ようやく織田信奈の野望の2巻が手に入りました。1巻と較べて、作風がガラリと変わっていて驚きました。面白かったです。
「あぁ~……」
珍しく信長は溜息をつく。
おじゃが池での騒動から、一日を待たずして再び織田一行は移動を開始していた。先刻 云ったように、信奈は湯浴みを済ませると『いつもの』傾ぶいた服装をだらしなく着て、馬上でブラブラと揺られている。
『正徳寺にて、然る人物との対談がある』
これを信長が耳にした時、彼の胸中に不安が募った。
信奈の格好が問題か? 否。これは自身も経験した事なので、信長には信奈がなにを仕出かそうとしているのかは、大体にして想像がつく。
信奈が正徳寺の対談で妻(もしくは婿)を娶るかを決めるからか? これもまた否である。これは先程、勝家が教えてくれたので問題ない。今回の対談で信奈は二国間の同盟の証として、相手国の娘を妹として迎えるという(男の場合は妻となるらしい)。つまり、『帰蝶』は女だという事になる。まあ、例え男だとしても帰蝶ならイイ男に違いない。
では、なにが信長を不安にさせるのか? それは、
「(蝮が『女』だったら……)」
想像したくもなかった。
* * *
『美濃の蝮』こと斎藤道三。この人物こそ、尾張と美濃の国境にある門前町は正徳寺にて信奈と対面する人物である。
元々は僧侶で、油問屋の娘を娶ってからは油売りとなる。その後は、“なんやかんや”で(面倒なので省略)国盗り行い、パンピーながらも百戦錬磨の戦上手を発揮して美濃国主まで成り上がる。下剋上大名の中でもポピュラーな戦国大名と言えるだろう。無論、信長のいた世界での話ではあるが。
さて、先程にもあるように、今回の対談如何で尾張と美濃の同盟が決まる。それは、尾張の未来を決めると云っても過言ではない。
ハッキリと言うと現在の尾張は弱小もいいとこ。東を今川、北と西を斎藤に囲まれているとあっては、一方に戦を嗾(けしか)けたとしても、もう一方が空同然の尾張に攻め込んでくる可能性が高い。かといって、モタモタしていたら諸国は勢力を蓄えて“あっちゅう間に”尾張を攻め滅ぼすだろう。
故に今回の同盟の対談である。
この時代、いくら「攻めてこないでね~」と、口約束したところで、何のアテにもならない。約束を反故にして攻め滅ぼしてしまえば、それで約束なんぞ無かったようなものだ。
だからこそ同盟の証として、相手国の姫なり孫娘なりをこちらの親戚筋に加えてしまえば、さすがの列強の同盟国も手を出しにくくなる。要するに、
『おめぇんとこの娘は、うちで預ってんだから。おめぇ攻めてくんなよ?』
とまあ、この時代の同盟の証なんてものは、脅しを含めた体の良い『人質』に他ならないのだ。しかし、今回の相手は道三ともなれば、対談とはいえオチオチと気を許すことは出来ない。なにせ道三は虎視眈々と美濃を狙い、その毒で前国主を追放せしめた。その名の通り『蝮』に他ならないのだから……。
* * *
「ふぁあ……」
正徳寺の本堂。そこには大欠伸をしながら退屈そうにパラパラと扇子を弄る“男”斉藤道三が居た。道三は軽い着流しで然もダルそうにしている辺り、凡そこの重大な会見に対し明らかにノリ気じゃない様子。
「(同盟やめようかな~。どうせ織田のウツケ姫だろう、ここでヌッ殺しちゃおっか? でも殺すまでもないかな~)」
と、道三は自身の心中を隠そうともせずに面倒臭そうにしている。
この道三の態度、普通の家臣であれば“怒り”なり“呆れ”なりを抱くであろうが、こと信長に至っては、心配が杞憂となり「よかった~」と、ホッと胸をなでおろしていた。
「……私語禁止」
「ん? おお、すまんすまん」
