シャッ、シャッ、と削る音がする。
薄暗い木造りの部屋の中で唯一暖かな光をもたらす暖炉。そのレンガ積みの暖炉の前で、煤けた灰色のローブを被った者が小さく飾り気のないナイフで木の板を削っている。
不気味だ、と思った。
板を削っている彼には悪いが、とても不気味で仕方ない。まるでアルフヘイムに伝わる死の神のようだ。白い骨と灰色のローブが炎に照らされているだけでこんなにも無気味になるものなのかと感心すらしてしまう。彼が持つとただのナイフが何か恐ろしい呪いのナイフにでもなるのではないか。
そんな失礼なことを考えていると、彼はピタリと板を削るのを止める。どうしたのかと思えば、頭に声が響いてきた。
【どうしたんだい。私に用があったのではないのか】
どうもこの感覚は慣れない。ウェアウルフ達のテレパシーとは違って、声が直接頭に響いてくるものだから、強烈な催眠にかかったと錯覚してしまいそうなほどに力強い。しかし私だからこそ、なのだろうか。これに耐えられるなどこの国にもそうはいまい。
「その通りだ。……が、貴方がとても外見に似合うことをしていたのでな。少々声をかけづらかったんだ」
正確にはとても集中していたからなのだが、最早私の口癖のように皮肉が出てくる。特に疎んじたことはないし、部隊の者達は皆、私はこういうダークエルフなのだと認識してくれている。ありがたい仲間を得た。おかげで思いっきり皮肉を言える。
……ありがたい、と思っているのは本当だ。
【まあ、用件を言うといい。私は見ての通り、板を削っているだけだ。単なる暇つぶしだよ】
そう言って彼はまた削り始めた。
彼は暇つぶしにも全力を注ぐ性格のようだ。私は娯楽にはあまり興味を持たないので、あまり理解できない。私にとっての仕事が彼にとっての娯楽なのだろうか。
どうでもいいことだと肩を落とす。
「『明日、王樹に来い』とのことだ。女王様が御会いしてくださる……。その案内役は私、ということだとか。貴方だけが外に出れば、土に埋められるかもしれないからね」
この国でも骨だけの彼は十分奇異な存在だ。偵察として彼に初めて出会った時も、私は思わず逃げ出しそうだった。だってほら、骨だけなんて見たこともないから戦力が未知数じゃないか。別に怖いというわけじゃなかったが骨だけなんて幽霊と同じくらい未知数だから、怖かったわけじゃないけれど少々様子を伺ってどんな存在か見定めなければならないし、怖くなかったけれどアルフヘイムに引き返そうと思ったほど彼は未知の存在だった。
まあ話してみれば中々理知的で、バルバロ族やトロル族より凄く話せる骨だったが……。話せる骨など彼以外見たことがないが。
削る音は止まらない。女王様に会うというのに動揺の欠片もないのは流石だが、単に上下関係に疎いのだろうか。
【……難儀なことだ。骨だけというのは野生生活では中々便利だったのだが】
「この国で暮らすとなると、皆怯えるからね。私も最初はほんの少し、ほんの少しビックリしたくらいだ。諜報部隊長の私がね」
諜報、要するに偵察・斥侯のことだが、国や世界を跨いで情報を集める、という仕事の性質上どうしても様々なモノを見ることになる。それは怪物であったり精霊であったり、下劣なバルバロ族やトロル達であったり。私とて何度も見たくもない場面や見ようと思わないほど醜い者達を見てきたし、それとは反対に美しい者も見てきた。
ただ、思い返してみると幽界たるファンタスマの者達は、物語や幽霊を信じる者達の話の中だけの存在だったから、驚いただけかもしれない。きっとそう。
「精霊は私達と共にいるから驚きもしないが……死んだ者、ましてや肉すらない物体が動くのは初めて見たね。喜ぶといい、君は世界初の動く骨だ」
【さて、それは誇れるのかどうか】
私なら誇りたくはないので、冗談だ、と肩を竦めた。
削る音は止まらない。少し削りすぎではないか。
「ところで、その板はずっと削っているけれど、一体なんだい?」
【これか。これは、私の生涯を記録するための板だ】
「なるほど」
つまりグリモルだろうか。私も魔術は少し嗜んでいるが、錬金術師達は皆自分自身の全てを書き記すという。それをグリモル、というのだったか。
彼が魔術を使えるというのは意外といえば意外だし、似合うといえば似合う。アクスを持っていたからてっきり戦士系統だと思っていたのだが。
「どんな魔術を書いているんだい?」
