第14話 『間桐雁夜は修行の成果を発揮する』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 自分はものまね士ゴゴ。だが今はティナ・ブランフォード。 性別の壁すら楽々突破して自分を女性だと認識した瞬間に『ティナとしての自分』が次々に積み上げられていく。 それでも根幹にあるのは『桜ちゃんを救う』と宣言した雁夜の物真似をしているゴゴだ。雁夜が桜ちゃんに魔術師の闘争を見せる事を望むのならば、それを物真似するのがゴゴであろう。 結果、飛空艇から雁夜をつき落として戦場に放り込んだ後。すぐに階段を下りて、中で待っていた桜ちゃんに子供たちを救出する協力をお願いした。 最初はティナになった―――女性へと変身したゴゴの姿に面食らっていた桜ちゃんだが、雁夜同様この一年でものまね士ゴゴが仕出かす常識外れの出来事を何度も何度も味わっているので、すぐに納得してくれた。 諦めたと言っても良い。 雁夜と色違いでおそろいのポシェットに魔石『ケーツハリー』を入れ、手を繋いで甲板へと出る。そして桜ちゃんが紫色の巨大な鳥を呼び出すと、二人でその巨鳥に跨った。 なお飛空艇の操縦をしている方のゴゴはずっと無言である。 幻獣と人の混血児でもあるティナ。彼女の魔力は高く、己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)でティナに変わった時、一緒に作り出したアクセサリが非常に役に立つ。 一応変身した時に武器も一緒に作りだしたが、ティナの本領はやはり魔法で発揮される。だから狂信集団の塔の頂上で守られていた神秘のアクセサリ。一回の動作で魔法を二度操れる『ソウルオブサマサ』を準備したのだが、このアクセサリは連続魔法の代償として幻獣の召喚ができなくなってしまう欠点がある。 だからこそ、桜ちゃんの協力が必要不可欠になる。ついでに半強制的に戦場に連れていけるので、魔術師の戦いを見せるチャンスがあって悪い事ばかりでもない。 ただ、桜ちゃんが遠坂桜である限り、彼女の魔術師としての才能はどうやっても捨てられない。だからゴゴとしては自発的に魔術の世界に関わらないようにするのではなく、思いっきり魔術の世界に浸って、どんな悪意からでも身を守れるように自衛の力を身につけた方がいいと思っている。桜ちゃんの才能を考えるならば、魔術の家門の庇護かそれに変わるモノが必要だろう。 間桐雁夜は魔術回路の少ない人間だったが、たった一年間鍛えただけで英霊相手に戦える力を得た。真正面から戦えばセイバーやランサーにあっさり返り討ちにあうだろうが、搦め手を使えば戦えるだろう。 もちろん驚異的な成長の裏には魔石と言う超強力なドーピングがあった、魔石がなければいくら鍛えても雁夜程度では英霊相手では足元にも及ばない。 別の世界で神と謳われた者達の力を雁夜は継いだのだから、英霊相手に戦える位には成長して当たり前である。同じ事を桜ちゃんがやれば、十歳に届く頃にはキャスターの英霊として招かれるぐらい強大な力を得る事も難しくは無い筈。 聖杯戦争を破壊した後の事を少しだけ考えるゴゴだが、今すべきことはキャスターに連れられた子供達の救出だ。 桜ちゃんが呼び出した『ケーツハリー』は、たとえ場所が密閉された洞窟だろうと、鳥が飛べぬ海の中だろうと、樹が生い茂る森の中だろうと、無風の砂漠地帯であろうと、羽を広げれば壁にぶつかる城の中だろうと、問答無用で味方全員を背に乗せて空高く舞い上がる神秘の生き物だ。 本来であればそこからジャンプ攻撃を仕掛ける幻獣なのだが、今は桜ちゃんの属性『架空元素・虚数』によって子供達を救う為の移動手段として変わっており、ほんの少しだが羽根の一部が魔力の浸食によって黒く染まっている。 アインツベルンの森がどれだけ入り組んでいようとも、奇跡の鳥はそこから子供たちだけを救いだす。発動と同時に因果律を歪めて、『味方を背中に乗せる』という結果だけを確定させる。 こうしてティナとなったゴゴと桜ちゃんにより、子供たちは全員『ケーツハリー』の背中に乗って戦場から救出された。 桜ちゃんが幻獣を操る姿には淀みがなく、かつてビスマルクを変質させて呼び出した時と同じように完全に操っている。やはり桜ちゃんの魔術に対する才能は大きく、本人が関わろうとしなくても魔術の方からすり寄ってくる事が予測できた。 キャスターとの遭遇は一瞬限り。真に魔術師の戦いを体験するにはあまりにも時間が足りな過ぎて、桜ちゃんに多くの事柄を伝えられなかったが、おどおどとこちらを見る子供たちの姿から少しでも恐怖を感じてくれればそれでいい。 子供たちはいきなり空の上に連れてこられた事態に脅えているようだ。無理もない、キャスターの手でアインツベルンの森の連れて来られ、気がつけば殺されそうになっていた。怖がるなと言う方が無茶である。 「驚かせてしまってごめんなさい。でもあなた達をあそこから救い出す為にはどうしても急がなきゃいけなかったの」 ゴゴは紫色の巨鳥の背中の上でティナとして語る。 モブリズの村で親を失った子供たちと暮らし、戦う力を失いながらも古代の怪物フンババと戦った―――『愛する』という気持ちを胸に宿しながら語りかける。 「何が起こってるか判らない子もいると思う。でも今は逃げてる所だから多くを話せないの。安全な場所まで逃げ延びたらちゃんと説明するから今は私たちを信じて、私たちは絶対あなた達に危害を加えない、傷つけない、あなた達を守ってみせる。約束するわ」 力強く語りかけた言葉を子供達が理解しているかは判らない。あるいは『巨大な鳥の背中に乗って空を飛ぶ』という夢見ても生まれてから一度も経験した事のない異常事態に脅えて聞いてない子供もいる。 それにキャスターの殺戮が行われるのを雁夜が止めたのだが、苦しげにうめき声を上げる赤毛の子供がいて、その子供の在り方が恐怖を伝播させている。話を聞くどころではないのだ。 死んではいない。けれど無傷でもない。頬と額に走る赤い裂傷はキャスターの指の形をしており、力任せに握り潰される寸前だった様子をありありと伝えている。荒い呼気は新鮮な空気を求めていると言うよりは、ショック症状を起こして呼吸する以外に他の事が出来なくなってしまったのだろう。 この一年冬木市で色々な情報を集めて物真似したが、基本的に聖杯戦争に関する事柄が多く専門的な医療に関する情報は物真似していない。体の傷は魔法で直せるが、心の傷はまだ専門外だ。 聖杯戦争を破壊したら医療に関する技を物真似するのもいい。そう思いながら、ティナは横たわる子供に近づいていく。 「桜ちゃん。飛空艇までの移動はお願いね」 「――うん」 これで話しかけているのがものまね士ゴゴだったならば、桜ちゃんは『はい』と言った筈。少しだけ気安さを感じるのは、やはり話している姿がティナだからだろう。年の違いはあっても、同性ならば話せる事もある。 桜ちゃんと繋いでいた手を離し、魔石『ケーツハリー』で呼び出された巨大な鳥の背中から落ちないようにしゃがんだまま移動する。途中、子供たちの何人かがこちらの動きに合わせて距離を取ろうとしたが、鳥の背中はそれほど広くない上に空から落ちたら危険だと判っているので、こちらから距離をとりながらも落ちないぎりぎりのラインに体を置いている。 出来れば脅えている子供への気遣いも行いたい所だが、今は怪我をしている子供の方が優先だ。『ソウルオブサマサ』を使う必要はないだろうが、体力回復の魔法で傷を治さなければならない。 「・・・あれ?」 そうやって手を伸ばし、横たわる子供に魔法をかけようとした所で異変に気がついた。 ゴゴのままだったならばわざわざ声を出してまで自分の戸惑いを言葉にしないのだが、ティナとしての意識に体が引きずられて言葉がでてしまう。 言葉を囁きながらティナの目で横たわる赤毛の子供を見つめる。すると横たわるその子から強い魔力が感じるのだ。 これは明らかな異変だ。 桜ちゃんがそうであるように、子供のころから魔術師としての素養を開花させる者はいる。だから魔力を感じる事は別段、異変でも何でもないのだが、その魔力が聖杯を通して感じるキャスターのモノであれば話は別だ。 手をかざしたまま周囲を見渡すと、子供たちは全員こちらを見ている。注意深く子供達の魔力を探ると、何人かからキャスターの魔術の波動が伝わってきた。 それはかつて仲間たちと世界を旅した時にも味わった事のある感覚だった。子供たちはステータス異常に陥っており、何らかの魔術がキャスターの手によって施されている。 例を挙げるならば、カッパ、暗闇、石化、毒、ゾンビ、そして再起不能である。 子供達をもっとよく見ると、初めて雁夜に出会った時、雁夜の体の中に救っていた間桐の蟲を彷彿させた。見た目には何の異常も見られないが、これは何らかの術式を体の中に仕込まれている可能性が高い。 そして何の躊躇いもなく子供の頭を握り潰そうとしたキャスターが子供達をこのままにしておくとは考えにくかった。 「ッ!!」 こちらの思惑を読み取ったかのように、子供の中に仕込まれた魔力が変化を起こす。それは目に見えない魔力から別のモノへと変質し、横たわる子供の腹を破らんと膨張した。 間違いない、キャスターの仕業だ。 それが何なのか一瞬で判断できる程情報を持っていない、しかしここで呆然と状況を見続けていれば子供は内側から腹を裂かれて死ぬ。ティナは命を守る為に力を振るう魔導戦士だ。ならば、ここで子供の命を救う事こそがティナの存在意義でもある。 考えるよりも前に口が動き、この場に最も相応しい呪文が紡がれる。 「クイック!!」 ストップの魔法は対象者の体感時間を止めて硬直させる魔法だが、この魔法は術者の体感時間を極限まで引き上げて、光に近い程の超高速で動く魔法だ。その早さゆえに、術者からは他のモノが止まって見える。 