手助けするにしても、どういう方針でいくか。その情報収集として、まずは聞ける部分は聞かないとコウジは思った。鳥頭の先輩だとどんどん忘れてくことは請け合いだからだ。
「で、先輩はこの《ブレイン・バースト》を始めて、どのくらい経ったんですか?」
詩音は即座に軽い声で返してきた。
「一週間だよー」
「意外と短いんですね」
と言ったが、すぐに間違いに気づいた。コウジは初めて千倍に加速されるということを意識した。
「いや、待て待て。千倍に引き伸ばされることを考えれば、一日六時間ゲームするとして、内部時間で四万二千時間、え、五年弱!?」
言葉にしているコウジ自身が驚くような時間の長さがでてくる。
「そんなにやってないよー。まだ、無制限にダイブすることできないからね。えーっと、一日三十対戦で一対戦二十分だから」
頭の中で暗算を始めたのか詩音はフリーズしかかる。コアラの頭から湯気が見えるような、コミカルなエンジンは実装されていないんだな、とコウジは思いつつ、答えを言った。
「七十時間。ただし、現実時間ではわずか四分強……これは色々、ヤバイですね」
「でしょー」
代わりに計算して貰えて、フリーズから復帰した詩音は気楽な声で返した。
だけど、その返事はコウジに入ってきていなかった。
《加速》する――それはある意味自分がリンカーに求めていたことだからだ。
だから、思っていたことが口から出た。
「これは……人類に普及するべきですね」
「どして」
詩音はきょとんという言葉が似合いそうな声を上げた。
「例えば、今も不治の病って結構ありますよね」
「あー、そうだよね。この前も十歳までしか生きれない子の特集を見たよ」
詩音は「なんて病気だっけなぁー」と言いかけたが、「あ、ごめん」と言った。コウジは自分の話を続けた。
「そういう子にこれを与えたら、リンカーの中では、一万年生きれますよね」
「確かに……」
詩音はそのことに初めて気づいたような言い方をした。
「健康な人で人生を全て加速し続けたら、十万年生きれますよ」
「そ、そうだね」
「十万年あれば、現行のリンカー用OSですら、たった一人で作れます。僕の好みで言えば、現代数学と現代物理を世界トップレベルまで勉強するなら、20年あればいけます。これ、現実時間で一週間ですよ!」
そこまで言って、詩音が固まっているのにコウジは気づいた。はしゃぎ過ぎた。少なくとも小学校高学年以降は、こんな自分を人前でしたことはない。
ひかれるな……コウジの口から冷たい声で言葉が流れた。
「すいません」
詩音は読めない表情でコウジをぼんやりと見ていた。
コウジはもう一度繰り返した。
「すいません、忘れてください」
コアラの表情からは何も読み取れなかった。
「……詩音先輩?」
そう声をかけた瞬間、コアラの目がほんの少し大きくなった気がした。
詩音はハッキリと通る声で言った。
「コウジはやっぱりすごいよ!」
名前で呼ばないでほしい、そういう言葉よりも先に異なる疑問を口にした。
「どうしてですか」
「だってさ、私とかマサミンとかは短い時間ですっごーくゲームを楽しめるって思ったし、他の人で意識の加速とか使う人は自分だけが手に入れた《加速》の力とか思っているんだよー。でも、コウジはそんな風に考えていないじゃん」
コアラのアバターはぐいと、コウジに近寄って、「それって、やっぱりすごいことだよ!」と付け加えた。
近寄られすぎるのは邪魔なので、元の位置に押し返す。押し返してから、現実だったら、ちょっとできないな、なんて思う。
自分がリンカーに求めること、それは――
「あれ?」
詩音のそんな言葉は、コウジの思考を止めさせた。さっきの例外のことかな、とコウジは思いを至らせる。
「そうそう、さっきも先輩は名前で呼びました。それは止めてください」
「あ、ごめん。でも、そうじゃなくて」
「何ですか?」
「五島君、そこまでカッコいいこと言っている割には、普段、やっていることはゲームのチートプレイなんだよね」
コウジの精神にクリティカルヒットした。
自分の中では理由はある。それがいつの間にかああなっていた。
「いや、まぁ、理由があるんですよ……」
「ふーん」
そういう詩音の口調は、興味がないというよりは、滅多に起きない面白い状況に陥っているコウジの反応を楽しんでいるかのように明るかった。
