ビュッフェのおばさま方も食べかけのデザートも少し年季の入った赤い絨毯も、世界が組み変わると消え去っていた。
見える風景は打ちっぱなしのコンクリートの床とむき出しの鉄骨で作られていた。現実はLED照明で隅々まで照らされた屋内だが、ここのステージでは、ガラスが入っていないコンクリート打ちっ放しのこのフロアとなり、何とも言えない微妙な外の明るさで照らしだされていた。
今日、引き分けにチートで持ち込んだ対戦の一つのステージがこれだったはずだ。ブレイン・バースト特有の寂しげなステージである。
コウジは念を入れてぐるりと辺りを見渡した。同じ建物、フロアに対戦者や観戦者がいたら、リアル割れのリスクと直結する。そうでなれば、復帰時のことを考えねばならないが、その心配はなさそうだった。
「《風化》ステージか」
正面から聞き覚えのあるイケメンボイスが聞こえた。周りの光景に気を取られ、正面に現れていたアバターに気づいていなかった。
「属性はホコリっぽくて、壊れやすい。たまに突風が吹く、だったはずだ」
そう言葉を結んだオレンジ色のアバターは、今日、引き分けに持ち込んだシアン・パイルのように上半身がゴツく、三角に尖った印象を受ける頭頂部を持っていた。残念先輩は高校でも確かリンカー部に類似する文化部に入っていたはずだ。イケメン補正と思えるほどに運動はそこそこ得意だったはずだが、こんなマッチョイズムな印象はない。
線の細い人がマッチョになりやすいとかあるんだろうか、と思ったが、自分が真っ先に反例になることに気づく。そんなことを考えているとアンバー・ウォーリアはコペン・ミリタントの構造物を指さして聞いた。
「それ、《強化外装》?」
「《強化外装》って何ですか?」
「詩音、何も説明できてねーな」
「そう思います」
マサミはコウジにステータス画面を確認するように言って、背から身の丈ほどある大剣を抜き取った。剣士と言うだけあって、それっぽいスタイルである。
「こういう武器とかアバターと別のものが強化外装だ」
「なるほど」
と受け答えしながら、コウジはステータス画面を読み上げる。
「《全方位構造体(オムニオブジェクト)》、だそうです……やっぱり、盾じゃないんだな」
「いや、どっからどう見ても防具だろ」
マサミはツッコんできた。
「いや、攻撃受けると壊れるんですよ? こんなに脆いし違うと思うんですけど」
「攻撃食らって被ダメねーなら、防御力低くても盾じゃねーか」
マサミは鼻で笑って、そう言った。
「確かにそうですね」
そう言いながら、コウジはその構造体に焦点を合わせた。盾ではないことが明らかになったが、では、一体何のために存在するのか。ただ、それは現時点ではわからなかった。
考えるのを止めて、再び、アンバー・ウォーリアの方を向いた。右手に大剣を持ち、なんか背中に鞘以外にも何かを背負っているように見える。そのまま、視線を下ろすと左足が機械っぽい構造となっていることに気づく。
そこに視線が止まったのに気づいたのか、オレンジのアバターは言った。
「あ、これ機関銃」
同時にその左足を持ち上げ、適当な方向に向けた。破裂音を立てて、金属弾が発射され、その先にあった建物の柱のセメントを砕いた。
コウジは思ったことを率直に言った。
「……それ、微妙に不便じゃないですか?」
「え? カッコ良くね?」
それはちょっと疑問に思ったが、言葉を濁す。
「まあ、そうかもしれませんが……」
コウジの微妙なニュアンスをどう悟ったかはわからないが、マサミはこれでどうだと言わんばかりの動きで、背中に背負われている鞘ではなく袋状のものを前に持ってくる。
ベルトがついて肩がけ可能な袋。それに金属のパイプがいくつも突き出している。ブレイン・バーストだけでなく、今まで遊んだVRゲームでそれに類する武器を見たことはない。
何だろうか、と考えているうちに答えが明かされる。
「こっちは《ショップ》で買った《強化外装》、《バグパイプ》だ」
