8月末日――の前日。
別名小学生の憂鬱。
一部の小学生は、溜まりに溜まった宿題という名の敵に立ち向かい、阿鼻叫喚の地獄を体感する。
「あー、終わらねー。何で世の中に宿題なんてもんがあんだよ……」
「学生の仕事は勉強ですからねー」
「いや、子供の仕事は遊ぶことだろー。あと修行」
ここにもその阿鼻叫喚を体験している小学生が一人。
そしてそれに巻き込まれた舎弟系主人公が一人。
闘鬼・東雲三日月と、我らが勇者・日下部太朗である。
「というか俺、何で上の学年の宿題やってんスかね」
「まー気にすんなよ、ひひひ。俺とタローの仲じゃねーか」
気にするッスよ。
まあ、餌に釣られたのはタローなわけだが。
◆◇◆
ネズミの騎士の悪足掻き 6.東雲家にて
◆◇◆
夏休みの最終日も近くなった8月30日。
とはいえ、太朗も花子も、別に何かやることが変わるわけではない。
いつもの様に朝のジョギングをし、その後近所の公園で師匠の講話を拝聴し、勉強したり料理したり手をつないでまったりしたりしていたのだが。
アイスでも買いに行ってくる、と太朗が炎天下をコンビニに向かって出かけたのが不味かったのだろう。
「お~! タローっ、良い所にっ!」
「あれ、三日月さん。どしたんスか」
「手伝ってくれっ!」
「はい?」
え、と疑問に思う暇もなく太朗は三日月に手を引かれていく。
「いやー、ほんと助かったぜー」
「え、ちょっ、何スか? 何なんスか!?」
離ーしーてー、と憐れな少年の叫びが街に響いた。
ちなみに太朗が今日着ているTシャツには、『ゴーヤ』と書かれていた。
◆◇◆
一方、花子はアイスを買いに行った太朗が帰って来るのを待っていた。
「たろくん遅いなー。何処まで買いに行ったんだろ」
その時、うわあああああああーーー!? という聞きなれた声が表から響いてきた。
「……? たろくん?」
声に引かれて部屋の窓から道を見ると、黒っぽいトレーナーを来た男子――多分まだ中学生にはなってないだろう――に引きずられていく太朗が見えた。
おそらく、引きずって行っている上級生は、太朗の話に時々出てくる『東雲三日月』という男の子なのだろう。
「……あれじゃ、多分戻って来れないね」
別に太朗を追いかけても良いのだが、そこまでしなくても危険があるわけでもなかろう。
それに花子とて厄介ごとに巻き込まれるのは御免被りたい。
「ごめんね、たろくん」
南無ー、と合掌して、花子は太朗のことを見て見ぬふりをした。
薄情なのではない、信頼の証なのだ。恐らく。
◆◇◆
というわけで東雲邸。
何度か遊びに来たことはあるが、相変わらずその武家らしい屋敷構えには感嘆の念を覚える。
古武術『古雲流』の道場も併設されており、庭にも池があったりと、やたらと広い屋敷である。
「……はあ、宿題を手伝って欲しい、と」
「そーそー、頼むぜ、タロー」
「……俺以外に助っ人は?」
三日月は首を振る。
「俺の友人に、今この夏の終わりに他人の宿題を手伝える余裕がある奴が居るとでも?」
「何故そこで自信満々に言い切れるのか分んねッスけど、まあ、そうッスよねー」
その返答を予期していたのだろう。
太朗は肩を落としてため息をつく。
「で、まあ別に手伝うのはやぶさかじゃねッスけど、俺に何か得あるんスか?」
「いーじゃねーか、友達だろー?」
「友情には報いるものも必要だと思うッス」
サイコメトリーを介した花子との交信で、太朗の語彙は飛躍的に伸びている。
サイコメトリーへの慣れによって行き交う情報量が増え、お互いにジャンルの違う読書によって培った知識(太朗の場合は転生の際に転写した知識も含む)が行き来して共有されたためだ。
それでも、未だに太朗は花子に、『今の自分』の魂の来歴を明かせないで居る。それも時間の問題だろうが。
それはさて置き、報酬の件である。
ここで済し崩しに三日月に協力すれば、のちのちずっとこき使われる羽目に――は恐らくならない(三日月は気が利く男であるので)とは思うが、まあ予め取り付けておくに越したことはない。
しばし三日月は考える。――が、上手い考えは浮かばないようだ。
「うーん、ちょっと直ぐには思い浮かばねーなー……」
「それなら――」
そこで太朗は助け舟を出す。
実はこの屋敷に来たときに目に入ったものが、えらく太朗の興味を惹いているのだ。
それは恐らく古雲流の門下生からの差し入れと思われるモノ――
「玄関に置いてあった『ゴーヤ』、一つ譲ってくれません?」
「んぁ? 『ゴーヤ』?」
そう、それは『ゴーヤ』――苦瓜であった。
別に太朗が特段ゴーヤが好きだという訳ではない。
ただ、ある意味時間逆行してきた太朗にとっては、微妙に今の時代で手に入りづらい食材でもあったのだ。
そう、ゴーヤと言えば、沖縄!
