第9話 『間桐雁夜はバーサーカーを戦場に乱入させる』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ウェイバー・ベルベット 事態は何もかもがウェイバーの想定を大きく逸脱し、書物から得た聖杯戦争の事前情報など何一つ役には立たない渦中へと放り込まれていた。 一体、何がいけなかったのだろう? ライダーに連れられて冬木大橋の鉄骨の上で無様な姿を晒したのがいけなかったのか。 遠坂邸を監視してアサシンとアーチャーと思わしきサーヴァントを目撃しながら、その正体に至る有益な情報を何一つ手に入れられなかったからか。 マスターをマスターとも思って無いライダーのデコピンで吹き飛ばされたのが悪かったのか。 言われるままに世界地図と古代ギリシア詩人ホメロスが記した詩集を盗み出したのがいけなかったのか。 あるいは時計塔でケイネスに届く筈だった聖遺物を盗み出した事がそもそも失敗だったのか。 慙愧の念が生誕まで遡りそうだったのでウェイバーは慌ててそれを差し止める。後悔ならば後でも出来る。ウェイバー・ベルベットは諦めてはならない。何故なら、ここで何もかも放り出しては自分の主義主張を時計塔の連中に何一つ訴えられないからだ。 恐ろしい。 逃げ出したい。 怖い。 それでもここにいなければならない。 この勇気の根幹に暖かく肩を叩いてくれたサーヴァント、ライダーの存在がある事を何となく判っていたが。それを認めるのは悔しかったので決して表には出さなかった。 ただし、自分を保てても、それが精一杯なウェイバーが状況の中心に立って事を進めるなんて芸当は出来ない。今のウェイバーに出来るのはライダーのマスターとして同行しながらも、刻一刻と姿を変える状況に必死に付いていく事だけ、それのみだ。 起こる事象を目の当たりにしながらも、それについてどうこう出来る力がない。マスターに仕える筈のサーヴァントは最初からウェイバーの手を離れている。予想しようと思えば考えられた筈だが、憎きケイネス・エルメロイ・アーチボルトは敵マスターの一人となった。 事態はウェイバーを差し置いてどんどんと先に進む。それを止める術はウェイバーには無かった。 「おい、ライダー。お前、何でそんなに嬉しそうなんだ」 「決まっておろう。あやつが何者かは知らぬが、この英雄豪傑が出揃ういくさ場に出向き、真っ向からの宣言。あれほど肝の据わった男がおる世なら征服のし甲斐があるというもの、心躍るであろう?」 聖杯戦争など世界征服の道中としか思って無い宣言だが、事実、ライダーが聖杯戦争の先を見据えているのはこれまで接した時間で嫌と言うほどに判っている。 ウェイバーにとっての死活問題を軽く流されて苛立つのは確かなのだが、それを言葉にしてもデコピンで封殺されるのでほとんど口にしないのが現状だ。 どこからか、この場を見据えているランサーのサーヴァントにしてウェイバーの怨敵であるケイネスへの恐怖を誤魔化す為、ウェイバーは続けてライダーに話しかける。 「アイツが聖杯戦争と無関係だったらどうするんだよ! 大体、お前がいきなり真名を明かすなんて無茶苦茶なこ――ぎゃんっ!」 「少し黙っとれ」 一度目は言えたのだが、二度目の文句は再び額に叩き込まれたデコピンによって封じられた。 戦いの場にいる緊張感がそうさせるのか、これまで受けてきた中でも一際強烈な痛みが頭をかき乱し、穴が開くんじゃないかと本気で思う。痛みはケイネスへの恐怖を薄れさせてくれたが、代わりにこの場の状況を見渡す余裕も一緒に吹き飛ばしてくれた。 嬉しいが、嬉しくない。 「おいこら! ランサーのマスターの他にもおるだろうが、闇に紛れて覗き見をしておる連中は!」 ケイネスの言葉を聞いて蹲っていた時と同じように蹲ってしまうが、今回は額に両手をあてて悶絶しながらだ。聞こえてくるライダーの声が耳に届いて『周囲に話しかけている』という状況は知れるのだが、それ以上は痛みで見聞きする余裕がない。 「どういうことだ? ライダー」 「セイバー、それにランサーよ。うぬらの真っ向切っての競い合い、まことに見事であった。あれほどに清澄な剣戟を響かせては、惹かれて出てきた英霊が、よもや余一人ということはあるまいて。あの者のように耳聡い者ならば決して聞き逃さぬ見事な戦いぶりよ、英霊ならば聞き逃すなどあってはならぬ」 何やらセイバーがライダーに向かって話しかけ、ライダーがそれに応じてるようだが額の痛みはそのままだ。 それでもライダーの話が長かったので、何とか起き上がって周囲を見渡せる位には復帰できた。 姿が見えないランサーのマスターにして憎きケイネスの姿が見えないのは変わらない。 セイバーが見えない剣を構え、その後ろにマスターと思われる女性がいるのも変わらない。 ランサーがセイバーとの戦いに割って入ったこちらを鋭い視線で見ているのも変わらない。怖いので目が合わないように顔をそらしておく。 そして倉庫街の壁に背中を預けた乱入者も変わっていなかった。両手に鉤爪をはめた戦いの準備が万端のくせに、『やるなら勝手にやれ』と言わんばかりの態度でそこにいる。 帽子とマントを着けたウサギが肩に乗っているのが非常に気になったが、とりあえず状況に劇的な変化が起こってない事は確認できたので由とする。 「情けない。情けないのう! 冬木に集った英雄豪傑どもよ。このセイバーとランサーが見せつけた気概に、何も感じるところがないと抜かすか? 誇るべき真名を持ち合わせておきながら、コソコソと覗き見に徹するというのなら、腰抜けだわな。英霊が聞いて呆れるわなぁ」 するとライダーは両手を大きく両側に広げ、この場にいる全員ではなく、より遠くに声を届かせるように少し上を向いた。 ウェイバーが隣に居ながら普通に両手を広げられる巨大さに、ますます大男が嫌いになりそうだ。 「聖杯に招かれし英霊は、今! ここに集うがいい。なおも顔見せを怖じるような臆病者は、征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!」 耳を塞ぎたくなる大音響が周囲に響き渡り、鼓膜が破れるんじゃないかと本気で心配になる。 しかし両手は額を押さえるのに使っているので咄嗟に耳を塞ぐ頃にはライダーの大声が頭をぐらぐらと揺らした後だ。二重の頭痛を味わいながらウェイバーは見る。 大声の余韻が静まる頃、ランサーがいる場所ともセイバーとそのマスターがいる場所とも違う場所から強烈な魔力の波動が生まれた。ウェイバーとライダーの位置からでは背後になる。 倉庫街の街灯のポールの頂上―――。そこに突如として現れた、眩いばかりに輝く甲冑の立ち姿に、ウェイバーは思わず息を呑む。 挑発に乗ってきたランサーとセイバーとライダーに続く第四のサーヴァント。常人ならば立っていることすら覚束ないであろう地上十メートルほどの高さに、悠然とたたずむその黄金の人影には見覚えがあった。 「あいつは・・・」 ようやく痛みが引いて来たので、そこにいる黄金のサーヴァントが何者であるかを考える余裕が戻ってくる。見たのは使い魔の目を通した一瞬だけだったが、あれほど強烈な存在を見違える訳がない。 ライダーと言う心強い味方がいるからこそ何とか居竦まずに見れるが、間近で対面すればその瞬間に膝を屈するであろう強烈な圧迫感を放っている。 昨夜、遠坂邸に侵入したアサシンを圧倒的な破壊力で殺したサーヴァントに間違いない。今ばかりはケイネスの事など考えている暇は無かった。 ランサー、セイバー、ライダーが既にこの場に居合わせ。アサシンは既に無く、黄金の甲冑姿で堂々と姿を晒す様子からキャスターには見えず、狂っている様には見えないので狂化したバーサーカーも除外される。 よって消去法であの黄金のサーヴァントはアーチャーのサーヴァントになる。三大騎士クラスの最後の一つだ。 「我(オレ)を差し置いて『王』を称する不埒者が、一夜のうちに二匹も涌くとはな」 「難癖つけられたところでなぁ・・・、イスカンダルたる余は、世に知れ渡る征服王に他ならぬのだが」 「たわけ。真の王たる英雄は、天上天下に我(オレ)ただ独り。あとは有象無象の雑種にすぎん」 街灯の灯りが黄金のサーヴァントを下から照らしているが、元々、街灯は下にある道路の照らす為の道具だ。夜の暗さもあって黄金のサーヴァントの顔はよく見えないが、見下ろしながら告げる言葉にはライダーの尊大さとは全く違う冷酷と無慈悲が込められていた。 ライダーは自分以上に高飛車な相手が現れるとは思ってなかったのか、困惑顔で顎の下を指で掻いているのが見える。 セイバーにもランサーにも一目置いたライダーとは異なる価値観。初見から自分以外の存在を全て『雑種』と言い切る尊大さ。そして語る言葉からセイバーの『騎士王』、ライダーの『征服王』と同じように、どこかの王なのはほぼ確実である。 「そこまで言うんなら、まずは名乗りを上げたらどうだ? 貴様も王たる者ならば、まさかおのれの威名を憚りはすまい?」 「問いを投げるか? 雑種風情が、王たるこの我(オレ)に向けて? ――我が拝謁の栄に浴してなお、この面貌を見知らぬと申すなら、そんな蒙昧は生かしておく価値すらない!!」 そしてアーチャーは言葉に徐々に怒りを滲ませ、剥き出しの殺意をこの場にいる全員に向けて放つ。 当然、話していたライダーが最も強くその影響を受け、横にいるウェイバーは気絶しないように自分を保つのが精一杯だ。 怖い。 少し考えればライダーの言い分の方が正しく思えるのだが、アーチャーの観点では自分を知らぬ事が罪であるらしい。 ランサーとセイバーのように真名を隠すのではなく、誰もが自分の真名を知っているのが当然だと言わんばかりの不遜な態度。ウェイバーには理解できない英霊のあり方だが、黄金のサーヴァントの背後に生まれた輝きがそれ以上の思考を許さなかった。 アーチャーの輝きと同種かそれ以上に眩しい黄金の光が円状に光ったかと思うと、次の瞬間、その中央から武具が現れたからだ。数は二つ。片方は剣、片方は槍のように見えるが、一部がその円形の輝きの中にまだ収まったままなので、全容を見るには至らない。 「なるほど、あれでアサシンをやったのか」 ライダーの呟きに触発されてもっと注意深く見る。宝具の名前もアーチャーの正体もまるで判らないが、あの武具を『発射』する事があの英霊がアーチャーとして招かれた由縁なのだろう。 遠坂邸で見た武具の射出がここで再現されようとしている。 セイバーやランサーの様に武器を自らの手に持って戦うのではなく、撃ち出す英霊だとしたら。距離を取っている今の状態でもアーチャーにとってここは攻撃範囲内だ。 