信長の隣に立つ、小柄な少女、「前田 犬千代」がピシャリと釘を刺す。
前田の姓で犬とくれば、この娘は「利家」なのだろう。だが、信長は勝家のときほど別段 驚きもしなかった。というよりも、蝮が男だった方の安心感が驚きを勝っていたのだ。
「信奈どの、遅いのう」
道三がそう呟くと、一瞬 信長と目線が合った。確かに正徳寺に着き、信長と犬千代にこの本堂が丸見えの庭にいるよう、信奈に言い渡されてからというもの既に半刻は経っていた。
「(『俺ん時』は、もちっと早かったがのう。やはり、女子の身支度というのは時間がかかっていかんの~)」
ふぅヤレヤレ、どっこいしょ。と、信長は地面に直接 腰を下ろして、信奈に持っておくようにと言われた草履を取り出す。
―――― その昔、サルに草履持ちをやらせていた時のことである。
冬のある冷えた晩、信長が庭に出ようと草履を履くと、草履が妙に温かい。信長はサルに「てめ~、俺の草履ケツに敷いて寝てやがったな?」と、問い詰めたところ、サルは「お館様の御足が御冷えになるぬよう、懐にて温めておりました!」と言った。この事から信長は「うはっ、なんだこいつ面白ぇな」と、サルに対する評価が上がり始めたのだ。
しかし、サル真似をするだけでは芸が無い。信長は信奈の草履と太めの針、鞣革を懐から取り出し、チクチクと内職を始める。
「なに、してるの?」
「ん~、“魔改造”」
小首を傾げて尋ねる犬千代に、信長は手元を見たまま応える。途中、「おまえも立ったままで疲れたろ?」と、犬千代に干し柿を与えてみたところ、
「……食べる」
表情こそ無表情だが、目をキラキラとさせ。干し柿を小さな口で「ハムハム」と食べるその姿は実に可愛らしく、干し柿以外にも色々な食べ物を餌付けしたくなるような衝動に駆られる。
そんな折であった。
―――― スパン!
「美濃の蝮、待たせたわね!」
襖を開け放ち、突如 本堂に現れた信奈。その姿に道三はお茶を噴き、信長すらも「ほほぅ」と唸らせる。
信奈は艶やかな京友禅を見事に着こなし、下ろされた栗色がかった長髪は、風に靡いてハラハラと煌めきを放つ。縁側に控える家臣団といわず庭に構える兵子たちも釘付けにするその雅な姿は、まさに尾張の姫君にして大名、織田家君主の姿であった。
「わたしが織田上総介信奈よ。幼名は『吉』だけど、あんたに吉と呼ばれたくないわね。美濃の蝮!」
驚愕している道三を余所に、信奈は優雅な足取で本堂に入り席に着く。
『馬子にも衣装』とはよく云うが、ここまで来ると馬子(馬の世話する下働きの人)が、数段飛ばしで本物の王様に成ってしまうようなものである。
「あ、う、うむ。ワシが斎藤道三じゃ……」
この事態にもっとも焦りを見せる道三。これぞ、ギャップ効果の成せる技とでも云うべきか、普段の信奈の「うつけ姫」や「傾者」と称される悪評、風体とは真逆の完璧な礼儀作法と正装は、道三の先程までの余裕を打ち消していた。
「デアルカ。早速、本題に入るけど……、蝮! 今のわたしには力が必要なの。このわたしに妹をくれるわね?」
それを聞いた途端、ピクリ! と、蝮の体が強張る。信奈の正装での登場から、着流しでこの場にいるのを恥入て様子とは一変。照れ隠しで顔を隠していた扇子が降ろされ、その双眸がヌルリと信奈を射抜く。
「(お、持ち直したか)」
「いや、いやいや……、“尾張のうつけ姫”よ。ワシはそなたが同盟に値する者か確かめねばならん」
「ふん! 何を確かめるというの?」
腹芸の幕の往く先を庭の兵子も固唾を飲んで見守る中、唯一信長だけは「彼奴なら上手くやるだろう」と、ひとり内職に熱中していた。
