第40話 『夫と妻と娘は同じ場所に集結し、英霊達もまた集結する』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - アイリスフィール・フォン・アインツベルン 私は何が起こっているのか判らなかった。何もかもがあまりにも急に起こり過ぎて、短い時間ですべてを理解するなんて出来なかった。 でもたくさんの事が起こった。それは本当。だから私は出来るだけ考える。 聖杯を降臨させ、アインツベルンの悲願と切嗣の願いを同時に叶える。私はその為に考える。 でも―――本当はこのまま聖杯戦争を続けて切嗣やセイバーに聖杯を託していいのか迷ってる。 いっそライダーが語った受肉を叶えて聖杯を消してしまえ、と、そんな風に心の片隅で思ってる。 判らなくなった。 判った気になっていた切嗣の本当の戦い方。セイバーが語った聖杯への願い。言葉でしか知らなかった殺し合い。舞弥さんの死。 知れば知るほど、聖杯戦争に挑む時に私が胸に宿した決意が間違ってたんじゃないかって思えてしまう。 でも私の迷いに関係なく聖杯戦争は進んでしまう。 終焉へと向けて―――、私が持つ人としての機能を全て破壊して聖杯は生まれる―――、それは決して変わらない不変の事実。聖杯戦争があり、私がアインツベルンの女である限り変わらない未来。 私は考える。 私自身が納得する為にも。整理して、理解して、考え続ける。 「おほほほ! 私の名前はケフカ、ケフカ・パラッツォ。今の僕ちんでも首一つへし折るぐらいの力があるのだよ。奥さんの命――。いやいや、体の中にある『聖杯の器』が壊されると困るんじゃなーい? 質問には素直に答えた方が身の為だじょ」 拘束されて初めて考えられる時間を持てたのは腑に落ちないけど・・・。 私は川の辺でセイバー達の戦いを見ていた。それは思い違いじゃない。 私達はキャスターがやろうとしている『何か』を止めるために冬木市の中央に流れる未遠川へと向かった。そこでキャスターが召喚した恐ろしい怪物を見つけ、僅かに遅れてライダーもまた現れた。 そこには武家屋敷へと現れたカイエン、どこかイリヤを思わせる幼さを持った女の子、ライダーとそのマスター。そして子供の姿をしたアサシンがいた。 間桐が関わっているならバーサーカーとライダー、そしてアサシンがそれぞれ共闘を結んでいる確たる証拠が私たちの目の前に現れた。 そこでライダーはキャスターが呼び出した怪物の相手を女の子に任せ、あろうことかセイバーとの戦いを申し出た。 私はライダーの正気を疑ったけど、すぐに強力な炎の魔術を見せられて、あれなら任せても大丈夫かな? って思ったの。 セイバーも私と同じことを思ったのか、ライダーの申し出を受けて、キャスターが呼び出した真性の『魔』から意識をそらして英霊同士の戦いをやり始めた。 私はセイバーの邪魔にならないように一度土手に戻ってセイバーとライダーの戦う様子を見つめていたのだけれど。それと同じぐらいに川の中で行われている戦いにも意識を割いた。 あれはどこまでも果てしなく貪り喰らうもの。全てを呑みこんでもまだ足りない渇望の概念を具現化させたもの。『魔』だ。 セイバーの補佐をするためにライダーとの戦いから片時も意識を外さないで見守るべきなのは判っていたけれど、私にはどうしてもあれを無視できない。 だからセイバーを見つめながら、川の方もずっと見つめていた。 ライダーの戦車(チャリオット)が風を纏って巨大な生き物のように突撃していくのを見てた。セイバーが光り輝くかの剣を天に掲げているのも見てた。 過去現在未来を通じ、戦場に散っていく全ての兵たちが今際のきわに懐く『栄光』という名の哀しくも尊き夢の結晶。 セイバーの切り札にして真の宝具。其は―――約束された勝利の剣(エクスカリバー)。 一瞬で決まった勝負の決着は信じられないことにライダーの戦車(チャリオット)にセイバーが吹き飛ばされる結果を生み出していた。 私はそれを見た。間違いなく見た。 セイバー、ガ、負ケタ? 満足に受け身すらとれずに地面に投げ出されるセイバーの姿を見て、私は目の前で起こっている事が信じられなかった。 奇策は無かったと思う。真正面から互いの宝具がぶつかり合って、セイバーが力負けしたようにしか見えなかった。 だからセイバーが吹き飛ばされている事実が信じられない。 でも私の前で起こった事実は現実としてそこにある。 私は呆然とした。 でも呆然としながらも私は見た。 川の両岸から現れた幻想種―――。そう、私は確かに幻想種を見た。 アインツベルンの女として、そして切嗣からも魔術に関する話は聞いていたけれど、見るのはこれが初めて。伝説や神話、幻想の中にのみ生存する生物がそこにいる。 信じられないことに、その中には幻想種の頂点と言われる竜種すらいた。 明らかに使役されている光景を私は呆然としたまま見つめる。 セイバーが負けて、幻想種が現れて、キャスターが呼び寄せた真性の『魔』が切り崩されて―――。セイバーがライダーのマスターを剣で貫いてた。 私の意識がセイバーから離れた瞬間、セイバーは黄金の宝剣をライダーのマスターに突き刺して、背中まで一気に貫いた。 ほんの僅かな間に沢山の事が起こった。全てを見ていたけど、私はただ見ているだけだった。 目の前で起こったことが判らない。 そこにあるのが現実だって思えない。 聖杯戦争のサーヴァントにとって、魔力を供給してくれるマスターは弱点となる。だから切嗣は言った。狙うとしたら寝込みか背中、時間も場所も選ばずにより効率よく確実に仕留められる敵を討つ。って。 それが切嗣が描いた聖杯戦争の常道。 でもセイバーは違ってた。 倉庫街で戦ったランサーがマスターと見せかけた私を狙わず、ただひたすらにセイバーと戦ったみたいに。あなたとランサーはこの聖杯戦争の中で誰よりも信じてる騎士道を貫いていた筈。サーヴァント戦において弱点のマスターを狙うなんて一度だってやらなかった。 それなのに―――。 何ヲ、シテイルノ、セイバー? また私は呆然とした。何が起こってるのか判らなくて、何もできなくなった。 ずっとずっと何も出来ないでいた。 そんな私の所に風のようにセイバーが駆け寄った。いつライダーのマスターを貫いた所から走り出したのか判らず、気が付けばセイバーは片手に剣を、もう片方の手で私を担ぎ上げてた。 元々突然の事態が幾つもあって、もう何がどうなっているのか判らない。その上でいきなりの衝撃に頭の中が真っ白になる。 セイバーは優しく抱き上げたつもりだったのかもしれないけど、人を軽く上回るサーヴァントの力が止まらずに私にぶつかったの。あまりの痛みに気絶してしまいそうだった。 風を切るように冬木市を駆けていくセイバー。敵から、未遠川から、ライダーから、遠ざかるセイバー。一心不乱に走り続けるセイバー。 私はそんなセイバーに担がれながらライダーのマスターの血で塗れた黄金の宝剣を横目で見る。 ねえセイバー、教えて? あなたは切嗣の戦い方に激怒していたんじゃなかったの? 舞弥さんの死を悼みながら、私たちを囮にしてランサーのマスターを暗殺したやり方に怒ってたんじゃなかったの? ねえ、あなたは何をしてるの? 貴女は本当に騎士の中の王、アルトリア・ペンドラゴンなの? 負けそうになったら勝利のために道を踏み外す、それが貴女なの? セイバー? これがあなたの思い描く騎士なの? それがあなたの本性なの? 声を大にして叫び、セイバーの口から本当の事が聞きたかったけど、そこで私は気が付いた。 私を運ぶセイバーが切る鎧にはあちこちが砕け、ひび割れ、折れて、原形を留めないほど破壊されてる。砕けた鎧の隙間から見えた紫色に変色した部分、そこは剥き出しの皮膚でその奥にある骨はきっと折れてる。 こうなるのも当たり前。だってセイバーはライダーの宝具の特攻を受けたんだから。 白銀の鎧が威力を軽減したとしても、あの戦車(チャリオット)をまともに受けて無傷でいられる筈がない。あれは対人宝具の域を超えた対軍宝具。セイバーが一人で受けるにはあまりにも強力すぎる。 私は荷物みたいに運ばれる中、必死でセイバーに向けて治癒魔術を使い続けた。 尋ねたり、悲鳴を上げるよりも前に、セイバーを死なせたくなくて魔術を使った。 このままではセイバーが死んじゃう。もしかしたら見た目の酷さとは関係なく、セイバーは大丈夫だったかもしれないけど、私には死んじゃう様に見えた。 それじゃあ聖杯を託せない。 それじゃあ話を聞けない。 それじゃあ、それじゃあ、それじゃあ―――。 起こった出来事が多すぎて、どんどん判らなくなる。治癒魔術をかけて私も自分を落ち着かせようとしてのかもしれないけど、本当の事は私にも判らない。 だって何も判らないんだから。 ただ私はセイバーを癒し続ける。魔力を使い切っても不思議はないと思える位にセイバーに魔力を注ぎ続けた。それは本当。 サーヴァントの自己治癒能力と私の治癒魔術の併用。セイバーが私を担いだまま移動する状態でどれだけ時間が経ったのか。 不意に一瞬だけ浮遊感感じて、その後に私の体を支えていたセイバーの細い手の感触が消えてしまい、もっと太い何かに変わってた。 急激な横移動が縦移動に変化した。痛みに加えて急な上昇で気持ち悪さが加わり、私は何が起こってるのかまた判らなくなった。 ねえ、何が起こったの? セイバー。 「制限があると隙が大きいねい。この先にいる私の御仲間を倒してみなしゃーい。見事倒せれば、この女を返してあげましょう」 私の口から問いかけが出るよりも前に、そんな声が聞こえた気がする。 「スリプル!」 続けられた言葉が私の耳に届くと意識が朦朧として何も考えられなくなった。考える間もなかったから、確信は持てず思い違いかも知れないと思えてしまう。 何が起こってるか私には判らない。 でも何かは起こった。間違いなく起こった。 「エスナ」 そして次に声が聞こえて覚醒した後、私はどこかのビルの屋上で拘束されてた。 そこから何が起こったかを考えて、考えて、考え続けて、ようやく過去が今に追いつく。そう―――私は敵に捕まってしまったんだってようやく理解出来た。 後ろから私を逃がさない誰か。多分、男だと思うけど、この男は私を抱えたままセイバーを振り切った。 そして私たちの前にいてビルの下を見下ろす男―――言峰綺礼と合流した。 セイバーが本調子かどうか確認する間もなかったけど、必死にかけた治癒魔術で怪我は治っている筈。そうなると完全復活した剣の英霊から逃げ切れるほどの力量の持ち主が言峰綺礼に加担している事になる。 この二人はどうしてビルの屋上なんかにいるの? そう思いながら、言峰綺礼の視線を追って、私は道路に立ってこっちを見る切嗣を見つけた。 他に動く人がいなかったし、あの特徴的な姿は絶対に見間違えない。あの人は私の夫、切嗣だ。 切嗣! 拘束を振り切ってそう叫ぼうとしたんだけど、口が塞がれてるから言葉が出ない。体は少し動くけど、もう片方の手が信じられない力で私を縛りつけてる。 必死にもがいて拘束を抜けようとしても動けない。 何があってこんな風になってしまったの? 切嗣は無事? セイバーは無事? 混乱しながらも、私は切嗣を見ながら出来るだけ落ち着こうと思った。何が起こったか判らないけど、こうして捕まっているなら、それは切嗣への人質に違いない。 私の存在が切嗣の負担になる。それはとても嫌。 何とかこの状況を抜けられないものか。こんな場合に誰よりも切嗣の助けになるセイバーの姿を探すけど、目に見える範囲にセイバーはいなかった。 そこで私は気付く、気付きたくなかったけど気付いてしまう―――。 切嗣が私に銃口を向けてる、って。 言峰綺礼と私を縛る誰かと一緒に、切嗣は私にも銃を向けてる。 これまで一度だって見たことのない顔で、敵を見る目で私を睨んでる。 遠くにいる切嗣の細部なんて判らない筈なのに、不思議と私は切嗣が敵意を持ちながら私を見てるって理解した。判ってしまった。 どうして? どうしてそんな目で私を見るの? ねえ切嗣、どうして? 考えている間に切嗣と言峰綺礼の会話は終わってしまい、切嗣は銃を撃った。