「───えっと、大体そんな感じかな」「くぅん」「ぁぁぁぁああああ……本ッ当にすみませんでしたぁ!」僕の目の前で巫女服を着た少女がぺこぺこと頭を何度も下げていた。あの後、僕におんぶされた状態で目を覚ましたこの巫女さん。自分の状況がすぐには理解できずに僕の背中で真っ赤になってワタワタと慌てていた彼女を宥めることになんとか成功した僕は、一旦彼女をその辺にあったベンチに座らせてから(林道の脇に小さな広場があったのだ)こうなった経緯を説明することになった。ハンカチ、携帯電話、財布を落としているのを見たと言った時は、何度も何度も礼をしてきて。声をかけると転んで気絶したと言ったら、顔を赤くして涙目で縮こまり。久遠ちゃんの道案内でここまでおんぶして来たと言ったら、耳まで真っ赤にしてこうして何度も何度も頭を下げて謝ってきたのだ。ちなみに何で僕があんな廃墟に居たのかという疑問にまではテンパって頭が回っていないようなので、このまま誤魔化してしまおうと心に決める。いやー。にしても反応がいちいち可愛くてしょうがないんだけど、この子。若いっていいねー。「本当にごめんなさい!」とは言っても、こう何度も謝られるのもそれはそれで困るものである。年下の女の子に頭を下げさせて悦に浸る悪趣味はないのだ。「いや、もう良いから。後ろから急に声をかけた僕も悪いんだし」「で、でも……」「はいはい、そこまで。もう謝るの禁止。僕も女の子をいじめるのは別に好きじゃないんだから」いじるのは好きだけどさ。「は、はい……」……うーん。謝るのを止めるためとは言え、ちょっと強く言い過ぎたか?巫女さんはすっかり意気消沈した様子でベンチに俯き気味になってしまったので、早いトコ話を変えてしまうことにする。「じゃ、まずは自己紹介しよっか。僕の名前は和泉春海。この街の学生だよ。春海で構わないから」小学生とは言ってないし、嘘ではない。「え、えと、……それじゃあ春海さん、と」「うん」「わ、わたし、神咲那美って言います。風芽丘の1年生で、八束神社の巫女をしています。こっちも那美で構いませんので……」風芽丘ってことは恭也さんと同じ学校か。てか会ったばかりの異性に下の名前で呼ばれるのは彼女的にOKなのだろうか?内心きもいとか思われたら僕は立ち直れないぞ。とか、ちょっとチキンなこと考えていると。『───“神咲”?』と。ここで、僕に取り憑いた状態でこれまで黙ったままだった葛花が反応した<知ってるのか?>『いや、遥か昔に同じ姓の者に会ったことがあるような、無いような……うーん?どうじゃったかのー?』つまり覚えてないのかよ。思わせぶりな反応してんじゃねぇ。「……?」急に黙った僕を不思議に思ったのか、巫女さん───那美ちゃんが首を傾げる。「あ、ごめんな。なんでも無い。……それで、那美ちゃんの家はここから近くなのかな?折角ここまで来たんだし、最後まで送るよ」「そ、そんなっ!春海さんに悪いですよ! ただでさえここまで運んでもらってるのに……」「いや、そうは言っても……」言いながら、僕は広場から続く林道へと目を向ける。道自体は車が通れるくらいには広いが、車の姿はとんと見えず。もちろん一定間隔毎に街灯だって設置されているものの、その道中に人影はほとんど、というか全く無い。なんと言うか雰囲気からして非常に出そうだった。幽霊的な意味でも、変質者的な意味でも。流石にこの道で巫女服を装備した高校1年生の女の子を1人で帰らせるという選択肢は無い。「こんな夜道に女の子1人じゃ危ないって」「……くーん」久遠ちゃんが神咲さんの後ろに隠れながら小さく抗議の声を上げた。「こ、こら、久遠」「ああ、悪い悪い。久遠ちゃんも居たよな。どっちにしても超危ないけど」僕は久遠ちゃんが化け狐とは知らないことになっているため、ただの狐として扱わなくてはいけないのだ。いやまあ、そうでなくても送るけどさ。