第8話 『ものまね士は英霊の戦いに横槍を入れる』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 聖杯戦争に協力する―――。協力の度合いによって関わり方は大きく変動するが、ゴゴはまず事前に手に入れた聖杯戦争の情報と現実との差異を埋めるべく、冬木に斥候を放った。 他の魔術師や雁夜に言わせればそれは『使い魔』なのだが、ゴゴにとってスケッチで新しく作り出したミシディアうさぎは使い魔ではない。あえて言うならばゴゴの手足だ。まあ使い魔と表現しても別段問題ないのでそれでもいいが。 リルム・アローニィの『スケッチ』。描かれた絵を具現化して実体化させるこの特技によって、間桐邸のいる十匹のミシディアうさぎ以外の新たなミシディアうさぎが出現する。 「むぐ!」 「バニシュ」 水性アクリル絵の具によってスケッチブックの上にミシディアうさぎが一匹描かれると、二次元に描かれたうさぎが三次元の体をもってゴゴの前に現れる。 桜に渡してしまった特別なミシディアうさぎ。今では『ゼロ』と名付けられて桜の使い魔となったあれは既にゴゴの手を離れているし。桜の孤独を癒す為に用意された九匹は桜の傍に居させるので、基本敵に間桐邸から離せない。あくまで基本は、だが。 よって、ミシディアうさぎを斥候にするならば、新たに作らなければならない。 「むぐ~」 「バニシュ」 スケッチブックから新しいミシディアうさぎが出現する。指示を出して、間桐邸から冬木の各所へと出陣させる。 別の一匹を描いて、またスケッチブックからミシディアうさぎを出し。これまた冬木の各所へと出陣させる。 英霊召喚の以前から聖杯戦争の前哨戦が始まっているので、間桐邸の周辺に他のマスターが放った使い魔が右往左往している事は既に気付いていた。 侵入しようとして撃退された使い魔は今の所いない。間桐邸の周囲はゴゴが張り直した結界によって守られているので、そこに踏み込む危険を承知して、監視に留めているのだろう。 ミシディアうさぎが出ていけば『間桐が使い魔を放ってる』と知られてしまう。他のマスターもやってる事なので今更とも言えるが、こちらの情報は出来るだけ明かさず敵の情報を多く仕入れるのは戦いの基本だ。 これはかつて旅した世界も、この世界でも変わらない。わざわざミシディアうさぎが間桐に関わりがあるのと、冬木に放たれるミシディアうさぎの数を馬鹿正直に教えてやる義理は無い。 「むぐむぐ」 「バニシュ」 スケッチブックの上に新しいミシディアうさぎが出てくるたび、ゴゴは透明化の魔法『バニシュ』をかけてミシディアうさぎ達を透明にした。 魔力に焦点を絞って注意深く見れば気付かれるかもしれないが、ミシディアうさぎに限らず、ゴゴが呼んだモノ―――幻獣とか飛空艇とかミシディアうさぎとかは、余剰魔力を外に溢れさすほど柔な作りではない。 これが雁夜や桜の呼び出したモノならば、余分な魔力が外に漏れて感知されてしまうかもしれないが。今のミシディアうさぎは外に漏れる魔力の無い『兎の形をした魔力』そのものだ。 見たり触れたりしたら魔力を内包したうさぎだと判るだろうが、一度でも見逃せば絶対に知られない自信があった。 「むぐむぐ?」 「バニシュ」 今頃、スケッチで作り出した新しいミシディアうさぎ達は、間桐邸の裏の窓から外に出て行ってるだろう。 透明になって―――。 冬木市は深山町の高台に建つ遠坂邸と、深山町の西側郊外に広がるアインツベルンの森は言うに及ばず、冬木市全体を網羅するようにあちこちに散らばってゆく。 「むぐ」 「バニシュ」 また一匹、新しいミシディアうさぎを描き終えた所で、真っ先に遠坂邸に向かわせた一匹から異常を伝える合図が届いた。 ゴゴは急いでそのミシディアうさぎと意識を同調し、間桐邸の中でスケッチブックを片手に持つ視界ではなく、月光に照らされる遠坂邸を見る。 ミシディアうさぎ達の視界は監視カメラに近い。 人の感覚に置き換えれば、呼び出したミシディアうさぎの数と同じ数のテレビが一斉に並び、ゴゴがそれを見ているようなものか。高層ビルや大規模な百貨店に必ず設置されている中央監視室が一番近い。 この繋がりは『1』から『9』に関連して名付けた九匹のミシディアうさぎも同様で、例外は桜の使い魔になった『ゼロ』だけだ。 ミシディアうさぎの視界を通して遠坂邸を見ると、ドクロの仮面を被った長身痩躯の何者かが遠坂邸の庭を横断している姿が見えた。 各所でサーヴァントが召喚され、もう聖杯戦争が始まっている状況で遠坂邸に接近する者。しかも深夜に潜入する者が単なる一般人ではありえない。初めて見るが、おそらくあれがアサシンなのだろう。 ゴゴはミシディアうさぎの目を通して見る光景と、自分の中に取り込んだ『ものまねの聖杯』を意識して感覚でサーヴァントの位置を把握する。 冬木の各所に伸びている聖杯とサーヴァントを繋ぐ感覚、その内、二本が遠坂邸に伸びており、ミシディアうさぎが片方を捉えているので、やはりあれは『アサシン』に相違ない。もう一つは遠坂邸の中にありそうなので、遠坂時臣が召喚したサーヴァントだろう。 そのままミシディアうさぎに監視を続けさせていると、アサシンが更に遠坂邸の奥深くに入り込もうとしているのが見えた。 サーヴァント召喚の時にアサシンが遠坂邸のすぐ近くにいたのは既に確認済みなので、アサシンのマスターと遠坂は共闘している可能性が非常に高い。 そうなるとアサシンが遠坂邸に潜入しようとしている状況と合致しないのだが、仲違いする何かが起こったのかもしれない。この場でミシディアうさぎを遠坂の結界に察知させて、アサシンの存在を教えるのも面白いかもしれないが、とりあえず傍観を選択する。 結果―――。遠坂邸の結界を作っていると思われる紅い要石に手を伸ばしたアサシンが、真上から飛来した槍で手の甲を貫かれる瞬間を目撃できた。 「ほぅ・・・」 アサシンこと『ハサン・サッバーハ』は間違いなくサーヴァントとして呼ばれた英霊だ。刀や剣、重機などの兵器では傷一つ付けられないだろう神秘の存在だから、手を貫いているあの槍はただの槍ではない。 これまで沈黙を保っていたアサシンが苦悶の声を漏らすのが聞こえた。 ミシディアうさぎに命じて槍の発射地点に視線を向けさせると、遠坂邸の屋根の頂きに人影を見つける。 壮麗にして偉大、黄金の輝きが人の形を作っていると思える、神々しく佇むその威容の前には満天の星空も月光も霞む。 「地を這う虫ケラ風情が、誰の許しを得ておもてを上げる?」 魔術の秘匿など欠片も考えていない絶対的強者から弱者に向けて放たれる『決定』、遠く離れた位置で観戦している使い魔の耳にも届く壮烈な声。 「貴様は我(オレ)を見るにあたわぬ。虫ケラは虫らしく、地だけを眺めながら死ね」 黄金の人影がそう言うと、その人影の背後に―――何もない空中に別種の輝きが生まれて、そこから無数の輝きが現れた。 それは剣であり、矛であり、斧であり、槍であった。一つとして同じ物はなく、全てが煌びやかな装飾を施された宝と見間違う武具だ。その全ての切っ先がアサシンに向けられている。 ゴゴはミシディアうさぎの視線を通して状況を見つめながら、もう一度『ほぅ・・・』と感嘆のため息を漏らす。 あの黄金の人影が何のサーヴァントかはまだ判らないが、膨大な武具を呼び出している現象はほぼ間違いなく宝具であろう。ならば、それもまたゴゴにとっては物真似の対象であり、この世界で得るべき技術だ。 残念なことにミシディアうさぎを介しての見物だけではものまねには至れない。この身で実際に体感し、模索し、経験し、解析し、物真似して、それは初めてものまね士ゴゴの技となる。 今回は調査だけに止めようと決め、ゴゴはミシディアうさぎの視界を通して状況を見つめる。 風を切る音が鳴り響いた瞬間、無数の輝く刃がアサシンに降り注ぎ、斬り裂き、砕き、壊し、貫いた。 アサシンが身に着けていたドクロの仮面が砕けて離れるのが一瞬だけ見えたが、新たに降り注ぐ武具によって巻き起こる爆炎と噴煙に紛れて見えなくなる。 そして黄金のサーヴァントは姿を消してしまい、残るのは消えたアサシンと見るも無残に姿を変えた遠坂邸の庭である。まるで手榴弾をばら撒いて破壊した様な有様だ。 ゴゴはミシディアうさぎの視界から間桐邸の自らの視界に戻しつつ、聖杯から伸びるサーヴァントの繋がりを確認する。そして遠坂邸に合った二つの繋がりのうち片方が消えているのは確認し、サーヴァントの繋がりそのものはまだ七つ以上を保持しているのも一緒に確認する。 