視界の端を夜の街が光の線を引きつつ過ぎ去って行く。時間帯がもう深夜に近づいているからだろうか、さざなみ寮に向かったときに比べたら人の数も心無し減っているように感じる。今はさざなみ寮からの帰り道、自分が座っているのは走行中の白いセダンの助手席。隣の運転席ではこの車の持ち主であるリスティさんが、火のついていない煙草を咥えたまま両手でハンドルを握って運転していた。聞いてみたら口元が寂しい時にはいつも咥えているらしい。艶のある唇にちょっとクラッと来たのは内緒だ。「最近は喫煙者に優しくない世の中になっちゃってね。人の前では出来るだけ吸わないようにしてるけど、咥えるくらいは許して」「僕は煙草の煙は大丈夫なんで吸ってもらっても構わないんですけどね。残念ながら葛花が大の苦手なので、勘弁してやってください」「ふふ、了解」リスティさんは何が可笑しいのか、煙草をくわえた口の端にシニカルな笑みを称えながら前を見ていた。お互いに探り合っていると感じるのは、たぶん勘違いじゃない。(そういえば、民間協力の警察関係者って言ってたっけな……)民間協力というのがどういったものなのかは僕にはよく解からないものの、この見透かしたような視線はそっちの関係者特有のものなのだろう。不快なわけではないが、ちょっと居心地悪く感じてしまう。…………もっとも、居心地悪いと思ってしまう理由は、こちらが隠し事を抱えている故だろうけど。そのことに小さくため息をつきながら、車を運転するリスティさんに自宅までの道をナビゲートする。「……そこの交差点を右にお願いします。その後はしばらくは直進で」「OK」僕の言葉通りに白いセダンが前方の交差点を右折する。関係あるのかどうかは解からないが、警察の人間だけあってまるでお手本のように綺麗な運転だった。「…………」「…………」沈黙。別に相手を警戒して出方を窺っているわけじゃないけど、会話の取っ掛かりが掴めない。僕は自分のことをどう話したものかと思案中。向こうも僕のことを無理に暴くつもりではないのか特に何も訊いてこない。考えてみたら、自己紹介のときも言うかどうかは僕の意思に任せるみたいな言い回しだったように思う。結局のところ、僕次第ということなのだろう。…………まあ、隠したところで今更、か。僕が正体が子どもであるということは既にばれているんだ。さざなみ寮の人たちに話すための予行演習だと考えれば、少しはやる気も出てくるし。「───僕のこと、フィアッセさんからどのくらい聞いてます?」そんな唐突な僕の質問にも、リスティさんは特に慌てることなく運転に集中したまま答える。たぶん来ると思っていたんだろう。「高町さんの家で最近お世話になり始めた小学1年生。みんなともすぐに仲良くなって、7月くらいに自分のことも助けてくれた、すっごく頼りになる男の子、……ってところかな?」べた褒めじゃねえか。「僕としては助けたなんて思ってないんですけどね。あれだってフィアッセさんとその友達の女の子が自分で頑張ってただけですし」「ボクはそのままを言っただけだし、フィアッセも自分の感じたままを言っただけ。本人が助けられたと思ったんなら、それで良いんじゃない?」「ま、それもそうですけど」言いながら、僕は自分の内に“憑いた”ままの葛花に呼びかける。<おーい>『…………』<…………?おーい?>『……ねむい』やばい。僕の眠気で葛花が寝かけてる。声からしてもう既に限界くさい。<……もう出てきて良いから。おねむはそれからにしてくれ>つーか人の中で寝るなよ。『…………うむぅー』念話でなんとかそれだけ言うと(ただ呻いてるようにしか聞こえなかったけど)、やがて僕の胸の辺りから、すぅ、と霊体状態の葛花が現れる。それと同時に自分の視点が少し低くなった。