第22話 『セイバーは聖杯に託す願いを言葉にする』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット おかしい。 何がどう間違ってこんな事態に陥った? 僕は苦渋の決断を下して、危険からあの子を遠ざけた筈。 もうあの子は聖杯戦争に関わり合いになる事なく、別離と引き換えに安全があの子の元に舞い降りた。そう願って決断したのがアインツベルンの城を訪れるより前の話。 僕がどれだけ優秀な魔術師だったとしてもそれはあくまで『個』の力であり、『多』に通用する力じゃない。ライダーは聖杯戦争において最高の戦力だから最初から除外するけど、誰かを護って戦うなんて事は僕には出来ない。 だからこそ別れた。 その筈だった。 なのに今―――、もう会う筈の無かった女の子は僕の腰にしがみ付いている。しかも、一度離れたのがよほど嫌だったのか、二度と離さないと言わんばかりの強力な束縛でより強くしがみ付いた。あまりの力強さに僕の服の方が破けるかもしれない。 気のせいでなければ腰が結構痛い。 「リトルレディが喜んでくれて何よりだ。それでこそ私の苦労も報われる」 混乱する僕の耳に誰かの声が聞えてくる、声に導かれて顔をあげてそこを見ると、何度も頷きながら『私は満足だ』と言わんばかりに笑みを浮かべる男がいた。 手に持っていた槍は不戦を表すように刃を地面に突き刺しており、アインツベルンの中庭を構築するタイルの一枚に無残な穴をあけていた。でも僕は凶器になる武器より男の方が気になって仕方がない。 そもそもこいつ誰だ? 置いてきたはずの女の子が現れて呆けていたけど、正気に戻ってくれば浮かんでくるのは正体不明の男への疑いだ。 ただカイエンが『エドガー殿』と呼んだことを一緒に思いだせたので、カイエンの知り合いである事は間違いない。カイエンが刀に当てていた手を外して、構えも解いたので、友好的な関係を築いているようだ。 聖杯戦争のサーヴァント同士みたいにいきなり斬りかかってくるような険悪な間柄ではない。それは僕にとって好ましい状況だ。 僕は腰にしがみ付いてる女の子をとりあえず後にして―――あまりに力が強すぎて今すぐどうにもできないので―――、男に向かって問い掛ける。 満面の笑みを浮かべて達成感を全身で表現しているのが妙にむかついた。 「あんた――、誰だ?」 いつもの僕だったらライダーが言った『聖杯問答』の重い空気に押し潰されて、誰かに問うなんて事は出来なかった。 でも、男からは戦いに来たのではない穏やかな雰囲気が放たれ、サーヴァントに感じる強烈な圧迫感や魔術師から感じる魔力の残滓を全く感じない。 だから僕は少しだけ強気になってるんだと思う。 こいつはサーヴァントじゃない。マスターでもない。 するとエドガーと呼ばれた男が僕の方を見て返してきた。 「おや? リトルレディがそこまで執着するのだから、女性に好まれる君はもう私が『誰』であるかのある程度の予測をしていると思ったのだがね。それとも判ったうえで聞いているのかな?」 男は笑みを少しだけ収めて真っ直ぐこっちを見る。その目に見つめられた時、僕は言い様の無い悪寒に背筋を凍らせた。 何が起こっているのかを言葉にすれば『見られている』、ただそれだけなのに僕は動けなくなって、言葉をしゃべった口は閉ざされてしまう。 怖くて動けない? 何かが僕をここに縛り付ける? 離そうとしても目が離せない? 全部が正しく思えてくる。そんな得体の知れない何かが僕の動きを止めた。 それはどこかで感じた事のある感覚で、すぐにはそれが何なのか判らなかった。 必死で考えて、考えて、考えて、無言のまま考えようとする行為そのものを働かせる為だけに自分を動かそうとして、僕はようやく答えに辿り着けた。経った時間はほんの数秒だったかもしれないが、僕にとっては永遠に等しかった。 これはライダーを召喚して、征服王イスカンダルから見下ろされた時にも感じた。あの時の、自分など簡単に呑み込む存在を前にした感覚だ―――。あれが僕の中を通り抜けていた。 僕は何も出来なくなってしまった。 女の子に腰にしがみ付かれてる状況も忘れた。 「カイエンと同行しているなら、ある程度の事情は聞いているんだろう。そちらの御婦人から問われたなら何においても答えるんだが、私はこの場にリトルレディを届けに来ただけの部外者だ。早々に退散させてもらうとするよ」 そう言うと男はセイバーの後ろにいるアインツベルンのマスターに視線を動かした。 僕の方を見なくなった瞬間に体が拘束を抜け出して、動けるのを思い出せた。けど、まだ僕は満足に動けず、足をすくませて立ち続けてる。 恐怖のような畏怖のような心酔のような何か。それが僕の中にまだ蠢いている。 「お主、ちょっと待て――」 男は槍を引き抜いてこの場から立ち去ろうとした。 それを阻んだのはライダーの声だった。 いつもと変わらないその言葉に引きずられて僕の顔がそっちを向くと、アーチャーが取り出した黄金の酒器を手に持って、中庭の中央から上半身だけを回して男の方を見るライダーの姿が合った。 そのいつもと変わらないふてぶてしい様子に僕の中にある何かが少しずつ消えていく。聖杯戦争と言う名の物騒ではあるけど今の僕の日常を少しずつ取り戻していく。 「ん? 貴殿は確か征服王イスカンダルだったな、私に何か用かな?」 「お主、我らの事を弟から聞いているのだろう? だったら、余が語る言葉に予測がついているのではないか?」 「意趣返しのつもりかね? 君のマスターは事情を理解していないようだが、君を含めてそちらの三人は判っているようだ。さすがは『王』を名乗る者達だ、慧眼恐れ入る」 もう男は僕には見向きもしなくなった。代わりに話の相手をライダーに定め、初めて会った者同士の筈なのに、なんだか色々と判り合ってる風に話し始めた。 「この程度、聡い者なら誰でも気付くわ」 ライダーの言葉を聞いている内に気持ちが落ち着いてくる。 状況に対する思考が戻ってくると、僕はライダーを中心にして語られた言葉の意味を考え始める。そしてライダーが言わんとする事が判った。 嫌、倉庫街でいきなりセイバーとランサーの戦いに乱入したあの様子を見た奴なら誰だって、ライダーが何を言いだすか予想出来る筈。ライダーはこの男を部下に誘うつもりだ、と。 どれだけの強さをもっているのか判らないけど、アインツベルンの城を跳んできたなら、常人とは異なる強さを持ってるのは間違いない。魔力は感じないけど、それ以外の何かをこの男は持ってる。 カイエンと一緒だ。 ライダーはサーヴァントとして呼ばれた英霊には簡単に誘いをかけたくせに、今の世の中の魔術師には全く興味を示さない。 まあ、会ったのが坊主呼ばわりしている僕と、臆病者呼ばわりしてるあのケイネスで、しかも声だけだから、仕方ないと言えば仕方ない。他の魔術師に会ったら同じように勧誘するかもしれないけど、今の所その兆候は無かった。 そのライダーが見ただけで勧誘しようとしてるなら、槍使いの男は僕にはわからない強さを秘めているに違いない。 ただ、ライダーが男を勧誘する僕の予測が合っていればの話しだけど。 とにかく、十中八九、勧誘する未来が僕の頭の中で固まった。もしかしてライダーは生前もこんな風に出会った強者に対して同じように勧誘し続けたのかもしれない。 「何を言おうとするかの予測はあるが、それが言葉にされるまでは真に正しいとは限らない。私を引き留めるなら、場合によって余計な騒動を巻き起こすことになるぞ。それでもいいのかね」 「この場に集った猛者共は騒動の一つや二つで慌てはせん。何ならお主もこの酒宴に加わったらどうだ?」 「やれやれ・・・、美しい女性からのお誘いではなく、こんなむさ苦しい男からの誘いとは・・・。残念だが、これが聖杯を求める宴ならば私個人として加わる訳にはいかんよ。私が誰かの代理ならばその限りではないがね、今は止めておこう」 僕個人に向けられた言葉ではなく、男の意識は完全にライダーに向けられている。だから居合わせた第三者のポジションで僕はどんどんと思考を巡らせられた。僕だけで向かい合ったなら、考える行為そのものを封じられていただろう。 さっきのように。 僕はライダーに感謝しつつ、絶対にそれを言葉にはしないと決める。そして耳は二人の会話へと傾け、目は状況を見極めるために広い視点を維持しようと努めた。 気のせいでなければアインツベルンもまた僕と同じように唐突に現れた男の素性を探る目で見つめていて、セイバーとアーチャーは聖杯問答を邪魔されて不機嫌になってる気がする。 「弟と一緒で融通の利かん奴じゃな」 「無関係ではないが、ここでの私は関係が薄い。邪魔にならぬ様、筋は通すべきだろう。