第32話 『ウェイバー・ベルベットは幻想種を目の当たりにする』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 間桐邸を中心にしてティナが展開したバトルフィールド。そして、バトルフィールド内に巣食う敵は炎と風の二重属性、しかも魔法防御力と魔法回避率を無視する魔法『メルトン』で一掃された。 アサシンを除いて他のマスターおよびサーヴァントの姿は確認できなかったが、死角に潜む使い魔の群れと聖堂教会から派遣され、実質、言峰璃正の私兵として行動していたスタッフもまた消滅した。 つまり人を殺した訳だ。 だがゴゴにとってそんな事は『敵を倒す』以上の意味を持たず、殺人への罪悪感など欠片も湧きあがらない。 ゴゴ達が使う魔法は術者が持つ魔力―――この場合は『一度の魔法に込められる威力』の略称で『魔力』が強ければ強いほどに破壊力を増す。回復できる威力もまたそれに匹敵するので単純に壊すだけが魔力の真骨頂ではないが、アサシン程度の対魔力など簡単に突破して焼き尽くし。 暗殺者の英霊ですら死ぬのだ、人間などひとたまりもない。 燃やし尽くされて消滅した中には張り込み中の刑事を彷彿させる自動車での監視を行う者もいた。後部座席の窓にスモークフィルムを張り付けて車外から見え辛くして監視を行う者。大型ワゴン車に大勢で乗り込んで、旅行者を装って冬木市を観光していると見せかけて間桐邸を監視する者。 誰も彼もが等しく灰も残さず焼け死んだが、とにかく色々なパターンが合った。 近隣の住人が音に気付いて見に来るよりも前にその内の一台―――、大型ワゴン車を拝借して間桐邸まで運びいれる。 ゴゴはかつて仲間と一緒に戦って世界を一つ救った。 その時。ケフカを倒して瓦礫の塔が崩壊した時。自分の数倍もある大きながれきをマッシュは受け止め、支え、放り投げた。 大型とは言え、車一台程度運べなくてどうするのか? 敵はサーヴァントとして召喚された英霊だ、彼らと互角に相対するならその程度は軽くやってのけなければならない。 ゴゴは、いや、マッシュは力ずくでその大型ワゴン車を一台引きずって間桐邸に押し込み、門扉を破壊して出来たであろう凹みを体当たりで作り出す。 後はブレーキをかけて間桐邸そのものにぶつかる前に静止したような位置に置いておけば、あたかも『聖堂教会のスタッフが運転する車が操作を誤って間桐邸に突っ込んだ』と見える状況になる。 運転者がいないのは事故を恐れて逃げた為。そういう、魔術とは関係なく、運転者のいないタンクローリーが突っ込んできた悪意ある状況もない。表の世界でも普通に起こりえる可能性を作り上げた。 これは悪意を持って行われた事件ではない。単なる事故に過ぎないのだ。 間桐邸からの出陣準備を整えると同時に表向きの体裁を整える。こういう場合、アサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』で人出が増やせるのが非常にありがたい。 別の事をやりながら他の場所にも意識を飛ばせるのだから―――。 冬木市の監視には101匹に増えたミシディアうさぎにほぼ任せているが、重要な監視対象には他よりも多くのミシディアうさぎを配備している。これは見つからないように万全の注意を行いながらも、監視対象を決して逃がさないようにする配慮だ。 その中の数匹が燃え盛る遠坂邸を見つめていた。 ゴゴはその視界を通して、同じものを見ている。 ほぼ間違いなく衛宮切嗣の仕業であろうタンクローリーの突貫によって、巡航ミサイルに匹敵する強烈な爆風が遠坂邸の結界を一撃で吹き飛ばした。 もちろん遠坂邸の結界が外敵―――この場合はタンクローリーだが。敵を破壊する為にタンクローリーが結界に入ると同時に反応して、繰り出された数多の魔術がタンクローリーを破壊しようとしたが、自発的な爆発までは抑えられなかった。 むしろ遠坂時臣の属性と得意とする魔術が『火』であったのが大きな問題と言える。 結界が繰り出した魔術の中には侵入者を焼き尽くすであろう強力な炎の魔術もあり、それがタンクローリーの爆発を招いたからだ。 衛宮切嗣が遠坂時臣の魔術まで考えてタンクローリーの中に可燃性物質をたっぷり入れていたのかは確かめる術がないが、相性の悪さは結果が証明している。 魔術と全く関係のないタンクローリーを引き換えにして、魔術的な要塞と化していた遠坂邸の結界を破壊した。 結界を作る為に庭に配置されていた要石は言うに及ばず、タンクローリーが爆発した位置に面している遠坂邸の窓と言う窓は全て爆風によって吹き飛んでいる。壁も大部分が砕けるか凹んでいた。 火の魔術を得意とするが故に遠坂邸そのものは形を保っており、タンクローリーから生まれた炎の嵐にも耐えているが、窓が無くなって内側に火が入り込んでいるので、焼け落ちる未来が容易に想像できる。 おそらくこのまま何もしなければ一時間と経たずに遠坂邸は全焼して、地下にあると思われる遠坂の工房も使い物にならなくなる。 聖杯戦争は原則として人目のつかない夜間に行われる。だがそれはあくまで魔術の秘匿が大原則にあるからで、魔術が知られなければ昼に攻撃するのは別に聖杯戦争のルール違反とはならない。 周囲の配慮を全く考慮していないが、魔術の隠匿と言う意味ではタンクローリーは見事な攻撃だ。 金銭の問題で実現可能かどうかは別にして、一般人でも考えられる攻撃方法に対処しきれない遠坂時臣の失念だ。 ミシディアうさぎの目は聖杯戦争の裏をかいた攻撃に思いっきり晒された遠坂邸、そして燃え広がる炎の中に悠然とたたずむ黄金のサーヴァントを捉えていた。 「あの程度の攻撃すら避けられぬとはな」 言うまでもなく遠坂時臣のサーヴァント、アーチャーだ。 アーチャーは傲岸不遜が人の形を保っているようなサーヴァントで、騎士王のセイバーと征服王のライダーと同じく王を自称している。 サーヴァントがこの世界の英霊であり、今から未来の英霊でなければその正体はほぼ確定している。 人類最古の王にして、世界の全てを手中に収めた英雄王。古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第一王朝の王、ギルガメッシュであろう。 ただしゴゴにとって重要なのはアーチャーの正体ではなく、タンクローリーの爆発で遠坂邸の外壁に叩き付けられた遠坂時臣を見下している状況そのものである。 人が作り出した炎や煙やガスなどサーヴァントの身には何の影響もないのか、炎の中でもアーチャーは普通に話している。 その足元には気絶したのか即死したか。アーチャーの言葉に全う応じず、ピクリとも動かない遠坂時臣がいる。 タンクローリーの衝突と同時に魔術を発動したのか、それとも予め服に防御の魔術を仕込んでおいたのか。赤いスーツは炎の中でも原形を留め、まだ『遠坂時臣』としての形を保っていた。 普通の人間ならアーチャーが話しかけるより前に火だるまになっている。 「時臣よ、やはりお前の仮説は間違っていたようだ――。『遠坂に聖杯を渡す為、二人分の令呪を与える』、などと吐いたらしいな。この様でよく言えたものよ」 アーチャーの宝具から聖杯問答で酒器が出て来たのを考えると、おそらくあの宝具の中にあるのは武器だけではない。『酒も剣も、我が宝物庫には至高の財しかありえない』そう語っていたので、おそらく遠坂時臣の傷を癒す宝もあるだろう。 けれどアーチャーは遠坂時臣を助けるつもりはないように見える。 まだ令呪の縛りはアーチャーを束縛しているが、それも爆発の衝撃で遠坂邸まで吹き飛ばされた時臣の命が尽きればそこで終わる。このまま炎の中に放置すれば遠坂時臣は焼け死ぬか窒息して死に、アーチャーはマスターを失う事になる。 それでも構わないと思わせる状況だ。 アーチャーはもう新たなマスターに目星をつけているのか、それともアーチャーのクラスに与えられた特殊スキル、『単独行動』で残った時間を存分に楽しむつもりか。 前者だとしたら、それは間違いなく言峰綺礼になる。後者はアーチャーらしからぬ行動なので、やはり残った時間で言峰綺礼を新たなマスターにするつもりだろう。 言峰綺礼とアサシンとの主従契約はまだあるが。アーチャーならば、アサシンが言峰綺礼のサーヴァントだろうと、全てを殺すぐらい簡単にやってのける。 召喚されたサーヴァントでありながらも、何者の束縛も受けない。正しく『人類最古の王』の威厳によって自分以外の全てを罰していくに違いない。 「この程度で死ぬ輩には最早興味はない。