【日下部太朗】は、いつからか悪夢を見るようになった。
多分、小学校に入学した頃……今から2年前あたりからだろうか。
それは、幸せな悪夢だった。
『自分』が死ぬ。
土色のバケモノに貫かれて、血反吐を吐いて死ぬ。
それは悪夢だ。
だが、惚れた女を守って死ぬ。
宙野花子を、幼なじみを守って死ぬ。
それは幸福だ。
だから、少し前から見るようになった一連の夢は、幸せな悪夢、だった。
【太朗】は、夢の中の『高校生の日下部太朗』が死んだ後も、その物語の続きを見せつけられている。
つまり――
――惑星を砕く物語を。
◆◇◆
ネズミの騎士の悪足掻き 0.二回目の小学生
◆◇◆
唐突であるが、『日下部太朗(クサカベ タロウ)』はリア充であった。
例えば。
窓を隔てた隣には、美人な黒髪眼鏡の幼なじみが居る。
お互いの部屋は、屋根を渡って行き来できる至近距離だし、実際にそうすることも多い。
その上、彼と彼女の性格は相補的であり、つまり、良いコンビだった。
感受性豊かで外交的で楽観的な『日下部太朗(くさかべたろう)』と、その幼なじみである、真面目で理知的な『宙野花子(そらのはなこ)』の二人は、まるでアニムス(男性元型)とアニマ(女性元型)のように、ぴったりと相補的だった。
彼らはまるで姉弟であり、また、まるで兄妹であった。
お互いに憎からず思っている男女が近くにいる。
何も邪魔が入らねば、彼と彼女は思春期の葛藤を乗り越えて、きっと結ばれて、良い恋人になっただろう。
そして良い夫婦になっただろう。
『日下部太朗』は、昔料理人だった『宙野花子』の父親の跡を継いで、料理人になるつもりだった。
きっと、夫婦で仲良く、小さな定食屋でもやって生活していくのだろう。
子供は一人か二人か、三人か。
幸せな未来が待っているはずだった。
予定調和な未来が待っているはずだった。
はずだった。
だが。
だがしかし、運命はそれを許さない。
『日下部太朗』は、死ぬ、
『宙野花子』を守って、死ぬ。
造作もなく、死ぬ。
だが実は、『太朗』が、彼女を守らなくとも、彼女は生き残ることができていた。
つまり、『太朗』は犬死にだ、と一匹の従者は言った。
そして、ともに戦った戦士たちに、心の傷(トラウマ)を遺して、『太朗』は死ぬ。
いや、死んだ。
いやいや、このままでは【日下部太朗】もまた死ぬだろう。
これは惑星を砕く物語。
道半ばに倒れた彼の、二度目の物語。
獣の騎士団の、その一員、
鼠(ネズミ)の騎士の――【日下部太朗】の物語。
何の偶然か、物語を俯瞰した経験を与えられた彼が足掻く、二回目の物語。
――彼は、生き残ることが出来るのか?
――彼は、彼女を守れるのか?
――彼は……幸せに、なれるのか?
今も夢で見せつけられている、この終わりの光景を、踏み越えることが出来るのか。
この悪夢を、現実で繰り返さないことが出来るのか。
夢の中、いつものシーンがリフレインする。
やはりトラウマだからだろうか、他の記憶よりも圧倒的に多い頻度でこのシーンが再生される。
高校の夏服を着た『宙野花子』に、敵の馬上槍(ランス)の一撃が迫る。
『日下部太朗』は衝動的に飛び出し、彼女の盾になろうとする。
そして見事、『太朗』は馬上槍と彼女の間に身を滑り込ませることに成功する。
その結果として、当然ながら、馬上槍は『太朗』を貫く。土手っ腹に大穴、致命傷。
だが、馬上槍はそれだけでは止まらない。『太朗』を貫いた槍は、その勢いのまま、『花子』までも――。
◆◇◆
「うをおおおおおおおぉぉぉぉおおっ!?」
【日下部太朗】は叫んで勢い良く身を起こす。
荒い息のまま周りを見回す。
いつも通りの自分の部屋だ。
……自分の部屋?