私への用向きは後にすればいい、私は私の予測の正しさを――ここで話を聞かせてもらいながら楽しみに待とうじゃないか」 「うちの坊主には手を出さんでくれよ」 「言っただろう? 私はただリトルレディをこの場に連れて来ただけだと。私の名にかけてこれ以上の事を起こすつもりはない、ただし誰かが手を出すなら話は別だがね」 男はそう言ってもう一度槍を地面に突き刺した。大理石が敷き詰めていると思われる硬い地面にドスッ! と鈍い音を出しながら、それでもしっかりと槍が突き刺さる。 「エドガー殿・・・」 僕が槍の鋭さを確認していると、隣に立っていたカイエンが男に話しかけた。 「そういう訳だカイエン。少々事情が変わってしまった」 「まさかこんな所で会うとは思ってなかったでござる」 「私もそう思う」 男はカイエンとの話を切り上げ、両手を組んで、中庭の中心に陣取っているライダー、セイバー、アーチャーの三人の方を向いた。 マントが微風になびいてゆらゆらと揺れ、体格の違いと色彩の違いは合ってもその姿が戦いの時のライダーを彷彿させる。 いや、考える以前に男はあの三人と同じで紛れもなく戦う者だ。しかもライダーが戦う前から強さを感じ取られるほどの強者なのだ。 ますます状況は混沌としていき、状況観察しか出来ない僕の頭はパンクしそうだった。 それでも考え続け、観察し続け、思い続け、予測し続け、答え続けるしか今の僕に通れる道は無い。 僕が離した筈の女の子をここに連れて来た男。 カイエンの正体も目的も不透明な部分も多いけど、友好関係は築いているような男。 サーヴァントにも魔術師にも見えないけど、魔術とは違う何らかの力を操っている男。 ライダーの事を征服王イスカンダルだと知ってる男。 エドガーという名前の男。 槍を使う男。 「そうそう、ウェイバー・ベルベット君だったね。その様子じゃカイエンから詳しい話は聞いてないようだ、君のサーヴァントの心意気を汲んで判り易く私の事情を一つ言葉にしておこう」 僕が色々と考えていると、それを察知したように男が話しかけてくる。 ただし、視線は中庭中央に向けられたままなので、さっきみたいに動けなくなるような感覚は僕の中に生まれない。 何を言うのか? 幾つもの疑問を思い浮かべ、それが答えに結びつく前に男が答えの一つを僕に言う。 「私の名は『エドガー・ロニ・フィガロ』。倉庫街でこの場に集まった君たち全員に横やりを入れた、『マッシュ・レネ・フィガロ』の兄さ」 「・・・・・・・・・」 名乗った後に続けられた言葉を聞いて僕は思った。 ああ、だから色々と事情を知っていたのか。と。 ライダーは倉庫街に現れた男の兄だと気付いてたんだ。だからあの場に居合わせた様に話して、男の方もライダーの事とか僕たちの事とか色々と知ってたんだ。 そうなるとこの男もバーサーカーのマスターであり始まりの御三家である間桐に関わりがある可能性が非常に高くなった。その男と友好的な関係を結んでいるならカイエンもまた間桐と何らかの繋がりがあると考えるべきだろう。 この聖杯問答が無事に終わり、尋ねる機会が出来たなら―――。カイエンと間桐の繋がりを尋ねよう。僕はエドガーの言葉の余韻の中でそう考えた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰綺礼 「よりにもよって、酒盛りとは・・・」 「アーチャーは放置しておいて構わぬものでしょうか?」 「王の中の王にあらせられては、突きつけられた問答に背を向ける訳にもいかんだろう」 魔道通信機越しに聞こえてくる時臣師の言葉を聞き、私は即座にアーチャー、いや、英雄王ギルガメッシュの動向を口にする。 通常ならばアインツベルンの拠点の中心とも言える城の中の様子を探るなど不可能なのだが、ライダーが結界を根こそぎ破壊した結果、今だけはアサシンの気配遮断スキルが真価を発揮して誰にも気取られる事無く侵入を可能とさせている。 斥候はアインツベルンの森を監視させていた少数のアサシンに任せ、ライダーの移動に合わせて他のアサシンも動かした。状況によってはセイバーとライダーを一気に脱落させることが出来るので、既に多くのアサシンがアインツベルンの森に向かって集結している。 ただし、今はまだ偵察の域を出ていない。気付かれないように闇に潜みながらアインツベルン城の中庭の様子を探っているだけだ。 既にキャスターの根城でアサシンが勝手に攻撃を仕掛けて失敗した事は知っており、少数で同じことを繰り返してもライダーに気取られて撃退されるのが目に見えている。同じ戦略を繰り返してアサシンの健在を他のマスター達に教える程愚かな事は無い。 体は教会に、五感のうち視覚はアインツベルンの森にいるアサシンに繋げ、聴覚は状況に応じて本体とアサシンとを交互に移してやり取りを行い情報収集に努める。 「綺礼、君はライダーとアーチャーの戦力差をどう考える?」 「ライダーに神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を上回るような切り札があるのか否か。そこに尽きると思われます」 魔導通信機から聞こえてくる時臣師の言葉に即答し、私は聖杯戦争のサーヴァントにのみ観点を置いた言葉を口にした。 倉庫街の戦いによって多くのサーヴァントの情報を得て、冬木市に散らばったアサシン達の諜報活動によって真名、拠点、マスター、その他多くの情報を時臣師は手中へと収めた。 セイバーは片腕が満足に使えない状態ならばアーチャーの敵ではない。 ランサーは無傷だが、マスターが復帰不可能な傷を負い、マスターの権利はロード・エルメロイから婚約者であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリへと移された。魔術師としての格は確実に下がったので、真正面から戦えばランサーもまたアーチャーの敵ではなくなった。 キャスターの凶行は今この瞬間にも続けられているが、ライダーによって拠点を破壊された事で令呪に誘われた他のマスターに倒される日は近い。 アーチャーの宝具を奪ったバーサーカーの力は厄介だが。既にアインツベルンの森でキャスターとの戦いを見せてもらって、魔力切れと言う聖杯戦争に参加するマスターらしからぬ失態もしっかりとアサシンを通じて知った。 現段階、敵として厄介なのはバーサーカーでもマスターである間桐雁夜でもなく、間桐に協力している何らかの組織になる。 バーサーカーとマスターである間桐雁夜にのみ焦点を合わせて考えれば、彼らは強敵とは言えない。長期戦になれば勝手に自滅するだろう。 マスターとサーヴァントに置いての残る問題はアーチャーとライダーの戦力差だ。ライダーは今の所、戦車(チャリオット)以外の攻撃方法を示しておらず、別の宝具があればそれがアーチャーを倒す手札になりかねない。 現状で時臣師が聖杯戦争を勝利する為にはライダーの全容を暴くのが急務となる。ライダーは今回の聖杯戦争に招かれたサーヴァントの中で、ある意味、誰よりも多くの逸話を持っている征服王イスカンダルだ。宝具が一つ限りだと楽観視して勝てる相手ではない。 「この辺りで一つ、仕掛けてみる手もあるか――」 「異存はありません」 多くは語られなかったが、それが貴重な情報を得るために残るアサシンを使い潰す意味だと理解した私は再び、魔導通信機の向こう側に控える時臣師へ即答した。 本来ならば結界に守られている筈だったアインツベルンの森に今は何の護りもなく、ライダーがマスターと共に酒盛りに興じているのならば、これはまたとない襲撃のチャンスと言える。 これでライダーのマスターを首尾よく葬れれば最良、ライダーの奥の手を引きずり出せれば悪くは無い。最悪の場合はあの場に居合わせた者達によってアサシンが撃退されてしまいライダーの切り札も見えない状況だが、時臣師にとっても私にとってもアサシンは単なる一手段であり、使い捨ての道具でしかない。 「では三分の一・・・。いえ、残るアサシンの半数を現地に集結させます。狙うはライダーのマスターのみでよろしいですね」 「良い、アサシンに号令を発したまえ。博打ではあるが、幸いにして我々が失うものはない」 ライダーに仕掛けようとする以前から多くのアサシンがアインツベルンの森に向けて集まっているので、十分とかからずに宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって分裂した残るアサシンの半数が城に到着するだろう。 可能ならば全てのアサシンを襲撃に送り込みたいが、間桐に協力する組織の全容が明らかになっていない今、諜報組織としてのアサシン達はまだ必要だ。 私は中庭の様子を監視しているアサシンの視界に写る景色を観察する。そしてライダーのマスターの腰にしがみ付いている少女に―――いや、少女の姿をしているアサシンを見る。 アサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』はアサシンとして召喚された百の貌のハサンの別人格に、それぞれ別の個体を与えて活動させる宝具だ。 人格それぞれに応じた体が割り当てられ。老若男女、巨躯矮躯と容姿も得手不得手も異なる様々なアサシンがいる。だが、自分をアサシンと自覚しない人格まで存在するとは思わなかった。 僅かばかりの驚きを感じながら、様子を観察しているアサシンに念話で語りかける。 口から出る言葉ではないの、これは時臣師に聞こえていない。 「あのアサシンは何者だ?」 「綺礼様。あれに名は無く、記憶も持たず、会話も出来ず、我らアサシンを名乗る資格を持たぬ単なるモノでございます。確かに我らと同列の別人格ですが、生前と同じく尋問拷問を受ける際に秘密を守り通す程度にしか使い道はありません」 「では、あのアサシンを使い、ライダーのマスターを殺せるか?」 「仮にもアサシンの一人なので見た目より力はありますが、ライダーのマスターを殺せるほど強くはありません。アサシンの自覚無き今、武器があっても不可能かと」 「そうか――」 短い会話の中である程度の状況を把握した私は、少女の姿をしたアサシンを戦力から除外していく。 本質はアサシンだからこそ、おそらく令呪によって命じればライダーのマスターを傷つける程度は可能だろう。しかし不確定要素が強すぎるので、今はアサシンではなく無関係の一般人の位置付けとして数えてゆく。 ライダーがあの少女をアサシンと自覚している可能性も高いので、攻撃に転ずれば一瞬で滅ぼされてしまう場合も考えられる。 すると私の無言の思考を読み取ったかのように、時臣師が魔導通信機から話しかけてきた。 「ところで綺礼。マスターではない二人は間桐に関わりのある者として・・・、ライダーのマスターにしがみ付いているという少女は彼の縁者かい」 「いえ・・・。ライダーがキャスターの工房を破壊した後に現れたので、おそらく誘拐されて運よく生き残った子供の一人と思われます。ライダーのマスターに懐いている理由は不明です」 「巻き込まれた一般人か――。記憶操作の処置を行うよう手配しなければな」 私は嘘をついた。 マスターはサーヴァントの目となり耳となる五感共有を行える高位の使い魔だが、英雄王ギルガメッシュは例え相手がマスター契約を結んだ時臣師だとしても許しはしない。 一瞬であろうとも、自分の見聞きした全ての情報を他人に知られるような事態に陥れば、あのサーヴァントは自分のマスターであろうとも呆気なく殺すだろう。 不敬だ、と。 故に時臣師が会得した情報はアサシンからもたらされ、『言峰綺礼』というファクターを通り、精査された情報となる。 私とてアサシンからの情報が無ければあの少女がアサシンであると気付かなかった。よほど高位の魔術師か、正体を見破る魔眼でも持っていなければ気付かないに違いない。間近で見ればあの少女が普通の人間や魔術師とは異なると気付けるかもしれないが、遠方からの監視には限界がある。 情報の正確さはそのまま聖杯戦争の勝利に直結し、誤った情報は敗北への切っ掛けとなる。それを重々承知しながら、何故、私は時臣師に嘘をついたのか? これまで一度たりとも誤った情報を渡した事は無い。大勢のアサシンが作り出す諜報組織の頭脳となり、時臣師を聖杯戦争の勝者とすべく動いてきた。 不確定な望みなど口にせず、他者が求める願望と真実が異なったとしても、正しき事象を伝えてきた。 偽るなかれ―――。 だが私は嘘をついた。 あの少女がアサシンの一人であると自覚しながら、嘘をついた。自覚した上で嘘をついた。 判らない。 判らない。 何故、私は時臣師に嘘をついたのか? ライダーのマスターを殺す絶好の手札になる情報の一つを隠匿したのか? 判らなかった。 「ともかく綺礼。お前はまず娯楽というものを知るべきだ――」 何故か、頭の中でギルガメッシュの言葉が蘇る。 偽る事が娯楽に繋がるとでも言うのか? ありえない。 私は否定する。何度も何度も否定する。 そしてあのアサシンはマスターである私にとっても不確定な存在であり、アサシンによる攻撃を仕掛ける今はお伝えすべき情報ではないと理由を作り出す。 私は考えない。 もしライダーのマスターがあの少女をアサシンと気付かずに保護し、正体を知り裏切られた時の顔を見たいと思ったなど―――私は考えない。 そんな事はありえない。 ありえないのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 「さて、妙な横やりが入ったが続けるとするか」 「・・・・・・・・・征服王よ。おまえは聖杯の正しい所有権が他人にあると認めた上で、なおかつそれを力で奪うのか? そうまでして、聖杯に何を求める?」 視界に写るライダーとセイバーの言葉を聞きながら、俺は別方向を見る為に顔を動かそうとした。 だが今の俺に許されているのは見ると聞くだけであり、自発的に起こせる行動は何もない。精々、自分の意思で見聞きするのを止めるかどうか決めるだけだ。 エドガーの参入など全く気にせずに続けようとするライダーが見える。少々苛立って聞こえる声で話すセイバーが見える。 そして何やら照れくさそうにしながら笑い、杯の中身を呷ってから『受肉だ』と言ったライダーも見えた。 そんな酒宴の様子が二か所の視点から見えている。 今、俺はゴゴが用意したカイエンの視点とエドガーの視点の両方からアインツベルンの城の中で行われている聖杯問答を監視していた。 あまり深く同調し過ぎると本体の方が無防備になるので滅多にやらない。そもそも今までに修行以外に使った事すら片手で数えられる程度しかない上に、大抵の場合はミシディアうさぎを通しての五感同調なので、ゴゴが用意したこの状況は初めてだ。 ただし間桐雁夜の肉体と精神がゴゴに同調している訳ではなく、ゴゴが用意した魔力の繋がりを通り抜けて五感を拝借しているだけだ。人には説明し辛い感覚だが、ゴゴが自分と自分の分身を繋ぐ魔力に俺が通れる道を用意してくれて、そこを歩いている、とでも言えば良いのだろうか。 俺一人の魔力で同じような事をしても決して出来ない。魔術師には大なり小なり魔術に対する耐性があるので、使い魔が術者と五感を同調させるのと人のそれとは訳が違うのだ。 普通の魔術師ならば他人に感覚を預けるなど決してやらない。 そもそも魔力波長の異なる『自分』と『他人』の壁を易々と突破できる者はそうはいない。今は亡き臓硯の様に他人の肉体を全て自分のモノにしてしまえば出来るかもしれないが、完全に別人として確立している状態では不可能と言うしかない。とりあえず拙い俺が持っている魔術の知識ではそう結論付けられる。 俺は視界の向こう側でライダーに詰め寄るマスターの姿を見て、デコピン一発で吹き飛ばされる哀れな様子もしっかり見ながら、見る意識とは別の思考で考えを巡らせていた。 ライダーのマスターは腰にしがみ付いた女の子を上にして、地面に擦らないように気遣っていたが、今はどうでもいい。 凛ちゃんを葵さんの元に送り届けた俺は合流してきたロック―――いや、変身したゴゴと合流し、再び二人分のゴゴに護衛される状況に戻した。 そして公園から場所を変えた。 一日過ごして敵がどう出るか判明してきたので間桐邸に戻っても良かったのだが、今の間桐邸にはゴゴしかおらず、桜ちゃんは冬木市から飛空艇で離れているので拠点以上に利用価値を見いだせない。 安全と言うならば二人に別れたゴゴに守られている状況こそ安全であり、わざわざ間桐邸に戻る意味もない。 間桐邸に戻らず、とりあえず場所を移動した俺にロックとセリスの二人がアサシンの大集結を告げて来たのが少し前。 そして今、ゴゴが用意してくれた五感同調の為の魔力経路を通り抜けて、俺の意識はアインツベルンの森の中に飛んでいる。 ただし同調しているだけで行動の決定権は全てアインツベルンの城にいるゴゴ、『カイエン・ガラモンド』と『エドガー・ロニ・フィガロ』の二人に委ねられている状況で、繰り返すが俺に許されているのは見ると聞くだけだ。 俺の本体は凛ちゃんを葵さんに預けた公園とはまた別の公園にあり、人気のないそこの公園の長椅子に座って、両隣を固めるロックとセリスの手の甲に両手を乗せている筈。 今更ながら、自分の体の中に俺という他人が通る為の魔力経路を簡単に作ってしまうゴゴの異常さを思う。軽々とやってのけているが、これもまた高度な魔術の一つだ。触媒なしに身一つしかない俺には絶対に出来ない。 「身体一つの我を張って、天と地に向かい合う――。それが征服という『行い』の全て。そのように開始し、押し進め、成し遂げてこその我が覇道なのだ」 アインツベルンの城にいる二人のゴゴ、そして俺の本体の両隣に座っている二人のゴゴ。