漆黒の闇に浮かぶ、蒼い宝石が見える。
――地球だ。母なる惑星。
――なくなればいいのに。
靄がかかったように上手く働かない頭で、茜太陽は考える。
(いつもの――ビスケットハンマーの上、か。いつの間に眠ったんだろう)
騎士になってすぐに、太陽は、敵の親玉である魔法使いアニムスと、意識だけの夢の世界で対面した。
アニムスは、意識だけは既にビスケットハンマー上にやってきているらしく、戯れに『最も絶望が深い騎士』という条件付けで、騎士の意識をハンマー上に招待したらしい。
その招待条件に合致したのが、フクロウの騎士――茜太陽だった。
アニムスに会ったのは、はフクロウの従者・ロキ=ヘリオスが、学校の屋上で太陽と語らい、
『強い方に付こう。わしゃ勝てん戦いには飽いた』
『え、でも、地球を壊すんだろ? アニムスは』
『別に構わんじゃろ?』
『――……ああ、全部なくなればいい』
というやり取りがあった、その日の夜の夢の中のことであった。
太陽が指輪の騎士になった直後の四月時点で、太陽はアニムスと接触し、彼と同盟を結び臣下に下り、『神の騎士』として、時空系の能力の欠片を与えられたのだ。
それが太陽の能力――混沌領域『因果乱流(パンドラ)』。
領域内の時空を掻き混ぜる能力。
これのお陰で、ネズミの騎士・太朗と、そして自分自身が助かったことを、太陽は未だ知らない。
そもそも彼の認識では、『夕暮れに日下部さんに夕飯に招待されたと思ったら、いつの間にか眠っていてビスケットハンマーの上に居る』という状態だ。
しかも何故か意識が朦朧とする。夢の中だというのに。
「やあ、茜くん、スキロポリオンがオイタしたみたいでゴメンネー。まあ、無事でよかったよ」
「スキロ……?」
「ああ、君たち騎士団は『六ツ眼』なんて品のない呼び方をしてるけどね」
「……?」
いつの間にか現れていたアニムスが暢気に太陽に声をかける。
だが自分は泥人形にやられたのだろうか? 太陽は疑問に思う。
意識を失う前の記憶をあさってみても、全く思い当たる節はない。
「いやー、でも無事に治ってよかったよ。茜くんの左腕が千切れ飛んだ時には、やっちゃったーって思ったからね。スキロポリオンがオートで反撃しちゃってね、その流れ弾が当たっちゃったんだよ」
「……何言ってるんだ? 流れ弾? 左腕? ぼくは怪我なんてしてない」
「ああ、覚えてないんだ。なら、まあ、良いかな。取り敢えず、起きたらムシ子ちゃんにお礼言っときなよ」
ムシ、虫、蟲……?
ああ、なるほど。
――おそらくアニムスが言ってムシ子とは、カマキリの騎士の宙野花子のことだろう、と太陽は当たりをつける。
「結構やるよねー、ムシ子ちゃん。……ん? なんだい、茜くん?」
「え?」
ギュッと。
いつの間にか。
太陽はふらふらとアニムスに近づき、彼の着ている寝間着の裾を握っていた。
無意識の内に(・・・・・・)だ。
「……? あれ?」
「ふふふ、変なの。スキロポリオンにやられた後遺症かな? それともムシ子ちゃんの方の――」
アニムスの言葉は、最後まで続かなかった。
何故なら。
何故ならば。
「……おっ?」
「――え? なん、だ、これ」
太陽の胸から生えた、ハリガネ(・・・・)のような掌握領域が。
アニムスの眼を。
――抉ったからだ。
「――わお。……あ~、びっくりした」
「なっ、なんだこれ!?」
「……ムシ子ちゃんの置土産? 物騒な子だなー。眼を抉られちゃったよ」
アニムスは即座に、抉られて脳にまで至るような傷を復元。
所詮ここは意識のみの世界。
傷なんて在って無いようなものだ。
――領域収奪『ハリガネムシ』。
アニムスの頭を抉ったのは、地雷のように太陽の認識に潜んで巣食っていた、花子と太朗の合体能力。
