第35話 『アーチャーはあちこちで戦いを始める』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 死ね、死ね、死ね。 叩け、砕け。 憤死、頓死、老死。 革命、粉砕。 死ね、死ね、死ね、死ね。 腹上死、衰弱死、過労死。 分解、圧砕。 死ね、死ね。 枯死、病死、焼死。 殺せ、壊せ。 死ね、死ね、死ね。 打倒、制圧。 爆死、悶死、溺死。 死ね、死ね、死ね、死ね。 獄死、戦死、壊死。 破棄、爆破。 死ね、死ね。 敗れ、破れ。 怪死、変死、脳死。 破損、故障。 死ね、死ね、死ね、死ね。 崩せ、割れ。 孤独死、突然死、自然死。 死ね、死ね、死ね。 廃棄、崩壊。 即死、急死、圧死。 死ね、死ね。 潰せ、葬れ。 轢死、餓死、毒死。 破滅、解体。 死ね、死ね、死ね。 滅ぼせ、亡ぼせ。 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね。 者と物。有機物と無機物。言葉によって違いはあっても、それらに対する意識は一つに集約されていた。 『破壊』―――、今はケフカ・パラッツォとなってしまったゴゴの一部はその単語一つで完結している。 壊して、殺して、消して、亡くして。物体は言うに及ばず、命も事象もありとあらゆるモノを壊し尽くしてもまだ足りない破壊への衝動。ほんの一瞬ものまね士ゴゴの意識を共有しようと意識をそちらに向ければ、返ってくるのは逆流と呼ぶに相応しい呪いだ。 ものまね士ゴゴが『桜ちゃんを救う』という間桐雁夜の物真似を続行するならば、ケフカとの意識共有は危険すぎる。もし仮に全ての破壊衝動を理解する為にケフカと繋がり続ければ、『桜ちゃんが関われないように聖杯戦争を壊そう』と決めていた思いが『死ねば苦しみは無い、だから桜ちゃんを救うために殺そう』と全く異なる結論を導き出しても不思議はない。ただしそれもまた別の形での救いではあるが。 辛うじてか細い糸がゴゴとケフカを繋いでいるが、それは意識の共有などと到底言えない。『相手に何が起こっているか辛うじてわかる』、その程度だ。 望んで手に入れた聖杯ではあるが、少々この世界の魔術を侮っていた。 宝具ですらゴゴにとっては物真似できる範疇に収まり、尊敬と畏怖を感じたライダーの『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』ですら諦めずに物真似する方法を模索し続ける対象に収まっている。 一度だけゴゴの前に現れた『抑止力』ですら戦う敵に過ぎなかったが、まさかものまね士としての存在そのものを脅かす存在がいるとは思わなかった。 物真似して手に入れたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの聖杯の器、つまり小聖杯と膨大な魔力が混合しなければ発動しないので、単なる魔術術式としての小聖杯は既に手に入れている状態だ。けれど、小聖杯に莫大な魔力を注ぎ込んで稼働させてしまえば、敵はゴゴを喰らいにくる。 混ぜるな危険とはよく言ったものだ。 聖杯の中にいたモノによってゴゴは汚染され、ものまね士としての在り方を変質させられた。 この世界に来てからゴゴに敵は無かった。英霊と言えど倒せない敵ではなかった。敵なし、故に無敵―――そんな思惑に慢心が付きまとったのだろう、物真似への真摯な気持ちを百から九十九ほどに薄めていた。そうでなければこんな事態には陥らなかった。 ゴゴは自分を戒める。 ただし今の状況は最悪ではないとも考えていた。 七人のマスターと七騎のサーヴァントを上回る敵が現れたのは紛れもない事実だが、元々ケフカとは戦う予定だったのだ。むしろ人が考える『悪』を一つの形にできたので、ゴゴの制御を離れて暴走しているケフカを倒すことは今まで考えていた演劇よりもっと正しい。 これは正しく『正義』と呼ぶべき行いだ。 何より、あれは聖杯の中にいてこれまで眠っていたモノに汚染されているが、物真似そのものを止めた訳ではない。 ただほんの少しだけ形を変えて、森羅万象の物真似一辺倒から破壊の物真似一辺倒になってしまっただけだ。ケフカの姿をしているが、あれはものまね士ゴゴなのだ。か細く繋がった無意識の中の糸のような共有がその証拠である。 おそらくゴゴとケフカの間に繋がった糸はそう遠くない内に千切れ、向こうは完全に『ケフカ・パラッツォ』として存在を固定するが、それまでは物真似をし続けている。 もちろん気を抜こうものならそのか細い糸を手繰ってゴゴを汚染しようとするので、物真似の精度は限りなくゼロに近いが。 ゴゴにとっての最悪とは物真似が出来なくなる事、自分が何者であるかの探求を止められる事だ。 ゴゴの中に戻った三闘神の力をもう一度取り込み直し、その上この世界の魔術の中でもゴゴの意識すら侵食する『汚染された聖杯』の力すら取り込んだケフカは強敵だ。 けれど厄介ではあるが最悪ではない。 ケフカが冬木に現れた時は予想外の出来事に狼狽したが、すぐに心を落ち着かせる。 もっとも、今この瞬間にケフカが冬木どころかこの世界そのものを破壊しようとしてもおかしくないので、時間的余裕はあまりないが・・・。 「ねえ、雁夜」 「何だ?」 だからこそゴゴは―――飛空艇ブラックジャック号の壁に背を預けて雁夜に事情を説明していたティナは語るべき言葉を口にする事にした。 「今すぐ戦いが始まってもおかしくないの。だから・・・・・・桜ちゃんと落ち着いて話せるチャンスは少ないわ、話すなら今よ」 「・・・・・・・・・」 間桐邸から出陣した時から時間が無い事は判っていた。それでも尚、桜ちゃんが少しでも楽しめる時間が生まれたら、それを長引かせたいと思うのは雁夜の―――そして雁夜の物真似をしているゴゴの性と言える。 けれど楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、直面すべき問題は常にどこかで待ち構えている。それは決して逃れられない間桐と遠坂の業だ。 雁夜と桜ちゃんに纏わりつく魔術師の業と言い換えてもいい。 「訊かなきゃいけない時が来た、ってことか・・・」 「そうよ、そしてこれは貴方がやらなきゃいけないの――」 魔剣ラグナロクが入ったアジャスタケースが雁夜と飛空艇ブラックジャック号の壁の間に隙間を作っていたので、ティナはそこで言葉を区切って隣にいた雁夜の背中へと手を置いた。 壁に背中を預けていたのでむしろ滑り込ませたと言うべきかもしれないが、とにかくティナの手がゆっくりと雁夜を前に促す。 事情を話すように雁夜を前へと追いやると、雁夜は最初こそ迷いを表すようにティナの手に体重を預けていたが、すぐに自分がすべき事を思い出したかのように前へと踏み出す。合わせて、ティナの手にかかる体重がどんどん軽くなっていった。 一歩、また一歩。雁夜が前に出る。 するとティナと雁夜の話が終わるのを待っていた様に、桜ちゃんがやっていたババ抜きも一段落した。 結局、大人げないロックが最後まで桜ちゃんの持っていたババを引かずにゲームを進めたようで、肩を落とす桜ちゃんの姿と恨みがましくロックを見つめるミシディアうさぎ達が見える。 ババ抜きが終わってしまった輪の中に雁夜が戻っていって、それに合わせてロックが席を立つ。大人げなく桜ちゃんに勝ってしまった後ろめたさから逃げたようにも見えるが、実際は雁夜と桜ちゃんの話しを邪魔してはならないと配慮したからだ。 それを証明する様にセリスもマッシュもロックの後を追って席を立つ。桜ちゃんの所へと向かう雁夜とすれ違いざま『頑張れよ』『しっかりね』と声をかけ歩いていけば、残る人間は雁夜と桜ちゃんだけだった。 もっとも、桜ちゃんの周囲は相変わらずミシディアうさぎの群れで埋まっているので、人は二人だけでも生き物は十以上いるが。 「桜ちゃん・・・、ちょっといいかな」 「・・・・・・・・・うん」 聞き耳を立てる趣味はゴゴには無いのだが、ものまね士としての性質がどうしてもありとあらゆる事象を解読して自らのモノにしようとしてしまう。 ティナもロックもセリスもマッシュも、カジノフロアの壁際へと移動して二人から距離を取ったのだが、言葉にされる雁夜の想いと桜ちゃんの気持ちを知りたくてゴゴをその場に留まらせる。 ブラックジャック号の操縦の為にここにはいないエドガーを除いて、誰一人としてこの場から立ち去ろうとはしなかった。 ただ黙って二人の様子を眺める。 「もうすぐ俺達は聖杯戦争に――、戦いに出なきゃいけないんだけど・・・。そこで多分、遠坂時臣とも会う。いや、ほぼ確実に奴と戦う事になると思う」 「お父様と?」 「ああ・・・」 雁夜はそこで言葉を区切るが、話を終わらせても何の意味もないのは雁夜自身が一番よく判ってる。 遠坂時臣と戦わなければならないのはゴゴが間桐邸に現れる以前から決まっていた。雁夜自身がそう決めていた。ただ、桜ちゃんに対してそれを言葉にするのを恐れていただけだ。 雁夜は数秒間黙っていたが、話を再開した。 「正直、俺は遠坂時臣が許せない。桜ちゃんをあんな蟲爺の所にやって、あんな酷い思いをさせて――。あいつはのうのうと遠坂の当主として今も冬木に君臨してる。