「それじゃあ、……触るぞ」「…………」僅かに震える僕の言葉に相手が頷いたのを確認して、目の前にある柔肌のようなそれに優しく触れる。耳元。頬。唇から首筋へ。さわさわと僕に撫でられる彼女は次第に目を細め、小刻みに湿った吐息を漏らす。そのまま、まだふくらみに乏しい胸元を数回に分けてかき混ぜるようにして上下する。とくん、とくん、と可愛らしい振動が掌を通じて伝わってきた。ともすれば自分が何らかの幻覚に囚われているのではないだろうか、なんて馬鹿な考えが浮かんでくる夢現の中で、片方の手をゆっくりと横腹へと移動させると薄い皮膚の下に彼女の肋骨の感触が感じられた。コリコリとしたそれが、生々しい現実感となって僕にある種の興奮を喚起する。もっと、もっとだ。ふと、僕に身体を弄られている彼女がどんな表情をしているのかが気になった。泣いているのか。恥ずかしがっているのか。考え始めると余計に気になってしまった。今まで一心不乱に見つめていた彼女の小さな体躯から目を離し、視線を上に動かす。もし泣いているのなら、残念だけど今日はもう止めておこう。勿論、僕の正直な気持ちとしては続けていたい。大好きな彼女の華奢な体躯を、このままずっと愛でていたい。それでも、自身の下劣な欲望に任せて彼女が嫌がるようなことはもっとしたくなかった。この行為は、自分の感情をただ身勝手にぶつけるためにあるのではない。相手を労わり、自分の気持ちを感じてもらう。近年はそんな簡単な部分を勘違いしている人間も多くなっているが、本来はそんな愛に溢れた行為なんだ。だから、僕は彼女の反応を確かめる。拒絶されるかもしれないことは怖かったが、彼女を傷つけることはそれ以上に恐かった。果たして、僕は彼女の表情を見る。そこにあったのは、───確かな信頼と、ほんの少しの興奮。僕の眼では暗い感情なんて欠片も見つけられず、どころか、彼女の涙を湛えた瞳を覗きこんでいると、彼女自身の言葉が伝わってくるようだった。───もっと、……して?ブツリ、と、頭の何処かで何かが切れる音がした気がした。潤んだ瞳と、荒くなった吐息。見ているだけだった僕も、既に限界だった。だから、僕は。気がついたら、自分の持てる情熱全てで。彼女に向かって、その思いの丈をぶつけていた。…………いや、まあ。「んー、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし。気持ち良いかー、久遠ちゃん」「くぅ~ん……♪」きつね姿の久遠ちゃんを撫でてるだけなんだけどさ。「今日はぐーたら警察官以外だれも居ないもんなぁ。ちゃんと今日の分のご飯もらってるか? イジメられたら何時でも僕の家に遊びに来ても良いからなー」「くーん」そう言って仰向けのままの久遠ちゃんをムツゴロウさんの如く心行くまで撫でまわしていると。───バチンッ!後頭部がハゲるかと思った。「ぎゃぁぁあああっ!!? あっつっ!? アァァあっつぅぁぁああっ!?」突如奔った激痛に久遠ちゃんを撫でることも忘れて僕がのたうち回っていると、向こうのソファのほうから声が掛かった。「───まったく。誰がぐーたら警察官だよ。それにイジメてもないからね」だが、そんな僕の窮状を無視しまくった言葉を聞ける程の余裕が今の僕にある訳もなく。それでもひんやりとした床に後頭部を擦りつけることで何とか落ち着くことに成功した僕は、ゼェハァと荒い息をあげながら声が聞こえてきた方向をギロリと睨みつける。その女はクリーム色のセーターにデニム地のショートパンツといった至極ラフな格好。セーターの開いた胸元からは、ライダースーツにも似た黒い光沢を放つアンダーウェアが覗いていた。なんか能力の制御装置的なものらしい「おまえ殺す気かッ!?───リスティ!」しかし、女───リスティは僕の絶叫にも何ら動じることなく、その小柄な割に意外に豊かな身体をソファにだらしなく横たえたまま横目でジットリとした視線を寄こした。「久遠に妙な事を吹きこむからだ。それに、殺すなんて大袈裟だよ。そのくらいの手加減はきっちり出来るさ」「むう」彼女の言い分に思わず押し黙る僕。確かに調子に乗って要らないことを言ってしまったような気もするし、「手加減はした」という言葉通り、電撃を浴びせられた割には後に引く様な痛みも感じない。仕方ない。ここはお互い様ということで僕も矛を収めるとしよう。「せいぜい将来ハゲるツボをちょっと刺激しただけさ」「なんてことをするんだお前はッ!?」僕ハゲるの!? 将来ハゲちゃうの!?