【魔術? 何を言っているんだ、これは日記帳だよ】
「……紛らわしいよ。てっきりグリモルかと」
【グリモル?】
「魔術を記した錬金術師達の全て。これを読めばその錬金術師の生涯が分かると言われているんだ」
そもそも日記帳は木に書くものではない……それをいうならグリモルもか。私も結構抜けているな。
【このアルフヘイムには魔術があるのか。今度教えてくれないか】
「良いけれど、そもそもそんな身体に魔力が宿っているのか心配だよ。それに私は嗜むくらいだ、基本的にはボウとナイフで戦うからね」
魔力とは血肉に近い。身体をめぐる血が世界に漂うバスラと呼ばれる魔力の素を取り込み、それを意図的に体中にめぐらすことで魔力を扱うことが出来る。
言うだけは簡単だが、基本的にバスラを認識すること自体が難しい。嗜む程度とは言ったが、これでも努力したんだ。
それでも初級魔術くらいしか使えない我が身の才能が恨めしいな。
ちなみに余談だけれど、魔術のランクは初級・中級・上級・初級精霊術・中級精霊術・上級精霊術と続く。初級から上級は、自分の魔力だけで様々な魔術を起こすのだが、範囲・効果が自分の魔力が扱える多さによって変わるため、精霊術より下とされる。初級精霊から上級精霊は、自分の魔力を精霊に渡して代わりに魔術を使ってもらう。そのため応用はきかないが範囲と効果は基本的に絶大だ。何せ精霊は世界と繋がっているため、精霊の格や自分との相性によっては恐ろしいことになる。
あと、錬金術師は初級から上級しかいない。なぜなら彼らは己の魔力でどんな魔術を作り上げるか、ということに命をかけている者達だからだ。逆に国に使える精霊術師と呼ばれる者達は、初級精霊からしかいない。彼らに求められるのは威力と効果範囲であり、利便性ではないからだ。つまり、魔術師と呼ばれる、魔術専門の者達が、錬金術師か精霊術師に派生するという構図だ。
アルフヘイムの中でも屈指のダークエルフの国であるこのオニクス王国は、精霊術師長と戦士長、つまり王国軍の中でも一番偉い軍団長の一つ下に位置するほどの地位である二者は同等とされている。だが、国民達は皆「精霊術師長の方が凄い」と認識しているのが現実だった。これはアルフヘイム全体に言えることで、時間がかかっていても敵を大部分殲滅できる精霊術師が重宝されるのは当然といえた。
ついでに私は諜報部隊長、戦士長の門下であり、一つ下である。偉いだろう。
【肉体がないと魔術が使えないのか……? 困ったな、私の肉はどこにいったのだろうか】
「それは私にはさっぱり。貴方が分からないんじゃ、お手上げだね」
彼はナイフを持つ手を止め、こちらを向いて聞いてきた。やはり肉体に関してはそれなりに困っているのだろう。
そもそも骨だけなのになぜ風化しないのだろう彼は。ある意味凄い、私がなりたいとは思わないけれど。
【まあ、とりあえず理屈だけ後で教えてくれればそれでいいさ。なに、どうせ私は骨だ。いつか答えが出るだろう】
「出ると良いね。そういえば外の世界、アスガルドの、小屋……? は良いのかい。あそこは貴方の住処だろう」
【なに、大丈夫だ】
それっきり彼は何も言わない。その後に何か続くのかと期待していたが、彼にはなにかしらの自信、あるいは確信があるようだ。それなら何も言うまい。
「とりあえず、貴方の習慣をしてくれないか。骨だけなのに習慣になっていると言われた時は驚いたが」
【習慣? ああ、もう寝たほうがいいのか。確かに私は寝る意味はないが、寝なければ落ち着かないのも事実だからな】
「そうとも。だから言っているのさ。さぁ、もう寝てくれ。明日は女王様に会ってもらわなければならないからね」
彼は女王様とは初対面。あの至上の美しさにどんな感想を溢すのだろうか、楽しみだ。骨だけの彼に美的感覚があるのかどうかは分からないけれど。
【ふむ、そうだな……寝るとしよう。ではスリジエ、お休み】
「……うん、そうだね。お休み」
それっきり、彼はナイフをテーブルに置いて、削り終えた板を持って宛がわれた部屋へと戻って行った。
……彼はちゃんと私の名前を覚えていたようで嬉しい限りだ。
そういえば彼の名を聞いていないな、明日聞いてみようか……そして、ようこそと言ってやるのさ、フフ。既に彼をつれてきてから数日経っているが、別にいいか。
後書き
一人称の場合はあまり詳しい事は書かずこんな調子で勧めます。
日記調で詳しいことを書くつもりなので勘弁。