俺はそれが許せないんだ」 ゴゴは他の誰よりも遠坂時臣の同行を把握しているので、雁夜が言うほど恵まれた状況にはいない事を知っている。 間桐邸への襲撃があったように遠坂邸にも襲撃が合った。その結果、遠坂時臣は悲惨な目に追いやられた。 ここでそれを告げても良かったのだが、二人の話しに割り込むのは気が引けたのでゴゴは黙っていた。 「聖杯戦争のマスター同士、出会えば戦うのは必然だ。はっきり言って俺は遠坂時臣を殺したくて殺したくてたまらないんだ。俺はあいつが許せないんだよ、桜ちゃん・・・」 「待って――!!」 そこで桜ちゃんが今までにない大声を出す。 感情の全てを言葉にするような、桜ちゃんらしからぬ力強い言葉だった。 「待って・・・、雁夜おじさん・・・」 桜ちゃんはそう言うと、椅子から立ち上がってテーブルの反対側に座る雁夜の元へと向かう。いきなり立ち上がった衝撃でミシディアうさぎが何匹かコロコロと床の上を転がったが、桜ちゃんは全く気にせずに進む。 そして雁夜の元に辿り着くと、雁夜の右前腕を両手で握り締める。 その姿は戦いの為に剣を握る雁夜の手を抑え込んでいる様だった。 「雁夜、おじさん・・・・・・、私――」 この一年で片時も休まずに自らを鍛え続けた雁夜と子供の桜ちゃんの腕力では拮抗すら無く雁夜に軍配があがる。やろうと思えば雁夜は桜ちゃんが押し留めようとする力を一瞬で振りほどける。 だが雁夜はそれをしない。黙って桜ちゃんの言葉に耳を傾けていた。 「お父様に・・・・・・、お母様に・・・・・・。聞きたいの・・・」 桜ちゃんは言う。 思いを言葉にして雁夜にぶつけていく。 「どうして私は、間桐に―――、どうして、あんなひどい所に―――。どうして、どうして・・・お父様とお母様は・・・」 桜ちゃんは全身で言っていた。殺さないで、と。 そしてこうも言っていた。戦わないで、と。 もしかしたらその願いが決して叶わないと知っているかもしれないが、それでも桜ちゃんは言葉と動きで雁夜をその場に抑え込もうとする。 雁夜は遠坂時臣への憎悪で顔を憎しみ一色の表情に染めていたが、桜ちゃんの言葉を聞いている内に徐々に穏やかな表情に戻っていく。 そして憎しみを出来るだけ消し去って桜ちゃんに告げる。 「判った・・・。判ったよ桜ちゃん」 右前腕に置かれた桜ちゃんの両手を更に上から左手で覆い。大丈夫、俺はもう落ち着いてる、そう言わんばかりに優しく語りかけた。 「二人に聞こう。『どうして桜ちゃんを間桐の養子に出したんだ?』、そう聞こう。時臣に、葵さんに・・・・・・聞こう」 雁夜は椅子から立ち上がり、今にも泣きだしそうな桜ちゃんの体を抱きしめた。 優しい抱擁と共に、ポン、ポン、と桜ちゃんの体を軽く叩く。 「雁夜おじさん・・・」 「桜ちゃん――」 互いに名を呼んでいると、桜ちゃんの目から一筋の涙が流れ落ちて雁夜のパーカーを濡らした。 ゴゴは『妄想幻像(ザバーニーヤ)』と『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』の二つの宝具を同時に使って、物真似の精度を格段に跳ね上げた。 本質はものまね士ゴゴから変わらないとしても、表向きに演じる誰かの様子は紛れもなくゴゴとは別人だと断言できる。 ティナは、ロックは、セリスは、マッシュは、エドガーは。 カイエンは、ストラゴスは、リルムは。 セッツァーは、モグは、ガウは、ウーマロは。 誰もかれもがゴゴとは別人としてここにいる。 だからこそ桜ちゃんには未来に向けた選択肢が幾つもあった。 この一年の間に間桐邸で続けた生活を続行するか、それとも聖杯戦争を切っ掛けにして新しい生活を構築するか。あるいはもっと別の何かか。 遠坂桜がどんな望む形を望むにせよ、間桐邸にそれを作り出すことは難しい事ではない。 だがそれを『遠坂時臣と遠坂葵に尋ねたい』と結論を出してしまった今の桜ちゃんに尋ねるのは酷と言える。 遠坂時臣と遠坂葵が桜ちゃんにどんな言葉を聞かせるかはまだ判らない。選択肢の中には『桜ちゃんは遠坂の家に戻る』も間違いなく存在するのだから、ここで答えを間桐邸にのみ縛るのは一方的な押しつけに近い。 望み、願い、決めるのは桜ちゃんだ。救うと決めたのは雁夜であり、それを物真似しようと決めたのはゴゴだ。ならば、桜ちゃんが聞きたがっている両親の言葉を聞いた後でも『どうしたいか』を尋ねるのは遅くはない。 ゴゴが考えたことを間違いなく雁夜も考えたはず。だからこそか、話す機会は少ないと分かっている筈なのに雁夜は抱擁以上に言葉での追究はしなかった。 本当なら今この段階で桜ちゃんが聖杯戦争後にどんな生活を望んでいるかまでとりあえずの結論は出してほしかったが、出せない答えを求めても心から望むモノとは別の言葉になってしまう。 「今は仕方ないわね・・・」 他の誰でもよかったのだが、雁夜と桜ちゃんと相対する時にはどうしてもティナの意識が前面に押し出される。一年間共に過ごしたものまね士ゴゴがここに居ない場合、独り言を呟くのはティナの意識だった。 状況は何も変わっていない。ただ自分達が何をしようとするかを再確認しただけで、好転も暗転もない。 ただほんの少しだけ事態は進展し、桜ちゃんが自分の思いを言葉にして雁夜に小さな反抗を示してくれた。 アインツベルンの森でのキャスターと雁夜との攻防。加えて士郎への懲罰をその目で見ているのだから、全てを理解していないとしても聖杯戦争が危険な行いだと判っている筈。 その上で、遠坂時臣と遠坂葵の両名と話をしたいと言えるのは間違いなく成長の証だ。大人から見れば微々たる進歩かもしれないが、桜ちゃんは少しずつ少しずつ前に進んでる。 ティナはそう思いつつ、涙を流しながら雁夜にしがみ付く桜ちゃんを見た。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - アイリスフィール・フォン・アインツベルン 私は今ほど『夫の事を全て判っている』という自負が幻だったんだと実感した時は無い。 九年を共に過ごした夫。娘と一緒に過ごした衛宮切嗣の事は何でも知っている。そう思っていたけれど、聖杯戦争がはじまって、舞弥さんが現れてからその確信が少しずつ薄れていった。 そしてランサーとの戦いで私が切嗣を何でも知ってる気になっていただけなんだって知ってしまった。 確かに私達が戦場の華になって切嗣が無防備になったマスターを倒す方針はドイツにいた時からもう決まってた。私もそのやり方に異論は無かったし、切嗣の役に立てるなら危険を承知で敵の目が私に向かうのも覚悟してた。 でも切嗣のやり方は私が想像していたよりもっと悪辣だった。私が想像していたよりずっと無慈悲だった。 セイバーはマスターを含めたランサー陣営を全て倒した。結果は間違いなくあるのだけれど、その過程で舞弥さんが死に、私もセイバーも切嗣のやり方に今まで以上の疑念を抱いた。それは確か。 彼は何も言わなかった。 反論も説明も何もなく、ただ私達の結果だけを聞いてから電話を切ってしまい。それからは何の応答もない。 私が何度電話しても彼は出てくれない。 もしかしたら敵に追われてたりして電話に出られない理由があるのかもしれないけど、それならそう言ってほしい。 私からランサーとの戦いの結果を聞ける時間があるなら、電話で話せない理由を言える時間だってある筈。手が離せないから―――そんなありきたりな理由じゃなく、何故、手が離せないのか言える筈。 でも切嗣は何も言ってくれない。 私は切嗣が出ない電話を鳴らし続け、セイバーはランサーとの戦いで大きな遺恨を残しながらも、いつまでも敵陣の近くに居てはまずいと武家屋敷へと車を走らせた。 私は何度も何度も電話をかけて、メルセデス・ベンツ300SLが武家屋敷に到着するまで数十回繰り返した。 舞弥さんの壮絶な最後を思い出さないようにする為にも、何か一つの事に集中したかった。気を抜けばまた吐いてしまいそうだ。 でも切嗣は電話に出ない。 出てくれない。 話してくれない。 教えてくれない。 「アイリスフィール、一旦降りて体勢を立て直しましょう」 「・・・・・・・・・・・・ええ」 辛うじてセイバーの言葉に反応できて助手席から降りられたけど、切嗣以外の事は頭の中に無かった。 ねえ切嗣・・・。貴方が私達を裏切らない保証はあるの? 聖杯が降臨すれば私はこの世界から消えてなくなる。私の意識はアインツベルンが継承してきた聖杯に融合して、娘のイリヤスフィールへと受け継がれていく。 だから切嗣が聖杯の力で世界を救うなら、私が消える事に不満はない。 でも今の私は―――切嗣が本当に私の消えた世界を救ってくれるのか自信が持てなかった。聖杯戦争が始まる前、ドイツのアインツベルン城でセイバーと話していた時は合った筈の切嗣への信頼が揺らいでた。 たとえ電話越しだったとしても、切嗣がちゃんと説明してくれたら私は納得できる。 それがどんな理不尽で人道に外れた行いだったとしても、彼はちゃんと結果を掴んでくれる。切嗣の声が聞けたらそう思えるのに、彼は何も言ってくれない。 私は何を信じればいいか判らなくなった。 セイバーに手を引かれて武家屋敷の中に入った気がするし、彼女の助けを借りて汚れた衣装を着替えた様な気もしたけど、やっぱり私の頭の中は切嗣で一杯。 ううん。