一年生活秘録 その5 『サクラの使い魔』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 遠坂桜 「使い魔を持ってみないか?」 「え?」 桜は唐突に告げられた言葉に、机の上にあった紙から視線を外して、向かい側に座る彩り豊かな塊ことゴゴに目を向ける。 桜がゴゴと対面している理由はいくつかあるが、最も大きな理由は聖杯戦争までの間、桜が暇になってしまったからである。 雁夜は待ち構えている聖杯戦争に備えて修行の日々を過ごしているが、桜は直接聖杯戦争に関わる予定が無いので、魔石を使って鍛錬に費やす時間は短い。 その雁夜は現在、二時間ほど休みなくゴゴと戦い続けた結果、魔力を完全に底をついている状態だ。体力はゴゴの魔法で戻っても、魔剣ラグナロクを扱えるように鍛錬を続ける事は出来るのだが、魔術回路は―――魔術師が体内に持つ、魔術を扱うための擬似神経の数は―――さすがの魔石でも増やせない。 だから雁夜は体力の増強を行いながら、魔力が無くなるまで魔石を使い続け、回復したまた使うを繰り返している。筋力トレーニング後に休息をとったら起こる現象、『超回復』と呼ばれる休息と似た方法で魔術回路の太さを膨らまそうと言う目論見で修業を進めている。時として魔法を使わずに体力を回復させる場合もある。 魔石を用いての鍛錬ではゴゴの協力が必要だが、体力トレーニングは一人で行える物が多い。そこで空いた時間、ゴゴが桜の勉強を見るようになった。 何もせずにただ無為な時間を過ごすのはもったいない。雁夜の目標であり、ゴゴのものまねでもある『桜ちゃんを救う』の後にも日々の生活は続いているので、魔術以外の勉強でも得るモノは多い。 そう言った理由により、臓硯が存命であれば決して間桐邸にはなかった新たな日常が作られたのだ。桜はゴゴに教わりながら一の位の足し算と引き算を勉強している真っ最中である。 紙の上に数字を書くだけの足し算だったら難しかったかもしれないが、桜には十匹に増えたミシディアうさぎと言う心強い味方がいた。 たとえば『3+5=』の答えを考えた時、数字だけでは判りづらくとも目の前に答えを出してくれる協力者がいるので、少し考えれば幼い桜でも答えが出せる。 いつも桜が抱いている特別な一匹が『むぐ~』と鳴くと、机の横でミシディアうさぎ達が三匹と五匹の二つに別れて並ぶ。そして『むぐっ!』と新たな合図が出されるとその二組が一か所に並んで足し算の答えを教えてくれるのだ。 桜が紙の上に書かれた『3+5=』の横に『8』と書くと、ゴゴが、正解だ桜ちゃん、と言ってくれて、並んだ八匹のミシディアうさぎ達が祝うように飛び跳ねる。 ミシディアうさぎはむぐむぐとしてか鳴いてないが、桜は何となく『整列』や『集合』、あるいは『万歳!』と言っているように思えた。なお、引き算の場合は集まっているミシディアうさぎが離れて二組になり、残った方の数が正解と言う構図である。 そうやって目に見える形で足し算と引き算を学んでいた桜だが、唐突に関係のない言葉を言われてどうすればいいか困ってしまった。これが今やってる算数の話ならば消極的ながらも何かの意見を言えたかもしれないが、いきなり関係のない話を持ち出されても困惑するだけだ。 「使い魔、って。何ですか?」 「こっち世界の使い魔は『術者が使役するモノ』だ。魔術師が自身の肉体の一部を使って作る分身としての使い魔と、他の生物を前身にして作り上げる手足としての使い魔二通りがある。もっとも、これは虫爺の遺品から読み取った情報だから情報の精度は不確かだ」 「はぁ・・・・・・」 「魔術師は大抵工房に引きこもって研究をするから滅多に外出しない。だからお使いをする使い魔を作って使役するのが通例のようだ。