それから。具体的には僕が恭也さんにすずかのことを頼まれたあの日から1週間ほどが過ぎたのだが、特筆すべき被害は何もなく、かと言って誘拐犯が捕まることもなく、状況は急変せずに日常が着々と過ぎて行った。まあ細かいことを言えば、忍さんが高町家に稽古に来た僕を訪ねてすずかの件のお礼を言ってきたり、恭也さんたちの高校では学年末テストが始まって今はその真っ最中だとか、例の一件以来いつにも増して僕と一緒のときは笑顔でいることが多くなってきたすずかだとか、そりゃもう挙げればキリがないのだが、それらは大局には関係ないと思われるので割愛する。というか割愛させてお願い。僕とすずかを見るクラスメイトたちの興味の視線やからかいの言葉が非常にアレなんだって。特に某金髪ツンデレのニヤニヤ笑いとか。「───んじゃ、また明日な。すずか」「うんっ、明日もいっぱい遊ぼうね!」「あー……そうだな、遊ぼうな」「それでは、失礼いたします。春海様」「ええ、ノエルさんもご苦労さまです。また明日」「はい」今日も今日とて学校帰りに校門の前で停まっていた車を運転するノエルさんに元気溌溂すずかちゃんを任せて、手を振って別れた。ちなみにアリサは自分の稽古事、なのはは日直の仕事と、本日は別行動である。まあ四六時中いつも一緒にいる訳でもないから別に気にする程でもないんだけど。と、今日も終わったお勤めに肩の力を抜いていると、制服のポッケに入れていた携帯に着信。表示画面を見ると、『恭也さん』とあった。それを見るや否や、すぐさま電話に出る。「和泉です。ついさっき、すずかはノエルさんに任せました。そっちで何かありました?」『いや、突然すまない。具体的に何かあった訳じゃないんだ。……ただ、放課後に忍と校門を出たところで幾つかの殺気を感じた。それで少し気になってな。まあ、お前たちが無事なら安心したよ。そっちで何か異常は無いか?』「殺気……ですか」僕は携帯を少し耳から離して目を閉じた。意識を集中する。生憎と、僕には殺気を感じるなんて便利な能力は無いけど、それに代わり得る『魂視』がある。それを使って周囲を念入りに探ってみたのだけど、……特に怪しげな気配は無い。<お前はどうだ、葛花>『覗き見されとる気配はない。視線も感じんぞ』僕の傍に侍っていた葛花に確認しても、異常は無し、と。僕は離していた携帯電話を再び耳に押し当て、「特にそれっぽい気配はありませんよ。残念ながら殺気云々は解からないので、遠距離から望遠鏡なんかで覗き見されていたら僕ではどうしようもありませんが」『気にするな、そこまで判別できれば十分だ。俺も明確に殺気の出所まで特定できる訳ではないしな』殺気が感じとれる帰宅部高校生というのも、よく考えればスゲェ字面だ。『俺はこれから忍を月村邸まで送り届けて、今夜のところは彼女の屋敷で護衛して過ごすよ』「おおーい。なにナチュラルに同級生の女子の家で一晩過ごすとか言っちゃってんのアンタ。……何? ついに忍さんとそういう関係になったんですか?」思わず電話越しにツッコミを入れる僕。いや、マジでこの1週間で何があったの恭也さん。いくら護衛のためとはいえ、1週間前はそこまでじゃなかったよね?『バカ言うな、そんな事あるはずがないだろう。護衛しながら、ついでに実力試験の勉強も見てもらうだけだ。……そちらに異常が無いなら、もう切るぞ』一方、僕からの問いに呆れたように返す恭也さん。強引に話題を断ち切ろうとしている辺りが少し怪しい気もするが、……まあもし本当に恋仲になっているのなら、なのは経由でこっちにも情報の一つも流れている、か? 今はまだ友人以上、恋人未満ってところが妥当な所かね。お互いを意識し合っている思春期の男女が危険の渦中で何日も行動を共にしているっていう現状を考えれば、むしろこれは自然な流れとも言えるだろうし。「了解了解、と。……ま、頑張って下さいよ。今日は僕も稽古は休みの日ですしね」久々に那美ちゃん達との仕事の日なので、昼のうちに仮眠を取らなくてはならないのだ。