二章 二話 駆け出し魔王賭博中
「…………ハル様とクウはどこ……?」
「……ハル様達なら上で辺りを見渡してるわよ」
「…………あいつら何でそんな体力あんだよ……? 俺たちと同じ行程を辿ってるのに……」
「……元が違うんでしょ……。転職してるハル様は私達とは能力の基礎が違うし……クウなんか種族的に熱さに強いし……それより、しっかり寝ときなさいよ……。また夜になったら出発するんだから……」
ぐったりとした様子で、深く掘られた穴の中にタクト達はいた。照りつける太陽も届かず、回りには成人男性の腰ほどの氷塊が幾つか置かれているので、温度自体はさほど高くない。単純に、砂漠を歩くという行為で体力を消耗しているのだ。
そんな彼らを余所に、ハルとクウは二人で穴の外にいた。直接日光を浴びぬよう目深にローブを被って、ハルがクウの背中に乗っている。
ハルの身長を少し超すぐらいまで大きくなったクウは、人一人ぐらいなら少しの間だけ背に乗せて飛べるようになっていた。そこから、ハルはジッと遠くの方を見つめている。鷹の目。遠くを見通す盗賊の技術だ。
「…………見えた」
「クウ?」
問うように鳴くクウに、ハルはコクリと頷いた。
「ああ、後二日あったら充分イシスに着ける」
***
事の始まりは、昼食時にタクトがふと口に出した話からだった。
「そういや、結構前に小耳に挟んだ話なんだけどさ……」
「へ? なになに?」
そう返したのは、最近タクトにすっかり懐いたボウである。元の世界で調理師学校を卒業したというタクトのお陰で、ハル達の食事事情は大幅に改善されていた。今まで適当に焼いて塩を掛けていただけの食事が、しっかりと調理された物になったのだ。初めてタクト作の食事を食べたボウ達は、感動すら覚えていた。
以降、食事に関して並々ならぬ思いを抱いているボウを始め、普段比較的冷静なリンですらタクトに非常に友好的になったのだ。その恩恵がどれだけの物かも分かるだろう。
「どっかにさ、お前達みたいに魔物と一緒に暮らしていた人間がいたらしいな」
「……私達みたいなのもいるし、クウみたいな例だってあるし、世界も広いんだからどこかにはそんなのいてもおかしくないんじゃないの?」
食事し終わり、まだ一人だけ食べているボウを眺めていたリンが口を挟む。タクトはリンの気のない様子に肩を竦め「そうかもな」と会話を終わらせようとしたが、ハルがそれを止めた。
「それ、どこで聞いた? 内容は?」
「ん? ああ……聞いたのは仕事中だよ。冒険者が話しててさ……大した内容じゃなかったんだけど……どこぞの国で魔物と暮らしてた人間が見つかって、騒ぎになって捕まったとか捕まらなかったとかどうとか……」
タクトも本当に耳に届いたうろ覚えの情報で、話の内容も非常に曖昧だったが、ハルは口元に手を当てる。いつもの、ハルが何かを考えている時の癖だ。
「………………リン、霊樹の元で魔物以外が暮らしていることはあり得るか?」
「それは……なくはないかしら? エルフ族なんかの隠れ里が霊樹が中心になってるって長老から聞いたことあるし……人間でもあるかもしれないわ」
「お前達の霊樹は外から見つけにくいし、獣道もなく迷い込むこともありえない場所にあった。他の霊樹もそうなってるのか?」
「そりゃあそうでしょう? 呪われた魔物は霊樹に近寄れないし、人間なんかに見つかったら荒らされてすぐに空気が澱んじゃって霊樹自体が枯れてしまうもの。ハル様、何か思いついたの?」
