第41話 『衛宮切嗣は否定する。伝説は降臨する』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 衛宮切嗣 完全なる殺人機械『衛宮切嗣』ではなく、人である僕自身の意識が浮上する。目を開ける僕がいて、僕はそのまま周囲を見渡した。 僕の目が見るのは光など全くない黒一色の世界だった。 ただし足元から地面の感触が返ってきてる。二本足で立っている僕自身を理解しながら両手を広げて前後左右に振ってみた。 けれども手の平が空気を押しのけて動くのは判っても、動かした手が何かにぶつかる様な事態にはならない。 耳を澄ませても、僕が動かした空気の流れ以外に聞こえてくる音は無い。 ここは、どこだ? 僕は言峰綺礼と戦っていた筈。あの場を脱出するため、奴を撃ち殺そうとしていた筈。 接近戦に持ち込まれた瞬間に僕は殺されると理解してた、言峰綺礼は腹に穴が開いた程度では攻撃の手を緩めないとも判ってた。確実に逃げる時間を稼ぐためにこそ、言峰綺礼の息の根を止めなければならない―――。 奴の姿を直に見た僕は状況をそう感じ取った。 だからこそ二倍速(ダブルアクセル)どころか三倍速(トリプルアクセル)すら使い、残された武器の中で最も威力の高いトンプソン・コンテンダーを撃ち続ける暴挙に出た。 そうでもしなければ言峰綺礼を無力化できない。多少の無茶をしなければ逃走する前にこっちが殺される。 僕の魔術、『固有時制御(タイム・アルター)』には『三倍速(トリプルアクセル)』のさらに上の『四倍速(スクエアアクセル)』があるけど、あれは数日寝込むのが確実な禁じ手だ。今でも二倍速(ダブルアクセル)と三倍速(トリプルアクセル)を何度も使って体はボロボロになってる。 その上、奴は令呪を魔力源として活用した為、使い捨ての消耗品となった令呪には起源弾が持つ本来の効力『切って嗣ぐ』は発揮されなかった。 あくまで言峰綺礼に与えたダメージはトンプソン・コンテンダーに装填された30-06スプリングフィールド弾の持つ過剰な大火力が作り出した運動エネルギーの結果にすぎない。 奴を殺す為に無茶を押し通し、僕はついに奴の体に二発の弾丸を撃ち込んだ。 僕はもう一度考える。僕は確かに言峰綺礼と戦ってた―――筈。 その仮定で言峰綺礼が『何か』を盾として使い、それすらも突破して奴にダメージを与えたならば、それは僕にとってのメリットだ。 『何か』がイリヤの姿をしていたとしても、『何か』が僕の撃った弾丸で壊れたとしても、血を流したとしても、ぐったり横倒しになったとしても、死体になったとしても。損得で考えるなら、僕にとっては『得』になる筈。その筈なんだ。 違う。 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!! あれがイリヤである筈がない。 そんな事はありえない。 あっちゃいけない。 ドイツから遠く離れた日本の冬木にイリヤが居るなんて―――そんな事は絶対に無い。 あれはまやかしだ。 アイリと同じように僕を動揺させる為に用意した奴らの策なんだ。 でも奴らの策だとしても、奴らはどうしてイリヤの姿を知ってる? イリヤは生まれてから一度だってドイツのアインツベルンの城―――正確には周囲を取り囲む結界の外に出たことはなく、外界に接する機会は無かった。 あのアハト翁が同じ御三家と括られていても、遠坂や間桐に情報を漏らすとは考え難い。 だったらどうやってあいつ等はイリヤを知った? 違う。そうやって僕に考えさせる事それ自体が奴らの策だ。僕に僅かでも『あれはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ』って思わせて攻撃の手を鈍らせるのが目的なんだ。 アイリは冬木に現れてからずっと敵の目を引き付けるための囮役を買って出てくれた。姿だけを模したアイリの複製を作り出して、より攻撃し辛いように子供の形を取らせた可能性はある。 事前調査で間桐の実質的な党首である間桐臓硯が蟲を使役する魔術の使い手だと情報を得た。神秘を秘匿する魔術師らしからぬ奇行を行い始めたこの一年は鳴りを潜めたようだけど、蟲を使って姿が同じ傀儡を作ったのかもしれない。 そうだ、あれがイリヤである筈がない。 屋上にいたあれもアイリである筈がない。 アイリは令呪で逃がしたセイバーと一緒にいる筈なんだから・・・。 「納得し、落ち着いたか?」 「!?」 何の前触れもなく、暗闇の中から声が聞こえた。 何が起こっているのかを正確に理解している訳では無いけど、誰かの意思で僕はここに閉じ込められたであろう状況は察しがついた。 だから何者かの声が聞こえてきても不思議はない。たとえ振り回した両手に何もぶつかっていない筈なのに、すぐ耳元から声が聞こえた気がしても―――それは起こる可能性を大いに含んだ現象に過ぎない。 殺人機械『衛宮切嗣』は驚く機能を持たない。一瞬で動揺を抑え込む。僕自身にそう認識させる。 僕は驚きを消して闇の中にいる何者かに向けて問いかけを放り投げた。 「ここは──どこだ?」 すると、まるで僕の言葉が合図だったみたいに足元を中心にして弱い光が生まれ、一気に全方位へと向けて広がっていった。 足元を含めて僕の目に飛び込んでくるのは曇天の空。壊れた機械に岩や土。他にもへし折れた木材などを一つの塊にして山積みにしてある奇妙な場所だった。 建造物と言うよりはゴミの山とでも言うべき所だ。その頂上に近い場所に僕は立っている。 冬木にある筈のビルや民家、道路に公園、川に橋、郊外の森とか緑豊かな山。そう言った類の人のいる気配が全く見えず、打ち捨てられたモノを混ぜ合わせて、積み上げて、また混ぜ合わせて、積み上げて。そうやって空とここしかない場所まで高く作りあげるような寒々しさを感じる。 見下ろす僕自身はいつものくたびれたロングコートとよれよれのスーツに身を包んでいた。ただ、あちこちの隠しポケットに予め仕込んでいておいた銃やナイフなどの武器の類は無くて、言峰綺礼と戦っている時は一度も手放さなかったトンプソン・コンテンダーもこの手にない。 もっともおかしいと思ったのは、言峰綺礼と戦っている最中に破壊された左肩が全く無傷でそこにある。思えば、暗闇の中で両手を振り回した時にも痛みを感じなかった。固有時制御(タイム・アルター)の連続行使でボロボロだと認識していた筈の体の痛みすら無い。 「ホワッホッホッホッホ!!」 また耳元で声が聞こえる。ただし今回は上から降ってくるような感じもした。 だから僕は無傷の自分におかしさを感じるのを一旦止めて視線を上げる。 曇天の空の中にあって僕が立つ場所よりもほんの少し高い位置。正しく頂上と言うべき場所にそいつはいる。 背中に三対六枚の羽根を抱き、下半身だけを衣で覆い隠した紫色の体躯の持ち主。金色の髪を後ろに撫でつけ、首の辺りでまとめていた。 「・・・お前は、誰だ?」 初めて見る顔だ。僕がこれまで殺してきた者たちの中にも、聖杯戦争が始まってから見た者たちの中にも、こんな奴はいなかった。 人ではない。魔術師かどうかすら怪しく、死徒の可能性もある。 そいつは両手を大きく広げて十字架のように佇み、僕に話しかけてきた。 「我が名はケフカ・パラッツォ。私の居城、『瓦礫の塔』へようこそ。我が子を殺したセイバーのマスター、衛宮切嗣よ」 「――違う!!」 この空間を構築したであろう何者か。こいつの正体。ケフカ・パラッツォと名乗った事実。それらを置き去りにして、『我が子を殺した』の件が殺人機械として機能していた筈の僕を一瞬にして人間に戻した。 僅かな間を置いてからの否定。 そんな筈はない、と心が叫ぶ。 「あれがイリヤの筈が・・・」 「お前はここはどこかと尋ねたな? ならばこう答えよう、ここはお前の願いがかなう場所。欲深きマスター共がどいつもこいつも狙っていた冬木の賞品『聖杯』の内側だ、とな」 「・・・」 ケフカ・パラッツォを名乗った男は僕の言葉を完全に無視して話を進めていく。 話の通じる相手じゃないと思ったのが僕が沈黙した一つ目の理由。そして二つ目は男の語った内容があまりにもあり得なかったからだ。 そんな筈はない。心がもう一度、奴の言葉を否定する。 冬木の聖杯はアイリの体内に封印された聖杯の器に全てのサーヴァントの魂を喰わせて完成する。ここに連れて来られる前に僕は考えた、あれは敵をおびき寄せるための虚勢か大嘘なんだと。 その思考が僕の背中を押す。ありえないと否定を更に強めていった。 瓦礫の塔と言ったここは取り込んだ者の認識を狂わす結界なんだろう。聞こえてくる声が耳元で聞こえるように思うのは、ここが奴の魔術の中だからに違いない。 聖杯の内側なんて絶対にありえない。 否定が僕の言葉を抑えてしまっている内に男の独り言は続く。 「お前はどのマスターよりも早くここに辿り着いた。聖杯に託す願いに誰よりも早く到達した。