第39話 『戦う者達は戦う相手を変えて戦い続ける』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰綺礼 なるほど、確かにある程度の『破壊』は私の中に楽しさを見出した。代行者としてこれまでに数え切れぬほどの破壊を自らの手で作り出した身として、第三者の視点から破壊を眺めるという行為そのものは新鮮ではあった。 遠坂邸で作り出された勝者と敗者の構図。自分を絶対的優位と思いこんだ愚者の滅びゆく様。 人知を超える巨大な怪物を呼び出しながらも、結界によって閉じ込めれ殺されていく様。 最優のサーヴァントが宝具の真名解放まで行っておきながら敗北し、令呪によって愚鈍な操り人形へと変わり果てる様。 遠坂邸から未遠川の上流へと移動し、事の全てを見届けていたが。セイバーがアインツベルンの女と共に撤退していく様を見て、ある思いが私の中に生まれていた。 見ているだけはつまらない―――それは正しく落胆であった。 そもそも移りゆく状況の中で間桐雁夜と協力する組織が常に勝利を掴んでいるのだ、私はありとあらゆる者の苦痛が見たいのであって一方的な決着を見たいのではない。 作り出された悲鳴にも破壊にも絶望にも苦痛にも破滅にも私は胸の高鳴りを覚えている。だが、どのような形であれ、それらの事象に対し自らが関わりを持って初めて意味を成す。 彼らの苦痛は紛れもなく私の喜びを揺り起こしているが、こんなものは表の世界に出回るテレビを通して見る虚像と何も変わらない。 こんなモノでは満たされない。それがケフカ・パラッツォに連れられ、二度にわたり観戦した末に私が達した結論であった。 「つまらんな」 「――あら?」 「ただ見ているだけでは物足りない。私はそう感じている・・・。感情とは経験に基づき初めて本物へと変わる、ならばこんなものには何の意味もない」 「むむむむむ、お気に召さぬとは――。ならば次はちゃんと楽しめる状況をセッティングしようではないか。死ぬかもしれないけど構わない、よね?」 斜め前に並び立つ道化師は隙だらけで、私が黒鍵による攻撃を頭蓋に叩きこめば耳を突き抜けて頭の中をぐちゃぐちゃに破壊するだろう。 おそらく敵ではない証明の為に隙を見せ続けているのだが、この『いつでも倒せる様子』もまた私の高揚を邪魔する要因であった。 こいつは自分が死ぬ事を何とも思っていない。その姿が死んでも構わず笑い続ける未来と、私の攻撃を受けても何事もなく復活する未来の両方を連想してしまう。本体ではない虚像であるからこそ、ここでケフカ・パラッツォの姿をした偽者を殺したところで意味は無い。 間近に面白さを全く見出せないモノがあるが故につまらなさが増幅されていく。 私はほんの少しの苛立ちを自覚しながら告げた。 「私にとっての利があるならば踊らされても構わん。が、これ以上僅かでも退屈が増えるのならばこの黒鍵が貴様の頭を貫くと思え」 「それなら心配無用だじょ。これを持って衛宮切嗣と戦うだけだからな」 「――衛宮切嗣だと?」 ケフカ・パラッツォはそう言うと地面を持ち上げるように下に手を伸ばし、何もない場所から石の塊を持ち上げた。 これまで私自身も二度体験した別空間を利用しての移動。特定の地点から物質を移動させる魔術はかなり高位に位置する上に、詠唱も術具も無い状態で発動するなど正気の沙汰ではない。 けれどケフカ・パラッツォはそれを易々とやってのける。単なる虚像、本体の一欠けらでありながらもやり遂げる。 懐から取り出した十字架を構え、いつでも魔力の刃を形成し黒鍵として投擲出来る態勢を整えた私の前で、ケフカ・パラッツォは隙だらけの姿をさらしながらも惜しみなく魔術を行使する。 私が最もつまらなさを感じているのは、この男の好き勝手な様子そのものなのかもしれない。 「すんばらしい観客も用意しちゃる。精々楽しむといい」 告げられた一言の返答にとっさに黒鍵を投げつけそうになると、まるでそれを見ていたように振り返る。 そして足元にあった石の塊をこちらにずらしてきた。 よく見れば、それは単なる石の塊ではなく、人の形をした石であった。 石像―――それも片手で持ち上げられるほど幼い少女の形をした石だ。 「それは?」 「衛宮切嗣の娘」 「何!?」 「今は石化してるがアインツベルンが衛宮切嗣を雇い入れた時に作った。母親はセイバーと一緒にいるアイリスフィール・フォン・アインツベルンだ」 あまりにも唐突に言われた為、その言葉を理解するまでの数秒間、私は呆然としてしまった。 戦場のすぐ近くにいると自覚しながら呆然とするなど『殺してくれ』と言っているようなもの。けれど私は呆然としてしまった。 それほどまでに告げられた言葉はとてつもない衝撃を含んでいたのだ。 気を持ち直し、私は言葉の意味を吟味し始める。 魔術師の家系であるアインツベルンが次代の育成のためにと子を作る事はなにもおかしくは無い。事実、遠坂も間桐も才能の有無は関係なく子を作っている。 だが『魔術師殺し』と二つ名を持つ衛宮切嗣を父親に据えたのは意外と言うしかない。 魔術師とそれを殺す者。仮に衛宮切嗣に遠坂葵の様な才能ある子を産む才能があり種馬としての扱いだったとしても、魔術師を殺す為ならホテル一つ丸ごと粉砕出来る男が唯々諾々と状況を甘んじて受け入れるとは思えない。 今となっては知る優先順位は低くなったが、衛宮切嗣はやはりアインツベルンに雇われた時に何かと出会い何かを得て、そして答えにたどり着いたに違いない。 だからこそ自分が殺す筈の魔術師との間に子供を作ったのだ。私はそれが何であるかを知りたいと思った。 「そしてこれも渡しておく、きっと役に立つじょ」 「これは?」 「使ってみてのお楽しみ」 まだ考えるべき事は山ほどあるが、思考が一段落した私の前に手が延びてくる。 そこから私の手の上に乗せられるのは指先でつまめるほどの小さな物体。 新たな要素を渡され、更に思考は進んでいく。 衛宮切嗣との戦い。 素晴らしい観客。 衛宮切嗣の娘。 語られた言葉が私の中で一つの形になっていった。それはとてもとても面白く、考えるだけで胸の高鳴りを抑えられない策略の形をしていた。まだまだ疑問は多々あるが、この高揚は私の中に残る疑問を超える。 「それじゃあ行きましょう。楽しい楽しい殺し合いに」 「・・・・・・」 その言葉を合図にして足元にある石像も一緒に私達は移動する。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 衛宮切嗣 常に場所を移動しながらの攻撃は最低限の高率で最大限の効果を発揮した。 僕ごと呑み込んだ結界の中では放てる使い魔は通常に比べて少なく、片手で数えられる程度しか残っていない。冬木大橋と冬木教会、双方とも距離があったので肉眼での確認は出来なかったけど、間違いなく戦いが起こっている場所にその内の二体を放ち状況を把握し始めた。 ここが冬木市に見えながらも誰かが作った結界の中なのだと理解した時、隔離され一方的な攻撃が始まると警戒した。それなのに不気味なほど何もしてこない。 マスターを襲撃された時のアサシンがそうだったように異常な静けさだ。 この静けさは何かの前触れなのか? それとも泳がされているだけなのか? 情報が足りず判断を下せない。 状況のおかしさを理解しながら、すでに敵の結界の中に取り込まれているなら結界を破り外に出る為に行動を起こす必要がある。 残る使い魔は結界の全容を把握する為に放ち、敵を警戒しながら攻撃もちゃんと忘れない。 そうやって僕は冬木大橋の上で騒ぐキャスターのマスターと思わしき男と、ライダーのマスターを殺した。 これで二人のマスターの敗退は確定し、残るサーヴァントは四騎。仮に言峰綺礼を狙撃した時には生きていたアサシンがすでに殺されているならサーヴァントの数はさらに減るが、それは希望的観測であって事実ではないので、残るサーヴァントは四騎と考えておく。 セイバー、アーチャー、バーサーカー、アサシン。自前の貯蔵魔力でしばらくはライダーは現界するだろうが、尽きてしまえば残るはこの四騎だけだ。 冬木教会では何者かとアーチャーが戦っていて、どのマスターでもサーヴァントでもないなら、それは間桐に協力する何者かあるいは敵対する誰かだと推測できる。もし聖杯を手に入れた等と大ぼらを吹く男で、しかもアーチャーを倒したならば、セイバーを使ってバーサーカーを敗退させる事に全力を注ぐ必要がある。 そして僕は状況を仕切りなおす為にこの結界を抜ける為に全力を注ぐ。 聖杯を手に入れたなどと与太話に付き合っている暇は無い。一刻も早く全てのマスターを殺し、全てのサーヴァントを消し、聖杯を降臨させなければならない。 二百年前に三つの家の魔術師が協力し、ようやく作り上げた万能の願望機だ。たった一人の魔術師が単独で作り出せるほど簡単な物じゃない。 僕は虚偽を切り捨て、思考を切り替え、考えるべき事を考える―――。 嘘と偽善にまみれた騎士王を自害させる為には最後の令呪は残しておかなければならない。僕の手にはまだ一画残った令呪があるけど、十字架の形をしていた元々の令呪の形はもう無い。 これに頼るのは他に使える道具が無くなって、本当に追い詰められた時とする。 じゃあ他に使える道具は何だ? 僕と一緒に結界に呑まれたバレットM82とジープ・チェロキーの中に積まれていた道具のほとんどは対マスター用の武装でサーヴァントを相手にするには力不足。時間稼ぎぐらいは出来るけど、倒せるとしたら途方もない幸運に恵まれてアサシン一人が関の山だ。 もっと他に使える道具は無いか? 二体のサーヴァントがアイリの体の中に封印された『聖杯の器』に喰われた事で、すでにアイリが人として生きられる限界が近付いている。マスターを殺したことで、そう遠くない内にライダーもまた『聖杯の器』に喰われるだろう。 アイリに直接聞かなければ正しい状況を把握するのは困難だけど、全てのサーヴァントが聖杯の器に喰われればアイリは死ぬ。 判っていた事だ。こうなると最初から覚悟していた。 彼女を犠牲にしても、この世界を救済すると誓ったから僕はここにいる。 だからどんな仮定を歩もうとも、アイリが死ぬ事には変わりがない。そう―――舞弥が死んだようにアイリも必ず死ぬ。 それにもう彼女をセイバーのマスターだと見せかける必要性が殆ど無くなっている。だったら預けておいた全て遠き理想郷(アヴァロン)を持たせておく必要は無い。 あれは本来の持ち主であるセイバーが持てば老化を停止させ不死に匹敵する回復力をもたらすけど、他の者が持ってもある程度は治癒力を促進させる効果がある。アイリがまだ人間としての機能を失っていないのがその証拠だ。 あれはまだ使える道具だ。僕がそれを使う時が来た。 アイリが死んだ後、いつかは僕が使う道具として考えていた。順序は逆になったけど、至る結果が同じなら問題は無い。 アイリを守る奇跡の宝具。概念武装として彼女の体内に封入されている黄金の剣の鞘。全て遠き理想郷(アヴァロン)を僕が貰う。 もし完全に人としての機能も失っていたなら、アイリから聖杯の器も受け継ぐ。あれは聖杯を降臨させる為に絶対必要な物だから。 そうなるとアイリが今どこにいるかが問題だ。冬木大橋から監視させていた使い魔はキャスターが呼び出した怪物と間桐に協力する誰かとの決着を見届けさせたので、戦場を離れるセイバーは追ってない。 僕はセイバーにライダーのマスターを殺させた後、二画目の令呪でこう命じた。 アイリスフィールと共に安全な場所に避難せよ―――。 セイバーはアイリを担いで来た道をそのまま逆走していたから、おそらく武家屋敷に戻ったのだろう。 サーヴァントの脚力だけか、それとも自動車を使ったか。この結界の中で武家屋敷にどれだけ拠点としての効力が残ってるか判らないけど、二人が向かった先はそこだと予測しておく。ならば僕が向かうべき場所もそこになる。 セイバーにライダーのマスターを殺させた後、僕はジープ・チェロキーを運転して未遠川から距離を取って物陰に身を潜めていた。襲撃を警戒しながら頭の中では次に何をすべきかの行動予定を立てて、それが今完成した。 改めて目的を認識し直した僕はアクセルを踏み込んでジープ・チェロキーを発進させて十メートルほど進む。その時―――上空から迫りくる飛来物を視界の隅に認めた。 「固有時制御(タイム・アルター)、二倍速(ダブルアクセル)!!」 頭の中に警報が鳴ると同時に僕の口は時間操作の魔術を発動するための呪文を紡いだ。 感情が驚きで停止するよりも前に、迫る危険を察知した瞬間に解決すべき事柄を選択する。ただ脱出する為に移動するだけでは間に合わない、時間操作をしなければ脱出すらできない。 一瞬で答えへとたどり着いた僕は倍速となった体感時間の中で飛来物が何であるかを知る。 黒鍵だ。 運転席からではどこから降ってきたのかを判断できないが、代行者たちが用いる概念武装が計四本。前輪の右タイヤに一本、ボンネットへ二本、そして僕のいる運転席に目掛けて一本向かってる。 倍速の状況を全て脱出に費やすしかないと改めて決断し。後部座席に置いたバレットM82とその他の弾薬の大半を切り捨てる、その代わりに助手席の上にある『起源弾』が装填されたトンプソン・コンテンダーと50発の9ミリの銃弾が収まるキャレコ短機関銃を手に取った。 着ているスーツの中には『起源弾』が何発かと幾つかの弾薬、そしてナイフしか無いけど、これ以上は持ち出せないと切り捨てる。 黒鍵の一本がフロントガラスを突き破って僕の心臓を貫こうとしてる。急いで運転席側のドアを開けて車外へと飛び出した。 そこで固有時制御(タイム・アルター)の効果が切れ、体内に設定した時間操作の結界と外界とのずれが元に戻ろうと僕の肉体を痛めつける。 「くっ!!」 歯を食いしばりながら道路に投げ出された僕は自分を回転させてジープ・チェロキーの運動エネルギーを殺していく。 自動車の速度を上げる前に攻撃されたから車外へ飛び出して地面に叩き付けられる衝撃はそれほど大きくないけど、魔術の反動が容赦なく僕の肉体を壊す。痛みから察するに毛細血管がかなり破けたようだ。 黒鍵が突き刺さったジープ・チェロキーはタイヤをパンクさせられ、エンジンを破壊され、運転者を失った。