何のためらいもなく撃った。 英霊なら銃弾を捉えて避けたり防ぐのは難しくないかもしれないけど。私にはそんなことはできない。だからもう起こってしまった事実から理解するしかない。 銃弾の多くは言峰綺礼に向けられて放たれたみたいだけど、少しだけは私の方に飛んできた。―――と思う。 身動きできなかった。避けるなんて最初から身動きが取れないからできない。考える間もなく銃弾だと思う切嗣の攻撃が私の顔の数センチ横を通り抜けた。 あと少し位置が違っていたら私は死んでいた。切嗣に殺されてた。 耳の下が熱い。もしかしたらそこを掠ったのかもしれない。 何もかもが一瞬の出来事で、私は突きつけられた『結果』から判断するしかなかった。 切嗣、ガ、私ヲ、撃ッタ―――?。 「家庭内暴力? シンジラレナーイ! 妻を撃つなんてひどいご主人がいたもんだ、笑いが止まらん!」 耳元で大声が聞こえたけど、私は聞いていない。聞けない。理解できない。 言峰綺礼が屋上から飛び降りて切嗣の所に駆けた気がするけど、目に見えることも判らない。 起こったそれが何だか判らなくて、他の事も全然判らない。 「この程度はまだ序の口。これからもっともっと、もぉぉぉぉぉっと、楽しくなる!」 切嗣が私を撃った? これは本当? 空想? 現実? 夢幻? 「スロウ――」 頭の中はぐちゃぐちゃして、ただ目の前にある事しか見えてない。だから聞こえてきた声がどんな意味を持った言葉なのかまるで判らない。 ただ見るだけ。 いっそ夢だったらどれほど楽か。現実は私の理解を軽々と越えて加速してく。 不意に私を縛っていた二本の手がほどかれて、何故か私はいきなり解放された。でも、力なく屋上に腰を落とす私の周囲はとても早く動いてく。 私が叫んだり、逃げたり、へたり込むよりも前に私を拘束していた誰かが私の前に出た。斜め前に出たピエロみたいな恰好をしたその男は何かを持ってるのを見た。 数十センチほどの大きな石。それを見た瞬間、私はそれ以外の他の全てを忘れた。 私には判る。 アイリスフィール・フォン・アインツベルン。第四次聖杯戦争において聖杯の器の運び手であり母親だから判る。 石だけど判る。人の質感なんてまるで無いけど判る。 あれは聖杯の器。 あれはイリヤ。 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。私と切嗣の娘。 どうしてここにいるの? どうして石になってるの? どうして捕まってるの? 考える間もなく疑問が溢れて、私から考える余裕を奪い去る。切嗣が私を撃った時と同じぐらいかそれ以上の驚きで何も考えられない。 私以外の世界は私を置き去りにしてどんどん進む。理由なんてまるで判らないけど、解放されて動けるようになったのに、何もかもが私を置いて先に進んでしまう。 その男が石になったイリヤを掴み、前へ歩くのを止められない。 イリヤを連れて行かないで! 止めようと動いたつもりなのに、水の中で手を動かすみたいに体がものすごく重い。 腕は動くのにとても遅い、足も動くのにやっぱり遅い。何もかもが遅い。見ている景色は私の遅さを笑うみたいに早く動いていくのに、私だけが遅い。 「イリヤッ!!」 何だかよく判らない男から解放されて、初めて私は叫んだ。でも『イ』と叫んだ所でその男はイリヤを下に投げ捨ててしまう。 慌てて屋上の縁に身を乗り出して下を見る。イリヤを投げ捨てた男がすぐ横にいたけど、そんな事はどうでもよかった。 この時、私はイリヤの事しか考えられなかった。 そこで見る。 両足で立つ言峰綺礼。 銃を構えて対峙する切嗣。 沢山の血を流し地面に横たわるイリヤ―――。 「ぇ・・・・・・」 イリヤが怪我を負って倒れてる。 あの子の白い体から紅い血が沢山、沢山、流れてる。 切り傷や刺し傷とは違った。言峰綺礼が使う黒鍵で傷つけられたのでもなかった。あれは今、私がされたように、当たれば人を殺す銃から発射された攻撃が作った怪我。 遠いのに、見辛いのに、怪我の具合の診断なんて出来ない筈なのに、何故か私はイリヤが撃たれたって一瞬で理解した。 切嗣ガ、イリヤヲ、撃ッタ・・・? 「あ・・・あぁぁ・・・、ああぁああぁぁぁぁああ――」 また頭が真っ白になった。 いつの間にかイリヤの石化が解除されているとか、言峰綺礼が撃たれて血を流しているとか、切嗣の口から血が出ているとか、動くものが無かった筈の道路に自動車が走っていて歩道に歩く人がいるとか、一瞬前までには合った結界が無いとか。色々なことを見てるのに判らなくなる。 私の目はただ一つ―――イリヤだけを、撃たれたイリヤだけを、切嗣に撃たれたイリヤだけを、者じゃなくて物みたいに動かないイリヤだけを―――見つめてた。 「イリヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ケフカ・パラッツォ 「全てはいずれ壊れゆく。この私の手によって!!」 夜中に響く歓喜の雄叫びと周囲を見渡せば闇の中に浮かぶ黒きサーヴァント隊が列を成している。 聖杯システムの物真似。 サーヴァント召喚の物真似。 汚染された聖杯の物真似。 そして宝具の物真似。 並ぶアサシンの手には黒塗りの短剣が握られているがこれは問題外。重要なのはむき身の血管のように紅い文様を体に刻んだランサーとキャスターの手にある『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』そして『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』だ。 ぼくちんの前身が手に入れた全ての成果は『破壊』を生み出すための土壌となり、今、私の前に集っている。 これほど喜ばしいことが他にあるだろうか? これほど心地よい光景が他にあるだろうか? 今なら喜びのあまり星一つぐらい簡単に壊せる気分だ。二重の結界を破壊して現実へと戻ってきたアーチャーを見て、更に喜びは増大していく。 「雑種・・・」 「あれだけ息巻いた結果が空振り? こりゃあ愉快! ヒッヒッヒッヒッヒッ!」 アーチャーが現れたのは冬木教会の前にある石造りの広場で、サーヴァント隊はその周囲を完全に取り囲んでいた。 サーヴァントという枠に囲われた存在であるが故に、さすがの英雄王ギルガメッシュと言えど真の切り札を二回も使った消耗は激しい。生前の英霊自身ならば全力を二回やってもまだ余力を残すかもしれないが、サーヴァントはそうならない。 元々『裁きの光』でのダメージが色濃く残ってる状態で天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)と王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を同時起動させた上に、込めた魔力は現界が覚束なくなるんじゃないかと思えるほど力強い。 言峰綺礼が持つ預託令呪をいくつか使い、無茶を強引に押し通したのだろうが。故に今のアーチャーは万全とは程遠い。 黄金の鎧はあちこちが砕け、底冷えする笑みを浮かべていた顔からは幾つも血が流れている。呼気は荒く、ただそこにいるだけで感じられていた王者の覇気が弱まっていた。 英雄王としてのプライドがそうさせるのか。辛うじて乖離剣エアを握りしめて二本の足で立っているが、僅かに体が震えており強引に自分を立たせているのが判る。 言峰綺礼に対サーヴァントの治癒魔術の心得でもあれば回復したかもしれないが、あちらはあちらで忙しいのか治癒される様子はない。譲渡された魔力も空振りした攻撃に全て費やしてしまったのだろう。 こちらが本気を出す前は一方的な戦いに王者として降臨していながら、今は体力も魔力も大幅に減退して半死半生。 つまらん! 「その状態ではもう物真似の種は吸い尽くしたようだね――、お前はもう用なしだ! いらない!!」 あえて挑発する言葉を放ってみるが、アーチャーはすぐに攻撃に転じなかった。 二度目に天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を放った時は一瞬すらなく殺そうとしたにも関わらず、今はそれがない。 取り囲まれた状況とそれが敗退した筈のサーヴァントである事実を警戒しているのか、それとも攻撃を行うだけの貯蔵魔力がもう残っていないのか。どちらであろうと、予想しない三つ目の答えだろうと、最早、僕ちんにとってアーチャーは残りカス同然。ケフカにとっては敵ですらない。 無言のまま数秒が経過して、ようやくアーチャーの背後に二十ほどの黄金の輝きが生まれ、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の発射体制が整っていく。 合わせて乖離剣エアも回転し始めて、三度目の天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を発動させようとしていた。 「宝具は他の追随を許さない強力無比。バランスの取れたパラメータと単独行動のクラス別能力を基にした魔力消費の少なさ。自分の土俵に引きずり込めば叶う英霊はそうはいない」 けれど一度目と二度目を比較対象にすればそれはあまりにも遅く、ケフカからアーチャーへと声をかける余裕すらある。 もし放たれた言葉が全て呪文だったとすれば、この冬木市そのものを更地に出来るほど長い長い間が経過した事でもある。アーチャーがどれだけ弱まり、残された魔力がどれだけ少ないかを明確に示す『間』だった。 その時間を使い、アーチャーは放つ前から力強さに欠ける宝具を発動しようとしている。ただ、衰えていようが宝具は宝具であり、特にアーチャーのそれは一つだけでも絶大な威力を発揮する。 「でも隙がある」 だからケフカは短く告げながら、右手を前に出して黒きサーヴァント隊へと身振り手振りで命じた。 言葉は無い。けれど手の動きだけでそれが何を意味するか悟ったサーヴァント隊の中の一人―――ランサーは破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)と必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)を構えてアーチャーへと突進する。 そこには『輝く貌』と謳われるフィオナ騎士団、随一の戦士の姿は無く。両眼を血で紅く染め、憎しみを黒で塗りつぶしたような異色の風貌で身を固めたディルムッド・オディナがいた。 狂気に身を委ねた槍兵の驚異的な踏み込みが作り出す速度は一瞬でアーチャーとの間合いをゼロにする。 アーチャーが二種類の宝具を発動させるより早く、ランサーの破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)がアーチャーの黄金の鎧を通過して、乖離剣エアを持つ方の肩を抉る。 「がっ!!」 たまらず苦悶の声を上げるアーチャー。 致命傷とは言えない一撃だったが、衝撃で後ろへと吹き飛ばされて、乖離剣エアの回転も止めてしまう。 それは倉庫街の戦いでセイバーを相手にして白銀の鎧を透過した時の再現だった。 倒れまいとアーチャーは両足を踏ん張り、ザザザザザ、と石造りの地面を削りながら後方へと押し流される。何とか周囲を囲むサーヴァント隊の輪に衝突する前にランサーからの衝撃を殺し切ったようだが、更にダメージを追ったのは明白だ。 「ランサーは最速のサーヴァント。弓兵が速さで叶わないのは道理じゃありませんか? どれだけ強力な宝具だろうと発動前に止めてしまえば怖くない」 「・・・・・・」 怒りのあまり言葉すら失ったか。それとも返事をする余力すらなくなってしまったのか。ケフカが言葉を投げると言葉無く射殺さんばかりの強烈な視線が返ってくるが返答は無かった。 消耗こそが最も大きな原因だとしても、この状況でアーチャーに宝具を与える隙はサーヴァント隊の一番槍にして最速のランサーが許さない。