ただし、あくまで雑用をする為のモノだから、作りだした術者以上の実力を持つことはない。術者と使い魔はラインで結ばれ、儒者の能力が使い魔に付与される場合もあるそうだ」 矢継ぎ早に言ってくるゴゴの言葉を聞きながら、そのほとんどを理解できなかった桜は言葉につまる。 そもそもまだ年が二桁になっていない上に、魔術師としての鍛錬も教育もほとんど受けていない子供にいきなり使い魔の話をされてもどうしようもない。 桜は持っていた鉛筆を机の上に転がしながら必死にゴゴの言葉を理解しようとするが、どれだけ考えても予備知識が少ない状態では『だからどうしたの?』としか考えられなかった。 使い魔を持ってみないか? もう一度、問われた言葉を頭の中で繰り返すがやっぱり答えは変わらない。 「・・・・・・・・・どうすれば、いいんですか?」 「何、こいつを桜ちゃんの使い魔にどうかと思ってな」 「・・・?」 言葉こそなかったが桜の中にある疑問は更に膨れ上がるばかりだった。ゴゴは机の上から量産型ミシディアうさぎに指示を飛ばしている特別な一匹―――常に桜と共にあり、大抵の場合は桜が抱いているミシディアうさぎに手を伸ばして、帽子の上に手を乗せた。 だから『こいつ』が『桜と一緒にいるミシディアうさぎ』だと判ったが、それといきなり言われた使い魔の話が繋がらない。すると、ゴゴはもう一度ミシディアうさぎの帽子をポンポンと軽く叩きながら言う。 「桜ちゃんの魔術の鍛錬としてこいつの支配権を俺から奪ってもらう。いつもやってる事を少し小難しくするだけだから深く考える必要はないぞ」 「・・・・・・」 「桜ちゃんの特性『架空元素・虚数』はまだ測りかねてる部分があるが、存在する事象の変革を行えるのは間違いない。だから『ものまね士ゴゴからのライン』を『桜ちゃんのライン』に作り替えて、ミシディアうさぎに魔力供給を行えば桜ちゃんの使い魔が完成だ」 そこでゴゴはミシディアうさぎの帽子に乗せていた手を外し、そのまま桜の胸に辺りを指差してきた。 「そうすれば、こいつは桜ちゃんのミシディアうさぎになる。誰のモノでもない、桜ちゃんだけのミシディアうさぎだ」 「私の・・・」 桜はまだゴゴが言っている事の大半を理解していない。 それでも、何かが自分のモノになるという響きはとても甘美に聞こえ、経緯は判らずとも結果に心を振るわせるには十分だった。与えられてばかりのモノだったからこそ、それが一つでも自分のモノになるのは嬉しかった。 もこもこふわふわのミシディアうさぎが自分のモノになる。そう考えた後、桜は自分からゴゴに話しかけていた。 「どうすればいいんですか?」 これまでは間を置いてからぼそぼそと囁くように喋っていた。雁夜おじさんとは淀みなく話せるけど、ゴゴとはまだ話せない。けれど、桜の口から出てきた疑問はこれまで見せていた内気さを完全に裏切っている。 まっすぐゴゴの目を見つめる桜の目は爛々と輝き、自覚ないままに子供らしい笑みを浮かべる。 「簡単だ。何度かやってるから魔石に魔力を注ぎ込むイメージは出来てるな? それをミシディアうさぎにやればいい。桜ちゃんとミシディアうさぎの間に繋がりが出来るように考えながらやれ」 「はい――!」 桜はゆっくりとミシディアうさぎに手を伸ばして青いマントの隙間ら手を潜り込ませて脇の下と後足の下に手を突っ込む。 途中、置いた鉛筆に洋服の袖口が触れて鉛筆が机の上を転がったが、桜の目には留らなかった。これまで何度も抱きかかえる為にやってきたが、今はミシディアうさぎを自分のモノにするという決意に固められた行動だ。 それは習慣を特別に変える威力を秘めている。 喜びを胸に宿しながら、桜はいつも通りミシディアうさぎを胸の前に抱く。