速度がなかったので横転こそしなかったが、ガードレールへとぶつかってガリガリガリと甲高い音を響かせる。 回転しながらそれを見た僕は程なくガソリンに引火して爆発するであろう未来を予測し、車も中に残した荷物も使えなくなると結論を出す。 地面を転がる勢いが弱まったので急いで姿勢を正し、黒鍵が降ってきた頭上を見上げた。 「衛宮切嗣――。まさかこのような形で貴様と相見えようとはな」 道路の斜め前にある三階建ての雑居ビルの屋上。 そこに立つ男の姿を認めながら、僕はトンプソン・コンテンダーとキャレコ短機関銃を両手に構える。 結界の中に閉じ込められた時点から敵の襲撃は予測された事態だったので驚きはない。飛来物が黒鍵だった時点で敵が誰であるかも予測できていたので、こちらも同じく驚きはない。 今の僕に動揺はない。 最も会いたくなかった敵に怯えていた過去の僕を消し去り。ただ、すべき事をして結果を掴む為に冷静に敵の名を口にする。 「言峰、綺礼・・・」 奴はただの標的だ。殺すだけで終わる。 もう一度僕は僕自身にそう言い聞かせ、頭の中で言峰綺礼についての戦術面における分析を行う。 事前の諜報の成果と僕自身が得た情報、そして今はいないが彼と交戦した久宇舞弥からの情報を統合する。 長距離における攻撃は黒鍵による投榔を確認。一投は予備動作含みコンマ三秒以下で連投はコンマ七秒以内に四本を確認。今の攻撃がその分析の裏付けとなる。 近接戦における攻撃は八極拳を主体とした格闘。詳細は不明だが達人の域に達しており極めて危険。 全身を覆う僧衣には防弾加工がなされ、9ミリの銃弾が収まるキャレコ短機関銃では貫通も衝撃による制圧効果もなし。 遠坂時臣に師事した言峰綺礼の魔術習熟度は見習い課程の終盤程度で、際立った適性は霊体治療のみ。よって魔術戦闘においては肉体機能を増幅させて戦闘技術を向上させる以外の魔術はないと思われる。 こちらの武装は徹底的に秘匿してきたので、対ロード・エルメロイ戦に使用した起源弾は知られていない可能性は高い。ただし、固有時制御(タイム・アルター)はたった今見せてしまった。これらに対処する手段の用意は無いとしても、倍速で動ける事実は知られてしまった可能性が高い。 近接戦闘は圧倒的に不利なので、奴を倒すのならば距離を取っている今の状態で起源弾を撃ち込むのが必勝の道筋だ。 言峰綺礼は懐から新たに十字架を象った礼装を取り出し、そこに刃を形成して両手で合計六本の黒鍵を握り直す。 来るか? 「まず私の問いに答えてもらおうか」 僕が両手の拳銃からそれぞれ弾丸を打ち出そうとした瞬間、言峰綺礼がまた声を出した。 襲撃をかけておきながら言葉を発する訳のわからなさが引き金にかけた僕の指を止める。 他の誰かだったなら問答無用で銃を撃っていたが、相手が言峰綺礼だからか、殺人機械『衛宮切嗣』の性能がわずかに鈍る。 「貴様は何を望んで聖杯を求める? 願望機に託す祈りとは何だ?」 「・・・・・・・・・」 応じる必要のない質問に答える義務はない。投げかけられた言葉が呪文などの魔術的要素を含まない単なる言葉なら、戦いを初めて起源弾をさっさと奴に撃ち込むべきだ。 「答えぬのなら、貴様にとって少々困った事態になるぞ」 言峰綺礼はそう言うと、黒鍵を握りしめたままわずかに首を振った。 それに何の意味がある? 僅かな疑問が僕の脳裏を通り過ぎると、言峰綺礼の横に新たな人影が現れた。 どうやらビルの屋上の更に奥で待機していたようで、下の道路から見上げる僕からは死角になっていた場所に潜んでいたようだ。 その人影は一人がもう一人を後ろから拘束してる二人の人影達だった。後ろにいる何者かが前にいる誰かの首を絞め、もう一方の手で口を塞いで声を出せないようにしている。 前で拘束されている方の両腕は完全に拘束されていないけど満足に動かせない状態だ。 こいつらは何者だ? そう疑問に抱くと同時に、前で拘束されている誰かがアイリの顔をしているのに気が付いた。 アイリスフィール・フォン・アインツベルンがそこにいる。 誰かに口を抑えられて、首を絞められてる。 つまりアイリが敵に捕まってる―――。 「なっ!?」 ありえない事態に今度ばかりは動揺を抑えられなかった。殺人機械『衛宮切嗣』の下から人間の衛宮切嗣が現れてしまう。 ほんの少し前にセイバーと共に未遠川から武家屋敷へと撤退したはずのアイリがどうしてここにいる? こんな短時間の間にセイバーが補足され、その上で敗北したのか? いや、僕の手に刻まれた令呪はまだサーヴァント健在を示しているので、セイバーが敗退した訳じゃない。 サーヴァントが生命に関わるほどの窮地にあればマスターには気配の乱れとして察せる。それもないのでセイバーはまだ現界してこの冬木に存在している。 そうなると敵に捕まっているアイリが見せかけだけの偽者の可能性が高まる。 「おほほほ! 私の名前はケフカ、ケフカ・パラッツォ。今の僕ちんでも首一つへし折るぐらいの力があるのだよ。奥さんの命――。いやいや、体の中にある『聖杯の器』が壊されると困るんじゃなーい? 質問には素直に答えた方が身の為だじょ」 「・・・・・・」 言葉を聞いただけで、見たことのない『ケフカ・パラッツォ』がアイリを拘束している。 アイリの後ろにいる男は道化師を思わせる衣装で、聖杯戦争が始まる以前から見たことがない。姿の異質さが聖杯の偽者を持ち込む詐欺師の雰囲気を増長させた。 ただしアイリが『聖杯の器』を持っていることも、僕がアイリの夫である事も掴んでいるようで、何もかもが全て嘘だと断言するのは危険だ。 今のままでは情報が足りない。言峰綺礼が何を思ってこんな状況を作り上げたのか判らないが、あのアイリが本物か偽者か確かめるだけの情報がほしい。 僕は戦いに不利益にならない条件だけを抽出してそれを言葉にした。 「――僕の悲願は人類の救済だ。あらゆる戦乱と流血を根絶し、世界に恒久的平和をもたらす」 これこそが嘘偽りのない衛宮切嗣の真実。 例えどんな敵が僕の前に立ちはだかろうと、どんな障害が僕の前を遮ろうと、ありとあらゆる手段を講じても僕は結果を掴み取る。 「・・・・・・・・・なんだ、それは?」 ケフカとかいう男はそれ以上会話に加わる気がないのか、奇妙な口調で喋った後は沈黙を保っている。代わりに言峰綺礼から問いかけにも似た言葉が返された。 僕の願いを口先だけの出任せとでも思っているのか? 「何故そんな無意味な願いを抱く」 「無意味だと!?」 「そうだ――。闘争は人間の本性、それを根絶するというなら人間を根絶するのも同然。これが無意味でなくて何なのだ? 貴様の理想はそもそも理想として成り立っていない。まるで子供の戯れ言だ」 少し語気を荒めた口調で言峰綺礼が言う。その間にも僕は拘束されたアイリから視線を離さず、彼女が本物であるかを見極めようとする。 彼女は二本の腕で首と口を押えつけられているから喋ったりは出来ない。けれど両手の拘束は不十分で、やろうと思えば力の入りきらない肘打ちでも後ろの相手を攻撃できる状態だ。 完全に拘束しなくても女の肘打ちなら筋力で十分防げると思っているのか、それとも攻撃されないと知っているのか―――。 思考と行動を分断し、僕は言峰綺礼に言葉を返す。 「僕は、追い求める理想のために、すべてを失ってきた――。救いようもないモノを救う矛盾は常に僕を罰し、奪い、苦しめる。だからこそ奇跡の聖杯に願うしか他に道はない」 弱音を発しているように聞こえるかもしれないが、語る言葉に感情や宿らない。ただありのままの真実を―――戦闘に支障のないレベルの事柄を口にするだけだ。 例えばアイリが銀の針金を持ち出し、それを精巧な針金細工へと変化させたのならば、それは彼女が本物のアイリスフィール・フォン・アインツベルンだと証明になる。 貴金属の形態操作はアインツベルンの真骨頂で、ドイツで見せた僕らしか知らない秘蹟は絶対に他の魔術師には真似できない。 けれどアイリは口を塞がれているから詠唱が唱えられない。何か別の証明方法は無いかと僕は目を凝らす。 もしジープ・チェロキーから脱出する時に携帯電話を持ち出せていたら、銃を構えながら片手で操作してアイリに電話をかけて所在を確認できたかもしれないけど。携帯電話はガードレールにぶつかった車の中にあっったから、衝撃で壊れてしまっただろう。 他に手はないか―――。他にあのアイリが本物か偽者か確かめる術はないか? 「その為に愛する妻を犠牲にしても、か? こうして問答に興じたのならば例え僅かであってもこの女を愛しているのだろう?」 「僕はアイリを愛している。それでも、誰も泣かない世界の為に聖杯を掴む」 「・・・・・・・・・・・・」 思考から分断された本音が口から出続け、言峰綺礼は逆に口を塞いだ。 何を考えている? 思考がアイリから言峰綺礼へと切り替わりそうだったので、僕は慌てて考えを彼女に戻す。 そこで僕は気が付いた。ケフカと名乗った男に拘束されたアイリは現れてからずっと身じろぎして、何とか拘束から抜け出そうと躍起になってる。それでも敵の手はアイリの体をその場に拘束し続けてるが、話してる間ずっと彼女は動いていた。 元気一杯に―――、あらん限りの力を振り絞って―――。あの女の動きはあまりにも強すぎた。 聖杯の器を体内に宿し、サーヴァントが聖杯に喰われていくごとに人としての機能を失っていく筈のアイリが全身全霊でもがいてる。 聖杯問答が行われたアインツベルンの森で分裂したアサシンの魂が二十体ほど聖杯の器に喰われた。 続いて舞弥を犠牲にしてランサーの魂が聖杯の器に呑まれた。 未遠川の戦いを最後まで見なかったけど、あの様子ではキャスターの魂も聖杯の器に吸収された筈。もしかしたらライダーすらも聖杯の器に吸収されたかもしれないけど、それはあくまで可能性であって確定事項じゃない。 残るサーヴァントはセイバー、アーチャー、バーサーカー、そしてアサシンが僅かだけ。ライダーを考えないとしても半数近くのサーヴァントの魂を喰らえば、その分だけアイリが持っていた人としたの機能は損なわれてしまう。 それは第四次聖杯戦争が始まる前から定まっていた事。聖杯と引き換えにアイリがいなくなってしまうのは決まっていた。聖杯戦争が起こる限り覆せない法則だ。 いかに持ち主に不老不死と無限の治癒能力をもたらす宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』を聖杯の器と共に体内に封入していたとしても、本来の持ち主であるセイバー以外が持てばその力は減衰する。 こんな―――何事もなく元気一杯なアイリが見れる筈はない。 僕は結論を出す。 ビルの屋上にいて、力強く拘束を振りほどこうとしているアイリは偽者だ。 「・・・・・・私が見誤っていた、それだけの事か。貴様は答えを得た訳では無かったのだな」 言峰綺礼が何か言っていたが、アイリが偽者だと判れば銃弾を叩き込む躊躇は不要。 聖杯戦争が始まってから得た情報で外見だけそっくりなアイリの複製を作ったのだろう。詳細は調査しきれなかったが、間桐の魔術の中には蟲を使って人を操る術があると聞いたことがある。あの『アイリスフィール・フォン・アインツベルン』はその魔術で作り上げた人形だ。 「貴様が切り捨てた僅かな喜びと幸福すら、私にとっては命をかけて守り抜き殉ずる価値があった――。まさかこれほどまでに愚かな男とは思わなかったぞ衛宮切嗣」 「何とでも言え」 ただし一つの答えを得たが方針の変更を余儀なくされた。 この場に現れた敵が言峰綺礼だけならアサシンのマスターである奴を殺すのに全力を注ぐつもりだったが、言峰綺礼以外にも敵はいる。あのアイリの偽者に戦闘技術があるのなら状況は三対一だ、サーヴァントはいなくても分が悪い。 何より言峰綺礼以外の二人に関しては情報が全くない。未知の敵に無策で挑むほど愚かなことはない。 令呪はすでに二画消耗してしまったので、死に瀕する状況に追い込まれでもしない限りは使うべきではないのも状況の厄介さに拍車をかける。これはあの偽善に満ちた騎士王様を自害させるために必要な鍵なのだから最後まで残しておかなければならない。 僕はこの場からの撤退を最優先として、ビルの屋上にいる全ての人間を射撃の的に定める。もちろんアイリの偽者もその中に含める。 これまで全く使わずにいたが、セイバーへの念話も戦略の一つとして考慮した。 僕が立つ場所から奴らのいる場所までは目算で三十メートルほど。遮蔽物がないからいきなり起源弾を撃ち込むのも一つの手だ、ビルによって上下に隔てられた距離の大きさがスーツの中に残っている起源弾の再装填までの時間を稼いでくれる。 銃撃を受けた場合。奴らは後ろに逃げるか、前に進むか、ビルから自由落下で降りてくるか、それとも壁を伝って駆け下りてくるか。 僕は敵が向かう先を限定させる為、屋上に向けてキャレコ短機関銃の引き金を引いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 「生きてる・・・」 もう一度胸に手を当てても、返ってくるのは無傷の胸板だけ。ただ、胸を思いっきり刺されたんだって判ってるのに、実感が全然湧かない。 刺された瞬間のことも覚えてる、胸に突き刺さった硬く嫌な感触も覚えてる。剣をねじられた瞬間に今まで味わったことのないとんでもない激痛が走ったのも覚えてる。 それなのに今、僕は無傷で生きてる。あの出来事がまるで夢のようだ。 意識が遠のく最後の一瞬までも頭でちゃんと覚えてるんだけど、まるで他人事みたいに思ってる僕がいた。でも服に空いた穴と僕の記憶は紛れもなくあれが本当に起こった出来事だって認識してる。 有る、と、無い。 言葉では言い辛いもやもやした感覚を感じながら、もう一度傷があると思う場所に手を当てた。 「でも、犠牲が無かった訳じゃないんだよね」 「それは、どういう・・・」 降ってきた声に導かれて視線を上げてみると、そこにはリルム・アローニィの姿があった。 僕が刺される直前にキャスターとの決着をつけて巨大海魔を消滅させた。 あの時見たいくつもの幻想種に目を奪われたからセイバーにサックリ刺された。