「で、そうだ。襲われているんですよね」
無理矢理な話題転換だったが、ポンコツパラメータのせいでコアラの表情は全く変わらない。
コウジの緊張を楽しんでいたのか、ほんの僅か間を開けてから、詩音は言葉を返した。
「そうそう、そうなんですよー」
「学校内だっけ?」
「学校内ですよー」
ちょっと主導権が移動してしまったような気がして、コウジは一回息を吐いた。それを見た詩音のコアラは心なしか表情を緩めた気がした。
「何人に何ポイント奪われる感じですか?」
「四人と戦って、一日平均二敗して、10ポイントぐらい取られているね」
「同レベルで10ポイント、相手の方がレベル高いとポイントが少ないよ」と付け加えられたが、何か肝心なことが抜け落ちている気がした。
「ちょっと待って。なんで学校内でゲームしてんの?」
「え?」
詩音はわかっていないような返事をしたが、今のはまともな疑問のはずだ。
「学内ネットワークに入ったら、ゲームアプリとか普通は勝手に入れたアプリは起動できないはずです」
リンカー部部室でグローバルネットに接続するため、XSBケーブル挿しているときは起動禁止が回避されるが、今はどちらのリンカーにも挿さっていない。今は学内ネットワークの管理下にいるはずだ。
「うーん、でも、現に今も動いているよ?」
「そうですよね……」
そういう風に聞いたところで、先輩の頭ではそんな理屈がわかるはずがない。
もっとも、違法アプリ、例えばソーシャルカメラ視界警告アプリとかはそういう回避手段が取られているので、それ同様という考えもある。また、OSのアップデートファイルであれば、アプリ扱いにはならないため、学内ネットワーク接続時の制約とか無視されてもおかしくない。
というわけで、学内でも起動することを前提に考えた方が良さそうだ。
「つまり、《ブレイン・バースト》ってOS組み込みになるので、常駐扱いで落とすことができないんですね……」
「うん。終了ボタンとかないね!」
詩音は明るい声で返してくるが、なんか嫌な予感しかしない。
「で……遭遇戦だよね」
「うん」
「どうやって戦い始めるの?」
「バーストリンクコマンドで起動して、マッチングリストを開いて選べば、戦えるよー」
「マッチングリストに出てくる条件は?」
ぶっきらぼうな言い方になる。
「同じネットワークにいることだよ?」
疑問形で可愛く言っているが、これは怒ってもいいかもしれない。
「アホ!」
言われた瞬間、詩音は何か言い返そうとしていたが、それは無視して続ける。
「グローバルネットに繋げたら、対戦ふっかけまくられるじゃねーか!」
コウジの順当な意見に、詩音は斜め上の反論を返してきた。
「勝てばいいんだよ!」
「勝てないから困ってんだろが!」
「大丈夫大丈夫、勝ててないの学内だけだから。あと、挑まれるの一日一回だから致命傷にはならないよー」
あまりに軽い詩音の言葉にコウジは、ウサギの頭を抱えて俯いた。
他のVRMMOでも、コミュニケーションのもつれや金銭トラブル等で事件になることが度々ある。
《ブレイン・バースト》はその危険性がより大きい。リアルに大きなゲインを与えるが、その行使権たるバースト・ポイントはゲームで争うからだ。
まともなゲームじゃねーよ。面倒ごとどころじゃねーよ。一年前のクソゲー、ファイナル・キングダムの苦痛の二ヶ月レベル上げより、違う意味で酷い。
どうすりゃいいんだよ――そう思ったとき、詩音の声が聞こえた。
「ね、一緒に遊ぼ?」
顔を上げて、前を見た。
水色の幼稚園の制服を来た詩音がいた気がした。
水色のワンピースにピンクのランドセルを背負った詩音がいた気がした。
水色のコアラのアバターがいた。
彼女はあの日から――コウジの答えはいつもと同じだ。
「うん」
にっこり笑う詩音が見えた気がした。それはいつも見慣れている風景だからだ。
ああ、やってやるさ。これは遊びなんだ。全力で楽しんでやるさ。誓わなくとも、そう思った。
「で、僕のアバターは?」
「えーっと、今晩、リンカーつけたまま寝るとできるよー」
「そーですか」
ちょっとだけ、やる気が削がれた。
「しかし、随分長く話したな」
「二十八分ぐらいだねー」
詩音の体内時計はアホみたいに正確だ。有効数字二桁で当ててくる。
「三十分も有線直結しながら、フルダイブって変じゃないか? って千倍になるのか」
