山に行ったら子鬼に遭った。
『会った』、ではなく、『遭った』。
この場合は、こっちの字で正しいと思う。
「ひゃひゃひゃ、いやータローは料理ウメーなー! 久しぶりに人間の飯食ったぜ!」
「……どんだけ山篭りしてんスか……」
「んー、一(ひ)の二(ふ)の三(み)の四(よ)の……、一週間位か?」
よく生きてるものである。
夏場とはいえ、山の中で小学生が野宿など、正気の沙汰ではない。
――まさか遭難しているなんてことは無いだろうな……?
「遭難はしてねーよ。山篭りだ、山篭り」
「はあ」
「タローも修行しに来たのか?」
「いえ、俺は――」
◆◇◆
ネズミの騎士の悪足掻き 3.山篭りと子鬼
◆◇◆
――そうだ山に行こう。
日下部太朗が秋谷稲近に弟子入りしてから、既に二ヶ月近くが経過している。
季節は春から夏に変わり、小学生が待ちに待った夏休みがやって来たのだ。
とはいえ。
花子は家族と共に旅行に出かけてしまったので、今は若干暇なのだった。
宿題も終わらせてしまっているし。
(そう言えば、一学期の成績表を見せた時の両親の驚きようったら無かったなー)
一体どうしたんだ、頭でも打ったのか、いや夢でも見てるのか、という具合でひどく狼狽していた。
両親は自分たちの息子のことをどう思っていたのだろうか。
夏休みの宿題を早々に終わらせた時も、同じような反応をされた。
(解せぬ……)
釈然としない気持ちを抱えつつも、太朗はその日の予定を考える。
いつもなら花子と予習するか、学校の友だちと遊ぶか、調理師の勉強したり、師匠のところに行って修行するのだが――。
「そうだな、山に行くか」
山とは、将来の戦いで戦場になることが多い、あの山である。
幸い山への道は覚えている。
何度も行ったし、――そこで逝ったし。
「地形を身体に覚えさせておかないとなあ」
割と良く地形が変わる(姫の攻撃で土砂崩れが起こったりする)けど、土地勘を養っておくことは無駄にはならないはずだ。
「ん、じゃあ早速行くかー」
念のため働きに出ている両親に書き置き(『山に行ってきます』)を残して、装備を整えていく。
長袖長ズボンを着て、水筒、塩(日射病対策)、昼食の弁当、倉庫にあった鉈、ライター、タオル、虫除け、方位磁針、予め買っておいた地図などをリュックに詰め込む。
そして最近通販で買ってもらった庖丁セット。
「ふ、ふふふ。念願のマイ庖丁セットを手に入れたぞ! いやあ、勉強を頑張った甲斐があったってもんだな!!」
成績が良くなったので、おねだりしてご褒美に両親から買ってもらったのだ。
割りと良い物である。
毎夜取り出して、大根を桂剥きしたりして扱いの練習をしつつ、その感触にうっとりしてしまう。手入れも入念に行なっている。
「憧れのマイ庖丁と砥石……。いつかは本焼き庖丁を……! いや、次はマイ中華鍋か……? それなら、鉄鍋を片手で扱うためにも筋トレは続けないとな」
山に庖丁セットを持っていく必要があるかどうか不明だが、何となく手放したくないのだ。
新しいおもちゃを与えられて喜ぶ子供のようだ、と言うかまさにその物である。
「しかし、藪漕ぎ用の鉈と庖丁セットを装備した小学生て……バレたら補導もんだよな……」
とはいえ、このくらいしないと、安心できない。
いくら低いとはいえ山を舐めてはいけないし、それだけではなく、『あの山』は太朗にとっては鬼門だ。
「さて、問題は、ちゃんと山に入れるかどうかだよな、精神的に……」
かつての『自分』の死に場所。
トラウマてんこ盛りである。
今から心臓の鼓動が早くなるし、血の気が失せて、膝が震えてくる。
だがそうしてばかりも居られない。
「いよっし! 行くかっ!」
パァン、と両頬を張って、気合を入れる。
花子が帰ってくる前に、このトラウマは克服しておかないと、余計な心配を掛けることになってしまうだろう。
情けないところは見せられない。
「いってきまーす!」
誰も居ない家に向かって、自分を鼓舞するために大声で挨拶して、太朗は山に向かう。
太陽は未だ東にある時間であった。
