第17話 『ものまね士は赤毛の子供を親元へ送り届ける』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 士郎と名乗った赤毛の子供は桜ちゃんの年と同じぐらいか、少し上。年齢はおそらく7歳か8歳だろう。そんな子供に事前情報なしでいきなり裏の世界の出来事なんて話して、どれだけ理解できるか怪しい。 大体、子供と言うのは基本的に自分の好きなものに関しては驚異的な集中力を発揮する生き物だが、つまらない話だと一度でも感じてしまえば大抵飽きる。 桜ちゃんがその辺りの事情をある程度知って、こちらの話を聞くのは、この一年で裏の世界―――主に魔術の秘匿に関する事柄を口を酸っぱくして教えたからに他ならない。 強大な力とはそれだけで騒動の種になり、本人に力を振るう意思がなかったとしても周囲が巻き込んだり、狙ったり、滅ぼしたりしてくるモノだ。 特に『間桐臓硯』が関わる間桐の魔術だけならばそれほど危なくは無いのだが、雁夜も桜ちゃんもこの一年で『ものまね士ゴゴ』の魔法に深く関わってしまった。雁夜に至っては、幾つかの魔法を取得して使えるようになり、学者としての魔術師と比べれば出来は悪いが、戦士としての魔術師ならばかなりの腕前になっている。 無論、ゴゴとかつての仲間達を元に考えると遠く及ばないが、この世界の魔術師を基点に考えればそれなりの腕前ではある。 そんな、この世界の魔術と体系が異なる魔法を知られれば確実に誰かが探りに来るだろう。もしかしたら誘拐しやすく見える桜ちゃんに危害が及ぶかもしれない、そうならない為に秘匿である。 桜ちゃんが一年かかって学び辿り着いた域に何も知らなかった士郎がこの場で追いつけと言うのは不可能だ。冬木教会に送り届けられた子供達は話をしている最中に飽きてしまい、話しの大半は理解していないと思われる。 安全だと判ってしまうと子供は中々図々しくなるとゴゴは学んだ。桜ちゃんからそれを学ばなかったのは、彼女が自分と雁夜を『保護者』として見ていたからに違いない。機嫌を損ねても良い事は無いと常日頃から考えているのだろう。聡い子供だ。 だから士郎がこちらに怯えてくれるのならばむしろ喜ばしい事態である、おそらく士郎はこちらの話の内容を理解できるかどうかは別にして、一語一句聞き逃さぬよう耳を澄ます。 話し終えるまでは恐れてくれる状態が維持されれば良いと願いながら、ゴゴは話を進めた。 「まず聞け。理解しがたいと思うが、俺は魔法使いだ――」 そして説明が始まる。 「士郎。魔法使いと聞いてお前はきっとほうきで空を飛んだり、動物に変身したり、炎を出したり――立って歩くハツカネズミがほうきに魔法をかけて掃除する、なんてのを想像したか? もしかしたら『魔法なんてある訳ない』って考えたかもしれないが、まあそれはどうでもいい。信じる信じないは勝手だが、話の前提としてまず俺が魔法使いだと知っておけ、そうしないと話が進まないからな」 「お前はテレビや本の中で『魔法』を知ったかもしれないが、本当の意味で魔法を見た事は無い筈だ。何しろ俺達が扱う魔法は徹底的に秘密にする。テレビや噂話で語られる魔法とは全く違う秘密の中の秘密、それが俺達の『魔法』だ。これは血の繋がった家族ぐらいにしか話してはいけない決まりだからお前が知る筈がない。士郎が魔法使いの家系だって言うなら知ってるかもしれないが――。何? うちは普通の中流家庭だって? 小さいのに難しい言葉を知ってるなお前」 「どうして秘密にするのかだって? いい質問だな。返されて怖がるなら始めから言うなよ・・・・・・。話を続けるぞ。たとえば士郎がどんなテストでも100点を取れる方法を知ったとする、お前はそれを友達やクラスの誰かに教えるか? 内緒にするだろ? 自分だけの秘密にして大事に大事にするだろ? 判りにくかったら大好きなお菓子でもいいぞ。一人分しかない大好きなお菓子、お前はそれを前に誰かに食べられる前に食べようとする。それと同じだ、人に知られたら自分の取り分が減る―――自分だけの大事な秘密、魔法っていうのはそういうものなんだよ。それこそ知られたら相手を殺すぐらい普通にやる大事で大切で大きな秘密だ」 「士郎は親から『火は危ないから遊びで使っちゃいけません』と教わらなかったか? 魔法はそういう『危ないモノ』を簡単に起こせる危険な技でな、近所の悪ガキが手も触れずに火を起こせるようになって、いたずらに使ったら困るだろう? お前の家がその悪ガキの気まぐれで燃やされたら困るだろ? 魔法はそういう事が簡単に出来る危険な代物なのさ」 「そしてお前が巻き込まれたのは、『魔法で戦って一番の人がもらう賞品』を求めた殺し合いだ。さっきも言ったが、魔法は基本的に物騒で優劣を決める場合は大抵殺し合う。さっき森の中に居たローブの男――お前を握り潰そうとしたあいつはこの催しの参加者だ。店で何か買う時はお金を払うだろう? それと同じで『強いモンスターを召喚する為』の代価としてお前を殺そうとした。よかったな、あのままだったら殺されてたぞ」 「怖いか? 思い出したら怖いよな。それでも話は続けるぞ、聞けよ、聞けよ? 覚えてるか知らないが、雁夜――降って来て、あのローブの男から士郎を助けた男なんだが、雁夜もこの殺し合いの参加者の一人だ。本来なら士郎は全く無関係で、この殺し合いに全然関わり合いがないんだが、運が悪い事にお前はあのローブの男――キャスターっていうんだが、あいつに目をつけられた。本当に運が悪いな」 「ついでに説明しておくとここは飛空艇ブラックジャック号の中だ。士郎が殺されそうになったあの森の上に滞空してる。判るか? 揺れが少なくてこんな内装だから実感が湧かないかもしれないがここは空の上だ。疑うんならそこの窓から外を見てみろ、冬木市の夜の灯りが見えるぞ」 「訳が判らないだろう? 士郎が知らない事ばかりだろう? それでもこれは本当に起こってる事だ。運悪く巻き込まれて、殺されそうになって、助けられて、驚いて、よく判らない俺から説明されて、飛空艇で空を飛んでいる。全部本当の事だ」 「それでもまだ信じられないなら俺が一つ魔法を見せてやろう。何がいい? 火か、氷か、雷か、風か、透明になるか、分身するか、鯨を呼ぶか、悪魔を呼ぶか、狼を呼ぶか、竜を呼ぶか。一目で判る魔法がいいな。よし、キャスターの魔術にかかったなら士郎の対魔力は低いな、運も悪いとなるとあれが判りやすい」 ほとんど口を挟まず―――あるいはゴゴの話がこれまでの常識とは全く違う事なので、そもそも何を聞けばいいのか判らなかったのか。士郎は何も言わずに黙って話を聞いていた。 だからこそ、ゴゴがする事もどんな結果をもたらすか判らないから、とりあえず何をするのか見届ける姿勢を見せる。話しをする間に今の所は自分を害する事は無いと少し落ち着いたが、それでもキャスターによって刻まれた恐怖はしっかりと残っているのだろう。 ただし、こちらの邪魔をしないのならば逆に好都合。たとえ一部であっても、存分に魔法とはどんな事が出来るのかを教えられる。 ゴゴはまだ桜ちゃんと手を繋いだままの士郎に向けて手をかざすと、物理的な実害はないが目に見える形で非常に判りやすい魔法の一つを放つ。 「カッパー」 次の瞬間、士郎の胸元辺りを中心点として、緑色の球が膨らみ始めた。これはキャスターが子供達の体の中に仕込んだ術式とは異なり、相手に害意を与えるモノではない。太陽の光や電灯の光と同じように、目で捉える事は出来るが人の手では触れられない単なる光だ。 自然の草木や大樹が作り出す緑とは異なる、純色の薄緑。いきなり現れたその光に士郎がビクッ! と体を震わすが、膨らんだ緑色の球体は一秒も経たずに膨張を止めて収縮していく。 何が起こったの? 緑色の光が完全に消えた後で士郎の隣にいた桜ちゃんの目がそう物語っている。 そんな桜ちゃんが見る士郎の姿は別のモノに変わっていた。 「え・・・?」 戸惑いの声をあげたのは士郎ではなく桜ちゃんの方だ。桜ちゃんの手は緑色の光が発生してから消えるまでの間ずっと士郎の手を握っていたが、光が消えると同時のその感触が変わっていたのに気がついたのだろう。 何よりすぐ隣に居る同年代と思わしき男の子の姿がいきなり変われば気にするなと言う方が無理だ。 桜ちゃんと士郎の手は今も繋がれたままだが、桜ちゃんが見ていた士郎の顔があった位置には今は何もない。 士郎の顔はもっと下―――二頭身半で緑色の河童になり、これまで見下ろしていた桜ちゃんを逆に見上げている。 「あ、あれ? 緑、の・・・え? ええっ!?」 自分に起こった出来事を士郎が理解するよりも前に、傍から見ている桜ちゃんの方が起こった事象そのものをしっかり見てしまった。当然、慌てふためくのも桜ちゃんの方が先で、繋がれた手をそのままに口から出てくるのは狼狽だった。 士郎の姿はこの世界、つまりは日本で言う妖怪や伝説上の動物として分類される『河童』になっている。頭の上の皿に、周りを覆う髪の毛、紫色のくちばしと背中には甲羅があり、空想上の『河童』の姿をそのまま見せているのだが、全体的に丸みを帯びてしかも桜ちゃんの身長よりもミシディアうさぎの小ささの方に近づいてしまい、加えて二頭身半のデフォルメ体型だ。 見ようによってはぬいぐるみにも見えるので、あまり恐ろしいとは思えない。 ゴゴにとって『カッパー』はかけた相手の特技を封じる魔法であり、物理的な攻撃ではなくステータス変化による状態異常の一つでしかない。これで恐ろしかったら『カッパー』の魔法に意味がなくなる。あくまで『封じる』のが主体の魔法だ。 なお、魔法に耐性のある者ならば効果は無く、特別な敵に同じ魔法をかけると体色の異なる河童が出来上がるが、士郎の場合は赤毛の河童とはならなかった。キャスターの魔術にまんまとはまった士郎の魔術耐性は無いに等しいのだろう。 