リンの問いかけに、ハルは無言で荷物から地図を出し広げる。他の面々が何事かと地図を覗き込んでくるのを気にも留めず、ハルは話し始めた。
「問題は、本当に噂の人間達が霊樹の元で魔物と暮らしていたとして、何故見つかったかだ」
ハルの予想では三つ。
1,人間が迷い込んで、噂になった。
2,ボウの時のように、食料を探しに出たところを捕縛され、霊樹の元まで連れて行かされた。
3,何らかの理由で霊樹の元で暮らせなくなった。
「1はまぁ殆ど考えなくてもいいだろう。このご時世に道も分からんところに行く自殺行為をする馬鹿はいない。仮にいたとしても、辿り着く前に魔物に襲われて死ぬな。冒険者なら行けるかもしれんが、ああいう連中が何もないところをわざわざ調べるような利のない行動をすることはない。2は考えられんでもないが、可能性としては薄い。それこそ、人間と魔物がペアで動いているという前提じゃなければ捕まえようなんて思わないだろうし、そのリスクを負ってまでわざわざ同時に動いたりしないだろ」
「なら、3番? 霊樹の元で暮らせなくなる理由って何かな?」
「…………お前達にも覚えがあるだろ? 何でお前達は俺と一緒にいるんだ?」
「それってまさか……」
ハルが言いたいことに気付いたか、リンが背筋を凍らせる。
「霊樹が枯れて、結界がある町の方へ移動した可能性。そこで発見されたか、だな。主従の儀を知らなければ、十分あり得る話だ。んで、捕まえられたのも本当なら魔物を捕縛できるだけの力を持った場所。最低でも町レベル、数によっては国レベルじゃないと無理だ。なら、あり得ると言えば、ロマリア・ポルトガ・イシス・エジンベア・アッサラーム・ランシール辺りか。サマンオサはボストロールの手の内だしアリアハンは言わずもがな。この辺りでそう言った話がされる距離なら、イシス・アッサラーム・ロマリア……ギリでポルトガか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話の種にチョロッと言っただけなんだが、そんなに重要なことだったか?」
つらつらと推論を述べながら、地図に印をつけていくハルにタクトが面くらった様子で尋ねる。ハルは若干呆れたようにため息を吐き、地図から顔を上げた。
「お前、俺が何を目指してるのか知ってるだろ?」
「あ、ああ……魔王だろ? 途方もないほど遠い話だけどさ……」
「……俺の味方は少ない。人間と争うにも、バラモスと争うにも、味方が必要だ。魔物と人間の双方に疎まれ、どこにも寄る瀬がない者達。そういう奴らこそ、真っ先に俺の味方につけたい」
いいながら、ハルはもう一度地図に目を落とす。
「それでだ。タクト、その話に引っかかるところがないか? 具体的に言うなら、魔物を捕縛したっていう辺りだ」
「え? いや、そんなの別に……」
促され、タクトは呟きながらもう一度ハルの推測を思い返す。
ハルが言うならば、それは今求められている答えに直結するようなことなのだろう。まだ出会ってそれほど時間は経っていないが、ハルの読みの深さ、情報の切れ端からでも解を引っ張り出してくる力に関しては十分に知らされた。なら、『魔物を捕縛した』という部分の何が重要なのか。
そこで、ふと気付く。何故『捕縛』であるのか。魔物が相手ならば、『殲滅』とかそういう類の言葉の方がしっくりくる。魔物は、人間にとって完全なる敵として認識されているのだから。
捕縛した魔物に何かをさせたかったのか? では、その何かとは一体なんだろうか?