こいつが出てきたことで変化が解けたのだろう。この子供の高さの視点のほうに慣れてしまっている自分が少し悲しい。そうして膝の上に葛花を抱えながら隣のリスティさんを窺うと、「……そっちが君の本当の姿ってことで、いいの?」ちょうど赤信号で車を停めつつ横目でこちらを見るも、その声は存外落ち着いていた。さざなみ寮で彼女が言った通り、多少なり耐性があるのだろう。「ええ。改めまして、私立聖祥大学付属小学1年生、和泉春海です。こっちはさっき話した、狐の葛花。今はおねむですが」言いながら膝の上で目を瞑る霊体の葛花を撫でる。こいつも今日はよく頑張ってくれたので、まあこのくらいはね。そんな僕たちの様子に口元を綻ばせつつ、リスティは再びセダンを走らせながら問い掛けてきた。「それで。なんでさっき、さざなみ寮で皆には教えなかったの?」「いや、最初は那美ちゃんを送るためにあの姿になっただけで、すぐに帰るつもりだったんですよ。その後でさざなみ寮にお邪魔することになったのは完全になりゆきですし。……まあ、それからも言いださなかったのは、薫さん達との話があったからですけど」「話?……ああ、退魔の関係?」「ええ。僕は見ての通りの子供ですから。その僕がどんなに訴えかけたところで、結局は世間知らずな子供の戯言と取られる可能性のほうが高かったので」もっとも、薫さんも那美ちゃんも相手が子供だからと言っておざなりに扱うような人には見えなかったが。しかしそれでも、向こうから見れば子供が危険な退魔業に首を突っ込んでいるという認識には変わりない。「変な言い回しになっちゃいますけど、舐められる訳にはいかなかったんですよ」あの時ばかりは、子供扱いで僕の発言を流される訳にはいかなかった。言い方は悪くなってしまうが、正確な情報を引き出すために彼女たちとは同じく一人の退魔師として同じテーブルに着く必要があったのだ。「それが、言いださなかった理由?」「まあ、そうですね。あとは今さら説明するのが面倒だったとか、そんな即物的な理由もありますけど。概ねはそんな感じです」もっとも。薫さん達との話が終わった後も黙っていたのは日を置いてからのほうが話しやすいと判断したからだけど。なんせ『子ども』の僕がこうして危険な退魔業に手を出しているんだ。あの場で全部を話してしまうのは色々な意味で面倒が過ぎる。「ふーん」いや、ふーんて。妙におざなりな言葉を返したリスティさんが気になって運転席に顔を向ける。別に大袈裟なリアクションを取って欲しかった訳ではないが、かと言って「ふーん」の一言で済ましてしまうのも如何なものかと。そう思って視線を向けると、そんな考えが顔に出ていたのだろう。リスティさんは苦笑して僕にフリフリ左手を振りながら、「ああ、失敬失敬。ちょっと考えごとをしててね」「考えごと?」…………?さっきまでの僕の話の中で、何か解かり難いことがあっただろうか?そう思いながらその事を訊いてみると、「いや、そうじゃないよ。……訊いていいのかは解からないけど」そう前置きしてから、リスティさんは言った。───僕にとって予想外で、それでいて衝撃的な、その一言を。「春海。───君って、実はさっきまでの青年の姿のほうが本当の姿だったり、しない?」「 」呼吸が凍った気がした。心臓ごと自分の『核』とも呼べるものを鷲掴みにされた感覚。その時の僕は、一体どんな顔をしていたのだろう。左の窓に映る自分を見ればその答えが解かるのかもしれないが、生憎とその時の僕にそんな余裕がある筈も無く。思考が纏まらない。頭はこの状況の把握に努める一方で、もう片方ではこの状況をどう乗り切るのかを考えていた。しかし具体的な案が浮かぶどころか、考えれば考えるほど思考は乱れて行く。今、僕は一体何を言われた……?リスティさんは、何故そのことに気づいた……?