「んで」「……………………」夜9時を回った頃。高町なのはの自室には二つの人影が在った。一つは、もう寝る時間ということで家族におやすみと告げて部屋に戻った、『高町なのは』。一つは、寝る準備を終えたなのはのところに唐突にやってきた友達、『和泉春海』。春海は一人でなのはを訪ねてきたため、今は葛花の姿はない。大方、階下で他の女性陣が撫でているのだろう。二人きりの部屋の中で、なのはは自分の勉強机の椅子に座り、春海はカーペットが敷かれた床でクッションの上に胡坐を掻いていた。自分のベッドに座って、という彼女の言葉を春海が断ったのだ。とは言え、位置関係的にはなのはが春海を見下ろしているものの、そのなのはが俯きがちになっているため、もしかしたら今はこれで丁度良いのかもしれない。───もしくは、春海自身がそのために自分から床に座ったのか。普段のなのはならば、ここで春海と同じように床に座って目線を同じ高さまで合わせたのだろうが、今はそんな考えさえも浮かんでいないらしく春海が入ってきたときのまま椅子の上から動こうとしない。俯きがちになっているなのはの表情は気まずそう、というよりは、もはや叱られている子どもの顔に近かった。そんな目の前のなのはに、春海はいつものような気楽さで質問を投げかける。「風呂場では一体どうしたんだ?」「……………………」春海からの問いに対して帰ってくるのは、沈黙。が、当の春海はそれに頓着することなく、話を続ける。「ま、初めは僕が出ていくから引き止めただけかと思ったんだけどな。……そうじゃないんだろ?」「……………………」微かに、頷く。「で、そうなると原因はフィアッセさんにあって、お前はそのフィアッセさんと二人きりになりたくなかったから、ついつい僕を引き止めちゃった、と」「ち、───ちがうのッ!!」と。そこでようやく頭を上げたなのはが、まるで悲鳴のような大声で春海の言葉を遮った。その表情から滲み出ている必死さは、一体どこから来ているのか。春海は静かになのはを見つめてその感情の出所を模索する。そんな春海に気付いた様子もなく、なのはは懸命に言葉を紡ぎ続けた。「ち、ちがうの……フィアッセさんはぜんぜん悪くないの!!」それは普段から明るくニコニコ笑ってるなのはには到底似つかわしくない、ともすれば別人のようにさえ思える、悲壮な表情。もともと小さなその身体が、春海にはいつも以上に小さく見えた。小さな少女は瞳を涙でいっぱいにして、今にも零れ落ちそうなそれをそのままに、目の前の少年に訴えかける。「……ぜんぶ……全部、なのはが……ッ!!」「───なのは」そこで。春海はなのはのまるで懺悔のような独白を短く遮ると、立ち上がって彼女の正面に立った。「春くん……」「……………………」彼は無言のまま柔らかな笑みを浮かべ、自分の両手で涙に濡れる彼女の顔を包み込むようにして──────なのはのぷにぷにのほっぺを、ぎゅーっと両側に引っ張った。「───うぇぇえええッ!?いはい!?いはいほ、はるふん!?」「はっはっはー、いや柔らかいなぁオイ。よく伸びるし。ほら、このまま女の子的に人生終わりそうなおもしろい顔にしてやろう」「いはぁぁぁ!?やへてやへてっ!?」「おらおらおらおらー」「いはぁああああっ!?」5分後。「うっ……ううぅ……」「…………」(ぷはー)そこには先程までと変わらず床に胡坐を掻いてベッドにもたれる春海と、その隣で息も絶え絶えにカーペットの床に寝ころんでいるなのはの姿があった。なのはの方は乱れたパジャマと目端に滲んだ涙が小学生にあるまじき色気を放っている。一方の春海のほうは右手の人差指と中指を口元にやり、ニヒルを気取ってプハーっと息を吐いていた。こちらに至っては小学生にあるまじき、というより、もはやただのおっさんである。そのうち、やっと落ち着いたなのはが、さっきまでとはまるで意味が違う涙を瞳に浮かべながらムクリと身を起こした。「うぅぅ……春くん、ひどいよぅ……」「勝手に勘違いして勝手に叫び出した罰だ。うるさいし。近所迷惑だし。何より僕に迷惑だし」「ええー……」もうちょっと気遣ってほしいなのはだった。