ゴゴが知る限り、現在この魔法が発動した後で、自分と同じ速度で動けた者はいない。発動したが最後、敵と対して一撃で殺せる手段があるのならば、絶対に負けない必勝を誇る。 以前、間桐の蟲蔵の中で同じように苦しみ悶える雁夜を見たので、この世界の魔術によって構成された生物に有効な魔法がある事は確認されている。 後の問題は、その魔法が聖杯戦争に招かれたキャスターのサーヴァントの術式にも有効か否かと言う点だけ。やらない理由は無く、効果が無ければ別の手を試すまで。 子供を救うティナの意識を前面に押し出し、かざした手から魔法を発動させる。 「エスナ――!」 手の平から放出される魔力が横たわる子供の全身を覆い尽くしている様に見えるが、子供の方は全く動いていない。 見た目によっては効果があるのかどうか疑わしい光景だが、『エスナ』の波動が子供の全身を覆い尽くすのと、内側から子供を殺そうとする何かが消えるのはほぼ同時だった。 体の中から生まれ出でて子供たちを殺そうとする何かは『エスナ』で消滅させられた。『エスナ』の効果はキャスターの魔術さえも打ち消す。これは大きな収穫と言える。 ただし『エスナ』では子供の中に残るキャスターの魔力の波動までは消さずに残っている。もしかすると一度失敗したらもう一度同じ術式が発動して、間に合ったと思わせたところに絶望を与える仕込がしてあるのかもしれない。 『エスナ』では仕込まれた魔術を消すには至らない。ならば『ソウルオブサマサ』の効力を存分に使い、対象者にかけられた魔法効果そのものを打ち消す魔法を重ねがけするだけだ。 「デスペル――!」 ありとあらゆる魔法効果を消す対消滅の魔法『デスペル』。エルナに合わせた二重の魔力の波動が赤毛の子供を包み込み、内側に巣食うキャスターの魔力を消していく。 ゴゴは制止した時の中を自分一人だけが動いているような錯覚を覚えながら、腹が膨れ上がった子供の安全を確かめる為に腹に手を当てて撫でる。 あと一秒遅れたら、この膨らみが魔力とは別の何かに変わって腹を突き破り現界しただろう。だが最早、この膨らみは中身のない風船と変わりない。ゴゴ、いや、ティナは魔法の重ねがけによってキャスターの魔術が消滅したのを確認すると、他の子供たちに向けて魔法を放つ。 赤毛の子供以外にもキャスターの魔力が仕込まれているのを感じるので子供達を救うためには全員に魔法をかけるしかない。 しかもエスナとデスペルの効果範囲は一度で一人に限定されるので、対象が複数人だと何度も唱えるしかないのだ。 「エスナ、デスペル、エスナ、デスペル、クイック、エスナ、デスペル、エスナ、デスペル、クイック、エスナ、デスペル――」 腕をぐるりと回しながら、途中で『クイック』をかけ直すのを忘れずに魔法を唱え続ける。同じ言葉を繰り返してのどが渇きそうになるが、魔法を唱えた分だけ子供たちの中から実害あるキャスターの仕込みが消えて行くので、疲れすら心地よい。 一瞬すらかからない刹那の時間で合計二十回以上の魔法を行使した結果、子供達は完全にキャスターの魔術から解放された。子供たちは何が起こったか判らないだろうが、支えの少ない鳥の背中に乗って空を飛んでいる今でさえ恐怖なのに、『今、死にそうだったんだよ』と、更に怯えさせる必要はない。あえて教えなくてもいいだろう。 『クイック』の持続時間が切れ、周囲の時間と体感時間が同じになっていく。超高速で動いた反動で少しだけ気持ち悪さが喉の奥からこみ上げてくるが、それは嘔吐せずに我慢できる程度だ。 横たわる赤毛の子供にとっては腹が強烈に痛んだ一瞬後。子供は内側から自分の体を破られる急激な痛みを味わっただろうが、最早それは存在しない。 キャスターに殺されそうになった恐怖と突然の苦しみに顔面蒼白になっていたが、もう安心していいのだ。 だから、大丈夫だよ―――、痛くないよ―――、安心して―――。語りかけるようにティナの手が何度も何度も子供の腹をさする。 「もう痛くないから安心して・・・。あなたを傷つける人はもうここにはいないから・・・」 初めて見る巨大な鳥の上で落ち着けと言う方が無理だ。 初めての場所に連れて来られ、殺されそうになったから、冷静になれと言う方が無理だ。 まだこちらが敵なのか味方なのか判ってない筈だから、警戒するなと言う方が無理だ。 彼ら、彼女らはまだ子供だ。大人ほど成熟した精神の持ち主ではないのだから、すぐに落ち着く筈もない。 だからこそティナは落ち着かせるように何度も何度も子供のお腹を撫でる。落ち着いてほしいと願いながら、子供たちの事を想う。 『ティナ・ブランフォード』を―――。モブリズの村で子供たちと暮らしていた彼女の姿を―――、子を産んだ事などなかったとしても『ティナママ』と呼ばれ上がら慈しんでいたあの姿を―――。ものまね士ゴゴは物真似して。子供達を安心させようとする。 「大丈夫だから・・・。もう大丈夫だからね・・・」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 キャスターに手傷を負わせたが、それは軽い傷でしかない。撤退を促す事も、消滅をもたらす事も出来ない。だから懐から取り出した膨大な魔力の塊を見た時、雁夜は『やはりな』と自分の未熟さと一緒に戦いの継続を強く実感した。 もし雁夜の剣の腕がもっと高かったならば、キャスターが見せた隙をしっかりとついて一撃で戦いを終わらせていた。しかし未熟であるが故に仕損じて、立て直す機会を与えてしまった。 こちらは魔力を消耗し、敵に魔剣ラグナロクがもつ特殊能力を知られてしまう。 若干不利な状況に追いやられながらも、雁夜は十メートルほど離れた場所にいるキャスターを観察し続ける。魔剣ラグナロクの特殊効果によって足元が大きく抉れているが、足場が少々変形しただけだ。そう自分に言い聞かせた。 見るべきはキャスターがもつ本。魔力を放つその魔導書がキャスターの宝具である事は明白なのだが、その正体にまでは至れない。分厚く重厚な装丁の表紙には人の頭部がそのまま貼り付けられており、万人受けはしないだろう様子を作り出しているのは見ただけで判るの。けれど、それがどんな能力を持った宝具かは判らなかった。 雁夜はバーサーカーのマスターとして、サーヴァントのステータスを読み取る能力を得た。だからキャスターのステータスが見えるし、ゴゴからの情報によってキャスターの真名が ジル・ド・レエである事は知っている。 しかし雁夜は魔術師として経験も知識も不足しているので、多くの情報を知りながらそこからあの宝具が何を仕出かすモノなのか推測すら出来ない。 ステータスからキャスターが宝具能力のみに特化したタイプのサーヴァントであり、自ら魔術を行使するのではなく何らかのモノを呼び出すであろう召喚魔術師であるのは予測できるが、そこから思考を進められない。 何を召喚するのか? 雁夜はもう少し歴史の勉強をしておけばよかったと後悔しながらも、観察を続けて答えを得ようとする。 そしてキャスターが魔導書を開き、何かの呪文を呟いた次の瞬間―――前後左右全ての空間に見た事のない怪物が姿を現した。最初から地面の下で待機していたと錯覚しそうな素早さで、膨大な量の怪物が雁夜の視界の中のどこにでも現れた。 前を見ても、右を見ても、左を見ても、後ろを振り返っても怪物がいる。 見た目は海にいるヒトデに似ているが、体長は雁夜と同じ程の大きさで、しかも中央には歯ではなく刃と言うべき物騒な凶器を備えた口がある。大きさはさて置いて、地面に這いつくばっているのならば何とかヒトデに見えたかもしれないが、太い触手を足の様に使って起き上がっていれば最早ヒトデではない別の生き物だ。 少なくとも雁夜はこんな生物を見た事がない。 見た目の醜悪さも手伝って、昔の雁夜ならばまず怯えたかもしれないが。ゴゴと言う常識外の存在と関わり過ぎて見た目が気持ち悪かろうとあまり意味は無い。むしろ、まず柔らかそうな見た目からラグナロクならば斬れるだろうと考える。 ざっと見まわしただけで百匹はいる。さすがは聖杯戦争にキャスターとして招かれる英霊だ。宝具の手助けはあっただろうが、これほどの数を一瞬で呼び出す技量は見事と言うしかない。 「我が盟友プレラーティの遺したこの魔書書の力。死を持って知るがいい!!」 傷つけられた痛みも手伝って、キャスターは容赦がなかった。 どうやって操っているのかは判らないが。周囲を覆う全ての怪物が一斉に雁夜めがけて向かってくる。近くにいる奴は5メートルと離れていないので、1秒とかからずにこちらの間合いに入ってくるだろう。 一匹や二匹を切り捨てた所で、それ以外の怪物が自分めがけて殺到するのだから、圧倒的な数の差で押しつぶされるのが簡単に予測できた。 余力を残そうとして戦える相手ではない。一対一が一気に一対百にまで膨れ上がったの状況をそう結論付け、雁夜はラグナロクを横に薙ぎ―――そのまま回転した。 「スピニングエッジ!!」 この技は本来であれば、真の『ルーンナイト』であり、ゴゴの仲間である『セリス・シェール』が瀕死の時に使う必殺技だ。自分を中心に剣を構え、超高速で回転して敵を切り刻む剣術である。 ゴゴから話を聞いて、技の一つとして練習した結果。何とか技と呼べる状態にまで持って行けた。ただし、魔剣ラグナロクの切れ味に助けられているだけで、必殺技と呼ぶのもおこがましいのが実情である。きっと本家本元の必殺技に比べれば威力も速さも十分の一程度だろう。 それでも前後左右から迫りくる怪物に対して『全方位に向けた攻撃』は有効だ。前から来る敵を斬って、すぐに後ろの敵を斬って、右から来る敵を斬って、前から来る別の敵も斬る。 遠くからキャスターの驚く声が聞こえた気がしたが、全力で戦っている今、敵の言葉に耳を貸す意味はない。 十回転ほどして、迫りくる怪物を二十匹ほど斬り捨てた後。