柔らかい毛の感触を感じながら、ゴゴに言われた言葉の中の『魔石に魔力を注ぐの同じイメージ』を何とか形にしようとする。 「む・・・うぅ・・・・・・ん・・・」 「むぐ?」 桜は自分の中にある魔力とミシディアうさぎとの間に繋がりを持たせようと頑張るが、魔石は桜の中にある魔力を勝手に吸っていく節があるので、自分から魔力を使おうとするのはこれが初めてだ。 腕の中から見上げてくるつぶらな瞳に笑顔を返し、桜はもう一度繋がりが出来るように自分の中の魔力をミシディアうさぎに繋げようと努力する。 「ん・・・・・・う・・・・・・」 けれど何も起こらず、桜自身が感じる感触の中にも変化はない。道のりの遠さを考えながらも、桜はミシディアうさぎを使い魔とするべく頑張り続ける。 その様子をゴゴが慈愛に満ちた目で見つめていたが、桜は気付いていなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 間桐雁夜 雁夜は少しずつ自分が力をつけて行くのを実感していた。 短時間の劇的な変化ではないが日が経つごとに着実に体力と腕力は上がっている。魔力の方は元々の才能の無さもあって判りやすい変化ではないが、数日前の自分を思えば僅かながらも強くなっているのが判るのだ。 単位を一週間で考えれば、相対的な力で上昇しなかった週はない。右肩上がりのグラフのように『間桐雁夜の力』は伸び続けている。 成長期をとうに過ぎた年であるにもかかわらず、魔術師として地道に力をつけて行く過程は雁夜にとっての楽しみであった。ただ、力の上昇具合に喜びを感じつつも、そこに至る経緯を思い出せば寒気が走るので全てが順調と言う訳でもない。 根幹にあるのは『桜ちゃんを救う』という決意。それに近頃は必ず死ぬ場合と、死ぬ覚悟で全力を尽くす『必死』が追加されたのだ。 変貌したゴゴ―――目には見えなかったが感じたティラノサウルスに一瞬で殺された後。生き返った雁夜は死の恐怖と真正面から対峙する事になった。太古の恐竜に殺された事は十分恐ろしかったが、本来であれば人が一度しか体験しない筈の『死』と『生』を実感した事により、雁夜の中には強く『死』の恐怖が刻まれた。 死にたくない。 生きていたい。 殺されたくない。 他の何もかもが消し飛ぶ強烈な『生』への渇望。桜ちゃんを救うためには生きていなければならず、死んでしまっては何も出来なくなる絶望。 結果、課せられた鍛錬が『必死』の二重の意味で自分を強くしている。雁夜は自分の変化をそう結論付けた。 魔剣ラグナロクの重さには今もまだ振り回されているが、鈍器としてではなく剣として振るう―――刃筋を正しく通して、垂直に刃を立てる感覚は徐々に掴めてきた。まだまだ剣士と呼ぶのもおこがましい見習い以下のレベルだが、今の調子で鍛錬を続ければ聖杯戦争時点ではかなり扱えるようになっているだろう。多少、希望的観測も混じっているが、雁夜が止まらずに常に強くなり続けているのは紛れもない事実である。 そうやって今日も魔力が底をつくまで魔石を使い続け、体力向上の為に魔剣ラグナロクをアジャストケースに入れた状態で走り込みを行った。最初は剣の重さに一キロも走らないうちに路上で倒れそうになっていたが、日を重ねるごとに距離と時間は伸びている。 実感の伴う成長は雁夜に限らず人ならば喜ぶのが当然だろう。 間桐邸に戻ると雁夜は桜ちゃんに合わないようにまっすぐシャワーを浴びに行く。汗をかいた状態で桜ちゃんの前に出て、『雁夜おじさん、臭い』などと言われでもしたらショックのあまり死ぬかもしれない。 頼れる大人として桜ちゃんに接したいので、格好よい自分を常に意識する間桐雁夜であった。何度か格好悪い所を見られているので、今更と言う可能性もあるが―――。 