「ところで勘違いって?」なのはが首を傾げながら訊いてくる。春海はなのはの表情にもう陰が指していないことを横目で確認して、「だれもフィアッセさんが悪いとは言ってねぇっつの」「……あ」「それを早とちりして自分が悪いのーって。知らんがな」「うぅ……」なのはは顔を真っ赤にして縮こまった。ようやく自分の勘違いに気づいたらしい。まあ、それでも春海に頬を引っ張られる必要性は全くなかったのだが。そしてそれに気付いている春海は、当たり前ながら教えない。むやみに藪を突く趣味は無い。「んで、その自称『悪い子』のなのはちゃんは」「…………」「……んな泣きそうな顔で睨むなよ」「な、泣きそうになんかなってないもん!」「へーへー。……それで、泣いてない(自己申告)なのはちゃんは」「……もーっ!」「あたっ!?」「もーっ!もーっ!!」「あたた、叩くな。叩くな!分かったから!もう言わないから!だから叩くなっ!!」「うー!うー!」なんか人語を話さなくなってしまったなのはのデコを片手で押えて遠ざけながら、春海は小さくため息をついた。「まったく。話が進まないじゃないか」お前が言うなである。そうして、なのはもようやく落ち着いた頃。春海となのはは改めて床に座って向かい合っていた。なんとなくお互いに正座する。「それで。結局、風呂場でのことは何だったんだ?」「う、うん……」「あ、それと話しづらいことなら別に言わなくてもいいぞ。もともと無理矢理に聞きだすつもりはなかったし」「ううん……だいじょうぶ」なのははそこで一旦言葉を切ると、眼を閉じて大きく数回の深呼吸。たぶん、気持ちを落ち着けて、話すための覚悟を固めているのだろう。逆に言えば、そこまでの覚悟をしなくては言いだせないこと、ということになる。それを察した春海は、今度は茶化すことなく静かに待つ。やがて深呼吸を終えて眼を開いたなのはは、たどたどしくはあるものの、しっかりとした自分の言葉で語り始めた。「えと、……なのはのおとーさんね、ボディーガードっていうのかな……?そのお仕事中にいろいろあってずっと前に大怪我をして、長い間入院してたことがあったの」「…………」「その時はまだ晶ちゃんやレンちゃんがこの家に居なくて、翠屋は始まったばっかりで。おかーさんやおにーちゃんたちががんばって翠屋で働いて、おとーさんのお見舞もみんなで一緒にがんばってて……」「……うん」相槌を打っていた春海自身、なのはの話自体は初耳だったものの、実を言うと少しだがそのことは予想していた。恭也たちから、士郎が昔の怪我で本格的な試合は出来ないということを聞いていたのだ。しかしその怪我を理由に現役を退いても尚、春海から見た士郎は衰えを感じさせていない。そこから彼の全盛期の実力は推して知るべし。そんな高町士郎が引退を余儀なくする程の傷を負ったのだ。その事故───あるいは事件───の規模は相当のものだったのだろう。まあそれでも流石に、士郎が元ボディーガードだとか、高町家にとってそんな忙しい時期に事件が起きたということは想像もしていなかったが。「……なのはは家族のみんなが困ってるそんなときに、何もできなかったの」「……なのは、それは」「わかってる。なのははその時は今よりも、もっともっと小さくて弱くて。出来ることはわがままを言わないようするくらいしか、なかった、から……」そう言うなのはの顔に浮かぶのは、どこか困ったような笑みだった。それを見た春海が何かを言う前に、なのはは言葉を紡ぎ続ける。「……最初はね、すごく怖かったの」「……怖い?」「うん。……なのはは何もできなくて、何もしてあげられなくて。だからおかーさん達から、一体いつ『あなたはいらない』って言われるのかって……本当に怖かったの」「いや。あの人たちは天地がひっくり返っても言わんだろ、そんなこと」間髪入れずに帰ってきた春海の呆れたような言葉に、なのはの笑みに少し明るいものが混ざる。───ああ。この男の子は本当に自分たちのことをよく見てくれているんだなそのことが少しだけ嬉しかった。だから、なのはの語調にもちょっとだけ強さが戻る。「うん。そんなことなかった。