このまま朽ち果てるがよい」 アーチャーはそう言うと、マスターである筈の遠坂時臣に触れる事もなく黄金の粒子になって消えていった。 サーヴァント消滅とも見えなくもないが、霊体化して遠坂邸を出発しただけだ。 聖杯に召喚されたサーヴァントである事実は消えないので、魔力を追えばアーチャーがどこに向かうかは判る。しかし今気にすべきは炎の中に横たわる遠坂時臣だ。 気絶しているなら新しい魔術が使えず、炎に炙られて死ぬのは間違いない。ミシディアうさぎと同じようにタンクローリーの爆風にも耐え抜いた根性のある使い魔が遠坂時臣と燃えてゆく遠坂邸を見張っているが、助け出そうとする者は皆無だ。 セイバー、アーチャー、ランサー。強力なクラスとされるこの三人のサーヴァントは総称して『三騎士』とも呼ばれるので、マスターが死して敗退してくれるのならば確実に放置する。 事実、今では演技だったと判明しているが、聖杯戦争の初戦でアサシンが遠坂邸に潜入した時は誰も邪魔をしなかった。 自陣の消耗なく、勝手に敵が死んでくれるのだ。聖杯戦争の関係者がここで遠坂時臣を助けるのは、最初から味方だった場合か、事情がある場合に限られる。 ゴゴは後者だ。 この場合の前者、つまり味方である言峰綺礼とアサシンがこの場に居れば遠坂時臣を助け出すが、生憎、遠坂邸を見張るアサシンは一人もいない。 それもその筈、遠坂時臣と言峰綺礼は結託しているのでアサシンの味方を見張らせる意味が無い。そして残ったアサシンの大半は間桐邸を見張り、間桐雁夜に協力しているゴゴの全勢力を見極めようと躍起になっている。 ただしそのアサシンも全てティナが唱えた『メルトン』によって跡形もなく消滅させられてしまい。当初の数十人から数を減らし、残るアサシンは片手で数えられる程度の人数しか残っていない。 自らのサーヴァントには見限られ。助けてくれる仲間は近くにいない。 遠坂邸が燃えているのに気がついた近隣の住人が救急に電話連絡したとしても、到着して救助するまでには時間がかかる。消防車と救急車はやって来るだろうが、その間に遠坂時臣が焼死する可能性は非常に高い。アーチャーもそう思ったから何もせずに放置したのだろう。 このままでは死ぬ。契約によって結ばれたアーチャーこそが誰よりも理解したに違いない。 今のままでは遠坂時臣が死んでしまう。 遠坂時臣の意識がこの世界から消えてしまう。 遠坂桜を救うための最も重要な因子が居なくなってしまう。 この状況はものまね士ゴゴに間桐雁夜の目的を物真似させない敵だ。 しかしゴゴもまた遠坂邸にいない。いるのはゴゴの目となっているミシディアうさぎだけ。 「行け――」 故にゴゴはそう命じた。どこかにいるゴゴが間違いなく言葉を発した。 わざわざ声に出さなくてもミシディアうさぎとの間には魔力によって繋がりが出来ており、頭の中で意思を伝えるだけでミシディアうさぎを動かすのは可能。それでも言わずにはいられなかった。 動揺しているのか? 物真似を邪魔する敵に報復しようとしているのか? 苛立っているのか? 決意を新たに作り直そうとしているのか? 自分自身のことながら、声を出した理由が理解できなかった。 ただ判っている事もある。 ここで遠坂時臣を死なせてはならない。 殺してはならない。 生かさなければならない。 桜ちゃんを救うものまねの為に―――。 全てのミシディアうさぎは監視を円滑に行う為にゴゴに透明化の魔法『バニシュ』をかけられているので、遠坂邸を見張る他の監視者に存在を気取られはしない。 だが遠坂時臣を助ける為に行動すれば、透明になった『何か』がいると敵に知られてしまう。それは警戒を強める意味で知られたくないのだが、今は仕方のない事だと割り切った。 遠坂邸を見張っていたミシディアうさぎは計五匹。冬木市に散らばったミシディアうさぎ達の中では一割にも達しないが、それでも一ヶ所を監視する目としては多い。 それだけゴゴの目的を達する為には遠坂邸が重要な箇所になっていると言う意味でもあるのだが、遠坂時臣を救うためには圧倒的に数が足りない。 ミシディアうさぎ達はゴゴの魔力によって作り出された疑似生命体であり、強弱の違いが合っても三闘神に同列だ。それでも姿形が『うさぎ』である事実は覆しようが無く、五匹では遠坂時臣を運ぶ労力とはならない。 そしてミシディアうさぎに人を治癒する力は合っても、死者蘇生を可能にするほど強力なものでもない。 圧倒的な力不足。ゴゴは逸る気持ちを抑えながら、ミシディアうさぎに命じるのとは別に遊撃隊のような位置付けで冬木市を巡回させていたストラゴスとリルムのコンビに遠坂邸に向かうように言葉を送る。 「やれやれ。若者はせっかちでいかんゾイ。こんな真昼間に仕掛けんでもいいじゃろうて」 「早く行こ、おじいちゃん」 二人は軽口を叩きながらも事の重大さと時間の無さを瞬時に理解する。すぐに二人はどれだけ走っても疲労しなくなるアクセサリ『ダッシューズ』を腕に付けた。 そして互いに『バニシュ』をかけ、疲れを知らずに走り続ける状況を周囲から見咎められなくする。 目指すは遠坂邸だ。 状況を確認し合う時間すら惜しく、二人はただ走る。 ゴゴはそんな二人の状況を確認しつつ、再び意識を遠坂邸のミシディアうさぎへと移す。同調した視界が見せるのは燃え盛る炎であり、爆発したタンクローリーの残骸であり、今にも炎への耐性が敗北して全焼しそうな遠坂邸であり、横たわったまま全く動かない遠坂時臣だ。 間近で見るとよく判るのだが、タンクローリーに積まれていた可燃性の物質の中には液体部分と気化した部分の両方があったようで。ガソリンかそれとも他の何かが遠坂時臣にこびり付いている燃え続けている。 炎に炙られ続けて呼吸すら満足に出来ないにもかかわらず遠坂時臣が苦しむ様子は無い。 生きたまま焼かれているのに苦しんでいない―――痛みを上回る失神か、あるいは死んだか。 強大な力を有しているゴゴでも出来ない事は存在する。その中の一つに『失われた命は戻せない』がある。雁夜は何度も死んで蘇ってゴゴに殺されて生き返らせられてを繰り返してきたが、それは完全に死んだ状態に到達する前にゴゴの力で現世へと引き戻しているからだ。 老衰で死んだ者を生き返らせることはできない。 魂を失った人間を元の人格で蘇らせることはできない。 数千年前に死んで、保管されたミイラを元の人間に戻すことはできない。 あるいはこの世界の魔術を更に深く知っていけば、今まで不可能だった寿命の延長や完全な死者の蘇生すら行えるようになるかもしれないが、現段階は不可能だ。 よって遠坂時臣が完全に死んでしまえば蘇らせなくなる。 死なせてはならない。生かさなければならない。まだ聞くべき事はこいつにはある! 「むぐむぐ?」 「むぐむぐ!」 「むぐ~」 ゴゴが物真似すべき目的を達成する為、ミシディアうさぎは特有の鳴き声を発しながら遠坂時臣に接触した。 短い前足で突いてみるが、やはり遠坂時臣が動く気配は無い。耳元に近づいて鳴いてみても、微動だにしない。 躯のように横たわるだけだ。 五匹のミシディアうさぎは自分達の力不足を理解しながらも、遠坂時臣の両手両足と頭を前足で挟み込んで運ぼうとした。 「むぐー、むぐっ!」 「むぐー、むぐっ!」 「むぐー、むぐっ!」 ミシディアうさぎ達はオーエス、オーエスと掛け声のように聞こえる声をあげながら、遠坂時臣を引っ張ろうとする。けれどミシディアうさぎ達の大きさでは意識の無い成人男性一人分を運ぶのは大変な重労働で、数秒経った後で十センチも動いていなかった。 その間にも遠坂時臣と邸宅を一緒に焼き尽くそうとする炎は更に威力を増し。ゴゴが魔力を送り続けなければ、ミシディアうさぎは焼かれて消滅してしまいそうだ。 遠坂邸の結界がまだ残っているのか、それとも遠坂時臣自身の魔術効果か。物理的な攻撃なら何でも透過する『バニシュ』の効果を乗り越えて炎がミシディアうさぎ達に襲い掛かってくる。 簡単に燃えてしまう帽子とマント、ウサギの白い体毛もまた燃え易く、常にゴゴがミシディアうさぎを形作る為の魔力を供給し続けなければ、あっという間に焼き兎が五匹出来上がるだろう。 「むぐー、むぐっ!」 「むぐー、むぐっ!」 ゴゴからの魔力援助を受けながら、遠坂時臣を爆心地のタンクローリーから少しでも遠ざける為に、遠坂邸の中へと引っ張っていくミシディアうさぎ達。 炎は邸宅の中にも入りこんでいるが、外よりは若干マシだ。 引っ張りながらミシディアうさぎが持つ対象者の生命力を回復させる能力を発揮し、毒・暗闇・睡眠状態を治癒させる能力もまた存分に振るう。ゴゴが使う回復魔法に比べたら微々たるものだが遠坂時臣を生かす為に出来る手段は全て使う。 