雁夜は回転速度がゆっくりになるのを感じた。目が回りそうだが、何とか横目で足元を見れば紅色の血と怪物の肉片がぶちまけられている。 雁夜は転がる怪物の死体を足場にしてキャスターがいる方角めがけて駆け出した。 動きを止めればそれだけ死ぬ可能性が高くなるのはゴゴとの戦いで嫌という程味わった。動きを止めてはならない。自分とキャスターとの間にいて肉の壁として蠢いている怪物めがけ、雁夜は一工程(シングルアクション)の魔術を解き放つ。 「ブリザラッ!」 キャスターの怪物召喚に負けぬ速度で、そこにいた怪物の内、四体が二メートルほどの氷山に包まれる。 ゴゴから教わった魔法―――、この世界で言う所の魔術の中で氷属性の術を効率よく習得できた理由に間桐の魔術属性である『水』が関係しているのは間違いない。だからこそ雁夜はこの魔術を自分の手足のように操ってそこにいる全ての怪物に向けて放つ事が出来るのだ。 ただし、本来ならば敵全体にかけられる魔法なのだが。雁夜の未熟さか魔力不足か魔術体系の違いからか、雁夜には視界に移る近くの敵数体にしか使えない制限がある。 ゴゴの世界の魔術はこの世界の魔術よりも極悪であり。バトルフィールドの中に放り込まれた敵であれば、それが何人であろうと一人の時と同じように攻撃できる特性を持っている。 一人を攻撃する魔法も、複数人を攻撃する魔法も一緒。 きっとゴゴならば、数体の怪物程度ではなく、この場で雁夜を取り囲む全ての怪物とキャスターすら含めて一斉に攻撃するだろう。けれど雁夜にはそれが出来ない。 ゴゴに対する嫉妬心が湧きあがりそうになるが、それを戦いの高揚で強引に打ち消す。キャスターを眼前に見据えながら、使える手札の中で最善を尽くすしか方法は無い。二歩前に踏み出した場所にある氷山の隙間をかいくぐり、雁夜は前へ前へと駆けて行く。 魔剣ラグナロクで切り裂いた怪物は見事に命を散らしていたが、放ったブリザラの感触は怪物の消滅を教えていない。これも雁夜の魔力不足が原因だろうが、一撃で死に至らしめるほどの効果は無かったようだ。もう一度ブリザラをかけて追い打ちをかければ殺せるだろうが、今のまま放置すれば、しばらく経って氷を砕いて出てくる予感がある。 「ちっ!」 この状況でもう一度同じ怪物にブリザラを使ってもあまり得るモノは無い。ゴゴならば間違いなく一撃で殺すので、自分の力不足に思わず舌打ちしてしまう。その苛立ちを敵への怒りに置き換え、更に足を早めた。 自分がこれほど戦える敵だと思って無かったのか? 怪物の二割ほどが呆気なく粉砕されたからか? 怯える顔では無かったが、キャスターの驚く顔が雁夜の目に飛び込んできた。 たとえ驚いていようとも、キャスターの存在が桜ちゃんを傷つける、悲しませる、心を痛める。それだけで雁夜にとっては十分に殺す理由となる。 向こうには向こうの都合があるし、何らかの意図でセイバー陣営に踏み込もうとしているのは判っている。聖杯戦争のマスターとしてサーヴァントが同士打ちするならば横槍を入れる必要はないと思っていた。 それでもキャスターがいる限り冬木市に住む人達が何の意味もなく殺されていく。結果、桜ちゃんが悲しんでしまう。 雁夜自身が名前も知らぬ彼らと桜ちゃんとを結びつけた自覚があるが、とにかく桜ちゃんを救う一つの手段としてキャスターを殺さなければならない。自分勝手だと罵られようと、雁夜は自分でそう決めたのだ。 キャスターは動揺に足を止めている。あと三歩も踏み出せばそこで魔剣ラグナロクの間合いに入る。もうさっきの様な無様な失敗は見せずただ一刀で斬り殺す。 雁夜がそう考えた次の瞬間。 雁夜の足が―――腕が―――全身が―――その場所に縫い付けられた。 「ぐがっ!?」 走る速度がそのまま停止のダメージに置き換わり、雁夜は口から悲鳴を吐き出してしまった。 何が起こったのか? 瞬間的に考えた時、右の二の腕と腹、そして左足首が何かに締め付けられる様な痛みが走っている事に気がつく。 一瞬前までは無かった痛み。そこに目をやると、青黒く色のぬめぬめとした肉の塊―――つまりは雁夜に向けて殺到していた怪物の触手が雁夜の体に巻きついて動きを止めたのが見えた。 後ろから迫りくる怪物が追いついたのかと思ったが、肩に巻きつく触手は雁夜が作り出した小さな氷山の奥から伸びている。どうやら斜め前にいた怪物が、空いた隙間から触手を伸ばして雁夜を掴んだらしい。 伸縮自在である事を失念していたが故の捕縛だった。 続けて、右足首と左手首が別の怪物の触手で拘束される。巻きつく様子は見れたが、触手を伸ばす怪物の本体は見えなかったので、雁夜の後ろにいる怪物のどれかの触手だろう。 「どうやら、そこが限界のようですね。叶わぬ希望を胸に抱き、絶望を噛みしめながら無様に死になさい」 雁夜の動きが止まった事で絶対的優位を確信したのか。キャスターの顔が歓喜を染まる。 雁夜が怪物に生きたまま食い殺されるのがよほど楽しみなのか。嬉しそうに、楽しそうに、笑みを浮かべながらこちらを見ていた。その顔を見れば見るほどに怒りが湧きあがってきて、桜ちゃんの為にも自分の為にも生かしてはおけないと思えてくる。 このまま怪物に拘束され続けると、自由に動き回れる他の怪物が雁夜を食べにくるか生きたまま四肢を力任せにねじ切られるだろう。魔剣ラグナロクを満足に振るえぬ状況に追い込まれてしまったので、触手を斬って自由になる前に別の触手が雁夜の動きを奪うのが予測できる。 圧倒的な数の差が作り出すピンチ。 ならば出し惜しみは無しだ―――。 雁夜は動きを拘束されながらもキャスターに攻撃できる最大の手段を開放した。 「キャスターを殺せ。バーサーカー」 次の瞬間、キャスターの真横に夜よりも暗い漆黒の魔力が噴き出して形を成した。 上から下までを覆い隠す黒いフルプレートアーマー、右手にはアーチャーから奪った宝剣、鎧の隙間から溢れる黒い魔力は聖杯戦争にマスターに与えられるステータス透視能力から自らの素性を覆い隠す。 それは間桐雁夜のサーヴァント、それは間桐雁夜が扱える最高戦力。黒き騎士、バーサーカー。 「アアアアアアアアアアアアアアアア!!!」 その咆哮がバーサーカーの兜の奥から聞こえてきた瞬間、雁夜は激しい怒りをバーサーカーに向けた。 いっそ激情が形を成したならば、拳の形を作り出してバーサーカーに向けて容赦なく放っただろう。それでも、起こってしまった事実は覆せず、キャスターは突然聞こえて敵の声に反応して横に跳ぶ。 ドガンッ! と魔剣ラグナロクが作り出す破壊よりは小さいが、それでもアインツベルンの森の静寂を破壊する大きな音が響き渡る。それはバーサーカーが持っていたアーチャーの宝剣が地面を抉った音だ。間桐邸では馴染み深いバトルフィールドがここでは展開されていないので、サーヴァントの一撃が容易に自然を破壊した。 上段から大きく振り降ろされた一撃。先程、自分がキャスターめがけてやった攻撃と似ていたが、その速度も勢いも軌跡も練度も何もかもが違う。 「貴様ッ!!」 雁夜の一撃と大きく異なる証拠として、横に跳んで避けようとしたキャスターの左腕と左足が地に落ちた。 腕は肘から先、足の方は足首が見えたが、強烈な剣戟の衝撃で『斬り落とされた』ではなく『叩き潰された』と言う方が正しく、原形をとどめていないので判別が難しい。 キャスターは片足を失って膝をつく。しかし片手片足を粉砕されたにも関わらず、痛がるよりも前にバーサーカーに敵意を向けるのは流石だ。痛みにかまけて、敵の前で隙を見せれば死がすり寄ってくる、それは何度も何度もゴゴに殺された雁夜が戦士として得た真理の一つ。 間違いなくキャスターは激痛を味わっている筈。それでも隙を見せない姿はやはり『英霊』だ。 キャスターのダメージが操る怪物にも伝わったのか、拘束がほんの少しだけ緩む。雁夜はその隙をついて自分の体にまとわりついていた全ての触手を切り刻む。 そしてキャスターへの攻撃が一時中断されたので、前後左右にいる怪物へと注意を向ける。ただし、雁夜の中に渦巻くのはバーサーカーへの怒りだった。 「不意打ちする奴が叫んでどうするんだ、この大馬鹿野郎!!」 自分のサーヴァントへの苛立ちは、怪物の触手に締めつけられた痛みを容易く凌駕した。 まだ数多く残る怪物を注意しながら横目で見ると、バーサーカーはキャスターに一撃くらわした地点で佇んでおり。アーチャーから奪った宝剣を右手に持ったまま下げている。 戦場で周囲に気を配っている様ではあるが、剣を構えている訳ではない。キャスターを肉薄している訳でもない。そして雁夜の言葉に反応する気配もない。 バーサーカーは確かに雁夜が命じる通りキャスターを殺そうとしたが、それは雁夜の望む姿から大きくかけ離れていた。倉庫街で見せたバーサーカーの動きならば、間違いなくキャスターを葬れる確信があったが、結果としてそれは叶っていない。 雁夜としてはバーサーカーがキャスターの背後か右斜め後方で限界するのを望んだ。後ろからならば不意打ちしやすく、キャスターの右側から攻撃したとしても、宝具と思わしき魔術書ごと一緒に攻撃できる筈だった。たとえ避けられたとしても、宝具を破壊すれば怪物が増える事態は避けられた。 それなのにバーサーカーはキャスターの左側から攻撃した。狂ったサーヴァントと意思疎通など出来ないが、何となく雁夜はバーサーカーが『不意を突く』という行為そのものを躊躇ったように思えるのだ。バーサーカーとして狂う前の英霊の気質がそうさせたのか、雁夜の命じ方が悪かったのか判らないが、とにかく不意打ちは失敗した。 そもそもバーサーカーが叫ばなければキャスターが気付くのをもっと遅らせられた筈だ。 狂っているくせに、あちこちに狂化の属性が付加される前の英雄としての在り方を残している感じだ。はっきり言ってその部分は雁夜にとって邪魔でしかない。