いつでもアーチャーはこちらを攻撃できる。その様子を見せつけるように、現れた二つの武器がライダーのいる方向、つまり自分にも向けられ、背後の光によって見えるようになったアーチャーの禍々しい笑みが一緒に見えた。 狂喜。冷笑。喜悦。嘲笑。状況によっては一人で地上にいる他の三人のサーヴァントを相手にする状況すら出来上がりそうなのに、アーチャーの顔に浮かぶ笑みは自分の勝利以外に何もないと確信している笑いだった。 誰かが動けばそこから状況も一緒に動く。ただし、戦いにおいて初心者以下のウェイバーにはどうするのがこの場においての最良か判らず、ライダーの判断に委ねるしかない。 どうなるのか? どうするのか? どうすべきなのか? 疑問ばかりがウェイバーの頭の中に蠢いていると四人のサーヴァントがにらみ合う状況に更なる変化が訪れた。 セイバーのいる場所ともランサーのいる場所とも、道路の真ん中に陣取っている自分達のいる場所とも、アーチャーの立つ街灯の上でもない五ヶ所目―――。突然やって来て、倉庫街の壁に背中を預けたまま状況を黙って見ている何者か―――マッシュと名乗った男のすぐ目の前に黒い煙が湧き出したのだ。 「アアア、ァァァァァァァァァ――」 まき上がる黒い魔力が形を成し、長身で肩幅の広い何者かが姿を見せる。そいつは一分の隙もなく黒い甲冑で身を包んだ騎士の姿をしていた。 セイバーの白銀の鎧とも、アーチャーの黄金の鎧とも異なる漆黒の鎧。ただひたすらに黒く、闇が四肢をもった人の形をしているようにも見えて、兜に細く穿たれたスリットの奥に見える紅い輝きだけが黒以外の輝きをもっている。 アーチャーの登場と同じく途方もない魔力の奔流を感じたので、あいつがサーヴァントであるのは間違いない。地肌が全く見えず、鎧兜で武装しているので騎士であるとは思うのだが、要所要所から湧き上がる煙に似た黒い魔力の奔流が細部を隠してしまっている。 姿から英霊の正体に至るのはほぼ不可能。ウェイバーは咄嗟にこの場にいないサーヴァントで、あそこにいる黒い騎士に合致するモノが何かを考えた。 アサシンは既になく、聞こえてきた雄々しい叫びがあまりにもキャスターとかけ離れている。そうなれば後は一つしかない。 「バーサーカー・・・」 結論に至るのは早かった。 乱入に次ぐ乱入。どんどん現れるサーヴァントにウェイバーの頭はパンク寸前だ。他人事のようにそう思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 衛宮切嗣 切嗣はセイバーとランサーが戦いを始めた時より、岸壁間際の集積場に積み上げられたコンテナの山の隙間から状況を監視していた。 セイバーとアイリスフィールを囮として、戦いに集中する敵のマスターを背後から暗殺する。勝利のためには手段を選ばない衛宮切嗣の持論によって構成された戦いは、ほぼ切嗣の予想通りに展開していた。 一つ目の予想的中として。切嗣はまずワルサー狙撃銃につけられた熱感知スコープと光量増幅スコープによって、セイバーとランサーの戦いを倉庫の屋根から見る人影を発見した。 状況からほぼ間違いなくランサーのマスターであり、相手は幻影や気配遮断といった魔術的な迷彩で自分の位置を隠匿しているようだが、切嗣が好んで使う機械の目を欺く術までは行使していない。人の目には何も映らないとしても、機械仕掛けのカメラアイにはしっかりとその姿が映し出されている。 『魔術師殺し』の衛宮切嗣にとっては絶好の標的だ。 そして二つ目の予想的中は、戦場を監視する絶好の場所であるデリッククレーンという最良の監視ポイントに自分達以外の監視者が現れた点だ。 衛宮切嗣という機械を、より機械らしく動作させるための人の形をした補助機械。その久宇舞弥と共に最良の監視ポイントを放棄した切嗣は、そこに別の誰かが現れるであろう事態を予測して、わざわざコンテナの山に自らを潜ませた。 自分達以外の監視者が現れ、もしそれが別のマスターであったならば、標的は一気に二つに増え、聖杯戦争を優位に進めることが出来る。 正しく、新たな監視者は切嗣と舞弥が放棄した絶好の監視ポイントに現れたが、ここで予想外の事態が起こった。 デリッククレーンの上に現れたのが、遠坂邸にて殺された筈のアサシンだった事だ。 遠坂時臣と言峰綺礼との共闘―――あるいは本来中立である筈の監督役すらも疑っていた切嗣にとって死んだ筈のアサシンがそこにいる事実は驚くに値しなかった、けれど敵としてそこに現れた事態は中々まずい。 アサシンは決して戦闘力に秀でたクラスではないが、それでも英霊に属する者なのは確かで、ただの魔術師でしかない切嗣にとっても舞弥にとっても手に余る相手だ。 加えて、今は対サーヴァント用の装備を用意していない。 ここでランサーのマスターを狙撃すれば間違いなくアサシンにこちらの居場所を掴まれ、真っ向から戦わなければならなくなる。令呪によってセイバーを呼び出して相手をさせる事も出来るが、その場合はランサーの眼前にアイリスフィールを置き去りにする上に、セイバーのマスターがアイリスフィールであると見せかけるこちらの策を露見する事にもなる。 状況から切嗣はランサーのマスターを葬る絶好の機会ではあるが、今夜の所は見送るしかないと結論を下し、敵サーヴァントとマスターの監視を続行した。 ただし、ライダーの出現といきなりの大熱弁で真名を名乗った展開には、さすがの切嗣も呆気にとられてしまう。こんな状況は予想外にもほどがある。 口元のインコムを通じて、別の場所で戦場を監視している舞弥にむかって愚痴ってしまうのも致し方ない事であろう。 「・・・・・・あんな馬鹿に、世界は一度征服されかかったのか?」 そしてライダーの登場から事態は切嗣の予想を遥かに上回っていった。 道路の上にいる四人に向かって炎を浴びせ、肩にうさぎを乗せて現れた乱入者の存在だ。 「あの男は何者でしょう。マスターともサーヴァントとも思えませんが」 「確かにマスターではない。が、あの男が間桐邸から出て来たのをこちらで確認している。魔術をかじった単なる一般人が興味本位で首を突っ込んだん訳じゃない」 間桐邸から出て来たのだから、何らかの形で聖杯戦争に関わっているのは間違いない。もしかしたら、切嗣にとっての舞弥がそうであるように、聖杯を得る為に間桐が呼び込んだ助っ人の可能性もある。 だが今は情報が少ないので、あの男の正体が何であるかを知るには至れない。 更に監視を続けていると、ライダーの挑発に乗って遠坂のサーヴァントであるアーチャーが現れ、そしてバーサーカーまでもがこの場に実体化した。 ライフルの照準を頭上へと向ければ、変わらずデリッククレーンの上から戦場を監視するアサシンの姿が合った。つまり聖杯戦争が始まったばかりだと言うのに、七騎のサーヴァントのうちキャスター以外の六騎のサーヴァントがここに集まってしまったのだ。 表向きはアイリスフィールをマスターとして矢面に立たせているが、切嗣は正真正銘セイバーのマスターであり聖杯戦争においてマスターに貸与される特殊能力もまたしっかりと渡されている。 すなわち『他のサーヴァントのステータスを読み取る透視力』だ。真名を即座に看破できるほど強力なモノではないが、それでも戦いを優位に進める為に敵のステータスは切嗣の目にしっかりと見えており、ランサーもライダーもアーチャーのステータスもスコープ越しに見えていた。 しかしバーサーカーはそれが何一つ見えない。 おそらく、自らの素性を幻惑させるような特殊能力―――つまりは宝具か、英霊でありながらも呪いを帯びている可能性があった。 ランサーとセイバーとの一騎打ちの形ならば、その間にマスターを暗殺してセイバーの初戦を勝利で収めることが出来ただろう。だが、次から次へと切嗣の予想外の事態ばかりが巻き起こり、戦場は混沌の坩堝へと姿を変えた。 「何故、この場に実体化を」 「まともな思慮のあるマスターであれば、こんな戦略もへったくれもない混沌の直中に敢えてサーヴァントを放とうとは思うまいがな・・・」 インカムの向こう側から舞弥の声が聞えてくるが、遠坂の真意もこの場に見えないバーサーカーのマスターの真意も判り様がない。 「舞弥。アサシンの監視を続けろ、こちらでバーサーカーのマスターを探す」 「了解」 敵が何を思ってサーヴァントを戦場に送り込んだのかは知り様がないが、敵の姿が無くてはどうしようもない。 サーヴァントを退けるにはマスターを殺すのが手っ取り早いので、そちらを探し当てる事が急務である。 バーサーカーのマスターを探しながら、スコープを通して戦場を様子をもう一度見ると。五人のサーヴァントが向かい合って一触即発の状況を作り出していると言うのに、変わらず倉庫街の壁に背を預けて腕を組んでいる男の姿が一瞬見えた。 マスターでは無いようだが、何らかの形で間桐に関わり、聖杯戦争にも関わりを持っている誰か。切嗣はその男もまた敵と定め、状況をこちらの望む展開に引き込むために敵の姿を探し続ける。 ランサーのマスターであり、ウェイバーを恐怖に陥れたケイネスは確かに魔術的な隠匿を行っていた。しかし、機械的な隠匿を怠ったが故に切嗣に発見された。 そして狙撃兵として暗殺も行える切嗣は敵に狙いを定めた時こそが自分の背後に最も注意しなければならない時だと判っている。 だからこそ切嗣はケイネスと同じように魔術的な隠匿を行いながら、同時に機械的な隠匿も行って敵に見つからぬように努めている。一度でも、戦場に銃弾を撃ち込めばこちらの位置を探らせてしまうだろうが、その一度が無ければ誰にも見つからぬ自信がある。 事実、そうやって『傭兵』であり『魔術師殺し』の衛宮切嗣は形作られていった。これは九年前にアインツベルンに雇われる以前、世界各地の紛争地を生き抜いた経験に基づく知恵である。だからこそ切嗣は―――魔術的な隠匿を乗り越え、機械的な隠匿も突破し、切嗣が持つ経験を上回る監視者に気付けない。 もっとも予測出来たとしても、アサシンのスキル『気配遮断』に匹敵するかそれ以上の、魔術的にも物理的にも見えなくなる。『消滅』と言っても過言ではない隠匿を行える敵に気付けと言う方が無茶な話だ。 遠坂邸や間桐邸の様に魔術的な要塞として構築された場所ならば発見は可能かもしれないが、切嗣がいる場所はアイリスフィールが持つ発信器によって導かれた場所で、現場の下準備は無いに等しい。 『魔術師殺し』の衛宮切嗣は気付かない。 コンテナの山の隙間から状況を監視する切嗣を更に監視する存在に―――おそらく他のマスターの陣営と比較しても、冬木の町に放たれた使い魔の中で最も大量であろう、その中の一匹に―――透明になったミシディアうさぎに―――。 