ミシディアうさぎ達も遠坂時臣と同じかそれ以上に焼かれる苦しみを味わっているだろうが、今、遠坂時臣を救えるのは彼らしかいない。 傍目から見ると目に見えない何かが遠坂時臣を引っ張っているポルターガイスト現象か、念力のような光景だ。 後はストラゴスとリルムが遠坂邸に到着するまで遠坂時臣がゴゴの力で生き返らせられる状態を維持できるのを願うのみ。 ゴゴはまた別の場所に意識を飛ばした。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 僕は何が起こっているか判らなかった。 だけどすぐにそれが異常だって理解できた。 だって僕の体は凍ったみたいに動かないのに、考える時間だけはおかしくなる程沢山あったから。 まるで自分の周りだけ時間がゆっくり流れる様な。でも時は止まってなくて僕たちの危機は確実に迫ってる。僕の目はその危険をしっかりと見つめて、僕の頭はそれが敵の攻撃だってちゃんと理解できた。 話だけには聞いていて、知った時には『時間操作』の魔術で同じ現象が起こせるんじゃないかって考えてのを覚えてる。本当に自分がこんな体験をするなんて夢にも思わなかった。だけど間違いなく僕は味わってた。 僕が『死ぬ』って思った一瞬、時間がものすごく遅くなって思考だけが物凄く早くなった。 今こうして考えている間にも危機が迫ってるのに、一瞬の間に僕はたくさんの事を考えてる、見てる、感じてる、思ってる。 僕は見た。 タンクローリーがアーケードの人を何人も何人も吹き飛ばして僕たちに向かってくるのを。 僕は見た。 沢山の人が撥ねられて腕が変な方向に曲がったり、足が千切れそうだったり、人から紅い血が飛び散るのを。 僕は見た。 僕と同じようにタンクローリーを見た瞬間、ライダーが僕の前に出るのを。 マッケンジー夫人に淡い色のカーディガンとズボンを買ってもらったサンは今も僕にしがみ付いてる。前に出た大きな背中が僕たちを守ってる。僕とサンを守ってる。 「ライダー!?」 魔術の秘匿とか、聖杯戦争のクラス名だとか、アレクセイの偽名とか、そんな事は全然考えないで僕は叫んだ。 これまで酷くゆっくりに思えていた周囲の光景が僕の声で元の速さに戻っていく。違う、これは僕がただそう感じてるだけで、時の流れは何も変わってない。 隙間から見えるとんでもない速度で僕たちに向かって突進してくるタンクローリー。 両手を大きく広げてそのタンクローリーを受け止めようとするライダーの背中。 ほんの十分前には無かった闘争の空気。聖杯戦争が冬木市に作り出す戦いの狂騒。 ライダーの両手がタンクローリーの前にぶつかった後。タンクローリーが爆発した。 「ウェイバー殿!!」 「・・・・・・・・・へっ!?」 呼びかけられた声に間抜けな返事をした時、僕の目の前は真っ暗になってた。僕が目を瞑ってたから何も見えないのだと気付くまで少しだけ時間がかかったけど、とにかく誰かが僕の名前を呼んでいる。 サンを庇いながら地面に出来るだけ身を屈めたような気がするし、一瞬だけ太陽みたいな強烈な光が飛び込んできたから目を瞑ったような気もする。 でも、何が起こったのか判らない。 ライダーは? タンクローリーは? サンは? この声は誰の声? 開いた目に飛び込んできたのはアーケードの歩道にある白い塗装だった。僕はしがみ付いてたサンを抱きしめたまま俯いてる筈なんだけど、有る筈のものが何もない。 「え・・・・・・」 「ほほう、こりゃ面白い」 すぐ近くからライダーの声が聞えてきた、僕は腕の中にあるサンの感触と彼女が無事なのを願いつつ振り向く。 そして―――アーケードの歩道まで乗り上げた所で原形を留めないで爆発したタンクローリーだったモノを見つける。 「え――。え、えっ!?」 キロではなくトンの液体を搭載出来るタンクローリーのタンクの部分が内側から破裂したみたいに広がって、タイヤと車の底の部分が辛うじて原形をとどめてるけど、誰がどう見ても『元タンクローリー』になった無残な姿だった。 でも僕が驚いてるのはそこじゃない。 タンクローリーが爆発して中にあったガソリンと思わしき液体が辺り一面に散らばってる。 しかも爆発で僕の近くのアーケードに火も一緒に飛び散ったらしく、視界のどこでも火、火、火、火、火、火、火。 燃えてない箇所を見つける方が難しい炎の地獄が広がってた。 僕はそれを手を伸ばせば触れられる位置で見てる。 「おい、坊主、さっさと目を開けて周りを見ろ。こんな体験、中々出来るものではないぞ」 「あぇ・・・・・・?」 聞こえてくるライダーの声に導かれて、僕はより強く周囲を観察した。そこで更なる異常に気付く。 突っ込んできたタンクローリーは僕のすぐ近くで止まってる。しかも運転席の部分に二か所の凹みが出来ていた、残骸しか残ってないからこそ、それがライダーの手形だって判った。 なのに、タンクローリーを腕力で止めたライダーの姿がどこにも無い。 間違いなく僕とサンを守る為に前に出たのに、僕の腰の太さぐらいはあるんじゃないかと思える剛腕でタンクローリーを力ずくで停車させたのに、そのライダーがいない。 「お、おい。ライダー」 「ん、何じゃ坊主」 「お前――どこにいるんだよ!?」 「目の前におろう」 「はぁっ!?」 僕の前には強制的に停車させられて、爆発して、原形を無くした元タンクローリーとそこを中心に広がる炎だけ。 幾ら目を凝らしてもそこには誰もいない、目の前には誰もいない。 「どこだよっ!?」 「目の前だと言っておるではないか。何を聞いておる?」 また聞こえてきたライダーの声はどこから出て来たの? 答えを探し求めてもう一度じっくり前を見つめるけど、新しい異常を発見するだけだった。 まず一つ目、居なくなったのはライダーだけじゃなくって、タンクローリーが突っ込んできた時に周りにいた人全てが消えてた。 視界の中にはアーケードとタンクローリーだったものがあるけど、動く人は誰もいない。撥ねられてた人もいない。 そして二つ目。これが一番の異常なのかもしれないけど、燃え盛る炎が僕を取り囲んで逃げ場すら無くしてるのに、僕は全く苦しくない。ライダーと話す前からこうなってたのに、今になってようやく気付けた。 熱くもない。 息が出来る。 痛くもない。 声が出せる。 苦しくもない。 何が起こってるの!? もう一度最初に考えた疑問を思い返した時。またあの声が聞えてきた。 「ウェイバー殿。イスカンダル殿ぉぉ!! 無視しないでほしいでござるよぉぉぉぉ!」 「おお、忘れておったわい」 軽く言ってのけるライダーの声が聞える。まだ姿が見えないんだけど、その声とは対照的に僕を呼ぶ声はものすごく切羽詰まってた。 一回目は判らなかったけど二回目なら判る。この声はすぐ近くから聞こえたんじゃなくて、遠くからの呼びかけだ。しかも横からじゃなくて上から聞こえる。 僕は誰もいないアーケードが燃える不気味さを横に置いて頭上を見た。 そこで僕は知る。 喫茶店らしき店の二階部分から極上珈琲って書かれた看板が突き出してる。その上にいた柳を何重にも重ね合わせた様な物体。 エメラルドグリーンのよく判らない塊が浮かんでた。 それを見た瞬間、僕は自分の体に何が起こって人が居ない理由を知る。僕たちに起こってる現象そのものを理解した訳じゃないけど、何が起こっているかは判った。経緯を全て飛び越えて理解させられた。 見えない。だけど判る。 感じる。見えなくても伝わる。 あれが―――アーケードの一画に唐突に現れたあれが、僕たちを透明にして見えなくしているんだ。 そうと判った上でタンクローリーの方を見ると、何もない筈なのにそこにいるライダーの存在を強く感じた。 見えないけど、そこにライダーが居るって判る。タンクローリーに両手をあてて腕力でその場に停車させたんだって判る。巨大な自動車が前に進もうとする力を体一つで止め、それどころか押し戻そうとしたのが判る。 その途中でタンクローリーが爆発したんだ。 ライダーは両手でタンクローリーの突進を押さえた位置から動かずに僕と話してたんだ。 「ウェイバー殿、これを!!」 頭上からまた声が聞えて来て、あのエメラルドグリーンの塊の近くから何かが跳んで来た。 最初はいきなり現れたそれが何なのか判らなかったけど、実感が伴えば理解は早い。どうやってあそこに昇ったのか、いつからあそこにいたのか。その辺りはまるで判らないけど、あそこにいるのはカイエンだ。見えないけど、この声と看板の上にいる誰かを僕は感じる。 そして今、カイエンが投げて寄越したのは―――。 「魔石っ!?」 