第3話 準備編
「スカウトぉ?あたしを?」
教導部隊、通称「キノコ部隊」の駐在する基地の応接室にそんな声が響き渡った。
その日、キノコの執務室に来客を告げる通信が届いた。
「今日は特にアポは無かったわね?何処のどいつよ?」
『は、それがこの様な名刺を出してきまして…。』
成る程。キノコはその名刺に書かれた所属を見て納得した。
「解ったわ。応接室に案内して頂戴。くれぐれも丁重にね。」
『は、了解しました。』
「…ふぅ、やれやれ…。」
通信の終了と共に、キノコは重たげな溜息をついた。
「全く、神様は残酷だわ。」
よっこらせ、とキノコは執務室に置かれた安物の椅子から腰を上げた。
そして、応接室にて待っていたネルガルからの使いに挨拶もそこそこに切り出されたのが話題に冒頭の様な声を上げたのだ。
「はい。私どもネルガルとしては是非とも大佐にやって頂きたい事業があるのです。」
「…………………。」
邪気の無い笑みを絶やさない赤いベストにちょび髭の中年、プロスぺクター。
筋骨隆々の、ヤの付く自営業の方々に勝るとも劣らない強面の男、ゴート・ホーリー。
「用件は解ったけど……それ、今の私の状況よりも重要な事なの?」
じろり、と会社員(一応)をねめつける。
「私は戦争初期からぶっ続けで戦い続けた部隊の隊長で、今は教導隊司令官よ。それを止めさせる程のもんなの?」
派閥間の動きもあったものの、今の自分の立場は軍内の多くから必要とされたものだ。
例え指揮官を交換したとしてもかなり常識的なカザマ小隊の面々なら兎も角、ヤマダ小隊やミフネ小隊を始めとした灰汁が強い所か灰汁10割の面々を御せる指揮官など早々いない。
(いたとしても、寧ろ帰化するわね…。)
後任の指揮官は胃に穴が開くか、帰化してしまうかのどちらかだろう。
キノコはどの道仕事が増えそうでいやだなぁ、と内心で顔をしかめた。
「内容は?先ずそこから詳しく話しなさい。」
「はい。では先ずこちらの資料からなのですが…。」
プロスぺクターの話は、確かに興味深いものだった。
原作の始まり。それはキノコにとって大きな意味を持つものだった。
「如何でしょうか?我が社の企画した『スキャバレリ・プロジェクト』は?」
「ふーん……。」
ペラペラと、キノコは渡された資料を再度流し読む。
最新鋭の機動戦艦による単独での火星住民の救出作戦。
勿論、企業として火星支社のデータ回収も目的の内に入っているのだろうが…
(本命はそこじゃないわよねぇ?)
火星極冠遺跡。
古代火星人が開発したとされるそれはボソンジャンプの演算装置だけでなく、様々な機能を持つ。
それは地球・木連双方に大き過ぎる技術的躍進を齎した。
(でも、きっとそれ以上の混沌が巻き起こるでしょうね。)
ボソンジャンプという、事実上「規制」が不可能な時空間移動技術。
これがテロリズムに使用されたのが「火星の後継者の乱」だった。
(CCさえあれば時間すら跳躍可能な技術なんて冗談じゃないわよ。んな技術が広がったら、社会そのものが崩壊するわよ。)
良くてA以上のジャンパーの迫害どころか殺害指定が下される。
悪くて人工ジャンパー全てに対する殺害指定。
最悪の場合は遺跡の取り合いの再燃による、蜥蜴戦争を超えるハルマゲドン。
そうなったらもう誰にも止められない。
全てが焼き尽くされ、人類の滅亡か文明の衰退かの二択となってしまう。
(ったく、何で私がこんな事を考えなくちゃいけないのよ。)
目下の問題としては、この営業スマイルのちょび髭に一言物申す事から始めなければならない。
「泥船ね。帰って頂戴。」
「はい?」
百戦錬磨の交渉人にしてNSS(ネルガルシークレットサービス)の長を務めるプロスぺクターにとって、目の前の特徴的過ぎる髪型のオカマ口調の軍人は自社にとってかなりのお得意様である。