切嗣を信じようとする気持ちと、そうでない気持ちがぶつかり合って、私の頭の中でぐるぐる渦巻いてた。 ねえ切嗣・・・。貴方は本当に世界を救ってくれるの? もし仮に、本当に仮の話で今の状態じゃ絶対に起こらない事だけれど。もし今この瞬間に全てのサーヴァントが消滅して聖杯が降臨したらどうなるの? アイリスフィール・フォン・アインツベルンを構築する人としての機能を全て消滅させて、私の中から聖杯が現れ、それが切嗣の手に渡ったらどうなるの? ランサーと戦う前の私だったら切嗣の手に聖杯が渡る事実を喜んだと思う。 でも今は違う。 考えるのが怖い。私は切嗣が聖杯を掴む未来を恐れてる。 今でも世界を救う願いが命を賭ける価値ある願いだと思ってる、それは本当。でも切嗣が世界を救ってくれるって、自信を持って言えない。 あんなやり方を何のためらいもなく行って、しかもそれを他の誰でも無い妻である私にも話してくれない。 私は何度も何度も同じ答えに辿り着いて、それを打ち消す為に何度も何度も同じ事を自分に言い聞かせてる。 ネエ、切嗣・・・。貴方ニ、世界ヲ、救エルノ? 何度も・・・。 何度も・・・。 私はボンヤリして、ただ無駄に時間を過ごした。残った敵に対してどう戦うか、切嗣が電話をかけて来た時なんて言うか、このまま聖杯戦争を進めていいのか。そんな事一つも考えない。 武家屋敷に戻って気が抜けたとかそんな事じゃなくて、切嗣の事以外、何も考えられなかった。 そんな呆然とした私の全身を不快な寒気が通り過ぎる。意識して励起させていない筈の魔術回路がうずいて、指先がけいれんした様に震えた。 何事かと思って周囲の空気中のマナを感じ取って見れば、一瞬前まで無かった異常な乱れがあちこちに渦巻いているのが判った。私の魔術回路がそれに同調して私の意思とは無関係に乱れる。 今までになかったマナの乱れ。何らかの異常な魔力の発生源が合って、それが大気を乱してる。 敵意あるものじゃなかったから拠点の結界も反応しなかった。でもこんな大規模な呪的波動は儀礼呪法クラスの多重節詠唱、しかも魔術師が数十人集まって初めて実現できる大魔術でしかありえない。 「セイバー!」 誰かが何かをしようとしてる。 呆けていた私は消えて、偽りのマスターとしてセイバーを呼んだ。 切嗣への恐れをもっと大きな恐怖が打ち消した。 「はっ!」 二秒もかからずにセイバーが現れる。さすがに剣と鎧で武装はしていなかったけど、一部の隙もない男装の下からは戦いの覇気に満ちていた。 切嗣のやり方ではなく騎士としての自分を貫こうとしているみたいに見えるのは私の気のせい? 「川の方角です。この波動はおそらくキャスターのものでしょう」 私はこのマナの乱れの原因が間桐に協力する誰かの可能性も考えたのだけれど、魔力感知にかけては戦闘の素人の私よりもセイバーの方が信頼できる。 そのセイバーがそう言うのなら、原因はキャスターなんでしょう。 私達は急いで庭に停めてあるメルセデス・ベンツ300SLに乗り込んだ。 キャスターが何をやろうとしているかは判らないけど、これだけ大規模の異変を起こすならそれに匹敵するほど大きな何かが起こる。 助手席に乗り込んでセイバーが車のキーを回してエンジンをかけた時、不意にこの事態を切嗣に電話するべきかって考えたけど、何回も何十回もかけても出なかったからすぐに考える事それ自体を止めた。 あの人は私からの電話に出てくれない。 私はこの時―――言葉にしきれない何かを諦めた。 セイバーがハンドルを握った次の瞬間、車が急発進して背中がシートに押し付けられる。 横目でセイバーを見ながら、私はまた考える。 セイバーは郊外の森で行われた聖杯問答の時、ブリテンの滅びの運命を変えるって言ったわ。 でも、もし滅びの運命が変わったとしたら―――。 貴方の収めたブリテンは、貴方の思い描く世界は、本当に救われるの? 声には出さなかった。 でも、私の中には切嗣への、そしてセイバーへの疑心が間違いなく合った。 切嗣への諦めが切っ掛けになって、色々なことが変わっていく。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 何がどうしてこうなった? 僕は空気の重さに耐えきれなくなって前とまた同じことを考え始める。 マッケンジーさんが僕の暗示を解いた上で『今後も孫としてワシ等を騙してくれ』とお願いされたのは驚いたけど、何とかマッケンジー夫妻を説得して別れられた。全部が全部、僕の思った通りの形じゃないけど、とりあえず僕らを狙った攻撃にあの二人が巻き込まれるような事態はもう起こらない。 ―――と思う。 サンを預けられなかったのは僕の失態だけど、暗示の弱さと一緒で僕の説得力の未熟さだと受け入れよう。 だからそれはもういい。肝心なのはそれ以外の事―――合流した途中からカイエンの機嫌が急に悪くなってるんだ。 今みたいな状況を言葉にした時、一番近いのは『殺気立ってる』だと思う。見た目は何も変わってないように見えるんだけど、鋭い視線と全身から溢れる気迫は傍で感じるとものすごく気まずい。むしろ怖い。 サンなんてさっきから震えながら僕の足とか腰にしがみ付いてる。あんまり強く引っ付くから太ももがちょっと痛いんだよね。 最初はセイバーとそのマスターに向けた怒りを今の内から溜め込んでるのかな? って思ったけど、それなら僕らがマッケンジー夫妻と合流する前から殺気立ってる筈。 でもカイエンがこうなったのは僕たちと合流して、ライダーの神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)で空に舞い上がった後。時期が合わないからセイバー達への怒りじゃないと思う。 じゃあ聖杯戦争へ向けての意気込みとか? カイエンは元々聖杯が目的で僕たちと一緒に行動してる訳じゃないからそれも違う気がする。 僕が知らない何かに対して怒ってる? 一番ありえそうな可能性はそれなんだけど、殺気立ってて何か聞ける雰囲気じゃない。 どうしよう・・・。 それでまた『何がどうしてこうなった?』に戻って来るんだよね。 「どうしたカイエン。随分と機嫌が悪いではないか」 そう言ったのは僕じゃない、御者台の上で手綱を握って前を向いてるライダーだ。 空気を全然呼んでない言葉なんだけど知りたいのは僕も同じ、何か『聞けば斬る!』って全身で言ってそうなカイエンに僕じゃ声をかけられなかったんだよね。 いいぞライダー。 「機嫌が悪く見えたでござるか?」 「溢れんばかりの怒気を漲らせておいて何を言っておる。ほれ、さっきから坊主と小娘が震えあがっておるぞ」 「そうでござったか――、不覚・・・」 カイエンが肩を落としながらこっちを見る。その動きに合わせて殺気立つ空気が少しずつ薄れていった。 落ち着いて呼吸できるぐらいには雰囲気は和らぐんだけど、まだカイエンは少し殺気立ってる。 「イスカンダル殿、ウェイバー殿・・・。聖杯戦争のマスターとサーヴァントである御二人には関係のないでござるが、少々面倒なことがこの冬木で起こったでござる」 「面倒なことだと?」 「そうでござる」 前を向いた状態でライダーとカイエンが話していると、何の前触れもなく悪寒が背中を通り抜けた。 「うっ・・・」 いきなり冷水を背中に入れられたような強烈な違和感だ。無視しようとしても絶対に無視できない。 気持ち悪さも一緒に出てきて思わず御者台の上に座り込みそうになる。 「・・・・・・・・・川、だな」 短く告げるライダーの顔が未遠川の方を向いてる。感じた違和感とライダーの眼が向いてる方向を合わせて意識を向けると、川の方から得体の知れない魔力の乱れが伝わってきた。 空気が震えてる。 一般人だとしても、勘のいい人なら『何かがおかしい』って気付く位の大規模な異変が起こってる。 僕は足に力を込めて体を支える。そうして隣にいるカイエンに向かって言った。 「カイエン。もしかしてさっきから気にしてたのってこの事なの?」 時計塔でも感じた事のない強烈な悪寒。このタイミングで起こるなら聖杯戦争絡みに間違いない。 カイエンがこの事を予期してたとしたら・・・。そう思っての言葉だったんだけど、僕の予想は大きく外された。 「違うでござる」 「・・・・・・え!? 違うの?」 「拙者が気にした『面倒な事』とはもっと別の――、もっと邪悪でたちの悪い男の事でござるよ」 「たちの、悪い」 「あやつがこの状況で黙っているとは思えん。好都合とばかりに動き出すでござろう」 ライダーが未遠川の方に進路を変更する間、カイエンは今の僕じゃ判らない事を言い続ける。特定の誰かを言っているのは判るんだけど、情報が少なすぎて判断できない。 カイエンから話を聞いた衛宮切嗣っていうセイバーのマスターだったらそう言うと思う。じゃあカイエンは誰の事を言ってるの? 「カイエン・・・」 一体、誰の話をしてるの? そう聞こうとした瞬間、どこからともなく声が聞えてきた。 「ひゃ、ひゃ、ひゃ。僕ちんも負けてられないよ。バトルゥ、フィィィールドォォ――! 展開だじょー!!」 「はぁっ!?」 急に聞こえてきた言葉に僕は口を『あ』の形に開いたまま辺りを見渡した。でも遮蔽物の無い空の上から見ても、異常は見つけられなかった。 