「冗談だよ」「ホントかっ? 本っ当に冗談なんだろうな!?」まったく止めろよ、そういう冗談は。男というものは20歳を超えると途端に気になってしょうがなくなるんだからさー。「本当は今からハゲる」「最悪じゃねえかっ!」リスティの恐怖の言葉に僕が必死になって後頭部を揉んで血色を良くしようとしていると、クイクイと何かに服の袖を引っ張られた。誰だ今はそれどころじゃないんだ、と思いつつも、何時まで経っても引っ張っていて止む気配がない。なので、仕方がなくそちらに視線を落とすと。「お前様。次は儂の番じゃろうが」久遠ちゃんと同じくきつね形態となってる葛花が、僕の服の腰のあたりにガッチリかぶりついていた。おい止めろ、服が伸びる。あと久遠ちゃんの上に乗るな。仰向けでじたばたしてる久遠ちゃんが可愛いだろうが。「ちょっと待てって葛花。今は僕がハゲるかどうかの瀬戸際なんだ。邪魔をしないでくれ」「無駄毛が抜けて丁度良いじゃろうが」「無駄じゃねえよ!?」超必要だよ!!「良いから早《は》よせい」「待ってくれ! 僕は僧になるのは嫌なんだ! 確かに陰陽師ってちょっと僧みたいなもんだけど見た目まで僧になるつもりはないんだよ!」僕はファッションリーダー的な陰陽師を目指してるんだ!「安心しなって、春海。ハゲるツボを突いたなんて嘘さ」「ほ、本当に……?」ここで天丼(ボケを繰り返す、という意味の業界用語)なんて要らないぞ? 少しでも僕を安心させておくれ。「うん。───まあ、さっきちょっと頭皮をスキャンしたら、……うん、まあ、ボクは何もしてないよ?」「おい言葉を濁すな。何だその念押し。要らないんだよそんな露骨な置き土産。おいコラ眼を逸らすなよっ。こっち見ろよリスティさん!?」それは天丼だよな!? 頼むから天丼だと言ってくれ!?「まあ、最近は育毛や植毛技術もすごいし、世界は頑張れば割とどうにでもなるよ。言ってくれればボクも手伝うしさ」「そんな応援いらねぇぇえええっ!!」天丼でした。それから少し。具体的には僕が男にしか解からない恐怖から解放され落ち着いた頃。リスティの対面のソファに腰を下ろした僕は、両膝に乗せた久遠ちゃんと葛花を撫でながら。「大体、なんで僕をさざなみ寮に呼んだんだよ」かねてからの疑問を目を閉じたままのリスティに訊いてみた。そもそも僕が休日にも関わらずこうしてさざなみ寮を訪ねてきたのは、目の前で自分の両腕を枕にして目を閉じているコイツに朝っぱらから呼ばれたからなのだ。理由も訊かずにただ呼ばれたから来るとか自分でもお人好しが過ぎるとは思うものの、今日は久遠ちゃんも寮に居ると言うエサに釣られてしまったのだから仕方ない。久遠ちゃんが僕に会いたがっていると言われたら何を置いても急いで来るしかないだろう。そんなリスティはよっぽど眠いのか、行儀悪く欠伸を噛み殺しながら何とか口を開く。それでも口元を僕に見えないようにしているあたり、まあ、コイツも多少は女としての自覚を持っているのだろう。「ボクね、今日は久々の非番で、すっごく疲れてるんだ」「警察関係者だしな。我々一般市民の日々の平穏のために、どうもありがとうございます」「どういたしまして。それで今日は寮のみんなはそれぞれの用事で珍しく全員が出掛けててね」「みたいだな。ここ、今は僕たち4人しか居ないみたいだし」「くぅん」「つまり、全自動メシ作りマシーンであるところの耕介も今はいない訳で」「仮にも自分の父親に何言ってんの、お前……って、おい。まさか」「うん。というわけで、春海」そこでリスティは一旦言葉を切ると、じっとりとした僕の視線に堪えた様子もなく無駄に可愛らしい笑顔で続けやがった。「───お昼ごはん、作って?」くそう。やっぱり来るんじゃなかった。「おお、さすが耕介さん。食材も調味料もかなり豊富に揃ってるじゃないか」リスティに次いで両膝に乗る久遠ちゃんと葛花の援護射撃もあり仕方なく昼飯を作ることになった僕が、さざなみ寮の台所にある冷蔵庫を開いて思わず発した第一声である。そんな僕に、リビングのソファに寝ころんだままのリスティが言葉を返してきた。「耕介、あれでも料理人だしね」「僕もたまにレシピを教えてもらってるよ。最近はあんまり料理してないのに生前よりもレパートリーが増えてるくらいだからな」「たまに男2人で何してるのかと思えば、そんなことしてたのか」「なんか耕介さん、子どもとは言え男の僕が出入りしてるのを喜んでる節があるからな……。