しかし那美ちゃんは那美ちゃんで僕の申し出を遠慮しているらしく(僕を警戒しているとは考えたくない)、慌てた調子で両手をパタパタ振りながら、「だ、大丈夫ですよ。……え、ええと、その、……タクシーを停めれば」「ここ、タクシー通るの?」「うぅ……そ、それにわたし、こう見えてけっこう頑丈ですし!」「襲われること前提になってるじゃん」「あうぅ……」……それに、「……那美ちゃん、ちょっと立ってみて?」「え?」「良いから」「は、はい」僕の言葉に促されて、那美ちゃんは戸惑った様子でベンチから立ち上がり、「───あ、あれ……?」ストン、とそのまま座り込んでしまった。巫女服の袴の裾がふわりと翻る。きっと平衡感覚がまだ戻り切っていないのだろう。「さっきまで脳震盪で気絶してたんだから。無茶はダメ」「……はい」子供を窘めるような僕の言葉に那美ちゃんはまたも頬を赤らめて縮こまってしまった。まあそれでも、消え入るような声でありながらも、ちゃんと頷いてくれたので良しとしよう。「こっちで良いのか?」「は、はい。あとはこの道をまっすぐ歩けば、5分くらいで……」「くぅん」僕の疑問の声に、後ろと前から二つの声が帰ってくる。「りょーかい」あの後、那美ちゃんも僕が彼女を送って行くことには了承したものの、まだまっすぐ歩けそうにない彼女をどうやって運ぼうかということで一悶着あった。僕はまたおんぶすると言ったのだが、彼女も流石に年頃の娘としてそれは恥ずかしかったのか慌てて拒否。しかしそうは言っても、那美ちゃんもまだ歩ける状態じゃないのだ。ならばどうやって移動するのかという僕の質問に彼女はまた幾つか案を出してきたものの、それはどれも彼女自身に無理を強いるものだったため全て却下。そうしてまた幾つかの問答の末、最終的に彼女が折れてこうして再び僕に負ぶさることとなったのである。……なんかさっきから僕が妙に押しの強いお節介の人になってしまっているが、ここまで来たならもうとことん世話を焼いてやるという変な決意が僕の中に出来ていた。どうせ彼女を送り終えたら、その場で切れてしまう縁なのだ。少々お節介すぎる程度でも別に構うまい、みたいな?那美ちゃんって、なーんか放っておけない雰囲気してるんだよなぁ……。なんでだろ?やっぱドジっ娘だからか?閑話休題。という訳で、おんぶされた那美ちゃんと前をとことこ歩く久遠ちゃんの案内の元、僕は彼女たちの家に向かってテクテク移動中である。「にしても、けっこう山の中にあるんだなー。僕もこの辺りにはよく来てるけど、ここまで来ると不便なことも多いんじゃない?」ちなみによく来る理由は、僕が主な修行場所にしている『国守山』がこの近くなのだ。「いえ、そんなことないですよ。バスはそれなりに出てますから。自然がいっぱいなので、久遠も喜んでますし」「くぅん」「ああ。久遠ちゃんのこともあるのか。なるほど」「それに、管理人さんのごはんもとっても美味しいですし、寮のみなさんにもすごく良くしてもらっちゃって……」「寮?……寮暮らしなんだ?」「あ、すみません。言ってませんでした。はい、『さざなみ寮』って名前の女子寮で、いろんな人がいるんですよ」「くぅん」「そりゃ楽しそうだ」背中にのった那美ちゃんもある程度は緊張も解れたようで、このくらいの雑談なら普通に出来るようになっていた。久遠ちゃんもまだ怖いのか僕には近づいてはこないものの、相槌くらいなら打ってくれる。……にしても、ただの狐ってことになってる久遠ちゃんが相槌を打ってくるのは良いのか?僕も変なやぶへびになりそうだから敢えて突っ込まないけどさ。「あ、見えてきました。あれです。右手側にある、あのお家」「お。あれか。……へぇ。寮って言うからビルっぽいのを想像してたけど、こうしてみるとペンションみたいだな」「はい。かわいいですよねー」「そだね」そうして適当に言葉のキャッチボールをしながら、目的地である『さざなみ寮』に無事到着。扉の前でちょこんと座って僕たちの到着を待ってくれていた久遠ちゃんの脇を通り、呼び鈴をポチリ。