第19話 『間桐雁夜は一年ぶりに遠坂母娘と出会う』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 ゴゴから聞いたアサシンの宝具はあくまで『別人格に体を与える』であり、『自分自身を分身させる』ではない。だからこそ、この疑念はゴゴがアサシンの宝具で分身した時に考えるべきだった事かもしれない。 自分自身が増えて目の前にいる嫌悪感というモノを―――。 自分には宝具を物真似する力が無いので想像するしかないが、もし『間桐雁夜』が同じようにゴゴが物真似しているアサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』を使えるようになって自分を分身させた場合。おそらく同族嫌悪などという言葉が軽く思えるほど目の前の自分に憎悪するだろう。 桜ちゃんを救うと決めたのは自分、間桐の魔術を嫌悪するのも自分、他の誰でもない世界でただ一人の間桐雁夜がそう決断して行動しているのだ。 間桐雁夜と呼ばれる人格はただ一つだけで、他には存在しない。 同じ考え方をする自分が他にいたとしても、それを間桐雁夜と認められない。認めてはいけない。他人ならば共感できるかもしれないが、自分では駄目だ。自分は唯一ただ一人の自分だけなのだから。 自壊、あるいは自死、もしくは『目の前にいる自分ではない自分を殺す』の意味で『自殺』するために行動するだろう。 ふとそんな事を考えた時、だったらゴゴはどうなのか? と新たな疑問を考えた。 自分ならば目の前にもう一人の自分が居れば耐えられないだろう。だが、ゴゴは自分自身が別の体をもって目の前にいる状況を何の憂いもなく受け入れている。 雁夜には全く同じにしか見えないが、アサシンの様に別人格を意図的に作り上げて宝具で分身しているのか。それとも全く同一の自分を増やして、その上で気にしていないのか。 言葉にして尋ねる機会はこれまでなかったが、自分が複数いる状況を『便利だ』の一言で終えてしまう。そんな予感はある。 結局、ものまね士ゴゴと呼ばれる存在は―――姿形こそ地球に生きる人間と似ているが、確実に別次元の生き物なのだ。 宝具は雁夜が一生涯かけても届かぬ高みにあり、多くの魔術師が再現あるいは作成しようとしても軽々しく出来るモノではない。それなのにゴゴはそれをやりたいと言う欲求のみで、いとも容易く物真似してしまう。 魔術師だとか裏の世界に生きる者だとか超能力者だとか、そう言った『人間』と同じ尺度で測るのがそもそもの間違いだ。サーヴァントとして招かれた人知を超えた英霊ですらゴゴと双璧を成す者にはならないと思えてくる。 死を軽んじて自分達の目的の為ならどんな事だろうとやってのける魔術師より、ゴゴの在り方は異質であり、異常であり、狂気であり、奇妙であり、ありえない奇跡だ。 むしろ自分を分身させている状況で雁夜と同じ『自死』や『自殺』に至る方が期待外れと言える。 自分が複数いる状況、人間とは違いすぎるゴゴ。それらを纏めて脳裏に描いて、そのまま質問したい衝動に駆られたが、今はそれが出来ないので諦めた。 何故なら今は夕方近くで、しかもここは間桐邸でも飛空艇ブラックジャック号の中でもなく、新都の一画にあるファミリーレストランの中なのだから。 雁夜が座る位置からは店内と店外の両方が一望できて、窓の外に視線を向ければ道行く普通の人が見える。 スーツ姿の恰好をした男もいれば、ラフな格好をする男もいる。買い物帰りと思わしき子供連れの母親もいて、高校生と思わしきジャージ姿の集団もいた。 何の変哲もない街の風景―――。だがこの平和に見える冬木の見えない場所で聖杯戦争が行われ、キャスターとそのマスターの凶行が今も繰り返されている。 暗鬱な気持ちになりながらも、出来るだけ平静を装い。向かいの席に腰かける男に話しかけた。 「なあ」 「ん?」 「本当にこんな事してていいのか。あいつを止めるならじっとしてないで・・・」 「余計な敵が増えたし、初めての実戦で雁夜の気も昂ってるからな。休める時に休むのも戦士の心得だぜ?」 そう軽口で返した男は白地のシャツに黒に近い紺色のジャケットを羽織っていた。紫色のバンダナでブルネット色の髪の毛を纏めており、見返してくる目の色はヘーゼルだ。 今はどちらも座っているのでわかり辛いが、立った時の身長は自分とほぼ一緒。ただし体格はこの一年で鍛えた雁夜の方が若干立派で、目の前の男の方が細身だ。 ただし腕力や体力を身に着けた自分よりも細いのは間違いないが、無駄な筋肉を全て排した身軽さがある。動き回ったり戦う所は見ていないので判らないが、おそらく素早さはこちらよりも数倍上だろう。 もし目の前の男が普通の人間として存在するならば、雁夜にとっては初対面となる。だが、雁夜はこの男の事を知っていて、正確には初対面ではなかった。 この男は雁夜が一年間共に過ごしてきたゴゴが変身した姿なのだ。名前を『ロック・コール』といって、ゴゴがかつて旅した仲間の一人でトレジャーハンターらしい。 トレジャーハンターは価値のある品を探し出す探検家、あるいは冒険家につけられる職業名だが、雁夜の人生の中で一度も関わった事のない人種なのでどんな事をしているのか予想すら出来ない。ただ細身の体が素早そうだと思える位で終わってしまう。 それでもあまり年は変わらないように見える同性であるのがせめてもの救いだろう。そうでなければ、ゴゴが変身した姿だと判っているくせにティナの様に余所余所しく話さなければならないのだから。 もっとも、その余所余所しさは同席しているもう一人に強く感じてしまっているが―――。 「この国の言葉に『急がば回れ』とあるわ。敵の目が増えたなら対策も変えないといけないの」 「それは・・・まあ、そうだが」 いつかティナへの返答でも同じような返し方をしてしまったな、と雁夜は思う。 同席している三人目にして、こちらもロック同様にゴゴが変身した姿の女性。名前を『セリス・シェール』といった。 ゴゴが雁夜に課した修行の到達点はこの女性らしく。キャスターとの戦いで雁夜とバーサーカーが使った『スピニングエッジ』の本来の使い手であり、雁夜よりもバーサーカーよりも強力な一撃を放てるそうだ。 何故、自分達はファミリーレストランで向かい合って座っているのか? その原因は、士郎を家に送り届けた後、自分はブラックジャック号に残った桜ちゃんとは別行動を取る事にしたからだ。 別行動の主な理由はマスターとサーヴァントと使い魔だけではなく、聖堂教会のスタッフまでもが敵になったので、その出方を窺う事。 幻獣『ケーツハリー』以外にも飛べる幻獣はいくつかいるのを知っているので、飛空艇へ戻るのは難しくは無い、けれどミシディアうさぎからの情報で冬木市に入り込んだ聖堂教会のスタッフが透明になったブラックジャック号を見つけ出そうと躍起になっていると知らされた。 この状態で魔術制御が未熟な雁夜が移動して見咎められれば、最悪ブラックジャック号の所在を敵に教える事になる。ゴゴだけならば見つからずに戻れるだろうが、雁夜がいる為にそれが出来なかった。 加えて言峰綺礼がゴゴと戦った事で、間桐邸にいる筈の間桐臓硯、つまりはゴゴが自由に出歩ける事を敵は知った。 敵に回した場合。キャスターよりも、他のマスターとサーヴァントよりも、聖杯戦争を監視している聖堂教会と言う組織そのものの方が厄介だ。 そこでゴゴがバーサーカーのマスターである自分を囮にして、敵の出方を窺う方策を取る事になり。自分はそれに同意して新都をうろつく事になった。 一日の大半は休息と敵どう出るかの見極めの為に当てられ、ゴゴと桜ちゃんの二人は透明になった飛空艇ごと冬木市郊外の更に外側へと移動して滞空している。アインツベルンの森よりも更に遠くに行っているので、仮に冬木市の中に聖堂教会のスタッフがいて、彼らが『透明になった飛行物体が上空にいる』と言峰璃正から教えられていたとしても、発見するのは不可能だ。地上ならば感知用の結界をすぐに張り巡らせるだろうが、空の上に向けては時間もかかるだろう。 ついでに言えばブラックジャック号を操縦しているゴゴ以外にもティナとミシディアうさぎが沢山いるので、桜ちゃんは寂しくない筈。 もしゴゴが間桐臓硯として雁夜の傍にいれば、間桐邸にいる方の間桐臓硯は何だ? と敵に勘繰らせてしまう。だからゴゴは別の姿に―――しかも一人では少々心許ないからと言って、自分自身を二人に増やしてそれぞれ別人に変わってしまって雁夜と同席していた。 最初にロックの姿になった時は『ものまね士』の衣装のインパクトが強すぎて、こんなにも普通でいいのか? と思ってしまった。しかし、セリスが現れた時は衣装の際どさに絶句してしまったのをよく覚えている。 黄色の長ズボンはいいとして、上半身を覆うのは緑のレオタードと肩当てとヘアバンド。背中に流れる金色の髪も手伝って、どこの劇団から抜け出した俳優だ! と思わず叫んでしまった。 ティナの時も思ったのだが、どうしてゴゴと一緒に旅した仲間の女性は露出が多いのか。 魔剣ラグナロクを収めたアジャスタケースを持つ雁夜、これにロック一人だけ加えたならばさほど目立たないのだが、冬木市の日常から大きくかけ離れている格好のセリスがいると確実に聖杯戦争以外の衆人の注目を集めてしまう。 だがゴゴが『聖堂教会の動向を窺う』と定め、それを雁夜だけで覆すのは非常に困難であり、最弱と言う自覚があるからこそ守り手が一人より二人のはありがたかった。仕方なく、雁夜は新都にある服飾店が開店すると同時に突貫し、女性用の上着を数枚購入してセリスに渡す羽目になった。 緑のレオタードが作る大きく開かれた胸元はそのままだが、肩当てを外して上着を羽織れば冬木市にいる外国人と見れなくもない。セリスが美人であるが故に目立つのは避けられないが、それでも衣装の奇抜さは抑えられたはずだ。 「俺達にはやらなければならない事がある。その為に集められる情報は集めておかないとな。だろう?」 「ロックの言う通りよ、力は一日で回復できたかもしれないけど、戦いは力だけが全てじゃない、勝つ為には情報は必要不可欠なのよ」 ここに来る前にも路上で幾つか話をして、並んで座るロックとセリスは恋人関係にあると聞いた。 そしてセリスは二十歳に届いてないのだが、常勝将軍と謳われるガストラ帝国軍の将軍の地位にあったらしい。『ガストラ帝国』というのが話で聞くしかなく、その規模を想像で補うしかないのだが、『帝国』と言うぐらいだから人口も領土も桁外れに大きいのだろう。 首都の名はベクタ。ゴゴがいた世界の南の大陸全域を支配する強力な帝政国家で、ゴゴの力の要とも言える三闘神の封印を解いたのもその皇帝だとか。 だがゴゴがロックとセリスの仲間になった時、既に皇帝は崩御して帝国も瓦解しており、かつての栄華は見る影もないと聞いた。 ゴゴもまたかつての『ガストラ帝国』の姿を見た訳ではないので、又聞きとなる雁夜には帝国の名を冠する国にすごさがよく判らない。そして、そこの将軍職に就いていたセリスの凄さもまた判らない。 雁夜の目から見た『セリス・シェール』という女性は日本の土地柄では少々物珍しく見えるが、それでも幼さと美しさを持ち合わせた女の子にしか見えなかった。本当にこれが常勝将軍と呼ばれた女なのだろうか? 