見た目の変化でならこれ以上ない判りやすさを誇る状態変化の魔法『カッパー』。 士郎の前に説明した子供達は複数で、『カッパー』は一度に一人にしか効果を発揮できないなかったので前回の説明では使えなかったが、今回は相手が士郎ただ一人なので使える。「・・・か、可愛い、よね?」 動揺を必死に押し隠しながら、それでも相手を気遣う様に桜ちゃんが言うが。疑問すら滲ませたその言葉に説得力は無い。 士郎はそこでようやく空いている方の手を顔の前に持って行き、自分の手が全く別のモノに変わっている事を知る。 頭を下げて自分の体を見る。そして、服が消え、緑色の赤ん坊のようになってしまった自分の体ではない別のモノを凝視する。 見て。 看て。 診て。 視て。 視る。 ずっと桜ちゃんの手を握りしめるのは出来るだけ不安を消し去ろうという現れだろうか? そのまましばらく無言と沈黙が辺りを支配して―――。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんでさ」 子供らしからぬ疲れた口調で士郎がそう呟いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 言峰璃正 急遽、冬木教会へと招いた聖堂教会のスタッフにより、キャスターに攫われた子供達の記憶処理が行われる。 監督役である璃正でも子供から特定の記憶を消して、不法投棄された汚染物質の近くを通り立ち眩みを起こして倒れたてしまった―――というありえそうな理由をでっち上げて偽りの記憶を埋め込む事は可能だ。 けれど子供の数は多く、璃正一人で行うには少々荷が重い。聖杯戦争の調査の為に多くのスタッフに指示を出すリーダーとしての仕事もある上に、間桐への再調査の必要もあったので、人の手を借りる必要があった。 ただし璃正はここで聖堂教会のスタッフに『子供達の身に何が起こったのか?』を正確に報告させるよう追加の指示も出した。 本来であれば記憶の上書きだけで事足りるので、暗示や催眠で子供達から情報を聞き出す必要はない。しかし璃正はあえてそれを行う。 表向きの理由はキャスターの凶行を続けさせない為の情報収取であるが、本当の狙いはこれまで情報を掴ませなかった間桐の秘密を探る為である。 間桐雁夜が連れて来たあの子供達は確実に表に出てこない間桐の秘密に触れている。間桐臓硯の変化の理由にいきなりたどり着けるとは思ってないが、それでも何らかの手がかりを得られるならば行幸と言える。 璃正は本来ならば中立であるはずの監督役だ。しかし時臣の祖父との誓いに従い時臣くんに助力している立場でもある。 傍から見れば監督役として許し難い裏切りに見えるかもしれないが、これは聖堂教会の方針には反していない。聖杯が教会の教義とは無関係の贋作であると既に知っており、教義に抵触しない願いで聖杯戦争を終わらせる為―――そう言った理由に裏付けされた情報収集は必要な措置である。 必要であれば人を欺こう。 必要であれば異端者を葬ろう。 必要であればそれが教義に抵触しない限りどんな事でもしよう。 確かに間桐雁夜に子供達を日常に戻すと約束したが、結界に至る経緯までは確約していない。それに子供達は間違いなく記憶処理を施されて日常に帰っていくので、何も間違った事は口にしていない。 ただ語られない部分が存在しただけだ。 「奇怪な」 そうやって璃正は子供達の視点から見たキャスターの誘拐から冬木教会に至るまでの経緯で何が起こったのかを知り、遠く離れたアインツベルンの森周辺にいる息子の綺礼と全く同じ言葉を口にした。 しかし、そう口にしてしまうのも仕方ない。 キャスターに殺されそうになった子を助けた剣を持った人。 気が付いた時には大きな鳥の背中の上に乗っていた。 小さな女の子と綺麗なお姉さんが助けてくれた。 捕まる所のない空の旅、怖くて怖くて震えていた。 一緒にいた子の中で一人が体調を崩して寝込んでしまう。 突然、現れた鳥よりももっともっと大きな空飛ぶ船。 そこに居た『間桐臓硯』。分裂して増えた『間桐臓硯』。 沢山いたウサギみたいなペット。 聞かされた魔法の存在、その秘匿の重要さ。 冬木市にいる連続誘拐事件の犯人。 安心したら何が出来るのか聞いてみた。 そして目の前が真っ赤になって、その後は覚えていない―――。 子供の口から直接聞き出した情報を統合した今でも信じ難い事だが、冬木市の上空を透明になって飛んでいる巨大な飛行物があり、その中に間桐臓硯がいるのだ。 空飛ぶ船の名は飛空艇ブラックジャック号。 間桐陣営がこちらをかく乱する為に子供達に嘘の記憶を植え付けて送り込んだと言われた方が納得のいく話ばかりだった。しかし、子供達の様子から暗示をかけられた痕跡は発見されず、加えて一人や二人が口にした話ならばまだしも、全員が同じ話をそれぞれの視点で語ったので真実と考えるしかない。 何を考えて子供達にわざわざ状況を説明したのかは判らないが。話の内容が全て嘘だと断言するには早計と言える。 間桐臓硯は間桐邸にもその存在を確認しているので、おそらく子供達の方に説明したのは精巧な偽者か『分身の術』とやらで別れた実体をもつ当人である可能性が高い。蟲使いである間桐臓硯の技の中には、自らが操る蟲で他人の肉体を乗っ取るモノもあるので、分身した別の間桐臓硯はおそらく蟲を用いて作った別人だろう。 しかし自分も含めた聖堂教会の全スタッフ、それに聖杯戦争のマスター二人に大人数のアサシン全員に気付かせない隠密性とは何の冗談か? 今も冬木市の上空を飛んでいる飛空艇の事を考えると璃正の背筋に冷たいものが走る。 綺礼のサーヴァントであるアサシンの諜報能力を上回る隠密性。情報を徹底的に秘匿する魔術師の在り方も手伝い、今の間桐の情報はほとんど表に出てきていない。 これまで調べ上げた『間桐』ではなく、ピエロを思わせるあの間桐臓硯が作り替えた『間桐』が隠匿しているからだ。始まりの御三家として知られてきた間桐に何かの変化が起こっているのは間違いなく、間桐邸から間桐の協力者と思われる男が現れた時から、その『何か』に比重を置いて調査を進めてきた。 だが聖堂教会のスタッフも、マスターである綺礼と時臣くんも、サーヴァントであるアサシンですら、誰一人として冬木市上空の飛空艇の存在に気付かなかった。 間桐臓硯が蟲使いとしての技術や、間桐の魔術属性『水』に変わるモノを手にいれ、そこから更に魔術を発展させたのかと考えていたが。漏れ出でる魔力を完全に遮断した透明な飛空艇となると新しい魔術の次元の話ではなくなる。 飛行船はパイロットだけでは運航できず、冬木市に散らばっている聖堂教会のスタッフの総数を上回る多くの人員が必要不可欠だ。 安全のために定期点検や整備は欠かせず、間桐臓硯が一人で行える筈もなく、息子の雁夜を含めても人手は全く足りない。 倉庫街に現れた男、間桐邸を監視していた綺礼のアサシンを葬った男、そして雁夜に協力している女。間違いなく間桐臓硯に協力あるいは雇われている組織が存在する。 聖堂教会ではない、魔術協会でもない。どちらも飛空艇を一台用意して冬木市に送り込むなど大掛かりな動きがあれば察知できる。表向きは不可侵であるが、両者は不倶戴天の敵として互いを探り合っているのだから。 時計塔がある魔術協会の本拠点から離れたアメリカ圏、あるいは間桐臓硯―――マキリ・ゾォルケンの故郷と言われているロシア圏に存在する組織と接触して聖杯戦争の為に呼び込んだ可能性がある。 璃正は飛空艇を直接見てないし子供の口から語られた内容からの推測なので、本当に冬木市の上空に飛行物体があるのかはまだ不明だ。しかし、これが真実ならば巨大な飛行物を完全に隠蔽できるだけの魔術を常に使い続けている事になる。 表の世界にはSF作品などで語られる『光学迷彩』なるものが存在するが、科学技術での実現にはまだ至っていないのが現状。ならば確実に魔術を使って透明になっていると考えるべきだ。 明らかに個人で出来る魔術の範疇を越えている。消耗される魔力は冬木の聖杯が60年かけて溜め込む膨大な魔力に匹敵するだろう。 「厄介な事態が起こっている――」 起こっている事態を大まかに口にすれば、璃正の頭の中に飛空艇以外の事柄も触発されて浮かび上がってきた。 子供達の口から語られた間桐臓硯と一緒にいた小さな女の子はおそらく遠坂から養子に出された桜だ、正体が判っているのだからそちらは後に回す。 だが子供達を助けた綺麗なお姉さん―――間桐雁夜に同行して教会に現れた女の正体は全く判らない。璃正もみた巨大な鳥は膨大な魔力を放っており、サーヴァントには及ばずとも使い魔の格はかなり高位であるのが見て取れた。 おそらくあれで上空と地上を行き来しているのだろう。 ますます間桐が持つ戦力が増強されていくのを感じながら、間桐雁夜に語り聞かせたようにキャスター討伐の為のルール変更を更に変更しなければならないと本気で思案する。 間桐臓硯はこの第四次聖杯戦争で今まで以上に表立って活動し、第三次聖杯戦争が比べ物にならないほど自発的に動いている。同時期に別々の場所に存在する幻だか蟲で作った別物で動き回り、他のマスター達の目に我が身を晒しても構わないと見える。 冬木教会に現れた時に聞いた『在りもしない幻想』の言葉が何を示すのかはまだ判らない。だが間桐陣営が本気で聖杯を奪いに来ている事は行動から嫌でも判る。 「・・・・・・・・・」 璃正は考える。 綺礼のアサシンと聖堂教会のスタッフが仕入れた間桐陣営の情報を他のマスターに流し、共倒れを狙いつつキャスター同様に『聖杯戦争、継続の危機』で間桐に関わる全ての事柄を排除する必要がある。 まだ草案の段階だが、これは時臣くんに聖杯を託すために必要な措置だ。綺礼が戻り次第、詳細な情報のすり合わせを行い、魔導機による話し合いの場を設ける必要がある。