第7話 『間桐雁夜は英霊を召喚する』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 魔術師は表の世界に流通する大勢の大衆が手にいられる技術よりも裏の世界に闊歩する魔術を選択する場合がほとんどだ。新たに生まれ世の中に溶け込んでいく技術を軽視していると言ってもよい。 それは魔術師の属する裏の世界が表に比べて数倍も抜きん出ているからに他ならず、一般人の常識では夢物語のような話でも、魔術師たちにとっては常識といっても良いことが山のようにあふれているからだ。わざわざ不便な方法を選ぶ者は表の世界でも裏の世界でも少数に違いない。 間桐邸は魔術師としての例に漏れず、調度品や内装、器具の一つ一つを見れば時代がかった物が多く、魔力がこめられた品も珍しくない。 しかし他の魔術師の家系に比べれば、そう言った『魔術に伝来する品物』というのは間桐邸にはあまり無い。他の家と細かに比較したわけではないが、雁夜はそう思っている。何故か? それは間桐の実質的支配者であった臓硯が『蟲使い』の魔術師であり、魔術の探求に対する道具の使用が極端に少ないからだ。 何か作業を行う場合、臓硯は道具よりも先に蟲を使って結果を生み出す。もちろん全てを間桐の蟲で補える訳も無いので、必要に迫られれば臓硯も魔術の道具を扱っただろうが、他の魔術師に比べれば使用回数は激減する。それが間桐邸に魔術師としての道具が少ない理由となる。 逆に考えれば、間桐臓硯あってこその間桐の魔術であり、あの人外の化け物が間桐の魔術そのものと言っても過言ではない。 そして、他の魔術師の家に比べれば世の中に出回る技術の多くを間桐に持ち込んでいるのも紛れも無い事実だ。それは今はいない鶴野の部屋のコンピューターが証明している。 一年前、雁夜はなんとも魔術師らしからぬ道具を持ち込んだな、と臓硯の行動を怪しんだが。今では、臓硯が外を出歩くのをできるだけ止めて外界の情報を得ようとしたのではないかと考えている。 臓硯は他人の体をのっとって我が物にする外法の使い手だ。冬木で何人もの行方不明者が続出すれば、それだけ神秘の秘匿が行えなくなる危険を孕む。だから獲物を物色する為にわざわざ魔術師らしからぬ表の世界の技術を取り入れたのではないかと考えている。ただ、それも臓硯亡き今となって考えるだけ無駄な話なので、雁夜は臓硯の思惑をそれ以上考えないようにした。 古き魔術と新しい技術の混在。その点で言えば、臓硯の造り上げてきた間桐の魔術も、雁夜がこの一年で形にしてきた新しい魔術形態も大差はない。 「・・・・・・・・・」 雁夜は蟲蔵の床にうつぶせになって倒れこみながら、薄暗い蟲蔵と石造りの床、そして自分の手の甲に刻まれた令呪を視界に納めながら過去を振り返る。 今の間桐雁夜は戦士であり殉教者であり愚者であり罪人であり、聖杯戦争の参加資格を得た魔術師だ。 だからなのだろうか、自分の立ち位置を考えればどうしても付きまとう戸籍上だけの父親のことを思い出し、それが間桐の魔術にまで至るのは―――。 それは感傷なのかもしれない。 または郷愁なのかもしれない。 かつての間桐を心の底から嫌悪していたが、それでも雁夜自身気づかなかった想いがどこかにあったのかもしれない。今更それを想った所で、何かが変わるわけではない。臓硯はすでにいないし、臓硯が体現していた間桐の魔術はもうこの世のどこにも存在しない。 今だ蟲蔵の名を使っているここも薄暗さと造りと閉塞感は一年前からまったく変わっていないが、間桐の蟲はもう存在しないし、淀んだ沼の様な腐臭もしない。固有結界によって生み出されたここではないどこかの雪山、そこで白く大量の雪に覆い隠されてしまったのだから。 あの雪山に時間経過が存在するかは不明だが、一年も前の話なのですでに間桐の蟲は腐るかミイラ化するか土壌の養分になってしまったのだろう。 ただそれを確かめる気は雁夜には無い。 もう終わってしまった事を意識しないように忘れ去った。 「ギリギリ間に合ったではないか。聖杯に選ばれたという事は貴様もそれなりの術者と認められたという事、ひとまずは褒めて取らすぞ雁夜」 「・・・・・・・・・」 「じゃがな。無様な姿よの」 蟲蔵の床に寝転がっていた雁夜の耳が自分のものではない別人の声を拾う。とっさに起き上がって臨戦態勢を作り出そうとするが、その声に聞き覚えがあったのですぐに取り消した。 いちいち応対するよりも今は体力を取り戻すほうを優先させなければならない。それでも頭だけを動かして、声がする方向―――地下にある蟲蔵にやってくるための階段へと視線をやる。 そこには人影があった。 階段を一歩一歩下ってくる誰かがいた。 雁夜を侮蔑するような口ぶりについ反抗心が芽生えそうになるが、雁夜はこの一年でそれが見せかけであり演技であり遊んでいるだけだと思い知った。 普段ならばそれに付き合うのもやぶさかではないが、今は付き合えるほどの体力は無い。少し前まで聖杯戦争に備えた最後の鍛錬と称して、体の中にある全ての力を絞りつくしていたのだ。 ただし喋られる位の体力はすでに戻っていたので、冷めた目で淡々とその人影に向けて話す。床に寝転がりながらだったのであまり見られた格好ではないと思った。 「何だその喋り方は」 「いや、あの蟲爺が生きていたらこんな風に話すんじゃないかと思ってな。さすがの俺も消えた存在の物真似は難しいから、色々試したんだが、似てるか?」 「一瞬。臓硯が蘇って突っ立ってるんじゃないかと本気で思ったぞ」 「それは何より。だが、こんなのは見せ掛けだけの児戯で『ものまね』じゃない。これ以上やると気分が悪くなるから止めておこう」 だったらやるな! と雁夜は言いたくなったが、言ったところで自分を見下ろす人物は決して自分のペースを崩さないと知っている。だから文句はそのまま自分の中に戻した。 雁夜の視線の先には色彩豊かな塊があり、黄色やら青やら赤やら黒やらが人の形を成して歩いていた。 名をものまね士ゴゴ。一年前にこの間桐の蟲蔵に突然現れて、臓硯を滅ぼし、雁夜の『桜ちゃんを救う』という決意をそのまま物真似して居座り続けた雁夜の師匠だ。 雁夜は魔石というとんでもない品を使ってこの一年多くの技を身につけた。ゴゴという超常の存在が目の前にい続けたので、自分が最強だなどと言うつもりは無いが、それでも戦闘者としてはそれなりの力を得たと思っている。 桜ちゃんを救いたいと願った自分の決意。ものまね士ゴゴが授けた魔石の力。強くならなければゴゴに殺されていた可能性が非常に高い一年。事実、何度か死んで蘇った一年。遠坂の家に帰す目的があっても、この一年、ずっとそばにいてくれた桜ちゃんの存在。それらが良い方向に絡み合って雁夜を強さの高みへと昇華させた。 雁夜は痛む体を無視して起こすと、見下ろしてくるゴゴの視線と自分の視線をぶつけ合う。 一年も同じ釜の飯を食ってきた仲だが、今だに目元以外のゴゴの地肌を見たことが無い。雁夜はふとそんなことを考える。 「それで何の用だ? 今日の鍛錬はもう終わってるだろう?」 「あの蟲爺の遺物を色々漁って、ようやく手に入れた聖遺物のことを話しにきた」 「聖遺物・・・。サーヴァント召還の触媒か――」 「そうだ。この英霊の強さなら雁夜も納得する。そして、もし期待通りの能力を持っているとしたら、俺にとっても有益な英霊だ」 「お前がか?」 