那美ちゃんのほうは明日も学年末テストのはずだから、早めに仕事を切り上げさせてあげないとだし。『そうだな、ゆっくり休んでくれ。今日もありがとう』「どういたしまして。それじゃあ」『ああ、じゃあな』そう言って、お互いに通話を切る。切った携帯電話を元のポケットに収めてバス停に向かいながら、僕は自分の考えを整理することにした。推理パートだ。「……そもそも今回の誘拐事件、犯人側の目的は何なんだ?」一般的に資産家の娘を誘拐する際に考えられる目的は、大きく分けて2つ。一つは、誘拐した娘の身代金を目当てにしたもの。これはドラマなどでも見られる比較的オーソドックスな動機で、犯人側の目的意識も解かりやすい。誘拐犯の目的は忍さんそのものではなく、それに付随する金のほうがメインとなる。いわば、忍さんはオマケだ。目的のための手段であり、利用材料の一つ。が、当たり前ながらそのためには幾つかのクリアしなくてはならない条件が存在する。まずは、『最初の犯行で成功させる必要がある』ということ。一度犯行に失敗すればその時点で被害者側の警戒度は跳ね上がってしまう。本人の警戒意識はもちろん、普通は親に相談して警察にまで連絡が行く。そうなってしまえば二度目の犯行は非常に難しい。ドラマやアニメなんかでは常々無能として描かれそうな警察諸兄だが、あれはあくまでフィクションに限った話。実際に警察が動いて簡単に手出しできる誘拐犯などほぼ皆無だ。というか、警察じゃなくて恭也さんが動いているだけで、今の状況はまさにそれだし。次にあるのは、『誘拐が成功したとして、誘拐対象が人質として機能するか』だ。早い話が、忍さんを誘拐することに成功したとして、それで彼女の親が身代金を払ってくれるのか、ということである。もちろん、実の子が攫われたら殆どの親は愛情故に金を支払うだろう。仮に子供に愛情を注いでいない非情な親であったとしても、世間体がある以上支払われる可能性は確かに高い。───しかし今回の月村家の場合、“娘は2人いる”のだ。そして少し調べれば、月村家の両親と忍さんの折り合いが悪いことはすぐに解かるはず。「つまり最初からすずかを狙わなかった時点で、ただの身代金目的の誘拐、って線はかなり薄くなるんだよなぁ……」因みに『誘拐犯は忍さんと両親の仲が悪いことを調べていなかった』という可能性に関しては今回は除外する。だって、そんな行き当たりバッタリの間抜けな犯人ならどうせすぐに捕まるだろうし。状況は常に最悪を予想する必要があるのだ。閑話休題。そして、資産家の娘を誘拐する目的として考えられる二つ目。それは誘拐する娘そのものが目的であった場合。要するに、犯人の目的が、忍さんの持つ容姿・知識・技術・能力などのいずれか、或いはその全てである可能性だ。これならば、すずかではなく忍さんが狙われた理由にもなる───が。「……なら忍さんが持つ誘拐されるほどの能力って何だよ、って話だし」そんなの僕が知るわけねえだろ(一人ツッコミ)。「う~~~ん……やっぱ情報不足がどうにも痛い」歩きながら、唸って手を組む。犯人側の推理をしようにも、どうにも虫食いだらけの穴だらけでパズルピースの埋まりようがなかった。探偵小説なら情報収集の段階で躓いていることになる。普通に探偵失格だ。「───まあどっちにしろ、犯人側が月村家の“裏事情”を知ってるのは殆ど確定、かな?」忍さんだって表向きは普通の女子高校生だ。そんな彼女が誘拐犯の望む何かを持っているのだとすれば、それはかなりの確率で月村家の異能に端を発する“裏”にまで関わっているはず。まあ単純に誘拐犯は忍さんの身体目的だった可能性もあるにはあるが、ただ、“裏”のことを知っていたと仮定すれば犯人が一度目の誘拐失敗を許容できた理由付けにもなる。要するに、誘拐犯は被害者が警察に連絡しないことを分かっていたのだ。月村家の異能に関することだもの。そりゃあ警察にも駆け込めんわ。…………いや、でもなあ。「そう考えると、誘拐犯は忍さんがご両親に相談しない───“相談できない”ことも予想してたのか……?」