聖杯戦争が始まる以前から魔法やら幻獣やら魔石やら修行やらでゴゴに色々と驚かされてきたが、聖杯戦争が始まってからは別の意味で色々と驚かされる。 雁夜とロックとセリス。バーサーカーを霊体化させているので数には数えられないが、三人は昼過ぎから出入り口と外が見える店を転々と移動して、敵の出方を窺い続けた。 何も知らぬ他人が見たら、日がな一日ぶらぶらしているだけに見えるかもしれないが、時間経過と共に三人を見る目は増えている。それも『聖杯戦争の関係者』と枕詞がつく監視の目だ。 セリスの美しさをついつい目で追ってしまう男が数多くいたが、隣にいるロックとの仲睦まじい雰囲気を見て早々に諦めていた。残るのは悪意で三人を見る目だけだ。 その中には一般人に扮した聖堂教会のスタッフと思わしき者もいて、空にある『何か』を見つけられない鬱憤を晴らすように―――。間桐邸への監視をして矢で射ぬかれて殺されるぐらいなら、外にいる間桐雁夜を監視する―――。と言わんばかりに監視する目が一日で莫大に増えた。 時に路地裏の物陰を移動する小動物の気配や、空の上から見下ろされるような視線も感じたので、聖堂教会のスタッフである人間以外にも、他のマスターが放った使い魔の目がこちらに向いていると思われる。 もしかしたら残ったアサシンがこちらを監視しているかもしれないが、さすがに気配を遮断した英霊までは雁夜の感覚では判らなかった。辛うじて『いるか?』と違和感を思えるぐらいで確証には至っていない。 聖堂教会のスタッフは尾行に慣れている様で、店を変えるたびに人も変わる。けれども『見られている』という感覚は判るので、監視の目が自分に突き刺さっているのは理解出来た。 感覚が鋭敏になったのはこの一年でゴゴに何度も殺された成果と言える。見えないモノを感じなければ生き抜けなかったからだ。 何の結界にも守られておらず、しかも複数の監視つきで不用意な言葉を口にできない状況が出来上がってしまったので、少々息苦しい。いっそ、『これは今度演劇にしようとしているフィクションです』と開き直って、堂々と聖杯戦争の話でもしようかと思えてくる。 するとそんな雁夜の忍耐と居心地の悪さを察したのか、ロックが話しかけてきた。 「雁夜。監視の目がいくつあるか判るか?」 「監視か・・・」 ゴゴがものまね士の恰好をして冬木市へ出没するようになってから一年、それに同行してきた雁夜は人の目を集める羽目になってしまった。だからこそ『見られている』のに対する耐性はあるのだが、物珍しさで見られるのと敵意を持って見られるのとでは大きく違う。 一日ずっと戦わずに修行も行わずにいたおかげで体は十分に休めた。けれど、気を張り続ける一日は精神をことごとく摩耗する一日でもあり、心が休めた実感はない。 言葉にはされなかったが、この『監視の目を気にして行動する』という状況そのものが修行の一環なのかとすら思えてくる。 改めて自分に突き刺さる視線を数えると、店の中から一つ、そして向かいの店の屋上から見下ろされる視線を感じる。更に付け加えると道行く歩行者の中で時折、物珍しさとは違った探る様なまとわりつく視線を感じるので、聖堂教会のスタッフが店の内と外からそれぞれ監視しているのだろう。 向かいの店の屋上のはおそらく使い魔のモノだと予測しつつ。これまでは店から店に移動する時に路地裏の陰から覗いてくる視線を感じてきたので、実際にはもう少し多い筈。が、今の所、雁夜に判るのはこの三つだけだ。 「三つだ。小さい生き物を操ってる奴も飲食店の中に潜り込ませるのは危険だと思ったみたいだな」 そう言うと、ロックは『ほう・・・』と小さくため息に似た言葉を放って一息つくと、窓の外に目をやって向かいの店の路地裏に視線をやった。 雁夜が見た限りではその位置からは視線を感じないので、監視の目はないと思っている。しかし、何もない場所を見るロックの目は真剣そのものだ。 故にそこには雁夜が判らない何かがあると思えてくる。 「いるのか?」 「黒い人がいるわ。間桐邸でエドガーが倒したのにまだいるみたい」 言って来たのはセリスの方だったが、やはり何かはいたようだ。 固有名詞は出なかったが、聖杯戦争に絡んで黒い人と言えばほぼ間違いなくアサシンだろう。ゴゴが言うには雁夜の力でも真正面から対峙すればアサシンにも勝てるらしいが、気配を消す手段はあちらの方が上だから何でもありの殺し合いで隠れる場所が複数ある条件ならば、雁夜が圧倒的に不利である事が証明された。 自分一人が暗殺者から狙われたら間桐雁夜の命は無い。 「倒しても倒しても出てくる黒い生き物・・・か」 見えない敵への警戒に、気を引き締める意味でそう呟いたのだが、即座にロックが言う。 「その言い方だと誤解されるぞ」 「う・・・」 固有名詞が無い上に魔術と関係のない者が聞けば、真っ先に頭文字が『ゴ』でカタカナ四文字で表現できるアレを思い浮かべるだろう。 飲食店では少々口にしてはいけない単語なので、少し離れた位置に見える店員さんに聞こえてない事を祈るばかりだ。 慌てて話題を逸らす為、別の事を口にする。 「と、ところで、その黒い人なんだが――。今の状況を放置しといて大丈夫なのか?」 敵の出方を窺い、アサシンがこちらを監視する可能性は前々から判っていた。だからこそ、ゴゴが二人に増えて守りに付いているのだが、それでも敵の存在すら感知できない自分には不安しか生まれない。 雁夜が生きていなければ囮としての役目を果たせないので、ゴゴは絶対に自分を守り抜くだろう。それでもただの人間でしかない雁夜には見えない敵への恐怖が溢れてくる。。 「安心して、その為にロックにそれを持たせてるんだから」 返答をくれたのはセリスの方で、彼女はそう言いながらロックのズボンについたポケットを指さした。 ロックのポケットの中に入っている手帳のようなデザインをした品物で、二人のゴゴがロックとセリスに変わった時に見せてくれた物だ。その時に説明も受けたのだが、実際に効果を発揮した状況に陥ってないので真偽の程は判らない。 だから呟くようにその品物の名を語る。 「『ナイトの心得』・・・、本当に効果があるのか?」 ロックのポケットにある品物、『ナイトの心得』と呼ばれるアクセサリは手帳に酷似しているが立派な魔術道具であり、『瀕死状態の味方に自動でかばう』という特殊効果を持っているらしい。 だが精神疲労はとりあえず横に置くとして、雁夜の体調は非常に優れており体力もほとんど減ってない、この状態を果たして瀕死と呼んでいいのだろうか? 攻撃を喰らう可能性も考慮された囮としては心労は積み重なるばかりだ。 すると今度はロックがこちらを指さし、雁夜が来ている紺色のパーカーの左袖に隠れている部分を指し示した。 「今はあの黒いのしか来てないし、距離が離れてるからこっちの話しまでは聞こえてないさ。あいつだけならその『見切りの数珠』で充分だろ。攻撃魔術には『そよ風のマント』で対処した方がいいかも知れないけど、つけると目立つから無理だぞ」 「充分・・・なのか? 本当に――」 「安心しろ」 堂々と言われて少しだけ落ち着きを取り戻すが、やはり見えない敵への不安は消えずに残り続ける。 あるいはもっと強くなれば遮断されたアサシンの気配も読み取れるようになるのかもしれないが、今の雁夜には叶わぬ望みだ。 なお、ロックが言っていた『見切りの数珠』と『そよ風のマント』だが、前者は高確率で敵の物理攻撃を回避出来る代物で、後者は物理的な攻撃だけではなく魔術的な攻撃の回避率を共に上昇させる魔術道具だ。 聖杯戦争でサーヴァントと戦ってるライダーじゃあるまいし、こんな街中でマントを装着すればロックの言うとおり大層目立ち、囮として以外に奇異な視線をかき集めてしまう。 単純に敵と戦う以外にもいろいろと考えなければならない状況で心の疲れは蓄積されていくばかり。使い魔とアサシンは仕方ないが、いっそのこと聖堂教会のスタッフと思わしき人物については、警察に行って相談できないかと本気で考えてしまう。俺を追ってる変質者がいます―――と。 その後、積極的に話に花は咲かなかったが、一定時間を置いてから軽食を頼み。ぼんやりと時間を浪費していく。 長居する三人に店員は良い顔をしなかったが、道路に面した席に座るセリスを見て、そのまま店の中に入ってくる客もいたので口頭での注意はされなかった。 雁夜自身、ただ時間を浪費していくのはあまり気分のいい事ではなかったが、話をしようにも魔術の深淵に迫る様な深い話は出来ないし、監視された状態では話しだけに集中しようとしても落ち着けない。 おそらく監視している側もこちらが意図的に目を引き付けているのには気づいているだろう。そもそもこれまで間桐邸とブラックジャック号を拠点にして徹底的に引きこもっていた自分が外に出ている時点でおかしいと気付く。 向こうもこちらも言葉にされない意図を隠しながら、相手の様子を探り合う。今ほど狐と狸の化かし合いが脳裏に強く浮かんだ事は無い。これならば自分の欲求に忠実過ぎた間桐臓硯と話していた方が幾らか楽だ。 見えない戦いは見える戦いよりも辛い。 アサシンや使い魔は無理でも、聖堂教会のスタッフを捕縛して口を割らせるか? 気が付けば夕暮れの赤みは姿を消しており、月の光が世界を照らす夜の時間が訪れている。 昼の新都が見せる耐える事無く流れていた普通の人々は激減し、窓から外を見れば街灯の明かりが夜の闇に呑み込まれそうになっていた。 間桐邸に戻った一年前から何度か夜の街に出かける事はあったが、冬木市はここまで寂れた空気を作り出す場所ではなかった。この原因は全て聖杯戦争に集約している。 キャスターとそのマスターが巻き起こしている猟奇殺人と誘拐事件で小さな子供を持つ親は夜間の外出を控え。倉庫街の戦いと冬木ハイアットホテルの崩壊は両方とも爆破テロとして報じられた。 警察が市民に夜間外出の自粛を呼びかけるのは自然な流れであり、一般人と言えど冬木市に潜む危険を肌で感じ取ってしまい外を出歩かぬようにしている。 店の中にいる客も外と同じく数を減らしており、自分達三人と聖堂教会のスタッフと思わしき尾行者を除けば一人か二人しかいない。 そろそろ河岸を変える頃合いか―――。 これまで監視に留めていた敵が夜の闇の乗じて攻撃してくる可能性もあるので、いつまでもここに留まる訳にはいかない。人前でいきなり攻撃を仕掛けてこないとは思いたいが、『後始末さえ完璧なら問題ない』と考える魔術師がいてもおかしくないのだ。客がいなくなればその瞬間からこのファミリーレストランが戦場になるかもしれない。 魔術でこの店丸ごと破壊して証拠隠滅を図られる可能性とて無い訳ではない。 そろそろ出るか? そう言おうとしたところで、ロックとセリスの両方の顔がいきなり神妙なモノに変わる。 片方ならば気に留めなかったかもしれないが、全く同一のタイミングで二人一緒となるとただ事ではない。出しかけた声を喉の奥に戻しながら何事かと二人の顔を見る。そして彼らの言葉を待った。 三秒ほど置いてからロックが言う。 「まずい知らせだ」 「だろうな、何が合ったんだ?」 「いいか、驚かずに聞けよ」 「さっさと言え」 ゴゴが変身したティナには言葉にするのが非常に難しい後ろめたさが合ったのだが、ロックに限定すればそれはない。 