第26話 『間桐雁夜はマスターなのにサーヴァントと戦う羽目になる』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 俺はゴゴから―――正確に言えば、自称トレジャーハンターの『ロック・コール』の姿をしたゴゴが話した、『アサシンとの戦闘』をやる為に蟲蔵へと向かっていた。正直、いつの間にかアサシンを捕獲して間桐邸で監禁しているゴゴには色々と言いたい事があるが、既にやってしまっている事については後の祭りの上に、ゴゴのやろうとしている事を俺が止められた事など一度もない。 だから早々に諦め、目の前にある事実を受け入れる事にした。 俺の目的になっている『桜ちゃんを救う』、それを物真似しているゴゴが桜ちゃんの不利益になるような真似はしない。行動は破天荒だが、その点だけは信頼している。ならばアサシンが間桐邸にいたとしてもそれが桜ちゃんにとっての悪い事には繋がらないだろう。 多分そうなる。 と、思われる。 だから諦めた。そうするしかなかった。 「雁夜、バーサーカーの力は借りるなよ。お前だけの力でアサシンを倒してみろ」 付き添いなのか見張りなのか、アサシンが蟲蔵にいると俺に言ったロックは俺と並んで蟲蔵へと向かっている。 姿だけ見るとこいつは間桐邸に初めて入った筈なのだが、迷いない足取りは勝手知ったる家人のそれで、やはり姿形は違ってもゴゴなのだと納得できる。 が、恰好だけ見たらゴゴを知っている俺でも絶対に同一人物とは思えない。 「そういえば、アサシンなら俺でも何とかなるって前に言ってたな?」 「キャスターの時と違って敵はアサシンだけだからな。バーサーカーを上手く使えば、雁夜が戦わなくてもよくなっちまう」 「暴走しないようにバーサーカーを抑え込みながら戦え、か・・・」 「いい修行だな」 繰り返すが、間桐邸に初めて入るのと同じで、俺がキャスターと戦った時もロックはその場にいなかった。『ロック・コール』という人間だけに焦点を当てるなら、知らない筈の出来事をまるでその場にいた当事者のように語っている違和感がある。 だがあの場にはゴゴがいた。姿は違っていたけど同じ存在がいた。 だからいなかった筈の男から語られるアインツベルンの森での戦いに盛大な違和感を感じつつも、意識してそれを抑え込む。 蟲蔵が近づくに連れ、足音がカツン、カツンと鳴り響いてしまう。地上部分にある間桐邸は板敷きかマットが敷いてあるので足音はほとんど鳴らないが、地下の堅さは今も昔も変わっていない。 「アサシンにも武器を渡すぞ、死にたくないなら絶対勝て」 「・・・・・・」 ゴゴがわざわざ修行目的で俺とアサシンを戦わせるのだから、相手が無手などと甘い期待は抱かない。 だが敵に向かって普通に武器を渡し、その上で弟子―――つまり俺の事なんだが―――と戦わせようとする考え方が俺には判らない。スパルタというのも生易しい荒療治や無謀ではないだろうか。 もっとも、修行でゴゴに殺された回数は既に両手で数えられる数を軽く突破してるので、生死に関しては今更だろう。考えるだけ無駄だ。 正直『死んでいる』時の感覚は、生命活動そのものが停止しているから覚えている筈が無いのだけれど、死ぬ間際の体が冷たくなる感触は何度か味わっている。 体の底から体温が抜け落ちていくような、言葉では何とも言い難い感触。あれは何度やっても慣れない。 あれを味わう位ならば、痛みを味わって生きてる実感を得る方がまだマシだ。 俺が色々と考えている内にとっとと蟲蔵へ到着してしまい。臓硯の蟲を思い出させる薄暗い様子に、この一年間で何度殺されたか判らない修行の有様が俺の頭の中に湧きあがってくる。 間桐の蟲の本拠地と言ってもおかしくない場所だったし、俺も蟲に体を喰わせた経験があるのでいい思い出なんて一つもないが、ゴゴとの修行で別の苦手意識が生まれた気がする。すなわち死への恐怖だ。 頭の中に浮かぶ恐れを跳ね除ける為にも、目に見える景色に俺は意識を集中する。そして蟲蔵の中央にいる二つの人影を見つけた。 隣にいるロックとは違うものまね士の格好をしたゴゴがいて。―――その足元にはピクリとも動かないアサシンの姿がある。 ゴゴの視線を借りて英霊を見る機会は何度かあったが、俺自身の肉眼でアサシンを見たのはこれが初めてだ。 蟲蔵の薄暗さよりもなお暗い衣装と地肌。全身に黒い塗料を染み込ませて闇に隠れやすいように自分自身を改造しているようだ。蟲蔵の床に横たわる姿は本体のない影だけがそこにある様にも見える。 よく考えてみると、臓硯が生きていた時は―――ゴゴの立ち位置が臓硯で、床に倒れたまま動かないアサシンの位置が俺じゃなかったか? 蟲蔵の中では力なき者が力ある者から一方的に睥睨させられる。これは人が違っても、ありえたかもしれない一つの可能性。 あのアサシンは俺だ。もしゴゴが蟲蔵に現れなかった場合、臓硯に聖杯を渡して桜ちゃんを救おうとした俺自身だ。 「・・・・・・・・・」 目に見える光景と、ありえたかもしれない可能性が交錯した瞬間、俺の背筋が凍った。 もし、ゴゴが間桐邸に現れなかったら―――攻撃してきた臓硯を容赦なく殺さなかったら―――『桜ちゃんを救う』物真似をしなかったら―――俺はあのアサシンと同じようになっていた。 今、俺が蟲蔵に立ち、倒れるアサシンを見下ろしているのは途方もない偶然と幸運の上に成り立った奇跡だ。これまで、その事を何度も脳裏に思い描いてきたが、今以上に実感が伴った事は無い。 俺は一生涯かかっても返しきれない恩をゴゴから受けてる。無言の中で、何も言えず立ち竦むが、心の中では強くそう思えた。 ありえたかもしれない現実への恐怖が体を縛りつけ、目が横たわるアサシンから離せない。けれど、いつまでもそうしている訳にも行かず、十秒も経てばもう冷静さが俺の中に戻っていた。 ゴゴに呆けていた事実を正直に告げれば、『よく敵の前でそれだけ呆然としてられるな』と呆れられて、修行の密度を更に濃くされるだろう。 だから俺は何も言わない。ただ、伏すアサシンを敵と定め注意深く観察する。 アサシンはゴゴに痛めつけられて全く動く気力が無いらしい。今ならバーサーカーの一撃で簡単に消滅してしまいそうな感じだ。 だがアサシンが動かないからと言って敵を近くに置いて油断してはならない。 距離を隔てて相手が動かなくても、特に拘束してない敵を前にして呆然とすればそれはすぐに『死』へと繋がっていく。俺は少しずつ近づいても全く動かないアサシンに対し、警戒を強めながら『こっちを油断させる為に死んだ振りをしてるのか?』と考える。 動かないからと言って無力ではない。それはゴゴとの修行で嫌になる程教わった。 アジャスタケースから魔剣ラグナロクを引き抜いて準備を整える。敵サーヴァントが目の前にいてバーサーカーが暴走しないか心配だったが、バーサーカーはアサシンが半死半生なのを見抜いているのか、不安げな俺とは対照的に全く動く気配を見せなかった。 もしかすると狂戦士は弱い獲物には興味が無いのかもしれない。 余計な邪魔は入らないようなので、その点については安心できるが、俺が使える魔法と剣一本だけで英霊を相手にするには若干力不足の気もする。 街を歩く時に身に着けていたアクセサリ『見切りの数珠』は今も俺のパーカーの左袖の下にあり、高確率で敵の物理攻撃を回避出来るこのアクセサリがあれば、アサシンの攻撃にもある程度は対処できる筈。 ただし、明確に効果を実感した事は一度もないので本当にそうなのか自信は無い。 死への恐怖と、ありえたかもしれない俺の末路への悪寒は少しずつ消えて行き、意識が戦いのそれに変化していく。一気に切り替えられればそれは一流の証なのかもしれないが、今の俺ではすぐに切り替えられない。 ゆっくりと、けれど確実に意識を切り替えて、敵を倒す為に全ての意識を集中させてゆく。 そうしていると、自然に思考が戦いの手数の少なさに移っていった。これでゴゴが相手の修行ならば、手数の少なさもまた鍛錬の一環と思えるのだが、これから俺が殺し合うのはゴゴではなくアサシンだ。 俺か相手か。どちらか一方が確実に死ぬだろう戦いに置いて、十全に力を発揮できる状況は整えなければならない。 これまでほとんど使う機会が無かった。その強大すぎる力故に一度発動すれば周囲に与える被害が大きく、もし英霊に通じなければ意味が無いのでこれまでほとんど使ってこなかった。けれど、今は必要だと思える物―――それが俺の頭の中に浮かぶ。 俺はこれまで私物入れになっていたポシェットに手を当てながら、ロックに向けて言った。 「ゴゴ・・・あの魔石を貸してくれ」 「それはあそこで立ってるゴゴに言え」 「どっちもお前だろうが!!」 「物真似をしてる今の俺は『ロック・コール』だ、魔石を全部持ってるのは『ものまね士ゴゴ』だからな。間違うのは駄目だぞ。それから『あの魔石』だと判る筈ないだろう、ちゃんと何の魔石か言え」 「この野郎・・・」 この一年の修行の間、ゴゴから受け渡されて何度かお世話になった『魔石』。ポシェットの中に収まれば、ずっしりと重さ以上の何かを感じる神秘のアイテム。 ロックもゴゴも本質は変わらないくせに別人のように振舞う状況に忌々しさを感じつつも、英霊相手には『魔石』が必要だし、ものまね士として別人を物真似し続けるゴゴの矜持を判らなくもない。 仕方ないので、俺は苛立ちを隠して蟲蔵の床に立つゴゴへと話しかける。 「ゴゴ――」 「何だ?」 「魔石『ゴーレム』を出してくれ」 「これで『アレクサンダー』『バハムート』『オーディン』を願ったら、戦う前に半殺しにするつもりだったが。『ゴーレム』ならいいだろう」 「・・・ロックが俺に修行だって言ったからな。それに俺の魔力じゃそいつらを召喚できないって判って言ってるだろ」 「『ジハード』なら構わないつもりだった。雁夜の覚悟を知る意味でな」 「使った途端にぶっ倒れて、その上で焼き殺されたあれを誰が使うか! この大馬鹿野郎!!」 