「早かったねー」
「うーん、ブレイン・バーストが関わらないとこんなに楽だとは思わなかった」
OSの内部設定をいくつか弄ることで実現したXSB遮断アプリがあまりにあっけなくできてしまった。
「お菓子取ってくるね」
詩音先輩は小さな足取りで台所に向かった。
コウジの頭はその瞬間、考察モードに切り替わった。あの四人組はコペン・ミリタントのリアルを割って、リアルアタックを仕掛けてきた。だが、それはソーシャルカメラの視界外で取り囲んだ詩音先輩のものと比べるとあまりにも杜撰すぎる。
その計画のチャチさを考えずにもう少し考えを進める。コウジは詩音を送ってから帰宅した。時間はかかりすぎているが部活が終わるほど長い時間とは言えない。つまり、アイツらは部活よりもこのPKを優先したということだ。その時点で現実と加速の優先順位がごっちゃになっている。いや、優先順位はブレる人の方が多い。無論、自分だってブレている。その項目を検討から外す。
うーん、と唸ってもやはり短絡的に結果を追求しようとしすぎている。だけど、そこを埋めるのは探偵の仕事で自分は探偵じゃない。というわけで、悩みは払拭するように、結論を出した。
「つまり、アホなんだ」
正面にはお菓子を置いたばかりの詩音がいた。ぷくっと頬を膨らませている。
「アホじゃないもん」
先輩のことを言ったわけではないが、コウジは誤解に悪乗りした。
「ほんとにですか?」
顔が更に膨れたのを確認して、この前先輩が言っていたことを聞いてみた。
「紫色は英語で?」
「ピープル!」
コウジは吹き出しそうになった。飲み物を口に含んでいなかったので余裕でセーフである。詩音は何がおかしいのかわからないかのようにまだむくれていた。
コウジは笑いを堪えながら、もう一つ質問を聞いた。
「国民は?」
「ピープル、あ!」
詩音先輩の顔は瞬間的に羞恥で赤くなった。コウジは俯きながら笑いをこぼした。
「ぎゃー! 三年間ずっと間違ってた!」
顔を俯かせて、プルプル横に振る先輩はなんか可愛かったが、それ以上におかしさでいっぱいだった。
至極高そうなカップだが普通のティーバッグで出された紅茶と、スーパーで売られている普通のクッキーを食べながら、コウジは詩音と取り留めもない話をした。もちろん、時折、詩音先輩をからかうのは忘れなかった。
色々なことを話していると、気づけば詩音先輩の表情はいつもの明るいものに戻っていた。そして、今更であったが部屋が暗いというか真っ赤に染まっていることに気づいた。
「電気つける?」
「いいです」
コウジの視界はリビングの全面ガラスから見える立派な夕日の光景に奪われていた。赤く燃える太陽が沈む光景。道端からはもちろん自分の部屋からでも他のマンションに遮られて、こんなのは見ることができなかった。辺りの建物よりも頭一つ高いから見える風景だった。
「すごい綺麗ですね」
「ね」
そう言った詩音先輩の声はいつもの声に近かったが、寂しさが混じっているような気もした。
「詩音先輩、もう大丈夫ですか?」
「……うん」
そう聞くとコウジは横の椅子に置いていた自分の鞄を肩から下げつつ、立ち上がった。
「じゃあ、帰りますね。さすがに女の子の家にそんな長居するわけにはいかないんで」
「……うん。またね」
「じゃあ、また明日」
そう挨拶を交わして、詩音先輩のだだっ広い家を後にした。
一階に着くまでにコウジはタクシー会社に連絡した。無論、歩いて十五分の距離の安全を買うためだ。数分でエントランスの外に黒塗りの車が横付けされた。いや、黒塗りなだけのタクシーなのだが、別に指定していないのに、それが来るのが当然と言わんばかりの雰囲気に飲み込まれそうになった。
そんな車に乗り込んで、ごく近所のマンションへの移動を命じる中学生に運転手は嫌な顔一つ見せなかった。もちろん、マンションの前にまだアイツらがいたら、そのまま通過させるつもりだったが、その必要はなかった。
いなかった理由を考えれば、いくつも挙げれるが、考えても仕方ないので、コウジはタクシーを降り、家へと帰った。
家族三人慎ましく暮らすに十分な広さの家に入りながら、「ただいま」と言う。母親の「おかえり」という声の聞こえ方、というか揚げ物らしき調理音から夕食を作っていることがわかった。
あの詩音先輩だとレトルト食品作るのにも失敗しそうだな、と失礼な想像をしてクスリと笑ってしまう。その時だった。
私は一人は嫌――という詩音先輩の言葉が突然頭の中で再生された。料理がどうとかではなく食事は独りきりだ。一人であることをこんなに強調する出来事もない。
自分の家族は、母親は今いるし、父親もあと数時間したら帰ってくる。だけど、詩音先輩と違ってそれが嬉しいとは思っていなかった。
単純な言葉で言えば、この親が嫌いだった。自分たちの心の拠り所、それを子供に押し付けた。それは逃れたくても逃れられない焼印のようなものとして、自分について回った。多くの人から距離を作られる要因を与えた親。それを考えるだけで、コウジはイライラした。
僕は一人で良い――そう言いつつも、冷静に考えれば、名前の出ないグローバルネットのハッカーコミュニティに向かった自分を笑うしかできなかった。
一人は嫌、なのかもな――と思うも、一つの疑問が鎌首をもたげた。詩音先輩のことだ。あの人はよくわからなかった。どうして、こんな自分に関わってくるのか。チートが好きという言葉もわからない。残念先輩の反応が普通なのに詩音先輩はそれから逸脱していた。そうこうぐるぐる考えているうちに、詩音先輩は寂しくて人との距離感がわからなくなっているだけだ、と位置づけることにした。