みんな、なのはのこと大好きって、大切だって……いっぱい、いっぱい言ってくれた」「まあ想像つくけどさ。どうせその時の恭也さん、ニコリともせずに言っただろ」「にゃはは……。でもね、いくら大好きだって言ってくれても、大切だって言ってくれても、なのはがみんなに何もしてあげられないのは変わらなくて……。そのことが悔しくて、寂しくて、……家でひとりのときはよく泣いたんだ」「……ん」静かに耳を傾けてくれている友達に小さく笑いながら、なのはは言葉を続けた。「それでね……、…………」「……なのは。言いにくいなら無理はしなくていいぞ」「……ううん、平気だよ。……なのはが悔しい、寂しいって思ってる、そんな時にやってきたのが、フィアッセさんなの」「……それで?」「うん。……さっきは言ってなかったけど……おとーさんが怪我したのって、お仕事でフィアッセさんを守ったから、なんだって」「…………そか」そこまで聞いた時点で春海には今回のことの大体の背景が読めてきたものの、しかし余計なことは言わずに視線でなのはを促す。なのははそんな春海の視線の意図を正しく読み取り、続く言葉を口にする。───この話をする上での、核心とも言えることを。「……フィアッセさんに初めて会ったときね、なのは……ひどいこと、言っちゃったんだ」そう口にしたなのはの表情は後悔でいっぱいで、少なくともフィアッセのことを恨んでいる風では到底なかった。春海はなのはの心配をしつつも、頭の片隅ではそのことに安堵する。春海の沈黙をどう取ったのか、それとも気にする余裕もないのか、なのはは俯きがちな姿勢のままで喋り続けた。「……本当にわるいことだと思うんだけど……なのはね、そのときに何って言ったのか、覚えてないの。……でも本当にひどいこと言ったってことだけは、よく覚えてる。そのことでフィアッセさんが泣きそうな顔で、でも一生懸命我慢して、なのはにずっと、何回も何回もごめんなさいって謝ってくれたのも……覚えてるの」「…………」「……それで、なのはたちに気づいたおにーちゃんたちがなのはのこと叱ってくれて。おとーさんも目を覚ました後にフィアッセさんは悪くないよって、言ってくれたの」「……で」と。なのはの話をじっと聞いていた春海は、そこで話に割り込んだ。ただ、自分が分かったことを話したいというよりは、独白のように話し続けてるなのはの心情を気遣ってのことだった。「なのははフィアッセさんに、ちゃんと心の底から謝ることができたんだろ?」思い立ったら即行動。そんな彼女の性格を、春海はよく分かっていた。春海の言葉に対するなのはの答えは……こくりと小さく頷く、肯定。春海は申し訳ないと思いつつも、なのはを追及する。今、この場においてはどうしても必要なことだった。「だったら……なんでなのははフィアッセさんと風呂で二人きりになることを怖がったりしたんだ?」春海からの問いに、なのはは歳に似合わぬ力ない笑いを浮かべると、先程までと同様の静かな声で答えた。「普段、みんなで一緒にいるときは大丈夫だし、二人きりになるって分かってるなら平気なんだけどね……あんなふうに急に二人きりになっちゃうと、頭の中がまっ白になっちゃうの……」「……うん」「もしかしたら、あの時のことで何か言われるんじゃないのかなって……なのはのせいで、大好きなフィアッセさんが泣いちゃうんじゃないのかな、って……そんなこと考えだしたら止まらなくなっちゃって。……だから、あのとき急いで春くんのこと掴んじゃったの。……ごめんね」「いや、謝らなくていいけどな?」目隠しは精神衛生上キツかったが。そんなことを思いつつ、春海は気になったことを訊いてみた。「あのさ、なのは」「うにゃ? なに?」「要するに、なのはがフィアッセさんをイジメました。なのははみんなから叱られて、フィアッセさんに謝り、フィアッセさんもそれを許しました。ですが、なのは本人はフィアッセさんをイジメたことを未だに気にしています。こんなところだろ?」「イジメイジメ言わないでよぅ……」なのはの目はうるうるしていたが、当の春海はどこ吹く風で言葉を続ける。「それで、なのははどうするんだ?」