そりゃあ慣れてると言っても、自分以外の全員が年頃の女ってのは耕介さんも気を使うだろうけどさ」女ばっかりなんてハーレムじゃないか、とか思う人もいるだろうが、ぶっちゃけそれで喜べるのは最初に数分だけである。残りはひたすら数の暴力と狭い肩身を耐えることになるだろう。正直、男1人だけで何年も平気な顔して女子寮の管理人なんてやってる耕介さんには尊敬と同時に畏怖の念さえ湧いているぞ、僕は。「お前も耕介さんには感謝しろよ? あの人、あれで料理に関しては普段からかなりお前らのこと考えてるからな」「知ってるし、感謝もしてる」「それは重畳だ」言いながら、冷蔵庫の中身を物色する。他人様の家の冷蔵庫を勝手に漁るのは少しだけ気が咎めるものの、住人の1人であるリスティが許可を出してるのだから別に構わないだろう。「ええ、っと、……ネギにニラ、山芋。豚肉と……おっ、キムチ発見。真雪さんの酒のつまみか何かかな。……おーい、リスティー。小麦粉の場所って知らないかー?」おおよそ作るものを決め、残りの食材の在り処をリスティに訊く。「確か台所の上の戸棚にあったはずだけど。なに作るか決めたの?」「主役はチヂミだ」「中国料理だっけ?」「おしい、韓国だ。ちょっとしたお好み焼きみたいなもんだから、キムチさえあれば他は残り物でも簡単に出来るし、野菜もたくさん摂れて腹にも貯まりやすい家計の味方。ま、酒のつまみとしても丁度良いかもしれないけど。お前ら、それで良いかー?」「申し分なし」「玉ねぎは入れるでないぞ」「くーん」「玉ねぎ入れると葛花と久遠ちゃんは腹こわすからなぁ」キツネは犬科の動物である。まあ、この2匹がその枠にどれだけ当て嵌まるのかは知らないけど。普通にヒト形態で食えば良いだけだし。調理シーンと食事シーンは特に面白くも無いので割愛。結果のみを言うのなら、至極好評だった。「ごちそうさま」「お粗末さまでした」適当に雑談しながら終えた食事。まだ食卓に着いているのは僕とリスティだけで、久遠ちゃんと葛花は食べて早早に食後の昼寝と洒落込んでいた。太るぞ、と言いたいところだけど、そもそもアイツら人間じゃないし。葛花に至っては霊体になれば摂った栄養もほんの少しだが自身の霊力に還元されるという素敵仕様だし。というわけで、現在さざなみ寮のソファに上では白髪と金髪のきつねミミ和服系美少女2人が抱き合ってすやすや眠るという、実に眼福な光景が広がっていた。はだけた裾から覗いているすらりとした真っ白な素足が可愛らしい。それにしても葛花のやつ、久遠ちゃんとはすっかり友達だなー。本人は舎弟にしたとか言ってたけど。残ったチヂミの生地は冷蔵庫にしまい、使った皿を水に沈める。まあ残りは夜にでも真雪さんの腹のなかに酒と共に消えるだろう。今は2人でイスに腰掛けての雑談タイムである。というわけで、その会話をダイジェストでどうぞ。「春海、小学校ってどんな感じなの?」「なんだよ、藪から棒に」「いやなに、ちょっと気になっただけだよ。ボクって子供ときは外国で研究漬けだったから学校に通い始めたのは中学以降だしさ」「へー、そうなんだ。中学のいつの時?」「中学2年の14歳」「周りの男どもがみんな馬鹿の時代だな……」「これでも割と告白とかされたんだからね」「ま、お前って性格の割に顔立ちは可愛いしな。付き合ったりとかはしたのか? 正直、お前が誰かの恋人って微妙に想像できないんだが」「性格は余計だ。……まあ興味が無かった訳じゃないけど……その、当時は能力のことも有ってあまりに本心見え見えだったから……」「あー……。まあ、中学高校って言ったら大半の男がちょうど下半身で生きてる時期だからなぁ」「おまけにボクたちの一番身近にいる男って言ったら耕介だろ? ついつい比べちゃってさ」「剣術を習ってる家事万能の立派な大人と思春期真っただ中の子供を比べてやるなよ……。無愛想な俺クールで格好イイとか思ってる時代なんだから」「今ではちゃんとわかってるんだけどね。でもボクも高校出たら大学行かずに警察関係の仕事やるようになったから、色恋からは遠ざかって今更まったく意味ないし」「そういう意味では僕の周りはまだ色恋のイの字すら無いがな。小学生に期待することじゃないけど」「そんなこと言って、ホントは1人だけ中身大人なのを利用して光源氏計画を企んでるんじゃないの?」「どこで覚えたんだよ、その単語。あとニヤニヤ笑いながら言うのは止めろ。唯でさえこういう話は幼女ハーレムじゃんとか大きいお友達に言われがちなんだから。葛花が幼女姿なのもちゃんと設定上の理由があるんだって」「じゃあ、小さい女の子が好きってわけじゃないんだ。