そんな考えも食事に呼ばれたので打ち切った。親との前ではそういう素振りは見せない。それがまた自分の限界の一つでもあった。カキフライをかき込んで、コウジは一番最初に席を外した。そのまま、風呂に入り、残念先輩にメールを送って、余計なことをこれ以上考えないようにと布団に入った。
翌日、土曜日。結論から言えば、XSB遮断アプリが活躍することはなく、お守りみたいな役目しか果たさなかった。
当然、家から出てからずっと勝手にピリピリとした空気をまとっていた。もちろん、詩音にも命じて、二人ともそのアプリを実行していた。が、それがあるからと言って、完璧ではないことはコウジも気づいていた。例えば、本気で命の危険が迫るような脅され方をしても、まだそれを有効にし続ける精神力は無いと思っていた。
だけども、通学路でも休み時間も授業中も何も起こらなかった。だから、コウジは授業の終わりが近づくにつれて、安心感が高まっていった。現在、その状態に差異はあれど、大きく言えば双方がリアルを割っている状態だ。一応はイーブンであり、様子見という段階のはずだ。
帰りのホームルーム中に、そういう形でひとまずの結論を出していると、不意に大声が聞こえた。
「で、五島!」
意識が現実に戻ると教室全体から注目を浴びていた。コウジはとっさに返事を搾り出した。
「あ、はい」
「あとで来るように! はい、終わり。日直」
担任のまだ若い数学教師は、コウジに命じた直後に、そのままこの時間の終わりを大きな声で告げた。生徒たちの意識は途端にそっち側に持って行かれ、礼と挨拶で今週の授業が締め括られた。
他の生徒とは距離を置かれているので、コウジの事態を聞いてくる奴はいなかったが、ヒソヒソと噂話をしようというのはわかった。
そんな生徒たちをかき分けて、コウジは担任の元に向かった。
「何ですか」
「ついてきなさい。何、怒られるわけじゃない」
コウジの訝しがる口調に担任はそう言い、教室の出口に向かった。
連れていかれたのは校長室だった。担任がノックして、引き戸を開いた先には、何人かの先生と忘れることもない四人の顔があった。
彼らはテーブルの前で直立不動の姿勢で立っていた。そんな彼らの正面に行くように促され、そこで四人に対峙すると彼らはタイミングを合わせて、頭を下げながら大声で言った。
「「「「すいませんでしたッ!」」」」
一瞬、ポカンとしてしまったが、どういう話かはすぐにわかった。
昨日の追いかけっこはソーシャルカメラで撮られていた。無論、それで即逮捕されるというのは、ナイフなどを振り回しているだとか暴力団員だとかな場合で、子供なら普通無視される。が、やはり、なんか度が過ぎた様子がカメラからもわかったのであろう。多分、そういう経緯で警察の少年課から学校に連絡が入ったらしかった。
なるほどなー、と起こった事態というか学校が知っている話は既に人事の気分で聞き流していた。自分の興味はこの自体をどう調理すればメリットがあるかということだった。
「四人とも反省しているから、これで許してやってくれないか」
そう言ってきたサッカー部顧問の顔つきは有無を言わさぬものだった。ここで喚いたところで別に彼らが少年院に送られるということもなく、学内での謹慎処分(せいぜい停学と部活禁止ぐらい)で、自分にはリアルでは色々な恨みを受け、ブレイン・バーストの戦いは何も進まない。
ここで社会的制裁を与える価値は、自分にとってはあんまりない。となると恩を売る、当然、教師に対してだ。ただでさえ、名前ゆえ自分の評判は悪いのだ。だから、ここで好印象を与えておくべきだ。
「はい。別に殴られたとかないんで。僕ら、まだ中学生ですし。謹慎とか別にいいです。サッカー部、全国制覇頑張ってください」
コウジはそこまで一息で言い終えると先生方の顔が露骨にパッと明るくなった。
「ハハハッ、五島はいいやつだな」
サッカー部の顧問は一番嬉しそうに笑いながら、複雑な表情をしていたサッカー部員共に視線で何か合図をした。
「「「「ありがとうございましたッ!」」」」
不本意なのかもしれないが、さすがにそれは顔には出さずに、深々と頭を下げてきた。
坊主にはしないのか。ヘディングとかあるからかな、と下げられたフサフサした頭を見ながら思った。
四人が頭を上げると顧問が檄を飛ばした。
「明日の練習試合は都内二位の学校だ。レギュラーのお前らが頑張らねーと、試合になんねーぞ。きちんと得るもの得る。それで夏に結果を出す。これが頑張っているサッカー部だから許してくれた彼への恩返しだ。わかったな」
「「「「はいッ!」」」」
という四人の表情はやっぱり複雑そうだった。が、コウジはもうそれを気にしてはいなかった。今日頑張らないといけない。なぜなら、一度目のチャンスが明日来るからだ。
コウジは校長室から真っ先に出ると詩音のいる三年の教室に向かった。部屋を覗き込むと詩音は他の女子生徒と話をしているようだった。が、コウジが覗き込んだことにすぐに気づいて、こちらにやってきた。
「じゃ、私の家行こっか」
昨日はイレギュラーな事態だった。昨日、約束した残念先輩を含めて三人で会うことが今から詩音の家に向かう目的だ。時間を見ると、校長室に呼ばれていた都合で、今から行っても残念先輩を待たせることになってしまう。
「すぐ行きましょうか」
「うん」
詩音の返事を聞くと、コウジはマサミに遅れることをメールした。【どんまい】という短いメールが帰ってきた。