二人ともゴゴの変身した姿である前提はティナと一緒だが、この二人は恋人関係にある者たちで、言葉を変えれば『それぞれに相手が居る』のだ。気遣う必要など皆無であり、心おきなくゴゴとして応じられる。 セリスの方は女性だから気後れがあるが、ロックの場合は同性同年代の気安さがある。 悪い知らせならば早いうちに聞いた方がいい。そう思いながら先を急かすと、予想だにしなかった言葉がロックの口から語られた。 「遠坂凛が新都に現れた」 「・・・・・・・・・はぁっ!?」 出てきた言葉を頭が聞き入れた瞬間、雁夜の驚きは最高潮に達した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 桜ちゃんを救うためにはどうすればいいか? 一年前に雁夜の物真似をすると決めた時から、その問いかけは自分にとって最重要課題となった。 成し遂げるための仮定の道を幾つも幾つも考え続け、それを頭から消し去った日は一日もない。聖杯戦争が始まってから英霊の宝具など物真似し甲斐のあるモノを幾つも見て、横道に逸れそうになった時もあるが、思考の根っこにあるのは『桜ちゃんを救う』物真似だ。 結果に至る為の原因を幾つも探り、何をもって救済と成すかを何通りも考え、障害と目標と妨害と到達と制約と幸福を考えに考え抜いた。 その中で遠坂時臣こそが『桜ちゃんを救う』物真似を達成する為の最大の障害であり、最大の理由であり、最大の原因でもあると結論に至る。 彼の真意によって状況は形を変えてしまう。桜ちゃんが救われる結果は遠坂時臣に帰結していると言っても過言ではなくなった。 だからこそゴゴが間桐邸に現れて、雁夜が目的とした『桜ちゃんを救う』ため、遠坂について調べるのは必然であった。 一年前はまだアサシンの宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』を習得する前だったので、一つの体で雁夜の修行やら桜ちゃんの教育やら遠坂の調査やらを同時に行うしかなかった。だから、どうしても調査が片手間になってしまうのは避けられなかったが、それでも『始まりの御三家の遠坂』に関する多くの情報を手に入れたと自負している。 人の内面にまでは踏み込めず、秘めたる思いは彼ら彼女らの胸の中だけに収まっている。だが『深山町にある遠坂邸の間取り』『遠坂家初代当主は魔法使いの一人、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの弟子』『遠坂時臣と遠坂葵、遠坂凛の写真』『遠坂時臣は遠坂家五代目継承者で、誕生日は六月十六日、特技はチェス』『三年前に言峰綺礼が弟子入り』などなど、新旧織り交ぜて様々な情報を手に入れた。 現在は聖杯戦争の危険から遠ざける為に、遠坂葵と遠坂凛の両名は遠坂葵の生家である禅城の家へと退避しているが、当然ながら二人の―――桜ちゃんの家族である彼女らの顔もしっかりと確認している。 新都の冬木駅近くにある雑貨ビルの屋上から道行く人々を監視するミシディアうさぎが一匹いるのだが、その視界が紛れもない遠坂凛の姿を捉えた時に『何故?』と強い疑問を抱いてしまった。 調査した限り、遠坂凛と言う少女は聖杯戦争とは無関係に小学校に通う生活を繰り返しており、独力で魔術の鍛錬ぐらいは出来るだろうが、聖杯戦争には全く絡んでいない。 間桐の―――と言うよりゴゴの方針が『近くに置いて絶対に守る』で桜ちゃんを保護しているならば、遠坂凛の方は『遠くに置いて避難させる』という方針の筈。 桜ちゃんは一年前に間桐邸に養子に出された時点で『聖杯戦争』なる魔術師の闘争については全く知らなかった。仮に遠坂凛も同じように聖杯戦争について教えられなかったとしても、生家から一時的にでも離される理由は聞いている筈だ。 今の冬木市が魔術的に危険な地域である事を知っていなければおかしい。そうでなければいけないのだが、遠坂凛は危険地帯となった新都の冬木駅に現れている。 そしてミシディアうさぎの耳を通って聞こえてくる遠坂凛の独り言が彼女を『裏の世界に関わる子供』と紐付けた。 「これが、夜の冬木・・・昼間と全然違う――」 「何これ、こんな反応見た事ない・・・。そこらじゅうに魔力の痕跡があるっていうの?」 首からぶら下げた方位磁石に見える道具を手に持って、遠坂凛はそう呟いた。 どうやら魔力を感知してその位置を調べる道具のようだが、冬木にやって来た意図は判らない。 だがその次に遠坂凛の口から出て来た言葉で、ある程度の予測は立てられる。 「――早くコトネを探さなくちゃ」 そう呟いて遠坂凛は走り出してしまう。慌てて透明になって身を隠しているミシディアうさぎに追いかけさせながら、呟かれた『コトネを探す』へと思考が向かう。 どうやら遠坂凛は知人を探す為に冬木へとわざわざやって来たらしい。しかも気安い呼び方と名前から同世代の少女と思われ、その人物に何かしらの事態が起こったが故に、わざわざやって来たのだろう。 あくまで可能性だが、その『コトネ』という名前の少女はキャスターとそのマスターの毒牙にかかったのではないだろうか? そして聖杯戦争の危険を教えられたからこそ、遠坂凛は居ても立っても居られなくなり、独自で捜索しようと行動しているのではないだろうか? 子供の身で何が出来るのかと思ったが、この一年で調査した限り遠坂凛は非常に行動的であり、自分が子供だからと言って諦める様な考え方をしていない。 他の陣営から見れば、遠坂凛の存在は遠坂陣営を追い詰める為の絶好の材料だ。桜ちゃんが間桐にいる以上、遠坂凛は遠坂家のたった一人の跡継ぎ―――つまり時臣への人質として非常に役立つ。 そんな風に遠坂凛の使い道を少し考えたが、まだ遠坂時臣の真意が掴めていない段階で、桜ちゃんが戻るかもしれない家族の一人がいなくなれば、それだけ桜ちゃんの救いは遠ざかってしまう。 桜ちゃんが遠坂の家に帰りたいと思うなら、遠坂凛を助けなければならない。人質にするかどうかは安全を確保してからでも遅くない。 即座に意識をロックとセリスの両名に移し、雁夜に向けて言い放つ。 「どうも『コトネ』って名前の友達を探しに来たみたいだ」 「その凛ちゃんの近くに大きな反応は無いけど・・・。時間が経てば経つほど敵と接触する可能性は増えるわ。危険よ」 ロックとセリスの両名からそれぞれ状況を語らせると、対面に座っていた雁夜が席を立つ。 「行くの?」 「当たり前だ。凛ちゃんを危険にさらすなんて――、黙って見過ごせるか!」 雁夜の頭の中に『遠坂時臣への人質としての価値』があるかどうかは別にして、遠坂凛を今の状況から助け出す意思は完全に固まっている。 突然の大声に店員も含めた店の中のいる全員の目を集めているが、雁夜はそれを全く気にしていない。 雁夜の行動の支援は、今の所『桜ちゃんを救う』と決断した雁夜のものまねを後押しして、桜ちゃんの救いにも繋がっている。ならば断わる理由はどこにも無い。 「セリス。会計はこっちでやっておくから雁夜と一緒に向かってくれ。『ダッシューズ』を使えばここからでも間に合うだろ」 「判ったわ、支払いはお願いね」 何とも生活臭のある会話だと思いながらも、ここで急ぐあまり無銭飲食でもやらかして警察のお世話になっても良い事など一つもない。 雁夜のやる気を止められないならば、ロックかセリスのどちらかが遅れるしかないのだ。 ズボンのポケットから財布を取り出して支払いをしようとするロックを置き去りにして、セリスとしての自分は雁夜と一緒に店の外へと出る。 「どっちだ?」 「冬木駅よ。そこから西に向けて移動してる」 短く問いかけて来た雁夜に必要な事だけを返すと、雁夜は脇目も振らずに走り出した。 アジャスタケースに入った魔剣ラグナロクの重みを感じさせずに走るのは一年の修行の成果でもあるが、駅まではかなりの距離があるので到達できる前に人の体は疲労に屈服してしまう。 だから雁夜を追いかけつつ、体力疲労が全くない神秘のアクセサリ『ダッシューズ』を―――。どれほど遠距離であろうとも最高の状態で走り続けられるそれを、己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)で道具と一緒に変身する応用で作り出して放り投げる。 雁夜は背後から跳んで来た『ダッシューズ』を振り返って受け止めた。 「急ぐなら『見切りの数珠』をつけたまま、それを右手に装備して」 「・・・・・・」 走り出した所をいきなり止められたので雁夜が不満げな顔をしていたが、戦う余裕を残したまま遠坂凛の元に辿り着くには他に手段が無い。 突然走り出した雁夜に人でしかない聖堂教会のスタッフは付いていけず、同じように走り出せば自分が尾行しているとこちらに教えてしまう。おそらく別の人間に連絡して先回りさせる方法を取るだろう。 面倒なのは店を出てからずっと一定の距離を保ったままついて来ているアサシンだ。 サーヴァントである限り隠せない魔力の繋がりがアサシンの存在を教えており、バーサーカーのマスターである雁夜を追いかけてくる算段だと明確に示している。 それどころか別方向からもこちらに向かってくる別のアサシンを感じるので、セリスとロックにもそれぞれ監視をつけようという魂胆なのだろう。遠坂凛の元に辿り着く前にアサシンとの戦いになる可能性は高い。 無論、分裂して力を落としたアサシン程度に負けるつもりはない。むしろ間桐邸で何度も撃退しているのに、変わらずアサシンで監視しようとしてくる状況に少し怒りを覚える。 ただ何度も何度もアサシンを投入してくる状況そのものが、アサシンこそ敵にとっての最大の諜報能力である証明になっている。この程度の諜報能力ならばこちらが遅れを取る事は無い。 だからと言ってアサシン以外に別の手を講じないのはこちらを軽んじているからではなかろうか? そっちがその気ならこっちにも考えがある。 セリスとロックの二人をエドガーとマッシュの二人よりも格下に見ているのか。それとも捨て石にしてこちらの力を計ろうと言うのか。出来れば後者であってほしい。 遠坂凛の事とは別にアサシンの事も考えていると、『ダッシューズ』をパーカーの右袖の下に装備した雁夜が再び走り出した。 「あ、待って――」 自分もまた同じように別の『ダッシューズ』を作り出して装着し、セリスの姿をしたまま雁夜に並走する。 目指すは遠坂凛だ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 遠坂凛 二日続けて、コトネが学校に来なかった。担任の先生は病欠だと言って、コトネの家に電話をしても留守番電話の音が返ってくるだけ。 凛はすぐにコトネが冬木市を騒がせている『児童誘拐事件』に巻き込まれたのだと理解した。そして学校の先生よりも、コトネの両親よりも、友達よりも、冬木市の裏の事情を知っている凛は警察の手に捜索をゆだねても決してコトネは帰ってこないと判ってしまった。 今の冬木市は父も含めた七人の魔術師たちの争いの場となっている。魔道の家系である『遠坂』の後継者として表の世界とは比べ物にならないほど大きく深く広がる魔術の闇を知るからこそ、凛の心は強烈な責任感に悩まされる。 何も知らなければ大人たちに任せられたかもしれない。