ゴゴに向けて怒鳴りながらも、俺は足元に転がってるアサシンから全く視線を動かさない。目を離している間に向かってくる可能性は充分にある。 安全を考えるなら距離を詰めたくないのだけれど、修行を強要している弟子としては戦いしか選択肢が無い。そしてゴゴと話す為には敵に近づかなければならない。 どうしようもない危険地帯の中心にいなくちゃならない我が身の不幸に息が止まりそうだ。 「とにかく『ゴーレム』を貸してくれ」 「いいぞ――。二分でアサシンを復活させて、戦闘場所を整える。死ぬ気で戦え雁夜」 「言われるまでもない」 俺にとって蟲蔵から始まる戦いはゴゴとの修行と変わらない。 ついでにゴゴに何度も殺されてきた苦い経験を思い出させる場所でもある。 今の敵はアサシンだが、結局ここで殺し合うのは変わらない。きっとこの蟲蔵は、生息する蟲がいなくなったとしても、俺が『間桐雁夜』でいる限り決して逃れられない場所なんだ。 「ほれ『ゴーレム』だ」 「っと、っとと」 手の平を上に向けたゴゴの右手から緑色の水晶が姿を現す。中央にオレンジ色の六芒星を携えたそれは出現と同時に俺の方に投げてよこされた。 この世界の魔術師にとっては宝具に匹敵するかそれ以上の貴重なアイテムなのに、ゴゴは相変わらず魔石を荒く扱う。 急に投げられたそれを魔剣ラグナロクを持つ手とは逆の手で受け止めて、俺は急いでポシェットへとしまった。 もっと魔石を大切に扱え、とゴゴに言いたい気持ちが湧き出るが。今はそれよりもアサシンの傍を離れたいのと、戦いの意識へ完全に切り替えたい思いの方が強い。 俺はアサシンの方を向いたまま、五歩後ろに下がる。 「それじゃあアサシンの準備を始めるか」 蟲蔵の中心でそう言ったゴゴを見ながら、俺は魔剣ラグナロクの柄を強く握りしめて深呼吸した。 殺し合いは近い。 もうすぐそこまで迫っている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって分裂しているアサシンは全てが同一のサーヴァントであと同時に、その個々に分割したサーヴァントである。 それぞれのアサシンには得手不得手があり、別個のアサシンである為に似た部分は数多く存在するが、それぞれの得意分野が存在する。 ゴゴはその得意分野を考慮して、目の前にいるこのアサシンを一昼夜かけて調べ尽くした。 もちろんアサシン一人だけでは、英霊ハサン・サッバーハにして『百の貌のハサン』の異名をとるアサシンの全てには遠く及ばず、生前の体験や記憶や思考などを知るには時間が無さ過ぎる。人格形成の全てを物真似出来る程、まだアサシンの心を暴いていない。 調べ尽くした内容は、サーヴァントとして聖杯戦争に招かれたアサシンの一人の技術としての『全て』だ。 しかし今はそれで十分。 今のアサシンは体力の全てを使い果たし、こちらからの魔力供給をほんの少しでも弱めた途端に消滅してしまいそうだ。けれど、まだ消滅には至っていないので、ゴゴはそんなアサシンへと語りかける。 「意識は合っただろう? 聞こえてたなら判る筈。お前には雁夜と殺し合ってもらう。それとも最初のように、こう話しかければ応じるかゾイ?」 ものまね士ゴゴとしての話し方が途中からストラゴスのそれに変化していくと、アサシンの右手の指がほんの少しだけ動いた。 とりあえず生きてはいる。意識もある。一昼夜かけて調べ尽くす為に、傷つけたり弄ったり殺したり蘇らせたりし過ぎて、生きようとする気力が摩耗しているのだろう。 雁夜がこの一年で味わった責め苦を一日で負ったようなものだ。いかに英霊と言えど精神の疲労はとてつもない重圧になる。 「もしお前が雁夜に勝てたら生きてここから逃がしてやろう。こちらの情報をマスターである言峰綺礼に渡すも由、ものまね士ゴゴが存在する限り供給される魔力で一人の英霊としてずっと生き長らえるも由だ」 「・・・」 「ただし、敷地を一歩でも外に出た瞬間に新しい敵が生まれるからな。こちらからの追撃を逃げ切れなければお前は死ぬ。生きる為には雁夜に勝ち、間桐からの追手を振り切らなくちゃ生きるのは難しいな」 「・・・」 「じゃが、これまでのお主の処遇を考えれば、これ以上ない好機じゃゾイ。万が一にも逃げ切れたらお主には自由が待っておる。お主への魔力供給を止めて消滅させるなど無粋な真似はせんから安心せい。ワシが本気で逃がさなんだ、『これまで』よりは助かる確率は高いゾイ」 ゴゴは口調を刻々と変化させ続け、アサシンに向けて語り続ける。 聞こえる言葉をどれだけ理解しているかはアサシンにしか判らないが、わざわざ敵に聞かせてやる時点で親切なのだから、それ以上をやるつもりはない。 聞いていなかったらそれはアサシンの責任だ。 アサシンがもし雁夜に勝利を収めたとして、敷地外へと逃がす約束はちゃんと遂行する。そこで再び間桐邸に戻り、ものまね士ゴゴに絶対服従を誓うならば命を助けてもいいが、僅かでも逃げる素振りを見せたならば全力で排除する算段だ。 全部説明していても、敵対するならば絶対に逃がさない心算である。我ながら意地が悪いとは思いつつ、聖杯戦争にサーヴァントとして招かれたならば殺す気も殺される気も覚悟の上と勝手に決める。 大体、命の取り合いを覚悟できない者は戦場に出てくるべきではない。 魔法効果を消す対消滅の魔法『デスペル』でそのまま消さなかっただけ感謝されるべきではないだろうか? 何回も殺されて、何回も蘇らされ、そのたびにサーヴァントとしての能力を模倣され尽くされたアサシンは決してゴゴに感謝しないだろうが、それでもただ死ぬよりは遥かにマシな選択が目の前にある。 死んでしまえば何も残せない。 消えてしまえば何も残らない。 生きていれば機会はどこかに転がっている。 雁夜との戦いは、色々な事を物真似させてくれたアサシンへの恩返しの面もある。 「流石に武器無しで雁夜に挑むのは英霊と言えど苦しい。そこでお前には『エアナイフ』を渡してやるからお前が使う短刀の代わりの武器にしろ。柄の部分も刃の部分も黒く染めて似せてやるからな」 「・・・」 「踊って場所を・・・サーヴァントのお主には固有結界と言うた方が判り易いかの? とにかく、蟲蔵の中ではなく、別の場所で存分に戦うといいゾイ。お主の優位になる場所でなければ雁夜の修行にならん。勝てる理由がもう一つ増えたのう」 「・・・」 「魔力を今まで以上に送り込んでやる。いきなり逃げ出してもいいが、何度試しても無駄だったんだから思い知った筈。それでも逃げるんじゃったら好きにせい。雁夜と戦う前にもう一度ぶん殴って卒倒させてやるゾイ」 気の短い者なら全く応対しないアサシンに『聞いているのか!?』と怒声の一つでも投げつけるかもしれないが、ゴゴはそんな事はしない。 結局の所、ゴゴにとってアサシンがこちらの話を聞いていようと聞いていまいと関係が無い。それはどうでもいい事柄なのだ。 言峰綺礼のサーヴァントではなく、ものまね士ゴゴのサーヴァントになってしまったアサシンへ向け、ゴゴの体内にある大聖杯を物真似した術式を利用してアサシンへと魔力を流し込む。 ものまね士ゴゴの莫大な魔力を術式に中継させてサーヴァント用の魔力へと変換。聖杯とサーヴァントの間にある魔力の縄を通って英霊の核へと送る。 この感覚を人に理解させるのは非常に難しいが、蛇口の栓を緩めて水を流し、飲む者に分け与えている構図が一番近い気がする。栓を緩めるか閉めるかの決定権を持つのが聖杯―――つまりものまね士ゴゴだ。 「力が戻っていくのが判るじゃろ。あと数十秒もすればお主は完全に治るゾイ。それでも不足じゃったら、こうするだけじゃ」 「・・・」 「ケアルラ!」 「・・・」 「魔力、体力、武器。十分すぎる程の準備は整えてやった。あとはお前がどうするか、だ」 そう言いながら、右手を下に掲げて魔石を生み出すのと同じ要領で自分の中から『エアナイフ』を作り上げていく。 魔石の出現と異なるのは手の平に円形の輝きが起こり、そこから風属性の短剣がずぶずぶと浮き上がってくる点だろう。 これはバーサーカーの変身宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』とアーチャーの宝具を組み合わせ、魔力によって新しいモノを編んでいく、生成宝具とでも呼べる現象だ。 本来の『エアナイフ』は真っ直ぐな両刃の短剣で、先端の部分だけが小さな三又になっているだけの短刀だ。柄の部分に十字架の模様が描かれている程度が特色で、かつて旅した世界では正直影が薄い武器の代表だった。雁夜の魔剣ラグナロクには大きく劣る。 ただし、作り出した『エアナイフ』は、刃の部分も柄の部分も本来の色彩とは異なる黒一色に染め上げられ、蟲蔵の床に伏したアサシンの黒さよりも尚黒い武器として仕上がっている。 ゴゴは『エアナイフ』が出現すると同時に手で握りしめ、屈みながらアサシンの顔の横へと突き立てた。 ほんの少し横にずれればアサシンの後頭部を叩き割る攻撃だったのだが、それでもアサシンは動かない。 流し込んでいく魔力でサーヴァントの貯蔵魔力は満たされてる、回復魔法の一つ『ケアルラ』で体力も戻っている筈なので、動けない理由は攻撃を避けようとする意志がなかった以外に考えられない。 さすがの英霊も一昼夜かけて壊され続けては生きる意思が萎えてしまったか。そんな風に思いながら、それならそれでしょうがないかと見切りをつける。 この程度で終わるようならば、暗殺者の英霊などその程度でしかない。 「生きたいのならば立ち上がるんじゃゾイ。死にたければそのままでおればいい」 ゴゴはそう言って小さくジャンプする。そして片足を床につけた状態で右に二回ほど体を回転させる。 これでモーグリのモグが使える特殊技能『踊り』の準備は出来た。後は技の名を呼ぶだけだ。 