今回の件に月村家の“裏”が関わっていることで警察の不介入を予測できたとしても、それは忍さんが両親に連絡しなかったこととは別だ。「だとすれば、その根拠は何だ……?」『親のことを嫌っているから』なんて不確実な理由でなく、あの忍さんが単身でこの問題を解決せざるおえないような確固とした要因があるはず。───それは一体、何だ……?「……………………ダメだ、見えねえ」項垂れるようにして言いながら、僕はバス停の時刻表に手を置く。いつのまにかバス停に到着していたらしい。「……せめて犯人側の狙いを知ることさえ出来れば、それを忍さんが親を頼れない理由と繋げる余地も出てくるんだろうけど……」まあ、言ったところで無いモノねだりである。誘拐云々は別として、僕自身に月村家の“裏事情”に関わる気がほとんどない以上、忍さんに直接尋ねる訳にもいかないし……。行き詰った僕は、背後に浮かんでいる葛花に念話を通した。<葛花。お前は今回の誘拐事件のこと、どう思う?>『さて、の。……生憎じゃが、儂は人の起こす揉め事に対する対処能力は低い。生来、そういうモノからはいつも自分から遠ざかっておったしの』<それもそうか>『……ただ、』腕を組んで今回の事件について思考を回す僕の頭に肘をつき、そこに自分のプニプニとしたほっぺを乗せて、頬杖を立てるようにした葛花が言葉を続ける。『件の下手人は、あの小僧が護衛に就いてからはパタリと鳴りを潜めておるのじゃろう?』<恭也さんか?……そう言えば、確かにそうだな>恭也さんは忍さんのボディガードをすることになったのは、彼が僕に高町家道場で事情を話した日の数日前。そして、それから今日まで忍さんに対する誘拐工作は完全に沈黙してしまっていると云うことになる。もちろん、既にその間に何らかの事件が起こっていて、恭也さんが僕にそのことを隠しているという可能性を無視すれば、だが(あくまで全ての可能性を考えているだけで、その可能性は無いも同然なんだけどね)。<でも、そうだとして、それが一体何になるって言うんだよ?>『忘れるでない。あの小僧は確かにかなりの手練じゃが、それでも姿形はただの小僧じゃろうが。そんな小童が傍に付いている程度で、なぜ十日近くも襲撃が止む?』「あ……」おお、確かにそうだ。僕は馬鹿か。恭也さんの実力を熟知しているだけに、彼が外から見たらどういう人間に見えるかまでは考えが及んでいなかった。そうだよ、あの人って立場と外見だけで判断すれば、ただの一般男子高校生じゃないか。そんな男が1人で傍にいるだけで、どうして誘拐犯の動きがパタリと止んでしまった?……期間に余裕があるので、そこまで事を焦っていないのか?でも確か、忍さんのご両親が出張から帰って来るのは4月のはず。いくら忍さんが親に頼らないことが解かっていたとは言え(予想)、誘拐犯にとって最大の障害になり得るそれを考慮すれば、もっと早くから行動を起こすべきではないのか?あとは、考えられるとすれば……(何か、誘拐犯と僕たち以外の、第三者的な勢力があるのか……? そしてそれは、誘拐犯の動きを止めているという事実から、少なくとも僕たちの敵では……───)そこまで思考して、そこで思考が止まってしまう。現状で考えられる可能性はこのくらいだが、しかし逆に言えば、現状ではこのくらいまでしか考えられなかった。これ以上考えても、それはただの妄想に終わってしまいそうだ。そう結論づけて、僕が思考を打ち切っていると、『まあ、どちらにしても───あるとすれば、近い内に総力を挙げた襲撃があるかもしれんな』予測するように。予見するように。予言するように。葛花が、そう言った。<おいおい物騒だな……、なんでそんな事わかるんだよ?>『狩りじゃよ』<狩り?>僕の言葉に、うむ、と頷いて、『下手人が自身の判断で中止したにしては、沈黙が些か唐突すぎる。だとすれば、動かぬ、或いは“動けぬ”この現状をフルに利用して、力を溜めこんでいると考える方が自然じゃよ。そうして然るべき時に溜めこんだ力を一挙に解放し、眼前の獲物に喰らいつく。