雁夜が知る限り、この一年、ゴゴはものまね士として何かを求めたことが無い。あるいは雁夜が知らぬ所で色々と得ていたのかもしれないが、雁夜の前でそれを言葉にしたのはこれが初めてだ。 多分―――。 色々あり過ぎて雁夜が忘れてるだけかもしれないが、とにかく思ってもみなかった言葉に雁夜は小さく驚く。 基本的にものまね士ゴゴは目に付くもの、肌で感じるもの、この世にあるモノ、それら全てを物真似して自分のモノにしてしまう。だから何かを欲したことなど一度も見たことが無い。 ゴゴ自身気づいていないのかもしれないが、雁夜に聞かせるほどワクワクしているとしたらそれも納得できた。 雁夜は自分に呼び出させようとしている英霊が何なのか非常に気になった。それは聖杯戦争を破壊しようと語った存在が、前言撤回するほどの意味あるモノなのだから―――。 「お前がそこまで言う英霊・・・・・・。いったい誰の聖遺物を用意したんだ?」 「それは――」 「雁夜おじさん!!」 ゴゴが聖遺物の事と英霊に関することを口にしようとしたまさにその瞬間、蟲蔵の入り口から大きな声が聞こえてきたゴゴと雁夜の話を分断した。 おそらくそれが囁き声であったとしても聞き間違えないだろう。 この一年、間桐邸の中で雁夜が最も気にしてきた声だ。雁夜は一瞬も必要とせずにそれが誰の声であるかを聞き分け、遠坂桜のものだと結論付ける。 桜の前では無様な姿は見せられない。雁夜はこの一年で学んだ技術よりもむしろ心の在り方を強く意識して、傷を癒して体力をある程度回復させる魔術を行使する。 「ケアル――」 間桐邸に戻る前は考えもしなかった魔術。しかもそれが間桐の魔術とまったく関係ないモノであれば想像する事すら不可能だった。けれど雁夜はこうしてこの世界の魔術体系とは似て否なる技術を自分の中に取り込んだ。 ほんの少しだけ体を癒すこの魔術だけでは全快には程遠い。それでも階段を下りてくる桜を前に、しっかりと二本の足で立てる位には回復させられる。 彼女が雁夜とゴゴの元にたどり着いた時。雁夜はちゃんと立って、床に倒れこんでいた事実をなかった事にする。 ミシディアうさぎの群れが、桜の後ろにつき従っており、喧しい足音を奏でながら雁夜の元にやってきた。 「やあ、桜ちゃん」 「雁夜おじさん」 まだ話している途中で、ゴゴの口から英霊のことが聞けなかったので残念に思えた。しかし話すだけなら後でも出来るし、雁夜にとって優先すべきは他の何よりも桜だ。 まだ少し痛む体を笑顔で包み隠し、何事もなかったかのように振舞う。そして桜の服装が普段とは異なることに気がついた。 黒髪を小さくまとめたリボンはいつもと一緒なのだが、首から下の服装はこれまで見たことのないものだった。 袖の無い白地のシャツ、お腹の辺り英単語の『V』に似た紺色に近い青色の太いラインが走っており、丈の短いスカートは桜の膝を丸見えにしている。極めつけは桜が両手に持っている、俗に『ポンポン』と呼ばれる応援器具だ。ちなみに色は黄色。 工作道具で作ったらしく、本物に比べれば完成度の点においてかなり劣る代物だったが、子供の桜の手にあると『拙いながらも必死に作った』という目に見えない何かが伝わってくる。 初めて見る桜の姿にチアガールを真っ先に思い浮かべる雁夜だが、今の桜を見た誰もがそう思うに違いない。 「桜ちゃん・・・その格好」 「似合う?」 「あ、ああ――。とっても可愛いよ」 ほほを赤らめながら話す姿は臓硯がいなくなってから今日に至るまでの一年間で培われたものだ。まだ引っ込み思案な部分が時々見えるし、初対面の人に対しては言葉少なくなるのは昔と変わらない。しかし、雁夜には慣れがあり、まるで家族のように接してくれる。 感情を宿さず、人形のように雁夜を見ていたかつての目が嘘の様だ。その姿が嬉しくて、雁夜は口元に浮かべた笑みをさらに深くした。 ずっと桜の嬉しそうな顔を見ていたい衝動にかられたが、その暖かさを横から飛んできた声が無残に消し飛ばした。 「整列!!」 「むぐ」 「むぐむぐ?」 「むぐ~」 「むぐむぐむぐむぐ」 無遠慮に雁夜の心地よさに水を差したのは桜の声ではなかった。何を思ったのか、雁夜の前に立っていたゴゴが蟲蔵の中を満たす大声を発したのだ。 それが何の意味を持って放たれた言葉なのかは雁夜には判らなかった。咄嗟に『何だ?』と疑問を問いかけようとしたが、その前に雁夜を除く全ての者達が行動を開始する。 整列と言い放ったゴゴは横にずれて雁夜と桜の間に空間を作り、桜は両足を揃えてきちんと立って、桜の後ろで控えていたミシディアうさぎは横一列に並んだ。明らかに雁夜以外の全員が示し合わせていた。 雁夜は何が起こるのか不思議に思いつつ、渦中にいるのが目の前にいる桜だと知って止めなかった。 何かは判らない。けれど桜が何かしようとしているのならば、それで雁夜が止める理由は消える。それだけで十分だ。 雁夜は視線を桜に向けたままジッと見つめる。すると視線から外れて横に移動していたゴゴが再び声を出した。 「間桐雁夜の英霊召喚成功を祈って――!! 三・三・七拍子!!!」 ピッピッピ、ピッピッピ、ピッピッピッピッピッピッピ 覆い隠されたゴゴの口元からホイッスルの軽快なリズムが聞こえてきた。 いつの間に用意したのか。あるいは、この音すらも物真似して出しているのか? ありえない音の出現に雁夜の頭が疑問で多い尽くされそうになるが、桜の姿を見てすぐ忘れた。 なんと、桜はゴゴが鳴らしたホイッスルに合わせ、手に持った右手のポンポンを下から上へ、左手のポンポンも下から上へ。そして七拍子に部分で両手で円を描くように動かしたのだ。 桜の動きに合わせて、彼女の後ろに並んでいたミシディアうさぎの群れが飛び跳ねて蟲蔵の床を鳴らす。ただしミシディアうさぎは桜でも持ち上げられる程に軽く、必死で足音で三・三・七拍子を鳴らそうとしているのだが。ふに、ふに、ふに、と耳を澄ましても小さな音しか聞こえなかった。これでは飛び跳ねた時に出るマントの衣擦れの音のほうがよほど大きい。 雁夜は桜の動きを見つめながら、いつも桜の腕に抱かれている特別な一匹を探した。すると、視界の隅に映るそいつはいつの間にかゴゴの横に並んでいてミシディアうさぎの群れを見つめていたのだ。雁夜からは青いマントを羽織っている背中ばかりが見えるが、何となく目で威圧して指揮を執っているように思える。 ピッピッピ、ピッピッピ、ピッピッピッピッピッピッピ ピッピッピ、ピッピッピ、ピッピッピッピッピッピッピ ワァァァァァァァァァァァァ!!! 大観衆の声に聞こえる『物真似の音』がゴゴの方から聞こえてきたが、雁夜の視線は二つのポンポンを上に掲げて揺らす桜に固定されたままだ。 いきなりの出来事に面食らっているといってもよく。驚き半分、困惑半分、疑問を桜へと投げかける。 「桜ちゃん? これは一体・・・」 「雁夜おじさんが、大変な事をするって聞いたから・・・その・・・。応援しようって、思って・・・」 「そう、なの? ・・・応援してくれてありがとう、元気が出たよ」 お礼を言われてポンポンで恥ずかしそうに口元を隠す桜は非常に可愛らしかった。そしてその笑みは雁夜の記憶に刻まれたある女性の顔を思い出させる。 その女性は桜の実の母であり、遠坂に嫁いだ葵その人だ。 やはり桜は葵の娘であり、雁夜が想っていた女性の血を継いでいる。