監視者を監視する切嗣は、自分もまた監視されている事に、全く気付いていなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 雁夜は自分の無力さをよく知っている。 たとえ一年間ゴゴによって鍛えられて、別人と見間違えるほど成長したとしても。サーヴァント『バーサーカー』と契約して聖杯戦争に参加するマスターとなったとしても。常に『ものまね士ゴゴ』が巨大な壁として立ち塞がっていたので、増長する暇は全くなかった。 諦観と自制。雁夜がこの一年で身につけた最も大きな力はこの二つかもしれない。だからこそ雁夜は、自分の視界ではない別の生き物の視界を通して戦場を見つめながら、自分の内側から沸き立つ激情に身を任せずにいれた。 葵の夫でありながら、桜の父でありながら、母と娘の幸福を踏みにじった男への―――、遠坂時臣への怒りがあった、憎しみがあった、恨みがあった、妬みがあった。それでも、自分が成すべき事を成す為に―――『桜ちゃんを救う』ために、雁夜は自分を抑え込めている。 現在、雁夜はセイバーとランサーから倉庫街の外れに身を潜めており、単純な距離で考えればおそらく一キロ近く離れているだろう。 間桐の蟲が全てゴゴによって殲滅されたので、代わりにゴゴをミシディアうさぎを使い魔としてこの第四次聖杯戦争に放った。その内の一匹が雁夜に貸し与えられ、今は間桐の使い魔として役立っている。 全てのミシディアうさぎを統括できるのはゴゴただ一人だが、雁夜の所にいる数字の『6』が帽子に描かれたセクスとゴゴの肩に乗って状況を監視しているミシディアうさぎとの間に繋がりを作り、近づかずとも状況を把握出来ている。 桜のミシディアうさぎ『ゼロ』ほど深い繋がりではないが、ミシディアうさぎに魔力のパスを通して別の場所にいるミシディアうさぎの視界を借りる位は造作もない。 雁夜は、暗がりに身を潜め、アジャスタケースを背負い、フード付きパーカーで顔を隠し、着飾ったうさぎを両腕で抱えている。傍目から見ると、果てしなく怪しい姿だと自覚しながらも、これが今できる最善なので深くは気にしない事にした。 これでは日々、色彩豊かで奇抜な衣装で外を出歩くゴゴに何も言えないではないか。 何とか気を持ち直しつつ、桜が使い魔のゼロにしている様に、腕の中に抱かれてくれているセクスを通して戦いの場に意識を向ける。そして街灯の上に立って、悠然と見下ろす―――いや、全ての事象を『見下す』サーヴァントをもう一度じっくり観察した。 ゴゴから聞いた時は『黄金のサーヴァント』という言葉だけで明確な姿を思い浮かべられなかったが、あれを見ればその説明が最も判りやすいと理解できる。 「むぐむぐっ!?」 ミシディアうさぎ特有の鳴き声を耳にして、雁夜は慌てて敵サーヴァントから意識を切り替える。セクスからゴゴの所にいる『2』のジーノに向けて、『少し横を向いてくれないか』とお願いすると、ゴゴの肩の上に乗っているミシディアうさぎは雁夜の願いを聞き入れてゴゴの横顔を見た。 そこにいるのは間桐邸で見る奇抜な衣装で身を固めたゴゴではない。バーサーカーの宝具の一つ『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』によって変身した全く別の誰かだった。 英霊の宝具をいとも容易くものまねした常識外れの理解力に色々と思う所はあるが、今は考えるべき事ではないので横に置く。 精悍な顔つきの男の顔は見た事が無い、が、その顔は紛れもなく『ものまね士ゴゴ』が変身した姿なので、見た目こそ変わっていても力の本質は何一つ変わっていない。こいつはバーサーカーすら楽々あしらったゴゴなのだ。 危険だと考えるよりも前に、あのゴゴならば戦いの渦中にいても他のサーヴァントに後れをとる姿が想像できず、姿こそ違えど、堂々と立つ姿に安堵すら思える。 雁夜は思った。ならば、バーサーカーとと他のサーヴァントとを比較した場合はどれほどのモノなのか。 今の雁夜の力でバーサーカーを完全に制御できるのか否かを知るには丁度いい状況だ。と、そう思った。 遠坂時臣から桜を間桐にやった真意を聞く為に、奴には生きてもらわなければならない。そして、雁夜にとっては最早『聖杯』なんて物は、手に入れる価値のある賞品ではない。 戦略として考えれば、聖杯を得る為の最善は何の手も出さずに敵同士が殺し合ってくれる事だ。けれど雁夜の目的は他のマスターとは違う。 聖杯戦争に参加したサーヴァントの力を推し量る為、バーサーカーがこの状況下でどれほど戦えるか見極める為、戦いにおいて最も重要な『観察』を行う為の調査を行おう。雁夜はそう決める。 彼らには試金石となってもらおう―――。 どうにもゴゴと言う強大かつ常識外れな協力者がいるためか、思考がバーサーカーを軽んじる傾向に陥っている。そう自己解析できるのだが、遠坂への怒りも手伝って自分を止めようとは思わなかった。 「行け、バーサーカー。目標はアーチャーだ。殺せ」 理性のあるサーヴァントならば事細かな指示を出せるのだが、複雑な命令は狂ったサーヴァントには逆効果であろう。 端的に。それでいて雁夜の怒りを具現化する望みの一部を黒い騎士に命じる。 時同じく、呼びかけられたと勘違いしたのか。腕の中にいたミシディアうさぎのセクスが『むぐ?』と小さく鳴いた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ライダー セイバーとランサーの戦いを力ずくで止めた征服王イスカンダルは、五人ものサーヴァントが出揃った事に歓喜しながら、同時に不用意に動けない状況に微かな苛立ちを覚えた。 異なる時代の英雄豪傑と矛を交える機会に恵まれたのは喜ばしい事なのだが、さすがに一度で四人も相手にするのは少々骨が折れる。自分で呼んでおきながら何を今更とも思ったが、もしかしたら、いきなり切り札を使わねばならなくなりそうだ。 加えてライダーの機嫌を損ねる原因は、新しく出てきたサーヴァント『アーチャー』と『バーサーカー』のどちらもランサーとセイバー以上に説得出来そうにない事である。言葉をかける以前から断る空気が―――あるいは話が通じない雰囲気が湧き出ている。 「なぁ征服王。アイツには誘いをかけんのか?」 「誘おうにもなぁ。ありゃあ、のっけから交渉の余地なさそうだわなぁ」 敵の出方を伺いながらも、こちらを揶揄してくるランサーに軽口を返すが、名残惜しさは消えずにそのままだ。 けれど会話で勧誘出来ないのならばそれはそれでやりようがある。 今のところ、ライダーは明確に誰かを標的に見定めているわけではなく、この聖杯戦争にはせ参じた英霊たちの顔触れが見れればそれでよかった。いざとなれば誰の挑戦でも受けて立つ覚悟はあるが、まだ様子見に留めておく段階だ。 「で、坊主よ。サーヴァントとしちゃどの程度のモンだ? あれは」 「・・・判らない。まるっきり判らない」 声をかけるが、ウェイバーはこちらを見向きもせず、ただひたすらにバーサーカーの方を見続けている。 「何だぁ? 貴様とてマスターの端くれであろうが。得手だの不得手だの、色々と『観える』ものなんだろ、ええ?」 「見えないんだよ! あの黒いヤツ、間違いなくサーヴァントなのに・・・ステータスも何も全然読めない!」 ライダーには見えないのだが、聖杯戦争のマスターに敵サーヴァントのステータスを数値化して見れる特殊能力が備わるのは既に周知の事実。その能力を駆使して尚、見えないと言うのならば、あのバーサーカーはステータスと隠す何らかの能力を用いているのだろう。サーヴァントの宝具か、あるいはマスターの魔術か。甲冑の隙間から湧きあがる黒い魔力もその恩恵に違いない。 アーチャーの方は見せつけるように背後から武具を撃ち出そうとしているので、アサシンを殺したあれが攻撃手段なのは確実だ。けれどバーサーカーの手にはセイバーの剣やランサーの槍、そしてライダーの戦車(チャリオット)に該当する武器が見当たらない。 黒い騎士に見えるサーヴァントがまさか無手で戦うとは思えないので、サーヴァントのステータス同様に何らかの手立てで武器を隠しているのかもしれない。 自然とライダーだけではなくここに集まったサーヴァント全員が正体不明のバーサーカーに意識を向ける事になるが、当のバーサーカーの視線が向かう先はただ一点。 「誰の許しを得て我(オレ)を見る? 狂犬めが――」 地肌は見えずとも、兜の向きとスリットの奥から光る紅い輝きが、アーチャーただ一人に視線を固定している。 卑賤なる者は眼差しすらも卑しく汚らわしい。それを浴びせられるのは貴人として耐え難い屈辱。そう言外に語るアーチャーにとってバーサーカーは既に咎人と確定している。 アーチャーは呟きながら、背後に浮かばせた二つの武器の方向を変えた。切っ先が新たに向かうは当然ながらバーサーカーだ。 「せめて散りざまで我(オレ)を興じさせよ。雑種」 冷厳なる決定とともに槍と剣とが撃ち出され、風を切る音が聞こえた次の瞬間にはバーサーカーのいる場所が爆発した。 常人では見切るのも不可能な超高速の射出。これこそがアサシンを殺した。ただし、英霊にとって象徴ともいえる宝具を石礫か何かのように無造作に撃ち出すのは、周囲を驚かせ続けるライダーすらも僅かに驚く攻撃だった。 セイバーの剣とランサーの槍もクラスを象徴する宝具だからこそ手放したりはしない。 そしてライダーは刹那の時の中で繰り広げられた幾つもの攻防に更なる驚きと喜びを抱く。 第一撃として飛来したアーチャーの剣―――、これをバーサーカーは何の苦もなく掴み取り、すぐさまそれを自分の武器として、続く第二撃の槍を打ち払ったのだ。この剣技の冴えに昂ぶらずにはいられない。 巻きあがる爆煙はアーチャーの槍が爆発した結果だ。おそらく敵の衝突すると爆発し、敵を爆死させる何らかの能力が付加された武器なのだろう。が、驚くべきはそこではない。 真に驚くべきは、バーサーカーが叩きつけた地面が何一つ壊れてないと言う点である。 「・・・奴め、本当にバーサーカーか?」 「狂化して理性を無くしてるにしては、えらく芸達者な奴よのう」 張り詰めた声で呟くランサーに対して応じるが、ライダーの目はバーサーカーが槍を叩きつけた地面に注がれ。そしてバーサーカーの後ろで今だ腕を組んだまま状況を静観している男に向けられる。 この『無機物の破壊を許さない結界』があの男が張ったのをライダーは見ていた。男の見た目は両手にはめた鉤爪から格闘家に見えるが、芸達者と言う点ではバーサーカーにも決して劣らない。 