あたかも茂みに潜む獣のように、の』<どっちにしても、潜伏期間ということか>……あれ? 恭也さん、割とヤバくね?<……マジでこれは、ちょっと本腰入れて取り組まないとマズいかも>『少なくとも、今のお前様では事象の中心には程遠いぞ。終わったときには物語の端役がせいぜいじゃろうな』<…………>葛花からの有り難い御言葉に、僕は、「……はぁ~~~~~……」バス停の前で立ち尽くしたまま、長い、長い、溜め息を吐いていた。道行く通行人の方々が何事かとこちらをギョッとした目で見てくるが、特に気にはならなかった。空を見上げると、一週間前と然して変わらぬ、雲一つない青空。「……生きるって、ホント難しいわー」いや、知ってたけどさ。首が痛くなりそうな程に遥かな上空を見上げ、僕はポツリと呟いた。……あ、雲あるし。(……ん?)そういえば……───俺はこれから忍を月村邸まで送り届けて、今夜のところは彼女の屋敷で護衛して過ごすよ「……恭也さんって、忍さんのことは呼び捨てだっけ……?」**********「ごちそうさま、ノエル」「ごちそうさまでした」今日の夜ごはんを終えた忍とすずかちゃんが食後の挨拶を述べる。「ご馳走様。美味しかったよ、ノエル」「ありがとうございます」それを見て、彼女たちよりも少しだけ早く食べ終えて紅茶を飲んでいた俺───高町恭也も、改めて傍に控えたノエルに言う。数日前に“あのこと”を忍から打ち明けられて以来、俺に彼女のことを『ノエル』と呼び捨てで呼ぶようになり、彼女は今まで以上の恭しさで俺に接するようになっていた。ノエル自身がそう希望したからだ。なんでも、それはノエル自身の矜持であり、“例の一族”と同等の『主』として扱うことになった俺が遠慮してしまうのは彼女自身のメイドとしてのプライドに関わってしまうから……らしい。正直、よく解からない。が、ノエル自身がそうすることを希望しており、尚且つ許していると言うのなら、わざわざ俺のほうから断る理由はない訳で。そういうことで、半ば押し切られる形であったことは事実だが、俺はそれを受け入れ、それからは彼女のことを『ノエル』と呼ぶようになっていた。「あ。恭也、そろそろ時間よ」「ああ、そうか。わかった。───それじゃあ、すずかちゃん。話の途中で申し訳ないのだけど、俺と忍は部屋のほうに行かせてもらうよ」「はいっ。お勉強がんばってください!」食後もしばらくその場で月村姉妹の2人と談笑していた俺だったが、そのうち決めていた勉強時間が来てしまった。誘拐犯が出ようと学校のテストは待ってくれない。普段から成績の良い忍なら兎も角、あまり芳しいとは言えない俺は(極端に悪い訳ではない。真ん中くらいはあるぞ)前日の間に少しでも知識を詰め込まねばならないのだ。食堂に残ったすずかちゃんとノエルに見送られて、俺は忍と共に彼女の自室へと向かった。その道すがら。これまた広く豪奢な廊下で横を歩く忍が声を掛けてくる。「にしても、すずかも恭也には随分と懐いちゃったわねー。すずかったら、食事中ずっと貴方と喋りっぱなしだったじゃない」1年前とは比べ物にならないくらい明るい、まるで幼い子供のように無邪気に笑って言う忍。俺は危うくそれに見蕩れそうになるのを自制しながら、「まあ、嫌われなくて良かったと思うよ」───それに、「どうにも、春海の奴が学校ですずかちゃんに何かしたみたいでな。あの子もそのおかげで機嫌が良いらしい」「何かって、なに?」「それは知らない。『恭也さんにも内緒です』だってさ」ただ、俺にそう言ったときの頬を染めた彼女の笑顔を思い出せば、間違いなくその“何か”はとても良いことだったのだろう。少なくとも、それを言われたすずかちゃん本人にとっては。「春海くんかぁ~~~」しみじみとアイツの名を呟く忍が、廊下を歩きながら腕を組む。……む。体の前でそういうことをされると、彼女の同年代からすればやや大きい“それ”が……って、いかんいかん。「彼も彼で、とても不思議な子だよねー。底が知れないって言うか……あ、もちろん嫌ってる訳じゃないよ? むしろ好きなくらいだし」「わかってるさ。