火星で失われたプロトエステバリスの実戦データに留まらず、最新の先行量産型の実戦データや試作兵器群の運用データなど、ネルガルの機動兵器開発部門における功績は大きい。
そのためネルガルとしても優先的かつやや安価に装備を供給する形で応える形を取っている。所謂暗黙の了解と言う奴だ。向こうもそれを解っているので、敢えて何も言わないし、継続的にデータを提出してくれている。
そんな人物が理由も無く「泥船」と言う筈はない。
帰れと呼ばれたが、ここで帰ったらそれは交渉人としての矜持を捨てるに等しい。
言われた通りにするだけなら、子供でも構わないのだ。
本番はここからだと、プロスぺクターは営業スマイルを敢えて崩してから反撃を開始した。
「聞き捨てなりませんね。我が社の『商品』が欠陥だと?」
「あら、気に障った?」
ふん、と鼻で笑うキノコ。
プロスぺクターが脳裏で「この菌糸類が…ッ!」とか思ったかどうかは定かではない。
定かではないが、プロスぺクターは口を止めても意味は無いと話を続ける。
「DFにGB、相転移エンジン。どれも今まで木星蜥蜴しか使用していなかった技術。現状、地球では最強の戦艦と言っても過言ではありません。」
「試作艦の分際でよく言うわ。確かにカタログスペックでは優秀な様ね…。」
でもね。
人差し指をピンと立て、まるで大人が子供を叱る様に告げる。
「戦闘経験の無い民間人のクルー。正面にしか向けられない主砲。主砲以外の兵装がミサイルのみ。艦載機も予定では4機。これだけでも普通の軍隊なら問題だらけよ。それにねぇ…」
バン!
キノコが叩き付けた資料の一部。そこには新造艦の大まかな見取り図があった。
「『火星住民救出のため』?まともに避難民を乗せられるだけのスペースも無いのに?ふざけるのも大概にしろッ!!」
部屋中が衝撃でビリビリ震える程の一喝に、流石のプロスぺクターも少々驚く。
現実を知る文官よりの人間だと、何処かで高を括っていた。
しかし、やはりかの名参謀ムネタケ・ヨシサダの息子と言うべきか、身の内にしっかりと芯を隠し持っていた。
(これは、私とした事が見誤りましたか。)
普段のキノコを知る者なら裸足で逃げ出しそうな雰囲気にも、しかしプロスぺクターは動じない。
何せ、漸く「こちらの望んだ状況」に成りつつあるのだ。
「では、これらの問題点を解決すれば協力してくださると?」
「そこだけ直した所で意味無いわ。そもそも、単艦で火星行くってのが無謀…いえ、この場合は自殺志願ね。」
「そこまですか…。」
「火星支部の研究データとかって、結構な量なんでしょ?それらを回収するにはどうしても大気圏内に降下せざるを得ない。私ならそれを狙うわ。」
「DFがありますが…。」
「大気圏内で出力落ちてるなら数で押すだけよ。そもそも、漸く同じ土俵に立ち始めただけでしょ。」
少し位は軍事の専門家に相談しなさいよ…。
溜息と共に呆れた言葉を送るキノコに、プロスぺクターは「はっはっはっ」と言うだけで誤魔化す。
「取り敢えず、単艦でなく同型艦或いは既存艦の改良品と小艦隊を組む事は前提ね。対空砲・副砲の搭載も同様。後は…」
そこまで言って、キノコはぴたりと口を噤んだ。
次いでじろりと営業スマイルを崩さないプロスぺクターを睨みつける。
「プロスぺクター、やってくれたわね?」
「いえいえ、大佐は素人に色々とご教授してくれただけの事です。」
こんな簡単な粗探し、現在押され気味だというネルガル社長派が見逃すだろうか?
「あんたは会長派だったわね…社長派からの突き上げ?」
「はっはっはっ。」
笑って誤魔化しにかかるプロスぺクターを、キノコは睨みつけるしかない。
今言った事は軍事を少しでも齧っている者なら簡単に指摘できる内容だ。
しかし、それを言ったのが英雄であるのなら、どうだろうか?
