第十八話 打ち込まれた楔
ミューズ市。都市同盟の中で一番の発展を誇り道具屋、武器屋、紋章屋など様々な建物が立ち並ぶその一番奥に市
庁舎はある。一度グリンヒルに戻っていたテレーズはここの一室でアナベルが来るのを待っていた。机を前に椅子に
座り長い金色の髪を下ろしはっきりとした顔立ちで両手を膝の上に置いている姿には深窓の令嬢という言葉がよく似
合う。そのすぐ後ろには一人の男が立っている。名前はシン。蛇使いのような黄色いターバンを頭に巻き大きなピア
スを耳につけている。橙色の服に青い腰布。何より眼を引くのが禍々しい蜘蛛の様な作りをした剣の柄とその背中の
蜘蛛の文様だろう。彼はテレーズの護衛として同行している。
「遅くなってすまないね」
扉を開けて入ってきた大女が申し訳なさそうに声を出す。その後ろからもう一人男が入ってきた。
「アナベル様も忙しいのです。申し訳ありません」
「様はいらないっていつも言ってるだろう。まったく」
男を叱る様に声をだしたのが議員の一人であるアナベル。パーマの当たった髪を纏める様に青いバンダナを巻き、
肩が見えるようなジャケット。お世辞にも議員とは言えない格好だ。むしろ盗賊や海賊の女頭領と言った方が似合っ
ている。
「いえ、私が尊敬しているのですから……」
「ああ……もういいよ。まったく」
アナベルを呆れさせているのはジェス。ちゃんとしたシャツを着て黒いベストを羽織り手には書類の束を抱えてい
る。堅物な優等生という感じだ。机に腰掛けたアナベルはテレーズに向けて芯のある声をだす。
「言いたいことは分かっているよ。帝国とハイランドの同盟だろ」
「はい。都市同盟はなんとしてもここに入り込まなければなりません」
頷きながらテレーズは声を返した。やれやれといった感じで頭を掻きながらアナベルも同意する。
「あいつら頭が固いからね。アレク殿も苦労なさってる。過去より今だろうに」
「対立なんてことになれば間違いなく都市同盟は滅びます」
確かめるように二人で声を交わしながらアナベルはジェスへと視線を向けた。。
「ジェス。貴方の意見は?」
「三国での同盟を結ぶべきでしょう。対立はまず考えられませんし、不利な条約を結ばれたとしてもアナベル様が居ればどうにでもなります」
手をあげたアナベルが謙遜しながら声を返す。
「過大評価だね。あぶないよ。そういうのは」
「いえ、正当な事実に基づいた意見です」
しかしジェスの意見が変わることはない。
「私もそう思います。都市同盟は貴女のもとで纏まるべきだと」
テレーズがジェスに同調するように言ったため少し言葉に詰まりながらアナベルは声を出す。
「私が纏めるかどうかは置いといて同盟には私も賛成だ。
さっきまで市長を説得してたんだがなかなか、はいとは言ってくれなくてね」
遅れたのはそのせいさ。そう言いながらアナベルは眼を細める。彼ら市長達は怖いのだ。同盟を結んだ時の市民の
反応と追求が。確かに恨みはある。だがなにより自分が権力の座から引きずり降ろされることが怖いのだ。だから、
なあなあのままでずっと引き伸ばしてきた。しかし時間はもう無い。
「僭越ながら私に策があります」
神妙な顔で話を切り出したのはジェスだ。こういう時はあまりアナベルにとってはいい意見ではない。
「市長達に金をばら撒きます。彼らは所詮、俗物です。すぐに意見を変えるでしょう」
「ジェス……」
また呆れて声をアナベルが出す。しかし怯むことなくジェスは続ける。
「アナベル様がこの様な手段を嫌っているのは知っています。しかし今は都市同盟のことをお考えください。
このまま、あの老害どもの日和見をただ見ている訳にはいかないのです」
アナベルとて考えていなかった訳ではない。その程度のことを考えつかないほど浅はかな女ではない。ただ清廉で
あろうとする彼女の良心と市長達を信じたいという気持ちがあったのだ。皆、都市同盟のことを考えていると。しか
しジェスは違う。市長達の心に潜む欲に気付き、あえてアナベルに嫌われようとも意見をだす。彼は都市同盟の発展
を願っているだろう。だがその忠誠はアナベルのもとにある。これがアナベルの望みだと知っているから。テレーズ
