前書きが不評なので、前書きを作るのを作った。
ついでに、後の時代から見た一刀君コーナーも作成。
各編が終る毎に追加予定。
因みに、これは真実ではありません。
或いは、真実の全てではありません。
1800年も昔の事がキチンと伝わっている筈がありませんのでー
なので色々と想像してニマニマして下さい。
後、呉花繚乱を書けとか無茶は言わないよーに(髑髏
そして呉花繚乱の立ち位置は “金瓶梅と並ぶ” という辺りでお察し下さい。
2016/4/19
立志編 その17追加
二ヶ月で更新しました(すっとぼけ
次のインターバルは、多分、(σ゚∀゚)σエークセレントの章が終わったらかもですので、ええ。
おゆるしをー
2015/2/8
立志編 その16追加
感染性気管支炎になりました。
半月近く休む羽目になりました。
おかげで、ssが書けました。
明日から仕事だ!!!!
ところで、凪って可愛くね?
ペロペロ(^ω^)だよね?
ペロペロ(^ω^)だよね??
でも、この展開って握手ポかなとか思ったり?
思わなかったり(どっちだ
後、桂花は可愛い。
マジ可愛い。
尚、次の更新も体調不良時に ―― という訳ではないので、出来るだけ早めに出せる様に努力する予定で御座います。
予定は未定とも言いますガー
唯、エターナルはしない予定ですので、気長にお待ちください。
今回程、次回へのインターバルは長くならない予定ですのででで。
2012/9/26
立身編 その15追加
就職できました。
5/8で受けてた所が、受かりました。
条件が良い職場だったので頑張りました。
頑張りました。
超頑張りました。
で、頑張ったら、肺炎になりましたー
良く風邪は万病の元と言いますが、アレ、マジでした。
風邪から扁桃腺炎を経て肺炎になりましたー
こーゆー レベルアップは勘弁!!!!
あ、でも夏風邪からだから、吾が輩ってば馬鹿じゃないのかー(願望
馬鹿は風邪をひかないとゆーしー
2012/5/8
立身編 その14追加
就職活動不合格の連続で疲弊し、書く気が減っていた昨今、皆様如何お過ごしでしょーか。
落ちるとサー やる気が減るのよねー
今受けている所、受かるといいナー
そして(゜∀゜) o彡 おっぱい!おっぱい!
(゜∀゜) o彡 おっぱい!おっぱい!
(゜∀゜) o彡 おっぱい!おっぱい!
美乳も否定しないというか、大好きだが、巨乳も大好きだー
でも、巨乳ロリは勘弁な!
奇乳も却下だ!!
ボディとのバランスの取れていないおっぱいなど、脂肪の塊にしか過ぎない!!!!!
2012/3/26
立身編 その13追加
ふはははははっ!
汚水処理とかの汚い話が続いて、気分が盛り下がったので、桂花と春蘭をペロペロ(^ω^)して回復した今日この頃。
というか、就職の面接が数日後~
どきどきで御座います。
その心の葛藤とかを文章に込めましたー
ええ。
くそ、一刀さんめ、美味しい職場にしゅーしょくしやがってー!!(え
2012/3/19
立身編 その12追加
Pvが10万を超えたのと、チラ裏が大洪水状態なので、その他板へと移動~
桂花可愛いよ、桂花。
そして春蘭もかーいーよーねー♪
いい加減、状況の進みが遅いのが困った所。
一回の更新分量を増やそうかしらん………
2012/3/12
立身編 その11追加
桂花の不人気さに驚く今日この頃。
原作のイメージを崩さぬように、でも結構マイルドに可愛らしく造詣している積もりなので、割と真面目にショボーンなのですよーっ!?
まっ、好みの問題があるんで仕方が無いけどね!
つか、どうでも良い。
私は私で、桂花ペロペロ(^ω^) ですのでーっ!!
後、流琉の字は、無いと不便と云うか困りますので、声優さんの名前から適当に付けました。
氏名の頭文字からとって天知は、天和と字面がナンボなんでも近すぎるのでキャンセル。
なので、天を愛らしいという意味にも繋がる甜として、知(とも)を朋(とも)へと変換。
ほら、こすれば流琉らしい字じゃないですか、甜朋!
あれ、字面が気に入らない………あと、他の連中が男(史実)を踏襲しているので、チト、迫力面で弱い。
なので、知を “ち” と読んで馳へと変換して、甜馳。
まーこんな感じで(え
そしてこの春蘭、実にノリノリである。
2012/3/8
立身編 その10追加
wikiの人気に嫉妬!
そして桂花ペロペロ(^ω^)
というか、桂花可愛いよ桂花!!
予定の所まで話が進まなかったけど、後悔は無いっ!!