倉庫街の時と違い、敵に攻撃した場合の隙を他の誰かに突かれる心配は無いのだ。 ここからの逆転は不可能。アーチャーは死ぬ。ケフカの意思によって殺される。 令呪で逃げる隙すら与えない。 ケフカは更に笑みを深くして、ランサー以外の黒きサーヴァント達へと言葉で命じた。 「さあ行け! 悪しき方向へと反転し、暴走状態となった英霊達よ。まずはそこの英雄王を存分に痛めつけてやりなしゃーい」 命じ終えると同時にアサシン達が一斉に動き出してアーチャーへと殺到し、キャスターもまた『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』を構え、喜々として海魔を召喚し始める。 最速のサーヴァントはもう一度距離を詰めて、槍を棍棒の様に操ってアーチャーの上段から必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)を振り下ろした。 全方位からアーチャーただ一人を狙った攻撃。それはアーチャーという『光』を蘇ったサーヴァント達の『闇』が喰らっていく美しい光景だった。 筋力、耐久力、魔力、幸運はアーチャーに届かない。けれど、全てのアサシンはランサーには及ばずともアーチャーよりは素早く、全方位から攻撃を開始する。 弓兵だからこそ白兵戦は不得意であり、ランサーに接近を許した時点で一方的に槍の嵐に晒される。 何人かのアサシンは黒塗りの短剣『ダーク』をアーチャーの鎧目がけて撃ち出した。 二種類の英霊が作り出した時間を利用してキャスターは螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)で呼び出した海魔を進軍させる。 接近戦が得意なアサシンはランサーとは別の方角から攻撃を開始して、アーチャーの体を斬っていく。 海魔がアーチャーの腕を縛り上げ、海魔が黄金の鎧に鋭い牙を立てる。キャスターはその様子を見ながら微笑んでいた。 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を発動する間は無かった。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)すら宝具を発射す前にかき消された。 聞こえるのは鎧を削る音、肉を抉る音、魔力を削ぐ音、殴打の音、そしてアーチャーの苦悶の声だ。 その声も幾らか時が流れたら消えてしまった―――。 乖離剣エアの回転が止まり、夜空から黄金の輝きが消え、アーチャーの宝具発動が強制にキャンセルさせられ、たった一人の英霊が数多の攻撃に晒されてから短くない時間が流れたが。広場ではまだ戦いが続いていた。 戦いには奇妙な点があった。技が無いのだ。 暗殺者が暗殺の為に磨いた技能は無く。 槍兵が持っていた筈の二本の槍を舞う様に操る術は消え。 呼び出された怪物は喰らうのではなく弱らせる為に牙でかじる。 誰も彼もが本来の用途から外れた攻撃でアーチャーを痛め続け、死なないように気を使っていた。 もしランサーが本気になって最初の一撃と同等の攻撃を繰り出せば決着はついていた。肩口など狙わずに鎧ごと心臓を貫けば、そこでアーチャーは死んだに違いない。 アサシンとて攻撃力には不安が残るが、攻撃はおろか防御も怪しげな敵に対して数で押し切れば何人かは犠牲になっても、黒塗りの短剣は必ずアーチャーの命を奪った筈。 何よりキャスターが新たに呼び出した海魔の数は五十以上。ランサーとアサシンがいない隙間を埋めるように出現しているので、数で押せる状況ならアーチャーはもう海魔によって生きたまま食い尽くされてもおかしくない。 万全の状態ならばそんな状況に追い込まれる前に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)でこの場にいる敵の全てを撃ちぬいただろうが。今のアーチャーは全快には程遠く、宝具すら満足に使えていない今のアーチャーは単なる的にしかならない。 お手玉のように黒きサーヴァントから他のサーヴァントへと吹き飛ばされ、斬り飛ばされ、突き飛ばされ、かじられ、あちこちを移動させられるアーチャー。 傲岸不遜を体現した最古の英霊の姿はもうそこにはない。戦いにすらならない蹂躙があるだけだ。 それでもアーチャーは生きていた。満足に反撃すらできず、もしかしたら気絶しており、周囲には休むことなく浴びせられる敵の攻撃がありながら。アーチャーは現界し続けていた。 ケフカの言った、痛めつける、をそのまま実行に移しているのがよく判る光景の中で、まだアーチャーは殺されていない。 「むほほほほ、上出来、上出来。では、最後の仕上げといきましょう」 ケフカは一方的な状況と英雄王ギルガメッシュの無様な様子を見ながら笑う。そして背中から生えた六枚の羽根を大きく広げ、両手を前に突き出した。 それを合図と見たのか、アーチャーを痛めつけていたサーヴァント隊の動きが止まり、アーチャーが地面に落下する。 ピクリとも動かず、まるで死体のように横たわるアーチャー。 ケフカは両手の親指と人差し指で小さな三角形を作りながら、歌うように叫ぶように誇るように褒め讃えるように告げた。 「出でよ伝説の剣豪!」 ケフカがそう言うと、指で作った三角形の中央にオレンジ色の六芒星が浮かび上がる。支えなど無い空中に浮かぶそれは魔石の中に光る輝きと全く同一で、けれど周りを覆うはずの緑色の鉱石が無いのが決定的な違いになっていた。 そこに浮かぶオレンジ色の六芒星は回転を始め、徐々にその大きさを増して、ケフカの手の中から前に移動する。 回転が速くなればなるほどケフカの前へと動き。最初は指先でつまめる程度の大きさだったモノが倍々に大きさを膨らんでゆく。 「我が魔力にて幻獣の殻を破り現界せよ――」 ケフカがそう唱え終える頃、もはやオレンジ色の六芒星だったモノは全く別の何かに変わってしまっていた。あまりの回転の速さにオレンジ色の円にしか見えなくなった。 その円の中央から何かが現れる。 それは片手に槍を持ち、六芒星の色と同じオレンジ色をふんだんに取り入れた鎧を着こんだ武者だった。 ただしその大きさは大柄なライダーの体格を更に上回っており、人の範疇を超えた怪物と見る者もいるに違いない。 頭巾の隙間から見える顔には歌舞伎における隈取のような模様が描かれており、地肌に当たる部分は全く見えなかった。 魔石を用いての召喚とは明らかに異なるが、現れたのもまた幻獣だ。 呼び出された彼は、幻獣でありながら強者との戦いに勝利して、戦った強者が持つ名工の武具を奪うことを最上の喜びとする武具コレクターでもある。 その名を『ギルガメッシュ』。 「ひょっ、ひょっ、ひょっ。魔石を持ちいらぬ召喚。十分な仕上がりですね。あとは、同じ『ギルガメッシュ』の名を持つ英雄王を殺すだけです。さあ、あんな奴なんて斬っちゃいな!」 ケフカは地面に落下したまま動かない『ギルガメッシュ』を見ながら、呼び出した『ギルガメッシュ』にそう命じた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 「何故だ、朋友(とも)よ! 円卓の騎士の内でも、第一と称されたあなたがなぜ!? バーサーカーに堕ちてまで――」 「アァァァァサァァァァァァァァァァァァァ!!!」 セイバーの叫びがバーサーカーの咆哮によって消される。それを切っ掛けに始まった二人の騎士の戦いは二回ほど互いの剣がぶつかり合った所で一方的な展開へともつれ込んだ。 約束された勝利の剣(エクスカリバー)と無毀なる湖光(アロンダイト)。共に人類が精霊より委ねられた宝剣で、この世界に存在する『剣』の中では最上位に位置する宝具だ。 剣に優劣は無く、後は使い手の技量こそが勝敗を分ける―――のだが。バーサーカーが怒りの咆哮と共に打ち込んで、セイバーが応じる構図が作られてしまっていた。 端的に言えばセイバーは一度も攻勢に出ていない。 今のセイバーからは戦う気が全く感じられず。目の前にいる敵を斬り殺して、勝利を掴もうという気概がまるで無い。それでも剣の英霊としての在り方がそうさせるのか、斬りつけてくるバーサーカーの剣を何とか捌いてはいる。 いっそ泣き出しそうにも見える顔の様子からは動揺を隠して平静を装うとする余力すら無くしてしまったようだ。 セイバーは理解していなかったのだろうか? 英霊として世界と契約し、アーサー王でなくなった時からかつては味方だった者と剣を交え、かつては敵だった者と共闘しなければならないい可能性がある、と。 自分の存在を誰かに預けるというのは自分ならば決して起こさないであろう事象を強制的に押し付けられる危険を孕んでいる。たとえ、その『誰か』が『世界』だとしても、だ。 その事実をセイバーは理解していなかったのだろうか? あるいは理解した上で『騎士としての自分を貫く』と強い意思を持っていたかもしれないが、状況を超える事象が降りかかってきて意思は呆気なく瓦解したらしい。 同じ王でも、アーチャーとライダーならばすぐに持ち直す。けれどセイバーにはそれが無い。持ち直そうとする兆候すらない。 つまらない―――聖杯問答の時にも思ったセイバーへの落胆がまたゴゴの心に浮かび上がった。 ただし、ゴゴの落胆があろうがなかろうが、この場で戦っているのはセイバーでありバーサーカーなのだから戦いは続く。 狂ったサーヴァントが剣の英霊であるセイバーを圧倒する。その様子は続いてゆく。 湖の騎士(サー・ランスロット)が持つ本来の宝具『無毀なる湖光(アロンダイト)』。それはバーサーカーとして召喚されたが故に圧倒的な膂力と速度を誇るサーヴァントのパラメータを更に1ランク上昇させる驚異的な宝具だ。 仮にセイバーが本調子でなかったとしても、真っ向から戦えばほとんどの場合はバーサーカーが勝つだろう。けれど、バーサーカーであるが故に彼が本来持ちえた剣技よりも腕力に物を言わせた戦い方に変化してしまっている。そこに僅かばかりの隙が出来ている。 野獣のように戦っている訳ではなく、剣を用いて相手を斬ろうとしているのだが。技を駆使するのではなく力任せな印象を受けた。 そして、その圧倒的な力の代償が目に見える形で表れた。 「うぐっ――」 それはマスターである雁夜にかかる負担。圧倒的な魔力消費だ。 セイバーが持つ黄金の宝剣。真名を解放することで所有者の魔力を光に変換、集束および加速させることで運動量を増大させ、光の断層による『究極の斬撃』として放つ宝具『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。カイエンの目で真正面から見た結果、ゴゴはすでにその全容を掴んでいた。 バーサーカーが持つ無毀なる湖光(アロンダイト)はこの約束された勝利の剣(エクスカリバー)の真名解放を常に行っているような宝具だ。 圧倒的な破壊力を代償として消耗する魔力がとてつもなく大きい。それこそが無毀なる湖光(アロンダイト)の弱点である。 しかもバーサーカーが聖杯戦争始まって以来の張り切りを見せているので、実体化しているだけでも魔力を消耗するサーヴァントの魔力消費はこれまでの中で最も大きい筈。 マスターの魔力を糧として現界しているサーヴァントがマスターから新たな魔力を吸い出すのは当然。今の雁夜は剣と魔法を使って誰かと戦ったりするのはおろか、立って歩くのすら億劫なほど急速に魔力を吸われている状態だ。 「雁夜おじさん・・・」 「ア・・・、ス、ピル――」 辛うじて自分以外の誰かから魔力を補充してバーサーカーに渡す程度は出来ているがそれしか出来ない。 道路に両膝をついて魔剣ラグナロクの切っ先も当て、設置する三点で倒れる体を何とか支えている。そんな雁夜の両隣には桜ちゃんとティナがそれぞれ陣取って、お互いが雁夜の片手にそれぞれ両手を添えている。 彼女らの周囲にはミシディアうさぎ達が輪を作り、結界の様に取り囲んでいた。 雁夜の状況は文字通りの『両手に花』なのだが、それを楽しむ余裕は今の雁夜には無い。 