追憶の長谷川千雨 2
「ちうだよ~~~」
甘ったるい様なわざとらしい猫撫で声を出しながら、カメラに向かってポージングする。
千雨の服装はいつもの地味な私服でも、ましてや制服でもない。やたらにレースとリボンが多用されているブラウスに、傘の様に広がるスカート、頭には大きな帽子が被さり、長い髪も左右で二つに纏められている。
正直、外を普通に歩けるような格好では無かった。
それはそうだ、これはアニメのキャラクターコスチュームを模した、所謂コスプレというやつだからだ。ちなみにコスプレをしている時だけ、千雨は伊達メガネを外している。
千雨はコスチュームの元となったキャラを脳内で想像しながら、なりきった様にポージングを決めていく。決めたポーズと共にリモコンでカメラのシャッターを切り、出来栄えを確認しながら何度も撮影を行なった。
ときおり決めポーズと共に、自分の決め台詞なんかも叫んでみる。
本人は楽しくてしょうがないが、第三者が見たらかなり痛い現場なのは明白だ。
「ふぅ、今日はこんな所か」
撮影が終わり、カメラの画像データをパソコンで表示させ、スライドショウで次々と見ていく。
「ふふふふ、我ながら良いじゃないか」
自画自賛。
自分の写った写真を見ながら、ニタニタと笑みを深めた。
「おっと、皺になる前に服着替えないとな」
千雨はコスチュームをゆっくりと脱ぎ出す。このコスチュームは千雨が数ヶ月かかって自作したものだ。そのため市販品に比べて明らかに脆い。装飾過多なのもその理由の一つだろう。
千雨は下着姿になる。さすがに肌寒さを感じるものの、それより気になるのはコスチュームの状態だった。
「やべ、肩口のところ、糸がほつれてきてるよ……」
クローゼットの中からミシンを取り出し、下着姿のまま修復を始めてしまう。
更には楽しくなりだし、あれやこれやと様々な変更もし始めてしまった。
「――へっ、くしゅん」
くしゃみが一つ。
「あ、あたしは裸で何やってんだよ」
自分の姿を思い出した途端、部屋の冷気が一気に押し寄せてきた。
「こ、このままじゃ風邪引いちまう」
千雨は新しい下着とパジャマを取り出し、そのままシャワールームへ飛び込んだ。
十分後、千雨は肌を上気させながら、ほっとした表情でシャワールームから出てくる。バスタオルで髪をごしごししながら、ハンドドライヤーを出し始めた。
湯冷めしない様に、エアコンの温度も高くする。
「今日も頑張ったぜー」
ドライヤーを使いながら、自分のコスプレ写真の出来栄えに、再び笑みを強くしてしまう。風呂上りにミネラルウォーターのペットボトルのラッパ飲みもした。
髪も乾ききり、さぁ寝ようと思っても、それはすぐに出来ない。
「この時が一番面倒だよな」
部屋は煩わしい状態だ。デジカメは三脚に固定され、撮影用の背景シートが壁と地面に貼られている。更には光源用のライトまである。どれもこれも機材としての質は低いものの、中学生という千雨の身分を考えればかなりの高級品だ。
親の仕送りと、お年玉などのお小遣い、更には試験用に立ち上げたブログの広告収入などを合わせ、千雨がなんとか買い揃えた機材だった。
「よっと、ほっ」
機材の一つ一つを解体し、綺麗にまとめていく。一応、千雨の部屋は二人部屋だ。同居人がそうそう帰って来ないと言っても、その人間のパーソナルスペースを侵略するつもりは千雨に無かった。
部屋にあるスライド式のクローゼットは、中央を基点に左右でニ分割。右側が千雨の領分だ。
そこに入りきるように、機材をうまく入れていく。
おそらくこの部屋の同居人には千雨の趣味がバレているだろう。だが無口な上に、他者にわざわざ喋るような性格じゃないので、千雨はその点安心していた。
「よし、入りきった」
クローゼットの片側に、機材は綺麗にみっちりと収まっている。
そこで一安心したものの、そこで一つ思い出した事があった。
「あ……国語の宿題」
漢字の書き取りがかなりあったのを思い出してしまう。しかも担当は「鬼の新田」だ。忘れたら倍返しの上に居残りである。
「なんで、あたしはもっと早く気付かないんだよぉ!」
慌ててカバンを漁りノートとテキストを取り出す。宿題のページを確認して、サァーっと血の気が引いた。二時間近くかかりそうな量だ。
現在時刻は十二時過ぎ、普段なら寝ている時間だ。
「く、くっそぉぉぉ~!」
先ほどまで「ちうだよ~~」などと言っていた面影は消え、半泣きになりながら千雨は宿題をやり出す。
ちなみに、宿題はやっている途中で寝てしまった上に、翌日は寝坊で遅刻した。更には宿題忘れにより、新田により居残りにされる事となるのだった。