那美ちゃんは身体の調子がまだよくわからないので、僕に背負われたままである。「はーい」すると、すぐに扉の向こう側から大きな返事が返ってきた。それと同時にそこそこ大きな足音も聞こえてきて、それはやがてドアのすぐ向こう側までやって来る。そうしてガチャリと扉が開き、……(デカッ!?)身長2メートル近い大男が現れた。ただ、その巨体の上に乗っている顔は優しげであり、装備している黄色のエプロンがそれに家庭的なイメージをプラスしている。いや、それでもデカイから威圧感がすごいけど。「はいはーい。どちらさまで───って、那美ちゃん?」「あ、あはは。……た、ただいま戻りました~、耕介さん」「くぅん」「あ、うん。……おかえり?」不思議そうに顔を傾げる彼とぎこちなく帰宅の挨拶を交わす1人と1匹を余所に、「あー、えっと、……はじめまして、こんばんは。和泉と言います……?」「へっ?……ああ、ご丁寧に。さざなみ寮・管理人の槙原耕介、です……?」とりあえず僕も挨拶しておいた。すごく微妙なやりとりだったと思わなくもない。それから、那美ちゃんが何故か僕に背負われたまま男の人───槙原耕介さんに僕のことを説明し終えると、「ああ、そうなんだ。那美ちゃんがお世話になったみたいで、どうもありがとうございました」「いえ。もともとは僕の責任みたいなものだったので、このくらいは。……じゃ、那美ちゃん。もう降りられそう?」「あ、はい。もう大丈夫です」とのお返事も頂戴したので、僕は彼女が降りやすいように膝を折ろうとしたとき、「耕介さん、どなただったんですかー?」「おい、耕介。一体どうした───」廊下の向こうから2人の女性が現れた。1人は茶色がかった色のショートカットの優しげな女性。その柔らかな雰囲気はどこか目の前の耕介さんに似ているかもしれない。もう1人は、黒髪を同じくショートカットにして眼鏡をかけた女性だった。彼女は、…………「ま、真雪さんっ!? 服っ!服をちゃんと着てくださいッ!」「そ、そうですよっ!お客さんが来てるんッスから!」と、まあ。慌てる那美ちゃんと耕介さん言う通り、胸元の大きく開いた……というかほとんどボタンが留まっていないワイシャツにジーンズという、非常に際どい格好だった。そこから覗く胸元が実に眼福です。思わずご馳走様と手を合わせたくなる。那美ちゃんをおぶってるから出来ないけど。で、その当の“真雪さん”はというと。彼女は僕と那美さんに視線を移して、しばらくこちらをジッとガン見。何だ何だと僕が思う間もなく、彼女はそのまま、すぅっと息を吸い込み、───「テメェらァッ! 那美が男つれて帰ってきたぞォッ!!しかも“おんぶ”されたままッ!!」叫びながら元来た廊下をドタドタと逆走していった。「ま、真雪さーんっ!?」僕の背では那美ちゃんの悲鳴みたいな叫びをあげていたが、多分もう手遅れだろう。既に廊下の向こうからはキャーキャーと幾つもの黄色い声というものがここまで聞こえてきていた。「あー、……にぎやかな寮ですね……?」「……騒がしくて申し訳ない限りです」「楽しいですよねー」「くぅん」苦笑いの僕と、諦めたように溜め息をついた耕介さんと、ぜんぜん笑顔を崩していない女性と、あと久遠ちゃんの一言である。そうして僕の背から神咲さんを降ろして、とりあえず今ココにいる耕介さんと女の人───槙原愛さんと自己紹介を交わす。2人はこの寮の管理人兼コックとオーナーらしく、ご夫婦でこの『さざなみ寮』を経営しているとのこと。そうして那美ちゃんも交えて玄関先にて4人で現状の説明をし合っていると、「那美ちゃん、おかえりー!」「知佳ちゃん、そんな急いだら転んでしまうよー。……おー、真雪さんの言った通りや!男の子連れてきとるー!」「てっきり真雪のウソだと思ったのに。那美もやるね」「なんか言ったか、ボーズ」「ま、まあまあ。