どうやってそれを成し遂げたかは定かではないが、黄金のサーヴァントによって消滅させられたアサシンのクラスは今だ消えずにこの冬木の地に残っている。間違いない。 ゴゴが雁夜を蘇らす時に使用した『リレイズ』のように自動蘇生の宝具か、あるいは分身して一体を遠坂邸に差し向けただけか。 起こった状況と、見た現実だけでは、まだ正解には至れないが、事前の状況を考えて一つの結論を導く事は出来る。 これは茶番だ―――。 どうやってアサシンを残留させたかはさておいて、サーヴァント召喚の時から繋がっているアサシンのマスターと遠坂時臣との連携は今も継続されているのだ。 こうやって『アサシンが敗退した』という状況をあえて見せつけて、聖杯戦争の中をアサシンが自由に動き回る算段なのだろう。 マスターがこれからの聖杯戦争を考える場合、アサシンがいないと決めつけて考えれば、それだけアサシンが敵マスターの背後から忍び寄って暗殺を遂行する確率が上がる。そうなれば、遠坂時臣とその協力者は聖杯を得る可能性を格段にあげられる。 二人のマスターと二体のサーヴァントが結託している状況はゴゴにとって嬉しくない状況だ。何しろ遠坂時臣と対峙する為には、あの黄金のサーヴァントだけではなくアサシンとそのマスターも一緒に倒さなければならなくなる。それは面倒だ。 聖杯戦争の参加者たちにとってあの黄金のサーヴァントの宝具は脅威に値するだろう。しかし、ゴゴにとっては少し大きな障害程度でしかなく、『面倒だ』とは思っても『不可能だ』とは思わない。幾つも武具を呼び出してアサシンを瞬殺した宝具だが、ゴゴにとっては単なる物真似の対象である。 「むぐ!」 「・・・・・・バニシュ」 ゴゴは桜ちゃんを救うための障害を思いながら、スケッチブックに新しいミシディアうさぎを描いていく。そして新しいミシディアうさぎを透明にして、別の場所に行くように命じる。 雁夜に敵が増えた事を教えないとな―――そう思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 バーサーカー召喚によって数時間寝込む羽目になったが、それでも目覚めると同時に桜ちゃんの顔が見れたのは嬉しかったので、憂鬱は眠気と合わせて一瞬で吹き飛んだ。 「おはよう・・・桜ちゃん」 「おはよ――。雁夜おじさん」 天井を見上げれば蛍光灯の灯りが部屋の中を照らし、少し顔を動かして窓から外を見れば夜の暗さが広がるばかりだ。どうやらまだ時刻は夜らしいので、目覚めの挨拶にしてもおはようは少し間違っていたかもしれない。 何となくそんな『日常』の事を考えたのは、自分が既に聖杯戦争のマスターとしてサーヴァントを召喚しながら、それでも桜ちゃんとの生活を繰り返したいと願ったからかもしれない。 だが雁夜は約束したのだ。桜ちゃんを遠坂の家に帰す、と。 遠坂の事情も、聖杯戦争の事情も、魔術師の事情も全て調べ、桜ちゃんが幸せになれるよう、命をかけると誓ったのだ。 「ついててくれたんだ、ありがとう」 「ううん」 ミシディアうさぎの『ゼロ』を胸の前で抱えたままベッドの横に立つ桜ちゃんに向かい、雁夜は手を伸ばして彼女の頭を撫でた。 友愛の証、しかし、同時に彼女との決別を惜しむ未練でもある。 雁夜はすぐに手を桜ちゃんの頭から離し、ベッドから起き上がって体をほぐす。サーヴァント召喚の為に失った体力やら魔力やらはほとんど回復しており、全快ではないが普通に動き回れるまでには戻っている。 倒れて自室で目を覚ますのはこれまでにも何度かあった。魔剣ラグナロクが収まるアジャストケースとポシェットが置かれているのもこれまでと変わりないが、今回は大きく違うモノがある。霊体化して姿は見えないが、サーヴァントの気配を部屋の中に強く感じるのだ。 ゴゴの手引きによって雁夜が呼び出した英霊『バーサーカー』、この世の全てを破壊してもまだ足りぬ暴走の気配がひしひしと伝わってくる。 「・・・・・・」 自分でも自覚しない内に神妙な顔つきになり、聖杯戦争に参加するマスターとしての重圧が沈黙となって部屋の中に生まれた。 バーサーカーの重圧はゴゴに比べれば軽く感じるが、それでも魔術師として半人前の雁夜にとっては手に余る存在に感じられる。 制御できるかは判らない。制御できないかもしれない。あと半年、いや、三か月修行して更に力をつければ、バーサーカーであろうと制御できる自信が持てたのだが、今の段階ではサーヴァントとしてのバーサーカーを御する自身は無かった。 良くて半々。悪ければバーサーカーを現界させる為だけの魔力炉としての役目しか果たせないだろう。 「雁夜おじさん?」 「ん。ああ、いや、何でもないよ桜ちゃん」 重苦しい雰囲気が伝わってしまったのか、こちらを見てくる桜ちゃんに対し、慌てて何でもない風を装った。 おそらく『何でもある』のは既に伝わってしまっているだろうが、それでも大人として意地を張る。 「桜ちゃん、ゴゴは間桐邸にいるかな? 外に出かけちゃったか知ってる?」 「多分――、奥の部屋にいると思う。外に行くって言わなかったから・・・」 「そっか」 どうやら、聖杯戦争に協力すると言った我が道をゆく師匠はまだ間桐邸の中にいるらしい。一度決めたら、誰であろうと道を阻むのは無理なので、もう外に出て行っているかと思った雁夜には少し意外だった。 いるなら話をしなければならない。主題はもちろん聖杯戦争の事だ。 「それじゃあちょっと、おじさんは行ってくるね」 「うん・・・」 ベットから起き上がり、雁夜はゴゴを探す為に部屋を出る。後ろから桜ちゃんの視線が突き刺さるのを感じたが、振り返らずにそのまま歩いた。 以前は臓硯の部屋だった場所でゴゴを発見し、その部屋から廊下へと続く奇妙な痕跡を見つけた雁夜は入室した直後に問いかけた。 「・・・・・・これは何の跡だ?」 「冬木市のあちこちに出したミシディアうさぎの足跡だ」 人差し指と親指で作った輪ぐらいの大きさの跡が幾つも幾つも幾つも幾つも幾つもカーペットの上に出来上がっているのだ。 一つや二つならば気にしなかったかもしれないが、それが数十、数百ともなれば話は変わる。気にするなと言う方が無理な大量の痕跡である。 「ミシディアうさぎ? 『ゼロ』は桜ちゃんと一緒にいたし、『アン』から『ノイン』まではここに来る前に見たぞ」 「101匹ミシディアうさぎをもう一度やってな、斥候として働いてもらう為にあちこちに出てもらった。おかげで色々判った事もあるから蟲蔵に行きながら話そうか」 「・・・バーサーカーの事か」 「他にないだろう? その為にわざわざ召喚してもらったんだ、俺は早く宝具を見たくて仕方がない」 ゴゴはそう言うと、手に持っていたスケッチブックを机の上に置いて立ち上がる。 『三尺下がって師の影を踏まず』ではないが、何となく行き先が判っても雁夜はゴゴの後を追うのが常になっている。今も斜め後ろでゴゴの肩口を見ながら、蟲蔵に向けて共に歩き始めた。 「バーサーカーの霊体化と実体化については俺が把握してる。ただ、一度実体化させると暴走する予感があるから、そこから制御できるかどうかはやってみないと判らない」 「こっちは聖杯戦争の状況変化だ。雁夜が寝ている間にアサシンが遠坂邸に強襲をかけて撃退された」 「アサシンが?」 「だが、サーヴァントの気配はまだ残ってる。どういう理屈かまだ分からないが、アサシンは消滅したように見せかけて、まだこの冬木に潜伏してる。つまり敗北者はまだゼロ、そしてアサシンのマスターと遠坂時臣はこうなるように仕向けて裏で結託してる可能性が高くなった」 「そうなるとアサシンのマスターは遠坂に師事した『言峰綺礼』だな」 「おそらく」 「他には何か判ったか?」 「全てのサーヴァントが召喚されたのを確認したが、まだ冬木に乗り込んでない英霊がいる。かなり遠方に聖杯と英霊との繋がりを感じるから、おそらくドイツのアインツベルンだ」 ゴゴと情報を交換しながら歩いていると、あっという間に蟲蔵に辿り着いてしまった。 それだけ話すことが多かったという事だが、戦いの為に準備が必要だという事でもある。雁夜は背負った魔剣ラグナロクの重さが僅かに重くなった様な気がして、少し声をつまらせる。 「アサシンの宝具は判らなかったが、遠坂のサーヴァントは無数の武具を撃ち出す宝具を発動させていた。魔力で具現化した武器を撃っては消してを繰り返す宝具かもしれん。ミシディアうさぎの視線を通して見ただけだから、詳細はまだ不明だ」 「そうなると遠坂の魔力が続く限り攻撃は止まないって事か。弾切れなしの機関銃かよ・・・」 「今の雁夜の腕なら真正面限定で二回は防げるな。奇襲なら一撃でお陀仏。