何とも変な状況だと思いながら、聞こえてくるライダーの言葉を聞く。 俺を含めた他のマスターが聖杯戦争に目的を持って挑んでいる様に、サーヴァントにもサーヴァントなりの事情が存在する。 アーチャーが自らの法に則って他のマスターとサーヴァントを罰しようとしている様に、ライダーにもライダーなりの理由と目的と願いがある。 それが受肉―――。そして征服王イスカンダルが生前成し遂げられなかった『世界征服』を自らの肉体で成そうとしている。 つまり俺のサーヴァントであるバーサーカーにもライダーの様に何らかの聖杯に託す目的が存在するのだ。 なお、俺の意識だけをゴゴを通じて飛ばしている状態なので、バーサーカーの意識は俺の本体の近くに浮遊している。もし一緒にバーサーカーの意識も送っていたら、倉庫街の戦いの時の様にセイバーを見て暴走する可能性が非常に高い。 バーサーカーに俺の見ている風景を感じさせないように気を配りつつ、俺はそのバーサーカーの事を考えた。 あの狂ったサーヴァントと言葉を交わした事は一度もないが、セイバーに見せた執着こそが聖杯に託す望みに関係するのではないだろうか。 今までバーサーカーの願いなど考えた事は無かったが、俺のサーヴァントとして召喚されてくれたあの英霊に報いたいという気持ちがある。 もし臓硯が生きていて、桜ちゃんを救うために聖杯を求めていたなら絶対に思いつかなかったであろう余裕。ゴゴがいたからこそ、考えられた疑問とセイバーが結びついていく。 バーサーカーがセイバーを見て殺そうとするのも、史実を知る者なら、なるほど、と納得できる。あのセイバーはアーサー王その人であり、バーサーカーとの関わりは非常に深い。 もしバーサーカーの願いが復讐なのだとしたら、それを成就させてやりたい気持ちは合った。 力ではバーサーカーに遠く及ばない俺が『させてやりたい』などと思うのはおこがましいかもしれないが、とりあえずそう思っているのは確かだ。 「決めたぞ、ライダー。貴様はこの我(オレ)が手ずから殺す」 アーチャーの言葉で意識がバーサーカーからアインツベルンの森に引き戻され、見える風景に気持ちが集中していく。 表面上は何でもない風を装っているが、アインツベルンの女が時々睨みつけるような探る様な視線をこちらに向けている。つまり、あっちにいるゴゴを強く警戒しているのだ。 ライダーのマスターも同じようにゴゴを見ているが、あちらは腰にしがみ付かれた少女の存在もあって警戒よりも狼狽の方が強い。 三人のサーヴァントは『王』を名乗るだけあって、聞き手が増えようと全く気にしていなかった。 ライダーのマスターの腰にしがみ付いている少女はずっとそうしている。同じような年頃の子供達をキャスターの魔の手から救出したので彼女もまた救おうかとも思ったが、あの様子ではライダー陣営と一緒にいる方が安全と考えるべきだ。 あの少女が救いの手をライダーとそのマスターの伸ばすなら、俺の出番はない。そして俺の手は、救いを求めない者にまで伸ばせるほど広くも大きくも強くもないのだ。 ライダーに同行しているゴゴ、そしてライダーのマスターの知己と思わしき少女を送り届けたゴゴ。 一度間桐邸を取り囲んでいた使い魔たちは全てエドガーによって消されているので、中にはエドガーが間桐と繋がりを持つと知らないマスターもいたかもしれない。 だがマッシュの姿をしたゴゴが間桐邸を出入りしている事実と、マッシュとエドガーが兄弟の関係である事を暴露した所でエドガーもまた間桐と関わりをもち、聖杯戦争に関わっていると知っただろう。 もっとも、エドガーもカイエンもマッシュでさえもゴゴの変身した結果だと知ってる俺の目から見たら、ゴゴが状況を引っ掻き回して遊んでいる様にしか見えなかった。 むしろ、それがゴゴの狙いだ。 聖杯戦争が始まってからゴゴは積極的に戦いには参入してこなかった。接触は俺より早かったかもしれないが、戦いに限定すれば俺とバーサーカーの方が他のマスターとサーヴァントに戦いを仕掛けた機会の方が多い。 しかしゴゴは観察によって多くの宝具を手中に収め、バーサーカーの宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を初めとして数多くの宝具を物真似した。 手にしたものを自身の宝具として扱う宝具能力でバーサーカーの手にはアーチャーの宝具が握られている。まだお目にかかっては無いが、霊体化しているバーサーカーといえどもすぐ近くに居るので、あの宝具『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』もゴゴは軽く扱うだろう。 そんな必要はないかもしれないが―――。 サーヴァント同士が争っているのを観察し、漁夫の利を収めている。俺が知っているだけで、バーサーカーの変身宝具とアーチャーが空中に浮かび上がらせた宝具、そしてアサシンの自分を分裂させる宝具は全て自分のモノにしている。 かつての仲間に変身すると同時に色々な武具を作り出しているのを見ているので、ランサーの二本の槍や、ライダーの戦車(チャリオット)を魔力で具現化させられるんじゃないかと思っている。 ただ、英霊の宝具を物真似して作り出しても、きっと今の俺は驚かない。ものまね士ゴゴがそういう事を何の気負いもなくやってのける異常な存在だとこの一年で強く理解しているからだ。 ゴゴの事でいちいち驚いていたら何も始まらない。そう思いつつ状況を観察し続けた。 「そんなものは王の在り方ではない」 セイバーの声が聞こえて来て、その言葉がバーサーカーに届かないように願いながら、言葉の内容に苛立ちを感じた。 倉庫街の戦いの時から『騎士道』を貫こうとする生き方には納得がいかないし、苛立ちを感じて、怒るのは変わっていない。それでも、自分には持っていないモノを持っていて、堂々と自らの道を―――ライダーの言葉を借りるならば『王道』を突き進む姿に羨望を覚えるのもまた確かだ。 強い者に憧れる。 強い者を憎む。 殺してやりたいほどに―――。 アーチャーは自らの法に則り、ライダーは受肉を望む。ではセイバーは聖杯に何を望むのか? おそらく俺以外にもアインツベルンの城にいる誰もがセイバーの願いに意識を移したに違いない。 ライダーが言う。 「では貴様の懐の内――聞かせてもらおうではないか」 そして俺はその言葉に応じるセイバーの台詞を聞いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 「私は我が故郷の救済を願う――。万能の願望機をもってして、ブリテンの滅びの運命を変える」 カイエンとしてその言葉を聞き、エドガーとしてその言葉を聞き、雁夜の傍にいるロックとして、そしてセリスとしてその言葉を聞いた。 かつてのロックならばその言葉に共感したかもしれない。自らの犯した罪によって、消えない罰を負った。その点だけは似た部分が存在するからだ。 ただし過去を振り返る意味の愚かさもまたロックは理解してしまい、ものまね士ゴゴがあの世界から離脱した瞬間のロックは『運命を変えたい』等と願わなかった。ひび割れたフェニックスの魔石によって過去との離別を行える機会に恵まれたからだ。 物真似して分裂して作り出している多くの人格、それらがセイバーの言葉を聞き、多くの感情を生み出した。 では、ものまね士ゴゴとしてはどうか? アサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』だけならばゴゴとしての思考が表に出てくるが、バーサーカーの宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』で別人のものまねをしていると表層意識はそちらに引きずられてしまう。 ある意味で物真似の真骨頂とも言えるが、ゴゴ単独として考えるには不向きだ。 ゴゴは仕方なく最も強い自意識を間桐邸の地下に移し、アサシンを素材として色々試している『ものまね士ゴゴ』に意識を移す。 目の前には半死半生の様相を表しながら蟲蔵の床に転がるアサシンの姿があり。敵であるゴゴがすぐ隣に立っているのに逃げる気配も攻撃する気配も見せない。 いや、出来ないでいる。 何しろ間桐邸の蟲蔵でアサシンを復活させた後、英霊に魔法や魔術や格闘がどれだけ効果があるのか試し続けてきたのだ。 やろうと思えば痛みを感じる時間すらない一撃で存在そのものを消滅させる事も可能だったのに、休む暇もなく壊して直して、壊して直して、壊して直して、壊して直して、壊して直した。 経過に対する結果を事務的に集め、物真似の一環とするために、聖杯戦争にアサシンのサーヴァントとして召喚されたハサン・サッバーハを破壊し続けた。 