そして、先ほど挙げられた町の名前を思い出す。
「あ……格闘場……モンスター格闘場か!」
タクトの答えに、ハルは満足そうに口元に笑みを浮かべた。
ゲームではなんの説明もされていなかった格闘場であるが、この世界で考えるならばあの場所は成り立たない。なぜならば、普通にその辺りにいる魔物を捕らえたとしても、町の中に入ることはできず、入れても力が著しく制限されるからだ。しかし、ボウやリンのように霊樹の元で暮らしていた呪われていない魔物ならば、その問題は解決される。
「俺たちの知識で想定しているだけだから当てはまらないかもしれないが、手探りで情報を探すよりは随分とマシだろう? さし当たっては、イシスとロマリアの情報を集めるところから始めるぞ」
イシスに格闘場があるらしいと、その情報を頼りにハル達が出発したのは、それから5日後のことだった。
***
イシスを一言で表すならば、砂の町である。
砂漠の中に作られているのだから当たり前だと言われるかもしれないが、その言葉が一番しっくりくる。地面と一緒の色で染まった家々。無論、巨大なオアシスの近くにある町なのだから、緑が存在しないわけではないのだが、それよりもなお砂の色の印象が強いのだ。
そして、ダーマよりも道幅は狭く、小さい範囲内に建物が多いため非常に複雑に路地が絡まり合っている。ダーマでもそうだったが、ジパングや小さな町とは違いゲームとの印象はかなり違う。
「しっかしまぁ……冒険者が多いってのは一緒なんだがこうも雰囲気が違うもんかね?」
「実質ここが最前線だからな。後、元々の町の気風もあるだろ」
ハルとタクトは歩きながら言葉を交わす。
イシスの町はダーマに比べ、良く言えば野生的な、悪く言えば荒そうな人間が多く見られた。砂漠という厳しい環境下において、そういう町の気風が作られていったのかもしれないが、何よりも大きい原因はイシスがネクロゴンドと隣り合っていることだろう。
険しい山を一つ隔てた先に、魔王バラモスの居城、ネクロゴンドが存在する。この国はいつも魔王の存在におびえているのだ。ハルが最前線と言ったのもそういうことであり、だからこそ今この国は戦力を欲し、多くの冒険者を傭兵として雇い入れている。
どうしても治安が乱れるのは仕方ない部分があるが、そこまで荒れた印象を受けないのは女王が尽力しているからか。
「それでも、これだけ混沌としていたら手の出ない部分も多く出てくる訳だ」
路地をいくつか通り抜け、明らかに風貌の悪い連中が屯している地区へと二人はたどり着いた。不躾な視線がいくつも飛んでくるが、ハルはまるで気にした様子もなく、タクトは若干不安げに周りを見ながら路地を進む。
明らかにこの場にそぐわぬ二人に手を出してこないのは、武装しているハルの実力が計れないからか。白鞘に収められたくさなぎの剣は、一目見てどこぞの子息が持っているものかと思われるほどだが、身につけている鎧はかなり使い込まれた様子の革の鎧であるというアンバランスさが、彼らを押しとどめているのかもしれない。
やがて二人は、周りに比べたら小さくいっそ見窄らしいとも言える建物へとたどり着いた。その入口で、幾人かの男達が下卑た笑みを浮かべている。
「よお兄ちゃん。一体こんな所に何のようだい?」
まっすぐそこを目指して歩いてきた二人に向かい、一人の小男が声を掛けてきた。
「いや、少しばかり小遣いを稼ぎたくてね」
「へぇ? こんな掘っ立て小屋を漁ろう何ざ、随分肝っ玉の小さい男だなぁ?」
「…………なぁおい、本当に大丈夫なのかよ?」
小男との会話の間に、ハルとタクトは他の者達に周りを囲まれていた。下手に刺激したらまずいと分かっているのか、タクトがハルに小さく語りかけてくる。
実際問題、ハルがざっと見たところここにいる連中のLvは高くても10に満たない程度であり、全員叩きのめすのに殆ど労力はいらないだろう。しかしながら、完全に向こうのテリトリー内で暴れても面倒なだけだ。逃げる事ぐらいは簡単にできるだろうが、それではハルがここに来た目的が全て果たせなくなる。