冷水で体温を下げ、冷蔵庫の中にあるスポーツ飲料で失った糖分と水分を補給する。着ていたシャツは、後でゴゴが洗ってくれるので洗い物専用の洗濯かごに入れておくだけでいい。 着替える前と似たような格好に着替えて準備は万端。清潔を漂わせた格好いい自分を意識しながら、勉強をしている桜ちゃんと先生役のゴゴの元へと向かう。 「むぅ・・・・・・、うむぅ・・・・・・」 「むぐむぐ?」 そして椅子の上に座って何やら難しい顔をしている桜ちゃんを見つけた。 腕の中にはミシディアうさぎ、机の上には足し算と思わしき文字が書かれた紙、壁際には残りのミシディアうさぎがいて、対面にはゴゴが座っているので勉強の真っ最中だったであろう事は判る。 しかし今は何をやっているのか? どう見ても勉強中には見えなかったので、小休止していたかとも思ったが、それならば桜ちゃんが目をつぶって眉間に小さくしわを寄せている光景と繋がらない。 何か邪魔してはいけない雰囲気を作り出していたので、雁夜は桜ちゃんではなくゴゴに近づいて話しかける。 「勉強中じゃなかったのか?」 「桜ちゃんが抱いてるミシディアうさぎがいるだろう」 「ああ――」 摩訶不思議なスロットから出てきた奇妙なうさぎ。現れてからずっと桜ちゃんと一緒にいる特別な一匹なので、今更言われるまでもない。 ちなみに揃っていないスロットは今も雁夜の部屋の壁にあったりする。 「それで?」 「あのミシディアうさぎを桜ちゃんの使い魔にしようと思ってな」 「・・・・・・・・・また何の前触れもなくいきなり決めやがって」 次の言葉を言うまでの若干の間で雁夜はゴゴの言葉を理解する。そこにいたる経緯や過程はとりあえず横に置き、結果をまず理解するのはゴゴと話す上での重要な思考方法の一つだ。 一度ゴゴがやると口にした事はよほどの事情が無い限りは絶対に実現される。だから、思ってる、と言われても結果に導かれるのはほぼ確定なのだ。 桜ちゃんはミシディアうさぎを使い魔にする。雁夜はそれを確定事項とまず認識して、話を進めた。 「あのうさぎはお前が呼び出してる使い魔みたいなモノだって聞いたが、他の術者の使い魔を自分のものにするなんて出来るのか?」 「俺は抵抗しないし、ミシディアうさぎの方も不満はないから大丈夫だ。あとは桜ちゃんがミシディアうさぎとラインを繋げて、こっちが切り離せばそれで受け渡される」 「そんな簡単にいくのか?」 「雁夜の魔力なら無理だが、桜ちゃんなら大丈夫だ。もっとも、意識してラインを繋げられないから今は苦労してる所だがな」 余計な一言を堂々と告げるゴゴに苛立ちが湧きあがるが、雁夜とて自分の不甲斐なさは重々承知している。意識して怒りを抑えながら、視線をずらせば、そこにはミシディアうさぎを抱いて見えない何かを送り込もうとしている桜ちゃんの姿があった。 雁夜がこれまで見てきた遠坂桜の姿は姉の背中に隠れる引っ込み思案な姿ばかりだった。間桐邸に戻ってからは、感情を宿さない無機質な顔と、暗い笑みを浮かべながら魔石の力を思う存分使っていた姿も見たが、今のように何かに必死になっている姿は見た事が無い。 遠坂桜の才能は雁夜のそれを軽く凌駕する。 けれど目の前で行われている何かを成し遂げようとする姿は微笑ましく見える。桜ちゃんが子供だからこそ、だが、それでも新鮮な気持ちと喜びが混在した。 使い魔を持つ。ミシディアうさぎが治癒を特殊能力とした変な動物ならばそれはメリットになるが、遠坂桜が表の世界の常識などあてにならない魔術師としての生き方を強制されかねないデメリットも一緒に付いてくる。ただし、ゴゴが魔石を与えている時点ですでに魔術師の世界に足を踏み込んでいるので今更だろう。 