私は転生者で元男の現在女で、黒幕を目指して努力中である。
***
リリナがアンドバリの指輪をちょろまかしてから数日後、アルビオンの教会へシェフィールドが訪れた。
「こ、これはこれはシェフィールドさん。いま最上級のお茶を煎れさせていただきますっす!」
びびりまくりのリリナに、表情を消したままのシェフィールドが答えた。
「ジョゼフ様のお言葉を伝えるわ。『指輪は預ける。ただし司教への説明は自分でせよ』、以上よ」
命が助かったと歓声を挙げかけたリリナの動きが、ぴたりと止まった。
そう、指輪を使って陰謀に加担するということは、クロムウェルに事情を伝える必要があるのだ。
「あーうー、きっと反対されるっすね……ていうか怒られるっす……」
クロムウェルがクーデターの事をリリナに話そうとしないのも、リリナの身を案じての事だろう。それを台無しにしてしまったのだから、リリナの罪悪感は強かった。
「何かいい方法はないっすかシェフィールドさん……って、あれ?」
顔を向けた先にシェフィールドはいなかった。
どこにいったんだろうと思う間も無く、背後からいきなり突き飛ばされて、リリナは壁に押し付けられた。
「な、なに、なにっすかいったい!?」
「動かないで。私の質問だけに答えなさい」
喉元に冷たい何かが押し付けられて、リリナは息を呑んだ。
目だけを動かすが、背後に居るシェフィールドの顔は見えなかった。
「シスター・リリナ。あの言葉に嘘はない?」
「あ、あのって、なんのっすか?」
「オリヴァー・クロムウェルを愛しているという言葉によ」
なぜその事を今聞かれて、さらには刃物で脅されているのか、リリナには皆目見当がつかなかった。
しかも過去の恥ずかしい発言を蒸し返されて、混乱と恥ずかしさで頬が熱くなる。
「な、なななん、なんでそんな、え、罰ゲームっすか?」
「二度は言わないわよ。……私の質問だけに答えなさい」
喉元に押し付けられる力が増して、リリナは硬直した。
ごくりと唾を飲み込む。
なぜシェフィールドがこんなことをするのか分からなかったが、冗談ではないようだった。
リリナは仕方なく、恥ずかしい告白を行うことにした。
「……真実っす。わたしは、クロムウェル様が大好きっす。あの方を救う為なら、どんなに汚い事でも平気っすよ」
決心を口にしてしまうと、不思議と心が落ち着いた。喉元にあてられた刃らしき物も気にはならない。
リリナは静かにシェフィールドの反応を待った。
「……分かったわ」
喉元の冷たい感触が離れ、背中にかかっていた圧力が消える。
リリナが振り向くと、シェフィールドの切れ長の目がじっとこちらを見据えていた。
「信じるわ。けれども、もしあなたがジョゼフ様に害を及ぼすなら、私が必ず殺すわよ」
「わたしもっすよ。クロムウェル様には、指一本触れさせないっす」
シェフィールドの視線を、まっすぐにリリナは受け止めた。
「じゃあ私は行くわ」
「あ、待ってっす」
不審そうに振り返ったシェフィールドに、リリナは笑って言った。
「お茶煎れるって言ったじゃないっすか。飲んでいくといいっすよ」
変わった生き物を目にしたようにシェフィールドはリリナを見つめた。
やがて小さくため息をつく。
「頂いていくわ。最上級品らしいし」
「もちろんっす。この教会の最高級っすよ」
置いてある茶がその一種類しかないことは内緒だった。
***
シェフィールドが教会を訪れた日の夜、リリナはクロムウェルに全てを話した。
自分がシェフィールドと面識があり、クーデターの計画に関与することを。
クロムウェルは怒鳴りも怒りもしなかった。
ただ疲れはてた人のように目を閉じ、その事が余計にリリナには堪えたのだった。
「……勝手なことをして、ごめんなさい……っす」
とてもクロムウェルの顔が見られず、リリナはうつむいたまま謝った。
「リリナは、どうしてそうしようと思ったんだい?」
クロムウェルの声は柔らかかった。
顔を上げると、自分を優しく見つめる瞳があった。
頭ごなしに否定するのでも、無条件に受け入れるのでもない、自分を理解してくれようと努める思いやりを感じる。
リリナは胸に火が灯ったような気がした。
「わたしは……」
言いかけてリリナは迷った。
クロムウェルの為だなどと言えば、間違いなく手を引くよう言われるだろう。
かと言って、あなたを愛しているから、なんて言える筈がない。
なら適当に嘘をつくか……。