キャスターを殺しきれなかったのがいい証拠である。 完全にバーサーカーを制御できていたのならば、こんな失態は起こさなかっただろう。雁夜は自分に向けそう思いながら、それでも、仮に『英霊』のカテゴリに入っているにもかかわらず、結果を作り出せないバーサーカーの在り方に怒りと苛立ちを覚える。 「アアアアアアアアアア!!!」 そうこうしている内に再びバーサーカーが雄叫びをあげ、キャスターではなく雁夜の近くにいた怪物めがけてアーチャーの宝剣を振り下ろした。 キャスターへの攻撃ではない、雁夜を助けようとしてるのでもない。ただ、手短にいた『敵』に対して攻撃しているだけだ。 バーサーカーの一撃は苛烈ではあったが、同じく剣を扱う者の視点では美しさすら感じてしまう見事な腕前だった。倉庫街の戦いでは、ミシディアうさぎの目を通して遠くから見ているだけだったが、こうして間近で見ると、その剣の振るい方に、足さばきに、体重移動に、無駄のない動きに、目を奪われてしまう。 だが雁夜が命じたのはキャスターを殺せだ。怪物を屠れではない。 「キサマ、貴様、きさまぁぁぁぁぁぁ!!!」 攻撃されなくなったキャスターの怒りの声が雁夜の耳に届く。 雁夜はバーサーカーに向け、アーチャーを攻撃する時にも同じような命令を下したが、あの時は心の奥底深くで遠坂時臣への憎しみが消えぬ炎となって燃え盛っていた。 あの時と違い、キャスターを倒すべき敵と認識しながらも、あの時ほどの怒りは無い。桜ちゃんを救うためと言う後付けの理由はあるのだが、キャスター当人には恨みがない。だから怒りを覚えても、それは遠坂時臣へのそれと比べると格段に落ちる。 雁夜の怒りにバーサーカーが呼応出来なかった。だから、バーサーカーがキャスターを打ち損じ、追い打ちをかけず、キャスターへ攻撃せずに怪物の方を攻撃しているのかもしれない。 何となく予測を立ててみるが、所詮、予測は予測でしかなく、確信ではない。狂い暴れるバーサーカーの真意が判らぬ以上、予測は願望の域を出ない。 結果としてバーサーカーもキャスターに手傷を負わせたが、それも決定打には至らなかった。まだまだ戦いは終わらない。そう思いながら、雁夜は魔剣ラグナロクを振り上げて、自分を拘束しようとする怪物を両断する。 不気味な悲鳴を上げ、紅い飛沫が地面を汚した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 衛宮切嗣 キャスター迎撃の準備を整えながらも、切嗣の意識はアイリが使っている遠身の水晶に強く引き付けられた。 キャスターがセイバーをジャンヌ・ダルクと勘違いしてつけ狙うならば、アインツベルンの森に罠を張って出迎えればいい。セイバーがキャスター討伐を申し出るのは予測できていたが、受諾する必要性など皆無だ。 聖杯戦争に招かれるキャスターは他のサーヴァントに比べて体力的に一歩劣り、その不利を覆す為に『陣地作成』というキャスター特有の能力を持っている。これは魔術師として自らに有利な陣地、つまりは『魔術師の工房』を作成し、体力的に劣るサーヴァントステータスを補う為のモノなのだが、自分から工房の外に出てくれば一気に意味を失う能力だ。 だからこそキャスターがわざわざこちらに出向くのならば、その状況を最大限利用するのは当然の結論である。 セイバーの英雄様はその辺りの『勝利の為に利用する事柄』を卑怯と罵っているが、結果として敗北してしまえば何の意味もない。負けて得るモノなど何もなく、残るのは敗者の戯言と勝負に敗北したと言う結果だけだ。 勝利し、聖杯を得る。その為に舞弥と共に多くの重火器と対サーヴァント戦の準備を整えていた。 それなのに、その『戦闘機械としての衛宮切嗣』が準備の為に動かしていた手を一旦止めるほど衝撃的な光景が、水晶玉に映し出されている。 切嗣が調べ上げた他のマスター陣営の情報は数多いが、それでも調べられなかった部分は存在する。特に切嗣にとって他のマスターが『何故、聖杯を求めるのか?』という理由は不要な情報であり、あえて調査対象から外した為に調べていない部分となった。 そして魔術師と言う生き物は魔術に関して徹底的に秘匿を行う存在であり。ランサーのマスターであるケイネス・エルメロイ・アーチボルトが風と水の二重属性を持ち、魔導の名門であるアーチボルト家の嫡男だという情報は得られても、彼自身がどんな魔術を扱い得意とするかは知らない。 切嗣が持つ魔術礼装―――トンプソン・コンテンダーに収まった銃弾のように、敵もまた同じように自身の魔術礼装を保有している可能性はある。だから間桐雁夜に―――聖杯戦争に参加する間桐陣営に調べられない部分が出てくるのも敵が使用する魔術礼装が初見になるのもどうしようもない事実なのだが、それでも水晶玉の向こう側に見える間桐雁夜の在り方はあまりにも異質であった。 間桐雁夜が一年前まで魔術と欠片も接しない生活をしてきたのは既に調べがついており、一年前から聖杯戦争の為に準備を整えてきた事も知っている。 だから切嗣にとって間桐雁夜は『急造の魔術師』であり、『魔術師殺し』の衛宮切嗣がわざわざ魔術師として相手をする必要はないと考えていた。サーヴァントの存在は脅威だが、それでも間桐雁夜一人を相手にするならば、切嗣どころか舞弥でも勝てるだろう。 たとえ聖杯戦争に参加するマスターの資格を得て、令呪をその身に宿したとしても。魔術師としての力量は下の下、それどころか見習い魔術師以下の最底辺に位置する。少なくとも切嗣が知る魔術の世界はそうあっていて、どれほど才能に恵まれた魔術師であろうと、どれほど魔術回路の数が多い魔術師であろうと、たかが一年で急激な力を手に入れるなどあり得ない。 世の中には劇的な変貌によって休息に力をつける者もいる。例えば『死徒』がこれに該当し、切嗣にとっては忌まわしい記憶の一つであるが、人間から吸血種に成った者たちであれば、一年で劇的に変化してもおかしくはない。 だが間桐雁夜は間違いなく人間だ。聖杯戦争のマスターに選ばれるのはあくまで『人間』であり、『死徒』ではマスターにはなれない。 間桐雁夜の変貌に教会で見た間桐臓硯の変わりよう―――地肌を全く見せずに正体を隠すような奇抜な装いが無関係とは考えられない。自分達が知る始まりの御三家である『間桐』に何らかの変化が起こり、これまでにない『間桐』が聖杯戦争の一大勢力となっている。切嗣はそう認めるしかなかった。 「どうかしましたか?」 「・・・・・・いや、何でもない」 時間にして五秒ほど経ってしまったか。 舞弥の呼びかけを聞いた所で、準備の為に動かしていた手を止めて水晶玉を見入っていた自分を自覚する。切嗣は慌てて意識を間桐から切り離し準備を再開した。 教会の呼びかけに間桐臓硯が堂々と姿を見せた時点で、切嗣の中にある間桐とは何かが違うと判っていた。いや、それ以前の倉庫街の戦いの時から、これまでの聖杯戦争にない何らかの異変が起こっていた事は判っていた。 それを理解しながら、問題の大きさを読み違えてしまったのは―――後回しにしてしまったのは切嗣のミスだ。 キャスターの接近に気付いたアインツベルンの結界を突破してきた手段。 間桐雁夜の手にあるセイバーの宝剣に劣らぬ魔力を放つ剣。 子供たちを一瞬で救い出した巨大な鳥の使い魔。 その鳥の上に乗っていた間桐雁夜の協力者と思われる女。 『水』の魔術を得意とする間桐の魔術をより強力にした、一工程(シングルアクション)で作り出す巨大な氷塊。 自分が殺されそうになる状況下で、バーサーカーを現界させてキャスターを攻撃させる胆力。 切嗣の中に出来上がって来た『魔術として未熟な間桐雁夜』は欠片も存在せず、その代わりにキャスターと互角に渡り合う魔術師がそこにいる。 そして重要なのは、間桐陣営という括りで考えた場合、あそこにいる間桐雁夜とバーサーカーだけが敵ではないという事。最も厄介な敵と定めた言峰綺礼を上回る、始末の悪い敵達が『間桐』の括りで現れる。 「アイリ。他のマスターが森に入ってきた反応はないのかい?」 その言葉は状況の確認の為ではなく、むしろ自分自身の戸惑いを誤魔化す為に放たれた言葉だった。 表向きは能面のような感情を全く見せない顔で問いかけたように見えるかもしれないが、内心は正体不明の『間桐』という敵に対する戸惑いが溢れている。 ただアイリにそんな心の機微を悟れず、言葉を額面通りに受け取って返してくる。 「いいえ。反応はキャスターとあの間桐雁夜と言う人だけ・・・。鳥に乗った女の人の反応はもう消えてるわ」 「そうか」 即答する時には少しだけ落ち着きを取り戻していた。お陰で間桐が脅威であることを再認識しながらも、今は敵が城に攻めている可能性を考慮して準備を進めるだけだと思い直せる。 どんなモノであろうとも全てを目的を遂行するための手段と定めて行動する―――。 再び重火器の準備を進めて手持ちの武器を装着していくと、視界の片隅にアイリの横から水晶玉を強く覗き込むセイバーの姿が見えた。 あの剣の英霊は自分をキャスターを討伐に向かわせない切嗣を目で責めていたが、子供たちが戦場からいなくなり、間桐雁夜が戦いだしてから切嗣と同じように水晶玉が移す光景に目を奪われていた。 こちらがほんの少しだけ視界の中に収めている事実など全く気付いていないようで、今もまた戦場で戦うバーサーカーを注視している。 間近に迫った敵の癖や弱点を探ろうとしているのかもしれないが、今の所はこちらの邪魔をする素振りは見せていないので好きにさせても問題ない。 切嗣はアイリとセイバーから意識を切り離し、ラップトップ式のコンピューターを起動させて、この城の中に仕掛けておいたCCDカメラの映像を確認する準備を進めて行く。全ての戦力がここに集まり、唯一セイバーを出陣させようとするアイリがそれを命じないのならば、戦いはアインツベルンの城の中で行われる公算が高い。 