その声はどこか一ヶ所から聞こえてきた声じゃない、辺り一面の空間に響くような不思議な聞こえ方で、すぐ近くから聞こえた様な気もするし、ものすごく遠くから聞こえた様な気もする。 見ると、ライダーどころかカイエンも今の声の出所がどこか判らないらしく、二人ともゆっくり辺りを見渡してた。 「やはり異常に合わせて動いたでござるな・・・」 「じゃあ、今の声がカイエンの言ってた『たちの悪い男』? 一体、誰なんだよ」 「・・・・・・・・・」 そこでカイエンは押し黙ったけど、言わない雰囲気じゃないかった。 むしろ言葉にした瞬間に激昂しそうな自分を押さえてるみたいで、一旦は収まった殺気立つ空気が蘇りそう。 少し間を置いてから吐き出されたカイエンのため息が爆発の前兆みたいで怖い。 「・・・今の声を発した男の名は『ケフカ・パラッツォ』。拙者が仕えた王を、仲間を、国を――。そして拙者の愛する妻ミナと息子シュンの命をも奪った男でござる」 その声は酷く冷淡に聞こえたけど、僕にはカイエンが必死で感情を抑え込んでいる様にしか思えない。 カイエンは両手で握り拳を作ったまま、ミシミシと皮膚に爪がめり込んだような音を鳴らす。 「拙者はセイバーとマスター、その協力者を許さんでござる。だが、あの男はもっと許せんでござる!! あの男を見つけたら、拙者はきっとこの戦車から飛び降りて斬りに行くでござる。非常に残念でござるが時と場合によってはそなた等との協力関係すら解消せねばならぬやもしれぬ」 一気に言い終えた後、御者台の上には沈黙しかなかった。 初めて聞く『ケフカ・パラッツォ』って誰? この近代にカイエンが仕えていた王様とか国とかはどこの話? 色々と疑問は浮かぶんだけど、カイエンの言った『家族を奪った敵』の部分が僕に質問を躊躇わせた。 それに話を聞いている内に僕は一つの仮説に辿り着いて、頭の中でそれを検証するのに少し忙しい。 僕を完全に置き去りにしてライダーはカイエンと言う協力者を得てたんだけど、聖杯戦争に全く興味が無いくせに英霊に匹敵する位の力やら魔石やらを使いこなせる強者がそう都合よく冬木にいるだろうか? もしかしてカイエンは聖杯戦争絡みでさっき言った『ケフカ・パラッツォ』が現れる事を知ってたんじゃないか? ライダーに協力すれば、自分の敵が向こうからやって来る可能性が高いと踏んでたとか。 情報が少ないからまだ予想にすらなってない仮説なんだけど、偶然で片づけるよりはありえる可能性だと思う。 そんな風に情報を整理してるんだけど、空気が重くて一言も喋れない。それを壊したのはさっきと同じでライダーだった。 「カイエンよ、そう気張るでない」 「む・・・」 「ここまで来てしまっては最早我らは一蓮托生、何があろうと最後まで付き合おうではないか。ほれ坊主、そう縮こまっては勝てる戦いも勝てなくなるぞ、貴様も胸を張って堂々と我らに比類せよ。今の貴様なら出来るであろう?」 ライダーはカイエンに、そして僕に向けて、改めて共同戦線の形を言葉にした。 マスターの僕を差し置いて勝手に方針を決めていくのに少しだけ腹が立ったけど、ライダーの言葉に含まれてた事実がそれを帳消しにする。 征服王イスカンダルの覇道を共に駆け抜ける―――。 聖杯戦争だとか、サーヴァントだとか、マスターだとか、そう言った類のものを超越した『覇道』の示し方に巻き込まれていくのが嫌じゃなくなってる僕がいる。 だから僕は御者台の上に倒れ込みそうな自分を必死で支えながら、ライダーに反論した。 「ふん、当然だろ! ライダー、オマエのやり方で勝てよ、絶対だぞ」 「イスカンダル殿・・・・・・、かたじけない、でござる」 虚勢を張る僕とは反対に、感極まったみたいにカイエンが頭を下げる。 これは、自分の復讐に巻き込んでおきながら嬉々として肯定するライダーへの感謝、かな? 雰囲気は一気に軽くなって、大気を揺らす強力な魔力を受けても僕はもう悪寒を感じない。まあ、気持ち悪さは変わらずにあるんだけど。 「ところで、そのケフカとやらがどこにいるかは判るか?」 「奴は今、冬木市全体をバトルフィールドで覆ったでござる。これほどの大きさは拙者も初めて見るでござるが、大規模故に内側からバトルフィールドを支えている筈でござる。郊外ではなく冬木のどこかであろうが、正確な場所までは・・・・・・。無念でござる」 「ならばまずは川に向かい、問題を一つずつ片づけるか」 ライダーがそう言いながら手綱を操ると、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は未遠川に向けて速度を上げた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ キャスターには『魔術の秘匿』の概念そのものが存在しないか、魔術を隠そうとする意識が限りなく薄い。 そうでなければまだ太陽が空に輝く日中に堂々と、しかも川の真ん中に立って魔術行使するなどと暴挙を平然と行う筈は無い。 キャスターの復帰がもう少し遅ければ、聖杯戦争の暗黙の了解である『戦いは夜行う』に則って行動したかもしれない。けれどキャスターは夜が訪れるより前に行動を開始した。 もう昼は過ぎて夕暮れが近くなっているが、それでも日が暮れるまではまだ二時間ほどかかる。 冬木では大層目立つキャスターの異装は異邦人だからという理由でまだ誤魔化しようがあるが、人目が多い日中に川のど真ん中で魔術を使おう等と狂気の沙汰だ。 周囲の目を気にしない。その事実一点のみでキャスターに魔術を秘匿しようとする意識が無いのがよく判る。 別にゴゴは魔術師たちが基本原則として意識する『魔術の秘匿』を熱心に守ろう等とは考えていないが、逆にキャスターの魔術行使に邪魔が入るのは勘弁してほしいと思っていた。 今までにない大規模魔術はものまね士ゴゴが物真似するに値するモノに違いない―――、そう期待している最中だからだ。 衛宮切嗣がやったタンクローリーの特攻のおかげで冬木市のあちこちは騒がしくなり、救急車やら消防車やらのサイレンが止む事無く響いてくる。 アーケードやら間桐邸やら遠坂邸など、タンクローリー爆心地に人の意識が向いてるので辛うじてキャスターの存在は気取られていないが、放置してしまえば冬木大橋を渡る誰が気付いても不思議はない。 一般人には空気中のマナが異常に乱れていると判らなくても、勘の良い者ならば何かおかしな事が起こってる程度は感知できてしまう。 そこで足場のない川の真ん中に立っているキャスターを見つけたらどうなるか? 騒ぎが大きくなって、キャスターの魔術行使が止められる可能性がある。もっとも、邪魔するのが一般人だけだったならば、キャスターはそんな障害など無視するだろうが。 英霊相手にただの人間が出来る事など殆ど無く、その行動を阻むなど不可能に近い。それでも衛宮切嗣のタンクローリーのように強烈な破壊を作り出して邪魔する位なら一般人でも出来てしまう。 例えば、個人所有のモーターボートに未使用のスプレー缶を百本ほど積み込み、キャスターにぶつかる様に調整しながら衝突する頃にスプレー缶が爆発する様に仕掛けを施す。とか。 名ばかりの平和を甘受してきた一般人がいきなりそんな事をする可能性は限りなくゼロに近いが、今はまだキャスターの存在も彼の魔術行使も聖杯戦争関係者以外に広める訳にはいかない。 「・・・けむりだま」 仕方なくゴゴは―――冬木大橋の陰でキャスターと雨生龍之介の動向を監視していたシャドウは懐から五百円より少し大きい球を取り出した。 運よく冬木大橋はキャスターの位置から風上になっているので、シャドウはただそのアイテムを冬木大橋の下に一つ二つ三つ四つと、万遍なくばら撒くだけでいい。 『煙玉』、これは本来、戦闘中に使えば煙を発生させてそれに紛れて敵から逃げるだけアイテムだ。もちろん、ボスや使い手より上位のモンスターなど逃げられない敵は存在するが、大抵の場合は逃亡用アイテムとして重宝される。 そして他の人間が使えばただ敵モンスターから逃げるだけのアイテムになるのだが、シャドウだけは唯一この煙玉を別の方法で使えるのだ。 一例として、かつてシャドウはサマサの村の一軒家が火事で燃えた時。この煙玉を使って、火事の炎を爆風で吹き飛ばして脱出路を作り出した。 重宝すべきは煙玉の名前の通り、このアイテムが大量の煙を発生させる点。 敵から逃げるための目くらましとしてかなり大量の煙を発生させられるので、数を増やしていけば冬木大橋からキャスターだけを覆い隠すだけの煙を発生させられる。 シャドウだけのオリジナルコマンド『なげる』と合わせて、シャドウは次々と冬木大橋の上から未遠川に向けて煙玉を投げていき、キャスターが隠れる様に煙を発生させていった。 煙玉が川にぶつかると衝撃で、ボン、ボン、と音を立てながら煙が発生し、あっという間に大量の煙が冬木大橋を中心にして未遠川を覆い隠していく。 いきなり発生した霧よりも濃い大規模な煙は間違いなく調べられるだろうが、連続誘拐事件とタンクローリー爆破で警察は大忙し。実害の無いただの煙の捜査は後に回され、キャスターが魔術行使を終えるまでの時間は稼げるだろう。 橋の下の突然発生した煙は間違いなく異常だが、水面に立つキャスターに比べれば、まだ常識の範疇だ。 「うわ、何これ!?」 