だが、凛は事情を知ってしまっているからこそ、魔術を知らない大人たちに任せられないと結論を出してしまう。 本来ならば、一人前の魔術師であり、凛が誰よりも偉大で、素敵で、優しい大人である父に頼るのが正しい手段であった。しかし父は他でもない『聖杯戦争』の参加者の一人であり、禅城の屋敷に居を移してからは殆ど会っておらず、ここ数日は電話でお話しする事も出来なかった。 お父様の邪魔をしてはいけませんよ―――そう母からも厳命されており、決して夜に出歩いてはいけません、とも言われている。 凛はいつでも両親の言いつけに忠実だったが、今回ばかりは事情が違う。どうしてもコトネを見捨てられなかったのだ。 そしてコトネを見なくなった二日目の夜、ついに凛は禅城の屋敷を抜けだした。 結界に守られた遠坂邸とは比較にもならない防犯の甘い禅城の屋敷だ。寝室の窓を抜け、テラスの支柱にしがみつきながら庭に降りる。あとは生け垣の下をくぐって裏門から出ればそこはもう屋敷の外だ。 凛は五分とかからず脱走を成し遂げ、準備した三つの武器を確かめながら早足で最寄りの駅へと向かった。 一つ目の武器はこの前の誕生日に父から送られたばかりの魔力針で、見た目は子供の自分の手のひらに収まる小さな方位磁針にしか見えないが、強い魔力を発している方角を示し『怪しい魔力』があれば見つけられる品だ。 そして二つ目と三つ目の武器は、宝石魔術の修行で課題として精製した水晶片二つ。少し綺麗で歪な結晶にしか見えないが、充填した魔力を一気に開放すればちょっとした爆発が起こせる武器である。 守りの道具はないが、それでもコトネを探す道具としては十分すぎる。少なくともそれが凛にとっての『用意周到』であった。 冬木の新都は隣駅だから、手持ちの小銭があればたどり着ける―――。コトネを探して助け出す為、幼い凛は魔術師の戦場へと旅立った。 何故、両親の言いつけを破ってまでコトネを助けに行こうとしたのか? もし凛が行動にではなくその理由にまで考えを巡らせていたら、一年前に失った妹の桜にまでたどり着けただろう。 今はもういない妹―――遠坂桜。 もちろん凛は桜が間桐の家に養子に出されると聞いた時、反対したしその理由を両親に問い詰めた。 しかし返ってきたのは『古き盟友たる間桐の要請に応える』という父が下した絶対の決定。それは子供の自分では理解できない現実であり、それでも無理に受け入れるしかない諦観そのものだった。 子供にとって親は絶対だ。それが誰よりも尊敬する父の言葉ならば、受け入れる以外の道はなかった。 桜は、もう、いない。 そうやって自分を納得させるしかなかった。 あまりにも理不尽な現実が凛を襲った。 明るく元気に振舞わなければ悲しみを追い払えず、一心に遊びに興じていなければならない時もあった。 確かに凛は『魔道の家系の後継者』である事実に誇りを抱き、遠坂の魔術師として完璧を体現する父を尊敬し、父のような立派な人物になりたいと願っている。 けれど、それは妹を失って得てしまった対価でもある。妹がいなくなって遠坂の魔術を継ぐ人間が自分だけになったからこそ、凛は後継者になれたのだ。 子供の凛には何もできなかった。 正しい父親に従うしかなかった。 もう後悔したくない―――。自分の手で助けてみせる―――。罪滅ぼし―――。かつて妹を失ったからこそ、コトネを救いたい。 そう凛は願い、自分でも気づかぬうちに行動に反映させたのだ。 もし桜が凛の心中を耳にしたならば、きっとこう言うだろう。 「姉さん。私のこと、キライなんだ・・・」 姉が好きだから、姉が羨ましいから、そうなりたいと思ったから。妹の自分ではなく、友達を救うために行動する凛に向け、そんな言葉をぶつけるに違いない。 互いに幼い子供であるからこそ、大人たちの都合に振り回される遠坂の姉妹。 まだ互いの胸の内を言葉にもしておらず、再会すらしていない。 もし二人が出会ってしまった時。想いは複雑に絡み合って色々な結果へと向かって行くだろう。 凛が新都の冬木駅で降りたのは、深山町まで行けば父親に見つかる可能性が増え、しかも魔力針は間違いなく遠坂邸を差してしまうと判っていたからだ。偉大な父がコトネを害するなどと欠片も考えていない凛は、コトネが深山町にはいないだろうと希望に従い、新都で下車した。 そして魔力針を頼りにコトネを探そうとして―――どの方向も示さずにくるくると回り続ける針の軌跡を見て途方に暮れてしまう。 コトネが聖杯戦争に巻き込まれたと言う考察はおそらく正しい。だからこそ魔力が反応する場所にこそコトネはいるだろうと思っていたのだが。自体は凛の予測を大きく上回る結果をもたらしてしまった。 確かに反応はある。いや、有り過ぎる。 凡人の目には単なる新都の風景にしか見えないかもしれないが、大地に、空に、空気に、水に、町そのものに染みついた僅かな魔力に反応して魔力針は回り続ける。 凛は知らぬ事なのだが、父である時臣から渡されたこの魔力針が優秀すぎたのも予想外の出来事であった。もし魔力針が『特定の魔力に反応する品』だったり『強力な魔力に反応する品』だったならば、指し示す方角は限られただろう。 だが遠坂の家に伝わっていた魔力針は、『より強い魔力を発している方角を示す品』であり、強弱を判断する為にどんな微細な魔力にも反応してしまう性質を持っている。 強い魔力があればそちらに向くし、魔力が無ければ動かない。弱い魔力でも、周囲にあればその全てに反応してしまう。 どの方向も示さない魔力針を見てしばらく呆然としていた凛だったが、いつまでも冬木駅の前で立ち止まっている訳にはいかない。人通りは昼間に比べれば激減していたが、それでも無人ではなく、すぐ近くを通る大人が子供が一人だけ佇んでいる状況に怪訝な目を向けていた。 もし声をかけてくる大人がいたら何か言わなければならない。まさか『家出して来ました』なんて言う訳にもいかないし『友達を探しの来たの』と言っても、聖杯戦争など知らぬ一般人なら、そういう事は大人に任せなさい。と言うだろう。 説得や説教だけならば何とかなるかもしれないが、善意で交番に連れて行こうとする人が居ても不思議はない。 だから凛は頭を振って呆けていた自分を戒めながら、魔力針を両手に抱えた状態で走りだす。 向かう先は判らない。魔力針は今も全ての方向を示していて、コトネの手がかりなんて一つもない。 それでもコトネを探す為に凛は走り続けた。 すれ違う大人と時折視線が合ったが、運よく走っている自分に話しかけて制止させる大人は一人もいなかった。もしかしたら『急いで帰っている所』と好意的に勘違いしてくれたのかもしれない。 とにかく凛は駅から離れて目をつけた路地裏に滑り込む事に成功した。 路上の灯りが届かなくなる一画。子供の足ではもう息が上がりそうだったので、立ち止まって呼吸を整えられる場所。一息つくには絶好だったので、三メートルほど奥に入り込んだ所で立ち止まり、大きく息を吸い込んだ。 夜の冷たい空気が体を素早く冷ましていくが、走って火照った体には丁度いい。 昼間と違う新都の光景への緊張、そして走った疲労で心臓がバクバク鳴っていたので、そのまま何度も何度も深呼吸を繰り返して心を落ち着ける。 コトネを探さなきゃ―――心の中に宿したその『決意』に、改めて炎を点しながら気持ちを切り替える。邪魔する大人はここにはいない。でもいつまでも立ち止まってばかりじゃ駄目。 時間にすれば二分も経たなかったが、強引に気持ちを落ち着けた凛は、コトネを探す為に路地の奥へ奥へと進んで行った。 来た道を戻っても大人に見咎められる可能性が増えるだけ。それに魔術は秘匿されるべき事で、人目につかない場所の方が見つかる可能性が高い。 幼いながらも聡明な凛は大人顔負けの度胸に後押しされて更に町の奥へ奥へと進んでいく。 両手の中にある魔力針を見下ろしても、やはり針はぐるぐる回るだけで特定の方向を示してはくれない。場所が悪いのだと結論付けた凛はもっと奥へと進んだ。 時に歩道と車道がある広い道に出てしまいそうな時もあったが、出来るだけ人目につかないように移動する。 そんな調子でどれだけ移動したのか? もう当人である凛にすら判らないほど長く、そして沢山の時間を歩いた気がした。持ってきた荷物の中には時計は無く、見回しても都合よく時計は設置されていない。 そもそも凛は人目を忍んで新都を移動していて、時間を知らせる時計は凛がいる場所とは正反対の人通りの多い大通りにこそある代物だ。 今は何時頃かな? 凛がふとそんな事を考えながら時計を探そうと広い通りに出ようとした瞬間―――、バチンッ! と手の中にあった魔力針が今までにない反応を示した。 「きゃっ!」 衝撃でほんの少しだけ魔力針が浮かびあがり、慌てて両手でしっかり掴む。 そのまま覗き込むと、裏道に入ってくる街灯の明かりが凛を示す魔力針の姿を映しだした。 「・・・え?」 何故、魔力針が自分を指すのか? 思ってもみなかった反応に凛がぼんやりと考えると、今、自分が通って来た路地裏から物音がした。 ピチャ、と。 ビチャ、と。 ズルッ、と。 浅い水たまりの上を強引に踏んで渡るような―――、後ろから湿った何かが這いずるような音が聞こえた。 魔力針が示したのは凛ではない。今、凛が通って来た場所を追いかけてきた何かを示しているのだ。そうやって凛が頭の中で理解すると同時に、手の中にある魔力針が微弱な魔力を静電気の様に放ち始める。 普通の人間には何も見えないだろうが、父から教育を受け始め、魔術師になろうとしている凛の目はその変化をしっかりと捉えてしまった。 その間にも後ろから聞こえてくる音は少しずつ大きさを増していく。あからさまに魔力を放つ何かが凛の方に近づいて来ている。 ようやくコトネを探す手がかりに巡り合えた。そう判っていながらも、凛の脳裏に浮かんだのは全く別の事だった。 「こういう反応をする物は、まだ凛の手には負えないから気をつけるように――」 魔力針をプレゼントされた時に聞いた父の言葉が頭の中に蘇る、そして体が震えて足は凍りついたように動かなかった。 背後にコトネの手掛かりがあるかもしれない。もしかしたら運よくコトネ自身がそこにいるかもしれない。そんな楽観的な事を少しだけ考えたが、迫りくる気配がそれを簡単に押し流した。 いやだ。嫌だ。イヤダ。 ここにいたくない。 近づいてくる。ちかづいてくる、チカヅイテクル。 凛はまだ振り返っておらず、迫りくる怪異の正体を視界に収めていない。けれども触れずとも見ずとも、直感から自分がどれだけ危機に晒されているか理解してしまった。 生きている限り決して逃れられない『死』の気配。それが形を持って凛の背後から押し寄せてくる。 逃げたいのに足が動かない。 走りたいのに足が動かない。 囚われた様に足が動かせない。 初めて味わう桁外れの恐怖に悲鳴を上げるのも忘れた。 そして背後から押し寄せる音がすぐ後ろにまで到達し―――、太く青黒い触手が左右から凛の顔を包み込んでいく。 「ひっ――!」 凛の存在を確かめるようにゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、回り込んでくる。濁り腐った水に似た腐臭が鼻につくが、それを気にする余裕はない。 湿る触手が少しずつ少しずつ周囲を覆っていき、遂には一部が凛の頬に触れる。 