ライダーに他の事に心奪われたことを言えば『戦場で気を抜く方が悪い』とでも言われそうだから、言葉にはしない。 正直、あの幻想種の事が気になってるのは確かなんだけど、まだ『生きてる』って実感と『刺された』って実感が混ざり合って、好奇心よりもそっちの思いの方が強くなってる。落ち着けばあの幻想種の事を聞きたい気分になるかもしれないけど、今はそんな気分じゃない。 リルム・アローニィの姿は驚く位に何の変哲もなかった。とても巨大海魔をキャスターごと完膚なきまでに滅ぼしたとは思えない。 ここが戦場で、殺し合いを終えて、周囲に敵がいるかもしれないのに。痣も傷なくて着衣の汚れもなく、おかしい位に落ち着いてた。散歩に出かけてばったり知り合いと会ったみたいな雰囲気だ。 そのリルム・アローニィが僕の胸を指さしてる。 何があるの? 疑問に思いながらもその指が向かう先に目を向ける。 そこには貫かれた僕の胸―――と、その胸に手を置いた僕の右手があった。 貫かれた個所を確かめるなんて何度もやったから指差してるのは胸じゃない。わざわざ行動に見合うだけの『何か』、言葉を流用するなら『犠牲』がどこかにある筈。 もしかして見えない体の中に何か異常が残ってるとか? 「右手の甲。気付かない?」 「・・・・・・・・・あっ!」 そう言われて僕はようやく気が付いた。刺された個所と一緒に右手も視界に収めていたけど、殺されかけた状況があまりにも唐突すぎたから見えていたけど意識してなかった。 僕自身が胸に当ててる右手。その手の甲にあった令呪が消えてた。 セイバーの宝具を突破する為に一画を消耗したから、二画に減ってる筈なんだけど。手の甲には合った筈の輝きが跡形も無い。 剣の刀身部分と左右に広がった羽根を組み合わせたみたいな僕の令呪三画。ライダーへの絶対命令権。サーヴァントにとっても切り札。それが影も形もなくなってた。 「まあ、短い時間だったけど『死んでた』からね。令呪は生きてる魔術師に刻まれる聖痕だから――」 「そっか・・・」 胸に当ててた右手を下ろしながら、僕はぽつりと呟く。失ってしまったモノの大きさに衝撃を受けながらも、僕はただありのままの事実を受け止めた。 図太くなったのか、思考を止めないようにしてたからか。それとも―――令呪が消えたって知っちゃった瞬間に諦めたか。 受け入れても事実は変わらない。現実がただそうあるだけ。 令呪がなくなるって事は―――。 「僕は――ライダーのマスターじゃ無くなったんだ・・・・・・」 そう。令呪は聖杯戦争における参加者の証明であり、マスターとサーヴァントを結ぶ契約でもある。 その令呪がなくなったからライダーは僕の命令を聞く必要がなくなった。征服王イスカンダルの覇道を塞いでいた『聖杯戦争のマスター』という名の岩は取り払われた。 ライダーの道を塞いでた邪魔なモノはもう無い。 僕は令呪の消えた右手から力なく下ろしたまま振り返ってライダーを見た。 そこには後頭部をぽりぽりとひっかきながら困った顔をするライダーがいる。 呆れてるように見えた。マスターじゃなくなった僕を笑ってるようにも見えた。その顔を見るのが嫌になって、僕は振り返っておきながら目をそらす。 ライダーに背を向けたまま言った。 「もう行けよ。どこへなりとも行っちまえ。オマエなんか・・・・・・」 僕の口から出てる言葉はすごく素っ気ない。それが判っても、口から出てくる素っ気なさを止められなかった。 令呪の損失は諦めの発露。 何もかもがここで終わってしまった。 命を救われた感謝も今の僕にはない。 僕が生き返ってからずっとそばにいるサンが不安げに僕の服を掴んで顔を見上げてくるけど応対する余裕もない。 ほんの少しだけ僕を助けてくれたカイエン達に悪いことをしたかな、と思って顔を動かす。そうしたら曲げた中指の先を親指の腹にひっかけたデカい手が僕の顔の前に現れた。 それがデコピンであり、ライダーの手だと気付いた瞬間。僕の額に強烈な一撃が炸裂する。 「ぎゃおんっ!!」 今まで喰らった中で一番強いデコピンだった。本気で頭蓋骨が破壊されるんじゃないかと思った。 令呪の消えた右手と何事もない左手を額に当てるけど、痛みは全然引いてくれない。 痛い。 ものすごく痛い。 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。 もしかしたらセイバーに刺された時より痛いかも。 「坊主、何を言っておる」 転倒こそしなかったけど、うずくまるように丸まった僕の上から声が降ってくる。 「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか。マスターじゃないにせよ、余の朋友(とも)であることに違いはあるまい? それがどうして『もう行けよ』になるのだ」 「え・・・?」 その声がライダーのだって気付くと、首根っこを掴まれて強引にライダーの前に持ってかれた。 しがみついてるサンごと一緒に持ち上げてもライダーの手は全く揺るがない。サンの体重の分だけ、服と腰に回った手が肉を締め付けて僕が痛い。 頭が痛い。 体も痛い。 そのままライダーと僕の視線がぶつかる。 「世界の終りのような顔をしておるがまだ我らの聖杯戦争は何も終わっておらん。まあ、ちょいとばかり戦力が低下したのは事実だが、それだけだ。何を見当違いの決意で沈んでおるんだ貴様は」 その言葉が紛れもなく僕に向けられた言葉なんだって理解した瞬間、心の奥底で何かが壊れる音を聞いた気がした。 マスターと呼ばれた時にも感じた、心のつっかえ棒が壊れて歓喜が溢れだす感覚。 無様な姿を見せたくない僕の最後のプライドが、その溢れる心を懸命に抑え込んだ。涙が出そうになるのを我慢して、鼻水が出そうになるのも我慢して、頑張って頑張って自分を抑え込む。 真意を確かめるために何とか言葉を絞り出すけど、僕が僕自身を抑え込もうとするのに忙しくて言葉は途切れ途切れになった。 「ボ、僕が・・・ボクなんか、で・・・本当に、いいのかよ? オマエの隣を、僕が・・・」 「あれだけ余と共に戦場に臨んでおきながら、今さら何を言うのだ馬鹿者。貴様は朋友(とも)だ、胸を張って堂々と余に比類せよ」 友―――もう一度繰り返された言葉に僕の中にあった暗鬱な気持ちが一斉に吹き飛んでいくのを感じた。 さっき呆れたり笑ったように見えたのは、僕の曇った眼がそう見て勘違いしてただけなんだ。そう理解する。 ただ勝ちに征(ゆ)く。ライダーと一緒に勝ちに征(ゆ)く。 敗北もない。恥辱もない。僕は今、世界の半分を征服した王と共にいる。 その覇道を信じて駆けるなら、僕なんかの頼りない足でもいつかは世界の果てにまで届く。最果ての海(オケアノス)にだってたどり着ける───咄嗟にそんな思いが浮かび、それを信じる僕がいた。 「ほれ、そうと判れば、さっさと切れたパスを繋がんかい。このまま放置されては余と言えど消耗してしまうわい」 「あ、ああ・・・」 ライダーの剛腕に釣られてた状態から、地面に下ろされて。二本の足で何とか立ってる僕にライダーがそう言う。 そこで僕は思い出す。確かに令呪はマスターとサーヴァントを結ぶ強力な契約だけれど、聖杯戦争のために絶対に必要な契約ではない。って。 マスターはサーヴァントを現界させる為の魔力供給を行う必要があるけど、それは令呪とは別問題なんだ。って。 聖杯戦争について調べてた時から知ってたけど、令呪を失ったショックで今の今まで忘れてた。 今のライダーは僕が『死んでた』せいで、マスターからの魔力供給がなくなったはぐれサーヴァントだ。自前の貯蔵魔力だけで現界してる状態だからすぐに魔力供給を行わないとどんどんと魔力が消耗されていく。 「――告げる」 僕は令呪が消えた右手で溢れだしそうな涙を拭い去る仕草をして、そのまま前に持ち上げながら斜め上に突き出した。 ライダーの首元に向けた手が向かう先はサーヴァントの霊核があると思う場所。そこに手を向けた状態で、数日前に口にした英霊召喚の呪文を短くして唱える。 「汝の身は、我の下に――。我が命運は、汝の剣に・・・」 涙も鼻水も溢れてないけど、途切れる言葉が抑えられない。 まだ戦える、ライダーの在り方をこの目に焼き付けられる。殺されて生き返って令呪を失ったと知った時は絶望で目の前が真っ暗になったのに、今は嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて溜まらない。 心が躍ってる。思いが体から突き抜けそうだ。 「聖杯の、よるべに従い・・・。この意、この理に従うのなら応えよ! ならばこの命運、汝が剣に預けよう!!」 言葉に勢いをつけて途中からしっかり言えるようにしたら大声になってしまった。それでも何とか呪文を言い終えるとライダーがにんまりと笑う。 よくぞ言った―――。ライダーの顔がそう言ってた。 「誓おう。我が朋友(とも)、ウェイバー・ベルベットよ」 返された言葉が言い終わると同時に、一瞬だけ僕の全身を猛烈な疲労感が襲った。両足を踏んばらないとそのまま倒れてしまいそうになる。これはパス通じてライダーへと吸い上げられていく魔力の消耗だ。 令呪はもう無い。だけどまたライダーとの間に繋がりが出来たのがとても嬉しかった。 状況だけ見るとライダーが言った通り令呪を失ったのが一番の損失だけど、聖杯戦争を行えないほど失ったものは無い。 ただ、セイバーを取り逃がしたのはどうしようもない事実で、あのセイバーらしからぬ攻撃が衛宮切嗣とかいうセイバーのマスターに令呪を使わせた結果だとしても、こっちは三画全部失ったから向こうの方が失ったモノは軽い。 ライダーの遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)を喰らった後でいきなり全快するとは思えないけど、回復できるだけの猶予を与えれば確実に復活してまた相対することになる。 宝具同士の激突で『完敗』をセイバーが意識してくれたら状況は変わるのかもしれないけど、マスターによってセイバーの意思が無関係だって証明されてしまった。 仮にセイバーが負けを認めてライダーの軍門に下ったとしても、一緒に戦おうとしたところでまたマスターが令呪を使って『隙をついてライダーを斬り殺せ』なんて指示を出したらそこで全てが終わる。 セイバーの意思は関係なく、そうなる可能性はかなりあった。 ライダーなら令呪の鎖つきのセイバーでも受け入れるかもしれないけど僕は嫌だ。刺されて殺されるなんて一生に一度あればそれで十分なんだから。もうあの硬い感触は味わいたくない。 「で、これからどうするんだよ?」 さっきまで胸にあった色々な感情はとりあえず横に置いて、平静を装える位には落ち着いてきた。 しがみついたままのサンを逆に落ち着かせようと話しながら頭を撫でられるぐらい落ち着いてる。実感はほとんど無いけど、一度は死んだの見せちゃったから不安にさせたかな? ライダーとは令呪なしで朋友(とも)の関係。マスターとサーヴァントとの間柄じゃないけど、虚勢を張ってライダーと対するやり方が身についてたから、その調子で続ける。 ライダーは僕との再契約を終えた後、約束された勝利の剣(エクスカリバー)で破損した神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の調子を確かめ始めた。 あちこちに亀裂が入って、酷いところはただ走るだけで壊れてしまいそう。でも、二頭の雷牛は傷つきながらも戦う意欲は満点で、さっきから駆け出したがりそうに四本の足で地面を力強く叩いてる。 宝具の修繕方法なんて判らないからライダーに任せるしかないんだけど、今後の方針を話し合うのはライダーの作業中でも可能だ。 「ではアーチャーの奴めを見物しに行くとするか」 「セイバーじゃないのかよ?」 あ、やっぱりセイバーじゃなかった。 僕は言葉ではライダーを咎めるようなことを言ったけど、心の中で納得してた。これがライダーなんだ、って。 「坊主が寝ている間に少しこやつ等から事情を聞いてな。どうやらケフカとかいう男とアーチャーとの戦いはまだ延々と続いておるようだ。その隙を突いて勝利をかすめ取ろう等とこれっぽっちも思っておらんが、何が起こってるかは確かめねばならん」 そう言ったライダーは亀裂が入った車輪と大きなブレードの間にあるサイドパーツをバンバンッ! と強く叩く。 壊れそうだったけどライダーの力で叩いても原形を保っているから、思ったより丈夫なのか見た目よりも壊れてないみたい。 宝具だから頑丈じゃないと困るんだけどさ。 「あれだけ見事に快走されてはセイバーをすぐに見つけるのは困難であろう。ならばこの隙に恩を返そうではないか」 「・・・・・・・・・」 やっぱりライダーは征服王イスカンダルで王様なので。誰がいようとその場その場での意思決定権を掴み取ろうとする。 倉庫街の戦いのときはいきなり乱入してセイバーとランサーを言葉で圧倒して主導権をもぎ取った。それと同じことをここでもやって、カイエン達の話を聞く前にさっさと方針を決めてる。 それでいい? そんな風に思いながら恐る恐るカイエンとリルム・アローニィの二人に目を向ける。 少し離れた位置に立っている二人は特に嫌がる気配なく、反論するような素振りもない。カイエンは僕たちの話よりも木っ端微塵に壊れた刀を気にしてるけど、リルム・アローニィは右手の親指と人差し指で小さく丸を作って肯定を表してた。 あまりにも僕らの都合に合わせて事態が進むから、こんなにあっさり決まっていいのかと考えちゃう。 でもその反面、こうも思う。 僕を対象にした死者蘇生を行い、幻想種を使役して、巨大な魔術を使いこなす魔術師。ライダーの助力も合ったけど宝具と真正面から激突して勝利した剣士。この二人の力なら、多少の困難だろうと笑って乗り越える。って。 今の僕には無い強者の余裕がライダーの決定を尊重しているのではないだろうか。って―――ほとんど僕の憶測だけどさ。 数秒間二人を見ていると、鞘に収めた刀から顔を上げたカイエンと目が合った。彼が見ていた鞘の中には刀身の部分がなくなった刀が収まっている、それはこの場にいる者なら誰でも知ってることだ。 「ウェイバー殿、ケフカの様子を見、状況によっては拙者が斬るでござるが、一度対岸にいる拙者の仲間たちと合流して下さらぬか?」 