確実に二回以上攻撃されるから、あの黄金のサーヴァントに出会う様な事態は避けろよ」 「言われるまでもない。英霊と対峙して勝てるなんて、そんな無茶、言えるか!」 「アサシンの方なら、ラグナロク使って先に一撃入れたら多分雁夜が勝つぞ。向こうの宝具を出される前に決着をつけられればの話だがな」 「・・・・・・・・・」 雁夜はゴゴの言葉を聞いて、高々一年修行しただけで勝てると断定されたアサシンの強さに落胆すべきか、ゴゴの修行によって英霊でも勝てる位に力をつけた自分を増長させるべきか判断に迷う。 けれども、遠坂のサーヴァントに対しては確実に負けると断定されたので、単なる力量差の一つとして判断し、感情を揺らさぬように努めた。 聖杯戦争において、雁夜は遠坂時臣の真意を探り、そこから『桜ちゃんを救う』に展開を持って行かなければならない。自分の力を誇らず、一つの障害を突破する材料の一つにすることで、自分の気持ちを落ち着けた。 遠坂とアサシンのマスターである言峰綺礼が共闘しているなら、間違いなく彼らは雁夜の敵だ。それを撃退する為に、炎よりなお熱い怒りを燃やしても、冷静に状況を判断しなければならない。 アサシンと真正面から対峙した場合に勝てたとしても、それは誇る事ではない―――そう、自分に言い聞かせた。 「遠坂時臣のサーヴァントは強いか?」 「サーヴァントを基準で考えれば破格の強さだな、あれは。今回の聖杯に招かれたサーヴァントの中では最強かもしれん。だが戦い方によっては負けは無いから安心しろ、いざとなれば俺が戦って殺してやる」 「・・・・・・判った」 バーサーカーがどれだけ強力なサーヴァントかまだ分からないが、ゴゴが強いと断定するのはよほどの事だ。雁夜は正直、時臣もサーヴァントもどちらも自分の手で滅ぼしたいと願っているが、この一年のゴゴの強さを目の当たりにして自分に出来る限界を知ってしまっている。 悔しく思いつつも、果たすべき目的のためには時に過程を捨てなければならない。雁夜は不承不承頷き、ゴゴの背中に弱々しい声を投げた。 そして他にもいろいろな事を話している内に二人は蟲蔵へと到達し、いつもの鍛錬の時と同じように距離を取って対峙する。サーヴァント召喚の為に床に書かれた魔方陣は既になく、いつもと変わらぬ薄暗い雰囲気が立ち込めていた。 「早速、バーサーカーの宝具を使って見せてくれ、令呪を使ってもいいぞ」 「それを決めるのは俺なんだけどな・・・」 堂々と告げてくるその姿になんとなく雁夜は暴君をイメージするが、ゴゴの自分勝手は今に始まった事ではないのすぐに諦める。 それにゴゴがバーサーカーの宝具を求め、その召喚と宝具を条件に聖杯戦争に協力を要請したのは雁夜だ。例えゴゴから言いだした事でも、雁夜は間違いなくそれを受諾した。 そして、雁夜が言う前に聖杯戦争の情報収集を始めていたようなので、どうやら積極的に関わってくれるらしい。ならば、バーサーカーの宝具を見せるだけでこの状況を維持できるのならば安い買い物であろう。 正直、バーサーカーではなくても、いきなり呼び出した英霊と協力して目的を達成できるか、今更ながら自信が無い。 その点、ゴゴはこの一年接してきたので、『こんな時はこうする』と行動の予測を立てやすい。大体、単純な戦闘力で考えれば、ゴゴは星すら破壊できる力の持ち主だ。考えるまでもなく英霊より強い。 英霊より頼もしい協力者と言える。 「ちょっと待ってろ・・・」 雁夜はそう言いながら、霊体化しているバーサーカーに向けて実体化するように指示を出した。 他の英霊に関わった事が無いので比較対象が無いのだが、バーサーカーはその名の通り『狂戦士』だ。霊体化している時は命令を待つ機械のように思えた。 銀行のATMや自動車のように、機械はそれのみでは何も起こさず、使う人の手が入って初めて意味を持つ。バーサーカーもまたそんな機械と同じように、霊体化は待ちの状態になっているらしい。そして実体化した瞬間、『狂う』、確証はないがそんな気がした。 霊体化して姿の見えなかったバーサーカーに命令すると、不気味なほどあっさりと実体化して蟲蔵の中にその姿を現す。 漆黒のフルプレートで全身を包む騎士、隙間のあちこちから黒い霧に似た魔力を吹き出して全体像を隠すサーヴァント。目で見てバーサーカーが誰なのかを知るのは非常に困難で、令呪を介した繋がりが無ければマスターである雁夜にも正体は判らないだろう。 聖杯戦争のマスターにはサーヴァントを視認するとステータス数値を看破出来るのだが、湧き出る黒い霧魔力それを阻害していた。 「ア・・・ァァァァァ・・・」 ゴゴと雁夜とバーサーカーの三人で三角形を作っているのだが、その中でバーサーカー呻き声を上げる。 武器を持たない『狂戦士』は敵の姿を探すように蟲蔵の中を見渡すのだが、首を左右に振りながら呻き声を上げるだけでゴゴにも雁夜にも攻撃を仕掛ける素振りは無い。 狂戦士と言う言葉から、無作為に誰にでも攻撃する印象を抱いていた雁夜だが、マスターである自分に攻撃してこないのは良いとして、ほんの少しだがゴゴには攻撃すると思ってたので、この結果は少々意外だった。 あるいは雁夜がゴゴを味方だと考えている、マスターの敵でないならばサーヴァントにとっても敵ではないと認識しているのかもしれない。マスターとして完全にバーサーカーを制御できればその辺りも判るのだろうが、今だ、雁夜にとってバーサーカーは夜の闇よりも深い場所にある未知そのものだ。 「どうだ?」 「『誰かを攻撃しろ』とか『あそこに迎え』とか、簡単な命令なら受け入れてくれる感覚はあるんだが、宝具の発動となると難しいな。命令しても全然応じない」 「そうなると令呪を使うしかないなぁ?」 「やっぱりそうなるか・・・まだ一戦も交えてないのに、いきなり令呪の一画を使う羽目になるとはな・・・。バーサーカーとして召喚したの失敗じゃないか?」 「これはこれで俺には得るモノがある。だから、諦めろよ雁夜」 「ああ。仕方ない――仕方ないんだ・・・」 既にバーサーカーのマスターとしてここにいるので、過去を悔いても何も始まらない。作るべきは未来であり、この状況下での最善を作って邁進するのみだ。 雁夜は右手を横に伸ばし、手の甲に刻まれたサーヴァントに対する三つの絶対命令権に意識を向けた。 「間桐雁夜が令呪をもって命ずる――」 すると令呪が輝きだし、熱湯に手を突っ込んだ時の様な痛みが右手に走る。耐えられなくはないが、あまり長く味わいたくない痛みだ。 「宝具を使い、『間桐雁夜』に変身せよ!」 己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー) 雁夜は右手の甲から令呪の一画が消費されると、頭の中でバーサーカーの声を聴いた気がした。 錯覚か、あるいはマスターとサーヴァントにだけに通用する繋がりが声なき声を響かせたのか。 「ァァァァァァァァァァァァ・・・」 不思議な感覚を味わっていると、バーサーカーが呻き声を変化させて、鎧の各所から出す黒い魔力の放出を更に強めた。 バーサーカーの周囲のみを覆っていた筈の黒い魔力が勢いを増し、そのまま竜巻の様に渦巻いてバーサーカーを隠してゆく。そして黒い魔力に包まれた人型が鎧の形状から変化していき、雁夜より頭一つ分大きい身長も縮んでいく。 黒い魔力の奔流が消えたかと思った次の瞬間。雁夜の目の前に雁夜が立っていた。 「こいつぁ・・・・・・すごいな」 自分で命じたからこそ、黒い鎧の騎士の変わり様にそう呟くしかない。そこに居たのは間違いなく間桐雁夜当人であり、まるで鏡を映したかのように細部に至るまで全てが同じだった。 紺色のフード付パーカーを着た顔は言うに及ばず、魔剣ラグナロクを収めたアジャストケースも紺色のポシェットの何もかもがそっくりそのままだ。 自分と同じ姿をした者が目の前に立っている光景はとてつもなく気持ち悪かったが、雁夜はその正体がバーサーカーであると知っているので、気持ち悪さを抑え込む。代わりに出て来たのは身長すらも自由に変えられる宝具の凄まじさ、英霊への畏怖と敬意であった。 「これが宝具か――」 もし人の力で同じような事をするならば、整形やら骨延長手術やらで長い時間と多大な労力と財産が必要になる。しかしサーヴァントには一瞬の出来事だ。 雁夜が雁夜を見ている。何とも奇妙な光景だった。 自分と同じ姿をしているサーヴァントに意識を向けっぱなしになってしまい、雁夜に変装しているバーサーカーを凝視しているゴゴの姿を見逃した。 その姿はこれまで雁夜が見た事のない真剣なモノだったのだが。