璃正はそう考えた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 ティナが呼び出した幻獣『ケーツハリー』に跨り、雁夜は空飛ぶ間桐の拠点―――飛空艇ブラックジャック号へと帰還している最中だ。 帰りも行きと同じように、ティナと背中合わせに腰かけて前方と後方をそれぞれ注意する構図は変わっていない。違いは子供達の有無と雁夜がポシェットの中に入れてある魔石からエメラルドグリーンで実態があやふやな幻獣『ファントム』を呼び出している事。 雁夜が以前この幻獣を呼び出した時。飛空艇ブラックジャック号を丸ごと包み込む巨大な効果範囲を作り出した。けれどあの時に比べればこの大きな鳥でも比べ物にならない小ささとなる。ゴゴの、いやティナの魔力で自分を回復させた為、この調子なら丸一日魔石から幻獣を召喚し続けられるだろう。 夜の闇に紛れると同時に発動させて監視の目をかいくぐる為だけなので、そんなに長時間召喚し続けるつもりはないが、それでも自分の魔力復活と一緒に消耗の低さを感じる。 まさかキャスターから生き延びる為の最後の手段として用意しておいた魔石を単なる帰還の為に使うとは思っていなかった・・・。雁夜は自分の上に浮かぶ緑色をした笹の葉を何本も何十本も何百本も繋ぎ合せたような『ファントム』を見上げながらそう思う。 「・・・・・・・・・」 言葉少なくなるのは背中を合わせて後ろにいる女と何を話せばいいか判らなくなっているからだ。 ブラックジャック号から突き落とされた時は出会いがしらに一発殴ってやろうと思っていたし、ゴゴがこの姿に変わった時は何も気にせず話せていた。 けれど今は違う。 いっそものまね士ゴゴの姿に戻ってくれれば悪態の一つや二つどころか百個ぐらい言えるのだが、相手の見た目が自分より年下の女であると調子が狂う。 言峰璃正を言葉で欺いた高揚感は既になく、周辺の監視を行う緊張感はあっても戦っていた時の昂ぶりはもう消えている。今の雁夜にあるのは間桐邸に戻ってから一年間全くなかった見知らぬ女と二人きりになる状況への困惑だけだ。 中身がゴゴだと判っている筈なのに、背中から伝わる柔らかい感触は間違いなく女のそれだ。子供の桜ちゃんが持っている暖かさとも、歴戦の戦士の様なゴゴの固さとも大きく異なる。 一年前に葵さんと会った後なら耐性は出来ていたかもしれないが、この一年ほぼ修行ばかりの毎日だったので、異性に会う機会など桜ちゃんを除けば時折出かける時にすれ違うどこかの女かどこかの店の店員ぐらいである。 気まずい。 これほど今の状況を言い表す判りやすい言葉が合っただろうか? いや、ない。 いつ襲ってくるかもしれない敵に対して緊張を維持しているくせに、その反面、感情はぐちゃぐちゃによく判らないテンションを作り出している。 「・・・・・・・・・」 結果、背中に感じる暖かさに翻弄されそうになるのを耐える時間が過ぎてゆく。 幻獣ケーツハリーの下。眼下に見える冬木市では今も戦いがどこかで起こり、キャスターを逃した結果どこかでまた暴威が振るわれるかもしれないと判っていながら、自分の余裕とも思える感覚は何だろうか? 雁夜はふと自分の事を考えた。 自分はこの一年。いや、間桐邸に戻り桜ちゃんを救うために奮闘し続けていながらも、『間桐雁夜』という人間そのものについては全く変わってないと思っている。 今も遠坂時臣への怒りは健在であり、間桐を捨てた自分がいたから桜ちゃんが地獄を味わう羽目になったのだと罪悪感もある。 『桜ちゃんを救う』、ゴゴと出会った時に行動の指針としたあの言葉は何も変わらず雁夜の中にも存在するが、今は後ろにいる―――ゴゴの変身した姿だが―――ティナへの接し方をわざわざ考える緊張の中のゆとりがある。 間桐臓硯がいなくなったからか? 兄が間桐邸から出て行ったからか? ものまね士ゴゴが協力してくれているからか? 桜ちゃんを救う手立てを多角的な観点から見ているからか? 一年前には無かった自分の技術の向上故か? 御しているとは言い難いが、バーサーカーと共に聖杯戦争を戦っているからか? それとも、もっと別の何かか? 答えが自分の中にある気はするのだが、その答えが言葉にならず喉の奥で留まっている。戦いにおいて緊張しすぎて自然体でいられなくなるのはむしろ喜ばしい事だ、けれどその理由に至れないのは少々気味が悪い。 どうして自分は目的以外の事に目を向けられるのか? 場合によっては間桐雁夜にとって害悪にしかならない事を自らがやってしまう矛盾。戦いにおける適度な脱力と言う観点では問題ないが、自意識の中では罪となる。 何故か? この心は何なのか? もう一度その答えを探ろうと思考の海に自らを投げ出そうとしたが、耳に届いた囁きが雁夜の意識を強制的に現実へと引き戻した。 「あ・・・・・・」 声の出所は後ろのティナだ。 少なくとも雁夜の見える範囲に異常は見当たらず、何でもない独り言のようにも聞こえた。それでも意味のない呟きだと確認できるまでは安心できない。 サーヴァントの中には自ら飛べる者はいないようだが、ライダーの飛行宝具の様な代物を有しているサーヴァント、あるいはマスターがいるかもしれないのだから。 ゴゴと同じ事が出来る化け物がいるとは思えないが、ただ飛ぶだけなら魔術師でも可能だ。そして璃正神父にこちらの手の内を知られ、セイバー陣営とキャスター陣営にも『空の上』という新たな拠点を知られてしまった。雁夜の未熟な透明化ではこの状況すら看破されている可能性もあるので、察知されている可能性も考慮しなければならない。 「どうかしたか?」 答えを求めてティナに問いかけると、要領を得ない回答が返ってくる。 「飛空艇の方でちょっと問題が起こったみたい――」 「敵か?」 「ううん。そうじゃないけど・・・・・・」 ティナ、いや、ゴゴにしては歯切れの悪い物言いだったので、余計に気にかかる。 少なくとも雁夜が接してきた『ものまね士ゴゴ』という存在は言い難い事だろうと歯に衣着せずに何でも言うし、その言葉で雁夜が傷つこうと全く気にしない。 間桐臓硯として外に出る時は『ストラゴス』という爺の物真似をして、外向けの口調で喋っているが、主に鍛錬の時など二人きりの時は言い淀む事態そのものがありえなかった。 おそらく『ティナ・ブランフォード』を物真似しているからなのだろうが、この人格からして全く別人にしか思えない様子が雁夜の中に盛大な違和感を作り出す。 いっそ、姿は違っても話し方はいつものゴゴであって欲しいとすら思えてしまう。 「けど?」 「あっちの私が子供に『カッパー』をかけたの」 「・・・・・・おい」 「怒らないで。怪我はしてないし、もう一度『カッパー』をかけてすぐに戻したから」 「そういう問題じゃないだろうが!!」 思わずいつもゴゴと話す調子で後ろのティナに話して、一瞬だけ、強く言い過ぎたか? と後悔が浮かび上がるが、ゴゴに話す調子はそのままだったので口は止まらない。 「あれだろ? あのよく判らないデフォルメされた河童になる魔法だろうが?」 「そうね・・・」 「俺だって最初に喰らった時は半狂乱したんだぞ。殺されかけて気絶してた子供にそんなもんかけたらショック死してもおかしくないぞ、おい」 「そうなの、今その子――士郎って名前みたいなんだけど、泣いちゃったのよ・・・」 「それだけで済んで良かったと思うべきか、最初っから『カッパー』なんてかけるなと怒るべきか・・・」 「ごめんなさい。もうしないわ」 「二度とするな」 背中を合わせているのでティナの表情は見えないが、心なし触れ合っていた背中の部分が小さくなった気がした。 後ろを振り返って見ると、肩を落として少し前屈みになっているアッシュブロンドの髪が見える。 風に乗って流れたポニーテールと身に着けているヴェールが頬をくすぐり、露出した肩がしっかりと目に焼き付いてしまう。 「・・・・・・・・・」 実際に見た訳ではないが、悪いのは飛空艇の方で無茶をしたゴゴだ。つまりここにいるティナの本家本元が仕出かした事なのだから自分にこそ正しさがある。 だが、目の前で落ち込まれると困るのも確かだ。 今からでも前言撤回すべきか・・・。何とも女々しい事を考えている自覚はあったが、ティナの見た目が大人であっても『女』であるだけで、何かこちらが悪い事をしている気になってしまう。 どうする? どうする? どうする? 「と、とりあえずブラックジャック号に戻ってからだな」 「・・・・・・」 前を向きながらそう言ってみるが、ティナからの返答は無かった。音や声は聞こえないが、もしかしたら涙ぐんでいたりするかもしれない。 ものすごく気まずい。 これほど今の状況を言い表す的確な言葉が合っただろうか? やっぱりない。 雁夜は先程考えていた余裕の有り無しをもう一度考えられず、ひたすら周囲の景色を見ながら早く飛空艇に到着してくれと祈り続けた。 もし敵の襲撃があったら呆気なく撃沈されたかもしれない。 結局、ブラックジャック号に到着するまで二人の間に会話は無かった。 甲板に降り立つと同時にティナはケーツハリーを消してしまい、雁夜は甲板の上に放り出されるところだった。 言葉無く行われたその行動がティナの『話したくない』という意思の現れのように思えて、雁夜はますます気まずくなる。 ティナの顔はよく見えなかったが、もし目尻に涙を浮かべていたりしたら謝るべきだろうか? 敵との戦いは『敵は殺す』を最終目的にしてひたすら行動すればいいのだが、これは数ある選択の中からそもそも回答があるのかどうかすら判らない難題だ。 二本の足で甲板の上に降り立ちながら、話しかけると言う選択肢を最初から放棄するようにファントムの方に意識を向けて、魔石へ戻す。 魔力供給を止めると実態があやふやな幻獣はポシェットの中へと吸い込まれていき、緑色に輝く魔石の中に納まっていった。 