加えて、ゴゴが呼び出した使い魔ならばどんな危険だろうとゴゴによって排除されるだろうが、桜ちゃんの使い魔になればその保険が消えかねない。『桜ちゃんを救う』ものまねが、桜ちゃんに渡した使い魔にまで適用されるのかは判らないが、ミシディアうさぎの方に危険が増えるだろう。 使い魔を持つ事が正しいのか正しくないのか雁夜には判らない。良い事もあれば悪い事もあるので、正否を即決出来ないのだ。ただ、何かを成し遂げようとする桜ちゃんを見ると、それを叶えさせたいとも思う。 間桐雁夜はどうすべきなのか? 「・・・・・・・・・桜ちゃん」 呼びかけても応じる気配はなく、周囲の音も耳に入らないぐらい集中しているらしい。初めて見る桜ちゃんの姿に雁夜は何も言えなくなった。 雁夜が桜ちゃんを救うために命懸けで鍛錬しているように、桜ちゃんは自ら使い魔を得ようとしている。桜ちゃんの努力を否定する事は、それは雁夜の努力も否定するのに繋がる。 ゴゴに任せれば雁夜は何もしなくて良かった。それでも何かをしたいと思ったからこそ、鍛錬を願い出て師事してもらっているのだ。 同じようにゴゴから使い魔を与えられようとしている桜ちゃんを止めるなど、雁夜には出来ない。雁夜は桜ちゃんを微笑ましく見つめつつ、その固い決意に賞賛を送った。 そのまま十数秒ほど何もない無言の時間が経過するが、ゴゴが雁夜に話しかけてきて状況が動く。 「あのミシディアうさぎが桜ちゃんの使い魔にするなら、済ませておかないといけない問題がある。雁夜が来たなら丁度いい、さっさと終わらせよう」 「問題? 桜ちゃんがあのうさぎを使い魔にするなら俺は反対しないぞ」 「そうじゃない」 ゴゴはそう言うと、腕をゆっくり動かして、桜ちゃんでも抱かれてるミシディアうさぎでも雁夜でもない別のモノを指さす。 ゴゴの指の先に合ったのは、これまでずっと事態を静観し、壁際で待機していた九匹のミシディアうさぎ達だった。 「あのうさぎ達がどうかしたのか?」 「雁夜、あいつ等に名前をつけようと思うが、どんな名前がいい?」 「はいっ?」 思ってもみなかった言葉に雁夜は僅かに驚きながら声を荒げてしまった。 しかし、すぐにゴゴの言葉の意味を頭の中で噛み砕き、ミシディアうさぎ達に名前をつけても何の弊害もないと考える。ただ、それに意味があるかは問わなければならなかった。 「名前が必要なのか?」 「使い魔契約に限らず、誰かとの間につながりを持つ場合『名前』は強い意味を持つ。今のミシディアうさぎ達には真名が無いから個が薄い、だから『桜ちゃんのミシディアうさぎ』と『量産型ミシディアうさぎ』に明確な差がないお陰で、使い魔契約の難易度が高くなっている」 「桜ちゃんが抱いている一匹を本当の意味で特別にするために他のミシディアうさぎと区別させるって事か・・・」 間桐の家に生まれ、今は魔術の世界に足を踏み入れて日々鍛錬を重ねている雁夜だが、知識面においてはまだまだ疎い部分が多い。だからゴゴの言う事がどこまで正しいのか判断できなかったが、名前については一応納得する。 その代わり名付けるという行為そのものに抵抗を覚えた。 「でもいいのか? あいつらはお前が呼び出したうさぎだろう。俺はお前が名づけた方がいいと思うが」 「構わない。名前の有無で繋がりに多少は変化が出てくるだろうが、桜ちゃんが抱いてる一匹以外はしっかり俺が手綱を握っている。勝手に使い魔の枠から外れたり、暴れ出したりはしないから安心しろ」 「そういう意味じゃないんだがな・・・、まあいいか」 桜ちゃんが喜ぶという観点で色々とミシディアうさぎには世話になってるし、ミシディアうさぎにとって呼び出したゴゴは親だ。 両者の間に強靭な繋がりがあるにも関わらず、そこに雁夜が割り込んでいいのか? と遠まわしに言ったつもりだったので、ゴゴの回答は少し的を外していた。 