そこが凛の精神の限界だった。 目の前が一瞬で真っ暗になり、凍っていた体は全ての力を失って道路の上に崩れ落ちる。極限まで見開かれた目は閉ざされ、『遠坂凛』という少女を形作る全ての意識が消失していった。 子供には耐えられない恐怖から逃れる為、脳が自分自身を失神させる。気絶したのだと理解する間もなく、凛の意識は闇に囚われてしまう。 だから凛は知らなかった。 「凛ちゃんを離せっ!!」 一瞬後、前方から声が聞こえて―――。角材に似た細長い物体が顔のすぐ横を通り抜けて、後ろにいた何かに激突した―――。それを凛は知らなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 後一瞬遅ければ凛ちゃんは生きたまま食べられたかもしれない―――。ありえたかもしれない想像を思い浮かべてすぐに消し、雁夜はぶん投げたアジャスタケースの後を追う。 そこにいたのはアインツベルンの森でバーサーカーと共に散々戦った怪物だった。 紛れもなくキャスターが呼び出した異形の生き物が形を成しており、ヒトデに酷似した姿も中央にある巨大な口も何一つ変わっていない。 何しろあの口で雁夜は喰われそうになったのだ。バーサーカーの協力もあって生きたまま喰われるなんて事態は起こらなかったが、凛ちゃんがそうなってもおかしくなかった。 させない。 許せない。 許してはいけない。 凛ちゃんを見つけると同時に後ろから忍び寄る怪物の姿を見つけ。アジャスタケースから魔剣ラグナロクを一気に引き抜いた。 雁夜の戦士としての腕はこの一年で格段に上がったが、それは『剣の腕』を主軸においた戦闘技術の向上であり、繊細かつ丁寧な魔術行使にはまだ自身が無い。 魔力を練り上げて攻撃に移るまでに時間がかかるし、凛ちゃんの後ろにいる敵だけを攻撃できる自身もなかった。下手をすれば自分の攻撃が凛ちゃんに当たってしまうかもしれないからだ。 そこで中身を抜いたアジャスタケースを『投擲武器』とした。魔剣ラグナロクが手に馴染むように、この一年で何度も使ってきたアジャスタケースは自分にとっての一部に等しい。 夜とは言え、街中でいきなり巨大な剣を引き抜く危険は承知している。人に見られれば銃刀法違反で警察のお世話になる可能性はあるし、見られて悲鳴を上げられれば神秘の秘匿の危機に繋がるかもしれない。 それでも凛ちゃんの危険を認めた瞬間、躊躇は消えた。 助けなければならない。 救わなければならない。 守らなければならない。 凛ちゃんは桜ちゃんと違って間桐の魔術に汚された訳ではない。しかし彼女は『妹を失った姉』であり、その理由の一端は間違いなく自分にある。 そんな罪の意識が自分の力となって即断即決を可能にさせた。 単なるアジャスタケース程度ではキャスターが呼び出した怪物を殺す威力は出せなかったが、凛ちゃんに取り囲んで捕食しようとしていた触手を引き離す効果は合った。 嬲るつもりだったのか。それともじっくり味わって食べるつもりだったのかは知らないが。一瞬で喰われなくて良かったと思う。ゴゴの魔法なら傷一つなく回復出来るが、『生きたまま喰われた』という事実は記憶の中に刻まれてしまう。 触手の隙間から飛び込んできたアジャスタケースの一撃。怪物は驚きと衝撃で触手を大きく広げて凛ちゃんを解放する。 すると力無く床に倒れて行く凛ちゃんの姿に『何かされたか?』と思いったが、まずは敵の排除こそが最優先なので前に出た。 アジャスタケースの一撃で怪物は一メートルほど後ろに下がったが、倒すには至らない。食事を邪魔した余計な物が憎らしいようで、尖った歯が並ぶ口がアジャスタケースを噛み砕こうとしていた。 元は市販のアジャスタケースだったが、魔剣ラグナロクを収める為に多少の改良を施してある。それに一年間使いまわした自分の道具であり、怪物程度に壊されるのはいい気分ではない。 口の中に在る異物など気にしないでこっちを攻撃されていたらまだ結果は違っただろう。だが、隙だらけの体をさらけ出して格好の的になっているので、思いっきり攻撃させてもらう。 よくも凛ちゃんを喰おうとしたな―――。 「くたばれ」 倒れて行く凛ちゃんの横を通り抜けながら、上段に構えた魔剣ラグナロクを一気に振り下ろす。もちろんアジャスタケースには当たらないように少しだけ中央から位置をずらし、それでも怪物はしっかり左右に両断する。 アインツベルンの森で何度も味わった生き物を切り裂く感触が武器を通して伝わってきた。 皮が裂け。 肉が斬れ。 骨が砕け。 血がばら撒かれる。 断末魔の雄叫びを上げながら左右に別れて行く怪物。そして体を真っ二つにされながらもしばらく暴れ続け、そのまま紅い液体に変わり果てて消えてしまった。 肉体を持った普通の生き物だったならば絶対にありえない消え方だ。改めて、消え去った怪物が魔力によって作られた儚い存在であり、それでも害意を成す異形なのだと思い知る。 「・・・・・・」 無言で表面部分に歯型が刻まれてしまったアジャスタケースを見下ろしていると、後ろから足音が近づいてくる。 「雁夜――」 聞きなれてはいないが、一度聞けば忘れない澄んだ声で名前を呼ばれる。振りかえって確認するまでもなく、それがゴゴの変身したセリスだと結論付け、アジャスタケースの方に手を伸ばした。 セリスがいるならば―――正確にはゴゴがこの場にいるならば、凛ちゃんの安全は保たれていると言う事なのだから。 知り合いとはいえ幼女が倒れている状況で巨大な剣を手にしているのを人に見られるのはまずい。急いでアジャスタケースに魔剣ラグナロクを収めて背負い、後ろを振り返って凛ちゃんの安否を確認する。 見れば、セリスが地面に膝をついて凛ちゃんを抱き上げており、凛ちゃんは頭と上半身を持ち上げられても全く反応していなかった。 「生きてるか?」 「よほど怖い思いをしたのね、ショックで気絶しちゃったみたい。でも呼吸はしてるからしばらくすれば目を覚ますと思うわ」 「そうか・・・、よかった――」 間にあって良かった。万感の思いを込めながら呟かれた言葉が安堵と一緒に湧きあがってくるが、すぐにここに留まる危険性が浮かんでくる。 落ち着くならここはまずい。あの怪物の断末魔の雄叫びを聞きつけた誰かがここに来れば騒ぎが大きくなってしまう。その前にも、剣を振り回した雁夜がいたので、見られていたら大騒ぎになるのはほぼ確定だ。 「場所を変えましょう」 こちらが言うよりも前に急いで凛ちゃんを背負ったセリスがそう言った。だから雁夜は大通りとは逆方向へと走り出す。 走りながら雁夜は考える。 士郎を送り届け、間桐邸に戻らずにそのまま新都で過ごしたのは嬉しい誤算となった。もし凛ちゃんが新都に現れた話を間桐邸で聞いたならば、凛ちゃんを助けるタイミングには間に合わなかっただろう。 監視しているミシディアうさぎの力が普通の動物並みでしかないのを知っているので、キャスターが呼び出した怪物を相手にするには分が悪すぎる。 ゴゴならミシディアうさぎを基点にして遠隔地への幻獣召喚ぐらい簡単にやってのけるだろうから、凛ちゃんの安否についてはあまり心配していなかったが、危機に瀕している女の子を助けに入るヒーローのような状況に喜びを見出しているのも確かであった。 間に合ってよかったと思いながらも、何かの物語の主人公になったような夢心地を味わうのは気分がいい。ゴゴに全てを任せていては味わえなかった感動だ。 ただし、その感動は凛ちゃんが気絶した姿を見た時にすると一気に萎えた。 助けられた相手の賞賛が無ければ自画自賛しか残らない。そして魔術師としての自分を少なからず嫌悪しているので、とても自分を褒める気分にはなれなかった。 振り返ってセリスの背中にいる凛ちゃんを見ると、いっそ、冬木市の外で待機しているブラックジャック号をここに呼んで、桜ちゃんと凛ちゃんと引き合わせたい衝動に駆られた。 だがそれは現段階、叶わぬ願いだ。 楽観的な雁夜の予測だが、二人は間違いなく互いを好きあっており、状況が許せばまた仲のいい姉妹として共に過ごせると思っている。 けれど遠坂時臣が桜ちゃんを養子に出した理由にまだ到達できていないので、ここで桜ちゃんを凛ちゃんと引き合わせ、そのまま遠坂の家に戻すような事態を作り出しても、遠坂時臣という敵が残っているので、また間桐の養子に出されるような事が別の場所で起こる可能性が高い。 今だ遠坂邸に引き籠って表に出てこない遠坂時臣の真意を知るまでは不用意な行動は起こせない。ここで二人を引き合わせても、また別れる事になれば、互いの心に消えない傷を刻むだけだ。 心から桜ちゃんの―――そして凛ちゃんの救いを望むならば、二人が笑っていられる幸せな状況の下地を整えてからだ。 今回の邂逅は偶然の作用が強く、こちらの準備はまだ整っていない。 「遠坂・・・、時臣・・・」 聖杯戦争という舞台ではなく、桜ちゃんを救う為の最大の仇敵の名を呟きながら、雁夜は人目につかぬ場所を走り続けた。 運よく横槍が入る自体は避けられ、別の場所へと移動する事が出来た。人数は自分とセリスと背負われた凛ちゃんの計三人、ファミリーレストランで別れたロックとはまだ合流しておらず別行動をとっている状態だ。 「はぁ・・・」 走れば疲れる。人が持つ当たり前の生理反応をそのままに呼吸を整えようとするが。かなりの距離を、しかも魔剣ラグナロクのとんでもない重量を背負ったまま走ったにも関わらず、息は全く乱れていない。 何となくパーカーの右袖に隠れたアクセサリ『ダッシューズ』に視線を向ける。 これまで魔剣ラグナロクを背負って走った事は何度もあるが、それは筋力向上と武器の重さに慣れる為の修行であり、疲労するのも目的の一つだった。けれど『ダッシューズ』はその過去を真っ向から否定しており、疲れ果てて何度も何度も地面に突っ伏してきた一年が嘘の様だ。 改めてゴゴの力の強大さに驚きながらも―――。もっと信じられないのは、この上手く使えば一日中戦えるであろう脅威の装備が、ゴゴの世界では『店で売っている』という事実だ。 これまでは話しで聞く限りで信じていない部分も存在したが、自分で装備してみてアクセサリがもたらすメリットの大きさを味わった。 これが裏の世界の魔術師が長年かけて作り上げた渾身の作とかそういうのではなく、金を持っていれば誰でも買えるのだ。しかも、他のアクセサリには『ダッシューズ』など比べ物にならない強力な物もあると聞いた事がある。 いったい、ゴゴがいた世界はどれだけこの世界と違う世界なのか。自分の右手を見ながらふとそんな事を考えたが、今考えるべき事ではないと自分を戒めて思考の外に追いやっていく。 何しろ雁夜には気配すら感知できないが、間違いなく自分達を追跡しているアサシンがこの場にいる筈。敵が間近にいるのだから、他の事を考えている時間は無い。 セリスがその事について全く触れないのは、話せば向こうに聞かれてしまうからか、あえて見逃しているからか、アサシン程度ならば攻撃されても対処できる自信があるからか。どの理由でもありえそうだったので、雁夜はとりあえず考えるのを止める。セリスに背負われているならば、凛ちゃんの安全は確保されているのだからそれでいいじゃないか。 アサシンの事も一旦思考の外に追いだすと、凛ちゃんをどうすべきか考えた。 