エージェントと共にエネミーをはめ殺ししたので、アンリミテッド・バーストで消費した十ポイントは有に稼げている。そんな事情もあって、特に寄り道もせずに秋葉原の離脱ポータルに向かった。
現実の秋葉原駅は雑然とした複雑な立体交差となっている。複数の路線が乗り入れしているので、駅自体の整理を行うのは難しいのだろう。それでも、それが秋葉原らしさなんじゃないのかと、何度か来たことがあるテルは思っていた。
しかし、《荒野》属性の無制限中立フィールドには、そんな秋葉原駅は存在しない。周りよりもひときわ大きい赤茶けた巨石がドッシリと構えている。南半球の岩石砂漠における土着民族の信仰対象のような光景が広がっていた。
ポータルは何時でも場所は固定されており、破壊は不可能である。ここ秋葉原の場合は巨石の上に存在する。即ち、この巨石を登らないといけない。
「チッ、ウゼェ」
テルは悪態を吐いて、これだったら東京駅に向かったほうが良かった、と思うも、諦めて石を登るルートを探し始めた。さすがにその程度にはブレイン・バーストは配慮してあり、いかにもな登れるルートがすぐに見つかった。
数分で巨石のてっぺんに着くと、蜃気楼のごとく揺らめく現実の秋葉原駅の光景が映し出される青く光るポータルが存在していた。
テルはゆっくりと回るそれに飛び込んだ。
視界は暗転を挟んで、ぼんやりとした明るさに切り替わった。赤茶けた大地ではなく、見慣れた黄色く白い天井だ。
時計アプリを確認する。と言っても、加速世界で過ごした時間はわかっているので、本当に確認のようなものだ。フルダイブから一分も経っていないことを時計は教えてくれた。テルが仮想デスクトップの時計から視線を逸らすと、すっと時計の表示が消えた。
同時に部屋のざわめきが耳に入ってきた。テルの寮は相部屋だ。そもそも、個室という選択肢はない。だから、部屋はいつも就寝時間まではそれなりに騒がしい。加速前からずっとうるさかったのだろう。それが単に今の今までテルは気づいていなかった。それだけのことだ。
ベッドからゆっくりと体を起こし上げ、声のする方に顔を向けた。部屋の真ん中に置かれているテーブルを囲むように六人の女の子が、ワイワイと騒ぎながら何かをやっていた。その中の一人が起き上がってそちらを見ているテルに気づいた。
「あ、ゴメン。起こしちゃった?」
その言葉で他の五人もテルの方を向いた。テルはゆっくりと首を横に振ってから言った。
「いや。寝てたわけじゃないし」
そのとき、六人のうちの一人、ちょっと髪の色の薄いくせ毛っぽい子と目が合った。テルは少し視線を逸らしたが、その瞬間、その子が口を開いた。
「おー、テルちゃん。ちょうど良かった。夏休みの宿題手伝ってよ」
昔から知っている忘れるわけがない快活な声。テルは視線を合わせずに呆れたように言った。
「ミツカ。授業来週じゃん」
「私だけじゃないしー」
そう言いながら、ミツカは残りのメンバーに目配せをして、「ねー」っと全員で声を合わせた。
そんな様子をテルは鼻でクスっと笑った。でも、同時に心がズキンと痛んだ。ミツカは親友だった。だから、ミツカの頼みを断れない。いや、断らない。断りたくない。
テルはベッドの横のピンクのスリッパに足を入れつつ、立ち上がった。
「手伝ってやるよ」
「ありがとう! 超助かる!」
そう言ったミツカの表情はテルのよく知っている表情のように見えた。でも、それが彼女の本当の表情かはわからない。
ミツカの顔を見る度にあのことを思い出す。でも、今はグッと胸の中に仕舞い込んだ。ミツカの横に椅子が用意され、そこにテルはそっと座った。
朝起きる時間は決まっている。例え休日であろうとだ。みんなでの食事の時間が決まっているためだ。寮にいる限りその時間は固定だ。
だから、前日どんなに夜ふかししていても、その理由が友達の夏休みの宿題を手伝うというものであっても、起きる時間はいつも同じだ。
覚醒アラームに叩き起こされたテルは大きなあくびをしながら、ベッドから起きた。テーブルの方を見るとミツカたち三人が事切れた人形のように椅子に座って突っ伏していた。残り三人のうち、一人はベッドで寝ていて、二人は自分たちの部屋に戻ったのかいなかった。ちなみにテーブルの一人はこの部屋のメンバーではない。
テルは寝間着から着替えると、一人一人を起こして回った。気付けば朝食の時間ギリギリとなっていた。数十秒後、リンカーに朝食を知らせるチャイムが流れ、全員で身支度の悪さを言い合いながら、食堂に向かった。
食事を終えて、部屋の掃除を済ませてからは自由時間となっていた。
今日は夏休みの最終日である。とはいえ金曜日であるから、土曜日の始業式を終えたら、土日の休みが来るといえばくるが、一応は今日が最後の休みだ。だからと言って、どこかに行く用事を入れているわけではない。外出許可も貰っていないから、思いつきで出掛けることもできない。