魔力吸収魔法の『アスピル』を唱えると、手を伝って桜ちゃんとティナの魔力がそれぞれ供給され―――その度にバーサーカーに消耗されていく。これまで味わった事のない急激な魔力消費と幾度となく行われる驚異的な回復が雁夜の体を急激に消耗させている。 死に瀕するほど酷いモノではないが、雁夜が感じている気持ち悪さは過去最高であろう。 脳みそが沸騰して焼けそうになり、血管には血が濁流のように流れ、心臓は早鐘を撃ち続ける。雁夜の意識とは裏腹に人として限界を感じた脳が先に屈服して気絶してもおかしくない。 必死で魔力を吸われる自分と気絶しそうな自分を押さえつけて『今』をひたすら保持しようとしているのが見るだけで判る。 桜ちゃんとティナ。途方もない才能を秘めた少女と莫大な魔力を有する女性。二人から魔力を吸い取って、雁夜は何とかバーサーカーの戦いを継続させていた。 雁夜もティナも桜ちゃんもミシディアうさぎも一か所に固まり、セイバーとバーサーカーはその近くで一方的な戦いを展開している。まるで見届け人のように佇んで状況を見届けるストラゴスだけが唯一戦いの輪のすぐ傍にいながら、全く関わりを持っていなかった。 もちろん周囲の警戒も怠らず、セイバーとバーサーカーの戦いの余波が雁夜たちにぶつかりそうならば防御する心構えを持っているが、戦いには加わっていない。 そんなストラゴスだからこそ、ここではない他の場所で起こった変化をいち早く察知した。 固有結界が強制的に解除されてゆく―――。 ストラゴスは冬木市を覆い尽くすバトルフィールドごと結界が崩壊していく様子を感じ取り、真っ先に待ち構える最悪の未来を思い描く。 「不味いゾイ!」 冬木教会の方に移動したミシディアうさぎ達の情報から、アーチャーの全宝具解放によって結界が破壊されてしまった事実に辿り着くが、それは結界の崩壊を止める情報にはならない。 一つは異空間として用意された冬木市、もう一つは建造物などの無機物に分類されるモノを破壊できない状況。二つの結界が作り出す戦いに適した空間がまだ形成されているが、一分どころか十数秒後には本来の冬木市へと戻ってしまう。 咄嗟にストラゴスからゴゴあるいはモグに変身し直して新しく結界を張り直そうかとも思ったが、破壊したのがアーチャーで、しかもまだ健在ならば破壊し直される可能性は高い。 バトルフィールドを再度展開したり、『踊り』で別の固有結界を作るとしても、冬木市全土を覆うほどの巨大なモノはもう張るべきではない。ケフカとアーチャーはあちらに向かっているロック達と、カイエンが加わったライダーに任せ、こちらはこちらでやるべき事をする。 そうあるべきだ。 ストラゴスは戦っている誰よりも全体を把握した、すぐにこの場をどうにかするために思考を切り替える。 白兵戦では最強クラスのセイバー、狂っているが故に周囲への配慮など無いバーサーカー、こんな市街地のど真ん中で二人が戦えばどんな被害が出るか判らない。 意気消沈したセイバーに対してバーサーカーが一方的に痛めつけてる構図なので『戦い』と呼んでいいかは難しいが、サーヴァントの膂力が強すぎてセイバーが吹き飛ばされただけでもコンクリート道路は削れて、ビルの壁面は凹み、ガードレールはひしゃげて、電柱は砕けるだろう。 優勢劣勢は別にしてセイバーとバーサーカーがいるだけで周囲の被害は大きくなる。巻き込まれた一般人がいれば容易に死ぬ。 今はまだバトルフィールドの効果が働いているので周囲の建物などは壊れはしないが、結界が解除されると同時に被害が激増するだろう。既に時刻は夜になっているが、バーサーカーとセイバーが戦っているのは片側二車線の大道路だ。どれだけ冬木市の警察が市民に外出禁止を言い渡しても、自動車の往来が無くなる筈はない。 そうなれば人が死に、物は壊れ、秘匿されるべき魔術は衆人の目に触れる。 一刻も早くセイバーとバーサーカーをここから遠ざけなければならない。『ベヒーモスーツ』を着込んでいるストラゴスも周囲から見れば奇人変人に見えるのはとりあえずその点は後回しにした。 二人の英霊をこの場所から移動させなければならない。 成すべき事を強く思ったストラゴスは大きく息を吸い込んだ。 言葉では二人の英霊は止まらないと理解している。セイバーの方は放たれる言葉によっては静止させられるかもしれないが、今のバーサーカーは雁夜の令呪によって望んだ戦いに没頭している状況だ。 移動させるなら力ずく以外には無い。 小規模な結界をここに張ろうかとも考えたが。アーチャーがそうであるようにこのサーヴァント達ならば、戦いの余波で結界が破壊される可能性と結界の外側に移動してしまう可能性がある。時間が無いならまずは人気のない場所に移すべきだ。 人気が無い場所ならば、バトルフィールドが破壊されても周囲への被害は最小限に収まり、神秘が露見する可能性も激減する。 ストラゴスは息を吸い込みながらこの場で使うべき技を脳裏に思い描く。 元々、この技はかつての世界で出会った敵だけが使える技で、敵の技をラーニングできる青魔導士のストラゴスでも覚えられない部類に入っていた。 本来であれば使えない。そう理解している。 だがきっと使える。そうも思い込んだ。 この世界の知識を物真似して、この世界の魔術を物真似して、この世界の魔術師の属性を物真似して、この世界の宝具を物真似した。 その成果として手に入れた一つに『変質』がある。 難しい筈はない。不可能な事でもない。もとよりこの身は物真似に特化した存在なのだから―――世界が広いのと同じく、物真似にも果てが無い。 何もかもを物真似できる。それが出来るからこそゴゴはものまね士ゴゴなのだ。 かつての世界にはあった制限がこの世界に来たことで取り払われた。そうでなければものまね士など名乗っていられない。 ならば出来る。 ストラゴスの友、サマサの村に住むガンホーと一緒に追い求めていた伝説のモンスター『ヒドゥン』を見つけ、若いころになくした夢を果たした様に―――。 不可能は、無理は、実現不能は。必ず『可能』に形を変える。変えてみせる。 これまで出来なかった事も出来る。ストラゴスはそう自分を信じた。 アトミックレイ、帝国(インペリアル)・空軍(エアフォース)の召喚、裁きの光。冬木の聖杯によって降臨したケフカ・パラッツォが味方の誰も使えない技を使いこなす前例を作り出している。ならば同じものまね士ゴゴを核とするストラゴスに出来ない訳がない。 躍動する筋肉を物真似し。 結果に至る指針を物真似し。 変質する魔力を物真似し。 仮想する未来を物真似し。 積み重ねた修練を物真似し。 遂には技そのものを物真似する―――。 それはストラゴスが覚えた技ではないが、技そのものは何度も目の当たりにしてきた。かつての世界ではコロシアムで安物賭けるとテュポーンが現れ、その度に何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も味わったのだから、参考以上に見飽きている。 ストラゴスは戦いを続ける二人のサーヴァントへと視線を向けて、二つある鼻の穴を膨らませた。 そして吸い込んだ息を鼻の穴から一気に撃ち出す。 「鼻息」 鼻の穴は二つ。放たれた風も二つ。ストラゴスの鼻の穴から現れた風の球体はセイバーとバーサーカーにそれぞれ向かっていく。 撃ちだされた風の球体は最初1センチにも満たない小さな塊だったが、ストラゴスから離れていくごとに大きさを増していって、遂には3メートルほどの巨大な大玉へと変貌した。 突然横から飛んできた風の大玉を察知して、セイバーは約束された勝利の剣(エクスカリバー)を、バーサーカーは無毀なる湖光(アロンダイト)をそれぞれ構えて風の塊を斬ろうとするが、形を持たない鼻息は剣で斬られても切断されず、形を損なわずに二人へ激突する。 同じ風属性の風王結界(インビジブル・エア)で迎撃する時間は無い。 セイバーは言うに及ばず、フルプレートの鎧の重さも合わせれば重量100キロはあるだろうバーサーカーの体も風の塊に運ばれて空へ飛んでいった。 「やったぞ! わ、わしは、ついに限界を超えたゾイ!」 半ば出来ると確信していたが、それでもこれまで使えなかった技が使えてストラゴスの胸の中に喜びが満ちる。 二人分の人影が回転しながら夜の空を舞い、柳洞寺がある円蔵山を目指して吹っ飛んで行った。 今の冬木市は聖杯戦争などという枠の中に納まらない自体に移っていた。 極論すればゴゴにとって聖杯戦争など最早どうでもよくなっている。 当たり前の話だが、今のゴゴの源泉にある物真似を止めるつもりは無いし、ものまね士としての誇りを投げ出して事態を放棄しようとしている訳では無い。ただ巻き起こる舞台を『聖杯戦争』に限定させる必要はないと考えているだけだ。 これはドイツにいたゴゴが汚染された聖杯に乗っ取られて、ケフカ・パラッツォとなった時から予測できていた事態だ。 たとえ一部であろうとも、神の名を冠した力を持つゴゴが敵になる―――。 その状況は一都市を舞台にした戦争で収まる範疇を軽く超えている。だからこそ聖杯戦争に対する思い入れはむしろ消えた方が正しい。もっと別の言い方をするなら、視野をもっと広く持たなければならない。 諦めにも似たその感情を後押ししたのは遠坂時臣と間桐雁夜との決着がついた点だ。 聖杯戦争に観点を置けばサーヴァントに見限られたマスターが現マスターの一人に討伐されただけで、聖杯戦争にとって最も意味のあるサーヴァントの決着はついていない。 だが間桐と遠坂の関係で考えれば、雁夜と桜ちゃんが抱えていた幾つもの問題が消えて、終焉に向けて一気に加速したに他ならない。 ただし最大の敵ともいえるケフカ・パラッツォがいるので、ゴゴの戦いに関しては終わりは見えてもまだ障害は多い。 聖杯戦争と言う枠に押し込めていた行動範囲を更に広げる必要がある。そう結論付けたゴゴは―――宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』で分裂はしていても『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』で変身していない―――ロックでも、セリスでも、マッシュでも、カイエンでも、リルムでも、ティナでも、ストラゴスでもない―――ものまね士ゴゴは行動を開始する。 かつてエドガー・ロニ・フィガロに変身して、これまではバトルフィールドと『愛のセレナーデ』で構成された二重の固有結界の片方を構成する為にずっと戦場から離れて上空に居続けたが、結界が破壊されてしまうなら維持は必要ない。 空を飛ぶブラックジャック号は透明になってるので固有結界が解除された後の冬木市の空に居続けても問題はないが。何者にも束縛されずに行動できるゴゴは今の状況では希少だ。何もせずに滞空し続ける訳がなかった。 ゴゴはブラックジャック号の操舵輪から手を離し、肩の上に浮遊している三つのリールに視線を送る。 するとポンッ! と音を立てて、飛空艇の図柄が揃っていた三つのリール―――セッツァー・ギャッビアーニの特技『スロット』が消滅し、それによって作り上げられていたブラックジャック号も姿を消した。 いきなり足場が焼失し、空の上へと投げ出されるゴゴ。重力に引かれて自由落下を始めるが、ものまね士ゴゴに焦りや恐怖は無い。 「レビテト――」 空から飛び降りて何事もなく着地する方法などもう知っている。ただ必要だからそれをするだけだ。 ゴゴは冬木市の新都、それも駅前中心街から少し離れた場所にある住宅街へと降りて行った。 冬木教会からも離れた位置にあるそこは聖杯戦争における価値ある場所ではない。霊地は無く、どこかの陣営が拠点を構えている訳でもなく、聖堂教会のスタッフの常駐場所になっている訳でも無い。 聖杯戦争で考えるなら、何もない場所、と言うしかない。あえて価値をつけるなら聖杯降臨に必要な霊脈の一つ―――けれど一番目に格高い霊脈である柳洞寺が立つ円蔵山、二番目の遠坂邸、三番目の冬木教会。これらに比べると最も格が劣る四番目の霊脈である冬木市民会館が近くにあるのが唯一の付加価値と言えるが、『近く』であってゴゴが下りていくのは四番目の霊脈そのものではない。 