甲板の中央にある操舵輪を見ればものまね士ゴゴがそこにおり、片時も手を離さずに飛空艇を冬木市上空に滞空させている。だが階段を下りた屋内にもう一人ゴゴがいるのを知っているので、あれもまた同一の存在でありながら別のゴゴなのだと改めて認識する。 ティナもまたその『別のゴゴ』の一人であるように―――。 「え、と・・・」 恐る恐るティナを探してみると、階段を降りてゆく彼女の後ろ姿が見えた。助け出した子供の様子が気にかかるのだろう、きっとそうだろう。そうやって自分に言い聞かせながら、雁夜もまたその後を追う。 「無事、子供達を送り届けたようだな。雁夜」 「アサシンとの交戦ぐらい覚悟してのに、何もなくて拍子抜けだ」 「そうか。次に備えてしっかり休めよ」 途中、操舵輪を握るゴゴが話しかけて来たのでいつもの調子で返した。 間違いなくこの姿からティナの姿に変身しているのを見ているのに、どうしても別人のように話してしまう。雁夜は見た目の違いと言うより、ゴゴが複数人いられるこの状況の不条理さに少しだけ怒りを覚えながら、階段を下りて子供の姿を探す。 ティナ曰く、名前を士郎という。 キャスターに殺されそうになった不運な子供、結果的に雁夜の攻撃が間に合って死なずに済んだが、それでも殺されかかった記憶がしっかりと刻まれてしまった子供。 桜ちゃんが間桐邸で間桐臓硯に虐待の記憶を刷り込まれたように―――。 間に合ったのだからいいだろうという納得と、自分の未熟さが招いた不甲斐なさを同時に味わい。雁夜はティナの事は別にして沈黙してしまう。 もっと自分が強ければ。 もっと自分の運命に抗えていたら。 もっと自分に勇気があれば。 頭の浮かぶのは後悔ばかり。一応は『それでいいだろう』と思えても、やはり後ろめたさの方が強く雁夜を蝕んでしまう。 「・・・・・・・・くそっ!」 その後悔しない為の一年間鍛えてきたにもかかわらず、湧き出る心は決して止められない。キャスターと真っ向から戦う力を手にいれても、璃正神父を煙に巻く度胸を持ったとしても、決して消えない間桐雁夜の罪。それこそが今の自分の源泉だ。 沈みそうな気持ちをそのままに、けれど足はしっかりとした歩みで子供の姿を探し続ける。すると雁夜の耳が飛空艇の中ではあまり聞かない声を捉えた。 泣き声だった。 間桐邸ならごく稀に桜ちゃんの泣く声を耳にする事はあるが、男の子の泣き声はしばらく耳にしていない。街を歩けば時折、耳にする事もあるが、手を伸ばせば届くような近くから聞こえてくるのは稀、そして自分がそこに向かっているのも稀だ。 その音に誘われてブラックジャック号の一室へと向かい、そして中途半端に開かれたドアから中を覗くと―――。 「ひっく、ぐすっ・・・。うう・・・ふっ、ぐすっ」 椅子に座りながら目に片手を当て、もう片方の手を隣に座った桜ちゃんに握られ。逆方向に腰かけたティナに肩を抱かれている赤毛の男の子の姿が目に入ってきた。 大人の女性と自分より小さい女の子、大人の視点で見ればその二人に心配されている微笑ましい光景なのだが、ここにゴゴが居る以上理由の大半は確実にゴゴへと集結していく。 雁夜はただ一人つっ立って、椅子に座る三人を眺めているゴゴへと近づく。 壁近くにはミシディアうさぎが群れを成していたが、桜ちゃんがゼロを離しているからか、輪を作って何やらむぐむぐ言っている。 ミシディアうさぎ同士で情報交換でもしているのだろうか? ゴゴはただ宝具によって分裂しているだけのようで、立っているゴゴは操舵輪を握っていたものまね士ゴゴと全く一緒だ。 ティナの話と今の状況。『カッパー』を受けたから泣いているのだと推測しながらゴゴの隣に並び、同じように椅子の上の三人を眺めつつ話しかける。 「何をした、ゴゴ?」 「戻ってきていきなりそれか」 「ここで何かするならお前しかいないだろうが」 ティナの言質もあるので、キャスターの恐怖よりゴゴの破天荒さに振り回された結果が今だと考えた方が納得がいく。 少しだけ怒気を込めて告げると、ゴゴはいつもと変わらぬ淡々とした口調で返してくる。 「大した事じゃない。少し河童になっただけだ」 「本当だったのか・・・・・・」 ゴゴの―――正確に言えばこの世界とは別の魔術体系の中にある魔術ならば、聖杯戦争に備えて覚える必要が無い。だから雁夜は『カッパー』の取得をすぐ諦めたのだが、その魔術の凶悪さはよく知っている。 何しろ修行の中でゴゴが魔法を使って、その魔法を耐える場合もあったのだ。雁夜が覚えた『ブリザガ』もまたそうやって覚えた魔法の一つで、間桐邸の地下を埋め尽くす氷の柱の中で意識が遠のいていったのをよく覚えている。そして『カッパー』を喰らって河童になったのも実体験済みであり、自分の体が別のモノに変わってしまった恐ろしさもよく覚えていた。 はたから見れば二頭身半の河童はぬいぐるみの様で可愛らしいと言えるかもしれないが、自分の体への愛着から、変化した状況には寒気しか湧かなかった。 物理的な攻撃は何一つ受けていないにもかかわらず、自分の体が別のモノに変わってしまう。しかも恐ろしいのは、その二頭身半の体を自分の体だと認めてしまっている状況にこそある。 同じ魔法をかけられたらすぐに戻る魔法だが、あの変わった後の河童が自分の体である違和感が存在しないのだ。『カッパー』をかけられた後、頭のどこかでこれは紛れもなく自分の体だと認めてしまう。 人の手も、腕も、胸も、腹も、腰も、腿も、足も、指も、首も、頭も、何一つ元の造形が無いにも関わらず、河童の自分を認める自分が存在するのだ。あの時ほどゴゴが旅した世界の魔法を恐ろしいと感じた事は無い。 なお、ゴゴの話では河童状態でのみ装備できる特殊な武器防具があるらしいが、名前は『沙悟浄の槍』『皿』『アーマーガッパ』『甲羅の盾』と雨合羽をひっかけた武装もあるらしく冗談にしか聞こえなかった。 とにかく『カッパー』の魔法は使えないが、この魔法の精神的ダメージがとてつもなく大きいのは雁夜もよく知っている。無力感を人に与えると言う意味で拷問向きの魔法だと考えている位だ。 ゴゴの魔法で何度か殺されて幾らかの耐性が出来ていた雁夜だからこそ、最初に喰らった時はすぐに復活できたが。何も知らない子供がいきなり河童に変身させられた衝撃はどれほどのものか? あまりのショックにこのまま廃人になるんじゃないか―――。少なくともトラウマになるのは間違いない。きっとこの子は河童にされた自分を夢に見るだろう。 「で、この状況――。どうするつもりなんだ?」 「最初は他の子供と同じように冬木教会に連れて行くつもりだったが、あの姿を見るとさすがに心が痛む。自分の魔法が作り出した後始末はつけないといけないな」 「一方的にお前が悪いんだから当然だろうが」 「巡り合わせの悪さだ。雁夜も裏の世界、特に魔術が関わると理不尽が山のように押し寄せるのをよく知ってるだろう?」 「それは、まあ」 ゴゴの言う『心が痛む』がどこまで本気か判らないが、とりあえず往復してきたばかりの冬木教会にもう一度行く事態は起こらないようなので、それは安堵すべき事柄だった。 あそこは雁夜が敵と認めた勢力の拠点なのだ。今回は突発的な訪問だったので何の問題もなく終えられたが、再訪問した時に罠の一つや二つや三つや四つ張られている可能性がある。アサシン陣営が一つで遠坂時臣のアーチャー陣営がもう一つ、ついでに言峰璃正も敵に回れば合計三つほど罠が合っても不思議はない。もう一度行けと言われるのは御免こうむる。 しかも璃正神父に見られているのだから高確率でもう一度ティナと組み合わせられるだろう。 気まずさ故に、更に御免こうむる。 「迷子札でもあれば話は早かったが士郎は持ってない。落ち着いて話しを聞けるようになったら、住所を聞いて送り届ける」 「記憶操作はしなくていいのか? 魔術の事を話されるとあの子の身が危険になるぞ」 「まだその魔術は物真似してないから不得手でな。秘密を厳守させれば大丈夫だろう」 「あれだけ怯えて泣かれるとな・・・・・・言う気も無くす、か」 そう言いながら雁夜がもう一度子供―――士郎を見ると、桜ちゃんに手を握られた状態で泣くだけではなく小刻みに震えてもいた。どう見ても話しを出来る状態ではなく、秘密は守るだろうがキャスターとは別の意味で心に傷を負ったのは確実だと判る。 ただ、今日初めて会うのに甲斐甲斐しく世話している様に見えてしまう桜ちゃんとティナの姿に少し羨ましさを感じてしまう。 きっと雁夜に助けを求めた時と同じで『助けなければならない』と義務感が働いているのだろう。 決して嫉妬ではない。 そのまま桜ちゃんが士郎の手を握り、ティナが士郎の肩を抱き、自分とゴゴは案山子の様につっ立って、ミシディアうさぎ達はむぐむぐ話し、士郎が泣き止むまでしばらく時間を要した。 30分か40分ほどだろう。ただ待ち続けるだけの時間は中々苦痛だった。 子供の泣き声がブラックジャック号の中に響き渡った時間。 これまでに感じた事の無かった長い長い時間。 時を隔て、ようやく士郎が落ち着きを取り戻すが、雁夜から見た子供の目にはしっかり恐怖が刻まれていた。 「さて!」 いきなり大声でそう言いだしたゴゴが一歩前に踏み出すと、士郎はビクッ! と体を震わせてゴゴを見上げる。 縋る様に肩にあるティナの手と桜ちゃんの手をそれぞれ握り、助けを求めるようにギュッと握りしめている。 明らかに河童にされたゴゴに怯えているのだが、当人は全く気にせず近づいていく。そして大人の背丈と座る子供が作り出す身長を使い、上から見下ろして告げる。 「士郎。これから言う事をよーく聞け」 「う・・・・・・うん」 「さっきも言ったが魔法は秘密にしないといけない。だけど士郎は知ってしまった。魔法が行きかう裏の世界は物騒でな、魔法の存在が人に知られないように口封じに人を殺すなんて普通にやってのける危ない場所だ。