「ど、どうする、って……?」予想外の春海の問いに、なのはが戸惑いつつも首を傾げる。春海はなのはの顔色がいつも通りであることを気付かれないようによく観察しながら、できるだけ普段の調子を心掛けて言った。自分の問いが彼女の負担にならぬように。「いつまでもフィアッセさんに申し訳ないとか思ってたんじゃ一緒に暮らせないじゃん。フィアッセさんに改めて謝るとか、話を聞いてもらうとか。いろいろあるだろ?」「う、うん……でも、」「でも?」「うぅ……フィアッセさん、本当に怒ってないかな……?」自分の不安を隠さずに上目遣いで春海に尋ねるなのは。そんな幼い少女の不安の言葉を聞いた春海は、───「……………………」「な、なんでそんな微妙な視線を……」「安心しろ。バカを見る目だ」「そ、それは安心できないよっ!?」慌てるなのはと話しながら、春海は実はけっこう本気で困っていた。(え?こいつ、なに言ってんの?フィアッセさんが怒ってないかって…………え?マジで今までそんなレベルで悩んでたの、こいつ?)ぶっちゃけ普段のフィアッセを見てたら答えなんて既に出てるようなものだと思うのだが……。「……………………」「え、えと……な、なに?」目の前で友達の視線にオロオロしている女の子は本気で分かってないっぽい。(いや、まあ、……なのははまだ子供で、それも当事者である訳だから、逆に気づきにくいのか……?)ともあれ、自分は高町なのはではないのだ。ここでいつまで考えていても憶測の域は出ない。春海は思考を打ち切ると、不安全開の目の前の友達である女の子に改めて言葉を紡ぐ。「なのは」「う、うん……」「……なのははフィアッセさんと一緒にいて、楽しいか?」「……うん」それは、なのはにとって自明のことなのだろう。今までになく、しっかりとした口調で肯定した。それを確認した春海は、ひとつ頷きながら続ける。「なのははフィアッセさんのこと、好きか?」「うん」「なのはは、フィアッセさんのこと、信じてるか?」「信じて、る……?」言葉の意味が解からず首を傾げるなのはに、彼は相手の目をまっすぐ見て、言う。「───なのはの大好きなフィアッセさんは、自分のことを好きになってくれた女の子のことを嫌ったりしない、ってことだ」「……ぁ」「そもそもお前は、顔でニコニコしながら心の中ではコンチキショーなんて思ってるフィアッセさんを想像できるか?」「……っぷ」少なくとも僕には想像も出来ん、なんてすぐに冗談めかしてそんなことを言う友達に、なのはは可笑しそうに小さく吹き出すと、「……にゃはは。なのはもそんなフィアッセさん、想像もできないの」「だろ?」場の雰囲気は既に完全に弛緩しており、なのはの表情からも春海がこの部屋を訪ねた時にあった固さは取れていた。「……春くん」「どした?」なのははすっかりいつもの調子で春海に笑顔を向けると、改めて宣言する。───自分自身の決意を、自分の背中をぶっきらぼうに押してくれた大好きな友達へと。「フィアッセさんに謝るね。それで、仲なおりする!」「おー。がんばれー」ぜんぜん心配そうにもしていない友達に、思わず脱力して苦笑いが浮かんでくる。まったく、もう少しは心配してくれても良いだろうに。失礼な友達である。が、なのはの笑顔が継続したのは、ここまでだった。次に放った春海の言葉に、なのはの笑顔は見事に固まることになる。春海はそのままニヤついた顔をなのはの部屋の出入り口に向けると、「みたいですよー。───フィアッセさん」「……………………にゃ?」春海の言葉の意味が解からず、なのははポカンとした顔をドアのほうに向ける。と。ドアが音もなく独りでに開き、開き終えたそこには、「あ、あの、なのは……ご、ごめんね?」申し訳なさそうな自分の姉である美由希と、「あ、……あはははは」「い、いやー、なのちゃん……か、堪忍、して、な?」引き攣った笑みを顔面に貼り付ける晶とレンと、「……………………」我関せずとばかりに目を瞑って腕を組み、廊下の壁との同化を図ってこの場を切り抜けようとしている兄、恭也と、「…………なのは」自分の胸元に手を当て、今にも泣きだしそうな顔でなのはをじっと見つめる───フィアッセ・クリステラの姿があった。