バーサーカーが見せた、アーチャーの撃ちだした宝具を難なくつかみ取って、鮮やかに自分の武器として使いこなす神業めいた剣技。 手を伸ばせば届く位置でそんな英霊同士の戦いが行われているにも関わらず、肩にうさぎを乗せたまま動じない胆力と、ライダーには決して出来ぬ強力な結界を張る技量の高さ。 今は周辺にのみ展開されているようだが、もしこれがあの男の防御に使われれば、アーチャーの攻撃では突破できない事が証明された。 征服王イスカンダルの胸の内に今まで以上に歓喜が湧きあがりそうになるが、それよりも前にアーチャーの怒りが周囲の空気を揺らす。艶やかな美貌からはあらゆる表情が削げ落ちて、ただ殺意のみを浮かべていた。 「その汚らわしい手で、我が宝物に触れるとは――。そこまで死に急ぐか、狗ッ!」 むき出しの殺意を言葉に乗せて言うと、アーチャーの背後に再び円形の黄金の輝きが生まれた。その数、実に十六―――。その全てから槍、剣、斧、槌、矛、そしてライダーには使い方の判らない奇怪な刃物が現れてバーサーカーに照準を合わせた。 どれもこれもが痛烈な輝きを持ち、膨大な魔力を漲らせ、宝具である事を証明している。 「そんな、馬鹿な――」 マスターであるウェイバーの呟きは英霊がもつ宝具の『群れ』に対するものであるか。それとも、無数の武具の切っ先を向けられながら、全く動じずにアーチャーを見るバーサーカーと、間違いなくアーチャーの攻撃の射程範囲に入ってしまっていながら、こちらも動じずに腕を組んだまま動かない男を見たからか。 周囲の喧騒を無視して、アーチャーはバーサーカーに向けて言い放つ。 「その小癪な手癖の悪さでもって、どこまで凌ぎきれるか見せてみよ!」 無慈悲な宣告と同時に十六の輝きから武具が放たれた。 槍、剣、三叉鉾、斧―――。息もつかせぬ宝具の射出が、鋭い雨になってバーサーカーに突き刺さらんとするが。バーサーカーは迫りくる武器を掴み、叩き落とし、持ち直した武器で払い、避け、武器と武器とがぶつかり合う甲高い音をまき散らしながら応戦する。 ライダーにはその全ての攻防がはっきりと見えているが、マスターであるウェイバーの目には文字通り『目にも止まらない』戦いだろう。 ただし、ライダーの目には見えていても、それを全て避けたり迎撃できるかどうかはまた別問題だ。単純な剣技と言う点では自分よりもバーサーカーの方が勝っている。 時間経過と共に武具の嵐は更に勢いを増していくのだが、それでもアーチャーの攻撃はバーサーカーには届かない。 両刃の曲刀『ショーテル』、騎兵用突撃槍である『ランス』、それらが空を切り裂きながらバーサーカーに襲いかかり、バーサーカーはそれを全て迎撃する。 フルプレートの鎧をまといながら、その重さを感じさせない俊敏さを見せつけ。敵の宝具をいとも容易く自分の手足のように操っている。一瞬すらかからずに取捨選択を行い、状況に応じて奪い取った武器を投げ、払い、捨て、全ての攻撃に対処した。 大型の武器を掴みとれば、勢いに任せて後ろに押される事もあるが、それでもバーサーカーを傷つけるには至らない。 これはアーチャーとバーサーカーによる殺し合い。しかし、息の合った舞のようにも見えるその戦いにこの場にいた全ての目が向けられる、ライダーもまた魅せられる一人だ。 「あっ!」 その呟きはすぐ隣にいるウェイバーのものだが、驚きのあまり出てきた叫びにはライダーも無条件で同意する。 アーチャーの攻撃によって後ろに下がらされたバーサーカーが迫りくる武器を打ち払っているのだが、その内の一本―――バーサーカーが屈んで回避した槍が後ろに流れてしまったのだ。 攻撃するアーチャーにとってバーサーカーに当たらぬ攻撃に意味はない。バーサーカーも避けた武器にはもう意味がない。しかし観戦する立場でその槍が向かう先に誰かがいたら問題に様変わりする。 聖杯戦争に関わりが有るのか無いのかまだ推し量れないが、英霊に一歩も引かぬ在り方はライダーの好む気性だ。その男に向かって、アーチャーの槍が飛んでしまう。ライダーの目は、男の脳天めがけて飛来する槍の軌跡を捉えた。 死ぬか? 刹那の思考の後、ライダーは目の前で起こった出来事に感嘆の声をあげる。 「ほう――。あ奴、中々やりおる」 信じがたい事ではあるが、ライダーの眼前で男は組んでいた腕を解いた瞬間。飛んでくる槍の刃に右手の鉤爪をぶつけ、そのまま頭上に払ったのだ。 ガン、と甲高い音を立てながら、力をなくした槍が空を舞う。まっすぐ向かってくる槍の力を逸らしたのでも、避けたのでもない。片腕一本で槍の突進力を完全に封殺し、アーチャーの射出を無力化してしまった。 「え? あ、はっ!?」 一瞬遅れて、ウェイバーの動揺が聞こえるが、ライダーは目の前で起こる神技を見るのに夢中でそれどころではない。 アーチャーが新たに撃ち出した十六挺の宝具が止まると、道路の上には無傷で立つバーサーカーがいた。足元には打ち払い、捨て去り、避けたアーチャーの武具が無造作に散らばっており、それでも壊れていない道路と合わせて奇妙な粗雑さと作り出している。バーサーカーの右手には戦斧が、左手には剣が握られており、傷一つない様子と相手の武器を持ち、声なき姿が『それで終わりか?』と物語った。 そしてアーチャーを仰ぎ見るバーサーカーの背後には、右手を上に掲げた姿勢で同じようにアーチャーを見る男の姿があった。こちらもバーサーカー同様に怪我はなく、肩に乗るうさぎもそのままだ。 真空のような静寂がアーチャーとバーサーカーの間を行き来する中。最初に動いたのはアーチャーの宝具を弾き飛ばした男だった。 倉庫街の壁から背中を離し、一歩前に出ながら両腕を合わせて印を組む。そして―――現れた時に聞こえた声を再び口にした。 「鳳凰の舞!!」 起こった変化は劇的だ。 男が現れた時はライダーの剣:スパタで軽く払えばそれだけで散ってしまう貧弱な火でしかなかったが、同じ言葉で巻き起こった今度の炎は、同じ『火』に属しながらも次元の違う別物だ。密度、威力、速度、熱気、何もかもが最初と違う。 炎の数、実に十六。アーチャーの宝具に対抗したのは間違いなく、男が生み出した炎は男の姿をそのまま模倣してアーチャーへと襲いかかる。 炎の形が『殴りかかる格好』の男の姿そのものなので、ライダーは男が生み出した炎が命を持っているのではないかと錯覚してしまう。 アーチャーが背後に生み出した十六の輝きに対し、男の形をした炎がそれぞれに向かう。ただの炎ならばアーチャーの宝具には傷一つ負わせられないだろうが、十六の炎は寸分の狂いもなくアーチャーが呼び出した円形の光に衝突し、ガラスが割れるような甲高い音をまき散らして消滅させてしまった。男の姿をした炎も一緒に消えたので痛み分けと言えるが、宝具を破壊する威力を作り出せたの技は驚愕に値する。 男は更に言葉を続けた。 「オーラキャノン!!」 両足を大きく開きながら腰を落とし、両手を前に突き出しながら頭上にいるアーチャーに向ける。すると両手に白い輝きが収束し、それが極太の光となって放たれた。 炎の余韻が収まる前の連続攻撃だ。アーチャーが撃ち出した宝具の速さと同等か、それ以上の速度をもって白い輝きがアーチャを狙う。 ライダーはその輝きがアーチャーを射抜く姿を想像したが、アーチャーは街灯の上から跳躍してその輝きを避けた。 一瞬でも遅れれば白い輝きに呑み込まれていたであろう刹那の回避。アーチャーの全身を包み込むほどの巨大な攻撃は、そのまま街灯を通り過ぎて消えてしまう。 黄金の輝きも炎の明かりも白い輝きも全て消滅し。残ったのは攻撃を避けた為に道路に降りるしかなかったアーチャーのみ。 だが傷一つないアーチャーにとっては『避けて地面に立つ』という行為そのものが憤怒の臨界を突破する理由になったようだ。眉間に刻まれたしわが、アーチャーの美貌を凶相に変えた。 「痴れ者が――。天に仰ぎ見るべきこの我(オレ)に牙をむき、同じ大地に立たせるかッ!! そこの雑種もろとも消えるがよい」 そう言うと、アーチャーは三度目となる円形の黄金の輝きを背後に浮かび上がらせた。その数はあまりにも多く、一見で数えるのは多すぎる量だ。 五十には届いていないが、軽く見ても三十は超えている。まき散らす光は膨大で、夜に太陽が現れたのではないかと思える莫大な輝き空を埋め尽くしていた。当然、その一つ一つから武具が現れ、男とバーサーカーを射殺さんとばかりに向けられていた。 アーチャーはどれだけ膨大な宝具を有しているのか? ライダーは咄嗟にそう思いつつ、この状況下にあってもなお、全く動じていない男とバーサーカーに感心する。 バーサーカーは狂っているのだから『脅える』あるいは『構える』という人ならば見せる何らかの対処を忘れている可能性があるが、男はそうではない。 直接向けられた訳ではないにもかかわらず、隣にいるウェイバーなど全身を震わせている。だが男はアーチャーの方を見ながら、両手を下に垂らしながら自然体を維持していた。 「下手くそ」 それどころか、ランサーに向けた暴言をそのままアーチャーにもぶつけた。 「な、に――?」 攻撃の前に言葉が出たのはまさかそんな悪口を言われるとは思ってもなかったからだろうか? アーチャーは背後に黄金の空を背負いながら、憤怒の表情をそのままに男を見ていた。 「聞こえなかったか? お前がそいつに当てられずに外すからこんな羽目になってるんだろうが。全弾命中させる技術が無い上に、他を巻き込むなら、ただ迷惑なだけだ。修行して出直して来い。これでもまだ加減した『鳳凰の舞』と『オーラキャノン』だ、ここで留めてやったのをむしろ感謝しろ。全力でやれば避ける間もなく脱落してたぞ」 不遜な態度には見えなかったが、それでも男がアーチャーを挑発しているのは確実だ。 元々、凶相を浮かべるアーチャーの顔に大きな変化は見られなかったが、その代わりに爆発した怒りを表すように円形から新たな輝きが生まれた。 男は、最初の炎は手加減されたモノで、今も全力ではないと豪語した。アーチャーが武人かどうかは難しい所だが、敵に手心を加えられて怒らぬ者はいない。 空を照らす光は変わらなかったが、そこから撃ちだされようとする武具の数が増していった。その数は円形よりも多く百に届いているかもしれない。 「雑種。我(オレ)に対してその暴言――、挑発には死を以て遇するぞ」 「そっちから巻き込んどいて何を今更。そういうのは『自業自得』って言うんだぞ、覚えとけ」 一瞬後にはアーチャーの攻撃が行われてもおかしくない。そして空を埋めすくすほどの武器ならば、男とバーサーカーだけではなく、『流れ弾』でこちらにも被害が出る可能性が高い。 