───僕は、どうすれば良い?「……………………」そんな僕の反応が全てを物語っていたのだろう。火の付いていない煙草を口元に咥えたまま揺らし、リスティさんは僕の答えを待つことなく再び言葉を紡ぐ。「……違和感を覚えたのは、ゆうひとの会話だよ。それまでも子供のくせに妙に思考が大人びているとか、小学生なのに美緒や那美を年下扱いしていたとかもあったけど、決定的なものには程遠かった。全部演技で片付くしね。……それがボクの中で確固とした疑問になったのは、君がゆうひに言った一言だった」ゆうひさんとの、会話?なんだ。僕は一体何を言った?どうしてなのか僅かな焦燥感に駆られながら今日のゆうひさんとの会話を思い出している僕の横で、リスティさんが呆気なくその回答をくれた。「春海。あの時こういったよね。“子ども相手の経験なら十年以上”って」「…………言いましたねー」彼女の一言に、一気に焦燥感までもが吹っ飛んだ気がした。後に残った諦観染みた虚脱感もそのままにドッカリと助手席の背もたれへと身体を預ける。いやはや。そんな雑談で言った一言で僕のトップシークレットがばれるとは。油断しすぎだ。たぶん久々に精神年齢と同様の姿と立場で喋って普段の子供に合わせるというストレスから解放されたせいだろう、完全に気が緩んでいた。それとも「それも演技で言った」とでも言えばまだ誤魔化せるだろうか、……いや。それももう遅いか。先程の僕の反応では何の説得力もありはしまい。「小学一年生なら、まだ6、7才。どんな理由があっても10歳は超えない」そんな僕を気にすることなくリスティさんが逃げ場を失くすように追い打ちを掛ける。この人も中々に容赦の無い人だこと。「……あーあ。遂にばれたかー」言いながら、大きく伸びをする。膝の上の葛花が鬱陶しそうに身を捩ったが気にしない。こっちも色々と大変なんだ。我慢してください。「へぇー……随分とあっさり認めちゃったね。ここで誤魔化してもボクは追及しなかったよ?」「そうだとしても素直に誤魔化される性格じゃないだろ、あんた。それなら最初から全部説明して黙ってもらった方がマシだよ」「……そっちが素?」リスティさん……リスティが首を傾げながら訊いてくる。彼女の小柄な体躯と相俟って少し幼く見えるのが可笑しい。タメ口を不快に思ってるということもなさそうなので、このまま通させてもらおう。「素っていうか、単に敬語捨てただけだけどな。流石にそこまで普段から自分のキャラ作ってる訳じゃない」そもそもそんな面倒なことを普段からしてるのはコナン君くらいだ。ねーねーおじさーん、みたいな。「あと呼び捨て良い?」「その口調で『さん』付けも気持ち悪いしね。別に構わないよ」何気に酷くね?「んじゃリスティで。ちなみにリスティの予想ではどんな感じ?」「実は子供の姿のほうが偽物。もしくは、本当は大人だったけど何か理由があって子供の身体になってしまった。“呪い”っていうんだっけ、そういうの」「おー。ちょっと惜しい」自分の口元が笑みを形作っているのが解かる。果たしてそれはどんな感情に由来する笑みなのか、僕にもよく解からない。ただ、今は酷く気分が良かった。「それじゃあ、なに?」「早い話が前世の記憶ってヤツ。気がついたら幼児になってた。ちなみに亨年21ね」「それで“十年以上”ってこと、か。……深く訊くつもりはないけど、それを知ってるのは?」「コイツだけ」言いながら、静かに眠っている“ように見える”葛花を撫でる。安心しろと、伝えるために。「一応、普段は小学生してるしな。多少子供らしくないって思われたところで、それで前世の記憶を持ってるって発想に行き着く奴なんていないし」「確かにそうだね」「これでも結構大変なんだぞ?