改めてその事実を思い知りながらも、雁夜はそれ以上、何かの想いを抱くことはなかった。 罪悪感はあったが強く思うほどではない。かつては葵の姿に心を震わせていたが、今は驚くほどに平静だ。 あえて言うならば、『桜ちゃんを救う』という決意が脳裏に宿り。そうしなければならない、と再認識するのが一番強い。 桜ちゃんの可愛さの前に他のモノが霞んでいく。 「ところで桜ちゃん。その格好は・・・」 「これ? 雁夜おじさんを応援するって相談したら、『応援するならこれしかない!』って教わって――」 「ほほう」 桜が横目でゴゴの方を見たので、それだけで桜に応援する格好を吹き込んだのが誰かが判った。 確かにチアガールは誰かを応援する格好としては適切であり、スポーツなどで観客席でこういう格好をした人たちが並ぶのは雁夜でも知っている。しかし、少し飛び跳ねれば下着が見えてしまいそうな裾の短さはどうにかならなかったのだろうか。 桜には寒色よりも暖色系の服のほうが似合う。ポンポンの色にしても黄色より、女の子らしいピンクの方が『桜』の名のもじって似合うだろう。 雁夜は父性にも似た保護者意識を発揮しながらゴゴに向かう。入れ違いにゴゴの足元にいたミシディアうさぎが桜の胸元めがけてジャンプしていたが、雁夜の意識には残らなかった。 「お前の入知恵か?」 「そうだ。良かったな雁夜、桜ちゃんが応援してくれて」 「ああ。良かった――、本当に良かったよ」 色々と言いたいことがあったので可能ならばゴゴに言いたかったが、桜の目の前で口喧嘩を始めれば彼女の心遣いに水を差してしまう。 だから雁夜はそれ以上の文句を続けられず、精々『何で教えなかったこの野郎』と敵意を織り交ぜながら、桜に見えないようにゴゴを睨むのが精一杯だった。 それでも告げた言葉に嘘はない。とても聖杯戦争を―――殺し合いをしようとしている様には見えない朗らかな光景だが、桜の楽しげな姿を見て喜びを感じたのは紛れもない事実だ。 たとえ、ゴゴが画策し。桜の為を考慮して準備した遊戯で。雁夜に内緒で進められたとしても。桜の笑顔が見られれば、雁夜にはそれでよかった。 振り返れば、『やったね、みんな!』と輪を作って取り囲むミシディアうさぎの一匹一匹に話しかける桜がいる。それに比べれば雁夜が感じた疎外感と理不尽な怒りなどゴミ屑以下である。 桜が笑顔なら、幸せなら、楽しそうなら、喜んでいるならば、それでいい。 「良かったよ・・・・・・。本当に――」 「そうか」 雁夜はもう一度同じ言葉を繰り返した。 桜からの激励によって、雁夜は心身ともに復活を果たした。精神的な面ではまだ完全に復活してるとは言い難いが、それでもゴゴと相対して話すには問題無い。 地下の蟲蔵は話をするには不向きな場所なので、雁夜への私室へと移動した二人は聖杯戦争についての話し合いを再開する。なお、桜にはまだ聞かせられない話もあるので、チアガールの衣装から着替えさせるという名目で離れてもらっている状態だ。今頃はミシディアうさぎ達がここに桜が来ないよう足止めしている筈だ。 「さて、雁夜が聖杯戦争に参加するに辺り、事前情報を幾つか入手したから教えておこう」 「手短に教えてくれ」 「今のところ判明しているマスターの情報だ。さすがに外来の魔術師に関しては調査しきれなかったが、御三家を中心にしたマスターの情報は入手できた」 そう言ってゴゴが差し出してきたのは、どこにでもある白い印刷紙にゴシック体で書かれた文字の羅列だった。おそらくパソコンに付属のプリンターで印字したのだろうが、この超常現象がそのまま人の形に具現化している存在が、文明の利器を使いこなしている事実は何とも不可解だ。 ついでに言えば、雁夜が知る限りゴゴの移動範囲は雁夜のそれと大差はなく。基本的に桜を中心に形成されている。 外では間桐臓硯として振る舞っているとしても、ゴゴは本当の意味では間桐臓硯ではない。それなのに、始まりの御三家の情報でも聖杯戦争のマスターに関する情報を得られるとはどんな手段を使ったのだろう。少なくとも雁夜にはそんな事は出来ない。 表の世界に生きる者たちならば探偵などを雇って調査させたと考えるのが普通だが。裏の世界に生きる魔術師にはその『普通』が通用しない。 さらに加えれば、蟲蔵で聞いた『聖遺物の準備』も伝手もコネも無いゴゴには不可能の筈。雁夜と桜が寝静まった夜間に色々と行動して得た可能性もあるが、それでも限度がある。しかし疑問を話したところで、すでに事実として目の前に存在している以上、考えても意味はなかった。 ゴゴの非常識ぶりはこの一年で嫌というほど味わったので、まず目の前にある事実を受け入れる事こそ重要だ。雁夜には予想すら出来ないとんでもない方法で情報や品物を手に入れている可能性もあるのだから―――。 雁夜は意識を切り替え、ありのままの事実を受け入れようとする。 「俺以外のマスターか・・・。まさかお前がマスターに選ばれるなんて冗談は言わないよな」 「ある訳ないだろう。聖杯戦争のマスターに選ばれるのは『魔術師』であり『人間』だ」 「そうだな」 人の形に似ているが、ものまね士ゴゴの本質はこの世界でいう『神霊』に近い。だから、聖杯戦争のマスターになる訳が無い。雁夜はゴゴが得た情報の異常さと自分の中の常識を少しずつすり合わせて、目の前の事実を受け入れようとしていった。 この一年で雁夜が学んだ諦観により、紙片を受け取った時にはもう気持ちは落ち着いており、ゴゴがどうやって他のマスターの情報を得たのかは気にしなくなっていた。 「言峰綺礼・・・? 聞いたことのない名前だな」 二十枚はありそうな紙を一枚ずつめくり、そこに書かれている記述を読み進めていく雁夜だったが、そこに書かれた人物の名に心当たりは全くない。どうやら魔術師の世界では有名な者らしいが、十年以上魔術とは疎遠になっていた雁夜には知る由もなかった。 ただし、次に出てきた名前は聖杯戦争のマスターとして調査する以前から知っていた男だったので、雁夜は憎悪を込めてその名を呼ぶ。 「遠坂・・・時臣――!!」 やはりと言うべきか、遠坂時臣は今代の遠坂の当主として聖杯戦争に参加するようだ。 間桐のように零落した訳ではないので、始まりの御三家である遠坂が参加しない訳が無い。ある意味想像通りの展開なのだが、予測通りの流れに雁夜が抱いた思いは歓喜ではなく憎悪だった。 気付かぬ内に紙を握りしめる手に力がこもり、魔剣ラグナロクを扱う為に鍛えた腕と握力が握っただけで紙に亀裂を刻んでいく。 一年の鍛錬と桜と接する事でかつての自分とは色々変わってしまった。しかし、遠坂時臣への怒りは色褪せることなく今も雁夜の中に業火として燃え続けたままだ。 『桜ちゃんを救う』という願いを常に抱きながら、同時に『遠坂時臣を許さない』と考え続けてきた。娘である桜が父親の死を喜ぶ筈は無い、だから殺してはならないと納得はしても、胸の内から湧き出でる激情に染まってしまう。 「怒るのは勝手だが、戦っても殺すなよ」 「・・・・・・・・・ああ」 目の前にいるゴゴと言うストッパーが無ければ、即座に爆発して時臣への怒りだけで聖杯戦争に挑んでいただろう。雁夜は急激に冷めていく時臣への怒りと自覚しながら、書かれた文字を読むことに集中して自分を誤魔化していった。 時臣への怒りが消えない炎として自分の中に残っているのを感じながら、それでも表面的には何でもない風を装う。