の傍らに無言のまま立つシンと同様に。何のことはない。愛し方と在り方が違うだけで彼らもまた馬鹿なのだ。
「どうか今回だけは私の意見をお聞き入れください」
部屋の中が静かになり視線はアナベルへと集められた。皆、答えを待っている。俯き少しだけ考えこんだ彼女だがゆっくりと顔をあげ答えをだした。
「わかったよ。今回はその意見に従うことにしよう」
だがとジェスを睨むように
「私の知らない所で勝手なことをしないでくれ。どんなことでも私に知らせろ。
お前が私の部下だというのなら従ってもらうぞ」
はいと答え、一礼をしたジェスだが本心は違う。
アナベル様の為になるなら私は何でもしよう。例え蛇蝎の如く嫌われたとしても構わない。
心にアナベルという楔を打ち込んだままジェスは動く。それは正史においてアナベルの死という結末を迎えた。この物語には関わるのだろうか。運命は動き始めたばかりだ。まだ彼女の結末は決まってはいない。
「で? 誰にやらすんだい?」
「フィッチャーが適任かと」
ジェスの出した男の名にアナベルは頭を唸らせる。フィッチャー。こういう時はいつもこの男だな。口の上手い男で身も軽い、適任ではあるが……彼の人生を考えると……。
「アナベル様。人には役割があります。この任務で彼以上の適任はおりません。彼自身も納得しています」
苦い顔をしていたアナベルにジェスが後押しをかける。それが自分の役割だと。
「わかったよ。あんたに一任する。私はアレク殿と協力して都市同盟を纏めよう。
テレーズ。あんたはどうするんだい?」
「私はキャロの街にいるジル・ブライトを訪ねようと思います。彼女は戦争など望んでいないでしょうから」
「ジル・ブライトはまだ11歳になったばかりの子供だろう? 彼女に何の権力もないだろうに?」
「都合のいいように抱き込むということですね」
ジェス……。アナベルが暗い声を漏らした。彼女は謀略となると鈍くなる。それはけして悪いことではない。戦争中でなければの話だが。志しだけでも力だけでも人はついて来ない。正史においてその力故に裏切られたルカ・ブライトの様に。
少し緊迫した空気が流れた中でテレーズに対するアナベルの視線が厳しくなる。
「そこから帝国との和平を探るか。帝国との同盟は断られたのかい?」
「いえ。まだ検討中だそうですが、上手く行かなかった時を考えてです。
私は私の出来ることをするしかない……」
アナベルの問いに答えたテレーズもまた暗い顔をしていた。自分たちの為に子供を利用する。どんな言い訳をしようとそれは変わらない。罪悪感を国の為という名のもと押し込める。 本当はそんなものを持つ必要などどこにもない。だが彼女達はそれを捨て切れない。そこに人は惹きつけられるのだ。オデッサもまたそれを持っている。そして運命はそこにつけ込む。何の意味もないと嘲笑うように。
「そうかい。私も上手く行かなかった時のことを考えないといけないね」
そうだ。今は都市同盟だと思いながらアナベルは声を出した。では都市同盟をよろしくお願いします、と挨拶をしてテレーズは部屋から出ていった。それを追うようにシンも。部屋に残されたアナベルは帝国のことに考えを寄せる。
解放軍が動きだし鎮圧されたということを。
「勝手に死ぬなよ。ビクトール……」
呟いた言葉にあった意味は愛情だろうか。それとも友としての言葉か。彼女にしかわからない。ジェスは複雑な心境で彼女を見ていた。
同刻、帝都グレックミンスター
テオ・マクドールの家の前から音が聞こえる。カンッ カンッという固い物をぶつけ合っている様な音だ。棍を握
り打ち込んでいるのはテオの息子であるティル・マクドール。黒髪に緑のバンダナを巻き必死に打ち込むその姿はテ
オの力強さを想像させる。慣れない棒術に四苦八苦しながら受けているのはテッド。茶色の髪と青い魔導師の服。そ
して右手の手袋の下に隠すようにある『真なる27の紋章』の一つ『生と死を司る紋章』 通称『魂喰い』 ソウルイ
ーターを宿した少年だ。その眼にあるのは戸惑いだった。
彼は帝都に連れてきてから何度か出て行こうとした。現にテオの家に住むことはなく近くの部屋に住んでいる。だ