それでも、名付けるのを全く気にしてないようなので、結果が同じならそれでいいかと考え直す。 「いきなり九匹分考えるのか――。大変だな」 「虫爺の部屋に英和辞書以外の本があったから持ってこよう、何かいい名前が思いつくかもしれん」 そう言うとゴゴは椅子から立ちあがって部屋の外に行ってしまう。 残された雁夜はどうしようか迷いながら、ミシディアうさぎを使い魔にしようと頑張る桜ちゃんを見る。自然と手がゴゴの座っていた椅子に伸びて、桜ちゃんの対面に腰かけた。 邪魔しては悪いと思いながら、何かを成し遂げようと努力する姿を目に焼き付けたくなったのだ。 その姿は遠坂時臣の真意を聞き出す為に力を得ようとする雁夜と同じだ―――。 やっている事は全く違うが、努力し続ける方向性の一致に嬉しくなり、雁夜は小さく笑みを浮かべながら桜ちゃんの顔を眺めた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Side - 遠坂桜 ゴゴは言っていた。 「この世界の魔術師が使う魔術は『魔術回路』と呼ばれる体の中にある疑似神経に魔力を通して発動させる。桜ちゃんには何の事かさっぱりだろうが、魔力が水、魔術回路がホース、先から出てくる水が魔術だと考えろ。そしてこの魔術回路は生まれつき数が決まっていて、魔術師としての才能の有無はこの数に左右される。雁夜の魔術回路より桜ちゃんの魔術回路の方が圧倒的に多いから、魔術師としての才覚は桜ちゃんの方が上になる」 こうも言っていた。 「魔石によって、桜ちゃんの体の中にある魔術回路の何本かが開いて魔力の通り道として覚醒した。だから魔術師の体内にある魔力、これを『オド』というんだが、これを魔術回路に通す事で桜ちゃん独自の魔術を使う事も出来る。単に、魔力を放出して魔石に吸わせるだけなら簡単にできるから意識する必要はない」 いつ調べたのか判らないが、言っていた。 「魔術を使う為の呪文があって、これは『世界に語りかけ使う魔術』と『魔術師が自分を作り替える自己暗示』がある、桜ちゃんが使うのはおそらく後者になるな。テレビでやってるのを例に挙げると『マハリクマハリタ』とか『ムーン・クリスタルパワー! メイクアップ!』とかあるが、あれも呪文の一種だ」 判らない事ばかり言ってた。 「桜ちゃんにいきなり魔術を使えなんて無茶を言う気はない。魔石を使って『魔術を使うイメージ』を体で覚えれば今はそれでいい。話を戻すと、ミシディアうさぎとの間に繋がりを持たせるには魔術回路を通して桜ちゃんの魔力とミシディアうさぎの魔力を繋げる必要がある。繋げた後で、桜ちゃんとミシディアうさぎとの繋がりを強めて、俺とミシディアうさぎとの繋がりを切り離せば完了だ」 それでも、色々教えてくれた。 「そいつも桜ちゃんの使い魔になるのは賛成らしい。早くラインを繋げてくれとせがんでるぞ」 「むぐむぐ」 そして桜はミシディアうさぎと自分の使い魔にする為に、繋がりを作ろうと頑張り始めた。『まりょく』とか『まじゅつかいろ』とか判らない言葉が多かったけど、ミシディアうさぎと自分との間に繋がりが出来ればいいらしいから、それをしようとした。 けれど、繋がりを作ろうとして既に数十分が経過したが、一向に進展はない。 魔石を使って幻獣を呼び出すのはこれまで何度もやっていたので、体の中を通り抜けて外に出て行こうとする感覚―――ゴゴの言う『まりょくがまじゅつかいろをとおる』は何となく判り、やろうとするとくすぐったくてもぞもぞするけど我慢してやった。 そのまま腕の中にいるミシディアうさぎとその『まりょく』を結ぼうとしたのだが、ミシディアうさぎに触れた瞬間に広大な海のイメージが頭の中に浮き上がったのだ。 