ランプ型の魔法具が明と暗の境界を塗りつぶし、ぼやかし、溶かす。ぼんやりとしたその明かりは、より光というモノを意識させた。
そういえば、初めてここに来た頃は夜になるのが怖かったっけ。どこからか聞こえてくる何とも名状しがたい遠吠えが、まるで死んだように息を潜めている街が、曖昧になった境界から僕の体が溶け出してしまわないか、が。ここにきた日の夜は、その暗闇の向こうから僕が溶け出すのを今か今かと待っているナニかがいるように思えて、あの人たちに挟まれて寝たんだよなぁ。・・・・・・今度の休みは、お墓参りに行こう。それより、今はやるべきことをしないとね。
「さて、パパっと準備してササッと終わらせちゃいましょうか」
頭を振ってゆっくりと息を吐く。時間は有限だ。予定外に時間がかかって夜更かしをするなんて性に合わないし、一店主の矜持として寝不足状態で営業など、ましてや寝坊するなんてとてもじゃないけれど許容できない。うむ、我ながら素晴らしい勤労意識だと思う。生憎、社会人になったのはこっちにきてからだけれどね。
04 『絢辻屋の営業努力 またの名を商品開発』
日の出
起床 窓を開けて一日の始まり。開店準備と今日のランチメニューを考える。
9:00頃
絢辻屋開店 時間の概念が前と同じということは有難かった。ここルーベルでは朝の八時から夜の八時まで二時間置きに中央区の時計塔の鐘が鳴らされる。ちなみに腕時計はまだ開発されていない。僕も時間はケータイで確認するタイプであったので、しばらくの間はお目にかかることはないだろう。
12:00~14:00
ランチタイム いわゆる稼ぎ時。メニューは朝の気分と在庫次第なので、曜日ごとの日替わりではない真の日替わりだ。客からの「あの日のあのランチメニューをもう一度!」というリクエストがあれば「近いうちに」とそのリクエストを受け取る。ポイントは明日や明後日といった具体的な日にちを指定しないこと。在庫によるというのもあるが、リクエストしたメニューが出るまではまず毎日通ってくれるので、いいお客さんになってくれるのだ。くふふふふ。
14:00~17:00
夜の仕込みと洗い物。この時間は来客がほとんどないのでまったりと過ごす。ピークを過ぎた後に食べるご飯はおいしい。
17:00~19:00
アカデミー帰りの学生襲来。ちなみに絢辻屋は高級品には程遠いが、その分そこそこのお値段で風変わりなお菓子が食べられるとして一部の間では有名らしい。この世界で甘味というと砂糖とバターを使えば使うほど高級という節があるので、うちで出しているお茶請けは目を引くのだろう。煎餅を頼んで甘くないと驚き二度と来ない人もいるが、好みだから仕方ない。お茶には合うんだけどな・・・・・・。
19:00~20:00
洗い物をしながら、客のいないテーブルを拭いたりと閉店の準備をする。絢辻屋はお酒の類は一切扱っておりません。なぜなら一度痛い目を見ているから。開店祝いの日は店内でお酒を出したのだけれどそれはもう酷かった。近所の宿屋のおばちゃんなんかは「今日はお祝い事だから仕方ないよ」といってくれたが、その日に椅子を複雑骨折にした人物が常連となった今は英断だったと思っている。
20:00
閉店。お客さんがいれば追い出すことはしないが、札をクローズに変えるので新しいお客さんは普通は来ない。顔馴染みであれば入ってくるけれど、その場合は客としてではなく友人としてくることがほとんどだ。閉店時間が早いのは、絢辻屋があまり料理に主体を置いていないためである。だって、ここ茶屋だし。茶屋での食べ物として浮かんでくるのは団子などのお茶請けだろう? それにこうして夜早く閉めることによって近くの酒場や食堂と競合しないようにという意味もある。おかげで新しくできたライバル店であるにもかかわらず、非常に良好な関係を築いています。
20:00~23:00
仕込みや帳簿付けといった雑務、ときどき新商品の開発。ちなみに閉店後にここを訪ねる友人の六割が味見役志願者である。誰にも知らせていないのに、どこから小耳に挟んでくるのやら。仕事が済んだらお風呂に入ったり晩酌をして就寝。
これが茶屋『絢辻屋』の一日の流れだ。
そして今はお客さんも全て帰り、帳簿もつけ終えたところだ。壁に掛けてある時計に目をやる。・・・・・・日が変わるまで二時間。ならば最近できた懸案事項を解決するかと思い立って冒頭へと戻るのだ。
「うん、はてさてどうしたものか」
