コウジは一人で学校から出ると同時にグローバルネットの接続をオフにした。
チートによる切断離脱が可能なので負ける心配はないが、安易にそれに頼るわけにはいかない。回線切断がチートであることにすぐに気づかれるとは思っていなかったが、恒常的に使えば、見破られるリスクは高まる。特に新宿なんてプレイヤーが多そうな場所で見破られようものなら、加速時の出現場所からリアルがばれる危険性がある。そういうことを考えての設定だった。
駆け足で五分ほどで中野駅に着いた。無論、残念先輩こと澄田正己と待ち合わせている新宿に向かうためだ。昼間であったが中央線はすぐに到着する。時計を見るとそれでも微妙に遅刻する時間であったが、今更悔やんでも仕方ない。気にせずコウジは電車に乗り込んだ。
並行する総武線より早く新宿についた。
仮想デスクトップ上で残念先輩からのメールを開く。待ち合わせ場所はいつも通りの南口。電車を降りたところからは少し遠いが仕方ない。
改札から出るとき、チャリンと硬貨が落ちる小気味よい音がリンカーからする。もちろん、電車賃の自動引き落としだ。そんな改札を出た時点で三分の遅れだった。許容範囲内なので気にしない。
ぐるりと辺りを見渡す。柱にもたれかかって目を閉じている見知った面構えの奴がいた。顔も体格も私服も全部イケメンだ。横を通りかかった女子高校生らしきグループが彼を指さしながら「あの人、かっこ良くない?」なんて会話しながら通り過ぎる。
目を瞑っているのは、こんなパブリックスペースで完全ダイブしているからだ。詩音なら、直接リンカーに触れて強制リンクアウトなのだが、コウジはそこまで野蛮ではない。
「コマンド、ボイスコール、ザンネン」
音声命令を受け取ったリンカーは【登録アドレス〇四番(残念先輩)に音声通話を発信します。いいですか?】とホロダイアログが浮かべた。イエスを叩くと、コール三回目で柱の前のイケメンがぼんやりと目を開け、目覚めたばかりの憂いを感じさせる表情のまま、四回目のコールが終わる前にそいつは出た。
『へい!ゴーシマ!どこどこどこ!』
目の前のそいつは小さく口を動かして、カッコイイ声で表情に一致しない内容を発してくる。
「目の前です」
マサミはゆっくりと顔を持ち上げて、コウジに気づいたようだった。が、あんまり大きな声を出したくないのか、電話は切らずに会話を続けてくる。
『よー! 元気してた?』
「ええ、まあ、適度に」
今、この瞬間、ちょっと疲れと言うか面倒くささを感じる。そんなコウジの気分はガン無視される。
『なら良かった。腹減った。飯行こう』
「そのつもりです」
そう言いながら、音声通話を切ろうとすると、マサミの声がまだ聞こえてきた。
『あ、ちょい待ち。コイコレのセーブするわ』
コイコレって何だと思ったが、何で知ったか忘れたが確かアダルトゲームのタイトルだったはずだ。コウジは断末魔だと思って、通話を切った。
中高生の野郎共が昼飯に、というとファストフードか安い系統のチェーンに入る気がするが、コウジとマサミがサシで食うときはそうでもない。
マサミの家は金持ちだ。高校は私立であることからもわかりやすい。まあ、その私立に進んだ理由も、通学が私服がいいからという理由だったと思う。そこの学校かなり頭がいいのに、その残念な思考でよく入れたな、なんて思わなくもない。勉強の出来不出来とは違うのだろう。そんな金持ちだけあって、リンカーゲームへのつぎ込み具合もすごかった。そりゃ、昼食代もポンと出るのだろう。
で、コウジはコウジでRMTを自動化して月六万ほど稼いでいる。この自動化も、GMが話しかけてきてもきちんと受け答えできるボットが組み込まれており、一度もアカウントデリートを食らったことがないことが密かな自慢の力作である。本気を出せば月数百万ぐらいいきそうな気もするが、そういうお金への執着心があるわけではなく、小遣いを多めに入手する程度にしか使っていなかった。
そんなわけで、金がある野郎二人は徒歩数分のホテル一階のバイキング、土曜のランチ時千五百円に突撃することにした。
陸海空コンプリートセットと称して、トンカツ・フライドチキン・アジフライに申し訳程度の野菜が乗ったプレートのフライドポテトを殺しにかかりながら、マサミが言う。
「しかしな。お前がバーストリンカーとはな。しかも、詩音の《子》かよ」
胸焼けしそうな相手のプレートを見ながら、三枚重ねのステーキ一枚目を切り分けながら、コウジが言い返す。
「詩音先輩はあなたの《子》ですよ」
一切れ目を味わって、コウジは聞いた。
「というか、なんで詩音にあげたんですか」
無論、冷静に考えれば考えるほど、色々な問題ごとを持ち込みかねないブレイン・バーストをだ。
「面白いゲームないか?って聞かれたからだよ」