その時、城の中に仕掛けた機械の目が切嗣に代わって敵の情報をもたらしてくれる。 CCDカメラの映像をチェックして、全てのカメラが問題なく機能している事を確認する。その確認作業が終わった正にその時、これまで両手を水晶玉にかざしていたアイリが胸に手をやった。 大きく目を開いた後、苦しそうに顔は歪めるその姿は明らかな異常だ。 「どうした? アイリ」 切嗣がそう言うと、アイリは顔をあげて言う。 「切嗣――。どうやら新手がやってきたみたい」 キャスターとバーサーカーが争っているこの状況下で、アインツベルンの森に入ってくる物は他のマスター陣営である可能性が高い。 だが、敵が間桐陣営の誰かであったならば―――、たとえば子供達を救い離脱したあの女だったり、倉庫街の戦いに乱入してきたマッシュとかいう男だったならば状況はキャスターの不利だけではなく、こちら側の不利にも繋がる。 間桐がどれだけの戦力を保有しているか判らないからこそ、未知が切嗣の心を蝕んでいく。 アインツベルンの森に張り巡らされた結界に加え、城の中にいくつも張り巡らされたトラップ。こちらが待ち構える場所として最適であると確信しながらも、『新手』という言葉に切嗣の心が揺れていた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 バーサーカーのお陰で自分はまだ生きている。 だが、バーサーカーのせいで、キャスターが倒せていない。 確かにバーサーカーは『狂戦士』と名のつくサーヴァントだけあって、キャスターが呼び出した怪物を『戦士』として何の苦もなく斬り捨てて行く。咆哮を上げながら、アーチャーから奪った宝具を振るうその姿はまさしく『狂戦士』に相応しかった。 雁夜が命じた殺す相手であるキャスターを二の次にして、近くにいる怪物をまず狙う辺り、確実に狂っているのだろう。 バーサーカーが雁夜の近くにいる怪物を倒してくれるからこそ、雁夜は数少ない怪物の相手をして生きていられる。もし相手にする怪物の数がもっと多かったならば、あっという間に四方を囲まれて物量で押しつぶされていたに違いない。 「アスピル!」 それどころか、怪物を対象にして魔力を吸収し、再び魔術を放つまでの繋ぎにする余裕など作れなかった。 ゴゴから教わったこの魔法は、雁夜が貯め込める最大の魔力から自分の中に残る魔力の差分しか吸収できない制限がある。だが、消耗した魔力を一気に回復できるメリットもあり、敵から魔力を奪って自分のモノに出来る貴重な魔法だ。そして怪物はキャスターの宝具によって召喚された魔力の塊であり、魔力を吸収するには格好の獲物である。 「ブリザラッ!!」 魔剣ラグナロクを振るいながら魔力吸収魔法の『アスピル』で怪物から魔力を補充し、再び氷属性の魔術『ブリザラ』で怪物を凍らせて叩き割る。バーサーカーがいるから、この戦術が可能で、一人ならば怪物一体から魔力を吸収している間に他の怪物に殺されてしまう。 バーサーカーの近くで戦い続ける為、『スピニングエッジ』は使えないが、魔力の消耗を気にせず戦えるのは嬉しい誤算だった。 しかしバーサーカーがキャスターに向かわないので、敵サーヴァントは今も健在だ。それどころか、今も右手に持っている宝具が大きく魔力を放つたびに怪物が新たに呼び出され、バーサーカーが怪物の数を減らしても、雁夜が怪物の数を減らしても一向に総数が減る気配がない。 雁夜の魔剣ラグナロクの爆発で焦がされ、バーサーカーによってキャスターは片方の手足を失った。結果、最初ほど召喚に勢いは無く、現状の数を維持するので精一杯の模様。 戦いながら距離をとって離れたキャスターを見ると、恨みがましく殺意を目に宿しながらこちらを見ていた。よほど自分の歩みを邪魔する自分とバーサーカーが許せないらしい。 ただ、バーサーカーに足を斬られて膝をついたキャスターはそこにはなく、今は斬られた左手左足の箇所をローブの下に隠しつつ、しっかりと立っている。 ローブに隠れて足そのものは見ないのだが、もしかしたら召喚している怪物を極小サイズで召喚し直して脚の代わりにしたり、血止めの蓋にして手を止血しているのかもしれない。 「・・・・・・」 あのローブの奥で、怪物の触手がキャスターの手足の代わりをしている光景を思い浮かべると少し寒気がした。 とにかく、腕一本、脚一本失っても自分達を殺して先に進もうとする意欲は失っていないのがよく判る。それどころか、時折、頭をかきむしって怒りをより強く露わにする様子から、最初に上空から浴びせた不意打ちの時よりやる気になっているらしい。 腕を足を斬られたショックで呼気が荒くなっているがこっちを殺す気が満々だ。 決定打がない状態でも常には観察は続けられる。結果、キャスターが召喚しているこの怪物の攻撃方法は二つに大別されると判った。触手を伸ばして人の手の代わりをするか、鋭い牙を見せる口で喰らうかのどちらかだ。 もちろん人の手の代わりをする触手が五本の指を備えている訳ではないので、捕縛の自由度は一歩劣る。それでも力は並みの大人よりも大きく、たった一体で雁夜の腕力と互角か少し強い。 そしてキャスターの戦い方だが、新しい魔術を行使しない所を見ると、基本的に怪物を召喚させて自分の代わりに戦わせる戦術だけのようだ。単に余力がない為に他の手を打てない可能性はあるが、戦い方の大原則は召喚による使役であろう。 やはりバーサーカーがいるからこそ硬直状態を保てる。しかし、バーサーカーが雁夜の望む通りに動いてくれれば状況が固まる以前にキャスターを殺せていた。この状況で、自分一人がキャスターに向かったとしても、怪物の壁がキャスターの前に作られて行く手を阻まれるだけだ。 雁夜は自分のサーヴァントに向けて感謝しつつも激怒していた。 「ケアル!」 時に敵を攻撃し、時に失った体力を回復させ、時に敵から魔力を奪い、時にバーサーカーを盾にして緩急をつける。 キャスターはいつまでも殺せない自分とバーサーカーに怒りを増大させているようだが。敵をさっさと殺したいのはこちらも同じだ。 何せバーサーカーを現界させて戦っていると、それだけで魔力を多量に消耗する。時として、バーサーカーに供給する魔力を補充する為だけに、怪物相手に『ラスピル』を放たなければならない場合もあるのだ。 雁夜の目的はあくまでキャスターを殺すことであり、キャスターの召喚する怪物ではない。バーサーカーに命を救われている状況には感謝するが、硬直状態を長引かせるのは得策ではない。 何よりここはゴゴの展開するバトルフィールドではなく、アインツベルンの手の内である。いきなり森ごと吹っ飛ばされる事態もありえるかもしれない。それどころか、もしこの場にセイバーが現れたら、倉庫街の戦いのときのようにバーサーカーが暴走する可能性が非常に高い。あの時は魔力に余裕があったから好きにさせていたが、今の状況では非常に危険だ。 こんなにも時間がかかると思わなかったので、後悔ばかりが頭の中に浮かんでしまう。 すでに自分とバーサーカーで斬り捨てた怪物の数は百を軽く突破していたが、細かい数までは判らない。ただし、いい加減、この勝負に決着をつけてもいいぐらい戦っているのは確かである。 キャスターを殺して撤退する。万が一、ゴゴが助けにこなくても、自力で逃げられる位の余力は残さなければらない。 雁夜は怪物の一体をラグナロクで切り捨てながら、この場を乗り切る必要条件を頭の中で作り出す。最低条件ではないが、十全で生き延びる為には必要だった。 故に雁夜はバーサーカーをより正確にコントロールする為、魔力供給以外に必要な『何か』を形作っていく。 対話が行えればもっと円滑にその『何か』にたどり着けたのだろうが、狂化の属性が付加されたバーサーカーとの話し合いは不可能だ。故に、敵に向ける観察の目をバーサーカーにも向け、『何か』を必死に探した。 おそらくそれは雁夜の感情―――それも怒りだ。 マスターである雁夜の怒りに反応すればするほどに、バーサーカーは雁夜の望む形で動いてくれる。もちろんバーサーカー自身が勝手に行動する場合もあるので、全てそうなる訳ではないが、ある程度の方向性を与えてやる事は可能と思われる。確証はないが、それほど間違っている仮説とも思えない。 だから遠坂時臣と奴のサーヴァントであるアーチャーに向けた感情をそのまま再現すればいい。雁夜はそう結論付けた。 キャスターを殺す。 絶対に殺す。 桜ちゃんの敵を殺す。 桜ちゃんを悲しませるサーヴァントを殺す。 殺す―――。 「おおおおおおおおおっ!!!」 バーサーカーの咆哮よりもより強く、バーサーカーの怒りよりも更に大きく。周囲から聞けば、狂戦士のサーヴァントには遠く及ばない声かもしれないが、それでも雁夜は自分の心の中に自身のサーヴァントに対する『従えっ!』と強い意思を作り出す。 殺す、従え、殺す、従え、殺せ、従え、殺せ、従え、キャスターを殺す、従え、キャスターを殺せ、従え、殺せ殺す殺せ殺せ―――。 言葉による命令ではなく、サーヴァントとマスターの間にある魔力的な繋がりに訴えかける激情。令呪ほどの拘束力がないからこそ、バーサーカーはそれを受諾しないが、徐々に怪物を攻撃する方向がキャスターの方に切り替わっていく。 近くにいた怪物を切り捨てながらキャスターの方に一歩踏み込んだ。 そこにいた別の怪物を斬り捨てた後、更にキャスターに向けて進んだ。 雁夜は叫びつつその歩みを見て、バーサーカーと背中合わせになる様に位置を移動する。 自分のサーヴァントを盾にしているのではない。今からやろうとしている事を目の前にいる怪物達に邪魔されない為、数瞬の時間を作り出そうとしているのだ。 キャスターもバーサーカーが自分の方に向かって来ているのが判ったのだろう、怪物たちが殺そうとする対象がバーサーカーに集中して、雁夜の方に向かってくる怪物の数が減る。