かすかな違和感。
まるで夢の続きのような非現実感。明晰夢のような現実感。
いや――何かが致命的に合致したような、重なりあったかのような、不思議な感覚。
ふと、手を見る。
小さい。
小さな手だ。
……小さい?
違和感。
歯車が狂ったような。
電波が混信したような。
異世界と交わったかのような。
悪夢が現実に取って代わったかのような。
そんな、圧倒的な違和感。
即ち――
――『何故、俺は生きている?』【なんでゆめがさめないの?】
夢の中の『日下部太朗』と、小学生の【日下部太朗】が、一つになったのだと、本能で理解するのにそう時間はかからなかった。
◆◇◆
「おはよう、太朗くん」
「おう、おはよう。花子」
カーテンを開けて、いつも通りの屋根越しの挨拶。
そう。
いつも通り。
ずっと続くはずの日常。
だけど、俺の顔は、上手く動いてくれない。
「どうしたの? 何か、プリンだと思ったら茶碗蒸しだったみたいな顔をして?」
「そりゃ、甘いと思ったら出汁の味だったらショックだけどさ……。――そんなにひどい顔をしてた?」
「ええ、それはもう。太朗くんは分かりやすいからー」
そう言って、彼女は笑う。
その笑顔が嬉しくて。
彼女が生きてるのが嬉しくて。
自分が一緒に笑い合えることが嬉しくて。
「た、たろくん? どしたの? どっか痛いの?」
心配して、花子が屋根を渡って太朗の部屋にやってくる。
涙が溢れた。
止まらない。
止まらない。
『日下部太朗』が泣いている。
でも、悪くない。
花子が好きなのは、【日下部太朗】も変わらない。
「……はなこーー!!」
「ちょっ、ちょ、たろくん、急にどしたの!?」
うわーん、と抱きついて泣きじゃくる。
ああ、ちゃんと生きてる。
俺も、花子も、生きてるんだ。
――本当に良かった。
「もう……、たろくんは相変わらず泣き虫だなあ」
眉をハの字にして困ったように自らを撫でてくる花子の、その温かさがたまらなく愛おしくて、太朗は更に泣くのだった。
◆◇◆
さて後日、日下部太朗はニラやキャベツを微塵切りにしながら、考える。
ちなみにここは宙野邸の台所である。
今日は土曜日で、どちらの両親ともに居ないので、太朗がご飯を作っているのである。
太朗は手早く材料を切っていく。今作っているのは、餃子である。
料理の技能や、味覚は、どうやら前世(?)の『日下部太朗』から引き継いでいるらしい。
それに関しては、太朗はとても感謝している。将来設計に大きくプラスである。
「先ず、この世界は、何なのか。そして俺は、誰なのか、ってことだよな」
ひらひらと掌を翳したり、頬をつねったりしてみる。
痛い。
「とりあえず夢じゃない、と。……うん、まあ、分かってたけどさ」
どうやら現実らしい。
さて、そこで気になるのは、今の自分が何なのか、ということである。
「前世の『日下部太朗』と、今世の【日下部太朗】がガッチリ嵌った今の俺は、さしずめニュー太朗ってとこかね」
その割には、何故か頭の中には、前世の『日下部太朗』のもの以外の記憶もある。
ビスケットハンマーを巡る物語の概略や、その他良くわからない知識が一緒に詰まっているのだ。
それは、鼠の騎士『日下部太朗』が知っていた知識もあれば、全く心当たりもない知識もある。
何せ、自分が『戦い』から脱落した後の出来事についての記憶もあるのだ。
これは、とっても不思議である。
「うーん、何だろなー。断片的な記憶が、色々とあるみたいだけど……」
太朗は包丁を止め、切った具材をボウルに入れ、おろしニンニクと塩コショウを適量混ぜて、豚の挽肉と一緒にこねる。
餃子の皮は既に捏ねて寝かせてある。
種の材料をこねつつ、しばし、自分の中に埋没して、色々と『思い出して』みる。