……でも正直に言うと、1年近く一緒にいる俺にもアイツは読み切れないな」俺は、今日の放課後に電話口で話した、あの小学1年生の姿を思い出す。和泉春海。妹のなのはと同じクラスの少年で、うちの道場に通う門下生であり俺の弟弟子。その実力は俺たちと比較すればお世辞にも高いとは言えないが、それでもそれを補ってあり余る程の“目の良さ”と戦術眼の持ち主だ。俺も美由希も、手合わせ中にヒヤリとさせられたのは1度や2度ではない。基本的には非常にフットワークの軽い少年で、子供らしく場を引っ掻き回したかと思えば一転して高校生の俺が及ばない程の察しの良さと思慮深さを見せる瞬間も多々ある。もしかしたら妹の美由希より余程しっかり者ではないのだろうかと何度思ったことか。というか美由希はもう少し注意力を身につけろ。どうやら父さんは何か知っているようなのだが、それが何なのかを訊いたことはない。また、訊く必要もないと思っていた。アイツは、アイツだ。俺の弟弟子で、友人の和泉春海だ。今までならば、それで十分だったのが……「毎度毎度、妙なところで話題に出てくる奴だな、アイツも……」「あっはは、でも聖祥ですずかを守ってくれてるのは彼なんだもん。すずかの騎士(ナイト)様に文句なんて言わない言わない」そう言いながら、こちらの腕に抱きつく忍。「……まあ、アイツは騎士なんて柄じゃないけどな」二の腕から伝わる柔らかな感触に思わず赤面しそうになった。バレないように彼女から顔を背ける。何故か、放課後の電話で春海が言ったことが思い出された。───……何? ついに忍さんとそういう関係になったんですか?……『そういう関係』。(───ええいッ! 邪念(脳内春海)よ、去れッ! 煩悩(脳内春海)よ、滅びろッ!!)こんな所にまで出張って来るとは、どこまでも読めない男だなアイツは!自分でも八つ当たりだとは理解していたが、それでもここの居ない和泉春海を恨まずには居られない俺だった。そうして忍の指導の下で行われた明日の試験対策を終えた俺は、屋敷の外にまで見回りに出た。厚意で護衛をしているだけの俺がそこまで気を張る必要はない、というのが忍の弁だが、それでも見回りをして迷惑ということはあるまい。張り詰め過ぎは良くないが、かと言って油断して良いわけではないからな。それに、もし仮にこの月村邸を見張っている“誰か”が居るとして、その者たちに対してこちらが油断していないことをアピールするのも重要だ。それで今日のところは相手が退いてくれるというのなら、それに越したことは無い。そう考えた俺は愛刀である『八景』を持ち、装備一式を身につけて、昼間のように玄関から外へ出た。の、だが……「───ノエル?」月村家メイドである、ノエル・K・エーアリヒカイトが、一人で立っていた。月夜に映えるその冷然とした立ち姿に一瞬だけ息を飲み、次いでそれが彼女であることが分かって緊張を解く。いつも彼女の気配は妙に読みづらい。「……恭也様」俺が息を吐いていると、こちらに気付いたノエルが話しかけてきた。「見回りですか……? お疲れ様です」「……ああ」どうやら、話を聞いてみると彼女のほうも見回りをしているらしい。それなら、ということで一緒に見回ることになった。「……………………」「……………………」連れ立って歩きながら、横目でノエルを盗み見る。常日頃から落ち着いた姿勢を変えない彼女の姿を見ていると、ふと、先日に彼女から言われたことが思い出された。───あの人が欲しいのは、……私ですから。『あの人』というのは、当然ながら誘拐犯のことだろう。それは解かる。しかし、それなら。その誘拐犯が欲しているものがノエル自身というのは一体……?(春海に相談しても良いが……)……………………。…………。……。「……ノエル」「……はい?」まどろっこしい。まずは本人に直接確かめよう。「……この嫌がらせをしている犯人が、ノエルのことを欲しがっていると言ってたよな」「……ああ」こちらの疑問の声に一瞬キョトンとした表情を覗かせた彼女だったが、すぐに思い至ったのか元の無表情に戻って相槌を打つ。