マサミは吹き口をアバターの口に当たる部分で咥えると、それなりに綺麗な音色が奏でられる。
「楽器かよ!」
「おう、楽器だぜ! ピアノとギターはできるから、今度は管楽器にしようと思ってな」
できる限りマイナーなものにしたかったという言葉はコウジに届いていなかった。
「……強化外装……何を強化しているんですか……」
「カッコ良さ?」
そんなマサミの回答に、コウジは呆れながら、癖でアバターの頭を片手で軽く押さえた。
が、普段通りと言えば普段通りだ。自分がチートを使って最善攻略を目指すスタイルで、詩音先輩は努力と根性で完全攻略を目指すスタイルであると言えば、残念先輩は高速攻略をベースに様々な遊びを混ぜるスタイルと言えるだろう。
中でも面白い装備品を身につけるぐらいは序の口だ。昔、VRMMORPGで手助けに現れた先輩は、うさ耳をつけた全身ピンクのタイツに白い仮面という格好だった。それを思い出し、納得というか思い出し笑いを堪えた。
そのとき、ようやく視界の水色のカーソルがちょこちょこ動いていることに気づいた。
「てか、対戦申し込まれたんですよ!」
「そうだぜ。だが、安心しろ。カーソルの動きからして、相手は必殺技ゲージを貯めているだけだ」
「いや、問題大ありですよ」
右上の敵の必殺技ゲージはかなりが明るい緑色で光っていた。
「大丈夫、大丈夫。必殺技ぐらいお前なら回避余裕だろ」
「無理ですよ。まだ、アシストとかできていませんから」
残念先輩は心底驚いたような声を上げた。
「マジで?」
「マジです」
アンバー・ウォーリアは一人納得したように頷いて言った。
「仕方ない。気合で頑張れ」
コウジは了承する代わりにため息をついた。とはいえ、ピンチになれば、強制切断で逃げる道も残されている。タッグ戦ではあるが、残念先輩も自分が利己的であることは知っている。同様に、残念先輩もまた利己的であることを知っている。自分のポイントが28ポイントしか残ってなくとも、対戦したら絶対に手を抜いてくれないし、勝ち星も譲ってくれない。そういう人だ。
チート以前の同族嫌悪なのかもな、と思ってため息の口を小さな笑みに作りなおした。
「ええ、頑張りますよ。敵の方、行きましょうか」
「今から行けば、駅前で遭遇っぽいな。辺りのものはできるだけ壊していけよ。ゲージ貯めるためにな」
そう言って、アンバー・ウォーリアはこのフロアの出口へと駆け出した。コウジも遅れないように追いかけた。
空は灰色の雲で覆われていたが、そこまで暗くはなかった。建物のかなりは建設中であり、いくつもが曇天に向け、直立していた。ふと後ろを振り返る。都内で新宿で最大の高さを誇る都庁が見える。その都庁のてっぺんもまた巨大なクレーンが上空を占拠しており、建造している最中である演出がなされている。
ブレイン・バーストの臨場感はどのゲームよりも勝っている。コウジはこの光景からそれを再認識した。そんな中、リアルな破壊音が聞こえた。
「走りながらでも、壊しておけよ」
アンバー・ウォーリアは走りながらであったが、器用に剣を振り回して、積み上げられている建設資材を壊していた。見るとかなり必殺技ゲージを貯めていた。
一応、自分もやってはいるものの、貯めたゲージで《カウンター》を使って、敵プレイヤーに勝てる要因にできる自信はない。そのせいか、ゲージの溜まりぐらいはアンバー・ウォーリアの半分ぐらいであった。いや、残念先輩のゲーマーっぷりがすごいのもその要因の半分ぐらいにはなるとは思う。
右上を再びチラリと見る。必殺技ゲージがあまり溜まっていないレベル1の《コペン・ミリタント》と溜まっているレベル4の《アンバー・ウォーリア》がこちら側だ。挑んできたタッグチームはレベル4の《フロスト・ホーン》とレベル3の《トルマリン・シェル》だ。二人の必殺技ゲージはどちらも八割以上溜まっていた。