夏の食材!
この暑いさなかに、ゴーヤチャンプルーでも作って食べれば、どんなに美味しいだろうか!
という訳で、いささか図々しいかなとは思いつつも、お裾分けをねだってみたのだ。
「あー、なんかあのでっかいキュウリみたいなやつか。お袋に訊かなきゃワカンネーが、一本くらいなら良いんじゃねーの? 二十本くらい在ったみてえだしな」
「ヨッシャ!」
「まあ、あんだけあると、腐る前に使い切るのも大変だろーしな。――で、それで何か作んのか? 美味いのか?」
興味津々といった様子で、三日月は訊ねる。
三日月は太朗の料理の腕前をよく知っている。以前山篭りの最中に差し入れを持ってきて貰ったりもした。
ゴーヤは、三日月自身は見たことのない食材であるものの、きっと太朗ならば、上手に料理してのけるだろうと確信していた。
「まあ、先ずはさっさと宿題やりましょうよ」
「そーだな」
……数刻後、二人がかりでやれば、わりと宿題も進展する。
どうにか明日いっぱい同じように作業すれば、全て片付きそうだ。
――太朗が担当したのは、算数や理科の問題であり、反復練習により知識が確固としたものになったので、太朗にとっても無駄ではなかったのは確かである。
とはいえ、頭を使えばエネルギーを使い、即ちお腹が空く。
そんでもって、ちょっと小腹が空いたという三日月の提案もあり、あれよあれよという間に、いつの間にか太朗は、東雲邸の台所に立っていた。
――それに加え、「珍しい食材なら、それを自由研究のテーマにしようぜ」という三日月の思いつきもあった。
そんな訳で、太朗と三日月はは自由研究用の使い捨てカメラと、その他の材料を買いに近くのスーパーへと走った。
「えーと、豚バラ肉と、木綿豆腐、ニラ、モヤシ……卵とニンジンや調味料は、三日月さん家の台所から拝借するとして……」
「手馴れてんなー」
「ええ、まあ。ウチでは大抵俺が飯作ってますから。それよりお金出してもらって良かったんスか?」
「何、気にすんな、手伝ってもらった礼だ。それに、飯とかお菓子奢ってやるより、食材プレゼントした方が、タローも嬉しいだろ? 明日も手伝ってもらうしな、ひひひ」
実際、その通りなので太朗は文句を言わない。
三日月の食いっぷりも良いので、太朗としても作り甲斐があることだし。食べた人の笑顔こそが、料理人への最高の報酬なのだ。
食材を選んで、最後に使い捨てカメラ――幸いこれもスーパーの行楽用品のところにおいてあった――を籠に入れ、会計をする。金額的には予算内に収まった。
ところ戻って、東雲邸。
スーパーから帰ってきた二人は、台所に立つ。
実際の調理は太朗がメインで担当し、三日月はアシスタントと写真撮影に徹するということになっている。
「自由研究としての体裁を整えるためには、あとでゴーヤの説明文でも何かで調べて写さなきゃいけねッスね」
「それなら確か、兄貴の部屋に植物図鑑があったはずだぜ」
「んじゃ、あとでそれ見せてもらいましょー」
食材や調理器具、調味料を並べて、三日月が写真を撮る。
「先ずは下ごしらえッス。豚肉を切って、それに塩を少々かけて、揉み込みます」
「ほうほう」
「んで、二三十分放置して熟成させます」
「……腐らねーの?」
確かに夏場は食中毒が怖い。
「ちゃんと手は洗いましたし、あとで火を通すからOKッス。あと味を染み込ませたほうが美味いッス」
「ふーん。まあ、任せるぜ」
太朗は豚肉を一旦ボウルに放置し、次の準備に取り掛かる。
「木綿豆腐は、重石を載せて水を抜いておきます」
キッチンペーパーに豆腐を包み、上から重石を載せる。
こっちも二三十分時間がかかる。
重石を載せる以外にも、電子レンジでチンするなどという方法もある。
「そのうちに、ゴーヤの方も下ごしらえしましょー。三日月さん、写真撮ったら手伝って下さい」