真雪さんも落ち着いてくださいよー」「まゆはいっつも法螺ばっかなのだ」廊下の向こう側からゾロゾロゾロゾロとやって来た女性、女性、女性。まあ那美ちゃん曰く、このさざなみ寮は女子寮のはずなので当たり前なのだが、ここまで女性ばかりだと圧巻である。「みなさん、ただいま!知佳ちゃん、ゆうひさん、みなみさん、お久しぶりです!」「くぅん♪」僕の隣に立ったまま彼女たちに笑顔で挨拶を返す那美ちゃん。久遠ちゃんもご機嫌な調子で鳴いている。───が、「おまえッ! いったい“なに”ッ!?」と。それまでの騒がしいながらも温かなこの雰囲気を切り裂くように、一つの叫びが空気を貫いた。その場にいた全員───当然、僕も───が、その声の発生源へを即座に視線を向けると、「美緒、ちゃん……?」───那美ちゃんの呟くような声の先には、中学生くらいの一人の少女が居た。いや。ただ其処に居たのではなく、その少女は両手両足を床に這わせた四つん這いの姿勢で、まるで肉食動物のように縦に割れした眼で威嚇するようにこちらを───僕を睨みつけていた。「那美!こいつ、なんか変なのだっ!!」周りの人たちも、彼女の豹変の意味を掴みかねているのだろう。どの顔にも多かれ少なかれの困惑があった。そして。その少女に睨まれている当の僕はと言うと、<……猫>『じゃな』───彼女の正体が、『視』えていた。<うわー。……つまり、彼女は僕の中のお前を感じとって、それで警戒してるってことか?>『恐らくの。儂としても完全に予想外じゃ』<僕もだ。うわー。マジでどうするよ、この状況……。ていうかよく見たらあの子、前に見かけたことあるし>僕は中の葛花と話し合いながらも、状況把握のために周りに視線を巡らせる。那美ちゃんや槙原夫妻は状況が掴み切れていない様子で四つん這いの猫娘に呼びかけたり、困ったように猫娘ちゃんと僕の間を交互に見たりしており、そしてそれは他の女性たちも同様───いや、2人ほど、そうではない人たちが居た。1人目は、先ほど愛さんと共にやって来て、他の人を呼びに走った黒髪の、───真雪さんと呼ばれていた女性。2人目は、白いシャツに黒のタイトスカートというシンプルな服装に、黒い手袋と銀色の髪が特徴的な女性。彼女たちは状況の変化に着いて行けてるのだろう。別に睨みつけるとまではいかなくとも、警戒の意識が混じった眼で油断なく僕を見ていた。もしかしたら突然僕が那美ちゃんを送ってきたということも、彼女たちの警戒に一役買っているのかもしれない。そうして事態が止まったままでいると、当然だが次第に周りの人たちの視線は僕に集まった。誰もが僕に向かって困ったような、或いは警戒の視線を向けてくる。(仕方ない。こうなったら……───)一時的に硬直した場で最初に動いたのは、───僕だった。僕は、自分の体の横で何をするでもなく今まで手持ち無沙汰になっていた両手をゆっくりと持ち上げると、───「えーと…………和泉春海と申します」───ホールドアップして、とりあえず名乗っておいた。……いや、この状況で睨み返すとか無理無理。僕は平和主義者なんだって。いやホントに。別にここまで沢山の女性に見られてることにビビった訳じゃないから。ただ、そんな僕の行動は全く何の解決にもなっていなかったようで、「うううううッ」猫娘ちゃんは現在進行形で僕を威嚇したままだ。ていうか唸りだした。そんな状況を見かねたのだろう、愛さんと那美ちゃんが、「……え、と。……と、とりあえず一度なかに入って、それから改めてお話をしませんか?那美ちゃんを送ってもらったお礼もまだですし」「そ、そうですね!春海さん、ぜひ上がって行ってください!」この状況を打開するためにわざとらしいくらいに明るい声で僕に話しかけて移動を提案し、那美ちゃんがそれに同意する。彼女たちの言葉に裏があるようには思えないので、おそらく2人は本当に善意から言ってくれているのだろう。……しかし、「イヤッ!そんなヤツ、うちに入れるなんて絶対イヤだかんねッ!!」