「鬼火」 そう呟いた後、アサシンを目の前に置いた状態で蟲蔵が別の場所へと変わっていく。 滑らかな床と天井はごつごつした岩の地肌に変わり、元々は間桐の蟲が住んでいた穴は地面と同じような自然が作り出す岩になっていく。 穴は数を減らす代わりに大きさを増し、巣としての穴ではなく人が何人も通れる洞窟になっていった。洞窟の奥に広がる闇は深く、地獄へ誘っているかのような黒さを見せている。 あっという間に整えられた間桐邸の蟲蔵は消え、代わりにゴゴの周囲には洞窟が広がった。 『鬼火』。これは本来ならば『踊り』の中で『闇のレクイエム』の中に該当する技で、敵に炎属性のダメージを与える攻撃手段なのだが、今はどこかの洞窟へと変わり果てたこの空間を満たす光源となっている。 ただし洞窟全体を照らすほど強くは無く、辛うじて身の回りが見える程度のか弱い光りが辺りを照らすだけだ。 雁夜とアサシンの戦いの場所を開けた場所にしてしまえば単なる武力の衝突になり、アサシンのクラス別能力『気配遮断』を使っても簡単に見つかってしまう。 『森のノクターン』で鬱蒼と生い茂った森の中を戦いの場にしようかとも考えたが、あちらは『森林浴』などの技に代表される昼の森を基礎にした空間なので、死角は多いだろうが明るい場所ではアサシンの黒さが目立つ。 だからこその洞窟―――『闇のレクイエム』となった。 「あと一分だ。俺はここを離れるが、生きたかったら立ち上がって武器を取るんだな」 言葉にはしなかったが、『闇のレクイエム』で作り出した洞窟の中に雁夜とアサシンを取り込んだ時、バトルフィールドも一緒に展開しておいた。これで戦闘の途中で洞窟が崩落して生き埋めになったりしないが、落盤を人為的に引き起こすような自然を武器にした戦い方も出来なくなる。 あくまで雁夜とアサシンが持つ、肉体的精神的な能力によって勝敗は左右される。修行には好都合であろう。 「ではよい戦いを期待しておるゾイ」 後ろを振り返ってみれば蟲蔵では居た雁夜とロックの姿は全くない。 幾つも出来上がった洞窟の変化に巻き込んだので、今頃はアサシンとは別の位置で戦いの準備を整えているだろう。戦闘開始の合図はあちらにいるロックに任せればいい。 準備を整えたゴゴは戦いの邪魔にならないように壁際へと移動する。 歩く音に紛れ、衣擦れの音が聞こえて来た時。ようやくアサシンが動き出したのだと理解した。 見なくても判る。 そうでなければ困る。 このまま何もせずに雁夜が来るまで倒れていて、戦いもなく殺されるなど興醒めだ。 平時のアサシンなら音一つ立てないだろうが、今は本調子ではないので音が聞こえる。そこに一気に起き上がる俊敏さは無かったが、それでも暗殺者の英霊の戦う意思がまだ挫けていないと教えていた。 願わくば、アサシンが持つ高位の敏捷性を十全に発揮できるようになってほしい。 そう出来ない様に壊し尽くしたゴゴが願うのはおかしな話だが。とにかく全力で戦ってほしい。 歩けばすぐに洞窟の壁に到達し、鬼火の一つを天井近くにまで持って行きながら背中を壁に預ける。観客となる準備を整え終えると、離れた場所で立ち上がったアサシンを捉えた。 手には全体が黒く染まった『エアナイフ』があり、白い髑髏の仮面の隙間からこちらを見ている。 下半身を包む簡素な衣装、手首から肘までを巻いた布、後ろに流した紫色の髪、そして握るのは暗殺の為の武器。何もかもがアサシンのサーヴァントそのものだ。 「俺と戦うか? それもいいが、今度は手加減してやらないぞ」 「・・・・・・・・・」 無言の中で視線に込められた力が強まっていくのを感じる。けれど、逆らっても勝てないのは既に骨身に染みているので、アサシンは睨みつける以上の行動は起こさなかった。 暗殺者のサーヴァントはそのまま数秒間こちらを睨んでいたが、顔を背けて雁夜がいるであろう場所とは別の方向へと走り出した。 ほぼ無音のまま駆けて、鬼火が届かない闇の中へと消えていく。闇に溶けてしまったので、雁夜では見つけるのは非常に難しいだろう。 「そうそう、暗殺者は対象を密かに――そして気付かれずに殺さなくちゃな」 この洞窟の中にいる限り間桐邸どころか蟲蔵の外すら逃げ出せない。どれだけ遠ざかっても無駄だと思い知るか? それとも早々に諦めて雁夜を殺すのに全力を費やすか? ゴゴとの戦いで失いつつある『生への渇望』を発揮して生きようとするか? さあ、命がけで自らの命を掴み取れ―――。 もうすぐ始まる殺し合いに、ゴゴの心は少しだけ高揚した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 いきなり蟲蔵が洞窟へと変わったが、変わる状況それ自体の驚きは無い。ゴゴが『踊る』で固有結界を作り出して異界に転移させられた―――。修行の中で何十回と味わった経験を繰り返しているだけなので、最早俺にとってはゴゴの固有結界は慣れの範疇だ。 ライダーの宝具『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』と同じように、照りつける極悪な太陽と熱砂が吹き荒れる砂漠へと放り出された事もあったな。 何故息が出来るのか全く不明だが、水中に引きずり込まれた事もあった。上を目指して泳いでみたが、まったく水面に到達できなかったのは世界の謎だ。 「・・・厄介な」 俺にとって衝撃だったのは、蟲蔵の中で片時も意識を外さなかったアサシンが、固有結界発動と同時に居なくなった事だ。 ゴゴが発動させると同時に俺とアサシンをそれぞれ別の場所に移したんだろうが、敵の姿が見えない状況で洞窟の中にいるのは危険すぎる。 出会い頭にいきなり殺し合いに入るのならまだいい部類。相手はアサシンで、聖杯戦争のマスターである俺にはアサシンが持つクラス別能力『気配遮断』を知っている。そしてそれを俺だけじゃ見破れない事も判っている。 もし看破出来るなら俺を囮にして一日冬木市を出歩いた時に俺自身が監視するアサシンに気付けた筈。 だが、俺は気付かなかった。両隣を固めていたロックとセリス―――の姿をしたゴゴ二人に教えられるまでさっぱり判らなかった。 俺自身の力の無さを判っているから、厄介さも一緒に身に染みる。 「あと二十三秒で開始だ、それまでに襲ってきたらルール違反で助けてやるからよ。死なないように頑張れー」 「とりあえず黙ってくれ」 「おお、判った」 軽く言ってくるロックの言葉が妙に耳に障る。 アサシンと戦うまでの猶予で、意識は完全に戦う為の覚悟に変化させられた。だから、真剣に聞こえない声は聞きたくない。これが桜ちゃんの声援だったならやる気は倍増するんだけどな。 見えない敵、見つけられない敵、闇に隠れた敵、俺を狙う敵。アサシンを厄介だと思いつつ、俺は全く別の事も考えていた。 それは、知る事も見る事も出来ない敵と戦うのは久しぶりだ、という体験への回帰だ。 戦い始めるといきなり透明化の魔法『バニシュ』を使って、物理攻撃の全てを避ける『ガブルデガック』あるいは同じように現れた時から透明になってる『眠れる獅子』のように―――姿の見えない相手と戦うのはこれが初めてじゃない。 もっともあの場合は相手は『あばれる』でそのモンスターの特性を全て発揮したゴゴだったので実物を見た訳じゃないが。それでも見えなくなった途端に背後から思いっきり攻撃されたのは苦い思い出だ。 敵は見えないが存在が消えた訳じゃない、感知できない敵への対処法もその時に教わった。 くるなら来い。洞窟の中に隠れ潜んでいるアサシンに向け、俺の闘志は高まっていく。 そうこうしている内に時間は流れ続け、あともう少しで戦いが始まる時、洞窟の一つから握り拳位の青い炎がふよふよ飛んで来た。 アサシンの攻撃ではない。近くから聞こえるロックの声でその予測は確信へと変わる。 「ゴゴが『鬼火』を増やして色々な場所に置いたか。『ファイア』を唱え続けて灯りにする必要は無かったな」 「・・・・・・用意のいい事だな」 見え易くなるのはいいが、やるなら事前に言ってもらいたい。 ロックの殻を一枚破った向こう側にいるゴゴに向けて苛立ちを込めて呟いてみるが、振り返って見れば全く動じる様子が無い。それがまた癇に障る。 気にするな俺。 気にするな俺。 気にするな俺。 そう自分に言い聞かせていると、ついに戦いの時間が訪れる。 「時間だ雁夜。離れて見物してるぞ、勝てよ」 「判ってる」 頭の中で数えていた残り時間が零になると、全く同じタイミングでロックが話しかけてくる。ただし、その声に応じながらも、すでに戦いは始まっているのでロックの方は振り向かない。 警戒すべきはロックが立つ以外の個所。アサシンが闇の中から現れるかもしれない場所だ。 「・・・・・・・・・」 三秒ほど周囲を警戒してみたが、とりあえずどこからも攻撃してくる気配はない。まだ遠くにいるか、あるいは闇の中からこちらを警戒しているのか。 いきなり攻撃されるような事態には陥らないのを確認しながら、俺はポシェットの中に入っている魔石へと魔力を注ぎ込んだ。 全身から目に見えない何かが吸い出される感覚が通り抜ける。 俺の脆弱な魔力ではどうしても『与える』ではなく『吸われる』感覚になってしまうのは悩みの種だ。きっと桜ちゃんならそんな事はないに違いない。 気絶しそうな感覚も一緒に襲って来たので意識をしっかり整える。仮にこの状態で敵から攻撃されてもすぐに動けるように魔剣ラグナロクを握りしめ、両足を少し開いてどの方向にも飛べるように力を込める。 ほどなく召喚に必要な魔力が魔石に注ぎ込まれ、ポシェットの中で魔石が輝きながら脈動するのを感じた。 「――来い、『ゴーレム』」 幻獣の名を呼ぶと、薄暗い洞窟の中に二本の手足を持ち、背中から伸びた二本の管から灰色の煙を吐き出す『人型の何か』が現れた。 『ゴーレム』。