あの『河童』が優しいと思えるほど残酷な殺され方をされる時もある」 「――ひっ!」 「だがお前が黙ってくれれば特に問題は無い。せっかく助かった命だ、余計な事を言って殺されたくないだろう?」 ゴゴが見下ろしながらそう言うと、士郎は首が飛ぶんじゃないかと思える位に高速で頷いた。 何回も何回も何回も何回も。 「よろしい。じゃあ、お前を家に送り届けるから住所を教えろ。警察に届けてもいいんだが、この格好は怪し過ぎてこれまで何度も職務質問されててな、俺は警察にはよく思われてない。町の外れに下ろしてやってもいいが、子供の足じゃ帰れないだろう?」 今度の頷きは前回に比べて数が少なかったが、目に浮かんでいる恐怖はそのままだ。この調子でどんどん追い詰めていけば折角泣き止んだのにまた泣くに違いない。 雁夜としては桜ちゃんとの付き合いで『女の子』ならば、ある程度は対処できる自信はあるが『男の子』は少し苦手だ。何故なら、周囲に対象がいなかったからだ。判らないからどう接すればいいかも判らない。 こっちの言う事を何でも聞いてくれそうな今の状況は望ましいのだが、泣かれたら困るので下手に口も手も出さずに見るだけである。 黙って二人のやり取り―――ゴゴが一方的に喋ってそれに対して士郎が恐る恐る答えているのを黙って聞いていると、どうやら士郎の家は現在建設途中の冬木市民会館の近くにあるようだ。 間桐邸は深山町にあり、新都に行くためには冬木市の中央を分断する未遠川にかかる冬木大橋を渡って行かなければならない。そう、ついさっき冬木教会に出向いたように―――、目的が無ければそもそも近付かないのが冬木市の新都だ。 雁夜は同じ冬木市の中にあっても接点のない冬木市民会館の事など殆ど知らない。それでも地理上の場所を知識として知っていたのは、そこが冬木にある霊脈の中で聖杯降臨に適した四番目の場所だからに他ならない。 一番目は言うに及ばず、地下に大聖杯が設置された円蔵山。 遠坂邸は二番目で、先程、璃正神父と話した冬木教会は三番目になる。 そしてたまたま冬木市民会館建設予定地として選ばれたのが、四番目の霊脈がある場所だ。 雁夜が知る限り、冬木市で聖杯降臨の儀式を行うならば、このどこかでやるしかない。これは間桐臓硯の遺物を漁っている内にゴゴが発見した情報だ。よって、士郎の家はどこにあるか? という疑問はすぐに解消される。 冬木市郊外にあるアインツベルンの森からは距離はあるが、今乗ってきた『ケーツハリー』よりは早く移動できるだろう。届けて終わり。そんな言葉が脳裏に浮かんだが、物事を複雑怪奇にして余計な事を色々仕出かすのがゴゴである。 それは士郎を新都の家に送り届けようと行動指針が固まった所で起こった。 「あ・・・、の・・・」 これまで問われるまでは言葉一つ吐かなかった士郎が初めて自分から言葉を言いだしたのだ。 脇に居る桜ちゃんへの言葉ではなかった、同じく隣に居るティナに向けての言葉でもなかった。状況から話しかけてくるゴゴをこの場所でいちばん偉い人だとでも思ったのか、無謀にも今の今まで自分を脅していたゴゴに向けて話しかけたのだ。 無謀だ、絶対痛い目にあうぞ―――。そう言いたくなったが、部屋から去ろうとしたゴゴは既に振り返って聞く体勢に入っており、ここで自分が横槍を入れても会話は成立してしまう。 こうならないようにする為には自分から士郎に話しかけてゴゴとの接点を減らすべきであった。しかし巻き込まれた子供でしかない士郎がこの状況下でどんな事を言うのか気になったのも紛れもない事実。 雁夜は息をひそめ、まだ涙目の士郎の言葉を待つ。 「あ・・・、の――。あの・・・。たすけて、くれ・・・て。ありがとう、ございました」 雁夜はこれまで『桜ちゃんと同じぐらいの男の子』と接する機会が皆無であった。だから、聞こえてきた言葉をしっかりと胸に刻んで、その意味を理解すると同時に、まず驚いてしまった。 最初に飛空艇の中に連れてきた十人ほどの子供達は調子に乗っていたかもしれないが、少なくとも目の前に居る士郎は助けられた事に対して礼を言える子供だった。 この状況でありがとうと言える子供がどれだけいるだろう? 少なくとも雁夜が同じ状況に陥ったら礼を言うなど到底不可能だ。 もしかしたらこの世の中は雁夜が思っているよりもしっかりとした子供が沢山いるのかもしれない。今までは桜ちゃんの事ばかり気にかけていて、一年以上前はそこに凛ちゃんが加わっていたが、他の子供の事など考える機会すら無かった。 改めて士郎を眺めると、恐れを目に宿しながらもまっすぐゴゴを見上げている。 『カッパー』で魔法の恐ろしさを十分に味わっておきながら、それを必死に隠そうとしている。大した男の子だ。 予想外の言葉に感嘆の声をあげそうになったが、続く士郎の言葉で事態は一変した。 「こわい、けど。その・・・、正義の味方、みたい、で・・・」 士郎がそう呟いた次の瞬間、ゴゴの手が士郎の胸倉に伸びていた。 止めるとか、阻むとかそう言った制止の行動を脳裏に思い浮かべるよりも早く、結果だけが目の前に存在する。意識を士郎の方に向けていたから、ゴゴの動きを見逃したのだが、例えずっと見続けていても反応できなかったかもしれない驚異的な速度だ。 そして雁夜の目の前でゴゴは士郎の胸倉を掴み、力任せに持ち上げる。 「聞け、小僧――。俺を正義の味方と呼ぶな」 「う、ぐ・・・」 これまで士郎の手は桜ちゃんの手とティナの手をそれぞれ握っていたが、ゴゴが持ち上げた事でその両方から解放されてしまった。 士郎はただ一人でゴゴに胸倉を掴まれており、天井に当たりそうな高さに持っていかれている。ゴゴの手は首を絞めるほどの強さではないようだが、それでもいきなりの暴挙に子供の体力では苦しそうだ。 子供でもかなりの重量はある筈だが、ゴゴはそんな事を気にせずに片腕で士郎を持ち上げている。 「覚えておけ小僧。俺は正義の味方なんかじゃない――、それが得になる事なら俺は何だってする。人の物を壊そう、裏から人を操ろう、騙しもしよう、他人の願いを踏みにじろう、知られたくない秘密を暴こう、人を殺そう。法が悪と断じる事柄であろうと何のためらいもなくやってのける。いいか、士郎。お前はただ運が悪くて運が良かっただけだ。断じて『正義』に助けられた訳じゃない、冗談でも俺を『正義の味方』なんて呼ぶな。不愉快だ」 ゴゴはそう言うと胸倉をつかんでいた手を開いて士郎を解放した、支えを失った士郎の体は呆気なく元の椅子の上に落下して、ドスン、と音を立てる。 喉の苦しさと椅子に当たった腰の痛みに悶絶し、士郎は荒い呼吸を何度も繰り返す。ゴゴの方を見上げる余力を完全に失ったようで、喉に手を当てながら下を向いていた。 目の前でいきなり起こった出来事で雁夜がまず思ったのは、あまりにもゴゴらしからぬ行動の真意がなんであるかの疑問だった。何故、ゴゴはあんな事をした? 真っ先にそう考える。 怒気を放ったように見えるが、言葉とは裏腹に雁夜は全くゴゴを恐ろしいとは思わなかった。言葉では怒っている様に見せていたが、ゴゴが本気で怒ればあの程度で済まない。 鍛錬の間、巨大な野生の獣を前にしたような感覚で足がすくみ、殺気と呼ぶしかない強烈な気迫に何度も何度も晒されたからよく判る。本気でゴゴが怒れば士郎は既に死んでいる、雁夜がこれまで何度も殺されたように呆気なく死んでいる。 だから、あれは演出だ。 児戯と言ってもいい。 とにかくゴゴはそう『見せかける』ことで、士郎の言葉を封じ込めた。その行動が何の意味を持って行われたのか? 雁夜はそれを必死で考えるが、答えは出ないまま各々が行動を起こしてしまう。 ゴゴは再び踵を返して部屋の外へと向かい、ティナはもう一度士郎の肩を抱きながら背中をさする。桜ちゃんはティナの抱擁と言ってもよい世話に士郎に声をかけたりする機会を逸し、代わりに部屋を出て行くゴゴへと向かって走り出す。少しだけ眉間に皺が寄っているのが見えたので、桜ちゃんは怒っているようだ。 雁夜はティナと桜ちゃんの両方を見比べ、ティナがティナのままでいるならばゴゴとしての話しは聞けないと諦める。一秒ほど遅れて桜ちゃんの背中を追い、甲板に出ようとするゴゴを一緒に追いかけた。 「あんなこと言うなんて――ゴゴ、ひどい」 そして部屋の外でゴゴに向かって静かに怒鳴る桜ちゃんに追いついた。 部屋からは若干距離があるが、それでも扉が開いていれば士郎達に聞こえてしまうだろう。そう思っていると、ミシディアうさぎの一匹が雁夜の後ろから出てきた扉を押していた。 帽子の部分に『0』と描かれていたので、桜ちゃんの使い魔になったゼロだと判る。主の後を追いかけるゼロ、残った九匹は部屋の中で士郎を慰めているのかもしれない。 人の為に作られた扉をミシディアうさぎの小ささで閉めるのは困難の様で、雁夜はそっと扉を押してゼロの手助けをする。扉が完全に閉まると下からゼロが見上げてきて、むぐむぐ、と鳴いた。何を言ってるのか判らなかったが、何となく『なんたる抜け目のなさ、でかしたぞ雁夜』と言ってる気がする。 視線を合わせていたのは一瞬で、すぐにゼロは主人の元へと走ってゆく。雁夜はそのゼロの動きと対峙するゴゴと桜ちゃんを全て視界に収めながら傍観した。 「お礼を言ってたのに、あんなことするなんて――」 「桜ちゃん」 「なに!?」 桜ちゃんはずいぶんとご立腹のようで、間桐邸ではほとんど見ない不機嫌さを表情にして、ゴゴを睨んでいた。どんな感情であれ、無感情よりはいい。表に出るのは喜ばしい事だ。 けれど、桜ちゃんが怒っている姿など見たくは無いと言う矛盾を考える。 雁夜は下手に関われば桜ちゃんの怒りがこちらに向くと思えたので、傍観を続けた。 するとゴゴは士郎の時とは違い、しゃがんで桜ちゃんと頭の高さに視線を動かして静かに告げる。 