まあ確かに女と言っても所詮は子どもだものね」「馬鹿め。誰も嫌いとは言っていない。少女の素晴らしさも理解できないのかお前は」「うわぁ……」「ごめん引かないで冗談だから」「じゃあ、女の子は嫌いなんだ?」「いや大好きだけど」「いずみー、たいほー」「そんな某絶対に笑ってはいけない番組みたいな軽いノリで逮捕するな! ていうか何処から出したんだこの手錠はっ?」「超能力で」「無駄な事に使ってんじゃねえよ!? ちゃんと普通の意味での好きだからこれ外せ!」「普通に幼女が好きなんだ?」「もうそれで良いよ!」「ロリコンめ」「理不尽すぎる……」「話を戻すけど、まあ、そんなわけで学校というものに通い慣れてない身としては現役小学生の春海の話には多少の興味があるんだよ」「なんかさっきから微妙に言葉に棘がないか……? 性格の割に、って言ったことは謝るから機嫌直せよ。……ま、そういうことなら別に構わないぜ? そうだな、小学校って言ったら……ああ、確か百葉箱があるのを懐かしいって思ったっけ」「百葉箱? 温度計が入ってるアレ?」「そう、それ。ぶっちゃけアレは小学校でも要らないとは思うけど。それに、懐かしいと言えば子どもの頃にしかやらなかった遊びも結構あるな。にらめっことか」「にらめっこ? ああ、知ってる知ってる。相手と見つめ合って笑ったら負けっていう、あの失礼極まりないゲームでしょ?」「にらめっこにそんな人を小馬鹿にした意図は無えよ!」「でも相手の顔を見て笑いモノにするなんて本質的に悪質じゃないかな。ボクならショックのあまり泣いちゃうよ」「意外とメンタル弱いなお前……」「春海に笑われたら屈辱のあまり死にたくなるよ」「必要だったかその補足?! ていうかお前の中で僕のカーストはどんだけ低いんだよ!」「誤解だよ、誤解。女として異性に顔を笑われたくないだけさ」「屈辱って言わなかったか、確か?……まったく。あとは音楽の時間には鍵盤ハーモニカも懐かしかったよ。改めて弾いてみると妙に楽しいし」「童心に帰る、って感じ?」「僕の場合は童心どころか童身に帰っちゃってるけど、まあそんな感じ」「割と楽しそうだね」「誠に不覚ながら、実はちょっと楽しいんだ」まあ、こんな感じだった「それにしても」「ん?」そんな感じで食後のコーヒー(これも僕が淹れた)を飲みんでいると、リスティが改まった風に口を開いた。「春海と知り合ったときはこれから何が起こるのかと思ったけど、去年は案外なにも起こらなかったなぁ」「なんだ、そりゃ」しかし、彼女の言ったことの意味が僕には些かわからない。なんで僕と知り合うと何かが起こらなきゃいけないんだよ。「いや、さざなみ寮のちょっとしたジンクスみたいなものなんだけど」「うん」「さざなみ寮の関係者で変わった力を持ってる人は、必ずなにかしらの問題を起こす」「なんて嫌なジンクスなんだ……」「しかも今のところ実現率100%」「皆勤賞かよ」そもそも変わった力を持つ人間が偶然でそこまで集まるとか。魔窟か、ここは。「……あ」「なに? 春海も何か思い当たる節でもあるの?」「いや、思い当たるっていうか……」きょとんしたリスティの疑問の声に言い淀みつつ、ズボンのポケットから一枚の和紙を取り出してみせる。僕はそれをテーブルの上で滑らせるようにして、リスティに向かって放った。受け取った彼女は不思議そうな顔をしながらそれを覗き見て。「…………うわぁ……」盛大に顔を引き攣らせた。「……一応訊くよ?……なにこれ?」「見ての通り、おみくじだ」ただし、運勢のところにはデカデカと『大大凶』とか書かれているが。「ほら。正月前にさ、那美ちゃんの手伝いで八束神社の年末整理を手伝ったことがあるだろ?」「ああ、ボクはちょうど仕事があって行けなかったけど、けっこう大変だったらしいね」「それで、その時にみんなで物は試しにってことになって、そこで引いたおみくじがそれだ」「……最近のおみくじって、凶とか大凶は入れない所もあるって聞いたことがあるんだけど」「那美ちゃん曰く、一枚だけ紛れていたのを僕がジャストミートで引き当てたらしい」「運があるのか無いのか……」「あのときの那美ちゃんの顔だけは今でも忘れられないよ……」今にも泣きそう、どころか死にそうになりながら謝ってたからな。自分が引き当てた『末吉』と交換しようとしてたし。「しかも、だ。その内容を読んでみろ」「内容?」リスティは促されるまま持った紙片に目を通し、……次第に、またしても顔を引き攣らせていった。「…………健康。