ここに何があるのか? 事情を知らない者なら首をかしげるだろうが、落下していくゴゴの目は路上を歩くとある一家に注がれ、ただそこだけを見つめ続けていた。 こんな夜遅くを出歩いている理由は何か? 地面にたどり着くまでにまだ時間があるので、ゴゴ最初はゴマ粒以下の小ささにしか見えていなかったその一家を捕捉しながら考える。 間桐邸のある深山町から新都までは距離はあるが、バスやタクシーなどの交通機関を使えば早く移動できる上に、徒歩での移動だとしてもこれほど時間はかからない。 勝手な想像になるが、あの一家は間桐邸から強制的に追い出された後、落ち着くためか何か別の理由で時間を潰したのだろう。ただ移動するだけだったならば、こんな夜遅くまで外を出歩いているのはおかしい。 もしかしたら、彼らは冬木で起こっている事件に間桐が何らかの形で関わっている自分たちの予測を信じ続け、新しい情報を求めて知り合いの所に徘徊していたか、警察署にでも赴いて話をしたのかもしれない。 それとも単に三人の中の一人が落ち着くまで帰らなかったのか・・・。 彼らは彼らなりに真実に近づいて自分たちの身を脅かす危険から遠ざかろうとしたいだけなのかもしれない。何らかの行動を起こしていたのだとしても、すでに日が暮れた状態で外を歩いているのは不用心と言うしかない。 警察は市民に夜間外出の自粛を呼びかけ、多くの者はそれに従っている。 だからこそ冬木教会の近くで行われるケフカ達とアーチャーの一方的な戦いは誰にも見られずに継続し、自由に動けるゴゴはこうして周囲の人気のない状態でとある一家へと接触できてしまう。 彼ら三人は自分たちは危険に出会わない等と思い込んでるのかもしれないが、巡り合わせの悪さはすでに証明されている。 今、このタイミングで、自由に動けるゴゴが、家に戻れていない彼らと接触できてしまう。これは彼らにとっての最悪とは言えないだろうか? ゴゴは彼ら三人の運の悪さを思いながら、どうしてこんな事をしているのかも考えた。 今からやろうとしている事は別段この一家を巻き込む必要など全くなく、むしろ関わらせると厄介な事態になるのはほぼ間違いない。 彼ら三人―――正確にはその中の一人を巻き込もうとしているのは、数合わせ以上の意味はなく、別に他の者でも、ゴゴ自身でもよかった。 けれどゴゴはここにいる。 何故か? ゴゴはその理由を『素養を持つ一般人がいきなり強大な魔術に関わればどうなるか?』を知るための実験だと分析する。 衝動と言い換えてもいい。ゴゴの知識欲と言い換えてもいい。 幾つもの魔法、技、そしてこの世界の魔術、宝具。様々なモノを物真似し続けてきたが、今だにものまね士ゴゴにとっても人の心は多くの未知を残したモノであり、決して物真似し尽くしたとは言えない謎に包まれた世界だ。 時に脆く、時に強く、時に小さく、時に大きく。 願いを心に宿し、一年の修行を経て、敵を倒すに至るも、その敵を殺さなかった雁夜のように―――。千差万別、多種多様。常に形を変えて信じられない力を発揮する。それが心だ。 心を知りたい。 心を動力にした行動を見たい。 心を物真似したい。 それが今のゴゴの中にある願いであり衝動だった。 色々考えている内に地面は随分と近くなり、ゴゴの魔法の影響範囲にまでその一家は入り込んだ。 「ストップ」 ゴゴは落下中ながらも、彼らから見たら数メートル上空から魔法を唱える。 言葉の上では『止まれっ!』と命じたように聞こえるかもしれないが、裏の世界の基準で考えれば静止の魔法をかけたのだ。 三人の中の一人―――息子と同じ赤毛を持つ父親の動きが止まる。 すぐ近くで起こる静止という異変と頭上から舞い降りた声。手を繋いで一緒に歩いていた子供が起こった異常に導かれて上を見上げてくるが、その時にはもうゴゴは地面に着地していた。 突然、目の前に現れた奇怪な人物に三人の中の一人―――母親が目を丸くして、一瞬後には悲鳴を上げそうになってるが、それが口から放たれるよりも前にゴゴはもう一度静止の魔法を唱える。 「ストップ」 対魔力防御など欠片も無く、そんな準備すら出来ない一般人にゴゴの魔法はよく効いた。 横並びで歩いていた三人。その両側にいる両親が突然固まってしまい、中央にいる子供はいきなり起こった異常事態をただ呆然と見ていた。 「こうして会うのは二度目じゃゾイ」 ゴゴは相手の様子を全く気にせず、外を出歩く時に作っていた口調で喋り始める。 この一年で『色素性乾皮症を患い日に当たらないよう厚手の格好をする老人』であり『間桐臓硯』を作り続けてきて、それは間桐邸がある深山町に限らず、新都に現れても問題ないよう衆人の目に晒されるように行動してきた。 仮に誰かが周囲から話す様子を見ていたとしても、怪しまれはするだろうがすぐにそれが『深山町に住む怪しい格好のお爺さん』に切り替わる。 一度目に出会った時はストラゴスの口調を真似せずに、ものまね士ゴゴとして話していたが、住宅街の中だからこそストラゴスの口調を物真似する必要があった。 ゴゴは言う。 「また会ったのう、士郎」 ただただ目を丸くして、呆然と見上げる子供―――キャスターに誘拐され、体の内側から海魔を召喚されかけ、恐怖に怯え、河童にさせられ、眠らされ、秘密にすると言いながら両親に魔法を語り、夢の世界で何度も何度も拷問された―――赤毛の子供、士郎に向けて、ゴゴは言う。 「怯えんでもいい。わしはお主を罰する為に現れた訳ではないゾイ。ただやってほしい事が合って頼みに来ただけじゃ」 「ぇ・・・・・・」 そこでようやく小さな呟きが士郎の口から出てきた。 いきなりの申し出に驚いたのか、それとも最初から聞いていたけど頭が理解に追いついていなかったのか。行動に直結し揺れ動く心が見えない筈なのに形を持って『士郎』を作っているようだ。 素直な人間ほど心の形は人の形になって見える。 ゴゴはそんな見えないけど間違いなくある心を観察しつつ、ここに来た最大の目的を言葉とした。 「悪を滅ぼす正義の味方にならんか?」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰綺礼 もし仮に聖杯が私の求める『道徳の教えとはまるで真逆の歓喜を得た魂が実在する意味』を与えるのならば、それは聖杯を求める理由たり得る。 これまで毛ほどの価値も見出さなかった聖杯だろうと、そこに僅かばかりの意味が生じる。 だが私の目の前に現れた人物―――。かつてはこの男にこそ私が求める答えを見出していたが、出会う以前に私は答えを得た。そして想像していた衛宮切嗣の在り方は私の想像とは真逆の位置にあった。 衛宮切嗣は言峰綺礼が癒しようのなかった飢えと埋めようのなかった喪失を愚弄する存在だ。どうしてそれを赦せよう? 憎まずにいられよう? そう考えた時、私は、聖杯に奇跡を託した男の理想を目の前で木端微塵の砕いてやるのも面白いと考えた。 私にとっては僅かばかりの価値しかない聖杯であろうと、衛宮切嗣から奪い取り、その果てに絶望があるのならば意味はある。 アサシンのマスターとして戦うのではない、アーチャーのマスターとして戦うのではない、父を殺したであろう男に復讐する息子として戦うのでもない。ただ私は言峰綺礼として衛宮切嗣を無力化し、叶わぬ望みを奴の眼前に叩き付けるために戦うのだ。 ビルの屋上から飛び降りる直前、一瞬前に私の立っていた場所を弾丸が通り抜ける。 銃についての知識は本職に遠く及ばない私でも威力よりも連射性を上げた機関銃であることは察しがついた。あれならば代行者特製防護呪札で強化したケブラー繊維製の僧衣で弾き返せる。 自由落下では恰好の的になるので、最上階の窓枠に到達すると同時に足を引っ掛けて下に跳躍した。 飛び降りる速度を更に加速させ、銃弾から身を守る為に両腕で頭部を保護する。 普通の人間ならば投身自殺にしかならない速度の中、地面に到達する直前に腕と肩に衝撃が走った。銃弾が当たったらしい。だが、貫くほどの威力は無く、この程度ならば多少落下のバランスを崩すのが関の山。 やはり衛宮切嗣の持つ機関銃と思わしき銃はさほど危険性は無い、むしろ一度も発射されていないもう一方の古風な銃こそが奴の切り札と考えるべきだ。 どれほどの威力があるのは未知数だが、僅かに見えた銃口の大きさから機関銃の威力とは比較にならない破壊力であろう事は察しがつく。 崩れたバランスの中で足を下に入れ替え、着地と同時に横に飛んで的を外す。速度を上げた状態でコンクリートの地面への強引な着地で足が軋むが、大勢には何の影響もないと確認。 視界に見える衛宮切嗣は機関銃を下ろし、古風な銃を持ち上げて私に狙いを定めている。 こちらが黒鍵での投擲ではなく力の調整がかけやすい近接戦闘に持っていこうとしているのを見抜いているのだろう。そして自らの技量ならば私の動きを考慮した上で射抜けると思っているに違いない。 ならばその予測―――真っ向から突き崩す。 右へのジャンプからの急停止、即座に左への転身。フェイントを入れて的を外そうとするが、衛宮切嗣は私の動きに対して完璧に狙いを定めてくる。 撃たないのはまだ距離が開いているので更に距離が縮まれば確実に撃つ。故に私は前に出た。 奴にとって必中の距離にまで迫る数瞬。片手に三本、両手に合計六本の黒鍵を構え、父より受け継がれた令呪を起動させる。 奴が発砲すると同じく黒鍵に過剰な魔力を注ぎ込み、一気に刀身を倍以上に膨張させた。もともと魔力で編まれていた刀身に込められる魔力量を超えた暴発同然の魔術行使だが。ただ一度限りの銃弾を防ぐならば事足りる。 頭と胸を起点に扇状に広げた六本の黒鍵によって視界が一時塞がれるが、真正面から迫る銃弾が着弾するのを感じとり、私の想定通りに事が進んでいるのを確信する。 おそらく直撃すれば人体を軽く破壊するだろう威力を持つ一発の銃弾、その威力を完全に殺した黒鍵の刃が全て崩壊した。 「なっ!!」 魔力によって強化された黒鍵で拳銃を防ぐと思わなかったのか、あるいはもっと別な理由で驚いているのか。開かれた視界の向こう側で驚く衛宮切嗣を見つけ、戦っている状況下で驚くなどと悠長な事をやる愚かさを思った。 隙を見せるのならば突かせてもらうまで―――。殺すためではなく生かして捕える為、頭ではなく肩を狙った右脚が轟然と振り上げられる。 だがここで確実に衛宮切嗣を捉えた筈の右足が空を切った。追い打ちにと続けて放った左脚すらも敵を捉えられなかったのだ。 本来は相手の頭部を狙った上段の蹴り上げ、その足を下げる反動で繰り出すもう一方の足で再び上段を蹴り上げる。多少形は変わったが、八極拳の技が一つ、『連環腿(れんかんたい)』が避けられた。 いつの間にか遠く離れている衛宮切嗣を見つけ、何らかの魔術行使によって移動速度を倍速にまで引き上げたのだろうと予測する。 避けられるとは思わなかった。その点だけは僅かな驚きに値するが、倍速で動くと判ったならばそう弁えて間合いを見計らうだけの事。 過剰魔力の流入によって刀身が完全に消滅した六本の黒鍵を捨て去り、無手で構えを取る。目算で七歩、この間合いならば新たに黒鍵を取り出すよりも四肢を用いての攻撃の方が早い。 次は逃げられると思うな。 再装填のために古風な銃を開く。それを合図として、開いた間合いを何の足捌きも見せずに滑空する。 八極拳の秘門たる歩法。更なる驚愕に目を見開く衛宮切嗣の懐へと入り込み、踏み込んだ右脚がコンクリートの地面を強力に踏みつけ、右の縦拳を心臓目掛けて発射する。 震脚によって作り出された爆発的なエネルギーは膝を通って腰へと渡り、体の各部を渡る過程において倍加されてゆく。 足の踏み込み、膝の屈伸、腰の回転、肩の捻り。全ての力が発射された腕を伝って拳を凶器へと変える。 金剛八式、衝捶の一撃―――。 我(オレ)に魔力を献上せよ!! 全く予測していなかった言葉が脳髄を揺らす。横から体当たりさせられた様に体勢が崩れ、衛宮切嗣の心臓へと向かっていた拳が腕ごとずれてしまう。 