この幻獣はユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形の名を冠し、敵からの物理攻撃に対するダメージを召喚者の生命力の分だけ防ぐ効果を持っている。泥ではなく木造に見える人形だ。 たとえどんな攻撃であろうとも、それが物理的な攻撃であるならば俺が痛みを負う前に代わりに受け持ってくれる。ゴゴは一時、このゴーレムを防御手段ではなく桜ちゃんの砂遊びの為の労働力にしていたことがあるが、俺の魔力では呼び出すのが精一杯で、あんな風に汎用性を持たせて命令出来ない。 『ゴーレム』は俺がアサシンと戦う時の盾だ。肉を切らせて骨を断つ―――今の俺が感知できない敵と戦うための、唯一の方法を実現させるための盾だ。 問題なのは、アサシンの『気配遮断』が俺の目から見ても完璧に行われた場合。つまり、目の前にいて確かに見ている筈なのに、存在そのものを認識できない可能性が一番まずい。 そうなると骨を断ちたくても断てない。もちろん存在そのものが消えてしまった訳ではないので、斬れば当たるだろうが、その『当たる』が難しくなる。 とにかく姿の見えない敵に対しては相手に初手を譲ってその位置を確認するしか方法がない。『ゴーレム』は俺と同じだけの耐久力しかないので、アーチャーの大量宝具やランサーの槍で貫かれたり、ライダーの戦車(チャリオット)で踏みつぶされたら一気に壊れてしまう。 けれど俺の知る限りアサシンの攻撃手段は他の英霊よりかなり劣り、当たり所さえよければ数回は耐えられる。 その筈だ。 「行くぞ」 短く『ゴーレム』に命じると、召喚された巨大な人形はその姿を消した。消滅したのではなく、俺の目では感知できなくなっただけで、霊体化したバーサーカーと同じように近くにいる。 次に現れるのは俺が物理攻撃を受けた時。つまりアサシンから攻撃された時。 今更ながら同じような霊体のバーサーカーが『ゴーレム』を敵と勘違いして攻撃しないか不安になってきた。もしバーサーカーが『ゴーレム』を攻撃したら、魔石の選択を間違えた事になる。 「・・・・・・・・・」 俺は無駄口を喋りたくなる衝動を抑え込みながら歩き始めた。アサシンがどこにいるか、間違いなくこの洞窟の中のどこかにいる。そして俺の目的はアサシンを倒すことで、この洞窟からの脱出は全く関係ない。 魔石を使い『ゴーレム』を召喚したせいで、俺の魔力は平常時に比べてかなり下がってる。もし俺の魔術回路が多ければこの後も攻撃魔法を連発できる余力があるんだが、無いものは無い。 短期決戦が望ましい。そしてアサシンからさっさと攻撃してもらわないと、あちらの位置も掴めない。 むしろこちらを見つけてもらうために俺は前に出る。 ゴゴが作り出したこの空間は何ヵ所かの広がった空間とそこを繋ぐ通路によって構成されていた。仮に広がった場所を『部屋』とした場合、一つの部屋の出入り口は三つから五つ。それらの洞窟あるいは通路、つまり『廊下』が全て別の部屋に繋がっている。 もしこの洞窟が迷宮だったなら、入るのは簡単でも出るのには苦労する。何しろ比較対象となるべきモノが見当たらず、一つの部屋の中を照らすのは鬼火だけで、しかもそれが部屋毎にしっかり配備されてる。 どの通路を抜けてもそこにあるのは似たような洞窟の光景だけ、あらかじめゴゴが作った異空間だとわかってなければ、あまりの変わらなさにここはどこだと叫びたくなる。 四回ほど部屋を抜けたところで、途中まで後ろから付いて来ていたロックの気配が消えた。戦いの邪魔にならないように離れたか、ゴゴのところに戻ったか。 それはアサシンが俺に近づいているのを意味している気がした。 「・・・・・・・・・」 魔剣ラグナロクを握る手に汗が滲む。同じような修行でゴゴに散々殺されておきながら、敵が変わっただけで緊張していた。 俺は剣の柄の部分を両手で握りなおしながら、壁に背を預ける。逃げ道の一つを塞ぐことになるが、手の汗を拭う為に攻撃も防御もできなくなるので、相手が攻撃してくる方向を狭めて見極めに役立てる。 部屋の中央に視線を向けながら、左手を柄から外してパーカーになすりつける。自分で思った以上に汗の粘っこい感触が返ってくるのを確認しながら、左手と右手を入れ替えた。 攻撃が来たのは右手をパーカーにつけた正にその瞬間だ。 視界の隅に『ゴーレム』の手が出現し、その武骨な手を黒塗りの刃が深く切り裂いた。 「上!?」 まだ滲んだ汗が拭えてないと判りながら、俺は剣を握ったまま横に跳んだ。一瞬遅れて、頭上に現れて攻撃を防いでくれたゴーレムの腕が消え、そこにいた黒い塊―――アサシンが見える。 薄暗さの中に同化したような黒い存在。上から下までを全く同じ色に染め、唯一こちらに向けられた白い髑髏の仮面だけが生首のように別種の存在感を放っている。 視線が交差したと思ったのは一瞬だけ。その一瞬を過ぎて、攻撃に失敗したと悟ったアサシンは近くに通路へと逃げ込んで闇の中に潜り込んでしまった。慌てて、部屋の中央に移動してその通路を覗き込んでみるが、アサシンの姿はもうどこにもない。 鬼火の明かりが照らす場所からはもう移動していた。 天井に張り付いて待ち構えていたのか、それとも横の通路から音もなく跳躍して攻撃してきたか。どちらだったにせよアサシンの攻撃は俺の警戒を簡単に抜けてきた、もし『ゴーレム』の恩恵がなければ、頭蓋を上から叩き割られて即死していた。 遠坂邸を襲撃したアサシンは結界を破壊するために石を武器にしていたと聞いているが、どうやらゴゴに捕まったアサシンは短刀での肉弾戦を得意とするアサシンのようだ。もちろん、あの攻撃が『得意に見せるふり』の可能性もあるが、それならそれで一つの指針になる。 辛うじて撤退する動きを目で終えたが、やはりアサシンの敏捷さは俺よりも上だ。攻撃してきた瞬間が全く見えず、逃げる速度は俺より速い。 さすがは暗殺者の英霊。闇の中を刈り場にした暗殺の舞台では勝ち目が全くない。殺気を欠片も感じさせない隠密は殺されかけたけど見事としか言い様がなかった。魔術師としての駆け引きではなく殺すか殺されるかの勝負だったら確実に負ける。 暗殺でアサシンに勝負を挑んでも勝ち目がないのは戦う前から判っていた。相手は俺がほんの少しだけ武器を手放した一瞬を狙ってしっかりと攻撃できる生粋の殺し屋だ。英霊にまで昇格されたその強さはただの人間でしかない俺とは違いすぎる。 だからこそアサシンを俺が勝てる状況にまで引きずり下ろす必要があった。 ゴゴに教わった感知できない敵と戦う方法と同じだ。相手の優位性を崩して、壊して、出来なくさせる。そうするしか俺に勝ち目はない。 「――やっぱりこうなるか」 キャスターが呼び出した怪物と戦った時は剣と魔法の組み合わせにバーサーカーの協力を盛り込んで互角以上の状況を作り出せたが、アサシン相手にしかも洞窟の中では真っ向勝負すらできない。 何十種類ものモンスターを物真似するゴゴとの戦いで得た戦略が、罠が、弱者の知恵が必要だ。 俺は部屋の中央まで進み、手からにじみ出た汗を完全にぬぐって正眼に構える。 そしてアサシンに殺されるのではなく、逆に俺がアサシンを殺すための策を頭の中で思い描く。戦う前からすでに原形は出来上がっていたが、殺されかかった緊張と恐怖がそれをより鮮明にした。 本当ならアサシンに攻撃される前に形にしなければならないのだが、そこは俺の未熟さだ。 部屋の中央にいれば攻撃は前後左右になる。もしアサシンがヤモリのように天井を逆さまに進めたとしても、壁際よりは頭上から攻撃される確率は減るだろう。アサシンを倒す為には上から攻撃される状況を作ってはならない。 ただし、前ではなく後ろから攻撃される可能性が非常に高い。その攻撃を俺が感知できなかったら、もう一度『ゴーレム』のお世話になってしまう。そうなれば、貴重な防御をまた減らすことになる。 「・・・・・・・・・」 俺自身の心臓の音が激しく鳴って、呼吸のペースが少し早まるのを感じた。体の力を入れ過ぎると咄嗟の時に上手く動けないのは経験で判っているので、アサシンとの殺し合いで気が高ぶっても力を抜く。 どうせこっちから攻勢に出てもアサシンの位置は判らない。闇雲に動けばその分体力を消耗するし、この部屋がアサシンの攻撃範囲なのはもう立証された。 だからこそ待つ。 速く来い―――そう思いながら、ただひたすら待つ。 過ぎてゆく一秒が永遠にも感じられる時間、俺はただ待つ。 そう言えば、蟲蔵の中で姿を消したゴゴを待ち構えていたこともあったな・・・。と、敵を近くに置いて殺し合っている状況なのに、奇妙な懐かしさが俺の中を駆け巡り、緊張を少しだけほぐした。 どれだけ時間が経ったかは判らない。ただ、待つ俺にめがけて攻撃はやって来た。 それは変えようのない事実だ。 ヒュンッ! と風を小さく切って進む音が後ろから聞こえてきたので、俺は後ろを確認するよりも前にまず横に跳ぶ。 地面に倒れそうな勢いで跳躍しながら後ろを振り返ると、一瞬前まで俺の頭があった場所を通り抜ける何かを見た。それは親指ぐらいの大きさの小さな石だ。ただし、丸まっているのではなく先端が尖った物を選んだようで、速度もかなりあったからまともに受けていたら頭蓋骨が砕けたかもしれない。 アサシンの姿を探すが、小石が飛んできた場所にあるのは鬼火の光で照らせない通路の闇があるだけだ。アサシンがその中から攻撃したのは容易に想像できて、中距離からの攻撃でこちらの出方を伺ってるらしい。短刀ではなくその辺りに落ちている小石を使ったのがその証拠だ。 セイバーやランサーが見せた敵と相対する騎士の勝負とは異なる戦い。暗殺という結果を作り出すためならばどんな手であろうと行うアサシンの戦い。色々と利用しないと戦えない弱い俺と少し似てる。 だが見た目は変わってないのに戦い方は無限を思わせるゴゴの変化に比べれば、小石程度はまだまだ予測の範囲内だ。 アサシンが小石を撃ちだした通路の奥、そこにいるであろうアサシンの姿を見極めるために凝視すると―――別の通路からヒュンッ! と小石が飛んできた。 