そんな雁夜に向けてゴゴが言葉を発する。 「この一年。『桜ちゃんを救う』ために色々と調査してきたが、肝心の情報が判らないままだ。それは『遠坂時臣が何を思って桜ちゃんを養子に出したのか』。俺は冬木の地では『間桐臓硯』で、遠坂とは不可侵の条約を結んでいるから行動に制限がかかるので、遠坂時臣の真意を探る機会がこれまでなかった」 「だろうな」 「忍び込もうと思えば遠坂邸程度は楽に忍び込めるが、遠坂時臣の真意はあの男の胸の内に仕舞われたまま表には出ない。聖杯戦争が始まる直前に間桐の者として話せば、敵の探りだと本心を虚言で包み隠すだろう。ついでに言えば、葵とかいう桜ちゃんの母親も時臣の決断の意図までは知らぬようだ」 「・・・・・・」 葵の名前が出てきた時、雁夜は一年前に公園で話した葵との会話を脳裏に思い浮かべた。 あまりにも衝撃的だったからこそ、決して忘れられぬ記憶として雁夜の脳髄に刻み込まれた悪しき記憶。一語一句どころか、あの時の公園の景色の細部に至るまで思い出せそうな、苦々しい記憶だ。 あの言葉を聞いたからこそ、今の雁夜が存在すると言ってもよかった。 「あの人が決めたことよ。古き盟友たる間桐の要請に応えると、そう遠坂の長が決定したの。・・・私に意見できるわけがない」 「遠坂の家に嫁ぐと決めたとき、魔術師の妻になると決めたときから、こういうことは覚悟していたわ。魔導の血を受け継ぐ一族が、ごく当たり前の家族の幸せなんて、求めるのは間違いよ」 「これは遠坂と間桐の問題よ。魔術師の世界に背を向けたあなたには、関わりのない話」 「もしも桜に会うようなことがあったら、優しくしてあげてね。あの子、雁夜くんには懐いてたから」 葵は元気だろうか? 凛は元気だろうか? この一年、出会う事はおろか一目見ることすらやらなかった二人の姿を思い描き、ほんの少しだけ懐かしさを思う。 桜が養子に出されたのが遠坂と間桐の問題だというのならば―――間桐雁夜が間桐の魔術師として解決してみせる。そう自分に言い聞かせながら、雁夜はゴゴの言葉に耳を傾ける。 「雁夜が聖杯戦争に何を思ってるか俺には判らない。ただ最終的に俺は聖杯戦争というシステムそのものを破壊して、遠坂と間桐を巻き込んだ聖杯戦争が二度と起こらないようにする。あれがある限り遠坂と間桐の確執は消えず、盟約と言う呪いに両家は縛られたままだ」 雁夜が聖杯戦争に参加するのを後押ししながら、闘争そのものを破壊しようとするゴゴが雁夜の目にはまぶしく映る。 雁夜はこの一年鍛錬に明け暮れ、間桐の魔術では確実に至らなかったであろう高みへと到達した自負がある。魔術の探求と言う点においては間桐の魔術の方が優れているかもしれないが、魔術を戦いに用いるのならば確実にゴゴの方が上だ。 そんなゴゴだからこそ、強大な力を持つゴゴだからこそ、神と呼ばれた子供達を生み出したゴゴだからこそ、雁夜には辿り着けない遥か高みにいるからこそ、羨望を抱かずにはいられない。 雁夜には出来ない事でもゴゴには出来る。単純にそれが羨ましかった。 意気消沈しそうな雁夜だが、続けられたゴゴの言葉が意識を強引に引き止めた。 「その紙に書かれているのはあくまで『確定』であり、これから俺が話すのは『予測』で、本当である保証はどこにもない。信じるか信じないかは雁夜の自由で、選択の幅を広げる材料程度に考えろ」 「何の事だ?」 「まず一つ。遠坂時臣は生粋の魔術師であり、元々、聖杯戦争が興された理由でもある『根源の渦に至る』を悲願としている。この一年で急造の魔術師となった雁夜とは根本的な考え方がそもそも異なると思っておけ。そして二つ目、秘匿してたのだから当然だが、遠坂時臣は『間桐の魔術が何であるかを正確に知らない』、つまり、もし蟲爺が生きていて桜ちゃん間桐の教育を施した場合、どんな状況に陥るか――蟲爺が桜ちゃんを魔術師として育てるつもりが全くないのを知らなかった可能性が非常に高い。蟲使いだとは知ってたかもしれんが、蟲爺の真意までは興味が無かったんだろう」 「何だと!?」 「遠坂時臣は始まりの御三家である間桐も根源の渦に至るために聖杯を欲していると考えたのかもしれないな。養子に出された家でどんな境遇に陥るか考えもしなかった時点であの男は罪深い。魔術師として零落している間桐の魔術を存続させて、聖杯戦争を続けようとするこの判断は正しいかもしれないが、桜ちゃんの親としては最低最悪だ。もし間桐の魔術を知った上で養子に出したなら人にも劣る獣以下の畜生だな」 淡々と告げるゴゴの言葉を聞きながら、雁夜は『遠坂時臣』という人間について考えを巡らせた。 自分の記憶の中にいる遠坂時臣の情報、紙面に書かれた聖杯戦争のマスターの情報、ゴゴから聞いた桜の父親の情報、それらを統合して必死に時臣の思考を理解しようと試みるが、嫌う相手の心理を想像するのは苦痛でしかなかった。 それでも『桜ちゃんを救う』為に、雁夜は時臣を考える。しかし。魔術師としてあの男がなにを考えているかさっぱり判らなかったので、思考を放棄した。 予測することすら出来ない雁夜が嫌悪する『魔術師としての考え』。ゴゴの言うとおり、根源の渦に至る手段として桜を利用したのならば、時臣を許すわけにはいかない。魔術師として悲願を成就する為に咎を背負うならば、自分だけで背負えと言いたい。 ゴゴは聖杯戦争において時臣を殺さないように、死なせないように画策しているようだが、死んだ方がいい外道も世の中にはいる。もし時臣がその外道に当たるのならば、ゴゴが敵になったとしても雁夜は真っ向から戦う決意をした。 問わなければならない。 確かめなければならない。 殺してはならない。 言わせなければならない。 一年前にも考えた遠坂時臣の真意の追究。『桜ちゃんを救う』為、雁夜は自分がなすべき事を考えた。 「確かめる為には同じマスターとして相対しつつ、相手の口を軽くするのが都合がいい。そこで雁夜の為に用意した聖遺物が役に立つ」 「聖遺物・・・。さっきは聞けなかったからな、教えてくれ。お前は俺に誰を召喚させるつもりなんだ」 「それは――」 そして雁夜はゴゴの口からある英霊の名を聞く。 驚きは少なかった。そして、その英霊ならばものまね士ゴゴが求める宝具を持っているだろうと納得した。 その英霊の名は―――。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 遠坂桜 ゴゴの助言によって雁夜おじさんを応援してからしばらく経った後。 桜はいつものようにミシディアうさぎを腕に抱いたまま廊下を歩いていた。今日は抱いているゼロと量産型ミシディアうさぎ達を合わせた十匹と一緒に童謡の『アルプス一万尺』を歌い、踊り、手遊び歌で遊んだ。 ミシディアうさぎの短い前足と桜の手では上手く手遊びは出来なかったが、ミシディアうさぎ同士が行う手遊びは見ていてとても楽しかった。 むぐ、むぐ、と鳴きながら桜が歌う『アルプス一万尺』に合わせて動くのを見ていると、自分よりも小さな子供が必死にやろうとしているのを微笑ましく眺める気分になる。 歌う速度が上がって手遊びが出来なくなったミシディアうさぎの可愛らしさを見たのは桜だけ。桜が抱いているゼロは他のミシディアうさぎに比べて特別らしく、他の九匹が出来なかった速度で手遊びをやりきったのも桜だけが見ていた。 他の誰も見たことのない桜だけの秘密、桜とミシディアうさぎ達とで共有する喜びだ。 