「今ならまだ間に合うでござる。『フェニックス』を呼び出し、轢かれた者達を救ってほしいでござる!!」 無造作に放り投げられた緑色のクリスタル。中央にオレンジ色の六芒星を光らせるそれは僕の貯水槽の中で見た魔石そのものだった。 カイエンから受け取ろうとした時にサンの事と聖杯問答の事が合ったから触れる機会は無かったけど、その輝きは見間違えない。 伝説の鳥―――。 不死鳥―――。 初めて見た幻想種―――。 あの素晴らしい光景を見せられた時、僕はあの輝きに取り込まれた。『見』せられた、じゃなくて『魅』せられた。僕もあの優美に燃え盛る炎の鳥を呼び出したい、そう思ったんだ。 事前の説明もなくいきなり飛んでくる魔石。僕は慌てたけれど、サンを抱えていた手を解いて魔石を受け取る為に大きく広げる。 こっちに来い。早く、早く。 タンクローリーの爆発直前ほどじゃないけど、それでも落下してくるまでの時間を酷く長く感じた。カイエンが放り投げた魔石が僕の手に納まるまで長く数えてもほんの数秒それなのに、数十分とも数時間とも感じられた。 僕は落ちてきた魔石を両手でしっかりと掴み、落とさないように力強く握りしめる。 「以前言った通り、魔石に魔力を注ぎ込むだけでござる。ウェイバー殿の力ならフェニックスは必ず応えるでござる」 「よ、よし! やってやるぞ」 いきなりタンクローリーが突っ込んできて、今も炎が僕らを焼こうと猛威を振るってる。それなのに僕の心は手の中に納まった魔石の事ばかり考えてる。 見えない僕の手が魔石を握ってると、空中に魔石が浮かんでるように見えるからちょっとだけ不思議だった。でもそんな事は小さな違和感であり、魔石を使えるのに比べたらどうでもいい。 「えいっ!」 魔術を使う時に掛け声をかける必要なんてない。必要なのは呪文詠唱で、意味のない言葉なんて口にするだけ無駄。 でも僕は初めて使う魔石に昂ぶりを抑えられなかった。まるで危険かどうかも判らないモノに初めて触る童子のように、勇気を出すための掛け声を出した。 一瞬後。 心持ち、普段よりも力強く魔術回路が回って、両手の平に魔力が漲っていくのが判る。 そうじゃない―――。魔力を使おうと意識した瞬間、透明になった手の中にある魔石に魔力がどんどん吸われていく。 話には聞いていたけどあまり気持ちのいいものじゃない。呪文詠唱の無い魔術を使う違和感もそうだけど、僕自身が魔力を与えているんじゃなくて魔石が僕の魔力を吸ってるんだ。 止まる事無く、どんどんと。 僕の意思なんて関係なく、どんどんと。 魔力の消費と一緒に全身から力が抜けていく。手の力も一緒に消えて行って、魔石を落しそうになるから慌てて力を入れ直した。 気を張れ、ウェイバー・ベルベット!! 僕は心の中で僕自身を叱咤する。 すると手の中の魔石からルビーみたいな紅い光が三つ飛び出した。 一瞬の事で、しかもその紅い光は僕の周りに広がってすぐに消えてしまう。だから、紅い光が丸い形をしていた様に見えたのも、中央に白い模様が合った気がするのも気のせいかもしれない。 僕が自信を持って判ったと言えるのは、その紅い光を切っ掛けにして魔石が輝き始めた事だけ。 淡い緑色の光で少しずつ光り始め、それはどんどんと大きくなって広がってく。そして僕の周りにある火が魔石へと向かって吸い込まれていった。 僕の魔力を吸っていたのが炎を吸うのに転化したみたい。魔石『フェニックス』は燃え広がる火を、タンクローリーから生まれた火を、建物を燃やそうとする火を、爆発して多くの者と物とモノを破壊しようとした火を喰らい始める。 魔石は魔力を、そして炎を吸ってた。 前後左右上下。僕が見えるアーケードの至る所から炎を吸いだして、喰らってた。多分、僕の死角になってる後ろの炎も魔石に呑み込まれてるんだと思う。 炎が集まっていく。 一つの形を成していく。 燃え盛る破壊ではなく、別の形に変わっていく。 僕が見える範囲に限定されるけど、辺り一面に広がった炎は全て魔石に喰らい尽くされた。そして僕の頭上で炎の鳥となった。 腹と頭と足だけみれば普通の鳥に見えるけど、大きく広がった羽根と地面に触れる大きな尾羽は炎。キャスターの拠点だった貯水槽の中で見た姿そのものが僕の前に現れた。 しかも今度のフェニックスは僕が呼び出したんだ。 幻想種を―――この僕が。 喜びと戸惑いと動揺。それから消費された魔力の疲労感がぐちゃぐちゃに混ぜ合わさったよく判らない思いが僕の胸を暖かくしながらも迷わせる。 「大丈夫でござるか?」 呆然とフェニックスを見上げる僕の耳にカイエンの声が聞こえた。でも僕は現れたフェニックスに心を奪われていて、聞こえてたけど全く聞いてない。 透明になった状態で看板から飛び降りて、僕たちの近くに駆けつけるカイエン。 僕はぼんやりとフェニックスを見つめながら、その音を聞き、周囲の景色を眺めてた。 タンクローリーの爆発のせいでアーケードの中は無残な有様。ハリケーンがアーケードの中を通り過ぎたみたいになってた。 無事な窓ガラスは一枚もなく、壁や扉はひしゃげてるか凹んでるか折れてるか吹き飛んでる。タンクローリーだった物が合った場所を中心にして放射状に被害は広がってた。 多分百メートルぐらい遠くまで破壊は及んでると思う。 その中心近くに居るのが僕らなんだけど、相変わらず透明になった僕らには実害が何一つない。 「転生の炎」 フェニックス自身が囁いたと思う優しい声が響いた後。金色の光がフェニックスを中心にして広がって、アーケードの中を満たしていった。 魔石を使った時の緑色の光とは違う別種の光。火の熱さとは違う太陽の暖かさのような光が人々を癒していく。 僕はこの光が何なのかを知ってる。失われる命を現世に止め、死に行く命を生かす為の奇跡なのだと知ってる。 そう思って周りを見れば、至る所に人の気配を感じた。カイエンの近くに居たエメラルドグリーンの塊がたくさんの人達を透明にしているから、僕の目はそれを見れない。 だけど感じる。 タンクローリーに撥ねられた人がフェニックスの光で癒されていく。 轢かれた人達が、爆風で吹き飛ばされた人達が、炎で焼かれそうになった人達が、突然の事態に怯える人達が、誰も彼もが癒されていく。 治っていく。 貯水槽で見た奇跡がアーケードの中でまた作り出されてた。 しかもそれをやってるのは僕が呼び出したフェニックスだ。誇らしさと優越感が一緒になったみたいで気分が良い。ものすごく、いい。 治ってくのは見えないけどね―――。 「やはり拙者が使うよりウェイバー殿の方が威力が強いでござるな。フェニックスも喜んでいるでござる」 すぐ近くから声が聞こえるけど、そこにいる筈のカイエンはやっぱり見えない。でも、間違いなくそこにいる。 僕、しがみ付いてるサン、ライダー。そして合流したカイエンが同じ場所に立つ。 「ここで透明化を解除すると拙者たち全員、見られてしまうでござる。『ファントム』と『フェニックス』が見られたのは致し方あるまいが、これ以上見られるのはまずいでござるよ」 「そ――そうだ、魔術の秘匿が――」 「魔力を感知できる者か、勘のいい者でなければ拙者達の存在は見えないままなので、まだ大丈夫でござる。今はまずここを離れるべき時。すまぬが御二方、付いて来て下さらぬか」 言うが早く、カイエンは透明になった状態で走り出した。 僕らの答えを待たなかったのはそれだけ急いでいるのか、それとも付いて来ると信じているのか。どっちを考えたのか少し気になったけど、カイエンが『ファントム』と呼んだ、あの緑色の塊が僕たちを透明にしているとしたらここに留まるのはまずい。 カイエンがこの透明化を解除した途端、タンクローリーの傍にいる僕らに注目が集まるのが容易に想像できる。 爆発で殆ど吹き飛んだタンクローリーだけど、残骸の中にはライダーの両手の跡がくっきり残ってる部分もある。ここにいればライダーが『腕力で止めた』なんて、どれだけ大柄な人間だろうと絶対に出来ない異常を衆人の目に触れさせちゃう。 逃げなきゃ駄目だ。 店の中に置いてきたマッケンジー夫妻がちょっと気になるけど、あの二人に見られた瞬間に暗示が解ける可能性だってある。 僕の頭上に舞う炎の不死鳥。普通の動物ではありえない浮遊する緑色の塊。斬られた自動車の跡と武器を持つカイエン。怪しむ要素があり過ぎた。 だからここを離れなきゃいけない。 「行くぞ坊主」 「あ、ちょっと待って――」 カイエンを追ってライダーが走り出す。ただし、僕の感覚がそう思わせているだけで、実際には全く何も見えないのだけれど、とにかく僕は先を行くライダーを慌てて追いかけた。 「あー、もう。