いくら聖祥がお坊ちゃん・お嬢様学校って言ったって小学生にそんな違いがある筈もなし。そりゃあガキの扱いも慣れるって」「ふふ。美緒もまだまだ子供だからね」お互いに軽口を言い合いながら、僕はなんとなく愚痴を零していた。少し口が軽くなっている自覚はあるが自分の正体を人生で二番目に知った人だ。この際少々のことは構うまいと、どこか開き直ったような感覚。どうせ彼女が勝手に他の人間に話したとしても、僕本人が認めなければ誰も信じやしないのだからと、自分を正当化してしまう。「子供相手はどこに逆鱗があるのか良く解からないから気を使うし、逆に大人相手になると向こうはこっちを子供扱い。子供になった利点よりもストレスになる事のほうが全然多いんだよ」「大変そうだね」「今から小学校に通えって言われるのが一番わかりやすいと思う。半ズボンとか精神的にかなり死ねるぞ。体育の時間に至っては最早吊るし上げに近い」「……大変そうだね」そりゃあもう。この歳で夜な夜な宿題の絵日記を書いてるとか涙が出そうになるよ。(ああ。それにしても……)今こうしてリスティと話をしていて、自分が何故ここまで上機嫌になって自分のことを彼女にペラペラ喋っているのか、ようやく解かった気がする。たぶん僕は自分の秘密がリスティにばれた事を、そして彼女がそれを信じてくれている事、それ自体を喜んでいるのだ。その理由は、今まで葛花だけにしか打ち明けたことのない自分の事情を初めて他人に話すことで、「誰にも言えぬ秘密を抱えていたこと」へのプレッシャーから解放されたから…………ではない。というか自分で言うのも何だけど、僕にそこまで繊細な感性は無い。確かにそれはそれで肩の荷が少しは下りたという意味では現在の僕の高揚に一役買っているものの、あくまでも一役。一部であって全てではなかった。では、一体この場において何がそんなに気分良かったのか。それは、……(───こうやって同年代と気兼ねなく話すのって、ほんと何年ぶりだろうなぁ)まあ、こういう訳だったりする。そもそもいくら仲が良くても、アリサたちやレンたちに対しては少なからぬ保護者染みた感情が入ってしまうし、恭也さんにしても実際の肉体年齢に10歳以上の開きがあるのだ。秘密を隠しているということには負い目なんか感じていないにしても(友達だから相手に一切の秘密を持ってはいけない、なんてピュアな考えは僕には無い)、様々な要素が絡んだ結果、どこか壁が出来ているのは間違いない。じゃあ家族はどうなんだと訊かれると、そりゃあ両親や妹たちには家族故に気兼ねしたことはないけれど、だからと言ってそれは同年代との交友とはまた別物だ。葛花にしても、既に僕の中では相棒兼家族の一員にカテゴライズされてるから友達とも違うし。要するに、『今』の世において僕は“生まれて初めて”他人と同じ目線で会話しているということだ。これが嬉しくなくて何を喜べと言うのか。……にしても。「よくこんな突拍子もない話を信じたな。正直、ガキの妄想の一言で切り捨てられても仕方ないと思ってたんだけど」「仮に妄想だとしても、それでボクが困ることもないからね。もちろん信じるつもりではあるけど」「はぁん」まあ、確かに会ったばかりの小学1年生に妄想癖があったところで困る人間は居まい。なかなかにドライな考え方だけど、人間そんなもんだ。というか信じる気でいてくれるだけでもかなり有り難いことだと思う。「それに、」そう思って納得していると、運転しながらリスティが言葉を続ける。「ボクも、そういう不思議なことには昔から結構縁があるから」「?……ああ。薫さん達みたいな霊関係か?」「それもだけど、それだけじゃない。……まあ、自分にも思いも寄らない不思議が世界にはまだまだ存在するってことかな?」「……ふーん」苦笑しながらそれだけ言うリスティに、僕も車の進行方向を向いたままそれだけ返す。