がいつもテオの家の者に見つかり説得されてしまうのだ。当たり前の話ではあるのだが。彼はいつも見つかるように
動いていたのだから。本人は自覚していないだろう。ウィンディに村を滅ぼされた後、各地を転々とし逃げ回ってい
た彼に差し伸べられた手は暖かすぎたのだ。ここに居たいと思わせるほどに。理性はそれを否定する。いけないこと
だと。矛盾を抱えたまま彼はここに居た。
彼が逃げなければいけない理由はその右手にあるソウルイーターにある。名前の通り他者の命を食らうのだ。親し
き者であればあるほど紋章はそれを食らう。呪われしこの紋章を宿すことを余儀なくされたテッドは300年の間、世界を彷徨った。ウィンディに襲われることも怖かった。だが何より自分のせいで人が死ぬのが怖かった。
「やるね。本当に棒術は初めて?」
ティルが打ち込みながら明るい声を出す。
「初めてだって言ってるだろ」
そう言いながらテッドも棍を振るう。ここに来てから距離を取ろうとしていたのだが、それを崩す様に踏み込んでく
るティルに悩みながら彼は生活していた。この手合わせも稽古相手がいないから、やってくれないか? そう言われ世
話になっている為、断りずらく渋々引き受けてしまったのだ。相手が居ないなんて嘘だろ、その言葉は口には出さず。
彼には戦いの経験がある。いくら慣れない棒術とはいえそう簡単に遅れは取らない。そう思っていた。
「へっ!?」
打ち込んだ瞬間、目に見えたのは固いタイルの地面。気づけば空が見えた。赤く染まりかけた空が。
テッドが打ち込んだ棍はティルの持つ棍によって逸らされ、前のめりになったテッドはそのまま棍の反対側で足を掬い上げられたのだ。一回転しながらドォーンという音と共に大の字になって地面に横たわるテッドは恨みがましい声を出す。
「素人に……ここまでやるか……」
「ごめん。つい……」
そう言いながら大丈夫とまたティルは手を差し出した。それを見てテッドの頭をよぎったのはまた銀髪の青年。名をアルドという。今より150年程前の群島解放戦争にテッドは参加していた。紋章の運命を呪い100万世界に逃げていた彼は導かれる様に出会った。『償いと許しを司る紋章』 通称『罰』を持つ少年に。彼は群島の人々の為に今は亡きクールーク皇国と戦っていた。同じように呪われし紋章である『罰』は宿した者自身の命を食らう。継承者が死ねば紋章の意思によって身近な者に取り付く。彼は自分の命を削りながらも戦い紋章に認められた。
そんな彼の仲間達の中にアルドは居た。人との触れ合いを怖がり近づいてくる相手にはそっけない態度を取っていたテッドを心配し何かと世話をやこうとする青年だった。戦争が終わり一人で旅立ったテッドを追うように彼は付いて来た。口では嫌だとは言いつつその優しさに心は慰められていた。だが……彼は死んだ。
それが『ソウルイーター』によるものなのかは分からない。だけどテッドはそう思った。また自分のせいで人が死んだと。『罰』を持つ少年に出会った時、心に誓った紋章の運命から逃げないという言葉も忘れまた逃げた。100万世界に逃げ込まなかったのはアルドのおかげかも知れない。彼の生きた世界に居たかったのだろう。そしてまた長い年月が過ぎる。逃げることに疲れ果てもう死んでもいい。そう思いながら倒れた所をテオに救われたのだ。
「俺は……」
手を見つめたままテッドの動きが止まる。
この手を取っては……
しかし口から出たのは違う言葉。無意識に発せられた言葉だった。
「お前は何で……俺に……構うんだ……?」
怯えるように声を出しながら、しまったと思い眼を逸らす。
何を聞いているんだ俺は……。こんな所すぐに出て行く。そう決めたじゃないか。確かにここは暖かい。でも俺が
ここにいることは許されない。俺は人を不幸にすることしかできない……。今日にでも出て行こう……。
そう決意したテッドに少し悩んだ顔のティルが肩を貸し身体を起こしながら声をかける。
「考えたけど……よく分からない。僕がこうしたいから……こうしてるのかな」
でもと
「君はとても寂しそうだよ。そんな眼をした人を放おっておけなんて、父さんには教わらなかった」
皇子にもと付け加えながら言った言葉にテッドの心は揺さぶられる。
寂しい……?