どうしてこうなるんだよ!!」 聖杯戦争で戦闘になるのは暗黙の了解で夜になっている。昼間に戦えばこういう事態になるのは誰もが判っていて、魔術の秘匿に大きな問題がある。 それなのに真昼間から僕らも周囲も巻き込んだ攻撃を誰かがしてきた。 僕はフェニックスを呼び出した昂揚と一緒に、タンクローリーを突っ込ませてきた誰か―――僕らの『敵』に恨みを抱きながら、サンを両手で抱きかかえてタンクローリーの残骸を通り抜ける。 女の子一人。でもやっぱり僕はサンを運びながら彼女を重いと感じた。 その重さはまるで命そのものの重さのようで―――。 爆心地。そう呼ぶしかないタンクローリーの爆発地点からカイエンを含んだ僕ら四人は二百メートルほど移動した。 透明になった状態でも僕の感覚が『何となくそこに居る人』が判って、走りながら避けられたんだけど。物珍しさよりも、すぐにサンを運ぶ疲労でそれどころじゃなくなった。 たった二百メートル位なのに、サンの重さに僕の両腕は疲労回復を求めてぷるぷる震える。 運ぶのをライダーにお願いすれば良かったと思いついたのは人目に付かない路地裏に移動し終えた後。透明になって誰にも見られない状態を満喫してる嬉しそうなライダーの様子を感じた後だった。 ライダーの楽しげな様子を恨みがましく思いながら。もしかして、僕はサンを運ぶのをライダーに任せたくないと思った? と思ってしまう。 一瞬自分でもどう表現すればいいのか判らないもやもやした思いが浮き出るけど、判らないからすぐに疲労で押しつぶされて消えた。 相変わらず僕の頭上には魔石から現れた炎を喰らい尽くしたフェニックスがいるけど、現れた時より更に上に昇ってるから、目を凝らして見ないと居場所が判らない。遠目では紅い鳥が飛んでいる様しか見えない。 ファントムはカイエンと一緒に移動してきたから、僕らとフェニックスの間で浮かんでるけど、場所が場所だから僕達以外誰も見ていなかった。 皆、自分達に起こってる透明化の現象と、タンクローリーが引き起こした爆発で、こっちを気に出来る余裕が無いんだ。 「では透明化を解除するでござるよ」 短くカイエンが言うと、ゆらゆらと浮かんで居た緑色の塊がサーヴァントの霊体化と同じように緑色の粒子になってカイエンの手の中に吸い込まれていく。 もちろん、僕の目がその景色を見ているんじゃなくて、そう感じるだけ。見えてないけど、そこに居るのを感じるカイエンが胸の高さまで上げた手の中に集まっていった。 数秒とかからずにさっきまで頭上にいた緑色の何かが消える。それに合わせて僕の目には路地裏に集まった全員の姿が見えた。 そして遠くからたくさんの声が聞えてきた。 「わ、お! あ!?」 「居た!!」 「見えた・・・、何がどうなってるの!?」 「あああああああああああ――」 ここに移動する前にもう判ってたんだけど、透明化の現象は一定の効果範囲内にいる全ての人間に対して効果を発揮してた。僕らは見えないけど判る、だけど普通の人間は魔術が引き起こした不可視にただ驚くだけ。 誰も彼もが驚いてた。 襲いかかってきたタンクローリー。いきなり透明になって周囲から人が消える異常。巻き起こった火災。炎を間近で見てもなんともない不思議。突如現れた幻想種―――。事情をある程度知ってた僕だって驚いたんだ。 きっと皆の驚きは僕なんかよりずっと強い。 でも・・・・・・。 遥か上空で舞うフェニックスが皆を治した、癒した、救った。炎を喰らい、死を退けて、命を揺り起こした。 僕には判る。 『フェニックス』が『ファントム』の効果範囲にいた全ての人間に影響を及ぼしたんだと強い実感がある。僕の胸に結果が宿ってる。 「残る問題を片づける為にもう一つ魔石を使うでござる」 「おお、もっと別のが出てくるのか。よし! 早くやるがよい」 「言われるまでもないでござるよ」 その暖かさは強く。近くで聞こえるカイエンとライダーの会話も、度重なる異常に今まで以上に力強くしがみ付いてくるサンも、聞いていたけど聞こえてないし、見えていたけど見えなかった。 炎の不死鳥が生み出した奇跡への忘我。 顔をあげて前を見ると、目の前に白い一角獣がいた。 「――はぁぁぁぁぁぁぁ!?」 思わず叫んだ僕に罪は無い。と思いたい。 だって一瞬前まで目の前にこんなのはいなかった筈。路地裏の薄暗さの中には僕らしかいなかった。 まあ・・・緑色したファントムはいたけど、あれはもう消えて居なくなった。その代わりみたいに一角獣が―――また別の幻想種がいた。 「うむ、見事だ。是非とも乗り回してみたい」 「今は角から『ヒールホーン』を発動させてこの辺りにばら撒かれた毒を除去している所。イスカンダル殿、邪魔しないでほしいでござるよ。それに『ユニコーン』は獰猛で男には懐かない生き物でござる」 「わかっておらんな。その苦難を征服するからこそ挑みがいがあるのではないか。先程のファントム、そしてこのユニコーン。必ずや余が征服してみせるぞ」 「・・・随分と楽しそうでござるな」 路地裏の中に現れた幻想種『ユニコーン』を挟んでライダーとカイエンが話をしてるけど、僕はそのほとんどを聞いてなかった。 極限まで白く磨き上げられた大理石のような白さの体躯。金色に輝く鬣と尻尾。 立派さで言ったら、ライダーの王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の中で見た馬―――ライダーが相棒と呼んだ、伝説の名馬ブケファラスの方に軍配が上がる。 でもユニコーンの神々しさはブケファラスとは比較しようがなくて、僕はただぼんやりと視界の中にある伝説を見つめていた。 数字の0と1はそれのみに意味があって優劣をつけることなど出来ない。同じ数字で括られながらも比較しようのない同じモノ。それと似てる。 僕はライダーが呼び出したブケファラスも、カイエンが呼び出したユニコーンも凄すぎて、ただ『すごい』としか思えなかった。 「どこもかしこも見事の一言に尽きるわい。ブケファラスに劣らぬ美しさではないか」 「無遠慮に男が見続けると角で貫かれるでござるよ?」 「うむ。美しいものにはとげがある、今も昔も変わらぬ真理よ。だからこそ征服のし甲斐がある」 二人の話を耳で聞いて頭で理解しないまま、僕はユニコーンを見つめる。 不死鳥に一角獣、看板の上にいて今はもういなくなってるあの緑色の塊も僕が知らない幻想種なのかもしれない。 カイエンの手の中にはフェニックスが吸い込まれた魔石と同じにしか見えない魔石があるけど、出て来た幻想種が違うなら別物の可能性が高い。 もしかしてカイエンはもっと魔石を持ってる? それとも一つの魔石で別々の幻想種を呼び出せる? 脳裏にそんな疑問がいくつもよぎったけど、ユニコーンの美しさはそれを容易く凌駕した。 目が離せなかった。 心を丸ごと持ってかれた。 僕はまた魅せられた。 でも・・・・・・。 胸に宿るフェニックスの暖かさが少しずつ僕の中に出来た魅了を消していく。顔をもっと上げて上空で舞い続ける炎の不死鳥を見ると、胸の奥に宿った炎の暖かさがもっと強くなって燃えるのが判った。 暖かさは形を変えて熱さになっていく。僕の中で燃えてた。 数秒後、僕は手の中にあるフェニックスの魔石を力強く握っている自分に気が付いた。 「おい、坊主」 「・・・・・・・・・・・・・・・え?」 すぐ近くからライダーの声が聞えて、応じるまでにかなり時間がかかった。 「貴様、魅入られ始めておるぞ」 「――何の事だよ?」 「自覚が無いのはたちが悪いわい。坊主の持ってるそれよ、それに貴様は魅入られつつある。そう言っておるのだ」 片方の手でユニコーンに触れようとしながら、もう片方の手でライダーは僕の手を―――僕が握り締めていた魔石を指さした。 魅入られる? 何を言っているのか判らなくて僕はライダーを見返す。返ってきたのはライダーからの説明だった。 「いいか坊主。確かにあの不死鳥は貴様が呼び出した。おそらくあの爆発に巻き込まれた多くの民草の命を救っただろう。全てを確認した訳ではないが、余の感覚に狂いが無ければここに来るまでの間に一人か二人は死地から救い出しておったぞ」 そんなこと言われるまでもないよ。 そう返そうとする前にライダーの言葉が僕の心に突き刺さった。 「だがそれは貴様の力ではない、借り物の力に過ぎん」 「それは・・・・・・」 「貴様がもし同じことをやろうとしても決して叶わん。坊主、お前はその『自分には絶対できない奇跡』を自らの手で成し遂げた。その錯覚を自分のものにしようとしておる。