間違いなく一介の軍人の言葉よりも、その意味は重くなるだろう。
新造艦を注文されたからでなく、自前で建造・運用するとなればその予算は天井知らず。
いわんやそれが最新鋭の実験艦ともなれば、その予算は更に跳ねあがる。
何せ今後建造するであろうにしても、今暫くは殆どワンオフの様なものだ。
予備パーツ一つにしても相当なものになる事だろう。
「こうして会長派は新造艦に改良のために更なる予算を出せるし、軍部の意見も取り入れられる。社長派にしても社のお得意の言葉はそれなりに重く、下手に無視すれば軍部との繋がりにも亀裂が入りかねない……と思わせる位はできるわよねぇ?」
実際の所、自分は軍部中枢には遠い位置にいるのだが、この男が会長派にいるのなら情報工作くらいはどうとでもなりそうだ。
一切笑顔を曇らせず、営業スマイルを持続させるプロスぺクターに、キノコは内心で舌を巻いた。
「むぅ………。」
ついでに未だ無言のままのゴート・ホーリーにもちょっと感心した。
「…詳細な報告書は後で纏めてあげるから、今日の所はここまでにしましょ。」
「はい、ではまた後日という事で。」
キノコとしては軍内での今後の事を考えたいし、プロスぺクターにしても今日はこれ以上は難しいと互いに判断を下したが故の事だった。
「ふぅ……。」
「あら?お茶が不味かったでしょうか?」
「いえ、そう言う訳ではありません。」
「そうですか?」
のほほんと頬に手を当ててそう言う見目麗しい御婦人の姿に、サダアキの毛の生えた心臓は柄にも無くドキン!と跳ねた……チョットダケダヨ?
艶やかな黒髪を背の中程で青いリボンで束ねている優しげな風貌の女性、その名を田中美紀子。
嘗て火星にてサダアキ達を救った「クローバー」艦長、田中秀人の奥方である。
実は3歳になる息子がいるのだが、その子は今奥の部屋で昼寝している最中だ。
「あまり頻繁に来られなくても良いんですよ?」
「おや、迷惑でしたかな?」
「いえ!そう言う事でなく!…あの人は、貴方が暇な様でいて実際は忙しないと言っていたものですから。それに、今のあなたは地球では有名人ですし。」
「構いませんとも。それに、こうして軍から離れる機会があるのは息抜きにもなります。」
正直、誰てめぇ?と言いたくなる光景が展開していた。
え、こいつマジであの菌糸類?
普段のオカマでキノコヘアーで金やら何やらに口うるさく喧しいキノコを知る人間がいれば、即座に現実を疑う事だろう。
「それもこれも、彼のお陰です。」
そう言って窓の外に目を向けるサダアキ。
思うのは、火星で消えた田中を始めとした多くの同僚・同期達。
当時、火星駐留艦隊勤務は士官学校出のエリートコースのためのキャリア作りに使われており、必然的にムネタケの同期も結構な人数が勤務していた。
しかし、その過半数が帰らぬ人となった。
「ここはまだ大丈夫ですが……。」
「そうですか……。」
この辺り、極東方面は未だ木星蜥蜴の侵攻が殆ど無いために、一応戦時であるのだが特有のギスギスとした雰囲気が無い。
侵攻があったとしても、ムネタケ参謀やミスマル提督といった優秀な軍人の手本となる様な人物が多い極東方面軍は士気が高く、ネルガル本社が存在する事からもエステバリス配備数が多く、生半可な戦力では落とせない。
その分、ネルガルの仇敵で知られるクリムゾン本社のある欧州方面軍では未だ配備数が少なく、欧州戦線は既に泥沼の様相を呈しているという。
「私は、逃げません。あの人が残してくれたものがここにありますから。」
そう言って寂しげに微笑む女性に、サダアキは何も言わず茶を啜った。
惜しい人間を失った。キノコの胸中には、未だに後悔の念が燻っていた。
「お茶、御馳走様でした。また今度お願いします。」
「いえ、これ位でしたら喜んで。」
罵倒したいだろう。どうしてお前だけが、と言いたいだろう。
だが、目の前の女性はそういったものを全て飲み込んだ。
半年前、玄関先で土下座した自分を家に上げ、茶を出した彼女は果たしてどんな胸中だったのか。
サダアキには、決して彼女の想いは解らない。
解らないが、悪友の遺した人を守るのは、きっと代償行為なのだろう。
田中邸から出て、軍帽を被り直す。
意識を軍人としてのそれに切り替える。
口調はいつもの神経を逆撫でするオカマ口調に、価値観を限り無く非模範的な軍人のそれへと切り替える。
そうすれば、できたのは多くの人が知るであろう菌糸類が出来上がる。
「さーて行こうかしら。」
基地に帰れば事務仕事とネルガルへのレポート作成の他、軍内部への根回しが待っている。
今を生きる人間として、火星会戦を生き延びた軍人として、一部隊の司令官として、連合軍の英雄として彼は立ち止る訳にはいかなかった。