桜はそれがミシディアうさぎの本質であると理解し、この海のどこかにミシディアうさぎがいて、繋がりを作る為にはここから見つけなければならないと直感で理解した。 子供の桜の腕に収まる小さくてもこもこふわふわする体なのに、秘めた魔力の大きさは桜では測り切れないほど大きい。 月も星もないまっ暗い海の淵に立って、その中にいる何かを見つけるような―――そこにいると確信してるのに、見えないから手探りで見つけるしかない難しさがある。 そこにいる。でも判らない。 何もない。でも何かがいる。 何かいる。でも見つけられない。 はたから見ると目をつぶって、うんうん唸ってるだけに見えるかもしれないが。その実、魔術回路から出ている魔力をミシディアうさぎに繋げようと必死だ。 探して、探して、探し続けて―――。それでもミシディアうさぎが見つからない。 桜の手はしっかりとふわふわの毛を掴んでいるのに、本当のミシディアうさぎに触れられない。 もどかしかった。 悔しかった。 泣きたくなった。 それでも、絶対そこにいるミシディアうさぎを見つける為に、頭の中に浮かぶ大海のイメージの中を歩き続ける。 「そういえば、こいつらってオスか? それともメスか?」 「決まりはないぞ。だが、名付けて『どっちかの性別』と決めて接すればオスかメスのどちらかに固定されるかもしれん。今の段階では両性具有だな」 探し疲れて、心の中で少し休んでいると、雁夜おじさんとゴゴの声が聞こえた。 「間桐の蟲がいたから、俺、動物を飼うってやった事ないんだよな」 「あまり深く考えるなよ雁夜」 「いっそのこと、数字に当てはめて名付けるってどうだ? これだけいて、しかも見た目一緒だから全然区別できないからさ」 「帽子に刺繍で数字を縫いつけて区別すればいい」 「お。それはいいアイディアだな。よし、『名前は数字に由来する』、この方針でいこう」 今の桜にとって、周囲から聞こえてくる音は全て騒音にしかならなかった。 桜とミシディアうさぎが作り出す聖なる場所に無遠慮に入り込んでくる邪魔者―――。ただの言葉で、邪魔する気なんて全くないと思えても。別の場所で話してもいいのに、と思ってしまう。 集中を害される音は聞いていて不機嫌だった。だから桜は休憩を止めて、再びミシディアうさぎと繋がりを作る為に目には見えてないイメージの世界に入り込む。 夜の海。深い海。そこにいる筈のミシディアうさぎ。世界でたった一匹の特別を探しだす為に桜はミシディアうさぎを抱く力を更に強めた。 「きゅう。ナインボール。九尾のキツネ・・・。交響曲第九番――。九九、はちじゅういち・・・」 「これなんかどうだ、ドイツ語で9が『ノイン』」 「安直な・・・。まあいいか、それを候補にしておくぞ。決定じゃないからな」 「なら雁夜も候補を出せ」 「・・・・・・・・・フランス語で8は『ユイット』。さっきの『ノイン』に合わせて『ユイン』なんてどうだ」 「こっちが候補ならそっちも候補だ。そこは譲れない」 「ケチめ」 「先に言いだしたのはそっちだろうが」 桜は耳障りな音を聞きたくなかったが、二本の手は両方ともミシディアうさぎを抱くのに使われている為に耳を塞げない。 だからより深く集中する事で何とか耳から入ってくる音を消したかったのだが、すでに『何も聞こえない位の集中』は使い果たしていた。まだ子供の桜には集中を持続させられるだけの体力はない。聞きたくない事も、聞いてしまう。 ますます桜の不機嫌さが増していきそうな二人の会話だったが、ある言葉を切っ掛けに変化が現れた。 「7はそのまま『ナナ』で、『ナナちゃん』とかどうだ? そう呼ぶのは珍しくないだろ」 「6はラテン語を使うぞ、『セクス』だ」 「だったら5はオランダ語のファイフを短くして『ファフ』だ。