こっちを鋭く睨みつけたままの猫娘ちゃんが激しく拒否。僕としても家人の1人がああまで拒絶している状態では、とてもではないが快諾する訳にはいかない。というか那美ちゃんには申し訳ないが、僕としてはこのまま帰ってしまっても別に構わない。むしろこのまま帰ってしまった方がいろいろと楽であることには変わりないのだ。「み、美緒ちゃん!なんでそんなこと言うのっ?」「なんでもなのだッ!」那美ちゃんと猫娘ちゃんの言葉も平行線をたどる一方だし、これはそろそろ潮時だろう。原因である身としては放っておける訳もない。僕は内心で溜め息をつきながら口を開いた。「あー、……那美ちゃん、そのくらいで良いから。僕としてもお礼目当てでした訳じゃないし、そもそもお礼ならさっきもう何度も言ってもらったしね。今日はもう遅いから、僕もそろそろお暇するよ」「は、春海さん。で、でも……」「良いって良いって。あと、その子───美緒ちゃん、だっけ?───のことも怒らないであげて。理由はちょっと言えないけど、美緒ちゃんが僕のことを警戒するのも解かるから」「え……?」僕の言葉に首を傾げる那美ちゃんに曖昧に笑いかけてから視線を切り、そのまま美緒ちゃんに目を向ける。未だこっちを警戒色いっぱいの眼差しで見る彼女に、僕は目線の高さを合わせるために膝を折ってから少し苦笑い気味に笑いかけた。「美緒ちゃんも、ごめんな。僕はもう帰るから。せっかくの楽しい時間を邪魔しちゃって悪かったよ」まさか謝られるとは思っていなかったのだろう、彼女は今まで睨んでいた目を驚きで見開くと、やがて戸惑い半分と言った口調で言葉を紡いだ。「……べ、別に謝らなくてもいい、けど……。……でも、那美を送ってくれたことには、……れ、礼を言っておくのだ」「……あはは。どういたしまして」美緒ちゃんも美緒ちゃんで、本当は友達思いの良い子なのだろう。ぶっきらぼうに礼を言うその姿に、僕は友達の金髪ツンデレ少女を思い出して笑いながら、美緒ちゃんにそれだけ告げる。……さて。僕は顔を上げて、今まで見守ってくれていたさざなみ寮の人たちに向き直って一礼すると、「それじゃあ、僕はこの辺で。今日は夜分遅くに失礼しました。那美ちゃんも、もう転んだりしないようにね」「は、はい!今日は本当に、ありがとうございました!」「うん。それじゃ」それだけ言葉を交わしてから、僕は玄関の扉のほうを向いて、───「ただいま到着し、……まし、……た?」僕が自分で扉を開く前に、外から扉が開かれて誰かが入ってきた。腰のあたりまで伸びた髪を纏めることなくそのままに流し、肩には紫色に染め抜かれた竹刀袋を担いでいる、……女性だった。その姿は剣客小町といった風情で雰囲気も鋭い。知り合いの中では恭也さんに一番そっくりだろうか。こちらが扉に手をかける直前とあって彼女の整った顔が本当に目の前にあったため、驚きながらもお互いにすぐに跳びのく。いかん。もう帰るとあって魂視を意識していなかったためか、気付くのが遅れてしまった。とりあえず早めに謝っておこう。「お、っと、……すみません」「いえ、こちらこそ失礼しました。……みなさん、どうかなさったんですか。こんな所で……?」どうやら彼女はこの寮の関係者らしい。周りの人たちにも僕に対するよりも柔らかい口調で話しかけている気がする。「薫ちゃん!」「那美、元気そうだね。安心したよ。……それで、これはどういう状況なのかな?」「あ、えっと。それは……」女性───薫さんからの質問に、那美ちゃんは困ったように言い淀んだ。確かに、今のこの状況は到底一言で言い表せるようなものではないのでそれも仕方ない。『あら。この霊気は……』───と。唐突に、一つの声が空間に響き渡った。(……って、あれ?)おかしい。さっきまで気付かなかったけど、……───なんで、薫さんの傍にもう一つ魂が『視』えるんだ……?そんな僕の唐突な疑問に答えなんてすぐに出るはずもなく、事態は更に混沌として行く。最初に口を開いたのは、薫さんだった。