「お、漸く俺の出番か」
ゴーヤを真ん中から縦に二つにし、中の白いワタの部分をスプーンで掻き出す。
「この白いとこが苦いんで、取っちゃいましょう」
「OKOK。こうか?」
「そんな感じっす」
それが終われば、次にゴーヤを4ミリ幅くらいに輪切りにし、しっかりと塩を揉み込んで、やはり二三十分置いておく。
「こうすると、大分苦味が抑えられるんスよ」
「ほー。と言うかゴーヤって苦いのか」
「ニガウリって言うくらいッスからね。んじゃ、他の材料も切っておきましょうか。二十分くらいしたら、続きをしましょー」
取り敢えず、下拵えが終わるまで、小休止である。
小休止といっても、太朗はレシピを自由研究用に纏めているし、三日月も兄の部屋から植物図鑑を持ってきて、ゴーヤの項目を写したりなどしている。
そして、二十分強の時間の後、再び調理再開である。
「先ずは豚バラ肉の余分な油を落とすために、軽く湯通しします。三日月さん、お願いします」
「おう、了解。タローは何すんの?」
「今のうちにゴーヤを洗って絞って水切りしときます。その後、ゴーヤにも軽く湯通ししましょう」
さっと若干色が変わる程度に豚バラ肉を湯にくぐらせる。
それを1センチ幅くらいに切る。
ゴーヤも湯通しする。面倒なので、豚バラをくぐらせた湯をそのまま使っている。
「じゃあ、いよいよ炒めます」
「おお、もうすぐ出来上がりだな!」
「はい。あ、三日月さんは、卵を溶いておいてもらっていいッスか?」
豚肉を炒め始めると、そのいい匂いが台所に充満する。
そこに太朗はチューブのおろしニンニクを投入。食欲をそそる香ばしい香りだ。
「おおー、良い匂いだな! 涎が出ちまうぜ」
「もう少しッスよー」
「にしてもなんか、お袋みてーだな、タロー」
「ははは、そうッスか?」
実はこっそり庖丁や調理器具からサイコメトリーして、東雲母の調理技術やら、台所での器具の配置やら何やらを読み取っている太朗であった。
最近は調理関係の知識限定で、モノからもサイコメトリー出来るようになったのである。
豚肉の表面が色づき始めたので、太朗は湯通しして水気を切ったゴーヤと、ニンジンを投入する。
豚肉から出た脂がじゅじゅうと音を出す。
火を強めて炒めると、材料がクタッとなってくる。三日月は随時それをカメラに収めている。
「じゃあ次ッス。三日月さん、豆腐を千切って入れてくださいッス」
「お? 手でちぎんのか?」
「そうッス、お願いします」
三日月が重石で水切りされた豆腐を手に持ち、適当な大きさに千切ってフライパンに投入していく。
その横で太朗は、ニラとモヤシを入れていく。
さらに一分ほど炒め、最後に味付けだ。
「最後に入れたのにも火が通って来ましたし、仕上げッス」
塩、胡椒、醤油、酒、胡麻油を少々加え、味を馴染ませるために軽くかき混ぜる。
豆腐を崩しすぎないように気をつける。
「あ~、めっちゃ良い匂いしてきた! タロー、まだか!?」
「もうちょっとッス。溶き卵持ってきて貰えます?」
「お、なるほど最後に入れて半熟にすんだな?」
味が馴染んだ具材に溶き卵を流し込む。
直ぐにはかき混ぜず、蒸気で卵が少し固まるまで30秒ほど待ち、さっと掻き混ぜて半熟にする。
「完成ッス、『ゴーヤチャンプルー』!!」
「おお! うんまそ~! 食器の準備はできてるぜ」
「ウッス、すぐについじゃうッスね」
器に盛りつけた後に鰹節をまぶせば完成である。
その時であった、玄関の引き戸がガラリと開く音がし、若い男の声が聞こえてきたのは。
「ただいまよっと――おー、なんかめっちゃいい匂いすんな、夕食にはまだ早いってのに――」
「お、兄貴帰ってきたのか」
「へえ、お兄さんッスか、あのめちゃ強いっていう。『ゴーヤチャンプルー』も、二人で食べるには作り過ぎちゃいましたし、一緒に食べてもらいましょーか」