大怪我を負うことがあるため外出は絶対に控えて下さい。 金運。入院費に出費が嵩みます。 恋愛。死に別れに注意して下さい。 総合。生きるのを諦めないで下さい。」「最後に至ってはおみくじに同情されてるからな」もはや今年が僕にとっての厄年と言って良いかもしれない。ちょうど8歳になるし。「いや、でもさ。所詮はおみくじだし、ハズレる可能性だって全然あるんじゃないの?」「リスティ、僕の職業を言ってみてくれ」「……小学生?」「……陰陽師だ」つまるところ。「僕ってさ、本当は悪霊退治や剣術よりも、卜占(占いのこと)や風水のほうが専門なんだよ」「……あー」「勿論それだって非科学だ。僕の腕前では百発百中じゃないし、リスティの言う通りハズレる可能性も0じゃないんだけど……」改めて、リスティの手から離れてテーブルの中央に鎮座する和紙を見てみる。そこに書かれた、無駄に力強い文字で自己主張している『大大凶』の文字。なんで『大』が一個多いんだよ。自己主張しすぎだろ。……まあ、早い話が。「僕がやる占いは、割と当たる」「……死なないでね?」「……頑張るよ」割と真面目な命の危険を感じる僕たちだった。「まあ良いや。それじゃあ僕は皿洗いでもしてくる」「了解。待ってるよ」ここで手伝うとは言わない辺り、彼女のぐーたらな性格がよくわかる気がする。が、しかし。「よっ、と───痛ッ!?」立ち上がろうとイスから飛び降りたところで、いきなり右足の膝に奔った疼痛に知らず唸ってしまう。「どうしたの?」その様子を目敏く見ていたのか、リモコンでテレビを点けようしていたリスティが訊いてくる。僕はじんわりとした痛みが残る右膝を撫でさすりながら。 「いや、最近関節が少し痛くて。成長期に無理しすぎなのかもな。子どもの身体ってのはこういう時に加減が解からなくて困るんだよ」「というか、子ども時代は体に無理をさせるものじゃないよ」「ごもっともです」彼女の尤もな言い分に頭を垂れて頷き返した。そんな僕にやれやれといった様子で呆れたように首を振ったリスティは、仕方ないとばかりに立ちあがって。「ま、それなら仕方ないか。着替えてくるから、それから病院に行くよ」「は?」「痛むんでしょ?」「確かに痛むけど、……僕、金も保険証も持ってないぞ?」財布に入ってる金額は小学生のお小遣いの域を出ないし、保険証に至っては自宅に居る母さんが管理しているのだ。病院に行くとしても一度家に戻って母親に話さないといけない。しかし、そんな僕の心配もリスティは何処吹く風。彼女は人差し指を立てると、ふふんと云った具合でちょっと得意気に言った。「心配はいらないよ。タダで診察とマッサージと整体をしてくれて、おまけにお金まで貸してくれる、便利な───おっと。優しい知り合いが居るんだ」「今日はもう貸さないからねっ」それが開口一番、リスティに向けてその人が発した言葉だった。寝ている葛花と久遠ちゃんをさざなみ寮に残したままやってきた、海鳴大学病院。そこの診察室の一つに入った僕たち。そこに居たのは、白衣を着た小柄な女性だった。「大体、この前も貸したばかりじゃない」「研修おわって羽振りもいいくせに」「浪費家のリスティに言われたくありません。……というより、お給料なら貴女もちゃーんとあるじゃないの」「酒とタバコに消えちゃった」「自業自得です!」なんかこのやり取りだけでリスティとの彼女との関係が解かりそうな気もするけど、ともあれ僕はリスティと言い合ってるその女性を見る。ともすれば中学生にすら見えそうな程に小柄な体(とリスティに比べるとややボリュームに欠ける一部)をグレーのスーツとタイトスカート、それに黒のストッキングで包み込み、その上から羽織っている白衣は彼女が医者と呼ばれる職業に属していることを証明いる。ただ、それより何より僕の眼を引いたのは、彼女のその容姿だった。リスティと話している今でこそ目を怒らせて怒気を発しているものの、クリクリとした大きな目は優しげで、全体のパーツも整っている。そして、日本においてはかなり人目を惹きつけるであろう“それ”───背中にかかる程に長く揃えられた、綺麗な銀色の髪。一言で表すのなら、そう。「───かわいいほうのリスティ」バチンッ!「ぎゃぁぁぁああああっ!?」後頭部が死ぬ!!?「また失礼なこと言ったでしょ」「言ったけどお前それマジで止めろよ!?」僕は口で言われてちゃんと理解できる良い子なのに。「ええ、と、……リスティ? この子は?」と。そこでようやくリスティの影に隠れていた僕の存在に気が付いたのか、女医さん(仮名)がリスティに僕のことを訊いていた。