今は間桐邸のあちこちに散らばって、遊んでいた余韻すら消し去ったミシディアうさぎ達だが、楽しかった時間は桜の胸の中に暖かいモノを残した。 「ちゃんとお風呂に入って汚れを落とさなきゃね」 「むぐ!」 ミシディアうさぎは魔力によって存在する普通の動物とは異なる生き物で、基本的にこびり付いた汚れもゴゴが魔力を注ぎ直せば自らを再構築して一瞬で消し去る事が出来る。 風呂に入る必要など皆無なのだが、いつからか桜は自分が抱いているゼロと一緒にお風呂に入るようになった。そして桜が抱いているミシディアうさぎが合図を出すと、残りの九匹が風呂場に飛び込んでくるのも今では間桐邸の日常の一つである。 これが普通の猫や犬だったならば湯船に毛が浮かんでとんでもない事になるのだが、ミシディアうさぎ達は抜け毛に無縁らしく汚れらしい汚れは残らない。 あくまで『一緒にお風呂に入る』という過程を楽しんでいるのだ。普通の動物にはない手のかからなさを物足りなく感じる時はあるが、それでも一緒に楽しめるならばそれでいいと桜は考えている。 それどころか頭を洗う時に桜の目にシャンプーが入ったら、短い前足でシャワーを出す手伝いまでしてくれる頼もしい友達なのだ。 どれだけ抱きしめようと常にそこにあるふさふさの感触。抱きあげればその分だけポカポカと温かいモノが胸の中に宿る気がして、桜は少し力を込めた。 「むぐ~?」 急に力がこもったので何事かとゼロが首を動かして桜の顔を見上げてくる。桜はそんなミシディアうさぎに『何でもないよ』と思いながら笑みを返す。そのままお風呂に入る準備をする為に部屋に向かい廊下を歩く。 すると、前から歩いてくる雁夜おじさんとばったり出くわした。 「やぁ、桜ちゃん」 「雁夜おじさん」 雁夜おじさんは『これが俺のトレードマークだ』と言わんばかりにいつも着ている紺色のフード付パーカーを今日も着ている。フードが取り払われているので顔が良く見えて、そこに浮かぶ表情は朗らかな笑みだ。 一年を通して雁夜おじさんと接してきた桜は、一年前―――この間桐邸で雁夜おじさんが浮かべていた表情と今の違いに少し驚いた。 同じ家の中で過ごし、同じ物を食べ、同じ時間を生きてきた二人の距離は間違いなく縮んでいる。だからこそ、一年前には見えなかった変わりように驚きを隠せなかった。 もっと陰鬱な空気を纏っている人だった。 自分に自信がなく、力無く喋る人だった。 どこかを見つめたまま、そこに向かう為に周囲を見ない目をしていた。 でも今は違う。 「雁夜おじさん、どんどん違う人みたいになっていくね」 「ハハ、そうかもしれないね。この一年で何回死んだか判らないし、色々教わったからもう完全にあの時とは別人になっちゃったよ。これじゃあ、間桐の魔術師としては失格だ」 この一年で楽に持ち歩けるようになったアジャストケース、そして魔石が一つ入った紺色のポシェットに手を当てながら雁夜おじさんは朗らかに言う。 確かに変わった。桜は素直にそう思う。 桜は一年以上前から母や姉を介して雁夜おじさんと接してきた。だから『雁夜おじさんはこういう人』という人物像を自分の中に作り出していたのだ。 それがこの一年で崩れた。 成長か進化とでも呼ぶべき劇的な変化は一年前に抱いていた『雁夜おじさん』と目の前にいる『雁夜おじさん』とを別々に把握する。もちろん、桜はこの間桐邸の中で雁夜おじさんの変貌を誰よりも近くで見ていた。だから両者が異なって見えても、別人と言う事にはならない。ただ変わっただけだ。しかも良い方向に―――。 元々細身の体だったので、服の上からでは判り難いが。再生と破壊を数え切れないほど繰り返した肉体は回を追うごとに鍛えられ、見た目は一緒でも内包された筋力は比べ物にならない程増えている。 一年間鍛えた自信が作り出す堂々とした佇まい。まっすぐ伸びた背筋は『好青年』と呼ぶにふさわしく、服の趣味は一年前から全く変わらない着た切りすずめで、特訓で服がちぎれて新しいのを買いに行っても同じような服しか買わない。だが外を歩けば、内側からあふれ出る生気に声をかける女性もいるだろう。 フード付きのパーカーがこれで何着目か桜はもう覚えていなかった。確実に二桁に到達している。 「今夜はね、わたし、ムシグラへ行かなくてもいいの。もっとだいじなギシキがあるからって――」 「今夜はおじさんだけが地下に行くんだ。サーヴァント召喚の儀式はおじさん達にとっては初の試みだから、何が起こるか判らないしね。危険はないだろうけど、念には念を入れなきゃ」 桜はその言葉を聞きながら、この一年間ときどき耳にしていた『聖杯戦争』の事を脳裏に浮かべた。 奇跡を叶える『聖杯』の力を追い求め、七人の魔術師が七人の英霊を召喚して殺し合う。そして最後の一人が『聖杯』を手に入れる究極の戦い。それに桜の生家でもある『遠坂』も、目の前にいる雁夜おじさんこと『間桐』も出場するのだ。 つまり雁夜おじさんと桜の父の時臣が殺し合うと言う事―――。 「カリヤおじさん、どこか遠くへ行っちゃうの?」 「これからしばらく、おじさんは聖杯戦争で忙しくなるんだ。こんな風に桜ちゃんと話していられる時間も、あまりなくなるかもしれないから残念だね。でも、何度か帰ってくるつもりだから時間が合えば話せるよ」 「そう・・・」 にっこりと笑う雁夜おじさんの顔が見れなくなる寂しさから引き止めるような事を言ってみたが、雁夜おじさんの決意は固く、桜の言葉で揺らいだりしない。 雁夜おじさんの笑みはこれから殺し合いに参加しようとする人には見えなかった。これもまた一年前の雁夜おじさんにはなかった顔だ。一年間鍛え抜き、時には死に物狂いの修練に身を捧げて会得したモノだ。 その顔には恐怖は見えず、自分が殺されるとは思って無いように見える。 「なぁ桜ちゃん。おじさんのお仕事が終わったら、また皆で一緒に遊びに行かないか? お母さんやお姉ちゃんも連れて」 「――お母さんと、お姉ちゃんに、また、会えるの?」 「約束しただろ、桜ちゃん。君は遠坂の家に帰るんだ。おじさんが聖杯戦争に参加するのはその準備を整える為なんだから。おじさんは負けないし、誰も殺さない。桜ちゃんはお母さんとお姉ちゃんに会えるよ」 雁夜おじさんはそう言うと、頭に手を伸ばしてきて、リボンでまとめられた髪を軽く梳きながら撫でてくれた。そのまま腕が後ろに回り、桜の体と腕に抱えるミシディアうさぎを一緒に抱き、ポンポン、と軽く背中を叩く。 ほんの数秒、軽い抱擁を済ませた雁夜おじさんは桜から離れ、肩に背負ったアジャストケースを背負い直す。 その中に入っている武器を桜は知っている。 ものすごく重くて、桜の腕じゃ持ち上げられないのを知っている。 昔は雁夜おじさんも持ち運びに苦労したのを知っていて、今は軽々と持ち歩いているのも知っている。 「じゃあ、おじさんはそろそろ、行くね」 「・・・うん。いってらっしゃい、雁夜おじさん」 雁夜おじさんは笑みを浮かべたままそう言ってくれるが、桜の胸の中にちくりと痛みが走った。 遠坂の家に帰りたい。家族にまた会いたい。それは確かに桜の願いであり、雁夜おじさんがその為に頑張っているのもよく判っている。 だからこそ胸が痛むのだ。 雁夜おじさんとゴゴは桜に色々なモノを与えてくれた。 色々は事を教えてくれた。 色々な場所に連れて行ってくれた。 色々な世界を見せてくれた。 桜は考えてしまう。