太朗のサイコメトリーを花子が火事場のバカ力で凝縮し、攻性に魔改造したイレギュラーな力。
認識を犯す寄生虫の如き掌握領域。
大事なひとを救いたいという貴い願いの結晶。
大事なひとを殺されかけたという怨み辛みを晴らすために潜伏していた、復讐の刃。
「全く、今回の戦い(ゲーム)は、本当に飽きないね。土に顕現する前に一撃食らったのは、初めてだよ。
やっぱり騎士を最初に狙ったほうがいいのかな? うん、きっとそうだ。
じゃあ、次(・)のゲームからも、今回のゲームみたいに、先ずは、騎士から狙おうかなー、っと」
アニムスは腕を一振りする。
「うわっ!?」
「うざいからさっさと消えなよ、寄生虫」
紙鉄砲のような乾いた音を立てて、『ハリガネムシ』が霧散した。
そして『ハリガネムシ』が抉り取って咀嚼するように内部に保持していた、アニムスの破片が解放されて落下する。
「……うーん、これはひょっとすると、ぼくの知識が幾つか『喰われた』かも知れないなあ」
「……」
零れ落ちた自身の破片を弄びながら、アニムスが独りごちる。
先ほどの『ハリガネムシ』は、サイコメトリー能力の塊。
アニムスの破片に対してサイコメトリーを発動させ、未来人の知識を幾つか掠め盗っていったかも知れない、とアニムスは考えた。
「まあ良いか。大した情報は盗られてないだろうし」
「……」
「そもそもどうしてムシ子ちゃんは、茜くんの能力を識ってたんだろう?
それに夢の世界でぼくと茜くんが会うのが分かっていたみたいに、さっきの寄生虫(みたいな能力)を仕込んでたようだし……」
アニムスは暫く考えるが、『恐らく彼らの師匠であるカジキマグロの騎士の未来視か何かで知ったのだろう』と予想をつける。
流石に並行世界からの逆行者が齎した知識だとは、思いも寄らないらしい。
もしアニムスが先ほどの『ハリガネムシ』を逆探知して、そこから花子と太朗の知識を得ていれば、また違ったのだろう。
しかしアニムスはその傲慢故に、逆探知からのハッキングをすることもなく『ハリガネムシ』を一瞬で霧散させてしまった。
今はまだ、アニムスはイレギュラーたる逆行者の存在には気が付かない。
「――まあ良いか。……ん? 茜くん、どうしたんだい、顔が真っ青だよ?」
「……」
「……?」
アニムスが太陽を気遣う。
先程自分の胸からずるりと得体の知れない領域が這い出てきたせいだろうか。
太陽の顔は蒼白で、身体も瘧(おこり)のように震えている。
「……――た」
「うん?」
「……死にかけてたぞ! どういうことだよ、アニムス! 左腕吹き飛んで、ふき、とん で……」
太陽は右手で確かめるように自分の左腕をぺたぺたと触る。よかった、ちゃんと付いてる。
いきなり激昂した太陽に対して、アニムスは思案気にする。
が、やがて心当たりに行き着いたのか、ぽんと手の平を叩く。
「ああ、さっきのムシ子ちゃんの掌握領域で、スキロポリオンの流れ弾にあたった時の様子が頭の中に流れ込んだんだね。
ムシ子ちゃんも爪が甘いというか、脇が甘いというか、杜撰というか、目的以外は見えてないというか……」
「な、何でだよ、ぼくはアニムスの騎士だろ、なんで攻撃するんだよ!」
「だーかーらー、さっき謝ったじゃないか。あれは誤射みたいなもんだし、ぼくもまだ顕現できてないから、スキロポリオンを細かく制御するのも出来なかったんだよ」
太陽は、勝つために、負ける戦をしないために魔法使い側に付いた。
だが、『六ツ眼』に攻撃を受けた。
フレンドリィファイア。
太陽の困惑と怒りは当然だ。
そして太陽は、自分の心の有り様についても、困惑と混乱を覚えていた。
それまで太陽は、死んでもいいと、思っていた。
世界なんて無くなれば良い、と。
こんな世界で生きていても仕方ない、と。