何やら、近くで雨竜龍之介が騒いでいるが、実害は無いので無視。 シャドウは来たるべき時を見逃さない様。煙が晴れそうになったら新しい煙玉を投げ込む準備をしつつ、ただマスターとサーヴァントを監視し続ける。 冬木市を覆い尽くす直径十数キロの巨大な半球が聖杯戦争の舞台を覆い尽くしているのが外から見えるだろう。 このバトルフィールドを張ったのはケフカ。つまり今の冬木市はケフカの手の上と言っても過言ではない。 ティナがメルトンを使った時に張り巡らせたバトルフィールドを大きく上回る巨大な結界だが、敵と味方とそれ以外を区分けできるバトルフィールドの構築は破壊を望むケフカらしからぬやり方でもある。 全てを壊すつもりなら、戦いの邪魔になるモノを物理的の壊せなくなるバトルフィールドはむしろ逆効果だ。 何故、ケフカはバトルフィールドを展開したのか? わずかに繋がったケフカとゴゴとを結ぶ糸から理由が流れ込んでくる。 これは宣戦布告なのだ、と。 戦いが終わるまで誰も外には出さない、逃がさない、ここで決着をつける、そんな意思表示の現れだ。そして、ケフカはこうも言っている。ここで自分を倒さなければ、冬木を壊して、世界も壊す。止めてみな、遊んでやるよ。と。 好都合の部分もあり不都合の部分もある。そしてこの時点で聖杯戦争のマスターおよびサーヴァントはケフカの事を『冬木市全体に結界を張れる魔術師』と認識した筈。 キャスターが行おうとしている大規模魔術の方にも意識は向くだろうが、自分達以外の誰かが冬木に結界を張り巡らせたならば、それだけでそいつを敵と見定めるには十分すぎる。 今のままでは情勢がゴゴの手を離れ、主導権をケフカに握られてしまう。 それはまずい。都合が悪すぎる。 「仕方ない・・・。まだ見ぬレディ達を守るのも王の務め、か」 飛空艇ブラックジャック号の操舵輪を握るエドガーは空に広がる風景を見つめながらそう呟く。 エドガーの前には青空が広がっていて、何の変哲もない晴れた天気がそこにある。けれど、一般人の眼では認識できないとしても、冬木市は半球状の膜で覆われており、ブラックジャック号もまたその中に取り込まれている状態だ。 ただ結界の範囲外に出るなら簡単だ。阻む者の無い空の上なら、ただブラックジャック号をバトルフィールドの外へ移動させればそれで終わる。 しかしケフカはこちらがそれをしない事を見抜いている、ものまね士ゴゴが物真似の種を目の前にしておきながら逃げる訳がないと判っている。 向こうもまたゴゴなのだから当然だ。 「そちらが私達を思いのままに操ろうとするなら、私達は状況を拮抗させる為に出来る事をやろうではないか。私にはまだやるべき事が残っているのでね、貴様の好きなようにはさせんよ」 エドガーはそう言うと、操舵輪を握りしめたまま目を閉じた。 一瞬後、エドガーの周囲に黒い魔力の粒子が湧いてエドガーを取り囲む。ぐるぐると渦巻くそれを傍から見れば高速回転する黒い繭がいきなり現れた様にも見えるだろう。 三秒とかからず回転は止まり、現れた時とは逆に黒い魔力の粒子は解けて虚空へと消えていった。 己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)の解除―――。 もうそこに居るのは砂漠の国フィガロを治めるエドガー・ロニ・フィガロではない。宝具を使わない真の姿、一度見たら決して忘れられない極彩色の衣装に身を包んだものまね士ゴゴだ。 ゴゴは一瞬だけ操舵輪から手を離し、その場で回転して踊った。 「愛のセレナーデ」 モーグリのモグの特殊技能『踊り』。この世界の魔術で説明するならそれは固有結界という名になる。 二回転してから再び操舵輪を握りしめ、踊りの名を呟いた瞬間から周囲の空気が冬木市本来のものとも、バトルフィールド内のものでもなくなっていく。 本来、この踊りを発動すると周囲の空間は全てかつての世界に合ったサウスフィガロ地下にある屋内に作り変えられるのだが。この世界の魔術を知り、桜ちゃんの属性『架空元素・虚数』で様々な事象を変質させ、今では色々な技術は全く別のモノへと変貌させられるようになった。 バトルフィールドがそうであったように飛空艇ブラックジャック号を操縦するゴゴを中心にして固有結界が広がっていく。 ただし目に見える景色は何一つ変化せず、現れるべきサウスフィガロ地下の光景もそこには無い。 広がっていくのは冬木の街並みそのものだ。 ケフカがバトルフィールドで冬木を覆い尽くすのならば、ゴゴはその中の冬木を冬木のまま別のモノに作り変えてゆく。 ゴゴの目はブラックジャック号の下にある冬木市のまったく変わらない姿を映し出す、けれどそこに居るべき『生物』に分類される者達がどんどんと姿を消していった。 反対に一般人の目から見れば、固有結界が広がっていくにつれてゴゴたちの方が消えている様に見えるだろう。 発動された踊りはサウスフィガロ地下の風景ではなく冬木市の情景を作り出す。 ゴゴがこの一年生活してきた冬木市の具現化―――。愛のセレナーデではなく、固有結界『冬木(ウィンター・ツリー)』とでも名づけるべきだろうか。 戦いに無関係のどうでもいい事を考えていると、あっという間に固有結界がバトルフィールド内の隅から隅までを覆った。 これで今の冬木市はケフカのバトルフィールド内に囲まれていると同時に、ゴゴが発動した固有結界にも覆われている事になる。それだけではなく聖杯戦争に関連のある者だけを固有結界の中に引きずり込んだので、固有結界の外側には何の変哲もない街並みがあり、内側には一般人を排した戦いの舞台が出来上がった。 「シャドウの苦労は水の泡か」 固有結界を発動させて戦う者とそうでない者を別けたなら、わざわざ煙玉を使って一般人の目からキャスターを隠す必要など無かった。 シャドウには悪い事をしたな。ゴゴはそう思いながら操舵輪を回してブラックジャック号を方向転換させる。 バトルフィールドと固有結界、結界の二重掛けで完全に戦いの舞台が整ったならば、夜など待たずに戦いは開始される。そうなれば、今、この瞬間にケフカが攻撃を仕掛けて来てもおかしくない。 果たすべき事を果たす為、ゴゴは冬木のある場所へと向かった。 どうやって壊そう。 どうやって潰そう。 どうやって崩そう。 どうやって殺そう。 今のケフカ・パラッツォの頭の中は何を考える場合においても『破壊』が常に念頭に置かれていた。 根底にあるゴゴの意識が『桜ちゃんを救う』という目的へとケフカの行動を束縛するが、その過程においては何の制限もない。 定まった法則ではなく『救い』は曖昧な定義であり、人によって環境によって時代によって時間によって状況によって過去によって千差万別に姿を変える。 例えば、ケフカが桜ちゃん以外の全ての人間を滅ぼしたとしたら、『もう誰も桜ちゃんを傷つけない』という意味で救いとなる。故に今のケフカには制限が有るようで無かった。 「むほほほほ、わざわざ冬木を再現するとは猪口才な」 円蔵山の雑木林で嬉々として笑い声をあげるケフカ。少し視線を傾けるとそこには柳洞寺があり、本来であれば住職やそこに住まう人々の姿が合ってもおかしくないのだが、そこに人影はない。 人が消えたのではなくケフカの方がゴゴが作り出した固有結界の中に取り込まれたのだ。柳洞寺に住まう者はこことは違う通常空間で何事もなく生活しているだろう。 「だが冬木が僕ちんのバトルフィールドで覆われている事実に変わりは無い。建造物は弄れなくても、人間なら百人単位でもってこれる」 何もかもがケフカの思い通りではなくなったが、それでもこの空間の中で多大な影響力を持っている状況に変化は無い。 バトルフィールドと固有結界の隙間に手を伸ばして大量虐殺する程度は簡単だ。 「この世で一番の力を私は取り込んだ。それ以外の者などカスだ! カス以下だ! カス以下の以下だ! 破壊、はかい、ハカイ!! ゼ~ンブ、ハカイだ!!」 「ひっ・・・」 ケフカが喜々として叫ぶとすぐ近くで小さな悲鳴を上がる。そこに居たのはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。 ほんの少し前までは遥か遠方のドイツにいながら、今は冬木に運ばれてきた。 彼女はアインツベルン城を破壊した張本人に強制的に連れてこられ、空気の無い空間を通り抜ける為に石像にされていた稀有な体験をした少女でもある。 ゴゴの姿はケフカへと変貌を遂げており、さっきまで居た『よく判らない人』が『得体の知れない奇人』にレベルアップしてイリヤスフィールの恐怖は更に増長したに違いない。 あまりに唐突に色々な事が起こり過ぎて、彼女が許容できる精神的な出来事を軽く突破してしまった。 これはこれで壊れる前兆と言える。 今イリヤスフィールにできる事は震え、怯え、泣き、縮こまるだけ。この場から逃げ出したいと願っても、雪が降るドイツからいきなり晴天の冬木に連れてこられたのでどこに逃げればいいかすら判らない。 「安心しなさーい。ちゃーんと約束は守って両親に会わせてあげるのだ」 涙を浮かべながらケフカを見上げる顔が『本当に?』と語っている。ただし、意味ある言葉になって放たれはしない。 言葉を口にする事すら今のイリヤスフィールには困難のようで、ただただケフカの動向を怯えて見つめていた。 