傷つけて治したのではない。 アサシンをあくまでモノと捉え、壊して直し続けたのだ。 肉体の損耗は回復魔法で直し、魔力の損失は新たに供給することで消滅を許さなかった。結果、アサシンは戦いなどとは到底呼べない一方的な拷問を受け続ける羽目になってしまった。 経過した時間で考えればまだ一日も経っていないが、アサシンが消滅の危機に瀕して、そのたびに直されてきた回数は百回を超える。 髑髏の仮面の奥に見える目はまだ英霊としての光を失っておらず、暗殺者としての誇りを宿している。けれど肉体的な損耗は避けられず、全快していない今の状態では満足に動けない。 アサシンを見下ろしながらゴゴは考える。―――さて、次にアサシンに仕掛ける攻撃は何にしようか。と。 そして目の前にある光景とは全く別の事も考える。―――セイバーはブリテンの滅びの運命を変えると言った。と。 意識はアサシンから離さず、けれども頭の片隅で全く別の事を考えながら、ゴゴはすぐに結論を出した。 落胆―――これほど今の感情を言い表す的確な言葉はない。 仮にも王を名乗った人間が、同じ王に対する虚言を用いるとは思えない。つまりセイバーの言葉は全てが真実であり、あれがセイバーが聖杯に求める願いそのものなのだ。 過去の改変。つまり自分で作り出してきた過去と言う名の自分自身を否定する願いをセイバーは叶えようとしている。 常時見せているランサーの宝具と違い、セイバーの真の宝具はまだ表に出てこない。それを物真似したい欲求が芽生えるが、『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』でセイバーの物真似をしたいかと考えれば、はっきりと『否』と断言出来てしまう。 ものまね士ゴゴにとって過去とは、失われたモノであり、欲しいモノであり、積み上げていくモノであり、手放してはならないモノだ。 三闘神によって眠りにつかなければならなかった時間など、悔いる時間は数あるが。それでもなかった事にしてやり直したいとは欠片も思わない。 望まれても自分を否定する人間になどなりたくはない。物真似したくない。それがゴゴとしての偽りなき本心であった。 故に落胆した。 セイバーの宝具は物真似する価値があるかもしれないが、『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』でセイバーの物真似はしたくない。 思考に費やした時間は短い、それでも何度思い返しても変わらぬ結論を出すには十分すぎる時間だった。間桐邸にいるゴゴは新たな手法をアサシンに試すのを続行して、もうセイバーの事を考えないようにする。 そして意識を再びアインツベルンの城へと戻した。 カイエンとエドガーの意識を間桐邸のゴゴに振り分けている間に聖杯問答は進み、ライダーの憤怒とアーチャーの嘲笑がそれぞれセイバーに向けられているのを確認した。 「えぇと、セイバー? 確かめておくが、そのブリテンとかいう国が滅んだというのは、貴様の時代の話で――貴様の治世であったのだろう?」 「そうだ! だからこそ悔やむのだ。あの結末を変えたいのだ! 他でもない、私の責であるが故に――」 「自ら王を名乗り、皆から王と讃えられ──そんな輩が『悔やむ』だと? これが笑わずにいられるか、傑作だ。セイバー、おまえは極上の道化だな!」 各々の言葉を聞き、強く感情を揺らしたのはカイエンではなくエドガーだった。 エドガー・ロニ・フィガロ。機械王国フィガロの若き国王としての意識はセイバーへの強い憤慨を生み、もしこれが聖杯を求めるサーヴァント同士の酒宴でなかったら、すぐにでも乱入してしまいそうな怒りがこみ上げてゆく。 続く言葉の全ては耳から入って頭で理解していたが、最初に感じた怒りは消えずに残り続けた。 エドガーはセイバーを嘲り笑い続けるアーチャーを見ている。 あくまで聖杯問答の筋道でセイバーを否定するライダーを見ている。 問答を続ける為に荒げた語気を収めつつも、二人の『王』から否定されて狼狽を隠しきれないセイバーを見ている。 「ライダー。その結末に、貴様は何の悔いもないというのか? 今一度やり直せたら、故国を救う道もあったと・・・そうは思わないのか?」 「ない」 問いかけるセイバーに対し、ライダーは堂々と胸を張って即答した。そこから続けられた言葉にエドガーとしての心が怒りとは別の意味で大きく揺れ動く。 「ましてそれを覆すなど! そんな愚行は余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!」 「滅びの華を誉れとするのは武人だけだ。民はそんなものを望まない。救済こそが彼らの祈りだ!」 ライダーの言葉に反論したセイバーはそこから自らの王道を語り、ライダーもまたそれに応じて自らの王道を語る。 女性が―――つまり女王が国の上に立って国を率いる事には賛同したくはないが、そういうものもあるのだと納得はする。そしてセイバーが語る王の姿―――『正しき統制。正しき治世。すべての臣民が待ち望むものだろう』、その尊き思いに共感したのは事実だ。 ライダーは自らを暴君と認め、故にそれこそが英雄だと断じた。それもまた一つの真理だと思う。 時代が変わり、環境が変わり、歴史が重なり、人の記憶もまた時と場合によって大きく変わる。だからこそ『正しさ』など、人の数だけ存在するし、ライダーの正しさがセイバーの正しさとは限らない。別の言い方をすれば、ライダーもセイバーも等しく正しい。 同じ時代に生きた別の国の王ならばその時代に生きた人間か後世の者が正しさを判定するかもしれないが、セイバーとライダーがそれぞれ生きた時代はあまりにも違いすぎる。 だからこそどちらも譲れぬ王道を掲げて問答によって言葉で決着をつけようとしている。自らの王道を突き進もうとするその点にだけはエドガーは賛同する。しかしセイバーの『滅びの運命を変える』という思惑には怒りしか湧かない。 それでも一国を率いた王か、と―――怒りが込み上げてくる。 彼女は判っていない。ライダーの言うとおり、やり直しなど王と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱だ。 それが判っていない。 セイバーの治世の中にも幸せがあり、苦しみがあり、楽しさがあり、辛さがあり、その時代を生きた人間の歴史がある。確かに、国が一つ滅んだ事で、多くの血が流れて、多くの人が死んで、多くの悲しみが合ったかもしれない。それでも歴史は積み重ねられて、現代に至るまでしっかりと続いている。 過去を変えるのは、その時代を生きた人間を抹殺して、全く新しい別の何かを作り出す行為だ。セイバーの願いは王が自ら故国の民を殺すのに等しい。セイバーはそれが判っていない。 王が従った臣下を否定する。 王が国に生きた民草全てを否定する。 王がブリテンという国そのものを否定する。 それは国の頂点に立つ王ならば―――臣民の事を考えて『正しさ』を行おうとしているセイバーならば、尚更してはならない決断だ。 そもそも人は過ちを犯す生き物だ。正しくもあれば間違ってもあり、善なる者もいれば悪なる者もいる。たとえ時代が変わろうと、統治者は清濁併せ呑む人間でなければならない。 聖杯問答には関わらないと自らの名で宣言したからこそ、三人の王が作り出す話の輪の中にエドガーは加われない。だからこそ思考だけが暴走気味に動き回り、頭の中で色々な答えを作り出していく。 「人は王の姿を通して法と秩序のあり方を知る。王が体現するものは王と共に滅ぶような儚いものであってはならない。より尊く不滅なるものだ」 そのセイバーの言葉を聞いた瞬間。エドガーの意識は今まで以上に怒りと動揺に支配された。 それが判っていながら、何故過去の改変など望むのか。そうエドガーの心が叫ぼうとする。 ライダーはため息を吐きながら『そんな生き方は人ではない』と言い、セイバーの在り方に憐れみすら抱いている様だ。 伝説に語り継がれるアーサー・ペンドラゴンは完璧な君主であり、理想の体現者であり、私情を捨てて人ではなく正しさを体現する為の存在になった。ならば間違いなく、その正しさに惹かれ、焦がれ、思いを馳せ、そうありたいと思った者もいただろう。 ブリテンという国が滅んでも、そこに生きた全ての人間が死した訳ではない。 生き延びた者がいる。助かった者がいる。王の生き様を語り継いだ者がいる。セイバーの願いはそれすらも抹消する。 セイバーが刻んだ『正しさ』は紛れもなく今の世の中にまで続いている。だからこそ彼女は名高き騎士王として今でも語り継がれているのだ。 「征服王、我が身の可愛さのあまりに聖杯を求める貴様には我が王道は判るまい。飽くなき欲望を満たすためだけに覇王となった貴様にはな!」 