ハルは徐に懐へと手を伸ばし、小さな革袋を取り出した。それをそのまま、目の前にいる小男へと軽く放る。
小男が受け取る際にジャラリと音を立てたその中には、大体100G程の金が入っていた。手に持った重さだけで大体判断出来るのか、ニヤリと嫌らしく笑みを浮かべて小男は塞いでいた入口から避ける。
「悪いなぁ兄ちゃん。あんたに運がある事を祈ってるぜ?」
「そいつはどうも。ま、神様が見ててくれるなら平気だろ」
「違いねぇな。こんなろくでなしに祈られる程度でも神様は神様だ」
ハルの返しにケタケタと小男は笑う。肩を竦めて、ハルは建物の中へと足を進めた。
建物を入ると、すぐに地下へと続く階段があった。現代世界の技術など存在しないこの世界で、こうしたものを造る努力は並々ならぬものがある。それが、後ろ暗い事柄に使われるものだとしてもだ。
ハルとタクトの足音が響く階段を少し歩けば、徐々にざわめきが聞こえてきた。数人程度ではない。多くの人間がそこにいることがすぐ分かる。
「うわ……マジであんだな……」
「無かったら困るだろ。イシスに来たことが無駄足になる」
階段を下りた先には、重厚そうな扉とそこの前に立つ男が二人。先ほどの入り口にいた連中とは違う、そこそこの手練れだ。
ハル達の姿を認めた男達は、特に言葉を発することもなく扉を開ける。瞬間、ワッと喊声にも近い音が二人を包んだ。
中央にあるのは、大きく作られた円形の闘技場。周りに作られた観客席を見れば、まさにコロッセオである。
「すげぇ…………これが格闘場…………」
その場に立ちこめる熱気に呑まれたか、ゴクリと喉を鳴らしながらタクトが呟く。
どうやら今、一試合の決着が付いたらしい。中央で雄叫びを上げ、もはや絶命している魔物を地面に叩き付けているのはあばれザル。羽をもがれ叩き付けられているのは、バンパイアか。その脇には、つぶれたぐんたいガニらしき姿もある。
「……………………正気じゃないな」
ラリホーで眠らされ、拘束されるあばれザルを見ながら、ハルはボソリと呟いた。
獣型の魔物は確かに知性が薄く、たとえ呪いの効果が無くとも野生的なものが多い。しかしながら、既に絶命しているものを意味もなく痛めつけるような存在でもない。魔物か普通の動物かという境は、器型の存在であるか魂型の存在であるかという一点だけ。自然と調和し存在する獣型の魔物が、あのような行為に出るなどあり得ない。
「………………メダパニ……いや、薬か? 興奮剤か何か打たれている?」
完全に周りが見えなくなるように、たとえ呪われてようが呪われて無かろうが等しく殺し合わせるように、本能すら操られているのか。
だとしたら、あまりにも哀れだ。誇りを汚され、自身を消され、人間の娯楽の為に殺し合わせられるとは。ヒミコが見れば、どんな感情を抱くことか。
格闘場の中を見渡せば、随分と身なりのいい者達の姿も多数見かける。娯楽に訪れた貴族か何かか。豪華なVIP席を宛がわれているところを見れば、ハル達が通ってきた場所以外にもやはり彼ら専用の入り口が存在しているのだろう。あの中にこの格闘場のオーナーも存在しているのか。
「おい……何か変なこと考えてないか?」
「…………安心しろ。いくらなんでも、この場でどうこうできるとは思っちゃいない。まだ推測だけで、見極めも終わってないしな」
どことなく不穏な空気を漂わせるハルに気付いたか、タクトが声を掛けてくる。
現状はまだ、ハルが推測しただけのものにすぎない。たとえ推測通りにここにいる魔物達が霊樹の下で暮らしていた者達だとしても、疑問が残る。