もしこの少女の目の前で父親を殺したらどんな顔を浮かべるだろう? もしこの少女の目の前で母親を殺したら、どんな絶望を味わうだろう? もしここで、この少女の心を完全に破壊し尽くして、壊れた心と体だけを両親の元に送り届けたら、どんな顔をするだろう? 物理的な破壊ではなく、精神的な破壊を想像するとケフカの顔はより喜色を深めていく。その顔を見てイリヤスフィールの顔が更に恐怖に染まっていくのだが、ケフカにとっては喜び以外の何物でもない。 「何かやられると面倒だじょ。盟約が果たされるまで眠るがいい」 「え・・・・・・」 「ブレイク」 イリヤスフィールが何か言うより早く、何か行動を起こすより早く、恐怖のあまり発狂するよりも早く、ケフカは彼女を冬木に連れてくる時にも使った石化魔法をもう一度使った。 英霊の対魔力スキルがあれば石化に抗しうるか、あるいは効果そのものが発揮されないが。人の要素を盛り込んだホムンクルスでしかないイリヤスフィールには対抗する術はない。 灰色の三角形と八つの紅玉がイリヤスフィールの体目掛けて収束していき、一秒とかからずに彼女の小さな体が石像へと転化していく。 次元の狭間を移動する間は恐怖に染まっていた苦しみの石像が出来上がったが、今度は自分の身に何が起こっているかよく判っていない動揺の石像だ。苦しんでいる様子も悲しんでいる様子もないので、それがケフカには少し不満となる。それでも邪魔をされたり余計な事をされるよりは余程いい。 そうやって自分を説得した後、ケフカは行動を開始した。 「奴らは閉じ込めたつもりかもしれませんが、この中なら好きにやれますのよ?」 誰に聞かせる訳でもなく、唯一近くに居た聖杯戦争の関係者は石像になっているので、ケフカの独り言は空しく消えていく。けれどそれでも全く構わない様で、ケフカは石になったイリヤスフィールを楽しげに見つめていた。 「ホワッ、ホッホッホッホッホ!!」 聞く者のいない雑木林の中で高笑いを鳴り響かせた後、ケフカは右足を少しだけ上げてから地面へと落とす。 ドンッ! と大きめの音を立てると、それに合わせて足元のケフカの影が一気に広がった。 それは最早地面にできる人影程度の小ささではなく、ケフカを中心に広がる黒い沼地のようだ。 本当に沼地だったならばケフカの両足と石像になったイリヤスフィールが沈んでいくのだが、沈むのは二人の周囲にある草木だけ。 黒い沼の中に自然が呑まれていく、喰われていく、取り込まれていく。ケフカの足元から広がった何かにズブズブとあらゆるモノが吸い込まれていき、あっという間にケフカとイリヤスフィールの石像だけがそこに残った。 「お出でなさい、魔神の名を持つ我が僕よ――」 ケフカが両手を掲げてそう叫ぶと、足元にある黒いモノから何かが姿を現す。 それはケフカより大きく、巨大な顔の眉間だけでケフカの開いた両足が収まっていた。そして、黒い沼から現れた状況をそのまま表すように、どんどんと巨体を出現させながらも常に体色は黒色に染まっている。 人など丸呑み出来てしまう巨大な口には鋭い歯が何本も並んでおり。胴体に当たる部分はなく、巨大な顔の横から手が伸びていた。 ただし、その巨大な生物の特徴を言い表せる点は、両手の下―――体の前だけではなく、後ろにも同じように巨大な顔がある点だ。 モアイ像にも似た下あごの伸びた顔が後部にもう一つあり、その顔もまた巨大な口と鋭い歯を備えている。 浮遊する黒一色の異形の上に立つケフカ。 もしこの生物が黒色の体躯ではなくピンク色だったならば、それを知る者は即座に何であるかの答えに辿り着けただろう。 この世界に置いてはギリシャ神話に登場する魔神。かつてケフカが君臨していた世界ではガストラ帝国に協力関係にあり、世界が崩壊した後は闘技場で飼われていた魔獣だ。 その名を『テュポーン』。 「フンガー!」 黒色のテュポーンはケフカを頭の上に乗せたまま鼻息を荒くした。 「さあ出陣です。まずは川の向こうにいる王様を痛い目に合わせてやろうじゃなーい」 ケフカがそう宣言すると、テュポーンはケフカを乗せた状態で上へ上へと舞い上がる。 テュポーンが飛び立つと同時に現れた場所にあった黒い沼は消え去ったが、代わりに草木が生い茂っていた筈の個所が更地へと変貌してしまう。 まるでテュポーンがそこに合った生命の息吹を喰い尽くして顕現したようだった。 「今度は短距離移動なり――デジョン!」 嬉々として喋り続けるケフカが言い終えると、ケフカとイリヤスフィールの石像を乗せたテュポーンの前に次元の裂け目が現れる。 それは何もかもを呑み込む異次元と同時に通り道。何の躊躇いもなくケフカを乗せたテュポーンがそこに飛び込むと、一瞬後に彼らの姿は柳洞寺近くの雑木林から全く別の場所へと移っていた。 ケフカが見下ろせばそこにはとある建物が堂々と建っている。外観も含めて内部もかなり損傷しているが、それでも崩れる事無くそこに在った。 その建物もまた固有結界の一部であると知りつつも、ケフカはその建物の雄大さと頑丈さに『壊し甲斐がある』と思いを馳せた。 そして高らかに宣言する。 「冬木にお集まりの紳士淑女の諸君。ケフカ・パラッツォはここに宣言する。私は『聖杯』を手に入れた」 顔を向けた箇所は下にある建物、声を発する方向もそこなのだが、バトルフィールドに覆われた冬木市全てに声が届く様に魔力と肉声を混ぜ合わせて飛ばす。 防災行政無線を発信する為、屋外に設置しているスピーカーは冬木市にもある。光化学スモッグ注意報や迷子のお知らせなどに使われる放送で、それと似たイメージを頭の中に描きながら、固有結界の中にいる聖杯戦争の関係者全員に聞こえる様に声を出す。 聞け、聞け、聞け、と嗤いながら。 「信じるも自由。信じないも自由。そして優しいぼくちんは関係者全員にチャンスを与えてあげるのだ。『聖杯』が欲しければここまでおいで」 声よ、この世界に満ちよ。 魔力に乗って広がれ。 全ての人間に伝われ。 私の想いを届けるのだ。 「願い求める者は集うがいい。俺に勝てる等と妄想を抱く者は挑むがいい。七騎のサーヴァントなんぞ倒さなくても私を倒せば『聖杯』は倒した者の手に渡る。皆、壊れてしまえ! 全てはいずれ壊れゆくぅぅぅぅぅ!!」 事情を知らない者が聞けば何が何だかわからないだろう。今、バトルフィールドの中に取り込まれている聖杯戦争の関係者でも、いきなりの言葉を理解できる者は半分以下だ。 それでもケフカは構わない。 何しろわざわざ移動してきたのは建物の中にいるサーヴァントを引きずり出すのが目的であり、他の者に聞かせるのは副次的な意味しか持っていない。 声を聞かせれば必ず出てくるとケフカは確信している。何故なら、そのサーヴァントは挑発されて籠城を決め込んだり無視したり出来ない王様だからだ。 「むむむむむむ胸騒ぎが、何か来るっ!?」 ケフカの読み通り、固有結界内に広めた言葉の余韻が消えるより前に、ケフカが乗る漆黒のテュポーンの前方に強烈な魔力が蠢いた。 幽体から実体化する前段階なのに隠しようのない濃密な気配がそこにある。完全に実体化した後は太陽の光すら呑み込む黄金の輝きを放つサーヴァントがいた。 挑発に乗って来た。 ケフカは予想通りの展開にほくそ笑みながら、見下ろしていた建物―――冬木教会から視線をあげて前を見る。 「痴れ者が! 天に仰ぎ見るべきこの我(オレ)を見下ろすだと? 王の舞う天に昇ると戯れにしても度し難いぞ、雑種!」 そのサーヴァント、アーチャーは空に浮かんでいた。 正確にはケフカがテュポーンを足場にしている様に、アーチャーもまた初めて見る何かを足場にしている。 実体化すると同時に現れた飛行機械。 それは飛空艇ブラックジャック号のように空を舞っているのだが、今の人類の科学力では決して作り出せないであろう宝具だった。 黄金のヨットに羽根を付けた様な形をしており、エメラルド色に輝く翼は太陽の光を吸収しているかのごとく眩しく光輝いている。 全長と全幅はおそらく共に二十メートル弱。アーチャーが乗っている『乗り物』であると同時に、触れるモノ全てを切り裂く剣を何本も重ね合わせた『武器』としての鋭さも兼ね備えていた。 アーチャーはその飛行機械の中央に現れた黄金の玉座に腰かけながら、テュポーンよりも少し高い位置に浮かんでケフカを見下ろしていた。 「我(オレ)の財を手に入れた等と妄言を吐く盗人には罰を与えねばならん。貴様には王の法に則り死を遇する」 「そう言うと思ったからお膳立てしたんだじょ。ここでの決着もまだだから丁度いい!」 ケフカがそう言い終えるのとアーチャーの背後に円形の輝きが生まれるのは同時だった。 剣、槍、弓、斧。武器と名のつくありとあらゆる物を異空間から取り出して発射する、宝具を撃つ宝具。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)がケフカを撃ち落とさんと発射準備を整える。 「殺る気満々だねえ・・・。でもその前に、デジョン!」 十数本の武器が一斉に目掛けて撃ち出されようとしているにも関わらず、ケフカはまったく気にした様子もなく右手を横に伸ばす。 攻撃を放つ訳でもない単なる一動作に過ぎず、アーチャーにも周囲の状況にもケフカ自身にも何も起こってない。