「え? でも・・・」 今だって五人乗りのせいで御者台の上は超満員状態。川の対岸を移動する手段がなかったから無茶をしたけど、五人乗りだって余裕がないからできればもうしたくない。 「さすがに神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)にこれ以上乗るのは無理だと思うけど・・・」 「違うでござる。マッシュ殿達も乗せてほしい訳ではござらん」 「――じゃあ、何?」 「先ほどの戦いで『風切りの刃』が砕けてしまったので、ロック殿に預けておいた拙者の武器を返して頂くでござる」 カイエンはそう言いながら鞘を指で撫でる。 そう言えばカイエンが使ってた魔石『フェニックス』の本来の持ち主はロックという名前の男だ。もしかしたら、あの対岸でチラッと見ただけのロックなる人物は戦う以外にも魔石やカイエンの武器など仲間が持つ道具の保管係を担っているのかもしれない。 魔石の事も詳しそうなので、機会があればじっくり話したいと思った。 「邪なる者を斬る聖なる刀――『斬魔刀』。あの刀さえあれば、ケフカすら斬り捨ててみせるでござる」 「ならばまずは対岸へと行くとするか」 「その後であのうひょひょ野郎を倒しに行くよ」 カイエンの言葉が言い終わらない内にライダーとリルム・アローニィの二人があっという間に神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の御者台に乗り込んでしまう。 手綱の操り手であり戦車(チャリオット)の調子を確かめてたライダーがすぐに乗り込むのは判るけど、どうして話に全く参加しなかった奴が誰よりも先に乗るんだろう。 狭い御者台の上でまず自分のスペースを確保したかったのか。それとも、長話にあきたのか。どっちもありそうな理由だし、方針が決まったなら行動は迅速に起こすべきなのも確かなので、特に理由は追及しない。 カイエンもそんな仲間の幼い様子に少し呆れながらも咎めたりはせず、やんちゃな孫を見る祖父のような穏やかな視線を向けてた。 冬木市を覆い尽くすほど巨大な結界を難なく作り出す魔術師とそれを相手にしているアーチャー。川で見た巨大海魔の威容すら霞む暴力が吹き荒れる戦場が待ち構えているかと思うと、怖くて怖くて仕方ない。 でもライダー流に言うなら、これはきっと『心が躍る』ってやつなんだろうな。 しがみついてるサンの背中を押して、僕らはカイエンの後を追って神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)に乗り込む。サンの歩調に合わせて乗り込んだ時、これまで聞いたことのない宝具がきしむ音が小さく聞こえた。 まだまだ平気そうだけど、やっぱりセイバーの宝具で神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は大きく傷ついてる。 本当に大丈夫かな? 空を駆けてる途中で空中分解したりしないかな? 不安に思うけど、意気揚々と手綱を握るライダーがいるから多分大丈夫だ。 そう思っておく。 令呪が無くても僕らの関係は何も変わらない。むしろいい方向に転じた。 セイバーの宝具を突破できた切り札が無くなったのは残念だけど、まだ僕には出来る事がある 今はライダーを現界させるための魔力炉としてだとしても、同じ場所に立って、同じ敵を見据え、同じ戦場を駆けられる。 心に宿るのは高揚と不安、歓喜と警戒。僕は御者台の上からライダーの合図で空へと駆け上がる二頭の雷牛の様子を眺めた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 歩きながら気を失うなんて初めての体験だ―――。 気を失う一瞬前まで俺は自分が何をしているか理解して、目の前に広がってる闇が実際に目で見てる現実の風景じゃないのを理解した。 眠りに似ていながら全く違うもの。意識の損失。それは何度も味わってきたゴゴに殺される時が一番近い。 俺は夢を見てる。 歩きながら気絶した俺は自分の置かれた状況をとりあえずそう理解する。 ここに至る理由は外的要因か内的要因か。誰も気付かない内に敵の先制攻撃を喰らっていきなり気絶させられたのが納得できる答えだ。もし殺されてたら、こうして自分を意識できない筈。 少なくともこれまで何度もゴゴに殺されてきた時は一度だって『死んでる自分』を意識出来た時は無い。だから俺はまだ生きてる。だから俺はこの状況を夢だと判断した。 辺りは暗く、黒一色。『間桐雁夜』は間違いなくここにいるのを理解しながら、何も見えないし何も聞こえない。もちろん俺自身の姿も見えない。 ここはどこだ? そう思った時、理由も経過も何もかもをすっ飛ばして結果だけが俺の中に降りてきた。 ここはどこだ、じゃない―――お前は誰だ? 俺が見てる夢なんだが、この暗闇は単なる風景じゃなくて誰かの中だ。どうしてそれが判ったか説明のしようがないんだけど、俺には判る。 夢の中だけど俺は誰かの中にいる。 我は疎まれし者―――、嘲られし者―――、蔑まれし者――。 理解すると同時に辺りから声が聞こえてきた。この空間の中全体に響き渡るようなんだけど、耳元で囁かれている様にも聞こえる奇妙な声。 この聞き覚えのない声は誰だ? 俺がそう思うと、周囲の闇が俺の目の前に凝縮していく。そのまま前後左右の『黒』が一か所に集まって人型を作る。 そこにいる『黒』は足元から頭のてっぺんまで黒かった。 フルプレートの漆黒の甲冑、兜の隙間に見える紅く輝く目には見覚えがあった。あり過ぎた。 ゴゴの願望に俺自身の怒りと呪いと憎しみも混ざって召喚された狂戦士のサーヴァント、バーサーカー。 周囲に見えていた『黒』はバーサーカーとなり、周囲は血にしかみえない紅色に変化した。俺はその紅く見える何かの上に立っている。 対象物がバーサーカーしかいない真っ赤な空間がどれだけ広いのか、どれだけ狭いのか、果てがあるのか、見当もつかない。 我が名は賛歌に値せず―――、我が身は羨望に値せず―――、我は英霊の輝きが産んだ影―――、眩き伝説の陰に生じた闇―――。 今度の声は目の前に立ってるバーサーカーから聞こえた。 頭もすっぽり覆ってるから口の動きは見えないんだが、くぐもった声は間違いなく目の前のバーサーカーが出している。 つまりこの空間もまたバーサーカー。俺はバーサーカーの中にいる。 憎しみを込めて放たれた怨嗟の言葉はそれ自体が力を持つように四方から俺を圧迫してくる。それに対抗して体に力を込めて屈しないようにしていると、いつの間にか少し離れた位置にいた筈のバーサーカーが俺のすぐ近くまで来ていた。 歩く素振りも移動する素振りも全くなかったのに、移動し終えた結果だけがここにある。そして鋼の小手を伸ばして俺の首を掴む。 夢だからか、不思議と痛みは無かったが。そのまま英霊の膂力で俺は持ち上げられる。 この一年でかなり筋肉質になったつもりなんだが、バーサーカーは呆気なく片腕で俺を持ち上げた。 そこで俺は気がついた。俺がいつも身につけてるパーカーはそのままなんだが、常に背負ってる筈の魔剣ラグナロクが入ったアジャスタケースの重みが後ろに無い。 俺は身一つでバーサーカーの中にいる。今更ながら、そう気がついた。 顔をすっぽり覆う兜の隙間から見える紅い目が俺を睨んでる。 故に―――、我は憎悪する―――、我は怨嗟する―――、闇に沈みし者の嘆きを糧にして―――、光り輝くあの者たちを呪う―――。 首の骨が折れるんじゃないかと思えるほど強烈な力で俺の首が閉まる。それでも夢だからか苦しさは無く、苦しいから呻き声を出してると理解しているくせに感覚が全くついていかない。 おかしな状況だ。苦しいのに苦しくない。 片手で吊り上げられた状態で凝視されるのに耐えきれなくなり、俺は真正面から視線を横にずらして兜の横からバーサーカーの斜め後ろを見た。 首が動けばもっと横が見れるんだが、バーサーカーに絞められてるから動かせない。 それでもずらした視線の中に光り輝く剣を携えた小柄な騎士が見えた。 バーサーカーの黒さを見ているから余計に際立ち、紅い風景を逆に白く染めていく輝きを放っている。 あれにも見覚えがあった。直接対面した事は無いが、ミシディアうさぎやゴゴの視界を通して見た事はある。 アインツベルンが召喚したセイバーのサーヴァント。名高き騎士王、アーサー・ペンドラゴン。 理由は判らないが、俺はあれが夢の中に見る虚像―――絵画のような物だと理解していた。 あの貴影こそ我が恥辱―――、その誉れが不朽であるが故―――、我もまた永久に貶められる―――。 バーサーカーが誰であるかを考えるなら、聞こえてくる声は真っ当だ。理由があるから結果がある、仮定があるから結論がある、聖があるから邪がある。そんな『セイバーがいるからバーサーカーがいる』と当たり前の結論に落ち着く。 そこで気が付く。これは夢だ、そしてバーサーカーの叫びでありバーサーカーの心そのものだ。 元々霊体であるサーヴァントは夢を見ないが、マスターとサーヴァントの間には霊的な繋がりがあって、寝ている場合にサーヴァントの記憶がマスターの夢に流れ込む場合があるらしい。 これがそうなんだろう。話に聞いてただけで一度も体験してこなかったが、俺が見ている夢にバーサーカーが途方もない大きさで割り込んでいるんだろう。 理解に後押しされたままセイバーの虚像からバーサーカーの実体へと視線を戻すと、バーサーカーの頭を覆っていた兜が中央から割れた。 左右に別れた兜が紅い地面に落下したから、本当ならそこにはバーサーカーの顔がある筈。だが、そこにあったのは初めてここを夢だと認めた時にあった黒い塊が頭の形のように輪郭を作っているだけだ。 これが俺の夢だったとしたら、見た事のないバーサーカーの素顔を見れる筈がない。 もしバーサーカーの夢だったとしても、狂っていながらも宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を常に稼働させて正体を隠し続けるサーヴァントだ。マスターの俺にも素顔を見せるとは思えない。 どっちみち、そこにある筈の顔は見れない。ただ紅く燃える両眼が黒い顔の中で炎のように燃えるだけだ。 貴様は、贄だ―――、もっと貴様の命を寄越せ―――、もっと貴様の血肉を寄越せ―――、我が憎しみを駆動させるために!! バーサーカーが叫ぶと紅い目が浮かぶ黒い顔に口が出来た。 キャスターの召喚する怪物の牙にも匹敵する乱杭歯がはっきりと見える。 首から下に見える鎧姿が辛うじて騎士の風体を見せてるが、首から上だけ見ると黒い塊に紅く光る目と大きな口だ。怪物と言われても納得できる。 俺はまた経過を飛ばして理解する。バーサーカーは俺を喰う気だ、と。俺の中にある魔力を喰らって回復する気だ、と。 そこで俺は時臣と戦っている間にアーチャーに変身したゴゴがバーサーカーの相手をしていたのを思い出す。もしかしてその時に消費した魔力があまりにも大きかったから、俺が気絶するぐらいの勢いで魔力を吸ってるんじゃないだろうか? ありえそうな可能性を思い描いていると、大きく開かれたバーサーカーの口が俺の首に迫る。吊り上げてる手で俺を引き寄せ、そのまま噛み付くつもりだ。 「ふざけるな!!」 その時―――夢の中で初めて俺の口から声が出た。 首を絞められて呼吸する事すら困難、声を出すなんて絶対に出来ない筈なのに声はちゃんと出た。 サーヴァントの膂力でしっかり首を絞めているのに獲物が声を出した。あり得ない状況に驚いたのか、バーサーカーの動きが止まる。俺はその隙をついて両手でバーサーカーの小手を握り締めた。 声を出すのも初めてなら、視線を動かす以外に体を動かすのも初めてだ。 ただし夢だから『掴んでる』と実感はあっても感覚が無い。そのおかしさを俺は利用する。 現実で俺程度の力でサーヴァントをどうにかできる筈がない。特にバーサーカーは七騎のサーヴァントの中で筋力が最高値。 そして筋力が決して高いとは言えないアサシンですら俺を軽く上回るのがサーヴァントだ。ただの人間と英霊にまで昇華した存在との間にはとてつもなく大きな壁がある。だからここが現実ならバーサーカーが片腕で俺が両手だろうと勝ち目はない。 でもここは夢だ。 必要なのは意思だ。『そう』と決める意思の力こそが、この夢の中で力を発揮する。本当はどうだか知らないが、俺は『そう』決めた。今、『そう』決めた。 「俺の魔力を喰らうのか? ふざけるなよ――魔力供給ならしてやる、お前の望みもかなえてやる! だが、一方的にやらせると思うなよ、この野郎!!」 俺が両手でバーサーカーは片手、数で勝ってるなら勝てない道理はない。現実がどうだろうと、ここでは『そう』だ。 乱杭歯が俺を喰おうとしてもその前に俺は拘束を抜ける。俺が『そう』決めた。一方的な搾取など許さない、『そう』決めた。 「お前は俺のサーヴァントだ。俺がマスターだ! 狂ってるからって何でもかんでも好きに出来ると思うなよ。俺とお前は運命共同体だ、お前が俺から魔力を吸うんじゃない、俺がお前に与えるんだ! 間違えるな!!」 強く強く、両手でバーサーカーの小手を握り締める。俺の筋力は一年でかなり上がったが、鎧に出来るほど頑丈な金属を握力だけで破壊できるほど強くはない。 でも夢なら壊せる『そう』決める。心の中で強く『そう』願う。 十本の指でぎりぎりとバーサーカーの腕を握り締める。きしむ音は鳴っていると『そう』思い込む。 するとほんの僅かにバーサーカーの手の力が緩み、吊り上げられていた俺の両足が紅い大地に付いた。まだバーサーカーの手は俺の首を絞めてるが、最初に比べれば軽くなっている。 足のかかとまでは付いてないが、両足の計十本の指が大地を踏みしめて今まで以上の力が出せる。バーサーカーの拘束が抜けてない状態でそんな事は出来ないとかどうでもいい、出来ると俺が『そう』決める。 俺は右手だけをバーサーカーの小手から離して、手の中に二等辺三角形の小瓶を持つイメージを頭の中で描いた。小瓶に入っている蒼い液体の名前は『エーテル』、ブラックジャック号の中にいる男から貰える魔力回復の道具―――つまりゴゴが魔力で作り出してる道具だ。 