雁夜はそれに気付けない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ ゴゴは冬木に存在する英霊に加えて、外国からも集ってくる英霊の存在を感じ取っていた。 間桐邸の地下でバーサーカーの宝具を見物し、その後で力試しと称して、雁夜とバーサーカーを相手に一対二で戦ったのが一日前の話。少しだけ本気を出したゴゴに叩きのめされたマスターとサーヴァントは、現在、回復に時間を費やしている。 が、殆ど疲れないゴゴには関係が無い。 むしろ一年間みっちり鍛えておきながら、今だゴゴの足元にも及ばない雁夜の不甲斐なさに落胆すら思えてしまう。せめてバーサーカーと協力して一太刀浴びせる位はしてほしかったが、結果はバーサーカーを制御できずに鍛錬の成果すら出しきれない自滅に終わった。 体力と怪我はゴゴの魔法で一瞬で直せるのだが、魔力を消耗して回復が必要なサーヴァントがどんなものかを知る為に自然治癒に任せている状態だ。雁夜にとってもサーヴァントと言う戦力を知るのは悪い事ではない。 敗北を教訓としてバーサーカーと折り合いをつけながら戦えるようになってほしい。ゴゴはそう思った。 続々と冬木に集結してくる魔力の塊を読み取りながら、ゴゴは考える。いよいよ本格的な聖杯戦争が始まるのだ、と。 ミシディアうさぎの一匹を遠坂邸の周辺に置いた結果、遠坂と言峰の協力関係がほぼ確実なものになった。おそらく遠坂のサーヴァントは『武器を撃つ』という攻撃からアーチャーのサーヴァントだろう。 少し前に間桐陣営に言峰綺礼がアサシンのマスターであり、監督役の保護下に置かれた情報が告知された。これで遠坂時臣と言峰綺礼だけでなく、監督役するもあちらに協力している事がほぼ発覚した。 ますます今回の聖杯戦争は茶番だ。 中立を保つはずの監督役が特定のマスターに肩入れするとは馬鹿じゃなかろうか? 神父のくせに嘘つきでいいんだろうか? アサシンの陣営とアーチャーの陣営は表向き敵対関係を維持して、勝利と敗北を演出したようだが、柳洞寺の地下大空洞にある聖杯を『ものまね』したゴゴには偽りは通じない。 何やらアサシンの存在を数多く感じるが、それもゴゴにとっては大したことではない。今のゴゴにとって重要な事は、雁夜がバーサーカーとして呼び出したあの英霊―――正確にいえば、英霊が持っていた宝具を見れた事だ。 「・・・・・・・・・」 ゴゴはバーサーカーを呼び出した雁夜との会話を思い出しながら、蟲蔵で横になって体力回復に努めているであろう彼の元へと向かう。ゴゴの傍らにはミシディアうさぎが一匹控えており、主君の行動を待つ臣下のようにゴゴを見上げていた。 カツン、カツン、カツン、と鳴り響く足音。 「これがバーサーカーか・・・。正直、こんなすごい騎士が俺のサーヴァントだなんて実感が湧かないんだが――。魔石に魔力を吸われた時と同じように、魔力がもってかれるな。鍛錬した時も思ってたんだが、魔石ってのは魔力効率が良すぎるのが難点だ。マスターになって魔力供給してると、燃費の悪さを考えちまう」 「令呪を使ってまで宝具を使ったんだから、交換条件でまずお前に先陣を切ってもらうぞ。表向き『間桐臓硯』だから、問題ないだろ。そう決めたぞ、やれよ、絶対だぞ」 「ところでバーサーカーってどれだけ強いんだ? 正直、比較対象がお前しかいないから判らないんだが・・・・・・。何? だったら一緒にかかって来いだと? 上等だ、この一年だてにお前にしごかれた訳じゃない、修業の成果を見せてやる!!」 そしてゴゴは雁夜とバーサーカーを同時に相手にして、呆気なく勝利をおさめた。 そもそも元は騎士の英霊であるバーサーカーが敵と対峙しながら無手で挑む時点で色々と間違っているのだ。 戦った場所が武器など何一つない蟲蔵だと言うのも悪かった。あの場でゴゴに挑むならば、雁夜がもつ魔剣ラグナロクをバーサーカーに渡し、雁夜はバーサーカーの援護に全力を注ぐべきだ。補助用の魔法も幾つか学んでいるので、あそこで雁夜が自らゴゴに斬りかかる意味はあまりない。 けれど、この一年間ずっと一人で戦ってきた男にいきなり連携しろというのも難しい。 采配の難しい所である。 無手でもゴゴには戦い方があるので、迫りくるバーサーカーに対して、力に依存する防御無視の必殺技『爆裂拳』を三回ほど叩き込んで無力化させた。 一撃喰らって壁に吹き飛び、もう一度向かって来たので二発目を容赦なく喰らわした。 三度目はまだ動きそうだったので、風に押し付けながら叩き込んで鎮静化させたのは記憶に新しい。 そして魔術の防御力は一般人とさほど変わらない雁夜に対しては、混乱をおこす魔法『コンフェ』で動きを乱し、がら空きの腹部にバーサーカーと同じように『爆裂拳』を叩き込んで失神させた。以前は攻撃を受けただけで嘔吐していたので、ただ失神しただけでも成長であろう。 こうして蟲蔵に横たわるマスターと霊体化を余儀なくされたサーヴァント、悠然と立つ勝者の構図が出来上がったのだ。 あれからかなり時間が経過しているし、桜によって食事も運び込まれた。全快とはいかずとも、バーサーカーに消費された魔力も八割は回復しているだろうから、気負わずにゴゴは蟲蔵へと向かう。 地下へと通じる扉を開けて蟲蔵に入ると、床の中央で左側を横にした雁夜がいた。丁度、サーヴァント召喚の為に蟲蔵の中央に描いた魔法陣の辺りだ。規則的な呼吸が聞こえてくるので死んではいない。 「雁夜」 「おー・・・」 声をかけると、雁夜は右手を揺らして生存を伝えてくる。けれど、返事に力はない。どうやら回復にはもう少し時間がかかるらしい。 ゴゴはそんな雁夜の右手を見る。そこに刻まれた令呪は既に一画消費されており、ゴゴのものまねの為に消費された結果を目に見える形で表していた。 「先に行ってるぞ」 「判った・・・。こっちも後から追いかけるからなぁ・・・」 どこか近場に出かけるような気安さで話すが、向かう先は殺し合いの場―――聖杯戦争の渦中である。そこには間違いなく遠坂時臣とアーチャーも関わってくるので、雁夜にとっては不倶戴天の敵へと向かうに等しい筈。それなのに怒りを欠片も見せないのは、それだけ疲れている証拠だ。 先陣を切るのは雁夜との約束である。今の雁夜では使い物にならなそうなので、ゴゴは蟲蔵に雁夜を置き去りにして階上へ向かう。 そして桜ちゃんの部屋にたどり着いた。 「桜ちゃん、いるか?」 「はい――」 ノックすると部屋の中から応対があった。ゴゴが扉を開けると部屋の中央で床に何枚か紙を敷いて色鉛筆片手に持つ桜がいて、その周囲にミシディアうさぎ達がたむろしていた。 どうやら絵を描いていたらしい。 「前から話してた聖杯戦争に行ってくる」 「・・・・・・」 大まかだが聖杯戦争の事は桜に話してある。だから出向くのが『殺し合う』という事だと判っているようで、返事はなかった。 あるいは間違いなく、そこに関わる遠坂の家族に思う所があるのかもしれない。桜ちゃんは絵を描くのを止めてこちらを見上げていた。 「早ければ数時間、遅くとも一日で帰ってくる予定だ。チャイムが鳴っても出ない事。もし宅配便が来たら『大人がいないから、後でもう一度持ってきて下さい』と言う事。それから三食分、冷蔵庫に入れといたからお腹が空いたらそれを食べて、食器は台所の流しに置いといてくれ、後で洗っとく。もし背が届かなかったら脚立かミシディアうさぎに協力してもらえ。面倒だったら今日はお風呂は入らなくてもいいぞ、俺が許す」 連続して言われた内容を桜ちゃんがどれだけ理解しているかは甚だ疑問であったが、途中で絵を描いていた紙に『れいぞうこのなか』『チャイムでない』と拙い字で書いているのが見えたので、判っているようだ。 そして『桜ちゃんを救う』為に重要な事も忘れずに告げる。 「もし火事とか地震とか怪しい人とか危険な事が起こったら、ゼロ以外のミシディアうさぎに言え。そうすれば俺に伝わる。判ったな?」 「・・・はい」 殺し合いに出向く大人を見送るのは気が進まないのだろうが、それでも桜ちゃんは返事をしてくれた。 ゴゴはそんな桜ちゃんを少しだけ見つめ―――。 「それじゃあ留守は頼んだぞ」 心残りを断ち切るように言って扉を閉める。 閉ざされた扉の向こう側から、むぐむぐとミシディアうさぎの鳴き声が聞こえたが、ゴゴは振り返らずにその場を後にした。 遠坂邸と間桐邸、そして冬木市深山町の西側郊外に広がる森―――別名『アインツベルンの森』。聖杯戦争を始めた始まりの御三家のそれぞれの拠点として知られるこれらには、絶対に居ないと確信されない状況を除いて、必ず使い魔が放たれる。 これは情報戦の観点から見れば当然の行為であり、聖杯戦争の参加者ならば敵を知る為に誰でもやる事だ。