自分で勝ち得た力ではなく、与えられた力に魅入られつつある」 ライダーは僕がキャスターの居所を調べる時に使った錬金術の事をよく知らなかったから、僕がどれだけの事を出来るかを知らない筈。でもライダーは僕には絶対に出来ない奇跡だって断言した。 もしかしたら貯水槽で嘔吐した僕を見て、フェニックスと同じことを絶対に出来ないって思ったのかもしれない。 ライダーが考えてる事を予測するしかないのだけれど、ただその言葉が強烈な威力をもって僕に痛みを与える。 「悪い事は言わん。今すぐその魔石を離すのだ」 「なっ!?」 ライダーの言葉を聞いて即答できなかったけど、僕の中に強烈な反発が生まれた。 魔石を手放す、つまりフェニックスをこれ以上現界させておかないようにするのは、胸の中に宿ったこの熱さを消せと言われているのと同じ。 それはとても嫌な気分で、とてもとても辛くて悲しい。 僕はライダーを憎む気持ちが抑えられなかった。折角胸に宿ったこの熱さを手放せと言うライダーが憎くて憎くてたまらなかった。 僕はライダーを睨みつける。だけどライダーは少しだけ悲しそうな目を僕に向けるだけで、僕の憎悪に何の痛痒も感じてないみたい。それが余計に僕を苛立たせる。 「なぁ坊主、そんなに焦らんでもよかろうて。貴様は今その『フェニックス』でこれまで成し得なかった奇跡の糸口を掴んだのだ。己の領分を超え、己の埒外を向く欲望に火は灯った。願い、請い、進み続ければ、そんなものに頼らずともいつかは必ず届くであろうよ」 ライダーの声が僕の神経を逆なでする。 言葉の一つ一つが僕の心を抉り、そこを激しい怒りが埋めていく。 僕は敵を見る目でライダーを見た。 「だが今、その手を離さなければ道を違えるぞ。貴様は自ら匹夫の夜盗に成り下がるつもりか? 余のマスターは盗人などではないと思っておった余の考え違いか?」 「え・・・・・・?」 いっそ魔術でライダーを攻撃しようとすら思い始めた時。ライダーが言ったある言葉が冷水のように僕の心を一気に冷やす。 倉庫街で憎きケイネスに堂々と告げた時にも同じように言っていたけど、あの時はケイネスに聞かせる為の外向けの言葉だった。でも今は違う。ライダーが、他でもないライダー自身が僕に向けてそう言った。 『余のマスター』って。 聞き違いじゃない。確かに僕はその言葉を聞いた。 「今・・・、なんて・・・」 「借り物の力を自分の力とし、自分を誤魔化すような男を余はマスターにもった覚えは無いぞ。そのような行いを征服とは言わん」 僕の戸惑いを確信へと変える様に、ライダーはもう一度その言葉を口にする。 やっぱり聞き違いじゃなかった。ライダーは今、はっきりと僕の事をマスターだと認めた。その評価が僕の心を今までとは別の意味で振るわせる。 怒りじゃなかった。咄嗟にそれを表現する為の言葉が見つからない。この胸打たれる思いをなんて言えばいいのか判らない。 でも不快な感じはしなかった、それだけは間違いない。 「ウェイバー殿」 「・・・・・・カイエン」 ライダーの事しか見てなかったけど、路地裏の中には僕もいるしサンもいるしカイエンもいる。ただ僕がライダーを注視していたから隣に立ってるカイエンが見えてなかっただけなんだ。 よく見るとさっきまで居たユニコーンがカイエンの持っている魔石の中に粒子となって吸い込まれていた。 ファントムと一緒だ。現界は呼び出したカイエンの意思によって決定されているらしく、僕がフェニックスを呼び出す為に魔石に送り続けた魔力を止めれば、同じようにフェニックスも消えてしまう。 カイエンが『ユニコーン』を消した後のタイミングで僕に話しかける。何を言おうとしているかは簡単に想像できた。 魔石『フェニックス』の返却だ。 手放したくない。それは僕の偽りない気持ちだ。 この力が欲しい。それも僕の率直な願いだ。 でもこれは僕自身の力じゃない。そう認めてる僕もいた。ライダーの言葉で右往左往させられた僕の心の中に宿った僕自身だ。 そして―――他の誰でも無い、ライダーの前では自分で自分を誇れるウェイバー・ベルベットで居たい僕がいた。 どうしようもなく雄大で、強烈で、余人には及びもつかぬ器量の持ち主のライダーだからこそ。征服王と謳われ、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)で見せた、あんなにも勇壮に輝く精鋭たちに死してなお忠義されるほどの男だからこそ。認められたいと、ああなりたいと、共に戦いたいと、マスターとして誇れる自分で居たいと願ってしまう。 もしかしたら王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)で召喚されたサーヴァント達は、誰もが今の僕と同じような願いを胸に宿したのかもしれない。誰もがこの王に魅せられ、同じ道を歩みたいと思ったのかもしれない。 「フェニックスを・・・返してもらえるでござるか?」 「・・・・・・・・・・・・」 カイエンが魔石を持つ手とは逆の手を差し出しながら、僕の予想に違わない言葉を放ってくる。 数秒間、僕は何もできずにジッとしていた。 一生にも思える長い長い間に色々な事を思い、考え、迷った。 葛藤が、逡巡が、苦悩が、喪失が、言葉では言い表せないような莫大な感情のうねりがある。それでも僕の手は数秒の時を経た後。ゆっくりと手を前に出して、その手の中にあった魔石をカイエンへと渡していく。 魔石に吸われ続けていた魔力を遮断する様に意識すると、腕を通じて僕の魔術回路を流れていた魔力の感覚が急速に落ち着いていく。 紅い光が僕の手の中にあった魔石に吸い込まれていった。魔力の流入が止まってフェニックスが現界出来なくなったからだ。 人を救った結果は残っても、胸を暖かくさせていた熱が消えていく。大事な心が失われていくような喪失がとても辛い。体ではなく心が痛かった。 空を見上げれば、いなくなった不死鳥を見つけてしまう。魔石の喰われた魔力を意識すると、消えたフェニックスを想ってしまう。 苦しい―――。 辛い―――。 痛い―――。 「それでいい」 「・・・・・・・・・」 ライダーが何か言っていたけど、僕は何も言う気が起きなかった。これが正しい行いだと思えるけど、惜しむ気持ちはどうやっても消せなかった。 僕は僕自身の気持ちを整理するので精一杯。ライダーに返答できるだけの余裕なんて全くない。 「落ち着いた所で拙者は御二人に言わねばならない事があるでござる」 だから両手に『フェニックス』と『ユニコーン』の魔石を持ったカイエンが言いだした時、聞く状態にはあったけど、ただそれだけだった。 質疑応答なんて絶対に出来ない。ただ呆然とカイエンの言葉を聞くだけの人形になってた。 「実は此度の騒動、拙者にも一抹の責任があるでござる。拙者が犯人の一人を取り逃がさず、発見し斬り捨てていれば、此度の襲撃は起こらなかったやもしれぬ」 「ほぉ――」 興味深く聞くライダーが僕の目に映った。 「拙者が追っていた下手人の名は久宇舞弥」 「セイバーのマスターの協力者でござる」 「え・・・?」 聞いた事のない名前を言われた時は何とも思わなかったけど、続けられた言葉は呆けていた僕が思わず聞き返そうになる衝撃的な内容だった。 タンクローリーの攻撃は明らかに僕らを狙っていたので、他のマスターが仕掛けた企みだと予め予想してた。サーヴァントなら現代の自動車なんて使わずに英霊としての自分達の力を使った方が早いのがその理由。 そこでセイバーの名が出てくるのは予想外すぎた。 僕はきっとアサシンのマスターが生き残ったアサシンを使ってタンクローリーを向かわせたんじゃないかと思ってたのに。 でもカイエンの言葉が本当だとしたら、一般人を巻き込んで僕らを攻撃してきたのはセイバーになる。 あのブリテンの伝説的君主、アーサー王が―――忠誠と公正と勇気を重んじる、騎士の中の騎士。騎士王セイバーが―――無関係の者達を巻き添えにして僕らに不意打ちを仕掛けた事になる。 「――その話、余に詳しく聞かせよ」 「無論。拙者はその為にここに来たのでござるよ」 到底信じ難い話にライダーの口調も固くなる。 フェニックスを呼び出した時の感動。カイエンに魔石を返した時の喪失と苦痛。その衝撃に匹敵するかそれ以上の驚きが僕の中で生まれて、カイエンの説明に耳を傾けた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 同一の魔石を同時に別々の場所で使用する事は出来ない。 色々な場所に分裂して存在出来るようになったゴゴだが、魔石そのものの数が増えた訳ではない。試してみれば同じ魔石を違う物として生み出す事は可能かもしれないが。