こんな幸運は二度と無いぞ、衛宮切嗣」 けれど相手の言葉を否定したとしてもこちらに状況を打破する有効な手段がない。 もしこの手にまだトンプソン・コンテンダーが握られているのならば迷うことなく斜め上に佇む男の眉間に一発撃ち込む。もしいつもはロングコートの中に忍ばせてあるナイフか手榴弾がここにあればすぐに投擲する。 でも今の僕に武器は無い。 有効な攻撃手段がない状態では『固有時制御(タイム・アルター)』も効果を十全に発揮できない。 どうする? 迷いは一瞬。独り言とは言え、話をしているのならば即座に攻撃してくるとは思わずにこちらも言葉を使う。 「お前はここが聖杯の内側だと言ったな」 「その通り」 今度は会話の様相を成しているようで返答があった。 「ならばこの『聖杯』はどうやって僕の願いを叶えるつもりなんだ?」 僕は言葉を使って様子を窺いながらも、正直、ここが奴の言う『聖杯の内側』だなんて言葉は欠片も信じていない。 話す僕ら以外に生命の息吹が無いのはまだいい。だけど、ここは世界の全てを破壊して一つに凝縮したようなおぞましい場所だ。人が『清涼』と感じる全ての要素は消し去られ、代わりに『荒涼』を惜しみなく敷き詰めて作られている。加えて、曇天模様が太陽を隠しているが、そこから降り注ぐ光は太陽とは全く異なる邪悪な光だった。 雲に覆われて見えないからこそより強く感じる禍々しさ。この世の全ての悪が黒い太陽の形をして大地を焼き尽くす―――、そんな光景が脳裏に浮かぶ。 そもそも『瓦礫の塔』なんて意思を持つ者がこの場所を名付けられる状況こそが不自然だ。聖杯とはただ純粋な無色の力であって、意思を持つはずも案内人がいるような都合のいい代物でもない。ただそこにある力、使い手の願いを叶える願望器なんだ―――。 「お前の望みは『人類の救済』で間違いないか? 『あらゆる戦乱と流血を根絶し、世界に恒久的平和をもたらす』、これがお前の願いか?」 「そうだ」 さあ、どう出る? この聖杯と偽った世界でこの男はどんな言葉を放つ? 「――衛宮切嗣。貴様に一つ言っておこう」 男が言う。 「もう、この世界はお前が望む以前に救われてる。この世界に生きる人々もすでに救われている」 「・・・・・・・・・それは、どういう意味だ?」 放たれた言葉の意味が判らず、少し間をおいてから僕は言う。 この空間の中が聖杯でないとして、そう見せかける為に偽りの成果を作り出す可能性は考えてた、それにこの中に閉じ込められた僕を弄ぶ可能性も考えていたけど、僕の願いが叶えられているなんて言葉は全く予想していなかった。 いや――、これは僕を動揺させる為の嘘だ。 この世のすべての生命は犠牲と救済の両天秤に乗り、どちらかを救うならばもう片方を犠牲にするしかない。決して犠牲も救済も無くならない。 より多くの嘆きをこの世界から減らすため、多数を生かすために少数を殺し続けてきた。何人も、何人も、何人も―――。犠牲を認め、不幸を増やし、だけど守られた幸福の数がそれに勝るなら世界をほんの少しだけ救済へを近づく。 積み重なる死体の山、流れる紅い血の大河、それを代償に救われた命があるなら守られた数こそが貴い筈。 でも僕は救われた命に数の正しさを導き出しながら、常にその正しさの片隅に切り離せない想いがあった。『もっと別のやり方があるんじゃないか』って。 この世の誰もが幸せであってほしい。僕はいつもそう願っている。 救われない者がいるこんな世界がもう救われているなんて―――、ありえない。 「答えろ! お前は何を言ってる!?」 「言葉よりも判り易く教えてやろう」 殺人機械『衛宮切嗣』だったなら絶対に出さない怒気を含ませて叫ぶ。けれど、そいつは投げつけられた言葉の刃をいなした。 視線は外さなかったし片時も意識を向けたままどんな動きだろうと察知できるようにしていた。その筈なのに、一瞬すら無く、十字架の様に佇んでいた男が僕の視界から消える。 「親切だね、私は」 そして真後ろから聞こえてきた ここは奴が作り出した結界の中だ、予備動作無しの移動も不可能ではない。声が常に間近で聞こえていた時点で距離の無意味さに気づくべきだった。失態を僕が考えるよりも早く―――世界は暗転した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰綺礼 地に伏し仰向けに倒れている事実を認識し、覚醒を頭が命ずるよりも早く体は動いて身を起こした。 「ここは・・・」 言葉は驚きに後押しされ口から出たが、脳裏には理解よりも周囲への警戒が色濃く映り、四肢は敵が迫り来る場合を想定し構えを取る。 手に黒鍵を作り出すための十字架は無く、懐より取り出すよりも構える方が先決であった。 跳び上がる勢いで伏した姿勢から戦いの体勢へと移行した私は更に周囲を見る。 天井、壁、扉。見渡す限りのすべてが金属によって構成された無骨な部屋で、固く閉ざされた密閉空間には窓など一つも見当たらない。頭上には何本ものパイプが通り、四畳もない小さな部屋の中には備え付けの洗面台と用を足すためのトイレがある。 牢屋だ―――。 私がいる場所を確認し、真っ先に脳裏に浮かびあがったのは、囚人を拘束して外に逃がさぬよう閉じ込める場所であった。 おそらくこの場所は私を捕えるための場所。そう思いながらも、倒れるより前に街中で衛宮切嗣と戦っていた筈の状況と今が符合しない。 閉じ込めるならば予め準備が必要であり、戦っていた場所の近くに立ち並ぶビルの一角にこのような場所があるとは考え難い。私があそこで衛宮切嗣と交戦したのは奴がそこに現れたからであり、私が選んだ訳ではない。 そもそも気を失う直前に頭上から降り注いだ黒い水のようなあれは何だったのか? 私を一瞬で気絶させる程のモノだったとしても、逆に今こうして周囲を警戒する私の身に何も起こっていないのが不自然だ。 何かが食い違っている。 現実と今が噛み合わない。 「理解が早いな、言峰綺礼。奴とは違う――」 おかしさを強く認識し直した瞬間、私の目の前に何者かが現れた。いや―――、声を発した男がそこにいた。 馬鹿な!? 一瞬たりとも周囲への警戒を怠らず。何より私の目は固く閉ざされた扉の前を見続けていた。 男は現れる予兆など欠片もなく、この閉ざされた牢屋の中に突然現れた。まるで瞬間移動してきたかのように、ドアを開いての入室などの『過程』を省略し『結果』だけを作り出している。 数瞬の硬直の後、ますます私の警戒は高まってゆく。 扉を隠し壁一面に広がる三対六枚の羽根。外からでも判る彫刻のような美しさを兼ね合わせた紫色の肉体。ただ金色の髪を後ろでまとめた整った顔立ちはどこかで見た覚えがある。 とっさにそれが誰のものなのか出てこなかったので、近しい相手ではないが、私はこの顔を知っている。 男はまるで私が起き上がって周囲の状況を理解するのを待っていたかのように語りかけてくる。 「ようこそ、私が作り上げた『聖杯』の中に」 「――貴様、何者だ?」 部屋の小ささゆえに男へ攻撃できる十分な間合いは詰められているが、敵意や殺意の類はない。けれどそれは敵ではないと判断する理由にはならないのだ。 にじみ出る警戒を抑えず声に乗せて問いかける。聞き逃してはならない一言『聖杯』が告げられ、ここがどこであるかも気になった。だが、まず確かめるべきはこの男が何者であるかだ。 するとその男は淡々と返す。一足飛びでいつでも攻撃できる間合いにいる私の構えなど全く気にしてないらしい。 「この姿で会うのは初めてだな。名乗りを上げるならこう言おう『ケフカ・パラッツォだ――』と」 「・・・・・・」 何を馬鹿な、と返すより早く。私は目の前に立つ男の顔を凝視する。 道化師の衣装に身を包んでいた時とは格好が全く変わり別人と言っても過言ではない。だが、言われてよく見れば顔の造形そのものに変化はなく、色と髪型の違いはあっても顔は変わっていない。 何より殺意や敵意はなくとも体からにじみ出る禍々しさはしばらく行動を共にしたケフカ・パラッツォの分身体に酷似している。 自身以外の全てをあざ笑う素振りが消えており、狂ったように変わり口調は統一され、おかしくない状況がおかしさを増す。存在の全てが異なる様子に別人と言われても納得できてしまう。 事実、私は頭の片隅で顔は同一でも同じ名前を語る別人の可能性を考えた。しかし、同時に存在そのものが異なって見えるこの男が真実を話しているのだとも考えていた。 勘―――。そう呼ぶしかない回答どころか過程の説明すらつけようのない感覚が私の中に渦巻いている。この男は紛れもなくあの『ケフカ・パラッツォ』なのだと名乗られた瞬間から私自身が理解してしまう。 「それが貴様の本性か・・・」 「最高の力を手に入れた私が人の殻を脱ぎ捨てて昇華した姿――。本性と言えば本性ではある」 「ここはどこだ?」 唐突に変わる口調はなくなっているが、人の話を聞いているようでほとんど聞いていない様子は変わらない。