彼女はひどく焦った様子で今まで自分が担いでいた竹刀袋を睨むと、小さな声で囁きだす。「(十六夜!人前で喋るなっ!)」こちらに聞こえないようにという薫さんのその配慮は、しかし無駄だったようで。彼女もいきなりのことで焦っていたのだろう、僕の耳にも彼女の言葉はしっかりと聞こえてしまっていた。───そして僕に聞こえたということは、僕の中にいる“アイツ”に聞こえたということでもあった。「『ほほう。……これはまた、ずいぶんと懐かしい名と匂いじゃのう』」今度の声は僕の口から放たれていた。しかし、その声は僕のものとは思えないような高く澄んだ女性の声。周りから驚愕の視線が集まるのが見ずとも解かったが、僕は僕で混乱していてそれを気にしている余裕なんてものはなかった。だから咄嗟に念話で返すことも忘れて、自身の内の者へと声に出して問い掛けてしまう。「ちょ、葛花ッ!?お前、何を……ッ!?」『ああ、やはり葛花様なのですね。……薫、大丈夫ですよ。彼女はわたくしの旧い友人です』そんな混乱の中で出た僕の言葉の言葉を受けて、なのだろう。───そうして“彼女”は、顕れた。薫さんが持っていた竹刀袋から溶け出るように現れたのは、金髪黒眼の外国人女性。ただの和服とも巫女服とも異なる白い衣服に身を包み、膝下まで流れる金糸のような髪をポニーテールの形で一括りにしている。しかし僕に向けているその黒眼だけは、どこか焦点があっていないような気がしたのは、果たして僕の勘違いだろうか?そんな金髪美人が微笑みながら、僕の目の前でぷかぷか浮かんで話しかけてきた。『……お久しぶりです、葛花様。最後にお会いしてから、もう二十年ほどになりますね』「え、あ、……え?」「い、十六夜っ!?」後ろで那美ちゃんが悲鳴みたいな声を上げているが、残念ながら今の僕に彼女を気遣う心の余裕はなかった。ていうか、頭の処理がぜんぜん追いついてない。え、何この状況?僕に一体どうしろと?混乱の絶頂に達し呆然とした顔で目の前の金髪美人───十六夜さんを眺める僕を余所に、彼女の後ろの薫さんが訛り全開で叫んだ。「い、十六夜ッ!あんた、なんばしとるかッ!?」『いえ。ですから、彼女とお話を、と』「彼女って、……彼は男の子だよっ!」『……あら?』薫さんに言われて十六夜さんは片頬に手を置きつつ、こてんと首を傾げると(ちょっと可愛い)、そうして「すこし、失礼いたしますね」と僕に断りを入れてから、そろそろとこちらに両手を伸ばし始めた。しかしその手はまだ微妙に僕からは遠い。だと言うのに依然として十六夜さんは自分の手を彷徨わすのを止めようとしない上に、やはり彼女の目は焦点すら合っていないように感じる。そんな彼女を見て、(……この人、眼が視えてないのか……?)そう気付くや否や、僕も状況を察して慌てて彼女の手を掴む。十六夜さんのすべすべの肌にドキマギすることもなく(そんな余裕はない)そのまま導くように引っ張ると、自分の顔に彼女の手を触れさせた。「え、っと……これで良いですか……?」自信なさげな僕の声に十六夜さんはにっこりと微笑んで「ありがとうございます」と礼を言ってから、『……このままお顔に触れていても、よろしいでしょうか?』「あ、はい。えーと、……つまらないものですが?」『ふふ、そんなことは御座いませんよ。……失礼いたします』思わずとんちきな返しをしてしまう僕に柔らかく笑いかけながら、彼女はゆっくりと僕の顔に自分の手を這わせ始めた。緊張の一時である。いろんな意味で。<で>という訳で、つらい現実から目を逸らすために内側に意識を向けてみよう。<貴女様は何いきなりヒトの身体を乗っ取ってくれちゃってるんですか?>『いやー、すまんすまん。懐かしい名が出てきてついテンション上がっちゃった。……てへ♪』<てへ♪じゃねえ>ちょっと可愛いから腹立つ。<それで。人の友達のことをこういう風に訊くのは許してほしいんだけど、……悪い人じゃないんだろうな?