だが、実際に目の当たりにした『死』の実感は、そんな仮初の諦念を完全に洗い流すほどの圧倒的な質量を持っていた。
漠然とした死への希望が、如何に甘っちょろいものであったのか、思い知った。
死は、恐ろしいものだと、体験して実感した。
怖い。
あれは決して慈悲ある救いではないのだ、無慈悲な終わりなのだ。
痛みの灼熱によって脳髄が焼けるあの一瞬の感触。
体の芯から血が抜け、生命が零れ落ちるあの感触。
背後から暗闇の底なしの泥濘に引きずり込まれて無限に落ちていくようなあの感触。
太陽は自分の左腕を右手で握りしめる。
しかし、そんな太陽の抗議を、アニムスはまるで子供のように口を尖らせて、いなす。
アニムスに太陽の心の内は分からない。
アニムスには死の恐怖が分からない。
アニムスには他人の痛みが分からない。
「茜くんがぼくを裏切らない限りは、ぼくは茜くんの味方だよ。
左腕だって、ネズミくんとムシ子ちゃんが気絶したら、あとで繋ぎ直してあげようと思ってたし」
「……信じ、られるかッ!」
「信じなくても良いけど、茜くんのことをぼくの騎士だって思ってるのは、本当だよ。
――仲良くしよう」
自分の腕がぶっ千切れているイメージを精神に叩きこまれたせいで、いつの間にか、太陽は腰が抜けてへたり込んでいた。
そこにアニムスは怖気だつ笑顔で近づき、しゃがみ込んで太陽に目線を合わせる。
撫でるように、鷲掴みにするように、アニムスは太陽の頭に手をやり、語りかける。
ぎしり、と頭蓋骨の合わせ目がきしんだような気がした。
「――――だから、裏切らないでよね?」
――『一つ前のゲーム』でのフクロウの騎士みたいには。
幾つもの裏切りの夜を越えてきた『絶望の化身』が、そう呟いた。
◆◇◆
ネズミの騎士の悪足掻き 14.VS『六ツ眼』
◆◇◆
太朗たちが狙撃された日の、翌日。
太朗、花子、太陽を除く騎士たちは、『六ツ眼』が居ると思われる山の麓に集合していた。
「これで全員だな」
ウマの騎士・南雲が、確認するように声を出す。
この場にいるのは九人の騎士と、姫であるさみだれの合計十人。
この場に居ない太朗ら三人は、明け方に目覚めたものの、とてもじゃないが戦闘に参加できるコンディションではなかった。
太朗は高熱(彼の自己申告によると『知恵熱』らしい)を出して身動きできず。
脂汗を額に浮かべて、布団の中で唸っていた。
それはまるで、夢のなかで戦っているようだ、という印象を見舞いに来た人に与えた。
花子は無理なサイキックの使い方をしたせいで、完全に虚脱状態。
重度の貧血でも起こしたかのように、全く立ち上がることもできない有様であった。
……とはいえ、我に返って、昨日の『はちゃめちゃド根性』っぷりを恥ずかしがって突っ伏すくらいには、余裕があるようだ。
そんな花子を「まあ、二人の生命が助かったから、結果オーライ」と見舞い人たちが苦笑して気遣ったが、確実にそれまでの花子のイメージ(真面目なメガネっ娘)は崩壊したことだろう。
太陽は青い顔でしきりに自分の左腕を触っていた。
どうやら傷を負ったことがトラウマになったようである。
――しかし、それだけでもないのかも知れない。
太陽はしきりに空に浮かぶビスケットハンマーへと視線を遣っていた。
「んで、そーちゃんよー、今回はどんな作戦で行くんだ?」
「そうだな――」
三日月が南雲に話しかけると、南雲は顎に手を当てる。
既に戦略は考えていたのだろう、幾らも待たずに直ぐに口を開く。
「基本的には、遮蔽物に隠れつつ接近、相手に見つかったら身体を小さくして停まること無く走り回って、相手に的を絞らせないことだな。
三人一組で、領域を重ね合わせて盾にしつつの行動が基本だ。相手の姿が分かれば、もっと具体的な指示も出せるのだが……」
「ああん? そんな引き腰で倒せんのかよ?」