この格闘場自体は、大体五年前ほどから開かれているらしい。開催されるのは10日に一度で、一日に行われるのは10試合。例えば今のように3匹魔物を戦わせて1匹しか生き残らなかった場合、10試合やれば20匹の魔物が死亡する計算だ。それを10日に一度やれば、一月で約60匹。一年で約720匹。五年で約3600匹ということになる。たとえ敗北しても生き残る魔物もいるだろうから多少は減るかもしれないが、それでもあり得ない。
3600匹に加え、まだ捕らえられている魔物達。さらに一緒に暮らしていた人間も居たとなると、いくらイシスに存在した霊樹が巨大であっても、それ程の数の存在が暮らす空間を、誰にも知られず作れる筈がないのだ。
外の魔物を捕獲してきていると考えるのが普通だが、ここは町の結界内。人が無理やり結界内に連れてきても、呪われた魔物がまともに戦えるはずがない。
呪いを解いているのか、それとも結界の方に何かしているのか。
「……情報が少なすぎて判断ができんな。何とか調べられたらいいんだが」
グルリと今一度辺りを見回してみる。ハル達がいる一般席にはお世辞にも上品とは言えない連中ばかりだが、実力的にはそれほど大したことはないように見える。精々入り口にいた男達と同等程度か。ハルが本気でやれば、おそらくあっさりと半壊できるだろう。
一方、VIP席周辺にいる者達はそうでもない。護衛か何かなのだろうが、ぱっと見ただけでもそこそこの実力者であると思われる者が何人も見受けられる。まだ上限に達していないハルよりLvが高い者もいるであろうし、いくらなんでも多勢に無勢。下手な行動をとって囲まれてはかなり厳しいだろう。
「さてどうするか……」
再び考えに没頭しようとしたところで、会場が沸いた。格闘場に次の試合を行う魔物が現れたのだ。
出て来たのは三体。さまよう鎧、ホイミスライム、マミーである。その内でマミーだけが枷により拘束されていた。さまよう鎧とホイミスライムが暴れることなく指示に従っている所を見ると、あれがハルの探していた魔物達か。
「さぁ! 張った張った! 締め切りまで後20分だ!!」
幾つか設置されたカウンターに、観客達が殺到する。魔物の姿が現れてから半刻以内に賭けねばならないらしい。多くの人間はすぐに賭けに行っているが、魔物をじっと観察している者もいる。その中でも特に冷静に観察している者は、おそらく格闘場に手慣れある程度出ている魔物の強弱が分かる人間だろう。
今から始まる試合で、順当に考えればマミーが一番勝つ可能性が高い。ホイミスライムはまず除外するとして、さまよう鎧かマミーかになるのだが、種族的な戦闘能力を考えればマミーの方が強いからだ。だが……
「……ふむ、タクト。あのマミーとさまよう鎧のLvは分かるか?」
「ん? あーっ……マミーが8。さまよう鎧が……19? うわ、随分Lv高いな……」
魔物の平均Lvは大体7~10程度である。人間と違って魂型である魔物は、少々Lvが違っても大して強さの差があるわけではなく、魔物の強さは殆どが種族的な強さに依存する。だがしかし、倍以上のLvまで育った魔物ならば、その限りではない。
ハルの戦闘経験などたかだか1年と少し程度でしかなく、Lvはともかくして魔法以外の練度は低い。相対してない相手を一目見ただけで分かる実力など、本当に大ざっぱなものだ。そんなハルにさえ遠目で違いを感じさせるほど、そのさまよう鎧が纏う雰囲気は違った。
カウンターで賭けられた金は、一カ所に集められて詰まれていく。やはり、マミーの人気が高い。最初に賭けた連中は各々席へと戻り、今度は変動した倍率を見ながら賭ける連中がカウンターへと動いた。
「…………マミーが1,1倍。さまよう鎧が8,6倍。ホイミスライムが42,4倍か」
大体妥当なところで収まっただろうか。賭けるのならばそろそろ行かねば締め切りになってしまう。
ギリギリまで待っていた連中も賭け終わったようで、カウンターの周りにはもう殆ど人がいなかった。受付の男が近づいてくるハルの姿を認め、口を開く。
「何だあんた賭けるのか? 後1分だぜ?」
「……さまよう鎧に800G」「さまよう鎧に200G」