俺は半人前の魔術師だから魔力で何か物体を作り出す技量なんてないし、無手の状態から何か道具を取り出せるマジシャンでも無い。素手は素手、何も持たない。 だけどここは夢だ。 ある意味で何でもありの夢の中だ。 俺は右手に『エーテル』があると決める、『そう』決める。 「さあ、俺の魔力と一緒に持っていけ!!」 俺を喰うために開かれたバーサーカーの口の中に向けて『エーテル』が入った小瓶ごと右手を思いっきり突っ込む。『そう』イメージする。 殴る勢いで叩きこんだからバーサーカーの乱杭歯が二三本折れて、顎が砕けるかもしれないが、知った事か。 俺は屈しない、負けない、立ち止まらない、誰が相手だろうと―――、俺の命が消える最後の一瞬まで戦う―――。『そう』決めた。 「・・・んお!!」 変な掛け声を出してると意識が一気に覚醒へと向かう。 戦いに身を置くなら無茶でも自分を覚醒させて、すぐに置かれてる状況を理解する。そうでなければ殺される―――それがこの一年で何度も味わった苦い体験に基づく戦いの気構えだ。 なお目覚めると同時にゴゴに殺され直した事は一度や二度じゃない。 地面に横になってる状況から上半身を起こしたのは判ったから武器を捜す。十センチほど右横にアジャスタケースがあったから、すぐに蓋を外して中から魔剣ラグナロクを引き抜いた。 武器を持ちながら辺りを見渡せば、左側には屈んで横になってた俺を覗き込んでたらしい桜ちゃん。少し離れた位置にはティナが居て、俺を挟んで正反対の位置にはもう一人のゴゴのストラゴス・マゴスがいる。たぶん、両側に立ってる二人は見張りだろう。 そして桜ちゃんの後ろに青と茶色と白が混ざったモノが集まって山を作ってた、全部ミシディアうさぎだ。 場所は冬木市―――に見えるゴゴの固有結界の中で、周りに俺たち以外の人影はない。戦闘は起こってなくて、援軍も、敵の姿も、味方も、正体不明の第三者の姿もいない。 どれだけ夢を見ていたかは不明。ただ、倒れた状況と守られてる状況を理解する。 そこで俺は夢を見る直前に何をしていたかを思い出す。 俺を含めたこの四人で遠坂邸を出発し、そこからセイバーに標的を定めて移動を始めたんだ。 バーサーカーの夢を見る前からセイバーに異常なまでの執着を見せてる事は知っていた。史実を知ればそれも納得できるし、倉庫街で勝手に動いたのがそのいい証拠だ。 予測は夢を経て確定に変化した。 バーサーカーには聖杯に託す願いが無い。いや、この聖杯戦争に招かれた時点であいつの望みを叶える為の道筋が出来上がってしまって、そこに聖杯が入り込む余地は無い。 聖杯戦争こそが英霊の座に留まり続ける限りは絶対に叶えられない願いの切っ掛け。 これは縁? 繋がり? 偶然? 運命? さまざまな言葉で表現できるから、俺にはどんな言葉が的確なのか判らない。判るのはバーサーカーの心は願いを叶える事を望み、それは聖杯に託すものじゃないって事だ。 遠坂時臣と葵さんの問題がとりあえずは一段落してしまったからだろうか、俺は自分でも驚く位に心穏やかでいた。色々な事がどうでもいいと思ってると言い換えてもいい。 だからバーサーカーの願いを叶える為に協力してもいいと思っている。断る理由が見つからないから、あいつの為に何とかしてやろうと思う俺がいる。 だから俺達はセイバーを倒す為に移動し始めた。 ケフカ・パラッツォをどうにかしなくていいのかとティナに聞いたら、向こうは向こうでゴゴ本人が対処してるらしいから問題ないとか。 別の形をしていてもゴゴが自分で自分を殺す。さっきの夢のように何ともおかしな状況だ。 セイバーの居る方向なんだが。遠坂邸から向かって左方向―――遠坂邸から見れば、キャスターが暴れてる未遠川もケフカが現れてるらしい冬木教会は向かって右方向になるので、戦場からは確実に遠ざかってる。 本当にこっちにセイバーがいるのか? それもティナに聞いたら、何でもセイバーの居場所は冬木市に見える固有結界の中を監視するミシディアうさぎが常に捉えてるから、絶対に間違いないのだそうだ。 それで納得した俺は周囲を警戒しながら歩き始めたんだが、桜ちゃんが俺から離れたがらなかった。 そうだ、桜ちゃんが俺にしがみ付いてたから、アジャスタケースを横にしてそこに乗せながら背負った。思い出した。 小さな手で必死にしがみ付いてくる。 その姿を見て守りたいと思った。 俺を掴み手に報いたいと思った。 その思いに応えたいと想った。 戦場にいるならゴゴと一緒の方が安全だと理解しながら―――魔石を使った戦いなら桜ちゃんの方が俺よりも強いって判っていながらも―――俺は桜ちゃんと一緒にいるのを選んだ。 そうだ、夢でバーサーカーの中にいる時に『そう』決める前に、もう俺は『そう』決めてたんだ。 とりあえず周囲が安全なのを確認した後に俺自身の事を確認する。胸の前が汚れ、頬が少し痛む。どうやら、桜ちゃんを背負ったまま前倒しに倒れて頭から道路に突っ伏したらしい。 体をねじって横に倒れれば痛みは少なかったんだろうが、背負った桜ちゃんが傷つかないようにそのまま倒れたと考える。意識はなかったが自分で自分をほめてやりたい。 「雁夜おじさん・・・・・・、だいじょうぶ?」 「ん、もう平気だよ桜ちゃん」 いきなり俺が倒れたなら、背負われてた桜ちゃんにも怪我があるかもしれない。心配そうに見上げてくる桜ちゃんの顔を見ながら全身も一瞥する。 擦り傷や切り傷などの怪我は見当たらず、着てる服にも汚れは無い。ティナが治したか、それとも最初から怪我なんてしてなかったか。俺が心配するような外傷はなかった。 俺は魔剣ラグナロクをアジャスタケースに戻しながらゆっくり立ちあがる。バーサーカーが俺の魔力を気絶するぐらい強烈に吸い取ったならふらつきや何らかの異常があると思ったが、予想に反して俺の肉体は何事もなく動いた。 戦いの途中だから快眠からの健やかな目覚めとは言い難いが、それでも異常らしい異常はない。 バーサーカーが魔力を吸い続ける兆候もなく、気持ち悪く感じるほど何もなかった。むしろさっきの夢が何だったのかと疑う。 寝ている間にティナが何かしたのか? そう思ってティナの方を見ると俺の方に近付いていた。 「大丈夫みたいね」 「ああ・・・。俺が気絶してる間に何かあったか?」 するとティナは意外な言葉を口にした。 「覚えてないの? 何かしたのはあなたよ、雁夜」 「・・・どういう意味だ?」 「眠っている間に桜ちゃんの手を握って貴方が『アスピル』を使ったの。魔力が充実してるのは桜ちゃんから吸い取って余剰分をバーサーカーに分け与えたからよ」 「・・・・・・・・・本当か?」 間をおいてからティナに問いかけると彼女は無言で頷いて肯定を示した。 この状況で嘘や冗談を言って場を和ます可能性をほんの少しだけ考えたが、ゴゴはそんな悪趣味な事を言う存在じゃないと即座に否定する。まるで実感は湧かないが、語られた言葉は全て真実と受け止めて間違いない。 つまり欠片も覚えていないが、俺は桜ちゃんに無断で魔力を吸い取った。他の誰でもない桜ちゃんの魔力を利用した。 遠坂時臣との戦いの時にティナから魔力をもらった時は予め決めておいた戦闘手段の一つだったが、これは状況が全く違う。桜ちゃんの意思を無視して魔力炉として扱ったんだ。 俺は思わず桜ちゃんの方を見るが、遠坂の件の後から沈んでる表情を見た瞬間に申し訳なさと後ろめたさと罪悪感を混ぜ合わせて増量したような気持ちが俺の中から一気に湧き出た。 俺が夢の中でバーサーカーに喰わせる魔力を求め、それが『アスピル』の形で顕現した。そう理由付けをしても、これは桜ちゃんの心を蹂躙したのと何ら変わりがない。 次の聖杯戦争のために間桐の魔術師を生むための胎盤としか思っていなかった間桐臓硯のように―――。 桜ちゃんの思いを踏みにじって、その身に宿る魔術師としての才能しか見なかった遠坂時臣のように。俺は無意識の内に奴らと同類になってしまった。 「ごめん」 いっそ自分で自分を殺してやりたいとさえ思いながら、俺は桜ちゃんに向けて頭を下げる。 もうやってしまった事だ。謝ってすむ話じゃないのは理解しているが、それでもまずは謝らなければ始まらない。 どんな罰でも受けよう。どんな罵りだろうと聞こう。それだけの事を俺はしてしまったんだから。 「――いいの」 けれど頭を下げた俺に対して、上から降り注いだ言葉は俺が予想していた言葉とは全く違っていた。 「いいの、雁夜おじさん・・・」 頭を上げると、まず飛び込んできたのは今にも泣きだしそうな桜ちゃんの顔だった。 捨てられた子供が―――いや、事実、遠坂夫妻から見捨てられた桜ちゃんが言葉以外に全身で話す。 言葉は少なく、表情は悲哀や落胆よりもむしろ無表情に近い。それでも桜ちゃんから溢れんばかりに感じる雰囲気が全てを物語っていた。 「いいの・・・・・・・・・」 いいの、いいから、見捨てないで―――、と。 俺は桜ちゃんの目から涙が溢れるより早く、触れた途端に壊れてしまいそうな小さな体を抱きしめた。 俺が桜ちゃんを見捨てる? そんな事はある筈が無い。たとえ、この世の全てが桜ちゃんの敵に回ろうと、俺は絶対に桜ちゃんの味方だ。 「大丈夫だよ、桜ちゃん――。誰かを嫌ったっていい、悲しんだっていい、笑ったっていい、怒ったっていい。でも溜めこんじゃだめだ、俺はどんな桜ちゃんでも絶対に味方だ、約束する」 最初は俺が間桐を捨てたせいで桜ちゃんがその犠牲になった罪滅ぼしだったかもしれないが、今はそれ以外の想いがある。 護りたい。そう心が叫んだ。 腕の中にあるのは子供らしい少し高めの体温。この小さな女の子を救いたいと、以前とは違う気持ちながら同じ結論に辿り着いた。 そして。恩に、努力に、憤怒に、攻撃に、罪に、慈愛に、労に―――報いなければならない。とも心が叫ぶ。 それは俺が胸を張って桜ちゃんの前に立つ為に絶対に曲げたらいけない摂理だ。 桜ちゃんを守り救う。その上でやらなきゃいけない事が俺にはある。 桜ちゃんは黙って俺の言葉を聞いてたけど、俺の胸の辺りに顔を押し付けて震え出す。それが泣いている姿なんだと見なくてもわかった。 遠坂時臣の炎でかなり焼け焦げてるけど大丈夫かな? などと場違いな事を考えつつ、桜ちゃんが泣き止むのを待つ。 すすり泣く桜ちゃんの体をしっかり抱きしめたまま三分から四分ほど時間が流れる。落ち着いたのを見計らった俺はゆっくりと両手をほどきながら、桜ちゃんの両肩を掴んで引き離す。 そして桜ちゃんの両目を見つめて言った。 「桜ちゃん・・・」 「・・・・・・うん」 泣いた後だから目が少し赤くて、返ってきたのは涙声だった。 「遠坂の問題が終わって・・・。本当なら、もう桜ちゃんも俺も危ない目に合わなくていいんだけど――。おじさんにはまだやる事があるんだ」 一度、桜ちゃんから目を離して斜め後ろを振り返る。 マスターとしての俺がそこにいるであろうサーヴァントのバーサーカーを感じる。見えないが、霊体になってそこに浮遊しているだろうバーサーカーを感覚で理解した。 そこにいるバーサーカーが俺を通して桜ちゃんの魔力を吸収して復活してるのを認めると、すぐに桜ちゃんに視線を戻して言葉を続ける。 「俺はバーサーカーの願いを叶えてやらないといけない・・・。ゴゴの思惑があったとしても、あいつは俺の願いに応えてここまで戦ってくれた。だったら、俺もマスターとして応えないといけないんだ――。それが俺に出来る精一杯の義理なんだ」 俺は聖杯なんて興味が無い。戦いに喜びを見出す戦闘狂でもない。でも義理は果たすべきだ。 今後の方針を直接桜ちゃんに向けた言葉にしてこなかった。 俺たちにとって桜ちゃんは戦力ではなく庇護対象。だからわざわざ言葉にしなかったけど、言わなければならない。 「だから、もう少しだけ怖い目にあうかもしれないけど、我慢してくれるかい? 絶対に俺達が守るからさ」 まだ郊外の森にアインツベルンが拠点を構えていた頃。桜ちゃんは見た事のない子供が聖杯戦争の犠牲者になると知って、ゴゴに救いの手を求めた。 知ってしまった以上、誰かの犠牲の上に自分が立つことを望まない。桜ちゃんがそう思うなら、俺もバーサーカーを踏み台にして安全を手に入れるような真似はしちゃいけない。 バーサーカーを自害させて、一足先に『聖杯戦争のマスター』なんて物騒な状況からは足を洗った方が桜ちゃんの安全を確保できると計算出来ていたけれど、桜ちゃんの前に立つ俺はその選択を除外しなければならない。 一人の男として、一人の大人として、一人の人間として、胸を張れ。桜ちゃんがどんな選択をしても受け入れられるぐらい強くあれ、間桐雁夜。 桜ちゃんは少しの間黙っていたけど、もうしばらく戦いが続く事を承諾してくれたようで、小さいながらもはっきりと頷いてくれた。 その返事をしてくれると信じていた。だから俺も応えようと思える。 結果的に俺が気絶してから時間がかなり経ち、一息ついて体調を整える位の時間は確保できた。 思えば、ほんの少し前まで遠坂時臣と殺し合いをやっていた。バーサーカーの夢を見ていたからか、酷く長い時間が経過したように感じる。 気を持ち直して立ち上がりながら、俺はもう一度斜め後ろを振り返ってバーサーカーがいるであろう場所を見る。 狂戦士として召喚されたこの英霊にも意思がある。今のバーサーカーは召喚する時につけた狂化の属性に支配されて狂ってるが、それが原因で他の事を排除して渇望する願いだけを凝縮して、それだけを追求してる状態だ。 バーサーカーは俺が『桜ちゃんを救う』に集中するのと似ていた。 あいつの意思は俺と似ている。 間桐臓硯の陰に生まれていた間桐雁夜。セイバーの輝きが作り出す影の中にいるバーサーカー。 遠坂時臣の栄華に呑まれ憎悪していた間桐雁夜。光り輝く英霊となったセイバーを呪い続けたバーサーカー。 ただの人間でしかない上に、半人前の魔剣士の俺を英霊と同格に扱うなんてありえないんだが。俺はそう思った。 俺が寝ていた時間も含めても、遠坂邸から移動を初めてから一時間も経ってない。その間にも俺の心は劇的な変化を遂げ、元々俺の中にあった『間桐雁夜』がどんどん別の形に変わっていくのを実感した。 いい方向なのか悪い方向なのかは別にしても、大きな経験は人を変える。