迷いに迷った末、リリナは借金で首が回らなくなった人のような切羽詰まった顔で、クロムウェルから目を逸らして答えた。
「理由は……言えないっす」
情けなさと申し訳なさで、リリナは堅く目を閉じた。
その頭に、そっと手が乗せられた。
「分かったよ。よく正直に話してくれたね」
「え……正直って、わたしはなんにも言えてないっすよ……?」
クロムウェルの手が優しくリリナの頭を撫でた。
「言ってくれたとも。理由があって話せない、とね。それが真剣に考えた末の結論なら、私も真剣にそれを受け止めるさ」
染み入るような声に、リリナの身体から固さが抜けていった。
そうっす、これがクロムウェル様っす。リリナは誇らしい気持ちになった。
「ありがとうっす。反対されるんじゃないかって、本当はずっと心配だったっす」
クロムウェルはほろ苦い表情を見せた。
「そうだね、制止したい気持ちは確かにあるさ」
やぶへびだったかと、リリナはどきりとした。
「以前言った通り、君には特別な才能があると思っている。私の行いが、その才能を歪めてしまったのではないかと不安なのさ」
それは誤解だと言いかけたリリナを、クロムウェルは手で制止した。
「だが同時にこうも思う。影響し合い、歪めあうからこそ人ではないか、とね。森の木々に同じ物が一つとしてないように、根を絡め合い、時には邪魔されながらも精一杯に育った姿こそが、君という木の生きた証ではないかと思うのだよ」
リリナにとってその言葉は難しかったが、クロムウェルが自分を認めてくれたことは分かった。
「いいん……すか? わたしが選んだのってすごい自分勝手な道っすよ。しかも間違ってるかも知れないっす。」
「勿論だとも。どちらに伸びようと、その全てが、君という木なのだよ」
リリナは身体が楽になるのを感じた。
同時に、今なら自分の弱さや愚かさを、自然と受け入れられる気がした。
「ありがとうございますっす。考えて悩んで、その中から自分にできることをやっていくっすよ」
クロムウェルの破滅の運命を変えて、皇帝にのし上げる。
遙か彼方にかすんでいた目標に、足がかりを得た気のするリリナだった。例えそれが細く、長い長い山道だったとしても。
「だが私個人の希望としては、あまり危ない事はしないでほしいのだがね」
そう言うクロムウェルの顔は、司教のそれではなく、酒好きで人の善いおっちゃんの顔だった。
「そう、例えばロマリアの広場での一件、あれは酷かった」
クロムウェルの眉の間には、深いしわが刻まれていた。
「あ、あれは不幸な事故が重なっただけっすよ! わたしは穏便に解決しようとしたんすっ」
恥ずかしさに慌てるリリナの声とともに、夜は更けていった。
大好きな人と過ごす、穏やかで少しだけ賑やかな日々。
アルビオンのとある有力貴族を指輪の力で生きた屍にするよう指令が来たのは、七日後の事だった。
***
「はあー、やっぱり貴族様のお屋敷は、豪華っすねえ」
絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、リリナは感嘆した。
「旦那様はすでにお待ちです、どうぞこちらへ、シスター」
執事が先を促す。
あ、すいませんっす、とリリナは執事の後に付いていった。
目的の貴族と面会するまでは、ガリア側が渡りを付けていてくれた。
しかしそこから先は全てリリナに任されていた。
指令は二つ。目的の貴族を生きた人形にする事と、アルビオンのお家騒動を決定的なものにする事である。
「ようこそシスター。あなたを我が屋敷にお招きできたことを、光栄に思いますよ」
言葉では歓迎されていたが、伯爵本人は尊大な態度を隠そうともしていなかった。
ソファに反り返り、リリナに椅子を勧めようともしない。
「伯爵様の貴重なお時間を割いていただき、感謝の念に耐えません。本日はロマリア教会より内密のお話があって参りました」
絨毯にひざまづいて、リリナは頭を下げた。
伯爵の態度を不満に思いはしない。聖職者という看板のおかげで別格に扱って貰えているものの、実際はただの平民なのである。
それも司教ならともかく、下っ端のいちシスターなのだ。会って貰えただけでも幸運の範疇だろうと、リリナは思っていた。
「内密とな。ただのシスターが、どのような話を持ってきたと言うのか」
「はい。しかしその前に、どうかお人払いを。事は……王弟殿下とそのご家族の件でございますので」