歩きながら再び前を向いて、「事実です」……肯定した。思わず言葉を失う俺を気遣わしげに一瞥して、それからノエルはまた言葉を紡ぎ続けた。「あの方は、私を欲しがっています」「……それは、どういう……」「……そのままの、言葉通りの意味で……───!」「ッ!」彼女とほぼ同時に、俺も気付いた。夜道を外れた木々の中へと視線を走らせる。(……人の、気配……!!)駆けだすにはまだ早計か、これが囮である可能性も……数瞬の間で追うか否かの判断を下し、同時に袖口の飛針を構えようとする俺。が、ノエルはそれよりも速く行動していた。「───誰ですかッ!!」隣から、ノエルの聞いたこともないような鋭い声が上がる。彼女はこの闇夜の中でも気配の位置を正確無比に探し当て、それが潜んでいるであろう茂みを睨んでいた。すると。がさ、がさ、と。怯んだように気配が去る音がこちらの耳にまで届き。「……………………」すぅ、とノエルが無言で左拳を突き出した。「……照準固定。距離27。……風向き参考、無し。───カードリッジ、ロード」ぱしゅん、と彼女の突き出した手首の辺りから気の抜けるような軽い音がして、続いて強烈な光が灯る。「───ファイエルッ!!」轟音。ノエルが叫んだ瞬間、……何と言うか、……その、なんだ。彼女の拳が……………………飛んだ。「は?」自分の口から間抜けな声が出たような気もしたが、気にもならない。当たり前だ。こんな状況で平然としている奴がいたら病院行け。俺が呆然とその光景を見ている間にも、ノエルの拳は凄まじいスピードで茂みの中へと消えて行き、やがて……「きゃぁああああああッ!!?」「きゃいんッ!!」地面に激突したような着弾の音と共に、気配の主のものと思しき悲鳴が届いた。───って!?「待った……! ノエル待った!!」この声は───!?聞き覚えのある声色に相手が何者かを悟りかけた俺だったが、しかし、考え事が出来たのはここまでだった。“それ”に気付くや否や、鞘に入ったままの八景を即座に頭上に構える。───ギィィイインッ鉄拵えの鞘が甲高い金属音を鳴らす。悲鳴の上がった所とはまた別の茂みから、何者かが俺に向かって突進。そのまま俺の右肩へと刀を振り下ろしたのだ。「う、おッ───!?」八景から伝わる圧力に、思わず声が漏れ出た。膝が折れそうになったが、辛うじで堪える。そのくらいに、目の前の男の膂力は凄まじいものだった。単純な圧力だけならば、恐らく友人である赤星以上……!持っていた懐中電灯は既に落としてしまったため闇夜で顔は判別し辛かったが、一瞬だけ垣間見えた背格好は成人した男だった。八景を通じて伝わる刀身の感じからすれば、これは峰打ちか。舐めた真似を。力では敵わない。それを悟った俺は、即座に相手の腹を蹴り飛ばした。大したダメージは望めないだろうが、元より目的は距離を取ることだ。問題は無い。俺は燃えつく戦意を冷静に研ぎ澄まし、離れた男に追撃を掛けようとして───「───止まって春海くんッ!!」「───ッ、恭也さん!?」それぞれ別々の方向から届いた叫びに急ブレーキを掛ける。履いていたシューズが地面を滑り、僅かに焦げた匂いが鼻孔を擽る。叫び声を上げたのは、先ほど茂みの向こうで悲鳴を上げた声の主である女性と、…………目の前の、成人した男の影だった。一時的に硬直した場。最初に動いたのは、ガサガサと音を立てながら茂みの中から走り出てきた女性。なぜか深夜のこの時間帯に巫女服を着た、俺が通う風芽丘学園の後輩───神咲那美だった。その足元には彼女の飼い狐である久遠の姿もある。彼女たちは息を切らせながら、地面に座り込んでいる男の影に駆け寄った。「大丈夫ですかっ春海くん!」「くーん!」そこでようやく俺も、彼女が言った言葉の意味を考える余裕が出てきた。……春海? いや、目の前の影はどう見ても成人した男のもので……同姓同名?「───あー……、大丈夫。心配しないで那美ちゃん。ちっと腹に蹴り喰らっただけだから」「見せてください!」悟ったような口調でのんきに告げる男。