寂しくなんてない……。
俺はずっと一人で生きてきた。
これからも……そうだ……。
お前に……何が分かる……!?
帰る家がある。家族が居る。
それが……どれほど幸せなことか……!!
俺を……憐れむな……!!!
俺は……
「触るなっ!!!」
思わず大きな声が出た。悲痛に満ちた声が。そして手を振り払う。
「同情なんかいらない!!! 俺を憐れんでいるんだろう!? 可哀想な子だと!!!」
「ふざけるなっ!!!!!」
鬼気迫るといった顔で叫ぶテッドは見ているティルの心が痛くなるものだった。
「お前に何が分かるって言うんだっ!!!」
―――何も……!! 何も……知らないくせに!!!
完全なる拒絶の言葉を吐きながらティルを睨みつけた。関わるなと。時計の秒針が一周する程の僅かな時間が流れ
た後ティルは細々と声を出した。
「確かに僕は君の事を何も知らない。君が話したくないならそれでいいと思う」
でもと強い眼差しではっきりと言い切る。
「僕が君に構うのは同情や憐れみなんかじゃない!」
その言葉をテッドは信じられない。心は信じたがっている。だが理性は否定し声をあげさせた。
「嘘だっ!!!!!」
――駄目ですよ。テッド君。人の好意は受け取るものですよ――
アルドッ……!?
暗い憎しみに囚われそうになったテッドに懐かしい声が聞こえた。右手にある最も憎き紋章から……。
俺はお前を……!!
お前のことを……!!!
――違いますよ。私の死が何であれ、私がそうしたいからそうしたんです
彼は貴方を憐れんでなどいません。私と同じ様にこれは……――
「僕の願いであり望みだよ」
照れ臭そうに頬を掻きながら言うティルにテッドは眼を見開き少しの間、顔を見た。その眼に憐れみは無かった。
身体が震えるのがわかり、俯き、手で顔を隠す様に覆った。
「そんなに痛かった? 同じくらいの年の人と手合わせすることなんて殆どないから」
ごめん。と謝ったティルはテッドの隠した顔から涙が出ているのを見つけた。それを見てまた慌てて謝る。
何度も何度も。
違う。そうじゃない。嬉しいんだ。自分のことを想ってくれる人間がいた。
ただそれだけのことがこんなに嬉しいなんて……。俺は……生きるよ……アルド。お前の為にも……。
そこまで考えた所でアルドが微笑んでくれた気がした。もう声は聞こえない。何も言わず涙を流すテッドに焦った
ティルが何と声をかけようか悩んでいた所で先に言われた。
「俺は……弓の方が得意なんだ。それなら……絶対負けない!」
眼を赤くしながら言うテッドにティルは戸惑いながらも声を返す。
「いいよ。次はそれで勝負しようか」
「おう! 目に物見せてやる」
泣いてたくせに。小さくティルが呟いた言葉に泣いてねーよ、とテッドが応える。夕焼けの中笑いながら逃げていったティルを追いかけながらテッドは思う。
もう少し……もう少しだけでいいから……。待ってくれよ。ソウルイーター……。
まだ運命と向き合う覚悟は出来なかった。ただ少しだけ……その凍てついた心に変化を与えた……。
正史においてオデッサの意思を継ぎ、解放軍を率いたティル・マクドール。
そして運命に翻弄されその呪われし紋章を彼に託し死んでいったテッド。
彼らの運命もまた廻り出していた。
歯車を………組換ながら……
狂狂と……。