これまでアーチャーとバーサーカーの攻防を観戦していたが、攻撃範囲が広がるのならば強制的に戦線加えられる事になる。ライダーは片手でスパタを、もう片方の手で神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の手綱を握りしめる。 ライダーにとっては望まぬ展開ではあるが。状況によってはアーチャー対他全員という構図にもなりかねない。セイバーもランサーもまた同様に自分達の武器を握りしめ、アーチャーの攻撃に備えていた。 すると何があったのか―――これまで男とバーサーカーに向けて憎悪の眼差しを向けていたアーチャーが、敵のいない方向に視線をやったのだ。光に照らされながらもそこには夜の闇しかない。だが、アーチャーはその方角に向けて、忌々しげに口元をひくつかせた。 「貴様ごときの諫言で、王たる我(オレ)の怒りを鎮めうと? 大きく出たな、時臣・・・」 どうやらここにはいないアーチャーのマスタ―。始まりの御三家の一つである遠坂の当主『遠坂時臣』がアーチャーに攻撃を止めるよう指示を出したようだ。 アーチャーは押し殺した声で吐き捨てると。背後に現れた莫大な円形の輝きも、バーサーカーによって地面に横たわった無数の宝具も、今にも撃ち出されそうだった数々の武具も、その全て消し去ってしまう。 空の闇に解けてゆく黄金の粒子。五秒も経たず、爆発的な光が消えて闇が夜の暗さを取り戻す。 ただいるだけで傲岸不遜にして唯我独尊を体現する男が攻撃を止めたのだ、遠坂時臣は単なる言葉だけではなく令呪を使って命令したと思われる。 「命拾いをしたな、狂犬共。だがな雑種、次にまみえた時、語る間もなく貴様は死ぬ。覚えておくがよい」 今だに凶相を浮かべたままのアーチャーだが、場を見回す真紅の目からは殺意の炎は消えている。武器を収めたのも戦う意思のない表れであろう。 アーチャーはぐるりとここに集う全てのサーヴァントを見回すと、今、自分が見た何もない方角へと歩き出して、こちらには背を向けた。 「雑種ども。次までに有象無象を間引いておけ。我(オレ)とまみえるのは真の英雄のみで良い」 実体化を解き、黄金の甲冑を纏ったアーチャーが質感と輪郭を失ってゆく。あっという間に残滓だけとなり消えてしまう。 誰一人として予想しなかった形で黄金のサーヴァントは姿を消し、呆気なくアーチャーとバーサーカーとの戦いは終結してしまった。けれど、この場にはアーチャーの宝具の射出に晒されながら、無傷で切り抜けたバーサーカーがいる。そして、まだ健在のサーヴァントが四騎いる。戦いそのものが終わった訳ではない。 「フム。どうやらアレのマスターは、アーチャー自身ほど剛毅なたちではなかったようだな」 軽口を叩きながらもライダーの意識は面妖な技で英霊に対抗する男へと向けられていた。 誰が動くにせよ、今の状況で戦いの中心になるのはあの男かバーサーカー、あるいは両方だ。動きを見せるとしたらセイバーやランサーよりもあの二人に注意を向けるべきである。 「アア・・・、アアアアアアアアアア!!!」 ライダーの思惑に呼応するようにバーサーカーの雄叫びが周囲に響き渡る。そして煙に似た黒い魔力をより強く放出し、距離で言えば近くにいる男やライダーの方が近いにも関わらず、一直線にセイバーへと向けて駆けだした。 その両手には、アーチャーが消した筈の戦斧と剣がしっかりと握られており、葉脈のような黒い筋に覆われていた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 雁夜は現在、ゴゴの肩の上に乗っているミシディアうさぎの目を通して戦場を眺めていた。 バーサーカーの力がアーチャーの攻撃手段に非常に有効だと判ったのは大きな収穫だ。アーチャーを殺せなかったのは残念だが、初めて見ただけで『こいつは誰の命令も聞かない』と思えるサーヴァントが撤退した状況こそが、遠坂陣営の戦略の一端を教えている。それもまた収穫であろう。 既にゴゴによって遠坂時臣と言峰綺礼が組んでいるのはほぼ確実だと明かされており、アーチャーに殺された筈のアサシンがしっかり残っている事も判っている。 間違いなく時臣はアーチャーに対して令呪を使った。サーヴァントに対する絶対命令権を行使してでも戦いを止めたのは、アーチャーの力だけでは勝てないと判断したか、あるいは聖杯戦争の常道である情報収集を優先させたかだろう。 アサシンが遠坂陣営に味方しているとなると、隠密に長けたサーヴァントが情報を仕入れ、時臣はアーチャーをひたすら温存する構えなのではなかろうか? これは単なる予想だが、雁夜は時臣と同じく始まりの御三家の一人だ。聖杯戦争の進め方では他のマスターよりも予測を立てやすい。 間桐雁夜は考える。セイバーに向かって暴走したバーサーカーに魔力を吸われながら考える。 サーヴァントを現界させる為にも魔力は消耗され、全力でセイバーを殺そうとしているバーサーカーに吸われる魔力は通常よりもかなり多い。けれど、この感覚は、魔石を使って幻獣をこの世に呼び出し続けるのによく似ていた。 バーサーカーは魔力消耗の激しいクラスだと事前に予備知識があったが、これならば魔石を使い続けているのと大差はない。 飛空艇を隠し続ける為に魔石『ファントム』を使い続けたのは今となっては懐かしい思い出だ。雁夜にとってはこの一年で慣れ親しんだ感触なので、苦しくはあったが決して耐えられないモノではない。遠坂陣営の戦略を考える余裕もある。 昔の自分ならば、起こった状況からここまで推理するなどありえず。ただひたすらに遠坂時臣へと怒りを衝動に変えていたに違いない。そしてバーサーカーの暴走に魔力を吸い出されて、あっという間に限り合う魔力を枯渇させただろう。 だが今の自分は違う。 「これがお前の願いなのか、バーサーカー?」 聞こえているかどうか判らないが、ここにはいないサーヴァントに向けて話しかける余裕があった。ゴゴの肩の上にいるミシディアうさぎの目で戦場の様子を見つめながら、自分の腕の中にいるミシディアうさぎの毛並みを確かめる事も出来た。 バーサーカーの手にはアーチャーが射出した宝具がある。敵の武器を奪えたと言う禍々しい情念が雁夜の内側から湧き出そうになるが、雁夜が背負っている魔剣の方が強力に見えたので、一気に萎える。 何故、ゴゴがあそこまでアーチャーを挑発したのかは判らないが、何か策あっての事なのだろう。どの道、遠坂陣営がこの場から退散してしまった以上、雁夜が出来る事はほとんどない。 正直に言えば、さっさと撤退したい所なのだが、バーサーカーの暴走はマスターとしての雁夜の制御を上回っており、命じても退く気配がない。 それだけセイバーを恨んでいるのか? それほどまでに憎み、殺したい相手なのか? 憎悪だけに明け暮れた一年前の自分を見ているような気分だ。 仕方なく、バーサーカーの力を確認する為、とあまりにも弱すぎる理由をたてに、サーヴァントへの魔力供給に意識を集中する。意識して放出を抑えた魔力がバーサーカーの行動のみに使われていった。 「魔力が少なくなるか、形勢が不利になったら令呪を使ってでも撤退させる。それまでは好きに暴れろ、バーサーカー」 狂ったサーヴァントに返事が出来るのか判らないが、それでも雁夜は遠い場所で戦う己のサーヴァントに向けてそう告げる。 バーサーカーの戦いぶりは同じ騎士であるセイバーに比べれば確かに狂っていると言われても仕方がなかった。そして、顔は見えないが、兜のスリットから見える紅い光と、言葉を交わす気の一切ない様子は『狂戦士』の名に相応しい。 けれど己のサーヴァントの戦い方を見て雁夜は気付く。バーサーカーは狂っているが狂っていない。人としての対話や応対に観点を置けば、確かに狂っているかもしれないが、バーサーカーに刻み込まれた騎士としての戦い方は何一つ色あせていないのだ。 むしろバーサーカーというクラスを得た事によって、枷が外れたと言ってもよかった。そこには加減とか躊躇とかそういう類のモノはなく、ただ一人の騎士として敵を滅ぼさんとしているだけだ。 自分もまたこの一年で剣を使う戦士になろうとしていたから、バーサーカーの強さがよく判る。 漆黒のフルプレートを纏いながら、野獣のごとき勢いと騎士としての強さを同居させた苛烈さ。ゴゴにものまねされた宝具とは別の宝具によって、アーチャーの宝具を奪い取り、右手の戦斧と左手の剣でセイバーを追い詰めている。 人の形をした英雄―――。ゴゴとは別の意味で雁夜には到底辿り着けない高みにバーサーカーはいた。 雁夜はミシディアうさぎを介してそれを見ながら、バーサーカーとセイバーが対し、他全員が観戦に回っている状況を思う。 別の誰かに変身したゴゴはアーチャーに対して攻撃したが、あれは向こうがゴゴに攻撃しようとしたからこそ起こった例外だ。今はバーサーカーを登場させた時と同じように倉庫街の壁まで戻って事態を見守っている。そして突然始まったバーサーカーとセイバーの戦いをランサーとライダーが観戦しているのも見えた。 邪魔する者はいない、限界まで思う存分戦え。雁夜は声に出さなかったが、心の中だけでバーサーカーに声援を送る。その間にも魔力をどんどん吸われているのだが、まだ限界には遠い。 そうこうしている内に、バーサーカーの攻撃によってセイバーが徐々に追い詰められていく。どうやらセイバーは左手を負傷しているらしく、見えない剣を扱う精彩を欠いているようだ。ゴゴがこの場に到着する以前、ランサーとの戦いで傷ついたのだろう。 「いける・・・か?」 誰に聞かせるでもなく独り言を呟くと、雁夜の言葉に呼応したようにバーサーカーの戦斧が横からセイバーの顔を薙ぐ。 一瞬だけ左手を気にしたセイバーの隙をついた渾身の一撃だ。不可視の剣を防御に回して間に合ったとしても、顔の一部を抉り負傷させられるだろう。 が、突然セイバーとバーサーカーの間に割って入ったランサーによってバーサーカーの一撃が阻まれる。ランサーが右手に持つ真紅の長槍で戦斧を上に跳ね飛ばして、セイバーを守ったのだ。 バーサーカーの宝具によって支配権を強奪された武器を跳ね飛ばしたなら、おそらくあの紅い槍は宝具の強制力を排除する効果を持っているのだろう。アーチャーが消した宝具と同じように虚空へと消えて行く戦斧を見ながら、雁夜はランサーの宝具の力の一端を知る。 「悪ふざけはその程度にしておいてもらおうか、バーサーカー。そこのセイバーには、この俺と先約があってな。