「『憧れ』とか『希望』なんてモノは魔術に見るべきじゃない」 それは何の感情も込められていない言葉だったが、不思議と反論できない妙な雰囲気を持っていた。桜ちゃんもその奇妙な力強さに気付いたようで、怒りながらも言葉を詰まらせている。 「正義は『人として行うべき正しい道』として使われる言葉だ。でも人によって『正しさ』なんてモノは簡単に形を変えて、全く同一の『正しさ』はどこにも存在しないあやふやで不確かなものなんだ。『正義』は存在しない。あるとすればそれは人によって違う自分だけのモノだ」 ゴゴの言葉には怒りも喜びも悲しみも楽しみもなく、ただ事実だけを淡々と語っていく。 「桜ちゃんには桜ちゃんの正義があり、雁夜には雁夜の正義がある。もちろん俺にも俺の正義があって、物事を決める時に正しいと思う何かを自分の中に持ってる。たとえば桜ちゃんはキャスターに浚われた子供達を助ける為に俺と雁夜に協力してとお願いした、それは桜ちゃんの『正義』だろう?」 「・・・うん」 徐々にゴゴの言葉に桜ちゃんの怒りが圧倒されていく。 「だが、雁夜以外の聖杯戦争のマスターの中には目の前で子供が殺されようと聖杯さえ手に入れられればそれでいいと思ってる奴もいる。そういう輩にとっての『正しい行い』っていうのは敵であるキャスターを倒して自分達が聖杯を手に入れる事で、キャスターの行動はどうでもいいんだ。もっと極端に言えば、子供が殺された結果で聖杯が手に入るなら、見殺すのが『正しい』のさ」 「そんな――」 「桜ちゃんがそれを間違ってると思っても、人によってはそれが『正義』だ。人は生まれや環境が違うし、性別も考え方も何もかもが違う。同じ『正義』なんてどこにもないんだよ、桜ちゃん」 そしてゴゴは士郎に怒鳴りつけた言葉の真意―――そうすべきだった事柄を桜ちゃんに説明する。 「士郎の目は『魔法』の力を恐れてたが、憧れてもいた。しかも助けられた状況をどこかのヒーロー戦隊と被らせて、俺達を一緒にしようとしてる。だが『魔法』は単なる技術でしかなくて、『正義の味方』なんてのはテレビの中にしかいない作り話だ。ありもしない幻に振り回されるより、本当の事を知っておいた方がいい。ただ『魔法』を知っただけの一般人が関われば、殺される可能性の方が強い。せっかく拾った命――、魔法とか魔術とかに関わらず、大事に使ってほしいんだよ」 「・・・・・・・・・・・・」 これ以上、士郎が関わるのを防ぐ為。つまり、助ける為にああ言ったのだと言われてしまい、桜ちゃんはそれ以上を言えなくなってしまった。 不満げな顔が感情に任せて色々言いたい様子を表していたが、自分達と巻き込まれただけの一般人とでは状況が違いすぎる事は桜ちゃんが誰よりも一番よく知っている。大人の都合で振り回され、間桐臓硯に地獄を見せられた桜ちゃんだからこそ、魔術が作り出す暗い部分に触れれば不幸しか生み出さないと判ってしまう。 大人と子供では主義主張で同じテーブルにつく事すら出来ないと桜ちゃんは知っている。 多くの体験が桜ちゃんを聡い子供にしてしまった。それは姉の凛ちゃんの背中に隠れていた時と比べれば成長と呼べるかもしれないが、多くの不幸を知る事で世界に絶望しているからではないだろうか? 黙り込んでしまい、足元に居るゼロを持ち上げながらギュッと抱きしめる桜ちゃんを見て、雁夜は自分達の行動が本当に『桜ちゃんを救う』に繋がるのか不安になった。 桜ちゃんには笑っていてほしい。 喜んでいてほしい。 楽しんでいてほしい。 けれど、たくさんの真実も知っていて欲しいと願う。世界は苦しい事も楽しい事も一杯あるんだと判ってほしい。 魔術、聖杯戦争、争い、人の欲望、戦い、正義、殺し合い、悪、愛情、幸福、不幸。普通の人間ならば目を背けるような事でも知って、楽しい事もたくさん知って、その上で幸ある道を選んでほしい。雁夜はそう願った。 「――桜ちゃん」 「・・・・・・」 雁夜が桜ちゃんに声をかけるが反応は無い。 すぐ目の前で立ちあがるゴゴを見ても、桜ちゃんは何も言わない。 打ちひしがれているようであり、ゴゴの言葉を考えているようでもある。ゼロを抱きしめながら今にも泣き出しそうな雰囲気がしたので、雁夜は黙って桜ちゃんの頭の上に手を置いた。 そして少し強めに撫でた。 悲しまないで―――そう願いながら。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 冬木市の中に散らばっている101匹ミシディアうさぎは全て健在だ。一匹も欠けることなく、ものまね士ゴゴの目となり耳となり鼻となって情報を集めて行く。さすがに人と話して情報収集なんて芸当は出来ないので、主に物陰に潜んでの動くカメラの様な役割をしてもらっている。 サーヴァントの気配から拠点の予測を立て、見つからないよう注意しながら接近する。 『スケッチ』によって作り出したミシディアうさぎは魔力の塊で、透明化の魔法『バニシュ』も魔法が行使された残滓をほんの僅かだが残している。厳重な結界の中に下準備もなく踏み込んだり、そこに何かが居ると思われながら魔術師にじっくり見られれば位置を見極められるだろう。だから、見つからないように細心の注意を払いながら行動し、絶対に見つかる状況に陥ったら、間桐邸に居るゴゴが魔力供給を止めて消滅させ、後に新しい一体を生み出して数を揃える。 24時間片時も休まずに動き続けるミシディアうさぎ。 新都にある士郎の家に移動しつつ、操舵輪を握るゴゴは彼らの目を通しながら冬木市の状況を把握していた。 「・・・・・・多いな、それに行動が早い」 ブラックジャック号を操りながらも誰にも聞かれない独り言を呟く。今、ゴゴの視点はとあるミシディアうさぎに同調させており、その視点の向こう側には夜の空に向けて双眼鏡を向ける男の姿が合った。 ラフな格好で少し厚着をしている青年だ。見た目だけなら路上でたむろしていても問題は無いのだが、行動に問題があった。 何故、この男は何もない夜の空に向けて双眼鏡を向けているのか? 今が昼間で森の中を見ていたらバードウォッチングだと説明できただろう。あるいはどこかの一軒家かマンションにでも双眼鏡を向けていたら覗きだと説明できるだろう。 しかし男が双眼鏡を向ける先は何もない空。星すら無いそこで何を探しているのか。男の姿を見た者が居れば等しくその疑問を抱くだろうが、ゴゴにはその予測が付いていた。 こいつは冬木市の中に潜り込んだ聖堂教会のスタッフの一人、言峰綺礼のアサシンが行う諜報活動を言峰璃正が補填する為の偵察を行っているのだ。聖杯戦争の存在を表に知られぬよう秘密裏に処理する実行部隊の一人にして、言峰璃正の思惑によってアーチャー陣営とアサシン陣営以外の手勢を調べている。 あちこちに散らばったミシディアうさぎの目を通して見ると、この男と同じように空に向けて双眼鏡を向ける者が少なくとも十人は見つかった。冬木市のあちこちに散らばっているので、道行く人が見かけても天体観測でもしているのだろうと納得して終わるだろうが、複数人が同じ行動を同時期にやっていると判るゴゴから見れば何らかの意図があるとしか思えない。 言峰璃正が雁夜の届けた子供達から飛空艇の存在を知って調査に乗り出したのだろう。どうやって透明になった飛空艇を見つけるかは判らないが、情報があちらに漏れてしまったのは確かだ。 「綺礼のアサシンと璃正が使う聖堂教会のスタッフ。数だけならこちらを上回り、璃正の方は人だからこそ冬木市に溶け込んで実体を隠す――か。少し厄介だな」 少しでも高所にいればそれだけ発見は遅くなるので、ゴゴは操舵輪を手前に引いて高度を上げた。もっとも、魔術師が聖堂教会のスタッフと同じ事をやって、注意深く探せばその内発見されるだろうから、高度上昇以外にも別の手を考えなければならない。 現段階、ライダーに見つかるのが一番厄介だ。 こちらの位置を捕捉されてあの空飛ぶ戦車に突進されたら、一度目は魔法解除で留まるが、二度目は確実に交戦となる。そうなった場合は力づくで固有結界―――かつて旅した世界では仲間のモグが使う『踊り』に引きずり込んで戦うのが的確だろう。 だが昼だろうと夜だろと遮蔽物のない空の上は目立ち過ぎる。下手に騒ぎ立てられれば、『神秘の秘匿』として聖杯戦争に関わる者以外がここにやってきて敵対するかもしれない。それは面倒だ。 どれだけ大軍が押し寄せようと負けるつもりは全くないが、今は聖杯戦争で色々と手に入れたいので他の瑣事に労力は費やしたくない。 それはそれとして高さで考えればどんどんと冬木市から離れて行くのだが、地図上の二次元的位置関係では既に士郎の家のほぼ真上にまで移動していた。自動車ならば信号機やカーブなどに邪魔されてもっと時間がかかっただろうが、飛空艇ならば風と気流の影響を多少受けても移動時間は短くて済む。 時同じく、甲板に上がってくるもう一人の自分―――士郎に説教して、その言葉をあえて桜ちゃんに聞かせる事で『自発的な考えを促す』をやらせたゴゴが上がって来た。 成長する為に障害は必要不可欠だ。 「到着したか?」 「ああ、この下のどこかが士郎の家だ」 目の前に別の自分が居る。鏡を間に挟んで話しているような奇妙な光景である。 ただ、この世界の魔術を知るまでは自分が自分のままで分裂するなど考えもしなかったので、自分が目の前にいる違和感と一緒に多少の面白さを感じている。 「士郎とはここでお別れか」 「その通りだ」 ある種の遊びの様なやり取りを経て、ゴゴは操舵輪を握る方の自分と身を乗り出して士郎の家があると思われる住宅街を見下ろす方の自分に意識を分ける。 同じ位置にブラックジャック号を滞空させていると、程なく階段から複数の人影が現れた。雁夜の斜め前を歩きながら、悩む様な怒るような微妙な表情を浮かべた桜ちゃん、彼女の両手の中にミシディアうさぎのゼロがしっかりと抱かれている。そしてその後ろには手を繋ぐ士郎とティナの姿が合った。 