平均レベルなら1高い相手なのだが、冷静に考えれば、自分より2と3高い相手だ。レベル3差あるフロスト・ホーンとは相手にならないだろう。そちらを残念先輩に任せて、トルマリン・シェルを相手にするとしても、シアン・パイル戦を思い出せば、相手が冷静じゃなくなった上、カウンターが入って、こちらが相手の戦術・戦力を完璧に読み切らないと勝てないはずだ。と考えると、どう考えても勝率は低い。
幸いなことが青系であることで、ベースは近接戦闘であることから、《カウンター》が効きそうなぐらいである。それも今朝みたいな、まさかの飛び道具持ちでなければの話ではあるが。
どういう戦略で行こうかと思っているうちに、水色のカーソルが消えてしまう。
ちょうど、自分たちが現れたのとは逆の方から、分厚い装甲をまとい額と両肩にツノを持った薄青いアバターと、それと比べれば軽そうな装甲の青緑のアバターが現れた。
一定の距離を取って、駅出口の広場で立ち止まった。その周りの建物には観戦のアバターの影がいくつも見えた。ここまではっきりと観戦者が見たのは初めてだ。そんなことに気を取られていると、ツノが付いている方、多分、フロスト・ホーンがアンバー・ウォーリアを指さして叫んだ。
「おい、バグパイプ野郎! 俺が対戦挑もうとしたら、タッグ組みやがって! お陰でこっちのレベルが高くなっちまったじゃねーか!」
残念先輩に聞いた話の一つにレベルによるポイント移動の非対称性があったはずだ。戦闘しているうちに気づいてはいたが情報として得れたのは今日が初めてだ。
そのため、レベルの高いプレイヤーが低いプレイヤーを倒しても、あまりポイントを稼ぐことはできないことは知られている。逆に倒されてしまったら、余計にポイントを取られる。だから、挑んでくるプレイヤーは通常同レベル以下である。そうじゃなければ、特殊な事情がある、と聞いた。
「じゃあ、レベル1とタッグを組めば良かったじゃないですか」
コウジが聞くとフロスト・ホーンは握った拳を震わせて言った。
「今、タッグ組めるのトリーしか居なかったんだ! 仕方ないだろ!」
「僕は数合わせだったのかいホーン君? 君がそんなに薄情だとは思わなかったよホーンくうん……」
隣にいたトルマリン・シェルが寂しそうな雰囲気をまとって言った。
「と、トリーよ、そんなつもりは無かったんだ。俺の相棒にお前以上のやつがいると思うか? 思わないだろ?」
「そうだねホーン君! 僕たちのコンビネーションを見せつけようよホーンくうぅぅん!」
「おう! ガッテンよ!」
打ち合わせがあったかと思えるテンポの良い掛け合いに、ギャラリーは沸いた。だが、そんな歓声を打ち消すような気の抜けた高い音が響いた。
アンバー・ウォーリアが自分のバグパイプを吹いていた。下手な音色の後に、よく通る声がした。
「バグパイプ野郎とは酷いな」
「今、吹いていたじゃねーか」
「アンバー・ウォーリアだ。覚え方も簡単だ」
有無を言わさぬような口調だったが、コウジは残念な予感がした。
「アンバーのAはピースが二つ」
Vサインの片指を重ねるように胸の前に三角を含む形を作る。結構無理がある気がする。
その両手を平行になるように場所を変えた。
「ウォーリアのWもピースが二つ」
そして、最後にVサインを作ったまま、腕をクロスして、ピカっと装甲のスリットを光らせた。
「イケメン・ダブルピース!」
観戦含めて辺りは微妙な空気に包まれた。それを打ち破ったのはトルマリン・シェルだった。
「この人、本当にイケメンなの?」
コペン・ミリタントたる自分に聞いてきたようだった。アンバー・ウォーリアも「言ってやれ」と言わんばかりの空気をまとって、こちらを見てきた。が、コウジは落ち着いて考えた。肯定するのも否定するのもリアルの繋がりの示唆となる。それは極力回避すべきことだ。
「残念な人です」
うはははっとフロスト・ホーンが笑った瞬間、アンバー・ウォーリアがポーズを作って言った。
「残念のZもピースが――」
「黙れ」
コウジが一喝した瞬間、微妙な空気の中で沸点が低くなっていたのか、観客がドッと沸いた。