行われるのは会話ではなく一方的な言葉の投げつけ合いだ。 問うべき事は山ほどあり、見た目の変化をもたらした『最高の力』の件も確かめなければならない事柄となる。 だがやはりと言うべきか。ケフカ・パラッツォはこちらの問いに対する答えではなく全く別の事を口にした。 「少し待て。今、衛宮切嗣が聖杯をどう使うか検討しようとしている所だ」 「何!?」 更に確かめるべき事柄が生まれる。今度ばかりは何よりもまず最優先で確かめなければならないことだったので、思わず声を荒げてしまった。 その言葉に対し、黙り込んで動揺せずに理解するのは不可能だ。 衛宮切嗣が? 聖杯を使う? あふれ出る私自身の疑問に呼応するように、壁に新たな窓が生まれた―――。そう表現するしかない不可解な現象が起こり、向かって右側の金属の壁が円形にくり貫かれる。 けれどそれは壁の向こう側に通じる穴ではなく、あくまで丸い窓のように見える塊が壁に現れただけに過ぎなかった。どうやら遠視の魔術でこことは別の場所を映しているようだ。 こちらは天井と壁に閉ざされた室内であるのに対し、あちらは周囲が開けた空間が見えるので屋外のようだ。散乱するがれきに混じって曇天ながらも空が見える。 そこに目の前にいる男と全く同じ格好をした『ケフカ・パラッツォ』が立っていた。そして、向こう側にいる『ケフカ・パラッツォ』が伸ばした右手に後頭部を鷲掴みにされ、身震いを続ける衛宮切嗣もいる。 私を冬木の至る所に移動させたケフカ・パラッツォがそもそも分身体なので、もう一人の『ケフカ・パラッツォ』がいるのは驚きは無い。だからこそ真っ先に私が考えたのは、あの二人は何をしている? だった。 「現実と意識だけのこの世界では時の流れが大きく異なる。現実ではまだお前たちが聖杯の泥を被ってから三秒も経過していない」 牢屋の中にいるケフカ・パラッツォが語る言葉はあの二人が何をしているかではなかった。 けれど、『聖杯の泥』、その言葉とこの場所に閉じ込められる前に見た黒い水のような何かが重なっていく。 あらゆる願望を実現させるという聖杯。無色の力で満たされているはずの聖杯には似つかわしくない表現でありながら、語られる言葉と現実が重なっていく。 「まさか・・・、あの泥を被った者が全てここにいるのか?」 「正しいが間違っている」 前に立つケフカ・パラッツォが喋る。 「確かにあの時、外にいる『私』がばら撒いた聖杯の泥によって誰もがこの『聖杯』へと意識を移された。だが、自意識を持って相対しているのはお前と衛宮切嗣の二人だけだ。広範囲にまき散らしたので運悪く巻き込まれた一般人が少しいたが、触れた瞬間に発狂して死んだ。耐性を持つ衛宮切嗣の娘も死にゆく状態だったのでここに呑まれ喰われてしまい、この中で溶け合い『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』としての個人は消滅した」 ケフカ・パラッツォは視線を私から壁に出来た景色へと写し、もう一人の自分と背後から頭をつかまれた状態で震え続ける衛宮切嗣を見る。 「もっとも――。衛宮切嗣が聖杯に娘の蘇生を願えば、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは自らの形を取り戻し、五体満足でこの世界から脱出して現実へと帰還するだろうがな。肉体だけは―――」 「・・・・・・」 新たに語られた内容に驚きこそ少なかったが、小さくない衝撃を味わった。 ケフカ・パラッツォの導きがあったのは紛れもない事実だが。私が、私自身の選択として衛宮切嗣と戦ったのは奴の存在そのものに怒りを覚えたからだ。 聖杯に奇跡を託した男の理想を目の前で木端微塵の砕いてやるのも面白い。その為の闘争。 もし衛宮切嗣が願い、奴の娘が蘇るような事態になれば、衛宮切嗣の顔は絶望ではなく歓喜に変わってしまう。 そんなことを許してはならない。―――そう考えた私の思考を読み取ったかのように、遠視の魔術の先を見ていたケフカ・パラッツォが私に視線を戻す。 「安心しろ。それは決して叶わぬ願い。衛宮切嗣は絶対にこの聖杯を使わん」 「どういう意味だ?」 「絶対に、な――」 その言葉が合図だったのか。顔を動かした以上の動作はなく、魔術を発動したような素振りもなく、今度は向かって左側に別の風景が写し出される。 何の前触れもなく作り出される二つ目の円形の窓。 そこに映る光景が衛宮切嗣が見ているモノだと知ったのはすぐ後だ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ケフカ・パラッツォ 衛宮切嗣と言峰綺礼。彼らにとって『聖杯』によって形作られたこの世界は現実と比較すれば偽物であって本物にはなりえない。夢と大差はない。 ただしこの世界は五感の全てを錯覚させるほど強力な偽物だ。 ここと現実との違いはどこにあるだろうか? 認識する者が自覚するか否か、差はたったそれだけでしかない。 自覚するからこそ目の前にあるモノを偽りだと認識し、自覚するからこそ自らが登場人物の一人としてこの聖杯が作り出した世界の中にいたとしても、決してこれを本物とは思わない。 見える物がある。 聞ける物がある。 触れる物がある。 嗅げる物がある。 味わえる物がある。 それでもここは偽物だ。現実とは異なる偽の世界だ。 故に彼ら二人には共通した出来事が発生する。観察である。 互いに自分たちが今いる場所を偽者の世界だと自覚しているからこそ、全身全霊を持って空想が形作るこの世界と現実との差異を導き出す。 衛宮切嗣と言峰綺礼がこの世界の在り方を受け入れる筈がない。何故ならここは偽物であって本物ではないからだ。けれども、彼らがこの世界の情報を『観察』によって多く取り込んでいってしまうのもまた事実である。 その特性を利用し、ケフカは衛宮切嗣に教えていく。 救いとは何であるか―――を。 この『世界』には決して誰の眼にもとまらず、誰にも意識されることはないが、この『世界』を守り続けている二つの力が存在する。 片方は地球が持つ生命延長の祈りである、人が名付けた呼び名は『ガイア』。もう片方は霊長が持つ破滅回避の祈りである『アラヤ』だ。 互いは似て非なる別のモノだが、この二つを合わせて『抑止力』と呼ぶ場合もある。 ただし、ガイアの抑止力は世界―――『地球』と言い換えてもよく、この星が存続するならば人が全て死滅しても構わない結果へと向かう。 これに対してアラヤの抑止力は星さえも食い潰して人間の世界を存続させようとする。アラヤの抑止力はカウンターガーディアンとも呼ばれ、既に発生した事態に対してのみ発動する力だ。 世界を滅ぼす要因が発生した瞬間に出現してこの要因を抹消する。殺すことが抑止力の解決方法。 ただし抑止力それ自体はカタチのない力の渦であり、絶対に勝利できるよう抹消すべき対象を上回り、常に規模を変えて出現する。 力の発露は何者にも観測されず、発生しても認識されず、誰にも意識されずに結果だけを作り出す。 抑止力という名の『力』は世界を救い続け、ただひたすらに滅びの要因を作る人間を殺し続ける。 たとえば、電力不足に悩むある国が自国民の発展を願い核実験を行おうとした。しかし実験の中で大きな失敗が発生する可能性が現れた。 失敗の規模の大きさ故に地球に生きる全ての生命を殺しかねない事態へと発展する可能性が発生したので、それは人を滅ぼす因子と判断される。 誰が判断する? 『世界』であり『人』がそう判断する。 実験の責任者は殺された。 実験に関わった者は殺された。 実験を許可した国の重鎮も殺された。 抑止の守護者、カウンターガーディアンによって多くの人間が殺された。 たとえば、対立する隣国同士があり、それぞれに戦争も辞さない指導者がいた。彼らは自分たちが滅ぶのも構わず相手を滅ぼそうと考える。 世界に百以上存在する国の中のたった二つ。けれどもその二つは超大国と呼んでも差しさわりのない国同士だった。 二つの国は世界全体に対して、政治的にも経済的にも大きな影響力を及ぼす国だ。戦争になればそれだけ多くの人間が死に、多くの人間が不幸に陥り、多くの人間が被害を受ける。 だから抑止力によって後押しされた一般人が滅びの要因となった指導者たちを殺した。 戦争は回避され、指導者を殺した人間は人々を救った英雄と称された。 たとえば―――。 たとえば―――。 たとえば―――。 「な? だから言っただろう、『もうこの世界は救われている』と。この世界に魔術が存在し、それに繋がりながら全く別のシステムが構築され、人に理解できる範疇を超えて『抑止力』がいる。『抑止の守護者』もいる。それを継続させるシステムが存在する。それが人を作り替えて『世界』を常に救い続け、人が『世界』が滅びないように形を整えてゆく」 「滅びの要因が現れようとすれば、それを排除。人の世の滅亡の可能性が生じたならば、速やかにこれも排除。