ケフカの動きなど気にせずアーチャーが攻撃しようと思えば出来た。 しかしアーチャーは王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から武器を撃ち出さず、ケフカへ向けて武器ではなく言葉を放つ。 「雑種。貴様、今、何をした?」 「あれあれ、気付いたの? 気付いたの? ここに向かってる邪魔者を別の場所に送ったのだー! 教会の中にいる神父は別ね」 「ほう、そこに気付くか――。その注意深さだけは褒めてやろう」 「御褒めに与り恐悦至極なり」 アーチャーが攻撃するよりも前にケフカは次の行動を起こす。 「現れなしゃーい。帝国(インペリアル)・空軍(エアフォース)!!」 伸ばしたままの右手に合わせて、同じように左手も横に伸ばす。直立姿勢の体勢と合わせて横に伸びた両手はケフカを十字架のように見せている。 叫び終えるとアーチャーがそうであったように、ケフカの背後にも円形の輝きが生まれた。 ほぼ同数でありながら、円の大きさはアーチャーの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の数倍はあり、そしてアーチャーの宝具の輝きが金色であったのに対し、ケフカのそれは夜をそのまま持って来たような漆黒だった。 アーチャーが空の青さを上回る黄金の輝きならば、ケフカは空を削り取る闇だ。 その円の中から黒い何かが姿を見せる。 それは人型に見える何かが乗る機械だった。それにはプロペラがあり、機械仕掛けの指があり、垂直尾翼があった。 ただしテュポーンと同じように色彩は全て黒一色で、乗っている人型の何かも皮膚の感触が全くないので黒いマネキンの様に見える。 アーチャーはそれが何であるかを知らないだろうが、それは『スカイアーマー』に『スピットファイア』と呼ばれる飛行タイプの魔導アーマーだ。それらが幾つも幾つも幾つも幾つも黒い円の中から姿を現し、アーチャーの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)と同じように出撃を待つ。 「雑種・・・。まさか我(オレ)の『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』を真似たつもりか?」 怒りを滲ませたアーチャーの言葉にケフカからの返答は無い。だが、ケフカの顔に施された笑い顔の化粧を上回る笑顔が雄弁にアーチャーへの嘲りを物語っていた。 唯我独尊を体現するアーチャーの性格から、ケフカの前に現れた瞬間に一言も話さず攻撃してもおかしくなかった。それをしなかったのは一度限りとは言えアーチャーの猛攻からケフカが逃げ延びた過去があるので、ケフカの動きを警戒していたのかもしれない。 だがケフカの嗤い顔はアーチャーの限りなくゼロに近い我慢強さを破壊するのに十分な威力を持っていた。 ここが会話の限界―――。 「死ね」 「ハカイだぁ!」 両者の口から言葉が放たれると、背後に展開されたそれぞれの円から互いの武器が発射された。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 遠坂時臣 「う・・・・・・・・・」 視界の中に入ってくる景色が何であるかを理解するまでに私はかなりの時間を必要とした。 眠りから目覚める時の夢と現の境目を歩く現実感の無さに加え、四肢に力を込めようとしても何故か力が入り難い。 人生において一度たりとも世話になった事は無いが、話だけは聞いた事のある『医療機関での全身麻酔』から起きた時はこのような虚脱感を味わうのかもしれない。 何が起こっているか必死に理解しようと頭と体を動かしていると、私の耳にある方の言葉が入り込んでくる。 「ようやく目覚めたか。時臣」 「え・・・いゆう、おう――。わた・・・しは・・・」 「我が宝物庫よりエリクサーを一瓶用いたが、死人には効果が無い。貴様は運がいいぞ時臣、その無様な姿なりに誇るがいい」 どうやら私は遠坂邸の奥の部屋の床の上に倒れているらしい。 最初にそうと気付かなかったのは視界がぼやけていた事と、見慣れている一階天井の様子があまりにも普段の状況とかけ離れていたのが理由だ。 まるで火事にでもあったように焼け、出来た穴から二階まで見通せてしまう―――。 見える異常と合わせ、視界の中に立つ英雄王ギルガメッシュを組み合わせた瞬間、一気に私の頭は覚醒して何が起こったかを理解していく。 「王よ!」 私は礼を尽くさねばならない偉大に過ぎる英霊を前にして『気絶して横たわる』などと醜態を晒してしまったのだと一瞬で悟った。 体が思うように動かせないのは承知していたが、痛む体を強引に動かして臣下の礼を取る。関節の至る所がボキボキと固い音を奏でたが、そんなものは無視しなければならない。 「私は賊の襲撃で気絶していたのですね。王の御手を煩わすばかりかこのような醜態を・・・」 「悔いる前に構えろ、さもなければ死ぬぞ。が、それはそれで我(オレ)を愉しませる」 英雄王―――、いやアーチャーがそう言うと、まるでそれを待っていたかのごとく遠坂邸の壁面が爆発した。 壁の向こう側から何者かが壁を突き破って現れたのだ。 今更ではあるが、気絶する直前に見たあのタンクローリーが遠坂邸を結界ごと破壊して、火災で焼け落ちそうな現状を作り出したのだろう。 火が無く焼け跡があちこちに見えるのは、おそらく私が気絶している間にアーチャーが鎮火してからに違いない。綺礼は冬木教会を拠点としているので、私を助ける者はアーチャー以外に考えられない。 先程耳にした『エリクサー』は錬金術において、飲めば不老不死となることができると伝えられる霊薬の事だ。英雄王ギルガメッシュが私の為に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)からその秘法を使ったのはアーチャーらしからぬ行動に思えたが、おそらく魔力供給を行う為のマスターがいなくなると聖杯戦争で不利になると思ったのだろう。 この様子では住居としての遠坂邸は使い物にならない。地下工房は上に乗る邸宅よりも頑丈な作りになっているので、魔術工房そのものには影響はないと思われるが、修繕には莫大な費用が掛かるに違いない。 これをやったのは誰か? どの陣営が遠坂とアーチャーに仕掛けて来たのか? 魔術ではなくタンクローリーなどと俗物な攻撃方法を選んだのは何者か? その答えは壊した壁を通り抜けてくるサーヴァントが教えている。 「我(オレ)を僅かでも苛立たせるその意味――主に似て無礼な獣は分かっていないようだな」 「アアアアアアアアアアアアアアア!!」 アーチャーへの返答はなく、壁を破壊して現れた狂戦士の咆哮が辺りに響き渡る。その背後には紺色のフード付きパーカーを着込んだ男が立っている。 そのサーヴァント、バーサーカーを盾にして我々と対峙するマスター。間桐雁夜がそこにいる。 奴の姿を見た瞬間、私の心の中にあったのは『やはり』の得心であった。 夜の魔術戦ではなく、昼にタンクローリーを用いての物理的な襲撃。暗黙の了解すら守れない魔術師らしからぬ方法を取るのは襲撃者が魔術師ではないからだ。 そうなるとやりそうな人間は限られてくる。雨竜龍之介と呼ばれるキャスターのマスター、セイバーのマスターの衛宮切嗣、そして一年前に間桐に戻ったにわか魔術師の間桐雁夜のどれかとなる。 キャスターとそのマスターは聖杯戦争そのものに興味が無いので、遠坂邸を襲撃する理由が無い。だから間桐雁夜がそこにいるのは何もおかしくはない。 奴こそが犯人だからだ。 七人のマスターと七騎のサーヴァントが聖杯を得るために競い合う戦い。それこそが聖杯戦争であり、外来に協力者を頼むなどと恥を知らぬやり方をする者がタンクローリーなど持ち出すのはむしろ当然であった。 確かにあの策は遠坂邸を破損させるには多少有効だったかもしれないが、アーチャーの規格外を突破するには力不足だったのだ。故に私は生きている、敵を前にして魔術礼装であるステッキを持ち、戦う者としてここにいる。 「時臣、後ろの男と遊んでやるがいい」 「はっ!」 私の言葉を切っ掛けにして、アーチャーの頭上に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の輝きが生まれ、遠坂邸の天井までの覆い尽くす光の嵐が周囲を埋め尽くす。 あまりの眩しさに私は目を細めた。僅かな軌跡しか見えなかったが、光の中でバーサーカーがアーチャーに向けて突進していく姿を捉えた気がする。 バーサーカーの右手に握られたアーチャーの剣。倉庫街の戦いでアーチャーから簒奪した武器をまるで自分の物のように扱うその醜悪さに怒りを覚えていると、光は収まりサーヴァント二騎の姿が消えた。 横に壁にはさっきまで無かった大穴があいていて、その向こう側からは激しい戦闘音が聞えてくる。 どうやら戦場を屋内から屋外へと移し、誰にも邪魔されずにサーヴァント同士で決着をつける模様。そうなれば、残されたマスター同士で決着をつけるのは私に課せられた使命だ。 私は右手に握りしめたステッキを確認しながら、スーツ、ズボン、シャツ、蝶ネクタイの全てが整えられているかを肌の感触で確認する。 常に余裕をもって優雅たれ―――。 