「ちっ!」 意外ではあったが、動きを止めるほど驚くことではなかった。俺は前方ではない別方向からの飛来物に対し、今度は前に跳んで避ける。 さっきと違うのは今度の石は俺の頭ではなく胴体を狙ったようで、『殺す』ではなく『当てる』に焦点を変えた攻撃だったことだ。ギリギリのところで避けられ、パーカーの一部が小石に削り取られるが、俺自身に痛みは無い。もしかしたらアクセサリの『見切りの数珠』が効力を発揮して俺を逃がしたのかもしれない。 もう一度、撃ちだされた方向を見極めようとするが、やはりそこにあるのは闇と死角が作り出す通路の黒さだけだった。どうやらアサシンは一発目の小石を打ち出した後、すぐに場所を移動して二発目を撃ったらしい。 俺としては神経を研ぎ澄ませて音に敏感になったつもりだったんだが、壁の向こう側を移動する暗殺者の足音は全く聞こえなかった。 アサシンの隠密さの高さか、俺の能力の低さか。あるいは両方か。 アサシンの戦闘力が聖杯戦争のサーヴァントの中では弱い部類に入るとしても、その身が宝具によって分割された個体であっても、今世の魔術師と比較すればやはり高位の存在であることに変わりはない。ゴゴにぼこぼこにのされていたが、やはりアサシンは英霊なのだ。 俺より強い。素直にそう認める。 そう思っていたら、また別の通路の奥から音が聞こえた。バシッバシッバシッと小さく何かを叩くようなその音はこれまで聞いたことのない類の音だった。 初めて聞く音なので避けるよりも前に確かめなければならないと危機感が働く。 音に導かれてそちらを見ると―――、複数の小石が俺めがけて飛んできていた。 「なっ!?」 これまでとは異なる物量を増しての攻撃。あの音は消音を意識せずに物量を考えて放ったから漏れた音だったのだ。 小石の大半は俺の顔面めがけて迫っていたが、中には腹やら胸やらの的の大きさが頭よりも大きい個所を狙った物もある。一瞬で看破できるほどの速度にまで落ちていたが、比較して物量が異常なほど多い。 小石を撃ちだす音は三回か四回しか聞こえなかったのに、目に見えるだけで十以上の小石が―――、いや、回転が加えられた小型のドリルになった凶器が俺の全身を貫こうと迫ってる。 どうやったらアサシンの二本の手でそんな事が出来るのか気になったが、今はそんな事考えている暇は無い。 逃げ場はなかった。 ゴゴに叩きこまれた『避けようのない攻撃の対処』に体は勝手に動き、半身になりながら魔剣ラグナロクが振るわれる。半ば無意識に急所に当たるだろう攻撃に絞って、魔剣ラグナロクで落として弾いて逸らして砕く。 ゴゴが作り上げた固有結界の中だとしても、そこにある石は単なる無機物。ゴゴ特製の魔剣の前では呆気なく霧散してしまう。 捌ききれなかった小石が体のあちこちにぶつかっていくが、それはまだ健在の『ゴーレム』の腕が衝突のたびに具現化して痛みを肩代わりしてくれた。撃ちだされた小石は一つも俺の体を傷つけていない。 避けられないなら急所に喰らうな。それがゴゴから教わった対処法だ。 最後の小石を魔剣ラグナロクで弾くと同時に、小石と同じかそれ以上の速度で駆けるアサシンを見つけた。 暗殺者が真正面から突っ込んでくる。これまでの暗殺者の行動とは別のやり方に意表を突かれ、しかも俺は小石をはじくのに剣を動かしていたので待ち構える状況を作り出せていない。 アサシンが握りしめている黒塗りの短刀が、蛇を思わせる動きで俺の腕をかいくぐってくる。動きは滑らかでありながらも、尋常ではない速度だ。 魔剣ラグナロクで応戦するよりも早く、黒い短刀が俺の胸元へと突き刺さる。 「・・・・・・」 俺は剣を前に構えて懐に敵の侵入を許した。 アサシンは短刀を俺の胸元に突きたてた。 そして俺の心臓に短刀が到達するより前に、腕だけを出現させた『ゴーレム』が両者の間に割って入った。 その態勢で各々が一瞬だけ動きを止める。 アサシンは白い髑髏の仮面で表情が見えなかったので驚いているかどうか判らなかったが、どこからともなく現れた腕に二度も攻撃を防がれて動揺しているように思えた。 真っ先に動いた俺は目の前にいるアサシンの顔面めがけて膝蹴りを行う。ついでに魔剣ラグナロクの柄頭の部分でぶん殴ろうかとも思い、足と腕で挟み込む形でアサシンの頭を攻撃する。 抱きかかえる様に下ろした柄頭をしゃがみながらするりと潜り抜け、しかし代償に下から昇ってきた俺の膝を避けきれず、アサシンが顔につけている白い髑髏に俺の右膝が当たった。 一体なんの素材で出来てるのか、こっちの骨が砕けるんじゃないかと思う固い衝撃が足に伝わってくる。自分からの攻撃なので『ゴーレム』も衝撃は逃がしてくれない。 アサシンは下からの衝撃にのけ反りながら、まったくダメージを負ってないようだ。 満足に力が込められない状況で、しかも俺程度の膝蹴りが英霊への致命的な一撃になる筈がない。アサシンはほんの少しだけよろけたが、それ以上の変化はなく、すぐに態勢を立て直して後ろへと走り始めてしまう。 また闇に染まった死角満載の通路を抜けて別の部屋に移動するつもりか。逃がすか! 「ブリザド!」 ほんの一瞬だけの時間稼ぎだったが、俺が一工程(シングルアクション)の魔法を唱えて攻撃するには十分な時間だ。魔剣ラグナロクを右手だけで持ち、左手をアサシンに向けながら魔法を発動させる。 こちらを向いたまま後ろ向きに走る器用な逃げ方で遠ざかろうとするアサシン。その目標めがけて青と白が混じり合った一直線の光が何もない空中から現われて襲いかかる。 アサシンの足元に光がぶつかると同時にそれは氷の柱へと変化してアサシンを包み込もうとする。 しかし『ブリザド』が作り出した氷の柱の大きさは、アインツベルンの森でキャスターが呼び出した怪物に使った『ブリザガ』とは比べ物にならないほど小さい。氷属性の低位魔法なのだから、高位魔法の『ブリザガ』と比較すれば威力が弱まるのは必然だ。氷の柱の高さは洞窟の天井に届くほど高いが、幅は半径一メートルほどしかなかった。 更に後ろに跳躍して逃げていくアサシンの全身を捕らえるには範囲が小さすぎる。 「ちっ!」 俺は二重の意味で舌打ちする。 一つは『ブリザド』で完全にアサシンを攻撃しきれず、氷の柱の向こう側に遠ざかっていくアサシンを見つけてしまった事。後ろに駆け抜けるために足に力を込めたからか、それとも『ブリザド』が下から上へ氷の柱を作り出す魔法だったからか、アサシンの右足のひざから下が氷で覆われて一撃喰らわせられたが、致命傷とは言い難い。 そしてもう一つの意味は、アサシンの攻撃から俺を守ってくれた『ゴーレム』の腕が、寿命を迎えた枯れ木のようにぼろぼろと崩れ落ちていく事だ。 『ゴーレム』は敵からの物理攻撃を防いでくれるが、その上限は召喚者の生命力となる。生命力が多ければ大きいほど、『ゴーレム』の耐久力もまた増大するが、俺ではアサシンの攻撃に数回身代わりになってもらう程度の力しか発揮させられない。 頭上からの一撃、そして心臓を貫こうとした一撃。宝具でこそなかったが、英霊からの攻撃を防いでついに限界が訪れてしまったか。 俺からアサシンを見えるのだから、逃げるアサシンからも『ゴーレム』が砕ける様子は見えた筈。ならば、次の攻撃は間違いなく俺に通ると悟られてしまう。 俺が使える手札がどんどんと数を減らしていく。 半ば無意識のうちに俺はアサシンを追いかけて前に出ていた、一瞬後には駆け足になってアサシンが下がった通路へに向かって飛び込んだ。 仕切り直される前に決着をつける―――。氷の柱の横を通り抜けてアサシンを追いかける。一気に隣の部屋の中にまで入り込めば、アサシンが待ち構えていた場合に返り討ちされてしまうかもしれない。だから通路と部屋の境目で静止して、アサシンを探す。 いた。 足にダメージを負ったのが原因で歩みが遅い。 人なら足が凍れば凍傷になるだろうが、英霊ならばすぐに回復してしまう軽い傷だ。この機をのがしてはならないと、俺はもう一度アサシンに向けて左手を向けた。 部屋の中央よりも若干右に寄っているアサシンに向け、俺が独力で放てる最高の魔法を唱える。 「ブリザガ!!」 手のひらから現われた小さな氷の塊が弾丸となってアサシンに襲いかかる。『ブリザド』よりも若干速度が遅いのは、魔法を発動させるために俺の中にある魔力をより多く使う必要があるからだ。発動までも時間がかかり、強い魔法だからこそ隙も大きい。 けれど一度発動してしまえばそれは破壊をまき散らす氷の魔法として具現化する。 更に後ろに下がっても俺の手から放たれた魔法を避けられないと判断したのか、アサシンは横に飛んで『ブリザガ』を避けようとする。 小さな氷の塊が銃弾と同じようにまっすぐ進むだけの物だったなら避けられただろう。けれどそれは大きな破壊を作り出すための切っ掛けでしかない。 横に飛ぶアサシン、そのアサシンが立っていた場所に着弾して、僅かな閃光がカメラのフラッシュのように輝いた次の瞬間―――洞窟の一部を氷が埋め尽くした。 『ブリザド』が作り出した氷の柱など比べ物にならない巨大な氷の塊が俺の視界をほとんど埋める。直接は見たことはないが、空気すら凍る寒い地域の永久凍土を中から見たらこんな風に見えるんじゃないだろうか。 視界の中は氷一色だ。 予め氷の柱だと知っていなければ―――、つまり、氷の塊がぶつかった個所を中心にして円状に広がっていると判っていなければ、洞窟の中を埋め尽くす氷としか認識できない。 魔法を放った俺の左手のすぐ前まで氷は押し寄せて、俺自身その中に取り込まれて氷像にされそうな圧迫感があった。 氷の層が分厚いので先を見通せないが、これだけ巨大な氷なら、逃げようとしたアサシンごと取り込んだだろう。 少し苛々するのは、間違いなく『ブリザガ』の効果範囲内にある筈なのに、もともと部屋の中をぼんやりと照らしていた鬼火が氷の中で変わらず燃え続けている事。 