壊し、殺し、消し、無くし、失い、滅し、また殺す。システムは『世界』を生かす為に人を殺し、人を殺し、人を殺す。死にゆく者も戦いも流れる血も『世界』を存続させるために必要な要素だ。そうやって人が『世界』を持続させてゆく。これが世界の救いでなくて何だって言うんだ? 人類が救われていると言えるだろう?」 「理解できないか? それとも理解したくないのか? お前自身『固有時制御(タイム・アルター)』を使って体感時間を調整して、停止時に外界との修正で肉体を痛めつけてるじゃないか。『世界の在り方』を他の誰でもないお前自身が味わってるくせに、この世界の救済に異を唱える。だったらお前が救いたい『世界』はそもそもどんな形をしているんだ? どんなふうに人を救いたいと思ってるんだ?」 「衛宮切嗣。お前は人類を救済したいと願いながら、あいまいな『救済』で自分をごまかして、どうすれば人が救われるか判ってないのか? 度し難い愚か者だな。そんな風に思っていたら、どんな救済だろうとお前自身が納得しないぞ」 目の前に立つ―――。あちらが大地の上に立っている自分を認識しているかどうかは別にして。対面する衛宮切嗣は黙り込んでこちらを睨んでいた。 言峰綺礼から見れば後頭部をつかまれた状態で映像と音声を流し込まれる衛宮切嗣。 彼自身の認識ではケフカと対面し別々の映像を―――いや、体感する事実を脳に送り込まれる衛宮切嗣。 語られた言葉と見せられた映像を理解するのに忙しいのか、それとも理解した上で投げつける言葉を選んでいるのか。 衛宮切嗣の意識の中に送り込んだ事実の中には様々なモノがあった。それらは抑止力によって救われ続けている世界の姿であり、その方法だ。 ガイアの抑止力は衛宮切嗣にとっては受け入れ難い存在なので、主にアラヤの抑止力が発動した場合に起こる要因と過程と結果を教えてやった。 「違う・・・」 なのに衛宮切嗣はこう言った。 否定を口にした。 「こんなものは今ある世界を存続させているだけで何も解決していない。僕は『人類を救済』したいんだ、これは――こんなものは僕が求める願いじゃない!!」 どうやら衛宮切嗣は『既に救われている世界』がお気に召さないらしい。 ならば彼が言う人類の救済を抑止力を抜きにした別の形にして教えてやろう。 ケフカは衛宮切嗣は別の可能性を衛宮切嗣の中に刻み込んでいく。その度に衛宮切嗣の脳が僅かに疲労していくが、彼自身が望んだことなのでケフカは全く気にしなかった。 その世界には『争う』という概念がそもそも存在しない。世界のどこにも戦乱は無く、大は国同士の戦争から小は子供の諍いまでありとあらゆる戦いが存在しない。 人々はどんな些細な事であろうと争ったりはせず、対話や観念によって平和を作り出していた。 人々は気付かない。それが当たり前だと認識しているが故に気付けない。世界が聖杯の力によって一変してしまったから、それを異変と認識できない。 聖杯に託された願いは人の本能すら改変して争いを消した。だから異変はゆっくりと、しかし確実に人を蝕んだ。 人々は確かに争わなくなったが、『争い』に関連する全ての事柄を放棄するようにもなってしまったのに気付かない。 例えば一人の女がいて、その女を愛する男が二人以上いたとする。 女を愛するなら男たちは互いに争わなければならない。その女に選ばれるために戦わなければならない。 愛する気持ちが争いの火種になると感じた時、男は女を愛するのを止めた。それが争いになると理解してしまったから争うのを止めた。愛を止めた。 争わない為に―――。 例えば夜泣きする赤ん坊がいて、どれだけ母親があやしても赤ん坊は泣き止んでくれなかった。 赤ん坊の口から出てくる泣き声が夜の静けさを破壊する。母親はそっと自分の手を赤ん坊の口に添えて、泣き声が出来るだけ小さくなるように祈った。 人によってはそれは躾だと思えただろう、人によってそれは愛情だと思えただろう。しかしその母は子供の口を塞ぐ行為を『争い』だと思ってしまった。親という立場から無力な子供へと押し付ける一方的に暴力だと感じてしまった。 そう思った瞬間、母親は赤ん坊の口から手を離す。暴力を振るってしまいそうな自分自身を止める。 そして台所にまで歩いて行って、そこに合った包丁で自らの命を絶った。 争わない為に―――。 人は争わなくなった。 人は戦わなくなった。 人は傷付けなくなった。 それが聖杯によって改変された『人』の当たり前になってしまった。 人が人としての種を存続させる為に必要不可欠となる生殖行為だが、その過程では破瓜と呼ばれる現象が発生する。必ず起こる訳ではないが、その過程で女性に血が流れる場合もある。 人が子を成し、種を存続させるための生殖行為。けれどそれは男性が女性を傷つけてしまう。 だから人は生殖行為を行わなくなった。 当然ながら、そんな事態になれば出生率は驚異的な速度で低下していく。 それでも人は生殖行為を行わない。 争わない為に―――。 世界から争いは消えた。そして緩やかに人の種は死滅していった。 「違う・・・」 衛宮切嗣の周りには常に笑顔があった。救われた者が大勢いた。争いなんてどこにも見当たらなかった。 彼がどんな場所に赴こうと、彼がそこに現れればありとあらゆる戦乱は終結し、流血は止み、恒久的な平和が作り出されていく。衛宮切嗣が何かしてそうなったのではない、ただ彼の周囲に『結果』が作られる。 そういう事になっている。 だから衛宮切嗣が見る世界は常に平和で救われた者しかいなかった。 けれどテレビ、ラジオ、インターネット、人伝の話。自分がそこに存在しなかったとしても、自分が存在しない外の世界の情報を仕入れる手段は幾らでも存在する。 衛宮切嗣は自分がいない場所で殺し合いの戦争が起こっている事を知る。 だからそれを止める為に彼はそこへと赴いた。 衛宮切嗣がそこに訪れれば争いは止まった。 聖杯によって『衛宮切嗣の周囲では争いが起こらない』と定められた世界は、衛宮切嗣が個人で認識出来る世界を常に救済し続けた。争いを無くし続けた。戦いそのものを根絶した。 例えば対立しあう宗教が武器を使って殺し合う地区があったとしよう。 衛宮切嗣はその事を知り、そこに赴いてその地区に平和をもたらした。彼がそこにいるだけで誰も彼もが戦うのを止める。 ここに争いは無い―――そう思ってそこから離れようと背を向けた瞬間、誰もが地面に落とした筈の武器を手に取って再び争い始めた。 聖杯によって心に刻まれた『そうしなければならない』という強迫観念に対抗する人の意思が戦いをより活性化させていく。一度止まった戦いは更に激化して繰り返される。 あったかもしれない少ない犠牲者での終結はそこにいた全員が死ぬという結果へと変わった。 例えば子供同士が些細な理由で掴み合いの喧嘩をしていたとする。ジャンケンで負けたのが気に喰わなかったり、好きなお菓子が少なくて取り合いになったとか、そんな理由だ。 衛宮切嗣がそこに訪れると、二人は喧嘩を止めなければならなかった。そうしなければならないと定められているからだ。 衛宮切嗣の前では救済という結果が生まれる。しかし、喧嘩の理由そのものが消えた訳ではない。 子供たちは笑った。 救われた子供たちは笑い続けた 子供たちは争わなくなった。 衛宮切嗣がいなくなった瞬間。理由なく救われた二人の心の中に抑え込まれていた怒りが爆発し―――子供たちは近くに合った石を手に取って相手を殴り殺すまで喧嘩をした。 子供たちは二人とも死んだ。 衛宮切嗣がいればそこは平和になる。 衛宮切嗣がいなくなれば、そこに争いが生まれる。 衛宮切嗣の周りにいる者は常に救われた。例え衛宮切嗣が去った一秒後には殺し合いを始めるとしても、衛宮切嗣の周りにいる者はその瞬間だけ救われる。 世界は衛宮切嗣がいない場所で溢れている。そこで人は叩きあい、怒鳴り合い、奪い合い、殺し合う。 衛宮切嗣が見ている人類は救われる―――。 衛宮切嗣が見る世界に戦乱は起こらない―――。 衛宮切嗣が感じる世界は平和で溢れる―――。 例え衛宮切嗣が認識できる半径数キロ範囲以外の地球上全てで戦争が起こっていたとしても、それを衛宮切嗣が知っていたとしても。衛宮切嗣が自らの五感で認識出来る世界には戦乱は無く、恒久的な平和が強制的に作り出されていた。 「違う・・・」 人類の救済―――。 救済とはある対象にとって、好ましくない状態を改善し望ましい状態へと変える事だ。つまり人によって異なる『好ましくない状態』を知らなければ、そもそも救済それ自体が成り立たない。 例えば、テストで百点を取りたい学生がいたとする。どれだけ頑張り寝る間も惜しんで勉強しても、いつも一問か二問間違って百点を逃してしまう、そんな不憫な学生だ。 彼にとって好ましくない状態とは『百点を取れない自分』である。 例えば、下半身不随で車椅子での生活を余儀なくされる男がいたとする。この男にとって好ましくない状態とは『健康ではない自分』である。 