頭を下げたままのリリナにも分かるほど、劇的に伯爵の気配が変わった。
「なんと、既にロマリアはそこまで……。あい分かった。そなた達は下がるがよい」
伯爵の命令により、部屋にはリリナと伯爵の二人だけとなる。
「ロマリアはどこまで事情を掴んでいるのか?」
「ほぼ全容を。ご息女の身体的特徴までをも。事が事だけに、教会は早急な解決を望んでおります」
言わずとしれた、ハーフエルフとなるティファニアの事である。
伯爵は苦い表情を作った。
「それは我らも同じ事。しかし陛下のお心が定まらぬまま、勝手な行動はできぬのだ」
しばし室内に沈黙が流れる。
次にリリナが口を開くまでにかかった数分は、一線を越えるために必要な決心の時間であった。
「その事なのですが、近く陛下が王弟殿下を呼び出して詰問するという情報があります。また同時に、妃殿下とお子様を捕らえるために騎士を派遣するとか」
「なんと。しかしアルビオンの為には致し方あるまい……」
リリナは自分を必死で叱咤しながら、次の言葉を発した。
「ですが教会は、別の解決を望んでおります。親子の捕縛ではなく、……抹殺を」
伯爵が声を失う。
しかし否定の言葉は発さずに、眉間にしわを寄せて堅く目を閉じる。
「……仕方あるまい。出自を考えれば、お子を生かしておく訳にはいかぬ」
「そして今ひとつ」
リリナは言葉を続けた。
「王弟殿下にも……獄死して頂かなくてはなりません」
それは全て、リリナの知る原作通りの道を進ませるためだった。
大切な人の命の為に、他者を死に追いやる。リリナが踏み出した道はそういうものであった。
伯爵は厳しい目で葛藤した後、首を横に振った。
「駄目だ。たとえ教皇猊下の命であっても、自国の王族を差し出したとあっては、アルビオンは国として成り立たぬ」
伯爵の顔は覚悟を終えていた。
考えを変えられないと知ると、リリナはため息をついてうなだれた。
「やっぱり駄目っしたか。本人に決定させて、ちょっとでも罪悪感を減らそうだなんて、虫が良すぎたっすね」
何かを察したのか、伯爵の手が腰の杖に伸びる。
しかしリリナが手の甲を向ける方が早かった。その指では、アンドバリの指輪が光を放っている。
伯爵ががくりと椅子から落ちた。
「きさま、まさか先住の……」
「わたしに従うっす」
指輪がひときわ強い光を放つ。
光が収まると、何事もなかったかのように伯爵が椅子に座りなおした。
「うまく……いったっすか?」
リリナが誰ともなく呟くと、伯爵本人が頷いた。
「うむ。私は完全に操られているようだ」
思わずリリナは吹き出しかけた。
冗談のような受け答えだが、いくつかの問答を重ねて、アンドバリの指輪が機能している事を確認する。
「自意識を残した上での洗脳っすか……これは確かに、見破られようがないっすね」
リリナは指輪のあまりの効果に戦慄した。
「ええと、伯爵様。王弟殿下の獄死の件、お願いしていいっすか?」
「ああ、シスターの頼みなら仕方がない。申し訳ないが殿下にはみまかって頂こう」
忠臣としての意識は残ったまま、他国のシスターの命令で王族を殺すことに何の疑問も抱かない。
そこにはある種の、精神的なグロテスクさがあった。
まるで伯爵の頭部に、コブの如く別の生き物が張り付いているかのように、リリナには感じられた。
帰りの馬車で、リリナは停車するよう御者に頼んだ。
木陰に駆け込み、うめき声を漏らす。
命令を受け取ってから食事は喉を通らない。
出るのは胃液だけだった。
「こんなことを……これからずっと続けないといけないんすね」
胃のあたりを押さえようとして、その手にアンドバリの指輪があるのに気づき、反対側の手を使う。
鈍く輝く指輪を、今はできるだけ見たくないとリリナは思った。
その月の内に、王弟モード大公は死去した。罪状は反逆罪で、妻子とそれを匿ったサウスゴータの大守一家も処刑された。
あくまで表向きは。
それから三年の月日が流れる。
クーデターはその名をレコン・キスタと定め、アルビオン王家と戦争状態に入る。
そして盟主オリヴァー・クロムウェルの隣にあって、虚無を操る修道女の名も知れ渡るようになった。
虚無の聖女、シスター・リリナ。
十八歳になっても小さいままの少女は今、身分を隠しとある場所にいた。
「ではこれより、本年度の召還の儀を執り行います」
ペンタグラムを象る建築物。
物語の始まりの地、トリステイン魔法学院であった。