その声もまた、俺が知っている春海とは程遠いくらいに低い成人男性の声だった。そんな男に、神咲さんは聞いたことも無いような鋭い語調で言い放つ。彼女もこんな必死な声が出せるのかと、場違いに思った。「それも良いけど、まずは那美ちゃんも少し落ち着いて。ほら、目の前にいるのは君も知ってる高町恭也さんで、焦る必要はないから。ね?」詰め寄る彼女の肩を押さえて下がらせながら、それを諭すように語り掛ける男。言っている内容から察するに、どうやら向こうは俺のことを知っているらしい。(……本当に誰だ? 声に聞き覚えはないはずだが……)割って入るのはもう少し後でも構わないだろうと考え、影に隠れた男の正体を類推しようとするが、全く覚えが無い。「恭也様」「……ノエルか」その間に、少し離れていたノエルも俺の傍へと近づいてきた。見ると、左腕は既に元通りに直っている。「はわ?」「くーん?」一方で、男に言われた神咲さんと久遠が、ついさっき気が付いたという風にこちらを振り向いた。案外、目の前にいる男のことが心配で本当にこちらには意識が向いていなかったのかもしれない。「……あっ、すす、すみません高町先輩! 気がつかなくって!」「くぅん!」……どうやら、本当にこっちに気付いてなかったようだ。慌てて立ち上がるとペコリと頭を下げてきた。「いや、それは構いませんよ。本当に。ただ、……そっちの彼は一体誰なんですか? 俺のことを知っているようだけど……」「あ……」俺からの問いに、神咲さんは焦った様子で座り込んだ男を振りかえる。俺もその視線の先をなぞるようにして、再び男の影へと目を向けて───「それは、僕が説明しますよ」その声は、確かに聞き覚えのある少年の声で。「いやー、参った参った。はぐれた那美ちゃん達を追って来てみれば、まさかこんなことになるとは……先ほどは、いきなり斬りかかってすみませんでした」そのシルエットは、確かに見覚えのある少年の影で。雲の切れ間から、いつの間にか隠れていた月が姿を現す。満月に程近い具合にまで膨れてた今夜の月は、目の前の影を祓うに十分な働きだった。「電話だけなら今日の放課後ぶりですか───恭也さん?」月の光に照らされた地に腰掛け、いつものように飄々とした笑みを浮かべているソイツは、確かに俺がよく知る小学1年生で、友人である少年───和泉春海だった。(あとがき)第二十話の1、投稿完了しました。今回はやけに長くなりそうだったので分割でお送りいたします。さてさて、今回で主人公は月村家の物語に一気に関わることとなります。作者はご都合主義とか主人公補正とか、そういったものがあまり好きではないでの、そういうものは極力排除しようと考えているのですが……うん、無理でした。まず彼が主人公である以上、彼を物語に深くかかわる立場に置かなくてはならない。だけど、そうするためには主人公を無理矢理にでも登場人物に関わらせる必要がでてくるんですよねー。そして主人公特有の運命力というか、人々との良縁というか、極論すれば物語における主人公というものは関わるもの全てが主人公補正の賜物なんですよね。つまり物書きの仕事は、そういう主人公補正を如何に違和感なく読者様に魅せるか、ということに尽きる訳でして……ガンバリマス。ってことで、今回はリリカルとらハssにおけるテンプレートの一つ『月村一族の秘密』の、その導入部となります。数あるオリ主が通って来たこの関門。うちの主人公はどのような答えを見せるのか!?……ご期待頂けると幸いです。続きはもう少々お待ちを。では!追記(4/22)感想で第一話3、第九話2、第十二話で横スクロールが発生して読みづらいとの御指摘を頂きましたので修正しました。一文中に『―――』や『……』が多いとそうなってしまうらしいですね、知りませんでした。作者の不勉強のせいで読者の皆様に不便な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。ss作者としてまだまだ未熟な身ではありますが、良ければこれからもよろしくお願いします。