早朝。停滞していた町が活動を始めるには、まだ少しだけ早い時間帯。まだ太陽は完全に昇りきってはおらず、町中は僅かに覗く太陽のからの薄明かりによって、もはや幻想的とまで言える雰囲気を称えている。そんな静寂を破るように、ひとつの音が鳴り響く。タッタッタッタッとリズムを刻むように流れる、規則正しい駆け足の音。その音源に居るのは、一人の子ども。幼児というには些か時が経ち過ぎており、少年というには少々足りない。そんな中途半端な年頃の子供の顔にはうっすらと汗が滲んでいる。呼吸はやや速いものの乱れるには至らず。駆けているその足取りに淀みはなかった。和泉春海。現在、日課のランニング中である。**********早朝の海鳴の町を、駆け足よりもやや速い程度の速度で駆け抜ける。ランニングを始めてから早2年。このくらいの速度なら音を上げない程度の体力は既に付いている。そうしてただ無心に走っていると、僕の横をスーッと滑るように浮かんでいる葛花が話しかけてきた。『毎日毎日、よくもまあ飽きもせず地道に続くもんじゃのう』「生きる為だからなー。……まあ、飽きるなんてことは、それこそ死ぬまでないんじゃねえの?そりゃあ楽も怠惰も大歓迎だけどな、それでも最低限のことはやっておきたいし。……それに、最近では鍛えるのも案外楽しくなってきたしな」今は周りに人の気配がないため、声に出して葛花に応える。───ちなみに『気配』というのは誇張や比喩表現ではなく事実そのままである。それには僕の能力、『魂視』が関係しているのだが。以前話したと思うが、僕は今では人の魂が視えている。『視える』というのは実際に眼に『見える』訳ではなく、どっちかと言うと目を閉じても其処に人が居ると解かる、という『感覚』に近いものがある。某7つのボールを集める漫画で『気を感じる』なんて描写があるけど、ひょっとしたらあれが一番近いのかもしれない。流石にあそこまで広範囲は感じられないし、逆に対象に触れる程に近づくとより詳細に感じられるのだけど。勿論、魂を視ることがメインである以上、気配察知は副次的なものでしかないが。まあ早い話、達人が長年の鍛錬の末に手に入れるであろう超感覚を、僕は『生まれつきの能力』という形で楽に手に入れることが出来たということだ。僕としてはそのことに対して思うことがない訳ではないが、自分の命が懸かっているのだ。有り難く頂戴しておくが吉、なのだろう。『相変わらずマゾい奴じゃのう』「お前今なんつったァァア!?絶望した!!僕の5年間の努力をマゾいと言うお前の僕に対するその認識に絶望した!!」あり得ねぇ……。もしかしてお前の中の僕ってそんな人間だったの?マゾいの僕?あれっ?なんかお前と過ごしてきた数年がやけに軽いモノに思えてきたぞ?あかん、目から汁が……。というかさっきの僕、結構真面目な空気醸し出してなかった?ほら、生まれつきの才能で手に入れた自分の能力にシリアス(笑)な想いを抱いていた風だったじゃん。空気ぶった切りやがってこのヤロー。閑話休題。本日は日曜日。全国の学生と一部の社会人にとっての楽しい休日である。平日ならば日の出の前にランニングを開始して登校までに朝の鍛錬を終えるのだが、休日である今日は少し遅めに出発。このランニングを始めてからというもの、僕の休日のささやかな贅沢のひとつである。現在僕が向かっているのは海鳴の端にある、そこそこ大きな山。其処が僕の目的地である。「ん?」「お」「む」「あ」葛花も話しかけてくることもなくなり、ただ黙々と走っていると、前方から3人の男女が同じく走ってきた。男2人に女1人。その整った顔立ちはとても似通っており、家族などの近しい者であることがひと目で解かるくらい。僕も相手もそのまま近づいてストップ。お互いにその場で足踏みに移行して体を冷やさないようにしながら向かい合う。「や、おはよう。今日も精が出るな」「おはようございます、士郎さん」3人の中で1番年長の男性───高町士郎さんと挨拶を交わす。