「え?……え?…………え、」なのはは今の状況が解からず、意味の無いことを口にしながら何度も何度もドアと春海の顔を往復していた。「え」と、春海がそこで自分の耳に手を当てる。それでは。さん、はい。「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっー!?!?!?」なのはの悲鳴が夜の海鳴に響き渡った。近所迷惑この上なかったが、今回ばかりはご近所さんには勘弁して頂きたいなのはだった。**********「ええええっ!?なん……ッ!?……な、な……ええええええっ!?」僕の言葉と同時に開いたドアの向こうにいた高町家の面々を見たなのはは、彼らを指差しながら見事なまでにアワアワしていた。頭のほうも処理が追いついていないらしく、大きくあいた口からは意味のある言葉が出てきていない。このまま見ているのもそれはそれで面白そうなのだが、それではいつまで経っても収集がつかないので説明してやることにする。「……お前な、この家であんな大声出したらこの人たちがやってこない筈ないだろ」「で、でもぉ~」「まあ僕は集まってた時に気づいてたけど」「言ってよっ!?そのとき教えてよっ!!」実はなのはが「フィアッセさんのせいじゃないの!」と叫んだ時点で、この部屋の前には全員集合していたのだ。その間、約10秒。恭也さんに至っては5秒で飛んで来ていた。なのはが泥棒に怯える日はきっとないな。ちなみに僕は『魂視』による気配察知もあって、そのときには既に気づいてました。…………まあ、「…………なのは」───フィアッセさんには、僕がここに来る前に呼びとめて最初からドアの前に居てもらったのだが。「…………ぁ」僕となのはが話している間、恭也さん達がずっと部屋の中に入ってこなかったのは、たぶん彼女に止められていたのだろう。フィアッセさんはそのまま部屋の中に入ると、まっすぐになのはの前までやって来て、目線の高さを合わせるように床に膝をついた。「あ、あの、……フィアッセさん」「……うん」僕から見えるなのはの表情にあるのは、戸惑いと緊張、そして小さな怯え。ついさっき決意を固めたとは言え、それでも長年彼女を苛んできたトラウマの一つなのだ。そうそうフッ切れるものではないのだろう。それを見た僕は、(───さて、と)そっとその場で立ち上がると、他のみんなが見守っているドアの前まで移動した。「あっ!は、春くん!」背後から聞こえたなのはの声は、たぶん咄嗟に出てしまったものなのだろう。その声に立ち止まり、振り返える。「あ、あのね……」僕は不安げな表情をこちらに向けているなのはを認め、いつものように笑いかけると、「なのは」「……なに?」怯えるなのはに、僕は言葉を紡ぐ。大人としてではなく、彼女の友達として。「頑張れよ」「ぁ───うん!」なのはは僕の言葉に、力強い返事と、いつも以上の笑顔を返した。ここで僕《大人》の役目は終わり。あとは、───「フィアッセさん」「……春海」僕に話しかけられ、改めてこちらに顔を向けた彼女に、「なのはの言葉、ちゃんと聞いてあげてくださいね」「───うん。ちゃんと、聞くね。ありがとう、春海」───彼女の役目だ。フィアッセさんに笑みを返してから、僕は扉の前で見守っていた美由希さんたちを押して外に出すと、なのはの部屋のドアをパタンと閉めた。「で」なのはの部屋から出た僕は、廊下で笑顔を引き攣らせている面々(恭也さん除く)にジトーッとした視線を走らせる。「何やってんですか、あんたら」「「「あ、あはは……」」」「……………………」呆れたような僕の言葉に、美由希さんとレン、それに晶は気まずそうに苦笑い、恭也さんは無言で目を逸らした。それぞれの反応に、僕はハァっと一つため息をつくと、「……まあ、なのはの方はフィアッセさんに任せるとして。みなさんも明日からはいつも通りでお願いしますね」「……でも春海、それでえーんかなぁ……?」「なのちゃん、ちょっと泣きそうになってたし……」レンと晶が声を上げたのでそちらに目を向けると、2人は不安げな様子でなのはの部屋を見ていた。