「……分からん。分かっているのは、今回の泥人形『六ツ眼』が、戦車砲並みの砲撃手段を持っているということだ。慎重にならざるを得ん」
一応、昨日に太朗の『綿津神』で探知した、『六ツ眼』の大まかな姿形は、騎士たちの間で共有されている。
まるで大きな鉄仮面とトカゲを合成したような姿のソレは、内部に何らかの砲撃機構を持っているらしい。
今のところ分かっているのは、戦車砲並みの長距離狙撃のみ。
「狙撃能力の他にも、恐らくはマシンガンのような連射能力、ショットガンのような面制圧能力を有していると思われる」
南雲の予想に、雨宮が確認を入れる。
「銃撃特化ということでしょうか?」
「恐らくは。……それ以外に情報がないからな」
狙撃によって(それを招いたのは太朗のアクティブソナー式索敵海域『綿津神』であったが)被害を受けた二人の騎士の状況を鑑み、南雲は慎重になっていた。
生身で戦車に突貫しようというのだ、慎重になるのは致し方ない。
太朗と太陽が被った被害は、花子が代理行使した『綿津神』を介して、騎士団の全員が知っている。
あの破壊力を思えば、足が竦む。
だが元より、泥人形の攻撃は一撃必殺。
攻撃を受ける訳にはいかないというのは、今までの戦いと何ら変わりない。
……とはいえ、拳と銃弾では、安全圏の定義全く異なってくるので色々洒落にならないのだが。
「まあ、飛び道具相手は慣れてるから、取り敢えずは俺と三日月に任せて貰えます?」
「古雲流に飛び道具は効かん! ひゃっひゃっひゃっ!」
「てめーは古雲流修めてねーだろが、三日月」
まあ、『当たらなければどうということはない!』を実践できる東雲兄弟が遊撃に回るのが妥当だろう。
「あ、じゃあウチも遊撃なー」
さみだれが手をぐるぐる回しながら宣言する。
「一発でカタつけたるわ!」
「……まあ確かに朝日奈の攻撃力なら一撃だろうが……」
「そうゆーこと。皆は時間稼ぎしてくれたら、それでええよ」
さみだれは自信満々でヤル気満々だ。
『三ツ眼』(転落死)も『四ツ眼』(削り殺し)も『五ツ眼』(騎士全員で嬲り殺し)も、自慢の拳で砕けなかったから、ひょっとしたらストレスが溜まっているのだろうか。
「確かに姫さんは最近動きが良くなってきたからなー、心配要らなさそーだ。ゆーくんも頑張ってるし、遊撃メンツに入れていいんじゃない?」
「ほう、風神・半月の目から見てもそれほどか」
半月に訓練を付けてもらうことで、さみだれも雨宮も、着実に地力を上げてきている。半月もそれを評価しており、彼ら二人を遊撃に入れることを南雲に提案する。
特に雨宮は、その空戦機動に磨きをかけている。元から三次元の空間把握能力に図抜けたものがあったのだろう。
姫の機動についていけるのは、騎士団では雨宮だけであり、名実ともに姫の筆頭騎士として認められつつある。
「ならゆーくんはウチのサポートな。機動力的にも、騎士でウチに着いて来れるんはゆーくんぐらいやし」
「御意」
だからと言って全部姫に任せようとはならないのが、獣の騎士団である。彼らは熱い心の集団なのだ。
「そういうわけにはいかねーぜ、姫。なんたってタローたちがやられた訳だからな」
「随伴歩兵の居ない戦車なんて、良い的です! 側面から『最強の矛』をぶつけてやります!」
「それに、姉弟子として日下部さんたちの仇も取りたいです」
カラスの騎士・三日月とニワトリの騎士・昴が気炎を上げ、カメの騎士・雪待もやる気を見せる。
「そかそか、そりゃ頼もしいなぁ」
それを受けてさみだれは鷹揚に笑う。
王者の貫禄。魔王の余裕。
しかし直後に、さみだれは笑みを消して、騎士たちを見回して、言い聞かせる。
「――せやけど、無闇に死ぬのは許さん。我らの敵は、『六ツ眼』のみに非ず、真の敵は『魔法使い』!