確かにライダーにはセイバーの王道は判らないかもしれない。そもそも掲げる王道が異なる上に、それぞれの王道を進んでいるのだから、納得はしても理解は出来ないだろう。そして逆にライダーの王道もまたセイバーには理解できないに違いない。 なのに何故、セイバーはその『王道』を無に喫するのか? セイバーが掲げた正義を確かな証として国に、人に、時代に、歴史に、世界に、多くを示しおきながら。過去を変えてその偉業を消そうとしている。セイバーが自らの王道を掲げながら、ブリテンの滅びの結果を覆す為に否定する。 矛盾だ。 とどめとばかりに恫喝するセイバーにはどうしようもない矛盾が存在し、彼女はそれに気付いていない。 鼓膜が破れそうなセイバーの声を真正面から受けたライダーは、これまでにな強い視線をセイバーに向けて吠えた。 「無欲な王なぞ飾り物にも劣るわい!」 マッシュの姿で倉庫街の戦いに乱入し、ミシディアうさぎの目でライダーとそのマスターを捕捉し。結果的にカイエンとしてライダーと共闘する事になった。今ライダーが見せた怒気はそのどの状況でも見なかった凄味を含んでいて、溢れ出た気迫でライダーの大柄な体格が更に膨れ上がったかのような錯覚を感じさせた。 数多くの戦場を渡り歩いてきたセイバーはその程度では怯えはしなかったが、ライダーに向ける顔つきに自分自身の矛盾に気付いている様子はなかった。 結局のところ、アーチャーとライダーが問答でその結論に至ったように、互いに曲げられぬ王道があるのならば事態は戦いへと集約していく。それしかない。 ただ問題なのはセイバー自身がその王道を否定している事だ。 セイバーが自らの王道を進んでライダーと衝突したならば、ライダーもここまで怒りを露わにしなかっただろう。 まっすぐにセイバーを見つめるライダーの口から新たな言葉が出る―――かと思われたが、ライダーは口を開いたままセイバーから視線を外し、後ろを振り返ってしまった。 聖杯問答に背を向けるようなライダーの行動に違和感を覚えるのと、その理由に至るのはほぼ同時。 「カイエン!」 「心得たでござる!」 エドガーとしての意識がカイエンへと移り、かつての世界でモンスターからバックアタックを受けた時の様な懐かしさが体の上から下までを駆け抜ける。 悪寒と言い換えてもいい。 セイバーに向けていた感情は一瞬で消え去り。意識は戦いのそれに変化した。 ライダーの声に応じながら、体はしっかりと迫る敵の攻撃に備えて動いてゆく。ライダーに言われる前に既に手が刀を握り締め、隣に立つウェイバーへの攻撃に対処するべく動いた。 もしこれが本当の意味でもバックアタックだったならばカイエンの速さでも間に合わなかった。何故なら、真のバックアタックは敵側が必ず先制攻撃を行える背後からの攻撃だからだ。 かつて世界に存在した絶対にして不変の法則。敵からの攻撃は受けるか避けるか耐えるかのどれかで選択できるが、バックアタックされた瞬間に先に攻撃されるのは変わらない。 しかし今ウェイバーを狙っている攻撃はバックアタックではない。サーヴァントの存在は魔力の繋がりによって看破され、敵の所在は遠かろうが近かろうが大体の位置を把握できる。 だから敵が聖杯戦争に召喚されたサーヴァントである限り、絶対にバックアタックは実現されない。 これまでは静観を保っていたが、ライダーがセイバーに怒鳴りつけたのを好機と見たのか。アインツベルンの城を取り囲むアサシンの中に一人が攻撃を仕掛けてきたのだと理解する。 カイエンとなったゴゴは『風切りの刃』を鞘から抜いて、引き抜く勢いをそのままに刃が黒く塗られた短刀を横にはじき返した。 ガキンッ! と金属同士がぶつかり合う鈍い音が響き、一瞬遅れ、うわぁっ! と驚くウェイバーの声が聞こえる。そして、ウェイバーが立つ位置から見て後ろの屋根の上にアサシンが姿を見せた。 「無粋な輩でござるな」 そう呟くカイエンの言葉が聞こえたのか、最初の一撃が失敗に終わった所で全力で仕掛けるつもりだったのか。今度は脇の花壇の中に霊体化を解いて実体化したアサシンが立つ。 もちろんその手には刃を黒く塗った短刀が握られ、僅かでも隙があればウェイバーに向けて投擲しようとする意図を見せつけている。 アサシンの出現はそれだけに収まらず、東西南北全ての屋根の上に―――、城の空いた窓枠に、中庭に来る時に通り抜けた通路に、柱の影に、人が立てるありとあらゆる場所にアサシンは現れた。 十秒とおかずに三人のサーヴァントを中央に置いた中庭は、アサシンの集団が中庭にいる全ての人間を包囲する状況へと変化する。 巨漢のアサシン。 矮躯のアサシン。 細身のアサシン。 見渡せば多種多様なアサシンがいるが、髑髏の仮面をつけて表情を隠し、その手に短刀を握りしめている点だけは統一されていた。中には両手に一本ずつ黒塗りの短刀を握るアサシンもいて、誰もが攻撃できる体勢を作り出している。 「む・・・無茶苦茶だっ!」 貯水槽で複数のアサシンがいる事までは確認していたが、さすがに宝具で分身しているという理由までは知らないウェイバーが悲鳴のような叫びをあげる。 どんなサーヴァントでも一つのクラスには一体分しか枠はない。アサシンはその聖杯戦争の根源とも言えるルールを逸脱しているのだ、無理もない。 先程の攻撃で、アサシンがこの場で狙い定めているのがウェイバーであるのを証明している。自力で他のサーヴァントに劣るアサシンが聖杯戦争に勝利する為には真っ向からの戦いよりも、マスターを狙うのが常道。この場においてマスターはアイリスフィールとウェイバーの二人だけと思われているが、アイリスフィールは偽りのマスターである上に『聖杯の器はアインツベルンが用意する』という決まりごとがある為、聖杯を求めるならば不用意に殺せない相手だ。 結果、体感している当人の温度を数段下げるほどの濃密な殺意がアサシンから放たれてウェイバーに集中する。カイエンはウェイバーを守る為、アサシンに先手を取られた状況を動かしていった。 「ウェイバー殿、その娘を連れてイスカンダル殿の位置まで下がるでござる」 「え、あ――、うん・・・」 突然のアサシン出現に一瞬だけ呆けていたウェイバーだったが、カイエンの言葉を聞いて今すべき事が逃亡であると思い出す。 視線は現れたアサシンに向けたまま、片時も目を離せずに後ずさっていくのが足音で判る。腰に少女をしがみ付かせている状態なので、後ずさる速度は歩くよりも遅い。ウェイバーがたった一人だったなら駆け足ですぐにライダーの元に行けただろうが、今は腰にアサシンの少女がいる。 「これは貴様の計らいか? 金ピカ」 「時臣め・・・、下種な真似を」 ウェイバーの動きに合わせて、『風切りの刃』を構えたままカイエンは後ずさる。すると後ろからライダーとアーチャーの声が聞こえてきた。 侮蔑を隠そうともしないアーチャーの言葉でアーチャーとマスターとの間に意識の齟齬が出来ている事が再確認できた。 もともと、遠坂邸にこもって聖杯戦争が始まって以来一度たりとも外の出なかった遠坂時臣と、自由に冬木市の中を歩き回っていたアーチャーとの行動には食い違いが発生していた。真に守りを強固にするならば、最大の攻撃手段であり最大の防衛手段でもあるサーヴァントを傍に置く筈。 確かに両者の間にはマスターとサーヴァントの契約が存在するかもしれないが、それが意識下においての契約かどうかは別問題だ。アーチャーの言葉で今回の襲撃を画策したのにマスターである言峰綺礼のほかにも遠坂時臣が関わっているのが確定となり、自らの法に則って聖杯戦争の参加者を罰しようとするアーチャーと、聖杯を求めて戦う遠坂時臣との間には確執が存在するのも確定した。 これは状況によってアーチャーが遠坂時臣を殺す可能性にもなる巨大な確執であろう。 そうなった場合、遠坂時臣に死んでもらっては困るこちらの立場として、助けなければならなくなる事態になるかもしれない。目の前にいる膨大な量の敵も少し厄介だが、浮き彫りになった問題の大きさで言えばアーチャーと遠坂時臣の不和の方が大きい。 「厄介でござるな・・・」 カイエンの口からアサシンと遠坂時臣の二重の意味で言葉が囁かれると、短刀を構えた前後左右のアサシンから一斉に忍び笑いが漏れる。 「我らは群にして個のサーヴァント。されど個にして群の影――」 単体の強さは他のサーヴァントと比較しても大きく劣るアサシンだが、数の理という強みを生かした優勢を誇る様にアサシンの一人が語る。 言葉で気が紛れた所に短刀を投げつけるつもりか。それとも暗殺者のサーヴァントが優位に立てたことで気が大きくなっているのか。攻撃の合間に言葉を挟みこんだ本当の理由はアサシンにしか判らない。 「まさか・・・多重人格の英霊が自我の数だけ実体化している、のか?」 「私たち――、今日までずっとこの連中に見張られていたわけ?」 