「――何だろ、つーか誰の記憶なんだろ。なんか、光景(シーン)の視点もバラバラで、統一感がないっていうか……。これ、『太朗』の記憶だけじゃないみたいだな」
と、その記憶の断片の中に、太朗は見慣れたものを見つける。
「お、これは……? ……ふむふむ、あー、なるほどなるほど。そういうこと?」
見慣れたもの、とは、即ち『自分の顔』である。
それも、『戦い』の当時の、高校生の『日下部太朗』の顔、だ。
しかし、やけにアップだ。視界の端には、泥人形の姿も見える。
「これ、『ランス』の視点が混ざってるんだな」
『ランス=リュミエール』。
『前』の世界で、『日下部太朗』のパートナーだった、鼠だ。臆病者の自分と一緒に戦ってくれた、相棒。
思えば悪いことをした、と太朗は思う。自分が無茶したせいで、『ランス』を早々に脱落させてしまったのだった。
一つ気づけば、連鎖的に他の記憶の断片の正体も明らかになってくる。
「なるほど、『ランス』以外にも、他の獣の騎士の『従者』の記憶が混ざってんのか――」
それなら、自分の覚えのない記憶があることも納得である。
他の従者の視点や、『日下部太朗』が参加した最後の戦い以前の、つまり、年代としては相当未来に繰り広げられた、惑星が砕かれてしまった物語たちの視点も混在しているようだ。
まあ、何故そんな記憶があるのかなんてのは、相変わらず不明だが。
走馬灯の様に、記憶の断片が巡る。
ネズミの従者『ランス=リュミエール』
カマキリの従者『キル=ゾンネ』
トカゲの従者『ノイ=クレザント』
カラスの従者『ムー』
馬の従者『ダンス=ダーク』
ヘビの従者『シア=ムーン』
猫の従者『クー=リッター』
鶏の従者『リー=ソレイユ』
亀の従者『ロン=ユエ』
フクロウの従者『ロキ=ヘリオス』
犬の従者『ルド=シュバリエ』
カジキマグロの従者『ザン=アマル』
十二匹の、指輪の従者たち。
それにしても何で、と、呟こうとした所で、
「――ぶっ!?」
思わず気が遠くなる。
顔が熱い。
鼻の奥が熱い。ツンとする。危うく餃子の種に自分の血が混ざる所だった。そりゃ何の呪い(まじない)だ。
「――なっ、なんで『花子』のやつ、『キル』と一緒に風呂入ってんだよっ!?」
慟哭。記憶の断片を見るうちに、肌色の場面に行き当たってしまった。
図らずも、カマキリの従者視点で、幼なじみの艶姿を窃視してしまった。
罪悪感。わざとじゃないんだ! と太朗は誰にでも無く虚空に言い訳する。
「たろくん、呼んだー?」
「は、花子っ!? 呼んでない! 何でもない、呼んでないよっ!?」
隣の居間から花子が話しかける。
慌ててごまかすが、顔が真っ赤になって声が上ずるのは止められない。
今後まともに顔見れるであろうか、と不安になる太朗であった。
とか言いつつ、餃子はそのあと二人で美味しくいただきました。
ついでにその日は一緒にお風呂に入りました。小学生だもん、ノーカンノーカン。
=====================
……リア充爆ぜろ。
というわけで、漫画『惑星のさみだれ』(水上悟志)のSSを書きたくなった。
ジャンルとしては、逆行もの? “TAROUちゃんTUEEE”になるかも?
原作は大好きだし結末に不満はないけど、タロちゃんが幸せになる話があってもいいじゃないか、ということで。
……あ、クトゥルフ要素は混入しない予定です、今のところ。ご安心下さい、発狂したりしないですよ? まあ、『逆行』って大概SAN値削るイベントな気がしますけどねー。
ドラマCDのノイの声が渋すぎて惚れる。小冊子は未読。
2011.12.28 初投稿
ところどころ誤字修正中。
あと、ノイとかランスとかを「従者」と表現してるけど、原作では実際は人間とマスコットのペアで騎士の扱いです。どっちも騎士。小説の表現上の都合と思ってくださいませ……
2013.03.02 修正中
2015.01.25 若干修正。