凛ちゃんは『コトネ』という友達を助ける為にわざわざ冬木市にまでやって来たようだが、凛ちゃん一人で探し出せるほど今の冬木市は甘い場所ではない。 自分としては凛ちゃんの悲しむ顔は見たくないので、冬木市に散らばっている多くのミシディアうさぎを使って『コトネ』を探したいとは思う。だが、その為にはゴゴの協力が必要だ。 『コトネ』という名の凛ちゃんの友達を助ける事が桜ちゃんを助ける事に繋がるならゴゴへの説得もしやすいのだが、今のところそんな都合のいい状況は無く。雁夜自身、聖杯戦争を生き抜いて桜ちゃんを救う為に労力を費やすので精一杯だ。 凛ちゃんの助けが桜ちゃんの助けに繋がるのはか細いながらも確かにあるのだが、それは他のマスターと聖堂教会への監視の為に配備されたミシディアうさぎを全て動かすほど強いモノではない。 希望はある、しかし、現段階は不可能と断言できる。だから凛ちゃんを安全な所に退避させる為にはどうすればいいかを考える。 そして凛ちゃんが一人で冬木にやって来たのならば、葵さんは絶対に追いかけている筈だ、と思った。願望と言えばそれまでだが、一年前に桜ちゃんを間桐へやってしまったので、きっと葵さんは『娘が居なくなる』という状況に危機感を覚えている筈。 夫である遠坂時臣が聖杯戦争に参加しているのは葵さんも重々承知しているだろうから、凛ちゃんが居なくなった状況を冬木に結び付ける可能性は高い。 そうすると、こちらから凛ちゃんを送り届けるのではなく、葵さんと入れ違いにならないようにする為に待ち構えていた方がいいだろう。 凛ちゃんが現れたのは新都の冬木駅。これまで経過した時間。そして子供の足で移動できる範囲内にある場所。幾つもの情報を統合して、思い出深い市民公園を考えたのは必然であった。 何故なら川辺にあるあの場所は、雁夜にとってあまりにも沢山の記憶が刻まれている。あそこならきっと葵さんが来てくれる―――そんな望みも手伝い、雁夜の足は市民公園へと向かった。 凛ちゃんを背負ったセリスは何も言わずに雁夜の後をついて来て、程なく三人は墓所を彷彿させる人気のない市民公園へと到着した。 備え付けの椅子の近くに辛うじて街灯の灯りがあるが、それ以外は夜の闇に覆われて不気味さを演出している。この闇の中のどこかにアサシンが潜んでいるかと判ってしまえば、余計に闇の深さに緊張が増す。 人の話し声は無く、風に揺られる木々の音だけが耳に届く。凛ちゃんを椅子の上に寝かせ、風除けと防御の意味で両脇を自分とセリスで固めた。 目安として二時間ほど様子を見て、そこまで経って変化がなければ別の手を考えようと思う。その間に葵さんが凛ちゃんを迎えに来れば由、あるいは凛ちゃんが目を覚まして自発的に帰っても由。目を覚まして『コトネ』を探しに行く可能性もあったが、その場合は強制的に退出してもらうのもやぶさかではない。 とにかく今の雁夜に出来る事は少なく、冬木市に混在する多くの怪異から凛ちゃんを守る位が関の山だ。しかも『自分が殺されない』という最低条件をクリア―した上だが、どちらもゴゴの助力合って初めて可能になる事なので、自分の力のなさに気落ちしそうになる。 バーサーカーの制御にはまだ不安が残っているので、凛ちゃんの傍では使えないな。と、そんな事を考えながら、ただ時間が過ぎ去るのを待ち続けた。 周囲への警戒と自問自答を繰り返していると、そう言えばロックは―――もう一人のゴゴはどうして合流しないのか? と思った。移動に必要な時間は十分すぎるほど合ったし、言わずとももう一人のゴゴが雁夜の隣に座っているのだから道に迷うなんて事態は考えられない。おそらく何かしら意図が合って自分達とは別行動をとっているのだろう。たとえば、自分達を監視しているアサシンを更に監視している、とか。 何もせずに間桐邸やブラックジャック号に戻ったとは欠片も考えていないので、今も『桜ちゃんを救う』ために何かしらの行動を起こしているに違いない。 時間が経つごとに思い浮かべる内容にも変化が現れる。そんな事を何度もやっている内に時間はどんどん過ぎ去っていき、一区切りつける二時間は近づいていく。 葵さんがここに来ないのは、彼女がそもそも凛ちゃんを捜しに来ていないか、全く別の場所を探しているかのどちらかだろう。聖杯戦争で魔術師たちが戦っている状況で遠坂時臣に助けを求めるとは考えられない、魔術師が全力で挑まなければならない状況でそれを邪魔するなどあってはならないのだから。 もし娘の為にそんな行動がとれるなら、そもそも桜ちゃんが間桐に養子に出されるなんて事態は起こらなかった。 もう少し時間を延ばしてみようか―――。そう考えた正にその瞬間、公園の外周部分から近づいてくる足音が聞こえてきた。 深夜の公園に近づく物好きなどこれまで一人もおらず、しかも駆け足で向って来ているようで、足音は大きく早く近づいてくる。明らかにこの場所を目指していて、走り方には迷いはない、ただ男ほど力強いモノではなかった。 ようやく来てくれた。 公園の街灯に照らされた訪問者、葵さんの姿を見ながら雁夜は緊張を維持したまま心の中だけで安堵を作り出す。 「ここで待てば、きっと見つけてくれると思ってた」 「・・・・・・雁夜、くん?」 一年ぶりに見る葵さんの姿は全く変わってないように見えたが、よほど急いで凛ちゃんを探していたらしく、滅多に見れない焦燥感を漂わせていた。着の身着のままの格好もまた外に出る時間を少しでも短縮した原因の様に見えて、娘を気遣う母親の姿に嬉しさがこみ上げてくる。 自分がここにいると思って無かったようで、葵さんは立ち止まってジッと見つめている。そのままずっと見つめ合っていたい衝動が湧き出そうになるが、当初の目的を果たす為に隣で横になっている凛ちゃんを抱きかかえ、葵さんの方へと連れて行った。 「凛っ!!」 葵さんに近づいた所で、ようやく腕の中で眠る凛ちゃんに気付いてくれた。 出来れば自分よりも前に凛ちゃん気付いてほしいと思ったが、いるとは思わなかった『間桐雁夜』がこの場所にいればそちらに意識が向くのも仕方のない事かと考え直す。 斜め後ろに黙ったままついてくるセリスの気配を感じつつ。止まることなく葵さんへ歩み寄って凛ちゃんを渡す。 「大丈夫。凛ちゃんはびっくりして気絶してるだけだから」 葵さんは凛ちゃんを手渡されると同時に力強く抱きしめ、少し高めの子供の体温と外傷の有無を調べた。そして無事を確認したらもう一度抱きしめ、少しだけ目尻に涙を浮かべる。 母と娘の再会した状態で五秒ほど時間が流れる。そして娘の無事を完全に確認し終えた葵さんは顔をあげてこちらを見つめてきた。 「どういうことなの? 雁夜くん。どうしてあなたがここに?」 「・・・・・・こういう事だよ」 そう言いながら右手の甲を葵さんに見えるように掲げた。そこにはバーサーカーに宝具を使わせる為に一画浪費してしまった令呪が刻まれている。 実物を見たことは無かっただろうが、遠坂時臣から『令呪』について話だけは聞いている筈。すぐさま手の甲に刻まれたそれの正体に気付いた葵さんが絶句するのが見えてしまう。 そんな表情をさせたくは無い。けれど、令呪は聖杯戦争のマスターの証であり、事情を知っている人間へは説明を不要にする。言葉以上に多くの事を教えるので、これほど都合のいいものは無い。 そして自分が令呪を持つ意味を理解してしまった瞬間、葵さんはきっと『雁夜が間桐に復帰した』『夫と幼馴染が殺し合う』を瞬時に理解した筈だ。 間桐雁夜は禅城葵を愛している―――。そして幼馴染として他の誰よりも葵さんの事を知っている。だからこそ葵さんが凛ちゃんを探しに来るである予測の元、市民公園で彼女を待ち構えられた。 間桐が絡めば彼女を幸せにする事は出来ない。だから遠坂家に輿入れすることを幸福に感じている葵さんの笑顔と、『遠坂葵』になる彼女を笑顔で見送った。 その決断が間違いだったとは思いたくない。一年前と違い葵さんが導き出した『決断』が全て間違いだったなど考えたくはない。 たとえ、桜ちゃんが間桐の魔術に囚われ地獄を味わう事になったとしても、それは雁夜の罪であり、葵さんの罪ではない。彼女はただ一人の女として遠坂時臣のプロポーズを受け、そして一人の母親として二人の娘を愛しているだけなのだから。 故に雁夜の怒りは遠坂時臣へと、そして自分へと向かうのだ。 罰せられるべきは自分であり、桜ちゃんを間桐に養子に出そうなどと考えた遠坂時臣だ。 桜ちゃんに責苦を負わせた最も罰せられるべき臓硯はゴゴによって消滅させられたので、もうどうしようもないが、残された二人は罰を背負うべきだ。償わなければならない。 桜ちゃんと凛ちゃんにも、葵さんにも罪は無い。そう思っている―――。 「葵さん。俺は絶対に桜ちゃんをおぞましい『間桐』の呪縛から解放してみせる、臓硯の支配は強力で今も桜ちゃんを強く強く縛り付けてる・・・。俺は聖杯戦争に勝利して――臓硯から、間桐から、桜ちゃんを救ってみせる」 言葉なく自分の右手の甲に刻まれた令呪を見る葵さんに向け、更に言葉を続ける。 「だから、俺が・・・、俺達が必ず・・・・・・。ああ、心配ないよ。俺達は誰にも負ける筈はない」 「ああ──。そんな──」 葵さんは凛ちゃんを探しに来て、予想だにしなかった真実を知ってしまった。凛ちゃんを見つけられた安心とは別種の涙が彼女の目から流れ落ちてしまったので、それを止めたいと願った。 彼女の顔を見ながら胸に決意を宿す。 禅城葵には、遠坂葵には、間桐雁夜の幼馴染には、何の罪もない。 他の誰でもない間桐雁夜自身がそう思っている筈なのに―――、胸の内から湧き上がるこの衝動は何なのか? 気付かなければ気のせいで済ませたかもしれないが、一度気が付いてしまえばそれはどんどん大きさを増していき、雁夜の心の中を埋めて行った。 葵さんの泣き顔を見て、その思いは止まる気配を見せずにひたすら膨張していく。ほんの一瞬前までは無かった筈の気持ちがあふれて止まらない。 葵さんが愛おしくてたまらなかった筈なのに―――。 何故、何故、何故、途方もない怒りを胸に抱いてしまうのか? この怒りは何なのか? 何故、葵さんを見て、こんな気持ちを抱いてしまうのか? どうして泣き顔を見ると苛々してくるのか? この場に留まっていれば内側から間桐雁夜を破壊して怒りが溢れ出そうだ。この怒りが、いや、激怒と呼べるほど強大な感情が出てくる原因を考える余裕もなく、この場所から消えたくてたまらない。 このままでは間桐雁夜は遠坂葵を殺したくなる―――。 「いつかきっと、この公園で、また昔みたいに皆で遊べる日が来る・・・。だから葵さん、貴女が信じて、祈ってくれ。桜ちゃんと凛ちゃんの未来を・・・」 「雁夜くん、待って──」 内側から湧きあがる激情を必死で抑え込みながら、凛ちゃんを抱きしめる葵さんの横を通り抜ける。引き止める声を無視して、先を急ぐ足を決して止めない。立ち止まってしまえば背負ったアジャスタケースから魔剣ラグナロクを引き抜いて斬り付けてしまいそうになるからだ。 そんなおぞましい予感を考える事それ自体に薄気味悪さを覚えてしまう。 何故、俺は葵さんを・・・? 凛ちゃんがいるから葵さんは呼びかけ以上の事はしない、掴まれて止まらせられるなんて事にならなくて良かったと思いながら。早足で市民公園の外へと向かった。 