三日月の兄である天才武術家――風神・東雲半月の帰宅である。
◆◇◆
「いやー、ごっそさん。太朗くんのメシは美味いなあ! 三日月にはもったいない友達だ」
「いえ、お粗末さまッス」
「勿体無いってなんだよ、バカ兄貴」
三人は東雲邸の居間でゴーヤチャンプルーをつついていた。
「半月さんは大学生、でしたっけ?」
「そーよー。まあ今は夏休みだけどね」
「まだあと一ヶ月も休みあるんだろー。大学生って良いよなー。宿題もないみてーだし」
三日月は半月に対して、複雑な感情を抱いている。
その中でも最も大きいものは、『ズルい』という感情ではないだろうか。
漫画を読んでだらだら過ごしてばかりのぐうたらな兄だが、決して辿りつけない強さの高みに居るのだ。
三日月とて無才ではないし、日々彼なりに努力している。
それでも全く敵わない。きっと強くなる木の汁でも吸ってるのだ蝉みたいに、などと三日月は考えている。
実際は、過去に愛玩超人インコマンに憧れていた半月は、かなりの修練を積んでいたのだが、十歳近くも歳の離れた三日月にはそれを知る由はなかった。
料理の後片付けをしたら、それなりに時間が経ってしまった。
そろそろ日も傾いてきている。
取り敢えず残りの宿題は明日やるということにして、太朗は東雲邸を後にする。
ゴーヤもさらに何本か頂いた。
どうやらそれは、実家が沖縄にある門下生の方がお裾分けしてくれたものらしいと、半月が言っていた。
「じゃあまた明日も頼むな、タロー!」
「夜のうちにも宿題進めといてくださいよ? 三日月さん」
「またおいでね、太朗くん」
東雲兄弟に見送られて、太朗は家路を急ぐ。
「いい友達持ったじゃないか、三日月。大切にしろよー?」
「……わぁーってるよっ!」
「ひひひ。宿題もちゃんとやれよー?」
半月に乱暴に返しながら、三日月は自分の部屋にドスドスと歩いて行く。
それをニヤニヤと見送ったあと、半月は顔を太朗が去っていた方に向けるとポリポリと頭を掻く。
「何か、不思議な感じがする子だったなぁ。でも嫌いじゃあないぜ、ああいう『覚悟』の座った男の子は」
もう既に誰かに師事しているようなので古雲流に入門は薦めなかったが、あの子はきっとヒーローになる、と半月は感じていた。
「それに、何故だか知らないが、俺の戦友かつ命の恩人になる気がするぜ。
そう囁くのさ、俺の『直感』が――なんてな。ひひひ」
東雲半月――直感の天才であり、稀代の武道家であり、特撮や漫画にも造詣が深い男である。
◆◇◆
太朗が東雲邸に残したゴーヤチャンプルーのレシピは、ゴーヤと共に東雲家近隣にお裾分けされていくことになるのだが、それは余談である。
=====================
東雲半月登場。しかし弟子入りはせず。もう師匠から色々習ってますしね。
太朗はシアとかダンスの記憶の断片も持ってるんで、神余さんの存在は知ってます。まあ、漫画本編で触れられたことはだいたい知ってると思っていただければ。
剣術家の神余さんは、多分まだ河原には居ないんじゃないかな。あと二三年したら居ると思います。白道さんが学生の頃から剣を習ってたらしいので。
……太朗は、時間的な制約からこれ以上誰かに師事したりはしないと思います。それくらいなら花子と仲を深めるか料理技能を鍛えると思われ。河原に差し入れに行ったり位はするかも?
――実は花子の性格改造にともなって、カマキリの騎士を花子から神余さんにしようかとも思ったのですが、流石にそこまで変えると大変なので断念。
神余さんが騎士になったら、願い事は娘の胸の病の治療なのかなー。
次回は一気に時間を飛ばして『中学生日記』といったところでしょうか。
初投稿 2011.01.03