むしろやらない方が異常にあたる。 間桐臓硯が生きていた頃よりも更に強固に作り直された結界によって間桐邸に侵入出来る使い魔は皆無である。しかし『監視』ならば結界の範囲外からでも行える為、間桐邸に突き刺さる視線はかなり多い。 ゴゴは使い魔が跋扈する間桐邸の周辺を想像しつつ、玄関の前に佇んだ。 まだ玄関は開かれていないが、開けて外に出ればその瞬間から他のマスターが放った使い魔達の視線が集中するに違いない。 煩わしかった。 鬱陶しかった。 しかし、ゴゴの心はそんな使い魔達の視線など気にならない程、晴れやかだった。 まだ敵のマスターともサーヴァントとも戦っていないにもかかわらず、雁夜に貴重な令呪を一つ使わせて、新しい技を手にいれた。それがゴゴを歓喜の海に浸らせているのだ。 雁夜と桜ちゃんにそれぞれ声をかけた時は平静を装えたが。今は喜びのあまり踊り出しそうである。 バーサーカーがどれだけ伝説に謳われる英雄であろうともゴゴには興味が無い。しかし、この技は―――、バーサーカーのクラスで現界した英霊が持つ宝具にだけは強く興味を惹かれた。だからわざわざ聖杯戦争参加の条件を付けてまで雁夜に召喚させたのだ。 間桐臓硯は聖杯戦争を作り上げた始まりの御三家の一人であり、当然ながら呼び出す英霊とその聖遺物については広く深く調査を行っていた。そして、残された遺品の中からこの記述を見つけた時は思いっきり喜んだのをよく覚えている。 姿を隠蔽するだけではなく、他人に変装―――いや、ゴゴの力で後押しすれば『変身』すら可能とするバーサーカーの宝具。 ゴゴはずっと『桜ちゃんを救う』という目的に従って行動していたが。この宝具を知った時は、これを手に入れる為に動いた気がする。 ものまね士ゴゴの『ものまね』を更に高みへと押し上げる神秘の技。令呪の後押しによってバーサーカーが宝具を使った時、ゴゴは全身全霊をかけてその宝具を物真似した。 解析した。 吟味した。 検分した。 調査した。 検証した。 討究した。 講究した。 検討した。 研究した。 点検した。 分析した。 考察した。 そして、ものまねした。 あの宝具を自分の技にした喜びをどう表現すればいいだろう。歓喜という言葉すらも軽く思える幸せだ、狂喜と呼んでもいい。それは口から出る言葉にはならなかったが、強烈な感情となってゴゴの中を暴れまわった。 手に入れた・・・。 手に入れた―――。 手に入れた!!! ゴゴはもう一度その技を取得した喜びを思い出し、目の前にある玄関に視線を向ける。 思えば雁夜に呼び出させる英霊によって、この世界をもっと深く知り『ものまね』する事も出来た。たとえば、この世界の英霊をものまねする場合がこれに該当する。 ゴゴがバーサーカーとなって聖杯戦争に参加してもよい。 だが、ゴゴはこの世界に関する『ものまね』ではなく、かつての過去を振り返る『ものまね』を選ぼうとしている。それは、自分でも気づかない郷愁が合ったからなのかもしれない。 雁夜と桜。新しき者達と過ごした一年は楽しくもあり面白くもあったが、かつて過ごした仲間達との時間ほど、濃密で、鮮烈で、強烈で、痛快ではなかった。 けれど三闘神の力をこの身に戻してしまった以上、もうあの世界には戻れない。だからこそ、ゴゴはこの『ものまね』を選ぶ。 喜びを胸に宿し、気付かなかった思いを知り、新たな力を使い、雁夜との約束を守り、桜ちゃんを救う為。ゴゴはその名を口にする。 「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」 一瞬後。黄色やら青やら赤やらの色彩豊かだったゴゴはそこにはなく、全くの別人が立っていた。 「行くぞジーノ」 「むぐ!」 男は帽子に『2』と描かれたミシディアうさぎに向けてそう告げると、玄関のドアノブに手を当てて力強く開く。 敵陣営が放った使い魔達の視線が一斉に向くのを感じたが、男は気にせず歩き出した。 前へ―――ただ、前へ―――。と。 「たとえ数多の英雄に挟まれようとも、俺の力でこじ開ける!」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - アイリスフィール 切嗣によって召喚されたサーヴァント。アーサー・ペンドラゴンであり、セイバーであり、アルトリアという少女でもある騎士王と連れ立って、アイリスフィールは聖杯戦争の地に足を踏み入れた。 何故、アインツベルンがマスターとして雇い入れた衛宮切嗣と、サーヴァント『セイバー』が別行動をしているのか? それは切嗣が絶対的に相性の悪いセイバーの力を十全に使う為に用いた策による。すなわち『サーヴァントとマスターとの完全なる別行動』という奇策によってだ。 聖杯戦争のサーヴァントとして呼び出された者とマスターとの契約には距離的な制約はない。どれほど距離を隔てても、マスタの令呪はサーヴァントを制御し、サーヴァントへの魔力供給も距離を関係なく行われる。マスターとサーヴァントのどちらかに何らかの問題が起こらない限り、両者の繋がりは断ち切れずに維持される。 聖杯戦争において弱点ともなるマスターが堅牢な結界の中にこもって、サーヴァントだけが聖杯戦争を行う事も出来るが、大抵の場合はマスターはサーヴァントに同伴して共闘する。何故かと言えば、意思の疎通の問題で、慎重な判断が要求される局面においては全てをサーヴァントに委ねるマスターは限りなくゼロに近く、マスター自らが采配を振るう必要があるからだ。 その上で切嗣がセイバーをアイリスフィールに託し、行動を共にさせているのはセイバーを信頼したからではない。もしセイバーがマスターである切嗣に叛意を持っていたとしても、セイバーがアイリスフィールを殺めないと判っているからだ。 マスター同様に聖杯に招かれるサーヴァントには聖杯を求める理由がある。そして、冬木の聖杯を降臨させる為にはアイリスフィールが隠し持つ『聖杯の器』が必要不可欠だと誰もが知っている。だからアイリスフィールが前面に出るならば、セイバーは何があってもアイリスフィールを守らなければならない。 加えて。騎士の英霊たるセイバーの戦い方は真っ向勝負を前提としているが、マスターである切嗣の戦い方は策謀奇策を頼みとする暗殺者のそれで、過程に重きを置くサーヴァントと結果に重きを置くマスターとの相性は最悪だ。やはり召喚以前から危惧していた予測は当たってしまっている。 その点、アイリスフィールはアインツベルンが悲願成就の為に作り上げた人外のホムンクルスであるが、名門アインツベルンの一員として生まれ持った気品と威厳があり、騎士が忠義を尽くすべき淑女としての風格を備えている。 召喚より数日間、寝食を共にしたセイバーとアイリスフィールはお互いの理解を深めるにつれて敬意を交わすようになり、セイバーが体現する『騎士』と、高貴さを空気のように纏ってきたアイリスフィールは『姫君』であった。両者ともに女性だという問題を除けば、この組み合わせは切嗣よりも相応しい。 セイバーもまた、切嗣をマスターとするには協調性に不安を感じているようで、彼女はアイリスフィールが代理マスターとして聖杯戦争に参加する申し出を易々と許諾した。 そして戦いは始まるまでの僅かな時間であったが、アイリスフィールはセイバーを共にして冬木の地を渡り歩き、生まれて初めて見る人の多さと賑わいと活気とアインツベルンとは異なる『切嗣の生まれた土地』を堪能したのだ。 出来るならば、もっと遊覧していたかったのだが、敵を誘おうとするサーヴァントの気配によって望みは儚く断たれる。 そしてアイリスフィールとセイバーは、敵サーヴァントであるランサーと対峙することになる。 魔力で編まれた白銀の鎧を透過し、聖剣を隠した宝具:風王結界(インビジブル・エア)ですら解いた、魔を断つ真紅の長槍。破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ) セイバーの左手を切り裂き、決して癒えぬ呪いを刻んだ黄色い短槍。必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)。 堂々と『俺の出生か、もしくは女に生まれた自分を恨んでくれ』と告げた、乙女を惑わす魅了(チャーム)の魔術がこもった左目の泣き黒子。 「成る程・・・ひとたび穿てば、その傷を決して癒さぬという呪いの槍。もっと早くに気付くべきだった。フィオナ騎士団、随一の戦士、『輝く貌』のディルムッド。まさか手合わせの栄に与るとは思いませんでした」 「それがこの聖杯戦争の妙であろう。だがな、誉れ高いのは俺の方だ。