◆
秋も終わりを向かえ、冬になろうとするこの頃、日が落ちるのがめっきり早くなっていた。
今年の一学期の終わりから強制されている集団登下校だが、下校時にはそのシステムはニ分割されていた。
当初は部活禁止令まで出たものの、一ヶ月を過ぎても解決しない事件に業を煮やし、部活は再開される事となった。
そのため授業後に帰寮する『帰宅組』と、部活後に帰る『部活組』、二つの集団下校時間が作られ、生徒はそのどちらかの時間で帰るのが義務付けられた。
そんな中、居残りをした千雨は微妙な時間帯に手が空くこととなっている。
空は薄暗くなり、夕焼けも沈もうとしている時間帯ながら、体育館からは元気な声が聞こえてくる。さすがにグラウンドを使う部活はそろそろ上がる様だが。
まだ部活組の帰宅時間まで三十分程ある。千雨としては正直言ってさっさと帰りたかった。
「帰っちまうか」
どうせ三十分もすれば自分の後ろを運動部の集団が歩いてくるのだ、襲われるなんて事は無いだろうとタカをくくる。
そうと決まればコートを羽織り、カバンを持って教室を飛び出した。そのまま昇降口で外履きに履き替えて、そろそろと校門目指して歩いていく。
幸いな事に集団下校の監督をする教師はまだいない様だ。
「よし!」
そのまま自然な振りをしながら校門を通った。千雨を呼び止めるものなどいない。
「なんとか脱出成功、って所か」
校舎内から見えないようにしながら、そそくさと通りを進んでいった。
(あ、そういえば)
千雨は昨晩コスチュームを弄っていた時に、欲しい色の生地が無いのを思い出した。あと、色々な小物も出来れば作りたい。
むずむずと欲望が沸きあがり、千雨は決断する。
「――寄っていっちまうか」
現在、寮での門限や外出はかなり厳しく制限されている。今から帰ったのでは、おそらく外出は許可されないだろう。それに一人では外出許可は出ない。一緒に行ってくれるような、同種の友人などもいない。
そうと決まれば急げ、と千雨は一路コンビニへ向かった。お金を下ろすためだ。
コンビニのATMで生地に必要な分の貯金を下ろし、商店街にある大きめの手芸店へ向かった。個人商店だが、ヘタなお店より遥かに品揃えが良い。店員が過剰に対応しないのも、千雨が気に入ってる所だった。
店に入るなり「いらっしゃいませー」と挨拶はされるものの、中等部制服を着ている千雨を見ても特に対応は変えない。
殺人事件が起きる前だったら、おそらく自分と同じように帰りに寄り道する生徒は珍しくなかっただろうが、事件を機にその数は激減している。
それでも何人かは千雨と同じ様に、集団下校を抜け出して寄り道するのだろう。
店員は千雨に気にも留めずに、店内の商品棚の整理をし始めた。
千雨はほっとしながら、目当てのコーナーへ向かう。
「ふふふ、これであのコスもより完璧に……」
ヒクヒクと口角を吊り上げながら、必死に笑いをこらえる千雨は、ぶっちゃけキモかった。
◆
「ありがとうございましたー」
店員の声を背中に浴びながら、ほくほく顔で千雨は店を出た。
紙袋を腕の中で抱える様に持っている。中身は言わずもがな、だ。
「まさかあの形のボタンまで見つかるとはなー。コス専門店まで出張らなきゃ駄目かと思ってたぜ」
どうやらかなりの収穫があったらしい。
見るからに上機嫌といった風で、千雨は通りを歩いている。
街灯の下、人はまばらだ。
まだ殺人事件が解決していないため、住人も夜の外出は控えているらしい。
「――って、あぁ、またあたしは!」
パサリ、と紙袋を落としながら、千雨は頭を両手で抱える。
手芸店で熱中するあまり、千雨は時間を忘れていた。時間を確認するために携帯を見るが――。
「げっ……」
そこには何度もコールされた後があった。表示は「女子寮」と書かれている。まぎれもなく寮監からだ。
「ど、どどどどどうしよう」
門限はとっくに過ぎていた。
昨日に続く失態。冷気が首筋から入り込み、ヒヤリと背中を撫ぜた気がする。
「こ、こうしちゃいられない」
千雨は手芸店の紙袋をカバンに詰めた。紙袋を露出させたまま帰ったら、取り上げられるのは目に見えていた。持ち物検査されたら結果は同じだが、どうにかその事態は回避せねばならない。
更にはこのコール回数の多さもごまかさねば。
「と、とりあえずバッテリー切れという事にしておくか」
携帯の電源をプチリと切っておく。
そして猛然と走り出した。
目指すは女子寮、門限を三十分以上過ぎているが、せめて一時間には至らないようにしたい。というかしないとエライ事になる気がする。