それは遠坂家の家訓であると同時に私自身の生き方そのものでもある。 遠坂において資質の点で私は歴代の当主たちに遠く及ばない。だからこそ十の結果を求められれば二十の鍛錬によってそれを掴み取り、課せられた試練の数々を優雅かつ余裕を抱き乗り越えるための努力を惜しまなかった。 その徹底した自律と克己こそが魔術師として凡庸な私の強みであり、気高き自負の念なのだ。 「剣・・・か。無様だな、間桐雁夜」 故に目の前で背負ったケースから鋭く光る剣を引き抜く男には失望しか感じなかった。 それでも感情を露わにはせず、戦いに臨む緊張とは異なる余裕と優雅さを持って相対する。 「一度、魔導を諦めておきながら、聖杯に未練を残し、未熟さを武器で埋めようとは・・・。君一人の醜態だけでも間桐の家は堕落の誹りを免れんぞ。今の君は魔術師ですらない」 「言いたい事はそれだけか、遠坂時臣」 「うん?」 「俺を敵と見定めておきながら随分と悠長だな。まあ、魔術師としては優秀かもしれないが、戦闘者としては三流以下のお前には戦いの機微なんて判る筈もないか」 軽い挑発で間桐雁夜の出方を窺うつもりだったが、逆に挑発を返してくるのは少々予想外だった。 綺礼からの報告で間桐雁夜がそれなりの武器の使い手になっていた事は知っていたが、どうやら精神面でも多少は鍛えられているようだ。 しかしこの程度は予想の範囲内。僅かばかり間桐雁夜の評価を高めるだけに過ぎない。底辺から少し上がったところで、底にいる間桐雁夜は底に居続けるしかない。 「遠坂時臣。なぜ貴様は桜ちゃんを臓硯の手に委ねた? 何故、養子などに出した?」 「何・・・?」 間桐雁夜から放たれたのは全く予想外の問いだったので、私は思わず眉をひそめる。 「それは今、君がこの場で気にかけるべき事柄か?」 「気にかけるべき事柄だ。貴様の愚鈍な考え方なんて知りたくもないし興味もないが、何故こうなったかの答えだけは知らなくちゃいけないんでな。言いたくないなら言わなくてもいいぞ、問い一つ応じられない臆病者に尋ねた俺が馬鹿だったって事だからな」 どうやら私を挑発し続ける算段の様だが、間桐雁夜程度の言葉で私は揺るがない。 ただ真実を語るのみ―――。 「問われるまでもない。愛娘の未来に幸あれと願ったまでの事、だから私は桜を養子に出したのだ」 「何、だと?」 今度は私の言葉に間桐雁夜が眉をひそめる番だ。 「二子を設けた魔術師は、いずれ誰もが苦悩する。秘術を伝授しうるのは一人のみ。いずれか一子は凡俗に堕とさねばならないというジレンマにな。とりわけ、わが妻は母体として優秀すぎた。凛も、桜も、共に等しく稀代の素養を備えて産まれてしまい、娘たちは二人が二人とも、魔道の家門による加護を必要とした。どちらか一人の未来のためにもう一人の才能を摘み取ってしまうなど、私には出来なかったのだよ」 私の言葉を理解しようと必死になっているのか、あるいは間桐雁夜こそ私が告げた『凡俗』であるが故に理解すらできないのか。 彼は私の言葉を黙って聞いている。 「姉妹双方の才能について望みを繋ぐには養子に出すしかない。だからこそ間桐の申し出は天恵に等しかった。冬木の聖杯の存在を知る一族であれば、それだけ『根源』に到る可能性も高くなる。私が果たせなくても凛が、そして凛ですら到らなかったならば桜が、遠坂の悲願を継いでくれることだろう」 「貴様・・・・・・」 ここにきてようやく間桐雁夜の表情に『怒り』が加わる。 私は私が信じる道に従い凛と桜の未来が明るいものとする為に桜を養子に出したのだ。 しかし俗物に成り果てた間桐雁夜には到底理解できない道筋なのだろう。 「凛ちゃんと桜ちゃんを――。姉妹で争えと言うのか!? 正気か、貴様」 「仮にそんな局面が訪れたとしても、我が末裔たちは幸せだ。勝てば栄光をその手に――、負けても先祖の家名に栄光はもたらされる。これほどかくも憂いなき対決はあるまい?」 迷いとは、余裕なき心から生まれる影。それは優雅さとは程遠い。 だからこそ私は迷わず自らの信念と誇りに従って遠坂家の当主として在り続けるのだ。 凛は遠坂の家督を、そして桜は間桐の家督を引き継ぐ。それが二人を守る道でもあるのだからな。 「お前の思惑が全て正しいと本気で思っているのか? 遠坂時臣。どうして自分が間違っていると思えない? いや、お前が間桐臓硯の何を知っている。臓硯がお前の願うとおりに桜ちゃんに間桐の魔術を継承するとでも本気で思っているのか?」 「家督を拒み、たった一年修行しただけの急増魔術師が私に魔導の真髄を語る気かね? 血の責任から逃げた軟弱さ、その事に何の負い目も懐かぬ卑劣さ――。貴様の存在そのものが魔道の恥だ、見苦しいにも程がある」 「桜ちゃんがそれを望んだのか?」 「何?」 「貴様は桜ちゃんにそれを言葉にしてはっきりと説明したのか? 何故、間桐に行かねばならないのか。何故、遠坂の家を出なければならないのか、それをちゃんと説明し、納得させ、桜ちゃんの理解を得た上で養子に出したのか? 桜ちゃんは魔術師でなくとも家族と一緒に居たいと願わなかったのか!? どうなんだ、遠坂時臣!!」 怒気を露わにする間桐雁夜の言葉を聞き、私の中に僅かばかりの迷いが生じた。 それは魔術師として、そして父として私の最善を二人に押し付けたからに他ならない。 無論、それが最善であると私は信じている。今でも桜を養子に出した決断は何も間違っていないと確信している。 だがそれでも―――。 「間桐雁夜、魔術を捨てたお前に私の苦悩は判るまい」 応じる様に私の言葉にも怒気が混じり始める。 「私は父より――先代の遠坂家当主より『家督を嗣ぐか否か?』と選択の余地を与えられた。だが凛と桜の才能はその選択の余地すらなかったのだ。二人の才能はただそれだけで条理の外側から魔性を引き寄せてしまう。対抗しうる術は娘達が自らが魔道を理解し、その身に修めるしかないのだ!」 今更ではあるが、どうして私は間桐雁夜に対し語る必要のない個人的な事情を懇切丁寧に説明しているのか疑問を覚えた。 最早、間桐雁夜が敵であるのは明白であり、アーチャーとバーサーカーの戦いが始まった時にこちらも戦い始めても良かった筈。 だが私は間桐雁夜と話している。目の前に立つこの男を魔術ではなく言葉でもって捻じ伏せなければならないと衝動が湧いてしまうのだ。 「遠坂の加護を与えてやれるのは姉妹のいずれか一人のみ。後継者になれぬもう一人を凡俗に堕とすだけならまだしも、『一般人』となった片一方を魔術協会が見つければ、連中は嬉々として保護の名目でホルマリン漬けの標本にするだろう。判るか? 間桐雁夜。凛の身を、桜の身を守る為にも間桐へ養子に出す選択は正しい道なのだ」 「遠坂が最後まで守り続ける道も合っただろうが!!」 「その為に奇跡に等しい希有の資質を潰せと言うのか? 自らに責任を負うのが人としての第一条件だ。そこから逃げ、自らの血に課せられた責任すら果たせない者は、人以下の犬。君の事だよ――間桐雁夜」 侮蔑をもって間桐雁夜の名を呼ぶと私の中に生じた迷いは消えていった。 言葉にする事でそれが正しい選択なのだと改めて自信を持つに至る。 これで間桐雁夜が納得しないのならば、結局、私と彼は生き方そのものが違いすぎる別の生き物なのだ。 私は遠坂の家に生まれ、受け継がれてきた血統の責任を果たす者。間桐雁夜は同じ魔道の家に生まれながらも、その責任を放棄し魔術師である事を捨てた者。 魔道の尊さを理解せずに一度は背を向けた裏切り者が魔術を理解する事態そのものがありえないのだ。 すると私の予想通り、間桐雁夜は魔術師としてではない言葉を口にする。 「貴様は桜ちゃんの父親でありながら、幸せも不幸も魔術師としての尺度でしか計らなかったんだな。薄汚い魔術師が・・・。貴様は臓硯が何故養子を必要としたか考えもしない浅はかな人間の屑だ」 「日常の外側にある魔性は多くのモノを呑み込む強大な力だ。魔術を捨てた君には計り知れない世界なのだよ」 「臓硯の企みも見抜けなかった大馬鹿野郎の知る狭い世界など知ったことか!!」 知る者と知らぬ者の乖離。それが互いの世界を別のものとする。 間桐雁夜が片手に持っていた剣を両手に構え直すのを見て、会話がここで終わるのを感じ取った。 出来れば言葉でもって完膚なきまでに叩きのめしたかったのだが、無知な者に言葉だけで理解させるのは難しく、間桐雁夜にそもそも理解する気が無ければ困難は無理に形を変える。 私は魔術礼装のステッキを振りかざし、柄頭に埋め込まれた大粒のルビーから炎の術式を呼び起こした。 虚空に描かれる遠坂の家紋を模した防御陣。触れるもの全てを焼き尽くす攻撃と防御を兼ね備えた渾身の術式だ。 たった一年修行しただけの間桐雁夜には過ぎた備えだが、その程度でこの私の敵になった気でいる相手には力の差を見せつけなければならない。 今の私の中には手加減など欠片も存在しなかった。 「やはり語り聞かせるだけ無駄な話か。言葉の通じぬ犬には罰を与えなくてはならない」 「聞くだけ無駄だった、他の道を見ようともしない魔術師が! 貴様の性根はよく判った」 その言葉が―――会話ではなく、ただ互いの思いを言葉にしただけの独り言が―――勝負開始の合図となる。 間桐雁夜は剣を構え、こちらに向けて駆け出した。