凛ちゃんの事は葵さんに任せればいい。自分達を見張るアサシンが彼女達に危害を加える可能性を考慮しながらも、そうやって自分に言い聞かせて離れてゆく。 理由の判らぬ怒りはまだ収まらず、心の中で蠢き続けていた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰綺礼 宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』によって、多重人格障害であった『百の貌のハサン』はその人格ごとに別々の肉体を得た。しかし、マスターである自分がたった一人である以上、五感同調によってアサシンの見聞きしている状況を知れるのは常に一人に限定される。 それ以外のアサシンとの連絡手段は口頭となる。 念話を使えば同調する必要無く、遠く離れた距離を気にせずに報告を聞ける利点はあるが、アサシンの主観を全て排したその場だけの情報を仕入れるにはやはり感覚を同調するしかない。倉庫街での戦いを監視していた時もそうだった。 冬木教会にて保護されている今―――間桐雁夜の監視をしているアサシンの視覚に自分のそれを重ね合わせて、様子を窺う。 「遠坂時臣氏の内儀とご息女、このまま放置で宜しいか?」 感覚を同調させたアサシンの声なき声が綺礼の頭の中に響く。遠く離れたサーヴァントとの会話を行う為の念話だが、五感の内いくつかを同調させているので、自分自身が話しているような錯覚に陥りそうになった。 アサシンがマスターである綺礼に話しかけているだけだ。改めて起こっている状況を再認識しながら、アサシンに向けて返事をする。 「構わない。引き続きバーサーカーのマスターを監視するように」 「承知」 綺礼は昨日からアサシン達の諜報活動にある条件を追加した。それは敵対する全てのマスターについての私生活、趣味に嗜好、人物像についても報告せよ―――という内容だ。 もちろんこれはアーチャーこと英雄王ギルガメッシュの『連中の意図や戦略だけでなく、その動機についても調べ上げるのだ。そして我(オレ)に語り聞かせろ』という申し出を受諾したからに他ならない。 冬木市に散らばった全てのアサシンは諜報活動の密度を倍増しなければならなくなったが、その甲斐あって綺礼が手に入れた情報もまた膨大になった。 特に『間桐』に関してはアーチャーの言葉以前に明確な敵への調査として多くのアサシンをつぎ込んでおり、今回の遠坂葵と間桐雁夜との会話も綺礼の知る所となった。 ファミリーレストランの内部で待ち構えられた時は接近できずに会話まで聞けなかったが、そこは父:璃正の手回しで聖堂教会のスタッフが情報を仕入れる手筈となっている。 今は様々な角度から間桐を切り崩している状態だ。 そしてアイツベルンの森から突如として現れた間桐臓硯と間桐雁夜との間には何らかの確執が存在するのを確信した。聖杯戦争に参加するマスターとサーヴァント以外に何かしらの組織から大量であり強者でもある人間が送り込まれているのも決定したと言える。 どれだけの規模が送り込まれたのか? そもそも一体何者が介入しているのか? 詳しい情報はまだ判っていないが、聖杯戦争と無関係の者が巡り合わせによって彼らと協力している自体はありえない。 もしかしたら同じ組織に間桐臓硯と間桐雁夜が別々に依頼をして、同じ組織の中で対立している派閥がそれぞれの勢力を削ぐ為に協力しているかもしれない。 あくまで予測の域を出ず、確信に至る為にはまだまだ情報不足だが、少しずつ少しずつ綺礼の元に情報は集まっている。人によっては終わりの見えない諜報活動に辟易するかもしれないが、問い続ける事こそが人生と言ってもよい綺礼にとって現状は苦ではない。 綺礼は間桐雁夜を監視するアサシンとの同調を切ると、間桐雁夜の方に味方している何者か―――会話の中から拾った『ロック』という名前の男を監視しているアサシンへと念話を送る。 状況を報告せよ、と。 「き、綺礼様――」 だが返って来たのは報告するアサシンの声ではなく、切羽詰まってそれどころではない慌てふためく呟きだった。 話している余裕すらないのか、それ以上の応答は無い。綺礼は何事かと思いながらも、ロックを監視しているアサシンの視覚と聴覚に同調させるべく意識を集中する。そして一瞬前まで見えていた冬木教会の壁が夜の屋外へと切り替わった。 そこで綺礼が見たのは短刀を片手に持ち、自分へ向けて斬りつけてくる敵の姿だ。 何があってこんな状況に陥っているか咄嗟に判断できなかったが、監視していたアサシンはその監視対象であるロックと交戦しているのだと知る。敵はアサシンと同じように短刀を手にしているが、こちらの刀身が闇に染まる黒ならばあちらの短刀は血に染まったような紅色をしていた。 アサシンが見ている光景から判断するしかないのだが、敵は常に一定の距離を保ったまま対峙しており、アサシンが移動すればしっかりその動きについてくる。 常人ならば決して出来ない筈の『壁を使っての三角飛び』や『地を這う移動』に『屋上までの跳躍』など、暗殺者としての身軽さと強靭さを兼ね備えたアサシンの動きを同じように行っているのだ。 敵の強さは分化されて弱体化したと言ってもサーヴァントのそれに匹敵するのだと理解する。 同調させた綺礼の視界が衝突しあう短刀を見て、敵の武器がアサシンの手を浅く斬りつけるのが見えた。掠り傷だ、そう思ったが、傷ついた部分が大きく避けて真っ赤な血が噴き出した。 「さすが『マンイーター』。人が相手なら効果は抜群だな」 髑髏の仮面の奥で隠しきれない動揺、暗殺者としての誇りが口から出てきそうになる絶叫する必死に抑え込む。だが出来てしまった隙をついて、敵は短刀を持たない逆の手をアサシンの喉元へとやった。 力ずくで首が絞まる感触が綺礼にまで伝わってきそうだ。触覚まで同調させていたら間違いなく伝わって来たであろう痛みを思っていると、壁に押し付けられたのか『片腕で掲げられた』アサシンの視点から見下ろした敵の姿が見える。 妖しく光る短刀が目の前でチラついた。 アサシンの両手両足は自由になっているようだが、僅かでも攻撃の意思を見せた瞬間に紅い短刀が頭部を貫くだろう。 強い―――。攻防は僅かだが、ロックという名の目の前の男は綺礼が強者だと認めるには十分すぎる動きを見せたのでそう評する。 「こういうのはセリスの方が得意なんだけどな、試させてもらうぜ」 死闘を演じていたとは思えないほど軽い口調でロックがそう言った次の瞬間。綺礼の視界は真っ暗になった。 「デスペル!」 最後に聞こえてきた敵の声。そこでアサシンとの感覚同調が強制的に切断されてしまい、綺礼の目には冬木教会の壁が映り、綺礼の耳は屋内特有の静寂を聞いた。 再度、感覚同調を行って敵の様子を探ろうとしたが、ロックを監視していたアサシンからの応答は無い。最後に聞こえてきた言葉が何を意味するかは綺礼には判らなかったが、おそらく魔術行使の為に行われた呪文なのだろう。 単語の中に『DEATH』つまり『死』を意味する単語が含まれて、しかもマスターとサーヴァントとの繋がりも感じられなくなったのならば答えは一つ。また一人アサシンが殺されたのだ。 「・・・・・・・・・」 綺礼は考える。 アインツベルンの森で交わした間桐臓硯の会話とこの場所でアーチャーと交わした会話の内容。 協力者たちがマスターとサーヴァントには無関係だったとしても、間桐雁夜を葬るには決して無視できない障害だ。 バーサーカーという魔力消耗が桁外れに大きいサーヴァントを従えながらも、間桐雁夜は決して魔術師として優秀とは言えない。 その間桐雁夜は遠坂葵と遠坂凛を気遣っていたが、マスターとして遠坂時臣を殺すならば、間桐雁夜自らが彼女らを不幸にする。 そして諜報活動を行いながら散っていったアサシンの姿を思い浮かべ―――、綺礼は自分でも気付かぬ内に口元に小さな笑みを浮かべた。 ああ、お前たちは―――聖杯に託した願いを叶える事無く殺された。その無念、その苦悩、さぞ辛かろう―――、と。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ アサシンがロックとセリスと雁夜の三人を監視しているのは、アサシンが接近する前から気付いていた。 何しろ聖杯戦争に招かれたサーヴァントの位置は、例えそれが大まかだったとしても、自分にとって周知の事実であり、遠ざかろうが近づこうが実体化しようが霊体化して逃げようが、等しくその『存在』は把握できてしまう。 雁夜を囮にして敵の出方を窺ってみたが、どうやらアサシンはこちら以外にも色々と調べる事があるらしく、三人が揃っている時はアサシンを一人だけしかつけなかった。 単純な戦力差で考えれば十人いても足りないので、完全に戦いを度外視した監視のみに留めるつもりなのだろう。ファミリーレストランの中でただの人間から何度も視線を向けられた事もあったので、サーヴァント以外にも色々策を弄しているらしい。 言峰璃正が透明になった飛空艇ブラックジャック号の事を知ってようやく本腰を上げてきたようだ。 しかし監視の目があろうとなかろうと今の段階では脅威にはなりえない。僅かばかり情報が敵に漏れてしまったが、全体からみればまだ一割にも届いていない。 偽装された間桐臓硯の死。 神秘のアイテム『魔石』の出所。 世界を一つ賄えるほどの魔力貯蔵。 冬木市に散らばった沢山のミシディアうさぎ。 魔封剣、必殺技、踊る、必殺剣、機械、あばれる、スロット、スケッチ、青魔法。 宝具すら物真似する、ものまね士ゴゴの存在。 まだまだ知られていない事は山ほどある。 固有名詞のない会話と雁夜の言動によって、真実と虚偽が入り乱れた内容が敵に伝わった。手の内を全て見せていない状況では敵は慎重になり、聖杯戦争はもっともっと長引く。これでサーヴァント同士が共倒れになるなんて自分にとって困る事態には陥らない。 例外はキャスターだが、アインツベルンの森で見せてもらった戦いを見る限り、それほど目を引く宝具ではなかった。尽きることなく湧き出でる魔力は他のサーヴァントにとっては脅威かもしれないが、自分の中で使える魔力総量はあの宝具を上回る。 あれなら他のサーヴァントに殺されたとしてもこちらの損耗には繋がらない。雁夜の修行のために、もう少し生きていてほしい気持ちもあるが、殺されても特に文句は無い。むしろ桜ちゃんの事もあるので次の犠牲者を出す前にさっさと死んでくれとさえ思う。 居場所は判っているのでいつでも倒しに行けるが、今の所は様子見だ。キャスターの件を強引に片付けて、意識を別の事へと振り分ける。 『ロック・コール』としてアサシンと戦うのはそれほど難しい問題ではなかった。何しろ敵はこちらに見つからないように隠れているつもりなのだろうが、大聖杯によって召喚されたサーヴァントの枷で、アサシンの位置は丸見えだ。 一番の問題はアサシンに逃げられてしまう事だったが、ドロボ・・・いや、トレジャーハンターとしての素早さを生かして一気に戦闘へと突入してその問題点を消す。 逃げられる前に攻撃する。雁夜を守るために準備した『ナイトの心得』に加え、先制攻撃の確率がアップする『疾風のかんざし』を装備した時にアサシンはロックから逃げられなくなった。 