元々体力の無い千雨だが、必死に走り続けた。
普段使わない小道まで駆使し、寮まで一直線に向かう。
だが、さすがに全力で走り続けていたら、ものの五分でバテてしまった。
「ぜーはー、ぜーはー」
口をだらしなく開きながら、必死で呼吸する。足はがくがくで、近くにある壁に背中を預けた。夜になり気温も冷えて、白い吐息が空中に舞った。冷気が喉下をザラザラにする。
「休んでる、暇、なんて、無い、のに……」
独り言も途切れ途切れだ。
なんかもう怒られたっていいかなー。大体三十分も一時間も大して変わらない様なー。どうせ怒られるんだからもうゆっくり帰ればいいんじゃねー。
そんな誘惑が千雨を襲う。
「うん、そうだよな」
そしてあっさりと千雨は誘惑に負けた。
今更ジタバタしたってしょうがない、なる様になれだ。と虚勢を張る。
そんな時、少し薄暗い近くの路地に動く影があった。
「ひっ!」
千雨はビクリ、と過剰な反応をしめした。そして思い出すのだ『未だ猟奇殺人事件の犯人が見つかっていない』という事を。
バクバクと心音が強くなり、サァーっと血の気が引いた。
よく見れば千雨のいる路地は薄暗い。
麻帆良のご多分に漏れず、石畳の引かれた道は車道として機能してなく、必然道は細い。
そのため街灯の数も最低限だ。
街灯の影になり横道となっている路地裏を、千雨は硬直しながら見つめ続けた。
ポケットにある携帯に手を当てるも、電源が入ってないのを思い出した。
(な、なんで電源切っちまうんだよ、あたしは~)
急いで電源を入れようとするも――。
「ニャー」
「にゃー?」
聞こえてきた声をオウム返ししてしまう。
路地から出てきたのは黒猫だ。冷静に考えれば、動いた影だってかなり小さかった。人のはずなど無いのだ。
「な、なんだよ。そうだよな、いきなり出くわすなんてあるはずねぇ……」
「ニャ~~」
猫は声を上げながら、千雨に寄って来る。
「――、お前、ドラのくせに嫌に人懐っこいな」
千雨の足元に、黒猫がすりすりと擦り寄ってくる。
女子寮の裏にもドラ猫が数匹いるのを思い出す。どうやら寮の誰かが餌付けしているらしいが、あの猫達は千雨を見るなり親の仇を見るように牙をむき出しに威嚇する。その上、さっさと逃げ出してしまうのだ。
それを考えれば、目の前の黒猫はとても可愛く思えた。
「よし、じゃあせっかくだからお前に施しをやろう」
ごそごそとカバンを漁れば、千雨の秘蔵しているスティック型の菓子『ポッチー』が出てきた。ポッチーを一本出し、そのチョコ部分の半分を自分でかじり、残った半分を猫に向けて放り投げた。
「ニャー」
猫はかりかりとポッチーを食べ出す。
千雨はしゃがみながら、食べている猫の頭を撫でた。
「お前も飼い主か、ちゃんとした寝床を見つけねーと、冬が越せないぞ。今年は寒いらしいしな」
猫は相変わらず食べている。そんな猫を見ていると、千雨の心も癒された。
ピクリ、と猫の耳が動いた。
「お、どうし――」
千雨が何も言う間も無く、猫は食いかけのポッチーを置いて、脱兎の如く走りだした。
「??」
しゃがんでいる千雨の背後には街灯がある。そのためしゃがんでいる千雨の目の前には、自らの影があった。そしてその影に、もう一つの人影が重なった。
「え――」
背後に人がいる。地面に作られたシルエット――見覚えがあった。それは確か『夢』で――。
「――――ッ!!!!!!!!!」
ザクリ、という音と共に千雨の背中の一部が焼け付いた。コートと制服が何か鋭いもので突き破られ、激痛が体中を襲った。
余りの痛さに、自分が何を叫んだのかすら聞き取れなかった。
視界が黒と白に明滅する。まるで炎の中に飛び込んだ様だった。
気付いたら千雨は地面に倒れていた。
ざらりとした石畳の感触が、顔の側面をやすりの様に削っている。男に圧し掛かれている様だった。
体に力は全然入らないし、男に少しでも力を入れられたら、背中から激痛が体中に走った。目からぼろぼろと涙が溢れる。
痛みをごまかそうと叫び声を上げようとするものの、無骨な男の手に口元をふさがれ、何も叫べない。
(男――、こいつ男)
逆光で顔は見えないものの、シルエットは屈強な男の形をしていた、明滅する視界の中、なぜか男のシルエットだけははっきりと確認できた。
(嫌だ、恐い、嫌だ、助けて、助けてよ。もう、『わたし』は、もう――なぁウ――ック)
脳内に激しいノイズが入る。混乱と恐怖と激痛のため、思考は纏まらず、ただ涙だけが溢れた。
(あぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!)