トン、とハルが小袋を置くのと同時に、横からもう一つ手が伸びてきた。まだ賭ける者がいたのかと、何と無しにそちらを見てしまう。
長めの金髪をざっくりと後ろで束ね、どことなく不敵そうな、されど不思議と爽やかさを感じさせる碧眼。着飾ればどこぞの貴族とも十分見て取れる容姿だが、その身は辺りを歩いている一般的な平民の男性と変わらぬ服で包まれており、しかしそれに違和感を覚えさせない。高価な物には見えないが、髪を束ねているバレッタがどことなく軽薄な印象を強めていた。
ハルが見たように、男もハルを見返しており、目があった。そして、男は深く笑む。
「面白いなあんた!」
「はぁ?」
二人の金が持って行かれるのを尻目に、男は開口一番そう言った。これにはさしものハルも、怪訝そうに眉を上げてしまう。
「見たら分かるさ。あんたみたいな絶対の確信を持って賭ける奴はそうそういないぜ? それも、次の試合のさまよう鎧に賭けた上でだ。普通ならどう考えてもマミーが勝つだろうに」
ハルは確かに、よほど大番狂わせがない限りさまよう鎧が勝つと思っていた。Lvが高いだけじゃなく、それ以上の実力があると思わせられたから。だから800Gというそれなりの額を賭けたのであるし、まず間違いないという確信も持っていた。
しかし、あくまでただ賭けただけで、態度には全く出していない筈なのに、それを一目で見抜いたこの男は一体何者か。
「おっと、そう警戒しないでくれよ。他意はないんだ。ただちょっと、珍しい奴を見かけたから声を掛けてみたってだけでな」
「……珍しい奴ねぇ。あんたはここ、詳しいのか?」
「ま、それなりにはな。お、そろそろ試合始まるぞ?」
男の言うとおり、格闘場ではマミーの縛めが解かれ、今まさに試合が始まるところであった。質問しようとしていたのをはぐらかされたか、それとも素でそうなったのか判断が付かない。それほど男の動作は自然であった。
致し方なしと、せめて男を見失わないように視界に入れながら、ハルは試合の方へと意識を向ける。
審判の開始の合図など存在しない。解き放たれたマミーは一度ぐるりと周りを見渡し、自分の手が届く相手が目の前の魔物二匹だけだと確認した瞬間そちらへと走り出した。その速度は、ハルが思っていたものよりも速い。どちらかと言えばくさった死体と同系であり、力は強くとも素早さはさほど高くないイメージがあったのだが、キラーエイプよりも若干早いぐらいだろうか。生半可な人間では、簡単に捉えられそうな速度である。
音を立てながら迫るマミーの両手をさまよう鎧は余裕を持って、ホイミスライムは必死に躱す。
捉え易しと見たか、マミーはそのままホイミスライムの方へと左手を伸ばした。単純な速度にかなり差があるため、ホイミスライムにはその手から逃れる術はない。掴まれたが最後、そのままやられてしまうだろう。
だが、そこへさまよう鎧が斬りつけた。伸ばされた左手は、その肘から断ち切られる。
「ォォォオオオオォォォ!」
底から響くような怨嗟の声。包帯の奥で光る暗い目が、さまよう鎧を睨み付ける。対するさまよう鎧は、ただ剣を構えてその意を示した。
マミーがさまよう鎧に気を取られている内に、ホイミスライムはマミーの後ろへと回り込んでいる。そして、その大量にある触手でマミーの顔へと飛びかかった。
「ンオッ!?」
突然視界を封じられ、マミーは頭を大きく振り逃れようとする。その隙を突いて、さまよう鎧が斬りかかった。
これで決まったと、観客の中には頭を抱えた者もいた。が、次の瞬間状況は一変する。
「ッ!?」
さまよう鎧の剣を、マミーは切断された腕で防いでいた。差し出された腕を縦に深く裂くも、剣は二の腕の半ばで止められ、固定されてしまっている。
「オオオォォォ!!」
「ピキャッ!?」
驚きのあまり拘束が緩んだか、地面に頭を打ち付けるように叩き付けられ、ホイミスライムはあっけなく動かなくなった。微妙に動いているところから生きてはいるのだろうが、戦闘に復帰する事はないだろう。