気を抜ける状況ではないが、ほんの少しだけ余裕が出来上がる。 好機だ。 雁夜はキャスターに向けた怒りを出来るだけ維持しながら、魔剣ラグナロクを右手に持って左手を空ける。 左手に魔力を集中し、さっきから何度も怪物に向けて打ち出している氷属性の魔術を更に上へと高めて行く。 この一撃は雁夜が使える攻撃の中で強力な部類に入る一撃だが、その代償として雁夜の魔力の大半を奪い取ってしまう。バーサーカーを現界させて戦っている状態なので、魔力の大半どころか根こそぎ消耗する可能性は非常に高い。 それでも一進一退の攻防をいつまでも続けるよりはいい。 バーサーカーがまた新たに怪物を二匹斬り殺したのを音で聞きながら雁夜は思う。急がなければならない。急いで、殺さなければならない。だからキャスター、死ね、死んでくれ。と。 怪物達の大半がバーサーカーに向かったお陰で出来た数瞬の間。触手を伸ばして雁夜の脳天を握り潰そうとしてくる怪物の攻撃を斬って回避しつつ、雁夜は半回転してバーサーカーの広い背中を見た。 瘴気の様に噴き出す魔力が見える。日の光すら吸収しそうな黒い鎧が見える。アーチャーから奪った宝剣を自由自在に扱う技が見える。雁夜は己がサーヴァントの様子を見つめながら、左側に一歩踏み出して、バーサーカーの脇下に出来た隙間から左手を前に向けた。 そしてゴゴから教わった氷属性上位魔法を唱える。 「ブリザガァ!!」 雁夜の口から放たれた言葉が意味ある呪文として世界に溶け込むと同時に、左手の前に雁夜の頭部より一回り大きい氷の球が出来上がる。 氷の球。いやこれから起こる事態を知る雁夜にとってそれは巨大な氷の弾丸だ。 氷の弾丸は瞬きよりも早くバーサーカーの行く手を阻んでいる怪物に向けて打ち出された。拳銃の砲口初速である亜音速には届いてないだろうが、それでも驚異的な速度で打ち出される氷の弾丸が怪物を次々に貫いていく。 一匹、二匹、三匹。 危険を察知してキャスターが後ろに跳んで更に距離をとるが、雁夜の魔法では最初からキャスターにまで攻撃が届かないから問題は無い。 次々に怪物が中央にある口を丸ごと粉砕され、次々に怪物が撃ち抜かれて行く中、五匹目の怪物の所で『ブリザガ』の限界が訪れた。 雁夜の今の腕前では、近くにいる敵に対してしか魔術の効果範囲を広げられない。ゴゴならば直接キャスターに向けて攻撃できただろうが、雁夜にはそこが限界だった。 出来るだけ遠くの敵に照準をつけた一撃。それが最後の一匹を中心にして、直径五メートル、高さ八メートルの巨大な氷柱へと激変する。 効果範囲にいた全ての怪物を凍結封印するほどの強力な一撃。自然界では決して見られないであろう完全な円柱の形を作り出した魔術。怪物も地面も木々も空気すらも巻き込んで、それは一つの建造物となって現れる。 「キャスターを殺せ! 殺すんだ、バーサーカー!!」 「アアアアアアアアアア!!!」 明確な怒りに呼応して、バーサーカーの咆哮が更に強さを増す。これまでバーサーカーの前にいて進攻を邪魔していた怪物は『ブリザガ』によって躯と化しており、斜め前方にいた怪物がバーサーカーの行く先を阻むよりも狂戦士が突進する方が早い。 雁夜はバーサーカーが剣を構えて突撃するのを見計らった後。バーサーカーの前方に出来上がっている氷柱への魔力供給を力ずくで切断する。 あの巨大な氷柱は氷で出来た本物ではなく、雁夜の魔力によって形を維持している紛い物だ。アインツベルンの森に落下した時に使った浮遊魔法と同じように、使うのを辞めてしまえば一緒に結果も消滅する。この世界に存在する自然の法則の前に、雁夜程度の魔術の腕前では簡単に『なかった事』にされてしまう。 『ブリザガ』の発動と共に体の中からごっそり魔力を失ったのを感じながら、雁夜の目は空気に溶けて行くように消える氷柱を見た。 もっと魔術の腕前が高ければ、自然現象として氷柱をそのまま維持できるのだが、雁夜では叶わない。だが、すぐに消える事はむしろ今の雁夜にとってはメリットである。 バーサーカーの突進を邪魔する障害物をすぐに溶かせるから、だ。 怪物の屍骸を足場にして、バーサーカーが突き進む。 氷柱発現の効果範囲の中に巻き込まれて、消えると同時に解放された怪物が何匹かいたが。それらは突然の冷凍に動きを鈍くしており、今すぐバーサーカーを迎撃するほどの元気は無かった。 バーサーカーはそんな鈍重な怪物には目もくれず、横をすり抜けて奥にいるキャスターめがけて突き進む。 氷柱があった場所を抜けてただひたすらに駆けて行く。 殺せ、進め、殺せ、進め、殺せ、進め―――。 声なき雁夜の想いがバーサーカーの背中を押し、漆黒のサーヴァントは前に剣を突きだした一つの弾丸へと変貌する。 「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇぇぇ!!!」 するとバーサーカーの接近に合わせてキャスターからこれまでにない強力な魔力が放出された。見ると、キャスターは右手に持つ魔術書の宝具を見せつけるように前方に突き出していた。 そこから溢れる魔力の奔流は今まで感じた中でもっとも凶悪であり、本来不可視である筈の魔力が紫色の霧として漏れている様に感じる。 こちらが賭けに出たように、キャスターもまた限界ぎりぎりの攻撃に打って出た。そう雁夜が感じ取った次の瞬間、バーサーカーの目の前の地面から隙間なく怪物が生えてきた。 おそらく防衛の為にあの宝具の力を限界まで引き出したのだろう。正に『肉の壁』と言うしかない醜悪な物体が、バーサーカーの行く手を阻む。 あまりの多さに地面が見えなかった。 それでもバーサーカーは止まらない。 「アアアアアアアアアアアアアア!!!」 目の前に怪物の群れがあろうとも、キャスターが遥か彼方の安全地帯で嗤っていようとも、手に持つ武器がアーチャーから奪った宝剣一本であろうとも、雁夜からの援護など殆ど期待できない状況であろうとも、バーサーカーは止まらない。 一秒とおかずにバーサーカーが怪物達の作りだした壁に激突し、剣を振るって拳を振るって足を動かして潜り込んでいく。 斬って、殴って、蹴って、潰す。 勢いは激突と同時に一気に衰えたが、それでも『進む』という経過そのものは全く損なわれずに怪物達の壁を切り開いていく。 その突進を見て、雁夜はライダーが操縦していた戦車(チャリオット)を思い出した。あの宝具は、何が前にあろうとも、どんな敵がそこにいようとも、ひたすらに我が道を突き進む凶悪な武器だった。 そしてセイバーに襲いかかったバーサーカーを吹き飛ばしたのもあの宝具だ。 雁夜の魔術とゴゴによる回復であの時の怪我は綺麗さっぱり消えているが、『突進してきた物に攻撃を止められた』という事実はバーサーカーの中に刻まれている筈。もしかしたら、あの無謀とも思える突進はライダーへの意趣返しなのかもしれない。 一瞬だけ思考が戦場からよそに飛ぶと、それに合わせたようにバーサーカーめがけて怪物達が一斉に殺到した。同族が下敷きになろうとも構わずバーサーカーめがけて跳んでいき、一匹二匹が斬り殺されようがそんな事は知らぬとばかりに怪物が山を作り出す。 砂山の様に三角錐が作り出されるが、雁夜の人生の中でこれほどなまめかしくもおぞましい肉の山は見た事がない。キャスターのなりふり構わない命令の成果だと予測しつつも、そのあまりの気持ち悪さに思考が真っ白になりそうだ。 中央にいて押しつぶされそうなバーサーカーの安否を気遣う余裕はない。 ほんの少しだけ雁夜が呆けた次の瞬間―――。バンッ! と何かが爆発するような音が鳴り響き、山を成していた怪物達が一斉に吹き飛んだ。 「え?」 それは雁夜自身の声だったかもしれない。キャスターの声だったかもしれない。あるいはその両方かもしれない。 何が起こったか理解できず、吹き飛んだ山の跡地を見る。すると剣を横に伸ばして回転するバーサーカーがいた。 一瞬後には回転を止めてキャスターに斬りかかっていたので正確には判らなかった。だが、雁夜はそれが自分がついさっき使ってみせた『スピニングエッジ』に非常に酷似している気がした。 サーヴァントがマスターの技を奪い、更にレベルを上げて使った。バーサーカーも同じく剣を使う者であるが故に、ありえる予想が浮かんだが。それを強引に消す。 そんな事を考えている暇は無い。今はキャスターを肉薄したバーサーカーに意識を向けるべき時だ。 バーサーカーはすでにキャスターに迫り、正面から剣を振り下ろして両断できる位置まで近づいている。さっきの不意打ちとは違い、今度こそキャスターを葬り去れる。そう確信できる位置だ。 殺した!! 雁夜がそう思った瞬間―――。 雁夜の両足から力が抜け、合わせてバーサーカーもまた膝を曲げて転倒した。 辛うじて振り下ろされたバーサーカーの剣がキャスターの宝具を浅く斬りつけたが、キャスター本人へ攻撃は通っていない。 召喚の媒体としていた魔術書が傷ついた結果、怪物たちは紅い血へと変わっていく。バシャン、バシャン、と怪物の形をした血の塊となり、それら全てが地面に落下して紅い水たまりを作っていく。 自分を取り囲んでいた敵が消えたのは喜ばしい。だが何かの異変が起こって体から力が抜けた。 何が起こった? 雁夜はそう思いつつ、力の抜けた足で地面に膝をつきながら考える。そして一瞬遅れて心臓がこれまで以上に激しく早鐘を打ち、別の生き物のように暴れまわるのを感じた。 反射的に左手で胸を抑えるが、激しさは増すばかり。収まる気配などまるでなく、今はもういない間桐の蟲が雁夜の体を内側から食い破ろうとしてる様だ。 「く・・・そ・・・」 痛む胸を抑えながら、紅い地面の向こう側にいるバーサーカーを見る。バーサーカーは突進の勢いをそのまま転倒したようで、豪快にキャスターの後ろに転がっていった。