大した山ではないので、夕飯までには帰って来られるだろう。
◆◇◆
はー、はー、と疲労によるものではない息を荒く吐きながら、太朗は山を登る。
「ぐう、やっぱり、きついな……、精神的に」
心のなかから沸き上がってくる忌避感に抗って、太朗は歩みを進める。
「そこの樹の根元で休むか……」
冷や汗を拭き拭き、よろよろと近くの樹の根元に座り込む。
太陽は中天。
良い感じに喉も渇き、お腹が空いている。
「昼ごはんにするか……」
水筒から注いだ水で喉を潤しつつ、背負ったリュックから弁当を取り出す。
その中身は、急ぎだったので昨日の冷めた夕飯を適当に突っ込んだものである。
勿論、太朗作である。共働きの両親の夕飯は、毎日太朗が用意しているのだ。庖丁セットのプレゼントも、そんな日頃の頑張りへの、両親からのご褒美という側面が大きかったりする。
「じゅるり……」
「ひっ!?」
「オイテケー……――」
「ひぃいいっ!? スイマセンスイマセンスイマセンーー!?」
突如頭上から聞こえた声に、太朗は恐慌状態に陥る。
なんだかんだで彼の根本的な性質(小心者)は治っていないのだ。
元から限界だった精神は、いよいよ限界を迎えようとしていた。
「ひゃひゃひゃ、おいおい、そんなビビんなよ……っと!」
「わぁああっ、お助けー!?」
声の主人が、太朗が背を預けていた樹の枝から、小柄な人間が落ちてくる。
まるで猿のような身軽な動きで、その人影は着地する。
その人影は所々に枝葉が刺さったボサボサの格好をしており、歯をむき出しに凄絶な笑みを浮かべている。
涎も垂れており、まさに山賊と言うか――いや、子鬼、とでも形容するのが正しいような有様であった。
「おい、お前! 美味そうな匂いさせてんじゃねぇか――って、逃げんな、逃げるなら、メシ置いてけよっ」
「うわああああああっ!?」
「待て、逃げんなぁっ!!」
限界突破した太朗は、そのまま逃げ出す。
弁当はしっかり持って。
「おい待てー!!」
「待てって言われて待つ奴が居るかー!?」
「メシ置いてけーっ! メシ置いてけよっ、なあっ!」
――妖怪『メシおいてけ』かっ!?
だが太朗も伊達にここ二ヶ月走りこみをしているわけではない。
正体不明の子鬼を置いて、太朗は走る。恐慌をきたして火事場の馬鹿力も出ているに違いない、もとからこの山にはトラウマがあったのだ、逃げる脚にも力が入る。
子鬼の方の体調が万全ではなかったということもあっただろう。
どさり、と太朗の後ろで、何かが倒れる音がした。
「はっ、はっ、はっ……。はぁ~、追って来てない? 振り切った……?」
太朗は、木陰に隠れて来た道を覗き見る。
……追ってくるものは居ない。
「……。どうしよう、帰ろうかな、でも、あの言葉通り、ただお腹空かせてる人だったりしたら、寝覚め悪いし――」
ごくり、と生唾を飲み込み、緊張しながら太朗は山道を戻る。
……程なくして、途中で倒れている人影を発見した。
見た感じ、『野生児』という印象を受ける。
「めしー……」
「あれ、もしかして……」
さっきは慌てていたので気づかなかったが、その呻いている子鬼には、何となく見覚えがあるような気がする。
知っている姿より大分幼いが――
「……三日月さん?」
「んぁ? どっかで会ったことあったっけ?」
闘鬼・東雲三日月(しののめ みかづき)。
後のカラスの騎士である。
◆◇◆
という訳で弁当を分けて互いに自己紹介して、冒頭に戻る。
「はー、美味かった!」
「お粗末さまッス」
お互いに水筒から注いだ水を回し飲みして、喉を潤し一段落する。
「で、三日月さんは山篭りしてたんですよね? その、お兄さんに――」
「そーそー、兄貴に勝つためになー。修行と言ったら山篭りだろ?」
「あー、そうなんスかね」
「そーだって絶対。じゃなきゃインドか中国に虎と戦いに行ったりとか」
そんで必殺の拳法に開眼したりとか。同撃酔拳とか。
「で、タローは何しに山に来たんだ?」
「……特に目的らしい目的は無いんスよねー。山を知るためとしか」
「山篭りか。そこに山があるからとか言っちゃうのか、アルピニストかっ!」