こちらの士郎さん、見た目はどう見ても20代半ばなのに実際は30代後半で、おまけに他の2人の父親なんだとか。此処にはいないが、家には奥さんともう1人の娘がいるらしい。……見えねぇなぁ。「おはよう、春海」「おはよー、春海くん。相変わらず朝早いね」「恭也さんと美由希さんもおはようございます。あと美由希さんたちも大概ですって」あんたら僕よりも2,3時間は早いでしょ。こっちは恭也さんと美由希さん。どちらも士郎さん似のようで、恭也さんは質実剛健な侍、美由希さんはおとなしめの文学少女といった印象を受ける。彼らは親子で剣術を嗜んでいるらしく、この走り込みもその鍛錬の一環らしい。僕が走るコースと何度か重なっていて、その縁で僕たちは偶然出会ってはその度にこうして言葉を交わすようになったのだ。とは言っても、こうして話し始めるようになったのは少し前くらいからで、それまでは精々すれ違う時に会釈や軽い挨拶、それに短い世間話をする程度だったのだが。こうして親しげに話すようになったのは、士郎さんの一番下の娘が僕と同い年らしく、其処から話が膨らんで今みたいにいろいろ話すようになったのが切っ掛けだ。前に士郎さんが営業している喫茶店に誘われたこともあったけど、僕の予定が合わなくて生憎とまだ行ったことはない。ま、そんな風に誘ってくれるということは僕が悪い子供ではないと判断してくれたのだろう。別に善人と思われたい訳ではないが、信用されたということは素直に喜んでおくことにする。…………正直、『前』の自分よりも年下の恭也さんや美由希さんに対して敬語で接することに違和感が無いでもないが、流石にそろそろ慣れる必要があるよなー。「あ、士郎さん」「うん、何かな?」丁度いいので、この間の御誘いの返事をしておくことにする。「誘って頂いていた喫茶店の件なんですけど、今日の午後は何の予定もないので、今日でも構いませんか?」「あぁ、もちろん構わない。今日は末の娘も家に居るはずだから、是非とも会って行ってくれ。場所は分かるかい?」「はい。商店街の大通りの『翠屋』って喫茶店、ですよね?」「ああ。お昼時に来てくれたら昼食も御馳走するから、楽しみにしておいてくれ」爽やかに笑いながらそう告げる士郎さん。と、そこに横で聞いていた美由希さんが、これまた晴れやかな笑顔で自分の父親の話を補足する。「うちのお菓子ってどれも美味しいから、期待してくれても大丈夫だよ!ねっ、恭ちゃん?」「お前が威張るな、美由希。……まあ、人気が高いのは本当だから、楽しみにしておいてくれても大丈夫なはずだ」「あはは、期待しておきます。……じゃあ、今日の昼過ぎにでもお邪魔しますね」「うん、待っているよ」昼からとなると今日の修行は早めに切り上げなければならなくなる。士郎さんたちとの話ももう終わったし、そろそろ行くとしよう。「じゃあ、僕はこの辺で失礼しますね。ランニングも残っていますから」「お、すまんすまん、まだ途中だったな。なら俺たちもそろそろ失礼するよ」「またね、春海くん」「昼にまたな」「はい、またお昼にお邪魔します。それでは」4人で手を軽く振りながら、すれ違うようにして走りだす。僕は士郎さん親子の駆け足の音を聞きながら、今まで自分の真横にプカプカ浮かんでいた葛花に念話で話しかけた。<という訳だから、今日の修行は午前の早い内に終わるぞ、葛花>『其れは構わんが…………』<ん、どうした?……また士郎さんたちのことか?>『うむ。やはりかなりの手練には違いなしじゃの』<手練、ねぇ。……確かに強そうってのはなんとなく解かるけど、お前がそこまで言うほどなのか?>僕自身『前』は少しだがやんちゃしていた時期もあるし、『今』は鍛錬もしている。ある程度強くなっている自負もある。けれど、それでも葛花の言うように相手の具体的な強さを察して推し測る、なんて達人のような芸当はさっぱりである。『正直、茶店の店主というのは今でも信じられんの。暗殺者や忍者と言われた方が余程“らしい”』<……そりゃまた。