立ちくらみに似た酩酊感が意識を奪い去ろうとするが、自分を強く意識して技の途中で気絶するような無様な状況に陥らぬよう努めた。 ほんの一瞬でありえた筈の未来と、想像すらしていなかった未来が入れ替わる。 右の縦拳は敵の心臓ではなく左肩へと向かってしまっていた。強引に拳を戻そうとしても、渾身の力で放たれた打撃は容易く止められるものではなく、止めるまでに必要な一瞬を私は自分を律する為に使ってしまっていた。 不自然な体勢から繰り出してしまった拳が衛宮切嗣の肩に衝突する。衝捶の一撃が本来持ちえた威力は大幅に削がれ、男一人の体勢を崩して多少の痛みを与えるには十分な威力を持っている。 左肩に衝突すると同時に肩の骨を浅く砕く感触が手に伝わってくるが、それは本来持つ威力に比べれば大幅に劣った。 衛宮切嗣が左肩を基点に後ろに持っていかれて体勢を崩すのが見える。けれど、私自身も転倒すらしかねない状況だったので、踏み込んだ両足でしっかりと大地を踏みしめる。 次の瞬間―――。後ろに倒れてゆく衛宮切嗣の回転速度が上がった。 倍速で動くと理解した上で金剛八式を打ち込んだ。その『倍速』を更に上回る速さで回転し、体勢を立て直し、左手に持っていた機関銃を地面に落とし、右手に持つ開かれた古風な銃が左に向かう。 だらりと下がった左腕が弾丸を持ち、右手は肩を砕かれたが故に動けない左手に合わせて下げる。十本の指が高速で動き、各々の役目を発揮して『再装填』の結果へとたどり着くためにめまぐるしく動いていた。 まずいっ!! 私の目は驚異的な速度ながらも起こった事象の全てを目撃した。だからこそ接近戦では私に大幅な分があっても、射撃においては名手であろう敵の攻撃を許してしまうと理解する。 再装填を行わせる前に追撃するか、大きくフェイントを使っての撃たせてからの回避か・・・。 献上せよっ!!! 再び頭の中に声が響く。 それが誰の声であるかを理解するよりも前に私の肉体は攻撃ではなくその場からの回避を選択していた。攻撃に転じたとしても、再び頭を揺らす酩酊感が私を襲うのは判っていた。 開かれた古風な銃が閉じられ、狙いを定めてから発射するまでの数瞬でもう一度攻撃は行えるとしても、それが必殺の一撃になる保証は限りなく薄い。 だから私は足に渾身の力を込めてコンクリートの地面が蹴り砕かん勢いで横に動いた。的を外す為、一秒にも満たない時間の中で急制動と急停止を幾度も繰り返す。 それでも音速に近づいた銃から放たれた弾丸を完全に回避するには速度不足であった。 衛宮切嗣は私の挙動に合わせて銃を動かし、人体を的に見立てた場合に最も大きな胴体に狙いを定めた。 弾丸が発射された―――。そう認識すると同時に、ケブラー繊維製の僧衣を貫き脇腹を大きく抉った。 「ぐっ!」 先ほど衛宮切嗣が肩を起点にして後ろに吹き飛ばされたように、今度は私が脇腹を中心に回転させられる。横移動に費やした移動速度もそれに加わり、望まぬ結果とはいえ衛宮切嗣との間に距離が開いてしまう。 それは互いの状況を見極め、次の一手を仕掛ける為の時間を手に入れたと同義でもあった。 正確な大きさは触診しなければ判らないが、直径数センチほどの肉をまるごと抉られ、猛烈な痛みがそこを中心にして全身へと広がる。臓器も傷ついているであろう事が容易に予測でき、僧衣を伝い流れ落ちる血が足元に大きな水たまりを作ってゆく。 深手だ。いっそ絶叫し、膝を落とし、地面を転げまわれたら幾らかは楽になれるだろう。 だが私はそんな事をしない。代行者として積み上げてきた経験が敵を前にしてそんな事をすれば『殺してくれ』と言っているのと同じだと理解し、痛みに悶絶するよりも早く治癒魔術で痛みを軽減させる方が先決だとも理解していた。 私は一瞬後には気絶してもおかしくない痛みを懸命にこらえ、いつでも攻撃に転じられる構えを維持したまま、令呪によって効力を倍加させた治癒魔術を使いつつも敵を観察する。 開かれた距離の向こう側に立つ衛宮切嗣は私と同じように両足で立ってはいたが、何も持たぬ左腕を力なく下げ、右手に私の体を貫いた古風な銃を持っている。 新鮮な空気を求める様な荒々しい呼吸は砕かれた肩の痛みだけが原因ではない。おそらくあの時見せた倍速を超える三倍速と思わせる魔術行使で肉体が傷ついたのだろう。 衛宮切嗣の心臓は破壊され、私の治癒魔術によってほんの僅かばかり生き長らえるだけの木偶に成り下がる筈だった。敵に命を握られる男が一人出来上がる筈であった。 だが―――。現実に私の前にあるのは痛みを負いながらも五体満足で立ちふさがる敵。そして急所こそ傷つかなかったが深手を負った私だ。 治癒魔術がほんの僅かだが痛みを和らげた時、私は腕に刻まれた預託令呪の何画かが消滅しているのにようやく気が付く。痛みのあまり腕を伝う魔力の感触が減っているのに気づくのが遅れたのだろう。黒鍵の強化と治癒魔術に使った令呪以上の数を失っている。 私が令呪を使った―――。いや、あの時聞こえたアーチャーの声によって、私はアーチャーに魔力を送る為に令呪を使わされたのだ。 本来であれば令呪はマスターが持つサーヴァントに対する絶対命令権であり、サーヴァントがマスターに対して使わせるものではない。 しかし現実に起こってしまった事実は決して覆せない。 あの一瞬。私は英雄王ギルガメッシュの声に屈し、無意識の内に令呪を使ってしまったのか。それとも、契約を結んだマスターが使うはずだった令呪をアーチャーが何らかの手段を用いて使わせたのか。 目の前に敵を置いた状態で考察する意味は無い。経緯がどうであれ、遥か遠方で戦っているアーチャーが令呪による更なる魔力供給を必要とし、再び起こり得る可能性があるとだけ判れば今はそれで十分。 敵が新たな行動を起こす素振りは無く、もしこの状態があと六秒維持されるならば最低限の治癒が完遂する。 全快には程遠く。動いた拍子に体の中身が外に漏れだす可能性は大いにある。それでも痛みに耐えて八極拳の歩法を行い肉体を動かすだけならば事足りる。 一秒が永遠に感じる。 もしこの状況で衛宮切嗣が新たな銃撃を行うのならば、回避のために令呪で肉体を強化させて強引に動かさなければならない。出来ればそのような真似はしたくは無い。 そう考え、まだ二秒も経過していない時。不意に上空から接近する『何か』を私の感覚が捉えた。 視野の外であり死角でもある箇所から迫る『何か』。攻撃にしてはあまりにも遅く、ビルの壁面を足場にして跳び下りた私に比べれば自然に落下しているような緩やかさで近づいている。 これは何だ? 敵から視線を外す危険を知っているので、迫る何かを見て確認する愚挙は行わない。けれど、これが攻撃であるならば何らかの対処は取らねばならない。何しろ遅いと感じても、それは紛れもなく私を目指して落ちてくるのだから。 前に立つ敵から意識は外さず。けれど上から降ってくる何かにも注意を向け、私は僅かに体を引いた。小さく動くだけでも直撃は回避できる。 そして『何か』が私のすぐ前で落ちてゆく。 何もないのであれば何も行動すべきではない。 ただ落ちてくるだけならば、避けるだけで事足りる。 そう理解しながら、私はその『何か』が視界の隅を通り抜けようとした瞬間、咄嗟に右手を伸ばしていた。 放置すればその『何か』は地面に落ちてしまう。それは地面にぶつかって砕けてしまう。そんな未来を許してはならない―――受け止める為に頭よりも先に体が反応したのだ。 何故、そんな事をしてしまったのか私には判らない。ただ、そうしなければならないと肉体が行動してしまった。 だが回復でもなく観察でもなく攻撃ですらない行動は敵対する衛宮切嗣に対して見せてはいけない隙を見せる。そう判っていながらも、私は落ちてきた『何か』に手を伸ばし、掴むと同時にそれが幼子の石像であると理解した。 それが衛宮切嗣との戦いの前に見た物だと考える前に、視界の中で衛宮切嗣が再装填の為に動くのを察知する。 古風な銃の中央が開かれ、銃身は落ちて、弾き出された薬莢が空に舞う。満足に動かせない筈の左腕がいつの間にか新しい弾丸を掴み、右手だけを動かして左手の下に持っていき再装填を行っていく。 再び倍速で動き始めた衛宮切嗣の動きを確認した瞬間、心の底から湧き上がるのは焦燥感であった。 降ってきた石像を掴むために私は体勢を崩し、避ける為の時間も攻撃に移る為の時間も使ってしまい、見て確認する以上の行動を起こせないでいる。奴が銃身を振り上げ、薬室を閉鎖し、撃つまでに一秒もかからない。確実に向こうに先手を許してしまう。 別の黒鍵を構え直し令呪で刀身を増幅させる時間は無い。まだ最低限の治癒を終えていない体では動いても的になるだけだ。 そこで私は撃たれるのを覚悟の上で、生きる為に令呪を発動させる。治癒魔術を継続させながら、痛む脇腹は意思の力でねじ伏せた。 体機能強化、反射の加速、右前腕の瞬発力増幅―――。 強化された視力が銃から放たれた弾丸が真正面から迫るのを見て、防弾仕様の僧衣を更に強化するのは間に合わないと切り捨てる。 掴んだ物ごと右手を振りかざし、魔装の凶器と化した肘先が螺旋を描き、弾丸を迎える。 空気を裂き、音速に迫る弾丸を化勁―――相手の攻撃力を吸化あるいはベクトルをコントロールする身法―――によって受け流す。本来であれば人の肉体が弾丸の速度に追いつくなどありえないが、令呪によって極限まで強化された腕が超速となり迫る弾丸に対抗した。 振った腕の勢いで戦いの前に渡され右の袖に忍ばせておいた針が右手に持つ石像へと当たった。その瞬間、石像を握る右手の感触に変化があったが、弾丸の直進を捻じ曲げる為に放った渾身の化勁を成功させる為に他の事を考える余裕はない。 放たれた弾丸は石像の一部を砕き、私の右手にねじ込まれ。けれど貫通には至らず、超速で振り抜かれた腕とケブラー繊維の袖をレールに見立てて腕の中を直進していく。 皮が裂け、血管が千切れ、肉が削れ、骨が抉られ。令呪で強化された生身の肉体が怪音を放ちながら銃弾の威力を削っていく。 完全に殺し切れなかった運動エネルギーに導かれ、右手が振り抜かれるより前に銃弾は私の右肘を突き抜けた。だが、私の眉間を狙っていた軌跡は令呪によって強化された功夫と混ざり合い、私の右側へとずらされて地面を穿つに終わる。 凌いだ―――。 見せてしまった隙の代償は右前腕。右手事態は痛みながらもまだ動くが、ボロボロになった前腕も指も満足に動かせない。当然、右手に持っていた物は握る力すら失った右指の拘束を抜けて地面へと落下する。 びちゃり。と音がした。 石像が出す音とは明らかに異なる音だ。視界の隅に僅かに見えるそれが何であるかを確認すると、あったのは頭部の右半分をほとんど消失させ、そこから大量の血を溢れ出す幼い少女だった。ビクビクと体を揺らしているのでまだ辛うじて生きているようだが、そう遠くない内に死ぬ。 あまりにも唐突に見せられたそれが私が今落としたモノだと理解すると、私の口から自然と声が漏れた。 「針は、この為――、か・・・」 衛宮切嗣の所へと移動する直前、私は石像を見せられ、そして金色の針を渡された。その時はこれが何のために使われる物か判らず、尋ねる気も起らなかったが、今ならば全てが理解できる。 石化を解除させるための道具だったのだ。 「ま、さか・・・」 一発しか装填できないであろう古風な銃を私に向けたまま衛宮切嗣が呟いた。 あの時、ケフカ・パラッツォは言った。 この石像は衛宮切嗣の娘、だと。 そして私に金色の針を渡しながらこうも言った。 使ってみてのお楽しみ、と。 全てはこの状況を作り出すために用意された。 石像と化した衛宮切嗣の娘を持ってきたのも、石化を解除する為の道具を渡したのも、受け取れば私が隙を見せると判りながらわざわざ石像を落としたのも、弾丸を受け止める為に私が石像を遮蔽物として使うであろう事も。 全ては繋がっていた。 「親が子を殺す。何とも素敵な破壊じゃなーい」 「イ、リヤ・・・?」 頭上から楽しげな声が聞こえてきて、前にいる衛宮切嗣は呆然と続ける。 銃こそ構えていても、油断なく纏っていた筈の戦闘の意思が少しずつ霧散しているのが判る。