それでもキャスターの後ろ側で立ち上がろうとしていたが、全身を震わせて力無く立つ姿は先ほどの剣を振るう姿とはまるで別人だ。 その光景を見て雁夜は確信する。これは雁夜の魔力が枯渇して、バーサーカーに送っていた魔力の供給が寸断されたが故の結果だと。 『ブリザガ』を放って、怪物を殺しまくるバーサーカーに魔力供給を行ったから、雁夜の魔力が底をついてしまった。あくまで予測だが、心臓が戦いの疲れとは別に激しく動くのは、バーサーカーが現界の為の魔力を要求しているからだ。 魔術回路を通じて、雁夜の中にある魔力を供給するのは不可能。ならば、魔力ではない別のモノを魔力の代わりにして、強制的にバーサーカーを現界させるしかない。 たとえば体力、たとえば気力、たとえば生命力、たとえば命。無いものをあるモノで代替するのは正しく命を削る行為。それをマスター側からではなく、サーヴァント側がマスターに強要しているのだ。 無いものを別のモノで補おうとしている。 魔力吸収魔法の『アスピル』で魔力を回復する事は可能だが、あれは魔力を吸える対象がいなければ役に立たない。これまで吸っていた怪物は全て紅い血になって地面に広がってしまい、キャスターが自分にかけられる魔術を甘んじて受ける筈もない。 今の状況は怪物の触手に四肢を拘束された時よりもピンチだ。 この状況を打開する為、雁夜は左手を動かしてポシェットへと手を伸ばす。そこには魔石と一緒にこの戦いの為にゴゴから渡された切り札の一つが入っている。 敵を前にしながらあまりにも遅い動きでようやくポシェットにたどり着くと、遠くからキャスターの声が聞こえた。 「貴様ら――、我が麗しの聖処女ジャンヌへの目通りを邪魔した罪、決して許さぬぞ!!」 何を思ってキャスターがそんな事を言ったのか判らず、雁夜は顔をあげてキャスターのいる場所を見る。 するとキャスターは実体化を解いてアインツベルンの森の中に立ち込める霧と同化するように消えてしまったのだ。霊体化したキャスターの位置を判別する術が雁夜にはないので、キャスターがどこに行ったかは判らないが、視界の中から完全に消えてしまった。 雁夜はこのまま戦えばキャスターが勝利するだろうと考えていたし、今攻撃されたら反撃できないとも考えていた。だから敵が撤退してくれた事に安堵を感じながらも、疑念も一緒に浮かんでくる。 もしかしたら『ブリザラ』に続いて『ブリザガ』で攻撃した雁夜に更なる隠し玉があると思ったのかもしれない。 あるいは守りの為に開放した魔力が多すぎて、こちらを倒せても次の戦い―――セイバーの待つ城へと攻め込むには力足らずだと計算したのかもしれない。 捨て台詞を残す余力はあったのでまだ戦えただろう。膝をつきながら少しだけ考え込むが、キャスターが退いた真の理由は判らなかった。 生き残ったと言う安心。しかし、あれだけバーサーカーを思い通りに動かしておきながら結局は仕損じた後悔。桜ちゃんが望みながら、それを果たせなかった屈辱がぐちゃぐちゃした想いとなって雁夜の頭の中を蠢く。 「戻、れ・・・。霊体化しろ、バーサーカー・・・」 ここはアインツベルンの森で敵陣の真っただ中だ、それでもとりあえず周囲から敵の気配が消えたので、雁夜はバーサーカーへの魔力供給を最低限に抑える為に命じる。 そうしなければ雁夜の方が先に参ってしまう。 敵がいなくなったのでどうでもよくなったのか、バーサーカーは特に文句を言うような素振りは見せずに黒い霧となって消えて行く。 倉庫街の戦いを見ていたから判るが、もしここにセイバーがいれば雁夜の言う事など完全に無視しただろう。間違いなく同じ森の中にいるので、アインツベルンの拠点めがけて突進してくれなくて良かったと安堵する。 雁夜は十秒ほど深い呼吸を繰り返して心を落ち着けると、ポシェットの中から一緒に入っていた小瓶を取り出す。魔石も入っているが、用があるのはそっちではない。 あれだけ激しく動きまわったにもかかわらず小瓶には傷一つなかった。 「本当に、これで、魔力が・・・、回復するの、か・・・?」 これはゴゴから念のためにと渡された魔力回復のアイテム『エーテル』だ。どれだけ効果があるのか疑わしい代物だが、この状況でアインツベルンから攻撃を受けたら間違いなく負ける。 背に腹はかえられないので、雁夜は小瓶の蓋をあけて、中に入った液体を一気に飲み干した。 今この状況で敵が来ない事を切に願いながら―――。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ アインツベルンの森の上、透明になった飛空艇ブラックジャック号を滞空させているゴゴは『ティナ・ブランフォード』に変身した自分が近づいてくるのを感じた。 ついでにアインツベルンの森の近くにサーヴァントの気配を二つほど感じていたが、どちらも雁夜とキャスターとの戦いではなく、もう一つのサーヴァントの気配のする場所。つまりはセイバーがいると思わしきアインツベルンの拠点を目指しているので、両方とも無視する。 もしキャスター以外のサーヴァントの気配が雁夜に近づいていたら、操舵輪を握る自分をさらに分身させて救援に向かわせたのだが、今のところ雁夜の戦いに新たに加わるサーヴァントの気配はない。 相変わらず冬木市のあちこちでアサシンの気配を感じるが、こちらに実害がなければ放置しても問題は無かった。感覚を頼りに考えると、セイバーの所に向かっているのはランサーと、アサシンのようだ。 子供と言う枷がなくなり、相手がキャスターだけならば雁夜にも十分勝機がある。敵は宝具を始めとして隠し玉を幾つも持っているだろうが、敵が隠し持つ奥の手の対抗策はこの一年でみっちり雁夜に教えたので、初見の相手であっても敵の隙にさせる事態は避けられる筈。それに雁夜にも隠し玉は幾つもある。 何もやってないと見える時は裏で毒をまき散らしていると思え。 見えなくとも魔術師ならば感じられる魔力の奔流を掴みとれ。 貯めの時間があるならば、自分を一撃で吹き飛ばす強力な攻撃が来ると思え。 敵に強力な攻撃手段があったとしても、それが放たれる前に斬り捨てろ。 ありとあらゆる状況に備えさせ、考えるよりも前に体が動くように数ある危険を骨の髄まで叩き込んだ。おそらくこの一年で雁夜が死んで蘇った回数は三ケタを突破する。 人の細胞には分裂回数の限界があり。雁夜の死と再生はその数を劇的に増やした。ヘイフリック限界と呼ばれる解剖学の言葉で、明確な時期までは判らないが雁夜の寿命がかなり削られただろう。 雁夜にもその事は説明したのだが、それで桜ちゃんを救えるなら安いもんだ。と気にしないと言ってのけた。ものまね士としてのゴゴはその雁夜の在り方に何の痛痒も感じていないのだが、師匠としてのゴゴ―――マッシュを鍛え上げた格闘家のダンカン・ハーコートを少しだけ物真似するゴゴは、雁夜の鍛え方について『もっと他のやり方は無かったのか』と少し罪悪感を感じる。 一年と言う限られた時間で、魔術師としての才能がない雁夜を一人前に近づけるには普通の方法では駄目だった。故に『死から学ぶ』という離れ業で戦い方を教えてきたが、良い点もあり悪い点もあった。 考えれば別の方法があったかもしれない。そんなゴゴらしからぬ後悔を思い浮かべていると、桜ちゃんが呼び出した幻獣『ケーツハリー』が飛空艇の前に姿を見せる。 巨大な鳥の背中には十人弱の子供が乗っており、ティナの姿をした自分がその中の一人に手を当てている。 『ケーツハリー』は羽根を動かして位置を微調整しながら、難なく飛空艇の甲板へと舞い降りてきた。ティナとなったものまね士ゴゴに桜ちゃん、他にも沢山子供が背中に乗っているとは思えない優美さだ。 羽根をたたみながら滑り台の様に首を降ろすと、まず桜ちゃんが一番手で降りる。その次に、横たわる子供の脇と膝の下に手を突っ込んで抱きあげたティナが降りた。 他の子供たちはキャスターに連れてこられた恐怖に加えて、目の前に突然現れた飛空艇ブラックジャック号にびっくりしてどうすればいいか判らないようだ。桜ちゃんに倣って降りて欲しいのだが、得体のしれない場所に自分から降り立つ図太い子供はいないらしい。 まだ雁夜が戦っているので、必要であればティナと桜ちゃんには手助けしてほしい。だからこそ、子供達を誘導する手が圧倒的に足りないのが少々痛い。 子供たちから見れば、大人はブラックジャック号を操縦するゴゴとティナの二人だけ。まさかゴゴが操舵輪から手を離して誘導する訳にもいかないので、人手を増やす事にする。 「妄想幻像(ザバーニーヤ)」 ゴゴがアサシンを物真似して得た宝具の名を呼ぶと、自分と言う存在が二つに分裂していく感覚が体の中を駆け巡る。何もない場所を触れているような―――、何もない場所を見ているような―――、何もない場所の匂いを嗅ぐような―――、何もない場所を通る風の音を聞くような―――、何もない場所にもう一人の自分がいるような不思議な気分を感じる。 それが収まった時、操舵輪を握るゴゴの隣にもう一人のゴゴがいた。 「子供たちの世話を頼むゾイ」 「飛空艇を任せたゾイ」 鏡に反射させたかのように全く同じ存在が別々の場所にいる。一瞬前まで同じ場所にいた同一人物が改めて声で確認する必要はないのだが、それぞれが別個の存在であると言う認識の為に、言葉での確認は合って困るものではない。 飛空艇を操縦する自分を背後に置き去りにして、ものまね士ゴゴは『ケーツハリー』の背中に乗る子供たちへと向かう。その矢先、子供の一人がゴゴを見ながら言ってきた。 「――分身の術だ!!」 「ほんとだ、すっげぇ」 ほんの一瞬前まで自分達が置かれている状況が判らずにおたおたしていた筈なのだが、子供達の中から男の子が二人声を出して喜んだ。ゴゴにとってアサシンを物真似して手に入れた宝具は聖杯戦争の象徴の一つであり、闘争の一部分でもある。 