直接僕に訊かないのは、あからさまに痛がっている僕を気遣っているのだろう。僕の中の好印象人物一覧に彼女の項目を作成することを決定。ちなみにトップ争いはフィアッセさんと那美ちゃんです。「ん、前に何度か話したろ? 和泉春海だよ」「あ、この子が……」一体何を話したのかは知らないが、僕の知らない所で僕のことを話さないで欲しい。そう思いつつ僕がようやく痛みが退いてきた後頭部を擦っていると(やっぱり痛みが残っていないという絶妙な加減だった)、女医さん(仮名)がリスティの元を離れてすぐ目の前まで来ていた。彼女は僕と視線の高さを合わせるようにしてしゃがむと、僕を覗きこむようにして柔らかく微笑み、「和泉春海くん、よね? はじめまして。わたしはリスティの家族で、フィリス・矢沢って言います。この海鳴大学病院では医者とカウンセラーの両方をしてるの」「ああ、やっぱり御家族でしたか。はじめまして。リスティの友人をやってます、和泉春海です。よろしくお願いします。……失礼ですが、リスティの御家族ということは……」「あ、……うん、わたしもそうなの。彼女ほどの力は無いのだけれど」そう言ったフィリス先生が業務机の上を指差すとそこに置かれていたボールペンが彼女の手の中に顕れ、同時にその背中にはリスティと同様の光輝く6枚3対の羽が現れる。「……LC-23、『トライウィングス・r』。リスティと同系統になるのかな」「綺麗ですよ」「ふふ。どうもありがとう」フィリス先生は僕の率直な感想に微笑し、念じるように目を瞑ると光り輝く羽は消えてしまった。それを確認した僕は、とりあえず彼女のその後ろにいるリスティへと顔を向けて。「リスティ。フィリス先生って神咲さん家の事情は……」「久遠のことも含めて、ちゃんと知ってるよ」「うん。だから、春海くんの力のことや『葛花』ってキツネさんのこともリスティ達から聞いてるんだけど、……勝手にごめんなさいね?」「それは別に構いませんよ。───では改めて。陰陽師してます、和泉春海です。よろしくお願いします」「はい、よろしくお願いします。……それで、」そこで握手で自己紹介を終えると、途端にフィリス先生が不安げな顔つきになった。彼女は僕の両手を自分の手で包み込むように握りしめると。「春海くん、大丈夫? リスティに何かされてない? いくらリスティでも、子供からお金を巻き上げるようなことは無いと思うんだけど……」「ちょっと、フィリス?」「あはは、大丈夫ですよ。休日にわざわざ昼飯作らせるためにさざなみ寮に呼び出された程度ですからー」「リスティ!」僕の言葉にフィリス先生は顔を険しくすると(それでも怖いどころか微笑ましい感じだが)、プンプンと叱りつけるようにしてリスティに詰め寄った。対するリスティは両手を突き出すようにしてフィリス先生を押し留めて何かしら言い訳しながら、さり気なく恨みがましい視線で僕を睨む。とりあえず、笑顔で立てた親指を下に向けておいた。「というわけでフィリス。今日は春海を診てもらいたいんだ。タダで」「どういうわけなのよ、まったく」結局、言い争いはリスティがフィリス先生を煙に巻く形で決着が着き、今はここに来た理由を説明していた。それにしても、家族って言っていたけど妹さんなのかな? 名字が違うところを見るに、それなりに複雑なご家庭なのかもしれない。と、まあ、診てもらう当の本人である僕が黙ったままでリスティに全て任せてしまうというのも少々頂けない。ていうか何でそんなに偉そうなんだリスティ。「あー、……すみません、フィリス先生。リスティが無茶言っちゃって。お忙しいなら後日、患者として窺いますが」「あ、ごめんね春海くん。そんなに気を使わないで大丈夫だから。今は休憩中で時間も取れるし、ね?」「なんだか、ボクの扱いに納得いかないなぁ」視界の隅でリスティがブー垂れてるけど僕もフィリス先生も華麗に無視。ひとりで反省してなさい。「それで、春海くんはどこか痛いところがあるのかな?」「右膝に疼痛が少し。成長期だからかな、とは思ってるんですけど」「そっか。……じゃあ、そこのイスに掛けてもらえる?」「はい」言われた通りフィリス先生の指差す先にあった丸イスに腰掛けると、その対面にあるイスにフィリス先生が座って。「じゃあ、ちょっとごめんね」そう断ってから、僕の右脚に触れた。幸い、今日履いているズボンは膝丈過ぎであったため脱ぐ必要はないようだ。フィリス先生は僕の右脚の膝の辺りをグニグニと揉むようにして診ており、その表情は真剣そのもの。