時空を越えて『英霊の座』にまで招かれた者ならば、その黄金の宝剣を見違えはせぬ。かの名高き騎士王と鍔競り合って、一矢報いるまでに到ったとは――、どうやらこの俺も捨てたものではないらしい」 アイリスフィールの眼前でランサーのサーヴァントに招かれたケルトの英霊、ディルムッド・オディナは、真名を看破されたにもかかわらず、何ら臆した様子もなく、いっそ清々しい顔でセイバーに告げる。 「さて、互いの名も知れたところで、ようやく騎士として尋常なる勝負を挑めるわけだが――それとも片腕を奪われた後では不満かな? セイバー」 「戯れ事を。この程度の手傷に気兼ねされたのでは、むしろ屈辱だ」 セイバーはそう言いながら、魔力で編まれた白銀の鎧で身を包んで風王結界(インビジブル・エア)で聖剣を隠した。構図はランサーと戦い始めた時に戻った様に見えるが、左手に癒えぬ傷を負ったのは大きな痛手である。 セイバーの切り札にして、騎士王の名を強く世に知らしめる宝具『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。この宝具は真名を名乗りながら両手で渾身の振り抜きを行わなければならない宝具で、左手に怪我を負った状況では発動には至れない。 呪いの槍の効力を破壊するには槍そのものを壊すかかランサー当人を倒さなければならないだろう。たった一太刀の傷だが、セイバーは圧倒的に不利な状況に追い込まれた。この戦いに限らず、聖杯戦争そのものにおいても。だ。 それでも彼女は、眼前の敵に不足なし、と言わんばかりに剣を構える。 その姿は伝説に語り継がれる騎士王の名にふさわしく、アイリスフィールは窮地に追いやられた状況を理解したうえで、その立ち振る舞いに一瞬見惚れた。 「覚悟しろセイバー。次こそは獲る」 「それは私に獲られなかった時の話だぞ。ランサー」 武器を構え直した両者は、不敵な挑発を交わしながら、再び間合いを詰めていく。互いの必殺を敵に叩き込むための一触即発が作り出され、高まる緊張感が空気を震わせた。 しかし、何の前触れもなく轟いた雷鳴の響きが二人の英霊の意識を目の前の敵から強制的に引きはがす。 セイバーもランサーも、そしてアイリスフィールもまた東南方向から向かってくる轟音に、この場所めがけて一直線に空中を駆けてくるモノに視線を向けた。 「・・・戦車(チャリオット)?」 アイリスフィールは目に見えるそれを呟き言い表すが、重力を完全に無視して、もつれ合う紫電のスパークを夜空に撒き散らしながら突っ込んでくるそれが、本当に見た目通りのモノなのか自信が持てなかった。 形だけを見るならば、それは古風な二頭立ての戦車だ。ながえに繋がれているのが逞しくも美しい牡牛なのだが、その二頭の牡牛が何もない虚空を蹴って戦車(チャリオット)を牽引しており、物理法則を完全に無視してそこに在る。 車輪が空に浮かぶ稲妻を踏みしめ、牡牛たちの蹄が空に舞う稲妻を蹴り進む。雷鳴と共に徐々に近づいていくるそれが膨大な魔力を放っていると気付いたのはいつだろうか? アイリスフィールは呆然としながらも、目に見える異常と莫大な魔力の放出をサーヴァントの宝具へと結びつける。 あれはセイバー、ランサーに続く三人目のサーヴァントだ。そうアイリスフィールが認めるのと、戦車(チャリオット)が到着するのはほぼ同時だった。 着地、いや、着弾と言っても過言ではない強烈な爆発を巻き起こしながら、道路の一部を吹き飛ばして戦車(チャリオット)が停止する。場所はセイバーとランサーが向かい合う丁度真ん中だ。 両者の矛先を阻む形で乱入した三人目のサーヴァント。空を照らした目映い雷光は着地と同時に収まるが、その代わりに御者台の上にたたずむ巨漢が露わになる。 「双方、武器を収めよ。王の御前である!」 劇的な登場とその大音響によって強制的に戦いを中断させた新たなサーヴァント。厳かに語りだした一言目から、事態はアイリスフィールの予想外の方向に突き進んでゆく。 「我が名は征服王イスカンダル。こたびの聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した」 「・・・何を――考えてやがりますかこの馬ッ鹿はあああ!!」 聖杯戦争において、サーヴァントの真名は攻略の要とも言うべき重要な情報であり、セイバーもランサーも出来るだけ真名を悟らせぬように戦ってきた。 結果としてどちらも『剣』と『槍』を晒して真名を相手に教えてしまったが、自ら名乗るのはどのマスターも想定外の出来事だ。 この場にいる全員を呆気にとらせた巨漢のサーヴァント。いや、征服王イスカンダルの隣で、御者台に同行している男が掴みかかる。 金切り声で喚きながら征服王のマントに掴みかかったが、イスカンダルはその男に非情のデコピンを喰らわせて沈黙させてしまう。サーヴァントと同行しているならば間違いなくマスターの筈だが、そこには畏敬の念といった類のモノは感じられない。 自分のマスターをデコピンで沈黙させたサーヴァントは、左右にいるセイバーとランサーのそれぞれを見渡して問いかける。 「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせだが・・・矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。うぬら各々が聖杯に何を期するのかは知らぬ。だが今一度考えてみよ。その願望、天地を喰らう大望に比してもなお、まだ重いものであるのかどうか!!」 アイリスフィールは聖杯戦争がサーヴァントとマスター同士の殺し合いであると知っているので、ランサーと対峙した時は言葉を交わしても、結局は戦いになると判っていた。 けれど征服王イスカンダルは違う。明らかに他のサーヴァントに対する『問答』を行っているのだ、何が目的でこんな事をしているのか判らずに呆然としていると、セイバーが怒りを込めて返答する。 「貴様――何が言いたい?」 彼女の立場で考えればその怒りも当然だ。 何しろランサーとの一騎打ちを横から思いっきり邪魔されたのだ。セイバーが騎士であるからこそ、不機嫌にならないほうがおかしい。 しかしその怒りを真正面から受けながらも、征服王は何ら気にした様子もなく返す。 「うむ、噛み砕いて言うとだな。ひとつ我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを友として遇し、世界を征する快悦を共に分かち合う所存でおる」 「・・・・・・」 おそらく聖杯戦争始まって以来、いきなり他のサーヴァントに『聖杯を譲れ』等と言いだしたのは、この征服王イスカンダルが最初に違いない。 人の歴史において世界征服と言う野望に限りなく近づいてのは彼を除いてほかにはいない。だが、聖杯戦争と言う枠組みを最初から無視した物言いは英断なのか、それとも愚挙なのか。アイリスフィールには判らなかった。 するとセイバーの怒りに同調したか、ランサーがセイバーに向けていた槍をおろして告げる。 「先に名乗った心意気には、まぁ感服せんでもないが。その提案は承諾しかねる――。俺が聖杯を捧げるのは、今生にて誓いを交わした新たなる君主ただ一人だけ。断じて貴様ではないぞ、ライダー」 「そもそも、そんな戯言を述べ立てるために、貴様は私とランサーの勝負を邪魔立てしたというのか? 戯れ事が過ぎたな征服王。騎士として許し難い侮辱だ」 ランサーの後から続くセイバーの言葉が、状況を二対一の構図に変えた。 怒気を隠さずに言う二人に共通しているのは『戦いを邪魔された』という敵に対する怒りだ。両者とも似通った騎士道に準ずる者たちなので、言わずともこの場の敵が誰か察したらしい。 そんな二人のサーヴァントからの覇気をぶつけられたライダーは、『むぅ』と唸りながら拳を自分のこめかみに押し付ける。 「・・・待遇は応相談だが?」 「「くどい!」」 再び勧誘してくる征服王に向かい、セイバーとランサーの声が一瞬も違わず重なった。この状況だけ見れば、ほんの少し前まで殺し合っていた者同士の姿には見えない。 そしてセイバーは憮然としたまま更に言葉を付け加える。 「重ねて言うなら――私もまた一人の王としてブリテン国を預かる身だ。いかな大王といえども、臣下に降るわけにはいかぬ」 「ほう? ブリテンの王とな? こりゃ驚いた。名にしおう騎士王が、こんな小娘だったとは」 セイバーの正体に興味が退かれたのか、ライダーは嬉しそうに喋り、物珍しそうにセイバーを見つめているが、当の本人にとってそれは侮辱以外の何者でもない。 