ホイミスライムがやられたのを見て、さまよう鎧が動揺を露わにする。マミーがその隙を見逃すわけもなく、右腕をその顔にたたき込んだ。
「ッ!!」
固定されていた剣は外れ、その手から離れることはなかったが、グラリとさまよう鎧の体が傾ぐ。さらに一歩踏み込んだマミーは、上から叩き付けるように右手を振り下ろした。
「――――!」
瞬間、さまよう鎧がマミーの懐へと入ろうとする。左手の盾を掲げ、剣で首筋を狙う。十分な体勢でないその行動は、僅かばかりに遅い。盾で受け止められる状態ではなく、もし流すのに失敗すればそのまま倒れることになるだろう。
会場に鳴る、鈍い音。ドサリと、重い音を立て一匹が倒れ伏す。
「――――――――勝者は、さまよう鎧です!!」
場内に設置された管より、アナウンスが流れた。会場内では観客達が一喜一憂の表情を見せている。
攻撃を受け流すことに成功したさまよう鎧は、マミーの攻撃の勢いも利用し一撃でその首を断ち切った。単純な力ではない。あのさまよう鎧が培った技量の賜であろう。
「おお、マジに勝った。一撃受けたときはもう駄目だと思ったんだがなぁ」
隣で騒ぐ男を一瞥し、特に声を掛けることもなく換金所へと向かう。自分なりに観察眼は鍛えていたつもりであったが、どうにも読みにくい男だ。
「っておいおい……あんたもえらい大金得たってのに随分冷静だな……」
何も語らず、ただ黙々と換金所へ向かうハルに男は呆れたように言う。
この世界において一般的な男性の純収入は、大体600~1200Gである。それを考えた場合、ハルが得たのは5~10倍もの金額であり、かなりの大金といえる額だ。一流クラスの冒険者で考えれば月の純収入は遙かに高く、5000Gを超えるだろう。しかし、冒険者の収入の大部分が依頼によるものなので、自身の研鑽に努め依頼を受けることのないハルでは2000Gにも届かない。なので、ハルからしても大金であり、確かにありがたい事はありがたいのだが、今はそれよりも重要な事がある。
あのさまよう鎧とホイミスライム。ホイミスライムはさまよう鎧をサポートしようと動き、さまよう鎧はホイミスライムを守ろうと動いていた。間違いなく、彼らの間には仲間意識がある。まだまだ調査不足ではあるが、この状況は彼らにとって不本意であるのは間違いないだろう。助けることができるのなら、協力を取り付けることができる可能性はある。
「お、おおお……すげえなハル! 一気に金持ちじゃねぇか!」
大きい金貨袋を持って帰ってきたハルに、タクトが興奮した様子で話しかける。彼もここに来た主目的は分かっているのだろうが、今まで中々見られなかった金額を前に、抑えが効かなくなっているようだ。ため息を吐いて頭を掻くハルを見て、タクトはたじろぐ。
「あ……いや、そりゃ分かってんだけどさ。ちょっとぐらいはしゃいだってよくね?」
「……まぁ、悪いとは言わんがな。それよりも……」
と、ハルとタクトはまだ後ろを付いてきたいた男に視線をやる。何が目的やら、男は楽しそうに笑いを浮かべ、二人の様子を見ていた。
「………………誰だ?」
「…………知らん。さっきから付きまとわれてるんだ」
ボソボソと話す二人を気にした様子もなく、聞こえたわけではないだろうが会話内容も分かった上で、男は口を開いた。
「いやいや、怪しいもんじゃないんだけどさ。って、十分怪しいな……」
ふざけた態度。いきなり馴れ馴れしく話しかけて来たのを自分でも怪しいと理解しており、されどその所作に不快感はない。
「……何のようだ?」
「いや、そんな大したことはないんだけどさー……」
ハルの警戒心をしっかりと感じ取っているのだろうが、それをものともせず、男は態度を崩さない。ハルを品定めするように、面白そうに眺めて、深く笑みを作る。
「兄さん。俺と一勝負してみないか?」
******************
何というか……はい……裏で。