現段階この制約は有効だ。 故に魔石『ファントム』をアーケードで使用できたのは運が良かったからとしか言いようがない。 ほんの数分前まで、その魔石は日本の冬木市から遠く離れたドイツのアインツベルンの居城近くで使われていたのだ。もし今も使い続けていれば、聖杯戦争に巻き込まれた一般人を救う手段として用いられなかった筈。 アーケードに集まった一般人をライダー達ごと助けても、間桐とゴゴにとって有益にも無益にもならない。それでもファントムを発動させて炎から守り、フェニックスで死に行く者の命を呼び戻し、ユニコーンで体調以上を回復させた。 何故か? まだ子供の士郎を精神的に拷問して追い詰めた後ろめたさが、道理に合わない正しい行いをさせようとしたからか。 それともカイエンがライダー達に説明している通り、ゴゴではなくカイエン自身が久宇舞弥を取り逃がし続けていたのを悔いているからか。 突き詰めれば真の理由にはたどり着けるかもしれないが、とりあえず即答できる程簡単な思いではない。 それに今のゴゴの意識は一般人を救った冬木市ではなく、地球を半周したドイツへと移動している。別人の意識になってしまっているので、考えてもそれは予測でしかない。 だから今は考えない―――。 「攻撃しないとブラックジャックが押し負ける、か。無策で突っ込むのは分の悪い賭けだな」 操舵輪を握るセッツァー・ギャッビアーニは飛空艇ブラックジャック号を旋回させながら、眼下に見える巨大な城を見つめていた。 ゴゴがわざわざドイツまでやって来たのはアインツベルンへの攻撃が目的なので、誰にも見つからずに移動する為の透明化はもう必要なかった。あちらから視認できている筈だが、今の所は何か仕掛けてくる様子は無い。 こちらの出方を窺っているのか、それとも城に張られた―――もっと正確に言えば城の周囲にある森が作り出している結界を信頼しているのか―――。何の動きもない。 アインツベルンの城は上空を飛空艇に旋回されている状況ながらも、不気味なまでの沈黙を保っていた。 周囲を覆う深い森。点在する尖塔。降り積もる雪に対抗する様な白い外壁。 王がその権力を誇示するよりも、むしろ個人が趣味の為に作ったような―――城と言うよりもホテルのような外観。 どこにも生き物が動く気配は無い。 いっそブラックジャック号の攻撃手段であるダイビング・ボムを発動させて、対空手段が無さそうに見える城を攻撃しようかとすら考えてしまう。 だがそれは出来ない。 何故なら最終的にアインツベルンを消滅させることは確定していても、その過程に今は『聖杯の器の物真似』が追加されている。アインツベルンの魔術でゴゴが知らなかった事があるかもしれないので、ものまね士としてただ壊して物真似の機会を脱するのは愚の骨頂。 「仕方ない――。森の結界の外側に降りるぞ」 セッツァーがそう言いながらブラックジャック号を城の上空から移動させていくと、甲板のそれぞれの場所から三種類の返答があった。 「ガウガウ。さむいから、はやくする!」 「雪中行軍だクポー」 「親分・・・。早く・・・おりる」 ガウ、モグ、ウーマロ。 セッツァーを含めた全員ゴゴが分身して変身した姿だけれど、それぞれがまるで本人の様に振舞っていた。ただし一般人の普通を尺度に考えると異色のパーティとしか言いようがない。 ギャンブラー、野生児、モーグリ、雪男。しんしんと降り続ける雪の中ではウーマロの存在が合っていると言えなくもないが、雪男とて未確認動物の一種と考えられているので、やはり普通ではない。 城の周囲を完全に覆う森は一般人にはただの森にしか見えないが、木の一本一本が結界を形作る要石の役割を果たし、城から一定距離までの木は全てが魔術的に調整が加えられている。 人や車が通る程度の隙間はあるが、さすがに全長125メートル、全幅28メートルのブラックジャック号が降りられる場所は無い。 仕方なく森が途切れて着陸できる場所に移動するが、城からかなりの距離があり、目算で3キロ以上離れてしまった。 着陸しながらセッツァーがブラックジャック号のエンジンを止めると、雪の中でも元気よくまわり続けていたプロペラ音が消えていく。ヒュンヒュンヒュンと警戒に鳴り響いた音が雪が作り出す静けさに包まれていった。 「こっちはこっちで死のギャンブルをするか。俺達の命、そっくりチップにして勝利に賭けるぜ」 「ガウッ!」 「クポーッ!」 「ウガー!」 ブラックジャック号を操縦しているのがセッツァーだからか、自然とセッツァーがリーダーとなって他の三人を導く流れが出来ていた。 ガウとモグとウーマロがそれを全く気にしないのは誰がリーダーシップを発揮しても、やる事に変化は無いと気にしてないからかもしれない。 完全に停船したブラックジャック号。四人―――ちゃんと数えるなら二人と二匹は連れ立って階段を下り、外を目指す。 途中ブラックジャック号に乗る船員の健康を一手に担う男―――通称『リフレッシュおじさん』が外に出ようとするセッツァー達に声をかけた。 「おっ? 久しぶりのお客さんだね。ちょっとリフレッシュでもするかい?」 「ああ、頼む」 セッツァーが軽く頼むと、リフレッシュおじさんは手を大きく振るって金色の光を生み出し、それを全員にふりかけた。 魔法の観点から効果を見ると。体力と魔力を全快にして、ついでにステータスの異常も回復してくれている。 物理的な意味で痛みを負ってないので、回復の意味は殆ど無い。それでも全ステータス異常を回復させる魔法『エスナ』と最上位の回復アイテム『エリクサー』との効果を一緒に発動させるのは凄まじい。 その効力はゴゴが使える回復魔法すら凌駕するのだから。 「じゃあ行ってくるぜ」 ドイツまで休みなしに航行した疲れはリフレッシュおじさんによって完全な状態に復元された。 セッツァーは四分の一の確率で即死魔法『デス』の効果を発揮するカード、『死神のカード』を軽く掲げながら雪原へと続くドアを大きく開け放った。 水を得た魚。いや、雪を得た雪男ウーマロ。 「ウガァァァァァ!!」 彼は親分であるモグを肩に乗せた状態で、嬉々として雪の中を進んでいた。 飛空艇ブラックジャック号の中で移動していた時の大人しさはどこに行ったのか、雪の中を一歩一歩進むその姿は実に生き生きとしていて、彼の好む場所が何処であるかを明確に表している。 逆に薄着のガウは今にも凍結してしまいそうで、ウーマロのすぐ後ろで彼を風よけにしながら、両手で盛んに自分自身を擦っていた。 セッツァーはそんなウーマロ達の後ろについて、背後と周囲に警戒しながらアインツベルンの森を観察する。 「外周部は目くらましの結界。まっすぐ進んでも方向感覚を狂わされて来た道を戻らされる・・・か」 森の奥にある城を目指して一直線に進んでいるが、一行はさっきから全く目的に近づいていない。ただ闇雲に進んでも結界に阻まれるだけだ。 何らかの手を打つ必要があると判断したセッツァーは前を行く仲間にそれぞれ声をかける。 「ウーマロ、モグ。ここは奴らの流儀に則って雪でご挨拶しようじゃないか。ガウ、お前も寒がってないで『ゴーキマイラ』で援護しろ。あいつなら寒さも平気だぞ」 「ガウ・・・」 セッツァーが彼らの背中に声をかけると、唯一寒さに屈服しそうなガウが後ろを振り返った。 その顔が『寒いからやだ』と言ってるようだが、今のまま何もしなければ状況は好転しない。むしろ悪化しかしないのだからやってもらわないと困る。 反対にウーマロとモグは自分達がやるべき事を理解したようだ。 なお、先程セッツァーが告げた『ゴーキマイラ』はかつてゴゴが旅した世界の獣ヶ原の洞窟に出現するモンスターで、敵1体に物理ダメージの後に全体攻撃を数回連続で使用してくる厄介なモンスターだ。 この世界のギリシア神話に登場する伝説の生物と名前が似ているのは当然で、『ゴーキマイラ』は山羊、獅子、毒蛇だけではなく、蝙蝠と竜すら混ざった姿をしている。 ウーマロはモグを地面に下ろしながら真っ白い宝玉を握りしめた。そしてモグは雪の上に下ろされると同時に二回ジャンプして、その場でくるっと回転した。 ガウはモグ達の行動を恨めしそうに見つめながらまた嫌々と顔を横に振る。それでも自分一人だけが怠けるのが悪いと思ったのか、両手両足を地面につけて四本足の獣のように前を睨みつけた。 そして―――。 「吹雪」 「スノーボール」 「あばれる――『ゴーキマイラ』、雪崩」 三者三様に雪の攻撃を目の前の空間に向けて放った。 単なる天候として振っていた雪が意志ある攻撃となり、天から降り注ぐはずの大雪がウーマロの前方から発射された。 