押される度に微妙な痛みが奔るものの、声を上げるほどではないのでグッと我慢する。ちなみにリスティは部屋の端にあるポットのお湯でココアを作っていた。お前もう帰れよ。「……すごい。子供だからってこともあるんだろうけど、物凄くしなやかな筋肉。……春海くんって、なにか格闘技でもやってるのかな?」「あ、はい。剣術と、なんというか……喧嘩殺法的なものを」葛花との肉体鍛錬は特に型があるものではないため、そう答えるしかないのだ。「あらあら、ケンカはダメですよ……? それじゃあ、最近になって何か新しい動きを練習したりしてる? 具体的にはここ4カ月程の間、かな」「んー……、あ。あります」4か月前と言えば、僕が御神流の『徹』の練習を開始し始めた頃だ。膝一つでここまでピタリと言い当てられるものなのかと僕が驚いていると、フィリス先生は更に言葉を続けて。「“踏み込み”って言うのかな。……その新しい技でそれが強くなってるから、体捌きに身体が追いついてこなくなって右足に負担を掛けてるんだと思うの」「……よくわかりますね」まさか膝の痛みだけで格闘技してることや新技の練習、おまけにその技の特徴まで言い当てるのか。医術ってすげー。「これでも医者ですから。それじゃあ、後でテーピングのやり方を教えてあげるから、今日はそれを覚えて帰ってね?」「はい」「……この分だと、全身も診ておいた方が良いかな。じゃあ春海くん、上の服を脱いであそこのベッドに横になって下さい」「あ、いえ。お金も払ってないのに、そこまでしてもらう訳には」「そんなこと気にしなくて構いませんよ。わたしがちゃんと診たいだけだから。ね?」遠慮する僕に、フィリス先生は笑顔で促した。ただ、笑顔のはずなのに妙に有無を言わせぬ迫力が伴っているのは何故なのでしょう。「春海も早めに諦めた方がいいよ。治療に関してはフィリスって妥協は一切しないから」「人を治すのに妥協なんて要らないの」いつの間にか診察室の隅に移動していたリスティがココアの入ったカップから口を離してニヤニヤと笑いながら言い、それに言い返すようにしてフィリス先生が微笑む。なんて対称的な笑顔なんだコイツ等。「まあ、そう言うことなら、お言葉に甘えさせていただきます」「はい、どうぞ♪」とは言え、僕としてもわざわざ隈なく診察してくれるというのなら否やも無い。ここは素直に彼女の好意に甘えるとしよう。そう結論付けて、ベットの近くまで歩み寄って上着やシャツを脱ぐ。脱いだ服は備え付けられてるカゴの中へと放った。ちなみに。あれだけ鍛えているのだからムキムキに腹筋とか割れているのではないかと思う人もいるかもしれないが、実は僕の場合は意外とそうでもなかったりする。せいぜい薄っすらと割れ目が見える程度のものだ。この辺り、子供のときから過多な筋肉を付け過ぎても逆効果であるという士郎さんや恭也さんの言であり、故に自身の身のこなしのための必要最低限なものしか鍛えていない。いざ力が必要な場面に直面したのなら、そこはそれ、僕には“陰陽術”ってインチキがあるし。閑話休題。それを見たリスティはというと、僕があっさりと脱いでしまったのが詰まらなかったのか火の点いていないタバコを咥えて揺らしながら。「なんだ。もうちょっと恥ずかしがって躊躇うのかと思ったのに」「女性とは言え医者の前で脱ぐのを躊躇うかよ。そもそもこんな子供ボディの上裸くらいで恥ずかしがるもんか」「可愛げ無いなー」「そういうのは母親の腹の中に置いてきたんだ」文字通り、生まれたときから持ち合わせてないです。「?……リスティ。春海くんはまだ小学生なんだから、そういうことは分からなくて当たり前でしょ?」僕たちの会話を不思議に思ったのか、フィリス先生がリスティに訊く。が、当然ながら本当のことを話せるはずもない。きょとんとしているフィリス先生にリスティはいつものニヒルな笑みを返すと。「ま、フィリスもそのうち話してもらえるんじゃないかな。…………どうにも、君らは対称的な境遇みたいだし」「? リスティ、何か言った?」「なんでもないさ。ほら、患者が待ってるよ」「う、うん……」リスティに言われて切り替えたフィリス先生が、再び医者の顔になって僕の傍へとやってきた。「それじゃあ春海くん、少しくすぐったいと思うけど我慢してね?」「了解です」それから。背中から四肢にかけてを順番にフィリス先生に診察してもらった僕は、少し無茶な鍛錬をしすぎているとお叱りの言葉を頂き、その後に少しだけ出ている骨の歪みを矯正しようということになって───ゴキッ☆「うぐぅぉ!?」