物騒なこって>僕には気のいいアンちゃん達にしか見えんが(おっさんでない辺り、士郎さんの見た目の若さが解かろうものである)。そもそも葛花が言うように彼らが幾ら強いとはいえ、悪人でないのならそこまで警戒する必要もないだろう。「ま、それもその内わかるだろうさ」『……確かにの。わざわざ無害な輩にまで警戒を割くこともあるまいて』「そういうこと」葛花との会話に決着を付けると、僕は目的地の山まで無言で走り始めた。**********「それにしても春海くんってば、相変わらず大人っぽかったねー」「全くだ。……それに、また少し強くなってるみたいだったな」走り込みも終盤。家も近付いてきたのでクールダウンとしてペースを徐々に落としながら家への道を走っていると、唐突に美由希が話しかけてくる。話に挙がるのは、先ほど別れたあの子供───和泉春海に関してだ。アイツに初めて会った、というより見かけたのは、やはりランニング中のことだった。去年あたりから偶にコースの途中で見かけるようになり、その当時はなかなか根性がある子だな、と思っていたぐらいだった。ただ何度か見かける内に気が付いたことなのだが、アイツはあの年頃の子供としてはあり得ないほどに鍛えている。最初の頃は体の動かし方も子供のそれであり、軸やバランスもぶれてばかりだった。まあ普通の子供ならば当たり前のことなのだけど。だが、それから1年の間、アイツは見かけるたびに体に軸が生まれ、重心が安定し、走りが戦闘向けの足運びになって行っていた。おそらく強さの方もあの体捌き相応のものだろう、というのが俺たち3人の共通の読みだ。もちろん実力こそ俺や横にいる美由希とは比べるべくもないが、それでもあの歳であの成長速度と到達地点は十二分に破格。まるで武芸者が鍛える光景を録画したビデオを早回しで見ている気分だったのを、今でもよく覚えている。父さんでさえアイツの成長速度には舌を巻いていたくらいだ。それからちょっとしたキッカケで話すようになり、特にすれたところも無ければ尖った所も無い、普通の子供だと解かった。……ああ、違った。『普通』の子供、ではない。むしろ『子供』らしくもない。なんだあの馬鹿丁寧な口調。おまけに当の本人はそれで無理をしている様子もない。あの歳の子供からしたら、大人である俺たち3人の話し相手をすることはかなりの威圧感だと思うのだが。初めの頃はともかく、最近では俺たちも春海の反応にはすっかり慣れてきたため、今では気にせず3人で話しかけるようになっている程である。「だが、それもそろそろ打ち止めの時期だろうな。あの歳であの成長は大したものだが、我流ではそのうち限界が来る。あの年頃では尚更だろう。聞いた話では、アイツ、師は居ないらしいからな」「そもそも先生なしであそこまで強くなってるってことがすごいんだけどねー。……うー、やっぱり1人じゃどうにもならないことって出てきちゃうよね……」最後は呟くように言って、何やらそのまま考え込む美由希。……?「どうした?美由希」「……ねぇ、恭ちゃん。うちで春海くんに教えてあげられないかな?」「…………本気で言っているのか?」「うん」「……確かに、御神流は守るための剣。だが同時に人を傷つける殺人の技でもある。……おいそれと他人様の子供に教えられるものじゃないのは、お前も解かっているだろう?」御神流。正式名称は『永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術』それが、俺や美由希が学んでいる古流剣術の名だ。小太刀二刀流をメインに据え、更には徒手空拳、果ては飛針や鋼糸といった暗器までも駆使する殺人術。だが同時にそれは、大切な者を守るための手段でもある。目の前を行く父は、今でこそ怪我を理由に引退して喫茶店の一店主だが、昔は政治家などの重要人物のボディーガードをしていて、今でも当時の知り合いから度々連絡が来るぐらいだ(内容は世間話程度の挨拶が殆ど)。