更にその後ろに残った全てのミシディアうさぎが付いて来てたが、ブラックジャック号に乗っている人間が全員甲板に集まった方が重要なので無視。 操舵輪を握っている方ではなく、自由に動ける方のゴゴが歩いて士郎の方に向かう。途中、桜ちゃんから強い視線を向けられたが、ゴゴの言い分に一応は納得しているらしく、先程の様な怒声は無い。 助けられた良い人だと思っていたらいきなり胸倉掴まれて持ち上げられた。士郎にしてみればゴゴを良い人と思えばいいのか悪い人と思えばいいのか判らないのだろう。 勧善懲悪なんてモノは子供の夢想の中にのみ存在するもので、完全な善意も完全な悪意も非常に存在は限られる。そもそも人の受け取り方によって良いも悪いも、善も悪も姿を変える。 その辺りは人生経験を積めばある程度は判ってくるのだが、まだ幼い子供にそれを理解しろと言うのは酷だ。それにもうお別れの時間なので、わざわざ説明してやったり、自分が『良い人』などと思わせなくてもいい。 「士郎。お前の家の『上』についたぞ」 上から見下ろして士郎の旋毛を見ながらそう言うと、またビクッ! と体を震わせる。一度は小康状態になった落ち着きが再び恐怖に染まっているようだが、もうゴゴには関係ない。 ただし、念には念を入れる。 「いいか、魔法の事も今日起こった事も誰にも言うなよ。『魔法使いに殺されそうになった』なんて親御さんに言ったら、他の誰よりも早く俺がお前を含めた家族全員の口を塞ぎに行くからな。何事もなく帰りたかったら、ここで何も言わないと約束しろ」 そんな風に脅すと士郎は言葉なく何度も頷いた。もうお礼を言えるほどの余力は無く、『うん』と肯定の意を示す言葉すらない。 もしこれで士郎が魔法や魔術の事を世間に流布するようならば、こちらが手を出さずとも魔術師や聖堂教会のスタッフがかけつけて処理してくれる。この冬木市は聖杯戦争の開催地でもあって他の場所より神秘の秘匿について厳しい。 死にたくなければ黙ってろ―――。そう言外に語ると、士郎は何度も何度も頷いた。 「それでいい」 悪役の様な言い回しだと理解しながら、ゴゴは手を士郎に向ける。 『カッパー』をかけられた前例があるので、士郎は咄嗟に隣にいるティナの背中に回り込む。だがゴゴの魔法は―――魔術とはそんな人の壁を隔てた所で回避できる程甘い技ではない。 「いい夢をみろ――、スリプル!!」 ゴゴが魔法を唱えると同時に、士郎の体が力を失って床の上に落ちて行く。 強制的に相手を眠らせる睡眠魔法『スリプル』。対象者の魔法に対する耐性が高ければ絶対に効かない魔法だが、子供の士郎には絶対にかかる。しかも緊張の連続で体力的にも精神的にも疲労している。この年の子供なら眠っているであろう夜も手伝って、『スリプル』はよく効いた。 「よし、じゃあこのまま送り届けるぞ」 「怪我させちゃだめよ」 「判ってる、心配するな」 ものまね士の姿をしたゴゴ、そしてティナの姿をしたゴゴ。どちらも自分でありながら、別人であるように振る舞う。 ティナの手が士郎を抱き上げ、こちらに委ねる。そしてゴゴは士郎を横にして抱いたまま、雁夜のいる場所に移動した。 雁夜の隣にいる桜ちゃんが不安げに士郎の様子を眺めていたが、そちらを無視して雁夜に話しかける。 「俺は『間桐臓硯』として士郎の親と話すから、お前は士郎を背負って付いて来てくれ」 「一人で十分だろ」 「この格好でいきなり『息子さんを届けに来ました』なんて現れたら、誘拐犯扱いされて警察に通報されるぞ。この中で一番まともに見えるのは雁夜だ」 「・・・・・・・・・確かに」 桜ちゃんは士郎より小さい女の子で、ティナは扇情的な衣装に加えてどう見ても日本人には見えない。そしてものまね士ゴゴの格好が日常から逸脱した格好であるのは間桐邸に住む者ならだれでも知っている。 ゴゴが他の誰か―――例えば町ですれ違う単なる一般人に己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)で変身して相対する案もあるが、もし当人と士郎の親が出会ってしまえばややこしい事になる。かつての仲間に変身するのもいいが、彼らは冬木市では異邦人だ。やはりここは同じ冬木市の中で一年過ごした大人―――つまり雁夜が妥当である。 「それと時間短縮の為に『レビテト』で一気に降りる」 「『レビテト』か・・・・・・ケーツハリーじゃいけないのか? 俺の魔力もある程度は戻ったから召喚出来るぞ」 「聖堂教会が面倒な事を仕出かしてくれてな、透明になっても見つかる危険があるからゆっくり移動してる暇が無くなった」 「何があった?」 「どうやら言峰璃正が聖堂教会のスタッフを総動員して『間桐』を調べ始めた。上空にこのブラックジャック号がいるのを知ったらしく、空を見上げる監視の目が一気に増えたぞ。遠坂時臣と言峰綺礼の二人も合流次第動きだすな」 「子供達からこっちの情報を探ったのか・・・・・・」 「口封じに殺すなんて馬鹿な真似はしないと思うが、こっちの情報が幾らかあっちに流れたのな」 雁夜は魔剣ラグナロクの入っているアジャスタケースを肩から外して横にする、そして後ろに回して土台にすると、そこに士郎を乗せて背負わせた。 淀みなく子供を背負う姿からは手慣れた様子がうかがい知れ、どれだけ雁夜が桜ちゃんとの時間を大切に過ごしてきたかを思わせる。ゴゴは知らないが、間桐邸で眠る桜ちゃんを寝どこまで背負う雁夜がいたのだろう。けれど、自然と動いた体とは裏腹に、雁夜の表情は暗い。 言峰璃正の元に子供達を預けたのを失敗だったと悔いているのか。あるいはこちらの情報を敵に与えてしまった行動の是非を自分自身に問うているのか。どちらであれ、起こってしまった結果は変わらない。 「まずは士郎の件を片付ける。『レビテト』を全員にかけるから、雁夜はそのまま降りてくれ」 「・・・落ちてくれ、の間違いだろうが」 浮遊魔法『レビテト』。アインツベルンの森の中に着地する時に雁夜が使ったこの魔法は、落下の衝撃を全て別の場所に逃がす驚異的な魔法で、どれほどの高みからの落下であっても一定距離の高さに到達すれば無傷で着地できる魔法だ。 ただしその『一定距離』に至るまでは自由落下なので、地球の大気圏ほどの高さから落ちれば流石に摩擦熱で死ぬし、高所特有の極寒も防いでくれない。しかもパラシュートなしの落下なので、人の恐怖がそれに勝てる事が前提だ。 士郎にやれと言っても気絶するか、泣き叫んで小便漏らす。 雁夜とてアインツベルンの森で一度体験しているから少しだけ耐性が出来ているが、進んでやりたいとは思わない筈。それでも空を見張られる状況を作った原因が雁夜にもあるので、拒否はしない。もし言峰璃正に『子供達には何もせず、日常に送り返せよ』と言っておけば、あるいはこちらの情報は洩れなかったかもしれないのだから。 「さて、行くか――」 「俺には『逝くか』、に聞こえるよ」 雁夜の愚痴には耳を貸さず、無造作に横に移動する。 そして手すりに手を当てつつ振り返り、後ろについて来ている雁夜を確認しながら操舵輪を握る自分とティナになっている自分に話しかける。 「俺達が降りたらブラックジャック号は一旦冬木市から離れろ。ここに留まり続けるのは危険だからな」 「言われるまでもない」 「ティナ。桜ちゃんを頼んだぞ」 「判ったわ」 誰も彼もがものまね士ゴゴ。わざわざ口にして確認するまでもない事を言い終えると、手すりに足をかけた。 「雁夜、先に行くぞ」 「お、おお――」 地上数百メートル弱。いや、先程から上昇を続けているので、おそらく二千メートル近くにまでブラックジャック号は上がっているので、気温は地上に比べて格段に低くなっていく。 これ以上待たせると桜ちゃんの体調に大きく影響するし、高すぎて雁夜が飛び下りない可能性もある。 「――レビテト」 ゴゴがそう呟いた時、ものまね士はパラシュート無しのスカイダイビングを行っていた。 結論から言えば、ブラックジャック号から降りたゴゴ、雁夜、士郎の三人は無事に士郎の家にたどり着いた。ただしブラックジャック号から飛び降りてから二時間ほど経過している。 既に時刻は日を跨いでおり、丑の刻参りが適した時間になってしまった。 この原因の最たる理由はブラックジャック号の高度を上げ過ぎたからだ。 雁夜がアインツベルンの森へ着地した時はそれほど高くなかったので、狙った場所めがけて降りる事が出来た。しかし、現在ブラックジャック号は敵の監視の目を少しでも遠ざける為に高度を上げており、地上までの距離をどんどんと離している。 だから風に翻弄されて強制的に位置を移動させらてしまった。 士郎の家らしき場所に着地するつもりが、流れ流れて遥か遠方へと着地する事になってしまったのだ。 浮遊魔法『レビテト』の効果と、背負った士郎を離さないように力を込めた雁夜の努力によって無事に新都にたどり着けたが、降りた場所はどこかの民家の屋根の上。家人に気付かれないようにこっそり降りるのに時間を使い、流された分だけ移動するのにまた時間が浪費された。 士郎から聞いていた苗字を頼りに家を探し、発見するまでにも時間が必要になり。結果、当初の予定から大幅に遅れての発見となったのだ。 「ここか・・・」 「そう、みたいだな」 返事をする雁夜の声には力は無く、一年で鍛えた体力はまだまだ残っているが、精神的な疲労が色濃く表に出ている。キャスターとの殺し合いを終えてからろくに休まず、自由落下で神経をすり減らして、新都を歩き回ったのだ。 今更ながら、『ダッシューズ』を魔力で作り出して貸せばよかったと思う。 表札を見ると士郎から聞いた苗字がしっかりと刻まれており、夜遅くだと言うのに家の中からは灯りが溢れている。周囲を見渡せば、電信柱の街灯ぐらいしか灯りが付いていないのに、目の前にある家だけは煌々と輝いている。きっと士郎の帰りを待っているのだろう。 