ただ、この男の場合、下半身不随になった理由はバイクでの転倒事故なのだが。転倒は片手運転しようとした自業自得であり、その原因を恥ずかしさのあまり誰にも話していない。 前者の『好ましくない状態』は人に知られたとしてもそれほど気にならないだろうが、後者はものすごく気にするだろう。 聖杯は人類を救済するために『好ましくない状態』を知るために人の頭の中を暴いていった。 自分以外には知られたくない秘密を持つ者はいるだろう。 人に知られれば困る性癖を持った者もいるだろう。 秘密にする事で保たれてた友情、家族関係、愛情などもあるだろう。 聖杯はそれらを全て暴き出し、どれだけ隠そうとしても決して抗えない力でどんどんと吸い出していく。 ただし、吸い出された後に『好ましくない状態』は改善された。 多くの人はそれを気のせいだと決めつけようとした。けれど、一度ならばいざ知らず『好ましくない状態』が生まれるたびに二度三度四度五度と聖杯は人の秘密を暴いていく。『好ましくない状態』が変わっていく。 無視できない違和感が常に頭の中にあった。 どんな小さな事だとしても、好ましくない状況を考えれば誰かが自分の秘密を暴いてしまう。 好ましくない状態は聖杯の力によって改善され、望ましい状態へと変わるかもしれない。人類は救われたかもしれない。 しかしその代償として、好ましくない状態を知られてしまう。 何度も。 何度も。 何度も。 人によっては過去の傷を抉り、恥部を知られ、耐えがたいほどの屈辱となる。 最初に自殺したのは自分以外の誰かに秘密を知られる事そのものが耐えられなかった者だった。 次に自殺したのは好ましくない状態があまりにも小さかったが故に、望ましい状態に変わってもそれが救済だと気付けず、ただ頭の中身を覗かれ続けるのに耐えられなくなった者だった。 人が死んでいく。 聖杯が好ましくない状態を暴いていくごとに人が死んでいく。 誰かによって殺されるのではなく、自分の意思で死んでいく。 知られても構わないと強く思える人間以外が自ら命を放棄する。 それでも聖杯は人類を救済するために『好ましくない状態』を知るのを止めない。『望ましい状態』に変化させるのを止めない。 聖杯は人類を救済し続ける―――。 「違う・・・」 聖杯によって世界は改変された。 人の魂は変革され、聖杯に託された願いは新しい人類が産み出した。 正に奇跡―――。 外見の変化は無くとも内面は全く別のモノに作り変えられた。人は別の『ヒト』になった。 そこである疑問が『ヒト』の中を駆け巡る。それは新たな『ヒト』にとっての正しさの指標とはなんであるか? だった。 聖杯による意識の変革で人は各々が抱える様々な事情を捨て去った。 宗教問題。 国土問題。 愛情問題 そこで『ヒト』は自らを改変し作り変えた聖杯に正しさを求めた。人だったならば各々が抱えている問題を他人任せにしなかったかもしれないが、聖杯という奇跡によって生み出された『ヒト』は聖杯を正しさの定義とした。 当然だ。『ヒト』にとって聖杯は自分を導いてくれる親であり、導き手であり、神なのだから。 むしろ聖杯が間違っているのならば何に正しく思えばいいのか判らなくなってしまう。 『ヒト』は聖杯こそが唯一絶対の正義であると考えた。 聖杯こそが正しい。 聖杯の決定は間違っていない。 聖杯の作り出した正しさに従えば何も間違わない。 『ヒト』はそう考える。 そこで『ヒト』は考えるのを止めた。聖杯の正しさを受け入れれば何もかもが上手くいくと思い、『ヒト』は考えなくなった。 どれだけ幸福に満ちた世界であろうと、人はその中で更なる幸せを見つけようと行動する。 しかし『ヒト』はそれをしない。 人の数だけ考え方があり、問題があり、事情がある。 しかし『ヒト』は一つの正しさに凝り固まり、他の道へと歩みだそうとはしない。 人は消えた。『ヒト』は何もせずに人形のように聖杯に従って生きていく。 争いは無かった。 けれど人が生きていた世界には合った筈の活気や活力は『ヒト』が生きる世界には全く無い。 『ヒト』はただそこにいるだけのモノだった。姿形は同じでも、人はもう誰も生きていなかった。 「違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!」 衛宮切嗣の脳裏には様々な『救済』が刻み込まれてゆくが、衛宮切嗣はそのたびにケフカの救済を否定していく。 衛宮切嗣に理解しやすい形で魔術による救済の形を幾つか作り出したが、結局出てくるのは否定だけで肯定はない。 そもそも衛宮切嗣はケフカの救済を否定はしても『こうあるべきだ』と衛宮切嗣自身の救済を言葉にしない。やはり衛宮切嗣当人がどうすれば人類が救済されるか判っていないのだろう。 判っていないから聖杯の奇跡に救済を求めたのだろうが、判らないからこそ衛宮切嗣は結果どころか仮定にすらたどり着けない。 衛宮切嗣の正義とは多を救うために少を切り捨てる在り方だ。そこが衛宮切嗣の限界だ。 その正義しか知らない男が別の方法を選べる訳がない。 理解できないモノを理解できる筈がない。 与えられる結果を受け入れるには衛宮切嗣は自分の正義を貫き通し過ぎた。 「これでもまだ足りないのか? だったらお前が満足するまでこの世界の『救い方』を教えてやろう。なに、ほんの数十万の選択肢を全て見て、その中から選ぶだけだ。体感時間でほんの数百年、人の頭が耐えきれず精神が崩壊するかもしれないが気合で耐えろ」 膨大な情報を一気に頭に送り込めば耐えられずに発狂してもおかしくないが、衛宮切嗣が否定するのならばそれも仕方ない。 肯定がないのなら、肯定するかもしれない山ほどの可能性を提示するしかないのだから。 衛宮切嗣は抑止力による救済を否定した。聖杯による押し付けられる救済を否定した。だからケフカはこう告げる。 「それから一つ教えてやる『救済』とは赦される事、そして自分を赦す事だ。与えられるだけの奇跡を救済とは言わない、他者が心の中に土足で踏み入って手を差し伸べるのは救済ではない。『何が救いか?』この問いかけは自分の中にしか存在しない。親、子、妻、友、どれだけ近しい人であろうとも自分の中に他人の救いは存在しないぞ」 返答は無かった。 それでも構わない。 「そもそも人が生きていく上で戦いは避けられない。何かを成し遂げたいという意思が壮大な事柄であれ些細な事柄であれ、そこに困難が伴うならもうそれは戦いになる。人が生きていく上で戦争は避けられない。それをお前自身が理解してるのか? 命を繋ぐ生みの苦しみも見方を変えれば戦争だ」 この『瓦礫の塔』の中にいるケフカは自分らしからぬ言葉を言っていると自覚していたが、そこに違和感は覚えなかった。 何故ならここにいるケフカは『ケフカ・パラッツォ』であって本人ではないからだ。 本当の本物はゴゴが旅したかつての世界で滅ぼされている。新しく生まれたケフカとてゴゴが映し出した虚像であり本物ではない。 物真似が作り出したケフカのようなモノ。本物になりきれない偽者。偽りの集合体。それがこのケフカなのだから。ゴゴが物真似してきた全ての要素以外の事が混ざり合って別のモノに変わってしまったとしても、聖杯の泥とは違う全く別のモノがこっそり混ざっても、それもまたケフカの一部だ。 「判ったか? 判ってないのか? どっちでもいいからとにかく知れ。そして、選べ――今のお前に選べるのならな」 ケフカは衛宮切嗣の中に別の『救済』を刻んでいく。 幾つも、幾つも、幾つも、幾つも・・・。 そして衛宮切嗣にとってこれまでの人生より何倍も長い時間が経過した―――。 この時、本物でもあり偽物でもあるケフカは自意識のいくつもを分散させて冬木のあちこちに『ケフカ・パラッツォ』を構成させていた。 ゴゴがアサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって分裂してその全てと知識を共有しているように、ケフカもまた同じように自分を分散させて固有結果内での闘争と、ビル屋上での拘束と、聖杯の中での教育を実現させていた。 けれどこれまでゴゴが行ったのは魔術によって構成された肉体に自意識を定着させる方法と、召喚の応用で自分を召喚させ直した方法だけだ。 それはものまね士ゴゴが物真似して自らのモノとしてきた魔法あるいは魔術に限定され、全く異なる魔術を物真似し終える前に使ったことはない。 ものまね士ゴゴが変質してケフカ・パラッツォになった原因たる冬木の聖杯の中に眠っていたモノ。ゴゴの意識すら喰らいつくして同期したこの世全ての悪(アンリマユ)の庭と言ってもよい聖杯の中に自分を送り込むのはゴゴでもケフカでもやった事がない。 聖杯の外にいるケフカは気付かない。 聖杯の中にいる自意識の一つが変わっているのに気付けない。 完全に同調していると思い込んで気付かない。 すでにケフカが別の意識として完成し直されてしまったので、ゴゴも気付けない。 