「ちげーッスよ」
だばだーばーだばだーだばだーだばだーだばだーだぁぁあああ
「というか、三日月さんは、これまで食い物どうしてたんスか?」
「草とか、果物とか」
「え、マジ野生児ッスね。水はどうしてたんすか?」
「朝露かな。あと向こうに池があってなー」
「うぇ、止まり水は、腹に悪いっすよ……。よく死ななかったっすね……。あ、絶対キノコは喰わないでくださいよ!? キノコはたいてい毒持ってますからね!?」
「マジで!? 梅雨の時期に入ってたら絶対食ってたわー」
素人のキノコ狩りは、それだけで死亡フラグです。
「あとは、ウサギとかかねー。結構美味かった」
「ちゃんと火は通しました?」
「ミディアムレアが好きでなー、ひひひ」
「寄生虫! 寄生虫気をつけましょうよ!? 帰ったら保健所行ってくださいよ、絶対!! 検査して、虫下し貰ってきて下さいっ! あと、肉は良く焼いてっ!」
保健所では安価で寄生虫その他の伝染病の検査を行なっています。赤痢などにも気をつけましょう。
「で、なんで俺の名前知ってたんだっけ?」
「え……。……、そりゃもう、三日月さんのことはうちの小学校でもゆーめーですからっ」
「おりょ、そうなの? 俺も捨てたもんじゃねーなー」
多分有名なはず。
「それにしてもタローの飯ウメーなー。今からちょっと池で魚獲ってこようかと思うんだが、そしたら焼いてくんね?」
「良いッスけど、獲るってどうやってッスか?」
「ん、ちょいと尖らせた樹の枝を投げてなー。あ、鉈貸してくれ、鉈。枝削って銛作るから」
「マジで野生児ッスね。別に良いッスけど、夕飯までには帰んなきゃならんので、それまでに獲ってきてくださいよ?」
「OKOK、直ぐ獲ってくるから」
「じゃ、火の用意しとくッスね」
意気投合し、テンションが上がってきたこともあり、それぞれが作業を始める。
「うんめー!! マジ天才だな、タロー! 塩で焼いただけでこんだけ美味く作れるとはっ……!? 絶妙な火加減!!」
「師匠に教えてもらったおかげッスねー。鯉の捌き方とか、知らなきゃ出来ないッスもん。いやー、庖丁持って来といてよかったッス」
「苦玉がどうとか言って捌いてたよな」
「ああ、腹の中の苦玉ってのを潰さないよーにするんスよ。いや、それにしても、今日は三日月さんに遭えて良かったっす。鯉を捌く機会なんか中々無いッスもん」
師匠も、実際の経験に勝るものはない、と言っていたし。
「んで、三日月さんは、いつまでここで修行するんスか?」
「んー、まー、あと一週間くらいかねー」
「そうッスか」
「あ、太朗ん家はこの近くなんだっけ? したらさー――」
「……飯作って来いってことッスか?」
「お、よく分かったなー。頼むよ、なっ? めっちゃ美味いんだもん」
太朗はしばし思案する。
――花子が帰って来るまで、あと一週間だったか……。なら、良いか。
「……じゃあ、昼飯だけッスよ? 一週間」
「おー、サンキュー!」
いつの間にか、山への忌避感は消えていた。
◆◇◆
いやー、タローは、良い拾い物だー。
やっぱり山篭りしてみるもんだな!
また飯作ってもらお―っと。
家も近いみたいだしさー。ひひひ。
それに何か、体捌きっつーか、歩き方も割りとサマになってたし。
なーんか習ってんだろーな、多分?
ひひひ、そっちも楽しみだぜ。
=====================
三日月との邂逅。
タロちゃんはやっぱり師匠から料理を学んでいる。その他にも色々? 順調に強化中。
三日月は多分胃腸が強い。生水飲んでも平気。
こうして東雲家の道場専属料理人への道が開ける、かも……?
次は、東雲半月登場か、季節外れの水着回か、修行風景かな?
『惑星のさみだれ』は、物語としての完成度が高すぎて、改変できるイベントがねーのです。
でも、太朗ちゃんには生き残って欲しい。あの、愛される少年には。
『願い事』というチートがあるので、それが正しい方向に発揮されれば、意外といける、はず?
――ではみなさん、良いお年をー。
初投稿 2011.12.31