「まず、そなたの力量、いくつか疑問に思うところがあるのでな。『尾張一国まとめられぬ、うつけ姫』という評判を聞いておるのでのう」
蝮のいう通り、尾張の国土面積は小さい。そりゃあ、もうビックリするほどに小さいのだ。どれ位、小さいかというと『下から数えた方が断然早い』ぐらいに。その小っちぇ国ひとつ纏められない国主となれば、蝮の云うことも尤もな話である。
「あんた程の器なら、わたしの実力のほどは一目見れば判る筈よ」
「ワシはな、武将を見た目だけでは判断せぬのよ。ワシ自身、今でこそ禿げた爺だが、若い頃は美少年じゃった……。己の容貌を利用し主筋に取り入ったが、その頃からワシの心の内は毒蝮そのものよ」
信奈の煽りにも揺るがず、道三は淡々と語る。
「あら、そうなの? 今の狒狒ジジイとは想像もつかないわね。うちの狒狒といい勝負よ」
「歳を取るとな、内面が外面にまで滲み出てくるものよな」
じゃがな、と、そこで一旦流れを区切る道三。
新たに淹れた茶を一杯飲み干して、ツイと庭を眺めてから口を開いた。
「じゃがな、お主の云う通り、歳を取ると一目でその者が“どの程度の人物か”、成程 判別がつくようになる。さっきも言ったように、ワシはそんなものはアテにはせん。じゃが、外れるということも滅多に無いわい……。年の功と云うべきかの?」
そして、道三の次の一言で、この対談は信じられないような展開を迎えることとなる。
「―――― 例えば、そこの庭におる『隻眼の男』……。あの者の力量、下手をすればうつけ姫よ、そなたを喰ろうてしまうやもしれんぞ?」
「なんですって?!」
「調度良い! そこの者、ちとこちらに参られよ!」
「ちょ、ちょっと、待ちなさい蝮!」
今度は信奈が焦る番となった。
侍大将にすらなっていないものを、同盟の対談の場に加えるという異例の事態。そして、信奈が評価を高めつつあるとはいえ、狒狒はほやほやの新参者である。そんな者がよもや自分の力量を凌いでいるかもしれないという発言は、信奈に二重の焦りを与え狼狽させる。
煽ったのは信奈の方である。ここで狒狒をこの場に呼ばなければ、「あんた程の器なら」という前言の意を無に帰す上に、道三の「狒狒より劣る」という発言を認めることになってしまう。
「ん? どうされた信奈殿?」
「……くっ!?」
道三は勝ち誇ったようにニヤついた笑みを浮かばせ、信奈は苦虫を噛み潰す。
ここから話題を変えての軌道修正は不可能。まさに、吐いた言葉は飲み込めない。道三にとって狒狒の力量などは“どうでもいい”に違いなく、要は話の主導権を握るための搦め手。信奈はそれにまんまと掛り、全身を蝮のとぐろで縛り上げられたのだ。
そして、件の中心に置かれてしまった、当の信長はと云うと、
「え? なに、儂、御指名されてる?」
内職の手を止め、状況を全く把握していない様子。
キョトキョトと辺りを見回せば、『そう、あんただよ。さっさと行けよ』と、庭の織田兵、斎藤兵共に信長に目配せを送ってくる。
「……信奈様が呼んでる」
「わ~ったよ。んじゃ犬千代、“これ”を持っておれ」
「……何、これ?」
「魔改造した草履」
尻に着いた土埃を叩き落とし。信長は本堂へと上がると、信奈の真隣に胡坐で腰を落として道三と対面する。
「(久しいのう、義父殿……。それじゃあ、久しぶりの親子の会話と洒落こもうかのう?)」
時代を超え、世界を超えての義父と義息子による異例の対面が、今まさに其の幕が斬って落とされようとしていた ――――。
蝮酒って、あれ美味しいんですかね? 一度呑んでみたいですけど、かなりキツそうなイメージで……。てか、普通の酒屋じゃ売ってないんですよね。