まあ、彼女がそう言うのなら彼女の中ではそれが真実なのだろう。もともと自分の常識だけが全てなんて思ったことはない。そんな認識は葛花に出遭った5年前に、どころか転生を経験した瞬間に崩れ去っている。そう内心で独りごちていると、───「でもまあ、そっちの秘密だけボクが一方的に知っちゃうっていうのは、ちょっとアンフェア過ぎるね」と。唐突にそれだけ言って、リスティは道路の傍らにセダンを停車させた。既に人々で賑わうオフィス街は過ぎており、今いる閑静な住宅街には疎らに人影が見えるだけでこの車に注目している人間はいない。…………え、なにこの展開?感じる疑問もそのままに、とりあえず彼女の言葉から察したことを言ってみる。「あー、……つまり、意図しなかったとは言え秘密を暴いて相手の中に踏み込んだんだから、その対価にリスティも僕に何か教えてくれる。……ってことでOK?」「Yes♪」僕の問いに、今度はどこか子供のような悪戯っぽい笑みで頷くリスティ。あ、ちょっと可愛い。…………いやいやいや。「……いや、何でそうなるんだよ。別にそんなこと気にしなくても良いって。元より簡単に悟られた僕が間抜けだった、って話だし」そうでなくても、女の秘密をそんな交換条件みたいな形で無理に暴くような真似をするつもりはない。そう考えての言葉だったのだが、……「それでも、だよ。というより、そんな難しく考えてのことじゃない。ある程度親しくなった相手や、さざなみ寮のみんなにはもう話してることだから」「……さいで」彼女のそんな言葉に封じられてしまった。……ま、本人がそう言うのなら甘んじて受けておくのが吉、なのかね。ひょっとしたら僕の秘密を暴いてしまったことを想像以上に気にしているのかもしれないし。先程の僕ではないが、リスティも他人に話して初めて軽くなるものがあるのだろう。「うん。……春海は、『変異性遺伝子障害』って知ってる?」「変異性……?」そうしてリスティの口から唐突に出てきたのは、そんな単語だった。僕はその問いの意味を深く考えることなく反射的に自分の脳に検索を掛けて、……程なくヒットした。『変異性遺伝子障害』それは20年ほど前に世界で同時多発的に発生した新種の遺伝子病の名だった。先天的な遺伝病で、死病でこそないものの、治療方法は未だ確立されていない。確か症状としては……生まれつき自身の遺伝子に特殊な情報が刻まれていて、それが原因で様々な症状を引き起こす、だったか……。中には身体の一部が奇形になるようなものもあった筈だ。その他諸々の僕が知りうる知識をそのままリスティに伝えると、彼女は少し驚いた顔に。「驚いた。けっこう詳しいね」「昔、この世界のことを調べるために新聞やネットを読み漁った時期があってな。その中にあったんだよ。『前』の世界では無かったことだったから、よく覚えてる」なんせこの世界の日本って政府公認の忍者とか居るんだぜ?何だよ忍者の国家試験って。影分身でもするの?「それはそれで興味深い世界だけど、まあ今は置いておこっか。……そこまで知ってるなら話は早いね。その『変異性遺伝子障害』の中でも20人に1人ほどの割合で存在するのが……」言ってからリスティはそこで少し言葉を切り、左耳のピアスを取り外すと、───彼女の背に、金に光り輝く翼が現れた。その翼は3対6枚で構成され、光り輝きながらも羽の向こうが透けて見えている。しかし光り輝くとは言ってもそれは決して目を潰すような強光ではなく、どころか包み込むような暖かさで狭い車内に一種の幻想的とも言える光景を作り上げていた。突如として現れたそんな天上の如き光景を前に、僕は半ば自失したまま感じたことが自身の口を突いて出て、───「虫みた───」「何か言った?」