ケフカが『ケフカ・パラッツォ』に見えながら、そうでないモノに変わろうとしている。この重大な事実にゴゴもケフカも、他の誰も、気付いていなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 戦端を開いたのはライダーだった。けれど最初の一撃を見舞ったのはウェイバーだった。 「すごい・・・」 砂漠を駆ける戦車(チャリオット)の音と軍団が作り出す地響きに紛れてウェイバーがそう呟く。 ゴゴから見ても半人前でしかなく、物真似する程のモノをほとんど見せない、それが魔術師ウェイバー・ベルベット。おそらく彼の人生においてこれほど強烈な一撃を自らの魔力のみで発動したことは無いに違いない。 魔石『アレクサンダー』の力を借りているとはいえ、生まれたのは災害と呼ぶに相応しい炎の海だ。撃ち出されたレーザーがライダーの作り出した固有結界の一区画を火の海に変えた。 英霊といえど、アサシン程度なら一撃で跡も残さずに消滅させる一撃。普通ならこれで終わる。 だが『聖なる審判』で強烈な一撃を喰らわせても、この程度で終わる筈がない。敵はたかが災害程度で止まる存在ではない。 この程度で終わるケフカ・パラッツォではない、元になっているゴゴはこの程度では死なない。聖杯の中に隠れていたこの世全ての悪(アンリマユ)はこの程度では滅びない。 突然現れた城のような巨人に王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の英霊達が僅かにどよめいたが、そこで足を止めるような輩は一人もいなかった。 他の誰でもない先頭を走る王が疾走を緩めず、むしろ勢いを増して炎へと向けて走り続けているからなおさらだ。 天を焼き尽くさんばかりに広がる炎の壁。そこに向けてライダーは一直線に突き進んでいる。左手には手綱、右手には鞘から引き抜かれた抜身のスパタを持っていた。 まだ全力疾走―――宝具『遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)』にまでは至ってないが、それでも二頭の雷牛が牽引する『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』が雄々しい唸りを砂漠に轟かせる。 ウェイバーが魔石『アレクサンダー』を使ってから時間にして五秒も経たず、『聖なる審判』が作り出した巨大な炎の壁に変化が訪れた。 炎の壁は何もかもを焼き尽くさんと今も燃え続けているのだが、炎の中からゆっくりゆっくり歩みだす影があったのだ。 一つや二つではない。 少なく見ても二十以上はいるそれらは黒い人影だった。 先頭に立つのは漆黒の鎧に身を包み、赤い槍『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』と黄色の槍『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』を持つランサーことディルムッド・オディナ。血の涙を流す紅く染まった眼は何も変わっていない。 その隣に並び立つのは元々の衣装が黒に近いので外見の変化こそ少ないが、衣装に走る紅い血脈が違いのキャスターことジル・ド・レェ。もちろん手には彼の宝具である『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が握られている。 二人の背後に並ぶのは宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって分裂したアサシンの集団だ。 魔石『アレクサンダー』の『聖なる審判』では決定的な一撃を加えられなかったか、あるいはケフカによって回復させられたか。炎の壁を背にして堂々と歩く黒き英霊たちに四肢の欠損や怪我の類は見当たらない。 それどころか掠り傷すら見えなかった。 傷一つない現れる黒き英霊達の代わりにキャスターが呼び出した海魔の姿はなく、サーヴァントほどの耐久力がない魔物は『聖なる審判』で焼き尽くされたようだ。 もしかしたら、攻撃の元がウェイバーの魔力によって作られた攻撃であるので、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)を前に構えたランサーには攻撃そのものが届かなかったかのかもしれない。今も燃えている炎の部分は当たらなかった余波に過ぎないのかもしれない。 ウェイバーの呼び出した『アレクサンダー』は海魔だけを薙ぎ払ったように見えるが、炎の壁に現れる変化はそこで終わらなかった。 砂の大地を踏みしめる黒き英霊達。その後ろから人影ではありえない大きさの塊がいくつも現れたのだ。 ゴゴはそれらが何であるかを知っていた。そのモンスター達―――いや、竜が何であるかを知っていた。 冬木でもよく見かける二階建ての家より倍近い位置に頭がある首長竜。茶色い体をしてティラノサウルスに似ている竜。体が青く、日本の龍のように長い体をしている竜。翼竜のように空を舞って現れる竜。深い緑色の骨だけで構成された竜。 他と比較すれば少々小柄な印象を受ける水色の竜もいるが、地面に並ぶサーヴァント達よりは確実に大きく、体長は2メートル以上あるだろう。 風の力を操る、ストームドラゴン。 水の力を操る、ブルードラゴン。 炎の力を操る、レッドドラゴン。 氷の力を操る、フリーズドラゴン。 聖なる力を操る、ホーリードラゴン。 大地の力を操る、アースドラゴン。 雷の力を操る、イエロードラゴン。 死の力を操る、スカルドラゴン。 伝説の八竜の名を持つ八匹の竜が英霊達の背後から炎の壁を食い破って現れたのだ。 『聖なる審判』が炸裂する前はその影すら見えなかった竜の参戦。明らかにケフカ側、つまりゴゴたちにとっては敵の増援となる状況。 ゴゴは瞬時にその答えを導き出す。 魔石『ジハード』。それは三闘神の力が封じられている幻獣であり、そのあまりにも強力過ぎる力ゆえに伝説の八匹の竜の中に分散させて封印されていた力だが、ゴゴの仲間たちが冒険を進めていく道中でその八匹を全て倒してしまい封印は解かれてしまった力でもある。 結果として魔石『ジハード』も三闘神の力もゴゴの中に戻っていった。そして伝説の八竜とは魔石『ジハード』の対極であり最も近い位置にあった力だ。 ゴゴには伝説の八竜の召喚など物真似の成果として考えられず、やろうとする意識すら働かなかった。やろうと思えば出来るだろうが、ゴゴ自身がそれを成す為の域に達してないと考えていた。 これはリルム・アーロニィのスケッチとは根本から異なる。 召喚魔法とも違う。 ガウの特殊技能『あばれる』の訳がない。 当然、宝具でもない。 これは―――物真似ではない。 本来のゴゴはものまね士としての矜持があるからこそやらなかったが、ケフカとなってしまったゴゴはためらいを難なく乗り越えて伝説の八竜を呼び出してしまった。 ゴゴにも見ただけではあの伝説の八竜がどれほどの力を有しているのか判らない。探査魔法のライブラを直接当てなければ判りようがない。 そもそも宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』で人を物真似していた時とは状況が大きく異なるのだ。伝説の八竜と同じ形をしていても、より強く強化されている可能性も、あるいは弱体化している可能性もある。 そんな出来損ないになるかもしれない召喚などゴゴには出来なかった。ものまね士としてやりたくなかった。 しかしケフカはやった。 伝説の八竜の更に上―――天に降臨し、下界の俗物を見下ろすように、背中から生えた三対六枚の羽根を羽ばたかせて空を飛んでいるケフカ・パラッツォ。他の敵と同じように彼もまた炎の壁の内側から傷一つなく現れる。 ウェイバーへ渡した魔石『アレクサンダー』で攻撃力は多少強化されたが、敵の守りを突破して致命的な一撃を与えるには至らなかったようだ。そしてライダーの神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)が到着すれば、広範囲攻撃は逆に味方を巻き込む危険を増加させる。 敵の数は増えたが、ライダーが到達した後は各個撃破が望ましい。ライダーが招き寄せた軍団が到達すれば尚更だ。 数瞬で伝説の八竜が出現した理由とこれからの方針へとたどり着いたゴゴだったが、それと同時に各個撃破の結論をあざ笑うかのように敵の方から攻撃が飛んできた。 触れるだけで人を切り裂く風が目に見える形で迫り。八竜の背後にそびえる炎の壁がいくつもの火球へと変わり集っていく。 攻撃はそれで終わらず、進軍が作り出す大地の揺れを上回る振動が砂の大地を揺らし始める。 ストームドラゴンの『大旋風』、レッドドラゴンの『火炎』。そしてアースドラゴンの『マグニチュード8』。 