全部ソースをかけながら、マサミは答えた。フライドチキンにもソースかけるものなのか、とコウジが思っているとマサミは続ける。
「いや、初めは隠そうと思ったんだぜ? だから、特にねーなって言ったら、ほんとに?隠してない?ってめっちゃカワイイんだもん」
怖いの間違いなんじゃないのかと思ったが、それは置いておく。
「それに一瞬言い淀んだら、直結してきて、ちょーだい?だぜ。あげるしかねーじゃん」
「リスクの説明は?」
コウジが睨みつけるようにいうと、マサミは真面目な顔をして言った。
「もちろんしたぜ。俺の《親》もそこはきちんと説明してきたからな」
それを聞いて、コウジはため息をついた。マサミはそれで全てを理解してくれた。
「どんまい」
そう言いながらイケメンはソースで染められた陸海空のどれかを食っていた。
「そんなわけで、話をしたかった理由はわかりますよね?」
「詩音じゃわからんことを聞きに来たってところだろ」
「そうです」
コウジは首肯して、肉切れを口に放り込んだ。
「って、なんか前もあったよな」
確かに何かあったような気がするが、何だったか思い出せない。詩音が挟まるとよくあることなので気にしないことにする。
ソースで塗りたくられた何かを食いながら、イケメンは言った。
「じゃあ、そうだな。インストールの条件から行くか」
「それ、何ですか?」
「詩音すげーな。聞かずに入れたってことか」
マサミはそう言って、箸の手を止めて続けた。
「生まれた時からニューロリンカーを装着していることと、一定以上の大脳応答速度が条件になっている」
「一つ目嘘ですね」
コウジの即答にマサミはポカンとした。
「配布者の嘘です」
「そうなのか?」
「勘ですよ」
そう言ったコウジにマサミは話は続けろと言いたげな表情でソースまみれのトンカツを食っていた。
「コアチップに書き換え不能なデータとして登録されるのは所有者の個人情報と発行年月日です。つけているかどうかまで判定できません。脳の記憶の読み取りは、暗示で揺らぐのでほとんど無意味です。だから、そのチェックは無いですよ」
コウジはブレイン・バーストの開発者に対して抱いている複雑な感情から断定するように言った。
「面白い見方だな」
「条件満たさずに入れたら、どうなるんですか」
「もちろんできず、インストールをする権利を喪失する」
コウジはそれに、ふーん、と鼻で返事をして、聞いた。
「それに失敗したということを聞いたことは」
「俺はない」
マサミは「俺」にアクセントを置いていた。
「本当に無かったら、二つ目も嘘の方が面白いですね。多くの人はニューロリンカーの量子的接続ができ、VRを楽しめることから、実は普通にブレイン・バーストも使える。でも、ブレイン・バースト自体は噂によってコピーをコントロールされている、という方が面白いと思いませんか」
マサミは小さく笑い声を漏らした。
「お前の考えることが面白いんだよ」
「ま、そのぐらいにブレイン・バーストの開発者の言うことは信用していませんよ」
そう言いながら、三枚重ねだった肉の最後の一切れを食べ終えて、コウジは続けた。
「現実的にはチェックは走っていると思いますけどね。それじゃないかもしれませんけど。これをインストールしたときに、リンカーに入ったファイルは全てチェックしました。BB2039.exeという名前のファイルとcheckという単語が含まれた実行ファイルが容量0で入っていました。前者は例えば人数を増やすためのコピー無制限時代のものだったとか、後者はその名の通りのチェッカーだとか、そんな気がしますね。削除された理由はもはや推し量るしかないですけど」
「なるほどね」
ほどほどに興味を持ったような顔でマサミが答えた。
「仮にマサミ先輩の言ったチェックが正しいとします。すると、ブレイン・バーストのプレイヤーはリンカーを軸に非常に均質的な集団となります」
コウジもさすがに本人の前で残念とは呼ばない。呼んでいることは知られているが。
「そんな異様な子供の国を作ってどうするのか、っていうのは読み解きたいと思いますね」
「お前は子供って感じじゃないけどな」
マサミが茶化すが無視されるとわかって言っている感じなので置いておく。
「しかも、招待を現状一人に絞っているので、新規プレイヤーは既存プレイヤーの仲間かカモであるという構造です。ここでは、仲間のみが生き残っていくため、非常に純化した組織となっていきます」
そう言ったところで、マサミは飽きたようにポテトで皿のソースを集めていた。
コウジは「すいません、それは後で一人で考えます」と謝った。それに対して、マサミは気にしていないと言わんばかりに笑顔を向けてきた。イケメンだから許されるのが悔しい。
「ただ、僕は案外、年齢チェックは本気で嘘だと思っているんですけどね」
「その心は」
