闇。
黒色の闇。空間を墨で塗りつぶしたような純粋すぎる闇が其処を満たしていた。
否、その空間そのものが闇であった。
その者の名は、眠り続ける者。億千万の闇。ロソ・ノアレ。アンリ・マンユ。世界が誕生する前からこの世に存在する最古最強の神。暗黒神。
彼、あるいは彼女は純粋に光を遮った時に生じる影であり、概念的な要素も含めたあらゆる意味での闇そのものである。
“闇”は眠り続ける。世界の底の底にある澱の底で夢を見る。
まるで恋する乙女のようにお気に入りの“彼”を夢に見る。
“う、ふふ。うふふふふふふふ……!!”
少女が居た。
見た目だけならば中学生にも満たぬほど幼い少女が居た。
この世ではない、隔離世の底に居た。
だが、その身に纏う仕草、風情は余りに妖艶。
漆黒のゴシックロリータが余りに倒錯的な、くらくらする様な色気を醸し出していた。
脳髄を直接蝕むような、甘ったるい、ねぶるような声。
愉悦の感情がそのまま音になったかのような笑い声が少女の口から洩れていた。
闇理ノアレ。
暗黒神の端末である彼女の視線の先には川村英雄が、本体と彼女のお気に入りの人間が居た。
“ああっ、閣下。やっぱりあなたは最高ですわ”
ノアレは芝居がかったような口調で、興奮に頬を染め、はしたなく悶える。
闇の精霊にふさわしい背徳的で退廃的な様を惜しげなく晒している。
ロソ・ノアレは端末の瞳を通してヒデオの姿を捉えている。
どうやら、今日はとびきりに愉快な夢が見られそうだ。
例によって、ちゃぶ台の上にはビール缶が散乱している。
気が付いたらエルシアを押し倒していた。
たたまずに放置していたせんべい布団の上に横たわる、安い布団には余りに不釣り合いなほど高貴な少女。
常に怜悧な輝きを宿す瞳が微かに見開かれている。
その表情にわずかな緊張と恐怖を見つけ、思わず唾を飲み込む。
(……たまらない)
頭が重い。
思考には微かにモヤがかかったような鈍さがある。
いつもならば抑えられるであろう快楽への欲望が止められない。
目の前に居る高貴な少女を、野卑で下賤な欲望で汚してやりたい。
その様を想像するだけで心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。
そういえば、いつだったかこの少女は自分の下僕になると言っていたことを思い出す。
都合のいい事実に思い至り、いよいよ理性が音を立てて千切れた。
「んむぅっ……!」
むさぼるような口づけ。
冷めた彼女にふさわしく、エルシアの唇はひんやりとしていて微かに甘い香りがした。
その唇に自分の熱を押し付けるようにねぶる。
目を見開き体を強張らせるエルシア。
しかし、積極的に抵抗はしない。むしろおそる、おそると言った感じで自分をむさぼる男の背中に腕を廻した。
自分の背に廻された腕の感覚に脳の奥がチカチカと熱くなる。
エルシアの口をこじ開け、舌を滑り込ませる。縮こまった可愛らしい舌を捕らえ、自分の舌を絡ませる。
まるで2人の口唇が溶けて混じったかのように濃厚な口づけを交わす。
自分の唾液をエルシアの口内に送り込むと、彼女は何の躊躇いもなく飲み込んでいく。
全ての唾液を飲み込んだ後、まだ足りないとでもいうかのように、もっと唾液を強請るように、舌が自分の口内に伸びてくる。
「ぅあっ……!!」
「っはぁ、はぁ、はぁ……!!」
息継ぎをするために口を離す。
唾液が糸を引いてプツン、と切れる。
息を荒げ、頬を染めたエルシアを見下ろす。
自分と彼女の涎にまみれた口元が目に入った瞬間、眩暈のするような興奮と達成感が全身を駆け巡った。
じ、と自分を見上げるエルシアを視線が絡まる。
思考を覆うモヤはだいぶ晴れたが、もう抑えが効きそうにない。
「……エ、ルシア」
無意識に彼女の名前が口から零れた。
名前を呼ばれたエルシアは微かに何かを考えるような顔をして、やがて思い至ったような表情になっておもむろに口を開いた。
「旦那様。下僕であるわたくしめにお情けをくださいませ」
「…………っ!!!!」
暗黒神の力で暗転
意識が覚醒し始める。
何か凄く良い夢を見ていた気がする。
掛け布団が肌蹴ているようなので、目を閉じたまま手を伸ばす。
むにっ。
「んっ……」
間違っても草臥れたせんべい布団ではない極上の絹のような感触が掌に伝わり、甘えるような音が耳朶を震わせる。
意識が急速に覚醒する。
お も い だ し た!!
走馬灯のように昨夜の記憶が脳内を駆け巡る。
おもに、白い裸身とか喘ぎ声とかが寝起きの股間を直撃する。おうふっ。
ん?ということは……やってしまったのかっ!!自分のようなヒキコが、あの、エルシアと……。え?まじで?下僕とか旦那様とかの関係を盾にして!?
やばい。死んだ。これは、詰んだ。脳裏にエルシアの姿が浮かぶ。
(そう。あんな口約束を本気にして私を犯したの。666ページ)
ちゅどーん、あべし。ざんねん!!ヒデオのぼうけんはここでおわってしまった!!!
だらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらにほほだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだら。
パチリ。
「あっ!」
同じ布団の上で向かい合って寝ている裸身のエルシアとばっちり目があった。
冷めている常と違って、薄青色の瞳に微かな温度が感じられるのは気のせいであろうか?
寝ているヒデオが目覚めるまでじっと見つめていたらしいエルシアはヒデオの起床に気づくと、目覚めのあいさつをした。
「おはようございます、旦那様。昨晩の“熱”はとても素敵でした」
「…………っ」
痴呆のように口を開けて、呆ける。
滅多に表情を変えることのない氷の姫君の顔には屈託のない花が咲いたような笑みが浮かんでいた。
見惚れた、ただただ……見惚れた。
ヒデオは返事を返すのに脳のリソースを割くのすら、もったいないと言わんばかりに、ひたすらエルシアの笑顔に見惚れていた。
ああ、これは別の意味で殺されたかもしれない。
“うふふふふふ。あははははははは。良~いものが撮れちゃったぁ”
うふふ、あはは。ノアレがハンディカム片手に闇の中で笑う。
闇の本質に従い、本体より与えられた使命を全うする。
もっと面白く、愉快にヒデオを振り回そうとする。それこそが契約の対価。
“エリーゼ工業に魔殺商会、美奈子とかアルハザンにもダビングして送らなきゃねぇ”
ぶるっ!!
「旦那様?」
「え。あ、はい。風邪を、引いたのかも知れません」
続いたよ。