「お美しゅうございます」一瞬で冷静になった。怖ぇー。流し眼で睨まれるの超怖ぇー。ていうか気にしてたんだ、その昆虫みたいな羽の形。いや、綺麗だよ?虫みたいだけどさ。自分の視線に怯える僕を見ながらリスティは、はぁ、と溜め息をついて「……どうにも君は反応が予想外すぎる。驚いても心のどこかで余裕を保ってるみたいだ」「あー、……それ多分合ってる。一度死んだからか妙に驚きや混乱に対する沸点が高くてな」ぶっちゃけ臨死体験の一つや二つしてればそうなります。常に冷静にしてないと死にそうで怖いもん。「自覚があるの?」「そりゃあな。本当に短期間だけだったけど、マジで自分が妄想抱えた異常者じゃないかって疑ってた時期もあったしな。そのときは何度も自分を見直してたから」自己分析はばっちりですよ、と。ま、それも葛花に出遭った頃には完全に受け入れてたけどね。たぶん期間にしても1カ月も悩んでなかった気がする。……考えるのが面倒になったとも言うが。「最近で一番焦ったのって、さっきリスティに正体を見破られたのを抜かせば、風呂入ってるところにフィアッセさんも入ってきたときかなぁ……」「そんなことと比べるな……」ていうかボクの秘密はそれに負けたのか。とか言いながら僕の台詞に呆れ気味に零したリスティだったのだが、何かに気がついたように顔を上げて、こちらに疑念の目を向けながら静かに言い放った。「春海。……まさか子供の身体なのを良いことに、フィアッセや他の女の子にエッチなこと……」「しねぇーよ」今度はこっちが呆れた視線を返す。依然としてこちらに犯罪者を尋問する警察官のような目線を向けるリスティに、僕は肩をすくめながら弁解する。「確かにまあ興味がないと言えば嘘になるけどさ。それでも自制できるくらいの良識は持ってるつもりだよ」「でも男は結構頻繁にそういうこと考えてるからなぁー」「何を見てきたように……」否定はしないけどな。男はみんな狼なので婦女子の皆様は気をつけましょう。「そもそもこの子供ボディだと性欲からして湧かないしな。“そういうこと”をするにしても、その原動力から無いんだよ」常時ハイパー賢者タイムは伊達じゃないのだ。たとえフィアッセさんの裸体を前にしても、今なら紳士的対応をする自信がある。微妙に嫌な自信だけど。───バチッ「ッ!?」唐突に、自分のこめかみの辺りに僅かな違和感が走る。ピリッとした、強いて言うなら静電気が弾けたような。葛花に置いていた右手でこめかみを擦りながら何が起こったのか思案していると、これまた唐突に隣の運転席でリスティが声をあげた。「……どうやら本当にしてないみたいだね」「ってオイ、ちょっと待て。いま何したんだよ」半眼になってリスティに尋ねる。なんだ、今の妙に確信を持った一言は。そんな僕の問いにリスティは背中の翼を小さくして光量を抑えながら、シレッとして言う。「別に。単なる精神感応≪テレパス≫だよ」「テレパス……読心か」「Yes」僕の言葉を軽く肯定してから、改めてリスティが自身の翼を説明する。ていうか完全に話逸れてたけど、本来そっちが本題である。「さっきの続きだけど、『変異性遺伝子障害』の発症者の中に20人に1人ほどの割合で存在するのが『高機能性遺伝子障害』。通称“HGS”と呼ばれるもの。ボクの場合はその中でもPケースって云って、特別力が強いものだけどね」「で、その結果がその羽やさっきの読心、と」「そ。“種別XXX パターン『念動・精神感応』”。俗に言う、超能力ってやつ。念力・読心・瞬間移動。その他諸々なんでもありだ」「わーお。いよいよファンタジーみたい……って訳でも意外とないか?」「むしろ分類的にはファンタジーの対極だよ」現代科学で全部説明つくから、とリスティ。うーん、現代の科学の力はそこまでなのか。