一瞬前に『一人の王』と名乗りながらも、すぐ後に『小娘』と言われて怒らぬ者がいるだろうか? 近くで聞いていたアイリスフィールでさえセイバーの怒りが容易に想像できる。 彼女はライダーに向かって低く抑えた声を出して、ランサーに向けていた剣をライダーに向けて構えなおす。 「――その小娘の一太刀を浴びてみるか? 征服王」 風王結界(インビジブル・エア)によって聖剣は隠されてままだが、セイバーから湧き上がる闘志はランサーと対峙した時よりも強いかもしれない。 ライダーはもう一度セイバーとランサーの両者を見ながら、深くため息をついて後頭部に手を当てた。 「こりゃー交渉決裂かぁ。勿体ないなぁ。残念だなぁ」 「ら、い、だぁあぁ――!!」 そこでセイバーでもランサーでもライダーでもない声が、この場に響き渡った。声はライダーの足元から出て来ており、先程のデコピンで沈黙させられたマスターがようやく復帰してきたようだ。 恨みに満ちた声を響かせながら、けれどまだ赤みがかった額を片手で抑え、ライダーに掴みかかる。ただし、マスターとサーヴァントの間には圧倒的な身長さがあるので、駄々をこねる子供に対して大人が諭しているようにしか見えなかった。 マスター本人には不本意だろうが、セイバーのマスターであり夫の切嗣の姿を知るが故に、アイリスフィールはマスターらしからぬその姿に苛立ちすら感じてしまう。聖杯戦争に参加するマスターならばもっと毅然とした態度はとれないのか、と思う。 「ど~すんだよお。征服とか何とか言いながら、けっきょく総スカンじゃないか! オマエ本気でセイバーとランサーを手下にできると思ってたのか?」 「いや、まぁ、『ものは試し』と言うではないか」 「ものは試しで真名バラしたンかい!?」 ライダーのマスターと思われるその男は、非力な両手で拳を作りながら、ライダーの胸鎧に向けてポカポカと連打して泣きじゃくった。 アイリスフィールはその姿に再び苛立ちを覚えるが、同時に憐れみすら誘う様子なので、軽蔑と同情が一緒になってどちらを考えればいいか迷ってしまう。 サーヴァントが聖杯戦争から逸脱しているならば、マスターの方も聖杯戦争の常識では語れない。いっそ武器を構えて向かってきてくれた方がやり易いとさえ考えていると―――、虚空から声が聞えてきた。 「そうか、よりにもよって貴様か。いったい何を血迷って私の聖遺物を盗み出したのかと思ってみれば――よりにもよって、君みずからが聖杯戦争に参加する腹だったとはねえ。ウェイバー・ベルベット君?」 出所の判らぬその声は、ランサーに宝具の開放を命じてからこれまで黙していた彼のマスターの声だった。 魔術によって姿を消し続けているのは変わらないが、これまでと違い、声の中に間違いなく怨嗟を含ませている。そして隠す気のない剥き出しの憎悪が、ライダーのマスターに向けられていた。 「あぅ・・・」 唐突に話しかけられたライダーのマスター、聞こえてきた言葉が本当ならば、ウェイバーという名前なのだが。彼はライダーへの攻撃を止めて、御者台に上に座り込んでしまった。 頭を抱え、体を震わせて縮こまる姿は明らかに恐怖を感じている。 「残念だ。実に残念だなぁ。可愛い教え子には幸せになってもらいたかったんだがね。君のような凡才は、凡才なりに凡庸で平和な人生を手に入れられたはずだったのにねえ。致し方ないなぁウェイバー君。君については、私が特別に課外授業を受け持ってあげようではないか。魔術師同士が殺し合うという本当の意味――その恐怖と苦痛とを、余すところなく教えてあげるよ。光栄に思いたまえ」 どうやら両名には何らかの関係があり、平時においてはランサーのマスターの方が上位に立っているようだ。『課外授業』と言っていたので、アイリスフィールはアインツベルンの城で見た、時計塔の講師である『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』の事を思い出す。 教師と生徒。知識だけは知っているアイリスフィールにはその言葉が持つ意味以上は理解できなかったが、ウェイバーと呼ばれたライダーのマスターがランサーのマスターを苦手に、いや、恐れているのは間違いない。 ランサーのマスターの声が聞えるたびに少年の姿が小さくなっていくが、そんな恐怖に震える少年の肩を優しく叩く者がいた。 彼のサーヴァントの征服王イスカンダルだ。 彼は自分のマスターに向け、大らかな笑顔を見せる。そして、どこかに潜んでいる姿の見えぬランサーのマスターに向け、底意地の悪い笑みを浮かべながら堂々と告げた。 「おう魔術師よ。察するに、貴様はこの坊主に成り代わって余のマスターとなる腹だったらしいな。だとしたら片腹痛いのう。余のマスターたるべき男は、余と共に戦場を馳せる勇者でなければならぬ。姿を晒す度胸さえない臆病者なぞ、役者不足も甚だしいぞ」 「鳳凰の舞―――」 突然聞こえてきた声はまるで姿なきランサーのマスターが怒りによって魔術を行使したかのようにも思えた。 しかしそれはあり得ない。何故なら、その声はこれまで聞こえていたランサーのマスターの声ではなく、しかも肉声だったからだ。片一方から聞こえてきた声と、出どころの判らない声は紛れもなく別種。難聴ではないアイリスフィールは聞き違えたりしない。 それでも、あまりのタイミングの良さに、ランサーのマスターからの攻撃だと思ってしまう。 アイリスフィールは見た。迫りくる炎を―――自分の背丈よりもほんの少し大きな紅い塊が、この場に居あわせた全員めがけて飛んでくるのを―――それはまるで人の様に四肢をもっており、炎だと認めながらも、まるで生き物のように向かっていた。 「アイリスフィール!!」 セイバーが自分の名を呼びながら、迫りくる炎の間に割って入る。そして風王結界(インビジブル・エア)をほんの一瞬だけ解放し、再び黄金の宝剣を晒しながら、吹き荒れる暴風と一緒に炎の塊を両断した。 まさしく吹けば飛ぶようなか弱い炎だったが、それでもこの場にいる全員に向けられた攻撃なのは間違いない。 ついにランサーのマスターが姿を現したのか? そう思っていると、トットットット、と軽快な足音を響かせて人影が近づいてくるのが見えた。 ランサーのように魔力を放出して誘いをかけている訳ではない。ライダーのように空を切り裂く轟音と共に現れた訳でもない。その人影は何の変哲もない疾駆によって、この場に現れたのだ。 「ここで争うのは止めろ!」 「むぐ!」 その男は逆立てた金髪は短く刈りながらも後ろでまとめており、両手にはそれぞれ虎の牙を模したらしい鉤爪を装着していた。小さな宝石らしきものが埋め込まれた額当てをつけ、紅いジャケットを羽織り、その下に見えるタンクトップに収まらない筋肉の厚みが腕力の強さを自己主張している。 身長はライダーの方が頭一つ分高く見えるが、それでも肉の厚さは征服王イスカンダルに匹敵するのではなかろうか。 そして何故か肩に帽子とマントを羽織ったうさぎを乗せており、ふざけているのか真面目なのかよく判らない構図を作っている。 だがアイリスフィールにとって驚きだったのは見た目ではない。最も驚くべきはこの人物からは全く魔力を感じない点だ。英霊が放つ桁外れの存在感を間近で味わって感覚がマヒしている可能性はあったが、それでも注意深く間隔を広げても結果は同じである。 たまたまここを訪れてしまった一般人? そんなあり得る可能性がアイリスフィールの脳裏によぎった。 「お主、何者だ? 見た所、この場にそぐわない者のようだが、どのような理由があってここにやって来た」 アイリスフィールの疑問を代弁するようにライダーが男にそう告げる。見れば、ライダーは右手に無骨でありながら立派な作りの剣が握られていた。おそらくイスカンダルがキュプリオト族の王から献上されたと言われる剣で、あれで迫りくる炎を薙ぎ払ったのだろう。 それを構えながら、男からは一瞬も視線を外さない。ライダーのいる場所から十メートルほどの所で男が立ち止まり、この場にいる全員に向けて堂々と告げてきた。 「俺か? この街の平和を守るモンクだ」 「――はい?」 その呟きは誰のモノだっただろう。自分かもしれないし、三人の英霊の誰かかもしれないし、ライダーのマスターであるウェイバーと言う男かもしれないし、まだ見ぬランサーのマスターかもしれない。 誰にせよ、その予想外の言葉を聞いて三度唖然としそうになる状況の中、男は言う。 「この冬木でよからぬ事を企ててる輩が大勢いるって話を聞いてな。騒がしいから来てみれば、好き勝手に騒いで街を壊してる馬鹿がいる。迷惑だからどっか遠くでやってくれないか。