隙を見せた今ならば、距離を詰めて攻撃すればどんなものだろうと通り、死に至らしめられると確信する。 今の私では渾身の踏み込みは出来ず。攻撃に用いれる手は左だけになった。それでも足があり、攻撃手段は幾つも残っている。戦えなくなった訳ではない。 だが私は止まった。 ただ衛宮切嗣の顔を見るに留まった。 そして私は、私自身理解していなかった石像を受け止めてしまった行動の真意を知る。 そうだ―――。至る経緯は異なり、理由もまた異なった。それでも私はお前のその顔が―――絶望する顔が見たかったのだ。 私はこれが見たかった。だから衛宮切嗣の娘だと頭で理解するよりも前に『言峰綺礼』という存在が反応してあの少女を盾にしようとしたのだ。 あの男の計略に乗せられていたとしても、間違いなくこれは私も見たかったモノだ。 苦痛に歪んでいく顔が心地よい。 戦慄と焦燥と狼狽を混ぜ合わせた心を曝け出せ。 悲鳴へと変わるであろう吐息が快い。 事実を受け入れた瞬間、絶望を宿すその目をもっと見せろ。 戦いの渦中にあり、腹部と右腕の激痛が私の体をどんどんといたぶる。それでも心の中から湧き上がる愉悦を止められない。 いっそ痛むと知りながら笑い転げたいとすら思ってしまう。 「すんばらしい『死』を見せてくれたご褒美に聖杯を授けよう。さあ、綺礼も一緒に行っちゃいな」 衛宮切嗣の絶望を楽しむあまり、再び頭上から聞こえてきた声が何を意味するか理解するまでに時間を要してしまう。 その使ってしまった時間と私の肉体に刻まれた負傷が混ざり合い、その場から脱する機を逃した。 いや―――理由はそれだけではない。いつの間にか無人であった筈の冬木市に人が戻っていたので、それに驚いてしまったのが行動を起こせなかった最も大きな理由に違いない。 こうなったのは衛宮切嗣が撃った時か? それとも私が衛宮切嗣の娘を地面に落とした時か? いつの間にか結界は解除され、周囲には人の往来があり、道路で戦っていた我々に不審な目を向ける自動車の運転者もいた。 まだこの場に起こった何かを理解している者は聖杯戦争の関係者以外は皆無であろうが、早ければ一秒後には衛宮切嗣が持つ銃、私の大怪我、そして私の足元にいる衛宮切嗣の娘の死体のどれかを理由に悲鳴が上がっても不思議はない。 愉悦と現状確認の為の思考、それが私の行動を遅らせた。 私は上空から降り注ぐ黒い何かを避けられず、私の意識は一瞬にして闇の中へと引きずり込まれてしまう。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 色々あったけど、とりあえず未遠川での戦いを終えた僕らは神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)で移動し始めた。 御者台にいるのは手綱を握るライダーと僕。実感はほとんどないけど一度死んだ僕を二度と死なせないようにしてるのか―――今まで以上に僕にしがみ付いてくるサンだけだ。 身じろぎするのも一苦労なんだよね・・・。 一緒に行動してたカイエンの姿はなくて、少し前に同乗してたリルムって子もいない。 彼らは一旦別行動をとって、別方向から冬木教会を目指すことになってる。何でも『ダッシューズ』っていう魔術道具を使って、ライダーに負けない速さで陸路を移動できるらしい。 ライダーの飛行宝具に匹敵するほどの速さを発揮できる魔術道具、本当かな? ものすごく気になったけど、ライダーと同行してる僕には見れない知れない判らない。 そう言えば結果的に僕らは共同戦線を張ってるみたいな状況になってるけど、この状況はどれだけ続くんだろう。 もし僕らがバーサーカーと戦うことになったら敵として戦わなきゃいけなくなる気もするし、単に『聖杯戦争』で括って戦う限りは手出ししてこない気もする。深く話し込んだわけじゃないから、彼らが何を考えてどんな理由で何を目標にして戦ってるのか僕には判らない。 今敵対してないだけいいのかな? 全部見た訳じゃないけど、キャスターの呼び出した怪物をたった四人で圧倒した結果があって、それが彼らの圧倒的な強さを明確に表してる。 比較対象が個人と軍隊になるから判定は難しいけど、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)と同等と見ていい。あれが敵に回るのは出来れば避けておきたい。 何だか時間が経てば経つほど判らない事が増えて、状況がどんどん複雑になって行ってる気がする。聖杯戦争で敵のマスターとサーヴァントを倒す、なんて短絡的な答えで事態が解決できる状況はもうとっくに過ぎてる気がした。 答えどころか問題が何かすら今の僕じゃ完全には見えてない。 それでも考えるのを止める訳にはいかなかった。ライダーのマスターに戻ったけど、令呪を失ってる上に僕が使える魔術じゃ援護にもならない。本当に魔力炉としているだけなんだ。 だから、どんな状況でも思考を止めずに答えを探し続けなきゃいけない。それが今の僕に出来る戦いだ。 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)で空を移動している間に結界が解けたのを感じた。動く者どころか夜に光る日常の灯りも無かった町が普通に戻ってく。 何か変化があったんだ。そう思いながらどんな状況が待ってようと動じないで考え続ける気構えを持つ。 でも―――状況は僕が考えられる予測を遥かに上回ってた。 認めたくない気持ちはあるけど、聖杯戦争に参加してるマスターの権利を持ってる魔術師はキャスターのマスター以外は僕よりも格上の奴ばっかり。 恐れもした。怯えもした。それでも同じ魔術師としての優劣はあっても、別次元の存在だって意識した事はない。 だけど僕の眼下にあるそれは聖杯戦争だった筈なのに別のものに変わってしまってた。 ここは本当に第四次聖杯戦争の舞台になってる日本の冬木? 世界を司る法則すら異なる別世界に紛れ込んだみたいな悪寒が背筋を通り抜ける。ここに来る前は『考えるのを止めない』なんて決意したのに、思考を放棄したくなった。 「あれって、アサシン? あの槍はランサーだし・・・。海魔もいるから――、まさかキャスターも!?」 「勢揃いとはな――。中々、見事な光景ではないか」 僕は御者台の縁から身を乗り出して下を見る。ライダーは手綱を操って上空を旋回しながら見下ろしてる。 カイエンとライダーから話を聞いた僕は、冬木教会で戦闘が起こってるなんて半信半疑だった。聖堂教会の監督役が管理する冬木教会で、中立地帯として不可侵が保証されてるから、そこで戦う奴がいるとは思えなかった。 だけど戦闘は起こってる。 しかも脱落して消滅した筈のサーヴァントが揃ってた。 さっき大魔術と幻想種の攻撃で滅ぼされた筈のキャスターもいた。何これ? 自然にこんな事が起こる筈ない。誰かの意思が介在しないとこんな事態にはならない。 しかもそいつは聖杯戦争を構成する魔術に干渉して作り変えられる腕の持ち主ってことになる。始まりの御三家の誰かだとしたら、この地に拠点を構える遠坂か間桐のどちらかだと思う。 確実に言えるのは英霊の再召喚なんて僕には絶対できない。そもそも『聖杯戦争』がどんな魔術で作られてるかすら僕には判らないんだから、判らない事はやりようがない。 魔術師の中でも天才に部類される限られた人じゃなきゃこんな事は出来ない。 僕の理解も予測も常識も超えた何かが起こってる。でも考えるのを止めちゃいけない。僕は自分を奮い立たせて状況を把握する為に目を凝らした。 もしかしてあのぼろ雑巾みたいに吹き飛んでるのがアーチャー? ランサー以外は元々黒っぽい恰好してるし、夜だから見辛かったけど。よく見ればランサーもアサシンもキャスターも衣装の色がもっと黒くなって紅い刺青みたいな何かがあった。 サーヴァントの強大な魔力に紛れて判り難いけど、あの血みたいに紅い何かから別の魔力を感じる。 すぐ近くにある教会は夜なのに灯りが一つも無い。人の気配も全然ないように見えるから、監督役に何かあった? 一度殺されてマスターじゃなくなった僕には、ライダーとの繋がりは残ってるけど、もうサーヴァントのパラメータを透視する能力が無い。だからあの英霊達が誰かに召喚されたサーヴァントなのか判らない。 もし全員の能力値が透視出来たら、誰かの召喚されたサーヴァントだって判るのに。 周囲に一般人がいないのがせめてもの救いだ。 構図はアーチャー対それ以外。でもアーチャーはかなり痛めつけられてるみたいで、反撃する素振りがまるで無かった。地面に落ちても全く動かない。あちこちが割れた黄金の鎧が空からでも判った。 ただ、一方的にやられてる状態で消滅してないのが不思議だった。 少し離れた場所に六枚の羽根を持った誰かがまるでこの状況を支配する王者みたいに君臨してる。あれがケフカ・パラッツォ? カイエンの仇? あいつが聖杯戦争をここまで変えた? あれが僕らの敵―――? あいつの前にいるオレンジ色の鎧を着てるのは誰? 見ただけでも判る事、見ただけじゃ判らない事。たくさんの要素が絡み合って一つの戦いを構築してる。 短い時間でものすごく色々考えて頭が沸騰しそうになってると、一定の高度を保ってた神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)が少し沈んだ。 「では行くとするか」 「お、おい! 様子見だけじゃなかったのかよ。あれってどう見ても脱落した筈のサーヴァントが全員いるぞ」 僕は慌てて下じゃなくてライダーの方を見て怒鳴る。 多勢は問題じゃなくて、アーチャーの様子を見に来るだけだった話がいつの間にか戦いに切り替わってる。それが問題なんだ。 出会った時からライダーが僕の予想を簡単に裏切るのは知ってたけど、今回のは更に特別だ。 「うむ。何やら我らの予想を遥かに上回る事態になっとるようだ」 「だったら!」 「一度は決着を諦めた益荒男どもが勢ぞろいしておるのだ、これは正に余の威光を奴らに知らしめる絶好の機会ではないか」 そこで僕は思い出す。 倉庫街の戦いの時からライダーはこうだった。敵がサーヴァント全員だろうと、臆するなんてありえない。 敵が強大になればなるほど、むしろ望んで戦場へと馳せ参じるのが征服王イスカンダルその人なんだ。 「それにここであの『ケフカ・パラッツォ』とやらを倒せば、カイエン含め誰もが余に平伏す可能性もあろう? 見てみろ、奴らも追いついてきたようだ」 「・・・倒す敵を横取りされたら怒ると思うぞ」 ライダーが親指を立てて後ろを指し示す。その指を追って見ると、未遠川がある方向から五人ぐらいの集団が冬木教会に向けて走ってくるのが見えた。 一人一人が特徴的な集団だから、遠く離れていてもよく判る。カイエン達が来たんだ。 「余の『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を、アーチャーの『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』で武装させれば、間違いなく最強の兵団が出来上がる。西国のプレジデントとかいう奴も屁じゃあるまい」 プレジデント、つまり大統領は役職であって人の名前じゃないだけど、そういう無粋な言葉を挟ませない勢いがライダーにはあった。 僕はただ黙ってライダーの言葉を聞く。 「余とアーチャーが結べば、きっと星々の果てまで征服できる。ここで死なすには惜しい男よ」 アーチャーと並ぶ未来を想像してるのか―――。すぐ下で敵にしか見えないサーヴァントが戦いを繰り広げて、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は少しずつ滑空してるのに、ライダーは夜空を見上げた。 その姿からは本気しか感じられなかった。あのアーチャーすら征服しようとしている決意しか伝わってこない。 ライダーは本気だ。いつも通り本気でアーチャーをも征服しようとしてる。