それが原因で大怪我を負って意識不明の重体となったこともあり、2年前まで入院していたのだが…………やめよう。いま思い出す話ではない。逸れた思考を修正して目の前の妹に意識を向け直すと、美由希は視線は前を向いたままに自分の考えを口にしていた。「うん、わかってる。もちろん私だって、御神流を教えてあげようって思ってるわけじゃないよ」それがわかっているのなら、何故?視線でそう問いかけると、美由希は強い視線をこちらに返し、でも、と言葉を続ける。「あんな小さな子が、あんなに必死になって強くなろうとしてるんだよ?確かに私には、春海くんが何のために強くなろうとしてるのかはわからない。でも、あんなに頑張ってる姿を見ちゃったら、私は手助けをしてあげたい」美由希は確固たる決意を眼に込めながらそう言い、そのまま俺をじっと見つめてくる。その眼に宿る意志は、こいつ生来の頑固さを秘めていた。「…………はぁ」隣の美由希にばれない程度に、少しだけため息をつく。大方、父さんが入院した頃にひとりで必死に修行していた、自分や俺を思い出しているのだろう。あの頃も、美由希は父さんに本格的に剣を教えて貰う約束をした矢先に父さんが入院し、父親が怪我をしたという事実も相俟ってそのことを酷く悲しんでいた。そして、こんな眼をしている時の目の前の妹は、ちっとやそっとのことでは退くことはないということも、俺はよく解かっていた。俺は美由希から視線を逸らし、そのまま前に向ける。先ほどから黙ったまま前を向いて歩いている、元・御神流師範───高町士郎を見た。「父さん。父さんはどう思う?……俺は、剣術の手解きくらいはしてもいいと思ってる」「恭ちゃん!」俺の言葉を聞いた美由希が笑顔を浮かべる。まったく、現金な奴。そう思って苦笑していると、前にいる父さんがこちらを振り向いた。父さんも美由希と俺の会話を聞きながら春海のこと考えていたのだろう。思いのほか、その答えはすぐに返って来た。「……そうだな。彼が悪い子ではないということは、ここ一カ月の間で父さんにもよく解かっている。剣術指南くらいはしても良いと思う程度にはな」「それじゃあ!」「とは言っても、それと御神流を教えるかどうかは別問題だ。才能の問題もあるし、何よりも彼自身の心根を視る必要がある。それに恭也も言ったが、春海くんは他所様の家の子供だ。人殺しの手段を教えることには、俺は反対させてもらうぞ」「うん!」美由希も其処はわかっているのだろう。さして落ち込むでもなく、真面目な顔で父さんの言葉に頷く。「とりあえずは、今日の昼にはまた会えるんだ。そのときにでも春海くんとは話をしてみよう。……というか、お前ら」と、そこで父さんは表情を和らげ、何故か苦笑いを浮かべる。…………?「まだ春海くん本人が、俺たちに剣を教えられることを了承するかは分からないんだぞ?」「「あ」」(あとがき)原作をプレイして生きている士郎さんのセリフを書くと泣きそうになるんですが……ということで今回は御神流の人たちが登場と相成りました。うちの主人公、実は彼らとはもう知り合いだったんですね。そして主人公の剣術習得フラグが立ちました。テンプレです。すみません。とはいっても、作中で士郎さんたちが言うように本人たちに御神流を教える気は全くありません。というか数あるSSの中で士郎さんたちってオリ主様にやけにあっさり御神流を教えているのは何故なんでしょうね。原作やる限り、恭也も長年一緒に暮らしている晶の頼みを断っているくらいなのに。あと、美由希と恭也が原作のように「とーさん」「かーさん」ではなく「父さん」「母さん」と呼びますが、それは小説では読みにくいと思った作者の判断です。原作至上主義の方が居たら申し訳ありませんが、ご了承ください。次回は翠屋訪問の前に、春海の修行風景の一部です。作者の発想力の貧困さに自分でも絶望してしまった回ではありますが、努力してない主人公って誰にも(読者にも)応援して貰えませんし。頑張って書くつもりなので、よろしくお願いします。では。