具体的に言えば、兄貴が口説きそうなそっちのお姉さんの地元辺りで」 「え、わ、私?」 男は左手の鉤爪を持ち上げ、自分を指した。 セイバーの背に守られながらも突然の話し合い参加に狼狽を隠しきれない。もしかしたら、この場にいて唯一『戦いに加わっていない部外者』のように見えたのかもしれない。代理マスターとしてセイバーに同行している身としては不本意でしかないが、自分自身、戦いとは無縁に見えるのも仕方ないと認めてしまっている。 意図して話したのならば『冬木ではなくアインツベルンで戦え』とも聞こえるが、そんな遠まわしに言っている様には見えなかった。 するとこれまで事態を静観していたランサーが、右手に持つ真紅の槍を向けながら言う。 「我らは誇りある戦いの最中。無用な介入は寿命を縮めるだけだ――、即刻立ち去るといい」 ランサーもまたアイリスフィールと同じように聖杯戦争とは無関係の者がたまたま立ち入ってしまったと思ったらしい。最初の炎が何なのかはまだ判らないが、剣の一振りで薙ぎ払えて、しかも魔力を全く感じられないとなると聖杯戦争の関係者とは思えない。 再び、無関係な者が来てしまった? とアイリスフィールが考えた時。男は槍の英霊に向かって言い放つ。 「馬鹿かお前は?」 相手がケルト神話に語られる誉れ高き英雄だと判っていないのか、話す言葉に敬意はない。むしろ侮蔑だけが合った。 「誇りを持って戦うのは尊いとは思うが。お前らのせいでここにある誰かの物が壊れてるんだろうが? これじゃ、路上で殴り合うチンピラと一緒だ。そんな戦いたいなら誰にも迷惑のかからない山奥なり砂浜なり樹海の奥深くにでも行って戦え。責任ある大人だろうがお前ら、『人のものを勝手に壊したらいけません』って教わらなかったのか?」 それはライダーとは別の意味でこの場に居あわせた全員を絶句させる言葉だった。 ただの一般人であろうとも、英霊が作り出す強烈な闘気が肌をちりちりと焼くのが判る筈、常人では向けられる威厳と迫力に耐える事すら出来ないだろう。そもそもランサーは宝具にまで昇華された伝説の武具を両手に持っているのだ、自分が同じ状況に遭遇したら真正面から説教するなんてしない。あくまで聖杯戦争で、セイバーに守られているからこそ対峙できるのであって、一対一で遭遇すれば恐怖を真っ先に感じて言葉を詰まらせる。 それなのにこの魔力を欠片も感じない男は真っ向からランサーに罵声を浴びせた。肝が座っているのか、目に見えない威圧を感じない鈍感な人なのか。 「まあ、それはそれとして。とりあえず、これ以上、街を壊させないようにしないと、な!!」 男はそう言って右手の鉤爪を地面に叩きつけた。そこには何もなく、セイバーとランサーの戦いの余波で壊れた道路しかない。そう思うのと、男が叩きつけた地面を中心にして何かが広がるのを感じたのは同時だった。 「これは――!」 周辺の空気が変わるのを敏感に感じ取る。動揺が口から言葉となって出てしまった。男の肩の上に乗るうさぎが落ちないようにしがみ付いているのを見る余裕はない。 アインツベルンの城にも常に張られているので、この『外界と内界を隔てる空間』の違和感には覚えがあった。これは結界だ―――、どんな効力があるか判らないが、何の魔力も感じなかった男が地面を叩いて広範囲に結果を張り巡らせたのだ。 結界の用途よりも前に、まず、魔力が無い筈の一般人が結界を張れたと言う事実に驚いてしまう。見ると、セイバーもまた結界の存在を感じ取ったのか、風王結界(インビジブル・エア)を纏わせた剣を構えたまま油断なく男を見ている。 もちろんセイバーはこの場にいるランサーとライダーにも注意を向けたままだが、どちらかと言えば正体不明の男に一番集中している様に思えた。 「ほぉ・・・こりゃ面白い」 近くから聞こえてきた声にアイリスフィールがそちらに視線を向けると、ライダーが牡牛に繋がる手綱を操って戦車(チャリオット)を小刻みに動かしていた。それが何を意味するから咄嗟に判らなかったが、よく見ればライダーの視線は牡牛の足元と車輪の部分に向いている。 不思議に思いながらそこを見ると、ライダーを乗せて相当の重量がある戦車(チャリオット)が壊れた道路の一部を踏んでいるのだが、そこにある砂利も小石も重みに抗って形を維持し続けている。間違いなく砕ける筈の爪程度の砂利も位置が動くだけで破壊には至らない。 合わせて、カツン、と何かを叩く音が聞こえてので、そちらに視線を向ければ。セイバーの風王結界(インビジブル・エア)を解き、白銀の鎧をいとも容易く突破した破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)を地面に突き立てようとして、刺さらずに止められているランサーの姿が見えた。 余波だけで路面に街灯、倉庫の外装などを軽々と破壊した宝具でありながら、同じ武器で同じ道路を壊せない不思議がそこにある。 光景は何一つ変わっていないのに、『壊れる』という現象そのものが消失してしまったようだ。 男がゆっくり地面にぶつけた右手を持ち上げながら立ち上ると、この場にいる全員を見渡しながら言ってくる。 「バトルフィールドの中ならどれだけ暴れても建築物には影響が無いから好きに暴れていいぞ。勝敗を決したいのなら勝手に戦って、勝手に死ね。これ以上、ここに住んでる人に迷惑をかけるな、まったく」 「むぐむぐ!」 そして近くにある倉庫の一つに近づくと壁に背を当てて腕を組んだ。『もう関わらないから好きにやってくれ』と言わんばかりの不遜な態度だが、戦いに加わろうとかそう言う雰囲気はない。 ただ、苛立った目をこちらに向けているので、この倉庫街で戦うと状況を快く思って無いのは明白だ。肩の上に乗っているうさぎも『その通りだ!』と言わんばかりに鳴いている。 ライダーの登場。そして正体不明の男によってセイバーとランサーの戦いは大きく水を差された。闘争の空気は若干薄れてしまい、まだ両者の間にはライダーが陣取っているので、仕切り直すにしても色々と問題がある。 どうすべきか? これはアイリスフィールだけではなくこの場にいる全員が等しく思った疑問に違いない。その中で真っ先に動いたのはライダーこと征服王イスカンダルだった。 「お主、中々面白い事が出来るな。どうだ、余の配下にならんか? 待遇は応相談だぞ」 「なぁぁぁ!?」 突然の申し出に困惑の叫びをあげたのは、ライダーの隣にいるウェイバーだった。 先ほどのセイバーとランサーに告げた勧誘と異なるのは、聖杯戦争と関わりが無さそうだと思ったからかもしれない。あるいは先程のセイバーとランサーに断られた事で手法を改めたか。 敵のサーヴァントならば名のある英雄だと一応は理解できるが、それでも一般人なのか聖杯戦争の関係者なのかも判っていない相手をいきなり勧誘するとはどういう神経をしているのか? 「悪いな。あんたがどれだけ偉い王様だとしても、俺が誰かの下につくとしたら、それは兄貴の下だけだ。ついでに言うと俺は『世界を征する快悦』なんて全く興味が無い。それにあんたもそこで道路、壊してるだろうが。飛べるなら壊さずに、ずっと飛んでろ」 「そうか――。そりゃあ、残念だ」 壁に背中を預けたままの男に向かって、残念そうに言うライダーだが、表情は明るく楽しげに笑っている。 何がそんなに楽しいのか? アイリスフィールにはライダーが何を考えているのかまるで判らなかったが。男が聖杯戦争とは無関係だとしても、決してただの一般人では無い事は判った。 無関係の第三者だったならば、聖杯戦争の―――裏の世界に生きる者の決まりとして記憶操作なり証拠隠滅なりを行わなければならない。敵か―――味方か―――どちらに転ぶかによって対応は変わる。しかし相手はこれ以上、セイバーにもランサーにもライダーにも関わる気が無いようだ、判断材料が少なすぎてどうすればいいか迷いばかりが膨れ上がる。 すると男は組んでいた腕を解き、まっすぐライダーを見つめた。 「そう言えばまだ名乗ってなかったな。あんたの堂々とした名乗りが聞こえてきちまったから、こっちも名乗るしかない」 「ほぉ。それでは貴様の名、聞かせてもらおうか」 一転して表情を引き締めるライダー。それは相手の出方を伺っているからか、それとも一人の武人として対峙しているからか。何にせよ、相手がライダーと同じように名乗るならば、そこから聖杯戦争の関係者かどうか判るかもしれない。 セイバーもランサーも、自分のサーヴァントを驚き見つめていたウェイバーも含め、誰もが男の名乗りに耳を傾ける。 「俺の名はマッシュ――。マッシュ・レネ・フィガロだ」 それはアイリスフィールの聞いた事のない名前だった。