これ以上つまらん茶々を入れるつもりなら、俺とて黙ってはおらんぞ」 「ランサー・・・」 ミシディアうさぎを通して戦場の声が雁夜にも聞こえるが、ランサーの呟きを聞いた瞬間、『何様のつもりだお前は』と考えた。 セイバーとランサーが戦い、その状況下にライダーもアーチャーもバーサーカーもゴゴも乱入した。この事実は否定しない。だが、これは聖杯を求める七人のマスターと、彼らと契約した七騎のサーヴァントがその覇権を競う殺し合いだ。 決して共感できない生き方だが、確かに『騎士道』という観点から見ればランサーの言い分は正しいだろう。だが、それは騎士道の生き方を貫き通せる強者の言い分であり、そんな生き方を選べない弱者には関われない世界である。 何故、わざわざお前たちの勝敗を待ってやらなければならないのか? そんなに決着をつけたかったのならば、邪魔者が割り込む前に決着をつければよかっただろうに。 世界は自分達を中心に回っているとでも表いるのか? こちらがそっちの流儀に合わせてやる義理はない。 状況を全て支配する神にでもなったつもりか? 雁夜はランサーの生き方と、それに感激しているようなセイバーに苛立ちを覚える。故に、続けて戦場に聞こえてきた言葉には絶対的な賛成とまでは行かずとも、容認して同意できる部分が多々あると思えた。 「何をしているランサー? セイバーを倒すなら、今こそが好機であろう」 それは姿を見せないランサーのマスターの声だ。 「セイバーは! 必ずやこのディルムッド・オディナが誇りに賭けて討ち果たします! そこな狂犬めも先に仕留めて御覧に入れましょう。故にどうか、我が主(あるじ)よ。この私とセイバーとの決着だけは尋常に――」 「ならぬ」 姿の見えぬランサーのマスターとサーヴァントのやり取りは主従の信条の食い違いを明確に現していた。どちらかと言えば雁夜はランサーのマスターに近い思考なので、バーサーカーに『様子を見ろ』と指示を出す。 マスターである雁夜の言う事を聞いてくれているのか、それとも武器が一つになった上にランサーの真紅の槍を突きつけられて動きづらいのか、バーサーカーは戦斧を失った時から沈黙を保っていた。 するとランサーの嘆願を断ち切る命令が下される。 「令呪をもって命ずる――。ランサーよ、バーサーカーを援護して、セイバーを殺せ」 そこからの変化は劇的であった。 ランサーは望む望まざるとに関わらず、令呪というサーヴァントに対する絶対命令権の強制により、ランサーはそうしなければならなくなった。 左手に持つ黄色い短槍を背後にいるセイバーに向けて突き、セイバーはそれを後ろに下がって避ける。ランサーは怒りと屈辱で歪んだ悲痛きわまりない表情を浮かべており、バーサーカーは脅威が無くなったと判断したのか、ランサーの隣に並び立って右手にアーチャーの剣を持ち替え直す。 「アイリスフィール、この場は私が食い止めます。その隙に――、その隙に、せめて貴女だけでも離脱してください。出来る限り遠くまで!!」 「大丈夫よセイバー。あなたのマスターを信じて」 どうやらセイバーのマスターと思わしき女性にはランサーとバーサーカーを相手にしながら、それでも状況を打破できる秘策があるようだ。貴人としての気品を漂わせる彼女の姿はどうにも殺し合いである聖杯戦争に相応しくない雰囲気を感じてしまうのだが、あれが雁夜の―――というより現段階、バーサーカーの邪魔をするならばただの敵である。 繰り返すが、雁夜はここで他のサーヴァントと戦う意義を見出していない。セイバーとランサーが体現しようとする『騎士道』に若干の苛立ちを覚えているので、私怨で二人のサーヴァントを殺したいとは思うが、本命の遠坂陣営が既にここから消えているのでわざわざ消耗しなくてもよい。 バーサーカーの性能確認と、雁夜が消耗する魔力の確認。そしてサーヴァントである彼がそうしたいからそうしているだけだ。たとえ敵が女性であろうと、立ちふさがるなら容赦しない。 ランサーとバーサーカーがセイバーに襲いかかる正にその瞬間―――。 「アァァァラララララィッ!!!」 周辺を埋め尽くす大音響が響き渡った。 「避けろ! バーサーカー!!」 ランサーとバーサーカーの二人めがけて突進するライダーの戦車(チャリオット)を見た時、雁夜は暗がりに潜んでいる事実を忘れて大声で叫んでしまった。 しかし、令呪を用いた訳ではない単なる言葉ではバーサーカーの攻撃は止まらない。ランサーは咄嗟に向かってくる戦車(チャリオット)に気付き、跳んで逃げたが、バーサーカーは強烈な攻撃を思いっきり受けてしまった。 二頭の神牛によって踏み倒され、続く後ろ脚でも踏み潰されるバーサーカー。ライダーが戦車(チャリオット)を急停止させて反転させる頃には、過ぎ去った跡に力無く転がる己がサーヴァントの姿があった。 ライダーがそんなバーサーカーに声をかける。 「ほう? なかなかどうして、根性のあるヤツ」 ライダーの宝具による蹂躙劇を直接受けながら、それでもバーサーカーは健在だ。けれど、立ち上がれない深刻なダメージを負ったようで、起き上がろうとしながら叶わず、地面に這いつくばっている。 「ァァァァァ――、ァァァァァ!!」 弱々しく痙攣しながらも、尽きる事のない怒りをまき散らすバーサーカー。雁夜はバーサーカーがまだ現界できている事実に安堵しながら、マスターとして命じる。 これ以上の戦いは不可能だ。と。 「退け、バーサーカー。仕切り直すぞ」 すると、バーサーカーもまた今の状態ではセイバーを倒せないと判断したのか、黒い粒子となって消えてゆく。霊体化して退散したのだ。 雁夜はミシディアうさぎを通してその状況を見ながら。とりあえずあの場は残ったゴゴに任せればいい、と考える。 英霊に狙われたら自分一人ではどうしようもないので、まず優先すべきは守護者としてサーヴァントを復帰させる事だ。自分の所に戻って来た黒のサーヴァントの気配を感じながら、雁夜は急いで治療を施す。 「実体化しろ、バーサーカー。魔力供給は休まないと無理だけど、体の怪我はここで治すぞ」 雁夜の言葉に合わせ、黒い騎士の姿が目の前に浮かびあがる。雁夜は両手で抱えていたセクスを一旦地面に降ろし、顔を覆っていたフードを取り払いながらバーサーカーに両手を向けた。 サーヴァントの実体化で魔力がかなり吸われていたが、ゴゴから習った軽い回復魔法をかける位ならば問題はない。 自力で戦う力の温存と、バーサーカーを完全復活させるとすぐにセイバーの元に向かうであろう危険性。そしてマスターを守るサーヴァントとしての戦力。これらを計算して回答を導き出す。 選ぶのは全回復でも大回復でもなく小回復させる魔法だ。全快させたら、またセイバーに挑みかかるだろうから、そうなっては雁夜の魔力が吸い尽くされてしまう。 「ケアル――」 バーサーカーの地肌は鎧に覆われて見えないが、フルプレートの鎧の内側に負った怪我が治っていく感触が魔力を通して伝わってくる。 見れば、バーサーカーの右手にはまだアーチャーから奪った宝具の剣が握られており、バーサーカーの戦力増強を教えていた。元々が敵の宝具とはいえ、武器が得られたのも情報と合わせて大きな収穫であろう。 アーチャーとバーサーカーが撤退し、残った戦場で三騎のサーヴァントは何をするのか? 見る余裕がないので、後でゴゴに話を聞こう。雁夜はそう思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 肩の上に乗っているミシディアうさぎ、数字の『2』が帽子に描かれたジーノを介して、さっきまで雁夜が状況を見ていたようだ。しかし、今は繋がりが切れているので、バーサーカーの治療を行っていると思われる。 もしゴゴが雁夜の傍に居れば、覚えさせた魔法の一つ『アスピル』を使って魔力を吸わせて簡単に回復できるのだが、今は離れているので叶わない。 ただ、バーサーカーが傍にいるだろうし、危機察知能力はここ一年で格段に跳ね上がったので、放置しても大丈夫だろう。気を取り直しながら、かつて一つの世界を救う為に旅した仲間『マッシュ』の姿をしたゴゴは、戦場の状況を観察する。 「と、まぁこんな具合に、黒いのにはご退場願ったわけだが――」 バーサーカーが姿を消した後、ライダーが戦車(チャリオット)の上から空に向けて呼びかけている。 「ランサーのマスターよ。どこから覗き見しておるのか知らんが、下衆な手口で騎士の戦いを穢すでない――などと説教くれても通じんか。魔術師なんぞが相手では。ランサーを退かせよ。なおこれ以上そいつに恥をかかすというのなら、余はセイバーに加勢する。二人がかりで貴様のサーヴァントを潰しにかかるが、どうするね?」 状況によっては乱戦になってもおかしくなく、この『マッシュ』もまたアーチャーと戦った時と同じように巻き込まれる可能性はあった。バトルフィールドを張らずに全力全開の鳳凰の舞など放ったら、この一帯が焦土になるし、まだ全てのサーヴァントの宝具を見てないので、戦う気はあっても倒す気も負ける気もなかった。 けれど、バーサーカーの暴走によって事態は二対一を繰り返した。最初はランサーとセイバーでバーサーカーの相手して、次はバーサーカーとランサーでセイバーの相手をして、その次はライダーとセイバーでランサーを相手にする状況が生まれた。各サーヴァントの思惑と令呪が絡み合って混沌の坩堝である。 時間経過と共に状況は刻一刻と変化しているのだが、わざわざ自分が関わらなくてもよい状況がどんどん出来上がるのは喜ばしい限りだ。 そもそも彼ら聖杯戦争に参加するサーヴァントにとって明確な敵は、敵対するマスターとサーヴァントであってこちらはまだ『正体不明の何者か』という立ち位置を崩していない。使い魔どもに間桐邸から出た所を見せたし、無機物を壊せなくなる結界も張ったし、必殺技を二つ使って力も少しだけ見せた。少なくとも『ただの一般人』とは思われていない筈だが、令呪のない自分はマスターではないし、サーヴァントでもない。 ならば、明確な敵よりも優先順位が後になるのは当然である。最初の一回は別にして、こちらから強力な攻撃を仕掛けなかったのも、静観を許されている理由の一端だろう。 「・・・・・・撤退しろランサー。今宵は、ここまでだ」 虚空からランサーのマスターの声が聞こえてくるが、令呪と言う聖杯との間に繋がりを持ったマスターの位置は見ずとも大体判る。サーヴァントほど強烈な気配ではないので、見つけるのに難儀するが、近くにいて意識すれば闇の中の光に同然だ。 必死に魔術で隠れているようだが、近くの倉庫の屋根の上から周囲を観察しているのがばればれである。倒すつもりがないので好きにさせているが、『どうぞ狙って下さい』と言わんばかりの位置に陣取るとは、馬鹿なんじゃなかろうか。 