すぐ後ろからウェイバーの囁く声が聞こえ、離れた位置からアイリスフィールの声が聞こえる。 聖杯問答が開始された時は中央から離れた位置に陣取っていたアイリスフィールだが、アサシンの出現と同時にセイバーの元まで移動したようだ。後ろを振り向けないカイエンにとっては声から判断するしかないが、囁かれた言葉が聞こえた位置はかなり近いので間違いないだろう。 もしアサシンがウェイバーではなくアイリスフィールを先に攻撃していたら、中庭の中心にいたセイバーでは守り切れなかった。 もっとも、彼女が真っ先に攻撃されていたらカイエンがウェイバーを守っていたように、女性重視のエドガーの体が考えるよりも前に動いて迫る短刀をはじき返しただろうが。 そのエドガーの目で周囲を観察してみると、アサシンの殺意がほとんどウェイバーに向けられていたが、困惑を思わせる動揺を混ぜ込んだ敵意を向ける者もいた。 おそらくウェイバーの腰にしがみ付いている少女の姿をしたアサシンを見て、『どうしてそこにいる?』と疑問を抱えたのだろう。それでも疑問を口にしないのは、マスターである言峰綺礼から令呪で命令され、今のアサシン達には制限が設けられているのかもしれない。 見ると、アーチャーはアサシンの出現など全く気にせずに自分のマスターへ向けた侮蔑を表情に軽く浮かべたまま沈黙を保っている。セイバーは敵の出現に対し、背後にアイリスフィールを置きながら不可視の剣を構えていた。 エドガーとしては率先して事を構えるつもりはないし、アサシン側も間桐邸でエドガーの機械でアサシンの一人が呆気なく殺された経緯もあり、こちらを意識はしているが攻撃しようとする素振りはない。 これはウェイバーただ一人の窮地だ。 そしてマスターの魔力供給によって現界しているライダーの窮地でもある。 貯水槽の戦いでアサシンが一人だったならばライダーの敵ではない事が証明されたが、圧倒的な数の差はその不利を覆す。一人が斬り殺されている間に、他のアサシンがウェイバーを殺してしまえばそこで終わりなのに、ライダーはカイエンの名を呼んだ緊迫した空気を霧散させて余裕の笑みを浮かべていた。 セイバーに向けた憤怒はなかった。 絶体絶命の苦境に追い込まれた男の顔でもなかった。 「ライダー、なぁ、おい・・・」 そんな命の危機に瀕しながら全く動じていないライダーに不安げにウェイバーが話しかけるのはある意味当然だ。その言葉の中には『何してんのお前?』という疑問も含まれている。 けれどライダーはウェイバーとは対照的に、余裕の笑みを浮かべたまま応じる。 「こらこら坊主、そう、うろたえるでない。宴の客を遇する度量でも、王の器は問われるのだぞ?」 「あれが客!? 僕は殺されそうになったんだぞ!!」 「死んでおらんではないか。細かい事は気にするな」 「うおぉいっ!!」 あまりにも心が広すぎるその言葉にウェイバーが叫んで詰め寄ろうとしていたが、腰にしがみ付かれたアサシンの少女がウェイバーの服をギュッと掴んだので上手く動けなかった。 その代わりではないが、ウェイバーの突っ込みが消えた所にアーチャーが割り込む。 「あんな奴原までも宴に迎え入れるつもりか? 征服王」 「当然だ。王の言葉は万民に向けて発するもの。わざわざ傾聴しに来た者ならば、敵も味方もありはせぬ」 そう言うとライダーはアーチャーが取りだした黄金の酒器ではなく、斜め後ろにどけておいた樽に手を伸ばす。周囲を敵の集団に囲まれている状況で、しかもいつ短刀が投げつけられてもおかしくない窮地でありながらも、全く気にせずに柄杓を取った。 マスターなどどうでもいいと思っているのか。あるいはウェイバーの前に立ってアサシンを見据えるカイエンを信頼しているのか。 後者ならばいいと思っていると、ライダーが樽から掬いだした酒を上に掲げて語りだす。 「坊主に怪我はない、一度限りならば許そう。共に語ろうという者はここに来て杯を取れ、遠慮はいらぬ。この酒は貴様らの血と共にある!」 返答はライダーの真正面から訪れた。 それは言葉ではなくアイリスフィールがいた方向の屋根の上から投げられた短刀だった。 アサシンの一人が投げた短刀はライダーが持つ柄杓の頭の部分だけをしっかりと狙い。それどころかライダーの近くに後退していたウェイバーへも殺到する。 もしライダーが空いてる方の手でウェイバーの服を掴み横に逸らさなければ、アサシンの短刀はウェイバーの首筋に突き刺さって命を奪っただろう。 おそらくライダーはアサシンを酒宴に誘いながらも、自分のマスターが攻撃される心構えはちゃんとしていたのだ。そうでなければウェイバーを力ずくで避けさせるなど出来はしない。 カイエンはウェイバーの前にいるので、ウェイバーが後ろから攻撃されたらライダーが対処するしかないのだから。 「かすった! 髪の毛が! 目の前をヒュッ! って」 「落ち着くでござるよウェイバー殿」 少女を腰にしがみ付かせたまま、ライダーに命を助けられたウェイバーの叫び声が辺りに響き渡る。 そしてライダーの肩に柄杓に注がれていた酒がぶちまけられ、地面へと散らばる柄杓の残骸と合わせて無残な様子を作り出していた。アサシンの集団はその様子を見て、あざ笑うかのように再び忍び笑いを漏らす。 「貴様ら・・・余の言葉、聞き違えたとは言わさんぞ? 『この酒』は『貴様らの血』と言った筈」 そうライダーが言った時、彼の顔に浮かんでいた表情はセイバーに向けていた怒気とも、アサシンの集団に囲まれていた時に浮かべていた余裕の笑みとも異なっていた。 硬質な声の響きと共に決定的に何かが変わった。憤怒のようであり冷徹のようでもあるライダーの声が辺りに響き渡る。 「あえて地べたにぶちまけたいと言うならば・・・、是非もない――」 ゆっくりとライダーが立ち上がり、身長二メートルを超える巨漢がその威容を存分に曝け出した瞬間。ライダーを中心にして旋風が巻き起こった。 それは熱く乾いた焼けつくような風で、森に囲まれた夜のアインツベルンの城の中には決して起こり得ない種類の風だった。 そして風の中には中庭にある花壇や土などとは根本的に異なる小さな物体も含まれている。 砂だ。 ライダーを中心に巻き起こった風は紛れもなく熱砂を含んでおり、ありえない風を起こしていた。 「セイバー。まだまだ余は貴様に言い足りぬ事が山ほどあるが、今はこのアサシン共に罰を与えねばならん。その目でしかと見届けよ――、余が今ここで、真の王たる者の姿を教えてやる」 明らかにライダーが引き起こしている怪異の中、風よりも大きな声でそのライダーの大声が響き渡る。 いつの間にかライダーの姿はTシャツとジーンズから風でなびくマントを装着した戦装束に変わっており、熱砂に合わせて征服王イスカンダルのマントが大きく揺れていた。 突如巻き起こった風か、衣装の変化か、それともライダーの言葉か。そのどれかが切っ掛けとなり、吹き荒れた風の中でアインツベルンの城の中に集まったすべてのアサシンがウェイバーへと目がけて短刀を投げつける。 ただしウェイバーの腰にしがみ付いている少女のアサシンだけは例外で、風が巻き起こると同時にウェイバーが伏せたので、彼女はそれに便乗して一緒に地面の上で丸くなっていた。 雄々しく吹き荒れる風の中でもしっかりと標的に狙いを定めた攻撃だ。伏せて標的は多少小さくなっているが、そんな事は気にせずに全てがウェイバーに突き刺さる軌跡を描いている。 風程度で暗殺者のサーヴァントの一撃は狙いを外したりはしない。 一秒とかからずにアサシンの短刀がウェイバーの体に突き刺さる。 が、それが成し遂げられるよりも前に、吹き荒れた風と同様にライダーを中心にして閃光が全てを包み込んだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - アイリスフィール 私はセイバーの願いを知っていた。 聖杯戦争が始まる以前、彼女が召喚されてから話す機会が何度もあったので、その時にセイバーの口からその言葉を聞いていた。 「この手で護りきれなかったブリテンを、私は何としても救済したい」 私の願いは切嗣の受け売りだけど、―――聖杯の力によって世界を救済したい、そう願っている。 救いが私たちの願いだったから、私もセイバーも何の疑問も抱かずにその目的の為に聖杯戦争を勝ち抜こうと決意した。 でも私はセイバーの言葉を聞く瞬間まで、聖杯を用いて『どのように救うか?』を考えた事が無かったのに気が付いてしまう。聖杯は万能の願望機、けれど願望には形があり、切嗣には切嗣の願いがあって、私には私の願いがあって、セイバーにはセイバーの願いがある。 確かに言葉の上でそれは等しく『救済』という『願い』によって統一されるかもしれないが、誰もが等しく同じ結論に至っているとは限らない。 