部屋のみんなは図書室で宿題の残りを片づけるらしく、自分一人が部屋に残っていた。日は高く上がり、気温は相当上昇していた。とはいえ、寮の部屋は無駄と言わんばかりに、日中は冷房が入らないように集中管理されていた。涼しいところは決まっているから、そこに行けと言わんばかりであったが、テルは部屋の窓からぼんやりと外を眺めて過ごしていた。
寮の敷地に植わった木々は青々と葉を茂らせていた。それは近隣の低層の住宅を隠していた。もう少し視線を上げると、間の建物が見えないせいか、ものすごく近くに新宿の超高層ビル群が立ち並んでいるように見えた。
一人の状況を作らないと考え事なんてできない。特に加速世界のことについてはだ。
テルは小さく息を吐いた。
王を倒す――レベル4の自分が言うと荒唐無稽な夢物語だ。
ジェイド・ヴィザードはレベル4にしては強い。だけども、それはテルの反応速度や操作技術といった能力が高いからでない。他のプレイヤーよりもエネミー狩りが圧倒的だからだ。それゆえ、レベル4では到底買うのが難しい値段の高い強化外装をショップで購入したり、神獣級のドロップするレアな強化外装を持っていたりする。その付け焼刃なアドバンテージだけだ。
その程度のレアな強化外装を装備したごときのレベル4のプレイヤーがレベル9の王に勝つ。そう言い換えると無理であることが実感できる。
もちろん、テルが望めば、レベル9になることは簡単だ。現実時間の一日ぐらいエネミーをはめ殺しすれば、そのくらいのポイントは貯まる。もちろん、それだけの時間、ブレイン・バーストの運営がその修正をしなければだが。
でも、それは無駄なことだ。成し遂げたところで同じ数字のレベルをまとった弱いプレイヤーに過ぎない。レベル差以上に果てしないほど差があるプレイ時間と、それによって練られたプレイ技術に勝つ力をテルは持っていなかった。
神獣以下のエネミーを止めること。無制限中立フィールドの任意地点にダイブすること。コマンドを唱えずにダイブすること。ダイブ中にリンカーの操作をすること。それがブレイン・バーストにおける自分の本当のアドバンテージだ。でも、何一つ王を倒すのに適した道具は無い。
窓から吹き込んだ熱風が頬を叩いた。もう十分に残暑らしい気温ではあったが、暑くとも部屋に風が通る分、耐えられないほどではなかった。
「どうすんだよ?」
聞き手を求めずにテルは言った。目的語を省いたせいでその対象を探して頭が働いた。
そのとき浮かんだのは「“王”をどうする」ではなかった。「“世界”をどうする」であった。昨日の流れから言えば、当然だった。
アタシは王を倒したいわけじゃない。世界を再び加速させたい。それがテルの願いだ。
だから、望みは王を倒すことではない。王がいなくなる、加速世界を停滞させている原因が無くなるのが望みだ。だから、昨日、あんな言葉を吐いたのだ。それはテルにとって、大きな違いがあった。
別に自分が王を倒す必要はない。他のプレイヤーが、他の王が、王を倒す状況を作ってやれば良い。それなら、自分が強くある必要はない。
王とは何か。
王が王たる理由――それはレベル9であることだ。それを弱くする、つまりレベルを下げる、というのはできないだろう。いや、噂でレベルを吸収する何かがあると聞いたことが無いわけではない。だが、それを実現するとなると多くの時間が必要となるだろう。
もっと手っ取り早く弱くする。そして、もう少し自分でできそうなこと。
テルはその瞬間、心が痛んだ。
《クラッシュ・アーマメント》――それは相手の強化外装を一時的に破壊するアイテム。汎用性の高いブレイン・バーストのアイテムデータ構造だからこそ組み上げることができた、あの当時の自分のアイテム解析結果を全て注ぎ込んだアイテム。そして、一年前のあの日を最後に使わなくなったチートだ。
でも、迷うつもりはなかった。
七の神器――それは今、王だけが持つ強化外装。それを含めて王のアドバンテージを破壊する。
大剣を失った《ブルー・ナイト》。
錫杖を失った《パープル・ソーン》。
大盾を失った《グリーン・グランデ》。
それに神器ではないが、要塞を失った《スカーレット・レイン》。
強化外装を失った四王が同じ強さを誇り続けることはない。レベル9であっても、六王のうち四王が二流の王となる。それは加速世界を動かすのに十分なことだ。
全ての強化外装を、神器すらも葬る。とはいえ、《クラッシュ・アーマメント》はもう動かないだろう。それを修復するところからが戦いの再開だ。
そうやって加速世界を動かす――そう誓った時だ。
「おーい! テールーちゃん!」
後ろから思考を止める声がした。振り向くと開けっ放しの扉のところにミツカがいた。
お願いするように両手を合わせながら、彼女は言った。
「ゴメン、ゴメン。今日ももうちょっと手伝って欲しいんだけど」
テルは加速世界のことを一度忘れることにした。それはミツカの前だからだ。
「そんなことだと思った」
テルはそう言って、ミツカの方に向かった。
自分の親友であって、《親》であって、自らが全損に追い込んだ彼女の方へ、テルは向かった。