先ほどを越える激痛と共に、ゴリゴリという耳障りな音が体の中から聞こえていた。
いつの間にか口の中には布が押し込まれ、上半身は男の足と膝で固定されていた。伸し掛かれる状態だった。
激痛の根源は右腕。痛みの余り、千雨はガンガンと石畳に頭を打ち付ける。とてもじゃないが、耐えられる様な代物では無い。
視界の片隅で、男が自分の右手を、巨大なナイフで切り落とそうとしているのが見えた。
「――ヒッ!」
口に布を詰められながらも、息を呑む自分の声が聞こえた。手を切ろうとする恐怖が、激痛と共に脳内を駆け巡る。
あぁ、これで意識を失えたらどれほど楽なのだろう。だが、現実は無情だった。
千雨が意識を失えど、激痛で再び起きてしまう。
一時間だろうか、十時間だろうか、それとも十秒なのか。千雨に時間の感覚は無い。ただ、ひたすら長く感じられた。
ゴリゴリと骨を削る音が聴覚を支配し、体の内側全てを針が貫いてるような激痛が絶え間なく襲った。
右手を切り取る。生きている千雨を押さえつけながら、それを行なう男。異常な光景だった。
(やメロ、ヤめろ、ヤメろ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、オ願イダカラヤメテクレ!)
目は見開き、涙が滂沱の如く溢れ、鼻水も飛び散り、布を敷き詰められた口の端からは涎が跳ねた。
痛みを誤魔化すために、痛みを自らに課した。ゴツゴツと頭を石畳に叩きつけるのが、無意識の衝動だ。
全身が恐怖に浸される。
そんな千雨を、男は『笑いながら』見ていた。
(ワラッテイル――)
千雨の視界は定まらない、だが男の口元が三日月を描いてる事だけは分かった。
「――――――ァァァァァァァッッッ!!!」
ゴトリ、と何かが落ちた音がする。もはや右手の先の感覚は無くなっていた。千雨の周囲には巨大な血溜まりが出来ている。
寒いのは冷気のせいだけではないだろう。
男は無言のまま、その手に持つ血に濡れたナイフを振り上げた。
(あっ――)
光景が、ゆっくりと過ぎていく。千雨はなぜかそのナイフが待ち遠しく感じられた。もうすぐこの体を覆う苦痛から解放される、そう本能が求めるのだ。
そして脳内に様々な人の顔が過ぎった。両親、数少ない友人、クラスメイト、寮の同居人、そして――声。金色の小さな影。動物、なのだろうか。
(あの『ネズミ』は、何て言った――)
漆黒。
千雨の意識はそこで切れた。
◆
『えー、只今緊急のニュースが入りました。
今年の七月より続いている『麻帆良連続殺人事件』の続報です。
つい先ほど、埼玉県麻帆良市において新たな遺体が発見されました。
被害者は麻帆良学園中等部に在籍する『長谷川千雨』さん、十四歳です。
遺体は今日の午後七時半頃、長谷川さんの住む寮の近くの通りで発見されました。
遺体には過去の殺人事件と同じく、右手の欠損が有り、同一犯との見方がされています。
警察の発表によれば、まだ死亡時刻は特定出来ないものの、長谷川さんが午後五時に学園を出たとの証言を得ているそうです。
他にも続報が入り次第お伝えしようと思います。では次の――』
つづく。