物量ではどうしようもない差があるのに、魔力で引き起こした現象ではゴゴのそれを俺では解除どころか力ずくで破壊もできない。逆に俺が作った氷を鬼火が溶かしている。 アサシンの攻撃だったので鬼火はついでにもならない雑事だが、視界の隅に見えるゴゴとの力量の差を見せつけられていい気はしなかった。 複雑な感情が頭の中に浮かびそうになると、それに合わせた訳ではないのだが、膝から力が抜けて正座の姿勢のように体が地面に落ちていく。まだ魔力には余裕があり、体の中を通る魔術回路に無茶をさせれば魔法は使える。ただ、一気に魔力が消耗されたので体が不調を訴えていた。 『ゴーレム』の召喚、『ブリザド』と『ブリザガ』の発動。そして、戦いの最中にバーサーカーが暴走しないよう、霊体化したサーヴァントに少しずつ少しずつ魔力を送り続けたツケが回ってきた。すぐに回復しなければならない緊急事態ではないが、まだ戦いが終わってない状況では危険すぎる。 アサシンは『ブリザガ』によって拘束されたのか? それとも氷の柱に捕まる前に抜け出したか? 決着はついたのか? それが判るまで戦いは終わらない。 左手だけパーカーの下から背中に回し―――状況を見極めるため、目の前にそびえ立つ氷の柱の向こう側を見定めようと凝視する。ゆらゆらと揺れる天井付近の鬼火のか弱さにまた苛立ちを覚えながら、前方にのみ視線を集中させた。 見る。 観る。 視る。 視線に力があれば氷が燃えるんじゃないかと思えるほど強く睨みつけた。 そして見え辛い氷の向こう側に人型の塊があるような気がした時、後ろから音もなく衝撃がきた。 その攻撃も音はなかった。 空気の乱れすら感じさせない静かな一撃だった。 風景と同化したような見事な暗殺だった。 素早さだけなら最速のサーヴァントであるランサーの次に位置するアサシン。その早さを使い、『ブリザガ』が氷の柱になる直前に近くの通路に飛び込んで、そのまま俺の後ろに回り込んで攻撃してきた。 それが攻撃だと理解して気がついた時にはもう全てが終わっていた。 アサシンの短刀は俺の心臓に狙いを定め、背中から俺の体へと差し込まれていく。 それが俺の待ち望んでいた攻撃だと考えもせず。 「ぬっ!?」 おれはこの時、初めてアサシンの肉声を耳にした。言葉にならないうめき声程度の単なる音だったかもしれないが、それでも間違いなく白い髑髏の仮面で顔の大半を隠した暗殺者の口から洩れた音だった。 隠しきれない動揺が口から出てしまったのか、その一息には驚愕が色濃く含まれている。 確かにアサシンの攻撃は前しか見てなかった俺の背中を確実に貫いた。 そこは深く差し込めば心臓がある位置、魔剣ラグナロクは右手に握られてるので、無防備な背中への必殺の一撃になっただろう。だが俺は予めパーカーの下から左手を背中に回して、心臓がある場所で指を開いて待ち構えていた。 後ろからでもよく見れば不自然な膨らみがそこにあるのが気づけた筈。だが、俺は部屋の中には入りこんでおらず、鬼火の明かりが影を作る場所に座り込んでいた。 アサシンの住処とも言える暗闇の中、アサシンは俺が背中に回した左手を見逃した。もしかしたら決着をつける為に急いていたのかもしれない。 これまで、アサシンが短刀で攻撃してきた個所はすべて人体の急所と呼べる場所だった。その全てが短刀の一撃で人を死に至らしめる場所だった。 俺は地面に座り込むと同時にうつむいて顔を下に向けた。首や頭を狙うためには一度武器を上に振り上げる必要があって少し時間がかかる。 だから背後から攻撃して急所を狙うなら、それは心臓部分になると予測した。 これはアサシンが手数を減らして急所を狙う暗殺者だからこそ出来る博打だ。セイバーやランサーだと、そもそも俺が隙を見せても背後から斬りかかるなんて状況がそもそも起こらない。 これは敵の攻撃を特定の一点に絞るなんてかなり分の悪い危険な賭けで、負ける確率の方が圧倒的に高かった。 もしアサシンが俺の心臓を狙わなかったら? もしアサシンが背中に回して構えていた左手に気づいたら? もしアサシンの攻撃が少しでも別の場所にずれて、構えた手のひらの中心を貫かなかったら? もしアサシンが『ゴーレム』や『ブリザガ』を警戒して、攻撃しないで仕切り直していたら? 可能性を上げれば俺が負ける方が普通に思える。 だが結果は俺が求める方向へと流れ、『ゴーレム』が使えなくなった時点から意図的に作り出した俺の隙にアサシンは喰い付いた。なおこの罠の最善は『ブリザガ』でアサシンを完全に拘束して罠そのものが不要になる決着だ。 さっき使った『ブリザド』のおかげでアサシンが実体のある敵だと確かめられた。霊体になられたらどうしようもないが、攻撃するためには実体化しなければならないので、アサシンが攻撃してくる時は俺の好機にもなる。 俺の左手はアサシンの短刀に貫かれたが、心臓を貫かれるよりは数倍マシだ。短刀が背中の肉を抉って心臓に到達するより早く、パーカーを引き裂いて左手を後ろに押し出す。 アサシンの短刀で切れ目が入ってたのでパーカーはあっさり破けた。 左手は肉も骨も短刀で貫かれ、砕かれ、裂かれ、ぐちゃぐちゃになっていく。背中にも少しだけ短刀が刺さったようだが、心臓まで到達してない浅い傷なので動くのには支障がない。激痛が左手を中心にして体の中を駆け巡るが、それを無視して強引に左手を握りしめた。 短刀の刃と鍔と柄の部分、そして武器を握りしめるアサシンの手の感触が俺の指の中にある。 ようやく捕まえた―――。 あらん限りの力を左手の指に集中させて、アサシンの手を短刀を一緒に握りしめる。アサシンの力が弱くても、俺よりは強いので力ずくで振りほどこうとすれば剥がされる。 左手を後ろに押し出す勢いをそのままに右手の魔剣ラグナロクごと体を半回転させた。 無茶な体勢で力を入れ、しかも強引にアサシンの方を向こうとしたせいで体のあちこちが悲鳴を上げた。筋肉はきしみ、骨は折れそうになり、関節が外れそうだ。見る余裕はないが、短刀が刺さったままの左手からはどくどくと盛大に血が溢れてるに違いない。 それでも手のひらに刺さったアサシンの短刀と手を力強く握り続ける。英霊の本気であっさり弾かれるとしても、ほんの数瞬だけアサシンの筋力:Cに拮抗できる力が出ればそれでいい。 勝負は一瞬だ。 初めは持ち上げることすらできなかった魔剣ラグナロクを武器として扱うため、俺の握力は一年前とは比べ物にならないほど向上した。 アサシンが俺の腕を振り払うより早く。密着した俺を投げたり殴ったりして、短刀以外の攻撃を行うよりも早く。 この時間だけ全力を振り絞れ。 祈るように力を絞り出した俺は、回転して抱きしめる様にアサシンの胸元に魔剣ラグナロクの切っ先を差し込んだ。ずぶり、と、生き物の肉を貫く嫌な感触が右手に返ってくる。 余計な力を込めずとも標的を破壊する威力をもった魔剣が、骨を砕き、心臓を貫き、アサシンの背中まで抜ける感触をしっかりと伝える。 「ぐぅ・・・」 髑髏の仮面の奥からアサシンの悲鳴が聞こえる。 素早さだったらアサシンは俺の上をいっていた。 長期的に出せる腕力も英霊は俺なんかより格段に強かった。 半死半生に近い俺よりアサシンの方が余力を残してた。 だが殺し合いは力が拮抗していたとしても、一瞬の『揺れ』で勝敗がどちらにも傾くあやふやなモノだ。一瞬前まで優勢だったアサシンが敗北するのもまたあり得る話。 言葉すら発してしまった動揺がもっと小さければ、アサシンはあっさり俺の手を振りほどいて距離をとったかもしれない。『揺れ』はその程度で覆されてしまう不確かなモノだった。 姿が見えないなら、判らないなら、認識できないのなら、なりふり構わず敵を攻撃できる状況にまで引きずり込んで最大限の攻撃を叩きこむ。俺にはそういう泥臭い戦い方しか出来ない。 その為に身を削る必要があるなら痛みに耐えよう。 その為に命を賭けなきゃいけないのなら、逃げずに賭けよう。 結果を作り出すために出来うる全ての過程を注ぎ込もう。 アサシンが持つ黒い短刀は俺の手を、俺が持つ魔剣ラグナロクはアサシンの心臓を貫いて、互いの体重を支えあうようにもたれかかる。 もしこの方法が上手くいかなかった場合、浮遊の魔法『レビテト』をアサシンにかけて体勢を崩して、そこに斬りかかって短刀と剣との戦いに引きずり込むのも考えていた。けれど、その策は必要なかったようだ。 痛みは体を縛る。 恐怖は心を縛る。 しかし人は慣れる。 何回もそれを繰り返せば、それを日常の中に組み込んで、痛みも苦しみも死んで蘇る異常すらも取り込んでしまう。 だから何度も何度も死ねたのは俺にとって最大の不幸で最高の幸福だ。痛みで動きを止めるような、苦しみで動きを鈍らせるような、死ぬのを恐れて動かなければいけない時に止まるような無様な真似をしなくて済む。 本当はたった一度限りの『死』も俺にとっては日常の中の一つにすぎない。もちろんゴゴがいるからこそだが。 痛みを知れた、死ぬ恐れを知れた、何度も何度もやり直せる機会を得た。 その結果、例え人が持つ細胞の分裂回数の上限『ヘイフリック限界』がどんどん近付こうとも、つまり治癒するために寿命が削り取られようとも、俺は後悔しない。 ありがとう。 ありがとう、ゴゴ。 俺に戦える力をくれてありがとう。 魔力消耗と手を貫かれた痛みに全身が悲鳴を上げていたが、それでも胸にあったのは多大な感謝だった。こんな事、いつもだったら絶対に考えないんだが、緊張の連続で興奮しているのかもしれない。 心臓を貫かれたアサシンが紫色の粒子になっていくのを見ながら―――倒した、と確信を抱きながら―――俺は左手から血を流し続けながらも笑みを浮かべる。 魔剣ラグナロクの驚異的な切れ味が無ければこの策は成功しなかった。俺は生きていなかった。アサシンを倒せなかった。勝てなかった。 「勝っ・・・た、ぞ・・・・・・」 薄れゆく意識の中で俺は勝利の産声を上げる。 