存在する。 それが大きな隙となり、敵が右手を広げて私に向けるまでの猶予を与えてしまう。 「スリプル」 「な――!?」 臨戦態勢を取っていれば難なく避けられたであろう魔術が使用され、私の意識は急激に遠のいていく。 「疲労しては対魔力も衰える――」 耳に届く言葉はどんどんと小さくなり、遠ざかっていく背中を追う力は失われていく。まぶたは私の意思に反して閉ざされていき、遂には完全に視界を覆い隠した。 待て! そう叫ぼうとしたが、私は沈んでいく意識に抗えなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ サーヴァント召喚システムによって英霊が召喚される時、聖杯から知識とクラススキルがそれぞれの英霊に与えられる。つまりサーヴァントとして召喚された時点で英霊は生前の自分とは同じでありながら全く別の何かに変わってしまう。 アーサー王を変質させた原因は召喚であり、それを後押ししたのはゴゴがサーヴァントの無意識に訴えかけた令呪に似た魔力干渉だった。これらによってアルトリア・ペンドラゴンはセイバーになった。 アーチャーやライダーは強烈な自己によって生前と変わらぬサーヴァントであり続けたがセイバーは違った。 聖杯から与えられた知識に毒されて、召喚以前に持っていた価値観と現代の価値観を混ぜ合わせてしまい、そこに迷いを生み出してしまった。 英雄王と征服王はその迷いを切り捨てて『だからどうした』と自らの王道を突き進んだ。 同じ王でありながら違いが生まれたのは聖杯問答の時にも合った、過去を悔いる者とそうでない者の違いだろう。その違いが意志の弱さとなり、付け入る隙を生み出してしまった。 もしセイバーがアーサー王に戻った時。サーヴァントならば行われていた干渉が消えて変質も無くなったならば、もっと他の何かか見れるのではないだろうか? そんな期待があったのだが、裏切られてしまった。 ゴゴにとって未知とは喜びそのものだ。その思いは自意識を覚えた瞬間から今に至るまで、例えその意識を複数に分割しようともゴゴである限り決して変わらない。 だからこそ得るモノが何一つ無くなったセイバー、いや、絶望に打ちひしがれたアーサー王ことアルトリア・ペンドラゴンには興味が湧かない。 変質がなくなった本物ならば物真似する価値あるモノがあるかもしれないと考えていたが、結果はむしろセイバーに抱いていた落胆を更に増大させて終わっただけだった。 セイバーが他のサーヴァントと異なり、現世での死後に英霊となった者でなかったとしてもゴゴには関係無い。王として装わなかくなった後に残ったのは涙を流して過去を悔いる女がただ一人。聖杯問答で堂々と過去改革を宣言した王の姿すら消えていたので、もうセイバーについては何もかもがどうでもよくなった。 わざわざ敵と認めて殺すまでもない。 ここにやってきてゴゴが手に入れたのは体感したばかりの時間移動だけで、セイバーから手に入れたのは失望だけだ。 カムランの丘に立つゴゴの力は分裂した元ティナ・ブランフォードであり、総体と比較すれば一割以下にまで落ち込んでいる。だから魔術の領域を超えた『時間遡行』の全てを再現して物真似するには少々時間がかかる。 ここにいるゴゴはセイバーのことを完全に頭から追い出しながら、『時間遡行』が可能になれば更に物真似の幅が広がるだろうと喜びを抱く。そのまま周囲を見渡せば、視界に移る大地の全てを埋める死体の山が見えた。 多くの人ならば湧き出た喜びが怯えに転化させて、目を背けたり、吐いたり、ショックで気絶したりする悲惨な光景だが、ゴゴにとっては『人の死』という単なる結果でしかなく。それを見て感情が揺り動かされることは無い。 ゴゴが立つこの場所はほんの少し前までいた現代から遡った約千五百年前の世界、これから流れる時の中で得られる多くの物真似を思えば喜ばずにはいられない。 力の大半は『抑止力』と戦っているゴゴが持っているが、この地点から世界を知り、ありとあらゆる場所を歩き、経験と知識を蓄えて物真似に昇華するのならば、小さい力でも充分すぎる。 あちらのゴゴが決着をつけるのにどれだけ時間がかかるかは判らない。一日か、一か月か、一年か、十年か、それとも百年か。その間にこちらのゴゴは未来では潰えてしまった過去を存分に物真似すればいい。 眠りに落ちたアーサー王に背を向け、ゴゴは血に染まった大地を歩きながら色々な事を考える。 話しには聞いている真祖や死徒。幻獣とは異なる幻想種を探すのはどうだろう。 千年の歴史を持つと言われているアインツベルンの先祖を探すのも悪くない。 時間遡行が物真似できれば、更に時代を遡るのも面白い。 土地によって異なる文化、言語、風土、環境を。そして在るならば宝具や魔術を物真似しよう。 こちらのゴゴが隔たれた時間を超えて現代に到達するのが先か。あちらのゴゴが『抑止力』を倒して世界を物真似し、時間の壁を突き破るのが先か。 どちらが先にサーヴァント達の本体がいる『英霊の座』に至れるか―――。 それともここにいるものまね士ゴゴを抹消する為に別の抑止力が現れたりするか。ゴゴの前には未知という名の歓喜が広がっている。 「俺は、ゴゴ。ずっとものまねをして生きてきた」 ゴゴは誰にも聞かれない言葉を堂々と告げる。 「全てをものまねしてみるとしよう――」