こっちもふわふわしてて女の子らしいだろう」 「雁夜――。お前、全部桜ちゃんに繋げて、名付けてないか?」 「いいだろうが別に」 言葉が聞こえてくるたびに―――数字が聞こえて減るたびに、桜が思い描いていたイメージの大きさが小さくなっていくのだ。 もっと正確にいえば、桜が考えていたミシディアうさぎの大きさが、別の名前で名付けられていくごとにどんどんと削られていく。全てのミシディアうさぎが作り出す大きな大きな塊の中から自分の形を作ったモノから順に出て行くような―――。そんな不思議な感覚が合った。 最初に声のわずらわしさを感じた時はイメージの大きさに果てを感じる事すら不可能だったのに、今はおぼろげながらミシディアうさぎが作り出す輪郭が判る。 とてつもなく大きいのは変わらないのだが、終端があると無いとでは大きな違いだ。桜は外周から中心に向かうように自分だけのミシディアうさぎ探索を続行する。 「おい、ものまね士。この国では4は縁起の悪い数字として扱われているから、スペイン語の『クアトゥロ』はどうだ?」 「ギリシャ数字の『テトラ』も捨てがたいな、海にあるテトラポットは元々4本足の意味だぞ」 「3か・・・ドイツ語の『ドライ』は面白みが無い。ラテン語の『トレス』の方が呼び名としてはよさそうだな」 「ジレンマってのは2人による板ばさみか・・・。これは止めよう」 「だったら『ツヴァイ』、いや少しひねって『ジーノ』も候補に推すぞ」 「赤毛の――。フランス語では1が『アン』か面白い繋がりだ」 声が聞こえてくるたびに、形のなかった何かが形を作ってイメージの中から消えていく。 名前を呼ばれるごとに一匹ずつミシディアうさぎが魔力を奪って、残ったモノが一つの形を作り出す。 気がつけば、桜のイメージしていた夜の海に似た何かは一匹のうさぎに姿を変えていた。煙か雲がうさぎの形をしているのに似ているが、間違いなくその中に桜が抱いているミシディアうさぎがいると確信できた。 桜はその中に手を伸ばすイメージを作り、自分の使い魔になってくれる一匹を手探りで探し続ける。 最初は見つける事はおろか、いるのかすら疑った広大な心象風景だった。しかし、今は他のミシディアうさぎに削り取られ、ただ一匹のミシディアうさぎだけが残っている。 名付けられることで、『全てのミシディアうさぎ』が作り出す莫大な魔力がそれぞれに割り振られていったのだ。 桜は探す。 何もないように思えるが、必ずそこにいると思って探す。 そこに『無い』ではなく『有る』と思いながら探す。 「あなたの名前が聞こえたの・・・・・・」 桜はそれが他に染まらぬ力ある言葉に思えた。 最初からその名前をつけられる為に存在するようにも思えた。 流し込む魔力がミシディアうさぎの形をとっていくのを感じながら、桜はその名を呼ぶ。 「ゼロ――」 見た目の小動物のか弱さとは対照的な、その力強い名が囁かれた瞬間―――桜はミシディアうさぎとの間に繋がりが出来て行くのを感じた。 闇の中に伸ばした自分の両手のイメージが現実と重なって一匹のミシディアうさぎを抱くのが判った。 そして自分との繋がりを確固たるものにする為、強く強く互いを結びあうように魔力を送り込む。 思い。 望み。 想い。 頼み 乞い。 願う。 「私の・・・・・・、私だけの・・・・・・」 十匹のミシディアうさぎにそれぞれの名前が与えられた日より五日後。 桜はゴゴとミシディアうさぎとの繋がりを断ち切り、見事、自分だけの使い魔、ミシディアうさぎの『ゼロ』を手に入れるのだった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ これは、ゼロに至る物語―――。