『六ツ眼』は所詮通過点にすぎん。――この場におらん騎士の分も、喰らわせたれ!」
『応ッ!!』
◆◇◆
森の中で、騎士団は『六ツ眼』を発見する。
それは体長の半分ほどの仮面を被った巨大なトカゲのような姿であった。
仮面を被せたようなそれは上顎であり、六つの感情のない目玉がぎょろぎょろと動いている。
上顎には大きく蜘蛛の巣のように罅が入っているのが遠目からでも分かる。
「……ヒト型ではないのだな」
「『五ツ眼』も明らかな異形でしたね」
「中盤戦、ということだろうな。あの罅は――宙野が巻き戻した攻撃が命中していたのか。間髪おかずに仕掛けて正解だったな」
南雲と風巻が会話する。
見た限り『六ツ眼』は、ダメージが回復しきっていないようだ。
恐らく、さみだれの一撃が入れば、完全に砕くことができるだろう。
騎士たちは幾つかに別れて『六ツ眼』を包囲している。
秋谷・昴・雪待の師弟グループ。
南雲・風巻・白道の大人組。
雨宮・さみだれの魔王主従。
半月・三日月の武道兄弟。
四方からジリジリと包囲を狭める。
『六ツ眼』は騎士たちに気付いているようだ。
それも当然か。
殺気をばら撒いて騎士たちを呼び寄せたのは泥人形だ。
騎士たちが泥人形の気配を感じ取れるように、ここまで近づけば、泥人形も騎士の気配を感じ取れる。
泥人形が動く。
「ッ!!」
上顎が開き、その喉奥から砲身がせり出す。
「皆、伏せろ! 領域を重ねて盾にしろ!」
南雲が警告を発した瞬間、『六ツ眼』の口から槍のような形の弾丸が連続的に射出される。
『六ツ眼』は脚を地面に固定すること無く、その場で旋回し、全周囲に槍弾をばら撒く。
まるでガトリング砲だ。
放たれた槍弾は、樹の幹程度なら難なく貫通する。
質量と速度が尋常ではない。
「牽制程度で、この威力か……!」
「このままじゃ近づけませんね」
「だが、実体ある弾を吐き出しているんだ。残弾が無限というわけでもないだろう」
質量保存の法則を無視するとは思えない。
……そうと断言できないのが辛いところだ。
何せこれは、超常の能力が飛び交う戦いなのだ。
どんなことが起こっても不思議ではない。
異次元から残弾を補給したりとか。
無限バンダナとか。
だが、そんな妙なカラクリは『六ツ眼』には無いようだ。
自身の体力を削りながら射撃しているのだろうか?
あるいは内部の泥を再構築して槍弾にしているのだろうか。
槍弾を吐き出す度に、『六ツ眼』の表面に罅が広がり、ぼろぼろと崩れていく。
自滅してしまうのでは無いか? そんな考えが包囲する騎士たちの脳裏をよぎる。
均衡状態に陥ったかと思われたが、それを崩すものが居た。
「うぉおおりゃああ! 悪いな兄貴! 一番槍はイタダキだッ!!」
「な、三日月!?」
三日月が木立から飛び出し、幾つにも分裂した領域――掌握結界『封天陣』を踏んで、宙を駆ける。
「危ない!」
『六ツ眼』が空を跳ぶ三日月を撃ち落とそうと砲を向ける。
昴が三日月の窮地に悲鳴を上げる。
「見え見えなんだよッ!」
だが三日月は、領域を足場にして空中でピンボールのように方向転換。
槍弾を全て避ける。
「セッ!」
そして『六ツ眼』にドロップキック。
三日月の両足の形に『六ツ眼』の表皮が凹む。
「うわっ、何か異様に脆いぞ、こいつ」
三日月が蹴りつけた表皮が砕けてパラパラと落ちる。
これまでの泥人形とは明らかに堅牢さが違う。
脆い。
宙返りして着地した三日月の横を、半月が駆け抜ける。
「よくやった、三日月! いくぜ『方天戟』!!」
『六ツ眼』に張り付くようにして、半月が槍状の領域『方天戟』を繰り出す。
狙いは脚だ。
旋回できないようにすれば、どうとでも料理できるだろう。
命中。
『六ツ眼』の右後ろ足が吹き飛び、バランスが崩れる。
さすがは騎士最強の威力を誇るイヌの掌握領域。
その隙を逃さず、遊撃の魔王主従が飛び出す。
「ゆーくん、足場!」
「御意」
掌握領域の展開範囲に近づいた雨宮が、『六ツ眼』の真上に領域を展開する。
さみだれがそれを蹴って足場とし、ライダーキックで彗星のように落下。