自分の魔術に絶対の自信があるのか、それとも戦いや殺し合いに不慣れな者か、自分が狙われる立場にいる事を判っていない愚者か? 何にせよ、ランサーを退かせてくれるならばゴゴにはありがたい。まだまだサーヴァントもマスターも見物し足りないのだ。 目の前で戦うサーヴァント達はやはり『英雄』なのだと改めて思う。ゴゴは状況を見るだけに止め、攻撃したのは最初の一回とアーチャーに対する反撃のみで、今は両手に装備されたタイガーファングを構えてもいない。 彼らは攻撃する意思の持たぬ者を攻撃しようとはしてこない。つまり今の自分だ。 この高潔さこそが彼らを『英雄』にしているのだろう。特にセイバーとランサーはそれが顕著だ。かつて旅した世界のモンスターではこうはならない、彼らの場合は出会った瞬間に誰であろうと殺し合いになってしまう。 もっとも、この『英雄』の気高さを戦いに持ちこめて、ゴゴが数ある戦いの多くを目撃できたのはバーサーカーの活躍があってこそだ。雁夜にもバーサーカーにもそんな意図は無かったかもしれないが、状況をここまで引っ掻き回してくれたおかげで不用意な戦いを行わずに済んだ。色々な戦いを観戦できた。 バーサーカーがいたからこうなってくれた。 自分一人だけではほぼ確実にどれかのサーヴァントと戦う羽目になっただろう。この場合、最も確率が高いのはアーチャーで次点が最初に挑発したランサーである。 マッシュの力ならば撤退したアーチャーを含めて、この場に集ったサーヴァント達を全て相手に出来る自信はある。まだ見ぬ宝具を展開されたとしても、だ。 けれど、ゴゴにとってはこちらから積極的に関わるのは本意ではない。どうせ最後に聖杯戦争そのものを破壊するとしても、まだ見てないサーヴァントはいるし、まだまだ物真似出来そうな宝具を見物してないし、遠坂時臣を引きずり出す為に他のマスターとサーヴァントの存在は必要不可欠だ。 ゴゴにとっては『観戦』の果ての『ものまね』こそが最優なので、バーサーカーにはどれだけ感謝してもし足りない。ほんの一時だが『桜ちゃんを救う』という最初の目的を忘れてしまいそうになるほどの歓喜が心の中で暴れまわる。 喜びを噛みしめながら見ると、セイバーを殺せという令呪の縛りが消えたようで、ランサーが二本の槍の切っ先を降ろすのが見えた。 「感謝する――。征服王」 「なぁに、戦場の華は愛でるタチでな」 笑みを返すライダーと、すまなそうにしながら霊体へと転移して退いていくランサー。一瞬、セイバーの方を見て、『決着は、いずれまた』と目で語ったようだ。 アーチャーが去り、バーサーカーが消え、ランサーも撤退し、残るサーヴァントはライダーとセイバーの二人だけ。ただし、デリッククレーンの上にアサシンと思わしきサーヴァントがいるので、まだまだ見物のし甲斐がある状況だ。 黙って見ていると、セイバーがライダーに話しかける。 「結局、お前は何をしに出てきたのだ? 征服王」 「さてな。そういうことはあまり深く考えんのだ。理由だの目論見だの、そういうしち面倒くさい諸々は、まぁ後の世の歴史家が適当に理屈をつけてくれようさ。我ら英雄は、ただ気の向くまま、血の演るまま、存分に駆け抜ければ良かろうて」 「・・・それは王たる者の言葉とは思えない」 「ほう? 我が王道に異を唱えるか。フン、まぁそれも必定よな。すべて王道は唯一無二。王たる余と王たる貴様では、相容れぬのも無理はない。いずれ貴様とは、とことんまで白黒つけねばならんだろうな」 「望むところだ。何となれば今この場でも――」 そう言うと、セイバーは見えない剣を構えた。どうやら風を剣に纏わせて不可視の剣を作り出しているようだが、透明化の魔法『バニシュ』に比べれば、見えなくするという点では少々劣る。 風なので他にも使い道があるだろうから、あれが宝具ならその『別の使い道』に期待するしかない。 するとライダーは剣を向けられながらも堂々と言い放った。 「よせよせ。そう気張るでない。イスカンダルたる余は、けっして勝利を盗み取るような真似はせぬ。セイバーよ、まずはランサーめとの因縁を清算しておけ。その上で貴様かランサーか、勝ち昇ってきた方と相手をしてやる」 相手が万全の状態で正々堂々と戦う。何とも潔い生き方だ。今のところゴゴの興味はサーヴァントの宝具と、他のマスターの魔術に重きを置いているが、状況によってはあのライダーをものまねするのも面白いかもしれない。 「では騎士王、しばしの別れだ。次に会うときはまた存分に余の血を熱くしてもらおうか」 ライダーはそう言うと、手綱を握り締めて撤退の準備を進めた。どうやら、この場で自分と戦うような真似はせず、宣言した通りにセイバーとランサーとのどちらかと戦う算段らしい。 「おい坊主、貴様は何か気の利いた台詞はないのか?」 隣にいるライダーのマスター。虚空から聞こえてきたランサーのマスターの言葉が正しければ『ウェイバー・ベルベット』という名前らしいが、その少年からの応答はない。 ライダーが襟首を掴んで御者台から持ち上げてみると、少年は白目をむいて気絶していた。どのタイミングで気絶したかは見ていなかったので判らないが、戦いの場に出てくるには少々経験不足だったのではないかと心配になる。 「・・・もうちょっとシャッキリせんかなぁ、こいつは」 すると、自分のマスターを御者台に下ろしながら、ライダーがこちらを向く。 武器を手にしてないので戦う気が無いのは判るが、この状況で何の用か? 「お主、これからも我らの戦いに関わるつもりであろう」 「当然だ。お前らにこの街を壊されちゃ堪らないからな、見つけてこの結界の中に閉じ込めてやるから覚悟しておけ。それから、結界には出たり入ったりの制限はないから、出ようと思えば簡単に出られるぞ」 「ほう? そいつは何とも面白い。ますます余の臣下に加えたくなったわい」 かつての仲間たちと出会った瞬間に同行したゴゴが考えるべき事ではないかもしれないが、敵か味方もまだ判別できていないだろう相手をいきなり勧誘するのはどういう神経をしているのか。 どんな相手であろうと自分の中に取り込もうとする―――。それがライダーこと征服王イスカンダルの器の大きさかもしれない。 「ならば我が雄姿をその眼に収めるがよい。いずれ、お主の方から申し出るのを楽しみにするとしよう」 そして相手がだれであっても『王様』としての自分の生き方を崩さないのだ。もし、かつての世界にこんな男がいたら、ケフカに三闘神の力を奪われて世界を壊されかける何て事はなかったかもしれない。 言うだけ言って満足したのか、ライダーは再びセイバーの方に視線を向け、もう一度こちらを向いた。 そして雄々しい二頭の牛に合図を出す。 「では、また会おうぞ――さらば!」 道路から空へと舞い上がっていく戦車(チャリオット)。その雄姿は見ているだけで中々爽快だ。 普通に考えれば信じがたい事なのだが、あの戦車(チャリオット)は空を飛んでいるのではなく駆けている。二頭の牛、いや、雷牛が雷を生み出して、それを土台にして空を走っているので間違いない。 現代の航空産業に真正面から喧嘩を売っている飛行宝具だが、あれは今はまだ空を舞えないゴゴの新しい境地になる切っ掛けだ。『空に展開される魔法の上に乗る』という構想が目の前で行われたので、後は『ものまね』して試せばいい。 また一つ得るモノがあった。心の中だけで嬉しさを噛みしめ、ふと残ったセイバーに自分が攻撃したらライダーはどうするつもりだったのか? と考える。 おそらくセイバーと戦う気が無いのを完璧に見抜かれ、撤退しても問題ないと看破されたのだろう。だからこそ、あれだけ堂々と退いたのだ。 さすがは世界の半分を征服して、誰よりも戦いに明け暮れた征服王イスカンダル。人を見る目は透視の領域に達している。 残るはセイバーとその同行者―――。マスターのふりをしているが、聖杯とマスターとの繋がりは白い女からは感じられないので、別の場所でこちらの様子を見守っている誰かが本当のセイバーのマスターだろう。 念の為、透明にしたミシディアうさぎに見張らせているので、間違いない。 壁から背を離してセイバー達の方を見ると、見えない剣を構えてこちらを警戒していた。 「さて・・・・・・、セイバーとかいったな」 今の所、ゴゴにセイバーと戦う意思はない。むしろサーヴァント同士の戦いが意外な形で終局へと向かってくれて感謝したいぐらいだった。よくぞ、バーサーカーに攻撃されてくれた。と。 ただし、セイバーと殺し合う気は無くても、舌戦する気はあった。過去の英雄がどんな人物であるか知るには良い機会である。 「お前はこの惨状を償う気があるのか? これだけ壊しておいて、『私には関係ない』とか言って退散するつもりじゃないよな?」 ゴゴは相手に問いかけを行いながら。一年前の自分ならば絶対に言わないであろう言葉に戸惑いを感じていた。 かつて旅した世界は殺伐とした世界で、モンスターが普通に徘徊して街の中も退廃と堕落が普通に蔓延していたので、物が壊れる方が当然だった。ものまね士ゴゴとして旅に同行していた時は物真似するのに忙しかったから、物が壊れようと人が死のうとあまり気にしなかったが、この世界で過ごしてから自分は少し変わった。 たとえ殺し合いの渦中になると判っていたとしてもこの穏やかな地方都市で、一年過ごしてしまったからだろうか? その間に毒されてしまったのか? 命を奪う戦いから離れすぎたか? この街には戦前までの日本にあった『物を大切にする教育』が行き届いている箇所が多く、間桐臓硯としてこの街の中を色々渡り歩いた自分がその影響を受けた。この変化が悪いとは言わないが、戸惑いは感じてしまう。 もしかしたら、桜ちゃんと接する事で『物を大切にする』と教える為、ゴゴ自身もまたそう意識して過ごすようになったのかもしれない。 「何かを成し遂げる為に――犠牲は避けられない」 「答えになってないぞ。答えないならお前は償う気が無いと判断するぞ」 「・・・・・・・・・」 聖杯戦争で戦うのは英霊であり魔術師だ。故に物が壊れるのは当たり前であり、今更『物が壊れるから戦いません』等と言いだす者は一人もいない。 それに聖杯戦争で起こった騒動は表の世界に知られぬよう、聖堂教会から派遣された監督役が後始末と証拠隠滅を行うのが決まっている。今回の倉庫街の破壊も何らかの理由が付けられて、事実を捻じ曲げて表の世界で納得される状況に作り替えるだろう。 セイバーに限らず、英霊ならば戦って周囲に被害をまき散らしたなんて事態は一度や二度では済まない。そのたびに申し訳ないと思ったかもしれないが、彼らは決して戦いを止めなかった。