それを俺は身を以て体験している最中だ。 さあ行こう―――。 また魔剣ラグナロクが入ったアジャスタケースを桜ちゃんを背負う土台にして、桜ちゃんを背負い直す。そして意気揚々と歩き始めた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ しっかりと間桐雁夜の肩と首に手をまわして体を固定する遠坂桜の姿が見える―――。そんな二人の後ろを追いかけるゼロを筆頭にしたミシディアうさぎ達の姿が見える―――。 先導するティナの視点では彼ら二人と一匹の様子は見れないが、背後からの敵を警戒するストラゴスの視点では時折その光景が見える。 二人と一匹の様子を観察するゴゴは予め定めていた方針を変えなければならないと感じていた。 次の標的をセイバーに定めていた点ではない、ものまね士ゴゴの根底にある物真似そのものをどうするか? という点だ。 どう変更するか? それを定めるために間桐雁夜が何を思い、何を語り、何を決断するか。遠坂桜が何を行い、何に泣き、何と戦うか見る必要があった。 状況は刻一刻と姿を変える。そのたびに知るべきこと山のように増える。 結果、遠坂桜がお気に入りの縫いぐるみの様に離さずに居続けたミシディアうさぎを手放し、その代わりに間桐雁夜にしがみ付く状況を目撃できた。 「やはり子供には頼れる大人が必要じゃゾイ」 先を行く彼らに聞かれないようにストラゴスは小さく呟いた。 「これも人の意思じゃな。予定は未定――、全てが思うとおりに進むとは限らんゾイ」 ストラゴスの口調は間桐臓硯として過ごした一年間の口調そのものであり、喋れば過ぎ去った一年が一瞬前の事のように連動して思い出せる。 雁夜にとっては何度も死んで、何度も生き返って、何度も叩きのめされて、何度も起き上がって、何度も鍛えた一年だった。きっとこれまで生きてきた人生の中で最も濃密な一年だったに違いない。 遠坂桜にとっては遠坂から養子に出され、蟲蔵と言う地獄を見て、ゴゴとの邂逅によって激変し、間桐邸での新しい生活をはじめ、胸の中に『私は両親から捨てられたの?』と答えのない疑問を抱え続けた一年だっただろう。 しかしゴゴにとっての―――間桐臓硯にとっての一年は常に物真似し続ける一年だった。それは今も変わらない。 手に入れたモノは数多く、かつて生きた世界では考えられないような多くのモノを物真似した。 物真似して、物真似して、物真似し続ける。ものまね士ゴゴとしての在り方を違えた事は一度だって存在しない。 だからこそ一つの物真似が終わるのはゴゴにとっての当然であり、また新たな物真似を探し続けるのもまた当たり前に起こってしまう現実だ。 ストラゴスは遠坂邸での戦いを終えてから、強く感じていた。 かつての世界から逃げ出して、この世界にたどり着いてから物真似し続けた一つの出来事が終わろうとしている―――。と。 「・・・・・・名残惜しいが仕方ないゾイ」 始まりがあれば終わりがある。それは強大な力を有しているゴゴにとっても避けようのない事象だ。 それがゴゴが成し遂げようとしていた形に収まっていないとしても、終わりは終わりとして向かってくる。ならば、それを受け入れなければならない。 終わったら別の物真似を探して始めるだけだ。 そうやって一応自分を納得させたストラゴスは左右を見渡し、固有結界のせいで一般人がいなくなった冬木市の静けさを目に焼き付ける。 キャスターが巨大海魔を召喚した未遠川とそこに架かる冬木大橋。ケフカがアーチャーと戦っている冬木教会。そのどちらでもなく逆方向を目指しているのは訳がある。 住み慣れた間桐邸の位置を知っている雁夜と桜ちゃんは遠坂邸から間桐邸に向かっていると思っているかもしれないが、目的地はそこではない。 いや、正確に言えば移動している先に目的地は存在せず、あるのは目的の『者』だ。『物』ではない。 二人はそれを話していないのでこの先に何が待ち構えているかは判ってない筈だが、危険な何かが向かう先にあるのは言わずとも判っているだろう。セイバーを目標に定めているとは知っているから、向かう先にセイバーがいるのは判っている筈。 その『者』がこちらの向かう先に向かわされたのは明らかにケフカの意思が場をかき乱したからだ。ストラゴスとしては決して悪いことではなくむしろ望む状況ではあるが、ケフカの掌の上で踊っている気がして何とも気持ち悪い。 これがなければセイバーがいた筈の未遠川に向かったのに、ケフカの意思によって向かう方向を狂わされた。 さっさと向かう先にいる『者』との問題を片づけて、冬木市を覆っている結界の術者であり倒すべき敵でもあるケフカをどうにかしよう。 そんな風にストラゴスが考えている内に、間桐邸の近くを通り過ぎて更に先へ先へと進んでしまう。 先を行く桜ちゃんを背負った雁夜がティナに話しかける。 「いいのか? 一度家に帰らなくて――」 「いいの。私たちが向かう先はそこじゃないから」 「・・・・・・そうか」 短いやり取りで会話は止まり、再び、無言で歩き続ける状況が生まれる。 時間経過と共に雁夜に背負われていた桜ちゃんを少しずつ落ち着きを取り戻し、一戦を終えていろいろな意味で感情がぐちゃぐちゃになっている雁夜も落ち着いてきた。徒歩なので肉体的な疲労は発生するが、与えられた時間は一時的に精神的な平穏を与えたようだ。 どんな大きな感情であろうと、時間はゆっくりとそれを癒してしまう。 無言のまま更に歩き続け、もう遠坂邸も間桐邸も肉眼で確認できないほどの距離を移動してしまった。辺りから雑木林や更地が消え、代わりにビルが立ち並ぶ街並みが増えてきた。 そろそろ雁夜が今まで以上に『俺たちは一体どこに向かってるんだ?』と疑問に思い出すだろうが、それが問いかけとなって放たれはしない。何故なら、もうすぐそこまで待ちわびていた『者』が近づいていたからだ。 雁夜が尋ねる前に遭遇する。 こちらは徒歩だったので、向こうがもし自動車を使っていたら遭遇すら出来なかったが、あちらもまた現代の騎馬ではなく両足を使っての移動だったので移動距離はあまり多くない。 いかに魔力供給があればほとんど疲れ知らずサーヴァントの足と言えど、二本の足しかないので限界はある。 ストラゴスがそれを感知すれば時同じくティナもまたそれを感知した。 「・・・・・・・・・来たわ」 呟いて急に立ち止まったティナに合わせて雁夜もまた同じように静止する。立ち止まった場所は片側二車線の大通りの真ん中だ。 そして進行方向から見て右側―――道に沿って進めばいずれは冬木大橋に到達する方向へと体を向けた。 「バーサーカーの魔力を感知・・・、もしかして視野で動くのが私たちだけだから肉眼で確認した・・・のかな?」 ティナが呟いているとビルの屋上から屋上へと飛び移る人影が徐々に大きさを増していった。 最初からそこにいると認めたとしても、人の肉眼では確実に見逃す距離を隔てた向こう側から『者』がやってくる。 「・・・ん? 何だ?」 かなりの速度を出しているようで、十数秒が経過すればティナに釣られてその方角を見ていた雁夜も迫りくる『者』に気が付く。 何かが驚異的な速度で近づいてくる。そう認識すると、雁夜はいったん桜ちゃんを道路へと下ろして立たせると、台座にしていたアジャスタケースから魔剣ラグナロクを引き抜いた。 向かってくるのが誰であろうと味方だと確認するまでは警戒するのが当たり前だ。徐々に雁夜の緊張が高まっていくのが見るだけで判る。 最も近くにある雑居ビルの屋上から『者』が跳躍し、ついに自動車も歩行者もない道路へと着地した。 数百メートル、いや、数キロの距離を徒歩で移動してきたにも関わらず息の乱れは全くない。身に着けた武装にも身体的な異常も見当たらないので、どうやらここに移動してくる最中に回復魔術をかけてもらい、しかもいつもよりふんだんに魔力供給を行ってもらってかなり回復させたようだ。 ただし十メートルほど離れた場所に立つ表情は体の好調とは裏腹に醜く歪んでいる。端正な顔立ちは怒りを滲ませ、敵を見る目でこちらを睨んでいた。 「アイリスフィールをどこへやった!」 それが遠方から接近してきた『者』が最初に発した言葉。未遠川での戦いから令呪によって撤退させられたセイバーが放った最初の怒声だった。 肉眼では白銀の鎧を纏った彼女の両手には何も握られてないように映るかもしれないが、宝具『風王結界(インビジブル・エア)』を使い黄金の宝剣を隠しているだけで、抜き身の刃は敵を斬る武器としてしっかり握られている。 誰の目から見ても戦いにはせ参じたのは明らかだ。 「初めまして・・・」 それでもティナは挨拶から始める。 分身や監視網を形成するミシディアうさぎの視界越しに何度も何度も見ているが、ティナもストラゴスも、雁夜も桜ちゃんも、実際に遭遇するのはこれが初めてだからだ。 故にティナは話しながらも油断なく構え、ストラゴスも一工程(シングルアクション)の魔法を放てるように敵から目を離さない。 「私の名前はティナ・ブランフォード、いきなりの質問に答えるなら『わからない』と言うしかないわ」 事実、この場に限って言えばセイバーが何を言っているのか理解できる者はこちら側には一人もいない。予想は出来るがあくまで予想は予想で事実とは異なる。 ゴゴはセイバーが未遠川から撤退してここに来るまでの間に何が起こったかを正確には知らない。 そして残るすべてのサーヴァントとマスターでセイバー陣営に害するような者は全員ゴゴの作ったミシディアうさぎ監視網に引っかかって、何らかの行動を起こしていないことを知っている。 ゴゴ自身は知らない、ただミシディアうさぎの目を通して見ただけだ。ケフカがセイバーとアイリスフィールと共に撤退している最中にアイリスフィールだけ連れ去ったのだと―――。 やったのはケフカ。ゴゴは見ていただけ。『どこへやったか』と聞かれれば『知らない』と返すしかない。 「おのれ・・・どこまでも卑劣な。貴様らがアイリスフィールを連れ去ったのは判っているぞ」 完全に『間桐陣営』がアイリスフィールを奪い去ったと確信しているセイバーの怒りを見ると、言葉で説得するのが不可能だと思うしかない。 どうやらケフカはアイリスフィールを連れ去る時に自分が間桐に関連する者だとセイバーに言葉の毒を植えつけたようだ。 セイバーの移動があまりにも早かったので置いてけぼりを食いそうになったミシディアうさぎは近場での監視を行えなかった。結果、どんな会話が行われたかまでは判らないので、ケフカがセイバーに何を言ったのかは知らない。 確かに冬木教会では間桐臓硯がケフカ・パラッツォだと見せかけたし、今のケフカがゴゴの細分化された一部によって構成されて変質したモノである事実を考えると、間桐陣営がアイリスフィールを誘拐したのは間違ってはいない。 ただし正解とも言えない。 その辺りの込み入った事情を一から説明する気はなく、説明したとしても頭に血が上ったセイバーでは理解し納得してくれるかどうかは怪しい。そもそもカイエンがもうセイバーとは敵対関係なのだとはっきり宣言してしまった後だ。 正しい情報を教えたとしても、敵からの言葉なので嘘だと一蹴される可能性は非常に高い。 ならばこちらの用事を先に済ませてしまおう。 ストラゴスがそう思うのと、雁夜の前に狂戦士のサーヴァントが実体化するのは同時だった。 セイバーの接近時、そして二言三言の会話までは出てくるのを堪えられていたようだが、もう限界が訪れたらしい。 「ア・・・アアア・・・、アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」 後ろに立つマスターを守るように佇むのではなく、ただ目の前にいる敵を殺すために現れた狂戦士のサーヴァント、バーサーカー。何もかもを恨みつくす咆哮が形ある風のように唸り、黒い霧がバーサーカーを中心にして広がっていく。 無骨な兜に刻まれた細いスリットの奥に光る紅い輝きがセイバーを睨みつけ、右手にはアーチャーから奪った宝具が敵を殺す武器となり黒く光っていた。 「バーサーカー・・・」 現れたサーヴァントに対しセイバーは不可視の剣を構えたので、そこで会話は強制的に中断される。 戦う意思を持つものが聖杯戦争の舞台で集えば行われるのは闘争のみ。どんな意思が絡もうと、聖杯戦争の参加者として同じサーヴァントの枠で召喚されたならその業からは逃れられない。 セイバーの目がこの場にいる全員を睨みつけ、アイリスフィールの居場所を聞きたそうにしているがもう遅い。戦いは始まった。 「おじさん――」 文字通り降って湧いてきた敵の出現に、雁夜の後ろに回った桜ちゃんが泣きそうな声で言う。 雁夜は左手でしがみついてくる桜ちゃんの小さな肩を抱きしめ、魔剣ラグナロクを持った右手を前に出して言った。 「間桐雁夜が令呪をもって命ずる」 「雁夜?」 「バーサーカー、お前の剣でお前が望む通りに戦え!!」 セイバーとの戦いをどうするか? その辺りの方針はゴゴと雁夜との間で話された事はなく、どんな戦い方でどんな決着をつけるかも決めていない。 だから雁夜が令呪を使うのはティナにとってもストラゴスにとっても予想外だった。 今までの雁夜では考えられない自発的な行動だ。意外すぎる急展開だ。 遠坂時臣との戦闘と、遠坂葵との邂逅を経験して、雁夜の中で今までにない何かが芽生えたのだろうか。 魔剣ラグナロクと言えど剣の英霊に対して剣で挑めば負けるのは必然、魔法を使っても雁夜程度の使い手ではクラス別能力の高い対魔力を突破できない。そう思えばバーサーカーに本領を発揮させてすべて任せるのは悪い手ではない。 意外な命令をした雁夜に驚きつつも、定められた道筋を辿るのではなく、雁夜自身がそう決断して未来という道を選んだ事実そのものには喜びを感じる。 これで、ものまね士ゴゴの物真似が終焉に向けて更に進んだ―――。雁夜はティナとストラゴスが共にそんな事を考えているなど露とも知らず、ただ目の前の敵をバーサーカーの肩越しに睨みつけていた。 二画目の令呪に従い、バーサーカーはこれまでずっと持ち続けていたアーチャーの宝具を手放し、道路へと落下させてガランと音を鳴らす。 