ついでに治療しないでこのままだったら出血多量で死ぬんじゃないか、と思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベッド ずいぶんと長い間、マッケンジー宅を留守にしていた気がする。でも僕が外に出てた時間は半日以下で、夕日が沈んでから夜が明けるまでの間の出来事だ。 キャスターの凶行と令呪一画を引き換えの討伐。 『カイエン・ガラモンド』という名前の同盟者。 貯水槽で見た元人間だったモノのなれの果て。 思わず胃の中身を戻してしまった衝撃。 脱落した筈のアサシンが複数出現。 魔石『フェニックス』が見せた奇跡。 蘇った子どもを親元へと届ける苦労。 何故か僕に懐いてくる声が出せない女の子。 アインツベルンの森での聖杯問答。 ライダーとアーチャー、そしてセイバーの願い。 何らかの形で聖杯戦争に絡んでる『エドガー・ロニ・フィガロ』。 アサシン軍団の襲撃。 そしてライダーの宝具、『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』―――。 短い時間であまりにも多くのことが起こりすぎて、随分長い時間過ごした気になってるだけだ。 少し思い返すだけで昔の出来事を思い出すような『遠さ』があって、そもそものキャスター討伐がを思い出すのに少し時間が必要だった。 僕はまず不可解と思う事。僕らを取り囲んで殺そうとしたアサシンの軍団について考え始める。 あのアサシンは多重人格の英霊が、自我の数だけ実体化している。それが宝具の効果なのかマスターの力なのかは判らない。けど、アサシンは山ほどいる。それは間違いない。 もしマスターの魔力供給がある限り常に複数のアサシンを生成し続けられる宝具だとしたら、一人や二人アサシンを殺した所で意味はない。 だからライダーの宝具で大量のアサシンが殺されたけど、聖杯戦争に参加するサーヴァントのアサシンはまだ存在するかもしれない―――僕はそう考えた。 この結論に至る材料の一つとして、貯水槽で見て撤退したアサシン達はアインツベルンの森に―――ライダーの宝具であり固有結界でもある『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の中にいなかった気がするのが挙げられる。 貯水槽は暗かったし、城に現れたアサシンは東西南北の全方位に現れたので、僕が見ていなかったアサシンもいる。砂漠に移動した後はかなり距離を隔てていたので、アサシン達の細部まで見れなかったので絶対と言い切る自信はない。 それでも貯水槽にいたアサシンは城に現れなかった。つまり、ライダーに倒されたアサシンがあれで全てだとはどうしても思えない。 貯水槽で対峙するまで僕は遠坂邸で殺されたアサシンにばかり目がいって、他にもアサシンがいる可能性なんて全く考えなかった。でもアサシンがいるいないに関わらず、僕もライダーもこの冬木の地に聖杯戦争で争う敵がいると判って行動してきた。 アサシンはその警戒をすり抜けて監視を続けていた。もしかしたら、今も僕らが気付かないだけで、マッケンジー宅もアサシンに監視されているかもしれない。 これだけ暗躍するのに優秀な手駒は他にはいない。アサシンが全員で何人いるかは知らないけど僕だったら今後の為に何人かは残しておく。アサシンほどサーヴァントの守りをかいくぐって敵マスターを殺せる奴はいない。 ただそうなると敗退したアサシンのマスターを匿ってる監督役の言峰璃正は『アサシンのマスターはサーヴァントを失った』と僕達に嘘をついた事になる。 中立を前面に押し出しながら、その裏で特定のマスターに肩入れする大嘘吐きだ。もしライダーが首尾よくキャスターを倒したとしても、令呪一画が僕に与えられるかどうかは怪しくなる。 そして言峰璃正は間違いなく聖堂教会から派遣された神父であり、この嘘を理由に冬木教会に攻め入ったとしたら、魔術協会を毛嫌いしている聖堂教会が自陣のメンバーに敵対した魔術師に対して、強硬手段をとる可能性は決してゼロじゃない。もしかしたら、聖堂教会の後ろ盾があるからこそ、特定のマスターを匿うなんて中立から遠く離れた暴挙を仕出かしているのかもしれない。 聖堂教会が関わってない神父の独断だったらいいんだけど、それを判断できる材料が今の僕には無い。 アサシンのマスターは冬木教会の中だ。アサシンを倒す為にはマスターを狙うのが一番だけど、その為には監督役の守りを突破しなければならない。その場合は聖堂教会すら敵に回す覚悟を持たなきゃいけない。 聖堂教会と魔術協会は表向きは不可侵になってるけど、裏では血生臭い闘争が繰り広げられている。そこに入る覚悟を僕自身がしなくちゃいけない。 「・・・・・・・・・」 聖杯戦争は七人のマスターと七騎のサーヴァントが聖杯を求めて戦う。だけど、聖堂教会とか魔術協会とか、僕の気づかなかったしがらみが沢山ある。それでも戦い続けるなら僕は自分の選択が作り出す責任を負わなきゃいけない。他の六騎のサーヴァントを倒すだけで終わる簡単な問題はもうなくなったんだから。 ただ、結局僕らのやる事は今までと大きく変わらない。聖杯戦争に参加するマスターとして他のサーヴァントを倒すのに全力を向けるだけだ。 今回の騒動で手に入れた情報もその為に役立てよう。 そう思いながら横を見ると、ベッドの上に座る僕の腰にしがみ付きながら、掛け布団の中に体の大半を潜り込ませて寝てる女の子がいた。 抱き枕みたいに僕にしがみ付いてるけど、目を閉じて一定の調子で寝息を出してるので寝ているのは間違いない。ずいぶん無茶な体勢だけど、よく寝られるな、と感心してしまう。 とりあえず直面してる大きな問題の一つは、この女の子をどうするか? だ。 ライダーには『もう少しこの子の面倒をみる』なんて豪語したけど、何か解決策がある訳じゃない。親元に送り届けたもう一人の女の子と同じように、この子を待っている人達の所に送り届けたいと思うけど、いい方法が思いつかない。 僕はまず、朝まで待って、すぐにマッケンジー夫妻の両名にこの女の子について事情を説明しようと心に決める。 もちろん聖杯戦争の事は言えないし、偽りの孫でしかない僕に言えない部分は数多く存在するので、嘘と本当を混在させた作り話で乗り切るしかない。 こうして家どころか部屋の中にまで連れてきてしまったからには家主に説明するのは当然だ。ライダーの時みたいに自分勝手に行動される前にこっちから動いた方がいい。 夜明けまでは数時間。僕は今回手に入れた情報を元にして聖杯戦争をどう戦うか検討し時が過ぎるのを待つ。考えなきゃいけないことは山ほどあるので、一つ一つ結論を出していけばその内に冬木に朝は訪れる。 静かに考える時間が今の僕には必要だ。 「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ~~」 「まったく・・・・・・」 いきなり声が聞こえてきたので顔をあげてそっちを見ると、床の上に敷かれた布団の上で大の字になって寝るライダーがいた。布団からはみ出した手足を見る限り、布団の大きさとライダーの大柄な体格とが合ってないのだけれど、ライダーはそれを気にせず熟睡してる。 ほんの少し前まで独立サーヴァントの連続召喚なんて桁違いの宝具を見せた―――いや、魅せたのが嘘みたいだ。 でも僕は覚えてる。 砂漠の暑さを。闘争の轟きを。固有結界の力強さを。 征服王イスカンダルの絆によって構成されたあの宝具を思い出すだけで体の芯が熱くなる。 その熱に浮かされた僕はライダーの宝具の使い所を考え始める。 油断しているつもりはなかった。思考を止める気も全くなかった。 でも僕自身気付かないうちに、肉体的にも精神的にも疲労していた。僕の自覚を簡単に越える大きな疲れが、僕自身が『眠った』と認められないぐらい唐突に眠りへと引き込んでしまう。 すぐ横で女の子が布団の柔らかさを満喫するように眠っている。部屋の中央でいびきを立てながらライダーも豪快に眠ってる。この二人につられたのかもしれない。 僕は眠ってしまった。 夢を見ない深い眠りだった。 ほんの一瞬前まで魔石のことを考えていたと思ったら、もう眠っていた。夢を見ない数時間がほんの一瞬で過ぎ去ってしまう。 朝の到来を告げる足音が部屋の外から聞こえてきて、ここでようやく僕は眠っている自分に気がついた。妙に体が重くて、程よい布団の温かさが起きようとする意志を挫く。 このまま目を瞑ってずっと眠っていたい。十一月の冷気に部屋の中の暖気が勝利をおさめて、僕を眠らせようとしていた。 コンコン、と軽く部屋の扉を叩くマッケンジー夫人のノックが聞こえる。でも体は目覚めの為に動いてくれない。 「ウェイバーちゃん、アレクセイさん、朝で・・・・」 戸を開けながら朝の挨拶をしてくるのは僕がこの家を仮の拠点にした時からの習慣になっている。もしかしたら、彼らは本当の孫や息子たちをこんな風に起こしていたのかもしれない。 まどろんだ意識がその声を聞き―――。 「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」 「何だぁっ!?」 「敵か?」 偽りの祖母の絶叫で飛び起きた。すぐ近くでライダーも同じように体を起こした。 何事かと叫び声のした方を見ると、僕の横―――同じ布団の中で丸まって眠る女の子を指さすマッケンジー夫人がいた。 「・・・さて、これはどういう事なのか説明してもらおうかな、ウェイバー」 そう言ったのは僕が聖杯戦争の為に暗示の魔術を使って入り込んだマッケンジー宅に住まう老夫婦の片割れ。グレン・マッケンジーその人である。 僕にとっての彼は聖杯戦争の拠点とする為に入り込んだ全くの他人なのだけれど。暗示がかかって僕を『ウェイバー・マッケンジー』という名前の孫だと思っている彼にとって、僕は正真正銘の孫なのだ。 