『六ツ眼』が苦し紛れに砲塔を向け、列車砲並の巨大な弾を発射するが――。
しかし脚を一本砕かれたために発射姿勢を安定させられず、巨大な弾は全く見当違いの方向に飛ぶ。
「そんなでっかい見え見えの弾、当たらんわっ!!」
さみだれがその勢いのまま迫る。
直後、轟音。
辺りには土煙。
爆心地に居るはずのさみだれも泥人形も確認できない。
泥人形の近くに居た三日月と半月は、余波で吹き飛ばされている。
これで殺っただろうと安堵しかける騎士団。
しかし鋭く響いたさみだれの声はそれを否定する。
「まだや! まだ殺ってへん!」
土煙は未だ晴れない。
……しかし泥人形とただの土の地面を叩いたからといって、これほどの土煙が湧くものだろうか。
まるで山のように積み上げた灰の塊でも吹き飛ばしたようなものであった。
それも、内側から爆発したような――。
「逃げられた! アレは抜け殻やった! 中身スカスカや!」
さみだれの声には焦りが含まれていた。
「反応装甲? いや煙幕……!?」
姫の挙動を眼で追っていた雨宮には、さみだれの攻撃の瞬間が見えていた。
日々の訓練でさみだれの攻撃を捉えられるくらいに鍛えられた動体視力は、その瞬間を捉えた(あるいは魔王を愛する故に見逃さなかったのかもしれない)。
さみだれの攻撃が直撃するより前(・)に、『六ツ眼』の身体が破裂したのを、雨宮は確かに見た。
破裂による反作用でさみだれの攻撃の威力が削がれた。
まるで反応装甲だ。
だが、さみだれの言によると、その時には既に『六ツ眼』の本体は無かったのだという。
ならば反応装甲は本命ではない。
本命は――視界を遮る煙幕。
遠くまで広がった煙幕は、近づいていた騎士たち全員をその有効範囲に収めている。
二メートル先も見えない濃霧のような状況だ。
この状況で奇襲されるのは危険だ。
さみだれが皆に聞こえるように叫ぶ。
「ウチが蹴る前に飛んでった、あのでっかい弾! あっちが本体や!」
◆◇◆
(まずいな)
視界が奪われ、泥人形の位置は不明。
ここぞとばかりに奇襲を仕掛けてくるだろう。
秋谷は耳を澄ませる。
「昴、雪待。よく耳を澄ませるんだ、泥人形でもこの森の中を無音で移動するのは出来ないからね」
「はい、師匠!」
木の枝葉や下生えの草、折り重なった枯葉。
全く音を出さずに移動することは不可能。
しかも泥人形は、煙幕が残っている内に奇襲することを重視するはずだ。
隠密には気を使っていられないはず。
ガサッ、と葉擦れの音。
人の胴体ほどの大きさの何かが、秋谷ら三人目掛けて飛んでくる。
(――速い!)
目にも留まらぬ速さで、ソレが飛んでくる。
秋谷の優れた動体視力は、その姿を捉えた。
それはハリネズミのように全身から棘――槍弾を生やした、太短い蛇のような形。
六つの眼玉が秋谷を睨む。
「『六ツ眼』! また随分姿が変わったものだね、まるで剣鱗のツチノコといった感じだ」
小さくなった『六ツ眼』は、全身をドリルのように回転させて、弾丸のように迫る。
だが秋谷はそれを体術で逸らして打ち落とす。
「今だ!」 「うん!」
「「『最強の矛』!」」
地面に転がった『六ツ眼』に、昴と雪待の合体領域が即座に追撃。
「な、外した!」
「速いし、的が小さい……」
だが『六ツ眼』はツチノコのように身を躍動させて跳ねて避ける。
そして直ぐに煙幕の中に消えてしまう。
「いててて、随分硬かったな」
「師匠!」
「手から血が……」
回転する剣鱗を弾き飛ばした秋谷の腕は、剣鱗によって引き裂かれていた。
コートの袖はボロボロで、腕からは血が滴っている。
秋谷は素早くそれを昴たちの視界から隠す。
(さっきの鱗は……ばらまいていた槍弾を回収して取り込んだのか? 硬いのは、身体の大きさを捨てて密度を追求したというところか)
その上、こちらの攻撃が当たらないくらいに動きが素早い。
単純に巨体であるよりも、よほど厄介だ。
「なに、大したことはないよ。それより、周りに気を配るんだ」
「は、はい」
昴と雪待は、動揺しつつも、周囲を警戒する。
流血に動揺して体が震えているが、それは仕方ないだろう。