『行き過ぎた科学は魔法と見分けがつかない』とは言うけれど、それと同じようなものだろうか?ちょっと違うか?「昔は色々と制御が甘くてね。今ほど常識も無かったから、そこら辺の人達全員の頭の中を覗いてたこともあったし」「うへー。それって覗かれた方もだけど、覗いてた方もキツかったんでない?」他人の考えることなんて、読んだところで碌でもない場合のほうが遥かに多いに違いない。事実、ある程度まで歳を重ねた男の脳内なんてカオス極まりないし。僕は男だから女のほうは知らんけど、これはもう生物学的に避けようないのだ。それを多感な時期の少女が読み放題って、……お互いにとってかなりの不幸じゃないだろうか、それって。そんなことを思って言った僕の言葉に、リスティは肯定するように苦笑した。「まあ、確かに見ていて気持ちの良いものじゃなかったかな。色々あって今ではさざなみ寮で暮らしてるけど、それまでは結構やさぐれてたし」「黒歴史だな」「黒歴史だね」そのまま2人で黒歴史黒歴史言い合いながら再び車は発進。それからは他愛もない雑談が家に辿りつくまで続いた。**********「ここで良いんだよね?」「ああ」そうして無事に自宅から少し距離のある所(家の前まで行くと家族が車の音に気づいて出てくる可能性があるから)で、腕の中に葛花を抱きかかえたまま春海は白いセダンを降りた。ガラスの降りた助手席の窓越しにリスティを振り返る。「じゃ、送ってくれてサンキューな、リスティ」「もともと那美を送ってもらったんだから、別に構わないさ」「ああ、そうだったっけ。なんか色々あってもう忘れてたぜ。さざなみ寮の人たちにもよろしく伝えておいてくれ。2,3日中にはまた行けそうだから」「了解……それと、」と、ここで彼女は心無し声を潜めて春海に尋ねた。「寮のみんなには春海のことは言わないで良いの?」「別に良いよ。実は小学1年生だってことは今度言うつもりだったし」「そっちじゃなくて」「ん?」「───本当は“大人”だってこと」そう言って運転席から春海を見るリスティの表情は変わらず笑みを浮かべていたものの、その眼はどこか僅かに窺う風だった。しかし、問われた当の春海は少し思案してから、「んー、あんま言う気はないかなぁ。別に墓まで持って行く秘密って訳じゃないけど、僕自身『和泉春海』として生きる覚悟はとっくの昔に固めてるし。……というか、僕はもう『和泉春海』以外の何者でもない」「そっか……じゃあ、ボクが気にすることでもないね」「そういうことだ」それだけ言ってお互いに話を切り、春海はリスティの車から一歩離れる。「それじゃあ、Good Night」「ああ。おやすみ」そしてリスティを乗せた車は元来た道を走り、春海は自宅への夜道を歩き出した。夜空に瞬く星々を眺め歩きながら、彼は今日の出来事を思い出していた。さざなみ女子寮。退魔師の姉妹に、彼女たちのパートナー。管理人とオーナー夫妻。個性的という言葉が生温いくらいに個性的な住人たち。そして何と言っても、「まさかバレるとはなぁ……」『今』の自身の隠し事をほんの些細な会話の中で察した、警察への民間協力をしているという銀色の髪の女性。『で。お前様はあの銀髪娘をどうするつもりじゃ』と。唐突に腕から音なき声が深々とした夜の空間に響く。彼はその声に驚くことなく、まるで問い掛けてくることが解かっていたかのように普段通りの語調で返した。「別に。どうもしないし何もしない。むしろこれからは良い話相手になりそうだって思ってるくらいだよ」腕の中に抱えられたままだった彼女は彼の言葉にフンと鼻を鳴らすと、そのまま童女の姿となって寄り添うように彼の傍らに浮かび上がった。『毎度思うが、お前様は少々甘くはないかの?儂としてもあの娘がお前様のことを安々と吹聴するとは思わんが、それだけで信用する根拠がなかろう』「根拠ねぇ……。