味方の被害―――この場合、向こうにとって地面に立つ黒き英霊達のことなど全く考えていない攻撃が開始された。 王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)で優位になっている数の利を最大限に生かし、敵をすべて倒せ。 ゴゴの意識は即座にこの場にいる別のゴゴ―――ロック、セリス、マッシュ、カイエン、リルムの五人に伝わり、誰もが勝利という結果を掴み取るために行動する。 「ライディーン、今は退いて!」 一度は出現させた幻獣だったが、敵がケフカの力で強化された者たちと伝説の八竜とでは効果はほとんどない。 セリスは頭上に浮かぶ六本の足を持つ馬にまたがった戦士を魔石に戻しながら、大地の揺れに対抗すべく魔法を唱える。 「レビテト!」 味方全員―――ゴゴが元になっている五人だけではなく、先を行くライダーの神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を含め、進軍する軍隊の一人一人にまで浮遊魔法は影響を及ぼす。 「行け! ヴァリガルマンダ!!」 「バハムート、合わせるよ」 まだライダーが敵に到達していないので、広範囲攻撃は有効。加えて迫りくる風と炎の猛威に対抗してロックとリルムは各々が呼び出した幻獣に指示を出す。時同じく、二人の頭上にも黄色い小鳥が小さく舞って、地属性の攻撃を無効化するための魔法が効果を発揮する。 バハムートの口から放たれる咆哮『メガフレア』とヴァリガルマンダの攻撃『トライディザスター』。炎、冷気、雷の三属性の複合技と竜の一撃が混ざり合って炎と風に衝突する。 「魔法を俺にやらせるなよ。――ヘイスガ!」 大災害同士がぶつかり合って強烈な音と爆風をまき散らす中。マッシュは不満と一緒に各個撃破するための準備として加速魔法を使う。 レビテトと同様に加速の効果は五人だけではなく王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の全員に及び、僅かに浮遊しながら進軍速度を上げる奇妙は軍隊が出来上がっていった。 「英霊ならその速さにすぐ慣れろ」 命令にも似たマッシュの文句が聞こえる中。残るカイエンは『斬魔刀』を構えたまま駆け出し、ライダーの後を追って五人の中で唯一前に出て武器を用いての攻撃を開始した。 もっとも、敵までには距離がある上にカイエンの駆ける速度より神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の方が圧倒的に早いから。出遅れた印象は否めない。 「うおおおーっ!! マイティガードでござるぅぅぅ!」 だからカイエンは出来上がった時間で本来ならば使えないはずの技を口にする。 頭上で吹き荒れる爆風と熱風に逆らって進みながら、カイエンが口にしたのは物理的防御力を上げる魔法『プロテス』と魔法防御力を上げる魔法『シェル』を同時にかつ味方全体にかける技だ。 本来ならばこの技が使えるのはストラゴスのみなのだが、カイエンの姿をしていても原形はゴゴ。使えぬ筈はない。 それにこことは違う別の場所でストラゴスが本当は使えない筈の技を使う奇跡を作り出したのだ、姿形が違うだけで本来ならば使える筈の技が使えなくなる訳ではない。 出来る―――強くそう願いながらカイエンはストラゴス専用の『覚えた技』を使う。 心の中に伝説の八竜の召喚をやってのけたケフカへの対抗心があった。 黄色い燐光が十字に輝き、緑の光球がそこに重なり合う。二重の防御魔法が作り出す眩い光が軍隊すべてを包み込んで幻想的な光を作り出した。 空に爆発、揺れて大地に眩い光。 両者の余韻が収まるよりも早く、ライダーが向かう方角から白い光と黄色い光が撃ち出された。 閃光と呼ぶしかないそれは『聖なる審判』のレーザーよりも極太で、白い光はライダーの真横を通り過ぎて駆ける軍隊の中に着弾し、黄色い光は斜め上から放たれて同じく軍隊の中に着弾した。 白い光はホーリードラゴンが放った『セイントビーム』、首長竜の頭がある斜め上から降り注いだ黄色い光はイエロードラゴンの『波動砲』だ。二匹の竜の口は閃光を打ち出したのを誇るように大きく開かれている。 避けるなど考えるよりも前に衝突している光が二つ。二か所で大規模な爆発が巻き起こり、舞い上がった砂塵と一緒に吹き飛ばされる兵士の姿が見えた。 悲鳴を上げながら空に飛ばされるライダーの招きに応じた英霊達。しかし『ヘイスガ』と『マイティガード』が痛みを和らげたのか、死んではいない。 もし『セイントビーム』と『波動砲』で消されるか死んだならば、サーヴァント達は霧が晴れるように人の形を保てずに消滅するはずだ。巻き起こった砂ぼこりの中までは判らないが、少なくともゴゴが見える範囲にはそれがない。 それに『マグニチュード8』によって引き裂かれていく砂の大地の上を軍団は浮遊しながら駆けていく。数十人を巻き込んだ攻撃であろうとも、それは止まる理由にも戦いを止める理由にもならない。 王が駆けるならばそれに続くのみ。強大な敵を前にしても士気は全く衰えない。 「AAAALaLaLaLaLaie(アァァァララララライッ)!!!」 そして、遂にライダーが敵へと到達する。 時間にすればウェイバーが魔石を使って『アレクサンダー』を呼び出してから僅か十数秒ほどしか経っていないが、起こった変化は劇的だった。 『聖なる審判』が作り出した炎の壁はレッドドラゴンの攻撃に使われて影も形も無く。海魔が減った分だけ敵の数は減少したが、新たに現れた伝説の八竜が黒き英霊達の背後に並んで強大な敵の様相を示している。 大地、風、火。聖なる力と雷の力。竜の力は本物に劣らず、むしろ王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の一角を一撃で消滅させかねない威力だったので、強化されていると思っていいだろう。 そんな敵達が作り出す壁の先頭―――神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は二本の槍を構えるランサーへ衝突する。 最速のサーヴァントと名高きランサーならば全力疾走ではない戦車(チャリオット)を避けるのはそう難しい事ではない筈。けれどランサーは右手に持った紅き槍『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』の切っ先を前に出して、巨大な長砲身を思わせる牽引部分を正面から突いたのだ。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 衝突と同時に槍もランサーも一緒に吹き飛ばされてもおかしくない。 けれど現実にはランサーの体ごと後ろに押されていくが、狂った獣のように雄たけびをあげるランサーの腕も槍もまっすぐ伸びたまま神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)に耐えている。バーサーカーすら軽々と吹き飛ばした一撃にランサーがこらえていた。 砂の大地にランサーが踏ん張る足の軌跡と雷牛の足跡、加えて車輪の跡がどんどん刻まれていき、巻き込まれてはたまらないと背後にいたアサシン達が横に飛んで避けるが、ランサーは変わらず押されるだけで吹き飛ばされはしない。 あるいはサーヴァントが持つ本来のステータスを大きく超える事象を巻き起こしているのはランサーの技量が合ってこそかもしれないが、信じがたい状況であるのは間違いない。 「嘘だろ・・・」 御者台の上から誰よりも近くでライダーとランサーの衝突を見るウェイバーがそう呟くのも無理はない。 そのままランサーを押し続けた状態は続き、アサシン達が避けた後ろにいる八竜がいる場所にまで続いた。中央にいて神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を迎え撃とうとしているのは日本の龍を思わせる長い体の竜だった。 青いウロコの一枚一枚が鋭く尖ったクリスタルを思わせるブルードラゴン。 ランサーの力で僅かに突進速度を緩めた戦車(チャリオット)に向け、その長い体に見合った長い尾を少しだけ引いた。 「これはいかん!!」 「え?」 ウェイバーが『何が?』と問いかけるより早く、ライダーは手綱を引いてランサーとの拮抗状態を意図的に崩す。そのまま神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の進行方向を少しだけ上に向け、ランサーの突きを空に駆け上がって避けていく。 ランサーの槍が空へ登る二頭の雷牛のちょうど真ん中を通って御者台の下を抜けようとする頃―――小さいながらもしっかりと振りかぶったブルードラゴンの尾が御者台の下を潜り抜けた。 ライダーの判断が一瞬でも遅れていたら直撃したであろう一撃。