つまり向こうにとって今の状況は孫に詰問する祖父の姿そのものであり、普段から見せている温和な空気を引っ込めて、怒り狂う一歩手前の危うさを醸し出している。昨日まであった優しげな雰囲気は全くない。 落ち着かない。 誰がどう見ても、今のマッケンジー宅には『怒られる雰囲気』が充満してる。 この人は異国の地で出会った僕の友人こと『アレクセイさん』のライダーを盛大にもてなした器量の大きい人なのだが、さすがに今回はその器量の多さも臨界点を超えそうだ。 仕方ないとは思う。 何しろ朝になって妻が孫の部屋に行ってみたら、いきなり叫び声が聞こえてきた。その叫び声に導かれて部屋の中を覗いてみれば、二人いる部屋に三人目がいて、孫はその三人目であり見知らぬ少女と一緒のベッドで眠っていた。 これが僕と同年代の女性だったなら、夜中の内に連れこんだ恋人と一応は納得してくれるかもしれないけど、女の子の年はどう見ても十歳以下。恋人などと言うつもりは全くないけど、色々な意味で危険すぎる組み合わせだ。 いつの間にか眠ってしまった僕は絶叫で起こされ、家の中にいる全員が食堂へと移動して一つのテーブルを囲んだ。 そして祖父は孫に詰問した―――。 まさかこの人は僕の事を小児性愛者か何かだと勘違いしているんじゃなかろうか? 状況からそう推察してもおかしくないのは理解するが、それは僕に対する侮辱だ。まずその誤解を解かないといけない。 本当なら、部屋に来るのを待つんじゃなくてこっちから出向くはずだったのに、最初の一歩をつまづいたから雰囲気は最悪。しかも怒られる空気を敏感に感じ取っているようで、女の子は起きる前も後もずっと僕にしがみついたままだ。それが余計に誤解を肥大化させてる。 「まずこの子について説明する前に、僕はこの子に対して人様に言えないやましい事は全くしてないし、金輪際する気もないから、それはちゃんと判ってね」 本当と嘘を混ぜ込んで僕は話す。 「僕たちは昨日、二人が寝た後に夜の冬木へ散歩に出かけたんだ。僕は出歩きたくなかったんだけど、『アレクセイ』が夜の街を出歩いてみたいって言いだしたから、付き添いで仕方なくね」 「うむ。夜の街は昼と異なる顔を見せる。時間は有限だから是非とも見てみたかったのだ」 「近頃物騒だけど、『アレクセイ』が一緒なら暴漢だって逃げ出すだろうから安全だと思って・・・。もう二人は寝ちゃってたから一声かけて起こすのも悪い気がしたんだ」 ライダーは僕の作り話に乗って、話を補足してくれる。 「あんまり遠出する気はなかったし、夜でもやってる店を一つか二つちょっと寄ってすぐに終わらせるつもりだったんだけど、移動してる途中でこの子を見つけた。もちろん、夜に子供が一人で歩くなんて危ないから僕は声をかけたよ? そうしたら何が何だか判らない内にこんな風にしがみつかれて離れてくれないだよ。僕も困ってるんだけどさ・・・」 そう言いながら僕は女の子の頭を軽くなでる。 「この子がどこの子で、どうして夜の冬木に一人でいて、何で僕にくっついて離れないのかは全然判らない。聞いてみたけど、口が利けないのか答えてくれないんだ。警察とか病院とかに連れて行こうって考えたけど・・・」 そう言った途端、女の子は抱きつく力を強めて全身で僕にしがみついてくる。 その様子が『公的機関のお世話にはなりたくない』と物語っていた。 「とまあ、見ての通り嫌がるんだよね。まさか力ずくで寒空の下に放り出す訳にもいかないし、こんなに嫌がってるなら何か理由があるだろうからそれが判ってからでもいいと思って・・・。しょうがないから夜の内に部屋にあげて落ち着くまで待とうと思ったんだけど、出歩いて疲れてたみたいでそのまま三人ともぐっすり寝ちゃった」 「・・・・・・・・・・・・そうか」 本当の事もある短くない説明を終えると、長い長い間をおいてからマッケンジーさんが呟くのが聞こえた。 その『そうか』は説明を終えた僕に対するものなのか、それとも女の子に対するものなのか。たった一言だけじゃ判らない。 ただ黙り込んだまま、まず僕を見て、次にしがみついている女の子を見て、最後に『アレクセイさん』ことライダーを見る。 その目が、見極めるような、見定めるような、真意を探るような。虚偽を見破ろうとしている目に見える。僕はその目をまっすぐ見返した。 「・・・ウェイバー」 「うん?」 「おまえは善意でその子を助けようとして、世間様に顔向けできない様な事は何一つしてないんだな?」 「――はい」 外を出歩いたのは本当だけど、やったのは散歩じゃなくて聖杯戦争。一度はこの子を見捨てようとして、それが僕の後ろ暗さになって僅かに返答を遅らせたけど。今の僕がこの子の面倒を見たいと思う気持ちは本当だ。 どんな未来が待っているにせよ、何の理由もなく向けられるこの思いに応えたいと僕は思ってる。だから肯定の言葉は短かったけど、口から力強い一言が出た。 そのまま頭を下げ、家主に何の断りもなく騒動の種を持ち込んでしまった事を謝罪する。 「お爺さん、お婆さん。本当ならこうなる前に言うべきでした。誤解させて、ごめんなさい――」 暗示をかければわざわざ説明する必要すらない。この女の子を『泊まりに来ている近所の子』や『ライダーと一緒にやってきた子供』と生活の中に差し込めばそれで終わる。 でも僕はそれをしなかった。 真摯とかそういう類のモノを超越し、英霊になった征服王が見せた多くの絆。ライダーの王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)を見た時から、戦術的に強力であるという考えとは別の何かが僕の中で蠢いてる。 カイエンが別れ際に言った『魔石の貸与』。あの信頼に応えなければならないと、与えられるチャンスを甘んじて受け入れるだけでは駄目だと、心が叫ぶ。 嘘で塗り固められた偽りではなく、嘘の中にもある本当の気持ちで理解してほしい。そう考えられる僕がいた。 聖杯戦争に参加しようとした僕はそんな事を考えなかった。ただ冬木市に住まう老夫婦を拠点にする都合のよさで選んで暗示をかけて終わらせたその僕が、だ。 今は魔術師の戦いである聖杯戦争に老夫婦を巻き込んでしまった心苦しさすらあった。 この気持ちは本当なんです。 どうか判ってください。 そんな気持ちを込めてテーブルに額がぶつかりそうなほど深く頭を下げていると、上から声が降ってきた。 「ウェイバー。顔を上げなさい」 顔を上げて見ると、最初の剣呑な雰囲気とは異なる穏やかな顔を浮かべるマッケンジーさんがいた。ただ笑みを浮かべている訳ではなく、その顔は何かを誇っている様にも見える。 何を? 不思議に思いながらもじっと目を見つめていると言葉が続く。 「まだ言ってない事があるね?」 「ぅ・・・」 僕がここにいる理由の全てと言ってもおかしくない聖杯戦争。その部分を全く説明の中に組み込まないで話したから無茶が出るのはしょうがない。 はっきりと『説明にこれがない』とは言われなかったけど、話さなかった部分があるのは確かなので言葉に詰まった。 「だが本気だ――。長生きしてると本気かそうでないかの違い位は見分けられるようになるもんでね、その見立てによると嘘は言ってないし、その子の為に何とかしようと必死になってる。そう思うよ」 「・・・・・・」 「正直、話がいきなり過ぎてその子をどうすればいいのかすぐに答えは出せそうにない。だけど・・・・・・」 そこで間をおいて、僕の目をまっすぐ見つめてくる。 僕は負けじとその目を見返した。強く、ただ強く。 「何の縁もないその子の最善なるように、何かしようとしてるんだね?」 「はい」 「警察に任せればすぐ終わる事を、あえて自分の力でどうにかしようとしてる。そうだね?」 「はい――」 「ウェイバー、たとえ善意からの行動であってもお前のやってる事は誘拐でそれは犯罪だ。判ってるね?」 「はい!」 何度も何度も確かめるように続けられた問いかけに僕はまっすぐ応じる。 どこの誰か判らない子供を保護していると一応の説明は出来るけど、僕がやっている事は間違いなく犯罪だ。それでも僕はこの子を何とかしてやりたいと思って、その覚悟も決めた。 ライダーに向けて言った時の決意が蘇り、一言一言をはっきりと告げる。 「ウェイバーがここまで決意を固めたんじゃ・・・」 するとマッケンジーさんは隣に座っていた奥さんを見る。その顔にはさっきよりも深い微笑みがあった。 「わし等も協力せん訳にはいかん。なあ、マーサ」 「そうですね」 気がつけば、マッケンジー夫妻から怒気は完全に消えて、短い言葉と視線だけで通じあう仲の良い夫婦の姿がある。 いつの間にこんな風に空気が穏やかになってしまったのか? 自分の決意を確かめるのに忙しかった僕は、周囲の様子を見るのを完全に失念していたからビックリしてしまう。 「え、と・・・」 「お前の好きにしなさい。わし等もできることは協力しよう」 耳に届いたのは僕の言葉を肯定して、なおかつ認めてくれる言葉だった。 「だがやるからには最後までしっかりと責任を持たねばいかんぞ。それが男として、そして一人の大人としての義務だ。判ったね」 「――はい」 僕が喜びに舞い上がりそうになると、そうなる前に釘を刺されて止められた。これが僕にはない経験―――『年の功』ってやつなんだろう。 マッケンジー夫妻には僕が本当の孫に見えてるので、説得される場合に身内贔屓が混じるのは避けられないと思う。けれど魔術を使わない方法での説得に、僕が使える選択肢がどんどんと増えていくのを実感する。 ライダーを僕の知り合いとして家に招いた人の良さもある。暗示の魔術がかかっているのも説得された理由の一つだ。それでも僕はうれしかった。 魔術師として聖杯戦争に参加する僕。だけど、それだけじゃない僕。 少しずつ少しずつ『ウェイバー・ベルベット』の世界が広がっていく気がした。