もしかしたら、あそこにいてバーサーカー以上に話が通じないように見えるケフカ・パラッツォと思わしき奴も征服しようとしてるのかもしれない。 そもそもあれは何なんだろう? 白い羽根を見た時は天使を想像したけど、同じように生えてる黒い羽根はむしろ悪魔を髣髴させる。 魔術の実験で意図的に作り出された生物か何かだったりして。人の素体に別の動物を組み込んで一つの生き物として完成させた―――とか? 幻想種を作り出そうとして誰かが実験して、脱走して冬木にたどり着いた―――とか? 「それとな・・・」 予測だけの思考に向かおうとする僕を止めたのはライダーの言葉だった。 手綱を握りながら、右手の人差し指だけを下に向けてライダーが言う。そこにはたくさんのアサシンがいる。 「前の酒宴はあやつ等にぶち壊しにされたが――。まずは残った酒を飲み尽くすという話であった。あの瓶酒、まだ少しばかり残っておったから、それも頂かなくてはならん」 「それが乱入の一番の理由だったりしないよな・・・」 僕が殺されても、令呪を失っても、一時的にマスターじゃなくなっても、やっぱりライダーはライダーだった。 その輝き続ける在り方につい朋友(とも)と呼ばれた出来事を思い出す。 今は変則的なマスターとサーヴァントの間柄になったけど、僕はライダーの隣に並び立つ立派な僕でいたい。 気の引き締めとライダーが腰に差していた鞘からスパタを引き抜くのはほぼ同時。あの戦場に無暗に突っ込むんじゃなくて、自陣へと招きよせるためにライダーは宝具を発動させる。 「集えよ、我が同胞! 今宵、我らは新たな伝説に勇姿を示す!」 王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)を―――。 手綱を操るライダーは空いた手でスパタを高々と掲げた。剣は光り輝き、一瞬の間すらなくどこからともなく熱風が吹き荒れる。 砂の混じった暖かい風は冬の肌寒さを完全に吹き飛ばして、星空しかなかった筈の夜空が一気に煌々と照りつける太陽と青空に変わった。 空から見下ろす東西南北はどこもかしこも陽炎に霞む地平線が広がって、この世界全てが砂漠になったんじゃないかって錯覚する。 いや、そうじゃない。今ライダーの固有結界に隔離されたこの空間は空と砂漠しかないんだ。 時空の彼方より招きよせた永劫の大平原。そこに一騎、また一騎と征服王イスカンダルの呼びかけに応じた英霊達が居並んで大軍勢を作り出していく。 二度目だから驚きは無かったけど、この英霊の連続召喚が意味する事実を知ってしまったから、畏敬の念を感じずにはいられない。 征服王イスカンダルと結んだ主従の絆は現世と英霊が住まう『座』の隔絶すらも容易く踏み越える。時空の彼方から王が呼べば、誰も彼もが征服王の掲げる覇道へと駆けつける。 ライダーが王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の先頭に降り立って、ついさっきまで真下にいた筈の敵が遥か遠くに移動させれてるのに気づいても、僕の心は背後に並んでゆく英霊達とそれを率いるライダーに引き寄せられる。 いきなり移動して今まで以上にサンが怯えて僕にしがみついてくるけど、そこに回す意識はほとんど無かった。 この宝具は王と共にあるという誇りの姿そのものだ。共に戦うということへの昂ぶる血潮の轟きだ。 こうなりたい。そうありたい。僕はそう思った。 この一時だけ、僕は他の何もかもを忘れてただ征服王イスカンダルを―――そして王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)を見入った。 だからいつの間にか接近していた男の存在に全く気付かないで、声をかけられるまで近くに人がいるなんて事も考えられなかった。 「ウェイバー・ベルベット―――だな?」 僕の主観で考えればいきなりかけられた声にビクッ! と体を震わせる。 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の右車輪の後ろ側辺りから聞こえてきた声。僕は恐る恐るそっちを見ると、全身を黒っぽい衣装で固めて、頭にバンダナを巻いた細身の男が立ってた。 確かこの男、キャスターと戦う時にいたカイエンの仲間の一人だ。ロックだったっけ? そこでようやく僕はライダーの作った固有結界の中にさっき接近してたカイエン達も巻き込まれてる事に気づく。 王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)とライダーとの間に出来た微妙な空間の中で、前衛部隊みたいにロック以外の四人が横に並んでた。 「そうだけど・・・・・・」 「俺の名はロック。今は少しでも戦力がほしいんだが、俺はまだお前がどんな奴か全く知らない。でもカイエンが信頼してるんなら俺もお前を信用してこれを預ける」 そこにいる男と魔石『フェニックス』の本来の持ち主だって聞いた男の名前が合致して小さな驚きが生まれるんだけど、ロックって名乗った男の手から放り投げられた物体の方に意識が向いて、小さな驚きは一気に消滅した。 それは緑色の鉱石だった。 中央にオレンジ色の六芒星があった。 見覚えがあり過ぎた。 「魔石!?」 「今のお前に一番縁がある奴が呼べる魔石だ、大事に使えよ」 軽く続けるけど僕はその言葉を聞いていたけど聞いてなかった。 『フェニックス』『ファントム』『ユニコーン』。信じられない幻想種たちを数多く見せられて、キャスターとの戦いでも今まで見たことのない幻想種を見せられた。僕自身も召喚したからこの魔石の凄さはよく知ってる。 あの中にいた竜種―――。それのせいで殺されたんだけど、僕の心にあの竜種はしっかり刻まれてる。 渡された魔石と他の魔石の区別は出来ないんだけど、これは紛れもなく幻想種を呼び寄せる魔術道具なんだ。 また僕の手の中に魔石が戻ってきた。その事実に軽い感動すら覚えた。 「おいおい、あんまり坊主を甘やかさんでくれよ」 「あんたの宝具は確かに凄いんだが、あいつを相手にするにはもう少し戦力が欲しい所なんだよ」 すぐ近くで聞こえてきた声が僕を現実に引き戻す。そして聞いてしまった不穏な言葉に一気に頭が冷やされた。 英霊の大軍勢、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)。僕はこの宝具に匹敵する敵はいないと思ってる。倉庫街の戦いで見たアーチャーの宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』、キャスターが未遠川に呼び寄せた巨大海魔。他のサーヴァント達だって結託してもライダーの宝具には叶わない、そう思ってる。 だけどロックは言った。もう少し戦力が欲しい、って。 僕はあのケフカ・パラッツォって奴がどれだけの力を有してるのか知らないんだけど、僕よりも知ってるだろう人達が王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)じゃ不足だって思ってる。 これだけの大軍を個人で相手に出来て、まだ力不足だって思える程の敵―――。一体、どれだけ強大な力を持ってるの? そう考えると魔石を渡されて高揚した気持ちが一気に沈んでく。 だけど考えるのを止めたりしない。 僕は必死に自分を支えて、屈しないように頑張って耐えた。 「『フェニックス』を召喚したんだってな、あれはかなり魔力を喰うからこれも飲んどけ」 飛んできた声に導かれて顔を上げると魔石の時と同じように蒼い液体が入った小瓶が飛んできた。 どう見てもガラス製だ。落としたら割れるから、僕は慌てて左手に魔石を持ち替えて右手を伸ばす。 「――と、っと。・・・っとっと」 放り投げられた衝撃で小瓶が手の中で少し暴れる。それでも何とか落とさずにキャッチして、両手でそれぞれ別々の物を握りしめた。 何これ? そう聞こうとしたけど、僕が小瓶を掴み損ねてる間にさっさと移動してしまったようで、ロックはもう十数メートル離れた場所に立ってた。 状況は二転三転して、僕が判らない事の方が多い。だけど、カイエンもライダーも合流してから話もしてないのに、いつの間にか一緒に戦おうとしてる。 この状況下で共闘するなんて一言も言ってないのにそういう雰囲気がこの砂漠の戦場の立ち込めてる。 僕らと彼ら。敵と味方。互いに殺しあう者同士。誰もがどちらか一方に属し、第三者の介入はこの場には存在しない。そういう明確な線が引かれてる気がした。 「敵は一騎当千の英霊達、相手にとって不足なし!」 ライダーがスパタをまた掲げ、先頭に立つ王として場を仕切ってゆく。 「いざ益荒男たちよ、我らが覇道を存分に示そうぞ!!」 「「「「「「おおおおおおおおおおおおッ!!!」」」」」」 ライダーの雄叫びに応じて並ぶ軍勢から大喝采が飛び出した。 間近で聞くそれはもう声からただの音に変わり、空も天も大地すらも切り裂かんばかりに弾ける。耳を塞ぐのも忘れて僕はその音に身を委ねた。 戦いが始まるのはもう避けられない。僕の存在も王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の中に組み込まれてる。英霊達が王と共に戦う誇りを胸に宿すように、僕もまたその中の一員としてここに立ってる。 それがとても嬉しかった。 これから向かうのは何を仕出かすか判らない未知の敵。敗退したサーヴァントを召喚し直すなんて反則技すら使う相手なのに、不思議と英霊達の鬨の声を聞いた後だと恐ろしくない。 強引に渡された両手の道具。令呪は無いけどライダーへと送れる魔力。状況を見極めるための頭脳。それが僕に残された武器だ。 戦車(チャリオット)を牽引する二頭の雷牛がいななき、大軍勢と共に駆け出してゆく。間にいたカイエン達の頭上に川で見た幻想種が次々と姿を現し、軍隊の一部へと組み込まれて進んでいくのが見えた。 砂漠を踏みしめる膨大な足音が闘争の空気を膨らませていく。 「AAAALaLaLaLaLaie(アァァァララララライッ)!!」 その中に響くライダーの雄叫び。胸一杯に満ちる『共に戦える喜び』と一緒に、僕はライダーの大声に合わせて叫ぶ。そして魔石と小瓶の二つを両手で握りしめて魔力を注ぎ込む。 戦え。 闘え。 王と共に―――タタカエ。 緑色の魔石の中にあるオレンジ色の六芒星が輝き、それを合図にして僕の魔力が一気に吸い出されてく。その感触に懐かしさすら感じてしまう。 僕は高鳴る気分に身を委ねながら、小瓶のふたを開けてその中に入っていた液体を一息で飲んだ。 どうしてそうしたのかは判らない。ただ僕が今できる事はこれだって心のどこかで理解していたから、それに従った。 少し甘い液体が喉を通り抜けると、吸われた魔力に変わる何かが体を通り抜けた気がした。僕の中にある魔術回路を液体が通り抜けたみたいな不思議な感覚だった。 もしかして小瓶に入ってた液体は魔力を回復させる道具? 見たことも聞いた事のないその効用に驚きつつも、戦いが始まった今は考えるべき事じゃないと強引に無視した。 魔石はより一層強く輝き、中央に何か文字が描かれた紅玉みたいな何かを三つ吐き出す。それを合図にして戦車(チャリオット)の背後に何か巨大なモノが現れた。 前を見てる僕に後ろは見えてない。だけど判る。 それは白銀の装甲をまとった堅牢な城であり機械。全ての邪なる者を滅する為に存在する存在。 名前が聞こえたからロックが言った『一番縁がある奴』の意味がようやく判った。 その名は―――アレクサンダー。 ライダーの真名は征服王イスカンダル。またの名をアレキサンダー、アレクサンドロスの名で知られる古代ギリシアの征服王。 同じ名前というだけで共通項なんて全く見つからないけど、名前だけでも僕にとっては力強い繋がりを感じる。 一人と一機。別だけど同じ『アレクサンダー』にそれぞれ僕の魔力が流れていく。僕の背後にそびえる城のような機械の額部分が開き、そこからレーザーが発射した。 聖なる審判 それは敵を焼き尽くす炎になってこの世界すら燃やした。