まあ、僕が甘いのは同意するけどな」確かに彼も、長年のストレスから解放された反動で口が軽くなっていた自覚はあった。しかし、「でも今回はそれだけでリスティのことを信用した訳じゃないさ。ちゃんと他の根拠もある」『ほお』彼のどこか自信ありげな発言に少なくない興味を引かれた彼女は訊く。だったらその根拠は何なのか、と。「そもそもリスティからしたら、僕の正体が子供だと解かった時点でさざなみ寮の住人の前で尋ねてよかった筈なんだよ。『フィアッセには和泉春海って子のことは小学生と聞いていた』ってな」それをしなかったのは、こちらの事情を慮ってのこと。「それにその後だって車の中で僕の“中身”を知ったときに、わざわざ『アンフェアだ』なんて理由をつけて自分の秘密を話す必要もなかったしな。リスティからすれば偶然気づいただけなんだから。あの高機能性遺伝子障害ってヤツにしても僕の知ってる世界中の事例を考えると、───少なくとも『ある程度親しくなった』なんて軽い理由で話せるほど、簡単な“傷”じゃないだろうよ」それをしたのは、こちらの心情を慮ってのこと。「まあ、要するに彼女は───」夜の海鳴の街に車を走らせながら、彼女は今日のことを思い出していた。懐かしいメンバーで集まり、ちょっとした同窓会と化したさざなみ寮。そこに突然後輩をおんぶして現れた青年。内に狐を宿したと言う退魔師で。その正体が子供と思いきや、中身は自分と同い年ほどの青年。そして、自分の事情を話した人間。「……まったく、変なヤツだな」車内でそう呟く彼女の表情は、しかし言葉とは違って笑みを浮かべていた。この光る6枚羽を見せた時だって本当なら異物で見るような目で見られる覚悟は固めていたというのに、馬鹿なことを言って、その後は何でもないことのように綺麗とまで返して。彼の話の信憑性を調べるために(あと多少はエッチなことをしてないか調べるために、というのもある、ホント多少だが)頭の中をテレパスで読んだときだって、勝手に読んだことにもっと文句を言ってくるのかと思えば大して気にした風もなく、どころかこちらの過去を心配する始末。あれで果たして本人は自覚が有るのか無いのか。いや、あの様子だと自覚なしだな。「……知佳やフィリスたちにも、ボクが春海に話したって教えてやるかな」知佳は自分の事情を理解してくれる人間が増えると言って相手が子供だろうとお構いなしに喜ぶだろうし、フィリスにしてもこの症状に対して侮蔑の目を向けない者がいると聞けば医者としても喜ぶだろう。そこまで思案して、……次いで、自分がそこまで彼のことを信用していることに苦笑する。その理由が考えるまでもなく解かるだけに、尚更。「耕介たちと言い、春海と言い。まったく、───」「「───お人好し、だな」」(あとがき)知らぬは本人ばかりなり。そんな話。お待たせしました。第十四話、投稿完了しました。今回の話はもうこれ完全にリスティ回ですね。すみません、作者は彼女のことも大好きなんです。まあメタな話をすると、彼女に真っ先に正体バレしたのは作中でも出た読心が理由なんですけど。この人、知佳ちゃん以上に自重しそうにないですし。ある程度の情報バレはしておかないと、主人公が丸裸になっちゃいそうだったので。さて。申し訳ないことに、最近執筆スピードがメッチャ落ちちゃってます。ていうかリアルでは試験が多くてあまり書けず、空き時間では他の作者様のSSを読んだり(オイッ)してるから、っていうのもあるんですけど。これからの投稿の間隔は、どんなに早くても一週間は絶対に超えると思います。本当にごめんなさい。次回はさざなみ寮での主人公の正体バレ(実は子供なこと)ですかね。出来るだけ早く投稿できるようにしたいです。では。