後ろを振り返れば高所から落ちたとは思えない程穏やかに眠る士郎の寝顔が目に入った。雁夜に背負われて人の体温を感じて安心しているのか、飛空艇の中で見た恐怖にひきつる顔は無い。 どこにでもある二階建ての家―――、魔術的な結界などどこにも見当たらない。やはり士郎は聖杯戦争に巻き込まれただけの単なる一般人なのだと再確認した後。指を伸ばしてチャイムを押す。 夜の静けさもあって、ピンポーン、と家の中からチャイムの音が聞こえてくる。一秒と経たずに部屋の中を全力疾走しているような騒がしい音が聞こえてきて、チャイムのマイク部分から『はいっ!』と男性の声が聞こえてきた。 「夜分遅くに申し訳ないゾイ。ワシは深山町に住む間桐臓硯と申す者じゃ、この家は士郎とかいう坊主が住んでおる家か? 道路で眠ってる所を連れて来たんじゃが、お宅のお子さんで間違いないかのう?」 一気にそう言うと、家の中がこれまで以上に騒がしくなった。余程慌てているらしく、家の中を走る、いや、ドタバタとやかましく駆ける音が外にまで聞こえてきた。 5秒もかからずに玄関が開き、家の中から玄関の灯りに照らされた大人二人がゴゴ達の前に姿を見せる。 「士郎っ!!」 母親と思わしき女性が雁夜に背負われている士郎を見て、開口一番そう言った。そして短距離走のスタートを思わせる『発射』で門扉を飛び越え、背後に父親と思わしき男を置き去りにして雁夜に跳びかかる。 単なる一般人の筈なのだが、サーヴァントに匹敵しそうな身体能力を見ると予測が間違っていたのかもしれないと思えてくる。 雁夜は向かってくる母親に対し、士郎を斜めに傾けて息子を抱きあげられるに体勢をずらす。母親はすぐに眠る士郎の脇腹に手を突っ込んで、抱きあげながら思いっきり抱きしめた。 雁夜どころかゴゴの姿も見えているのに、母親の目は士郎しか見ていない。 「士郎・・・、士郎――・・・」 誰にも渡さない、どこにも行かせない。名を呼びながら強く抱きしめる姿にはそんな決意が見えている。結果的に士郎を奪い取られてしまった雁夜は呆然としており、ゴゴは気を取り直して門扉を開いた男に相対する。 玄関の灯りに照らされる男の髪の毛は士郎と同じく赤毛で、士郎があと20年も育てばこんな男になるんじゃないかと思える精悍な顔つきだった。筋肉隆々ではないが、細身でもない、適度に引き締まった体は何かスポーツをやっている恩恵だろう。 母親の腕に抱かれる息子の姿に柔らかい笑みを浮かべ、ゴゴ達の方を向きながら頭を下げる。 「ありがとうございました。本当に――本当に、ありがとうございました」 間違いなくゴゴの怪しげな格好は見えているのだが、何よりもまず礼を告げる姿に士郎の躾の原点を見た気がした。 父親が頭を下げた姿勢で数秒が経過し、ゆっくり顔をあげた顔とゴゴの目があう。父親の目はまだ感謝の色に染められていたが、感激の後に押し寄せてくるのは冷静さ。いや、ものまね士ゴゴの異質さへの疑問だ。 「気にしなくていいゾイ。さっきも言うたが、あの坊主が道路の脇で眠っている所にたまたまワシらが通りかかっただけの事じゃ。この家の場所を聞き出すまでに少々時間がかかってしもうた。むしろ謝らなくてはならんゾイ」 「いえ。そんな――。士郎を送り届けてくださって、どれだけ感謝の言葉を並べても足りません」 「警察か病院にでも連れて行けば話は早かったんじゃが、そこの雁夜と深山町から用があって新都に訪れたんじゃが、この辺りは不慣れでのう。警察も病院も判らんし、坊主から話しを聞く限りではそれほど離れておらんかった。こうして送り届ける方が早いと思うたのじゃが、こんな時間になってしまったわい。お主らを不安にさせてしまったようじゃ、すまんゾイ」 「いえ、いいえ。そんな事はありません」 父親は賢明に礼を告げようとするが、徐々にこちらを見る目に猜疑心が含まれていく。 子供を送り届けてくれた恩人を疑うなんていけない事だ―――。そう自分に言い聞かせているようだが、ものまね士ゴゴの奇妙な格好はその思考を壊していく。 言葉にこそされなかったが、ものまね士の格好を見る父親の目が『何、この怪しい人?』と小さく物語っていた。 「よろしければ。何かお礼をさせて頂けませんか?」 「いやいや、人の出会いは『縁』のもの。たまたまその坊主とワシらの縁が合っただけ。わざわざ礼をされるほど大した事はしておらん。それにワシは家の場所を聞いて歩いて来ただけじゃ。真に礼を受け取るべきは坊主を背負ってここまで連れてきたそこの雁夜めじゃよ」 「そうですか――。じゃあ、雁夜さん」 「は、はい?」 いきなり矛先を向けられて雁夜が生返事をする。 士郎の父親はものまね士ゴゴに向けていた怪しむ視線を完全に隠して頭を下げる。 「士郎を送り届けて頂いて、ありがとうございました」 「爺も言っただろ? 俺たちはそんな大した事はしてないって」 「私達にとっては士郎を送り届けてくださった事がもう『大した事』なんです。本当に――、本当に、ありがとうございました」 士郎は母親に抱かれた状態で眠っており、母親はそんな士郎を抱きしめ続けている。 父親の方や雁夜に何度も礼を言って、雁夜は思ってもみなかった感謝に気恥ずかしそうにしていた。 三者三様の様子を見ながらも、いつまでもここに留まっては周囲の目を引きつけてしまう。隣家の住人に見られるのは問題ではないのだが、聖堂教会のスタッフや綺礼のアサシンが来る前に引き上げなければならない。 だからゴゴは半ば強引に話題を変えてゆく。 「さて、ワシらはここに長居する気は無いのでこれで失礼させてもらうゾイ。家に残した桜ちゃん――お宅の坊主と同じくらいの年の女の子がおってな、あまり家を開けたくはないんじゃ」 「そう、なんですか――」 「これ以上の礼をしたかったり、もっと坊主の詳しい詳しい話を聞きたければ深山町の山の方に行って『間桐臓硯と言う方はどこにお住まいでしょうか?』か『間桐邸はどこにありますか?』と尋ねれば大抵の者は知っておるからワシらの家を探してみるといいゾイ。この見た目じゃから、ワシはあの辺りでは有名人でな、大抵は家におるのでアポイントメントを取る必要はないゾイ。おお、それとこの格好じゃが『色素性乾皮症』の予防として太陽の光を遮る為の物じゃ。夜と安心して夜明けで痛い目を味わった事があっての、見た目の怪しさは勘弁してほしいゾイ」 父親は士郎の事でもっと話しを聞きたいだろうが、見た目の怪しさと子供の無事を確かめたくて話しを辞めたがってもいる。 ならばそれを後押ししてやるだけでいい。 夜は遅い、家に子供を待たせている、話なら後日。そう幾つか理由を作り出すと、士郎の父親は申し訳なさそうに言ってきた。 「――ではご厚意に甘えさせて頂きます」 その言葉を切っ掛けにして、これまで路上で士郎を抱きしめていた母親が父親の元へと移動していく。横顔にはうっすらと涙が浮かんでいたので、息子と再会できたのがよほど嬉しかったのだろう。 何かお礼の言葉を言いたそうだったが、嬉しくて嬉しくて嬉し過ぎて、語る言葉が口から出てこない。それでも父親の横に並び、士郎を抱いたまま頭を下げた。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 言葉は無かったが、母親の雰囲気がそう言っていた。 「近頃は物騒じゃ、子供から目を離してはいかんゾイ」 「はい」 「叱るんなら理由を聞いてからにしてやってくれよ。俺も何でそいつが道路脇で寝てたのか知らないんだ」 「――判りました。ちゃんと話を聞きます」 ゴゴと雁夜の順に言葉を投げると、父親は僅かな逡巡の後でしっかりと返事をする。 両親と息子。三人は門扉をくぐり、今までずっと開け放たれていた玄関を通って家の中に入っていく。そして振り返ってゴゴと雁夜の方を向くと、また頭を下げて『ありがとうございます』と小さく呟いた。 ガチャン、と玄関が閉まる音が鳴り響き家の中と外が分断される。 家の内側は魔術とは何の関係もない一般人の家庭、家と言う住処によって守られた暖かい場所。そして家の外側は聖杯戦争という殺し合いの中に身を投じ、願いを叶える為に戦い続ける血生臭い場所。 ゴゴが歩き出すよりも早く、深山町がある方向に歩き始めた雁夜の背中に向けて、声をかける。 「どうした雁夜。ああいう普通の暮らしに憧れたか?」 「・・・・・・臓硯は教育に熱心とは言えない最低の男だったからな。心配してくれる親が居るのは少し羨ましいさ」 「そうか」 「でも俺が『間桐雁夜』だからこそ、魔術師の家系に生まれたからこそ。俺は葵さんに出会えて、桜ちゃんと凛ちゃんに出会えて、お前に鍛えてもらえる事が出来た。俺があの時――、臓硯の蟲に喰い尽されそうになっていたあの時、あそこでお前に会えたから今の俺がある。憧れてるかもしれないが、今の自分に後悔は無い。俺は絶対に桜ちゃんを救ってみせる」 「その意気だ雁夜」 二人は横に並んで歩き、徐々に士郎の家から遠ざかっていった。 記憶操作こそ行われなかったが、魔法に、魔術に、サーヴァントに、裏の世界に、自分の知らなかった危険な出来事に関わる事がどれだけ恐ろしいか骨身に染みた筈。目を覚ました後で、士郎が両親にどんな事を聞かれるか判らないが、恐怖を呼び起こしてまでわざわざ説明しないだろう。 父親がゴゴに向けた目は胡散臭い人物を見る目だったので、お礼にと一度間桐邸を訪れるかもしれないが、それ以上の関わりはないと予測される。そして、もし士郎が怪しい場所に近づこうとしても、親の目は今後は厳しくなって出来ないに違いない。 故に士郎とは出会いは今日限り。二度目が合っても三度目は無い。この時、ゴゴはそう考えた。 その予測が裏切られるのはほんの少しだけ後の話。 世界を救う旅に最後まで同行したリルム・アローニィのように―――子供の行動力を甘く見た結果を思い知らされるのも、ほんの少しだけ後の話である。