美由希さんも同様だ。「えーのも何も……そもそもこれはなのは個人の問題だしなぁ。そうでなくとも解決できるのは当事者のフィアッセさんくらいだろうし」「……まあ、そうだろうな」僕のセリフに恭也さんが同意し、言葉を引き継ぐ。「俺たちが出来るのは、せいぜい今まで通りになのはのことを見ていてやるくらいだろう」「それだけでも一般家庭から見れば十分なくらいですけどね」普段の高町家に出入りしていれば簡単にわかることではあるが、この家は血の繋がりこそ無い者が多数いるものの、それを感じさせない暖かみが溢れているのだ。なのはもそれをよく解かった上で、しかしそれでもなお幼いころの経験が心に刺さったトゲとして残っていたのだろう。それは誰のせいではなく、強いて言うのなら運が悪かったとしか言いようがない。「でも……」と。そこで、今まで黙っていた美由希さんが口を開き、全員が注目する。彼女の表情にあったのは悲しみと悔しさ、───そして何よりも、自身の無力を責めていた。「わたし、やっぱり悔しい。……今までなのはと一緒に暮らしてて、気づいてあげることも出来なかったなんて、お姉ちゃん失格だもん」「美由希ちゃん……」レンの心配そうな声も聞こえていないのか、美由希さんは俯いたまま言葉を続けた。「……なのはが1人の時に泣いてたなんて、わたし、今日はじめて知った」「……まあ、なのはも自覚はあったみたいですからね。家族の前では特に注意してたんじゃないですか?」「それでもだよ……それに、春海くんは気づいたのに」「美由希さん」僕はそこで、美由希の言葉を遮るようにして彼女の名を呼んだ。呼ばれた美由希さんが話すのを止め、こちらを向いたのを確認してから、「僕が気づけたのだって偶然ですよ。それにそうやって後悔するのは別に良いですけど、この件に関してはもう終わったことですし、これからのことを考えればそれで良いんです。……そもそもなのはに聞きましたけど、その頃って高町家としても一番大変な時期だったんでしょう?余裕が無くなっても仕方ないと思いますよ。それまでも別になのはのことを放置していたってわけでもないですし」「で、でも」「ていうか」そこで言葉を切って、僕は廊下の壁に目を向ける。つられて美由希さんもそちらを振り返ると、そこには───「…………俺は今まで一体なのはの何を見ていたんだ。あんなに悲しんでいたのに気付いてやれなかったなんて……」───壁に額を押しつけて後悔に暮れる、彼女の兄の姿があった。「美由希さんの言葉がそのままブーメランで恭也さんにザクザク刺さってるんですけど」「わ、わわ!?きょ、恭ちゃんっ!?」さっきまで自分のことで精一杯だったのに、すぐに兄を励ましに向かう辺りこの姉弟子も十分ブラコンである。「……美由希、俺はもう駄目だ。介錯を頼む」「切腹っ!?切腹するの恭ちゃん!?だ、だめだよッ!」「師匠、美由希ちゃんのセリフ聞きながらどんどん顔色悪くしてたからなぁ……」「お師匠もお師匠で、なのちゃんや美由希ちゃんにはごっつ甘いしなぁ……」「そういう2人は結構平気そうだな?なんでだ?」なにやら向こうで漫才を始めた兄姉を放っておいて、比較的余裕がありそうな晶とレンに訊いてみる。「まあ、うちらがこの家にやって来たんは士郎さんが退院した頃やし」「そりゃあ、なのちゃんがあんなに悩んでたのに気付かなかった、ってのは情けないし、悔しいけどな。フィアッセさんがちゃんとやってくれそうだし、やっぱり師匠たちよりは前向きになれるって」「……なるほど」納得、と頷く僕を余所に、今後のことを話し合う猿亀コンビ。「とりあえず、明日からなのちゃんとはいつも以上に遊ぶとして……」「おいレン、明日のメシ当番ってお前だったよな?だったら2人でなのちゃんの好きな物つくろうぜ」「おー。あんたにしては、ええアイディアやな。……よっしゃ、のったる。どっちがなのちゃんをより笑顔にできるか、勝負や!」「望むところ!」「あー、……とりあえず、がんばれ」ガンつけ合って火花を散らす2人に巻き込まれないように後退しながら、僕は実に心のこもっていないエールを送っておいた。