だから彼らは『英霊』なのだ。 セイバーが改めて聖杯戦争と英霊としての『常識』を問われ、言い淀んだのだとゴゴには判っていた。もし後ろにいるセイバーのマスターを装っている女に同じ質問を投げても、きっと答えられないだろう。何故ならこの問いかけは聖杯戦争に参加するマスターとサーヴァントの戦いからは逸脱した問題なのだから。 ただしゴゴにはそんな事情は関係ない。 かつて旅した世界で、ゴゴは周囲に迷惑をかけないで戦う術を得ていた。だから、それを材料に英霊よりこちらが格上だと思い知らせる事が出来る。 一年間、間桐邸で過ごした事で性格が悪くなった気がしたが、とりあえずそれは余所に置く。 「自分達を優先させて、この地に生きる者達の都合は無視か。自覚がない所はケフカよりタチが悪いな。とんだ暴君様だ――」 侮蔑を隠そうともせず、セイバーに向けていうと、『暴君様』の辺りでセイバーの顔に怒りが滲んだ。 それでも、自分達が仕出かした惨事は目に見える形で周囲にあり、ゴゴがバトルフィールドを展開する前の破壊がしっかりと残っている。これは間違いなくセイバーの引き起こした損害である。 だからセイバーは何も言わなかった。いや、言えなかった。 これでは止める気もなく、むしろ何度でも来い、と言わんばかりに宣言したライダーの方が潔い。どうせ、聖杯戦争が終わるまで他の被害など関係なく戦うのは判っているのだから、せめて『聖杯を得る為にどんな犠牲もいとわない』と即答できる位の気概を見せてほしかった。 これが高潔であるが故のセイバーの限界であろう。 ためらいを一瞬でも見せた時点で戦う者として減点だ。けれど、聖杯戦争の事情を知りながら、知らぬ風を装って問いかけるのは少し反則かな、とは思う。 それでも口撃は止まらない。 「精々、好きに暴れればいいさ。勝手に殺し合って勝手に死ね、犯罪者共が」 ゴゴはそう言いながらセイバーと白い女性に背を向ける。 セイバーが真に『騎士道』を体現する者ならば、まさか背後から敵か味方も定かではない者を斬りつける訳がない。激昂して斬りかかってくればそれはそれで面白いが。ゴゴの予想通り、攻撃はなかった。 これ以上この場にいても戦いはもう起こらないので、留まる価値はない。話せば得られるモノがあるかもしれないが、近くから見られてる状態で話し続けるのは気疲れするのでこれ以上続けたくなかった。 左手につけたアクセサリ『ダッシューズ』の力を使い、ゴゴは全力でこの場から退散する。ついでにバトルフィールドを解除しておくのも忘れない。 走り出すと同時に背後からセイバーと思わしき誰かの声が聞こえたが、無視して一気に駆けだした。 ただ走る場合と、アクセサリ『ダッシューズ』を装備して走る場合とでも、駆ける速さに変化はない。よって、短い距離なら『ダッシューズ』を装備する意味は全くないのだが、遠距離になると多大な効力を発揮する。 その効力とは、このアクセサリを装備している限り、どれだけ全力疾走しても疲れない点だ。普通の人間ならば、百メートルも全力で走れば疲れてしまうが、『ダッシューズ』を装備している限り、距離が数倍、数十倍に延びても変わらない速さで走れてしまう。体力疲労がまるで無いので、これは移動において大きな利点であろう。 さすがに空を飛ぶ相手や機械仕掛けの自動車を相手に競争すれば負けるだろうが、相手が同じ『二本の足で移動する人間』ならば、負けはない。 己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)によって、かつての世界の仲間に変身できたのと同時に、彼らが装備していた品も一緒に魔力で編めるようになったのは嬉しい誤算だ。 この世界の言葉を借りるなら『投影魔術』が近いが、バーサーカーの宝具を用いて同じモノを複製しているので、ゴゴの使う己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)は『投影宝具』とでも言うべきか。 肩の上に乗るミシディアうさぎのジーノが真正面から来る風圧を耐えているが、今は我慢してもらおう。 ゴゴはマッシュの姿をしたまま倉庫街を抜けて、新都の更に奥―――峠道を走って郊外を目指していた。この調子で走れば隣の市に入るまで三十分もいらない。 戦いが一段落ついたのだから、間桐邸に戻って桜ちゃんの無事を確かめ、雁夜と情報を共有して今後の聖杯戦争の進め方を話し合うべきなのだが。走る方向は間桐邸がある深山町とはまるで逆方向だ。 何故、間桐邸に戻らないのか? その理由は道路の脇にある木々の中。常人では潜り込んだら出てくるのも面倒なその中を突き進むサーヴァントにあった。 物音一つ立てずに一定の距離を保ちながら追いかけてくる存在。見えずとも聖杯の繋がりを強く感じるので、敵サーヴァントであるのは間違いない。そして倉庫街のデリッククレーンの上にいた者と同種の気配を感じるので、ほぼ間違いなくアサシンが自分を尾行している。 既に間桐陣営とゴゴとの間に何らかの繋がりがあるのはばれているので、まっすぐ間桐邸に戻っても問題なかったのだが。こうしてサーヴァントの一人がわざわざゴゴの前に現れてくれたのならば物真似の為に逃がしてはならない。 どうやらあの倉庫街での戦いを監視していた者、おそらくマスターは言峰綺礼であろうが、使い魔ではなくアサシンをつけさせる程、自分を高く評価してくれたらしい。 アサシンとキャスターはまだゴゴが直接見ていないサーヴァントだ。今後の為にも、ここでアサシンに接触するべきだろう。たとえ、このアサシンが冬木市の至る所に散らばっているアサシンの中の一人だったとしても、その身は紛れもなくサーヴァント。必ずゴゴが得る何かを、『ものまね』に足る何かを持っている。 余談だが、夜の闇にまぎれて空を飛ぶコウモリも確認したので、アサシン陣営とは別に自分の正体を探る使い魔も放たれているようだ。使い魔の中でも地を這う動物は引き離したようだが、さすがに空を飛ぶ使い魔までは対処しきれない。 マスターの放った使い魔とアサシンを同時に相手にする。ゴゴはそれを成し遂げる為、峠道の中で特に脇の木々が密集する箇所を目指して走り続けた。別の言い方をすれば、上から見ても木に邪魔されて見えない場所を探した。 そして、少し遠い場所に状況に合致した場所が見えたので、そこで仕掛けようと心に決める。 たどり着くまでの間、ゴゴはアサシンと使い魔の動向に気を配りながら、自分が変身したマッシュの事を思う。バーサーカーの宝具によって姿形は紛れもなく『マッシュ・レネ・フィガロ』になっており、元々使える必殺技も寸分違わぬ、彼の技そのものだ。 今の状態で、かつての仲間であるマッシュと戦えば、鏡に映したように同じ格好、同じ姿、同じ体勢で、同じ必殺技を放てる自信がある。 だが、ゴゴの変身したマッシュはあくまでゴゴから見たマッシュであり、当人そのものではない。忌々しい事ではあるが、ものまねは物真似でしかなく本物との間にはどうしてもズレが発生してしまっている。 湧き出る魔力は完全に自分の中に取り込んで、魔力を使わない格闘家としてのマッシュを完全にものまねした。それでも、心や感情などの内面はその限りではない。 マッシュを知るからこそ、ものまねしている自分と本物との間に出来た僅かな差異が判ってしまう。 これは一年間、冬木市で生活し、雁夜との鍛錬はあったが戦いのないこの街の平穏さに浸り過ぎて、記憶を風化させてしまった罰なのだろうか? 魔法や必殺技、スケッチに必殺剣など。技術に関する事柄ならば、何の制限もなくものまね出来る。しかし、これが今までやった事のない『生きた人間の完全なものまね』だから、物真似しきれない部分が出てきてしまう。マッシュとして彼をものまねしている時、不意に『マッシュならこんな言い方はしない』と自分自身が考えてしまう。 ゴゴが、ものまね士を名乗り続けるならば、その人間の内面もまた真に物真似しなければならない。 ものまねは一日にして成らず―――。ゴゴは間桐邸で生活するようになってから得た知識を参考に、そんな言葉を思い浮かべた。 そうこうしている内に、仕掛けようとした地点へと到達する。ゴゴは肩の上に乗るミシディアうさぎの重さを確認しつつ、走っていた勢いをそのままに峠道から脇の木々が密集している中に我が身を躍らせた。 「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」 上空からの死角に潜り込むと同時に、バーサーカーを物真似して得た宝具を発動し、マッシュになった時と同じように自分の姿を変えていく。 バーサーカーの正体を隠す黒い魔力と似た漆黒の魔力がマッシュの体を完全に包み込み、一瞬後には黒い塊が四肢をもったような別人へと変わっていた。 190センチあった身長は10センチ以上小さくなり、100キロを超える肉厚の体は細くなり、金髪は消える。 黒頭巾と黒装束で全身を包み込み、本来のゴゴと同じように目元以外を隠す格好だ。人が黒い格好をしていると言うより、黒い色が人の姿をとっている様にも見える異質な姿である。 黒装束の下には『源氏の小手』と『ダッシューズ』に変わる『スナイパーアイ』と『ガントレット』を作り直して、つけ直し。必中の準備を整える。 なお、『スナイパーアイ』は物理攻撃が100%命中するアクセサリで、『ガントレット』は一本の武器を両手で持って攻撃力を倍にするアクセサリだ。 唯一肩の上に乗っているジーノだけが変わっておらず、ミシディアうさぎだけが変わる前と変わった後を同一人物に結び付けているが。黒い人影に対して、白いうさぎが肩に跨っているので、色の対比で非常に目立っている。 はたから見ればさぞ目立つに違いない。 特殊効果が付加された小刀『影縫い』を右手に握りしめ、黒い人影となったゴゴは肩の上のジーノに声をかけた。 「インターセプター。行くぞ!」 「むぐっ!?」 「――間違えた」 やはりどこかでズレが起こってしまう。もしこれが本物だったならば、漆黒の忍犬とミシディアうさぎを言い間違えたりしない。 聖杯戦争のサーヴァントのクラスとは異なる『アサシン』のシャドウになったゴゴは、自分の失態を無かった事にしながら、魔力で編んで作りだした『風魔手裏剣』を左手に持ち、木の上で飛んでいる誰かの使い魔に向けて投げつける。 『スナイパーアイ』のおかげで見ずとも判る必中だ、あっさりしているが、空の上の敵はこれで片がついた。 残るはこちらを尾行してきたサーヴァントただ一人。 さあ、アサシン同士で互いを暗殺しよう―――、早く来い―――、暗殺者。