「~~~♪」バキッ☆「ちょっ」「~~~♪」ボキッ☆「音おかしくね!?」「はーい、少し強く押しますよー」「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」「~~~♪」全てが終わった後。確かに僕の身体は今までに無いくらいに動かしやすくなったものの、そこに辿り着くまでの道のりが果てしなかったことをここに記そう。死ぬわ!**********「あ゛~、……死ぬかと思った」「ふふ。フィリスの整体は効くだろ?」「確かに体は軽くなったけど……、お前、わざと黙ってただろ。かなり痛かったんだが」「言って避けられるものでもあるまいし、穿ちすぎだよ」「ぬう。……まあ、良いけどな」「それにしても、フィリスとは最後に何を話してたのさ」「…………」「春海?」「……『こんな無茶な訓練をしてるとすぐに身体に歪みが溜まるだろうから、定期的に診察に来てね』だと。ご丁寧に携帯の番号まで交換してしまった……」「……フィリスのやつ、よっぽど嬉しかったのか」「あん? 何がだよ?」「べつにー」「……?」「ほら、もう行くよ」「はいはい」そんな風に話しながら病院の正面扉を出て行く2人の後ろ姿を、「……リスティと、……春海?」とある歌い手の卵が、見かけていたとか。「おーい、フィアッセ! 矢沢先生が待ってるから早く行くぞー!」「あ、……OK、士郎! いま行くねっ」物語において彼女と主人公が本当の意味で関わるのは、まだもう少し先になりそうだ。(あとがき)第十六話その5、投稿完了しました。……ええ、そうです。賢明なる読者の方々の中にはお気づきになられた方もいらっしゃるかと存じますが、今回の話、前半部分はストーリー的には全然必要なかったりします。全ては主人公をリスティお姉さんと絡ませたいという作者の自己満足だぜ!(てへぺろいやー、やっぱリスティさんは書いてて超楽しかったです。サバサバした性格もそうですけど、何よりも主人公の秘密を知っているというのがデカい。会話に遠慮がないから書きたいこと全部書けちゃうんですよね。年上お姉さんキャラは主人公とも精神年齢が近いので他のキャラとは会話の安定感が違いますよ本当に。書きやすいの何のって。個人的には葛花とのやり取りと同じくらい書いてて楽しかったです。で、ですよ。とうとう十六話にして とらハ屈指のロリ女医たるフィリス先生が登場しました。検索とかして画像見れば分かると思いますが、彼女はリリカルにおけるリインフォースⅡの前身ですね、ロリ成分もしっかり引き継いじゃってますし。当たり前ですが作者はどっちも大好きです。彼女もこれから原作に突入すると出番もかなり増えてくる筈ですので、何卒よろしくお願いします。閑話休題。と、いうわけで。今話にて、この「とある陰陽師と白い狐のリリカルとらハな転生記」という物語の、その前日譚というかプロローグ的なものは晴れて終了と相なりました。あり得ないまでに亀展開でしたけど、その分作者が書きたいと思ったストーリーや伏線は殆ど詰め込むことができたように感じます(いや、残念ながら全部じゃないんですよね。実は桃子さんとか美由希さんがメインのエピソードって書けてませんし)。そもそも作者がこの話を書く上で目的としていることの一つに「執筆技量の向上」というものがありまして。言い方は悪いですけど、この話はそのための試作品であり、実験作という見方もあったり。まあ結局のところ、書きたいものを書いているだけなのですが。読者のみなさまは一体いくつほど伏線を見つけることが出来たでしょうか。作者的にはさり気ないものから解かりやすいものまで出来る限り張ったつもりなのですが。解かり難いもので、第十六話の1ですずかの本を持って帰らなかった部分とか、大体あんな感じのレベルで張ってます。まあでも、見つけたとしても感想板で「これじゃね?」とか言ったりはしないで下さいね? 1人で「わかった」みたいな感じでニヤニヤして下さい、お願いします。作者としては次の話から新章みたいなノリではありますが、まあ多分サブタイトルのところは普通に「第十七話 ~~~」みたいなものになるでしょう。「第二章 第一話 ~~~」とかクドい上にメンドイですし。あれですよ。「人生に区切りなんてものは無い」とか、そんな感じで。そんな風に適当気楽に細々とやっている作品ではございますが、このような拙作にお付き合い頂いている読者のみなさま、今後もどうかよろしくお願いします。では。