だからこそ『子供が喜ぶ』なんて事は想定外であり、きらきらした目で見られるなんて事態は考えもしなかった。 ゴゴは思わず言いそうになった。おい、お前ら怯えてたんじゃないのか? と。それでも子供達の緊張がほんの少しでもほぐれたのなら、むしろ望ましい展開である。 自分はものまね士ゴゴ。しかし冬木市で人の目がある所で『間桐臓硯』であり、口調は『ストラゴス』だ。しっかりとした足取りで子供達に近づきながらも、放たれる言葉は老人の雰囲気を漂わせる。 「さて、お主らはよく判らん事態に巻き込まれて、何が起こってるのかさっぱり判っとらんと思う。じゃが、話をする前にその鳥から降りてくれんかの? 『ケーツハリー』の奴もお嬢ちゃんお坊ちゃんを長い間乗せては疲れてしまうゾイ」 ゴゴがそう言うと、子供達は互いに顔を見合わせてどうしようかと不安げな表情を浮かべる。 怪しげな自分の風体を見て言う事を聞くべきか戸惑っているのがよく判る。だが、ゴゴに対して『分身の術だ』と言った男の子達がまず巨鳥の背中から降りて、後に続いて全員が飛空艇の甲板の上に立ち並んだ。 怯えてゴゴ達を見つめる女の子がいた。 分裂したゴゴを興味深く見つめる男の子がいた。 毛並みが気に行ったのか、『ケーツハリー』の羽毛を撫でる女の子がいた。 夜の空に浮かぶ飛空艇をおっかなびっくり眺める男の子がいた。 千差万別である。 ゴゴはとりあえず、幻獣『ケーツハリー』が自由になったので、まだ男の子を抱えているティナの姿をした自分に向けて話しかける。 「ティナ――、その子供を下に寝かせたら雁夜の援護に向かってくれんか。バーサーカーもおるので心配はいらんと思うが、念には念を入れんとな」 「判ったわ」 そして視線を横にずらして、桜ちゃんにも話しかける。 「桜ちゃんはティナと一緒に雁夜を助けに行ってもらえんかの。ゼロが一緒に行けなくてふてくされとるから、連れて行くと良いゾイ」 「・・・わかりました」 ほんの少しだけ戦場の空気に触れたからか、あるいは同世代の子供達の緊張や恐怖が伝わったのか、桜ちゃんの言葉は普段より固い。どこか戦いに対する忌避感の様な何かを匂わせているので、戦いから―――魔術師の闘争から桜ちゃんを引き離そうとする雁夜の目論見は少しだけ成功しているようだ。 桜ちゃんの事はティナに任せ。戸惑いとか怯えとか興味とか色々な雰囲気を漂わせている子供達に向けて説明する。 「まずは自己紹介をしておこうかの、ワシの名前は『間桐臓硯』、お主らの中にはワシの名前を知ってる者もおるかもしれん。おるか? おったら手を挙げてくれんか?」 ゴゴがそう言って子供達に挙手を求めるが、残念な事に上がる手は一つもない。 訳も判らない状況に追い込まれ、恐怖故に手を上げられないのかもしれないが、本当に知らない可能性の方が高い。 間桐臓硯の名はさほど知られていないし、地域の著名人ではない。それでも、この『ものまね士ゴゴ』の奇抜な衣装が知られていないのは少しショックだった。 誰一人として手を上げない子供達に向かい、ゴゴは語りかける。 「誰も知らんのか・・・。この一年、冬木市を練り歩き『奇人変人・間桐臓硯』の名を知らしめ、警察にも要注意人物として振りまわるよう助言までしたのじゃが、お子様たちが知らぬとは嘆かわしいゾイ。まあ、知らぬならそこも含めて説明するゾイ」 そこでゴゴは一旦言葉を区切ると、子供達に背を向ける 「ここは寒いからブラックジャック号の中に案内するゾイ、ついて来るんじゃ」 片手を上に掲げて誘導のために揺らすと、子供達は最初は動かずに『ケーツハリー』の周りに留まっていた。けれど、ゴゴが一歩踏み出して階段へと向かうと、ここにいても事態の好転は無いと思ったのか、ゆっくりついてくる。 先頭に立つのはゴゴの妄想幻像(ザバーニーヤ)を分身の術だと言った男の子達。それ以外の子供が彼らの後に続き、ゆっくりゆっくり歩いてくる。 歩みが止まらなければ、階段にたどり着くのはあっという間だ。飛空艇の操舵輪を握るものまね士ゴゴの横を通り過ぎる時に、物珍しそうに見物する子供がいたが。足を止める者は一人もいない。 ゴゴが階段を下っていくと、それに合わせて子供達がついてくる。三メートルほど距離をとって、ぴったり後に続く姿は親カルガモの背中を追いかける雛を連想させる。 一番後ろにいた子供が階段を下って床に立つのに合わせ、ゴゴの前からティナと桜ちゃん。それに桜ちゃんの両腕にしっかりと抱かれたミシディアうさぎのゼロの組み合わせがやって来た。 「あの子の外傷は治したけど、心の傷はまだ治せない・・・。今はショックで話を聞ける状態じゃないの。雁夜の問題が片付いたらすぐに戻ってくるから、それまであの子をお願いね」 「任せるゾイ」 ティナを物真似するゴゴ、間桐臓硯を名乗りストラゴスの話し方を物真似するゴゴ。本質はどちらも同一人物でありながら、全く違う別人としてそれぞれ振る舞う。 横をすり抜けながらティナは二言三言子供達に声をかけた。そして『ケーツハリー』の待つ甲板に向かい、足早に行ってしまう。 桜ちゃんが慌ててその後を追いかけ、ゴゴはそんな桜ちゃんに声をかける。 「いってらっしゃい、桜ちゃん」 「いってきます――」 間桐邸で共に暮らすようになってから何度も何度も何度も何度も繰り返されたやり取りだ。挨拶を交わし合う間には躊躇はなく、習慣として成り立った言葉のやり取りが互いの間を行き来する。 少しだけ笑みを浮かべた桜ちゃんはすぐにティナの後を追いかける。三十秒と経たずに桜ちゃんが呼び出した『ケーツハリー』が再び空を待って雁夜の元に舞い降りるだろう。こうしてアインツベルンの森の心配はとりあえず消えたので、ようやく子供達の方の集中できる。 ただし、何人かは緊張でがちがちになっており、震え過ぎて卒倒してもおかしくない者もいた。仕方ないので、話す前に桜ちゃんを救うためにやったある事を子供たちにもやろうと決めた。 「アン、ジーノ、トレス、テトラ、ファフ、セクス、ナナ、ユイン――。手伝ってくれんか、ちょっと来てほしいゾイ。ノインはその子の傍におるのじゃ」 カジノをそのまま持ってきたようなブラックジャック号の内装。ティナが抱きあげていた子供はその中の一室に寝かされているのだが、その部屋に向けて声をかける。 すると一秒とおかずに部屋の扉が内側から開かれ、その中にいた沢山のモノが溢れだしてきた。 「むぐむぐ?」 「むぐ~」 「むぐむぐ」 「むぐ、むぐ~」 「むぐっ?」 現れた、というよりも。溢れた、という方が正しく、白い塊が続々飛び出してくる。それは間桐邸では馴染み深い生き物だが、自然界には存在しない神秘の生き物だった。 青いマントを被り、先のとがった茶色い麦わら帽子をつけたウサギ。ただし頭の大きさは普通のウサギよりも倍近い大きさなので、見方を変えるとうさぎではない別種の生き物に見える。 「こいつらはミシディアうさぎじゃ。ワシが怖いならこいつらを抱きしめるといいゾイ。もこもこふわふわ、柔らかくて中々気持ちいいゾイ」 いきなり現れたうさぎっぽい生き物に驚く子供が大半だったが、足元から見上げてくるミシディアうさぎを見て、まず女の子がそっと腕を伸ばす。 一人が動けば二人目が続き、三人目が動けば後は雪崩の様に広がっていく。 中にはミシディアうさぎに触らない男の子もいたが、きっと毛並みのいい動物が嫌いなのだろう。重要なのは彼ら彼女らが聞ける体勢を作る事で、こちらの話が通じる状況があればそれでいい。 あっという間に『ふれあい動物の森』のようになってしまい、大人向けのカジノを思わせるブラックジャック号の内装とは異なる空間が形成された。いきなりギュッと抱きしめる強者は居なかったが、それでも撫でて撫でて撫でて撫でて撫でて楽しそうに笑みを浮かべる子供が何人かいる。 そのまま一分ほどミシディアうさぎに子供達を落ち着かせる役目を任せ、ゴゴは何も言わずにただジッと待つ。子供達がいたのは薄暗いアインツベルンの森の中だ。電灯の光も太陽の輝きも何一つなかったあの暗い場所に比べれば、ここは天国だろう。 子供達は共に初対面のようだが、ミシディアうさぎを介して笑い合っている。 そろそろいいか―――。ゴゴはそう思った。 「これから色々説明するゾイ。皆、こっちを向いてくれんか」 ゴゴは両手を叩いて、パン、パン、と音を出して注意を向けさせる。 ミシディアうさぎを撫でるのに忙しかった子供は少し驚いていたが、大半は自分達が置かれている状況を教えてくれる大人の声に素直に反応する。何が起こっているのか知りたいと言う気持ちが子供達の顔の中に浮かんでいた。 「まずお主らに起こった出来事を説明する前に大切な事を言っておくゾイ」 そう言うと、ゴゴは『分身の術だ』と言った男の子二人の丁度中間に視線を向ける。 ミシディアうさぎに撫でる為に子供達は床に腰を下ろしていたので、ゴゴからは見ると言うよりも見下ろすと言った感じになっていた。 「そこの坊主――」 「ぼ、僕?」 「そうじゃ。お主、ワシの技を見て『分身の術』じゃと、そう言ったのう?」 「う――うん」 怒られるとでも思ったのか、言葉に力がない。 「お主ワシの事を忍者と思うてないか?」 「・・・違うの?」 「違うゾイ。まずそこを勘違いしとる。確かにあれは『分身の術』と呼べるかもしれんが、ワシは忍者では無いゾイ。手裏剣は投げられる、黒装束も着れる、どこかに忍び込んで諜報活動もお手のもの。じゃが、ワシは忍者よりもっともっとすごいのじゃ」 そう言いながらゴゴは胸を張る。 本来ならば感情を乗せて話す必要も、それに合わせるリアクションを取る必要もないのだが、子供に説明する時には身振り手振りを合わせると効果的だとこの一年で知った。 桜ちゃんと何度も何度も話した経験を生かし、ゴゴは続けた。 「聞いて驚くがよい。何とこのワシ、『間桐臓硯』は魔法使いなのじゃ――」