2012/3/4
立身編 その9追加
2012/3/2
立身編 その8追加
2012/2/28
立身編 その7追加
ニヤニヤまとめwiki
北-郷/元嗣/一刀(生年没年不詳)
後漢から新漢/曹魏時代にかけての武将、政治家。
北家の初代であり、字は元嗣、真名は一刀。
曹魏建国の覇王曹操に、兗州刺史の頃より仕えた古参の臣である。
蜀の四天虎将へと対抗して定められた、文武九官による魏将九竜騎に数えられた。
出自:
一切が不明。
この為、三国演義に於いては “曹操の覇道をなさせんが為、天の遣わした者” と描かれている(※1)。
歴史的資料価値の高い魏伝に於いても、その詳細は記載されていない。
北郷の名が魏伝に登場するのは夏侯惇の逸話からである。
司隷河内郡にて自警団を組織した何某が高い功績を挙げたる話があり。
これに夏侯惇が興味を持ち面会し、その手際を大いに評価し曹操の幕へと招いた ―― それが北郷であったのだ。
この事から、司隷河内郡の出身である事が窺える。
尚、この出自の不明さは、後に1つの問題を引き起こす事となった。
曹操が北郷を王配として曹家に迎え入れようとした際に、家中の人間が来歴の不確かな者を曹家に迎え入れる事に難色を示しす事となったのだ。
この点に関し、特に北郷を酷評していた事で有名な荀彧のみならず、魏伝の他の人物伝に於いても、王配として迎え入れる事を批判した話が残されている(※2)。
最終的に、魏武を担う諸将尽くが ―― あの夏候惇/淵の姉妹ですらも消極的ながらも反対した事から、さしもの曹操も断念したと書かれている。
三国演義での北郷:
武将としての要素が大きく描かれており、特に陳留の戦いに於いては「黒備え」と呼ばれる槍兵隊を率いて活躍する様が描かれている。
但し、活躍するのはこの場面だけである。
それ以外、参戦した戦場では必ず惨敗しており、最終的には曹操から戦場に立つ事を禁じられる有様である。
又、北郷本来の姿、曹魏五知に数えられた政治家としての姿は一切描かれておらず、どちらかと言えば知に劣る者、常に計略に嵌められる凡将、そして個人的武勇に劣るが調子に乗りやすく色に溺れる道化(※3)として描かれている。
この魏伝や三国志等で見る北郷と、まるで同姓同名の別人と思える様な描写の差は、三国演義が主に劉蜀からの視点に重点が置かれている事、或いは儒教からの視点で描かれている事が原因であったとされている。
魏伝を読むことで見えてくる北郷の人物像が、法家集団である曹魏の中に合っても尚、法治の徹底を推進した人物であった事が嫌悪されたのだろうと推測されている。
ゲームなどの中での北郷:
栄光などの発売する歴史シミュレーションゲームでは史実準拠としてデザインされ、文武のバランスが取れたキャラクターとして設定されている。
特に内政面では、ゲームの中ではトップクラスの数値が付けられており、ゲーム序盤等では実に頼りに成るキャラクターとなっている。
但し、内政と能力の平均値が高い反面、謀略や武力などの面で傑出した能力は有していない為、魏将九竜騎の中ではミソッカス扱いをされる事も多い。
尤も、これは豪華絢爛たる人材の宝庫である曹魏だからこその評価であり、それ以外の陣営にとっては実に涎の出る数値となっている。
又、近年増えた三国史キャラクター等での格闘ゲームでは、同時代の武将政治家の著名人としては唯一と言って良い男性である為、格好の良いデザインがされる事が多い。
只、三国演義のファンなどの間では、駄目人間としての北郷と云うキャラも愛されている為、三国演義仕様の北郷も(2Pキャラとして)入れて欲しいという声も上がっている。
※1
儒者にとって後漢末期から新漢の時代に行われた法家による統治は認めがたいものであった。
それ故に、明代に現在の三国演義を原点を作った儒者は逆転の発想として “仁徳の乱れを嘆いた天が、天下に儒教の教えを広める為、曹操に率いられた法家集団を遣わした” という解釈を行っていた。
即ち、三国演義の根底にあるのは、君臣共に仁徳を失った結果、大徳者劉備ではなく法匪曹操によって中国大陸が統治されてしまい、以後200年に渡って法匪の跳梁を招いたという視点である。
それ故に “天の御遣い” とした北郷が、魏伝での姿とは似ても似つかぬものとして描写されたという風に解釈されている。
尚、最近の研究では新漢/曹魏に於いて法匪と俗称された官僚の腐敗が問題化したのは、その末期だけであり、新漢時代の大半は法による統治が機能していたと評価されている。
※2
基本的に北郷は、曹家諸将からの評判の良い人物であったが、この点に関してだけは諸将も一致団結して反対していた事は、研究者の間で魏伝に於ける最大の謎として知られている。
※3
三国演義に於いて曹魏が孫呉を攻めた理由にもなっている。
好色の北郷が孫家3姉妹と美貌を謳われた周瑜を並べてモノにしたいと考え、曹操を唆したのだ。
但し、曹操にそれを見抜かれ、最終的には2人で4人を楽しもうという話に落ち着くのだ。
天より降り立った好色の徒、一代の種馬であると同時に、愛人である曹操の尻に敷かれているという、三国演義に於ける北郷の立ち位置が良く判る部分である。
尚、この辺りの話を面白おかしく膨らませたのが、金瓶梅と並ぶ中国古典エロ文学とも評される呉花繚乱である。
呉花繚乱の作中では曹魏は孫呉を下すや、北郷と曹操は孫呉の将を弄び、酒池肉林の日々を送る様が綴られているのだ。
爛れ切った日々の最後に北郷は曹操と身を重ね、やはり曹操が一番であると述べ、仲睦まじく洛陽へと戻った辺り、ある意味で純愛小説にも見える体裁が取られているが、孫家の側からすれば迷惑千万な話のオチである。
又、この日々の対価として、孫家に揚州州牧の地位が与えられたと書かれており、史実との整合性が取られている辺りが面白いとは研究者の弁である。