「開発者が実験に困るじゃないですか。そうじゃなかったら、開発者は僕らに近い年齢ですよ」
マサミも皿を綺麗にし終えて言った。
「いるかもよ? ロリ美少女スーパーハッカー」
「ハッカーはいてもスーパーじゃないですよ。僕がチートで挑めていますから」
マサミは「自信家だな」と笑いながら言って、席を立った。コウジも同時に立ち上がった。無論、バイキングなので更に飯を取るためだ。
レタス・ニンジン・タマネギの三色サラダを皿一杯に取ったコウジは食べながら聞いた。
「あと、ゲームオーバーの扱いを聞かないといけませんね」
「ゲームオーバーって、ポイント全損のことか?」
ハンバーグ・ミートボール・ソーセージと肉しか取っていないマサミは笑いながら聞いてきた。
コウジが「ええ、詩音先輩がそう言っていました」と言うと、マサミは声を出して笑った。コウジは何となく理由がわかって、釣られて笑うとマサミが言った。
「加速の力を失う。だから、全損と恐れられているのに、詩音にかかったらゲームオーバーって気楽なものになるなんてな」
そう言って、マサミは肉を頬張って、言葉を続けた。
「全損ってぐらいだから、ポイントがゼロになることだ。すると、ブレイン・バーストは自動でアンインストールされる。さらに記憶を失う。で、二度とインストールできない。固有脳波で識別されるから不可能だ」
「これが俺が知っている内容だ」とまた「俺」にアクセントを置いて、マサミは結んだ。
「嘘ですね」
「またかよ」
マサミはおかしそうに言った。
「シミュレーションしたらわかりますよ。まず、ブレイン・バーストを持っているAさんがいて、退場したとします。そのあと、Aさんはリンカーのコアチップを壊し、再発行を受けます。これでインストール可能かの判定は固有脳波のチェックとなりますね」
不思議とマサミは真面目な表情で聞いていた。
「ああ」
「さて、次にBさんがいるんですが、BさんはAさんより早くブレイン・バーストを入手し、それ以来、一度もグローバルネットに接続していません。ここまでいいですか?」
「うん」
「つまり、Bさんのブレイン・バーストにはAさんがプレイヤーであるという情報は一切入っていません。このBさんにAさんが直結したら、ブレイン・バーストは貰えると思いますか?」
マサミは少し黙って、一つずつ検証しているようだった。そして、口を開いた。
「固有脳波のチェックなら、チェックすべき情報を持っていないから、できそうだな……」
少し茫然としたような言い方だった。
「だから、再インストールのチェックに固有脳波等の個人情報は使っていません」
「すると、全損した後にインストールできるってことか?」
「そうとは限りません。チェックの仕組みが異なれば可能です。と言っても、コアチップ破壊を考えると脳の方に書き込むしかないです。つまり、ブレイン・バーストで全損したって記憶を持たせるわけです」
コウジのその意見にマサミは即座に反論してきた。
「でも、脳の記憶はアテにならないだろ?」
「アテできる場合はありますよ。その人が強固な精神の持ち主の場合とかそうです」
「そうとは限らないだろ」
マサミは憮然とした口調で言ってきた。
「だから、ブレイン・バーストはアンインストール時に新しい人格を植えつける、っていうのが今思いついた仮説です」
その言葉を聞いた瞬間、マサミは嫌な表情を浮かべたのにコウジは気づいたが続けた。
「全記憶を消去して新しい人格を載せる。記憶を残した上で催眠状態にして人格を動かす。今までの人格は加速空間で囚われにして、新しい人格が現実で過ごす、というのもあるかもしれません。アンインストール後の人格はブレイン・バーストが現在の人格から生成する形で創ります」
コウジはそこまで言って、サラダの中から出てきたミニトマトを食べてから、結論を言った。
「いわゆる洗脳です」
目の前には何とも言いがたい表情をしたマサミ先輩がいた。何も言わなさそうだったので、コウジは勝手に続けた。
「僕自身は記憶の消去は脳自体が損傷を受けない限り無いという立場です。学術的に。だから、強力な洗脳下ですが、記憶もしかしたら意識はあるんじゃ」
コウジが最後まで言うことはできなかった。
「じゃあ、全損した彼女は帰ってくるのか!」
大きな声を出したせいか、周りのオバサマ方の注目を集めてしまう。中高生が来る所ではないよな、とようやく思ったりするが、それよりも重要なことがあった。
静かにとジェスチャーしてから、コウジは言った。
「あくまで、僕の推測です。さっきから全部」
そう言った時、マサミ先輩の表情はいつになく寂しそうなものになった。
「僕は全部疑った上で納得したいんです。だから、色々教えて下さい」
「ああ」
そう答えたマサミ先輩の表情は何か心を決めたようだった。