それが雁夜おじさんの望まぬ想いだったとしても、考えてしまう。 この一年間お世話になった間桐邸―――温かくも騒がしく、驚きに溢れたびっくり箱のような楽しい場所―――『ここを離れたくない』、そんな気持ちがあるなんて、雁夜おじさんには知られたくなかった。 それはお世話になった雁夜おじさんの決意に泥を塗るに等しいから。 聖杯戦争。 遠坂邸と間桐邸。 魔術師と魔術師。 聖杯戦争に参加する者同士。 殺そうとしている者と戦おうとしている者。 子供の桜ではどうしようもない大人のルール、魔術師のルール、沢山の欠片が絡み合って今を作り出す。 起こるは殺し合い。 どうして仲良く出来ないんだろう―――。魔術なんて無くなればいいのに―――。ミシディアうさぎのゼロをギュッと抱きしめながら桜はそう思った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 「召喚の呪文は覚えてきたな」 「ああ、準備は万全だ」 「そう言いきるんなら魔石と魔剣を下して横に置いておけ、それがサーヴァント召喚の触媒になったらどうするつもりだ」 「・・・・・・・・・すまん」 雁夜は蟲蔵の中でゴゴと対峙しながら二人の間に書かれた魔法陣を見下ろした。サーヴァント召喚のために用意された魔法陣は淡い光を放ち、薄暗い蟲蔵の中を照らしている。 壁際まで下がってポシェットを外し、背負っていたアジャストケースと一緒に置く。そして戻る途中に蟲蔵の中をぐるっと見渡した。 一年前はあった腐臭とすえた水気の臭いなどこの一年で綺麗さっぱり消えている。『壊れたら危ないから』という理由で電灯を新たに設置していないので薄暗さは変わっていないが、最早間桐の蟲蔵は名前が一緒の全く別物になっていた。 雁夜自身が変わった様に色々なモノが一年前とは別の何かに変わってしまっている。雁夜はふと、もしゴゴが間桐邸に現れず臓硯が生きていたらこんな風にはならなかっただろうと思った。 戻る間に何気なく魔法陣を見るが、他の聖杯戦争の参加者がこの魔法陣を書くのに使った材料を知ったら激怒するかもしれない。 絵具なのだ。 かつて101匹ミシディアうさぎを呼び出した時にも使った、ゴゴの魔力が込められた逸品だが。元は近くの雑貨店で普通に売っている絵具である。 雁夜は魔法陣を描くのが絵具でも気にしないのだが。聖杯戦争に限らず、魔術と言う力そのものを神聖視する者がいたら聞いた瞬間に殺しに来るかもしれない。 もっともそうなったところで逆に撃退される姿が容易に想像できてしまうのだが―――。 「雁夜。ものは相談だが、呪文の途中にもう二節、別の詠唱を差し挟まないか」 「どういうことだ?」 滅多にないゴゴの『お願い』に雁夜が問い返すと、ゴゴはまっすぐ雁夜の目を見ながら言う。 「なに。召喚呪文のアレンジで先決めできるクラスが二つ合るだろう。俺は全てのサーヴァントを見て『ものまね』するつもりだが、その中でも『狂化』がどんなモノか知りたくてな。あの蟲爺は雁夜の力不足を懸念してたらしく、遺品の中に追加する詠唱がしっかり残っていたぞ」 ゴゴが調べて雁夜が尋ねて聞いた結果、雁夜は聖杯戦争についてある程度の知識を得ている。その中にはクラスの情報も入っており、通常は呼び出される英霊が属性に応じてサーヴァントのクラスに押し込まれるのだが、ゴゴが言ったように例外のクラスが二つある事も知っていた。 一つは常に同じ英霊――ハサン・サッバーハの名を襲名した一群の暗殺者たちのうちの一人が常に呼び出されるアサシンのクラス。 そしてもう一つはあらゆる英雄に『狂化』の属性を付加することで、誰であろうと該当させることが出来るクラス。 すなわち―――。 「『狂化』? あの英霊を『バーサーカー』のクラスを呼ぶつもりか?」 「他のサーヴァントがどんな英霊であれ、狂ってるのはバーサーカーただ一人。じっくり見れるならチャンスがあるなら、俺は間近で見てみたい」 思ってもみなかったゴゴの言い分を聞きながら、雁夜は話を止めて熟考する。 ゴゴが用意した聖遺物で呼び出そうとしているサーヴァントの特性は間違いなく『セイバー』だ。しかし雁夜は一年前の自分に比べれば強大な力を手に入れたと思っているが、それでも元々の素養の問題で魔術師としては一人前に成り立てだと思っている。 戦いに関して言えば現代の魔術師に後れを取るつもりはないが、英霊を相手に真正面から戦うのは力不足だと判っており、ついでに魔力の少なさから他のマスターほど英霊を現界させていられないだろう。 恥ずかしい話だが、英霊を呼び出してサーヴァントとして使役するマスターならば、桜の方が英霊を現界させ続けられる。どれだけ呼び出す英霊が強力だろうと、それを支えるマスターがへっぽこでは宝の持ち腐れである。 雁夜はこの一年で様々な技術を身につけた。しかしそれでもまだ足りないと判っている。 そして雁夜はゴゴの使う魔法の中で、攻撃力を引き上げて戦い続ける狂戦士―――まさしく聖杯戦争における『バーサーカー』のクラスを人為的に作り出す魔法『バーサク』があるのを知っていた。 力不足の自分が英霊を弱体化させては戦力半減だ。しかしサーヴァントを制御できなければ、遠坂時臣との邂逅すら叶わないかもしれない。 もしゴゴの言い分をはねのけて機嫌を損ねては一年の努力が水泡に帰すかもしれない。 雁夜は突然の難題に頭を抱えるが、ゴゴから告げられた言葉を聞いて、選択の幅が急激に狭まっていくのを感じた。 「最初は見物して『ものまね』して、遠坂時臣にだけ関わるつもりだったが――。英霊がどんな形で呼び出されようと、俺の申し出を受け入れてくれるなら聖杯戦争に協力してやる」 「本当か!?」 「雁夜が呼び出す英霊に『狂化』の属性を付加して、バーサーカーのマスターになってくれるなら。な」 「・・・・・・・・・」 これまで一方的にゴゴから与えられ、甘んじてそれを受け入れていた雁夜だったが、今回の『交渉』あるいは『取引』には驚きを隠せなかった。 この一年で色々と体験したせいでよほどの異常事態でもなければ驚かなくなってしまったが、ゴゴの言い分はまさにその異常事態に入る。 何せゴゴは『聖杯戦争を破壊する』と言った張本人だ。この一年、静観を保っていたのは間違いなく聖杯戦争に現れるサーヴァントが目当てだ、普通の生活では見られない英霊たちを『ものまね』するのが目的で、聖杯を勝ち取るつもりは無いだろう雁夜は考えている。 ゴゴならば『ものまね』と『桜ちゃんを救う』を同時にやってのけられる。そのゴゴが積極的に聖杯戦争に関わろうとしている。これは間違いなく異常事態と言えた。 全面協力してくれる何て甘い期待は抱かないが、僅かでも協力してくれるなら、それだけ一騎当千の力を得たに等しい。代償に雁夜では制御しきれないサーヴァントを呼び出す事になるかもしれないが、雁夜の見立てでは伝説で語り継がれるどんな英雄であろうとゴゴの力には劣る。 いかに英霊を招く聖杯であろうと、神は呼べないからだ。 どうすべきか―――。 黙っていても話は進まないが、五分ほどじっくり考えて結論を出した。 「判った。その二節を教えてくれ。召喚の呪文に組み込もう」 「悪いな」 「その代わり、聖杯戦争では色々と協力してもらうぞ。もちろん『桜ちゃんを救う』ために、だ」 「言われるまでもない」 普段ならば絶対なかった話の主導権を握れて、驚きながらも抑えられない喜びが雁夜の中を動き回る。 