それは破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)を突き出した体勢のランサーだけを吹き飛ばした。 「・・・・・・」 ドンッ! と固い物が同士がぶつかり合う音を響かせながら、はるか遠くに吹き飛ばされるランサー。 味方が巻き添えになっても構わない竜の攻撃にウェイバーは冷や汗を流し、ライダーは手綱を操って一度後方に抜けてから大きく弧を描く、再び突進の状況を整えていくためだ。 勢いはランサーの突きで少し減退したが、それでも神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の速度はその場で急転回できるほど緩やかではない。 ライダーの通る跡は大きな大きな弧となり、その間にカイエンが、そして後続の王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)が敵に到達する。 軍勢が上げる鬨の声は一つの思いとなる。すなわち―――王に続け!! だ。 その中の一人となったカイエンもまた斬魔刀を構えてアサシンの一人に向けて斬りかかった。 ライダーが横をすり抜けると同時に歓喜の表情を浮かべたキャスターは螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)に手を当て海魔を召喚した。 人である黒き英霊達よりも八竜の方を脅威と見たか、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の多くが竜に向けて槍を投擲し、剣を振り上げ走り、斧を担いで敵を殺さんと駆ける。 アインツベルンの森ではアサシンを圧倒したが、ケフカに召喚され直したアサシンもまた強化されているようで。あちこちで戦士たちと暗殺者たちが互いの武器で打ち合い、足払いや頭突き等なんでもありの闘争を繰り広げ始めた。 正しくこれは戦争だ。王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)によって呼び出された独立サーヴァントたちとケフカによって召喚された下僕たちの殺し合いだ。 味方にのみ効果を及ぼす魔法が発揮されたので、今やライダーもウェイバーも王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の誰も彼もがゴゴにとっては共にケフカを倒すための同士となっている。 カイエンがその中に混じって一足先に乱戦の中に身を投じたように―――、ロックも、セリスも、リルムも、マッシュも、新たな戦法に変えていく。 狙うは上空から戦争が巻き起こる地上を見下ろして、殺し合え、とでも言わんばかりに傍観しているケフカの首。 「戻れ、ヴァリガルマンダ。飛ぶぞ、ケーツハリー!」 「来て――ラクシュミ」 二つの魔石を両手に持ち、頭上に浮かぶ幻獣『ヴァリガルマンダ』を左手に持つ魔石に戻しながら、紫色の巨鳥の幻獣を呼び出すロック。 仲間がダメージを負えば常に回復するように別の幻獣を呼び出すセリス。ヒンドゥー教の女神と同じ名前を持ち、魔石を使った術者の味方の体力を回復させる女性がセリスの背後に現れた。 「バハムート。このまま空に行こ」 「くたばれスカルドラゴン! オーラキャノン!!」 一旦、黒く光り輝く竜王を地上に降ろし、その背中に跨って戦場を空に移していくリルム。 カイエンの後を追って前に走って、そのまま両手を前に突き出して白い閃光を撃ち出すマッシュ。先ほど撃たれたホーリードラゴンの『セイントビーム』への意趣返しだろうか。 こうして聖杯戦争とは大きく異なるが、紛れも無く本物の戦争が始まった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ???? 殺せ―――。それが俺に与えられた至上命題だ。 『俺』がこの世界に現界して真っ先の脳裏に思い浮かび、必ず行わなければならない使命としてそれは刻まれた。 オレンジ色の鎧の下にある『俺』の肉体に刻まれた紅い血脈。ドクンと音を鳴らすたびにそれは黒く染まり『俺』を侵食し、殺せ―――と訴えかける。 「気に入らねえ・・・」 だが俺の口から出てきたのは抗いの言葉だ。 足元にはピクリとも動かない男が一人。死んでないのが不思議なほどダメージを負って、全身の至る所に傷と怪我が山ほど出来上がってやがる。 うつ伏せになったまま砂漠に埋もれる様子を見ると、このまま放置したら回復よりも死に近づくのは間違いねえ。 顔を上げれば空飛ぶ牛に引っ張られて空を駆ける戦車(チャリオット)。雷を放ちながら空を走るそいつの上にいる城に似た幻獣がまたレーザーを撃った。 狙いは『俺』をこの世界に呼び寄せた男だ。 それでもレーザーが直撃して現れた火炎が包むのはその男の前に出てガードしやがった紅い竜。その竜の後ろで男は笑ったまま空を駆ける戦車(チャリオット)を、そこに乗ってる奴らを、この場にいる全てを、『俺』も笑ってやがる。 紅い竜を中心にして空に大火球が生まれやがった。二つ目の太陽が空に出来た。戦車(チャリオット)に乗ってる奴が最初の攻撃より込めた魔力より少なかったのか、俺の周りを燃やしてた炎の海より威力が小さいのが見て判る。 「気に入らねえな・・・」 あの野郎は『俺』に指示を出した。 俺にこう命じた。 殺せ―――、斬り殺せ―――。 抵抗する意思すら見せられないほど消耗した黄金の鎧をまとった奴を殺せと、奴は『俺』に命じた。 それがどうしようもなく気に入らねえ。 だから俺は叫ぶ。 誰も『俺』を、『俺』の足元にいる男も見ていなかったとしても、『俺』が俺である為に叫ぶ。 他の誰でもない『俺』が何をするかは俺が決める。 宣言する。 主張して、断言して、言い放つ。 「こんな一方的なやり方は気に入らねえ! 手前らに加担したら格好悪いまま歴史に残っちまうぜ」 叫んだ瞬間。『俺』の頭の中に刻まれた命令を俺が打ち消していく。 『俺』は他でもない俺だけの存在。どんな出自だろうと、『俺』は俺の生き方を曲げない、屈しない、揺るがない、貫き通す。 『俺』に命令できるのは俺だけだ。 『俺』はあらゆる武器の収集に情熱を傾ける武者。伝説の剣豪。戦う強者が持つ名工の武具を奪い、その中に必ずある最強の剣を求める男。 俺の名前は―――ギルガメッシュ。 「状況はよく判らねえが俺は今からお前らの敵だ」 俺は足元に転がってる黄金の鎧を着こんだ男を背負いながら、これまで収集した武器の中で特に気に入ってる日本刀の一本を抜いて構える。 鍔に竜虎が互いに睨み合う柄が施された名工の一品、銘を正宗。 どいつもこいつもこっちの事なんて気にしてないようだが、俺は『俺』を呼び出した男に反旗を翻す。これは決定事項だ。 とりあえず近くにいる竜に狙いを定めて走った。 「どけ、どけ、どけどけどけっ!!」 途中、小さな人間が邪魔だったから空いた手でそいつらの首根っこ掴んでポイポイと放り投げて強引に道を作る。 邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ。 何だか知らねえがどいつもこいつも微妙に浮かんでるから投げやすくて実にいい。 他にも七匹いる竜の中じゃあ一番小柄、殺到する人数が一番少ないから狙いやすい。大きさは俺と同じ位、口から吹雪を吐いて、近くにいる人間を傷めつけてやがる。 そいつは俺が放り投げたの人間どもに反応して吹雪を止めて白い球を口から撃ち出す。当たると人型の氷像が幾つか空に出来上がるが、知ったことじゃない。 落下の衝撃で壊れるかもしれねえが運が悪かったと思って諦めろ。 「喰らいやがれ――」 上に口を向けて喉元を曝け出してやがる竜。俺は懐に潜り込んでそこに狙いを定め―――。 「剣の舞」 左肩から右脇腹にかけての袈裟切り。右肩から左脇腹への逆袈裟。右下から左上への左切り上げ。左下から右上への右切り上げ。 正宗が描く軌跡がちょうど『×』の形になる四連撃。竜の形は人と全く違うが、他の部分より動く首が柔らかいのは生物の基本・・・の筈。 一瞬の間に刻まれた四か所の切り傷に竜は悲鳴をあげる。 さすがに竜だけあって耐久力はとてつもなく高い。一度で首を切断できるとは思わなかったが、『切断』にほど遠い『切り傷』にしかなっていないのはショックだ。 中々硬いじゃねえか。 名剣の正宗に見合うよう鍛錬を怠ったことは無いんだがな。 突然現れた俺に周囲はやかましい。敵なのか味方なのか迷ってる雰囲気が見なくても伝わってくるぜ。 いいか、俺はお前らの仲間になった訳じゃねえ。ただ俺がこいつ等を―――俺を呼び出したあの野郎が気に食わないだけだ。 強者が持つ名工の武具にかけて竜の首は俺が獲る。そして空に浮かんでるあの野郎も俺がやる。 「このギルガメッシュ様が――倒せるかな?」 改めて痛みに悶える竜に向けて名乗った時、背負った男がピクリと動いた気がした。 起きたか?