>『そこは儂が保障する。其奴は儂が友人と認めた数少ない者じゃよ』<あー、そうなのかぁ。……んー>『どうした?』<いや、……お前は、この人と話したいんだよな?>『そりゃあのう。世間話くらいしか話すことはないがな。……良いのか?』<良いも悪いも。……この状況を上手く誤魔化せるんなら僕は貴女様に泣いてお礼を言うけどさ。できるの?>『……てへ♪』お前は一回死んでしまえ。……まあ、でも。さっきの十六夜さんの言葉を信じるのなら、葛花が彼女と会うのはこれが実に二十年ぶりなのだろう。さすがにその再会を邪魔するような無粋を働く気はない。というか、そもそも葛花が自身の友人と再会するのを妨げる権利など元より僕にありはしない。最初から彼女は僕の奴隷でも何でもないのだから。……いや。さざなみ寮の人たちに関しても、十六夜さんのことを知っているらしい彼女たちなら、僕や葛花のことを話してもある程度の理解は示してくれる筈という計算はあるにはあるけどね?流石に「頭のおかしい人」呼ばわりされる可能性を考慮の外には置いていません。そう考えながらゆるゆると触れられていると、やがて十六夜さんは僕の顔の大よその造形が掴めてきたのか、『……あらあら、まあまあ』ちょっと困った風に笑って、もう一度僕に礼を言ってから僕から一歩離れた。『申し訳ありませんでした。……薫、どうやらわたくしの勘違いだったようです。ごめんなさい』「だから、あんたはいつも───」このままでは十六夜さんにも何だか申し訳ないので、薫さんが説教を始める前に僕もとっとと葛花と入れ替わる。そうして、僕が───葛花が口を開く。「『───久しいの。十六夜よ』」「いつも───え?」再び僕の口から出た女性の声に目の前の薫さんがこちらに呆然とした視線を向け、周りからは息をのむ気配が伝わってきた(今は表に出た葛花の感覚を共有している状態だ)。だが、葛花はそれに頓着することなく言葉を紡ぎ続ける。「『のんびり屋は相変わらずか。お主も変わらんのう』」『この声は、……やはり葛花様なのですか?』十六夜さんは少し驚いてはいたものの、すぐに持ち直して不思議そうに訊いてきた。葛花(が操る僕の身体)はそれに鷹揚に頷くと、「『然り。儂の能力を忘れたか?』」『ああ、確か……“憑依”、でしたね。そうすると、今はその方にご協力を……?』「『そういうことじゃ』」と。ここで葛花はにんまりと笑って得意気な表情を形作り、自信満々といった風情で、意外に優美な仕草と共に自分の右の手を胸元へやると、「『聞いて驚くなよ?───此奴こそ、儂が望んだ“二代目”ぞ』」『まあっ』葛花の言葉に十六夜さんは自分の両手を口元に当てて、やや大げさに驚く仕草を取る。葛花の言う通り、彼女が気心の知れた友人というのはどうやら嘘では無いらしい。その仕草にはある種の気易さが見て取れた。『それはおめでとうございますね、葛花様』「『うむうむ』」2人はお互いに笑みを浮かべながらそれだけ言った。「『それじゃあ、儂はもう引きこもるぞ。あるじ殿にもそろそろ喋らせねば。今代もなかなかにお喋り好きじゃしな』」余計なお世話だ。『はい。またお話しましょう』「『うむ』」そうして、葛花と僕の意識が再び入れ替わる。僕はこちらに向かって微笑んだまま手を振る十六夜さんもそのままに、今まで僕たちの様子を見守って見事に空気になっていた(失礼)寮の皆さんにざっと視線を巡らせると、───「え、っと……ご説明しますので、やっぱりお邪魔させていただきます?」とりあえず那美ちゃんと愛さんに向かってそう言った。(あとがき)カwwwオwwwスwwwまさか自己紹介までもいけないとは思ってもみなかった作者です。てかさざなみメンバーほぼセリフ一言だし。これはひどい。次の話はもうほとんど書き終わっているので、比較的早くに投稿できると思います。まあ次回は完全なさざなみメンバーの自己紹介回なんで、また動きのない回になってしまうのですが。では