元々はアーチャーの宝具だった剣がバーサーカーの簒奪宝具『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』から離れ、魔力の粒子となって虚空へ消えていった。 無手となったバーサーカーの変化はそこで終わらず、今度は黒い霧でもって己のステータスを隠蔽するもう一つの宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』の効果も閉ざされていく。 元々バーサーカーは他人を装って武勇を立てた逸話を幾つも持ってる英霊だが、狂化の属性付加のために『変身』が『偽装』にまで劣化してしまっていた。 その偽装が消えていく。 眼前に立つ敵を油断なく見据えるセイバー。彼女は倉庫街の戦いでバーサーカーに敗北寸前にまで追い込まれたからこそ、隙を見つけようと強く見入ってる。 そんなセイバーの前でバーサーカーの変化は続く。 全身を覆っていた黒い霧が晴れていき、バーサーカーが身に着けるフルプレートアーマーの細部が徐々に姿を見せていった。 「え・・・・・・・・・」 宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』が解除されるごとに硬質な金属で構成された甲冑の一部一部が次々と姿を現す。 手、足、胴、肩、下腹部、胸部、上半身、そして頭部。皮膚など全く見えない黒い霧の奥に隠されていた漆黒の鎧が暴かれていく中、バーサーカーの口から雄叫びとは異なる声が轟いた。 「ア、アア・・・、サァ・・・・・・」 「貴方は──、そんな──」 セイバーの顔が徐々に驚きで染まってゆく。 その動揺を更に後押しするように、黒い霧を完全に消し去ってフルプレートアーマーを完全に曝け出したバーサーカーが右手に自らの宝具を顕現させた。 二つの宝具がこれまでバーサーカーの正体を完全に隠し通してきたが、それらはバーサーカーの真の宝具に眠らせておくだけの能力にすぎない。簒奪と変身、これらの宝具を封印して現れる宝具こそが―――周囲を覆っていた黒い霧が凝縮したような黒色と紫色の剣こそがバーサーカーの真の宝具だ。 それは剣の英霊であるセイバーがその剣を晒した瞬間に真名を悟られるように、その剣を晒すだけで真名を知られてしまう宝具。 人ならざる者によって鍛えられた、決して刃こぼれしない無窮の剣。 宝具保持者のステータスを1ランク上昇させるだけではなく、龍の因子を持つ英霊には絶対的な効果を発揮する剣。 本来は聖剣だったが、同胞だった騎士の親族を斬ったことで魔剣としての属性を得てしまった黒く輝く剣。 犯した罪を忘れぬように常に鍔に黒い鎖が巻き付いている剣。 名を―――無毀なる湖光(アロンダイト)。 「まさか、貴方は・・・」 その剣をセイバーが知らぬ筈はない。 他の誰でもない、持ち主であるバーサーカーを除いて誰よりもその剣が何であるかを知るセイバーが気付かない筈がない。 その剣を持つのが誰なのか判らない筈がない。 セイバーの朋友(とも)であり、誰よりもセイバーに近かった円卓の騎士を間違える筈がない。 「アァァァァサァァァァァァァァァァァァァ!!!」 これまで響いていた雄叫びとは性質の異なる肉声が、ブリテンの伝説的君主アーサー王の名を呼ぶ。そして響いた大音響に合わせ傷一つ無かった筈の兜の中心に紅い線が走った。 まるで兜そのものに自意識があるように刻まれた紅い傷に沿って左右へと別れていく。 知れ―――、これが私だ―――、お前の前に立つ敵だ―――、私こそがバーサーカーだ―――。と言わんばかりに素顔が晒され、兜の中から現れた肩に触れる長髪がぱらりと揺れた。 元々は長髪の美丈夫だったであろう顔の造形は狂化の属性付加によって怒りに歪み、大きく見開かれた目と口の中に並ぶ乱杭歯が鬼の形相を作り出している。 二つに別れて落ちた兜が道路に落ちる頃、ようやくセイバーが彼の名を呼ぶ。 「湖の騎士(サー・ランスロット)・・・・・・」 セイバーはここにきてようやくバーサーカーの真名へと至るが、遅すぎる理解というしかない。 サーヴァントのステータスを隠す能力に加え、黒い霧はフルプレートの鎧の全体像を隠していたが、全てが見えなくなった訳ではない。 佇まい。身の丈。偽装宝具。何よりセイバーは一度、倉庫街で実際に剣を合わせている。 無毀なる湖光(アロンダイト)を見る前でも予測できる材料は幾つも揃っていた、気付こうと思えばバーサーカーの真名に気付けた筈。確信はなくても、そうかもしれないと予測できた筈。 けれどセイバーはそれをしないで、ここにきて隠しきれない動揺に打ちのめされた。 おそらく、ランスロットがバーサーカーで召喚される筈がない等と勝手な思い込みで目を曇らせたのだろう。 予想すらしていなかった敵の出現に不可視の宝剣を握る両手がほんの少しだけ下がる。ティナとストラゴスは戦うのを嫌がるように動いたその手の動きを見逃さなかった。 これが召喚された英霊の宿命だ、かつての友が別々のサーヴァントとして召喚されたなら戦わなければならない。その覚悟がなければ最初から戦うな。同じ苛立ちが二人の脳裏を掠める。 「行け、バーサーカー!」 セイバーへの憎しみも手伝い、雁夜の声を聞くと同時にバーサーカーは無毀なる湖光(アロンダイト)を構えて駆け出した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ケフカ・パラッツォ 「むひほほほほほ、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」 手加減しない『裁きの光』を放ったら、それは呆気なく乗る飛行機械ごとアーチャーを撃ち落とした。 乖離剣エアを握りしめた状態ながらも何とか回避行動をとったようだが、上空に静止した状態から避けようとする試みはあまりにも鈍重だった。 空を最高速度で動き回っていたなら直径数十メートルの黒いレーザーを避けられたかもしれないが、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)に寄せる信頼と英雄王自身の慢心故に動きを止めてしまい。結果、直撃を避けられなかった。 何と心地いい感触か。 何と気持ちいい衝撃か。 思った以上の威力が出てしまい。かつての世界で手に入れた三闘神の力とこの世界の宝具の力を融合させた『裁きの光』はアーチャーと飛行機械だけではなく、結界をも突き抜けてしまった。 それもまた楽しくて、面白くて、愉快で、痛快で、愉しくて、可笑しくて可笑しくてたまらない。 すでに足場にしていたテュポーンはアーチャーの攻撃で両断された。だからケフカは降り立った地面の上で堪えきれずに何度も何度も笑ってしまう。 「でも今はまだ壊れちゃ困るのだー。治して、直して、なおして、その後でゼ~ンブ ハカイだ!」 目には見えないが、『裁きの光』が通り抜けた個所は空に巨大な穴を開けてしまっている。 それを直して、いずれ壊す。 今は修復して、いつかは破壊する。 結界の外側にまで飛び出した極太のレーザーが周辺の環境や空を焼き尽くしてるかもしれないが、今はそんな事を考えるべき時ではない。むしろ黒いレーザーが結界の外の何かを壊していれば面白いと思っておく。 もしかしたら斜め上に向けて放った『裁きの光』のとおる先に飛行機がいて墜落したかもしれない。 もしかしたら地球の重力に引かれた『裁きの光』が湾曲してして人の住む場所に直撃したかもしれない。 もしかしたら沢山の命が『裁きの光』で消え去ったかもしれない。 かつては世界の一つを完全に壊した『裁きの光』だ、むしろ被害が出ている方が当然と思うべきだ。 そうなったらいい。それでいい。今はそう考えるだけでよかった。 喜びに胸を高鳴らせていると、光を放ちながら砕けて折れて落下していく飛行機械だったモノが見えた。 石油やガソリンが燃料の車だったならば爆発するのが普通だが、どうやらあの飛行機械は燃料そのものが既存の機械とは異なるらしく、壊れる様も現代の機械とは大きく異なっている。 それでも壊れた事実は覆せない。地表が近づくと壊れた部分から黄金の粒子へと変わっていってしまい、溶けるように消えて行ってしまった。 その様子はサーヴァント消滅を思わせ、あの飛行機械もまた魔力で編まれて作られた物体なのだと確信させる。 ケフカが結界を作り直すのとは対照的に空を舞う黄金の舟は跡形もなく消え失せる。残るのはゴトン、と音を立てながら道路の上に落下して満足に着地もできなかったアーチャ―だけだ。 身に着けた黄金の鎧が衝撃の大半を吸収したか、それとも回避行動と同時に飛行機械を上向きにして盾として防いだか。確実に『裁きの光』を喰らいながら、五体満足で現界出来ているのはケフカですら感心する頑丈さだ。 だが黄金の鎧はあちこちが崩れて砕けて壊れてしまい、至る所から紅い血を流して起き上がる気配すら見せない様子はどう見てもサーヴァントの消滅一歩手前だ。 悠然と佇み自分以外の全てを『雑種』と言い切っていたアーチャ―が無様に寝転がっている。 傷つき、道路に横たわり、血を流し、泥にまみれ、起き上がれない。 「さっき雑種と言われたのは許してあげましょう。何故なら! お前は! 雑種以下だからだー!! ホワッホッホッホッホッホッホホホホホホホ!」 英雄王ギルガメッシュの燦然たる有様は見る影もない。その様が面白くてケフカはまた笑う。 しかしいつまでもそんな状況が続く訳がないとケフカは理解していた。何故ならアーチャーは健在で、サーヴァントの霊格は今も元気に輝きを放っている。 今のアーチャーはこれまで味わったことのない衝撃でほんの一瞬だけ気絶しているだけだ。 すぐに復活する。 すぐに立ち上がる。 すぐにケフカ・パラッツォを殺すために蘇る。 英雄王の辞書には雑種を前にして屈する状況など存在しないのだから。 時間にしてたったの五秒。ケフカの笑い声の余韻がまだ残っている間にアーチャーの手がピクリと動いて蘇生の予兆を知らせる。 そこからは一秒もかからず、一気に起き上がって英雄王ギルガメッシュの健在を示すかのように堂々と立つ。気絶して横たわっていた数秒間を見ていなければ、傷つきながらも悠然と立っていると錯覚してしまいそうな見事な佇まいだ。 「雑種――」 怒気と殺意が入り乱れ、放たれた言葉そのものに攻撃性が含まれていた。気弱な人間が聞けばそれだけで気絶してしまう禍々しい一言だった。 ケフカはアーチャーが気絶していた僅かな間に彼を殺すこともできた。 けれどケフカはそれをしない。 自分が殺されると自覚してない状態で殺してしまう程つまらないモノはない。それも破壊ではあるが楽しく面白い破壊ではない。 自分が殺されると、死ぬと、破壊されると、そう理解した上で死んでいく者の顔が、苦悩が、絶望が、楽しいのだ。 それにギルガメッシュはただの人間ではない、ただのモンスターでもない。太陽神シャマシュから美しい姿、嵐神アダドに男らしさを与えられた三分の二が神で、三分の一が人間の半神半人の存在なのだ。 もっと簡単に言えばものまね士ゴゴもケフカ・パラッツォもこれまでに出会った事のない存在だ。 こんな面白いモノを相手にして楽に終わらせていい筈がない。 もっと、物真似の種を見せろ。 もっと、苦しんで苦しんで苦しんで、苦しんだ果てに破壊されろ。 「もはや肉片一つ、血の一滴、存在の欠片すら残さぬぞ!!」 アーチャーの顔には憤怒の表情だけが浮かんでいた。 その意思に反映するように落下して気絶しても離さなかった剣が再び回り始め、また天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を放つための準備が始まった。 それだけではなくアーチャーの背後にはこれまでにない数の王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の砲門が浮かび上がって空を金色に染め上げる。 ケフカの視界には黄金の輝きしか見えず、本来の空は金の光で覆い尽くされてしまう。 ただし、さすがの英雄王と言えど、アーチャーのサーヴァントとして現代にコピーされた状態では力が制限されてしまう。宝具の全開二重起動は無茶だ。 するとケフカを射殺さんばかりに睨み付けていたアーチャーが誰もいない上空へと視線をやった。 「早く我(オレ)に魔力を献上せよ!」 誰もいない場所に向けた言葉は新しいマスターへの命令なのだろう。サーヴァントがマスターへと命令するおかしな状況だ。 冬木市どころかこの世界そのものを破壊し尽くさん勢いでアーチャーの魔力が高まっていくので、新しいマスターである言峰綺礼の腕に刻まれた沢山の預託令呪が盛大に消耗されているようだ。 それ自体が膨大な魔力を秘めた魔術の結晶である令呪がアーチャーの宝具を全力で使わせるための燃料として消えていく。 けれどアーチャーは判っているのだろうか? 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)も王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)も他に類を見ない強力な宝具で、双方を同時に使えばすべてのサーヴァントを一気に葬り去ることも可能だ。 だがケフカ・パラッツォはどちらの宝具も見た。ものまね士ゴゴはどちらの宝具も見た。 宝具のランク、魔術のレベル。それらが上がれば上がるほどに物真似しきるのは中々大変だが、一度見ただけでも物真似するのは決して不可能な事ではない。もともと存在した世界の魔法とこの世界の魔術との差異を埋める必要があるので、複数回見れば物真似の確実性を高めていくが絶対に必要な要素ではない。 極論すれば一度見ればそれはもう用済みだ。その一回限りで何もかもがものまね士ゴゴのモノとなる。 それが出来るからこそゴゴはものまね士ゴゴなのだ。 ケフカ・パラッツォの奥底にある『ものまね士ゴゴだった意識』はケフカの意識となり自らを結論へと導く。アーチャーが理解していない部分を言葉とする。 アーチャーの宝具を見るために攻撃を待ってやる必要などなく、わざわざ喰らって確かめる必要もない。敵として戦ってやる必要すらないのだ、と。 