私はその事に気が付いてしまった。 セイバーがブリテンの滅びの運命を変える、そう言った時。セイバーにとっての救いはかつて存在した国を全く別の形にして作り直す事だと知った。その言葉は私が考えなかった『救いの形』を一つ増やした。 私が思い描く『世界の救済』とセイバーの考える『世界の救済』は大きく異なっている。確かにどちらも対象を救うと言う点では共通しているかもしれないけど、セイバーの願いはかつて治めたブリテン一国に終始して、私と切嗣の願いは今の世界全てに広がっている。 世界を捉える尺度の違い。 セイバーの生きた時代と現代との違い。 救うと言う行為そのものの違い。 私はそもそも、何を成して『世界の救済』を決定づけるつもりだったのか? 切嗣の願いを私は叶えたい。だからこそ、切嗣こそ最後に聖杯を手にするマスターであってほしいと願い行動してきた。その願いの果てはどこにあるの? 切嗣は何をもって世界を救ったと判断するの? 私には私の願いに形が無い事に気が付いてしまう。 セイバーの言葉で色々な事が連鎖的に浮かんできて、聖杯問答の事を見つめながらも他の事を考えていた。 世界の救済―――その形を捉えようとする思いは、ライダーとセイバーの舌戦が激化していくごとにどんどんと強くなっていく。 そして私はふと考えた。 セイバーが滅びの運命をたどったブリテンを救う事で、切嗣が思い描く世界の救済が壊れるのではないか。と。 切嗣がどんな未来を描いて世界を救おうとしているのか私には判らない。彼がそれを願い、それを成し遂げたいと強く思っているのは知っているが、その具体的な形を知らないのだ。 考えてしまう。 知らないから判ろうとする。 思ってしまう。 知らないと気付いてしまった。 騎士としてランサーと再戦する為、切嗣を間接的に殺そうとしたセイバーを疑ってしまう。 何しろ切嗣と私にとって世界とは、セイバーが救おうとしているブリテンが滅んだ後の世界なのだから。 セイバーが過去を変える事でライダーが訝しみ、アーチャーが嘲笑う意味を考えるよりも前に、私はセイバーと切嗣の事で頭がいっぱいになった。 聞こえてくる言葉は全てその思考を先に進めるために費やされた。 ただし、アサシンの集団が現れた時、その思考を止めるしかなかった。聖杯戦争において敵が現れ、闘争にこの身を置いて生き延びる事に集中しなければならない。 大勢のアサシン。 自分だけでは英霊から身を守れないので、私はセイバーの元へと近づく。 殺されそうになったライダーのマスター。 そして巻き起こる暴風と閃光。 気が付いた時、私は熱砂吹き荒れる砂漠に立ち、静けさと暗さがあった夜のアインツベルンの森の姿を探してしまった。 一瞬前まで合った筈の目の前の風景は全て消えていて、同じなのは聖杯問答に集まった人影だけ。首を回して周囲を見渡して、遠く離れた位置に集められたアサシンの集団を見つける。 ライダーのマスターへと放たれた山ほどの短刀も、一緒にそこに移動させられたのだろう。 私は周囲から感じる魔力の波長と、目に見える現実の違いから起こった現象を理解し。敵の姿が遠くにやられた安堵ではなく驚愕を思った。 アインツベルンの女として魔術を知るからこそ、これは絶対にありえない事態なのだから。 「固有結界ですって!? そんな馬鹿な、心象風景の具現化だなんて・・・」 「もちろん違う。余一人で出来ることではないさ」 驚愕をそのまま口にすると、すぐにライダーが返してきた。アサシンが現れる前は距離を取っていたけど、今の私は不可視の剣を構えたセイバーの近くに居るので、呟いた独り言でもライダーにしっかり聞こえてしまった。 どこを見渡してもそこに見えるのは砂漠だけ。夜の静けさは欠片もなく、降り注ぐ太陽の強い日差しが肌を焼く。雲一つない晴天だ。 地平線の彼方にまで視野を遮る物は何もなく、ただひたすらに砂漠だけが広がっている。 固有結界―――。 術者の心象世界を形にして、現実に侵食させて形成する神秘の魔術。魔法に最も近い魔術。奇跡と並び称される魔術の極限。魔術師の到達点の一つ。本来は悪魔や精霊のみが操れる異能。たとえ英霊と言えどもそれを発動させることは容易くは無い。 千年の歴史を持つアインツベルンと言えども、魔術の到達点の違いもあって発現には至っていない。 それをライダーは作り出したのだ。 「これはかつて、我が軍勢が駈け抜けた大地。余と苦楽を共にした勇者たちが等しく心に焼き付けた景色だ」 アサシンの方を向いたライダーが雄々しくそう叫ぶのと、視界を遮りものの無かった周囲から一定の調子で音が聞こえて来たのはほぼ同時だった。 音が聞こえて来たのは遠く離れた箇所に集められたアサシンと逆の方角。つまり私たちのいる場所からアサシンと真逆の位置でライダーが背を向けた方角から音が聞こえてきた。 私は音に引き寄せられてそちらを振り返る、すると、ついさっきまで何も無かった筈の場所から何かが姿を現していく。 話にしか聞いた事が無いが、これが蜃気楼と呼ばれる幻なのだろうか? 一瞬だけ、そう思ったが、浮かび上がる何かの姿に合わせて音もまた一緒に増えていくので、すぐに幻ではないと判る。 一つや二つではない、十や二十でも足りない。そこに浮かび上がっていく何かと聞こえてくる音は時間経過と共に数を増していき。確実に百を超える数にまで膨れ上がり、なおその数を増やしていく。 「この世界、この景観を形にできるのは、これが我ら全員の心象であるからさ」 ライダーの言葉と共にぼんやりと形を作っていた何かが人の形を取り、それらは武装した戦士へと変わっていった。 切嗣から教わった現代の兵士が身に着ける迷彩服や銃器とは違うけど、それは紛れもなく戦士の風体であり、戦う者の姿そのものだった。 騎兵がいた。 槍を持つ者、剣を持つ者、斧を持つ者。 歩兵もいた。弓を持つ者もいた。 人種も装備もまちまちだったが、その屈強な体躯と勇壮に飾り立てられた具足の輝きは華々しく、そして精桿だった。 一定の調子で聞こえていたのが足音だったと気付く。それも一人や二人だけではなく、目の見える範囲にいる全ての戦士が作り出す音はまるで戦場の音楽の様に私の耳から入り込んでくる。 「見よ、我が無双の軍勢を――」 ライダーの言葉を聞くよりも前に、私はその『軍勢』に凝視する。 何より私の意識を強くそこに向けさせたのは、現れた膨大な人影から溢れんばかりの魔力を感じるからだ。 前に立つだけで屈服してしまいそうになる嵐にも似た魔力の奔流。セイバーの肩に手を当てながら寄り添うようにしなければ、膝を折って砂漠になってしまった地面に崩れ落ちてしまいそうだった。 頭上から降り注ぐ太陽の熱気とは別に、魔力と言う名の別の太陽が地上に出来上がったような錯覚を覚える。 視界全てを覆い尽くすほどにまで増えた大軍勢は千人を軽く越えている。 あれは一体、何? そう思うと、少し離れた位置で地面に膝をついて、少女の頭を抱きかかえていたライダーのマスターが呟く。 「・・・・・・・・・こいつら、一騎一騎がサーヴァントだ」 「嘘っ!」 本来ならばクラス一つの枠に一体しかいない筈のアサシンが複数いた事実。 それに続き七騎しかいない筈のサーヴァントが軍勢を成す数にまで増えた事実。 サーヴァントの召喚は人の手に余る複雑な魔術儀式を必要として、切嗣がセイバーを召喚した時は聖杯のバックアップが合ったからこそ可能な技だと口にしていた。 それが数えきれぬ程、私の目の前に召喚されている。 私は切嗣の様に正規のマスターではないので、本来のマスターにのみ与えられるサーヴァントの霊格を見抜き、評価する透視力を備えていない。だからライダーのマスターの呟きの正否を確かめる手段がないのだけれど、私が大軍勢から感じる強烈な魔力と、驚きながら私と同じように大軍勢を見つめているライダーのマスターの姿から、嘘をついているとはとても思えなかった。 つまりライダーの後ろから続々と召喚されて形を成していく彼らは―――ライダーによって召喚された、紛れもないサーヴァントなのだ。 ライダーは誇らしげに、そして高らかに隊列の先頭に立ち両腕を左右に広げ。征服王イスカンダルとして宣言する。 「肉体は滅び、その魂は英霊として『世界』に召し上げられて、それでもなお余に忠義する伝説の勇者たち。彼らとの絆こそ我が至宝! 我が王道! イスカンダルたる余が誇る最強宝具──」 「王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)なり!!」 独立サーヴァントの連続召喚。それこそが戦車(チャリオット)など比較にもならないライダー、いや、征服王イスカンダルの真の宝具。 私はイスカンダルの言葉に呼応して大軍勢から轟く鬨の声に体を震わせる。セイバーが求める救済など、もう考えていられなかった。