彼女らはまだ中学生の女の子なのだ。
――だが、戦士でもある。
超常の戦いに巻き込まれた当事者。
パァンと頬を張る音。
「よし、やるよ、昴ちゃん」
「うん、ユキ。私たちで、師匠を守るんだ!」
「「掌握領域『無敵の盾』!!」」
葉擦れの音がした方に、『無敵の盾』を展開。
巨大な盾状の掌握領域が、木立の間から飛んできた『六ツ眼』の攻撃を受け止めて撥ね返す。
「大っきい時に吐いてた、さっきの弾!?」
「……リサイクルしてるんだ、きっと」
『六ツ眼』は木立の間を駆けまわり、撃ち捨てた弾丸を回収してはまた発射しているのだろう。
「『方天戟』!!」
「『炎状刃(フランベルジュ)』!!」
煙幕に覆われた森の中からは、他の騎士たちが戦う音も聞こえてくる。
どうやら『六ツ眼』は万遍無く騎士を狙っているようだ。
煙幕は薄れてきた。
しかし、木立を自在に飛び回り、牽制に槍弾を飛ばしてくる『六ツ眼』を捉えることは未だできない。
それどころか、いつどこから槍弾が飛んでくるか分からないというプレッシャーで、騎士たちの集中力が削られてきている。
そこで戦況に変化が訪れる。
「『無敵の盾』!」
回転しながら飛んできた剣鱗ツチノコ――『六ツ眼』をはじき飛ばす昴と雪待。
『六ツ眼』は勢い良く空中にはじき飛ばされた。
「ナイスレシーブ」
そして雨宮がそれを掌握領域で宙吊りにする。
「うむ、日々ノイを宙吊りにしていたお陰だな」
「夕日、貴様……」
ジト目で雨宮を睨むノイ。
雨宮はどこ吹く風で飄々としている。
宙吊りにされた『六ツ眼』は、身を捩らせて苦し紛れに槍弾を吐き出しまくる。――が、騎士には当たらない。
それに応じて『六ツ眼』の剣鱗が減っていく。
残弾が無くなるのも時間の問題だろうか。
「ようやく弾切れか……」
剣鱗が無くなったのを確認して、騎士たちが森から出てくる。
宙吊りにされている『六ツ眼』を囲む。
剣鱗が無くなったとはいえ、脱皮した『六ツ眼』の硬さは尋常ではない。
全員で領域を集中させねば砕き切れないだろう。
『六ツ眼』の眼玉に、悔しいという感情が浮かんでいるようにも見える。
「あ」
とその時、雨宮の間の抜けた声がする。
トカゲの尻尾切り。
雨宮に掴まれていた部分を切り離し、『六ツ眼』が落下する。
「まずい、捕まえろ!」
「くっ」
「速っ!」
そして地面に突き刺さっていた槍弾を、ゴキブリのような動きで回収しつつ、跳躍。
「……!」
「来たっ」
向かう先は昴・雪待のコンビ。
この場で最も高い威力の攻撃を持ち、かつ『六ツ眼』の動きに着いてこれない存在。
『無敵の盾』の展開は間に合わない。それ程に『六ツ眼』のスピードは速い。
「させるか! 『方天戟』!!」
半月が横から踏み込み迎撃するが、『六ツ眼』は化勁のように全身を回転させて『方天戟』から逃れる。
じゃりっ、という音と共に、まばらに生えた剣鱗と胴体の一部が削れる。
しかし『六ツ眼』はそのまま、昴と雪待に迫る。
最後の悪足掻き。
一瞬で、『六ツ眼』の胴体に再び剣鱗が生え揃う。
「なっ、予備弾倉!?」
「弾切れはブラフか!」
『六ツ眼』が昴と雪待へと飛ぶ。
その胴体がはち切れんばかりに膨らみ、剣鱗が逆立つ。
それを秋谷は奇妙に加速された世界で読み取った。
まるで走馬燈のようにゆっくりと流れる時間。
(自爆する気か!)
もはや間に合わない。
『六ツ眼』は昴と雪待の眼前に迫っている。
強力な榴弾のように『六ツ眼』は爆発し、昴と雪待を引き裂くだろう。
もはや間に合わない。
尋常の手段(・・・・・)では間に合わない。
(――ならば超常の手段を用いるまで)
子供たちを死なせる訳にはいかない。
弟子を看取るのは、もう沢山だ。
残り少ないサイキックを総動員し、秋谷は跳ぶ
距離を無かったことにし、現実を捻じ曲げる。
空間跳躍(テレポート)。
そして秋谷は、破裂寸前の『六ツ眼』に覆いかぶさるようにして、自分の身でそれを押さえ込んだ。
=====================
まさかの分離式。そして自爆は浪漫。
因果は交わらず、業からは逃れられない。
初投稿 2012.03.04