それから30分ほどして。僕は暗いなのは部屋のベッドで、なのはとフィアッセさんと共に横になっていた。「……どうしてこうなったし」「すー……すー……」「どうしたの、春海……?」しかも万歩ゆずって一緒に寝るのは良いとしても、何故か2人は僕の両隣りに陣取っていた。夏場には地味にキツイんだけど。左側で僕の腕に抱きついているなのはに至っては、今日はいろいろあって疲れたのか既にぐっすり夢の中である。「……あの、フィアッセさん。僕、やっぱ床で……」「あはは、ダーメ♪」「あはは、ですよねー♪」相変わらずこの人さり気に押し強いしーそもそもあの後。なんとなく皆で廊下に集まったままでいると、10分程でなのはとフィアッセさんは部屋から出てきた。廊下にいた面々は一瞬ドキッとしていたものの、それも2人の表情と繋がれた手を見るとすぐに安堵の笑みに変わった。で、この状況となった。「駄目だ。キンクリされている」前後の繋がりが見えねぇ……。もっと行間読ませろよ。「さっきからどうしたの、春海?」フィアッセさんが僕の右側から訊いてくる。しかもこのベッドは本来なのは用なのだ。当たり前だが3人で寝るには非常に狭く、僕たちの距離はゼロである。おまけに今の季節は夏。つまるところ3人ともパジャマはそれなりに薄着なわけで、……フィアッセさんの胸が柔らかいです。それでも興奮しない自分の息子に死んでしまいたいです。いや助かるけど。この状況的に。とりあえず僕は首を捻り、フィアッセさんのほうに顔を向ける。「?」可愛らしく首を傾げられてしまった。てか、やっぱ顔近けぇ。石鹸のいい匂いするし。……………………。…………。……。ま、いっか。別にこの状況にアワアワするほどウブなつもりはないし(いや、緊張はしてるよ?流石にそこまで男捨ててないから)。というわけで、隣のなのはを起こさないように声を潜めて、気になったことをフィアッセさんに訊いてみる。「フィアッセさん、確かどっかのマンションに友達と同居してるんですよね。こんなに急に泊まるって言っちゃって大丈夫でした?」「あ、うん。アイリーン───あ、その友達の名前なんだけど、その子は笑って許してくれたから」「そりゃよかった。……今日はいきなりこの家に残るように言ったりして、すみませんでした。フィアッセさんの都合も考えずに」「ううん、そんなことないよ。……あのね、春海」「はい」彼女は、笑顔を浮かべて僕の耳元に顔を寄せると、「今日は、わたしとなのはのこと気にしてくれて、どうもありがとう」そっと囁くように、そう言った。「……僕はちょっと横から口を出しただけです。実際に頑張ったのはなのはですよ?」「うん。なのはも頑張ってくれた。……泣きながら、いっぱい、いっぱい頑張ってくれた。……わたしのこと、大好き、って、……言ってくれた。……でもね、そのなのはの背中を優しく押してあげたのはね、春海なんだよ?」と、フィアッセさんは言葉を切ると、「───だから、ありがとう」「……………………」ああ、もう。やっぱりこの位置ヤダよー。隣で抱きついてるなのはのせいでフィアッセさんに背も向けられねぇー。「……春海、身体が熱いよ?」「……ほっといてください。もう寝ますよ」「ふふ。……うん。おやすみ」「……………………おやすみなさい」(あとがき)というわけで、「なのはとフィアッセの心のすれ違い編」了。前回のあとがきで書いたように、今回の話は作者が「アニメ版リリカルなのはと原作とらハを合体させよう」と考えた時点で絶対にやりたいことの一つでした。幾らなのはがずば抜けて良い子だと言ってもそれでもやっぱりまだ小学生。“子ども”として精一杯頑張る高町なのはという少女と、それを受け止めるフィアッセが描き切れていたら幸いです。そもそも作者は『和泉春海』というオリジナルキャラクターのことを『主人公』と呼称していますが、当たり前ながら物語という一つの世界が彼一人で成り立つ筈もなく、登場する人々にそれぞれのドラマがあると言うのが作者の考えなので、周りも蔑ろにしないようこれからも心掛けたいと思います。オリ主は舞台装置!では。