色々考えている内に英雄王ギルガメッシュではなくアーチャーのサーヴァントが放てる全力の溜めが終わったらしく、空を染める黄金の円柱から山ほどの宝具がケフカへと狙いを定め、大きく振り上げた異形の剣が攻撃の一歩手前まで準備されていた。 あれが振り下ろされると同時に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から数十、数百、数千の宝具も一斉に放たれる。 出来るかどうかは別問題としてアーチャーはケフカごとこの世界を破壊するつもりだ。周囲への気配りなど関係なく、出来うる全力ですべてを破壊しようとしている。 余人ならば躊躇するだろう破壊をその手に握りしめ、何の躊躇いもなくアーチャーの手が振り下ろされ、肉眼では数え切れない宝具の嵐が破壊を作り出すために発射された。 何の準備もなしのあの攻撃を全て喰らえばさすがの私と言えど消滅するだろう。 ケフカはそう淡々と状況を分析し、圧縮されて絡み合う風圧の断層が擬似的な時空断層を生み出す経過を見て、空から降り注ぐ宝具の雨もまた見た。 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)は変わりがない。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)も変わりがない。威力は今までの中で最強と言えるぐらいに跳ね上がっているが、事象そのものは何の変化もない。 その事実に落胆を覚えながらも、ケフカはある呪文を口にする。 「テレポ」 それは脱出可能なダンジョンおよびバトルから脱出できる魔法であり、次元移動魔法『デジョン』とは違う形の物体転移魔法だった。 ものまね士ゴゴにとっては仲間であり自分自身でもある、冬木市のあちこちに散らばった者たちにこの魔法は効果を及ぼさない。 ケフカのすぐ近くで状況を観察し続けているミシディアうさぎの群れにも効果は行き渡らない。 言峰綺礼のそばに送り込んでいるケフカ・パラッツォの力の一部すら必要ない。同士である言峰綺礼も必要ない。 たった一人―――。ケフカ・パラッツォはたった一人だけで迫りくる攻撃を回避すると同時に固有結界の中から脱出した。 世界そのものを亡ぼしかねない強力な一撃であっても当たらなければ意味は無い。たった一つの魔法でアーチャーの怒りと宝具を台無しにしたケフカは夜の冬木市―――戦いが始まる前と何も変わっていない冬木教会の前に忽然と現れる。 戦っている間にすでに世界は夜を迎え入れたようだ。辺りを照らすか細い街灯の光だけが光源となり、太陽も雲に隠れた月もアーチャーの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の輝きも全くない。 冬木教会には聖堂教会のスタッフが何人か詰めていた筈だが、言峰綺礼が行方不明になったので探索を開始したか、それとも教会で済ませるべき用事を全て終えてしまったからか、周囲に人影は無い。 誰かいれば天使と悪魔を融合させたようなケフカの姿に悲鳴の一つでも上げたかもしれないが、突然現れたケフカに驚いてくれる者は一人もいなかった。 「つまらん」 空に浮かんでいても人気のない状況は何も変わらない。 ただし、ケフカはこの世界から隔離された別の空間では劇的な変化が起こっているのを感じ取っていた。アーチャーが作り出した宝具の最大出力で二重の結界が跡形もなく消滅しようとしていると理解する。 穴を開けたり、斬って亀裂を入れたりするのではなく、結界そのものを破壊する暴虐の嵐が吹き荒れて結界を木端微塵に打ち砕こうとしている。 一度は結界を修繕したケフカだったが、本体が結界の外側に出てしまったので、もう結界を不要と思っている。むしろ、早く壊れて中にいる奴らが外に出てほしいとさえ考えている。 そう遠くない内に結界は破壊されて誰も彼もが外に出てくるだろう。そうなれば、また新しい破壊が、今度は結界など存在しない本物の破壊が、死のある破壊が産み出される。ものまね士ゴゴとしての意識に気を使って英霊の宝具を見る必要も手加減してやる必要もない。 それを考えるとケフカは待つ時間すら楽しくて楽しくて仕方がなかった。 翌日の遠足が楽しみで眠れない子供のような気分だ。 ただし、結界が消滅して結界の中に囚われていたすべての聖杯戦争関係者が現実の冬木士に戻ってくるまでにはほんの少し猶予がある。楽しい時間をもっと楽しくする、この猶予を使って面白い事をしよう―――、歓喜に胸を高鳴らせるケフカはそう結論付けた。 「ホワッホッホッホ」 特有の笑い声を辺りに響かせながら、ケフカは地面へと降り立って右手を前に出す。 伸ばされた右手の甲には何の痕も刻まれていないので姿勢に大した意味はない。ただ『これ』をやる時は大抵こういう姿勢を取るのだと知っているから物真似しているだけだ。 もうケフカ・パラッツォとものまね士ゴゴは別個の存在として確立してしまったが、ゴゴとして得た知識と経験は間違いなくケフカの中に渦巻いている。 だからその姿勢を崩さずに唱えるべき呪文も一語一句違えない。 「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を、四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」 ケフカの脳裏に蘇るのは間桐邸地下、蟲蔵での光景。 己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)を知り、ものまね士のレベルを更に引き上げるために間桐雁夜に召喚させた、あの時の風景。 「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」 何度も苦しみ、何度も死に、何度も蘇り、休む間などほとんど無かった一年の修行で間桐雁夜は令呪を授かった。 そしてマスターとなってサーヴァント召喚の権利を手に入れた。 「告げる――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」 間近で見ていたから昨日の事のように思い出せる。 サーヴァント召喚時の魔力の流れ、令呪の輝き、大聖杯が召喚するサーヴァントの出現。 何もかもを思い出せる。 「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」 バーサーカー召喚のために用いられた狂化の属性付加。 間桐雁夜が唱えたその呪文も全てケフカの頭の中に刻み込まれている。 「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」 召喚に必要な魔方陣は無い。ケフカの手の甲に令呪はない。六十年魔力を貯蔵した大聖杯の補助もない。 しかしケフカの中には全てが揃っている。預託令呪も膨大な魔力も何もかもが物真似の成果として集まっている。 何よりアイリスフィールの体内に封印された聖杯の器に喰われる筈だったサーヴァントの魂はあの女の中ではなくここにある―――。 「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――」 呪文を唱えると同時にケフカの周囲に闇が現れた。 夜の暗さを更に超える極限の漆黒。黒の中にある闇ながらも見る者がなぜかそこに『闇』があると理解できてしまう究極の『闇』。 ケフカを中心に広がったそれが半径十メートルほどの円になると、闇に覆われた地面が小さく揺れる。ドクン、ドクン、ドクン、と、鼓動のように揺れる。 その音に合わせてケフカの周囲に広がった闇の一部が少しずつ盛り上がっていった。 盛り上がっていく塊はその内二メートル位まで膨れ上がる。そこでようやく膨張を止め、微弱な振動も一緒に止まった。 闇より浮かぶ幾つもの塊がパリパリと軽い音を立てて崩れていく。ただし、壊れるのはあくまで表面だけでその中にあるケフカの闇から生まれたモノは何も損なわずに闇の上に立ったままだ。 卵の殻が割れるように盛り上がった塊の表面が全て崩れると、後に残るのは盛り上がった塊と同じ数の人影だった。 その数、実に二十以上―――。 その中の一人は両手に紅い槍と黄色い槍をそれぞれ持った美男子であった。長い髪を後ろに撫でつけ、整った顔立ちに左目の泣き黒子が特徴的な男だった。 けれど整っている顔立ちよりも目を引くのはその男の全身に纏わりつく色彩に違いない。 本来は肩から先と首から上を除いたすべてを覆う深緑の鎧は黒く変色し、血よりも紅い文様がいくつも刻まれている。加えて鎧を纏っていない両腕にも同じように紅い文様が刺青のように刻まれ、それは首の下から頬にまで伸びていた。後ろに撫でつけられた髪は元々黒色だったのだが、今は老人のような白髪に変貌してしまっている。 特にその男を構成する人体の部分で目を引くのは目だ。鎧や肌の上を走る紅い文様に勝るとも劣らない紅い眼が怒りの表情の中で爛々と輝いていた。 その男以外にも目を向けて見ると、別の男は黒いローブを纏って髑髏を模した白色の仮面で頭を覆い隠しているが、そのローブと髑髏の仮面に走る紅い文様は男の鎧や肌に刻まれたそれと何も変わらない。 他にも血涙を流すような紅い文様の入った髑髏の仮面を身に着ける男がいた。 髑髏の仮面の隙間から伸びる元々は紫色だった髪を白く染める男もいた。 受けた傷から流れ落ちた血が紅い文様のように見えるローブを羽織る男もいた。 知る者がいればその男が誰かを決して見間違えない、髑髏の仮面をつけた集団が何者たちであるかを理解する。何故なら、彼らの色彩は大きく変わっていても容姿は何一つ変わっていないのだから。 ランサー。そして宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって人格の数だけ別々の肉体を得たアサシン達。 更に並び立つ人影の中には固有結界の中で幻獣三体の同時攻撃を受けて消滅した筈のキャスターの姿もあった。 ただし彼の場合は衣装と肌に走る紅い文様などの変化はあったが、そこに見える表情はキャスターとして召喚されてから消滅させられるまでの間に常に浮かべていたそれと大差はない。両眼を紅く染めて怒りの表情を浮かべるランサーとは実に対照的だ。 ケフカの呼びかけで集ったのはランサー、アサシン、そしてキャスター。 それは明らかに本来のモノとは異なる形でありながら、紛れもなくサーヴァント召喚の儀式そのものだった。 「ヒヒヒヒ、上手くいきましたよぉ」 ケフカは辺り一面に現れたサーヴァント達を見渡しながら笑い声をあげる。その内心は口から出る笑いと同じで歓喜に彩られていた。 今のケフカを構成する前身であったものまね士ゴゴ。ありとあらゆる事象の全てを物真似しようとするゴゴは聖杯戦争が始まる前からこの世界の魔術を数多く物真似してきた。それは聖杯戦争が始まってからも止まることなく、様々なモノと物真似して物真似して物真似し続けた。 その結果、ゴゴは柳洞寺の真下に広がる地下大空洞に設置された『大聖杯』、アイリスフィール・フォン・アインツベルンとイリヤスフィール・フォン・アインツベルンがそれぞれ持つ『聖杯の器』、言峰璃正が保有して今は言峰綺礼に受け継がれた『預託令呪』。それら全てを物真似するのに成功した。 ゴゴは間桐邸地下に捉えたアサシンによって、サーヴァントがどのように消滅し、どのように聖杯の器に喰われていくかも理解した。 そこでゴゴは一度聖杯の器に喰われてしまったサーヴァントの魂を引きずり出すのは極めて困難だと悟り。けれど、聖杯の器に英霊の魂が喰われる前ならば、敗北したサーヴァントの霊核は無防備に近いと考えを改めたのだった。 幾人かのアサシンは物真似が間に合わずに聖杯の器に喰われてしまったが、ほしかったモノは―――物真似の材料はまだまだ沢山ある。その為にゴゴはサーヴァントの霊核を求めた。ものまねを生み出す英霊と言う種を欲したのだ。 英霊を手に入れる為、ゴゴはアイリスフィールの体内へと伸びているサーヴァントと聖杯の器とを繋ぐ魔力の鎖に迂回路を設けておいた。 聖杯とサーヴァントの間にできている魔力のパスと似たそれをゴゴなりに構築し直すのはそう難しい事ではなかった。 アイリスフィールは自分の中にある聖杯の器については厳重な管理をしていたようだが、そこに至る前の経路については無関心だったようだ。もっとも、その冬木の聖杯戦争を構築するシステムの一部は聖杯降臨の為に絶対に壊してはならない因子なので、聖杯の器とサーヴァントを繋ぐ魔力の鎖の存在を知っていたとしても、聖杯戦争の参加者であるならばわざわざ手を加えたりはしなかっただろうが。 今、戦っている各々のマスターとサーヴァントは闘争の果てに聖杯を求めた。しかしものまね士ゴゴはサーヴァントの宝具を含めて令呪に聖杯の器に大聖杯にと、魔術の儀式そのものを物真似の種として求めた。 その認識の違いが今を作り出す。 ゴゴの一部はケフカとなり、共有された知識はケフカの求めるモノを次々に生み出していったのだ。ゴゴの言葉で語るならば、これは『英霊召喚の物真似』だ。 ケフカの周囲に立つ闇の軍団―――間桐雁夜が使った『狂化』の属性を付加された新たなサーヴァント達は独立した個人だがケフカの手足でもあった。 準備された正規のやり方ではない変則召喚。ケフカの中にある物真似の成果と汚染された聖杯によって召喚し直されたサーヴァント達は受肉してしまい、誰も彼もが霊体化が出来なくなっている。 でもケフカにとってそんな事は些事だ。こだわる必要すらない、どうでもいいことだ。ただ狂ったままに暴れ回って、壊して、滅ぼして、砕いて、殺して―――最後には自らも消滅すればそれでいい。 「ひょっ、ひょっ、ひょっ。ぼくちんのサーヴァント隊の力を見せてやるぞ!」 夜空に向けて高らかに宣言し終えた時。ついに冬木市を覆っていた二重の固有結界が崩壊して、囚われていた者たちが現実へと帰還し始める。 「さあ! 私を楽しませてくださいな」 ケフカは結界から解放されたサーヴァントの魔力を―――結界の中と外でも位置そのものは変わってないので、間違いなく近くに現れるアーチャーの魔力を感じて笑った。