バーサーカー召喚はもう目の前に迫っていた。 本当にこんな単純な魔方陣で英霊が召喚できるのか? 雁夜は知らぬ事だが、遠い異国の地でアインツベルンの姫君が思った事を雁夜もまた考えた。おそらく両者がそう考えたのは、どちらも聖杯戦争についてそれほど詳しくなかったからに違いない。 魔術に対する考察や理解はあったとしても聖杯戦争に関しては門外漢だからこそ同じ疑問に辿り着いたのだ。 ただし雁夜の場合は準備を進めたのがゴゴなので即座に疑念は諦観へと姿を変える。 信頼―――いや、人の域を軽く凌駕する神の親に対する盲信とでも言うべき思考が、即座に考えるだけ無駄だと結論に至らせたのだ。 ゴゴが準備を進め、出来ると言っているならばそれは出来る。そして思ってもみなかった『取引』を持ち出して、嘘偽りを準備する意味はゴゴには無い。 伊達に一年間接してきた訳ではないのだ。ゴゴには今も驚かされっぱなしだが、準備期間が多ければ多いほどに冗談がありえないと判っている。 だから雁夜はその魔法陣が半径二メートルで収まる小さなモノだとしても英霊召喚を行うには十分なモノなのだと理解した。 魔剣ラグナロクを構え、魔方陣と自分とを魔力でもって繋ぐよう集中する。それは敵と対峙する時に似た気持ちに似ていた。もっとも、これまで戦ったその『敵』は壁際で雁夜の事を見ているゴゴだけなのだが。 「・・・・・・・・・ふぅ」 一度、深呼吸をして、英霊召喚の為に意識を切り替える。無駄な雑念は戦いにおける無駄と一緒で、今考えるべき事ではない。今だけは桜ちゃんの事も忘れ、目の前の大仕事に集中する。 十秒ほど目を瞑り、手の甲に刻まれた令呪と蟲蔵の地面に描かれた魔方陣を感じながら、魔力の流れに身を投じる。 そして英霊召喚を開始した。 「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を、四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」 令呪が刻まれた右手を前に突出し、自分と令呪と魔方陣の三つが繋がるよう意識する。 囁くと同時に魔方陣が輝きだし、その光は蟲蔵全体を輝かせるほど強くなっていく。咄嗟に目を瞑りたくなったが、一度始めてしまったならばやり遂げなければならない。 たとえ令呪が右手に刻まれていようとも、ここで英霊召喚に失敗すれば全ては水泡に帰してしまう。 敵を前にして目が見え辛くなる状況などこれまで何度もあった。明る過ぎて目が痛くなろうと、後で何とでもなる。そう自分に言い聞かせながら、雁夜の口は淀みなく呪文を続ける。 「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」 御世辞にも『才能がある』等とは言えない自分の魔力回路が詠唱を続けるごとに蠢いてゆく。それは魔石を介して幻獣を召喚する時に少し似ていたが、魔力を根こそぎ吸われていくような感覚に限定すれば、今の方が強い。 当然だ。たとえ英霊召喚が過去の偉人が成し遂げた偉業であろうとも、それは人の御業に他ならない。ゴゴが―――神を生み出したあの存在が―――人の身に余る幻獣を召喚させる為に用意したのが魔石だ、人の作ったモノと神の作ったモノに違いを感じるのは当たり前なのだ。 本来ならば雁夜に英霊を召喚する事などできない。聖杯が雁夜に令呪を授け、そうさせようとしているからこそ英霊召喚は成し遂げられる。 気を抜けば失神してしまいそうな荒行であろうとも、これは『出来る事』だ。 「告げる――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」 右手の甲に刻まれた令呪が輝くのが見える。 床に描かれた魔方陣もまた輝いているのが見える。 蟲蔵全体を見通せるほどの莫大な光が溢れているのが見える。 壁に背を預けて雁夜を見ているゴゴの姿が見える。 そして自分の体が英霊を呼ぶための魔力炉に切り替わっていくような感覚が合った。 令呪を介してここではないどこかにいる英霊と自分とが繋がっていく。 「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」 魔術の才能にあふれた者ならばこれほど苦しまないだろう。魔力回路の数が多い者ならば、もっと簡単に英霊召喚を行えるだろう。 零落した間桐を象徴するような雁夜にはそれがない。他の魔術師ならば簡単に行える魔術も雁夜にとっては難業だ。 しかし、だからこそ雁夜はここにいる。 魔術の才能が無かったからこそ、魔術回路の数が少なかったからこそ、間桐雁夜はここにいる。 もし雁夜に魔術の才があったならば、『桜ちゃんを救う』と考えて英霊召喚を行おうとする間桐雁夜はいなかったかもしれない。臓硯はまだ存命だったかもしれない。ゴゴに一年教授しなかったかもしれない。 師匠であり恩人。ゴゴから聞いた、本来の召喚には無かった二節を加える。 「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――」 聖杯戦争を熟知しているとは言えない雁夜でも、バーサーカーが特に扱いが難しいクラスとして知られているのは知っている。 パラメーターの低下が起こったとしても、クラス補正にあるステータス強化によって、魔術師としては半人前の雁夜がマスターになったとしても、英霊としての力を維持できるだろう。 だが呼び出されるのは理性を失った『狂戦士』。一部、能力が使用不能になったり、魔力消費量が膨大になるなど問題も多い。魔力回路の数が少ない雁夜でどこまでバーサーカーを制御できるかは疑問だ。 それでも雁夜に不安は無かった。 何故なら、ゴゴが協力すると言ってくれたからだ。 全面協力はしないだろうが、それでも有言実行し続けてきたあのものまね士は、『桜ちゃんを救う』のに不都合な状況が発生すれば、こちらの意図を汲まずに好き勝手に動き回るだろう。 良い意味でも、悪い意味でも。 マスターとしての雁夜に大き過ぎる保険がかかったならば、もう心配する事など何もない。 「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――」 令呪を通し、魔力を解放し、聖杯戦争の為だけに用意された魔方陣に魔力を注ぎ込み、光の奔流と術者の魔力が絡み合う。するとこれまで以上に強烈な輝きが魔方陣から生まれ、蟲蔵の中が閃光で満ちた。 照らしているのではない。光の爆発が視界を全て白で埋め尽くし、何も見えなくなったのだ。 けれどその光もすぐに消えていき、数秒も経てば雁夜の目は光が消えた蟲蔵を―――絵具で書かれた魔方陣から漏れ出でる白煙と、魔方陣の中央に立つ一人の英霊の姿をしっかりと捉えていた。 召喚の為に奪われた魔力は雁夜の体を著しく消耗させ、意識する前に荒い呼気が新鮮な空気を求める。それでもの体は両足でしっかりと立ち、真正面からその英霊を見据える。 太陽の光も吸いこみそうな漆黒のフルプレートで全身を包む戦士がいた。 鎧のあちこちから黒い煙を立ち上らせ、全容を覆い隠す狂戦士がいた。 サーヴァント『バーサーカー』。ここに英霊召喚は成し遂げられた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - ゴゴ 雁夜が無事にとある英霊をバーサーカーのクラスで召喚した夜。