「そうそう。あ、あと、三十分が《加速》の上限だよ。だから、もうすぐ終わり。千倍だから16秒?」
どういう計算をしたのかは、理解しないでおく。
「1.8秒」
「うん、1.8秒だ。本当かどうかは、時計アプリ確認すればいいよ。びっくりするから」
「解除のコマンドは《バースト・アウト》ね」
「了解」
お互いに元の自分に重なるように移動した。
「「《バースト・アウト》!」」
タイミングを合わせたりはしなかったが、声は合った。
きぃぃぃん、というトンネルに入ったとき、耳の奥で感じる音がした。そして、青い色が剥がれるがごとく、全ての物体は元の彩りを取り戻していった。
懐かしい。三十分の異世界紀行で現実がそう思えた。いや、そうとしか思わなくなるのだろう。千倍の加速は現実の時間をどんどん薄めていくに違いない。
不気味だな――そんなことを思った瞬間だった。
ペニョ、という間抜けな音が、心の静寂をぶち壊してくれた。詩音が指パッチンに失敗した音だった。
現実だな――加速時間の三十分間呆れ顔だったコウジは苦笑いに表情を作り替えた。
おもむろに時計アプリを呼び出した。ついさっき見た時刻がそこに記されていた。念のため、グローバルネットの標準時刻配信サイトも確認してみる。時計のズレはなかった。
アプリを閉じ、正面を見ると、指パッチンが失敗したのが悔しいのか、何度もやり直している詩音がいた。
コウジと目が合うと、ずっと前から気に入っていた笑顔を見せた。そんな詩音に思考発声で伝えた。
『とりあえず、学校で襲われるのをどうにかするってとこまで、協力プレイしますよ』
『うーん、できればクリアまで遊びたいなぁ』
詩音先輩はそんなことを抜かしてくる。やるとは決めたが、リスクを考えれば、深入りはしたくない。
リスクをオブラートに包んで表現して、言い返す。
『断ります! つまんなかったら、やめます』
『ええー。でも、マサミンもやっているし、私もやってるし、ほらそれに千倍だよ?』
『千倍は面白さの単位じゃありません』
『ええーいけず』なんて言ってくるが、去年ぐらいに「やりましょう」と言って、糞つまらんゲームのレベル上げを二ヶ月やるハメになった経験からはここは断固拒否。あの時は途中で音を上げて、「やめる」と言ったが、「やるって言った」って膨れて大変な目にあった。
選択権を確保するべく、断言するようにコウジはもう一度言う。
『学校で襲われる問題を解決するところまではやります』
『むー、まぁ、それでもいいや。絶対ハマるから』
詩音はこの先を正しく予想していそうな台詞を吐いてきたが、相手にはしない。それを今認めてしまうのは癪だからだ。
その直後、思い出したことがあったかのように、笑顔になった詩音先輩がいた。
『あ、そうそう、全クリしたらこのスゴイゲームの開発者に会うことができるらしいよ』
心が揺れかかった。だけども、自分の領分は守りたい。でも、良い事も言ってあげたい。そうして、言葉を吐き出した。
『まぁ、やるからにはまかせろ。半年ごとにニューロリンカー買い換えるのに自動化RMTで小遣い稼ぎしている中学生だぜ。クラックできないゲームはない』
「おおー」
詩音は声を上げて、嬉しそうだった。
ふと視線を感じた。正面の詩音先輩の向こうのリンカー部員の一人がフルダイブから戻っていた。
彼は詩音とコウジとの間のケーブルに気づいたのかギョッとしていた。思考発声が便利だから、と言って、詩音は誰とも構わずケーブルを繋ぐ。それに驚く人は学内にはもう少ない。
驚くのはその相手がコウジだからだ。詩音とは何度か直結したことがあるが、コウジを知る人が見るたびにこういう反応をされる。
名前を聞けば関わりたくない人。だから、クラスでも避けられている。教師は何をやっても注意してこない。十人ばかりが壁を作った上で会話はしてくれる。
五島光児。そういう名前だからだ。
リンカー部員のそいつは詩音に声をかけた。
「詩音部長、直結してどうしたんですか?」
コウジにはよっぽどのことがない限り、声をかけない。
「ふひひ、内緒話なのさー。さてはヤッくんも直結して欲しいんだな!」
そう言うと、コウジのリンカーに刺さっているXBSケーブルを握った。その瞬間、思考発声で『また明日』と声が流れてきて、そして、ケーブルが引っこ抜かれた。