目の前には先日ゲットした小豆と片手鍋。小豆を手に入れてからすでに一週間が経つが、未だに店のメニューとしては提供していない。別に調理法が全くわからないというわけじゃないよ? そりゃ最初は失敗したけれど、焦がさないように注意して見ていれば難しいことじゃないし。料理としてはとてもシンプルで簡単な部類に入る餡子作りだ。でも、まだお店のメニューとして出すにはある問題がある。そう、それは『注意して見ていれば難しいことではない』ということだ。
「カウンターのコンロは長時間独占できないし、奥のキッチンは一々火加減を見てられない。かといってそのためにコンロを増設するわけにもいかないし、餡子がどの程度でるか読めないから大量の作り置きも怖いしなぁ」
餡子作りの工程は、茹でる、渋切り、煮るだ。うん、シンプル イズ ベスト。簡単、簡潔、お手軽なのだが如何せん焦がしてはならない。焦げたらその時点で餡子作りは失敗なのだ。
「しかも弱火とか中火とか調整できるものでもないしなぁ」
コンロのスイッチをつけたり消したりしながら考える。そもそもこの世界では弱火とか強火という考えがなければ、レシピというものもない。茹で時間だとか味付けは全て料理人の感覚でその時々に決めるのが普通だ。だから日によって同じ店の同じ料理でも味が違ったりするんだよね。僕は『いつもの味』というものを作りたいからレシピ化しているけどね、日本語で。
「まぁ、先ずは茹でないと始まらないか」
用意した片手鍋を手に取る。重い。だって鉄だから。残念ながらこの世界にはステンレスだとかアルミだとかいう材料はない。どこかにボーキサイトとかクロムだとかは眠っているかもしれないけれど、今見つかったところで僕が生きている間に加工技術が成熟するとは思えない。
一般的に使われている調理器具のほとんどは鉄製のものだ。次に木製で、貴族付の料理人や、宮廷料理人などは銅製のものをつかうこともあるらしい。銅って火の通りはいいけれど、つかうと色がくすむから小まめな手入れが必要なんだよね。辛うじてやかんとかポットが普及しているくらいじゃないかな? だから銅製の鍋なんてものを使っているのは先に挙げたような下積みとか弟子がいる人たちがほとんどだ。
僕も調理器具は鉄製のものを愛用している。包丁とかはむしろ良く切れるからいいのだけれど、鍋類はもう少し軽くならないかと常々に思う。しかも鉄って火の通りがあまりよくないし、工場で型に嵌めてプレスという訳もなく一つ一つ職人が手で打っているためか肉厚だ。おかげでお湯を沸かすにも時間がかかるんだよね。・・・・・・そうか、それならいけるかな?とりあえずやってみるとしようか。
鍋底から気泡がふつふつと上がってくる頃に、準備はできた。用意したものはタオルと貰ったけれど使わないままだったクッション、それと果物が入っていた木箱。丁度いい大きさの箱を見つけるのに時間がかかったけれど、見つかってよかった。
箱の内側にクッションをつめる。底が平らになるように工夫していると、どうやらお湯が沸いたようだ。鍋の中に水洗いした小豆を入れて、箱の中身を微調整する。それにしても果物の木箱でよかった。これがイモ類だったら土とか掃除しないといけないからね。
五分ほどすると、鍋は再びぐらぐらと沸騰を始めた。このまま火にかけてたら間違いなく失敗するだろう。だから火にかけるのはちょっと休憩だ。
「よいしょっ・・・・・・熱っ!」
コンロのスイッチを切り、あらかじめ強いておいたタオルの上に鍋を乗せる。木製の蓋をかぶせたら蓋がずれないように気をつけてタオルを巻いて、斜めにならないように注意しながら木箱へ。・・・・・・柄が邪魔だなぁ。成功したら今度からは両手鍋にしよう。
「問題は何時間放置しておくかだけれど・・・・・・どうせ焦げる心配はないんだし朝まで置いてみようか」
時計を見れば十時半を少し過ぎたところだった。木箱を階段から降りたらすぐに目に付く場所に移動させ、今の時間を紙に書いて張る。うまくいきますよーに。
「・・・・・・くぁ、んぅ。・・・・・・朝、か」
ふわぁあと大きなあくびを一つ。ベッドから降りて窓を開ければ、夜闇がのこる涼やかな風が寝起きの頭を覚醒させる。通りには情報誌を配る少年や、店から酔っ払いをたたき出す恰幅のいい女主人が今日を始めていた。そろそろ僕も今日を始めるとしようか。
身支度を整えて、開店準備を済ませてしまう。作り置きのトマトソースがそろそろ古くなってしまうので、今日の日替わりはトマト系のものにしよう。スパゲティはあるし、今日は豚肉の塩漬けが安かったからコレを叩いてミートボールスパゲティにしてしまおうか。そんな感じで仕込みも済ませれば、いよいよお待ちかねの時間だ。