いきなり膨大な魔力を持ってかれた為、雁夜は体調を崩して蟲蔵の中で倒れてしまった。 召喚した瞬間は何事もない様に見えたのだが、気を抜いた瞬間にぶっ倒れたのだ。 不甲斐ないとは思うが、殆ど素人だった状態から一年で一介の魔術師にまで成長したのは見事と言える。雁夜は才能と言う点では桜ちゃんに遠く及ばないが、戦士として見ればそれなりの力を得た。かつて共に旅した仲間と比較すると成長速度も一年で至った力も遠く及ばないが、それでも何もない所から成長を続けて聖杯戦争のマスターになったのは大したものだ。 今頃は放り込んでおいた雁夜の私室に桜が付き添っており、ついでとばかりに九匹のミシディアうさぎが纏わりついて体力を回復させ、軽い病気などの状態異常を治している頃だろう。 ゴゴは間桐邸の一室から夜空に浮かぶ月を眺めながら―――今は霊体化しているので、人からは視認できなくなったサーヴァント、バーサーカーの姿を思い出す。 闇をそのままフルプレートの形にした様な黒い化身。放出される魔力が微量の煙となって鎧の隙間から溢れ、小刻みに震える体は常に敵を探している様だ。 雁夜が気絶する直前に霊体化させなければ間桐邸を壊して回ったかもしれない。 凶暴化の魔法『バーサク』をかけた時、対象者はひたすらに敵に攻撃するしか無くなるのだが、バーサーカーに付加された『狂化』の属性はそれとは少し異なるように見えた。 まだバーサーカーが戦っている所を見ていないので細かい部分までは判らないがゴゴが知る魔法と違う時点で知るに値する。 その差異を埋めるのが魔石であり、ものまね士ゴゴが『ものまね』するべき技術なのだ。 「・・・・・・・・・」 目元しか見えないゴゴの服装はいつもと変わらず、日々の生活を繰り返して街に赴く時も常に同じ格好だ。周囲からゴゴの表情の変化を見破るのは事実上不可能であり、声音によって人はゴゴの感情を判断する。 だから黙りこんで月を見上げている今のゴゴが何を思っているか判る者は一人もいない。 ゴゴが歓喜に満たされて、今この瞬間にも大声で笑いたいなど誰も知らぬ事だ。 渡した聖遺物によって雁夜はゴゴが目当てにしていた英霊を見事に引き当てた、あの黒いフルプレートの騎士は間違いなくゴゴが呼び出したいと思っていた英霊だ。 もっと正確に言えば、あの英霊はゴゴが目当てにしていた宝具を確実に持っている。 英霊が生前に築き上げた伝説の象徴、伝説を形にした物質化した奇跡、英霊が有する伝説上の能力―――宝具。 あの英霊がそれを使い、ゴゴが眼に焼き付けて『ものまね』した時、ゴゴはものまね士としての自分を更に高められると確信していた。 自己変化。 自己改革。 自己進化。 名前のなかった何者かがものまね士ゴゴになっていく。ものまね士ゴゴを確定させていく。 これほどの喜びがあるだろうか? 自分と言う形を得て、更に高みへと持ち上げて行く喜びに勝るモノはない。 ただ聖杯戦争を壊すだけなら今でも出来る。かつて鶴野の体を操って会いに来た『抑止力』が現れるのを承知の上で、広範囲の破壊魔法か幻獣を呼び出して、大聖杯ごと円蔵山を壊せばそれで終わる。 魔石を使ってもっと強力な英霊を呼び出すのも出来ただろう。この世界と魔石との間には何らかの繋がりがあるので、やろうと思えば狂化など使わずとも強力な手札を呼び寄せられた。 例えば、魔石『オーディン』で北欧神話に繋がる何者かを―――。 例えば、魔石『ディアボロス』で悪魔に連なる何者かを―――。 例えば、魔石『フェニックス』で不死に関係する何者かを―――。 例えば、魔石『バハムート』で竜種に関わる何者かを―――。 例えば、魔石『アレクサンダー』でアルゲアデス朝のマケドニア王を―――。 だがそれでは駄目だ、それでは『桜ちゃんを救う』ものまねは達成できず、ものまね士ゴゴが得るモノが何もない。 それに強力すぎて雁夜が制御できなければ意味はない。それでは『誰かを鍛える』ものまねの成果を見届けられない。 たとえ最終的に聖杯戦争を壊すとしても、その過程で得るモノは数多い。あのバーサーカーを見ただけでそう思える。あれほどの素材があと六人もいる―――。ゴゴは興奮と感動と喜びで打ち震えるそうになる体を抑えるので精一杯だった。 「・・・・・・・・・くふ、ふふ」 誰の物真似をしていない。ただここに生きる一つの存在としてゴゴは笑った。 ゴゴは間桐邸の一室から大聖杯が収められている円蔵山のある方向を見る。普通ならば望遠鏡でも使わなければ見えない距離なのだが、ゴゴはそこから流れる魔力を感じ取った。 人の目には見えない魔力の奔流。ゴゴの目でも見えないのだが、そこから溢れる魔力の一つが間桐邸に伸びてきているので、見えずとも感覚で理解出来る。 すなわち英霊を呼び寄せた大聖杯とサーヴァントとの間に出来上がった繋がりだ。 円蔵山から間桐邸に伸びている魔力の繋がりが、別の場所にめがけて何本も伸びている。目には見えなくてもゴゴはそれを感じ取る。 ゴゴが自分の中に取り入れたもう一つの聖杯―――円蔵山の地下大空洞に敷設された魔法陣を物真似した成果である。 ただし、ゴゴは一度円蔵山の地下にある大空洞に侵入して、そこに敷設された巨大な魔術回路を目撃し。見て、観て、診て、視て、看て、みて、多くの情報を『ものまね』して自分の中に取り込んだが、全てを解読した訳ではない。 あの時はまだサーヴァント召喚は行われていなかったし、雁夜の手にも令呪は宿っていなかった。召喚された英霊も見ていなかったし、六十年かけて七騎のサーヴァントを召喚するのに充分な魔力を蓄える機能ばかりを目にしたせいだ。 しかし今、その楔は消えた。 地球上のどこにいても行えるサーヴァントの召喚、令呪の譲渡、魔力の貯蓄、魔力を様々な形に変換する機能は思う存分発揮された。それらが一斉に解放され、聖杯戦争を形作っている。 真に着目すべき大聖杯の機能は、コンピュータで言う所とプロセッサーとマンマシンインタフェースに相当する部分、莫大ではあるが単なる魔力を様々な用途に作り替えて運用する箇所。それこそが大聖杯の真骨頂だ。 ゴゴはそれを知りたかった。そしてそれが今、聖杯戦争を巻き起こす為に散らばっている。 ならば、この機を逃す手は無い。宝具と一緒に全てを物真似する絶好のチャンスだ。 莫大な力ならゴゴの中にもあるので、魔力をため込むだけの大聖杯に用はない。 大聖杯から雁夜とバーサーカーに伸びている魔力の繋がりが、遠坂邸に二つ伸びているのに気がついたが、今そんな事はどうでもよかった。 海を越えた海外にまで伸びているのを感じたが、それもどうでもよかった。繋がりの内一本が近隣の森から街中へと移動しているのが判ったが、それもどうでもよかった。 戦わないのならばサーヴァントはただ霊体化しているだけの存在でしかない。戦ってこそ、ゴゴは彼らの宝具を物真似出来るチャンスに巡り合えるのだ、その時までは英霊だろうとゴゴにとっては路傍の石と変わらない。大聖杯をもっと深く知る為の餌でしかない。 知らなければならない。 確かめなければならない。 判らなければならない。 物真似しなければならない。 何故ならゴゴは『ものまね士ゴゴ』なのだから―――、全てを『ものまね』しよう。 「よくやったな――、雁夜」 当人の耳には届かないが、ゴゴは初めて心の底から雁夜を称えた。