合わせてモグの足元から雪が盛り上がってモグの周囲に数十、数百の雪玉を形作る。一つ一つは直径十センチほどの大きさだが、莫大な数が集まればそれは容易に破壊を生み出す天災となる。 そしてガウの前方に合った雪が生き物のように蠢き、ウーマロの作り出した吹雪とモグの生み出した雪玉の乱打を追いかけた。 三人分の技が合流して出来上がる超巨大な雪の砲弾。局所的ではあるが、正しく大災害と呼ぶしかない強烈な一撃がアインツベルンが張り巡らせた結界を丸々呑み込んでいく。 ズズズズズ、と雪が彼らの目の前にある木を全て押し倒して、砕き潰して、喰い尽くして行った。 数秒後―――セッツァー達の前には雪で強制的に舗装された天然道路が出来上がり、城までの直線を見事に描く。 「雪の中でお前らに敵う奴はいないな」 セッツァーの視線の先にはほんの数秒前には見えなかった目的地がくっきりと映り、森の結界に大きな穴があけられた事を証明していた。 アインツベルンの結界はおそらく現代の魔術で考えればかなり高位に位置する強固な代物なのだろうが、大魔術に匹敵する天候操作を防ぐには少々力不足だった。 もっとも、その辺りの結界の強さとこちらの攻撃力を考慮しての合わせ技だったので、結界を突破できなかったら恥しかない。 「見通しが良くなったクポ」 「はやく、いく――。ガウ、さむい、いや――」 目的地が見えた事で彼らの意欲は更に増す。ウーマロとモグは待ち構える敵と雪を堪能する楽しさ、ガウは早く暖かい場所に行きたいという思惑の違いはあるが、それでも全員足を止めずに前へ進んだ。 足跡一つ無い真っ白な雪原。その白さを最初に壊す小さなサディズムを感じながら、一歩一歩突き進む。 遮蔽物を完全に消し去って目的地が見えている状態ならば到着も早い。 あっという間に二人と二匹はアインツベルンの城へと到着し、悠然とそびえ立つ城門の前に立った。 何人であろうとも通さず閉ざされているであろう城門が固く閉ざされている。 こちらを歓迎しているのではないのがありありと見て取れる。それは閉ざされた城門の前に並ぶ生気を感じさせない人型の何か―――アインツベルンお得意の女性型ホムンクルスがいるからだろう。 少なくともブラックジャック号から見下ろした時に城門の前にはこんな人影はなかったので、こちらの接近に合わせて城門か別の出入り口から出てきて整列したと思われる。 丈の長い白いワンピース、修道服を思わせる白い頭巾に髪を全て収めて顔だけを露出させている。ただし、何故か豊満な胸元だけは一枚下の衣装をそのまま露出させていて、胸元を強調させる作りになっていた。 ホムンクルス作成者の趣味か? ここがもし敵地でなかったとしたらセッツァーは口説きに言っていたかもしれないが、人間らしさを感じさせない自我の薄さと手にした凶悪な武器が緊迫した空気を作り出している。 槍、斧、鉤を組み合わせた複雑な形状、ハルバートと呼ばれる武器を手にして門を埋める様にずらりと並んぶ人の形をしながら人ではありえない女性たち。 見える範囲だけで少なくとも二十人はいる。もしかしたら閉ざされた城門の向こう側には百人以上の大軍勢が同じ格好で並んでいるかもしれない。 セッツァーは並ぶ彼女らの前に立つと、この場にいる全員に聞こえる様に声を張り上げた。 「マキリ・ゾォルケンの使いとしてやって来た。ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンはいるか?」 「当主様は無作法な振る舞いをなさるお客様とはお会いになりません。道中気をつけてお帰りくださいませ」 「そうか――」 ある意味で予想できた言葉にセッツァーは一泊だけ間を置いた。そして自分達の目的を達成する為、彼女たちに宣戦布告する。 「ならば今日、今ここでアインツベルンの歴史に幕を下ろしてやろう。この世全ての悪(アンリマユ)で聖杯戦争を台無しにした罪を償ってもらおうか」 そう言いながらセッツァーは手に持った『死神のカード』にスペードの絵柄が描かれた十三枚を全て撃ち出した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - イリヤスフィール・フォン・アインツベルン 今日もお外に雪が降る。お母様と切嗣が日本に出かけてから毎日毎日雪が振る。 変わらない雪が毎日毎日降り注ぐ。 窓から見る雪はいつも変わらない。でも見るのはイリヤだけ、イリヤ一人だけ。 「お母様・・・」 お母様は言ってくれた。 ずっとイリヤの傍にいてくれるんだって。 だから寂しくなんかない。ずっとずっとお母様と一緒なんだって。 「キリツグ・・・」 キリツグは言ってくれた。 イリヤのことを待たせたりしないって、すぐに帰ってきてくれるって。 だからイリヤは寂しくても我慢できる。 「早く、二週間経たないかなぁ」 キリツグのお仕事は二週間ぐらいかかるって言ってた。朝になって昼になって夜になって、十四回繰り返したらキリツグは帰ってくる。 その日が待ち遠しくて、イリヤは毎日お外の雪を見て夜が来るのを待ってる。 大きなベッドの中に一人で眠るのは寂しいけど我慢する。 朝、目が覚めたら隣にお母様もキリツグもいない。やっぱり寂しいけど我慢する。 だってお母様はずっと一緒だって約束してくれた。キリツグはすぐに帰って来るって約束してくれた。だからイリヤは我慢するの。 「まだかなぁ・・・」 おじい様はお母様とキリツグのお仕事の事で色々と忙しいから、あんまり会ってない。 城の中には沢山のメイドがいるけど、話しかけても人形みたいで面白くない。 だからイリヤはつまらない。 でも切嗣とお母様を待って我慢するの。 もう少し経てばお母様とずっと一緒になれる。 もう少し待てばキリツグは帰ってくる。 キリツグが帰ってきたらイリヤが新しく見つけたクルミの芽を教えてあげるんだ。きっと、キリツグはイリヤの事をすごいってほめてくれる。 だから―――イリヤはいい子で待ってるの。 「まだかなぁ・・・」 今日も新しいクルミの芽を探しに行こう。イリヤはそう思った。 そうしたら部屋がものすごく揺れた。 「え?」 床がぐらぐら揺れて、ものすごく揺れて、立ってられない。 「え? え? えぇぇぇ!?」 何が起こってるの? 何が起こったの? 何が合ったの? 何だかよく判らないけど、キリツグはこんな時にどうすればいいか教えてくれた。地震の時は机の下に潜りなさいって教えてくれた。 だから良い子のイリヤはその通りに机の下にもぐるの。 何だかよく判らなくて怖いけど、キリツグが言うんだから正しい。 怖くて怖くてたまらないけど、イリヤはいい子で待ってるって約束したから、キリツグのいう事を守るの。 ものすごく揺れてるから両手も床の上について机まで行く。がんばって、がんばって、がんばって、机の下に潜り込んだ。 「――やった!」 キリツグのいう事を守れてちょっとだけ嬉しかったけど、まだ揺れてるからすぐに怖くなった。 どうして揺れてるの? どうして、どうして? どうして、ものすごく大きな音が何度も何度も聞こえるの? この大きな音は何? この揺れは何? これは何? 何? キリツグに言われた通り机の下でジッとしてる。でも怖くて怖くて、イリヤはそれ以上何もできない。 ねえキリツグ、これからイリヤはどうしたらいいの? キリツグが助けてくれるの、大丈夫だよって言って抱きしめてくれるの? ねえキリツグ―――。 「キリツグぅぅ・・・・・・」 イリヤは何も出来なくてただジッとしてた。 何もしなくて、何をすればいいか判らなくて、机の下にずっともぐってた。 どれだけ揺れてたの? どれだけ音はしてたの? どれだけ我慢したの? 我慢すればいいの? 全然、判んない。 沢山、時間が経った気がする。 でも全然経ってない気もする。 判んない。 「お母様ぁ・・・」 イリヤは泣いた。ボロボロと目から涙があふれて止まらなかった。 「これがアインツベルン本命の『聖杯の器』か」 すぐそこに誰かが立ってた。 驚いて顔をあげたら、見た事のない誰かがそこにいた。 イリヤを見下ろしてた。 頭の上から足の下まで沢山の色で隠してるよく判らない人がいた。 誰? 誰これ? いつからそこに居たの? 「俺は、ゴゴ。ずっとものまねをして生きてきた。お前は今なにをしたいんだ? 選ばせてやる。今ここで俺に全部ものまねされて死ぬか? それとも、ものまねされた上で父親と母親の元に行くか? どっちがいい」 「・・・・・・・・・え?」 その人が何か言っていたけど、いきなりだったからイリヤにはよく判らない。 ねえ、今、なんて、言ったの?