わざわざアサシンと戦ったのは、監視の目が鬱陶しいからではない。アサシンだけが、数あるサーヴァントの中で沢山いるサーヴァントだからだ。 『ストップ』『ライブラ』『死の宣告』『臭い息』『グラビダ』そして『夢幻闘舞』。ゴゴが知る多くの技の幾つかを別のアサシンに試したが、まだまだ試したい魔法は沢山ある。 サーヴァントにはどんな魔法が効くのか? 沢山の敵がいて、沢山の技がある。 ならば試すのは必然だ。 サーヴァントによって筋力、魔力、耐久、幸運、敏捷、宝具など、ステータスに限らずスキルの違いもあるだろうが、『サーヴァント』の括りであるならば似た部分は必ず存在する。アサシンを使って別のサーヴァントへの対策とするのだ。実験とも言い換えてもよい。 こうしてアサシンと戦闘に入り、すぐに拘束できてゴゴが使える技をロックを経由してアサシンにぶつける状況にまでもって行けた。 使用する魔法はありとあらゆる魔法効果を消す対消滅の魔法『デスペル』だ。 全力全開で魔法を使えばサーヴァントの一人ぐらい消滅させられるのは容易いので、今回アサシンを使ってやろうとしてるのは、どこまで魔力を込めればサーヴァントの存在そのものに影響を及ぼせるか、だ。 サーヴァントとして現界する為には必要な霊核を中心に、それを魔力でできた肉体を纏って初めて実体化できる。『デスペル』はその構成に一体どこまで影響できるのか? それを早く知りたくて仕方が無い。 サーヴァントが召喚される瞬間はバーサーカーが呼び出された時にじっくり見させてもらったが、魔法効果が存在そのものにまで影響を及ぼすのかは未知の領域だ。 これを知ればものまね士ゴゴの物真似はもっと向上するに違いない。幻獣召喚とは似て非なるサーヴァントの在り方を知れば、『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー』の精度も格段に跳ね上がって、変身の宝具は生誕の宝具にまで昇華するかもしれない。 マスターとサーヴァントの繋がりが断ち切られるのか? アサシンのマスターである言峰綺礼にまで影響を及ぼすのか? 魔法を唱えた途端、魔力の塊であるサーヴァントは消滅するのか? キャスターが子供達の体の中に仕込んだ魔術は打ち消せたが、サーヴァントには効果が無いのか? 結果を知るのが楽しみになり、ついつい『マンイーター』の事まで話してしまう。慌ててロックとして魔法を唱えた。 「デスペル!」 セリスとして魔法を唱えればもっと込める魔力を多くできた筈。そんな思いで放たれた魔法にはティナとして子供達を救う為に放った魔法と同じぐらいの効果を作り出してしまう。ティナの魔力とロックの魔力とでは比べ物にならないのほど差があるので、ティナにとっては連発出来る威力でもロックにとっては全力と言ってもよかった。 そしてアサシンのサーヴァントは対魔力スキルを持っていない。 それが悪かったのだろう。 「ぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁああぁ――!!!」 アサシンは二秒ほど悲鳴のような雄叫びのような声を上げた後、髑髏の仮面をつけた頭の方から小さな光となって分解されていったのだ。 徐々に『デスペル』に魔力を込めてじっくり観察したかったのだが、アサシンの体が崩れていくのは少々予想を超える。それはサーヴァントが使える『実体化』と『霊体化』に近い変化であったが、アサシンが苦しんでいる様にも聞こえる声を出している時点で別物だろう。 頭部から首、首の根元から胸元、肩から腕、腹部から足、紫色に光る粒子となって、どんどんとアサシンが消えて行く。 失敗ではない。 少しやり過ぎてしまった。 アサシンの首を掴みあげていたロックの手から感触が消え、握り拳にもならない空しい五本の指だけが後に残った。手持ち無沙汰で、指を動かしてみるが。そこにはもうアサシンを捕まえて壁に押し付ける感触は無い。 「・・・・・・・・・」 あまりにも呆気ないサーヴァント消失だった。 ロックは腕を降ろしながら前を見て、サーヴァントの予想外の脆さに落胆しそうになった。しかし、そこで自分の腕が邪魔になっていて見えなかったモノがふよふよと力無く浮かんでいるのを発見する。 淡く白い光を放ち続けるそれはロックの手の中に収まりそうな小ささであり、シャボン玉のように頼りなく、けれど重力に逆らってそこにあり続けている。 これは一体何なのか? それがサーヴァントが現界する際の核―――『霊核』だと気付いたのは少し経った後だ。 マスターを失った場合、サーヴァントを特殊な能力を有している場合を除いて、一時間ほどで消滅してしまう。だが、充分な魔力さえあればサーヴァントを現世にとどめることは可能となる。 たとえ『デスペル』で、霊核を存在するのに精一杯なほど魔力を解いてしまったとしても。マスターである言峰綺礼からの令呪のパスと魔力供給のパスの両方が切れてしまった状態だとしても。肉体を維持できるだけの魔力供給があれば、再度蘇る事は不可能ではない。 何故なら、肉体の消失とサーヴァントとしての消滅は同義ではないからだ。霊核だけが残っている状況をそう判断し、アサシンの霊核を透明になったミシディアうさぎに命じて間桐邸にまで持って来させた。 大聖杯を物真似した状態で常に感じていた『サーヴァントの位置』が霊核から感じられず、今、『デスペル』の餌食になってしまったアサシンは消滅一歩手前であり、聖杯戦争のサーヴァントでもない状態だ。 普通ならばこのまま消える。だがものまね士ゴゴは普通ではない。 英霊が霊核を基礎にして魔力を肉体にする方法が見たかったので、ゴゴはアサシンの復活を考えた。他のマスターならばわざわざ敵を復活させようなどと考えないだろうが、ゴゴにとっては敵の復活よりも英霊の現界を間近で見る方が重要だ。それを見れば『サーヴァント召喚の物真似』も出来るかもしれない。 そして何が起こるか判らないので街中で魔力供給を行わず、わざわざ間桐邸にまで移動させた。 透明になったミシディアうさぎが霊核をマントの下に隠す。 移動の間にもアサシンが消滅する危険性はあり。時間経過と共に霊核の光は少しずつ少しずつ衰えていく。ミシディアうさぎが間桐邸に辿り着いた時、霊核の光は線香花火の火の玉よりも更に小さい輝きしか放っていないかった。 危険な兆候だ。 それでもぎりぎり間に合った。 ただし、一刻の猶予も許されない。 こうなったのはサーヴァントが持つスキルも影響しているのは間違いなく、おそらく同じ事をセイバーにやったとしても霊核だけ残すなんて事態にはならないだろう。対魔力スキルを持たないアサシンだからこそ―――分裂したが故に力を落したからこそ―――『デスペル』は多大な効果を発揮したのだ。 ゴゴはミシディアうさぎからアサシンの霊核を受け取ると、雁夜の修行場であり、かつてバーサーカー召喚の為にも使われた間桐邸の蟲蔵。間桐臓硯が使役していた蟲は一匹たりとも残っていないので、名称が不適切だと思ってしまうが、今日に至るまで変わることなく『蟲蔵』の名前で呼ばれ続けている地下へと向かう。 マッシュとエドガーになっている自分を一階に残し、何かあった時に備えて攻撃する心構えはしっかり持っておく。 正規のマスターではないゴゴからの魔力供給では、アサシンは現界しないか? 聖杯戦争のサーヴァント『アサシン』として蘇り、マスターである言峰綺礼と再びパスが結ばれるか? ゴゴが持つ魔力とこの世界の魔術とでは差異があるので、霊核は何の反応も示さず消滅するか? どうなるか判らない。だが未知は未知であるが故にゴゴに喜びを与えてくれる。再びサーヴァントの一体として蘇るならば、間桐邸の情報が言峰綺麗に洩れるか逃げられる前に滅ぼすだけだ。 どうなっても構わない―――。 様々な結果を予測しながら、その全てを裏切ってもそれはそれで問題ないと思いつつ、手の中で弱弱しく光る霊核へと魔力を送る。 魔石で幻獣を召喚する時の要領で、その中にいる『何か』をこの世界に引き寄せるような注ぎ方をした。先程はロックが放った『デスペル』でやり過ぎてしまったので、慎重かつ繊細に魔力を込めて行く。 一秒が経ち、二秒が経ち、三秒が経ち、四秒が経つ。 あまりにも何も起こらなかったので、込めた魔力が弱すぎたかと思い始める。 魔力を込め続けて十秒が経過しても何も起こらなかったので、仕方なく注ぎ込む魔力を高めて行った。最初の注ぎ方が魔力消耗の最も少ない『ラグナロック』の召喚ならば、今度はその十数倍魔力を使う『ライディーン』を召喚する要領で行う。 さあ、どうなる? 高めた魔力が功を奏したのか、アサシンの霊核は徐々に輝きを増していき、消滅寸前の弱弱しかった光を目が眩むほど眩しいものに変わっていく。 どうなる? どうする? どう変わる? 期待に胸を膨らませながら蟲蔵の中を満たしていく光をジッと見つめる。すると程なく霊核がゴゴの手の中から浮かびあがり、ふよふよと滞空を始めた。 そもままどこかへ飛び立ってしまうのか? あるいは床に落ちてしまうのか? どんな変化でも見逃さずに霊核を凝視していると、球形の輝きから二本の管がそれぞれ上下に伸びていく。 そして十五センチほど伸びた所で止まり、伸びきった箇所を基点にして紫色の粒子が溢れだしてきた。 上に伸びた方の管の先端。ゴゴの目よりも少し低い位置にあるそれが円柱型を作り出した時、ゴゴはそれが何であるかを理解する。 首だ。そして霊核から下に伸びた方の管の先端にあるのは心臓だ。二つの部位が形作られた後、そこからの変化は劇的であった。 ロックの手の中で消えていったアサシンが逆回しに再生されていくとしか見えないほどにサーヴァントの肉体が『編まれて』いく。 おそらく霊核に注ぎ込んだ魔力を肉体に変えているのだろう。初めて出来上がった二か所を中心にして、人の地肌とは思えない黒い皮膚が形を成していった。 心臓を中心にして胸元が出来上がったと思ったら、そこに出来上がっていた首が連結して肩と腹部を作っていった。紫色の粒子がどんどんと人の肉体を構成していき、それは腕となり手となり指となり腰となり腿となり足となり頭となり、下半身を包む簡素な衣装となり、手首から肘まで巻かれた布となり、口の上から額までを覆い隠す髑髏の仮面となっていった。 最後に髑髏の仮面が途切れた額から後頭部から紫色の髪の毛が生え、首まで伸びた髪の毛がオールバックのごとく後ろに流れる。 もしサーヴァント召喚や魔術やらを全く知らない一般人が見たら、誰かが背景と同化した布で首元以外を隠し、その布を取り去っていきなり現れたと思うだろう。 つまりそれだけ劇的かつ急激な出現だったのだ。 最初に魔力を注ぎ込んで全く反応を示さなかった霊核が嘘のように、変化が起こった状態から五秒とかからずロックの手の中で消滅した筈のアサシンが蟲蔵の床の上に立った。 髑髏の仮面のせいで表情は見えなかったが、目を瞑って虚脱状態に陥っている気がする。 蟲蔵で雁夜がバーサーカーを呼び出す時に見た『召喚』とは異なる、サーヴァントの『復元』。ゴゴはまだ反応を示さないアサシンに向け語りかけた。 「目覚めの時間じゃゾイ、アサシン――。それともハサン・サッバーハの人格の一つと呼ぶべきかの?」 その問いかけを切っ掛けにして、髑髏の仮面の向こう側にある目が開くのを感じた。