木箱の蓋を取ると、暖められた空気がふんわりと顔にかかる。タオル越しに触ってみれば、人肌よりやや暖かいほどの熱が僕の考えを肯定してくれた。入れたときと同様に斜めにならないように気をつけながら取り出してカウンターに置く。タオルを解いて木製の蓋を取れば、小豆の香り。御玉でゆっくりとかき混ぜてから十個ほど取り出してつまんでみれば、全部芯なく潰れてくれた。これなら他の煮込み料理にも応用できるかもしれないな。熱しにくいということは冷えにくいということ。熱の伝わり方の利用して作った即席の木箱だったけれど、いい感じだ。
「美味しい~ア・ン・コは~、上品な~豆の味~」
鍋を流し場において、ゆっくりと水を注ぎいれる。小豆はアクが強いからね。中身がこぼれないように水量を調整して、鍋の中の水が完璧に透明になればオーケー。本当はザルに小豆を移すのが早いのだけれど、手持ちのザルの目で小豆が通らないようなものはないんだよね。次に市場に行く時はチェックしとこう。
「ゆっくりコトコト~、砂糖は~分けてねッ!」
小豆を鍋に戻して、火にかける。焦げないように気をつけながら、砂糖を投入。大切なのは一度で味付けをしようとしないこと。一度に入れると豆が硬くなってしまうのだ。今までの試行錯誤の結果、ベストな砂糖の量は大体わかっているので、それの半分くらいをいれる。砂糖の量を増やせば保存期間も延びるけど、小豆の味がするくらいなのがベストだと思うのですよ。
「ふふ~ん、ふふふ~ん」
砂糖を入れて炊いていると、小豆から水分が出てくるので、ここまできたらもう一安心だ。あとは鼻歌でも歌いながら木べらで時々かき混ぜて、水気がなくなってきたら塩を少し入れて粒が残る程度に潰せば
「たらららったら~ん、粒餡の出来上~が~り~!」
熱々な餡子を一口味見。・・・・・・うん、美味しい。これなら十分店に出せるレベルだ。取り出してから出来上がるのにかかった時間は、と・・・・・・・三十分くらいか。別に毎日作る訳でもないし、渋切りの間に他の仕込みもできるからメニューに載せても大丈夫、かな? 即席で作ったにしては木箱は十分な性能を発揮してくれたようだし、これからは保温箱と呼んでやろう。これからもよろしくな。
「今日から早速出そうかな。たい焼き、は型がないから無理か。回転焼きくらいならできるかもだけれど、どうせならビゼンさんに型を作って貰いたいなぁ。今度来たときに聞いてみないと」
ビゼンさんというのはここの常連さんの一人で、鍛冶を生業としているストイックなおじいさんだ。家にあるほとんどの鉄製品は彼の手か、彼の弟子の手によるものなんだよね。特にビゼンさんが作ってくれた包丁セットは圧巻の一言。試し切りってまな板を一刀両断するのものではなかったはずだ。もう慣れたけど。
「お店に出すなら、やっぱり先ずは緑茶との相性を優先させたいよなぁ。餡子で少しもったりとした口内を、熱いお茶が押し流す。熱さが喉元を過ぎる頃にはお茶の渋みと甘さがゆったりと広がって・・・・・・うん、粋だねぇ。となると餡子本来の味を楽しんで欲しいな。そうとなればやはり羊羹しかあるまい」
型は空いているバットを使えばいいから、とりあえず作ってしまおう。あっ、外の看板にも新メニューできましたって書かないとな。くふふふ、羊羹なんて食べるの何年ぶりだろう。栗羊羹に水羊羹、それに今から作る練り羊羹。今は暑い時期だから水羊羹も捨てがたいけれど、最初はオーソドックスにいこうじゃないか。
「えー、それでは今から羊羹作りを始めます」
なんて料理番組を気取ってみる。今日は朝からご機嫌がとまらない。アリアの評価も聞いてみたいなぁ。
「材料は出来立ての餡子、砂糖に固めるための寒、天・・・・・・」
息が詰まり、世界が色を失う。
バカな
嘘だ
そんなはずは
耐え切れずに、ついに膝から崩れ落ちる。
失敗した。最後の最後で失敗した。いや、最初の最初で失敗していたのかもしれない。さっきまでのご機嫌な僕の頭を吹き飛ばしてしまいたい衝動に駆られるが、悔いても、もう遅い。一体いつから錯覚していたのだろうか? 久しぶりの故郷の味に惚けていたのか。もう、帰ることなどできないしここで生きていく覚悟なんてとっくの昔に決めていたじゃないか。なのに今更ここが異世界だなんて忘れるなんて、本当に間が抜けている。
「寒天・・・なん・・・って、ねぇよ・・・・・・!」
この店を開いて以来の男泣きが、いま、開店前の絢辻屋に響き渡った・・・・・・。
後日、船長に相談した結果、海草ということで乾燥昆布を貰うことになるのだが、それはまた別のお話である。